ユーカリの木陰で里の行

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2017.05.02
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カテゴリ: チベット仏教





4月といえば日本は桜の春だけど、
メルボルンは秋

街路樹も黄金や紅に色づいてきました。

子どもたちの方は楽しみにしていた秋休みで、

私も子どもたちと過ごす時間が多くなって、

先日、一緒に おはぎ を作っていたときのこと。

「きなこ」という単語がとっさに出てこなかった。。。

「ほらほら、あれよ、あれ…。

何ていうんだった? ほら、あの黄土色の粉の…」

時々、言葉が浮かんでこないことがある。

日本語と英語、2か国語の中で生活しているせいかもしれないけれど、

このときは「マズイ!」と思った。

だってその数分前に「あんこ」で食べるか

「きなこ」で食べるかという話を 日本語で していたばかりだったから。

ちなみに子どもたちは日本語と日本文化が大好きなので、

オーストラリアにいながら学校を一歩出ると、

読むのは漫画、観るのは日本のアニメDVD、

遊びも会話も、家では日本語ばかりをつかうので、

このときも日本語で会話をしていたのだった。

さすがに子どもたちも呆れたようで、

息子など、「ママ、頭悪いんじゃないのぉ」

ムッとして思わず言い返していた。

「ママは 30 過ぎてオーストラリアに来たから言葉で苦労して

英語と日本語がごっちゃになっちゃって、

潜在意識が混乱しちゃってるの!」

すると娘がきっぱり否定した。

「違うよ、 ママは集中していないから だよ。

話しながら次にすることとか

何か別のことを考えているから、

言葉が出てこなくなっちゃうんだよ」、と。

「あ~、いけないんだ~ ママったらいっつも

ながら はいけません!とか言ってるくせに。

自分が集中していないんじゃん」と、鬼の首でも取ったかのように息子。

ムッとしつつ、だけど否定できなかった。

確かに、半分心ここにあらず…だったかもしれないナ。

言われてみれば、

家事や買物をしているときなんか

ついつい次にすることや他のことを考えてしまうことが多い。

そういうときは子どもたちも一緒のことが多いから

考えてみれば、

せっかくの子どもたちと過ごせる時間を無駄にしている んだ。

それは、

今この瞬間に十分に生きていない― ということでもあるわけで…。

NOW&HERE―

そういえば最近、瞑想が疎かになっていたなぁとふと思った。

とりわけ一昨年、ダライラマ法王のリトリートに参加してからは

朝のお勤めが忙しくて瞑想の方がおざなりになっていた。

行自体が瞑想だとも言えるけど、

やはり呼吸に意識を集中してリラックスし意識を明瞭にするような

Calm & Clear の瞑想 とは違う。

今この瞬間に生きるという心の態度を習慣化するには、

日々の生活に瞑想を取り入れることは欠かせない と思っていたのに…。

私が瞑想を始めたのは、

オーストラリアに移住して1年ほどが経った頃だった。

知人からガイド瞑想のテープをもらったのが切っ掛けだった。

チベット仏教 Gyuto Monks

The Practice of Contentment A Meditation Guide

満足の実践というガイド瞑想だった。

思い返せば、CDでなくテープというのもすごいけど

どうして彼女が私にそれを贈ってくれたのかも謎である。

彼女は仏教徒では全然なかったし ( 聞かれたら

ウチは一応プロテスタントですと答えるタイプで )

私もチベットどころか仏教徒でもなかった ( 単なる無宗教派ね )

しかも私たちは親しくもなかった。

夫の実家で何度か会って挨拶を交わした程度だったから。

チベット仏教に関しても、

学生のころ『チベット死者の書』を読んだくらいで

あまり馴染みもなかったし。

それでも瞑想にはずっと興味はあった。

本を読んで何度か試してみたこともあったけど、あまりピンと来なかった。

それを瞑想と呼べるのかどうかさえわからないほど曖昧なまま、

試しただけで終わってしまった。

それがこうして せっかく ガイド瞑想のテープをもらったのだからと、

試しに やってみることにした。

それは3部に分かれていた。

リラックスして心を鎮めるための瞑想と、

我執を緩めるための分析的瞑想、

そして慈愛と慈悲心を養う瞑想だった。

とりあえず 30 分ほどのリラックス瞑想をやってみた。

チベット僧のどっしりした祈祷に、

僧侶たちの野太くリズミカルな Chanting ―読経が重なり、

アクセントのある英語 ( たぶんチベット訛り )

瞑想に関する説明と誘導が始まった。

「では、右の鼻腔からゆったりと息を吸い込みましょう。

そうして左の鼻腔から静かぁに息を吐き出す」

ん、右の鼻腔???

そんなふうに瞑想初心者でもハッと注意を引くような

気の利いた誘導が入っているので、やり易かったのを覚えている。

さらに呼吸を促すために

「ふぅ~~~~」と鼻息が入る のもご愛敬で、

「そろそろ雑念が湧いてきましたね」とか

絶妙なタイミングでガイダンスが入る のも良かった。

「雑念にいちいち捉われて、追う必要はありません。

何が心に浮かんでも、息とともに吐き出してしまいましょう。

さあ、吐いて~ 吸って~

吐いて~ 吸って~」

それは呼吸に意識を集中し、心を鎮め、

瞑想状態に入ってゆくという瞑想だった。

鼻息と、僧侶たちの読経と、チベット訛りのガイダンス―

促されて、呼吸を続けているうちに

いつしか心はゆったりと落ち着いてゆくのだった。

今はただ呼吸に意識を集中してください―

何が浮かんでも捉われない。

仕事も、人間関係も、やらなければならないことも、

心配事も、未来の楽しみも、

明日の予定も、過去の出来事も、何もかも―

ただ手放す。

ただ呼吸に意識を集中していれば、いい。

何かを達成する必要はないし、

問題や心配事に心を消耗させる必要もない。

今ここで必要とされているのは、 息をすることだけ なのだから。

ただ呼吸に意識を集中し、意識を心の中心に据える。

いつも何か考えている心の習慣から心を解き放つ ことだけなのだから。

それは、非常にシンプルだけど哲学的で、

やり終えたときには心は澄み渡り、

穏やかな静けさで満たされていた。

それからその瞑想テープを使って、定期的に瞑想をするようになった。



続きは「きなこ」de瞑想の後編へ。

写真は、私が瞑想を習慣化する切っ掛けとなったガイド瞑想のCD

Gyuto Monks の『 The Practice of Contentment A Meditation Guide 』。

ちなみにテープでないのは、

数年後に偶然CD版を見つけて買い換えたからデス。

テープの方は擦り切れて、とうに引退してしまいました。








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Last updated  2017.05.02 13:09:52
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