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タントラ・ヨーガの「ニュンネ・リトリート」が5月最後の週末に3泊4日(足掛け)で、チベット仏教寺院で開催された。チベット歴ではサカダワ月―修行の功徳が何倍にもなるという4の月―に入っていたから、ニュンネ行をするには縁起の良いタイミングだったの。ニュンネとは慈悲の化身、千手観音に帰依して慈悲の心を育む、浄化のタントラ行のリトリート。3泊4日といっても金曜の夜はオリエンテーションで、本格的なセッショに入るのは土曜日の早朝5時から。2時間半から3時間ほどのセッションを月曜の夜明けまでに8回実践する。内容は経典やマントラの詠唱、瞑想や観想やFull-length Body Prostration(全身で行う五体投地)なのだけど、そこに絶食や絶飲、無言の行とかいろいろと戒律が課せられるので、なかなかキビシイ行なんですよ。ちなみに断食は土曜の正午12時からで、断飲の方は僧院の慣習によって異なるそうだけど、土曜の夜ベッドに入ったとたんとか、深夜0時からだと言われている。1番緩い説で日曜の夜明け前からね。私はニュンネ・リトリートが好きで、過去に何度も参加している。断飲による喉の痛み、空腹や不眠、ほぼエクササイズ状態の五体投地からくる筋肉痛に苦しみつつも。それでもリトリート中に起こる圧倒的な気づきや不思議な体験、ニュンネ明けに頂く1杯のチャイの神々しいほどの美味しさ。なによりも月曜の早朝3時から始まる最終セッションなんて、疲れ果ててゾンビ状態だったのが、終わってみれば全身にエネルギーが漲って、心には揺るぎない達成感と満足感が広がっている。それこそ高原の青空みたいに清々しい多幸感が堪らないのよ。とはいえ最後に参加したのは2020年の頭。以来コロナが蔓延して、2年間ほどニュンネも中止となり…。自分も足の平を骨折したり、日本への一時帰国と重なってしまったり、私自身は3年も参加していなかった。そのニュンネが開催されると聞き、参加したいのは山々だったものの、躊躇していた。足の平の骨折がまだ治っておらず、五体投地をするのは難しそうだったし。それと今年1月末から別のタントラ・ヨーガのリトリートに入っていたので、二つ同時に実践するのも難しそうで…。つーか、現実的に無理そうだった。毎日2時間半ほどその行に入らなくてはならないうえに(母の供養もかねて始めたのだけど、お陰でただでさえ慌しかった毎日がパンク状態で…)、修行をする場の問題もあったから。タントラ・ヨーガのリトリートは洞窟に一人籠ってする修行よろしく1度始めたら毎日同じ場でしなくてはならず(ちなみに自宅の書斎の瞑想場でしております)、ニュンネをするからといってチベット仏教寺院に寝泊まりするってわけにはいかないから。かといって、最終セッションは深夜3時に始まるし。自宅から通いで参加して、断食断飲中の真夜中に寺院まで運転するなんて…。考えただけでも事故ってしまいそうで恐ろしすぎるもんねぇ。そんな折、ニュンネ開催のお知らせを聞いた息子が「ワシ(最近、息子は自分のことをこう呼ぶ ^ ^;)、今年は参加するわ!」と言い出した。飲めないとか厄介な戒律の入らない土曜のセッションだけやるつもりなのかと思ったら、全てやるつもりだと言う。「本気ぃ? 学校はどうするつもりなのよ?」まだ高校生だし、受験生だし、母親としては手放しで了承するわけにはいかないでしょ。オーストラリアでは高校1年生から受験に入る学校も多く、国立大付属高校2年生の息子も今年は2科目が最終試験に入る。そのうえ彼には喘息の問題もあるし。断食断飲、五体投地の修行でいつ深刻な発作を起こさないとも限らないし…。「それなら大丈夫だよ。現地校の方はいつも通りに家を出て、学校に行けるから。だって月曜の朝6時には終わるでしょ」「そうは言ってもねぇ。ちょうど前期の試験週間に入る時期よねぇ。ニュンネは大学生になってからやればいいんじゃあないの?」「だからだよ。これから受験の方がますます忙しくなるから、どうしても今のうちにやっておきたいんだよ。来年はそんなチャンスもないでしょ」と、息子の決意は思いのほか固く―ふっと、「自分もニュンネやる!」と言い張っていた小学生のころの息子を思い出した。あれから何年も経って、マシュマロみたいだった丸顔はいつの間にか引き締まり、小さかった背丈も私よりずっと高くなった。それでも今もニュンネをやってみたいと言っているんだ。高校生になって、女の子と旅行に行きたいとか、友達の別荘で開かれる週末のお泊りパーティー(保護者不在)に行きたいとか言っているわけじゃなく、千手観音のタントラ・ヨーガ修行に参加してみたい、と。なにか、感慨だ。その決意が固いのならば…。早速翌日、寺院に電話をして、息子の予約を入れようとした。ところが、今年は空き部屋がなくて男子のアコモデーションは用意できないのだという。参加したい男性の方には通いでお願いしているとのことで…。息子が通いでできるとはとても思えなかった。月曜など早朝3時開始(って、これはもはや早朝と言うより深夜でしょ)に始まるっていうのに、絶対無理だわ。もはや諦めてもらうしか…。そうは思ったもののダメ元で、息子がまだ高校生であること、初めてのニュンネであること、通いでやるなんてとても無理だろうことを強調して、なんとか部屋を用意してもらうわけにはいかないだろうかと頼んで(押しまくって)みた。するとその数日後に寺院の方から連絡が来たのだった。急遽ライブラリーを解放して、そこに息子のためにベッドを用意することになった!と。一方私の方は、フル参加は諦めて、土曜日のセッションにだけ参加することにした。週末だけとはいえリトリート二つっていうのは、やはり…。何事も「中道」ですよねぇ。Middle Wayも仏教のキホンですから。そういうわけで今年はニュンネに参加すると言っても、断食断飲も無言の行も、守らなければならない八戒もなくなったわけデス。まあ、「それはもはやニュンネではない」って話もあるけれど。千手観音さまのセッションだけでもやれればいいかな、と。ともかく、金曜の夜は息子と一緒に準備のセッションに参加した。それから息子が泊めてもらうことになった部屋を見せてもらったら、思いのほかのゴージャス空間だった。私がニュンネで泊った部屋なんて、いつもガランとした空き部屋か倉庫を改造したような空間で、そこにマットレスがすごい密度で直置きされていた(つまり数人で雑魚寝状態ね)。けれど息子の部屋にはベッドが二つ(寝具付きで)置かれていたのだった!そのうえ元々ライブラリーなだけあって、本棚に埋もれるほどの仏教本やスピリチュアル本。そこかしこに仏様や観音様の仏像や絵画や曼荼羅が飾られている! こ~んなに波動の高いところでニュンネしたら、神聖に素晴らしい夢見とか楽しめそうでしょ。しかもルームメイトは一人だけ。どんな人だろうかと思っていたら、知人のJさんだった。うちの子たちと同じ年頃の姉妹のいるお父さんで、チベット密教歴の長~い穏やかな方だ。彼が一緒であれば大丈夫だろうと安心して、息子を置いて一人帰ってきた。だけどその夜はやはり気になってしまって眠れなかった。ちゃんと眠れているかな?とか、明日の朝は早朝5時開始だとか言っていたけれど、ちゃんと起きられるのかな?とか、Jさんに迷惑かけてないかな?とか、片頭痛とか喘息の発作に襲われていたら…とか。自分がニュンネしたときよりも遥かにナーバスになっている自分に気がついて苦笑してしまった。よく親は、子どもがいくつになってもそこに幼いころの面影を見てしまうから心配になるのだというけれど、本当にその通りだと思う。高校2年生になった息子の向こうにクリーム色のアンパンマンのトレーナーを着た2歳の息子を見てしまうんだ。3歳のムウ、5歳のムウ、7歳の― 心配しても仕方がないので、息子のことはニュンネのご本尊、千手観音様にお任せして、その夜は観音様のマントラを唱えつつ眠入ったのだった。翌日、私は戒律をとらないので宣誓のある早朝のセッションには参加せずに、2回目のセッションから参加した。今回は30人ほどが参加するのだと聞いてはいたが、いつものニュンネよりゴンパの密度が高かった。右足の平を庇って、座の組み方や五体投地のポスチャーに気を遣いつつ、3年ぶりに懐かしいセッションをした。とはいえ、2回だけ。やっぱり泊まり込みでみっちりやる行と、こんなふうに飛び込みで参加するものとは全然違う。それでもBetter than Nothingで、参加できたことを喜ばないとね。随喜の行ですわ。息子はといえば、ふつーに元気で、しっかりと行をしていた。昨夜は夜もぐっすりと眠れたし、目覚まし時計で朝もきちんと起きられたし、問題もないと言う。それでもセッションの合間に、聞かれてもいないのにアドバイスをしまくってしまった。明日には飲めなくなるから今日のうちにしっかり水分補給をしておくんだよとか、睡眠は十分にとるんだよとか。たとえ眠れなくても、横になって目を閉じているだけで身体は休めるんだからね、とか。最後に月曜のお迎えの時間を確認してから私だけ寺院を後にした。学校に間に合うように6時半前には迎えに行くのでパッキングは済ませておくようにと念を押しつつ。これで自分のニュンネはあっさりと終わった。辛いこともなかったけれど、カンドーもなく。当然、不思議な体験もなく―ともかく、息子の方は大丈夫そうだし、それからはもう心配することもなく。翌日は、絶食絶飲無言の行に勤しんでいるだろう息子をよそに、娘と二人ランチに出かけて、ベトナム料理とお喋りを楽しんだ。そうしてその夜―クッションの上に寝転んでいた愛犬ポポちゃんを抱きあげようとしたとき、ギクッ。腰に鈍い痛みが走った。そのまま鈍痛が奥へ奥へと浸透してゆく感覚に怯む。経験からいってマズイ!兆候だった。ともかく起きたら治っていることを願い、その夜は痛み止めを飲んで眠ってしまうことにした。だけど翌朝目覚めたら、痛みはますます酷くなっていた。ベッドから起き上がるのがやっとで、とても息子のお迎えに運転なんてできそうになかった。息子の携帯にメッセージを入れてみたけれど返信もなく、頃合いを見計らって電話を入れてみたけれど留守録が作動するばかりで。そうこうするうちお迎えの時間が迫ってきてしまった。もうこうなったら友達に電話して頼むしかないと電話をしかけたとき、玄関のチャイムが鳴ったのだった。「もしかして、ムウじゃない!」娘がドアを開ければ、玄関先に息子が立っていた。夜も明けきらない薄暗い空の下、大きなスーツケースと、寝具のパンパンに詰まった旅行用バッグと瞑想用の特大クッションを両手に抱えて。「え~、どうやって帰ってきたの!? え、タクシー呼んだ?」と、私。「歩いて帰ってきた。時間になっても来なかったから。待っていて学校に遅刻したくなかったし」「え~、ごめんねぇ! ママ昨夜、腰痛めちゃって。お迎え行けなくて。電話したんだけど通じなくて」「いいって。携帯のプリペイ入れ忘れてて、日付が変わったら切れちゃってたんだ。自分が悪いんだから、気にしないでよ。それより大丈夫なの? ワシのことはいいから、休んでいてよ。制服に着替えてくる」荷物を置き、2階の自分の部屋へ消えていく息子の後ろ姿を思わず見送ってしまった。妙に堂々と、悠然として見えたから。ほんの2、3年前だったら「もうママ、何やってんのさ! なんで携帯のプリペイ入れといてくれなかったんだよ~」とか半泣きしていたような子が、一言も周りを責めることなく、淡々と対処いていたから。胸が熱くなった。そうか、もう高校生なんだ、あの子も成長したもんだなぁ…と。制服に着替えてくると、家を出る時間までニュンネでのことを話してくれた。日曜の午後は、お腹がすき過ぎて呼吸が浅くなってしまったこと。ベントリン(酸素吸引機)をつかっても息ができずに焦ったこと。それがセッションに入ると、不思議と楽になったこと。とりわけ五体投地をするほどに力がまた沸いてきて、セッションが終わったときにはエネルギーが漲っていたこと。それが休憩になると風船が萎むようにエネルギーが抜けてしまい、調子が悪くなってしまうのだ、と。自分のニュンネ体験を思い出して、対照的なのでおかしくなった。日曜がどんどんキツくなってゆくのは同様だったけど、私の場合セッション中の方が辛かったのだ。とりわけ日曜日の午後や月曜のセッションなんて、もう座っているのがやっとで、五体投地なんてやるたびにますますヘロヘロヨロヨロしてしまい、殆どゾンビ状態だったんだ。セッションとセッションの間は即寝袋に横になって仮眠をとって、なんとか次のセッションに臨むという有様で…。その日、息子は元気に学校へ行ったけど、私の方は腰が痛くて動けず寝込んでしまった。それでもどうしても落とせない仕事同様、リトリートもやらなくてはならないわけで…。娘に買ってきてもらった湿布とサポーターと痛み止めでなんとか瞑想場に座り、2時間半ほどの行をこなした。場は代えられないので、そのぶんクッションの枚数を変えて高さを調整しつつ。あれからひと月近く経ったけど、今も腰痛は去ったり来たり…。これも浄化の行と考えて、クッションの枚数を変えてはリトリート場に座り続けている (苦笑)。今回は短期集中型で濃いニュンネ・リトリートは逃してしまったけれど、細く長~い地道なリトリートを続けております。にほんブログ村に参加しています。よろしければ、応援クリックをよろしくお願いします(^^♪にほんブログ村 [マックあつこの著書]『Tamagoー39歳の不妊治療』えっ、不妊症!? ミラー月子はたまご時計に急かされながらベイビーを夢見て先の見えない旅に出た。メルボルンからアラフォー妊活小説『Tamagoー39歳の不妊治療』 Kindle電子書籍『Tamagoー39歳の不妊治療』単行本『インスタント・ニルヴァーナ』もしもあなたの大切な人がカルトの罠に嵌ってしまったら? マインドコントロールの鎖は密かに繋がれてゆく。サスペンス長編3部作『インスタント・ニルヴァーナ 上巻』 Kindle電子書籍『インスタント・ニルヴァーナ 中巻』 Kindle電子書籍『インスタント・ニルヴァーナ 下巻』 Kindle電子書籍[Ako Mak 英語の著書]『Someday, IVF at 39』‘Someday, IVF at 39’ ―poignant, humorous and mysterious― a cross-cultural odyssey for motherhood.『Somedsay, IVF at 39』 英語版Kindle電子書籍[マックあつこのHP]マックあつこのHP Ako Mak HP
2023.06.24
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いやぁ、遂に先月コロナウィルスに感染してしまった。子どもたちはその半年程前に感染していたので、我が家では私が唯一の未感染者だった。それにしても、子どもたちのときは焦った。傍迷惑なウィルスを貰って来たのは高校生の息子だった。学校のサイエンス・フェアの直後だったので怪しいと思っていたら、後にそれが「スーパースプレッド・イベント」だったことが判明した。まったく…。その翌月には日本への一時帰国を控えていたので、例年通り実行してくれた学校側の律義さに思わずムカついてしまった。。。とはいえその時点では出発まで6週間はあったので、それでも悠長に構えてはいた。それよりも喘息持ちの息子が重症化してしまうことが心配だった。そうそう、あのときはコロナ治療薬のことで薬局と揉めたのだった。治療薬の、「コロナに感染しても慌てないで。まだ道はあります」みたいなオーストラリア政府広報を思い出し、早速かかりつけ医のリモート診断を受けて処方箋を送ってもらった。この処方箋があれば国民健康保険が効くので。なのに、いざ買いに行ったら、売ってもらえなかった!?のだ。なんでもコロナの治療薬に国民健康保険「メディケア」が使えるのは18歳以上で、16歳の息子には適用されないという。18歳未満の子どもたちは重症化しないから、というのがその理由だった。「でも息子はかなりシビアな喘息持ちでして…だからかかりつけ医も処方箋を書いてくれたわけで…」と粘っていたら、「でしたら、自費でお買いになります? 3000ドルいただきますけど」と、薬剤師。え~、3000ドル~!?自腹だと、30万円もするの~~~!? 想定外の額過ぎてビックリしてしまった。暫く葛藤していた。本当にその薬が要るんのだろうか?コロナとはいえ、ある種、強気のインフルエンザみたいな風邪薬に30万円…って気持ちと。でもケチって、息子がほんとうに重症化してしまったら…って気持ちの間で。万一何かあったら、その「あり得ない」金額も「たかが」になってしまう。出し惜しみしたせいで万が一息子の命が…およよよよ(号泣)。深刻な後遺症でも残ってしまったりしたら…あわわわ。いやいや、それより実際、全く必要なかったら…。やっぱ唸りますよねぇ。迷っていたら、店長さん登場。「ちょっと様子を見て、お子さんの様態が悪化してしまったら、またいらしてはどうですか?」、と。店長、どうやらこういう展開には慣れているらしい。敢え無く「いったん」撤退しつつ、思った。じゃあ、もしかして、コロナワクチンの方も、実は案外お高いんじゃね?、と。そう思ったら、なにかと賛否両論あって、私も3回目の摂取時など、どこか「打ってあ・げ・て・るっ」的な気持ちもあったのだけど、それが「無料の」有難~い対象に思えてくるのだった。初めてコロナワクチンを打ったときの感謝の気持ちを思い出しましたよ。それはさておき、保健相や薬剤師さんの言ったように、喘息持ちとはいえ16歳の息子の具合は大したことにはならなかった。それどころか本人、自己隔離で5日間学校を休めたので、と~っても満足そうだったのよ。後に息子は言っていた。「あのときはとてもママには言えなかったけど、かなりハッピーだったんだよねぇ。ロックダウンの時みたいにオンラインの授業なんてなかったし、一人ただ部屋にこもって、アニメ見たりゲームしたり本読んだり好き勝手して、の~んびり過ごせてさぁ。今思い出してもサイコー、すご~く充実した時間だったよ」、と。はい~?それにしても、あのときテンパって30万円の薬なんか買わないで、ほんと~~~に良かった。実際、私が青くなったのは、その数日後に娘まで感染してしまったと判ったときだった。ムゥの感染がわかる前、二人で仲良く長時間ゲーム遊びをしていたのがいけなかったらしい。やはり「コロナ」というだけあって、敵はかなりの感染力を持っているらしかった。日本への一時帰国まで、まだ一月以上あるとはいえ、油断はできまい。この流れで最後に私が感染してしまっては…。そしてそれが長引いてしまっては…。タイミング的に、それこそ日本に行けなくなってしまうではないかっ!?と。そういえば以前、友達が言っていた。日本からオーストラリアに遊びに来た母親がコロナに感染してしまって、それが2週間経ってもPCR検査で陰性にならず、なかなか帰れなかった、と。中には長引く人もいると言うから、万が一このタイミングで自分が…以来、神経質なほど感染予防に努めましたよ。子どもたちの抗体検査が陰性になってからも、ほぼ自己隔離状態ね。その甲斐あって無事、元気に出国。結局私はその後も感染することもなく、我が家ではコロナ感染を逃れた唯一の存在、コロナ最後の砦となったのでした。このままコロナも終焉してしまうのでは…と楽天的に構え始めた矢先の感染だった。「あれっ」と思ったのは、その前日に亡くなったチベット仏教の高僧ラマ・ゾパ・リンボシェの法要をしているときだった。経典の詠唱をしていたら突然、喉が痛み出したのよ。私は若いころ煙草を吸っていたせいか、30代で英語の国に移住して以来コミュニケーションのストレスに苛まれて喉のチャクラがブロックされてしまったのか、喉が極端に弱い。とりわけ瞑想や法要、ニュンネ行をしているときなんかにナイフで切られるように喉が痛くなることがあった。だけど刺すような痛みも、行を終えるやすぅ~と消えてしまうので、これも「浄化」だろうと考えてあまり気にしなかった。だけどその夜は法要を終えても消えないどころか、ますます痛くなってきた。「コロナのわけないじゃん。ママは心配し過ぎなんだよ」などと子どもたちからは軽くいなされたけれど、念のため抗体検査をしてみた。その日はチベット仏教のゲシェ3人とランチを囲む機会があったので、万が一感染していたら…と心配になって。80代後半とご高齢のゲシェもいらしたのに知らん顔なんてできないものねぇ。だけど結果は陰性。ほっ。とした反面、「だから言ったじゃん。ママって、ほんっと心配性なんだから」と言われれば、「ほぉら、やっぱりコロナだったじゃん!」と、抗体検査に現れた2本のラインを水戸黄門の印籠のごとく掲げたいって気もしてきた。「ははぁ~」と、子どもたち。って、違うか(笑)。冗談はさておき、検査では「陰性」だったけれど、そのうち痰が絡み始めた。明け方に喉の痛みで目が覚めた。痰が詰まり過ぎて胃がムカムカして、気がつけばトイレで吐いていた。痰が原因で吐くなど私にとっては生まれて初めてのことだった。これは…ただ事じゃない、とそう思いましたよ。この桁外れの威力は、やはりコロナかも…。実際やはりコロナに感染していたのだとわかったのは翌日、2回目の抗体検査だった。病気がちの友達が遊びに来ることになっていたので、念のため再検査してみたのだった。抗体検査にはくっきりとピンクの2本線が浮かび上がっていた。しみじみと妙な感慨に浸ってしまった。ああ、やっぱり…。ああ、遂に。いちおー記念撮影もしておいた。ついでにその写真を黄門様の印籠のごとく子どもたちに見せたけど、大したリアクションも得られなかった…。なので、悪趣味だと思い直して写真は消した。こうして敢え無く、我が家全滅。いちおー手順通りビクトリア州政府にネットで報告したら、5日間の自主隔離をお願しますとメールが届いた。インフルエンザかもしれないと、あの夜から外出を控えておいて本当に良かったゾ。コロナ感染が判明したとはいえ結局大した症状は現れなかった。喉の刺すような痛みと痰には悩まされつづけたけど、それ以外の弊害はなく、熱も出なかった。ああ、でもエネルギーレベルがぐぅんと落ちてしまって、2週間ほど夜になるとかな~り疲れたわね。猛威を奮っていた新型コロナウィルスも3年が経って、変異し続けるうち威力も弱くなっていったたんだろう。子どもたちの方は、コロナ感染後3か月から半年間は感染しないというけど、実際うつらなかった。そうこうするうちWHOがコロナ・パンデミックの終焉を宣言した。結局、我が家は全員がコロナ経験者となって、コロナ時代を終えたのだった。感染率なら100%なのでした(苦笑)。日本ブログ村に参加しています。応援クリックをどうぞよろしくお願いします(^^♪にほんブログ村 [マックあつこの著書]『Tamagoー39歳の不妊治療』えっ、不妊症!? ミラー月子はたまご時計に急かされながらベイビーを夢見て先の見えない旅に出た。メルボルンからアラフォー妊活小説『Tamagoー39歳の不妊治療』 Kindle電子書籍『Tamagoー39歳の不妊治療』単行本『インスタント・ニルヴァーナ』もしもあなたの大切な人がカルトの罠に嵌ってしまったら? マインドコントロールの鎖は密かに繋がれてゆく。サスペンス長編3部作『インスタント・ニルヴァーナ 上巻』 Kindle電子書籍『インスタント・ニルヴァーナ 中巻』 Kindle電子書籍『インスタント・ニルヴァーナ 下巻』 Kindle電子書籍[Ako Mak 英語の著書]『Someday, IVF at 39』‘Someday, IVF at 39’ ―poignant, humorous and mysterious― a cross-cultural odyssey for motherhood.『Somedsay, IVF at 39』 英語版Kindle電子書籍[マックあつこのHP]マックあつこのHP Ako Mak HP
2023.05.16
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前回のブログに親の介護の話を書いたけど、そんな心配する間もなく、母は逝ってしまった。あの後12月半ばに帰国して、半年ぶりの再会は衝撃的だった。骨ばって痩せ細って、変わり果てた姿の母がベッドに横たわっていた。眠っているんだかいないんだか、枕元に立った私に反応するでもなく身じろぎもせず、酸素を求めるように大きく口を開け、目を閉じていた。話しかけると頷いたり首を振ったりはしたけれど、言葉は返ってこなかった。返ってきても「うん」とか「いらない」とか一言だけ。食事も受け付けないばかりか、水も飲まない。なんとか飲ませようと半身を起こそうとすると「痛いっ!」と叫ぶ。身体も動かせないような状態だったのだ。案じていた事態の何倍も酷い。ホスピスにいたときの夫よりも、死の床にある病人に見えた。こんな状態で、点滴による栄養補給や痛み止めもなく、寝かせておくのはとても無理だと思った。息子が救急車を呼ぼうと言うと、父は何を言っているんだ、回復に向かっているんだと言い張る。私は妹に電話をかけ言い争いになってしまったが、駆けつけてくれた。その日は半年ぶりの再会なのに、父や妹とは激しい口論になってしまった。夜中も母のことが心配で眠れなかった。娘と一緒に母の床に行って、隣で眠っている父を起こさないように水を飲ませようとしたけれど、私の飲ませ方が悪いのかやはり飲んでくれない。とにかく夜が明けたら医者に見せよう。他にどうすればいいのか、思いつかなかった。翌日、妹と電話で消防署の救急医療相談窓口に相談したところ、救急車を呼ぶようにと言われた。そのまま母は緊急入院となった。母に付き添って救急車に乗り込み、枯れ木のように瘦せ細ってしまった母をぼんやりと見ていた。救急隊員の方が慌しく母の脈を取ったり、心拍数を測ったり、点滴をつけようとしてくれていた。母は痩せすぎて機械では脈も取れず、点滴の針もなかなか刺せず…。いつ呼吸が止まってもおかしくない状態だから覚悟はしておくように、と隊員の方からは言われた。目の前で起こっていることに実感がなかった。コロナに苛まれる医療現場にあって受け入れ先の病院はなかなか見つからなかった。やっと隣の市の病院が承諾してくれたときにはホッとしたが、思いもよらなかった現実に再び直面したのだった。このまま母に付き添うつもりでいたのに、一昨日の夜オーストラリアから入国したばかりの私は病院に入ることが許されなかったのだ。それどころかコロナの関係で、いずれにしても誰も面会はできないことになっている!?という。思い返せばロックダウン下にあったオーストラリアでも同様の処置が取られていた。けれどロックダウンが解かれ2022年に入ってからはそういう規制もなくなって、病院も普通に面会できるようになっていたので日本も同様だろうと、迂闊にも思い込んでいたのだった。付き添いもなく一人、病院の中に運ばれてゆく母を呆然と見送っていた。病院の駐車場で、後から車で来ることになっている妹を待っていた。その間に母の診察を終えた医者が駐車場まで出てきて、病状を説明してくれた。疱瘡のうえに床擦れも酷く、点滴をしているが危ない状態だと言う。いつ呼吸が止まって心拍停止の状態になっても不思議はない状態ですから覚悟はしておいてください、と言われた。とにかく母をよろしくお願いしますとしか言えなかった。その夜、夢を見た。メッセージが録音されたUSBが2つ、母から妹と私に郵送されてきた。早速それを聞こうとするのだけれど、パスワードのロックが解けなくて開けない。なんとかアクセスしようとするのだけれど、結局メッセージを聞くことはできなかった。途方に暮れて、目が覚めた。母には私たちに伝えたいことがたくさん、たくさんあるのだろう。母の言葉を私たちはもう受け取ることができないのだろうか?もう母と話をすることは叶わないのだろうか?そんな心の準備は全くしていなかったし、全然できてもいなかった。それでも年末に1度、母を見ることができた。食事どころかもはや点滴さえ受け付けなくなった母はカテーテルを挿入することになったのだが、そのとき治療室からベッドで運ばれてゆく母を偶然、廊下で見かけたのだった。すぐさま駆け寄ってその手を握ってあげたかったけど、伝えたいこともたくさんあったけど、外部の面会が禁じられている院内では声をかけることもできず、立ち止まって見送るのが精一杯だった。妹と二人、エレベータの中に消えてゆく母の姿を無言で見送っていた。小さな身体にたくさんの管が繋がれているのが見えた。心の中ではひたすら母に呼び掛けていた。そうして、詫びていた。何もしてあげられない、耳元で励ますことさえできない。申し訳ない気持ちでいっぱいだったのだ。年が明け、1月4日は娘の誕生日だった。21歳というのはオーストラリアでは大人の仲間入りをする大きな節目の誕生日なのだけど、母のことがあるのでこじんまりと祝い、眠りの底に落ちたころ妹に起こされた。病院から電話があって、母の心拍が停止した、と。既に日付は1月5日に変わっていたが、実は4日は娘の誕生日だけではなかった。奇しくもその日は幼くして亡くなった母のお兄さんと、25年前に亡くなった母のお姉さんの命日でもあったのだ。母の姉が亡くなったとき、母が言っていた。個人の命日と言うのは、霊界にいるその人とこの世をつなぐ絆が強くなるというから、きっとお兄さんが姉を迎えに来てくれたのよ、と。逆子だった私の娘を帝王切開で出産する日が決まったときも母は言ってくれたのだった。大丈夫、その日はあっちゃんのおじさんとおばさんの命日だから、きっと赤ちゃんが無事にこの世に生まれてこられるように、向こうの世界から助けてくれるよ、と。その二人が、今度は、母を迎えに来てくれたのだろう。食べるどころか点滴もできず、カテーテルで命をつないでいる母を見かねて。もう十分に頑張ったから、もういいよ、そろそろ向こうへ還ろう、と。けれど母は、その日は孫娘の誕生日でもあることを思い、自分の死ぬ日にしては可哀そうだと、日付が変わるのを待っていてくれたのかもしれない。母は、そういう気の遣い方をする人だったから。母の告別式は家族葬で行われた。コロナがまだまだ猛威を奮うなか、ごく親しい身内と母を見送った。心の中は、やり切れない思いでいっぱいだった。私は、せっかく母が生きているうちに帰国できたのに、何もしてあげられないまま逝かせてしまったのだった。病床の中、オーストラリアから娘が帰ってくるのを待っていたのかもしれないのに、ロクに話もできないままに別れることになってしまった。それどころかコロナ禍とはいえ、母は誰にも見送られずにたった一人で逝くことになってしまったのだ。僧侶のあげるお経を聞きながら、棺の中の母に問いかけていた。私に、どうしてもらいたかったのか?何をしてもらいたかったの?と。結局、あのときに見た夢のように、母からのメッセージを受け取ることは叶わなかったわけだ。母が伝えようとした言葉を受け取れる日はもう来ない。告別式の厳かな空気のなか棺の中の母を見ているうちに、実家の母のベッドサイドに座り、その手を握っている自分の姿が浮かんできた。あの夜、そのまま母の呼吸が止まってしまうんじゃないかと私がパニックを起こしていたあの夜―母は、ただ私にそこにいて欲しかったのだ、と思った。実際もう会話をできるような状態じゃあなかったけれど、会話になろうがならなかろうが、ただ隣で話しかけてもらいたかったんだ、と。その手を握り、自分はここにいるからね、と。あれが、母との最期の時間になるとわかっていたなら、絶対に傍を離れたりはしなかったのに…。母が亡くなって3か月が過ぎたけれど、未だに母が夢枕に立ってくれたことはない。夫のときはあんなにすぐにいろいろな夢を見たのに。たくさんのメッセージが届いたのにな。まったく全く、母の夢は見ないことが不思議だった。時々夢の続きを見たいなぁと、思うことがある。夢見でいいから、あのとき開けなかったUSBに込められた母のメッセージを聞きたいなぁとは思うのだ。にほんブログ村に参加しています。応援クリック、よろしくお願いいたします♬にほんブログ村 [マックあつこの著書]『Tamagoー39歳の不妊治療』えっ、不妊症!? ミラー月子はたまご時計に急かされながらベイビーを夢見て先の見えない旅に出た。メルボルンからアラフォー妊活小説『Tamagoー39歳の不妊治療』 Kindle電子書籍『Tamagoー39歳の不妊治療』単行本『インスタント・ニルヴァーナ』もしもあなたの大切な人がカルトの罠に嵌ってしまったら? マインドコントロールの鎖は密かに繋がれてゆく。サスペンス長編3部作『インスタント・ニルヴァーナ 上巻』 Kindle電子書籍『インスタント・ニルヴァーナ 中巻』 Kindle電子書籍『インスタント・ニルヴァーナ 下巻』 Kindle電子書籍[Ako Mak 英語の著書]『Someday, IVF at 39』‘Someday, IVF at 39’ ―poignant, humorous and mysterious― a cross-cultural odyssey for motherhood.『Somedsay, IVF at 39』 英語版Kindle電子書籍[マックあつこのHP]マックあつこのHP Ako Mak HP
2023.04.20
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アラサーもアラフォーも通り越して阿羅漢(あ違うか、アラ還ですね)にもなると、友達との会話でも親の介護のことが話題に上ることが増えてくる。オージーでも週に1度は親の家を訪ねているという人が結構いるし、こっちの日本人からも、子どもたちを夫に任せて親のお世話で暫く日本に帰っていたという話を聞くようになった。日本でも地方に実家のある友達は姉妹で介護連合軍を組んで交代で帰省するとか、親が近くに住んでいる友達は福祉の助けも借りつつ面倒を見ているとか言っていたし…。うちの両親も80代、もはや押しも押されぬ後期高齢者。幸い、妹がスープの冷めない距離に住んでいて、仕事の前に必ず愛犬を両親に預けに行っていたから、私の方はずっと一時帰国もできないながら、何か異変があれば妹が気づくハズだと心強かった。それでもコロナ禍の規制も緩み、遂にこの6月やっと里帰りができて、3年半ぶりに両親と会った。前回のブログで少し触れたけど、両親はとても3歳半年を重ねたとは思えないくらい年を取って見えた。とりわけ母など、コロナ禍で散歩の習慣も止めてしまったことがいけなかったのか、足腰が極端に弱くなって、足の形が奇妙に歪んでしまって、立っているのもしんどそうで…。両親の老いは、実家の家屋にも顕れていた。滞在するときは2階部分を使っているのだけれど、和室の部屋になぜか6月だというのに炬燵が鎮座していたのだ。ご丁寧に炬燵布団やカバーまでかけられて。夏に、炬燵? なぜ?大いに戸惑いつつ、自分の元寝室のクローゼットを開けて愕然とした。引き出しを開けたとたんジャージやTシャツ、パジャマの上に、黒くて丸い粒々がそこかしこに落ちているのが視界に飛び込んできたから。一見して、糞だった。しかも小動物の…。開けた引き出しは即、閉めた。とてもゴキブリとか虫の落とし物には見えず、その出所を連想すれば恐怖で縮みあがってしまった。白骨化した、もしくは腐り始めたネズミの死骸…か何かがトレーナーの上に転がっていたらどうしよう…と。恐ろしいので、もはやその引き出しは諦めて、他の部屋の押し入れにかかった。考えてみれば、いつも日本を発つ前には必ず虫除けや除湿剤を入れている。それが今回3年半も帰れなかったせいで、こんな事態になってしまったんだろう。もちろん両親の高齢化のせいではないと分かってはいたけれど、やはり衝撃的だったのだ。隣の部屋の押し入れから寝具を取り出していたら、今度はシーツからハラリと何か茶色いものが舞い落ちた。ゴキブリの…死骸だった。それもかなりデカイ…。しかもミイラ化が進んで、落ちながらにしてパラパラと空中で身体が分解していった…。合掌…ここに至って、やっと私は両親の現状を知ったのだった。あの足では、母はもう階段は上がれない。父もまた、もうわざわざ2階に上がるようなパワーはないのだろう。以前は2階にあった両親の寝室は階下に移ったし、書斎も何もかも今では生活の場を全て1階に移している。もしかするともう何年も、誰も2階には上がらなかったのかも…。だから夏だというのに前回同様、冬に帰ったときにあった炬燵が、そのままになっているんだろう。そう思い当たった私は階下に降りて、更に仰天したのだった。茶の間にまで炬燵が置かれていた。しかもフル装備で…。炬燵布団やカバーまでしっかりとかけられた炬燵で、父はふつーに寛いでいるし…。これはいったい…どうしたことなのかっ!?単に面倒で、そのうちまた冬になれば使えるからと判断して、炬燵を出したままにしているのだろうか?それとも、加齢による血行障害と冷え性が進んだ結果なのか?このところ冬のメルボルンで靴下を重ね着(寒い時にはトリプルよ)することが多くなった(苦笑)我が身のことをことを思えば、80代も半ばともなればますます血行が悪くなって冷え性も進み…。それにしても、もう6月も半ばだろ…?結局あの後梅雨が明けて、炬燵カバーは消えた。私も両親が、高齢者のスロー&シンプルな暮らしながら二人でそれでも「ふつー」に生活していたので安心したのだった。次はもっと長期で帰って、両親の暮らしが楽になるようなセッティングをお手伝いしようと考えつつ。あれから3か月。ここ一月ほど妹から両親のことでたまに長~いメッセージが携帯にLineで届くようになった。初めは、母が類天疱瘡にかかって悪化してしまったので、入院するかもしれない、という内容だった。妹は膝の手術で仕事も辞めて休養していたのだが、電話のやり取りから母の様子がおかしいことに気づき、その日実家を訪ねて驚いたらしい。私もビックリした。両親とは週に1、2回は電話で話すようにしていたので、皮膚の痒みのことは母から聞いていたのだけれど、そんなに酷いことになっていたとは…全く気づかなかったのだ。その翌週、今度は、得体の知れない人たちが実家に上がり込んでベランダに何か取り付けているとLineが届いた。何をしているのかと尋ねても、父親も彼らもロクに説明もしてくれないので心配だという。高齢者を狙った詐欺グループの類かもしれない…と読んでいる私の方も心臓バクバク、不安になった。あのときは父に電話で尋ねても説明してくれないし、そのうち妹からまで直接父に聞いてくれと疎ましがられるしで、途方に暮れつつ心配だけが募ってしまった(今も続いているのよ)。とはいえ妹は、母の病気が分かって以来、毎日薬を変えに行ってくれて、週に4日夕食のおかずも届けてくれるようになった。ほんと~にありがたく、心強い限りなのだけど先日、妹からまた長~いメッセージがLineで届いた。母の病気は治ってきたものの、動けなくなっているようで、本人も動こうとする気力がなくなっていて、このまま寝たきりになってしまうかもしれない。そのうえ父は、母が介護認定を受けるのを拒否している、と。寝たきり…?介護認定を拒否…?スマホを手にしたまま固まってしまった。両親と最後に会ったのは、ほんの3、4か月前のことだった。あのとき、それでも母は自分で歩いていた。ものすご~くゆっくりとではあったけど、家の中を一人で歩いて、トイレにも行って、お風呂にも入って、朝などたまぁに台所に立って、お味噌汁を作っていたことさえあったのだった。年寄りの二人暮らしではあったものの、それでもゆっくりとシンプルなペースながら生活できていたのだった。それが…とてもLineのやり取りで話せるような問題じゃあないので、妹はインターネット電話が嫌いなのを知りつつ電話をしてしまった。でも回線が悪く話しにくいからネット電話はストレスになってしまい無理だという。私の方は、内容が深刻なのでSMSの方が辛いし、突然長~いメッセージが一方的に携帯に届いた後まともに話せないこともすごくストレスになっていた。コミュニケーションって、難しい…。両親に電話を入れて事情を聴いても、いつも話がよくわからない。父は、意見が合わないことや話したくないことにはシャッターを下ろしてしまって、理由をつけて切ってしまうか、母に手渡してしまうし。母は、コロナご時世になってから認知症が進んできて、電話での会話がどんどん難しくなっているし。せめても母を気遣い、優しい言葉をかけて、できるだけ自分で歩けるようにと励ますのが精いっぱい。今度また帰ったら一緒に食事に行きたいから、がんばって少しずつでも毎日歩いてね、とか。すると母は、そうだね、そうするよ、ありがとうと言ってくれるのだけど…。このままだと寝たきりに…?今からもう寝たきりに…?まだ84歳なのにもう寝たきりに…?先日ネットで読んだ日本の新聞記事にこんなことが書かれていた。昔と違って現代人は長寿をそれほど喜ばないようになった。それよりも健康でいて、ある日ぽっくりと死ねることを願うんだそうだ。けれど日本人、とりわけ日本女性は心臓の強さに比べて足腰が弱いために、寝たきりになって長生きすることが多い。そのうえ認知症が進むことも多く、寝たきりで認知症だという、過酷な晩年を過ごす方も多いという。そんな事態を避けるために、早いうちから適度なエクササイズやヘルシーな食生活など健康的な生活習慣に心を配る人が増えているんだそうだ。今は、長生き云々よりも足腰を鍛えて、できるだけ自分らしい暮らしを長く続けて、寝たきりになってしまう前にぽっくりと逝きたいから、健康に気を付けるのだという。そういえば、父は今でも剣道の竹刀を持ち出して、早朝から素振りをしている。コロナが社会を脅かすようになって以来、時に気弱なことも言うようにもなったけど、父はキホン生きる気力に溢れた人だ。口にこそ出さなくとも、できるだけ元気で長く生きたいと考えているに違いない。考えてみれば母だって、寝たきりになったら嫌だからと散歩も続けていたのだった。コロナ前までは、歩けなくなっちゃうと困るからと、不自由な足で近所を散歩していた。食事も野菜中心に高タンパク質のヘルシーなメニューを心がけていた。自分の母親を見ていたから余計に健康に気を付けていたんだろう。祖母は、私にとっては菩薩のように優しいお祖母ちゃんで、母の母だった。元気だったころ時々言っていたものだ。別に自分は長生きしなくてもいい、それよりも寝たきりになって生きるのは嫌だ。誰にも迷惑かけたくないし、ぽっくりと逝きたいのだ、と。でも明治生まれの祖母はエクササイズや運動の類は全くしていなかったっけ。結局、祖母は101歳まで生きた。残念ながら最後の十年は寝たきりで。認知症も進んで。最後は自分の名前まで忘れてしまって…。当時、往診に来ていた医者が言っていたものだった。おばあちゃんは、足腰は弱いけど、内臓は強いからねぇ、と。一緒に暮らしていた母は、祖母は家で死にたいと言っていたからと介護を続けて、自分の健康を壊してしまった。それで祖母は介護施設に移った。施設のベッドで寝たきりのまま2年ほどを過ごし、亡くなった。当時介護をしていた母がたまに言っていた。自分はおばあちゃんみたいに寝たきりにはなりたくない。認知症にもなりたくないから、今からゲームで「脳トレ」もしているのだ、と。そんな母も…。これから、どうすればいいんだろうか?なんとか母がこのまま寝たきりになってしまうという事態を防ぐことは、できないものだろうか?父だって、いつまでも元気でいられるわけじゃないし…。両親のことやこれからのことを考えると、暗澹とした気持ちになってしまう。昨日電話で話したときは両親とも元気で、長く話せてホッとした。とにかく一番辛いのは本人なのだから、できるだけ両親の話に耳を傾けてゆこう。話を聞いて、一緒に考えてゆくしかない。妹とはこれからは正規の国際電話で話そうと思う。回数は減るだろうけど、回線がクリアになって妹も話しやすくなるだろうから。こういうことにコミュニケーションは重要だものねぇ。今回のことで、自分の中に溜まっていた負の感情にもいろいろと気付かされた。もう何十年も押し込めてきたせいで心の奥深くに固まってシコリになってしまった感情にまで。いろんなことと折り合いをつけながら、自分は何ができるのか、無理なのかも考えてゆかなくては。仏教徒ですもの。とにかく、中道ですわ。それにしても、次回里帰りをしたときに真っ先にやらなくてはならないことは、あの悪夢のフン引き出しの掃除だろうナ。ああ、それもかなり怖いゾ(苦笑)。写真は、実家の氏神様を参拝したときに現れたトンボ。黒い蝶だと思ったら、トンボだった!3年半ぶりに里帰りできたご報告と両親のことを頼もうと2番目の鳥居をくぐったら現れて、神様のお遣いのように境内を案内してくれた!今まで何度もその神社に行ったことはあるけれど、黒いトンボなんて初めて。たいてい冬に来ることが多いから季節のせいだろうけど、トンボは私のガイドだっていうし(2010年7月の日記「トンボですか…!?」に)、黒いトンボなんて珍しい!とシャッターを押しました。写真ではわかりにくいけど玉虫色に輝いていて、神秘的で、とても美しかったの。後で調べたらなんと「神様トンボ」と呼ばれているとか!?心配していた心も励まされたのでした。にほんブログ村に参加しています。応援クリックをどうぞよろしくお願いします(^^♪。にほんブログ村[マックあつこの著書]『Tamagoー39歳の不妊治療』えっ、不妊症!? ミラー月子はたまご時計に急かされながらベイビーを夢見て先の見えない旅に出た。メルボルンからアラフォー妊活小説『Tamagoー39歳の不妊治療』 Kindle電子書籍『Tamagoー39歳の不妊治療』単行本『インスタント・ニルヴァーナ』もしもあなたの大切な人がカルトの罠に嵌ってしまったら? マインドコントロールの鎖は密かに繋がれてゆく。サスペンス長編3部作『インスタント・ニルヴァーナ 上巻』 Kindle電子書籍『インスタント・ニルヴァーナ 中巻』 Kindle電子書籍『インスタント・ニルヴァーナ 下巻』 Kindle電子書籍[Ako Mak 英語の著書]『Someday, IVF at 39』‘Someday, IVF at 39’ ―poignant, humorous and mysterious― a cross-cultural odyssey for motherhood.『Somedsay, IVF at 39』 英語版Kindle電子書籍[マックあつこのHP]マックあつこのHP Ako Mak HP
2022.11.10
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先月まで日本に一時帰国していた。夫の病気やコロナの入国規制でずっと帰れなかったから実に3年半ぶりの里帰りだった。前回は小学6年生だった息子も今や高校1年生!?である。やはり父は、丸顔の男の子だった孫が自分よりも遥かに長身になってしまったことに戸惑っていたようだ。私にしても思っていた以上に年を取って小さくなってしまった両親にショックを受けた。とりわけ母など足腰がますます弱くなって、歩行どころか立っているのもしんどそうで…。それでもようやく再会できて、3年半ぶりに皆で食卓を囲んだ。去年一昨年はロックダウンの世界最長記録を更新していたメルボルンにあって、高齢の両親のことを思い、もう2度と実家で寛ぐことなんてできないんじゃあないかと案じたこともあったけど、再び茶の間で一緒にご飯を食べて談笑することが叶ったのだった。日本滞在を満喫することもできた。日本に帰ったときには、たいてい神社仏閣や霊場を参拝する。そうしてあればお御籤を引く。昔は単なる伝統的慣習みたいな流れで引いたものだけど、今ではお御籤は自分へのご神託。神仏からそのときの自分に向けられた極めて有益なアドバイス、だと思っている。吉凶はあまり気にしない。吉凶よりもそこに書かれている内容の方が重要だから。そんなふうに考えるようになったのは、数年前に出雲大社でお神籤を引いてからだった。もともとは鳥取への家族旅行だったが、なにか出雲の神様から呼ばれているような気がして、予定を変えて島根にまで足を延ばしたのだった。だけど霊的なことや神秘的なことが起こったわけでもなく、「せっかく来たのだからお御籤でも」という流れで引いた。出雲大社のおみくじに吉凶はなくお言葉だけで、そこには「夫婦の絆」についての訓が記されていた。実はその日も家族旅行中だというのに夫婦喧嘩をして険悪な空気の真っ只中だったので、その戒めかもしれない…とは思ったものの、それにしても自分の関心リストから言ったらだいぶ下位に位置する「夫婦関係」についてのアドバイスだったのでガックリしてしまった。遥々北関東から出向いたのに、なんで今更夫のことなんて…と(詳しくは2017年2月の日記「出雲大社参拝と夫婦の和」に)。だけどその半年後に、夫が癌に侵されていることが判った。既に転移していて、専門医からは余命数年だと言われた。それから、以前は参拝の流れでなんとなぁく引いていたお御籤に一目置くようになったのだった。最後に引いたのは自分の産土神社だった。そのころ夫は闘病しながら「ふつー」の日常生活を続けようと頑張っていたのだけれど、そろそろ二人で家業を続けてゆくのも限界そうだった。私一人で続けるのは難しく、会社は畳んで別の職を見つけた方がいいかもしれないと考えているときだった。お御籤にははっきりと動くな、今は自分から変化を起こすときじゃないと記されていた。振り返ればあのとき無理に動かなくて本当に良かったと思う。動こうとしていたら家族4人で過ごせる貴重な時間を無駄にしてしまったばかりか、状況をさらに混乱させ悪化させていただろう。その年の10月に夫の病状が急変して、年末の一時帰国もキャンセルした。その後はコロナの蔓延で国境封鎖が進み、日本に行くことも叶わなくなってしまったが、一時帰国できた暁には参拝してお御籤も引こうと密かに楽しみにしていたのだった。3年半ぶりのお御籤は、昔から参拝する機会の多かった浅草寺でひいてきた。浅草寺は秘仏、聖観世音菩薩―千手観音様を祀っている。千手観音様は、自分も書斎の祭壇に20年前に頂いた写真を祀っているし、千手観音のタントラヨガ行も長年続けてきたので親しみ深かった。6月だというのに、連日40度近い真夏日が続くギラギラした午後だった。暑さのせいか入国規制のせいか、仲見世も浅草寺も閑散としていた。喉の渇きと日差しの強さに立ち眩みを覚えつつ汗だくで参拝を済ませた。3年半ぶりの浅草寺に心打たれる余裕もなく、それでもお御籤は引いた。「凶」だった!?凶なんてお御籤を引いたのは初めて、いや人生で2度目、中3の正月以来である。あのときは初詣の流れで引いただけだったし、受験には自信があったし、気にも留めなかった。それにそこは地元ではお御籤に凶を多くして厄除けに向かわせるのだという噂もあったので「やっぱ噂は本当だったか」などと友達と笑い合ったものだ。だけどあれから何十年も経って、あのころに比べると自分も遥かに信心深くなっている。さすがに心霊への造詣も深くなって、チベット仏教に帰依し、密教行も積んできた。お御籤とはいえ、いわば千手観音様のお告げを、軽く受け流してしまっても良いものだろうか?だけど、凶…あまり重たく受け取りたくもなし…いやいや、ここでうろたえてはならない。肝心なのはお言葉の方なのだから。お御籤にはこんな内容のことが記されていた。心配や不安が心を取り巻いている。その奥には清く澄んだ心が在るが、憂いの心が暗く曇らせてしまっている。その状況で進めば、全ては「凶」。まずその暗雲を払いなさい、と。ハッとした。実際自分はここ数年かなりの心配性になっている。夜中に目覚めて、眠れなくなることさえあった。トイレに立って、ふっと心に引っかかっていることや気掛かりなこと、やらなくてはならないことなんかを考えてしまうと、ヘンに頭が冴えて眠れなくなってしまうんだ。まあ、それでうっかり忘れていた事務処理なんかを思い出したりもするから、あながち無益だとはいえないのかもしれないが、睡眠の質は確実に落ちている。寝不足になっては、翌日の効率もますます悪くなってしまうから問題だとは思っていた。今回の一時帰国にしても、心配で堪らなかったのだ。入国規制は徐々に緩んできたとはいえ6月の帰国はまだまだ厳しくて、コロナワクチン3回接種の証明書やら搭乗72時間前のPCRテスト、日本のアプリMySOSなど、やらなければならない手続きが多々あったから、何か抜けていたりしくじったりして入国できなかったらどうしよう…と。そういえば、昨夜もよく眠れなかったナ。暑さと寝苦しさに目が覚めて、ふっと両親のこれからのことや、友達に頼んできた我が家の愛(&老) 犬ポーちゃんやチャー君のことをあれこれと考えてしまって…。「ママ、どうだった?」と、子どもたちがお神籤を手に聞いてきた。「凶だったよ。メエは?」「小吉だったけど…」と娘は、それから慰めるように言った。「ママの凶は、暑さのせいじゃないかな? 暑くて、調子が悪かったんじゃないの?」え、いや、そういう問題じゃあないだろ…。「ママはもう1度、引き直してみれば?」と息子まで。「だってほら、まだ時間もあるし。百円だし」気を遣ってくれるのはありがたいが、そういう問題じゃあ…ふっと傍らを見遣れば、柵にお御籤が巻かれているのが目に入った。凶が出た方は置いていってください、と書かれている。そうか、凶のお御籤はここに置いて行ってもいいんだ。「だからママ、もう1度引き直してみなって。まだ時間もあるし。百円だし」と、なおも息子。なんだか理由付けがせこくて可愛い二人の気遣いに感謝しつつ応える。「ありがとう。でも引き直すのは今度にする。来年また来ようね」、と。このお神籤は観音様からのアドバイスとして引いたのだった。それをやはりなかったことにするわけにはいかない(苦笑)。「凶」をひいてしまった自分の縁起は観音様にお任せして、アドバイスの方をありがたく頂いてゆくことにしよう。凶御籤はそこに結び置き、浅草寺を後にしたのだった。何年ぶりかの炎天下での参拝だった。その夜は暑い中を歩き回ったので熱中症になりかけたのか、胃がむかむかしてなかなか寝付けなかった。水をたくさん飲んでやっと眠ったのだが、吐き気と寝苦しさに何度も目が覚めた。前夜のように親や犬たちのことを考えそうになったけど、浅草寺で引いたお御籤のことを思い出した。心配や不安で曇った心の状態で進むなら「凶」、何をしても結局はうまくいかない、と。思えばシャンティデーヴァもダライラマ法皇も明言されているではないか。その問題に解決策があるのなら、解決すべく努力すればいい。何も解決策がないのであれば、思い煩うことに何の益があろうか。ポーポーとチャーなら大丈夫だ。友達が自分もホリデー気分を味わえるからと我が家に滞在して面倒を見てくれている。両親も今のところは二人でなんとか元気にやっている。今後のことは妹とも相談してサポートしてゆくしかない。ここで私が心配して睡眠不足になったとしても、親にも犬にも自分にもなぁんにも得なことはない。憂いの心なら、浅草寺に置いてきたのだから。「憂いの心」は、夫が癌宣告を受けてから強くなったような気がする。それはあまりに突然で、今思い返しても寝耳に水の驚きだった。その後も思いもよらずコロナで日本に何年も帰れなくなってしまったり、朝起きたら家が水浸しになっていたり、階段から転げ落ちて車椅子生活になったり…予期せぬトラブルに見舞われてきたせいで、心配する癖がついてしまったのかもしれないナ。浅草寺の観音様は、そういう私の心配や不安や、どこか癖になっていた心の状態を案じて、憂いの心は自分に預け置いて行きなさい、と言ってくれたのだろう。そう思えば、その慈悲深さに胸が熱くなった。こちらに戻ってそろそろ3週間になるけれど睡眠の質も上がって、今では変な時間にトイレに立ってもマントラを唱えることもなく眠ってしまう。役にも立たない「心配」や「不安」を抱えて「凶」のジンセイを生きるのはばかばかしいから、さっさと捨てて眠りに戻ろうと、憂いの心は切り捨ててしまう。来年また日本でお神籤を引くのが楽しみだ。写真は、上が浅草寺。こちらは浅草で何年ぶりかに食べた抹茶かき氷。すごぉい、こぉんなかき氷、メルボルン暮らしの自分には初めてだった! 日本のかき氷は進化し続けているのね。にほんブログ村に参加しています。クリックしていただけると、ありがたいです(^^♪にほんブログ村 [マックあつこの著書]『Tamagoー39歳の不妊治療』えっ、不妊症!? ミラー月子はたまご時計に急かされながらベイビーを夢見て先の見えない旅に出た。メルボルンからアラフォー妊活小説『Tamagoー39歳の不妊治療』 Kindle電子書籍『Tamagoー39歳の不妊治療』単行本『インスタント・ニルヴァーナ』もしもあなたの大切な人がカルトの罠に嵌ってしまったら? マインドコントロールの鎖は密かに繋がれてゆく。サスペンス長編3部作『インスタント・ニルヴァーナ 上巻』 Kindle電子書籍『インスタント・ニルヴァーナ 中巻』 Kindle電子書籍『インスタント・ニルヴァーナ 下巻』 Kindle電子書籍[Ako Mak 英語の著書]『Someday, IVF at 39』‘Someday, IVF at 39’ ―poignant, humorous and mysterious― a cross-cultural odyssey for motherhood.『Somedsay, IVF at 39』 英語版Kindle電子書籍[マックあつこのHP]マックあつこのHP Ako Mak HP
2022.08.03
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先日、息子がジャバーニーズスクール中等部を卒業した。そこは、メルボルンで暮らす日本人が日本の教科書で勉強できる土曜日だけの補習校で、通称土曜校と呼ばれている。幼稚園から通っているので、11年間もお世話になったわけだ。去年はコロナ禍で卒業式もオンラインだったそうだけど、今年はワクチン普及のお陰で無事に卒業式をすることができた。とはいえ式には来賓も在校生の姿もなく、保護者の参加は各家庭から一人だけと参加者数も制限されて、式も簡易化されてしまった。それでもこのご時世、できただけで恵まれているというものだ。お陰で一人ひとり壇上に上がって、卒業証書を受け取る子どもたちの姿を見守ることができた。式辞や祝辞の後は卒業生全員がそれぞれに土曜校での思い出を語った。恒例の子どもたちのスライドショーも見ることができた。幼いころと今の写真に感謝の言葉と将来の夢が綴られたスライドが一人ひとり流れるのを、感慨深く眺めてしまった。入園したときには3クラスあったのに今では2クラスに減ってしまったけれど、殆どが幼稚園からずっと一緒の子どもたちである。み~んな大きくなった、立派に成長したなぁと、しみじみ。改めて感慨深かったのは、これらが全て日本語で行われたこと。ジャパニーズスクールなのだから当たり前のことではあるのだけれども、大半がオーストラリアで生まれてオーストラリアで育ったことを思えば、親としてはやはり胸が熱くなる。夫とは東京で出会って、国際結婚をしてメルボルンに移住した。そんな自分たちの子がこんなふうに成長できるとは正直、思っていなかった。ふっとメルボルンに来たばかりのころ親しくなった友達のことを思い出した。ポーランド出身の彼女とは移民の英語学校で知り合った。20代半ばにポーランド人の夫と二人でメルボルンに移住して20年になるそうで、英語も流暢だった。自分の「イレーン」というポーランドの名前が、オーストラリアでは「アイリーン」と英語流に発音されてしまうことが多いのだと零していた。電車が同じだったので一緒に帰るようになって、時々カフェに寄り道した。お家でポーランドの手料理を振舞ってくれたこともあったし、ポーランドレストランに連れて行ってくれたこともあった。家ではもっぱらポーランド料理だと言っていたっけ。ポーランド食も単に洋食と認識していたような自分の舌には猫に小判、豚に…なのだけど。食に限らず、彼女はよくポーランドの話をしていた。それは何も彼女ばかりではなかった。移民の英語教室にヨーロッパやアジア、中東、アフリカ、南米と世界中から集まってきた十数人の生徒たちは、ならどうしてわざわざオーストラリアまで移住してきたのかと思うほど、自国の文化にこだわっていた。それはここに来て間もない人ばかりではなく、何十年も住んだ移民も同様だった。ランチともなると皆エスニック色たっぷりのランチボックスを開いていた。移住歴の長~いドイツ人のおじいさんが、メルボルンでドイツのパンを買うのがいかに困難かを力説していたことを思い出す。ちなみに奥さんはオージーで、パンはドイツもどきではなく、ドイツそのままの本格的なパンで。移住して半年にも満たなかった当時の私には彼らの気持ちは今一つピンとこなかったけれど、あれから20年以上の経った今となっては良ぉぉぉくわかる。イレーンには大学生と高校生の息子がいた。二人ともオーストラリア生まれのオーストラリア育ち。ハンサムでスポーツ万能なのだと自慢していたけれど、そんな息子たちの愚痴を寂しげに言ったことがあった。家庭ではポーランド語を使い、幼いころから息子たちにポーランド語で話しかけてきたのに、現地の小学校に通うようになってから、いつのまにか「オージーボーイズ」(と彼女は言っていた)になってしまった、と。もちろんオーストラリア人なのだから当たり前ではあるのだけど、高校生の息子など「ピヨール」という素敵なポーランドの名前を付けてあげたのに、いつの間にか自分で勝手に「ピーター」という「英語の名前」に変えてしまったんだそうだ。法的には知らないけれど、子どもが自分で勝手に名前を変えてしまったという話に、当時の私は驚いたものだった。同時に、そういうものなのかなぁとも思った。移民は自分の祖国にこだわるが、2世はその国に同化する、とはよく聞く話だったから。きっと将来、オーストラリア人の夫と日本人の自分との間に生まれてこの国で育つ子どもたちもそうなるんだろうなぁ、と。ただ私の両親が、孫たちと話ができないという事態だけは避けたいから日本語は教えてくれと言っていたので、教えようと思いつつ。それが、蓋を開けてみれば…娘も息子も、日本語がわかるどころか、日本語と日本文化にどっぷりである。二人とも暇があれば日本語の小説や漫画本を読んで、「鬼滅の刃」とかアニメやテレビを見て、日本で買ってきた「ファイヤーエンブレム」とか「スマッシュブラザーズ」とかのゲームを姉弟でキャアキャア言いながらやっている。子どもたちが生まれたとき、夫の日本語と私の英語という恐るべき環境で育ってしまっては子どもたちが気の毒だからと彼は英語、私は日本語で話しかけようと決めた。バイリンガルの子に育つように願って、外の環境が英語のぶん、せめてテレビは日本のDVDを見せることにしていた。すると、子どもたちはアンパンマンやドラえもん、ポケモンが大好きになって、自然に日本の文化にハマっていった。姉弟間で遊ぶときはいつも日本語だった。食事はたいてい私が作っていたので、ほとんど日本食(ちなみに移住して数年で私も移民クラスに集っていた皆に負けず劣らず自国食の大好きな人間に変貌していた)。自然、子どもたちはケーキよりは和菓子、ポテチよりはお煎餅が大好きで、パンより断然ご飯党に。雨量の少ないオーストラリアでお米の生産量を減らすことが決まり、かつコロナ禍で米の輸入量が案じられたときなど、白米がなくては生きていけないと、私よりも子どもたちの方が焦っていたほどで。あのときは家族から「ご飯がないならパンを食べればいいじゃなぁい」などとは決して言われない我が身をしみじみ嬉しく思ったものだ。Multicultuarism多文化主義をとって久しいオーストラリアは、寛容で良い国だと思う。だけどやはり子どもたちと自分の育った文化を共有できるというのは嬉しいことだ。一緒に日本の映画やドラマを見てハラハラしたり、陣内智則さんとかサンドウィッチマンとかを観てふつーに笑ったり(お笑い好きな息子のお陰で今の芸人さんの名前もわかるようになったのよ)。本も、私は読んでいない「下町ロケット」の話を娘がしてくれたり、太宰が好きな息子が「人間失格」の感想を話に来たり、先日など内館牧子さんの「どうせすぐ死ぬんだから」について感想を話していたし(まさかあの本を息子も読むとは思わなんだ…)。文化の共有って、なんてありがたいんだろう。これも21世紀に育った子どもたちであればこそ、なのかもしれない。たとえばポーランド人のイレーンが子どもたちをオーストラリアで育てた80年代90年代では考えられなかったことだと思う。何よりインターネットのお陰で、海外の文化に手軽に触れられるようになったし。グローバリゼーションで海外渡航も身近になって、一時帰国もしやすくなったし。けれどそれ以上に、やはり土曜校の存在が大きかったと思うのだ。いくら家庭で「ジャパン」していても、外に学校というコミュニティがなかったら、こうはいかなかっただろう。たとえ週に一日だけの学校であっても、子どもたちがそこから得たものは大きかったと思う。土曜校は非営利団体なので、親も学校運営に関わらなくてはならず大変だったけど(ボランティア活動がめちゃくちゃ多かったのよ)、何より子どもたちががんばってくれたのだった。現地校の子どもたちは週末お休みなのに、土曜日に別の学校に通う。そのうえ文部科学省の学習カリキュラムを1週間でやるため、必然的に宿題の量も半端じゃくなくなる。それをよくもまあ11年間も続けてくれたと思う。ほんとうに、ご苦労様でした。ムゥ、卒業おめでとう!といっても、今週は土曜校の入学式。息子は2年間の高校部門も続けたいというのでこのまま通い続け、友達と一緒に今年も生徒会活動も続けるのだと張り切っている。娘の方も大学で勉強する傍ら土曜校のアシスタント教員をさせてもらっている。姉弟共々まだまだ土曜校とのご縁が続いていて、ありがたいことだと思う。4月―メルボルンは紅葉が始まりますが、日本は桜。入学式の季節ですね。新しい生活に入る皆様の未来が、桜色のしあわせに彩られますように。にほんブログ村に参加しています。クリックしていただけると、ありがたいです。にほんブログ村 [マックあつこの著書]『Tamagoー39歳の不妊治療』えっ、不妊症!? ミラー月子はたまご時計に急かされながらベイビーを夢見て先の見えない旅に出た。メルボルンからアラフォー妊活小説『Tamagoー39歳の不妊治療』 Kindle電子書籍『Tamagoー39歳の不妊治療』単行本『インスタント・ニルヴァーナ』もしもあなたの大切な人がカルトの罠に嵌ってしまったら? マインドコントロールの鎖は密かに繋がれてゆく。サスペンス長編3部作『インスタント・ニルヴァーナ 上巻』 Kindle電子書籍『インスタント・ニルヴァーナ 中巻』 Kindle電子書籍『インスタント・ニルヴァーナ 下巻』 Kindle電子書籍[Ako Mak 英語の著書]『Someday, IVF at 39』‘Someday, IVF at 39’ ―poignant, humorous and mysterious― a cross-cultural odyssey for motherhood.『Somedsay, IVF at 39』 英語版Kindle電子書籍[マックあつこのHP]マックあつこのHP Ako Mak HP
2022.04.07
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Losar Tashi Delek!2022年―チベット歴で今年の新年は新月の3月3日、日本のひな祭りだった。チベット歴の新年は月の道陰で決まるのだが、チベット仏教ではこの新月から18日の満月までをThe 15 Days of Miracles―奇跡の15日間と呼び、お釈迦さまが弟子たちを鼓舞するために奇跡を起こして見せた、行を積むのに最適な縁起のいい期間だといわれている。メルボルンのチベット仏教寺院でも恒例のターラ菩薩の法要も開かれ、元旦には「Lama Yeshe Night―ラマ・イェシェの夜」が催されて、通常の活動もほぼ再開された。コロナ禍で2020年3月半ばからほぼ2年間も閉まっていた瞑想セミナーやゲシェによる法典の勉強会なども遂にまた始まったのだった!今回は、ラマ・イェシェを偲んで開かれた「Lama Yeshe Night」のことを。ラマ・イェシェLama Thubten Yeshe (1935-1984)は、日本ではあまり、とゆーかほとんど知られてないけれど、コパン修道院とFPMT(Foundation for the Preservation of the Mahayana Traditionチベット大乗仏教維持協会)を創立したチベット仏教ゲルク派の導師である。どうして今年のチベット歴新年にラマ・イェシェを偲ぶ会が開かれたかというと、38年前の新年、新月も3月3日だった。そうしてその38年前の3月3日に、ラマ・イエシェが亡くなったのだった。修行を積んだ僧侶は死に際しても縁起を整え、日を選んで逝くというけれど、ラマ・イェシェもそれをまさに実践したわけだ。ウィキペディアを参考にざっと説明すると、ラマ・イェシェは1935年に生まれて、6歳からセラ寺で仏教を学び、59年のチベット動乱でインドに亡命した。亡命後も勉強を続けて、28歳でゲシェ(博士号)の学位を取得。ゲシェ(博士号) のなかでも最高級の資格だったが、ラマはその称号を辞退して活動を続けた。1984年に49歳の若さで亡くなられてしまったが、80年代にセラ寺からHonorary Geshe名誉教授の称号を授けられている。生前ラマ・イェシェは自らのことをジョークで「Tibetan hippieチベットのヒッピー」と呼んでいたそうだ。というのも、彼は西欧諸国から真理を求めて内面の旅に出ていたヒッピーたちに請われて65年からネパールでチベット仏教を教え始めた。ゲルク派の教義は秘儀的なタントラヨーガの教えを含むため、当時のチベット仏教界は、西欧人(しかもその大半はラブ&ピースの長髪カラフルなヒッピーの若者たち)に教えを伝授することに対して、懐疑的な意見が大半だったそうだ。それでもラマは自らに教えを請う西欧の若者たちを拒まず、仏法Dharmaを広めていったのだった。ラマ・イェシェと彼の一番弟子であるラマ・ゾパ・リンボシェは、次々と押し寄せるヒッピーたちに教えを授けるために、ネパールにコパン修道院を創立した。71年にはそこで最初のリトリート「1か月間の瞑想コース」を開催している。その後も西欧の弟子たちに請われて、アメリカのサンタクルーズ大学など様々な機関でチベット仏教の講義をされた。75年にラマ・イェシェとラマ・ゾパ・リンボシェはFPMT(チベット大乗仏教維持協会)を創立し、その後も国際的にチベット仏教を広めていった。FPMTは現在37か国に160のセンターがあり、コパン修道院では現在も(今はコロナ禍で中止されているのかもしれないけれど)瞑想コースや、様々なリトリートが催されている。メルボルンで私が法要や経典の講義に参加するチベット仏教寺院もその一つである。ここが自宅から徒歩で5分ほどの場所にあったお陰で、インドやネパールにグルーを求めてスピリチュアルな旅をすることなどなかった私でも、経典を勉強したり、イニシエーションを受けたり、法要やリトリートに参加したりすることができたわけだ。チベット大乗仏教は顕密兼修なので、たぶんこのセンターがなかったら、家庭や仕事のある生活の場にいながらにして密教の経典を学んだり、秘儀を受けて修行をするのは難しかったと思う。つーか、ラマ・イェシェやラマ・ゾパ・リンボシェ、ひいては西欧諸国のヒッピーなくしては、あり得なかったと思うのだ。私がラマ・イェシェのことを知ったのは今からほぼ四半世紀前、メルボルンに移住して2年ほどが経ったころだった。そのとき私は夜一人で瞑想していた。いつもは自分の書斎の瞑想コーナーで瞑想するのだけれど、その夜はリビングルームに瞑想用クッションを持ち込んで瞑想していた。十分ほど瞑想しただろうか。ふいに向こうから何か得体のしれない邪悪なものがこちらめがけて近づいてきた。それが何かは判らなかったけれど、とてつもなく真っ暗で、大きくて恐ろしい存在に、背筋がゾっとした。心臓がバクバク鳴って、筋肉は硬直し、全身から冷や汗が噴き出した。直ちに逃げ出したかったけれど、本能的に、今目を開けて瞑想を止めてしまうのは危険すぎると直感した。目を開けてしまったら、後でその存在が戻ってくるような気がして、どうしていいかわからずパニックになってしまったのだった。そのとき私の目の前に一人のチベット僧が現れた。その顔は、そのころ瞑想セミナーに参加するようになっていた近所のチベット仏教寺院のゴンパに飾られていた写真の僧侶だった。飾られていた4人の僧侶のうち一人はダライラマ法王だったけれど、他の3人は知らなかった。その中の一人、にこにこと子どもみたいに無邪気な笑顔で合掌している丸顔の僧侶の顔が、閉じた瞼の裏に大写しになったのだ。私の正面に現れたその僧侶は、ゴンパの写真そのままに驚くほど無邪気に、温かく、やさしく、あっけらかんと笑っていたが、そのまま彼の笑顔に意識の焦点を当てるようにと伝えてきた。そうして自分が自宅ではなくチベット仏教寺院のゴンパで瞑想していると考えるようにと誘導してきたのだった。彼の笑顔に引き込まれるかのように、心がゴンパの中へと引き込まれていった。辺りがどんどんと明るくなって光に包まれ、いつしか私は金色の仏像や美しいタンカの並ぶゴンパの中にいた。そこで瞑想しているような気がしていた。いつの間にか、恐ろしい気配は消えていた。もう安全だと目を開けたときには、全身冷や汗でじっとりと濡れていたのだった。瞑想をしていてあんなに恐ろしい体験をしたのは、後にも先にもあのときだけだ。あのとき目の前に現れたチベット仏教僧が、ラマ・イェシェだったのだ。こんな話を息子にしたら、「おばさんなのに中2病だ」と笑われること請負だけれど、ラマ・イェシェに助けられたような気がしていた。それでその後、名前も知らなかった彼のことを仏教寺院で訪ねて、無料で配布されていた冊子をもらってきて読んだのだった。『Becoming Your Own Therapist』(自分自身のセラピストになること)と、『Make Your Mind Ocean』(心を大海にする)だった。そこには60年代に西欧から真理を探究して旅をしていた、いわゆるヒッピーたちに請われて、ラマ・イェシェがされた法話が記されていた。私たちが自分の心と感情に向き合って、温かな心を育み、現実に対する明確な理解を深めるための実践的で深遠なアドバイスが綴られていたのだった。それは仏教的バックグラウンドの無い西欧の若者たちに向けられていたためか、法典の講義や法話というよりもむしろ哲学や心理学だった。そのうえ当時はチベット語と英語の通訳者がいなかったようで、ラマ・イェシェは英語を使っており、その語り口は極めてシンプルだった。ダライラマ法王の話では、ラマ・イェシェはヒッピーたちの到来前に既に独学で英語を学んでいたらしい。ラマのそのシンプルにしてストレートな英語は、私の心のど真ん中に直球で入ってきた。当時はオーストラリアに移住したばかりで英語にも慣れておらず、日本では別段仏教徒でもなく、しかも慣れない移住生活に圧倒されヘコミがちだった自分に、ラマ・イェシェの話はグイグイ心に染みわたってきたのだった。励まされたのだった。そう、ラマ・イェシェを世界へと引っ張り出してくれたのが、60年代に世界へと内面の旅に出ていた西欧のヒッピー「Love & Peace」の若者たちだったのだ。ラマ・イェシェに限らず、ヒマラヤ山脈に閉ざされたチベットの地で仏教を極めてきたチベット仏教のマスターたちは、チベット動乱でおりしもインドやネパールへ亡命し、亡命先の地で仏行を続けていた。その彼らを「Love & Peace」の若者たちが世界へと連れ出し、それぞれ自分たちの国に引っ張って行ってくれたのだった。センターや寺院を設立して、皆がその教えを学べるように尽力してくれたのだ。彼らがいなかったら、私がダライラマ法皇からイニシエーションを授かることも、リトリートや講義に参加することもなかったと思う。3日に催されたラマ・イェシェ・ナイトでは、彼に師事した数人の生徒たちがラマ・イェシェに関する思い出話をシェアしてくれた。会場にはラマ・イェシェの伝記『BIG LOVE』(ブログトップの写真です)を書いたAdele Hulseアデルさんもいらしていた。「ビッグ・ラブ」はタイトルそのままに上下巻合わせて約1400ページ、厚さにして8センチ、寝転んで読むなんてあり得ない、持っているだけで筋肉痛になりそうなほどボリュームたっぷり、読み応えのある本だ。アデルさんは執筆になんと20年間もかけたという。実は私も2年前、コロナでビクトリア州がロックダウンに入ってしまったときにこの本を買って、少しずつ読んでゆこうと思っていた。なのに未だに読んでいなかった…のを先月ちょうど読み始めたところだった。ふっと思ったのよ。今読まずして、いったいいつ読むのだ、と。スピーカーの中に、生前のラマ・イェシェに会ったことはないという女性が一人いて、この本のことを語ってらした。著者のアデルさんがいきいきと描写しているうえに写真も多いので、この本を通して自分もラマ・イェシェとの旅を体験しているような気がしたのだ、と。私も、できることなら存命中のラマ・イェシェに会ってみたかった。彼の講義を聞き、そのリトリートにどっぷりと浸りたかった。けれどそれは叶わぬ体験なので、この本を通してラマ・イェシェのエネルギーに浸れたら嬉しいな~と思っている。まだ前書きしか読んでいないけれど(なんとダライラマ法王とラマ・ゾパ・リンボシェが寄稿されている!?)、これから少しず~つラマとの時間を重ねてゆこうと思う。2022年ー今年はどんな年になるのだろう、コロナも落ち着いて、一昨年や去年よりは明るい年になってほしい、なるだろう、と願っていた。けれど世界は今、予期しなかったほど悲惨な、恐ろしい現実に直面している。ともすれば無力感に圧倒され鬱々としてしまいそうな毎日…。だからこそ心は明るく、平常心を保たなくては、と思う。そうして微力でも自分にもできることをしてゆくしかないのだから。YouTubeで「Laughing with Lama」というラマ・イェシェの2分ほどのクリップを見つけました。最近ちょっと肩に力が入り過ぎて心が固まり過ぎてしまったかな~とか思ったらちょっと一息、ラマ・イェシェと一緒に笑ってみてください。にほんブログ村に参加しています。クリックしていただけると、ありがたいです。にほんブログ村[マックあつこの著書]『Tamagoー39歳の不妊治療』えっ、不妊症!? 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2022.03.16
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「プールのある風景・前編」の続きです。上の子が高校に入学したとき、夫の癌がわかった。化学療法が始まるとその副作用で彼はもう昔みたいに泳ぐことができなくなった。それでも夏になって子どもたちがプールで歓声を上げると自分も入ることもあったし、天気がいいと子どもたちに「今日はプールに入る? 入るならカバー開けてあげるよ」などと勧めていた。彼の最後のハロウィーンとなった、あの日の午後もそうだった。暑い日だったのでダディンは子どもたちにプールを勧め、プールカバーを開けてあげた。後で自分も入るつもりだったのかもしれないが仕事に戻り、その直後にシドニーの医師団から最後の望みの綱だった放射性核種内用療法の失敗を知らせる電話が入ったのだ。命を更に削るだけだから直ちに止めるべきだ、と。夫が腰を痛め、動けなくなったのはその翌日だった。痛みは酷くなるばかりで結局、救急に駆け込まなければならなくなって、翌週には入院することになった。私は放射性療法の副作用のせいだと思ったが、検査で背骨の破損がわかった。夫はプールカバーを戻したときだと言っていた。厚手のビニールでできた頑丈なカバーはかなり重い。そのうえ我が家のカバーは古くなっていたので扱いが難しく、無理矢理引っ張った拍子に背骨を傷めてしてしまったらしい。癌と治療の副作用で骨も脆くなっていたんだろう。そのときの骨折が入院の原因だったけど、それからはもう坂を転げ落ちるように病状は悪化していった。夫は入退院を繰り返し、癌の主治医は余命数週間、クリスマスまではもたないだろうと告げた。背中の骨折が治るのが早いか、癌の進行で命が尽きるのが早いか、そんな状況になってしまったのだった。結局3月に亡くなるまで、夫は病院と家とホスピスを出たり入ったりするような生活だった。誰も入らなくなったプールに新しいプールカバーが届いたのは、夫が亡くなってから十日後のことだった。プールカバーのせいで背骨を傷めてしまった彼は、家族の誰にもこんな思いはしてほしくないと、いつの間にか新しいカバーを注文していたのだった。その日、二人がかりでプールカバーを抱えた業者が突然我が家を訪れたとき、そういえば夫が最後にホスピスに入院していたころに、もう2か月も前に注文して既に代金も払ったのにカバーは未だ届かないのか、と気にしていたことを思い出した。当時はそれどころじゃなかったからプールカバーのことなんて、すっかり忘れていた。その日は偶然にも、夫のお骨を火葬場に受け取りに行くことになっていた。事前に業者から配送の連絡があったわけじゃなく、まったく突然の訪問で、夫が購入してから3か月も経っていたのだ。そうして奇しくもその日の明け方、私は夫の夢を見ていたのだった。夢の中で夫はプールの向こう、裏庭に立って、嬉しそうにこちらに向かって手を振っていた。彼の背後には大きな樹が聳え立っていた。ツリーハウスだった。夫がツリーハウスの贈り物を子どもたちに届けに来たのだった。だけど彼はただにこにこと両手を振るばかりで、家の中に入ってこようとはしなかった。我が家の愛犬チャーがプールをこちらに向かって泳いでいた。溺れてしまうんじゃあないかと心配したけれど、チャーは無事にプールサイドまで泳ぎ切った。ほっと安心したとき、夫も夢も消えた。目覚めるや、夫が夢枕に立ったのだと思った。鮮やかな、霊的な夢だった。その日は夫のお骨を受け取りに行くことになっていたから、それで挨拶に来てくれたのだろう、と。でも、と首を傾げたのだった。なんでツリーハウス? と。その数時間後に、新しいプールカバーが届いたのだ。業者が二人がかりで巨大なプールカバーを裏庭の芝生に広げ、設置しようと作業している。その様子を見守りながら夢のことを考えずにはいられなかった。家には愛犬が2匹いて、ポーちゃんは私の書斎に、夢に出てきたチャー君はいつも夫と一緒にいた。きっと夫は「主人」を失くしたチャー君をよろしく頼むと言いたかったんだろう。そうして夢の中でツリーハウスが立っていた場所には、実際には子どもたちのキャビーハウスが建っている。下が砂場になっていて、上の家には滑り台と梯子がついていて、子どもたちも小さかったころはよく遊んでいた。キャビーハウスを買ってあげたように、夫は今も子どもたちに贈り物をしたいのだろう。ティーンネイジャーになった子どもたちには、もっと大きなツリーハウスを。日々成長してゆく子どもたちにまだまだしてあげたいことがたくさんあるんだろう。でももう、彼にはそれが叶わない。それでも今朝プールカバーは、届いたのだった。夫のお骨が家に帰ってくるまさにその日に。これは偶然なんかじゃあなく、彼からのメッセージなのだと思った。 自分はこれからも子どもたちを見守り続ける、と。身体はお骨になっても、魂は存在し続けるし、自分はこれからも家族の一員で、見守っているよと、そう伝えたかったんだろう。生死を超えて絆は続いてゆくから、と。新品のプールカバーのお陰で、我が家のプールは輝いた。とりわけ雨が降ったときなんか真新しい水色のカバーの表面に水滴が溜まって、そのうち水面になって、綺麗な水景色が広がった。だけどやっぱり、ビニールはビニールだ。そして季節は冬へと向かっていて、コロナ禍のロックダウンで家にいる時間は俄然増えたけど、相変わらずプールはそこにあるだけ。誰も使わないのに、メインテナンスの費用は掛かり続けた。古くなったのはプールカバーだけでなく、濾過器やお掃除ロボット、ヒーティングシステムも老朽化して故障した。お掃除ロボットは新しいのに買い替えて、濾過器も一部を買い替え修理しなくてはならなかった。そのうえ役所から、プールの安全性に関する法改正で、今後は4年に1度プールインスペクションで安全性を証明しなければならない(!?)という通知が届いたのだった。何それ…。戸惑いながらネットや周りに聞いて調べたところ、面倒なうえに、インスペクション代やら修理代やら証明書の発行代で3000ドルくらいはかかるという。ご近所さんなど業者から6000ドルも請求されたとぼやいてた。私同様、ただでさえプールのメインテナンスにうんざりしていた友達は、今やプールを潰すことも考えていると言っていた。プールの水を抜いただけでは、コンクリートにヒビが入ってもっと厄介な事態になってしまうから、いっそ埋めてしまおうかとも思うのだけど、それもコンクリートの撤去や埋め立ての費用に加えていろいろと事後処理もあって、手間も費用もかかり過ぎるから決め兼ねているのだ、と。そのときは、そこまですることはないんじゃないかと思ったけれど、私にとっても、家族が泳ぐこともなく、新品とはいえビニールカバーが皮膚のように貼り付いた我が家のプールは、もはや面倒な金食い虫、頭痛の種でしかなかった。夫が亡くなって、自分一人で管理しなきゃならないことも、うんざりだった。この年末もまたお掃除ロボットが壊れた。買い替えて2年と経っていないのに、先週プールクリーナーが修理したハズなのに、先日はプールエンジニアまで来たにもかかわらず、また業者を手配しなくてはならないのだ。でもこんな年末に誰が来てくれるっていうんだろう? 追加料金もかかるだろうし。でもこのまま放っておいたらまた緑色の藻が生えてしまうだろうし。まったく、いつもいつも…グルグルしつつ心の底から思った。プールなんて大嫌いだ、と。役にも立たないのに手間とお金ばかりがかかる。信頼できる業者を探すのも一苦労だし…。プールがなければ、どんなに楽だっただろうか。このときばかりは本気で考えた。うちもいっそ潰してしまおうか、と。元々自分はプールなど欲しくなかったのだった。そう思ったら、プールに対する不平不満や様々な否定的な思いが込み上げてきた。だいたい明後日は大晦日だというのに、なんでプールの修理のことなど考えなくてはならないんだろう。本来なら今頃は日本に一時帰国しているハズなのに…。コロナ禍とはいえこの年末も…。そのうちそれはプール問題を飛び越えて、海外で暮らすこと自体への難儀さやネガティヴな思いへと繋がっていった。もう半日くらい愚痴ってしまいそうな勢いで。それでも、現実には、自分はメルボルンにいるし、家にはプールがある。かといって引っ越すというのは・・・プールを潰しにかかるって言うのも…。思えば先月、4カ月もかけたプールインスペクションがやっと終わったところだった。安全性を脅かすものは「規則だから」と徹底的に修理させられた。例えば隣人が塀を乗り越え我が家のプールに飛び込んで溺れてしまうかもしれないからと(マ・ジ・で・す・かっ?)塀を高くさせられたり(ちなみにお隣りは90代のおじいちゃんの一人暮らしである)、子どもがプールフェンス脇の小さなサツキによじ登ってフェンスを越えてプールに入って溺れてしまうかもしれないからと(はいぃ…? その前に片足で枝が折れるわい)付近の木々を切らされたり、プールサイドに面したドアは自動で閉まらなくちゃならないからと修理させられたり…。とにかく大変だったのだ。それがやっと終わったのに…。外の世界を変えるのが大変なときは、内側の世界を変えてみるしか…ない。こういうときこそ瞑想だった。呼吸に意識を集中し、怒りを鎮め、嫌悪感を手放して、心の荒波がとにかく静まるのを待った。空について瞑想し、この問題について考えて、意識の変容について考えた。負から正へ、ダルマの輪を回すことを黙想した。そうして決意したのだった。まずはプールを好きになろう、と。頭じゃなく、心からそう決意した。そのためにまず思い切ってプールカバーは外すことにした。「プールがお荷物ではなく、生活の喜びになるように、冬の間はカバーを外してもいいんじゃないか」と勧めてくれたメインテナンス会社の方がいた。ちょうど右足の平を骨折して外出も儘ならない時期だったから、窓の外に揺れる水面に、どれだけ心が慰められたことか。あのときは足のせいで自分じゃ手入れができず、水に藻が生えて緑色に濁ってしまって結局止めたのだけど、幸い回復して今なら自分ですることもできるし。そう、自分で。今後は、来たり来なかったりで、料金体系も曖昧なプールメインテナンス会社に管理を任せるのは止めて、自分たちでケアすることにした。毎日水面を掃除して、後はお掃除ロボットや濾過機など機械に手伝ってもらえばいい。そのためにプール機器の扱い方を学んで、水質管理も自分たちでする。幸い近所のプール会社が店頭で無料の水質チェックをしてくれるそうだから、定期的に持ち込んで必要な薬品は揃えればいいし。だからまずはお掃除ロボットを修理して…。あれから6週間。子どもたちも手伝ってくれるし、お掃除ロボットも濾過器も順調に動いている。水に藻が張ることも濁ることもなく、プールは青く美しい水面を湛えて居る。もういつ来るかわからない業者を待つことも、その仕事や請求書に神経を尖らせる必要もない。少しずつではあるけれど自分たちで管理する方法を学びながらやってゆくことにして、本当に良かったと思う。そうして手を掛けるようになったぶん、プールが大切な存在になった。毎朝、揺れる水面を眺めながらプールサイドでコーヒーを飲むのは日々の喜びだ。晴れた日には陽光を反射させキラキラ輝く水面に、曇りの朝はちょっと沈んだ水面に、雨の日には水滴に揺れ、風が吹くと細波に揺れる。その日のエネルギーを反射させてゆらゆら揺れる水面に心を浮かせて、ゆったりと広がる贅沢を噛みしめるひと時。たとえ5分であっても大切な、貴重な時間。それから水面に落ちた枯葉やゴミをプール用のネットで掬う。持ち手が長過ぎて扱いが難しいけれど、5分10分やっていればそれでも綺麗になる。夏場はやはり水の蒸発が早いので、プールカバーは外しっぱなしってわけにはいかないけれど。まあ、何ごともMiddle Way―中道ですよね。引っ越して15年。先のことはわからないながら、今はその存在に心から感謝している。にほんブログ村に参加しています。クリックしていただけるとありがたいです。にほんブログ村 [マックあつこの著書]『Tamagoー39歳の不妊治療』えっ、不妊症!? 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2022.02.12
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まずはプールを好きになろう。この年末、頭痛の種でしかなかった存在を前に、そう決意した。今回は我が家のプールの話を。日本でプール付きの家というと豪邸って感じだけれど、オーストラリアでは別段珍しい話じゃない。ふつーによくある家の一つ。ここも、そもそもプールじゃなくて、小学校の学区に惹かれて選んだ家だった。娘の小学校入学にあたって、日本語と日本文化を教えてくれる小学校で学ばせたいと考えたのだけど、幼稚園部から通っているモンテッソーリスクールも、学区内の公立小学校もイタリア語だった。公立の小学校は厳しい学区規定がされていて、日本語を教える学校に入学するにはお隣の学区に引っ越す必要があったのだ。ちなみに引っ越してから2年後に娘は元のモンテッソーリスクールに出戻りすることになったのだけど…。もともとプールを気に入ったのは、メルボルン育ちの夫の方だった。子供のころ藁を積んだ大きな裏庭で妹や弟たちと遊んでいたという彼は、子どもが生まれると広い庭の家に住みたがっていた。一方、東京に住んでいた私の方はこっちの不便さや人口密度の薄さにうんざりしていたから、これ以上不便になるなんてあり得ない話だった。前の家のように庭なんか猫の額でも商店街や駅に近い方がむしろ好ましく、プールなどあってもなくても良かったのだった。それでも引っ越した当初は、キラキラ輝く水色の水面をうっとりと眺めたものだった。ダイニングリビングルームとラウンジルームがプールに面していたので、娘を小学校に送り出し遅い朝食を取るときや、息子をお昼寝させてコーヒーで一息つくときなんかに、ふっとプールに見入っていた。僧侶や行者は湖面を見て瞑想するというけれど、プールサイドの木々をゆらゆらと反射させ揺れる水面を見ていると心が和む。窓から覗く水景色に疲れも癒されるようだった。ああ、家にプールがあるってなんて贅沢なんだろう、と。だけどその美しい水面は、暫くするとビニールのプールカバーに覆われることになった。プールは、思った以上にメインテナンスが必要だったのだ。前の所有者から紹介されたプールクリーナーに言われたのだ。カバーをかけて水を守らなければ、ビクトリア州の強い日差しに水が干上がってしまうし(しかも当時は酷い旱魃だった)、枯葉がプールに落ちると、濾過器とクリーピークローリィ(お掃除ロボット)で水質を維持するのが難しくなって、毎日水面を掃除しなければならなくなるから、と。ただでさえ子育てと仕事で手一杯なのにプール掃除の時間など取れるはずもなく、かといって2週間に1度の業者の訪問回数をもっと増やすなんて経済的にあり得ない話で…。こうしてあっという間にキラキラ輝く水色のリフレクションは、汚れたビニールのプールカバーに取って代わられることになった。憩いの風景は、あっという間に消えてしまった。それでもプールの存在に5歳の娘は大喜びだった。お姉ちゃんの興奮と熱気に巻き込まれて、1歳になった下の子も楽しそうに水遊びをした。ちょっと暖かい日が続くと、子どもたちとダディンはワイワイ大はしゃぎで水飛沫をあげた。以前の家に比べると不便になったし予算もオーバーしてしまったけれど家族が嬉しそうなので、この家にして正解だったと思ったものだ。とはいえビクトリア州はキホン、寒い。前の家のリノベーションで空調設備について調べていたときに知ったのだが、1年のうち冷房を使うのは延べ日数にして一月にも満たないのに、暖房の方は1年の大半。だから戸外のプールなんて、入れる日など殆どないのだ。にもかかわらず「せっかくプール付きの家に引っ越したのだから」と、夫は子どもたちとプールに入っていた。夫の実家はビーチに近く、真冬の凍える海でふつーに泳いでいたという祖父の習慣が自慢の家庭で育ったから、日本育ちの私の肌感覚からすれば「あり得ない」寒い日でも子どもたちと一緒にプールに入ろうとした。そんなことをしたら子どもたちが風邪をひいてしまうと度々口論になったものだ。そのうち息子が喘息になった。水泳は喘息に良いとも聞くけれど、寒い日にプールに入ると小さな子はやはり風邪をひく。すると喘息の発作が出て、病院の救急に駆け込まなければならないことも。毎日処方箋の服用が必要になって、吸引機が手放せなくなった。3歳のころ風邪をこじらせて喘息の発作を起こした息子が喘ぎながら言ったことがある。黄色いアンパンマンのパーカーを着て、洗面所の自分用の台に腰かけて、吸引機を吸ってはなんとか呼吸を続けていた息子は瞳に涙をいっぱい溜めて言ったのだ。「ママ、ムウもう…ダメかもしれない…。息が…できないんだよ。もう次の息は…できないかもしれない」、と。息ができないということは、幼い子にとってどれほどの恐怖だったことだろう。大丈夫だよ、できるよ、と励ましながら事前に防げなかったことが悔やまれた。息子は2歳になったころからアトピー性皮膚炎にも悩まされるようになった。夏が来てちょっと暑い日が続くと、白いすべすべの肌から赤い発疹が現れる。するともう痒くて堪らなくなってしまう。医者だった夫は冷やしたり、クリームを塗ったり、濡らした包帯を巻いたりと手を尽くし、幼いながら本人も自分で氷を患部に当てたりクリームを塗ったりと頑張っていたけれど、それでも赤い発疹は広がって、ケロイド状になった。5歳の時などアトピーで救急入院になってしまったほどで…。プールの水はアトピー性皮膚炎には有害だから、発症したらプールには入らないようにと主治医からも言われた。いつしか私はプールを目の敵にするようになっていた。夫との口論もますます増えた。国際結婚なので文化的バックグラウンドや価値観の違いからいろんなことで意見と見解が合わず口論が絶えなかったのだけど、プールは夫の家族をめぐるトラブルと並んで喧嘩の元だった。子どもたちが成長するにつれ、自然とプールに入る機会は減っていった。中学校に入ると娘も忙しくなって、お姉ちゃんが入らないとつまらないので息子の足も遠のき、プールから歓声が上がることも減っていった。稀に夫が独り、プールで泳いでいた。相変わらずプールは、枯葉のこびりついたくたびれた水色のビニールカバーで覆われて、ただそこにひっそりと佇んでいた。使わないのにメインテナンスの費用ばかりが嵩むので、2週間おきに来ていたプールクリーナーの訪問を冬の間は3週間おきに減らしてもらうことにした。続きは「プールのある風景・後編」で。にほんブログ村に参加しています。クリックしていただけると、ありがたいです。にほんブログ村 [マックあつこの著書]『Tamagoー39歳の不妊治療』えっ、不妊症!? ミラー月子はたまご時計に急かされながらベイビーを夢見て先の見えない旅に出た。メルボルンからアラフォー妊活小説『Tamagoー39歳の不妊治療』 Kindle電子書籍『Tamagoー39歳の不妊治療』単行本『インスタント・ニルヴァーナ』もしもあなたの大切な人がカルトの罠に嵌ってしまったら? マインドコントロールの鎖は密かに繋がれてゆく。サスペンス長編3部作『インスタント・ニルヴァーナ 上巻』 Kindle電子書籍『インスタント・ニルヴァーナ 中巻』 Kindle電子書籍『インスタント・ニルヴァーナ 下巻』 Kindle電子書籍[Ako Mak 英語の著書]『Someday, IVF at 39』‘Someday, IVF at 39’ ―poignant, humorous and mysterious― a cross-cultural odyssey for motherhood.『Somedsay, IVF at 39』 英語版Kindle電子書籍[マックあつこのHP]マックあつこのHP Ako Mak HP
2022.02.11
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クリスマスイヴの夜にそのテキストは流れてきた。友達からのクリスマスメッセージかと思いきや、ビクトリア州政府のコロナ対策課から。まさかのコロナ検査要請の通知だった!?要約すれば、12月20日に行ったケーキ屋Kでコロナに感染した恐れがあるので、この通知から24時間以内にPCR検査を受けて、陰性の結果が出るまでは自主隔離をしなさい、と。 唖然としてしまった。確かにその日、私は件のケーキ屋Kに行っている。だけどクリスマスケーキの注文に行っただけなので、3分とかからなかったハズだ。3分っていったら、カップラーメンにお湯を注いだウルトラマンが食べる間もなく地球から飛び立たなければならないほどに短い時間ではないかっ!?なのに、24時間以内にPCR検査を受けて、陰性の結果が出るまでは自主隔離だなんて…コロナ感染の確認された店で買い物をしたからPCR検査を受けるようにとビクトリア州政府から通知が届いたと言っていた友達なら数人知っている。でもみんな「as long as咳や鼻水、発熱などの症状がある場合は」と記されていて、実際症状も無かったそうだ。私も、なぁんの症状もない。だけどこの文面からすると明らかに選択の余地はなさそうだった。有無を言わせず、24時間以内にPCR検査を受けて陰性の結果が出るまでは自主隔離を、と問答無用の通知である。しかも今日はイヴ、明日はクリスマス…。そりゃあいろんな状況があって、私の場合たぶん<感染度強>と判断された場所に居合わせてしまったんだろうけど、なんだか釈然としなかった。とはいえ仕方ないから通知にあったコロナ検査を受けられる会場リストのサイトに行ってみた。クリスマスで大半が閉まっていて、空いている会場も通常より時間を短縮させている。ふっと、オミクロン株の蔓延でPCR検査会場が異常に混雑しているというニュースを思い出した。なんでも今じゃ検査場の開く8時前にはもう長蛇の列ができていて、早い人など深夜2時から並んでいる!?んだそうだ。逆にこれくらいの時間の方が空いているので夕方に来た方が良いかも…などとレポーターが言っていた。何もクリスマスに一日中PCR検査の列に並ぶこたぁないんじゃ…。いっそ夕方に行ってみようか。「でもママ、明日は早く終わっちゃうからそんな時間に行ったんじゃ、検査してもらえないんじゃないの? 24時間以内にしないといけないんでしょう」と、私と一緒にケーキ屋に行って同じく要検査になってしまった娘。確かに、それはあるかも…じゃあこの際、仏教的にMiddle Wayで。朝も夕方も止めて、早目のクリスマスランチの後、2時くらいに行くことにする。クリスマス当日―娘と二人、車で15分ほどの病院に向かった。ここは4月に右足の平を骨折したときにお世話になった病院である。でもコロナのPCR検査は病院の中ではなく、外に設置された仮設会場で行われている。検査を待つ人々が、噂に聞いていたように長蛇の列を作っている。列に加わろうとするも最後尾は病院の敷地からゲートを超えて外の通りへ、延々と続いていて終わりが見えない… 結局、最後尾は4時間待ちの看板を遥かに超えていた。「ねぇママ、今日は5時半に閉まるんだよね。もう2時も過ぎてるし、これじゃあ無理じゃない?」と、娘。実際、既に2時を回っている。それでも私たちの背後に、どんどんと列は伸びてゆく。みんなが当然のように列に加わり並んでいるので、私たちも「今日はもう無理じゃね?」と思いながらも、お喋りしながら列に並んでいた。すぐ前の、背の高い男の子は退屈そうにスマホを取り出しヒステリックに友達にグチり始めた。ゲイっぽいお茶目な口調で細い身体をくねくねさせながら「もうやんなっちゃう~」とか言っている。「友達から飲みに誘われて行きたくもないパブ行ったら、コロナ検査受けなきゃならなくなったのぉ。クリスマスなのにぃ。めっちゃ混んでるしぃ」うんうん、辛いよねぇと、思わず相槌打ちたくなる。私たちみたく、たかがケーキ(でも食べたかった)をオーダーしただけでコロナ検査に回されてしまうというのもなんだかなぁ…感があるけれど、行きたくもないイベントにうっかり参加した挙句クリスマスの日に一人コロナ検査に自主隔離っていうのも…やり切れないものがあるんだろうなぁ、と。そうこうするうち向こうから職員がやって来た。「PCR検査はクリスマスのため今日は5時半に閉まります! ここから先、待ち時間は既に4時間を超えております! この先並んでも、今日はもう無理…かと存じます。明日またお越しいただいた方が…」と、大声ながら申し訳なさそうに告げている。そういえば、コロナ検査の異常な待ち時間にキレてスタッフに当たる人がいるとニュースでやっていた。確かに、延々並んだ挙句に検査もできず明日また~では、堪ったもんじゃあない。フレンドリーなオージーでも、暴徒化はせずとも舌打ちくらいはするだろう。思わずお下品な指並びを出してしまったり、4 letter wordsを雄叫びしたくなる輩もいるかもしれない。オージー文化でクリスマスは家族の集う、1年で1番くらいに大切な日である。思えばそんな日に、症状も無いのにコロナ検査で何時間も待たなければならない人たちというのも気の毒だけど、検査や治療やワクチンでお仕事をしなければならない人たちというのはものすごぉくお気の毒である。職員の方々、ほんとうにご苦労様です。お忙しいのにわざわざ教えに来てくださって、ありがとう。アドバイスに応えて何人かが動き出した。私たちも明日また来なければならないというのはシンドイけれど、何も意地張ってクリスマスを列に並んで過ごしたくもなかったので、これ幸いと立ち去ることにした。もしかするとTVレポーターは「ほぉら今頃の時間に来ればこぉんなに空いているでしょう」と言っていたけれど、あれは職員の呼びかけで既に多くの人たちが諦めて帰ってしまった後だったからかもしれないナ。時計を見ればまだ3時前である。これでせめても後半はクリスマスできる。翌日はBoxing Dayで休日の日曜だった。予定では年に1度のボクシング・デイ・セールに行くハズだったが、やむなくコロナのPCR検査に再出陣だ。今日は検査会場の開く8時前、7時半ごろを目安に行くことにして、朝食のおにぎり持参で(でもトイレに行きたくなると困るのでドリンク系は持たずに)列に加わった。会場には早くも長蛇の列ができていた。それでも前日よりも小ぶりな蛇だったのが救いである。私たち同様、昨日からのリベンジ組も多いのか、列に並ぶ人々の様相にも気合が入っている。折り畳み式の椅子持参で並ぶ人たちの姿もちらほら。子沢山の家族連れはボールやおもちゃやお弁当持参で、ほとんどピクニックのノリである。実際ベビーカーや幼児連れの家族も多く、気の毒だった。木陰で授乳している母親までいて、涙を誘う。私たちのすぐ後ろに並んだ幼い姉妹などパジャマにガウンを羽織ってスリッパ姿。いかにも今さっき起こされました然として眠たげに瞼を擦っていた。こんな小さな子たちまでPCR検査を受けなきゃならないなんて…炎天下で待たされた昨日の経験から帽子は被ってきたけど、日差しより、朝は思いのほか寒かった。一日に四季があると謳われるほど天気の変化の激しいメルボルン、列に並ぶ人々の服装も様々だ。クィーンズランド州海辺のリゾート地から抜け出てきたようなサマードレスとTシャツ短パン姿の老夫婦から、タスマニア州の山岳地帯からやって来たみたいな厚手のもこもこフェザージャケットを羽織った女性まで。とはいえ季節は夏だし、天気予報でもそれほど寒い日でもなかったのに、並んでいるうちにどんどんと寒さが増してきた。そのうちちらほらと冷たぁい小雨まで。予報でも多少雨の確率は出ていたから傘は持ってきていたけれど、もこもこおばさんのダウンジャケットが羨ましくて堪らなくなる。寒さに震えつつ、娘とお喋りしながら待つことほぼ2時間。やっと仮設の検査施設に入れたときにはホッとした。素材的にはテントとはいえ、やはり雨風を凌げるというのはありがたいものだ。それにしても、とふと思う。自分たちのような症状の無い人間はいいとしても、コロナの症状が出ている人たちがこの環境で待つのはしんどいだろう。もちろん重症化している人たちは病院の救急医療に行くのだろうけれど、救急に行くほどではないけれど熱があるとか咳が酷いとかいう人たちは、どうしているんだろうか?中に入ってからは30分と待つこともなく検査を受けることができた。まずレセプションで受付をし、次の場所でPCR検査キットを渡され説明を受けて、ブースになっている検査場で看護士さんと思しきスタッフから検査をしてもらう。長~い綿棒みたいなものを鼻腔の奥へ、眉間に届けとばかりに入れられるので吐きそうになったと言っていた友達がいたけれど、それほどじゃあなかった。ちょっと擽ったいような感じに、くしゃみが出そうになって、堪えるのがしんどかったくらいで。検査の結果は事前に登録した携帯に通知がくるのだそうで、娘と二人そのまま会場を後にした。終わった~!の解放感に帰り道はビーチカフェに寄ってコーヒーでもテイクアウェイして海辺をお散歩して帰りたいところだけれど、結果が出るまでは家で自主隔離しなければならない。いそいそと自宅に戻った。このところオーストラリアもオミクロン株で毎日恐ろしい勢いで感染者が増加している。そのうえクリスマス休暇で異常に混み合っていて、検査結果が出るまで通常以上に時間がかかると聞いていたので覚悟はしていた。けれどあっさり翌日の午前中に通知が来た。晴れて、陰性。Yeah!早速セールに出かけようかと思ったけれど、陰性の通知を受け取ったときには既に大掃除に掛かっていたのでそちらを続けることにした。まったく、予定外のコロナ検査で年末の予定が大狂いである。それでも翌日には、残り物には福とばかりに子どもたちとBoxing Dayセールを狙ってシティに出かけた。張り切って出たのに、大勢の人で賑わうデパートやブティック、お店に入ろうとするたびにいちいち躊躇してしまった。この人込みである。ここにいる人たちからコロナ感染が出た場合… なんといっても2年連続「世界一ロックダウンな都市」の座に輝いた(?)メルボルン。ビクトリア州コロナ・アプリのシステムが、QRコードの記録から感染者が行った場所を認識し、速攻オートマティックにそこに居合わせた人々に検査要請の通知を発信してしまうんだろう。これでまた後日コロナ検査のお知らせが届いてしまったら…大晦日と新年を再びあの、長蛇の列に並ぶのか、と。そう思ったら気持ちが萎えて、思っていた半分の場数もこなせなかった。その後オミクロン株の蔓延で膨れ上がったコロナ検査の数に検査システム自体が危機に晒されたそうで、急遽オーストラリア政府は緊急会議を開き、「Close Contact 濃厚接触者」定義の見直しを余儀なくされた。それでずっと緩い規定になったせいか、私もコロナ検査の通知を受け取ることもなく新年を迎えることができたのだった。それにしても、2021年もコロナに振り回された1年でした。2022年は、どんな年になることやら…。世界が少しでも明るい年になるように願って止まない。Happy New Year! 皆様の2022年が良いお年でありますように。今年もどうぞよろしくお願いいたします。イラストは、娘がクリスマスカードに描いてくれた挿絵デス。にほんブログ村に参加しています。クリックをどうぞよろしくお願いいたします(^^♪にほんブログ村 [マックあつこの著書]『Tamagoー39歳の不妊治療』えっ、不妊症!? 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2022.01.07
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先日、久しぶりにチベット仏教の高僧、ゲシェⅮとランチをご一緒した。最後に一緒に食事をしたのは確か去年の7月だったから、ほぼ1年4か月ぶり。コロナ禍でチベット仏教寺院も閉鎖され、講義も休講やオンライン法話になっていたのだった。ロックダウンの規制が緩んだときに法要や仏行でゴンパには行っていたけれど、僧院のある2階へ上るのは久しぶりだった。19世紀に建てられた螺旋階段の幅は狭く、足の平の骨折を庇いつつ、ゆるりゆるりと上がる。ゲシェの部屋の前を通り、今年初めて訪れる懐かしい僧院キッチンへ。そこでユーカリやパームツリーの枝間から差し込む陽光を浴びて、鳥の囀りや下のカフェから上がる笑い声を聞きながらお鍋を火にかけ包丁を握るのは、穏やかで平和な風情があって、楽しい。光の静けさのなか仏行をしているような喜びがあって。誰もいないと思っていたのに、臙脂色の袈裟がキッチンに立っていた。「やあ」と顔を上げて笑ったのは、他ならぬゲシェⅮだった。何をしているのかと手元を見れば、小ぶりのナイフを手に固そうなパンを小さく刻んでいる。「朝食ですか? 私が切りましょうか?」と言ってみたけれど、自分でするからいいとパンの塊を切り刻んでいる。朝食は朝食でも、鳥の朝食を作っているらしかった。黙々と固そうなパンを切り続ける。その口元が僅かにうごめいているのは、小鳥を祈祷するためにマントラを唱えているのだろう。何の真言を唱えているのか尋ねようかとも思ったけれど邪魔をするのも気が引けて、下のカフェにコーヒーを買いに行く。テイクアウェイした(オーストラリアではテイクアウトではなくこう言う)カフェラッテかカプチーノを飲んでからランチ作りに入るのが習慣だった。自分のぶんだけ買いに行くのは気が引けて、何か買ってきましょうか?とゲシェに尋ねたけれど、要らないとのことで。ラッテを手に戻ると、寺院の中庭にゲシェⅮが佇んでいた。穏やかな陽光の下、四角いコートヤードにぽつりと立つ臙脂色の後ろ姿を囲んで鳩たちが次第に集まってくる。きっと毎日ここで餌をあげているんだろうな。私も毎朝、庭に来る鳥たちに餌をあげる喜びを楽しんでいる。オーストラリアに移住して一軒家に住むようになってから自然についた習慣だった。我が家にはここ数年毎朝マグパイ一家がやってくる。もともとは4年前に自宅で一人リトリートをしているときに、遊びに来るようになったマグパイと親しくなったのが切っ掛けだった。その子は、私が毎朝コーヒーを庭で飲んでいると隣に飛んできて、テーブルや椅子にとまって、あの独特な声で歌い始めるのだ。あまりに人懐っこいのでマギちゃんと呼ぶようになった。マギちゃんは私の姿を見つけると嬉しくて堪らないというように芝生の上をこちらに向かって尾っぽを振り振り走ってくる。指から直接チーズや果物の切れ端を上手に取っていくマグパイが可愛くて仕方がない。今ではマギちゃんにくわえ彼女の伴侶と成長した子ども(たぶんオスの独身)、それに今年は3羽の赤ちゃんまで生まれて、総勢6人の大家族である。私は単純に可愛くて、せっかく授かったご縁を大切にしたくて、餌を上げ続けているのだけれど、ゲシェはどういう気持ちで鳩にパンをあげているのだろうか? 鳩の幸福を願って、いや解脱をかな?鳩にパン屑を落とす臙脂色の後ろ姿に話しかけた。鳩に餌をあげるときの心境ではなく、ランチをどこで食べるかを聞くために。さっき別の僧侶から、最近ゲシェは自分の部屋ではなくコートヤードのベンチでみんなとお喋りしながらランチを取ることが多いから、今日はどこでお昼をとるのか聞いてみた方がいいとアドバイスされたので。ゲシェがコートヤードと答えたので、なら皆が来る前に個人的な話をしたいと、日本への一時帰国について相談してみた。私たち家族は毎年この時期に日本に一時帰国するのだけれど、一昨年はダディンの病気で、去年はコロナ禍の国境封鎖でもう3年近くも帰国できずにいる。帰りたいのはもちろんだけど、両親のことも心配だった。二人ともコロナ禍のせいか、ここ2年でめっきり気が弱くなった気がする。そのうえ3年も孫の成長を見逃してしまい、気の毒なほど会いたがっているのだ。無理もない、下の子など前回会ったときには小学生だったのに、もはや中学も卒業なのだから。だけど私たちが暮らしているのは世界一ロックダウンな都市と謳われた(泣)メルボルン。オーストラリア政府も去年3月から国境を封鎖しているし、内心今年も無理だろうとは思っていた。それが11月に入って、状況が変わってきたのだった。コロナワクチン接種の普及を受けてオーストラリア政府が遂に国境を開けたのだ! ワクチンの2回接種者に限りPCR検査が陰性であれば自主隔離なしに海外から入国できる!と規制が緩和された。しかもその後、日本政府も入国の際の待機期間をそれまでの14日間から10日間に短縮すると発表した。そうしてその直後にはなんと日本の自主隔離期間が3日間に短縮される!?という話までもが! メルボルン在住の日本人の友達から「日本の自主隔離が3日間に短縮されたよ!」ってメッセージを貰った夜のことは忘れられない。そのときは未だ娘の大学の関係もあって、年末の帰省は無理だろう思っていた。というのも彼女は2年生ながら奨学金付きで数学の研究プロジェクを獲得して、2月には国際的学会で発表の機会まで得て(コロナ禍でオンライン学会だけど)、夏休みも返上で大学に行くことになっていたので。ところが娘は―「ママ、それなら帰れるかもしれないよっ! 実は今日、指導教授から連絡があったの。クリスマスから4週間、ホリデーに入ることになったって!」「何それっ! オーストラリアが自主隔離なしになって、そのうえ日本も3日間に期間が短縮されて、あなたまで休みが取れるってこと! これはもしかして…」シンクロニシティではっ!? 天が私たちに日本に帰る時だと言っているのかもしれないっ!?と、私が早合点してしまったことは言うまでもない。あのときは夜中に目覚めて唐突に思ったのだった。帰ったら、両親がどんなに喜ぶだろうか、と。思った途端に日本行きが俄然、現実味を帯びて眼前に迫ってきた。もしかすると、オーストラリアのドライフルーツやナッツのごてごて入ったクリスマスプディングじゃあなくて、日本のふわふわスポンジに苺や生クリームのたっぷり入ったクリスマスケーキを囲めるかもっ!?とか。花火やカウントダウンのニューイヤーズイブじゃなく、実家で炬燵に入って年越しそばや除夜の鐘、「ゆく年くる年」を見ながら大晦日を迎えられるかもっ!?とか。すると初詣やお節料理のお正月、コンビニのおにぎりやファミレスのドリンクバー、温泉や神社仏閣や…。今までどうせ無理だからと封印してきた熱い想いが、思いもよらず掘り当ててしまった温泉のように噴き出してしまったのだった。その夜はもう眠れなくなってしまった。翌日友達が言っていた「日本の3日間隔離に短縮」についてネットで調べてみた。だけどまだ情報も少なく、内容も様々に炸裂していた。日本の政府機関やメルボルンの日本領事館や旅行代理店にも問い合わせてみたのだけれど、確かなことはわからなかった。厚生労働省の方から教えてもらった専用の電話番号は、世界中から同様の問い合わせが殺到しているので電話が混み合って繋がりにくいかもしれませんが…ってお気遣い通り、何度いつかけても話し中どころか回線にさえ入れなかった。オーストラリアに帰りたくて戻れないオージーが大勢いることは知っていたけれど、世界には日本に帰りたくても戻れない日本人もたくさんいるんだなぁと、改めて実感してしまった。結局、状況が確認でき次第連絡をくれると言ってくれたメルボルンの日本領事館から回答を頂けたのは10日後だった。3日間に短縮されたのは海外出張などビジネス目的の入国に限り、当面はやはり10日の自己隔離が続くとのことで…。日本に行きたくて堪らない息子は、それでも行きたいと言い張った。おじいちゃんおばあちゃんの実家で隔離されるなら本望だし、たとえホテル隔離でもホテルのコンビニに行けて、日本のテレビを見ながら日本のお弁当やお握りを食べることができるなら、自分はそれで十分に幸せだから、と。そりゃあなたは幸せでも、みんなは・・・? だいたい宿泊費3人分でいったいいくらかかるんだ? まだ飛行機の数も少ないし高いし、移動や検疫、全てが順調に進んだとしても、いったい何日ふつーに滞在できるんだろう? 1週間じゃ割が合わないゾ…。そんなことより、コロナ禍で突然また国境が封鎖されてしまったりしたら…!? 我が家にはポーちゃんとチャー君、愛犬が2匹もいるというのに、あの子たちはどうなってしまうのか…? それに子供たちの学校は…? 家を何か月も空き家にして、万が一何かあったら…。去年の家電洪水みたいな事故がないとは言い切れないし。やはり事態が安定するまで…。それでもこの騒ぎで、すっかり諦めていた年末の日本への一時帰国が俄かに現実味を帯びてしまったのだった。以前にも増して両親の夢も見るようになった。目覚めると切なさが残る、そんな夢ばかり。親のことも心配だし、日本政府の規制が3日間に緩和された暁には、絶対に一時帰国しようと決意を新たにしていた。そこへオミクロン株のニュース。オーストラリアの報道機関が一斉に新型コロナウィルスの脅威を報道し始めたのは、この前日のことだった。私の話(ほとんど愚痴)を一通り聞いてからゲシェは静かに、だけどきっぱりと言った。「日本には行かない方がいい。コロナの状況が落ち着くまではオーストラリアにいた方がいい。今はまだ動く時期じゃない」、と。あ、やっぱり…。ですよねぇ…。ゲシェがそういうだろうとは思っていた。オミクロン株の脅威がトップニュースを飾る今、大半の人がそう答えるだろう。自分でも無理だろうとは思っていたのだ。無理だと思いながら聞いてしまったのは、両親のことが心配だったから。ゲシェに、無理して今帰らなくても両親とはまた会える、彼らなら大丈夫だから、と言ってもらいたかったのかもしれないナ。だけどゲシェは私の両親のことには触れず、今は未だ時期じゃないというようなことを繰り返した。以前ブログに書いたけど、チベット僧のゲシェⅮと私の、お互い訛りの強い英語で交わされる会話には自然限界があって、複雑なことは話せない。ゲシェの足元でパンをつつく鳩たちをぼんやりと見ていた。鳩たちの半分に、障害があることに気がついた。足の爪がなかったり、指がなかったり、折れていたり、片足の指が殆ど全部なくなって1本指の子までいた。ここは海が近いからネットか何かに足が引っかかってもがいているうちに捥げてしまったのかもしれない。そういえば、マギちゃんは私と仲良くなって1年後くらいに右足の爪を1本失くして、以来気の毒に、爪無しになってしまった。枝につかまる力が弱いので、嵐の夜などは心配になってしまう。マギちゃんの伴侶は目の上に引っかき傷を作ってから禿げ頭に近づいているし。去年毎晩のようにやって来てはリンゴや人参を食べて行ったポッサムは、怪我で背中の毛が抜け落ちてしまっていたし、片目の子もいる。自然界には医療機関もないから、きっと私たちが思う以上に障害を負ってしまう子がたくさんいるんだろう。片足の指が1本しか残っていない、一番障害の重そうな鳩がやはり気になった。それでも片足を引きずるようにして全身を左右に揺らし、なんとかバランスを取り取り歩いている。パン屑をついばんでいる。ゲシェⅮが少しずつ、けれどたっぷり周囲にパン屑を落とすので、他の元気な子たちに混じって、その子も食いっぱぐれることもなく食べ続けている。時々ゲシェの落とすパン屑が鳩たちの身体にくっ付いてしまうのがご愛敬だ。1本指の鳩も背中にパン屑を付けたまま無心に食べている。どの子も丸々としているのが微笑ましかった。木漏れ日の下、パン屑を背中に付けたままひたすら食べ続ける鳩たちを見ているうちに、「まっ、いっか」って心境になっていた。日本に行きたいのは山々だけど、親のことも心配だけど、今は状況的に難しい。難しいのに無理やり事を成し遂げようとすればリスクが高くなるのは当たり前。とにかく今は時期を待とう。心の中でもやもやしていた迷いや葛藤、悪足掻きも消えていた。ゲシェに話して、鳩がいてくれて良かった。なんだかすっとした。その日の午後、メルボルン在住の日本人ママからグループLineで連絡があった。自分は最近日本に入国して自主隔離をしているのだけど、さっき政府が国境を閉めるとニュース速報が流れた。外国からの入国はたぶん不可能になるから、これから帰る予定の人は気を付けた方が良い、と。日本政府がイスラエルに続き国境を封鎖したというニュースは、翌朝オーストラリアでも流れた。その後も状況は刻々と変化している。結局、今年もまたメルボルンで迎える年明け。預けられることもなくずっと一緒にいられるからポーポーとチャー君はとてもハッピーなハズだ。マギちゃん一家も喜んでくれるだろう。両親には国際便でクリスマスカードとプレゼントを贈った。せめてもっと頻繁に電話をかけよう。唸りたくなる気持ちはあるけれど、大切に迎えようと思う。2022年の年明けは1度きりなのだから。そのうちコロナ禍も落ち着く日が来る。たぶん来年、2022年には日本に行けるだろうナ。皆様もどうぞ良いお年をお迎えください。にほんブログ村に参加しています。よろしければポチっと応援クリック、お願いいたします(^^♪にほんブログ村 [マックあつこの著書]『Tamagoー39歳の不妊治療』えっ、不妊症!? 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2021.12.11
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「世界一ロックダウンな都市」メルボルンの都市封鎖が先週末、遂に(ほぼ)明けた!16歳以上のワクチン接種率が70%に達した10月22日に1部解除されて、今回80%に達したので29日18時から(ほぼ)本格的に明けたのだった。(ほぼ)と入れたのは、ワクチン2回接種者に限ってレストランで飲食可とか、屋内の人数は敷地面積によって何人まではOKとか、まだいろいろと規制があるから。それでもビクトリア州政府は、もう2度とロックダウンはしないと宣言している!これでやっとブティックとか雑貨屋さんとか、スーパー以外のお店も開いたわけだ。ようやっと店内ショッピングの喜びが戻ってきた。そうなの、試着もできる!のよ。サイズのあまり変わらない娘はともかく、息子は最近身長がぐぅんと伸びて、半年前に買った服がすっかりつんつるてんになっていたし。私はロックダウンと骨折でろくに動かなかったせいですっかり丸っこくなってしまったし(涙)。サイズアップした服を買いたくてもオンラインだと試着ができないから返品するのも面倒で、どうせ外出規制で大したとこにも出かけられないからと延び延びになっていたのだった。それにしても長かったわ、ロックダウン。延べ日数にして、なんと260日を超えてしまったんだそうで! まあ、私なんかは右足骨折のせいで前半はあまり動けなかったから、もともと不便だったしで、大した弊害もなかったけれど(ちなみにロックダウン中にかなり回復して、今ではふつーに運転してます)。息子の方もオンライン授業は去年ですっかりお馴染みで、葛藤もなさそうだったし。むしろ朝寝坊はできるし、制服に着替える手間が省けるどころか酷いときにはパジャマのままで、とにかくぐだぐだ臨めるから歓迎していたし。だけど娘の方はやはり気の毒だった。生来おっとりと、流行にも左右されず我が道をゆく派なので、うっかり忘れてしまうのだけれど、彼女は女子大生なのだった。一昨年受験を終えてやっと始まった花の大学生活が、去年は1日行っただけでオンライン授業になってしまって。今年はキャンパスに通えるようになったと喜んだのも束の間、またもやリモート学習に戻ってしまったのだから。青春真っ只中の年代がロックダウンというのはやはり気の毒だ。そうそう、ロックダウン中に息子の高校受験が終わった。試験も筆記も面接もすべてオンラインだった。我が家はこの数か月間ネット接続が不安定でプロバイダーが調査していたという状態だったので、試験中に接続がドロップしてしまったら…と心配したけれど、無事に合格できた。年が明けたら国立大学付属の科学高校に通う。ここは娘の母校で、彼女は今ここの大学生なので、来年は時々姉弟一緒に通学するそうで、姉弟仲が良いのは嬉しいことだ。それにしても、去年の3月からオン&オフで長々と続いてきたロックダウンで、社会も自分も、いろんなことが変わったなぁと改めて実感してしまう。気づいたら肥えていたとか、わかりやすい変化にくわえて私の場合、顕著になったことがある。物忘れね。物忘れや度忘れが、ぐぅんと酷くなったのよ。先日も、スーパーで出くわした友達と立ち話をしていたときのこと―大工さんを知らないかと聞かれ、そういえばAさんが、電気技師や大工仲間は大勢知っているから必要なときは自分に聞いてくれとか言っていたことを思い出した。共通の友人でもあるので、連絡を取ってみればと勧めたけれど、連絡先は知らないという。それでもたもたとスマホを取り出し、Aさんの連絡先を見つけたものの、筆記用具を持ってないからスマホにテキストで送ってほしい、と。「じゃあ忘れないうちに今送るわ」と今度は友達の名前を検索しようとして、ハッとした。あれ、この人、名前なんだっけ?さっき呼び止められたときには自然に出てきた名前が、どうしても出てこなかった。「あ、ハーイ、***(相手の名前)、元気?」と確かに名前を呼んだ記憶があるし、そのときは自然に出てきていたのに…。彼は、コロナ禍でロックダウンになる前はチベット仏教センターで毎週のように顔を合わせていた、もう十年来の友達だった。なのに、どうしても名前が思い出せないのだ。さっきは自然に出てきた名前が、なぜだかもはや思い出せなくなっている。ほらほら、何てったっけ、あれあれ…名前はすぐそこまで出てきている(ような気がする)のに、現状はカスミの向こう。突然その周りに重たい霧が立ち込めてしまったかのように。「大丈夫? どうかした?」とスマホを覗き込んだ友達に「あんた名前、何だっけ?」とは、さすがに聞くこともできず、「なんかスマホが…。帰ってからテキスト送るわ」などと誤魔化して携帯をしまった。名前を思い出したのは家に着いてからだった。約束通りテキストを送りながら(幸いこれは忘れなかった)、自分の記憶力が恐くなった。先日は友人の夫の名前を平然と間違えてしまったのだった。しかもその前日に彼女が遊びに来てそのときご主人の話も出ていたのに。少し前に車のバッテリーがおかしくなったときも夫婦そろって直しに来てくれたのに。ダンナさんのことを全く違う名前で呼んでいたことにさえ、自分では気づかなかった。「誰、それ?」と彼女に言われて私も思った。「誰だよ、それ?」と。オージーの、カタカナ名前のせいだってことは絶対にあると思う。これがイギリス系ではなくインド系とかロシア系とか耳慣れない名前になると、そもそも最初から聞き取っていないということも実際、多々ある。「パードン?」とか「エクスキューズミー?」とか何度も聞き返すのも申し訳ないし面倒なので、うやむやにしてしまうことも多い。考えてみれば、昔から子どもたちの友達の名前が思い出せないなんてことはしょっちゅうだった。だけど何年も聞き慣れ呼び慣れた人たちの名前を度忘れしてしまうっていうのは…。最近じゃあ同じ日本人の名前だって怪しいものだし…。「ママ、大丈夫? ちょっとボケてきたんじゃないの?」と、子どもたちからまで案じられる始末。昔は、毎日慌ただしくてマインドフルネスが足りないせいだと思っていたけれど(例えば2017年5月のブログ⇒「きなこde瞑想」に)、今じゃあ脳の老化も気になってきたゾ…。実家で一緒に住んでいた母方の祖母は、認知症だった。初めはカタカナで表記する日本語、いわゆる外来語を思い出せなくなった。テレビで野球中継をしているときなんかに「バッド」と言おうとして思い出せず「野球の棒」などと言っていた。それが90を過ぎて転んで骨折し、寝たきりになってからはますます物忘れが酷くなった。よく聞く話だけど、食事を食べたかどうかが思い出せなくなり、そのうちいろんなことが祖母の記憶から抜け落ちていった。人の名前や関係も思い出せなくなり(ちなみに私も忘れられてしまったが、自分の母親のことはかなり長いこと覚えていた)、そのうち祖母は自身の年齢もわからなくなって、どんどん若返り、いつのまにか幼い少女になっていた。最後のころは自分自身の名前さえ思い出せなくなってしまったのだった。母も最近、物忘れが酷くなった。母とは、夫の病気とコロナ禍の国境閉鎖で3年近く会えておらず、電話で話すだけなので余計にそう感じてしまうのかもしれないのだけれど、会話をしていても辻褄の合わないことが多くなった。息子が合格したときも「まあ、それは良かったね。おめでとう!」とすごく喜んでくれて、父にも伝えると言っていたのに、全く父には伝わっていなかった。その翌週も、その次に電話したときも今初めて聞いたかのように「まあ、それは良かったね。おめでとう!」と喜んでいた。そうして話の辻褄が合わなくなってくると自分でもおかしいと気づくのか、そそくさと電話を切ってしまう。突然ブツッと切れて「プープープー」と鳴り出すのももはや日常茶飯事である。昔はそんなことは絶対にしなかったのに…。とはいえ母は80歳を過ぎている。祖母も混乱が始まったのは90近かった。私の場合、この年で認知症が始まってしまうっていうのは…スーパーで立ち話をしたその日、日本の同年代の友達と話した。5、6分前には覚えていた名前が思い出せなかった話をしたところ「そんなの、私もよくあるよ。心配することないよ」と笑い飛ばし、自分の失敗談を話してくれた。慌ただしく疲れ切って帰宅し、マンションのポストを開けようとして暗証番号が思い出せなかったのだそうだ。20年程そこに住みポストの番号も押し慣れているのに、なんとしても思い出すことができず結局、ダンナさんに電話して番号を聞いたのだという。「3桁だったのに、そのときはなんでだか4桁だと思い込んでしまっていたの。それで全然ダメだったのね」と。屈託のない笑い声に、そうか、皆そういうことってあるよね、と一緒に笑った。まあ実際、自分たちがそうだからといって、それが年齢的に自然な現象なのかどうかはわからないのだけれど。度忘れと認知症の境はどこだろうか…。などと考えつつ思ったのだった。そうか、これってば「ロックダウン惚け」なのかも、と。うちの祖母に限らず、寝たきりになると認知症の兆候が始まることが多いという。思えば去年今年とロックダウンが続いて、移動は5キロ圏内とか外出理由は生活必需品の買い出しにエクササイズなど4つだけだとか(今年はこれにワクチン接種が加わったけど)、外出の規制はもとより、いろんな機関が閉鎖されて、人と会う機会も激減してしまった。日常世界が極端に狭くなって、毎日が単調になったせいで、記憶力にも弊害が出ているのかもしれないナ。私の場合、以前にもまして(カタカナの) 名前が思い出せなくなってしまったのも、そのせいじゃあなかろうか?とか。だから、ロックダウンが明ければ―自分の度忘れや物忘れも少なくなってゆくのではなかろーか?いや、ゆくだろう。つーか、ゆくと思いたい。まだまだコロナ禍、油断はできませんが、皆様もお身体にお気をつけてお過ごしくださいませ。写真は、我が家の友達マグパイ一家。ロックダウン中も毎日遊びに来てくれていましたが、このところティーンエイジャーに成長した雛鳥連れで現れるようになりました。右からママさん、雛ちゃん、パパさん。実はこの夫婦、一昨年は交通事故で、去年は嵐で2年続けて雛鳥を亡くしている。今年こそはこの子が無事に成長できますように、と切望してます。大きくなってね!にほんブログ村に参加しています。よろしければポチっと応援クリック、お願いいたします(^^♪にほんブログ村 [マックあつこの著書]『Tamagoー39歳の不妊治療』えっ、不妊症!? ミラー月子はたまご時計に急かされながらベイビーを夢見て先の見えない旅に出た。メルボルンからアラフォー妊活小説『Tamagoー39歳の不妊治療』 Kindle電子書籍『Tamagoー39歳の不妊治療』単行本『インスタント・ニルヴァーナ』もしもあなたの大切な人がカルトの罠に嵌ってしまったら? マインドコントロールの鎖は密かに繋がれてゆく。サスペンス長編3部作『インスタント・ニルヴァーナ 上巻』 Kindle電子書籍『インスタント・ニルヴァーナ 中巻』 Kindle電子書籍『インスタント・ニルヴァーナ 下巻』 Kindle電子書籍[Ako Mak 英語の著書]『Someday, IVF at 39』‘Someday, IVF at 39’ ―poignant, humorous and mysterious― a cross-cultural odyssey for motherhood.『Somedsay, IVF at 39』 英語版Kindle電子書籍[マックあつこのHP]マックあつこのHP Ako Mak HP
2021.11.01
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水の音に気がついたのはいつだっただろう?ランドリーに立つと、窓の向こうサイドガーデンからシューッと何か水の流れるような、漏れるような音がするのに気がついた。キッチンとかバスルームで水を使っていてそれが水道管を流れる音か、外に設置された湯沸かし器の関係かな、と考えた。2、3日するとその音は少し大きくなっていた。耳を欹てれば、どうやら隣家との壁の向こうから聞こえてくるようだった。ああ、隣の家のスプリンクラーの音だったのか。去年は目覚めたら1階が水に浸っていた。そのときの経験のせいで(過去ブログに⇒ 2020年8月の「2度目の洪水と亡き夫の夢」)水の音にはどうしても神経質になってしまう。その後雨が続いたので判然とはしなかったのだけど、気を付けてみると、朝も昼も夜もず~っとその音はしているようだった。さすがに隣家のスプリンクラーにしてはおかしいと気がついた。毎日24時間1日中、庭に水をやり続けるなんてことがあるだろうか?それにしても、滅多に足を踏み入れることもないサイドガーデンはろくに手入れもされず、芝や雑草も伸び放題。蛇とか蜘蛛とかが生息していそうで不気味な感じ。それでも娘が雨の中、傘を差して壁に絡まる蔦を払いつつ水音の原因を探りに行ってくれた。暫くすると、音は隣の家からするようだと戻ってきた。やっぱり、隣んち、水漏れしてるんだ…。でもって、我が家同様、お隣の人もあの辺りには滅多に出ないようだから気づいてないのかもしれないナ。教えてあげたかったけど、電話番号は知らないし、コロナ禍のロックダウン中でお家訪問はご法度。違反したら、5千ドルを超す 法外な罰金(なんと45万円近い!?)が課せられてしまう。フェンス越に叫んであげた方がいいのかなぁ?とも思ったけれど、さすがにそれは憚られた。お隣さん、早く気がつけばいいのになぁ~などと案じていたら翌日の夜、音が俄然大きくなっていた。外は雨だというのに、もはや耳を欹てる必要もなく、すぐ傍から聞こえてくるような感じである。確かめに行こうかと思ったけれど外は暗いし、雨も降っている。骨折した右足は完治には遠く、よたよた右足を引きずり傘を差し、懐中電灯の明かりを頼りに蔦を掻き分け、雑草と小石の上を歩いてゆく気にはとてもなれない。かといって子どもたちに頼むのも気が引けた。とにかく夜が明けて、朝になったら見に行こうと心に誓う。翌朝―果たして、漏れていたのは我が家のパイプだった。外のデカイ湯沸かし器に何本も繋がれたパイプの辺りから勢いよく水が噴き出していたのだ。「でも前に見に来たときには大丈夫だったのになぁ…」と、娘が首を傾げている。とにかくホーム・エマージェンシーの会社に電話を入れた。去年、夜中に洗濯機のパイプが外れて家中水浸しになったとき、最初にお世話になった会社である。これで少なくとも水は止まるハズである。1時間ほどでそこが手配してくれた配管工の方が駆けつけてくれた。ホッとしたのも束の間― 配管工のおじさん(といっても自分よりたぶん年下)は現場を見るや首を振った。水は湯沸かし器に繋がれた外のパイプからではなく、家の中のパイプから漏れている。それが勢いを増してレンガの壁を突き破り噴き出してきたのだ。たぶんこの間の地震のせいで水道管が破損して、こういう事態になったのだろう、と。さっきは慌てていて気づかなかったけど、改めて見てみれば確かに水は湯沸かし器のパイプではなく、レンガの壁の亀裂から水飛沫をあげていた。だから数日前に見に行ってくれた娘は気づかなかったのだ。きっとあのときはまだ壁を突き破るほどには破損していなかったのだろう。実際、メルボルンでは十日ほど前に珍しく大きな地震があったのだった。メルボルンで地震なんて!? と驚いてしまったけれど、その地震はビクトリア州史上稀にみるほど大きくて、倒壊してしまった建物さえあったのだ。地震のせいで停電した地域もあったそうで、友達の家も停電したという。我が家は水晶玉が転がったくらいで大した被害もなく済んだと思っていたけれど、実はあのとき壁の中では水道管が圧迫されて破損してしまっていたのだった!?原因はわかったものの、対処するにはまずレンガの壁を壊さなければならない、とおじさんはすまなそうに告げた。今はその道具もないし、壁を壊して調べてみないと状況もわからず、修理には時間がかかるだろう。自分はホーム・エマージェンシーの会社から手配されて来たけれど、勤務先の配管工事会社は週末休みなので、今ここでこの修理をするのは無理だ。別に料金がかかるけど自分の会社に修理を頼むなら予約を入れますよ、と。いくらくらいかかるのかと聞いてみたけれど、壁を壊して被害状況を見るまではわからないとのこと。とにかく会社の開く月曜までは大元の元栓を締めて凌ぐしかないと、前庭にある元栓の場所と締め方を教えてくれた。そうして、帰ってしまったのだった。ひゅるるる~水は相変わらずレンガの壁から朗らかに噴き出している。そう、あいにくその日は土曜日だった。どうして我が家の水害はいつも週末にあたるのか? 思い返せば去年、家電洪水に見舞われたのは日曜の朝、天井の水漏れに気がついたのは土曜の朝だった。そうして週末たいていの配管工事会社はお休みである。再度、ひゅるるる~マインド・ボディ・スピリット・フェスティバルで霊視してもらったときに言われたことを思い出した。もうずいぶんと前の話になるけれど、NSW州警察の捜査を手伝うこともあるという霊能者だった。あなた、今住んでる家から、もうすぐ引っ越すことになると思う。今の家は何かがおかしいの。Water Element、水に関することで。家の中を走る水道管か水脈か、何かわからないけれど水害の相が出ているよ、と。引っ越しなんて面倒だし、その後も相変わらずこの家に居座っているけれど、実際あの後2回も洪水に見舞われたのだった(最初の洪水の話も過去ブログに⇒ 2010年5月の「ひぇ~、家が!!!」)。ここ1年半なんて右手の指では数えきれないほど配管工のお世話になっているし、やっぱここってば水難の・・・。いやいや、単に家が古くなって老朽化したせいだろうけど。とりあえずさっきの方に予約を頼んではいたものの、だんだんと不安になってきた。水の勢いはやはり時間が経つほど増してくる。水を使うたびに前庭に出て行って、大元の元栓をいちいち開け閉めして使うとしても、果たして月曜までもつのだろうか? あの配管工の方は「水漏れということで優先されるハズだから、たぶん月曜には修理してもらえるだろう」と言っていたけれど、まんいち火曜とか水曜になってしまったら…。このままだと水の勢いが加速して…思わずググって広告の最初に出てきた、「24時間7日間休まず営業」のキャッチを背負った配管工事会社に電話を入れてしまった。週末でCall Out Feeも割増しになって、それだけで98ドルがかかるとのこと。高いだろ、それ! 来てもらうだけで大枚払うっていうのは…。迷ったものの、背に腹は代えられない、と思い切って頼むことにした。2時間半ほどで配管工の方がやって来た。前回の人当たりのいいおじさんとは対照的に、ムッチョマッチョな体にタトゥー満載、強面に鼻ピアスの兄ちゃんが玄関先にブスっとして立っていた。外見で人を判断してはいけないが、道に迷っても私はたぶん彼に聞くことはないだろう。鼻ピアスのムッチョな兄ちゃんは件の場所だけ聞くと、一人でじっくり状況を調べたいからと行ってしまった。暫くして戻ってくると言った。「今ボスと話したんだけど、レンガの壁を壊してパイプを直さなきゃならないから、料金は990ドル。だけど壊したレンガは俺じゃ直せないから、大工かハンディマンに直してもらえばいい」直してもらえばいいって、別料金でっ!? 990ドルって、千ドルの一歩手前っ!?ですかっ!! 「そんなにするんですかっ!? そのうえ大工さんの工賃までっ!?」呆然とする私に言い訳するかのように鼻ピアスの兄ちゃんはぼそぼそと付け足した。「でも週末だし。レンガだし。俺、大工じゃないし…」それからボスに聞いてみるとスマホを取り出した。「ボスが現金で払えるなら、850ドルでいいって言ってるけど」「現金ですか・・・。850ドルって、まさかコールアウト費は込みなんでしょうねっ」と、確かめる声が我知らず裏返ってしまった。動揺しつつ、今朝配管工のおじさんが言っていた工事費のことを思い出した。パイプの破損状況がわからないから見積りは出せないと言ったけど、確か1時間当たりの工事費が185ドル、その後は15分単位で35ドルかかるとか言っていた。なら、2時間かかったとしても400ドルはしない。やはり、この額は…。「もういいです…」と断って、コールアウト費を支払うため財布を取りに行った。ついでに今朝おじさんが話していた工賃を確認しようと娘を呼んだ。娘と戻ってみると、鼻ピアスの兄ちゃんが電話でまたボスと話しているところだった。「ボスが特別に、750ドルでいいって言っている。コールアウト費込みで750ドル。ただし、現金で。俺がもうここに来ているから、特別の特別でまけるってさ」やたらと「特別」を強調する兄ちゃんの言い値に顔を見合わせる私たち親子。ダメ押しをするかのように、兄ちゃんは恩着せがましく畳みかける。「現金で750ドルぽっきり。特別の特別料金だぜ」特別の特別料金だと言われても、それが高いものかお得なものなのか…。壁の向こう、破損したパイプを見るまでは被害状況がわからないってこともあったけど、そもそも配管工事市場の相場がよく分からないのだ。私にわかることは只一つ。この人たち、ボッテルよね。この値の下げ方、間違いなくボッテルだろ。なのに、心配性の自分が顔を出してしまった。でも週末このままずっと壁から水が噴き出していても、いいの?と。今朝のおじさんも言ってたけど、予約した会社が月曜に来てくれるって保証はないんだよ。それまでパイプの破損がもつという保証も、そっちの会社の方が安いっていう保証も…。破損が酷くなって結局、修理にもっとかかっちゃうってことも考えられるんだよ、と。ひるんだ心にトドメを差すかのように面倒臭がりの自分が問いかけてきた。ちょっとくらいボラレていても、今ここで直しちゃった方が楽なんじゃないの?と。葛藤する私を見兼ねたように、やはり面倒臭がり遺伝子を引き継いだ娘が肩を押してくれた。「ママ、いいんじゃないの。まけてくれるって言ってるんだし。これで直してもらえるなら安心だもの」、と。腑に落ちないながらも、その数分後には商店街へと車を走らせていた。商店街のATMで現金を引き出したものの、今更ながら「ボラレ感」に圧倒されていた。頭の中をシングル・オージーの女友達の愚痴がぐるぐると駆け巡っている。「まったく。プラマーもカーペンターも、建築現場は男社会だから、女だと甘く見てすぐボッタクルのよ」とか、「女だと相場がわかんないと思って、ボルからね」とか。そんな愚痴を聞くたびに、生まれも育ちもオージーの彼女たちがそう言っているのだから、英語を母国語としない外国人で、相場もろくにわからないような自分が、ボラレないようにするのは至難の業だな、と常々思ってはいた。それにしても…日本に住んでいたらどうだったんだろう?とふと思った。日本でもこういうことでボラレるってことはあるんだろうか?大阪旅行でお世話になった鍵屋のおじさんが思い出された。会社のホームページにはスーツケース1個で料金は8千円と書かれていて、料金に関しては電話でも確認したのに、実際会ってみると、料金は鍵穴の数で加算されるのだ(!?)とか言ってきた。私のスーツケースには鍵穴が3か所についているから、3つで2万4千円!とか吹っ掛けられて憤慨したものだった。じゃあ、夫が生きていたらどうだったろう? 彼ならボラレなかっただろうかとふと思う。いいや、たぶん彼ならもっとボラレタはずだ。ダディンは人前で紳士然として振舞いたい方で、「何それ高いだろ」とか言ってネギるタイプでは全然なかった。何より忙しかったから、相場をリサーチすることもなく、言われた額をすんなり支払っていたと思われる。もしかしたら今日も言われるままに最初の言い値で980ドルをすんなりと支払ってしまったかもしれないナ。そう考えたら少しだけ気分が楽になった。ATMでお金を引き落とした後、ついでにカフェラッテをテイクアウェイしてから戻った。最初は990ドルとか言っていたのだから、きっと工事は半日か、場合によっては1日仕事になるんだろうから。現金とカフェラッテを手に戻ると、ちょうど裏庭のドアから廊下を歩いてくる鼻ピアスにタトゥーの兄ちゃんと出くわした。目が合うと、思いもよらず、彼は照れたようににっこりと笑った。強面の彼が見せた初めての笑顔だった。人懐っこい笑顔に、ムッチョマッチョな強面が突然ずいぶんと幼く見えた。子どもたちには配管工のひとに呼ばれたらすぐ行けるよう階下にいるように頼んだので、二人とも裏庭に面したファミリールームでパソコンを開いていた。「あのひと何度もここを行ったり来たりしてるけど、一度も呼ばれなかったよ」と、娘。「必要な工具を探していたんでしょ、きっと。彼も大変なのよ。大掛かりな作業みたいだものね」と、私。だけどそれから15分と経たずに、「終わったよ」と兄ちゃんがやって来た。えっ、もう!? ずいぶんと早いじゃないの…。面食らう私をよそに、彼は来たときの仏頂面が嘘のように愛想よく告げた。「水道の元栓締めて作業したんで、最初ボコボコ空気の入った水が出てくるかもしれないけど、ノー・ウォーリィ! 暫く流してたら、直るから。念のため、どの蛇口からも水が出るか試してくれる?」そうして、すべての蛇口から正常に水が流れ出したのを確認すると、配管工の兄ちゃんは帰っていった。「何か後でまだ問題あったら、タダで直すから連絡してくれ」と、去ってゆく彼のムッチョな後ろ姿を憮然として見送ってしまった。最後に付け足された「No Charge無料で」という言葉が空しく耳の奥に反響していた。時計を見れば、鼻ピアスのにいちゃんが我が家に来てから、料金のことで揉めていた時間を入れても、1時間と経っていないのだ。ということは、月曜日まで待っていれば185ドルとかで修理できたってワケで…。どんよりした気持ちで、思わず配管工事の平均的料金を今頃ググってしまった。メルボルンの1時間当たりの平均工賃は、45ドルから200ドルだという。って、それにしても、平均値の幅、広っ! これを以前調べたときには平均工賃の幅が広すぎて参考にならないと思ったけれど、今回は明らかに参考になった。あの会社、ボリ過ぎだろ。週末とはいえ、最高工賃の更に3.5倍もボッただろっ!自分の甘さが悔やまれたけど、思えばあのとき被害状況はレンガの壁に隠されていてわからなかったのだ。仕方ないといえば仕方なかったのかもしれないナ。ああ、だから!と、ふいに合点がいった。そうか、だからあのタイミングでサインを頼んできたんだ。ふつうは配管工事が終わった後にサインを求められるのだけど、今回の会社は750ドルでの修理を承諾した途端に「じゃあ、ここに」と、サインを要求してきたのだった。あれはあっという間に仕事が終わってしまった場合に料金の支払いで揉めることのないよう、先手を打っていたのだろう。キーッ! 腹が立ったものの、すべてはもう後の祭りである。あの鼻ピアスにタトゥー満載の兄ちゃんに、今更いくら腹を立てたところで、後悔先に立たず。それで払い戻しがされるわけじゃなし。それに彼は単にボスの指示で労働していただけだし。しかも週末に…。うちのパイプを(値段はともかく)直してくれて、どうもありがとう!である。会社の方は忌々しいものの、今更ここで怒っていても始まらない。実際週末は賃金も高くなるし、コロナのご時世で経営もいろいろと大変なんだろうし…。今度こういうことがあったら、どう対処しようか?と予防策を考えながらも、脱力感に襲われてしまった。こんなとき絶対に考えてはいけないことは、その額だけあったら何が買えただろう?とか、何ができただろう?とか、そういうことだ。今、自分に問いかけねばならないことは、一月後、一年後、十年後― 果たして自分は未だこのことを後悔しているだろうか?ということ。そうして、死ぬときには? 死に際に今日の日を思い出して、あああのとき月曜まで待てば…とか後悔しているんだろうか?と。ほぉら、間違いなく、人生の終末に思い出して後悔してしまうような類の記憶じゃあなかったでしょうが。結局のところ、日々是行也。これもサムサラなこの世に生きる「里の行」だと割り切って、心に平安を取り戻そう。さあ、平常心―その夜、ラウンドリーに立って、耳を欹てたけれど、もう水の音もせず、辺りは静寂に包まれていた。少なくとも水音は止んだのだった。鼻ピアスの兄ちゃんが壊していった壁の穴には、ネズミでも入ってきたらマズイので、とりあえず物置にあったレンガにタオルを巻いて塞いでおいた。ああ、次はハンディマンか大工さんを探さなくては…。写真は、我が家の裏庭。メルボルンは春爛漫。サツキもガーデニアも満開で、裏庭が一番華やぐ季節です。にほんブログ村に参加しています。応援クリックを頂けると、励みになります。にほんブログ村 [マックあつこの著書]『Tamagoー39歳の不妊治療』えっ、不妊症!? ミラー月子はたまご時計に急かされながらベイビーを夢見て先の見えない旅に出た。メルボルンからアラフォー妊活小説『Tamagoー39歳の不妊治療』 Kindle電子書籍『Tamagoー39歳の不妊治療』単行本『インスタント・ニルヴァーナ』もしもあなたの大切な人がカルトの罠に嵌ってしまったら? マインドコントロールの鎖は密かに繋がれてゆく。サスペンス長編3部作『インスタント・ニルヴァーナ 上巻』 Kindle電子書籍『インスタント・ニルヴァーナ 中巻』 Kindle電子書籍『インスタント・ニルヴァーナ 下巻』 Kindle電子書籍[Ako Mak 英語の著書]『Someday, IVF at 39』‘Someday, IVF at 39’ ―poignant, humorous and mysterious― a cross-cultural odyssey for motherhood.『Somedsay, IVF at 39』 英語版Kindle電子書籍[マックあつこのHP]マックあつこのHP Ako Mak HP
2021.10.08
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9月―メルボルンは、暦の上では春。街路樹や家々の庭先の蕾もほころんで、色とりどりに春めいている。自然に心の浮き立つ季節だけど、前回のブログで触れた先月5日の夜から始まった6回目のロックダウンはまだ続いている。この間にメルボルンはロックダウン延べ日数200日記念さえ迎えてしまった!?んだそうな。ここに骨折で籠った期間を加えると、ああ、自分ってばずいぶんとロックダウンしているんだなぁって、妙な感慨が・・・(笑)。とはいえ、2回目のコロナワクチン接種も無事に完了した。2回目はワクチンハブではなく地元の病院で予約して車で行ったのだけれど、注射を打ってから15分間様子見で待合室に入るより早く、打った辺りの腕がもう重痛くなってきた。あっ、これが噂に聞く、ファイザーの場合2回目の方が重いってやつねっ、帰りの運転は大丈夫だろーかっ、と身構えてしまった。だけどその病院のマネージメントをしている友達が話しかけてきて、こんなところで会うなんて奇遇だねぇ~とか世間話をしているうちに気がつけば痛みは消えていた。運転中に痛みがぶり返すこともなく、スムーズに家路に着けた。翌日はなんとな~く身体がだるくて眠かったくらいで、さした副反応も起きなかった。それでも1回目の接種では全く翌日には残らなかったので、やはり2回目の方が重かったんだろう。まあ、全く反応がないのも自分には今一つ効かなかったのかしら?とそれはそれで心配になるので、それなりに身体が反応してくれて良かったってところかな。子どもたちも今月半ばに1回目のファイザーワクチンを接種してもらえることになって、ひとまずほっとした。9月に入ってからのビクトリア州知事の話では、もはや「感染者数0」を目指すのは止めて、今後は「コロナと生きる」、ワクチン接種の普及率に焦点を当てるのだそうだ。さしあたっての目標は9月23日までに州70%が1回目のワクチン接種を終えて、これで一部規制が緩和される。70%が2度のワクチン接種を終えた暁にはロックダウンも解除されて、「Normal」ふつーの生活に戻れる!かもしれない。そうして80%で遂に国境も開く!と、そう信じたい。まあ、ウィルスの変異次第で状況も刻々と変わるので判然とはしないのだけれど…。最近日本にいる高齢の両親、とりわけ母が「私もどれだけこの家で暮らせるかわからないから…」とか、「そろそろお迎えが…」とか電話口で弱気な発言をすることが多くなった。そんな話を国際電話でか細い声で呟かれると、心配心にも拍車がかかってしまう。誰もが願っていることだろうけど、ほんと~に早くコロナが収まってほしいものです。そんなわけで先日の父の日も、メルボルンは去年に続きロックダウンだった。ちなみに日本では6月第3週の日曜が父の日だけど、オーストラリアでは9月第1週の日曜日である。夫が亡くなって、2回目のFather’s Day。今年は子どもたちがダディンを偲んで夕食を作ってくれた。彼の好きだった、そして自分たちでも作れそうなポテトサラダとチョコレートマッドケーキを。子どもたちは一緒にキッチンに立ち、案外楽しそうに料理をしていた。4歳も年が離れているうえに性別も違うのに、二人はびっくりするほど仲が良い。昔から面倒見は良いんだけれど料理は苦手のお姉ちゃん、妙に凝り性で試したがりの弟。それぞれ自分の作業をマイペースに進めながらも手伝い合って、時々大笑いしている。私はそんな二人をカメラに収めたり、手伝ったり。ダディンの癌がわかったとき息子は未だ小学5年生、娘は高校1年生だった。父親を亡くしたとき息子は13歳、娘は18歳になったとこだった。自分の両親は未だに健在なので、こんなに早く父親を亡くしてしまった子どもたちをやはり不憫に思ってしまう。ダディンはものすごぅく子煩悩な父親だった。そんな彼が、まだ声変わりもしていなかった息子や、勉強は恐ろしくできても(VCEもビクトリア州のトップクラス、結果が出るやすぐに大学から奨学金のオファーが二つもきた!)、ほとんど浮世離れしておっとりした娘、二人を残して逝かなくてはならなかったことは、どれほど辛かったことだろうか。父親を偲んでキッチンに立つ子どもたちを撮りながら心の中で夫に話しかけていた。子どもたちなら大丈夫だよ、と。そりゃあ胸の内では父親の不在を淋しがっているだろうけれど、こんなに前向きで優しい子に育っているよ。父親の分までは無理でも、私もできるだけこの子たちが笑っていられるようにこれからも支え続けてゆくからね、と。一昨年の父の日は、彼の最後の抗癌治療となってしまった、そして初めて参加した実験的治療でもあった、放射性核種内用療法をシドニーで始めた週だった。副作用も殆どないと聞いていたけれど、あれは(あれも?)残酷な治療だった。夫はシドニーで初めての治療を終えて金曜の夜に家に戻ってきたのだけれど、まんいち子どもたちに影響が出ないようにと治療後の3日間一緒に過ごす時間を制限されてしまったのだった。思いもよらなかった医師団からの指示だった。ハグもできない。そんな父の日は初めてだった。それで父の日のお祝いは延期して翌週の日曜にすることにしたのだった。それが彼の最後の父の日になってしまったわけだ。それ以前の父の日はいつも家族で遠出をしていた。車の中で食べたり歌ったり、ゲームをしたり。子どもたちがドライブの旅を喜んだから海や山へ、ビクトリア州内ではあったけど日帰りの旅をするのが我が家の習慣だった。浜辺やブッシュや雪山で砂の惑星ごっこやハリーポッター、探検隊ごっこ、子どもたちが決めたしょーもないシチュエーション遊びに家族で盛り上がったものだ。先日息子が昔の写真を見たいと言い出した。それでいつかアルバムにまとめようと思いながらもそのままになっていたCDやSDカード、USBを引き出しから引っ張り出してきた。なんとなく開いたCDは息子が2歳、娘が6歳のものだった。あどけない二人の笑顔、泣き顔、ふざけ顔に懐かしい記憶が一気に噴き出してしまった。なんて可愛いの、愛しいの!次に息子が手にしたSDカードは、彼が小学2年生、娘が中学1年生。幼いころは女の子と間違われることも多かった息子はまだ真ん丸のベイビーフェイスで、娘は今の面影を残しながらも思春期のぽっちゃりさんで…。夫も若かったけれど、私も若かった。家族4人で京都を旅行したときの写真や、ゴールドコーストに行った写真や・・・。「あのころは二人ともほんと可愛かったなぁ~」と、思わず溜息が漏れてしまった。そんな私を諭すように、娘。「でもねママ、後十年経って今の私たちの写真を見たらきっとママは、ああ、あの頃の二人は可愛かったなぁって言うんだよ」そういえば、娘は中学生のころもそんなことを言っていた。子どもたちの幼いころを思い出して可愛かった~と私が懐かしむと、「でもね、後何年か経ったとき、ママは小学3年生のムゥと中学2年生の私を思い出して、あの頃の子どもたちは可愛かったなぁとか言うんだよ、きっと。だから今の私たちを楽しんでね。小学3年生のムゥも中学2年生の私もすぐにまた大きくなっちゃうからね。時間なんてすぐに経っちゃうんだからね」、と。高校生の時もやっぱりそんなことを言っていたっけ。本当に、そう。メェの言うとおりだよねぇ。きっといつの日か、この父の日のことを懐かしく思い出す日が来るんだろうな。あぁ、2021年の父の日もロックダウンだったけど、子どもたちがダディンを偲んでケーキを焼いてくれて、ポテトサラダも作ってくれたんだったよなぁ。あの頃はまだ二人ともティーンネイジャーで、おふざけのお茶目さんで、可愛かったなぁ、とか。振り返ればロックダウンも、家が洪水に見舞われたことも、階段から転げ落ちて車椅子生活をしたことさえ懐かしく思い出すんだろう。ダディンのいた最後の父の日さえ。切なさよりも、愛しく大切な思い出として。子どもたちが2歳児と6歳児に戻ることも、ダディンと4人家族に戻ることもないけれど、だからこそ尊く、愛しい。未来から振り返れば、きっと堪らなく懐かしい思い出。1日1日をこれからも大切に過ごしたいとは思う。にほんブログ村に参加しています。応援クリックをよろしくお願いいたします(^^♪にほんブログ村[マックあつこの著書]『Tamagoー39歳の不妊治療』えっ、不妊症!? ミラー月子はたまご時計に急かされながらベイビーを夢見て先の見えない旅に出た。メルボルンからアラフォー妊活小説『Tamagoー39歳の不妊治療』 Kindle電子書籍『Tamagoー39歳の不妊治療』単行本『インスタント・ニルヴァーナ』もしもあなたの大切な人がカルトの罠に嵌ってしまったら? マインドコントロールの鎖は密かに繋がれてゆく。サスペンス長編3部作『インスタント・ニルヴァーナ 上巻』 Kindle電子書籍『インスタント・ニルヴァーナ 中巻』 Kindle電子書籍『インスタント・ニルヴァーナ 下巻』 Kindle電子書籍[Ako Mak 英語の著書]『Someday, IVF at 39』‘Someday, IVF at 39’ ―poignant, humorous and mysterious― a cross-cultural odyssey for motherhood.『Somedsay, IVF at 39』 英語版Kindle電子書籍[マックあつこのHP]マックあつこのHP Ako Mak HP
2021.09.09
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先週メルボルンはコロナによる5回目2週間のロックダウンが明けた。と思ったら、一昨日の夜からまたもやロックダウンが始まってしまった。今回6回目のロックダウンである。かつて世界一暮らしやすい都市という栄冠を手にしたこともあるメルボルンだけど、去年は世界一ロックダウンな都市と謳われていた。何といっても7月半ばから10月末まで、3か月以上の都市封鎖に外出規制がかかっていたのだから。規制も移動は5キロ圏内だの、夜8時以降は外出禁止だの、許可されるのは食料品や必需品の買い出し、介護と医療、許可された仕事と通学、エクササイズと4つの理由のみだの、とにかく厳しい。今年はここに5つ目の外出許可理由、ワクチン接種が加わった。そうしてロックダウンになるまでが、早い。デルタ株が猛威を振るうようになってその傾向はますます強くなった。初めが肝心と、ビクトリア州など数人のローカル感染が確認された途端にロックダウンがかかってしまう。今回もあっという間だった。朝、8日ぶりに一人コミュニティ感染が確認されたとニュースでやっていたナと思っていたら、午後にはもうロックダウンのニュースである。その日来ることになっていた業者も会うことになっていた友人も、何時から活動禁止がかかってしまうかわからないからと、予定の前倒しを頼んできた。ひとたびロックダウンがかかると、州境ばかりか州内でも田舎と都市部の線引きがされてしまう。これだからうっかり遠出もできない。去年ビクトリア州3か月のロックダウン明けに、ブリスベンに住むご両親が心配だと実家に里帰りした友達は、突如またロックダウンがかかってしまって、夫と子供たちのいる自宅に数週間戻れなくなったそう。それでも彼女の場合、両親の家に滞在できたから不幸中の幸いとも言えたけど、ホリデー中のホテル滞在とかだったらどうなってしまうんだろうか?日々嵩んでゆく宿泊費を考えるだけでも恐ろしい…というものだ。コロナ騒動以来オーストラリアは基本的に国境を封鎖しているので、政府は観光業界を支えるため国民に国内旅行に出よう!と訴えている。けれどこんな状況で、どうしてケアンズ旅行とかを計画したくなるっていうんだろーか?だいたい去年3月(今年ではなく)にロックダウンが始まってから海外で足止めされたまま、未だに国に戻れないでいる気の毒なオージーが大勢いるという。出たら最後、いつ戻れるのかもわからないような状況では、私も日本への一時帰国なんて夢のまた夢…って現状である。そんなオーストラリアのワクチン接種。大陸国家という地理的条件と厳しいロックダウンで、去年のクリスマス前にはコロナ感染も落ち着いていたので、ワクチン接種に関して政府もわりとのんびり構えていたようなところがあった。今年になって世界中で変異株が猛威を振るい始め、アメリカやヨーロッパのワクチン接種が進んでくると、オーストラリア政府もワクチン接種率の低さを案じ始めた。でもメインのワクチンがアストロゼニカだったため血栓や深刻な副反応を心配する声もあって遅々として進まなかったのだ。今ではオーストラリア大陸にもデルタが入り込み、政府も国民皆ワクチン接種を訴えている。とりわけお隣のNSW州などデルタ感染が収まらずロックダウンが長引いているので、抜け出す鍵はもはやワクチン接種しかない!と、ビクトリア州では60歳以上の接種に用いられているアストロゼニカのワクチンを、希望する若年層には開放し始めた(追伸、この後8月9日からビクトリア州でも同様になりました)。全体70%の接種が済めばロックダウンの心配もなくなるから、一人でも多くの人にワクチンを打ってほしいと、州民に訴える州知事の声にも切羽詰まったものがある。ちなみにオーストラリア政府の目下の目標は、12月中に国民80%ワクチン接種完了だそうで、そうなると国境も開き、海外旅行も自由になる、と。ああ、自由。今となっては、お財布や子どもたちの休みと相談しながら日本への一時帰国を決めていた記憶がもはや遠~い昔の話のようだ。とにかく、私もコロナワクチンを打ってこよう!と思い立った。前回のロックダウン中のことだ。大量のファイザーワクチンが到着すると報道されていたし、幸い足の怪我も治ってきた。ムーンブーツなしでも歩けるようになっていたし、これならワクチン会場の周りにとぐろを巻く長蛇の列に加わってもなんとか踏ん張り立って待てそうだと思って。いずれにしてもファイザーの予約は立て込むというからすぐにはできないだろうけど、せめて予約だけでも入れておきたいな、と。早速ビクトリア州の予約サイトに行ってみた。コロナワクチンを打てる近場の病院を見つけて予約を取ろうとしたけれど、入らない。6月、7月、8月、9月―年末へとサイト上のカレンダーを捲り続け、遂には年明け2022年を進むが、6月でフリーズしてしまった…。仕方ないので今度は距離を伸ばし、ど~んどん遠くの病院に行ってみたけれど、いずこも同じ。だいたい2022年半ばに入ったくらいでパソコン画面がフリーズしてしまう。そんな先の予約はまだできないのかもしれないと諦めた。そんなことを数日繰り返した後、これはもうどこへ行ってもファイザーのワクチン予約は埋まってしまったのだろうと判断して止めた。次にまた大量のワクチンが到着するときやってみよう。そんなおりUberに乗ったら「コロナワクチンは打ったかい?」とドライバーさんに聞かれた。「いえ、まだ。全然予約が入らなくて」「俺は打ったよ。先週ね」と嬉しそうに告げる彼はどう見ても40代で、ファイザーワクチンの年齢層である。「ファイザーですよね? よく予約取れましたね。人と会う機会の多いお仕事だからフロントワーカーとして、やっぱり優先されるんでしょうね」「いやいや、仕事は関係ないよ。電話したんだ。早起きして朝の4時に。すぐに繋がったよ。一発だったね。いいかい、人のいない空いた時間を狙うんだ。それがコツだよ」とインド系(たぶん)の運転手さんは振り返って、自信たっぷりに頷いてみせた。ダッシュボードの上では金色のヒンズー教と思しき神様が躍るように輝いていた。躍動感あふれる輝きはあたかも天が、ほらあなたも試してごらぁんと言っているかのようだった。たった5分間ほどの乗車だったけど、なにか耳寄りな情報を頂いたような。早速その夜、ビクトリア州のコロナワクチンホットラインに電話してみた。さすがに4時起きは躊躇われて、比較的空きそうな夕食時を狙って。あくまでも「比較的」空きそうな時間帯だったので、Uberの運転手さんが言っていたように一発というわけにはいかなかったけれども、20分と待たずに電話は繋がった。コロナワクチンをネットで予約しようとしてもできなかったことを告げると、名前や生年月日や住所など基本的な個人情報を聞かれた後、家から近い接種会場を2箇所提示された。「シティにあるハブと郊外のハブ、どちらがいい?」どちらも病院ではなく、イベント会場に設置されたワクチンハブである。シティの方はスピ系イベントMind Body Spirit Festivalや、ダライラマ法王のツアーも開催されたセンターで、私も何度も行っている。そっちをお願いすると、今度は「いつがいいですか?」と聞かれた。どうせ2、3か月か悪くすると年内は予約も入らないだろうと踏んでいたので、「予約が取れたら何としても都合をつけるのでいつでもいいです」と言っておいた。するとあっさり「じゃあ、明後日のお昼ね」「えっ、明後日!? そんな近日ですかっ」面食らってしまった。それにその日はどうしても外せない予定が入っている。1分前に「いつでも都合をつける」と言った舌の根も乾かぬうちに、その日は都合が悪いとおずおず変更を頼むと、その翌日の予約を取ってくれた!?のだった。あまりの呆気なさに思わず「ファイザーですよね?」と確認してしまったほどだ。こうしてネットではあれほど入らなかった予約が、Uberの運転手さんにならって電話してみたところあっさりと入ってしまったのだった。しかも3日後に。なんだか拍子抜けしつつ、やはりファイザーの予約が入らないと言っていた友達に早速電話予約をおススメしてみた。まだ足が不自由なので電車やトラムを乗り継ぎ歩いて行く自信もなく、そのころは車の運転もできなかったので、当日はUberで向かった。広いイベント会場のどこがワクチンハブなのかもわからなかったけど、Uberやタクシーなら近くに横付けしてくれるハズだから歩かずに済むだろう、と。だけど降ろされた場所からワクチン会場は全く見当たらなかった。人影もなく、ロックダウン中でお店も閉まっているし、ひっそりしたものだ。以前ニュースで見たワクチンハブの周りに長蛇の列を作っていた接種待ちの人々を思い出せば、場所を間違えたのかと心配になってくる。とにかくセンターの別の入口へと向かうと、前方を私と同じコロナワクチンの案内書を手にした若い女性が歩いていた。渡りに船と声をかけてみたら、彼女も「場所がわからないのだけれど、一緒に探しましょう」と言ってくれた。すらりとしたブロンドの綺麗な娘さんで、右足を庇いながらのろのろ歩く私に付き合ってゆっくりと歩いてくれた。彼女は今回2度目のファイザーワクチンの接種で、前回は病院で打ったのだそうだ。ファイザーは1度目の接種は比較的軽く、副反応が出ることも稀だけど、2度目は重くしんどくなる人が多いので、自分も今回は副反応が心配だと言っていた。反してアストロゼニカは、1度目はしんどいものの2回目は軽くて済むのだそうだ。そういえばアストロゼニカを受けた友達の何人かは接種後3日ほど悪寒、発熱、筋肉痛、吐き気なんかの症状が出て眠れなかったと言っていたっけ。まあ、何もなかったと言う人もいるから人それぞれなんだろうけれど。聞けば彼女はかなり早くにワクチンを打ったらしい。そのころ一般人の年齢対象は40歳以上で、その娘はどう見ても20代半ばだったから、看護師さんとかフロントワーカーなのだろうと思っていたら、実際は深刻な病気にかかっているからだった。それで主治医が早期にワクチンを手配してくれたのだそうだ。何の病気かは言っていなかったけれど、快活朗らかに話す姿からはとても大病を患っているようには見えなかった。自分の娘と何歳も変わらないだろう娘さん。この若さで深刻な病気と闘っているんだ…と思えば、やはり切ない気持ちになってしまう。でもそんな感傷や憂いなど跳ね返すかのように、金色の髪は冬の陽光を受けて輝いていた。そうこうするうちワクチンの案内が見えてきた。入口に数人スタッフが立っていたけれど人も疎らで、ありがたいほどに空いていた。これじゃあ人影も疎らなはずである。彼女と別れて、QRコードからスマホでワクチン接種のサイトに入り手続きを完了した。ワクチンハブの中も拍子抜けするほど空いていた。身元確認と予約確認を済ませ、アストロゼニカかファイザーか、それぞれのエリアに案内される。何もかもがスムースだった。ファイザーワクチンのウェイティングスペースに入って、数分と待たずに簡易ブースの中に案内された。簡単な問診の後にコロナワクチンと接種後の説明を受けてからワクチンを打ってもらった。針も細く、インフルエンザのそれと変わりない感じである。ちなみにインフルエンザワクチンの接種後1週間は、コロナワクチンは打てないのだそう。ワクチンを接種した後は15分間、深刻な副反応が出ないか様子を見るために今度は待機スペースで待たなければならない。ソーシャルディスタンスを保ってゆったり配置された簡易椅子に座って、さっきスマホにダウンロードさせられた接種後の手引きを読みながら待った。別段何の変化も起きなかった。時間が来たらレセプションで看護婦さんから1度目のコロナワクチン接種が記録された証明カードをもらう。接種後の注意事項を再度確認され、次の接種の説明を受けた。ファイザーの場合1回目の接種後3週間から6週間の間に2度目のワクチンを受ける必要があるので、必ず受けるようにと念を押された。2度目は予約の必要もなく、ただここに来て、この証明カードを提示するだけで良いとのこと。予約の面倒さを思い返せば、ふらりと入るだけでいいという気軽さは嬉しい。これで1度目のコロナワクチン接種は終了。予約に手間取ったことを思えば、呆気ないほどスムースで、ありがたいほど整然とした接種だった。行きをご一緒した彼女が言っていたように、ファイザーワクチン1回目の接種は軽く、私の場合、副反応も殆ど出なかった。左腕のワクチンを打った辺りが心持ち痛いというか、多少重たい感じかな~というくらいで。その3日後と8日後にビクトリア州政府からコロナワクチン接種に関するフォローアップ調査が携帯に送られてきた。アンケートに答えながら、あの娘のことを思い出していた。ファイザーの2度目の接種はしんどいと言っていたけれど大丈夫だったかなぁ、と。副反応が出ていなければいいのだけれど…。病気が早く治るように、心から願う。先日ニュースで、オーストラリアでも12~15歳の子どもたちにコロナワクチン接種が是認されたと言っていた。実際の接種はまだ先のことになりそうだけど、我が家の14歳は深刻な喘息持ち。学校という大きな環境に毎日通っているからワクチンを打ってもらえるのならばありがたいなぁとは思う。デルタは若年層にも深刻な脅威になっていると聞く。一方、ワクチンの副反応で亡くなる方もいらっしゃる。コロナで亡くなる方も、ワクチンの副反応で亡くなる方も出ないようにと願ってやまない。1日も早くコロナが終わりますように。とにかく私は2回目の接種を忘れないようにしなくては・・・。写真は、ロックダウン中に我が家に遊びに来てくれた鴨。前回のロックダウン以来お家訪問は御法度が続いているのですが、鴨夫婦(たぶん)が遊びに来てくれました。にほんブログ村に参加しています。応援クリックをよろしくお願いいたします(^^♪にほんブログ村[マックあつこの著書]『Tamagoー39歳の不妊治療』えっ、不妊症!? 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2021.08.07
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その朝、ブラインドを開けたら、外が黄金色に輝いて見えた。冬に入ったメルボルンの冷気が澄みきって、きらめいているような。あまりの美しさに、いつもならまず朝の家事を始めてしまうところだけれども、庭でコーヒーを飲んだら気持ちいいだろうなぁ~って気持ちになった。以前は毎朝庭に出て、夜明けの空や朝焼けに染まる空を眺めながらコーヒーを飲むのが習慣になっていた。それが足の平を骨折して暫くは裏庭に出るのも難しくなった。今では足もそれなりに回復して、相変わらずムーンブーツを履いてはいても松葉杖なしで歩けるようになった。なのに、朝空の下でコーヒーを楽しむ習慣はいつの間にか抜け落ちてしまったのだった。今日は急ぎの仕事もなかったし、子どもたちは冬休みで、朝からテレビの前でカウチを陣取ってゲームに興じている。毎週金曜日は友達数人とランチをとるので、スケジュールも余裕をもって組んでいる。そうだ、久しぶりに朝焼けの空を見上げコーヒーを飲もう、って気になった。しかもインスタントではなく、コーヒーメーカーで淹れたカフェラッテとかカプチーノを。それから、午前中は書こう、と。子どもたちがまだ小さかったころは毎朝4時に起きて、早朝2時間ほど書く時間を作っていたものだった。けれど子どもたちが成長するにつれ子どもたちの朝もどんどんと早くなってゆき、早起きしても大した朝活の時間も取れなくなった。とりわけ数年前に病気をしてからは、まず睡眠時間の確保の方が重要になってきて。それがやっと治ったら、今度は夫が癌を患っていたことがわかったのだった。慌しい生活に追われ、いつの間にか早朝執筆の習慣も毎日の暮らしから抜け落ちてしまった。「ママ、虹が出てるよ!」と息子が声を張り上げた。窓の外を見遣れば、大きな虹が出ていた。鮮やかな虹の架け橋に、息子と一緒に外に出て空を仰いだ。眺めているうちに虹の上にもう1本、虹が現れたではないか! かなり大きく、鮮やかで―Wレインボーだった! 思わずカメラを取りに中に戻った。その間に消えてしまうかもしれないと思ったけれど、虹は相変わらずそこに在った。2本とも。2本のうち下の虹はずっと太くて、何色もの層に輝いていた。良く見ればそれは1本の虹ではなく、2本の虹がくっつくようにして掛かっているのだった。下半分の色は儚なく、私のカメラでは良く写らず残念なのだけど、14色の太い虹が青空の端から端へ掛かっていたのだ。その上にもう1本、下の虹に比べれば細い虹がくっきりと。Wレインボーだと思ったそれは、実はトリプルレインボーだった! 虹の架け橋は3重に掛かっていたのだ。こんな虹を見たのは初めてのことだった。娘も呼んで、家族3人で虹空を眺めてしまった。かなり長いこと見ていたのに、虹はいっこうに消えなかった。子どもたちが家の中に引っ込んでからも私はずいぶん長いことそこにいた。虹が消えるまでは見ているつもりだった。ふっと虹空の下でカプチーノを飲んだら素敵だろうなぁ、って気になった。虹はまだ三つとも掛かっている。急いで家の中に戻って、コーヒーメーカーでコーヒーを淹れてミルクを泡立て、チョコレートパウダーまでしっかとかけて―カプチーノを淹れてテラスに戻ったら、さすがに虹はもう消えていた。「虹、消えちゃったんだね」と、背後から息子。「やっぱり虹を見ながらカプチーノまでは無理だったわ」「でもママ、ガッカリすることはないんだよ。あんなにすごい虹を見ることができたんだから、そのことに感謝して、そしてまた次の嬉しいことや素晴らしいことを見つければいいんだからね」もちろん、ママはRejoice!ですよ、って言葉は飲み込んだ。意外だったから。この子がそんなふうに物事を考えるようになっていたなんて…。ムゥは、ファジーで柔軟なお姉ちゃんと違って、何かちょっと自分の思い通りにならないことがあるとヘソを曲げて投げ出してしまうような子どもだった。まぁ、親からすれば「ちょっと」でも、当時の本人にとっては「大問題」だったんだろうけど。鼻水が出ると「お鼻が出ちゃったよ~ もうおしまいだ~ ごはん食べない~」とスプーンを手に泣きわめいていた幼いムゥの姿が浮かぶ。って、違うか(笑)。それにしても両親とお姉ちゃんに構われて我儘いっぱいの男の子だったのに、この子もずいぶんと成長したものだ。去年、癌と格闘しながらも家族を気遣い続けた父親を見送って、今年は母親まで車椅子生活になったりして…。中学生の彼もいろいろと頑張っているんだなぁ、としみじみしてしまった。「ほんとにそうだよねぇ。ありがとう」と、カプチーノを手に空を見上げたとき―消えたはずの虹がまたくっきりとかかっていた!「ムゥ、見て! 虹だよ! 新しい虹! 虹がまた出たよ~」「へぇ、縁起が良いねぇ。綺麗だねぇ」と娘まで外に出てくる。今回は1本で、さっきほど長い時間ではなかったけれど。虹に見惚れ、久しぶりにゆったりと朝のコーヒーを味わった。贅沢な朝に感謝しつつ―時間もまだたっぷりとあって、そのまま執筆に入るはずだった。だけどその前にまずワンコたちに朝ご飯をあげなくては。24時間食欲旺盛のチャー君はともかく、お婆ちゃんで歯が悪く胃潰瘍気味のポーポーちゃんに朝食を用意して完食させるには2、30分かかってしまう。それから溜まっていた洗濯を片付けて、洗濯物をたたんで、子どもたちが食べ散らかした食器を洗って。やっとパソコンを開けたとき、やり残していた事務処理のことを思い出した。それらを片付けて、そういえば息子が休み中に家族で出かけたいと言っていた。この足で子どもたちをどこに連れて行けるだろうか?とグーグルし始めて―気がつけば、友達が迎えに来る10分前になっていた。結局、執筆の方は1行も書けていない。つーか、全く手を付けてもいなかった。さすがに思った。何やってんだよ、自分。それにどう考えてもこの場合、プライオリティがおかしいだろ。我ながら自分にうんざりしてしまった。仕事や家族や愛犬や友達や、相手がいることは、やらずにおくわけにはいかない。けれど自分との約束を守るのは案外難しい。相手がいて「やらねばならないこと」をやっているうちに、簡単に後回しになってしまうんだ。そうしていつか「やらないこと」が習慣になってゆく。気がつけば早朝執筆の習慣どころか、執筆の習慣自体がいつの間にか毎日の暮らしから抜け落ちてしまっていたのだった。いつもどこか急いでいて、自宅の階段から転げ落ち、車の運転もできなくなって、そろそろ2か月半になる。できなくなったぶん以前より時間に余裕ができたせいか、最近また小説を書きたいと思うようになっていた。自分の中に溜まった表現されずにいる物語。それらを書きたい、小説にして昇華したい、と。小説、とりわけ長編は、思いついた勢いで完成できるようなものじゃない。少なくとも私にとっては。登場人物や構成を考えプロットを練って、日々こつこつと書き続け、筋トレのように取り組んでいかなくてはならないんだ。その物語が終わったときにはキャラクター達との別れが名残り惜しくて、ついいつまでもずるずると編集してしまうような― それが私にとっての長編小説の執筆だった。それにはたとえ30分でも1時間でも書くことを毎日の習慣にしなくては。トリプルレインボーを見たこの日、決めた。少しずつでいいからまた執筆を生活に習慣付けてゆこう、と。顔を洗うように、仕事をするように、夕食を作るように、書くことが、物語の人物たちと過ごす時間がまた1日の習慣になるように。夫を見送って、実感している。私たちのジンセイは儚いものだ。青空に掛かる虹のように。本当にやりたいことはやれるうちにやっておかなくては、と改めて思うのだ。にほんブログ村に参加しています。応援クリックをしていただけると励みになります。にほんブログ村[マックあつこの著書]『Tamagoー39歳の不妊治療』えっ、不妊症!? ミラー月子はたまご時計に急かされながらベイビーを夢見て先の見えない旅に出た。メルボルンからアラフォー妊活小説『Tamagoー39歳の不妊治療』 Kindle電子書籍『Tamagoー39歳の不妊治療』単行本『インスタント・ニルヴァーナ』もしもあなたの大切な人がカルトの罠に嵌ってしまったら? マインドコントロールの鎖は密かに繋がれてゆく。サスペンス長編3部作『インスタント・ニルヴァーナ 上巻』 Kindle電子書籍『インスタント・ニルヴァーナ 中巻』 Kindle電子書籍『インスタント・ニルヴァーナ 下巻』 Kindle電子書籍[Ako Mak 英語の著書]『Someday, IVF at 39』‘Someday, IVF at 39’ ―poignant, humorous and mysterious― a cross-cultural odyssey for motherhood.『Somedsay, IVF at 39』 英語版Kindle電子書籍[マックあつこのHP]マックあつこのHP Ako Mak HP
2021.07.10
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先週の水曜日はサカダワだった。今年は5月12日の新月からチベット歴4の月、サカダワに入り、サカダワの満月が26日だった。チベット仏教でこの日は釈尊の降誕・正道・涅槃の日。お釈迦様がこの世に誕生された、悟りを開いた、亡くなられた日で、トリプル縁起の良い記念日なのだった。とりわけ新月からサカダワの満月までは奇跡の15日間と呼ばれ、正負に関わらずカルマも億万倍増されるので徳行を積む絶好の期間だ、といわれている。サカダワ当日26日は地元のチベット仏教寺院でもPUJA、法要が予定されていた。去年はコロナのロックダウンで中止になってしまったので、今年はまた参加できると楽しみにしていたのだった。ところが―自宅の階段から滑り落ちて足の平を骨折するという(前回のブログで足の指と騒いでいたけれど実際には足の平ね)とほほほ…事故から2週間後、レントゲン検査と、翌日に整形外科医の診療があった。コロナ禍を受けての電話診療だったので、私からはレントゲン写真は見ることができなかったのだけれど、診断の内容はこんな感じ。順調に回復しているので、ムーンブーツの着用と松葉杖は必要だが、これからは右足を地面に着けて歩いても構わない。それからムーンブーツで踵の関節が固ってしまうのを防ぐために日に20分ほど踵を上下に動かしたり、4、5回、踵のエクササイズをするように。それからさらりと言ったのだった。「では、4週間後にまたレントゲン検査を受けてください」「4週間後…ですか?」と思わず聞き返してしまった。GP(オーストラリアのホームドクター)は、4週間だけ安静にしていれば自然に治る怪我だ、と言っていた。だから4週間経てば普通の生活に戻れるのだと思い込んでいたのだ。あれから2週間が経ったのに、更に4週間・・・?「そうです。それ以降のことは4週間後の結果次第ですが、それで大丈夫だという保証はありませんからね。念のため。とにかく、お大事になさってくださいね」つまりそれは…、それから更に数週間ってことも…!?動揺しつつ、救急病院からの帰り道、病院で聞いた医療機器の店にシャワー用の補助椅子を借りに行ったときのことを思い出していた。その店は、夫の病状が悪化して入退院を繰り返していたころに介護用ベッドを借りに行った店だった。ちょうどそのベッドが家に届くとき夫の主治医から電話で「Your husband is dying」と告げられたのだった。(⇒2021年3月のブログ「あの日を偲んで」に)その同じ店で今度は自分の医療補助器を借りる。複雑な思いで、友達と松葉杖に支えられ店に入ろうとしたら、店先を年配の夫婦が塞いでいた。二人はスタッフから医療機器の説明を受けていたのだが、奥さんの方がご主人の介護をされているらしかった。奥さんばかりがスタッフと話してらして、車椅子に座った旦那さんの方はただぼんやりと転寝でもしているかのように俯いてらした。私たち夫婦も、夫がもっと長生きしていたらこんなだったのかなぁ?と、ふと思った。そのとき、車椅子にプリントされた文字が飛び込んできた。「KARMA」カルマと、そこには書かれていたのだった。ああ、これも自分のカルマだったのか…と、妙に納得してしまった。前日のことは不注意な事故だったと思う一方で、浄化しておいた方がいい負のカルマが実ってしまったのかなぁ、とも感じていたから。夫にもっとしてあげられることがあったのに…。そう思って切なくなるときがある。だけど、してあげなかった、できなかったのは、長年の結婚生活で溜め込んでいったネガティヴな思い、負のカルマのせいだった。結局、解決できないまま夫は亡くなってしまった。私の方はそのままコロナ禍や自宅の家電洪水や、日々続いてゆく慌しい生活に追われている。あのとき「カルマ」という言葉が天からのメッセージのようにすんなりと心に入ってきて、気持ちが少し楽になったのだった。昨日急いで階段を駆け下りたりしなければ、こんなことにはならなかったのに、一瞬の不注意のせいで…。心のどこかでそんなふうに自分を責めている自分がいた。でもそれが、もっと深いところからくる問題にあったとしたら…。仕方ないかって、あきらめもつくような。この際しっかりと受け止めて解決しよう、とさえ思えた。そうして、こんな気持ちさえ湧いてきたのだった。ああ、これで、癌の末期を迎えて辛かっただろう夫の気持ちにもっと寄り添うことができるのかもしれないなぁ。今更、夫の助けにはならなくても。自分の癒しにもなるのかもしれないなぁ、と。夫の癌が見つかったのもちょうどこの時期、サカダワのころだった。あれから4度目のサカダワを迎える。そんなことを思ううち心がす~っと静かになっていったのだった。あのときは4週間経てば、松葉杖や車椅子から解放されるのだと、サカダワの1週間前にはまた普通に歩けて、車の運転もできるようになるのだと思っていたけれど、蓋を開けてみれば、サカダワが終わってからも車椅子生活は続く。4週間のリトリートだと腹を括っていたのが6週間になってしまった。それどころか更に延長・・・なんてこともありそうだった。子供たちのことを思えば不憫で堪らなくなるけれども、仕方ない。幸い家でできる仕事をしているし、去年コロナ禍のロックダウンでオンラインの生活にも慣れたし、なんとかなる。自然にそう思った。シャンティディーバも、ダライラマ法王も言っているではないか。 その問題に解決策があるのなら、 解決すべく努めればいい。 何もできることがないのであれば、 思い悩むことに何の益があろうか、と。落ち込んだからと言って6週間が4週間になるわけでもなし…。とにかく自分にできることをしてゆこう、と。考えてみれば、功徳倍増の行の月、サカダワの時期にリトリートを延長できるだなんて、Dharma Practitioner、仏法行者としては幸運だナ。車の運転とかいろんなことができないぶん、いつもより行の時間も多めに取れるだろう。幸い、チベット仏教寺院は家から歩ける距離にあるのだからサカダワの法要には車椅子で行けばいい。車椅子生活になってから2階にある自分の書斎には上がれないので、1回のダイニングキッチンの隅に瞑想をしたり、行をするためのささやかな祭壇をつくっていた。これからはもっとそこで過ごす時間を増やそう。まだサカダワ入りはしていなかったけれども翌日からDharma仏法の本を読む時間も増やすようにした。そうそう、そのころ読んでいたLama Thubten Yeshe師の法話本『チベット仏教のエッセンス』(『THE ESSENCE OF TIBETAN BUDDHISM』)に前回のブログで触れた「Emptiness-空」の用語解説があった。とても明確に記されていたので自分のつたない訳と一緒に書き留めておきます。「Shunyata―EmptinessThe absence of all false ideas about how things exist; specifically, the lack of apparent independent, self-existence of phenomena.」「シュンヤタ―空万物がいかに存在するかということに関して、とりわけ現象がそれ自体で独立し独自に存在しているというような誤った見識が全くないこと」ちなみにラマ・イエシェ師は、セラ寺で勉強をされて、59年インドに亡命した後、チベット大乗仏教を西欧諸国に広めた高僧。残念ながら84年に亡くなってしまったので、私はYoutubeでしかお目にかかれたことはないのだけれども。話を元に戻すと、そのころには怪我のお陰で、それまでは考え事をしながら上の空でこなしてきた日常の所作もいちいち注意深くするようになっていた。当初の目的だったマインドフルネスな生活習慣はまた身に付きつつあったので、Rejoyce!Joyous Effortに焦点を置くことにした。Joyous Effort精進波羅蜜は、6 Perfections六波羅蜜の一つ。(ちなみに残りの五つは、Generosity布施波羅蜜、Morality持戒波羅蜜、Patience忍辱波羅蜜、Meditative State禪定波羅蜜、Wisdom般若波羅蜜)。他者や自身の良いことを喜び、徳行を精進してゆく行なので、最もやり易いとも言われている。足の平を骨折をしてから、シャワーを浴びるのも料理をするのも、オーストラリアのどでかい食洗器から食器を取り出すのも、何をするのも一苦労。とにかく時間がかかってしまう。そんな自分には、万事を徳行と考えて実践して喜ぶJoyous Effortはまさにうってつけの行なのだった。なんであれ菩提心から行えば徳行になるのだ。いちいちストレスを感じるのではなく、できたことを喜ぶ。やり遂げた自分を褒める。例えば、床に直置きしたフロントロード式の洗濯機でもたもたと洗濯をするときには、始める前に子どもたちのためにとか利他的な動機付けして、作業中はうっかりバランスを崩して転んだりしないようにマインドフルネスな姿勢で取り組み、作業後は功徳を廻向。そうして徳を積んだことを喜び、精進するように努めた。功徳を廻向するときは大乗仏教的に一斉衆生を思い、それから、夫を思った。どこにいようとも幸福であるように、と。ずっと会えずにいる日本の両親のことも。まあ、実際には時間に追われて(というか、時間がないという慢性的な思い癖のせいで)ついついスルーしてしまったり、忘れてしまうことも多かったけど…。それでも続けてゆくうちにストレスは減って、心は軽くなっていった。自分や他人の行為に関していちいち批判的なエゴの心を黙らせて、もっと健全でやわらかい生活習慣に近づくことができたのだった。加えて、右足を地面に着けて歩けるようになって、行動の幅がぐぅ~んと広がっていた。やはり1本足に松葉杖でバランスを取るのは難しかったのだ。ああ、バランスってなんて大切なんだろう。ムーンブーツが足の平の骨折の治療にいかに重要であるかも実感した。足の平より何周りも大きな靴底がしっかりと保護してくれた。靴底のつま先部分など指先から5、6センチもあるのでうっかり何かに足をぶつけても傷つけてしまうこともない。靴の踵部分が異常に重たくなっているので、歩くときも自然地面につくのは踵の方で指の骨や足の平部分にはあまり負担がかからないようになっている。このムーンブーツを履いた右足も大地に(つーか、床に)つけるようになって、洗濯や料理も以前よりぐぅんと楽にできるようになった。娘に頼んだり、手伝ってもらうことも減って徐々にまた自分でこなせるようになっていったのだった。サカダワの満月はスーパームーンだった。ビクトリア州ではコロナのコミュニティ感染がほぼ3か月ぶりに確認されてちょうど規制も始まったので、チベット仏教寺院で予定されていたサカダワ・プージャの開催も危ぶまれたけれど、無事に催された。お天気も良かったので、子どもたちと一緒に歩いて(というか移動したのね、私の場合)行った。思えばこんなに近いだなんて、なんて幸運な偶然だろう。 ここでも、Rejoice!心に菩提心を灯し、サカダワ法要に参加してこよう。車椅子でも、コロナ禍でも、参加できる自らの幸運を喜ぼう。最近ではJoyous Effortも生活にまた習慣化しつつあるのだ。満月の夜空の下を、息子に車椅子を押してもらって、娘に松葉杖を持ってもらって、ゆっくりと歩いた。「見て、すっごい満月だよ」と、通りで息子が足を止めた。屋根屋根の上にぽっかりと、大きな丸い月が浮かんでいた。墨色の夜空に月は白光を放っているかのように輝いていた。「今夜はスーパームーンなんだよ。11時ごろには皆既月食も見られるらしいよ」と、私。暫く立ち止まって、家族三人夜空に浮かぶ、おっきなまるい月を眺めていた。寺院のゴンパ、瞑想場ではすっかり法要の準備が整っていた。センターはコロナ禍で公的には1年以上も閉まっているので、久しぶりに会う人も多かった。懐かしい友人たちと、毎週のように会っている友人たちと一緒にサカダワを祝える幸運。ゲシェや僧侶、尼僧たちと法要を営める幸運を祝う。またまた、Rejoice!だ。サカダワ・プージャは2時間ほどだった。例年ならその後に続く社交的なイベントもなく、マスクを着用してソーシャル・ディスタンスを保っての法要だったけど、去年はコロナ禍のロックダウンで中止されたことを思えば、なんて有難いんだろう。私など、土足厳禁のゴンパでムーンブーツ履いたままだったし、五体投地もできなかった…。それでも全うできたのだから、精一杯喜ぼう!帰り道、夜空を見上げれば既に皆既月食が始まっていた。来るときにはスーパームーンだった満月がもう半月になっていた。その無常さ、神秘的な、宇宙的な美しさに、また立ち止まって見惚れていた。「このままず~っと眺めていたいねぇ。なんだか今夜はず~っと歩いていたいねぇ」と、息子。「何言ってんの、あんた明日も学校でしょ。もうこんな時間なんだからとっとと帰って寝なくちゃだめよ」と、現実的なお姉ちゃん。サカダワの夜ー子供たちに車椅子を押してもらって一緒に見上げた月をきっと自分は生涯忘れることはないだろうなぁ、と思った。翌日、ビクトリア州政府は新たな4人の感染を受けて1週間のロックダウンに入ることを発表した。4度目のロックダウンだ。それでも日々は続いてゆく。その夜も丸い月を探したけれども、見えなかった。見えないけれどもそこにある月に、世界中の人々を苦しめているコロナの一日も早い終息を祈った。冒頭の写真は、娘が母の日のカードに描いてくれた家族のイラスト。とっても可愛らしい私(娘の思いやりが嬉しい)の右足に履いているのはムーンブーツです。にほんブログ村に参加しています。応援クリックをしていただけると、励みになります。にほんブログ村 [マックあつこの著書]『Tamagoー39歳の不妊治療』えっ、不妊症!? ミラー月子はたまご時計に急かされながらベイビーを夢見て先の見えない旅に出た。メルボルンからアラフォー妊活小説『Tamagoー39歳の不妊治療』 Kindle電子書籍『Tamagoー39歳の不妊治療』単行本『インスタント・ニルヴァーナ』もしもあなたの大切な人がカルトの罠に嵌ってしまったら? マインドコントロールの鎖は密かに繋がれてゆく。サスペンス長編3部作『インスタント・ニルヴァーナ 上巻』 Kindle電子書籍『インスタント・ニルヴァーナ 中巻』 Kindle電子書籍『インスタント・ニルヴァーナ 下巻』 Kindle電子書籍[Ako Mak 英語の著書]『Someday, IVF at 39』‘Someday, IVF at 39’ ―poignant, humorous and mysterious― a cross-cultural odyssey for motherhood.『Somedsay, IVF at 39』 英語版Kindle電子書籍[マックあつこのHP]マックあつこのHP Ako Mak HP
2021.06.03
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このところ車椅子生活を強いられている。どうしてそんなことになったのかといえば、何のことはない、2週間ほど前に階段から滑って転倒したからだ。下の子を迎えに行くところだった。ギャーッという母親の悲鳴と不審な物音に「大丈夫っ!?」と大学から帰ってきたばかりの娘が駆けて寄ってくれた。「2、3分休めば大丈夫だと思う」「冷やすっ? アイスパッチ取ってくるよっ。 えっ…!?」と娘、一瞬の沈黙。「だからスマホ見ながら階段降りるなって言ってるのに! ママ、バカだよっ!」いや、スマホを見たのは駆け降りる前に時間をちょっと確認しただけで…と、言いかけたけれど、駆け降りたのっ!? その年でっ!!と益々ヒンシュクを買いそうだったからただ唸っていた。返す言葉もなかった…。不注意を絵にかいたような事故だった。思えばこのところマインドフルネスからは程遠い毎日を送っていたのだ。普段の生活はもちろん、朝の瞑想や仏行のときでさえ意識の半分で次にすべきことを考えていたり、脳裏でその日のスケジューリングをしていたり…。とにかく、痛いのは足首と足の平、右足だった。捻ったか、挫いたか、まさか骨までは…?唸りつつ、自分の不注意さが悔やまれたけれど、後悔先に立たず。時間はどんどん過ぎてゆく。いつもの送迎場所にぽつんと佇んでいる息子の姿が脳裏を過った。バスとトラムを使って帰ってくるようにと伝えたくても本人、家に携帯忘れてたし…。代わりに娘に頼みたいけれど車の免許を持ってないし…。今からバスとトラムで学校に向かったら、車だと片道10分ほどの道のりがタイミング次第では1時間かかってしまう。仕方ないからUber呼んで娘を送り出そうかと思ったとき意を決したかのように娘が言った。「ママ、私も付いてゆくよっ!」えっ、そういう問題? とは思ったものの、そろりそろりと起き上がってみたら、立てた。立ち上がれるということは、折れてはいないってことだろう。何も歩いて向かうわけじゃなし、アクセルとブレーキを踏むだけだから、大丈夫だ。そう判断して娘の肩を借りて車に乗り込み、いざ出陣。けれど痛めたのは、右足の方だった。免許を取って以来初めて私はアクセルとブレーキを踏むのに、いかに力を要するか、ということを知ったのだった。やっぱ無理かも…思ったときには、時遅し、既に渋滞の始まった主要道路に入っていて、出るに出られぬ状態に…。自分の判断ミスを呪っても後の祭りである。これはもう100%安全運転で走るしかない、と腹をくくる。いやぁ、マインドフルネスな状態からは程遠~い生活を送っていた私が、全身全霊を集中させて運転しましたよ。神仏のご加護を頼み、つながった内なる仏陀マインドパワーを全開にしてマントラを唱えつつ。一瞬たりとも気を抜いてはならじ、と。無事に我が家に辿り着いたときには、ぐったり。痛くて全然歩けなくなっていた。最初の応急処置がどれだけ重要か、昔受けたファーストエイド研修を思い出せば悔やまれる。家事や仕事や「MUSTリスト」はもはや脇にのけ、ベッドまで這ってしまった。一晩眠れば落ち着いていることを願いつつ―いつからだか、気がつけばマインドフルネスからは程遠い毎日を送っていた。30代前半から瞑想を始め、短くても毎朝マインドフルネスを培うための一点集中の瞑想は欠かさなかった。瞑想を初めて2、3度深呼吸をすれば明瞭な意識状態に入れると自負していた時期もあったのだ。それがこのところ瞑想自体にさえ集中できないような有様で…。夫が亡くなってからシングルマザーになったぶん毎日が以前にも増して慌しくなっていた。「やらねばならないMUST業務」のリストが長すぎて、朝の瞑想に使える時間自体も短くなっていた。その瞑想中でさえ、やらねばならないことを、期限と重要度順に効率的に遂行しようといつのまにやらスケジューリングを始めている始末・・・。そのたびに意識を集中し、明瞭で澄んだ心の状態にしようとはするのだけれど…。あっという間に時間切れ。次の仕事に掛からネバナラナイ時間になってしまう。それも「仕事」というより「雑事」だと思ってしまえば余計に気持ちも腐ってくる。「忙しい」という字は、心を亡くすことだというけれど、ほんとうにそうだと思う。忙しなさに時にふっと心が折れそうになる。瞑想中に囁く声が浮かぶことがあった。だけど本当にあなたはそんなに忙しいの? と。仏教哲学では、忙しいと感じているのは自分の意識、心の状態であって、絶対的な現実ではない。物事の本質は「空」なのだ。頭ではわかっているのだけれど、マインド・セットは変わらない。Busy Mind―いつのまにか忙しない精神状態がまた習慣化してしまったのだった。その夜は痛みで目覚めては痛み止めを呑む、を繰り返し、一晩眠って朝起きたら、事態は益々悪くなっていた。右足の甲も裏も赤紫に腫れ上がり、足自体が何回りか大きくなっていた。立ち上がれたものの、足の裏の腫れが酷く地面につけない感じである。痛むし、歩くのにも勇気が要った。幸い踵の方はそれほどでもなかったので、右は踵でバランスを取り、何かにつかまれば伝い歩きならできた。このままじゃマズイだろっ、とさすがに悟る。Uberを呼んで、娘の肩を借りて近所の病院に行った。GP(オーストラリアの所謂ホームドクターです)は、この腫れ方では間違いなく足の指が折れている、と請け負ってくれた。4週間はムーンブーツを履いて生活しなければならないから松葉杖を使って歩くか、車椅子で移動して、右足だから車の運転はできない、と。ムーンブーツって、何…??4週間もっ!? 打ちひしがれる私を慰めるように彼女は言った。「でも手術は要らないから。大丈夫、4週間だけ安静にしていれば自然に治る怪我だから。とにかく無理をして悪化させないようにね!」、と。まずはレントゲン検査が必要だと大病院の救急に回された。娘は大学に行かなくてはならなかったので、友達に運転を頼んで付き添ってもらった。GPの診断ミスであることを祈ったけれど、果たして、やはり右足の指が折れていた。まあ実際歩けないのだから、さもあらん…。治るまではムーンブーツを着用して生活しなくてはならないんだそうで…。「ムーンブーツ」というのは、足の指の骨を折った場合に使うギプスのようなものだった。足をしっかりと保護してくれて、自分で脱げるのだけれど、とにかく重い。履くと月面に降り立った宇宙飛行士みたいになってしまう。だからムーンブーツなんだろうけど。これを治るまでの4週間は毎日履いて、シャワーを浴びるときとベッドで眠るとき以外は決して脱いではいけない。歩くときには必ず松葉杖2本を使って、右足は曲げたまま地面に着いてはならない、と言い渡された。4週間はムーンブーツ着用に松葉杖歩行か車椅子生活、車の運転も禁止。GPの初見通りだった・・・。Busy Mind―忙しない心で日常生活を飛び回っていたら、折れたのは心でなく、足の指の方だったのだ。脱力しつつ、改めて痛感しましたよ。20年以上もチベット仏教を学び、瞑想やタントラ行を続けてきたのに、ほとんど活かせていないゾ、自分っ!前週、口走ってしまった言葉がとほほほ…感満載で思い出された。それは重要じゃないからやらない、みたいなことを言ってやるハズだったことをスルーしようとした息子に「それでもきちんとやってちょうだい!ジンセイなんて結局、雑事の連続なんだからねっ」、と。「忙しい」と感じていたのも、所詮は「雑事」だと思ってしまっていたのも、自分の意識、心の状態であって、絶対的な「現実」ではなかったのに…。「空」を心から理解して、「菩提心」から実践していれば、こんなことにはならなかっただろうに…。そう思いつつ、今日はその「空」についても少し書き留めておきたい。般若信教の「色即是空、空即是色」でもお馴染みの「空」。仏教哲学を理解するうえで重要な思想であり、深遠な「空」を完全に理解できれば悟りに到達できるとも言われている。「空」とは、万物の本質には実体がない、ということ。だから「虚無、存在しないこと」だと主張される方々がいらっしゃる。様々な解釈があるけれど、チベット仏教ゲルク派では「空」とは「存在自体が無である」という意味ではない。ダライラマ法王も何度も明言されているけれど、「空」は決して「虚無、Nihilism」ではない。決して、実は何も存在していない、存在自体が無し、Nothingであるということではないのだ。そうではなくて、そう在る、(認識者にそのとき)そう見えているようには存在していない。万物は無常であり、認識する者の主観によって形を変える。絶対的な在りようで存在するわけではない、という意味なのだ、と。こうなってみて思う。実際は、たぶん自分が思い込んでいたほど忙しくはなかった。現実的にどれだけやることがあるかということ以上に、習慣化してしまった、いつもせかせかと慌しくてどこか焦っている精神の状態の方が問題だったのだ。だいたい自分のやるべき仕事を雑事だなどと思ってしまっていたから注意も散漫になって、粗くいい加減な気持ちで動いていたんだろうナ。ラマ・ゾパ・リンボシェも、説いていらしたではないか。どんな仕事もあなたを悟りへと導く行だと考え菩提心から取り組むのなら、どんな仕事も有意義な喜びとなる、と。ああ、「雑事」ではなく、一つ一つを「里の行」だと思っていれば良かった。これからは雑事は雑な念で雑にしてしまった仕事だと認識しよう。その翌日は誕生日だった。誕生日の予定も仕事も、詰まっていたいろんな予定をキャンセルした。階段を滑り落ちて以来キャンセル三昧だ。子供たちはもちろん、周囲の方々にも迷惑をおかけしてしまった。それ以上にたくさんの人たちに助けてもらった。今も助けてもらっている。ほんと~うに有難いことだと思う。こうなってしまった以上、今はマインドフルネスを取り戻し、習慣化するための4週間のリトリートだと思って生活している。だいたい今やコーヒーを入れるのも、トイレに行くのでさえ意識を集中させて行わなければならないのだから。「また転んで、更に怪我するなんて冗談じゃないからねっ!そんなことになったらもう知らないからっ!」娘からも厳し~く言われているし。毎日がマインドフルネスの実践デス。幸い、期限は見えているのだから。あのままBusy Mindが増長して大きな事故など取り返しのつかないことになる前にこういう機会が持てて良かったとも思う。夫が病気になって去年亡くなって、コロナ禍にもまれて、家が家電洪水でその修理も大変だったし、2年以上も日本に帰っていないし、両親にも会っていないし…。思えば、かなり疲れていたので、立ち止まって休養する良い機会なのかもしれないな~。最後まで読んでくださって、ありがとうございました。にほんブログ村に参加しています。応援クリックを頂けると励みになります。にほんブログ村 [マックあつこの著書]『Tamagoー39歳の不妊治療』えっ、不妊症!? ミラー月子はたまご時計に急かされながらベイビーを夢見て先の見えない旅に出た。メルボルンからアラフォー妊活小説『Tamagoー39歳の不妊治療』 Kindle電子書籍『Tamagoー39歳の不妊治療』単行本『インスタント・ニルヴァーナ』もしもあなたの大切な人がカルトの罠に嵌ってしまったら? マインドコントロールの鎖は密かに繋がれてゆく。サスペンス長編3部作『インスタント・ニルヴァーナ 上巻』 Kindle電子書籍『インスタント・ニルヴァーナ 中巻』 Kindle電子書籍『インスタント・ニルヴァーナ 下巻』 Kindle電子書籍[Ako Mak 英語の著書]『Someday, IVF at 39』‘Someday, IVF at 39’ ―poignant, humorous and mysterious― a cross-cultural odyssey for motherhood.『Somedsay, IVF at 39』 英語版Kindle電子書籍[マックあつこのHP]マックあつこのHP Ako Mak HP
2021.05.05
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3月11日は、2011年には東日本大震災、去年はコロナ・パンデミックスの世界宣言がされた、悲しい記念日だ。私たち家族にとっては夫の命日、一周忌でもあった。命日前日の10日―アメリカの仏教雑誌『Mandala』から夫のObituary死亡記事を掲載した雑誌が出版されたと電子マガジンと一緒にメールが届いた。出版された雑誌の方が届くのは、オーストラリア政府がコロナ禍で相変わらず国際郵便の規制を続けているため、先のことになりそうだけど。そうなの、この国では国境規制が厳しくて(中でもビクトリア州は特に厳重…)、今もEMSとかは不通で、すご~く不便です(涙)。ワクチンが普及するまではこの状況、変わらないんだろうなぁ…。話を『MANDALA』に戻すと、夫が亡くなったとき、FPMTFoundation for the Preservation of the Mahayana Tradition大乗仏教保存協会に連絡すれば祈祷してもらえると友達のM僧に教えてもらったのだった。そこからダライラマ法王事務所にも連絡がいってそちらからもご祈祷をしてもらえる、と。早速FPMTのHPから祈祷をお願いした。その2か月後くらいにN.Y.の『MANDALA』編集部から彼の写真と死亡記事を書いて送れば掲載してくれると連絡があった。突然の話に驚いてしまったけれど、『MANDALA』は夫も昔、読んでいた雑誌である。そこに載せてもらえるだなんて!思ってもいなかった申し出だった。祈祷をお願いしたとき、夫の供養になればと多少お布施をしたからだろうか。とにかく夫も喜んでくれるだろう、と早速、記事を書いて夫の写真を送ったのだった。その後、今度はFPMTからお悔やみの手紙と高僧や僧侶たちが祈祷してくれたマニピルが送られてきた。夫の仏前にお供えして、マニピルは心が疲れたときなんかに頂いてきた。あのころ、ともすれば沈んでしまう家族の心を励ましてもらったのだった。とはいえもう十ヶ月近くも前の話で、その後もコロナ騒動や、家電が原因で起きた床上浸水やら何やらで慌ただしかったので、『MANDALA』のことはすっかり忘れていた。それが、夫の命日前日に送られてきたのでした!なんでも今回の雑誌はコロナ禍で発行が遅れたようで、しかもこれが最後の紙雑誌での出版になるという。これからも電子出版では継続されるそうだけど。何て言うか―紙媒体で出版される最後の『MANDALA』に掲載してもらえた、ご縁。それが彼の命日前日に届いたというタイミング。私にとってはシンクロニシティ、まさに吉兆だった。天から、彼は大丈夫だからとまたお知らせをもらったような気がした。明日の命日を前に夫に素敵なプレゼントができたような…。『MANDALA』のカラーページに掲載された夫の写真と死亡記事を印字して、仏前にお供えした。キャンドルに火を灯し、記事を読み、Tara菩薩のマントラを唱え、炎を眺めていた。すると、命日に彼の写真と記事の載った『MANDALA』を贈ることができて良かったと思っていたのが、これこそ本人から家族へのプレゼントのような気がしてくるのだった。地元のチベット仏教センターでささやかながら法要もした。コロナ禍でセンターも未だ閉まったままなので、家族だけで。伝えてもいなかったのに、法要の後にチベット僧のゲシェ、L先生が現れて元気づけてくれた。夫が亡くなったあの日からもう1年が経ったわけだ。あっという間だったような気もするし、もう何年も昔のことのような気もする。今日は、去年12月のブログ ⇒「あのころの家族模様」に書いた翌日、2019年11月13日のことを書き留めておこうと思う。その日は娘の大学受験の最終日だった。娘を送り、いつものように息子を中学校へ送った後、夫に付き添って病院に行った。そこを二日前に退院してきた夫の背中と腰の痛みは相変わらず酷かったのだけど、癌治療の主治医との予約だった。最後の望みの綱だった放射性核種内用療法が中止になってから初めての診察だったので、どうしても私も立ち会いたいと思っていた。だけど結局、私は夫の主治医には会えなかった。その朝、緊急手術が入ったそうで夫の予約は1時間遅くなり、病院に着いてからも更に1時間ほど遅くなり…。後ろ髪を引かれつつも夫を待合室に残して、私だけ先に家に戻らなくてはならなくなった。前日に頼んだ介護用レンタルベッドが配送される時間になってしまったから。電話が鳴ったのは、自宅に着いてから間もなくだった。配送会社からかと思ったら、主治医からだった。挨拶もそこそこに彼女は言った。“Your husband is dying.“dying”という英単語がハンマーとなって、突然、後頭部を殴られたような気がした。頭の中が真っ白になった。いや、真っ暗になったのかもしれない。夫が死にかけている―凍り付いてしまった私に、医師は英語が理解できなかったと思ったのか、さっき以上にゆっくり、はっきりと、もう一度繰り返した。“Your husband is dying.”それで夫はそのまま入院したのだ、と。夫は一昨日退院してきたばかりの病院に、再入院したわけだ。混乱しつつも、夫に残された時間は後どれくらいあるのか、と尋ねた。「数週間」と、医師は応えた。「2週間か、5週間か…。それはわからないけれども、いずれにしても月単位では考えられない状態です。残念だけど、クリスマスまでは生きられないと思うわ」、と。目の前で、世界が反転したようだった。夫もそのことを知っているのか、と尋ねると、私に話したのと同じことを本人にも伝えた、という。それから何を話したのか、詳しいことは思い出せない。とにかく、子どもたちが学校から戻ってきたら皆で病院に行くことを伝え、電話を切った。介護ベッドが届いたのはそれから間もなくだった。おとなしそうな青年が一人でベッドを運んでくれた。ベッドの移動の仕方や、高さや傾きを調節するリモコンの使い方を説明する青年の声を聞きながら、さっき電話で話したばかりの主治医の言葉を思い出していた。Your husband is dying.とてつもなく虚しかった。こんなベッドを置いてもらっても、もうここで眠る人はいない。操作の仕方を教えてもらっても、このリモコンを使う人はいないのに…。配送業者が帰った後、夫が使うはずだったそのベッドに暫くぼんやりと座っていた。子どもたちに、なんと伝えればいいのだろうか…?もうすぐ娘を迎えに行く時間だった。大学受験の最終日。受験のストレスから解放されるこの日を娘がどんなに楽しみにしていたか…。きっとクラッカーでも鳴らしたい心境だろうに。頑張ったお祝いに、一緒にランチに行く約束をしていたのだった。夜は家族4人でお祝いをしようね、と。ディナーに出かけるのはダディンには難しいだろうから、娘の好きなレストランからテイクアウェイでもしよう、と。それが…せめて、ランチが終わるまではお祝いムードでいさせてあげようと心に決めた。それから…息子の方は遠足だった。遠足の興奮と疲労を引き摺って戻ってくるのだろう中学1年生の息子には、何て…?二人とも父親が癌であることは、化学療法が始まったころから知っていた。副作用で隠しようがなくなるだろうから子どもたちにもきちんと伝えようと言ったのは本人だった。それから1年後の2018年に、今度は自分の命が余命数年であることを子どもたちにも伝えた。一連の化学療法の効果が崩れ始めたときに、本人が自分から伝えたのだった。今思えば、あのとき医者だった夫はそれが何を意味するのか、正確に理解していたのだろう。医学編集者という仕事柄、最新医療の研究を記した論文のリサーチもお手の物だったから。それでも、彼は望みを捨てなかったのだ。それからも主治医の勧める治療を続けながら、あくまでも普段の日常生活を続けようとしていたのだった。たぶん自分以上に、家族のため子どもたちのために。今度は私が子供たちに主治医の診断を伝えなくてはならなかった。ダディンはもうクリスマスまでは生きられないのよ、と。実際ー娘も、息子も、泣かなかった。ショックを受けていたのは一目瞭然だったけど、取り乱すこともなかった。たぶん突然の状況に圧倒されてしまって、なす術もなかったのだろう。実際、彼が今から数週間と生きられないという事態に対して私たちにできることはあまりなかった。クリスマスまで、もうあまり時間もなかった。今更泣いても騒ぎ立てても…。ならば、できるだけ今まで通り、家族の生活の続きを生きながら、夫を送り出したいと思った。それが一番自然な気がしたし、それしかできそうになかった。死は、生の延長だ。願わくば、彼が満足して逝けるように。大往生を遂げられるように。3人で夫の入院する病院にお見舞いに行った。今月に入ってからもう何度も訪ねた病院である。前回は二人部屋だったけど、今回は一人だった。夫は、今朝よりもずっと顔色も良くなっていた。朝この病院に来たときは背中や腰の痛みが酷くて椅子に座ってもいられないほどだったのが、ベッドに横になって、にこにこと普通に会話をしていた。とても数週間で死んでしまうような人には見えなかった。夫も、子どもたちも、感情的になることは全くなかった。彼は娘にその日の物理学の試験のことを尋ね、息子は遠足のことを話した。それから3人は、息子が家から持ってきたボードゲームを始めた。病院という日常からは特異な環境であたかも何事もなかったかのように「ふつーに」ゲームに興じる親子の姿が、今も瞼に浮かんでくる。あの日、娘の受験終了をお祝いするディナーはしたのだろうか?今となっては思い出せないけれど、それでもやはりあの日のことは、忘れられない。写真は、夫の命日を前に友達が贈ってくれた向日葵。大きな花束だったので2か所に活けた。向日葵の花は陽の光に溢れ、笑顔をくれる。ともすれば感情的になりがちな心を朗らかにしてくれたのでした。最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。応援クリックをどうぞよろしくお願いします。にほんブログ村 [マックあつこの著書]『Tamagoー39歳の不妊治療』えっ、不妊症!? ミラー月子はたまご時計に急かされながらベイビーを夢見て先の見えない旅に出た。メルボルンからアラフォー妊活小説『Tamagoー39歳の不妊治療』 Kindle電子書籍『Tamagoー39歳の不妊治療』単行本『インスタント・ニルヴァーナ』もしもあなたの大切な人がカルトの罠に嵌ってしまったら? マインドコントロールの鎖は密かに繋がれてゆく。サスペンス長編3部作『インスタント・ニルヴァーナ 上巻』 Kindle電子書籍『インスタント・ニルヴァーナ 中巻』 Kindle電子書籍『インスタント・ニルヴァーナ 下巻』 Kindle電子書籍[Ako Mak 英語の著書]『Someday, IVF at 39』‘Someday, IVF at 39’ ―poignant, humorous and mysterious― a cross-cultural odyssey for motherhood.『Somedsay, IVF at 39』 英語版Kindle電子書籍[マックあつこのHP]マックあつこのHP Ako Mak HP
2021.03.18
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久しぶりのブログアップです。早いもので年が明けたと思ったらもう2月…。今頃ではありますが、まずは新年のご挨拶から。2021年もどうぞよろしくお願いいたします。いやぁ、2020年は世界的に大変な年でしたね。新型コロナ禍に、自然災害、経済的にも政治的にも混乱続きで―私にとっても家族の急逝、コロナ禍、家の洪水、と想定外の出来事続きの年でした。確かに夫は癌を患っていたけれどこんなに早く呆気なく逝ってしまうとは思ってもおらず…。新型コロナウィルスはオーストラリアでもあっという間に社会の中枢に躍り出て、緊急事態宣言の下ライフスタイルを一変させて…。都市封鎖に州封鎖、国境封鎖で、日本への一時帰国どころか、一時など家から5キロ圏外にも出られなくなってしまった…。それはそれで今思い返せば、子どもたちとこんなに長い間ずっと家で一緒に過ごせたことは貴重な体験になったけど、8月には洗濯機のホースが夜中に外れたことが原因で洪水にまで見舞われてしまった(8月の日記「2度目の洪水と亡き夫の夢」に)のでした。当初は水が引けばなんとかなると思っていたけれど、熱湯は家の土台を歪ませてしまうとかで、思った以上に深刻で…。コロナ禍の厳しい規制下で始まった修復工事。それでも10月中には終わるって話だったのが、10月末に規制緩和が始まると今度は業者が突然忙しくなってしまったとかで、工事は延期続きに…。コンクリート剝き出しの床に釘の突き出た部屋や、廊下や空いた床のそこかしこに積み上げられた段ボール箱や家具や、荷物の山を見るたびにうんざりしてしまった。その大半が亡夫の部屋から運び出された物だった。デスクや壁二面に並んでいた本棚に収納されていた書類や本やレコード、CD、彼のアート作品や所持品などなど。元々夫の部屋はカーペットだったので洪水被害に見舞われたとき剥がさなくてはならず、その際に運び出された、言わば遺品の数々で…。この段ボール箱の中身を一つ一つ整理してゆかなきゃならないんだ…と思っただけで気が萎えた。憂鬱だった。全くそんな気にはなれなかった…。正直、夫が亡くなって暫くはその部屋に入ることさえ気が進まなかったのだから。私にとっては、夫の病気が判ってから逝ってしまうまでがあまりに急で呆気なく、まだ消化できていなかった…っていうか、心の整理ができていなかったのだと思う。それに毎日、仕事や子育て、家事や雑事で忙しくて、夫の遺品と向き合うような時間もエネルギーも気持ちの余裕もなかったし…。家電洪水に見舞われる前は、夫の遺品は何年か経って落ち着いたら少しずつ整理してゆこうと思っていたのだった。それが…行き場を失って家中に積み上げられた荷物や段ボール箱の山、夫のデスクや棚、パソコン機器を前にすれば、溜息が…。ああ、そうだ、これもなんとかしなくちゃ…。でも修復工事が終わるまでは動かせないし…。それにしても、いったい工事はいつ終わるんだろか?つーか、いったい終わりは来るんだろうか?とか。唖然としつつ眺めていると、なかなか進まない修復工事に散乱した我が家の風景が自分たち家族の人生を象徴しているような気がしてくる。そのうち、これを全て片付けて家が元の状態に戻る日など永遠に来ないような気がしてくる。もう2度と4人家族には戻れないように…。そんなとき、ふっと心に浮かんでくるのが江戸時代の禅僧、良寛和尚の言葉でした。災難に遭う時節には災難に遭うがよく候。死ぬる時節には死ぬがよく候。是はこれ災難をのがるる妙法にて候。繰り返せば、心の真ん中がじ~んわりと温かくなってくる。固まっていた心にふっと風穴があき、軽く、楽になってゆく。気持ちに余裕が生まれてくるのでした。家族の死、コロナ禍、家の洪水―そうなんだ、今年は私たち家族にとって困難なことが続く年なんだ。だけど―災難に遭う時節には災難に遭うがよく候。なんだか妙にほっとした。励まされているような気さえして。それでも、いいんだ。大丈夫。今はそういうときなんだから。負のカルマの浄化のときなのだから、と。人生、山あり、谷あり。今は大変なことが続くときで、こういうときには、じたばたしない。負のカルマが実ってしまったことを静観すれば、いい。余計な心的苦痛や二次災害を招かないように。もしも更なる困難や災害に見舞われてしまっても、災難は、負のカルマが消えてゆく姿―浄化してしまった方がいいんだよ、と開き直る。もちろん人生に災難も困難も起こって欲しくはないけれど、それくらいの心境でいた方が、生き易い。そんな気持ちにさせてくれる的を得た、実用的なアドバイス。良寛和尚の鋭い洞察と大きな心に、自分の心も温かく、軽くなってゆくのでした。軽く広くなった心で、里の行をしていました。毎朝の家事にとりかかり、いつもの生活を始めながら金剛薩埵の短いマントラを唱えていました。Om Vajra Sattva Hum.唱えながら、自分や家が白光に包まれてゆく様をイメージしていた。子どもたちの笑顔や愛犬のちょこまかと揺れる尻尾を思いつつ。実際、もう4人家族には戻れない。家も元には戻れない。それが「空」であり、無常であり、何もかもは移り行く―だけど、それでも生活は続く。笑顔も続くー結局、工事は延期延期で、最期の修復工事となったカーペットが入ったのは12月23日、イヴ前夜だった。今年はとてもツリーどころじゃないだろ、と思っていたのだけれど、子どもたちの意欲と執着で、例年以上にゴージャスにクリスマスツリーが!毎年この時期は日本に一時帰国していたのだけど、コロナ禍で国境規制はまだまた厳しくそれも叶わず、年末年始もメルボルンで迎えた。去年は夫の病気で、今年はコロナ禍で…。2年も一時帰国できなかったことなど初めてのことだった。両親や妹家族、日本の友人たちに会えないことや社寺に初詣ができないことは残念だったけど、大晦日は子どもたちも一緒に地元のチベット仏教センターで法要をして、少しずつまた家の整理も始めた。なかなか手が付けられなかった夫の遺品とも向き合った。整理しながら心には「断捨離」の言葉が浮かんでいた。不要なものを「断ち」、「捨て」、執着から「離れる」ヨーガの行法。この家に引っ越して既に13年が経っていた。いつの間にか溜まっていた品々や使い手のいなくなってしまった品々をとっておくものと処分するものに分類する。処分するものは更にボランティア団体に寄付できるものと捨てるものとに分類してゆく。初めはそういう作業がしんどかったけど、自分は今「断捨離」の行をしているんだと思いながら実践すれば、セラピーのような意味ある体験になってくる。物と一緒にそこに絡みついていた自分の記憶や気持ちも断ち切ってゆく。つーか、手放してゆく。些細なことも、愛しいことも、しんどかったことも、すべては単なる記憶。儚い夢のような、過去の出来事。その体験に感謝しながら、手放して、整理していた。子どもたちがワイワイ一緒にやってくれたから案外楽しかった。有難かった。子どもたちは意外に執着がなく、どんどん処理してゆくので効率も良かったし。デスクや家具、CDやレコード、本は思い切って処分しました。リサイクルできそうなものはボランティア団体に、無理なものは清掃局に。夫はなんでもとっておくタイプだったようで、1998年とか前世紀の書類やレシート、高校時代のノートや旅行したときの半券や地図まで…。書類やレシートの類は法的基準にそって機械的に処理することができたから楽だったけど、彼の人生が詰まったような品々は捨ててしまっては本人に悪いような気がして、しんどかったです。とりわけ本人が創ったアートや手書きのジャーナル、写真やカード、手紙なんてプライベートな品々は…。結局アートや写真、ファイルやノートにまとめてあった旅行記や一部の仕事なんかはとっておくことにした。整理して、見やすいように本棚の一つに収納した。子どもたちが、父親が恋しくなったときいつでも向き合えるように。そうして1月も半ば―一時はもう2度と元に戻らないかと思った家が、すっきりと片付いた!のでした。それでついでに古くなってガタがきていた家具の一部もこの際思い切って買い替えることにしました。いつの間にか愛犬の爪でシートが派手に引き裂かれていたキッチンチェアとか、我が家に毎日遊びに来るマグパイの爪と嘴でシートの破れたガーデンチェアとか。家は以前よりもむしろ小奇麗に、イメチェンできた!?のでした。家族の死やコロナ禍に追い打ちをかけるように起きた洪水とその後処理は正直、しんどかったデス。何より夫の遺品処理を急かされ、強制された感じで。だけど今は起こって良かったと思っている。これがなかったら亡夫の書斎など何年も手つかずで放棄され、食糧倉庫兼物置になっていただろうし。(^ ^;)私たち家族の気持ちの切り替えもうまくできなかったかもしれない。亡夫の書斎は今ランパス―子どもたちの遊び場になっています。そうして以前ランパスだった部屋は(写真の今回ツリーを飾った部屋デス)家族の書斎兼瞑想室に、すっきりと生まれ変わったのでした。思い返せば、以前のランパスはオープンスペースだったので散らかったレゴや玩具は隠しようもなく…。片付けるように子どもたちに言っても効果はなく…。かといって自分には、毎日毎日イタチごっこのように片づけているような時間もエネルギーもなく…、で。だけど今のランパスなら、どんなに子どもたちが散らかしてもドアを閉めてしまえば、いい。夫だって、自分の部屋を子どもたちが使ってくれた方が嬉しいだろうと思う。私自身も家にあった余分なものを整理して処分したお陰で気持ちの切り替えができたような気がします。家族の新たなチャプターに入る心境が整ったような…。以前よりシェイプアップした家で家族3人と2匹、これからも心をこめて日々の生活を続けてゆこうと思います。2021年―皆様のご多幸を心よりお祈り申し上げます。にほんブログ村に参加しています。応援クリックをどうぞよろしくお願いいたします(^^♪にほんブログ村 [マックあつこの著書]『Tamagoー39歳の不妊治療』えっ、不妊症!? ミラー月子はたまご時計に急かされながらベイビーを夢見て先の見えない旅に出た。メルボルンからアラフォー妊活小説『Tamagoー39歳の不妊治療』 Kindle電子書籍『Tamagoー39歳の不妊治療』単行本『インスタント・ニルヴァーナ』もしもあなたの大切な人がカルトの罠に嵌ってしまったら? マインドコントロールの鎖は密かに繋がれてゆく。サスペンス長編3部作『インスタント・ニルヴァーナ 上巻』 Kindle電子書籍『インスタント・ニルヴァーナ 中巻』 Kindle電子書籍『インスタント・ニルヴァーナ 下巻』 Kindle電子書籍[Ako Mak 英語の著書]『Someday, IVF at 39』‘Someday, IVF at 39’ ―poignant, humorous and mysterious― a cross-cultural odyssey for motherhood.『Somedsay, IVF at 39』 英語版Kindle電子書籍[マックあつこのHP]マックあつこのHP Ako Mak HP
2021.02.02
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⇒「あのころの家族模様・前編」はこちらから。夫の退院翌日も娘はVCE試験を控えていた。Chemistry科学の試験の後に、翌日はPhysics物理学。後2日。それでめでたく全科目の試験が終了する。受験生の娘にとってはまさにもう一息なのでした。ところが、退院したその夜も夫は痛みを訴えた。病院からもらってきた痛み止めも効かないようで、痛みで動けず、呻いていた。その様子は入院前と大差なかった。だから退院しても大丈夫なのかって聞いたのにっ!と、言いたい言葉は飲み込んで、「病院に戻った方がいいんじゃないの?」とやんわり勧めてみたけれど、夫は戻ろうとはしなかった。元々、ちょっと痛くても大騒ぎする私と違って苦痛を訴えるタイプではなかったから、よほどの痛みだったに違いない。たぶん私なら即救急車を呼ぶような…。こんな状態で患者を退院させた病院に猛烈に腹を立てていた。退院を一言の相談もなく、勝手に決めてしまった夫にも。自分のことは家族に相談もせずに決めてしまうということは夫がやりがちなことだったから。痛みに苦しむ彼は気の毒だったけど、勝手に退院を決めたあなたの自業自得じゃないのよ、と腹を立てている自分もいた。明日は娘の大学受験が控えているのに…。なんでメェのこんなに大切なときに退院してきたのよ!後2日で終わるんだから、私だったら終わってから戻ってきたわよ!と。翌日は子どもたちを学校に送り出すやベッドや椅子、シャワー用シートやトイレシートなど介護機器をリースしようと駆け回った。入院前に夫が家具が背骨の激痛に喘ぐ自分の規格に合わない、と言っていたから、苦痛が軽減されるような介護用ベッドをゲットしなければ、と。夫の安眠と、何よりも受験中の娘のために。今夜こそ娘をぐっすりと眠らせてあげたかった。病院用の介護ベッドを貸してくれる業者を見つけたものの、配送は翌日になると言われた。それでも夫の方は一晩乗り切れば楽になれそうだったけれど、明日、受験最終日を迎える娘の方は…。たっぷり眠って、ベストな体調で受験に臨ませてやりたいのに。するとその夜、息子が告げに来たのだった。「ムゥがダディンについているから、ママとメェは早く眠ってよ」、と。えっ、あなたが・・・!? 「ありがたいけど、ムゥがついていても、痛み出したら難しいと思うよ」「そのときはママを起こしに行くから。明日はメェにとって大切な日だってことを考えたら、送っていくママは事故なんか起こさないようちゃんと寝なきゃ。(㊟ 私は未だに運転が苦手…)それよりメェが早くぐっすり眠れるように霊気してあげなよ」思いもよらなかった息子の発言だった。我が家は二人っ子なので、ムゥは何年たっても家族で最年少。いつまでもワガママ甘えん坊の下の子だと思っていたのに・・・。あの、ムゥが!いつの間にか成長していたのね…。息子の決意が固かったので、結局ダディンのことは任せることにした。ムゥの成長が嬉しかったってこともあるけれど、いつもの根深~い夫婦間の軋轢もあった、と思う。相談もなく勝手に決めてきた夫に対する苛立ちと怒りに、またなの、勘弁してよ…って気持ちもあったから。だけどその夜、ムゥが父親に呼ばれることはなかった。ダディンは呻くこともなかったのだそうだ。それでムゥは夜中に自分のベッドに戻り、お陰で娘もその夜は眠ることができた。睡眠不足が続いていた私も眠ることができたのだった。夫はあの夜、眠れたのだろうか? と、ふっと思うことがある。子どもたちのことを思って我慢しまくったのかもしれないな。元々苦痛や弱音を吐く人ではなかったし、夫自身、娘の受験を優先していたから。時間が前後するけれど、その年の7月半ば、1月末から始めた2度目の化学療法が効かなくなって、10回予定の9回目で中止することになった。それで主治医は代わりにシドニーで行われている最先端の臨床試験、放射性核種内用療法を勧めてくれた。夫の病状や治療歴なら受け入れられるだろうから、と。それは、副作用もほとんどなく、末期癌の患者でさえ治ってしまう人もいるという言わば、夢のピンポイント放射能治療だった。私は単純に「いいね!」マークを送ったけれど、夫の方はそのとき主治医に尋ねたのだった。あなたの癌専門医としての経験から言って、自分は後どれくらい生きられるだろうか?、と。彼女は申し訳なさそうに答えた。余命1年、と。夫も衝撃を受けていたようだけど、私もショックだった。それでもどこかで覚悟はできていた。夫の癌が見つかって初めて彼女とここで会ったとき余命数年、2年から5年だろうと言われたのだった。あのときから既に2年が経っていたから。それ以上に3か月後に大学受験を控えた娘のことを思って青ざめたのだった。受験前に父親に何かあったら…と。その日、夫と私は、娘の受験が終わるまでは子どもたちには内緒にしておこう、と決めた。思えば夫も私も、この実験的新治療に対する希望のお陰でそう決断する余裕があったのかもしれない。あのときは自分たちが考えていた以上に期待していたんだろう。この画期的な癌治療なら、うまくいくかもしれない、と。あの頃のことを思い返せば・・・やはり複雑な気持ちになってしまう。妻として、夫には可哀想なことをしてしまった。それから1年後、ハロウィーンの夜に息子が呟いたのだった(前回の日記「メルボルンの規制緩和とハロウィーン・クッキング」に)。「ダディンに悪かったなぁ・・・って思うことがあるんだよねぇ」、と。話を聞いてみれば、意外にも娘の受験前夜のことを思い出していたのだった。あの夜、ムゥは夜中に1度だけダディンから呼ばれたんだそうだ。背骨が痛むのかと行ってみれば、もう遅いから一緒に眠らないか、と。そうしてあげれば喜ぶだろうなぁと思いながらもちょうどカップヌードルを食べながらDVDで映画でも見ようとお湯を注いだところだったので、断ってしまったんだそうだ。そんなことがあったのか…と聞きながら、そんなことを息子は気にしていたのか…と切なくなった。後悔しなくちゃならないような、そんな出来事でもないと思うのに、ムゥの心には刺さっているんだろう。結局、放射性核種内用療法は失敗し、その半年後に夫は帰らぬ人になってしまった。それは、仕方のないことだったと考えている。夫の寿命だったのだろう、と思う。逆に、コロナ禍で恐ろしいことになってしまう前に安らかに逝くことができて良かった、と。それでも、可哀想だったなぁ…と思い出すことはあるんだ。とりわけ妻として、もっとしてあげられたのかもしれないなぁ…とか、あのときは可哀想なことをしてしまったなぁ…とか。きっと子どもたちもそういう痛みを残しているんだろうなぁ…。それが、ふとした切っ掛けで心に浮かんでしまうんだろう。だけど私は自覚もしている。それがあのときの、自分の精一杯だった、と。たぶん夫も、子どもたちも、みんな―。人が亡くなるときにはいろいろと不思議なことが起こるというけれど、夫のときもそうだった。ほんとうに、すべてが導かれているかのようだった。彼の人生は、私たちが思っていたよりも短かったけれど、天寿を全うしたのだと思う。不治の病を抱えて、日常生活を生きるということは、どれほどしんどかったことだろう…。まだ10代の子どもたちを残して逝かなくてはならなかったことは、どれほど心残りだったことだろう…。だけど、といおうか、だからこそ今世で学ぶべきことを学び切ったんじゃないのか、と到達しようと決めていた精神的境地以上のところに到達できたんじゃなかろうか、と夫を見送ったときに悟ったのだった。大往生だったんだなぁ、と。亡くなってから交代で供養にお経をあげている。そのときに話しかけてあげるようにと子どもたちに勧めている。昔のことでも、今のことでも、気になったことは何でも。亡くなった人でも想いは伝わると思うし、それより何よりも自分の心が軽くなる、満たされるから。子どもたちにはこれからも父親と話す時間が必要だと思うから。今年のハロウィーンのときもそうだったけど、娘は時々「しあわせだねぇ」としみじみ呟いてくれる。おっとりと柔らかな声音の、そのつぶやきを聞くたび私も本当にそうだなぁと実感するんだ。それでもまだしみじみと幸福を感じられる。なんてありがたいんだろう。それも、夫が大丈夫だと往生しているのだろうと思えるからかもしれないなぁ。結局、私たちはその時々で自分なりの「精一杯」を生きている。自分も、周りも、みんなそうだと意識していることは、とても大切だと思うのです。冒頭の写真は、あのころ、両親に連れられて毎朝我が家に餌を貰いに来てくれていたベイビー・マグパイです。ベイビーといっても、ティーンネイジャーくらいにはなっていたんだろうけど。この手前の色の薄い子がベイビーで、背後にいるのはダディ・マグパイ。裏ドアから中を覗いているのが、マミィ・マグパイ。この1年前に私が自宅でチベット密教リトリートをしたとき(2018年12月の日記「初めての独りリトリートと僧院ステイと、夢と」に)この子と仲良くなったのが絆を結んだ切っ掛けでした。愛しい、あのころのマグパイ一家です。にほんブログ村に参加しています。応援クリック、よろしくお願いいたします(^^♪にほんブログ村[マックあつこの著書]『Tamagoー39歳の不妊治療』えっ、不妊症!? ミラー月子はたまご時計に急かされながらベイビーを夢見て先の見えない旅に出た。メルボルンからアラフォー妊活小説『Tamagoー39歳の不妊治療』 Kindle電子書籍『Tamagoー39歳の不妊治療』単行本『インスタント・ニルヴァーナ』もしもあなたの大切な人がカルトの罠に嵌ってしまったら? マインドコントロールの鎖は密かに繋がれてゆく。サスペンス長編3部作『インスタント・ニルヴァーナ 上巻』 Kindle電子書籍『インスタント・ニルヴァーナ 中巻』 Kindle電子書籍『インスタント・ニルヴァーナ 下巻』 Kindle電子書籍[Ako Mak 英語の著書]『Someday, IVF at 39』‘Someday, IVF at 39’ ―poignant, humorous and mysterious― a cross-cultural odyssey for motherhood.『Somedsay, IVF at 39』 英語版Kindle電子書籍[マックあつこのHP]マックあつこのHP Ako Mak HP
2020.12.03
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ブログ10月の日記「コロナ禍のハロウィーン」で触れたけど、去年のハロウィーンの翌日から夫の人生も、私たち家族の人生も大きく変わった。1年が経ち、あのころのことを思い返せば、何か不思議な気がしてしまう。熱にでも魘されていたような。どこか心が麻痺していたような。当時は余りに毎日が慌しくて心の余裕もなくて書けなかった (今も毎日慌しいけれど気持ちの余裕はあるの )「あのころ」のことを書いてみようと思います。ハロウィーンの翌日、自宅に戻ると、夫がファミリールームのカウチに座っていた。いつもなら自分の書斎で仕事をしている時間なので珍しいな~と思いつつ私の方は夕食の支度で忙しなかったので気にも留めなかった。夫はキッチンに立つ私に話しかけるでもテレビを見るわけでもなく、ただ座っていた。夕食の支度ができて、子どもたちを呼び寄せたとき2階から降りてきた娘に夫は言ったのだった。「一人じゃ立ち上がれないから、メェちゃん、手を貸してくれる?」はぁ?一人じゃ…立ち上がれ・・・なぁい!? 目が点になってしまった。夫が自分ではカウチから腰を上げられない状態になっていた!?ってことも驚きだったけど、それ以上に、私に頼まなかったことに。私はずっとここで料理を作っていたのだから「腰が痛くて立ち上がれないから手を貸してくれる?」と一言、頼めばいいではないかっ!?それを娘が現れるまでひたすら待ち続けて頼むって… 何、それ!?感じ悪過ぎだろ。嫌がらせっ?もしかすると、料理で忙しそうだったから頼むのを控えたとか、骨粗鬆症予備軍の私には敢えて頼まなかったとか、そういう理由だったのかもしれないけれど、正直ムッとした。そうして、それはまさに私たち夫婦の関係を象徴していた、と思うのだ。結婚四半世紀を経て、関係は重く、距離間はむしろ遠ざかり・・・。いつしか夫も私も、頼みごとは配偶者にではなく子供にするようになっていた。国際結婚はうまくいっているときはいいけれど不仲になると大変だと、私が小学生のころ母が新聞で読んだと言っていたことを思い出す、国際結婚で何十年も同じ屋根の下で暮らしていると、それぞれの文化的要素や育ったバックグラウンドがあまりに明確クリアにわかり易~く違うために、険悪になれば庶物、わかり易~く闘争のネタになる。日々の食事や生活習慣、家庭内で話す言語やテレビや文化面、果ては、どの国で暮らすかまで。それぞれが自己主張し出せば切りがなく、際限なく、エゴのぶつかり合いとなってしまうんだ。そうでなくても、夫婦は子育てを通してぶつかり合うことが多いというけれど、私たちの軋轢はかなりのものだった。思い返せば水面下でも水面上でも、日々揉めまくっていたのだった。それでも家族の絆という点では、しっかりと結ばれていた。二人とも、子どもが何より大切だという、この家庭をどうしても守りたいという、その共通の思いから。そうしてその夜―複雑な思いの私をよそに、娘に手を引っ張ってもらってカウチから腰を上げた夫は、夕食の後またカウチに直行した。自分の書斎にも寝室にも戻らず、腰が痛いからベッドでは眠れない、とそのままカウチで一晩を過ごしたのだった。シドニーの医師団から、最後の頼みの綱だった放射性核種内用療法を中止するという連絡を受けた翌日ではあったけど、昨日まで夫はそれなりに「ふつー」に生活していたのに…。本人は、子どもたちが入ったプールのカバーを戻した際に腰の筋肉を傷めたのだと言っていたけれど、まったく訳が分からなかった…。翌日になっても夫の腰の痛みは引かず、むしろ酷くなっていた。結局、夫は夜中に大学病院の救急に行った。病院から戻って来たのは翌日のお昼ごろで、入院させるかどうかで病院側は迷っていたそうだけど、痛み止めを処方しただけで返された。私は、痛みの原因が癌の進行のせいじゃないかと心配していたのだけれど、医者は本人のいうように無理な動きから腰を痛めたのだと判断したらしい。だけど検査の類は何もしなかったんだそうだ。激痛で救急医療に駆け込んだのに、レントゲン写真の1枚も撮らない・・・オーストラリアの医療らしいとは思ったけれど…。それでも病院で貰ってきた強力な痛み止めのお陰で夫はベッドで眠ることができたのだった。少なくともその夜は。けれど翌日にはもう病院で支給された痛み止めも効かなくなって、夫はやっぱり入院したいと言い出した。ベッドも椅子もバスルームも、この家の家具は何一つ背骨の激痛に喘ぐ自分の規格には合わないからここではとても生活できない、と。GP、ホームドクターを訪ね、その日のうちに地元の病院に入院することが決まった。ハロウィーンの夜から僅か4日後のことだった。入院してから検査の結果、痛みの原因はやはり骨折だとわかった。背骨の一部にヒビが入っていて、普通に生活できるようになるには2か月ほどかかるだろう、と。それでも激痛の原因が癌によるものではなかったので、ホッとした。幸い病院が近かったので、毎日お見舞いに行くこともできたし。父親の突然の変化に子どもたちはかなり戸惑っていたと思う。中1の息子はもちろん、大学進学のVCE試験が始まっていた娘など、特に。娘本人は私たちと一緒に父親のお見舞いに行ったり、勉強の合間に弟と遊んだり、家の手伝いをしたりと普段と変わりなく振舞ってはいたけれど、内心ではどれほど不安だったことだろう・・・。ちなみに、VCEとはVictorian Certificate of Educationの略で、ビクトリア州高等教育の修了証書である。一般的にビクトリア州ではこのVCE試験がオーストラリアの大学受験になる。その結果によって希望する大学のコースの合否が決まるので、受験生にとっては一大事なのだった。夫の入院から1週間後の11月11日、娘の方は今年2科目目のVCEでSpecialist Mathmeticsを受けることになっていた。数学は娘の得意科目だったけど、父親の入院騒動の真っ只中だったから精神的ダメージやストレスを憂慮して私は内心、心配していた。当日は娘を無事、試験場に送り出せたことだけでもうホッとしてしまったのだった。ところが―その日のお昼ごろ夫から電話があった。夫は弾んだ声で「退院が決まったからすぐに迎えに来て欲しい」、と。「えっ、退院!? 今すぐって…」退院なんて話は昨日は一言も出なかったのに…なんでそんなに急に?と、突然の退院話に私は驚き戸惑ってしまった。嬉しそうな夫に水を差すようで悪いかな?とは思ったけれど、「痛みは治まったの? もう大丈夫なのっ?」と念を押してみた。けれど夫は「とにかくもう大丈夫だから。退院の手続きも済ませてあるから、すぐに迎えに来てほしい」、と。昨日は全然、大丈夫そうには見えなかったのに…。何か腑に落ちないものを感じながらも、夫の入院していた病院にとにかく向かったのでした。続きは「あのころの家族模様・後編」で。写真は去年の今頃のポーポーちゃん(冒頭)とチャー君(すぐ↑)です。当時の写真を見ていて思い出したのですが、去年の今頃は夫の入院や娘の受験で慌ただしくて、2匹とも今年のロックダウン並みに長髪犬になっていたのでした。(^ ^;)にほんブログ村に参加しています。応援クリック、よろしくお願いいたします(^^♪にほんブログ村 [マックあつこの著書]『Tamagoー39歳の不妊治療』えっ、不妊症!? ミラー月子はたまご時計に急かされながらベイビーを夢見て先の見えない旅に出た。メルボルンからアラフォー妊活小説『Tamagoー39歳の不妊治療』 Kindle電子書籍『Tamagoー39歳の不妊治療』単行本『インスタント・ニルヴァーナ』もしもあなたの大切な人がカルトの罠に嵌ってしまったら? マインドコントロールの鎖は密かに繋がれてゆく。サスペンス長編3部作『インスタント・ニルヴァーナ 上巻』 Kindle電子書籍『インスタント・ニルヴァーナ 中巻』 Kindle電子書籍『インスタント・ニルヴァーナ 下巻』 Kindle電子書籍[Ako Mak 英語の著書]『Someday, IVF at 39』‘Someday, IVF at 39’ ―poignant, humorous and mysterious― a cross-cultural odyssey for motherhood.『Somedsay, IVF at 39』 英語版Kindle電子書籍[マックあつこのHP]マックあつこのHP Ako Mak HP
2020.12.02
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メルボルンでは10月28日から厳しかったコロナ規制が大きく緩みました!それまで不急不要のショッピングとは認められなかったブティックや本屋とか、スーパー以外の商店も営業が許されて、人数制限付きではあるけれど、カフェやレストランもイート・イン、店内での飲食ができるようになりました。以前、知人のジャパニーズ・レストランの店主が、日本では店が開いてもコロナを警戒して様子見に入る人が多いそうだけど、オージーは開いた途端に街に繰り出すだろうと予見していたけど、実際うちの近所の商店街も舞い上がっておりました。朝のTVのニュースでも10月28日の午前0時から規制が緩和されることになっていたのでパブなど前夜からカウントダウンに入り、深夜0時を打ったとたん真逆のシンデレラよろしく店のドアが開いて、通りに並んでいた人々が店内に押し寄せ乾杯した、とか。まあ、そうだろうなぁ・・・とは思ったものの、驚いたのはK-martとか大型日用品店まで!? 規制を祝って深夜0時から営業した店舗には人々が殺到して大賑わいだったそうで。でかいカートにTシャツやらティッシュやら鍋やらを詰め込んでレジスターに並ぶ人々の姿、いやぁ、圧巻でした。前日からカウントダウンしてでも店内でお買い物したかったのね!この瞬間を待ち兼ねていたメルバーニアンたちの熱気がひしひし~と伝わってきましたよ。早速、私も行ってきました。カフェにタイ料理に、日本食にラーメン屋に、ショッピングモールも。6月に束の間、開いたときはあったけど、ほぼ半年ぶりだもの。やっぱり嬉しい~ 我が家の愛犬ポーちゃんとチャー君もその恩恵に与っての美容院へ。ドッグ・グルーマーはそれ以前から営業を許可されていたのだけれど、ウェイティング・リストが長~くて予約が入らなかったのよ。半年ぶりの、グルーミング!でした。我が家の2匹ときたら、ふだんは置物か縫いぐるみのようにごろ寝して動かないのに、カットとなると30秒とじっとしてられなくなってしまうもので。ハサミが恐いのか、私たちの腕が恐いのか・・・ポーちゃんなど「歩く毛玉」と化していましたが、こ~んなにさっぱりして!本人たちが嬉しいかどうかはわからないものの、もうお尻の毛にプーがつかないので、私は嬉しい。さて、そんな中で迎えたハロウィーンの夜🎃でした。規制が緩んだおかげで、戸外での集まりは家庭数に関係なく10人までのグループなら許可されるってことに!けれど家訪問に関しては、原則1日1人1回だけ他家への訪問が許可されるとか、1日1家族だけ客を迎えることができるとか、まだまだ厳しく規制されていたのでした。(ちなみに昨日からその規制も更に緩みましたけど)。当然「Trick or Treat?」と扉を叩き玄関先までお菓子をせびりに行くハロウィーン🎃マーチはご法度になるわけで。例年はドラキュラや魔女たちで賑わう近所の通りも今年はひっそりしたもので。それでも楽しみましたよ、ハロウィーン。我が家では家族揃って一緒にハロウィーン🎃クッキングを。今年は息子がメニューを決めて、音頭取りをしてくれました。ちなみに料理にいそしむ子どもたちの足元にお座りして熱い視線を送っているのは、おこぼれを狙うチャーです。目玉メニューは息子のオリジナル、生地から練ってお化けの型でくり抜いた「お化けパスタ」。パンチェッタとガーリックに赤ワインソースで調理して。他にもパンプキンヘッドふうに焼いたケーキに、恒例のフランケンシュタイン・ソーセージロールやお化け卵。フランケンシュタインのジンジャーブレッドマンとか、買ってきたクリスマス用のジンジャーブレッド・ハウスを砂糖衣でハロウィーンふうに飾りつけたり。ついでに、ハロウィーンとは関係ないシュークリーム焼いたり、水羊羹ふうカラーゼリーの巻物を作ったり。息子は朝からほぼ1日中キッチンに篭ってハロウィーンの食卓作りに奮闘してました。時々娘と私も加わって、3人でわいわいガヤガヤ、皆で一緒にする料理は楽しい作業ですね。そうして完成した🎃プレートを囲んで、ハロウィーンの夜に、乾杯!もちろん、ダディンの席も用意しました。自分たちで作ったご馳走(?)を楽しみながら娘がにっこりと、「しあわせだねぇ」心から満たされているような、嬉しそうな呟きに私の心もじぃんわりと、ほこほこしてくるのでした。つい、しみじみと呟いていました。「去年のハロウィーンはダディン、一緒にできなくて、可哀想だったねぇ。あれからもう1年も経ったんだねぇ・・・」、と。それまで「すごく楽しい~」と、はしゃいでいた息子が表情を曇らせ、ぽつりと。「ムゥ、ダディンに悪かったなぁ・・・と思うことがあるんだよねぇ」息子は1年前を思い出していたのでした。去年のハロウィーンのことは前回のブログに書いたけど、あの後、思いもよらなかった展開が・・・。翌日から夫の人生は激変してしまったのでした。次回は、その話を。にほんブログ村に参加しています。応援クリック、よろしくお願いいたします(^^♪にほんブログ村 [マックあつこの著書]『Tamagoー39歳の不妊治療』えっ、不妊症!? ミラー月子はたまご時計に急かされながらベイビーを夢見て先の見えない旅に出た。メルボルンからアラフォー妊活小説『Tamagoー39歳の不妊治療』 Kindle電子書籍『Tamagoー39歳の不妊治療』単行本『インスタント・ニルヴァーナ』もしもあなたの大切な人がカルトの罠に嵌ってしまったら? マインドコントロールの鎖は密かに繋がれてゆく。サスペンス長編3部作『インスタント・ニルヴァーナ 上巻』 Kindle電子書籍『インスタント・ニルヴァーナ 中巻』 Kindle電子書籍『インスタント・ニルヴァーナ 下巻』 Kindle電子書籍[Ako Mak 英語の著書]『Someday, IVF at 39』‘Someday, IVF at 39’ ―poignant, humorous and mysterious― a cross-cultural odyssey for motherhood.『Somedsay, IVF at 39』 英語版Kindle電子書籍『Someday Baby: IVF at 40』単行本[マックあつこのHP]マックあつこのHP Ako Mak HP
2020.11.10
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ここメルボルンもコロナ禍の真っ只中で、相変わらずロックダウンが続いています。それでも夜間の外出禁止令は解除されたので、真夜中に頭上を旋回する監視用ヘリコプターの音を聞かなくなっただけでも安眠できて、嬉しい。まあ、エクサの1日の許容時間が1時間増えたくらいで未だに外出規制、厳しいし、お店の大半は閉まっているし、自宅から半径5キロ以上は動けないのだけれど。でもって罰金、高いし、パトロール中の警官、多いし。ちなみに我が家の5キロ圏内、南側は海上に入ってしまうため事実上の面積は5キロ圏内よりだいぶ狭くなっちゃって・・・。学校の方は大学1年生になった娘も、中2の息子も今もオンライン授業が続いています。愛犬ポポちゃんとチャー君はもはや置いてけぼりにされることもなくいつも家族と一緒で嬉しそうだけど、いつまで続くことやら、この状態・・・。加えて我が家は、洗濯機の栓が外れて起きた2か月前の洪水の後始末に追われ、未だに1階は段ボール箱の山に占拠されています。ウォーキングワードローブと亡き夫の部屋など無残にカーペットが外されたままコンクリートの剥き出しで。幸い保険に入っていたので、保険会社が手配してくれた業者さんが定期的に出入りしてくれてはいるものの、果たして年内に片付くものやら?こんな状態で、気がつけは10月に入っていました。10月といえば、ハロウィーンもすぐそこに。ハロウィーンのことはブログに書いたりもしたけれど、⇒2015年「ハロウィーンの夜に緊急入院」⇒2010年「雨のハロウィーン」⇒2009年「そうして今年もハロウィーンの夜」⇒2008年「ハロウィーンの夜とスィーツの朝」やはり去年のハロウィーンが苦い想いとともに蘇ってしまう。今回はその話を少し―去年のハロウィーンは、上の子が大学受験の真っ只中で、既に前日からVCE、ビクトリア州の試験が始まっていた。さすがに「Trick or Treat」やパーティーなんて状況ではなかったけれど、家でハロウィーンディナーを楽しむことにしていたのでした。娘の方はその日は試験も入っていなかったので、息子が中学校から帰って来ると子どもたちと一緒にハロウィーン・ディナー作りを始めた。子どもたちがまだ小さかったころにネットで見つけて、いつのまにか我が家のハロウィーンメニューになっていた定番ね。にしても、子供っぽ過ぎ…?プチお化けケーキを新メニューに加えて(結局、失敗したけど)、わいわいがやがや作っていたら、その電話がかかってきた。夫の臨床実験治療を担当していたシドニーの医師からだった。夫は2017年に癌を患っていることがわかってから、ホルモン療法や化学療法など治療を続けてきた。癌がわかったときのことはブログに書いたけど(⇒2017年7月「メルボルンの冬空から、出雲大社に―」)その後、治療中の詳細は周囲に話したくないという本人の希望で私もあまり触れないようにしていた。子どもたち、とりわけ下の子が私のブログを時々読んでいたので心配させたくなかったし。とにかく夫は治療を続けながらも仕事を続け、初めに自ら宣言したとおり「ふつー」の生活を極力続けようとしていた。とはいえ10段階評価で9~10と超パワフルな癌細胞だったため2年もしないうちに国民保険で認可されていた治療法はやり終えてまったのだった。それにしてもその間、黙々と生活を続けていた夫。改めて思い返してもスゴイ!と、思う。夫の主治医はすかさず放射性核種内用療法を勧めてくれた。癌細胞を直接狙い撃ちするといういわゆるピンポイントの放射性治療。一般に放射性療法も副作用が強いといわれるけれど、これは副作用もほとんどなく、なかには治ってしまう人もいるそうで。ならばぜひトライしてもらいたい!と願っていた治療法だった。とはいえ保険が効かず1回百万円とか・・・けれど病院や大学の臨床試験に参加すれば治療費の負担もないとのことで。メルボルンで実施されていた試験的治療にはあいにく漏れてしまったのだけれど、運よくシドニーのそれに入ることができた。なんでもメルボルンのより更に画期的な治療法だそうで。研究のための治療なので誰でも入れるわけではなくて、癌の進行度合いや治療歴、本人の年齢など細かいガイドラインが決められているため入れたのは、ほんと幸運でした。夫はその1回目の治療を8月末に受けて、2回目を10月半ばに受けた。6週ごとに計6回受けることになっていたので、次は11月末が予定されていた。そんな夢の治療(?)だったけど、蓋を開けてみると、夫は化学療法をしていたときよりも具合が悪そうだった。治療の副作用はほとんどないと聞いていたので、癌の進行のせいだろう・・・と私は解釈したのだけれど。加えて、本人の副作用はなくても周囲への副作用が思いのほかあって・・・。治療後3日間は成長期の子どもたちとの接触は1日15分以内に制限されていると聞き、私は内心、子どもたち、とりわけ13歳の息子のことを心配していたのだった。そのハロウィーンの夜の電話は、私も担当医師に聞いてみたいことがいろいろとあったので夫に代わってからも二人の会話を聞いていた。けれど途中でその必要はないのだと悟ることに。医師は、血液検査や夫の検査結果の数値を告げながら治療経過について報告していた。それらの数値は全て医師団が望んでいた数値とは真逆のものだ、と。夫の数値は、医師団が驚くほど急激に悪化していたのだった。主任医師や他の医師たちにも相談したところ全員が治療の即刻中止に賛成したのだそうで。非常に稀なことではあるけれど、この治療は本人にとって逆効果であった、と。その後も医師と夫の会話は続いていたけれど、私はとてもその先を聞く気にはなれず、受話器を置いて、キッチンに戻ったのでした。その日は10月のメルボルンにしてはいいお天気で、5時を過ぎたというのにまだ暑いくらいだった。子どもたちはキッチン仕事を投げ出し、切り上げてプールに泳ぎに行ってしまっていた。私は散らかったキッチンで、フランケンシュタインのソーセージロールやお化けのカレーライスやゆで卵、パンプキンヘッドのフォンデューを完成させるために料理の続きに取り掛かった。とてもハロウィーンの気分ではなかったけれど。楽しみにしている子どもたちのハロウィーンの夜を台無しにしたくはなかったし。何よりも、受験を控えた娘を守りたかったから。このまま何事もなかったかのように、せめて娘の受験が終わるまでは私も「ふつー」に生活しようと決意を新たにしていた。30分ほど経ったころ、夫がキッチンにやって来た。カウンターに座って、料理をしている私に放射性核種内用療法が中止になったことを告げた。自分がそのとき何を言ったのか、覚えていない。夫も詳しい話はしなかったし、感情的なことは何も言わなかった。彼はただ黙ってキッチンカウンターに座って、ソーセージにフランケンシュタインの包帯を巻き付ける私の手元をぼんやりと眺めていた。暫くすると夫は「疲れたから休む」と寝室に行ってしまった。プールから出てきた子どもたちにダディンのシドニーでの治療が中止になったことと本人、疲れて休んでいることを伝えた。そのころには夫は寝室で独り休むことが多かったので、子どもたちも別段不審にも思わなかったようだった。治療の中止が何を意味するのかも良く判っていなかったようで…。結局、3人と愛犬2匹でハロウィーンの夜を祝った。ダディンは、途中で覗きに来るかと思ったけれど、その夜は全く顔を出さなかった。彼のこともさることながら、黒マントを羽織って無邪気に微笑む子どもたちが私には不憫に思えていた。結局のところ、治療の中止が何を意味するのか私自身も明確には理解していなかった。医師免許を持つ夫にはわかっていたのかもしれないけれど。思えばたぶんあの夜が、夫の終末の始まりだったのだと思う。命の炎は既に消えかけていたのでした。あれからそろそろ1年。落ち着いたとは言えないけれど、夫のそれからのことを書いてゆこうと思います。2020年のハロウィーン。今年はコロナ禍で、ソーシャル・ディスタンスを保つため、ハロウィーンパレードが禁止される場所も多いだろうな。ビクトリア州では間違いなく「Trick or Treat」は違法で(他者の自宅訪問は基本、禁止されているので)、ドラキュラや血みどろメークの努力もマスク着用で流れて、つーか、マスクのドラキュラ化が必要になりそうです。沈んだハロウィーンの思い出を綴ってしまいましたが、それでもHappy Halloween!皆様が思い出に残るハロウィーンの夜を楽しめますように。にほんブログ村に参加しています。応援クリックをどうぞよろしくお願いいたします(^^♪にほんブログ村 [マックあつこの著書]『Tamagoー39歳の不妊治療』えっ、不妊症!? ミラー月子はたまご時計に急かされながらベイビーを夢見て先の見えない旅に出た。メルボルンからアラフォー妊活小説『Tamagoー39歳の不妊治療』 Kindle電子書籍『Tamagoー39歳の不妊治療』単行本『インスタント・ニルヴァーナ』もしもあなたの大切な人がカルトの罠に嵌ってしまったら? マインドコントロールの鎖は密かに繋がれてゆく。サスペンス長編3部作『インスタント・ニルヴァーナ 上巻』 Kindle電子書籍『インスタント・ニルヴァーナ 中巻』 Kindle電子書籍『インスタント・ニルヴァーナ 下巻』 Kindle電子書籍[Ako Mak 英語の著書]『Someday, IVF at 39』‘Someday, IVF at 39’ ―poignant, humorous and mysterious― a cross-cultural odyssey for motherhood.『Somedsay, IVF at 39』 英語版Kindle電子書籍『Someday Baby: IVF at 40』単行本[マックあつこのHP]マックあつこのHP Ako Mak HP
2020.10.09
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メルボルンでは新型コロナ禍で3月に非常事態宣言がされてから今も様々な規制が続いています。6月半ばに規制が緩んだと安堵したのも束の間、7月にはコロナ第2波で再びステージ3に。それがますます厳しくアップグレイドしてしまって、先月2日からはステージ4になってしまいました。その日はちょうど我が家が床上浸水に見舞われた日だったので規制のこともブログに書きましたが(詳しくは⇒8月13日の日記「2度目の洪水と亡き夫の夢」に)、あの夜から8時以降は外出禁止に。外出できる理由は医療や、非常事態宣言下で州政府から認可された仕事への出勤、それとエクササイズ1時間に、生活必需品の買出しのみ。買出しも1家族から1人だけが日に1度1時間以内に限って許される、などなど9月に入った今も厳し~い規制が続いています。学校も仕事もショッピングもいろんなことがますますオンラインになって、ライフスタイルも一変してしまいました。そうして自分たちが外に出られない代わりに生活に入り込んできた一つがZoomとかネット・ミーティングの類です。私も去年までZoomもGoogle Meetingも未経験でしたよ。思えば、家族が亡くなったことやコロナ禍への対応に圧倒されてしまって、とてもそんな新しいことを始める気力も余裕もないと思っていたのですが、気がつけば、友達とのおしゃべりはもちろん、仕事や子どもたちの学校関係のミーティング、果てはチベット密教のフォーラムまでZoomで参加するようになっていました。今日はそんなネット・ミーティングの話を。先月はネットで息子の中学の保護者会が開催されました。Cisco Webex Meetingって、ちょっとマイナーな響きですが、ご存知でした? もちろん私はCisco初体験。その日は来年度の選択科目に関する説明がされるというので、聞き逃してはならじ!とアプリもインストールして、数分前にサインインしてミーティングルームで待機しおりてました。すると、傍らで寝ていた愛犬ポポちゃんの咽る声が!書斎の安楽椅子の上でお昼寝していたポポちゃんが、なんと盛大にゲロを吐き始めたではありませんかっ!? 「嘘っ、ムゥの学校のミーティングが始まったのに、ポーポーがゲロしてる~~~」我知らず叫んでましたよ。「大丈夫? 私が拭いてあげようかっ?」と、すかさず隣の部屋から娘。「それよりポポちゃんをお願いっ! まったくなんてタイミングなのっ!ポポちゃんのおバカ~~~~っ」などとグチり、つーか、がなり立てながらゲロの始末に走ったのでした。ポポちゃんの嘔吐物を処分して、椅子や床の汚れを片付けたときには超特急でやったつもりだったのに、既に10分ほど経過していました。大切な話を聞き逃してしまったのでは・・・と案じながら書斎に戻って、ぞぞっ・・・背筋が冷たくなってゆく・・・。嘘でしょ、自分・・・マイクが・・・ミュートに・・・なっていなかった・・・まさか、私の奇声が、皆様に・・・???ひゅるるる~~~「その話は、ムゥには知らせない方がいいよ」と、賢明な娘。だよね・・・。ごめんよ、息子。その件に関して私は未だに口を噤んでおりますわ。日本語で騒いでいたのがせめてもの幸いですね。上の写真は、私の書斎の安楽椅子で寛ぐいつものポポちゃんの寝姿デス。ちなみにこのところチャー君の方は、コロナで大学の講義がオンラインになっていつも家にいる娘の部屋にいます。チャー君の写真はこちらね☟さて、変わったところでは、Zoom占いもやってみました。今年6月にメルボルンで開催されるハズだったスピ祭典Mind Body Spirit Festivalもコロナ禍で他のイベント同様、中止になったのですがPsychic Reading Room―霊視の方はZoomを使って開催されるというお知らせが届いたのでした。(よろしければマインド・ボディ・スピリット・フェスティバルに関する過去ブログも、⇒2012年6月「サイコメトリーと霊視とヘンな音」⇒2011年6月「スピリットワールドからメッセージを」⇒2010年11月「ミディアム・ダディジェイソンさんからのメッセージ」⇒2010年7月「トンボですか・・・!?」⇒2010年6月「カルマ・クリアリング」⇒2009年11月「マインド・ボディ・スピリッツ・フェスティバル」Zoomで霊視って… あり得ないかも…と思いつつ、スピ誘惑にかられてオンラインPsychic Reading Room、覗いてみました。例年、総勢60人を超える霊能者たちが一堂に介するのですが、今年は<Zoom霊視>という状況下でさすがに霊能者の方もひいたのか、数えてないけど参加されていたのは2~30人ほど、3分の1くらいに激減してました。それでも、やってみました、初めてのZoom霊視!パソコン越しだし、大して期待もしていなかったのですが、蓋を開けて、ビックリ!?だって挨拶もそこそこに開口一番、言われたんですから。「最近、ご主人を亡くされました?」目が点になってしまいましたよ。だって「最近、ちょっと心配事がありますよね?」とか、「最近、何か困ったことがありましたね?」とか、聞かれた本人に心当たりがありそうな類の質問ならばいざ知らず(コロナ禍真っ最中のご時世では「当たる」確率(?)高そうデス)、「最近、夫が亡くなった」という状況はかなり具体的にしてかつ確率的には稀な状況だと思うわけで。一般に霊能者は、クライアント本人にしかわからないような個人的な情報を告げて、自分の霊視に関する信憑性を感じてもらうのですが(所謂「シッティング」ですね)、これは最初のシッティングにしてはあり得ないほど強力なカウンターパンチだったわけよ。「ご主人は癌だったんですね?」と、彼女。「亡くなるころ、ご主人の癌は、判っていた以上に広がっていたって、ご存知でしたか?肺や、ほとんど心臓の方にまで転移していたそうですよ」そう言われて思い返せば夫は、もうできる治療もなくなって死を待つだけになってしまってからは、MRIや超音波や骨等の検査は本人の負担になるだけだからという主治医の意見で血液検査以外はされなくなってしまったのでした。だから癌の転移に関しては私も詳しいことは判らないのだけれど、言われてみればそうだったのかもしれないな…と。とりわけ寝ているときとか、呼吸がとても苦しそうだったから。それから彼女は「あなたの夫が言っているんだけど・・・」と、亡くなる前の病状や亡くなったときの状況について話し始めたのでした。そうして彼のアート作品や私たちの子どもたちのことなんかも告げてきたのでした。夫が生前、フォトアートを制作していたことも私に大学生の娘と中学生の息子がいることも私が話したわけではなく、夫が言っている、と彼女が一方的に伝えてきたことだったので、なんだか圧倒されてしまってメモするのさえ思いつかず、ただ聞いてました。ミディアムさんが夫のエネルギーに繋がっていたのはそう長いことではなかったのですが、それでも私や子どもたちに彼からのメッセージを伝えてくれたのでした。それは、未来に起こることを予言するような話ではなく、ただ、あ、それ、ほんとに夫かも・・・この方、ほんとに繋がっているのかも・・・と思わせるような内容だったのです。リーディングを終えた後には、なんだか心がほっとしていました。そっか、やっぱり、ダディンは、大丈夫なんだ。良かった、と。あのときは夫が亡くなってから3か月と経っていなかったので、まさかミディアムさんが夫と繋がるとは思ってもおらず、ほんと、ビックリしました。今思えば、もっと積極的にこちらから質問すれば良かったのだけど、初っ端から夫と繋がったことに面食らってしまったのと、初めてのZoom霊視という環境上インターネットのセキュリティも何か不安で落ち着かなかったのでこちらからは質問することもなく彼女が一方的に話し続けて25分間はあっという間に終わってしまったのでした。初めてのZoom占いを終えての感想は、Zoom、なのに凄っ!?でした。霊能者が優秀な方だったのか、たまたまその日は波長が合っただけなのかもしれませんが、機会があったらまたやってしまうかもしれません。さて、これからもネット・ミーティング、様々な形で暫くお世話になりそうです。残念ながら、世界中でまだまだコロナの蔓延が続いていますが、皆様もお身体にお気をつけてお過ごしください。1日も早くスムースにコロナ問題が収まりますように。にほんブログ村に参加しています。応援クリックをどうぞよろしくお願いいたします(^^♪にほんブログ村[マックあつこの著書]『Tamagoー39歳の不妊治療』えっ、不妊症!? ミラー月子はたまご時計に急かされながらベイビーを夢見て先の見えない旅に出た。メルボルンからアラフォー妊活小説『Tamagoー39歳の不妊治療』 Kindle電子書籍『Tamagoー39歳の不妊治療』単行本『インスタント・ニルヴァーナ』もしもあなたの大切な人がカルトの罠に嵌ってしまったら? マインドコントロールの鎖は密かに繋がれてゆく。サスペンス長編3部作『インスタント・ニルヴァーナ 上巻』 Kindle電子書籍『インスタント・ニルヴァーナ 中巻』 Kindle電子書籍『インスタント・ニルヴァーナ 下巻』 Kindle電子書籍[Ako Mak 英語の著書]『Someday, IVF at 39』‘Someday, IVF at 39’ ―poignant, humorous and mysterious― a cross-cultural odyssey for motherhood.『Somedsay, IVF at 39』 英語版Kindle電子書籍『Someday Baby: IVF at 40』単行本[マックあつこのHP]マックあつこのHP Ako Mak HP
2020.09.08
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目覚めたら、家が床上浸水していました!? 8月2日、日曜の朝くらいゆっくりしようと7時過ぎに起き出して、着替えていたら廊下から息子の大声が。 「大変だ~、家が洪水だ~!」 すぐさま寝室から飛び出せば、廊下が川になっているではありませんかっ!奥のファミリールームから水がとうとうと流れてきます。水深というほどはなかったものの、小川ではなく廊下の幅いっぱいいっぱいの大河。 ひぇ~~~~~~~~~っ!? 「ママ、駆けちゃダメっ! 水で転ぶよっ!気を付けて、落ち着いて!」背後に娘の声を聞きながら一目散に水源を求めて駆け出しましたよ。 水は奥のファミリールームの右手にあるキッチン、その左手にあるラウンドリー(洗濯室) から流れていました。洗濯機の上、水道の栓から水が噴き出している! なぜっ!? とにもかくにも夢中で栓を締めました。 水が止まってホッとしたのも束の間。周囲の惨状に愕然とすることに!ランドリーはもちろん、キッチン・ダイニングからファミリールームも、居間も、廊下も一面が水に浸っていますっ!? ど・・・うしよう・・・??? 「あっ、物置に置いた食料はっ!?」と、息子。「うわぁ~、ダメだ、この部屋!カーペットが水に浸っちゃってるよ~!」 慌てて様子を見に行けば、カーペットの張られた床は一見「ふつー」に見えるものの、歩くと、ぼこぼこっと泡を立て水が浮き上がってくる。あっという間に、カーペットには足跡模様が・・・。 とにかく食品やトイレットペーパーを安全な2階に運ぶようにとムゥに頼んだのでした。 そこは、夫がオフィス兼書斎として使っていた部屋でした。元気だったころ、つーか去年まで彼は1日の大半をそこで過ごしていたのでした。 パソコンやプリンター、FAXの載ったL字型デスクに壁2面にはびっしりと書類ホルダーや本が並ぶ本棚。この3月に夫が亡くなってから整理もしていないので、デスクに置かれたペンや書類や薬もそのままに。 けれど床の方には、ここ数ヶ月で買い溜めたトイレットペーパーやキッチンペーパー、ティッシュやお米や箱買いしたお水なんかが置かれて・・・、その部屋は、今や物置状態になっていたのでした。 この3月、夫が亡くなったころと前後してメルボルンではコロナ渦によるパニック買いが起きていました。ホスピスから地元のスーパー立ち寄って、商品の消えた空っぽの棚を前に、愕然・・・ 家族の死別と重なったそのときのショックと不安が尾を引いていたせいか、オーストラリア全土に非常事態宣言がされて、商品の購入にも制限がかかり、世間のパニック買いが収まってからも保存食やトイレットペーパーなんかを少~しずつ買い足していったのでした。で、備蓄品として夫の部屋に。 「良かった! ママが下にビニル敷いといたから大丈夫だったよ。ティッシュが1箱やられただけで済んだ!」と、息子。 ごたごたと置かれていた物もきれいさっぱり無くなって、冷たい水に浸ったカーペットの床に立ち、私は明け方に見た夢を思い出していました。久しぶりに夫が夢に出てきたのでした。 夢の中で、夫と私は我が家のファミリールームにいました。彼は買ってきた牛乳やクラッカーをキッチンベンチに並べながら「すごく変わっていてビックリした」と言っていました。 夢の中の私は、夫が、馴染みのスーパーがある近所の商店街のことを言っているのだろう思っていました。コロナの外出規制で、ほとんどの店は閉店に追い込まれ、人通りも途絶えて閑散としている街並みのことを言っているのだろう、と。 既に夫が亡くなっていることは夢のなかでも判っていたので、「ああ、あなたが亡くなってから、コロナのせいで、いろいろと変わっちゃったからねぇ。ビックリしたでしょう」と応えていました。 すると夫が言ったのでした。「切なかった」、と。 目覚めてからもその声がはっきりと耳元に残っていました。 そうして今、夢のことを考えながら床上浸水してしまった彼の部屋に立ち、ハッとしたのでした。 あれは、街のことではなく、この部屋のことを言っていたのかもしれないナ。夫は、自分の部屋のことを話していたのかも・・・。 そう思ったら「切なかった」と言っていた彼の心情が思われて・・・。 もしかして夫は霊界で、我が家が危ないことに気がついて、それを私に教えようと夢に出てきたのかもしれないナ。そうして久しぶりに目にした、変わり果てた自分の部屋にビックリしてしまったのかも・・・。 まだ逝ってから5か月も経っていないというのに、自分の部屋が物置にされていたんだから、そりゃ切ないよね…。 とはいえ、感傷に浸っている場合ではないわけでして。 被害状況を調べたら、1階の4分の3が水に浸かっていました。それでも床の大半はテラコッタのタイル張りなので救われたものの、倉庫化していた夫の部屋と、メインベッドルームのウォーキングクロゼットの床はカーペット。とても自分たちの掃除で処理できるようなレベルじゃあなくて・・・。 どうしよう・・・? とりあえず、まずは落ち着いてからとコーヒーを入れようとしたけれど、電源が入らず。ヒーターをつけようとしたものの、全く反応がなく。Wi-Fiも、テレビの電源も落ちているし、どうやら安全装置が働いて家のブローカーが落ちてしまったようでした。 洪水後の電力事故で今度は家が火災に…という、踏んだり蹴ったり、最悪の事態を想定してEmergency Home Assistanceの会社に連絡したのでした。 1時間と待たずに電気技師がやって来て、家の電気を復活させてくれました。 洪水の原因は洗濯機のパイプ。それが老朽化して外れたのだそうで、彼は会社への報告書にパイプの写真を撮っていました。そうして私にも洪水の様子を写真に撮ってできるだけ早く保険会社に連絡するようにと勧めてくれたのでした。 それにしても、こんなしょぼいパイプ1本でこんな惨事になってしまったのね・・・。と思えば、夢に出てきた夫じゃないけれど、切ないゾ! お昼ごろには保険会社が手配してくれたEmergencyチームがどやどや到着してくれました。メルボルンはコロナの第2波で7月からまた非常事態宣言がされStage3の規制が敷かれていたので、スタッフも全員、白い防御服を纏っての作業です。ちょっと見、宇宙服のような物々しい完全武装(?)姿で家中を動き回り、被害状況を調べて、そこら中にBlower巨大な乾燥機を置いて去っていったのでした。 轟音を轟かせ、ほとんど暴力的に風を送り続けるこの巨大乾燥機が我が家に置かれたのは、初めてではありませんでした。実は十年前にも2階のバスルームから洪水に見舞われていたのよ! そのときは日本に一時帰国していて気づかなかったので、そのスケールたるや今の何倍も酷かったの。(詳しくは2010年5月の日記「ひぇ~、家が!?」と7月31日の日記「洪水カルマとその後」に)。当時の日記を読み返して、しみじみしてしまいましたよ。 そうだった、あのとき娘は8歳、息子などまだ4歳。水に浸ってしまった大切な縫いぐるみやおもちゃを前に子どもたちは泣いてしまったのでした。夫は、水でカバーのよれてしまった(彼の)思い出のLPを1枚1枚、ファミリールームの床に並べていたっけ。そんな当時の光景が鮮やかに蘇ってきたのでした。 あのときのLPは今回の洪水では無傷だったのに、所有者の方はもうこの世にいない。日干ししていた夫の存在の方が、LPよりも儚かっただなんて…。当時は夢にも思わなかったよ。 Emptiness―無常について、実感せずにはおれませんでした。 そうして夫の部屋は、十年前の洪水のときと同様にその日の夕方にはカーペットがまた剥がされて、コンクリート剥き出しの床に。ほとんど廃墟化した空間で巨大乾燥機が唸り声を上げておりました。 まあ、考えようによっては、これで少なくとも「物置部屋」ではなくなったわけですが・・・。 とはいえその夜、ネットで知った緊急速報に私はますます青ざめることに。 急遽メルボルンのコロナ規制はStage3からStage4に、夜8時から翌朝5時まで外出禁止!?1階のそこかしこに置かれた巨大乾燥機の爆音が凄過ぎてテレビは見ることができずニュース速報も見なかったので夜間の外出禁止を知ったときには既に始まった後って有様で・・・。 くわえて木曜からはスーパーや薬局、銀行、郵便局を除いて全ての店舗はClosed、6週間の営業停止に入るのだそうで。食品や生活必需品の買い出しも一家から一人だけ日に1時間以内に限って許可される!?という厳し~い外出規制が課せられることになったのでした。 嘘でしょ・・・こんなんで、買えるんだろーか、洗濯機?果たして、洗濯機ってば、生活必需品として認可されるのっ?? 今日の話では来週中に保険会社の査察官が来るってことだったけど、無事に保険会社の手続きが済んで、なんとか水曜日までにお店に走って買うことかできたとしても配送してもらえなかったり、インストールしてもらえなかったりしたら… Stage4は6週間続くってことだから、洗濯機なしで6週間は辛すぎるだろ。もう保険会社の決断など待ってはいられない・・って、切羽詰まった気持ちに・・・。 その夜は、巨大ブロワーの爆音もさることかながら洗濯機のことが心配で眠れなかったのでした。とほほほ・・・ けれどこれを書いている8月11日―毎日慌しくもワーカーたちが来てくれるお陰で事態はゆっくりとだけれども好転していました。何より洗濯機の方は先週金曜日に無事、入ったし!昨日は15台あった巨大乾燥機も夫の部屋を覗いて全て外されたし。24時間ほんとうるさかったわ… そう、今回被害が1番大きかったのが夫の部屋だったのよ。あの後、壁に並んでいた本棚まで全て運び出されて、今ではますます哀れな部屋になってしまったのでした。今週中に保険会社がカーペット会社を手配してくれるそうなのですが、なにぶんコロナのStage4規制で全てが遅れて、またまだ先は長そうですわ。 11日の今日は、夫の月命日。夫の部屋に関しては、私もそのうちなんとかしなきゃいけないな…とは思っていたのですが、仕事も再開したし、毎日とにかく忙しくて、そのままになっていたのでした。それに、あの部屋に入るのはやはり辛過ぎたから・・・。 実際こんなことがなければ、半年経ってもあの部屋の整理なんてできなかっただろうと思います。これも夫が背中を押してくれたのかもしれないと考えて、部屋に溢れた夫の遺品を整理しながらジンセイ整理してゆこうと思っています。要らないものはきっぱりさっぱりと、時に断捨離も必要ですからね。 そうして、この部屋を将来的にどう使うか、子どもたちと一緒にゆっくり考えてゆこうと思います。いつか生まれ変わった部屋をブログでご紹介できることを願って。 にほんブログ村に参加しています。応援クリックをどうぞよろしくお願いいたします(^^♪にほんブログ村 [マックあつこの著書]『Tamagoー39歳の不妊治療』えっ、不妊症!? ミラー月子はたまご時計に急かされながらベイビーを夢見て先の見えない旅に出た。メルボルンからアラフォー妊活小説『Tamagoー39歳の不妊治療』 Kindle電子書籍『Tamagoー39歳の不妊治療』単行本『インスタント・ニルヴァーナ』もしもあなたの大切な人がカルトの罠に嵌ってしまったら? 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2020.08.13
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オーストラリアでも6月9日から晴れて学校が再開しました。ビクトリア州はシドニーのあるNSW州と比べ遅かったのですが、Year8(中学2年生)の我が家の息子も遂に通学!ちなみに大学1年生の娘の方は未だオンライン講義が続いていて、再開は後期が始まる8月からになるそう。メェは今年から晴れて大学生なのですが、コロナで大学開始が遅れまくって、やっと始まったと思った翌日にはオンライン授業。結局1日しか通学できておらず、気の毒ですわ。思い返せば3月ーコロナ騒動でビクトリア州の公立校では秋休みが1週間前倒しに、2週間のホリデーが3週間になって、ムゥの学校も3月20日からお休みに入ったのでした。うちでは3月11日に夫が亡くなって学校を休ませなくてはならないことが多かったので、彼にとってはほぼ3か月のオフ・キャンパスになってしまいました。振り返れば、長かったような、短かったような…。今回は、コロナ騒動で始まったオーストラリアのオンライン授業について書いておこうと思います。連日コロナ感染者数が報告され、社会全体に緊張が走っていた4月ー息子の学校もコロナで長くなった秋休み(日本にはないお休みでしょ。基本オーストラリアの学校はホリデーが多いのよ)が明けると、2学期開始の4月14日からは(ここの年度明けは1月末からなのね)他校同様、オンライン授業に入ったのでした。これからは毎日家でパソコン広げてお勉強ってことで、自分の小汚い部屋がオンエアされたらマズイ!?と思ったらしく、普段は縦の物を横にもしないムゥが前日、慌てて部屋の片づけをしてました(笑・でも見える部分だけね)。ムゥは喘息持ちなので、リスクが減ったぶん有難いとは思ったのですが、反面、不安も。父親を亡くしたばかりで学校に行くことまでなくなってしまったら…子どもの精神的にはどうなんだろうか?学校という逃げ場がなくなっちゃって、可哀想かも…とか。一方、先生方や学校側も急遽、オンライン教育システムを構築する必要に迫られて大変だったようで。あのころほぼ連日送られてきていた学校からのメールにもコロナ騒動と政府の要望に戸惑う悲壮感、漂ってました。高校教師をしている友達もオンライン教育の準備で楽しみにしていた秋休みも満喫できず、かなり腰、引けてましたね。ビデオ授業なんてしたことないし、ZoomもGoogleMeetsも使ったことないし、オンラインなんてわからない~~~ああ、今日もITスタッフに電話しなきゃ、と。確かに、私たちの年齢でいきなりオンライン移行は辛かったろうなぁ…。さてさて、初めてのオンライン授業。どうなることやら・・・?と思っていたのですが、蓋を開けてみれば思いのほかスムースでした。学校側も、ただでさえ大変なこの時期に、生徒や保護者に負担を掛けたくないって気遣いからか、単に手が回らなかったのか(たぶん両方でしょう)、かなり緩~~~い授業内容が組まれておりました。宿題もほとんど出なかったそうで、ムゥはオンライン授業でまず思い出すのは、体育の授業。学校によっては踊ったり筋トレしたりする先生に合わせてパソコンの前でオンラインエクササイズなぁんてところもあったそうですが、ムゥのクラスでは、勝手にお家エクサでも、通りでジョギングでも、裏庭や公園でボール蹴っても、果ては犬の散歩でも、その時間に身体を動かしさえすればOKってアバウトなカリキュラムが組まれてましたね。記録して保護者のサインを貰うようにとは言われてましたが、そのうちサインを求められることすらなくなってました。(^^;)とはいえ学校からも子どものオンライン教育にできるだけ関わるようにと再三お願いされていたので、私も一緒にエクサしましたよ。そうなの、私の筋トレはコミックエッセイの「40女でもできる筋トレ」(始めたきっかけは2019年4月のブログ⇒「エクサ、あれこれ」に)ムゥめ、大笑いしてました。それでもそんな母の健康を案じてそのうちやんわりと指導に乗り出したのでした。「ほら、ママ、腹筋ていうのはね、こうやるんだよ」などと得意げに披露しつつ「大丈夫だよ、あなたでもやればできるからねっ!」と激励するのも忘れずに。しかしそこは中2、忍耐続かず…でそのうち諦めて行ってしまいましたけど。そうそう、体育の授業中一緒に犬の散歩に出たことも今では愛しい思い出よ。私がご一緒できないときはムゥが一人で2匹を連れて散歩に出てくれたり。ジョギングがてらカフェラッテのテイクアウェイをお使いしてくれたり。いやぁ、息子の体育の授業の存在は有難かったですぅ。有難いと言えば、Food-Techの授業も。要はお料理教室なのですが、講義に混じって時々実習もあったのよ。オーストラリアの祝日4月25日のANZAC DayにちなんでANZACビスケットを焼いたり。ちなみにアンザック・デイっていうのは、第一次世界大戦のガリポリの闘いで戦ったオーストラリア・ニュージーランド軍団(ANZAC)の兵士や国のために尽力した人々の追討を行う日で(『ウィキペディア』より)、第二次大戦以降は戦争で犠牲になった兵士や国民を追討する戦争記念日なんだそうで。その代表的食べ物がアンザック・ビスケット。栄養不足の兵士たちにできるだけ栄養をとってもらおうとオート麦やゴールデンシロップを使って焼いたってことで、栄養たっぷり(カロリーもたっぷり)の1品です。野菜や玄米を使ったヘルシースイーツって課題では玄米おはぎをつくってくれたり。家にある材料で工夫してお菓子を作るってお題ではココアとアーモンドのケーキを焼いてくれたり。完成した料理は写真に撮って、レシピと実習レポートと一緒にパソコンで提出してたっけ。Food-Techの授業は午後だったので、撮影後は速やかに家族でアフタヌーンティーを。焼きたてのケーキやクッキーは本当~~~に美味しかったですぅ。ムゥ、ご馳走様でした!思い返せば、オンライン授業が始まった4月半ばはまだ事務的手続に追われていて忙しくて、ほとんど息子のサポートをしてあげられなかった…ような気がします。ほんとうに、3月―夫が逝ったころとオーストラリアのコロナ騒動は重なっていたのよ。あれよあれよという間に非常事態宣言がされて、ほとんど毎日のように目まぐるしく新しい規制が敷かれていって…。死亡届とかいろいろと公的手続きを取らなきゃならないことがあったのに、指定された機関からサイン一つ貰うことさえままならず…。医療機関どころか警察まで…「コロナで書類関係の取り扱いは一切お引き受けできません」と署のドアに貼られた張り紙を前に、立ち尽くしてしまったっけ。やっと落ち着いてきたのが5月も半ば。あのころは家族3人と2匹で朝から晩まで24時間、一つ屋根の下に篭っていました。日用品の買物や戸外でのエクササイズは認められていたので、私は買物や、たまに友達と社交エクサ(でも相手は一人きりが合法ね)で外出することはあったけど、子どもたちの方はほぼ毎日ひたすら在宅。たまには陽光を浴びて光合成でもしないと…とウォーキングに誘ったり、犬の散歩に連れ出したりはしたものの、放っておけば1週間でも2週間でも平気で家篭りしそうな勢いだった。もともと出不精のムゥなど体育の授業がなければ冬眠に入っていたことでしょう。「そんなに家にばかりいて大丈夫?ストレス溜まっちゃうよ」と案じても、「ヘーキ。家好きだから」と二人とも、どこ吹く風。でもって、オンライン授業の合間に暇さえあれば、姉弟で遊んでおりました。二人並んでSwitchやWii-U、DSでゲームしていたり、日本のテレビやアニメを見ていたり、何やら意味不明な創造的ゲーム遊びとか。気がつけば、夫が亡くなってから英語を使う必要もなくなっちゃって、二人は常に日本語、使ってました。学校に行くことすらなくなっていたので、この子たちの英語力は大丈夫なんだろーか?と本気で心配になったほどに…。それでも子どもたちの楽しそうな笑い声が聞こえてくるとホッとするのでした。二人とも元気そうで本当に良かった、と。振り返ればこの時期、一番ハッピーだったのはたぶん我が家の愛犬、ポーちゃんとチャー君だったと思います。家に2匹で置いていかれることもなくなって、お散歩に連れて行ってもらえる回数も増えて、何より子どもたちの遊びにまで入れてもらえることが多くなって!いつも誰かの隣でぬくぬくと幸せそ~に寛いでおりました。ちなみに写真は、娘が撮っていたものを借りました。彼女は遊びや勉強の合間に気が向くと撮っていたようで。そうして、来週から学校が始まるという週末の夜ー息子がわざわざ言いに来てくれたのでした。こんなに長い間、家にいることができて、家族でずっと一緒に過ごすことができて、良かった。すごく幸せだった、と。思わずグッときてしまいましたよ。それからハタと気づいたのですが、3歳からモンテッソーリスクールに通い始めた二人。実際、物心ついてからこ~んなに長く家にいたことはなかったのよね。ふっと夫が最期のころに言っていた言葉が思い出されたのでした。「仕事ばかりしてないで、もっと家族と一緒に過ごせば良かった。もっと子どもたちと一緒に過ごしたかった」、と。そんなことを思い出してしまったら、この子どもたちと一日中家で一緒に過ごすことができた3か月間がとてつもな~く貴重な時間に思えてきたのでした。父親が亡くなったばかりで学校という別の世界までなくなってしまったらそれこそ逃げ場がなくなっちゃって、嫌でも家族の死にどっぷりと向き合うことになるのかも…?そうなったら可哀想だな…と子どもたちのメンタリティを心配したこともあったけど…。大切な家族を失ってしまったこの時期だからこそ一緒にいられて、本当に良かった。一緒に暮らす家族であっても、一緒に同じ空間にいられる時間は限られているから、毎日、一期一会の心ですね。さて、息子の学校が始まって1週間が過ぎましたが、元気に登校してくれています。3か月着なかった間に制服のズボンの丈が短くなっちゃって。ああ、今この子は成長期の真っ只中なんだなぁと、しみじみ。もうすぐ声変わりとかもするんだろうなぁ…。一緒に過ごせる時間の尊さを噛みしめつつまだ甲高い声を聞きながら今朝も息子を学校まで車で送ってきたのでした。それにしても、一日も早く治療法やワクチンが開発されてほしいものです。コロナ問題が速やかに終息しますように。にほんブログ村に参加しています。応援クリックをよろしくお願いいたします(^^♪にほんブログ村 [マックあつこの著書]『Tamagoー39歳の不妊治療』えっ、不妊症!? ミラー月子はたまご時計に急かされながらベイビーを夢見て先の見えない旅に出た。メルボルンからアラフォー妊活小説『Tamagoー39歳の不妊治療』 Kindle電子書籍『Tamagoー39歳の不妊治療』単行本『インスタント・ニルヴァーナ』もしもあなたの大切な人がカルトの罠に嵌ってしまったら? マインドコントロールの鎖は密かに繋がれてゆく。サスペンス長編3部作『インスタント・ニルヴァーナ 上巻』 Kindle電子書籍『インスタント・ニルヴァーナ 中巻』 Kindle電子書籍『インスタント・ニルヴァーナ 下巻』 Kindle電子書籍[Ako Mak 英語の著書]『Someday, IVF at 39』‘Someday, IVF at 39’ ―poignant, humorous and mysterious― a cross-cultural odyssey for motherhood.『Somedsay, IVF at 39』 英語版Kindle電子書籍『Someday Baby: IVF at 40』単行本[マックあつこのHP]マックあつこのHP Ako Mak HP
2020.06.19
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5月第2週の日曜日ー夫が逝ってから迎えた初めての母の日でした。 子どもたちが小さかったころは近所のレストランでマザーズデーランチを楽しんだものですが(当時のMother's Day日記はこちらから⇒2010年「マザーズデーとわが家への帰還」、⇒2011年「今年もHappy Mother’s Day!」、⇒2012年「手作りが嬉しいマザーズデー」)、ここ数年は紅葉に彩られたダンディノン山まで足を延ばして山のレストランでマザーズデーランチを取るのが習慣になっていました。 だけど運転の苦手な自分、そんな遠くまで運転するなんてとても無理だから、もう行くこともないだろうなぁ…。と思えば、そのダンディノン山で迎えた去年の母の日が、夫の例年「らしからぬ」行動とともに思い出されて…。 レストランの予約までは時間があったので、いつものように紅葉を楽しみ、お気に入りの町Sassafrasをぶらぶらと。子どもたちと夫がおもちゃ屋を覗いている間に、私はニューエイジショップをひやかして。またおもちゃ屋に戻ってみると、子どもたちがお店の袋を抱えてました。13歳 (当時) の息子ばかりか17歳の姉の方まで!この店は二人の好きなデジタルゲーム系とは無縁の、木の温もりや素朴な感じが幼児や児童に嬉しい、多少お高いけれど素敵なおもちゃ屋さんなのですが、ティーンネイジャーのあなた方が一体ここで何をお求めに? 「えっ、それ…?だいたいお小遣いそんなに残ってたっけ?」 「ううん、ダディンに買ってもらった」と下の子。「だって何か買ってあげるから欲しいものはないのかって、ダディンが…」と言い訳するように娘。 ダディンが…おもちゃ屋でって…、なぜっ!? 私が問うより早く「えっ、ニューエイジショップで何も買わなかったの…」と、なぜか失望したように夫(いつもなら「え~、買ったのぉ!?」)。「他の店も見れば何か欲しいものが見つかるかもよ」、と。 結局、子どもたちからも「母の日なんだから」とせつかれてもう少しお店を冷かしてみることにしたのですが、いつもなら子どもたちに付き添って公園へ行く夫が、なぜかこの日は私の後を付いて来る。どうせなら一人でゆっくり見たいのに、金魚の糞よろしく傍らを離れず。私が選んだイヤリングも奪うようにしてレジに並んでしまったのでした。「今朝、母の日のプレゼントなら貰ったし、別に自分で買うからいいよ」って呟きは無視して。 そうしてレジから戻った夫はプレゼント用に包装してもらったそれを手渡すと、ほっとしたように、一言。「良かった、これでみんなにプレゼント買ってあげることができた」と。さも安心したかのように。というか、どこか切羽詰まったような感じで…。 それが、自分が家族に何かをしてあげられる最後の母の日になると、来年のマザーズデーまで自分は生きることができないとあたかも知っていたかのように。人は潜在意識レベルでは自分の寿命をわかっていると言いますが、あのとき夫は、どこか意識の深いところで自分の死期を知っていたような気がします。 実際それが、家族4人で迎えた最後の母の日になったのでした。今年の母の日は家族3人(あ、愛犬ポーポーとチャールスもですね)自宅でゆったりと過ごしました。 どのみちコロナ騒動でビクトリア州は不要不急の外出禁止。レストランもカフェもパブも客席はしっかり閉鎖され、テイクアウェイのみ!と厳しいSocial Distance社会的な間隔規制が敷かれていたので、ダンディノン山のレストランなんて「ありえへん」世界なわけだしね。 お昼には子どもたちがマザーズデーランチを作ってくれて、アフタヌーンティーにはキャラメルプディングまで!子どもたちとお喋りして、映画を観て、夜は飲茶のテイクアウェイを楽しみ、と母の日の特権を満喫した、その夜― 明日は車を年に一度の点検に出さなくてはならないので、車屋には夫の鍵を預けようと久しぶりに夫の部屋に入って、生前に夫が鍵や財布を入れていた卓上の棚をあけ―固まってしまったのでした。 そこに、トンボとイモリの雑貨が入っていたから。 革ひものついたイモリのペンダントと、トンボが絡みつくように並んで、車のキイの隣に置いてあったのよ。良く見るとイモリだと思ったそれはワニだったのですが、私の目頭は既に熱くなっていたのでした。 「はあ?」とか「だから、何?」とか当然思われるでしょうが、私にとってトンボとイモリには特別な意味があるもので。 誰にでも守護霊様や氏神様がいるように、Guardian Animal God守護動物霊がついているともいいますが、私にとって、トンボはスピリチュアルワールドからのメッセンジャーなのでした。 トンボを自分の守護動物霊(って、昆虫だけど)かもしれないと思うようになった切っ掛けはブログに書きましたが(⇒「トンボですか…!?」2010年7月の日記に)、あれから十年が経って、今では自分でもそうなんだろうと思い込んでいます。だってほんとうに絶妙なタイミングで現れるんだもの。あたかも「大丈夫だよ」と励ましてくれているかのように。 そうしてイモリは、たぶん夫の守護動物霊で。 そう思うようになった切っ掛けは去年の年末―その一月ほど前に主治医からクリスマスまでは生きられないだろうと言われたもののそれなりに元気に(?)自宅で生活していたのですが、 「寝室にイモリがいる」 突然そんなことを言い出したのでした。 「え、イモリ~!?」「そんなもんが家にいるなんてあり得ない~~~イヤだ、どうしよう~~~!」と子どもたちはビビっていたけれど、私は大方、夫が寝惚けて見間違えたのだろうと、スルー。 それからも夫は時々「家にイモリがいる」と言うようになって、なんでも夜中に目を覚ますと、そこにイモリがいるんだそうで。イモリはたいてい同じ場所、天井付近の壁時計と仏像の写真をかけた辺りの壁を這っているんだ、と。 でもメルボルンに移住して四半世紀になるけれど、イモリなんて見たこともないし。だいたい私たちの寝室の窓は前庭に面しているので開けたこともないのに、一体イモリがどこから入って来るっていうんだろか? そのうち私は、夫が幻覚を見ているのだろうと思うようになりました。癌の苦痛緩和剤でモルヒネ系の薬品も服用していたので、その副作用かもしれない、と。もしくは、お迎えがきているのかもしれないなぁ、とか。 ほら、医療関係者も言ってるでしょ。死期を迎えた患者は、亡くなった親しい人の幻覚を見ることがあるって。夫も霊的に存在する何かを見ているのかもしれないわけで。でも過去に本人、イモリを飼っていたなんて話は聞いたことがないから、亡くなったペットのイモリ霊というよりも、もしかするとイモリは夫の守護動物霊なのかも…。霊界からのメッセンジャー?とか? そうこうするうち子どもたちまでイモリを見たと証言するようになって、イモリが実在する生身のイモリである可能性が高くなってきたのでした。じゃあ、イモリめ、いったいどこから?? 霊的存在などではなく、どうやら現実に存在するらしいと、私も本気でイモリ問題を憂い始めたとき(その対策を思えば、むしろイモリ霊であって欲しかったゾ)、遂に私もイモリを目撃した!?のでした。 夏だったのでまだ外も明るい7時ごろ、柔らかな夕方の陽光が差し込む寝室の天井近く、夫が言っていた壁の辺りに、果たしてイモリはへばり付いていた!のでした。思ったよりも大きくて、14、5センチはあったかな? え~、本当に我が家にいたんだ、イモリ…(ちっ)夫の幻覚じゃなかったんだ…(くそっ)。 「どうしよう?」と子どもたち。 どうしよう?と問われても、虫であれば大きめの容器と厚紙を使って容器の中にそっと捕獲して裏庭に出すのですが、なにぶんイモリは長過ぎて、捕獲用に使えそうな手頃な容器も見つからず。しかもあの位置では梯子にでも登らない限りとても届かない。 「どうしようかねぇ…」 複雑な思いで見上げている私たちをよそに、イモリは身じろぎもせず壁に貼り付いておりました。とりあえず今はこのままそっとしておこうという話になったものの、だんだんと心配になってきた。 やっぱり、このイモリ、うちに住み着いているんだろーか?だとしたら、食事はどうしているんだろう?だいたい飲み水は?もしかするとこの子、どこからかここに入り込んだものの、出るに出られず困っているのかも…このままだと飢えて、そのうちミイラ化して、イモリの干物に…ひぇ~~~ イモリに餌を上げるのは難しそうだったので(だって餌って、虫?)とりあえず水だけでもあげることにしました。イモリでも背が届きそうな平たいプラスチック容器に水を入れて、はて、どこに置こうか床に置いたんじゃ我が家のチョロ犬2匹に倒されそうだし…。 結局、イモリが貼り付いている壁時計の下にある箪笥の上が一番良いんじゃないかって話になったのですが。いかんせん、私の胸の高さほどのその箪笥の上には、ラマ・ゾパ・リンポシェや僧侶たちから頂いた小さな仏舎利塔や仏陀や観音像の写真を飾ったプチ祭壇になっているのでした。隅っことはいえ、そこをイモリの水飲み場にしていいものか??? 抵抗はあったものの、他に置き場所もなく―結局、イモリ信仰のお供え水にならないよう祭壇との境に念で結果を張ってから(笑)、イモリの水を置きました。それから天に、イモリがこの部屋から無事に出られるよう助けて欲しいと祈ったのでした。 ついでに、もしもイモリが夫の守護動物霊、天からの遣いであるのなら、そのサインを送ってほしい、と。そのイモリが何か病気の夫と関係しているような気がしてならなかったから。 果たしてその翌日、夫のすぐ下の弟が、イモリが描かれたアボリジニ画のプリントされたTシャツを着て、お見舞いに現れた!のでした。 それからは、いわゆる思い込み心理も手伝ってか、イモリやワニグッズにやたらと気がつくようになって。というか、我が家にはイモリやワニの雑貨が思いのほかたくさんあったのよ。 そういえば、結婚前に夫が、自分は子どものころワニが好きだったので、未だに家族がワニやトカゲやイモリ関係の雑貨を贈ってくれるのだと苦笑していたことがあったっけ。イモリとワニでは実物は雲泥の差がありますが、キーホルダーやペンダントにしてしまうと見た目、大して変わらないのよねぇ。 あのころ夫は、夜中に痛みで眠れず目を覚ますと、そこにイモリがいるのだと言っていたものでした。ちょうど彼の正面、介護ベッドを置いた向かいの壁の天井付近、壁時計とブッダガヤの仏像の写真の上辺りにいつも出没するのだ、と。今思い出しても、あのイモリの居た空間はどこか異次元じみていました。 たぶんイモリは、苦しんでいた夫を見守っていたのだろうと思います。大丈夫だよ、と励ましてくれていたのだろう、と。 イモリに水を上げたその夜以来、イモリはぴたりと現れなくなりました。家族の誰ももう目撃することもなく。 以来、イモリは夫の守護動物霊、天界からのメッセンジャーなんだろうと思うようになったのでした。 そうして母の日の夜、そのイモリが(正確にはワニだけど)、夫の貴重品を入れておく引出しの中、財布と鍵の隣に、トンボと並んで寄り添うように置かれているのを発見したのでした。 アクセサリーの類は結婚指輪以外つけたこともなかった夫が、ワニのペンダントを貴重品の引出しに入れておいたこと自体、意外でしたが、トンボに至っては、ペンダントやキーホルダーでさえないのに!どうしてこんな物を貴重品の引出しの中に???そりゃ私が話したから、トンボが私にとって特別な存在であることは、夫も知ってたけど…。 途端にトンボとイモリ(あ、ワニか)―寄り添うように並んだ二つの姿が切なく心に迫るのでした。 もしかして夫は、自分が亡くなった後、いつか私がこの引出しを開けることを思っていたのかも… するとそれが、今年の母の日の夫からの贈り物のような気がしてきたのでした。 それにしても、トンボとイモリのカップリング…いかにもちぐはぐな夫婦だったなぁ。と。 それでも―子どもたちを授かって、一緒に大切な家庭を育むことができたのだから。瞑想や仏教に興味のあった私に付き合ってくれて、一緒に法話やリトリートに参加してタントラ行も積んでゆくことができたのだから。十分だよね。ありがとう。 夫の魂が不自由な肉体を抜け出せた今、ペンダントのワニを縛り付けていた黒い革紐は外して、自由にしました。 もはやペンダントでもキーホルダーでもないワニとトンボは、私の書斎の本棚に置かれています。温かい気持ちにさせてくれる思い出の品として。 にほんブログ村に参加しています。応援クリックをよろしくお願いいたします(^^♪にほんブログ村 [マックあつこの著書]『Tamagoー39歳の不妊治療』えっ、不妊症!? 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2020.05.23
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先日ブツフレ(仏教友達)キム姉からOne day Long-Life Retreatのお誘いが届きました。明日オンラインでラマ・ツォンカパ長寿行の1日リトリートがあるから一緒にやらないか、と。5月3日早朝6時からネパールのマラチカにある僧院で、コロナ・ウィルスの鎮静と治癒を願って、密教リトリートが開催されるのだそうで。頼めば亡くなった方のご祈祷もしてもらえる、とのこと。世界各国オンラインで、自宅から同時に参加する密教リトリート。コロナ騒動で、学校や仕事の大半がオンラインに移行してしまったこのご時勢(日本ではテレワークって言うんですよね)、密教徒なら、やっぱオンライン・リトリートですよね(笑)。日曜はゆっくり家でブログ書いて映画観て・・・と思っていたのですが(まあ、いずれにしても場所的にはオーストラリアでも外出規制の厳しいビクトリア州、家にいるしか選択肢もないのですが…)、確かに、夫の供養にもなりますし。何より、久しぶりに耳にしたリトリート!って言葉に、心が弾んでしまいました。家族の不幸やコロナ騒動ですっかり忘れていましたが、今年はラマ・ゾパ・リンポシェの密教リトリートに参加しよう!と思っていたのでした。2年前に参加したリンポシェの密教リトリートのことはブログに書きましたが(⇒「山の行より里の行」2018年4月の日記と、⇒「キャンプdeリトリートと夢見」2018年5月の日記に)、リンポシェは2020年もオーストラリアにいらっしゃることになっていて、3月21日から4月18日ベンディゴのアティーシャ寺院でリトリートが予定されていたのでした。私も子どもたちを連れて10日ほど参加しようと今回は寺院のテントまで予約していた!? のですが、それが3月の頭にコロナ騒動で急遽キャンセルになってしまって…。娘など、リトリート最終日のLong Life Puja長寿の法要でダキニの舞を踊るダキニ役が決まっていたので張り切って神事の舞踊の練習をしていたし…。息子も初めてのキャンプ(?)リトリートを心待ちにしていたし…。今回リンポシェはメルボルンのチベット寺院にも足を延ばしてくれることになっていたので、もしかしたら夫も1時間だけでも参加できるかも・・・とか期待に胸を膨らませていたのですが…。あ、でも考えてみれば、今年は年明けからインドで行われたダライラマ法王の5日間リトリートにオンラインで家族揃って参加していたのでした。あれは自宅ではなくメルボルンのチベット仏教寺院からでしたが(よろしければ、そのときの日記⇒「家族でダライラマ法王と迎えた年明け」も)、オンライン・リトリートは、今回が初めてじゃあないわけで…。実際、そんな昔のことでもないのに、あれからいろいろあったせいか、なんだか遠~い昔のような気もしてしまいます。。。話が逸れてしまいましたが、早速、書斎の瞑想空間にノートパソコンを設置して、オンライン・リトリート場をつくりましたよ。で、明日の朝は6時開始だから5時起きだな、とか張り切っていたら、それはインド時間で。。。時差でメルボルンは10時半からでした。とにかく、やってみました、初めての自宅でオンライン密教リトリート!パソコン画面に映し出されたのは、年明けに開催されたダライラマ法王の大規模なリトリート会場とは一線を画し、いかにも小狭そうな一室に置かれた簡素な祭壇で。その傍らに白人の若いチベット仏教僧が一人ぽつんと座っていました。ネパールもコロナ騒動で厳しい外出と社会的距離間の規制がかかっているのだそうで、部屋にはお坊さんや尼さんが数人いるだけのようでした。リトリートをガイドしてくれたのはこの若いお坊さんVen. Namjongさん(なんて発音するんだろう、ナムジョンさん?)。発音から察するにアメリカ人だと思うのですが、100%ネイティヴ・イングリッシュ・スピーカーの説法はチベット訛りの英語を聞き慣れた耳にはやはり聞き取り易かったデス(苦笑、自分の英語を棚に上げてすみません!🙇)。最初のセッションは「Transforming a Suffering Life into Happiness―日々の苦悩を幸福に変容してしまう生き方」。この行は私もしたことがありますが、ものすご~くパワフルなタントラヨーガ。気を抜けば自我に捕らわれ生活している普段の心を菩薩の心に変容させてから1日を始めようとする動機付けのための密教行です。久しぶりにやってみて改めて思いました。毎朝、起き抜けにこの行をしてから1日を始めるならどれほど素晴らしい人生を送れることだろうか、と。続く朝のお勤め行のクオリティも遥かに高くなりそうです。そうは思っても30分はかかってしまうので実行は難しそうだけど、せめて週1くらいなら…。その後のLama Chopa行は、手元に教典がなかったので、私は聴きながら瞑想していました。それにしても、ネパールは小鳥が多そうデス。ナムジョンさんの背後で揺れていたカーテンの隙間からいろんな小鳥のさえずりが爽やかに聞こえてきて、和まされました。草原か、ヒマラヤ山脈か、町並みか、窓の向こうにどんな光景が広がっているのかはわかりませんが、小鳥のさえずりにのってゆったりとさざ波のように平和な空間が私の小さな書斎にまで流れ込んできたのでした。行の後、ナムジョンさんの思い出話も印象的でした。コロナ騒動の鎮静化と治癒を祈って法要をしたときにラマ・ゾパ・リンポシェがナムジョンさんたち僧侶に聞かれたそうです。どれだけ仏陀の教えを真剣に受け止めているか、と。世界中がコロナ・ウィルスに怯えている。目に見えないそのウィルスを予防するために人々は政府や医師団の言葉を守り、手を洗い、うがいをして、マスクをして、外出を控えている。では、カルマはどうなのか?ウィルスに感染することを予防するように、どうして負のカルマを積んでしまうことを恐れないのか?信じる信じないに関わらず、あなた自身の今日の言動が自分の未来をつくっているというのに、どうしてそのことには鈍感でいられるのか?と。リンポシェに問われてナムジョンさんはハッとしたそうです。確かに、自分はもう1月以上も僧院から1歩も外に出ていない。政治家の指示や医者のアドバイスを忠実に実践して、小まめに手を洗って、うがいをして、ウィルス予防に努めている。一方、Dharma(仏法)行の方は?何ていうか…、ああ、釈迦牟尼仏陀さん、自分を守るためのアドバイスをどうもありがとうございます。カルマの法則とか、そのうちゆっくり考えてみますね的に。僧になってからでさえ、自分は今回のコロナ対策くらい忠実に実践してきたと言えるのだろうか?実際、コロナで亡くなる方もいる。だけどコロナにかからなくても、いつの日か人は必ず死ぬ。それは絶対に避けられない自然の理であって、カルマの法則は今この瞬間にも作用し続けているのに果たして自分は本当にそのことを意識しながら行動しているのだろうか?と。そう話してくれたナムジョンさんの言葉は私の心も打ったのでした。このセッションの最期にしたREJOICEの行も心に残っています。Rejoice、Joyous Effortは六波羅蜜の一つ、精進。善行を喜びながら精進してゆくという行です。ナムジョンさんの誘導で、How Wonderfulと喜びの瞑想をしました。自分は今日みんなと一緒に自宅でこのリトリートに参加している、なんて素晴らしいんだろう!コロナ騒動の解決と人類の平和を祈って、このセッションに参加している、なんて素晴らしいんだろう!どんどんどんどん、自分のこれまでにしてきた善行を思い出しては、How wonderful! How wonderful! How wonderful! と喜んでゆく。そうしてそれがどれほど尊いことか。それを可能にしてくれた周囲の環境や人、全てのご縁に感謝してゆく。それらがいかに得難く貴重なことであるかをHow Precious! How Precious! How Precious! と改めて感謝し続ける。続けてゆくうち、いつしか心は軽く、澄んだ青空のように晴れ晴れと、広々と限りなく透明に広がってゆくのでした。瞑想を終えて、改めて思いました。夫の火葬やお葬式の手配も終わらないうちにオーストラリアでも「Covid-19コロナ・ウィルス」の悲報が続き、スーパーではパニック買いから商品が消え、 と驚いている間に非常事態宣言が発動されて、あっという間に数々の社会規制が敷かれてゆきました。降って湧いたようなコロナ騒動に圧倒されて、いつの間にか毎朝、起き抜けにTVをつけてニュースに耳を傾けるのが習慣になっていました。そこで毎朝更新される世界のコロナ感染者、死亡者数。その途方もない数字を聞いているだけでも心はドッと暗くなってくる。先の見えない不安で気持ちも萎え、重くなっていったのでした。もちろん、これらの情報は無視できない貴重なもので、実際この瞬間にもコロナで苦しんでおられる方は大勢いるわけで。でもだからといって私が自分の心を委縮させていてもなんの益もないわけです。自分にとっても、子どもたちにとっても、周囲にとっても。ともすれば心がふさぎがち悲観的になりがちな今だから、Rejoiceの行や瞑想はとりわけ有益だと改めて実感しました。何も瞑想クッションに座らなくても、気づいたときに、ほんと3分間でもいいから毎日実践してゆこう、と。リトリートはインド時間で午前6時から午後7時半まで、1時間半ごと4セッションでした。結局、私が参加したのは午前中(インド時間で)2セッションだけでしたが、50か国近くから参加されたそうです。世界各地でオンラインでつながって、一斉に瞑想して、マントラを詠唱して、祈祷して行をする。一緒だからもっとパワフルなリトリートができて、私も人生から一休みさせてもらえました。後で、リトリートが行われたチベット仏教寺院を探したらMaratika僧院という美しい洞窟で有名なお寺でした。こんなところで瞑想できたら素晴らしいだろうな~。僧院のHPで写真がご覧いただけますよ。⇒ https://maratikamonastery.org/「にほんブログ村」に参加しています。応援クリック、よろしくお願いいたします(^^♪にほんブログ村 [マックあつこの著書]『Tamagoー39歳の不妊治療』えっ、不妊症!? ミラー月子はたまご時計に急かされながらベイビーを夢見て先の見えない旅に出た。メルボルンからアラフォー妊活小説『Tamagoー39歳の不妊治療』 Kindle電子書籍『Tamagoー39歳の不妊治療』単行本『インスタント・ニルヴァーナ』もしもあなたの大切な人がカルトの罠に嵌ってしまったら? マインドコントロールの鎖は密かに繋がれてゆく。サスペンス長編3部作『インスタント・ニルヴァーナ 上巻』 Kindle電子書籍『インスタント・ニルヴァーナ 中巻』 Kindle電子書籍『インスタント・ニルヴァーナ 下巻』 Kindle電子書籍[Ako Mak 英語の著書]『Someday, IVF at 39』‘Someday, IVF at 39’ ―poignant, humorous and mysterious― a cross-cultural odyssey for motherhood.『Somedsay, IVF at 39』 英語版Kindle電子書籍『Someday Baby: IVF at 40』単行本[マックあつこのHP]マックあつこのHP Ako Mak HP
2020.05.08
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昨日は夫の四十九日でした。といってもオーストラリアの一般的習慣では何か特別な意味や儀式があるわけでもなく、なによりこんなご時世、特別なことはしませんでした。先月からコロナ対策で非常事態宣言が発動されてここビクトリア州でも日用品の買い出しとか必要不可欠な活動以外は外出禁止、お葬式や結婚式、冠婚葬祭まで5人以下とか人数制限がされて、厳しく取り締まられています。違反者には$1600以上の罰金と、かなり厳しいの。とはいえチベット仏教徒。「The King of Prayers」を詠唱しました。日本語では何ていうんだろ?行の菩薩Samantabhadra―普賢菩薩の祈祷です。これをゲシェ・ドガに勧められて夫が亡くなってからは毎晩交代で家族の誰かが唱えています。少しでもお供養になればなぁ、と。昨日は特別にお花を飾って(写真は夫を送り出したときの思い出の花束ですが)、蝋燭に火を灯して、お香をあげて、小さめだけどホールのチョコレートケーキや(これは本人の好みというよりむしろ私たちかも…、夫は晩年ベジタリアンになった以外、食べ物の好き嫌いがあまりなかったもので)や、飲み物をお供えして。子どもたちと愛犬2匹、家族3人でご祈祷しました。まだ小さかったころ子どもたちは「うちは4人家族だから4つ買ってね」とか言っていたものですが、これからは「3人家族」。Emptimess―無常は世の常だと普段から意識しているつもりではいても、家族が減ってしまうというのは寂しいものですね。それにしても、夫の写真がなかった! USBやSDカードを引っ張り出してきて探してはみても一人で写っている写真が呆れるほどに、ない!?夫が映っている写真にはどれもこれも背後霊のように傍らに子どもたちがひっついていて、つーか、フォーカスは子どもの方に当っているので夫の方がむしろ背後霊的に、集合写真で。本当~に、呆れるくらい夫の単身写真はなく―まあ、カメラを構えていたのが自分であることを思えば当然なのだけど。だって私が撮りたかったのはあくまでも子どもたちの愛しい姿であって、夫の方はむしろ意地でも撮ってやるもんか的に、いやぁ、夫婦仲… しみじみさせられてしまいましたよ。結局、集合写真から夫の姿を切り取って引き飛ばすことにしたのですが、子育ての終わっていない夫婦で、伴侶のお葬式用写真に苦慮するのは、案外珍しいことでもないのかも・・・。て、違うか。先月3月11日、夫はホスピスで最期を迎えました。自宅で逝きたい、という本人の当初の希望は叶いませんでした。末期癌の痛みに関しては聞いていましたが、夫も最後は酷い痛みに苛まれていたから。このまま家族と一緒に家で過ごしたいけれど、自宅で受けられる苦痛緩和医療ではもう限界にきているから病院に戻りたい、そう言ったのは本人でした。もともと医師だった彼には自分の受けられる医療に関しても良くわかっていたのでしょう。それが自分にとっても家族にとっても最善だと判断したのだと思います。2月16日、夫はホスピスに再入院しました。そこで3月2日には誕生日まで迎えることができました。とにかく忙しなかった私の代わりに新型コロナ・パンミックで大学の開始が遅れていた娘がケーキをつくってくれました。息子は中学校を早引きして、家族4人でホスピスのカフェ・リビングでお祝いしました。去年の11月、癌の専門医からクリスマスまではもたないと言われていた夫でしたが、3月の誕生日を迎えることができたのでした。さすがに月末29日の息子の誕生日まで頑張ることは叶わなかったけれども。そうしてその翌週に夫は息を引き取りました。先週4月23日は私の誕生日でした。いつもここで夫との年の差が8歳から7歳に戻るのですが、もうこの年齢差は今年限りなんだなぁと、ふと。来年からは1年毎に年齢差が縮まっていって、遂には私の方が追い越してしまうんですね。。。誰かが亡くなるときに起こる不思議な出来事や偶然の一致、シンクロニシティの話は聞きますが、夫の最期も何かに守られ、導かれているようでした。どこから書いたらいいのでしょう?これから少しずつ夫の終末について書いてゆこうと思います。にほんブログ村に参加しています。応援クリックよろしくお願いいたします。にほんブログ村 [マックあつこの著書]『Tamagoー39歳の不妊治療』えっ、不妊症!? ミラー月子はたまご時計に急かされながらベイビーを夢見て先の見えない旅に出た。メルボルンからアラフォー妊活小説『Tamagoー39歳の不妊治療』 Kindle電子書籍『Tamagoー39歳の不妊治療』単行本『インスタント・ニルヴァーナ』もしもあなたの大切な人がカルトの罠に嵌ってしまったら? マインドコントロールの鎖は密かに繋がれてゆく。サスペンス長編3部作『インスタント・ニルヴァーナ 上巻』 Kindle電子書籍『インスタント・ニルヴァーナ 中巻』 Kindle電子書籍『インスタント・ニルヴァーナ 下巻』 Kindle電子書籍[Ako Mak 英語の著書]『Someday, IVF at 39』‘Someday, IVF at 39’ ―poignant, humorous and mysterious― a cross-cultural odyssey for motherhood.『Somedsay, IVF at 39』 英語版Kindle電子書籍『Someday Baby: IVF at 40』単行本[マックあつこのHP]マックあつこのHP Ako Mak HP
2020.04.29
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Happy Year 2020!!! 皆様のご多幸をお祈り申し上げます。2019年から2020年へ、いかがお過ごしでしたか?私の方は12月中旬から日本に一時帰国する予定だったのですが、夫の病状が急変してしまって…。去年早々に買っておいた航空券も急遽キャンセルして、オーストラリアで新年を迎えました。例年なら近所のお寺で除夜の鐘を打ち、『ゆく年くる年』で日本全国大晦日の風景を窺い寺院の鐘の音を聞きながら炬燵で迎えていた新年が、今年はメルボルンの花火で迎える年明けに。除夜の鐘を打つ代わりに、地元のチベット仏教寺院で大晦日に開催された祈祷に参加しようかとも思ったのですが、夫には無理そうだったし、家族揃って過ごしたかったので、結局テレビの前で、Happy New Yearそれでも、家族4人で新年を迎えたのでした。オーストラリアのお正月といえば別段伝統的行事があるわけでもなく、かといって福袋や年明けセールがあるわけでもなく(年末セールはクリスマス明け26日Boxing Dayに始まっている)、むしろお店の大半は閉まっています。この時期は夏休みホリデー旅行中の方も多いので、近所の商店街もひっそりとしたもので、カフェもレストランも開いててラッキー!って感じデス。年末にメルボルンのジャパニーズグロッセリーで栗きんとんやお餅なんかは買えたので、なんちゃってお節やお雑煮を用意して、とりあえず日本のお正月気分は味わったものの、年明け、神社仏閣に初詣にも行けない・・・というのはスピ的要素があまりに無さ過ぎて、自分的には、辛っ。せめてもビーチに太陽を拝みに行ってきましたよ。地理的に地元のビーチからでは初日の出は無理なので、初夕陽を。困ったときの太陽信仰?ですかね。一方、日本で年に1度孫たちとの再会を心待ちにしていた両親は私たち以上にガックリきてしまったようで。新年の挨拶に国際電話をかけたら父が開口一番ぼそりと一言、「今年は帰って来るのか?」私がメルボルンに移住して四半世紀近くになるのですが、父がそんなことを聞いてきたのは後にも先にも初めてのことで…。ふだんは自分の胸の内を見せない寡黙なひとだけに、何やら思い詰めたその一言が胸に突き刺さってきて…。母など夫や家族のことを気遣いながらも自分ももう年だから来年もここ(自宅)にいたいけど無理かもしれない…などとうるうると弱気な発言を…。うわっ、新年早々何を不吉なことを…と思っても、実際母の年齢と健康状態を考えれば、何が起きても、つーか、いつ介護施設に入らなくてはならないような状況になってもおかしくはないわけで…。電話を切ったときには、どっぷりと落ち込んでしまったのでした。もう今年の正月ってば…本格的にどんよりしそうな翌朝2日、仏フレ(仏教フレンド)ティナリン(仮名)から連絡が入ったのでした。インドのブッダガヤで開催される5日間のダライラマ法王の教義が地元のチベット仏教寺院でもライブで受けられることになった、と。なんでも31日大晦日の祈祷会で急遽決まったとのことで。毎年この時期にダライラマ法王はインドで数日間の講義やリトリートをされます。それに合わせて私の地元のチベット仏教寺院からもゲシェや仏フレ達がインドへ行くので、私もそのうち参加したいと思っていたのでした。でも夏休みと重なるこの時期は毎年日本に里帰りをしてしまうから難しいだろうな、と。今年なんか夫は病気だし、絶対無理だろうな、と。それが、オンラインとはいえ…!?ティナリンたちと年明けランチをして、数時間後にはチベット仏教寺院で瞑想クッションに座ってました。突如実施が決まったという緊急企画だったせいか会場もメインのゴンパ(瞑想室)ではなくこじんまりした観音の間にスクリーンとスピーカーがセットされて、寺院からのお知らせメールも一斉なかったので開催を知っている人も殆どなく、集まったのも十人ほど。既にブッダガヤでは僧侶たちの読経が始まっていました。私もGyuto Monksの力強くリズミカルな読経を聞きながら新年の瞑想を。メルボルン時間で2時15分くらいにダライラマ法王が入場し、オンラインとはいえ、仏像や観音像やタンカの飾られた瞑想室でダライラマ法王の講義に参加することが叶ったのでした!法王は2015年にブルーマウンテンでリトリートをされてからオーストラリアにはいらしていないので、ほぼ4年半ぶりに。この日1月2日、初日の講義は37 Practices of Bodhisattva菩薩の37行でした。2日目はAvalokiteshvara Empowerment千手観音の灌頂、3日目と4日目はManjushri Cycle of Teachings文殊菩薩の教義を、6日の最終日にも様々なイニシエーションを授けてくれました。ダライラマ法王の講義に関して興味のある方はどうぞこちらで⇒ 37の菩薩の実践の法話会 ビデオそうなんです、イニシエーション。今回法王は、2日目の千手観音の灌頂に始まって、菩薩戒から最高位のタントラ・ヨガまでビックリするほどたくさんのイニシエーションを授けてくれたのでした!とはいえ、オンラインだったので、実際のInitiation灌頂というよりBlessing祝福として受けようと思っていたら、仏教寺院など仏のいるところで受けている人たちは正しい動機と意志さえもつならば灌頂として受けても良いのだと法王自らが明言されたのでした!もちろん灌頂として頂きました。過去に法王から授かっていた神仏のイニシエーションは改めて絆を強めるために、今回新たに授かったご縁は全身全霊で受け取りました。ものすごくパワフルで、夢見も数日間にわたって続いていました。結局、今年は正月2日から6日まで午後はチベット仏教寺院でダライラマ法王の講義やイニシエーションを受けて過ごしました。私だけでなく、2日目からは思いもよらず子どもたちも参加、3日目からはなんと夫までもが参加したのでした!夫もチベット仏教徒でダライラマ法王の講義も過去に何度も参加しているのですが、やはり今回は、まさか参加してしまうとは思わなかった。というのもー以前書いたことがありますが、夫は2年半前に癌と診断されていました(⇒2017年7月6日の日記「メルボルンの冬空から出雲大社に」に)。詳しい話はまたおいおい書いてゆきますが、実は10月末から入退院を繰り返し、11月半ばに主治医から余命数週間、クリスマスまでは持たないだろうと言われてしまったのでした。その1週間後、夫は入院していた病院の一般病棟からPalliative Care終末医療病棟の方へ移ったのですか、「病院ではなく家で最期を迎えたい」という本人の強い希望で11月22日に自宅に戻ってきました。当時はいつ息を引き取ってもおかしくないほど衰弱していたのですが、子どもたちや犬たちの元気なパワーに癒されたのかあれよあれよという間に持ち直し、クリスマスどころか新年まで迎えることができたのでした!それでもまさかダライラマ法王の講義にまで参加できてしまうとは!?外出なんてもうあまりしないし、たまにスーパーやカフェに行っても疲れてしまうし、椅子に長時間は座っていられないと言っていたのに…。だからイニシエーションが始まり次第、自分は瞑想室から出てゆくと事前に言っていたのですが、なんと最後まで3時間以上も座り続けていた!のでした。「信じられないほどパワフルだった! 素晴らしかった!」と夫は翌日からも参加を続け、驚いたことに結局その後3日間、最後の6日まで参加してしまったのでした!法王が授けてくださったイニシエーションを彼が祝福として頂いたのか灌頂としたのかはわかりませんが、素晴らしい年明けを迎えることができたようです。今回日本に帰れなかったのは残念だし、両親のことを思うと胸が痛むけれど、やはり夫に幸福な最期を送ってほしいと思います。結局、スピリチュアルからは程遠いとガックリきていたメルボルンの年明けは、思いもよらずスピリチュアルなお正月になったのでした。家族4人でダライラマ法王と過ごした5日間、ですかね?夫が終末を迎え、ブッダガヤどころか近所のカフェでさえ一緒に出掛けることがままならなくなってはいますが、この時期に法王のリトリートを家族揃って受けることができたのは有難く、祝福だなぁと心の底から思うのでした。子どもたちにとっても、きっと一生忘れられない思い出となることでしょう。2020年―我が家では大切な家族の一員を失おうとしています。夫は自宅で終末を迎えたいと望んでいます。私にとってはやはり外国のオーストラリアで、家族の一員を送り出すことに不安はありますが、家族として、仏教徒として、できるだけのことをしてゆこうと考えています。それから、できるだけ書いてゆこうとも。今年もどうぞよろしくお願いいたします。にほんブログ村に参加しています。応援クリックをよろしくお願いいたします(^^♪にほんブログ村 [マックあつこの著書]『Tamagoー39歳の不妊治療』えっ、不妊症!? ミラー月子はたまご時計に急かされながらベイビーを夢見て先の見えない旅に出た。メルボルンからアラフォー妊活小説『Tamagoー39歳の不妊治療』 Kindle電子書籍『Tamagoー39歳の不妊治療』単行本『インスタント・ニルヴァーナ』もしもあなたの大切な人がカルトの罠に嵌ってしまったら? マインドコントロールの鎖は密かに繋がれてゆく。サスペンス長編3部作『インスタント・ニルヴァーナ 上巻』 Kindle電子書籍『インスタント・ニルヴァーナ 中巻』 Kindle電子書籍『インスタント・ニルヴァーナ 下巻』 Kindle電子書籍[Ako Mak 英語の著書]『Someday, IVF at 39』‘Someday, IVF at 39’ ―poignant, humorous and mysterious― a cross-cultural odyssey for motherhood.『Somedsay, IVF at 39』 英語版Kindle電子書籍『Someday Baby: IVF at 40』単行本[マックあつこのHP]マックあつこのHP Ako Mak HP
2020.01.15
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11月4日の日記『Tamagoー39歳の不妊治療』の「プロローグ」と「1 三十九歳の誕生日」の続きです。 義父母の家を訪ねれば、パーティーというより「良い子のお誕生会」が待ち受けていた。ビクトリア朝の門には、この国でお子ちゃまパーティの目印とされる風船の束が括りつけられて、無邪気な歓声が通りにまで聞こえてくる。噴水とバラ園が見事な裏庭も今日はさながらプレイグラウンドか仮設遊園地ってところ。ジャンピングキャスルって、お城の形をした巨大なトランポリンが運び込まれて、腕白坊ややおしゃまさんたちが駆け回っているんだから。 ぬぁぁにがわたしのパーティーなんだか! 本当に、見渡す限りの家族連れ。ここで子どものいない成人はわたしたち夫婦だけだろう。ガーデンパーティーと聞かされて、白いパンツスーツに幅広の帽子まで被ってきた自分が完全なる間抜けに思えた。このパーティーにドレスコードがあるとするなら作業着か戦闘服。涎やゲロ、もしくはトマトケチャップやチョコレートアイスクリームのこびり付いた手でいつ触られてもパニック発作を起こさないよう、誰も彼もが完全武装しているみたいだ。あ、でももう一人、浮いた女性が。オペラ歌手も顔負けのド派手なドレスを着て、ちょこまかと駆け回っている。「ディア、ディア、マイディ~ア」 ルパートの母親、ローズ・ミラーが片手をひらひらさせて飛んできた。幼いころの記憶がふっと蘇る。今気づいたけど彼女って、ディズニーの『シンデレラ』に出てきたチビで太っちょのおばさん妖精・・・何て言った? そう、メリーウェザーだ…に似ていない?「ルパート、マイ・リトル・ボ~イ」 義母はひしっと息子をかき抱くやキスの雨を浴びせかけ、今日もパワー全開だ。何が「私のちっちゃな息子」なんだか。傍らで白けるわたしをよそに夫はにこにこと笑っている。「あぁら、月子、マイディ~ア、ハッピーバースデー!」 彼女は振り返るや今度はわたしを引き寄せて、大げさな仕草の割に、キスは真似だけ。義母のキスマークなんてご免だけれど、結婚後一年くらいはその露骨な態度の違いに戸惑ったものだった。人種差別か移民排斥でもされているのかと思った。けれど今ならわかる。半生を子育て一筋に費やしてきた彼女は自分の子を溺愛しているだけで悪気はないのだ。たぶん。言うならば、そう、血縁差別ってところだろうか。「ありがとう、ローズ」と頷きながらも身を引き姿勢を正して、義母との間に微妙な距離を保とうと試みる。それにしても、義母を「ローズ」と呼び捨てにすることには未だに少し抵抗がある。日本なら「お義母さん」と呼ぶのだろうけれど、英訳して「マザー・イン・ロー」では不自然だし、「ミセス・ミラー」だと他人行儀なうえ自分も同じ。「ミセス・ローズ」だなんて、ファーストネームに敬称はつけないし…。などと、当初は戸惑ったものだった。ルパートは、相手が親だろうと上司だろうと年上だろうと、敬称無しのファーストネームで呼び合うのがこの国の流儀なんだから「ローズ」でいいんだ、と笑っていたけれど、やはり気は引けてしまう。儒教的バックグラウンドに育った身には馴染み難いものがあって。「それでマイディ~ア、あなた、いくつになったの?」 そう義母が微笑んだとき、二年近い付き合いですっかりシステム化した体内トラブル早期発見アラーム装置が早くも唸り始めた。微笑み返しながらも心は合気道の構えを取る。「三十九歳ですけど」「そう」と、三拍分の間。そして、溜息。続き、いかにも気を取り直しました、と言わんばかりに首を振り、義母が優しげに頷く。「でも諦めないことよ、マイディア。今から頑張れば三十代出産も夢じゃないんですからね。大丈夫、来年の誕生日は喜びで迎えられるよう、私も応援していますからね」「はあ」「はあって。ねえ、わかるでしょう。子どもはいくつになっても産めるってもんじゃあないんですよ。うちの人の継ぎ接ぎ心臓だってこの先、何年もつことやら。だから私もね」「母さん! それより双子はどこなのさ」 妻の殺気を察知したルパートが、慌てて母親を遮った。夫の体内でも早期警戒システムが二十四時間体制で作動している。彼の、とりわけ嫁姑紛争用プログラムは優秀になりつつある。「ああ、どこかしら? 疲れてお昼寝しちゃったかな? あの子たち、ふふっ、今日はもうご機嫌でねぇ。お利口さんだから自分たちのバースデーパーティだってわかっているのかもしれないわね。一歳になったばかりだっていうのに大したものですよ。ふふふっ、家系かしらねぇ」 祖母バカ笑いを顔に貼り付けたまま、義母はまたもや振り返った。「でもね月子、年のことは必要以上に気にしないのよ。国連で統計とってるかは知らないけれど、四十過ぎて初産の女だって、世界にはたぶん探せば大勢いるはずですからね」「お言葉ですが、ローズ、わたしは少しも気にしてなんていませんから!」「あら、そうなの」と義母は、大いに気にしろとでも言いたげに肩を竦め、背を向けて歩き出した。その丸い背中に空手チョップを食らわせたい衝動を堪える。彼女ときたらいつもこうなんだから。口を開けば、孫、孫、孫。 実はわたし、妊娠しているんです。 そう言えたら、どんなに素晴らしいだろう。今朝の基礎体温表とルーン占いを思うに、悔しさも募る。でもこの場で懐妊宣言をする根拠が三十六度九分と石占いだけでは…。わかってる、どう考えても早急だってことは。 双子の母親(ルパートの妹でもあるわけだけど)は、噴水の向こうで授乳をしていた。メリンダはユーカリの木に凭れ、ピクニックマットに両足を投げ出して、双子の頭を右手に一つ左手に一つ、ラグビーボールよろしく抱え持ち、二人同時に授乳中。 迫力だ。初めて見たときには度肝を抜かれたものだけど、子どもが一歳児になった今ますます凄みが出てきたな。それでも目のやり場に困っているなんておくびにも出さず、義理の妹と挨拶を交わした。人前でTシャツの裾をたくし上げて赤ん坊にお乳を上げるのは、抱っこと同じくらい自然な行為だと言わんばかりの笑顔を振り撒いて。だって市電にも授乳シートを設けろとかいう新聞の投書を読んだばかりだったし、ここにも数人はいるかもしれない独善的フェミニストの方の注視を引いて、また日本社会に潜むゲイシャ文化について意見を求められでもしたら、面倒だから。「あなたこそ、誕生日おめでとう」とメリンダは、こちらの頭から爪先までを一瞥してから微笑んだ。「今日はずいぶんと素敵なのねぇ。その服は東京で?」「ええ、まあ」と曖昧に答え、双子への贈り物を押し付けた。わかってる、この服装では誰から見たって「どーてことないイベントに只一人、張り切ってきた女」の図だってことは。 メリンダの方は腰まで伸びた金髪をひっ詰めて、楽なのだろう、いつも同様ジャージ姿である。良く見れば整った顔立ちをしているから、化粧してお洒落でもすれば人目を引く美人なのだろうけれど、妊娠授乳肥りから脱却できないのか、ころころママって感じだ。 メリンダと彼女の夫のトニーには、まだ二十代だっていうのに既に子どもが四人もいる。六歳のリンダと五歳のジェーン、そしてこの一卵性双生児のジェシカとバネットと、娘ばかり四人。学生結婚だって話だからおおかた「できちゃった婚」なんだろうけれど、詳しいことは知らない。プライベートな話をするほどわたしたちは親しくない。赤ちゃんの排便状態や歯の数なんかに心を砕いてきた四児の母親と、クライアントの利益率や自分の残業手当の増減に目を尖らせてきた女、二人の会話がどう盛り上がるって言うんだろう?「あぁ、それ、ベイビー服なの。一歳児が何を欲しがるかわからなくて。あら、ルパートは?」プレゼントを渡したところで、夫が消えているのに気がついた。「ああ、兄貴ならダッドを手伝いに行ったけど」 一瞬目眩がした。嘘でしょう、こぅんな期間限定お子様一ドルセットキャンペーンを打ち上げたマクドナルドみたいな空間に一人、置き去りにされてしまっただなんて! しかも眼前にはローズとメリンダ。わたしがミラー家で最も苦手とするペアである。こんな状況に比べれば、無口な義父と肉でも焼いていたいけど、この国でバーベキューは男性の役目ということになっている。迂闊に手伝って、日本女性のフェミニスト的立場を悪くしたくはないし。とにかく、子どものことを聞かれてしまう前に何か話題を探さなければ…。「無難なファミリー会話のいろは」から、そうだ、お天気の話なんかは? ここメルボルンは、オーストラリア大陸東南部に位置する人口四百万人都市である。気候は日本に比べて夏は涼しく冬は温暖。なのだけど、日にも年にも変化が激しい。起きたときは夏だったのに、お昼を食べたら冬になっていたなんてことも日常茶飯事で、夏なのにコートを羽織るかと思いきや、真冬にTシャツ一枚のオージーとすれ違ったりする。衣替えで箪笥の入れ替えをするなんて、あり得ないコンセプトだと思う。かつ雨量が絶望的に乏しくて、「今年の旱魃は例年になく深刻です」なぁんてニュースを例年やっていたりする。庭の水撒きから洗車から水規制は年々厳しくなるし、お天道様の話題なら確実に九分間は愚痴で盛り上がれるはずなんだけど。「今日は」と言いかけたときメリンダが腰を上げた。おお、縦抱きだ。右腕に一人、左腕に一人、双子は六十年代に流行った抱っこちゃん人形よろしく二の腕にひっ付いている。「ハッロー、マイベイビーズ、グランマァの方に来てくだちゃぁい。ご機嫌いかがでちゅかぁ?」 不自然に声を裏返し、義母が一人を抱き上げた。メリンダはもう一人を(それにしても、いつにもまして見分けがつかないな)膝に乗せたまま、器用にわたしからのプレゼントを開け始める。 綺麗に包装された箱の中から〈ベイビー・ディオール〉のワンピースが覗く。クリーム色とピンクの色違い。そう、ディオール。フランス直輸入のそれに、あろうことか大枚をはたいてしまったのだった。オーストラリア老舗デパートの子供服売り場に立つや、並み居るベイビー服の愛らしさに理性を失ってしまったから。トチ狂いの衝動買い。それにしても小さいってだけで堪らなく愛しい気持ちにさせられるのに、このデザインといったら。フリルひらひらフランス人形みたいな服なんて奇跡としか言いようがない。自分にそんな少女趣味があったなんて驚きだけど、本気で夢想してしまったのだった。いつかこんな服を娘に着せて・・・。「ありがとう、月子。かわいいのね。でもこれ、洗濯できるのかな? 乾燥機にかけても大丈夫かしら? えっと、表示は…」 だけどメリンダは眉を顰め、嘘でしょう、洗濯表示なんかを捲っているじゃあないの! 「やだ、表示がフランス語。えっと、あ、英語も」 ああ、もう、こんなことなら店員に頼んで、値札を取り忘れてもらうんだった。「ああ、メリンダ、それ、ベイビー・ディオールだから。しかもパリ直輸入の」 ああ、いやだ、またわたしったら! メリンダの前だと必要以上に嫌味な女に成り下がってしまう。「ディ…オール。すごいのね。そうだ、月子、私たちからもプレゼントがあるのよ。今年は家族を代表してママが選んだの。ママったら、どうしても自分が選ぶんだって張り切っちゃって。マ~ム、月子へのプレゼントは?」「ああ、そうそう。月子、ディア、とっておきのプレゼントですよ。気に入ってもらえること請け合うわ。今取って来ましょうね」 言うが早いが義母は孫をわたしに押し付け駆け出した。両腕にとたんにずしりと重量感。「けっこう重いのねぇ。これ、二人も抱いてるの?」「十キロよ。大したことないわ、毎日抱いているとね」 そうか、一歳児の双子の母親の日常は二十四時間二十キロの筋トレであったか。さっきまで贅肉の固まりだと思い込んでいたメリンダの二の腕が、とたんに荘厳に見えてきた。「で、月子の方はどうしてた?」「どうって、相変わらずよ。英語とヨーガと家の改装」「聞いたわ、進学するんですって。MBA? 大したものね」「そうでもない。ただMBAは昔からの、なんていうか、夢だったから。でもまだ入学先が決まったわけでもないし。まあ、これからよ」「そう。三十九歳で学生かぁ。いいわねぇ、月子は自由で。進学だって留学だって、望めば何だってできるのよねぇ。子どもがいないんだから」 悪かったわね、いい年して子無しで。カチンときつつも微笑み返す。「でもメリンダ、あなただって育児の手が離れたら」「ああ、いいの、私は。この子たちがいてくれるだけで幸せだもの。嫌なこととかあってもね、子どもたちの寝顔を見ていると吹っ飛んじゃう。そんなの大したことないってそう思えてくる。こんな気持ち、月子、あなたにはわからないでしょうけれど」 ありがとう、メリンダ、また今日も地雷を踏んでくれて。彼女と話していると、訝りたくなることが多い。嫌味か皮肉か、単に無神経なだけなのか、真意は測りかねるにしろ神経が逆撫でられてしまう。実はメリンダ、わたし妊娠しているの。ああ、そう言い返すことができたなら。だけど現実は言葉もなく、ただ義妹の幸福の源って存在を抱かせてもらっているんだ。 当のベイビーは、件の寝顔ではなくて、笑っていた。何が嬉しいんだか小さな手足をばたつかせている。その笑顔を見ていたら、ふいに胸が熱くなった。タンポポの綿毛みたいな髪、マシュマロの頬、ぷっくりした手足。赤ちゃんの身体って、どうしてこんなにもやわらかいのだろうか。温かいんだろうか。どうしてわたしたちは子どもに・・・。「月子、ディ~ア、お待たせ。ハッピーバースデー」 感傷に沈みかけた心は、だけど義母の登場で吹っ飛んだ。ローズがわたしの腕から赤ちゃんを取り上げて、かわりに包みを押し付けてくる。「さあさ、開けてちょうだいな。探すの、苦労したんですからね。メルボルン中探し回ったくらい。あぁ、だからって恐縮しなくてもいいのよ。喜んでもらえれば本望ですからね」 プレゼント一つに恩着せがましくも急かされながら包みを開ければ、なんのことはない、本である。タイトルを和訳すれば、なになに・・・、『まだ産める 更年期前にできること』。 一瞬目が点になってしまった。けれどローズは横から手を伸ばし、ページを捲りつつ、いつもの調子でまくし立ててくる。「ほら見て、マイディ~ア、素晴らしいでしょう。あなたを妊娠しやすい身体に変えるためにできる七つの習慣。第一章、食事。第二章、夫婦生活。第三章、オータナティヴ療法。ね、こんなふうに毎日の生活で実践できる体質改善法がいろいろと書かれているの」 開いた口が塞がらないとはこのことだ。怒りと屈辱で震えそう。「月子、ディ~ア、わたしのお友達のジェーンを覚えているかしら? あなたも一度ここで会ったと思うんだけど。実はね、彼女の息子さんもなかなか子どもに恵まれなかったんですって。やっぱり奥さんが年上でね。でもこの本に書かれていることを忠実に実践して、三ヶ月後に妊娠したって言うじゃないの!」「…」「この本はね、マイディア、高齢出産を目指す女性たちのバイブル的実用書なんですって。探すの大変だったのよ。どこの本屋にも置いていなくてね。素晴らしい本だから、たぶん売り切れちゃったのね。だけどあなたの誕生日に間に合って、ほんとによかったわ」「ちょっと、ママ。何でこんな本を選んだのよ。月子が気を悪くしてるじゃないの」 メリンダが、わたしが切れる一秒前にローズを遮った。「え、なぜ、月子、嬉しくないの?」 ローズのとぼけた顔を平手で打ってしまいそうだった。このばかげた本を投げ付けてしまいそうだ。投げ捨てて、踏み付けて、焼き払ってやる。この女の頭の中はどうなっているのか! 呪われた書を膝の上にのせて、固まっていた。あらん限りの抗議と怒りを込めて、義母を睨みつけていた。脳裏を今朝の基礎体温表とルーンが過るたび激情に駆られてしまう。三十六度九分で未来は「新しい命」だったという儚いデータを元に、いっそ反撃に出て彼女たちの鼻を明かしたいって、抗いがたい衝動に。 せっかくですけど、実はわたし、妊娠しているんです。 そう言えたら、ああ、そう言って付き返すことができたなら! いいえ、ダメよ、月子、こんなことで怒りに屈してしまっては。感情コントロールよ、理性の力よ、深呼吸よ、さあ! 自分に言い聞かせて、深呼吸を繰り返していた。大丈夫、この場はクールに、そう、天気か株価か外国為替の話でもしてやり過ごしてみせるのだ。実際のところ、本当に、妊娠しているかもしれないじゃあないの。第2章「月の贈り物」に続く。全24章、390頁。『Tamago―39歳の不妊治療』マックあつこ著ミラー月子、39歳、元キャリアウーマン、現在はママ志望の妊娠待ち。2年前にオージー男性ルパートと国際結婚をして寿退社、幸せな家庭を築くためにメルボルンに移住した。ハズだったのが・・・移民生活はしんどく、夫はマザコン、義母は嫁ハラ、義理の妹夫婦は子沢山、孤独とストレスに苛まれつつ基礎体温を記録し続ける日々。そんななか夫婦は不妊症の診断を受ける。たまご時計―残された時間は僅か。二人は意を決し、IVF体外授精に乗り出した。ものの、受精卵さえ一つもできない。ルパートとのロマンスはもはや「子宝ゲットプロジェクト」一色に、元々悪かった義理の家族との仲は最悪、言葉と文化の壁に見悶えながら月子は新生児を夢見て治療を続ける。遂に妊娠!と喜んだのも束の間、思ってもいなかった悪夢が・・・。それでも子宝GETの旅は続いてゆく。神秘的な何かに導かれるかのように。6カップルに1組が不妊症だと言われる欧米で、自らもIVFを経験した著者がおくる―ユーモラスに、切なくもタフに、スピリチュアルに、メルボルンからアラフォー妊活小説『Tamagoー39歳の不妊治療』*Kindle電子書籍でも発売中。英語版は『Someday Baby: IVF at 40』(単行本)『Someday, IVF at 39』(Kindle電子書籍) Ako Mak著。[目次]プロローグ 二十九歳の誕生日(十年前、東京で)第1部 BERKANA 新しい命1 三十九歳の誕生日2 月の贈り物3 不妊症?4 クレアのお告げ5 不妊症ですが、それが何か6 初めてのIVF7 おめでた8 卵子年齢第2部 NAUTHIZ 束縛1 コミットメント2 プレ妊娠!3 ドナー4 ついに四十の声5 神経症6 まさかの大逆転7 悪夢8 受精卵の魂9 新生児第3部 URUZ 熱意1 再出発2 養子縁組の道3 地蔵菩薩4 胎児の囁き5 癒し6 最後の望み7 夜明けエピローグ 二十六週間後あとがき にほんブログ村に参加しています。応援クリックをどうぞよろしくお願いいたします(^^♪にほんブログ村 [マックあつこの著書]『Tamagoー39歳の不妊治療』えっ、不妊症!? ミラー月子はたまご時計に急かされながらベイビーを夢見て先の見えない旅に出た。メルボルンからアラフォー妊活小説『Tamagoー39歳の不妊治療』 Kindle電子書籍『Tamago』 単行本『インスタント・ニルヴァーナ』もしもあなたの大切な人がカルトの罠に嵌ってしまったら? マインドコントロールの鎖は密かに繋がれてゆく。サスペンス長編3部作『インスタント・ニルヴァーナ 上巻』 Kindle電子書籍『インスタント・ニルヴァーナ 中巻』 Kindle電子書籍『インスタント・ニルヴァーナ 下巻』 Kindle電子書籍[Ako Mak 英語の著書]『Someday, IVF at 39』‘Someday, IVF at 39’ ―poignant, humorous and mysterious― a cross-cultural odyssey for motherhood.『Somedsay, IVF at 39』 英語版Kindle電子書籍『Someday Baby: IVF at 40』単行本[マックあつこのHP]マックあつこのHP Ako Mak HP
2019.11.12
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11月12日、『Tamago―39歳の不妊治療』が単行本になります! この場をお借りして「プロローグ」と「第1章」をご紹介させてください。 『Tamago―39歳の不妊治療』マックあつこ著 ミラー月子、39歳、元キャリアウーマン、現在はママ志望の妊娠待ち。2年前にオージー男性ルパートと国際結婚をして寿退社、幸せな家庭を築くためにメルボルンに移住した。ハズだったのが・・・移民生活はしんどく、夫はマザコン、義母は嫁ハラ、義理の妹夫婦は子沢山、孤独とストレスに苛まれつつ基礎体温を記録し続ける日々。 そんななか夫婦は不妊症の診断を受けた。たまご時計―残された時間は僅か。二人は意を決し、IVF体外授精に乗り出した。ものの、受精卵さえ一つもできない。ルパートとのロマンスはもはや「子宝ゲットプロジェクト」一色に、元々悪かった義理の家族との仲は最悪、言葉と文化の壁に見悶えながら月子は新生児を夢見て治療を続ける。 遂に妊娠!と喜んだのも束の間、思ってもいなかった悪夢が・・・。それでも子宝GETの旅は続いてゆく。神秘的な何かに導かれるかのように。 6カップルに1組が不妊症だと言われる欧米で、自らもIVFを経験した著者がおくる― ユーモラスに、切なくもタフに、スピリチュアルに、メルボルンからアラフォー妊活小説『Tamagoー39歳の不妊治療』 *Kindle電子書籍でも発売中デス。英語版は『Someday Baby: IVF at 40』(単行本)『Someday, IVF at 39』(Kindle電子書籍) Ako Mak著。 [目次]プロローグ 二十九歳の誕生日(十年前、東京で)第1部 BERKANA 新しい命1 三十九歳の誕生日2 月の贈り物3 不妊症?4 クレアのお告げ5 不妊症ですが、それが何か6 初めてのIVF7 おめでた8 卵子年齢 第2部 NAUTHIZ 束縛1 コミットメント2 プレ妊娠!3 ドナー4 ついに四十の声5 神経症6 まさかの大逆転7 悪夢8 受精卵の魂9 新生児 第3部 URUZ 熱意1 再出発2 養子縁組の道3 地蔵菩薩4 胎児の囁き5 癒し6 最後の望み7 夜明けエピローグ 二十六週間後あとがき [プロローグ]二十九歳の誕生日(十年前、東京で) 「妊娠しました!」と送られてきたメッセージに一瞬、唖然としてしまった。 なんだか肩透かしを食わされたような気がしてしまう。立ち位置さえ変えられないほど混み合った車内で、縄抜けさながら身体をくねらせ筋トレさながら力を振り絞り、やっと携帯電話を取り出したのだ。こんな早朝に入る連絡なら緊急事態に違いないと思った。田舎の祖母が倒れたとか、今朝の三社コンペの場所が急遽変更になったとか。それが、取れなかった電話の後を追うように送られてきたメッセージがこれなんだから。 妊娠。 そりゃあ、相手が不倫だとか、一夜のアバンチュールだったとか、本人来週ボンベイ支社に転勤が決まっているなぁんて事態なら、気が動転しちゃってこんな時間帯に電話しちゃうのもわかるけど、そんなニュアンス全くないし。そもそも差出人の朋子というのは数年前に寿退職を決め込んで、以来習い事に忙しいってタイプの、いわゆる優雅な専業主婦なわけで。申し訳程度に「お誕生日おめでとう!」なぁんて追伸されているのも、なんだかなぁ…って感じで。 だけど正直、女友達ご懐妊のニュースに複雑な思いも湧いてきた。そう、誕生日。昨日で私は二十九歳になったのだ。ということは、来年は三十歳になるわけで。仕事の方は転職も果たして思いのほか順調だし、焦る必要もないと頭ではわかっているのだけれど。結婚って言葉が年々重たぁくなっている。心の中は、もう二十九歳、まだ二十九歳…。 そう、会社を変わって仕事が忙しいっていうのに、昨夜一緒に誕生日を祝おうと言ってくれた雄一の誘いにのってしまったのも、二十九歳の誕生日だったから。そのうえ郊外に一戸建てを買ったという彼の言葉に悪酔いしてしまって、今朝一番で三社コンペがあるというのに、つい彼の家に泊まってしまった。おかげでこうしていつもなら決して乗らない、郊外から都心へ向かう朝の殺人的急行列車に揺られているというわけで。嘘っ、いやだ、どうしよう、昨日とスーツが同じじゃあないの! 大手通信会社に勤める鈴木雄一とは、転職のコネでも見つかるかもしれないと参加した卒業大学のOB会で知り合った。付き合い始めて三か月になるけれど、お互い忙しくてデートもまだ数えるほどしかしていない。出身は長野県で、大学では山岳部に所属していたとか言っていたっけ。そう、体育会系。いつのまにか人混みに押されて遥か向こうに見える雄一は、朝から疲れた乗客の中で頭一つ突き出して、清々しい様相で立っている。健康そうだし、真面目そうだし、頼りになりそうだし、優しいし、そこそこ面白いし、何よりも、独身。その横顔を見ながら思う。この人はいつか自分の夫になるんだろうか、と。 次の駅で、これ以上はネズミ一匹だって入る隙間はないだろうと思っていたのに、更に人が乗り込んできた。身動きが取れないどころか押し潰されそう。このぶんじゃあ新宿駅に着く頃には筋肉痛になっていそうだ。ゴツンと何か固いものが肩にぶつかった。なんとか首を捻れば、嘘でしょ、ベビーカー…? あろうことか、女性がベビーカーと赤ちゃんを抱えているんだ。どうしてこんなラッシュ時の急行電車に赤ちゃんを連れた女性なんかが乗っているんだろうか? せめても各駅停車の方なら少しは空いていそうなのに。 驚きのあまりついつい視線が行ってしまった。混んでいてよくは見えないけれど、どうやら片腕に赤ちゃん、もう一方の肩にはベビーカー、そのうえ巨大なショルダーバッグまでかけているようだった。自分と同年代か少し若いくらいだろうか。小柄ながらバランスを崩すことなく足を踏ん張って、ていうか、この混みようじゃあ倒れるほどの空間的余裕もないんだろうな。 赤ちゃんの方は、青い服を着ているからたぶん男の子なんだろうけど、なんとこの状況で眠っていた! ふくよかな頬を母親の肩に預け、安心しきったあどけない寝顔で、すやすやと。その光景は殺人的列車とはあまりにもかけ離れていて、そこだけ異空間にあるような、見ているこちらの方がなんだか眠たくなってくるような。通勤電車で吊革につかまって立ったまま眠っているサラリーマンを見かけることはあるけれど、この子も案外ラッシュ時の車内に慣れているのかもしれないな。そうすると彼女はワーキングマザーなのかな? 近所に託児所の空きがないという話は聞くけれど、会社近くの託児所にでも預けてゆくんだろうか。 電車が揺れて微妙に皆の立ち位置が変わったとき、紺色のジャケットを着たその女性の肩が赤ちゃんの涎でねっとりと汚れているのに気が付いた。あらら、お気の毒に、あれでコンペは自分の連チャンスーツよりもキツイだろうなぁと思ったとたん、ハッとした。 昨夜は、大丈夫だっただろうか? もちろんコンドームは使ったけど、万が一、漏れてでもいたら…? まさか、昨夜は危険日だったんじゃ…? 確か、妊娠しやすくなってしまう危ない日っていうのは生理と生理の間だっていうから…。あらっ、間って、前回の生理が始まった日と次回の生理予定日との間だったっけ? それとも前回の生理が終わった日との間で? ていうか、そもそも先月の生理っていつだった? ああ、もう忙しくて生理のことまでいちいち覚えてないし。いやだ、まさか・・・ 考えるほど不安になってきた。どうしよう…。やっと大手のコンサルタント会社に転職を果たしたばかりだというのに、妊娠なんかしている場合じゃないんだ。新卒でも女子学生の正社員採用は難しいと言われて久しい、就職氷河期も鍋底不況もいつまで続くのかっていうシビアな雇用情勢下で、周りからも絶対無理だと太鼓判押されながらも(?)遂に果たした転職である。しかも正社員採用で。これからクライアントも開拓して、大きなプロジェクトも任せてもらえるように全力を尽くそうと思っていた。それがこんなときに妊娠してしまったら…。 ふいに人の波が大きく動いた。窓の外を見やれば私鉄や地下鉄と接続する下北沢駅だった。プラットホームの人混みにさっきの女性が見えた。赤ちゃんを片手に抱いたまま、群衆のペースを乱すこともなく颯爽と歩いている。歩きながら器用にベビーカーを開く。なのに、立ち止まることもなく素早く赤ちゃんを座らせて、人の波に乗ったままホームを歩き続けてゆく。嘘でしょ、なんて超人的なの! 一連の優雅な動作に見惚れてしまった。 電車が親子を追い越したとき、彼女の頭が何か小さな帽子でも被っているかのようにツートンカラーであることに気がついた。オレンジブラウンに染めた髪の頭上の方だけがまあるく黒い。忙しくて、きっと染め直す暇もないんだろうな。「お気の毒に…」思わず呟いてしまったとたん昨夜の記憶がまた蘇った。まさか、そんな…。彼女の後ろ姿がふっと未来の自分に重なった、ような気がした。「何か言った、月子?」いつのまにか隣に立っていた雄一が顔を覗きこんでくる。「ううん、別に」と曖昧に答えた自分の声が妙に乾いて響く。雄一に抱いていた思いが、一気に冷めてしまっていることに気がついた。ああ、もう…。 どうか絶対に妊娠なんかしていませんように。 第1部 BERKANA 新しい命 1 三十九歳の誕生日 三十六度九分! 嘘、一分、上がった? 目の錯覚かと婦人体温計の文字盤をナイトスタンドの灯りに翳してみたけれど、やはり三十六度九分である。だけど予定では今日、生理になるはずじゃあなかった? 逸る心を抑え、基礎体温表をベッドサイドテーブルから引っ張り出し、今月の線グラフを辿ってみる。やはり、そうだ。昨日は月経周期の二十七日目で、いつもなら体温の下降する時期なのに高温期が続いて、今日また上昇したのだ。こんな時期に上がるってことが何を意味するか、基礎体温表をつけたことのある女性なら誰でも知っている。もしかして! 弾んだ心に、ぴしゃりと理性の声が呼びかけた。だから月子、お待ちなさい、人生それほど甘くはないと、もうわかっているでしょう。ぬか喜びする前に測り直した方がいいよ、と。 この半年間というもの、わたしの朝はデジタル体温計で明けていた。測定値を基礎体温表に記録しては今後の戦略を立てるんだ。直に排卵しそうだからロマンチックな、もしくはエロチックなDVDでも借りてセクシーなランジェリーでも着けようかとか、一気に(といっても一、二分なんだけど)下がってしまったから、二、三日中に生理がきてしまうだろうと身構えたりとか。わずかな数字の変動にもネット投資家さながら一喜一憂しつつ。思えば、クライアントの売上高や利益率の推移なんて数字に神経を擦り減らす日々に疲れ、仕事を辞めて東京からメルボルンへ移住したというのに、今や自分の基礎体温表に並ぶ地味ぃな数字に踊らされているんだから。人生って、皮肉。そのうえ経営戦略に比べて受胎のために打ち出せる策ときたら、なんと少ないことか。 ピピッと、測定完了のベル。やはり三十六度九分である。本来なら三日前には下降して今日あたりから生理になるはずが、前代未聞、上がっているんだ。ほら、見て。過去半年間の記録では、三十六度五分前後の低温期と三十六度八分前後の高温期の二層にくっきり分かれて、判で押したようにきっかりと二十八日周期で生理になっているでしょう。そう、たまには一日くらい遅れて希望を持たせてくれてもいいのにと何度願ったことだろう。だけど今、その小憎らしいほどパターン化された線グラフに乱れが見える! ねえ、見て、ルパート! 隣で眠る夫を揺さぶりかけてハッとした。いやだ、今日って…。 そうだった。できれば忘れたかったけど、今日はわたしの誕生日なのだった。とたんに興奮の波も引いてゆく。今日でわたしは三十九歳になったんだ。ということは、来年は四十歳になるわけで…。若ければいいなんて思っているわけではないのだけれど、婦人体温計を避妊目的ではなく、妊娠したくて使っている身には気の滅入る事態だ。 三十九歳か・・・。二十九歳にしろ、三十九歳にしろ、次世代に入る一歩手前の年齢というのは微妙だと思う。三十代に遣り残したこととか、四十代をいかに生きるか、なぁんてことを考えずにはおれないから。四十代の自分・・・。 四十歳って年齢は、この国でも微妙なのだと友だちのクレアが言っていた。「ミッドライフ・クライシス、中年の危機」って英単語まであるくらい。人生も半ば、折り返し地点に差し掛かり、ひぃひぃ登ってきた道を振り返れば、さして美しくもドラマチックでもなく、目の前には何てことない単調な道が続いていて、この先はゆっくり坂を下るだけ。重苦しい諦めの中、それでもまだなんとかなるかもしれないって希望の燃え滓が燻っているせいでトチ狂いかねない歳なのだ、と。 人生半ばの危機か。まあ、わたしなんて、三十代も後半で海外へ移住してしまったのだから、ある意味もう片足突っ込んでいると言えなくもないけれど。あくせく頑張ってきた経営コンサルタントの仕事を辞めて結婚してオーストラリアに移住して、そろそろ二年。何もかもが目新しかった日々も過ぎ、最近ふっと思うんだ。このまま、この国で…。 ああ、また! いけない、月子、何をまた後ろ向きに考えているの。大丈夫、四十歳まで後三百六十四日も残されているじゃあないの。努力次第で道は必ず開けるはずよ。 それに現代女性は昔と違って人生を七掛けで考えるべきだと何かで読んだ記憶がある。その頼もしい論理にのっとれば、三十九歳は二十七歳ってことになるわけで、ふむふむ、ならそんなに悪くはないじゃあない。確かに、記録写真なんかでは、過酷な労働や気候に晒されつづけた女性たちの顔には深い皺が刻まれ染みが浮き、三十代が四十代にも五十代にも見えるから、言えているんじゃあなかろうか。それに比べればわたしだって、独身時代は化粧品や衣類にお金をかけて、ひたすらオフィスにこもってUVを避けた甲斐あって、実年齢よりかなり若く見られるもの。この国じゃ二十代に間違えられることさえあるくらい。だいたいこんなことで喜ぶあたり、精神年齢が若い(未熟とも言うが)証拠だと思う。社会的見地からみても「人生七掛け説」は言えていそうだ。 じゃあ、肉体的には? 医学の進歩を考慮して何歳くらいまでを「出産適齢期」と呼ぶのだろうか? 三十九歳という年齢は適齢期を過ぎているのか? たぶん、いや、絶対にそうだろう。「おめでとう、三十九歳」 ルパートの声に我に返った。夫はいつの間に目覚めたのか半身を起こし、わたしを胸に引き寄せる。「サーティナイン」とわざわざ明言したところに軽い憤りを覚えたけれど、彼の方はそんなことには思いもよらないらしく、目覚めの伸びをするように唇を重ねてくる。舌を入れようとしたのは妻の誕生日と週末という二大要素から特別な朝だと、オージー的思考プログラムが作動したせいだろう。けれどわたしの脳ミソでは直ちに「三十六度九分」の数字が黄色く点滅し始めるんだ。十日前の排卵期なら大いに歓迎したところだけど、この期に及んで冗談じゃあない。せっかく妊娠したかもしれないのに、不必要な衝撃を与えて流れでもしたら堪らないものね。「ああ、いいよ、君は起きなくても。バースデーガールなんだから。誕生日の朝くらい朝食はぼくがベットまで運ぶから」と、ルパートはのんびりガウンを羽織りカーテンを開けた。 朝陽が寝室に降り注ぐ。五月の(といっても、ここメルボルンでは秋なのだけど)陽光がルパートの周りで飛び跳ねて、髪を明るく輝かせている。「いい天気だよ」と振り返った夫は長身で、なかなかハンサムだと思う。青い瞳には知性の輝きがあるし、薄い唇は笑うと片端が上がってお茶目になる。全身からゆったりした寛容さと品性を漂わせて、ほら、あんな味も素っ気もないTシャツを着ていても、それなりに様になってしまうのだから。 パジャマ代わりに着たそのTシャツは、着るものに無頓着なルパートらしく、格安量販店のKマートでセールの値引率に感動して買って以来、ビクトリア州に生息するカンガルーの数くらい洗濯機と乾燥機に突っ込んだせいで、今では木綿がシースルーなみに薄くなってしまったという代物である。ちなみに彼はその洗濯も自分でしてくれる。洗濯に限らず、オージーの国民性なのか個人的性分か、身の回りのことは当然のように自分でしてしまう。部屋が散らかっていれば文句も言わずに片付けて、カーペットが毛羽立っていれば掃除機をかけ、食べた後は食器を洗浄機に入れてゆく。料理を余暇のお愉しみの一つに数えているせいで、週末ともなれば手の込んだ品を作ってくれる。彼と結婚して良かったと思う。そりゃあ女性の憧れる理想的恋人ってタイプではないけれど、妻であるわたしよりも家庭的、いい夫だ。きっといい父親になってくれるんだろう。「で、月子、卵は? 目玉焼き、スクランブルエッグ、スパニッシュオムレツ? パーティーは昼からだからそれまでゆっくり」 けれどパーティーと言われ、とたんにまた気が重たくなってしまった。「パーティーって、またご両親の家に呼ばれてるの? 先週も行ったじゃない。今日は家でゆっくりしたいんだけど」「え、でも…今日は君のバースデーパーティーなのに?」「わたしのって…。いいよ、わたしなら別に。もうお誕生会って年でもないし」「なんだよ、それ」と、うろたえた夫の声が突然きっぱりした口調に変わった。「いいや、スィーティ。ぼくの母が言っていたけれど、母なんか、君の誕生日を日本のご両親のぶんまで祝ってあげたいと、かなり前から準備をしてきたんだ」 わたしの誕生日を、あのお義母さんがねぇ…。にわかには信じ難いけど。「とにかく、今日は双子のバースデーパーティーでもあるわけでしょう。わたしが行かなくても問題ないと思うんだけどな」「いいや、スィーティ、母の話じゃ、姪っ子たちのパーティーはメリンダがマザーズグループの友達を呼んで別の日に計画しているそうだから。ぼくの母も言っていたけれど、今日は」 夫が説得モードに入ってしまったので、こちらの気持ちはますます引いてしまう。また、これだ。ルパートときたら実家の行事となるとテンパってしまうんだから。ちなみにこの「スィーティ」って呼びかけは、その単語の甘さとは裏腹に、彼が妻の機嫌をとって自分の思い通りにしようとするときに使う防衛用語である。夫にとって家族は何より重要だから。そのファミリーイベントをすっぽかすということは、職場で今年一番の大規模プロジェクトと謳われたコンペに遅刻した罪より、選挙の投票をうっかり忘れて罰金を課せられてしまったときよりも、はるかに重罪なんだ。どうでもいいけど、「ぼくの母が」ってもう十二回は言ったよね? ほぅら、説得にますます熱がこもってきた。ほとんどカルトの勧誘か、選挙民に清き一票を求める政治家なみの情熱と哀愁だな、これは。放っておけば何時間だってぐるぐると説得を続けそうだ。「わかったわよ、心配しなくても行くわよ」 とたんに彼の顔が綻ぶ。卵はどうする?なんて鼻歌混じりに聞いてくる。 ルパート・ミラー。四歳年下の、オージー流に言うならば、マイパートナー。イギリス系の、メルボルン生まれのメルボルン育ち。離婚率四十パーセントとも五十パーセントともいわれるこの国で、紳士は死ぬまで妻の誕生日に温かな朝食をベッドへ運ぶ義務がある、と信じる父親と、家族の誕生日のお祝いは重役会議や政治闘争よりも優先されるべきだと公言して憚らない母親の息子。そんな両親の愛を全身全霊に浴びた結果、バースデーガールと、三十九歳になった妻に照れや躊躇いもなく呼びかけることのできる男性。辞書を引く気にもならないけど、「ガール」って「少女」って意味じゃあなかった、確か? でもそういうことは、たぶんここでは、ルパートに限った話じゃあない。この間だってカフェのウェイトレスがクレアとわたしに向かって「ガールズ、ご注文はお決まり?」とか聞いてくれたし(お世辞ではなくて自然な感じでね)。テレビの司会者もビールっ腹の一群をつかまえて「ボーイズ」なんて呼びかけていたし。この国では遠近両用眼鏡に杖の御婦人方だって「お嬢ちゃん」なんだろう。誕生日にしても、ここでは何歳になろうと絶対で、それを祝うのは基本的人権の一つだと、おそらく信じられているってこと。つまり文化や慣習の違いってわけだ。 それにしても、ほんといい天気だ。塗りたての壁のペンキが真っ青に輝いてみえるほどの秋晴れ。ペンキはこの色にして、やはり正解だったと思う。わたしたちは半年前に念願のマイホームを購入したものの、それで貯金を使い果たして、目下暇さえあれば夫婦で家の改築に励んでいる。なんとしても子どもが生まれる前に完成させたいから。ところで建築家のルパートの話では、この国は一世帯あたりの持ち家比率が世界一高いのだそうだけど。 ルパートお手製のバースデーブレックファストを待つ間に、シャワーを浴びて、〈RUNES〉で未来を占うことにした。ルーンというのは、古代ケルトやスカンジナビアから伝わったという占術で、ルーン文字というアルファベットに似たシンボルを彫った二十五個の石を使って占う。去年のクリスマスにクレアから贈られて遊び半分で始めたのが、最近ではかなり真剣、ほとんど癖になってきた。思えば昔は占いなんてバカにしていたものだった。そんなものに時間やエネルギーを費やす暇があるなら、さっさとリサーチにかかって、データを分析して戦略を立てて実行する方がよほど理にかなっている、と。学生時代もコンサルタント時代もそれで上手くいっていた。けれど懐妊ってテーマを前にどんな戦略が通用するというんだろうか? 考えあぐねた人生計画のシュミレーションが生理の出血でいともあっけなく流されるたび、神秘主義に傾いてゆく自分を感じてしまうな。 心を沈め、石の入った袋を握り締めた。クレアに言われたように神仏、宇宙、潜在意識に超意識なんて聖なるイメージに意識を集中させ質問を唱える。今日、三十九歳を迎えた自分にアドバイスをください、と。ひとしきり念じてから袋の中に右手を入れた。指先に当たるひんやりした石の感触が心地いい。大きく息を吐き一つを選ぶ。微弱な電流が流れたかのような、指先にピピッときた石を。〈BERKANO〉だった。成長を表す石だ。解説本によれば、なになに、伝統的意味ではカバの木、豊饒信仰と関連、再生、新しい命。 新しい命! もしかして、これって、懐妊のお告げとか? それで今朝、基礎体温の値が微妙に上がっていたんだろうか? 妊娠!? そう思ったら、とたんに未来が薔薇色に見えてきてしまうんだから。 11月12日の日記『Tamagoー39歳の不妊治療』の「1 三十九歳の誕生日」後半へ続きます。にほんブログ村に参加しています。よろしければ応援クリックをどうぞよろしくお願いいたします(^^♪にほんブログ村 [マックあつこの著書]『Tamagoー39歳の不妊治療』えっ、不妊症!? ミラー月子はたまご時計に急かされながらベイビーを夢見て先の見えない旅に出た。メルボルンからアラフォー妊活小説『Tamagoー39歳の不妊治療』 Kindle電子書籍『Tamago』 単行本『インスタント・ニルヴァーナ』もしもあなたの大切な人がカルトの罠に嵌ってしまったら? マインドコントロールの鎖は密かに繋がれてゆく。サスペンス長編3部作『インスタント・ニルヴァーナ 上巻』 Kindle電子書籍『インスタント・ニルヴァーナ 中巻』 Kindle電子書籍『インスタント・ニルヴァーナ 下巻』 Kindle電子書籍[Ako Mak 英語の著書]『Someday, IVF at 39』‘Someday, IVF at 39’ ―poignant, humorous and mysterious― a cross-cultural odyssey for motherhood.『Somedsay, IVF at 39』 英語版Kindle電子書籍『Someday Baby: IVF at 40』単行本[マックあつこのHP]マックあつこのHP Ako Mak HP
2019.11.07
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9月4日の日記「サカダワNyung Nye―チベット密教浄化のリトリート(前編)」の続きデス。 日曜は2時間半ほどのセッションが早朝5時から4回続く。断食断飲をしているせいもあって、午後のセッションともなるとかなり疲弊してくる。観想や瞑想、真言詠唱なんかはまだしも、屈伸運動で筋肉痛に拍車がかかってしまう体育会系の五体投地は諦めて、ゴンパの端に並んだ椅子に腰を下ろして、もっぱら精神行に集中したくなってくる。 もうこれ以上はとても無理だとカウチに腰を下ろしてしまった行者さんたちのなかに、派手なミュージシャン風男性がいるのに気がついた。ハンサムな長髪の、昔のロックミュージシャンを思わせる容貌で、黙々と行を続ける地味~な行者たちのなかで異色のオーラを放っていた。 こんな人、いた?今日のこのセッションだけ参加することにしたのかな? だけどよく見ると、ダーマクラブで同室のBさんだった。彼女は40代半ばの白人女性なのだけど、なぜだか派手目の若くてハンサムな男性に見えるのだ。そのうち、ハンサムなロックスターが中世のイタリア、しかもミラノ辺りのジゴロに見えてきた。 Bさんといえば、昨夜は寝ているCさんの枕元に立って、奇妙なストーカー行為(?)をしていたのだった。前夜のBさんも変だったけれど、その日の行動も奇妙だった。おもむろにカウチから立ち上がり、千手観音のタンカの前で合掌を始めたのだけど、ふつ~の合掌でなく、観音様に投げキスでも送るかのような奇妙な仕草でタンカを見上げているのだ。あたかもロミオのジュリエットへの求愛? 観音様に求愛でもするかのように祈る姿は妖艶で、もはや私には100%女たらしのイタリアンジゴロにしか見えなかった(すみません、Bさん・・・)。 ニュンネ中に顔つきが変わった人を見たのは今回が初めてではなかった。数年前にニュンネをしたときのこと、向かいに座ったDさんの顔が全く別人に見えてきたのだ。アラフィーの白人美人なのに、なぜかその日は東洋人の顔に見えた。 あれ、この人ってこんな顔してたっけ? いつの間にかDさんは、髪をひっつめ着物を着た日本女性(と私には思えた)になっていた。しかも江戸時代に芸者さんとか女郎屋さんとか遊郭の類を仕切っていたような、おかみさん。かなり強欲で手ごわそうな、和装のおかみさんが目の前でニュンネ行をしている!?のだ。 実際はジーンズにセーターという出立ちだったのに、そのセッションの間中、油断すると和服姿になってしまった。服の方は意識すると戻るのだけど、顔はずっと東洋のごうつく婆さん顔だった(すみません、Dさん・・・)。あれは土曜の2度目のセッションで、まだ絶食も始まってなかったし、大して疲れてもいないのに、なんでこんなふうに見えるんだろう?と不思議に思ったものだ。 それからかなり後になって、当時の彼女が夫の女性問題で悩んでいたことを知ったのだった。もしかするとあのときは、なにか前世でつくってしまった負のカルマ(遊郭で女将さん役を務めた前世とか???)を浄化していたのかもしれないなぁ、と後になって夢想した。ちなみに現在の彼女は乗り越えたひとの自信と優しさでパワーアップして、生き生きと光り輝いていて羨ましいほどです。 ニュンネではそのとき浄化する用意のできた負のカルマが出てくるというし、もしかしたらBさんも・・・中世のイタリア辺りでつくってしまったジゴロ時代のカルマを浄化していた・・・とか?そういえば、あのときダーマクラブの部屋で若い女性といえばIさんだけだったし、もしかしてジゴロBさんはIさんのことを狙っていた?とか??いやいやいやいや、あまりに邪推で、すみません。。。誤解なきよう付け足しておくと、Bさんは仲良しのご主人と娘さんに恵まれた既婚者デス。 そんなことより、じゃあ、自分は?今回のニュンネで何かカルマを少しでも浄化できたのだろうか?他の人の目に自分はどんなふうに映っていたのだろう?なにか違う姿の私が見えていた人もいたのかナ? 顔が変わったというのではなかったけれど、消えてビックリしたとメリリンから言われたことがあった。昔、金曜のガイダンスのとき、向かいに座った私の身体がわずかに宙に浮いたと思ったら、半透明になって消えてしまったんだそうだ。メリリンも初めは目の錯覚かと思ったそうだけど、その後もガイダンスを受けている他の参加者たちのなかで、なぜか私の姿だけが細かい粒子になって・・・。そのうち粒子が希薄になって半透明になって、そのまま消えてしまったり、忽然とまた現れたり、消えたり― 「あんなの初めて! ビックリした! 何かあったの?」と聞かれたけれど、本人に自覚症状はなかったのでわからない。 いったい私はその間どこかに行っていたんだろうか?あれは2017年の3月、病気の後に久~しぶりに参加できたニュンネだった。参加したくてしたくてやっと叶ったニュンネだったので嬉しくて、今回はどんなカルマを浄化しようかとか、幽体離脱して守護霊様にでも相談に行っていたのかもしれないナ(笑)。 最後のセッションは月曜日の早朝(つーか、まだ深夜ですね)3時からだった。断食断飲、行三昧で疲れた体に鞭打って、2時前に起きて身支度を整えて、コートヤードに出てみた。冬の夜空の下で瞑想したかった。凛とした空気が心地良く―終わりが見えてくると、どこからともなく力は湧いてくるものだ。 それでも筋肉痛にくわえて頭痛や目眩や立ち眩みがしていたから、最後の五体投地を終えたときにはホッとした。やっと頂いたチャイもココナッツウォーターも、身も心も躍り出してしまうほど美味しかった(小躍りではなく情熱のフラミンゴ踊りね)。最後に参加者全員でリトリートの功徳を一斉衆生に廻向し、とりわけAさんの速やかな回復を祈って終ったのだった。 ニュンネの後はほんと何を頂いても美味しいの。最後に食べたのは一昨日の午前中であるから自然、食べることにも力が入る。トーストやシリアル、ポリッジなんて炭水化物三昧の朝食を楽しみながらニュンネ体験をシェアした。 Bさんとも話したのだけど、あまりに清々しい気分で、就寝時のストーカーもどきの行動はなぜ?とか実はジゴロに見えていたとか、そんな話をする気にはなれなかった。彼女の方も溌剌として、当たり前のことだけどハンサムなロックミュージシャンにもイタリアのジゴロにも見えなかったし。彼女はポリッジを頬張りながら「今回のニュンネは前回に比べてずっと楽だった」と笑っていた。 そう言えば彼女は前回、ものすご~く体調が悪そうだったのだ。そこにいるだけで精一杯という感じで、ゴンパでは毛布を頭から被ってカウチでひたすらヘタっていた。毛布を頭から被って足を引きずるようによたよた歩く姿は、背中も「く」の字型に曲がっていたし、「ノートルダムの背むし男」みたいだった。このひと、このまま続けて大丈夫かしら?と心配していたのは私だけではないはずだ。 それが最後のセッションが終わるや途端に背筋もシャキッとして、頬に赤みも戻って顔色も良くなって・・・。あたかも二つ三つのカルマを一掃してしまったかのような波動の高いエネルギーを漲らせていたのだった。 ニュンネでは毎回、全く違ったチャレンジがやって来るから何度やっても慣れてきてもう大丈夫ってことはない。やるたびに違うニュンネになるのだと、ニュンネ熟練者たちから聞いたことがあるけれど、本当にそうだと思う。 あのとき彼女はどんなカルマを浄化したのかナ?そして今回は?私は・・・?思えばAさんもBさんもDさんもニュンネ歴2、30回の熟練行者さんたちだ。私程度じゃ、そんな大物カルマや前世は浄化できないのだろうけど・・・ 朝食の後にキム姉から思いもかけない贈り物があった。たくさんもらったからと、ダライラマ法王が祈祷されたマニピルを全員に配り始めたのだ!? マニピルとは真言薬とも呼ばれる、マニ真言の一億回念誦によって加持された小さな丸薬、秘薬である。 昔ニュンネ明けの朝食でM僧が法王のマニピルをみんなに贈ってくれたことがあったっけ。あのときは頂いた3粒のマニピルを家族4人で上手に分ける方法なぁんてことをメリリンと談笑したのだった。 3粒でも有難かったのにキム姉は20粒くらいずつ皆に配ってくれた。そのうえ夫のことを話したら彼の分まで!?キム姉、どうもありがとう! このサプライズギフトは、私にとって特別に意味のあることだった。 今回のニュンネは家族のためにやろうと決めていて、土曜の夜など喉の激痛に見舞われたとき、わざわざそれを神仏に宣言して助けを頼んだのだった。そうしてニュンネ明けに家族の分まで法王のマニピルを頂いた。それが、必要なサポートは与えられるのだから大丈夫だと、天からの励ましのような気がしたから。 それに「His Holiness Dalai Lama is my Guru」と宣言する夢(⇒6月15日の日記「サカダワ入り前に、ダライラマ法王の夢」に)を見た2週間後のサカダワ・ニュンネで、法王のマニピルを頂いたのだから。法王の夢見で明け、マニピルで結んだ今年のサカダワ。なんて縁起が良いんでしょ! Yeah, REJOICE!喜びながらの精進は仏行の基本ですものね。今回もできて良かった。ありがたいことデス。 そうそう、キム姉は前日に倒れて続けられなかったAさんの分もマニピルを用意してくれていました。あれから3か月近く経ちましたが、Aさんは普通に元気デス。結局これといった問題は見つからなかったそうで、次回のニュンネを楽しみにしているとのことでした。 にほんブログ村に参加しています。応援クリックを、どうぞよろしくお願いいたします(^^♪ にほんブログ村 [マックあつこの著書]『Tamagoー39歳の不妊治療』えっ、不妊症!? ミラー月子はたまご時計に急かされながらベイビーを夢見て先の見えない旅に出た。メルボルンからアラフォー妊活小説『Tamagoー39歳の不妊治療』 Kindle電子書籍『Tamago』 単行本『インスタント・ニルヴァーナ』もしもあなたの大切な人がカルトの罠に嵌ってしまったら? マインドコントロールの鎖は密かに繋がれてゆく。サスペンス長編3部作『インスタント・ニルヴァーナ 上巻』 Kindle電子書籍『インスタント・ニルヴァーナ 中巻』 Kindle電子書籍『インスタント・ニルヴァーナ 下巻』 Kindle電子書籍[Ako Mak 英語の著書]『Someday, IVF at 39』‘Someday, IVF at 39’ ―poignant, humorous and mysterious― a cross-cultural odyssey for motherhood.『Somedsay, IVF at 39』 英語版Kindle電子書籍『Someday Baby: IVF at 40』単行本[マックあつこのHP]マックあつこのHP Ako Mak HP
2019.09.06
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3か月程前の話になってしまうけど、チベット歴でサカダワ―修行の吉月6月の7日から、地元のチベット仏教寺院の3泊4日ニュンネ・リトリートに参加してきた。ニュンネとは、断食、断飲、無言の行なんて戒律の下で千手観音に帰依して五体投地や観想、真言詠唱などを行うパワフルな浄化のタントラ行。 2013年に初めて参加してから(⇒2013年10月21日の日記「ニュンネ明けのチャイ」に)、そろそろ10回目。思い返せば初めてのころは断食、断飲というシチュエーション自体に緊張しまくって眠れない・・・とか焦っていたものだったけど(ちなみに2度目のニュンネは⇒2014年3月16日の日記「ニュンネの夜に満月を仰ぎ」、10回目ともなれば心にも余裕。しかもサカダワ月とあって功徳倍増。ドラマチックなリトリートを期待して臨んだのですが、なんというかちょっと不思議なニュンネになって…。そのときのことを少し。 今回の参加者は意外に少なくて15人ほど。前回同様、月に一度子どもたちのダーマクラブという仏教教室が開かれる、倉庫を改装したような部屋を5人でシェアした。マットレスを五つも置いたらもうほとんど床は見えないという空間ではあったけど、仏像やタンカがそこかしこに飾られているのが、嬉しい。ニュンネ中は霊的に過敏になって霊現象にも見舞われやすくなってしまうので、これくらい周りにアイコンがある方が心強いのよ。5人のメンバーの顔触れはもうお馴染みのニュンネ仲間だし、何を案じる必要などあろうか?ですよね。 と余裕綽々で始めたニュンネだったけど、やはり土曜の夜ともなると雲行きが怪しくなってくる。正午から断食が始まっているうえに、床に就いてからは水も飲めなくなってしまうので神経質になってくるせいか、寝袋に潜り込むや激しい喉の痛みに襲われた。 ♪懐かしい痛みだわ~2年ぶりに体験した刺すような痛み…。 実はこういう痛みを最後に体験したのは2年前のニュンネだった。昔、煙草を吸っていたことがあるせいか、止めてからも就寝前や瞑想をしているときなどに猛烈に喉が痛くなることがあったのだけれども、とりわけニュンネ中は酷かった。それが2年前のニュンネのこと― 最後の夜に喉がまたとてつもなく痛くなったのだった。切り裂かれるような痛みに、もう藁にも縋る思いで自分レイキをしていたら、喉の奥から何かが逆流してきて吐きそうになった。それはニコチンじみた味がして、脳裏にでかでかと「Poison」という言葉が見えた。 その後、喉の痛みは収まったのだけど、翌日ニュンネを終えてからが問題だった。お昼ごろ口の中、口蓋に水泡ができた。何だろう?と思っていたら見る間に膨れて広がって、夜には口蓋全体が水疱疹で覆われていた。 ニュンネ明けの数時間で起きたことなので、浄化なのかも・・・と思ってはいたけれど、GP(と呼ばれるオーストラリアの一般医)に診てもらって、遂には専門医にまで見てもらう羽目になったのだった。結局、原因が判らず治療もしなかったのだけど、いつの間にか治っていた。 以来、不思議なことに、つーか、やっぱりのニュンネ効果か、普段の生活でも喉が痛くなるということは無くなったのだった。 さすがにその次のニュンネでは再発の不安に怯えたけど(⇒2017年5月29日の日記「Nyung Nye浄化のリトリート」に)、全く何の問題も起きなかった。だからてっきりそれで自分の喉に関する負のカルマは浄化されたのだろうと思っていた・・・。 それが、ほんと~に久しぶりに体験した喉の激痛で…。あまりに久しぶりなので対応の仕方さえ忘れていた。とにかく、いちおー霊気マスターだし・・・と自分レイキをしてみたのだけれども、今一つ効かなかった。 これから一滴の水も飲めなくなるというのに・・・。これではとても続けられそうにない・・・。かといって、諦めて荷物をまとめて帰るのも・・・。 ニュンネは、神仏との絆を深めるための行でもある。もう自分レイキとか独りマッサージとか、自分で何とかしようとするのは諦めて、神仏にひたすら祈ることにした。つーか、宣言した。 自分は今回のニュンネを、健康上の理由から参加できなかった夫や子どもたち、益々具合の悪そうな両親のためにも、どうしてもやり遂げたいと思っている。だけどこの喉で断飲はとても無理だから何とか助けてほしい、と千手観音と薬師如来をイメージして語り掛け、それぞれのマントラを唱えたのだった。 すると、す~っと痛みは引いていったのだった。ほら、痛みは取ってあげたから精進しなさい、とでもいうように(笑、でもマジ)。それからは眠りの渦に引きずり込まれるように眠ってしまった。 夜中に誰かの声で目が覚めた。一瞬、自分がどこにいるのかわからなかった。 薄闇の中、悲鳴のような怯えた声に、自分が今どこにいるのか、何をしているのかを思い出そうとした。何度もニュンネをしたけれど、こんなことは初めてだった。夢を見ていたのでも霊現象でもない。ここはダーマクラブで、自分はニュンネをしているのだと気がついたとき、声の主がAさんであることに気がついた。 寝言のようだった。英語だし、早口で、よく聞き取れなかったのだけれども、助けを求めるような、何か恐ろしげな寝言で…。既に無言の行も始まっていたので、声をかけようか迷っていたら静かになった。他の人たちが気づいたのかどうかもわからない。結局その夜は、Aさんの悲鳴のような寝言で何度か目が覚めたのだった。 もう一つ、奇妙なことが・・・。何かの気配に目覚めると、薄闇にBさんが立っていた。私の傍らではなくてCさんの枕元に立って、彼女の寝顔をじぃ~っと覗き込んでいたのだった。何をしているんだろう?と見ていたら、そのうち自分のベッドに戻っていった。 けれどしばらくするとまた戻ってきて、Cさんの枕元に立った。そうして直立不動で、彼女の寝顔をなぜだかじぃ~と見下ろしているのだ。だけど暫くするとまた自分のベッドに戻ってゆく。Bさんはそんな行動を土曜日と日曜日の夜中にかけて数回とった。 ???いったい、なぜ? Bさんはニュンネ古株なので私も何度か同室になったことがあったし、前回などBさんともCさんとも部屋は一緒だったけど、こんなことは初めてだった。二人の間に何かトラブルでもあったのだろーか?まったくもって謎の行動ではあった。 日曜の行も早朝5時から始まった。始まってから1時間ほど経ったころ、経典を詠唱していたAさんが突然、意識を失って倒れた。2、3分で意識は戻ったけど、医療関係の仕事をしている参加者が救急車を呼んでいた。本人は大丈夫だからこのまま続けたいと言っていたけれど、きちんと検査をしてもらった方がいいからと救急隊員や皆に言われて病院に運ばれていった。 瞳を潤ませ手を振るAさんを見送りながら、昨夜の寝言が思い出された。昨日、一緒にお茶をしたときに、なんだか悲しいのだと彼女が突然泣き出したことも。 もしかすると、Aさんにはこうなることがわかっていたのだろうか???倒れてしまう前に、何かできることが自分にもあったのかも・・・。たとえばあのときもっと話を聞いていれば、防げたのか・・・? 心配すればキリがなかったけれど、とにかく彼女は医療関係者に見守られて安全な場所にいるのだから大丈夫だとは思った。それに浄化のタントラ行であるニュンネでは、浄化すべき、もしくはそのとき浄化できる用意のできた負のカルマが表に出てくると言われているから、何かカルマの浄化と関係あるのかもしれない。 ニュンネ中に病の因が浄化されることもあるというし。昨夜は久しぶりに傷んだけど、私の喉もそうだったし・・・。 頭の中には「不幸中の幸い」という言葉も浮かんでいた。彼女はメルボルンから車で1時間ほどの農場で一人暮らしをしている。もしも家にいるときにこんな発作が起きていたら…それこそ大変なことになってしまっただろう。発見が遅れたら命に関わるような事態にもなりかねないし。まんいち健康に何か問題があるなら今きちんと検査してもらった方が安心じゃないか、と・・・。 とはいえ、リトリート中に誰かが倒れたのは私が知っている限りでは初めてだったので、皆さん動揺しているようだった。皆でAさんの回復を祈り、ニュンネを再開した。 Aさんがニュンネを続けたがっていたから、私は彼女と一緒に行をしているとイメージしながらやった。チベット密教では自分の左側に女性、右側に男性をイメージして行をすることが多い。左側に自分の娘と母とHさん、右側に息子と夫と父が一緒に五体投地をしているとイメージしながら続けた。彼らのためにと思えば行をする意味がより明確になって気力が湧いてくるだけでなく、自分と同じ動作で皆が一斉にやっているさまを思い描くと、どこかユーモラスで楽しく、筋肉痛と疲労感も和らぐような・・・。 続きは9月6日の日記「サカダワNyung Nye―チベット密教浄化のリトリート(後編)」をお読みください。 にほんブログ村に参加しています。応援クリックを、どうぞよろしくお願いいたします(^^♪にほんブログ村[マックあつこの著書]『Tamagoー39歳の不妊治療』えっ、不妊症!? ミラー月子はたまご時計に急かされながらベイビーを夢見て先の見えない旅に出た。メルボルンからアラフォー妊活小説『Tamagoー39歳の不妊治療』 Kindle電子書籍『Tamago』 単行本『インスタント・ニルヴァーナ』もしもあなたの大切な人がカルトの罠に嵌ってしまったら? マインドコントロールの鎖は密かに繋がれてゆく。サスペンス長編3部作『インスタント・ニルヴァーナ 上巻』 Kindle電子書籍『インスタント・ニルヴァーナ 中巻』 Kindle電子書籍『インスタント・ニルヴァーナ 下巻』 Kindle電子書籍[Ako Mak 英語の著書]『Someday, IVF at 39』‘Someday, IVF at 39’ ―poignant, humorous and mysterious― a cross-cultural odyssey for motherhood.『Somedsay, IVF at 39』 英語版Kindle電子書籍『Someday Baby: IVF at 40』単行本[マックあつこのHP]マックあつこのHP Ako Mak HP
2019.09.04
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6月27日の日記「ゲシェDの1Dayコースとトンレン瞑想(前編)」の続きです。 カセットテープの2面は<Opening the heart meditation心を開く瞑想>。こちらはトンレンである。一般的なトンレン瞑想は、他者の苦悩を黒煙としてイメージして吸い込みながら負のカルマを引き受けて、白光をイメージして吐きながら自らの幸福の因や功徳を与えるというものである。このガイド瞑想では更に、自らのエゴを心の真ん中に居座る黒い岩としてイメージして行うので、初心者の方でもやり易いと思う。始める前に説明が入った。他者の苦悩をイメージして自分に取り込んだら、ますます自分の苦しみが酷くなってしまうのではないかと尻ごみをする方もいるのだけれど、実際にはそんなことはない。逆に自らの心を開き広くもつことで心は軽くなるのだ、と。まず1面同様に、意識を呼吸に向けて、呼吸に集中することで自分の内面に集中してゆく。他者の苦悩を黒い煙としてイメージし、息を吸うたびに吸い込んでゆく。病気、戦争、飢餓―様々な種類の苦しみに喘ぐ人たちを想像しては、彼らが苦痛から解放されることを願いながら黒煙を取り込んでゆく。もしくは、自分が直面している問題と同様の問題を抱えている人たちをイメージして行う。その人たちの抱える悲しみ、怒り、絶望―負の感情や負のカルマを黒煙として吸い込んでいると想像するのだ。自己中心的で利己的な心は、心の真ん中に居座る黒い岩石としてイメージする。吸い込んだ黒煙は、心の真ん中に在るエゴの黒岩にぶつかり、岩は粉々に砕け散る。すべては、消えてゆく姿。仏教の「空」を思い、負の要因が消えてゆく様を想う。そうして健康、幸福、英知、功徳―祝福の白い光をイメージして、呼吸とともに吐き出してゆく。黒いエゴ岩が砕けるときに飛び散った火花も白光に吸い込まれ、ますます美しく輝く白光を他者に与え続ける。その白光は幸福の因であり、慈愛と慈悲の心だ。吸い込んだ黒煙で、自分の心にあった黒岩は砕け、白光を吐き出す。受け取った他者の苦悩で、エゴの岩は粉々に砕けて、幸福の因、慈悲を代わりに与えると想像し続ける。遂には心の真ん中に居座っていた黒い岩石は跡形もなく消え去り、自らの全身も白い光に包まれている。これは最もパワフルな癒しの瞑想である。これを自らの苦痛や問題を利用してやると効果的だ。たとえば頭痛に悩まされているのなら、全世界の頭痛に苦しんでいる人たちをイメージしてやると良い。世界中の頭痛持ちの痛みを自分に取り込んでゆく。この痛みを自分が引き受けるから、彼らが痛みから解放されますように、と強く願いながら。日常で遭遇する些細な問題から大きなものに展開してゆくと良い。自らの問題に押し潰されてしまうのではなく、喜んでそれを受け入れることで、心は強くなり軽くなり、逆に平和になるから。この心的トレーニングを重ねてゆくことで、精神力はどんどん強くなってゆく。この瞑想法は、人生で起きる全ての問題や困難さえ、心を鍛えるための精神的修行にしてしまう。これによって、癌でさえ自らの心を覚醒させるための貴重な尊い体験、得難い転機となりうるのだ。トンレンを続けることで、心は平和に、寛容になってゆく。以上が、このテープの瞑想の概要でした。私もトンレン瞑想は習慣的にずっとしているのだけれども、十数年ぶりに(苦笑) このカセットテープを使ってしたガイド瞑想はやはり素晴らしかった。トンレンは、まさに「里の行」だ。昔、不妊治療でトンレン瞑想をしていたころのことを思い出した。オーストラリアに移住して数年後に自分たち夫婦は不妊症の問題を抱えていることを知った。けれどそれは当時も別段珍しい話ではなくて、欧米では一般に6組に1組がその問題で悩んでいると言われていた。それでも不妊治療をしていると、だんだんと「自分だけ…」みたいな被害者意識に苛まれてくる。周りを見れば可愛らしいお子さんを連れたファミリーが大勢いて、通りに出ればベビーカーを引いた女性や、大きなお腹を抱えた妊婦さんの姿ばかりが視界に飛び込んできた。誰も彼もが(あ、男性には無理がありますが)簡単に妊娠して、子どもを産んでゆくような気がしたものだ。とりわけIVF(人工授精)でホルモン注射や尿検査、超音波検査を重ねて採卵手術を受けて、やっと授かった受精卵を子宮に戻して―2週間待ち続けた後に、それが妊娠に繋がらなかったと知ったとき―嫌でも心がぐぅ~んと沈んでしまうのだった。そんなときにトンレン瞑想をしていた。結跏趺坐を組み、といいたいところだけど胡坐を組んで、呼吸に意識を集中して瞑想を始めた。自分の周りに、夫や自分たち同様に、子供を授かりたいのに授かれない人たちをイメージする。その人たちの哀しみ、失望、焦りを想像していった。今回もまた失敗して落ち込んでいる自分の哀しみや授かりたかったという思いを、暗いエゴ岩としてイメージした。そうして彼らの苦悩を、どんよりした暗い煙を吸い込んでいった。自分と同じように不妊症で苦しんでいる人たちの思いを一心に想像しながら、自分の中に取り入れていった。彼らの苦悩を自分が引き受けますから、どうぞ皆がこの問題から解放されますようにと願いながら。黒煙は、私の心の真ん中に居座っていたエゴの黒岩にぶつかって、それを粉々に砕いてしまう。小さいけれども頑強な自分の暗い想い。心に広がっていた哀しみや失望も粉々に砕かれては消えてゆく。彼らの哀しみも自分のそれも、砕けたときに飛び散った光の火花も、すべて慈悲の白光に吸い込まれてゆく、と。その美しく輝く白い光を今度は彼らに向けて吐き出していった。白光は完全な癒しの光であり、祝福の光であり、慈愛の光だ。この光を受け取ることで、皆が一日も早くこの問題から解放されるようにと、強く願いながら。誰もが赤ちゃんに恵まれますようにと、心から祈りながら。たいてい最後には号泣していて、瞑想を終えたときには心はずいぶんと軽く、前向きになっていたのだった。ほとんど清々しいくらいだった。もちろんこの瞑想をしたからといって、誰かの不妊症が私に乗り移って、夫と私の問題が余計に酷くなるというわけじゃない。どこかの夫婦の不妊治療が成功するというわけでもない。だけど確実にトンレンは当時の私が、自分だけが・・・みたいな被害者意識に苛まれてしまうことを防いでくれた。心が問題に圧倒されて、押し潰されてしまうのを助けてくれたのだった。それどころか、ちっぽけな自分の無意味な問題に、意味を与えてくれたのだった。当時の自分は、子どもは自然にできるものだという観念が強かったので、どうしても自分たちの問題に意味が無いような気がしてしまっていたから。だけど自分が不妊治療を経験することで、同じような問題を抱えている人たちの負担が軽くなるのなら、自分の失敗や苦痛にも意味があるように思えてきたから。それが錯覚や思い込みに過ぎなくても、確実にこの考え方は心を軽くしてくれた。心を守ってくれたのだった。ゲシェDがよく言っている。「自分の心をハッピーに保ちなさい。心を暗い考えや想い、想念から守りなさい」、と。実際トンレンは、私たちの心を守るための最もパワフルな瞑想法だと思う。ゲシェDの「トンレン」に関する1日コースは9時から始まって5時半ごろに終わった。トンレン瞑想から始まって、ゲシェの教義。ベジタリアン料理のランチを挟んで、午後にはトンレンをテーマにした討論会、それからまたゲシェの教義だった。この日のトンレン瞑想は、ここで紹介したものよりも少し複雑で仏教的なものだった。けれどエッセンスは同じだ。その日の明け方に見たスピ夢―「His Holiness Dalai Lama is my Guru」と言い切った夢のエネルギーに包まれたまま参加した「トンレン」の1日コースは、トンレン行で慈愛と慈悲の心を培おうと努めた1日になった。お陰で夢のエネルギーを損なうこともなく、というか帰るころにはむしろ朝来たとき以上に強くなっていた。さぁて、今夜はどんな夢が見られるだろう? 夢見をますます楽しみに帰路についたのだった。「にほんブログ村」に参加しています。ポチっと応援クリックをどうぞよろしくお願いいたします。にほんブログ村 この不妊治療の経験から生まれた小説が『Tamago―39歳の不妊治療』でした。Kindle電子書籍 \790単行本 \1296 [マックあつこの著書]『Tamagoー39歳の不妊治療』えっ、不妊症!? ミラー月子はたまご時計に急かされながらベイビーを夢見て先の見えない旅に出た。メルボルンからアラフォー妊活小説『Tamagoー39歳の不妊治療』 Kindle電子書籍『Tamago』 単行本『インスタント・ニルヴァーナ』もしもあなたの大切な人がカルトの罠に嵌ってしまったら? マインドコントロールの鎖は密かに繋がれてゆく。サスペンス長編3部作『インスタント・ニルヴァーナ 上巻』 Kindle電子書籍『インスタント・ニルヴァーナ 中巻』 Kindle電子書籍『インスタント・ニルヴァーナ 下巻』 Kindle電子書籍[Ako Mak 英語の著書]『Someday, IVF at 39』‘Someday, IVF at 39’ ―poignant, humorous and mysterious― a cross-cultural odyssey for motherhood.『Somedsay, IVF at 39』 英語版Kindle電子書籍『Someday Baby: IVF at 40』単行本[マックあつこのHP]マックあつこのHP Ako Mak HP
2019.06.29
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6月15日の日記「サカダワ入り前に、ダライラマ法王の夢」の続きです。もう1月も前の話になってしまうけれど、5月26日の明け方に見たダライラマ法王の夢の余韻に包まれたまま、ゲシェⅮの1Dayコースに参加するために地元のチベット仏教寺院に向かった。ゲシェⅮの講義には毎週参加しているのだけれど(今はツォンカパの『LAM RIM CHEN MO菩提道次第広論』を勉強しています)、1日コースに出るのは久しぶりだった。今回のテーマは「トンレン―The Giving and Taking practice」。 トンレンTonglenとは、チベット語で「与えること」と「受け取ること」を意味する。いわゆる、ギブ&テイク。だけど一般にいう、あげて頂いて、お互いにWinWinのフェアな関係ね、というのとはちょっと違う。 誰に何を与えて何を受け取るかといえば、(自分の利益とは関係なく)生きとし生けるものに自らの幸福を与えて、代わりに彼らの苦悩を受け取るのだ。慈愛と慈悲の心を培う、チベット大乗仏教の重要な瞑想法である。 ゲシェDはまず瞑想について話をされた。 瞑想をしていると、次第に心がリラックスしてくる。毎日続けてゆくうちに平和で、喜びにあふれ、澄んだ心の状態が現れる。その心の状態は自分だけでなく、他者にとっても有益な精神状態である。 私たちは瞑想行で慈愛と慈悲の心を培うことができる。そうして得られた利他的な心こそ、仏陀の教えであり、最も貴重な心の状態であって、何物にも代えがたい内的財産である。 生きとし生けるものは、本質的に、誰もが幸福を求めている。誰もが苦難や苦悩を避けたいと願っている。だからこそ慈愛と慈悲の心が自分にとっても、周りの人たちにとっても重要になるのだ。 まずこの事実をしっかりと認識する必要がある。 例えば、理想のパートナーを見つけたとする。けれど果たして、相手がどれほど幸福の因として頼りになるものなのか?理想の仕事につけたとしても、それがどれほど永続的な幸福の源となるのだろう?より多くの友人をもつことが幸福の因になると思っていても、実際は単に人間関係の問題が益々増えただけかもしれない。 それは果たして、真の幸福の因なのか、永続的な幸福の源なのか、それをまずきちんと識別する英知が重要になってくる。 外的な幸福の要因は、内的なそれに比べ、遥かに脆いものだ。本当は自ら培った慈愛と慈悲の心こそが、人生で最も信頼できる真の友なのだ。 だからこそ日々の生活の中で慈愛と慈悲の心を培う必要がある。そのための瞑想がトンレンであり、大乗仏教の大切な瞑想行なのだ、と。 私がトンレン―The Giving and Taking Meditationを初めて体験したのは20年ほど前だった。このチベット仏教寺院のブックショップで見つけたガイド瞑想のテープが切っ掛けだった。 それを初めて試したときには、英語の聞き間違えかと思ったものだ。ニューエイジ系仏教系に関わらず、それまで試した瞑想の大半はリラクゼーション系のものだったから。 たいていは呼吸に意識の焦点を合わせて、イメージする。息を吐くときには疲れやストレスが黒鉛となって吐き出され、息を吸うときには白い光を吸い込み、その光で全身がゆったりとリラックスしてゆく、と。 ところがこれは、他者の苦しみを黒煙としてイメージして自分の中に取り込んでゆき、吸い込んだら今度は自らの幸福を白光としてイメージし、息を吐き出しながら他者に与えてゆく、というものなのだから。 え、何それ・・・? マジ・・・ですか? 英語のヒアリング・ミスかしら? でもやってみたら、涙が止めどなく溢れてきた。そうして瞑想を終えたときには、驚くほど清々しい気持ちになっていた。今までの瞑想とは比べようもないほど、パワフルな瞑想ができたのだった。 トンレン瞑想自体は行の中で習慣的に続けているのだけれど、このカセットテープを使っての瞑想はもう何年もしていなかった。これを書きながら思い出して、本棚や引き出しの中を引っ掻き回してカセットテープを探してみた。果たしてそれは本棚の下段、棚の中の単行本や文庫本、CDやカセットテープやらが乱雑に押し込まれた奥の奥にあった。 『Meditations for Developing Compassion』by Pende HawterSide1 – Loving-kindness meditation 慈愛と慈悲の瞑想。Side2 – Opening the heart meditation 心を開く瞑想―トンレン瞑想。 改めて見てみると、「The Karuna Hospice Service」とカセットテープに記されている。ホスピスで催されたガイド瞑想を録音したテープらしい。やっと見つけたので久しぶりにやってみることにした。 まずは1面の<Loving-kindness―慈愛と慈悲の心を育む瞑想>から。これはトンレンではないのだけれど、やはり慈悲の心を養う瞑想法です。このカセットテープに入った瞑想のリンクが見つからなかったので、参考になることを願ってせめても概要を説明します。 まずは意識を呼吸に集中することで、心を静かに、平和にしてゆく。 意識を身体に向けて、全身をスキャンしてゆく。緊張のある部分を感じたら、息とともに吐き出し、ほぐし、リラックスさせてゆく。 頭上に白光、目映く光り輝く光の玉(仏陀でもキリストでも自分にとってスピリチュアルな存在があれば、それ)をイメージする。それは癒しの光であり、完全な慈愛と慈悲のエネルギーである。 その温かい光が顔、首、背中へと広がってゆき、完全に全身を満たしてくれると想像する。心配、問題、悲しみ、すべての負の想念や感情も癒され、白光に吸い込まれて、すべての問題が消えてゆく。そうして力や能力、愛と勇気に満たされ、心は完全にオープンになってゆく、と。 自分にとって愛しい人、大切な人を思い浮かべて、心の真ん中からその白い光を送る。家族や友人、親戚の人たちも。彼らが苦悩や問題から解放されて、幸福とその因に恵まれるようにと願いながら。 次いで、自分と対立する相手や嫌いな人、いわゆる敵を思い浮かべる。そうして大切な人同様に、彼らにも光を送る。私たちが嫌いな人たちも、私たち自身や友人同様に、幸福を求め、苦難を避けたいと願っているから。彼らもやはり愛情や思いやりを必要としているから。 周りにいる病気の人たちを思い浮かべる。癌やエイズや肉体的に病気の人、鬱病や神経症や心を病んでいる人たち。日本中の、世界中の病院にいる患者さんたちを思い浮かべて、彼らの全てに光を送る。彼らが病気や苦痛や問題から解放され、癒され、幸福とその因に恵まれるようにと強く願いながら。 世界中で貧困や飢餓に苦しんでいる人たちを思い浮かべて、光を送る。彼らが食事や物質的豊かさに恵まれて、苦しみから解放されるようにと強く、強く願いながら。 世界中の孤独な人たちを思い浮かべる。現代社会では多くの人たちが慢性的な孤独感や憂鬱感に苛まれている。一人暮らしの老人たち、寂しさ頼りなさに圧倒されている人たちを思い、彼らの孤独や痛みを自分のそれのように感じ想像してみる。そうして彼らが苦痛から解放されるよう強く、心から願いながら光を送る。 世界中で紛争や戦争に巻き込まれている人たち、基本的人権が日常的に侵されているような国に住む人たちを思い浮かべる。彼らが日々の暮らしの中で感じている恐怖や不安を想像してみる。彼らの苦悩を思いながら、光を送る。 今度は独裁者や支配者の方にも、同様に光を送る。彼らも私たち同様に慈愛と慈悲の光を必要としているから。 刑務所の囚人たちを思い浮かべる。してはいけないことの理解が足りず、塀の中に閉じ込められている人たちもやはり光のエネルギーを必要としているから、彼らにも光を送る。 最後に、自分自身に。自らの心から光が出て、ブーメランのように戻ってくる、とイメージする。自分自身を心から愛して、自身の弱さや欠点も受け入れる。自分の欠点や弱点を受け入れられずに、他者のそれを受け入れることなどできないから。 他の人たちも自分同様に苦しみたくないと、幸せになりたいと願っていることを心から理解する。そうして他者に心を開くのだと、強く決意をして、瞑想を終える。 この瞑想を初めてしたとき―嫌いな人に光をってところで、早くも心が抵抗してしまったものだった。 え~、せっかく心が良い感じになってるのに…何もわざわざ嫌な奴のことを思い浮かべたくはないかも…、とか。 だけどそれぞれの人たちの思いを想像しながら続けるうちに、世界中の孤独な人たち・・・の辺りで、ほろりとしてきた。最後の刑務所の・・・を思い浮かべるころには、もはや号泣していた。 もちろん私が光を送ったからといって、病に苦しむ人たちが幸せになるわけでは全然ない。お腹を空かせた人たちのお腹が満たされるわけでも、全くない。だけど瞑想を終えたとき、確実に自分の心は軽くなっていた。温かく、優しい気持ちになっていたのだった。 この瞑想を続けるうちに少しずつ、ほんと~に微々たるものではあっても、必ず変化は起きてくる。そうしてその変化は、自分だけでなく、周囲にも広がってゆく。難民を助けることはできなくても、家族にもっと優しくできるようになるかもしれない。スーパーで重そうなカートを一人でよろよろと押しているご年配の方がいたら、一緒に押してあげたくなるかもしれない。ホームレスの人が路上に帽子を置いていたら(メルボルンのシティでは残念ながら良く見かける)、挨拶をして硬貨を入れたくなるとか…。難民の方にだって、直接助けることはできなくても、サポートのボランティア団体に寄付をしたくなるとか。自分のできる範囲でやってみて、それで喜んでもらえたりしたら、それこそ自分の心もますます嬉しくなるだろう。そんな温かい変化は、小さく儚い細波ではあっても、少しずつ広がってゆく。 続きは、6月29日の日記「ゲシェDの1Dayコースとトンレン瞑想(後編)」でお読みください。 「にほんブログ村」に参加しています。ポチっと応援クリックをどうぞよろしくお願いいたします。にほんブログ村 [マックあつこの著書]『Tamagoー39歳の不妊治療』えっ、不妊症!? ミラー月子はたまご時計に急かされながらベイビーを夢見て先の見えない旅に出た。メルボルンからアラフォー妊活小説『Tamagoー39歳の不妊治療』 Kindle電子書籍『Tamago』 単行本『インスタント・ニルヴァーナ』もしもあなたの大切な人がカルトの罠に嵌ってしまったら? マインドコントロールの鎖は密かに繋がれてゆく。サスペンス長編3部作『インスタント・ニルヴァーナ 上巻』 Kindle電子書籍『インスタント・ニルヴァーナ 中巻』 Kindle電子書籍『インスタント・ニルヴァーナ 下巻』 Kindle電子書籍[Ako Mak 英語の著書]『Someday, IVF at 39』‘Someday, IVF at 39’ ―poignant, humorous and mysterious― a cross-cultural odyssey for motherhood.『Somedsay, IVF at 39』 英語版Kindle電子書籍『Someday Baby: IVF at 40』単行本[マックあつこのHP]マックあつこのHP Ako Mak HP
2019.06.27
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チベットのムーン・カレンダーで4月はサカダワ、釈迦の月。西暦で5月から6月にあたるこの月は、チベット仏教では重要な時期である。とりわけ満月の日は、お釈迦様がこの世に誕生して、悟りを開き、しかも涅槃入りした(亡くなられた)日だとあって、トリプル重要な日なのだった。2019年、今年のサカダワ吉日は6月17日だ。 このサカダワ吉日前の15日間は「奇跡の15日間」とも呼ばれ、功徳が億万倍にもなるという、行をするには最適な月なのだった。ちなみに悪行も何億倍にもなってしまうという、要注意の期間でもあるのだけれど(笑、でも気を付けている)。 昔、まだ息子がプレップ(日本では幼稚園の年長さんにあたるのだけど、オーストラリアでは小学校の前準備としてこの年から入学する)だったころ、今日はサカダワの日だからたくさん良いことをして、悪いことはしないようにしようね~と話したことがある。 するとムゥは首を傾げ唇を尖らせたものだ。「そしたら、今日がそんな日だって知らない人や、キリスト教の人たちはどうなるの?仏教に関係ない人たちも、カルマが増えちゃうの?そんなの、おかしくない?」 確かに、功徳倍増と思っている人たちと一緒に行をすれば集団意識でパワー倍増になりそうだけど、そう言われても…だよねぇ。幼いながらもっともな理屈に、二人で話した。知らない人たちは知らないのだし、関係ない人たちには関係ないのだし、人それぞれ、信仰それぞれ、民族それぞれのカルマだってあるわけだし、ママは悟りを開いているわけでもないので、わからない。それでもムゥはもうママから聞いたわけだから、やった方が良いんじゃない?どっちにしろ、いつだって良いことをしていた方が良いのだから、と。 息子はなんとなく納得したようで、「そうだよね。ママがチベット仏教の勉強をしていて、サカダワの話を聞いたのもムゥのカルマだから、だったら良いことをした方が良いものね。いつも良いことをしていた方が、ムゥも周りのみんなだってハッピーになれるものね」と、神妙な顔で頷いていた。ああ、あのころの無邪気な笑顔が懐かしい。 その息子も今年で中学1年生。サカダワ中の釈迦誕生に死亡説、功徳の倍増なんかに関しては益々眉を顰めながらも、哲学好きな男子に育った。とはいえキンキン甲高い声で話してるし、日本語で話すときは自分のことを「ムゥ」とか言ってるし、まだまだ幼い感じではあるのだけれど… そんなサカダワの月に、今年は6月3日から入った。そうしてサカダワ入り前の5月26日に夢を見た。 夢の中で、私は家族と温泉地で寛いでいた。何か観光でもしようと広場に出たが、大型リゾート地にいると思っていたのに、いつの間にか鄙びた温泉宿に移っていたようで、小さなその島には観光スポットもろくにないのだと、広場の屋台の店主が教えてくれた。屋台は2軒並んでいて、どちらも美味しそうだけど似たような饅頭や和菓子が並んでいた。どちらで買おうか迷っていたら突然、地面が揺れ始めた! 広場の向こうに聳え立つ時計塔も大きく揺れている。子どもたちを庇い裏手に逃げたものの、そこも危なそうなので安全な場所を求めて逃げ惑う。いつのまにか夫はいなくなっていて、私はとにかく必死に子どもたちを守ろうとしている。 揺れが収まって、周りの人たちと一緒に安全な場所に戻ろうとしたら、何か物々しい雰囲気の人たちがやって来た。何かの捜査をしているのだと一人が証拠写真を撮り始める。子どもたちをなんとか避難させて、気づいたときには自分も容疑者の一人にされていた。というか、あれよあれよという間に単独犯として疑われていた。誰かにハメられたのだ!?と気づいたときには時遅し、連行されてしまう。 車に乗せられるとき、なぜか道路を動物たちがちょろちょろと動き回っているのに気づいて、その子たちが車に轢かれそうで心配になる。でも自分は助けに行けないので、神仏に動物たちのご加護を祈りマントラを唱え始めたら突然、場のエネルギーが変わったのだった。動物たちが逆に私を助けようとこちらに向かってきて、私を連行した人まで友好的に接してくる。 ヨーロッパ風の大きな教会か裁判所のような荘厳な古い建物の中に連れられていた。裏庭に面したドアから、木目の美しい重厚な扉を開けて、臙脂色の袈裟を纏ったチベット僧が入ってきた。去年ネパールの寺院に帰ってしまったM僧だった。M僧は胸の前にダライラマ法王の写真盾を掲げている。 私は静かに、けれど毅然と言っていた。「His Holiness Dalai Lama is my Guru―ダライラマ法王が私の師です」と、英語で。 するとまた大きく空気が変わった。M僧の後ろから臙脂色の袈裟を纏ったチベット僧や尼僧が次々と入ってくる。辺りはとてつもなく平和で、神聖で、厳かで、圧倒的に美しいエネルギーに包まれていた。これからプージャOffering Ceremonyか裁判か、何か厳かな儀式が執り行われるようだった。私はもう何も恐れてはいなかった。 これからどうなるのかはわからないけれど、何が待ち受けていようとも大丈夫だ。自分に用意はできているのだから先に進みたい、と心を弾ませたとき― なんと夫に起こされてしまった!?夢ではなく現実に。 その日曜は地元のチベット仏教寺院でゲシェDの「トンレン行―The Giving and Taking practice」に関する1日コースが予定されていたので、昨夜家族に6時過ぎに目が覚めた人は起こしてね、と頼んでおいたのがいけなかった。それにしても、なんて間の悪い・・・(泣) ずっとあのまま夢の中に留まっていたかった。「His Holiness Dalai Lama is my Guru」と宣言したときの自分の毅然とした声がはっきりと耳に残っていた。 トランスフォーメーション―意識の変容の夢だと思った。夢日記に記して、ついでに解釈もしてみた。 温泉地で今日は観光でもしようかナとか、どちらの屋台で買おうかナとか、そんな大した意味も目的もなさそうな些細なことで迷っているのは、自分の、のほほ~んとした人生の象徴だろう。けれどそういう生活が土台から揺さぶられるような地震、転機が起きる。時を表す時計塔というのも象徴的だ。混乱と不安の中で流れをポジティヴに変えたのが菩提心で、動物を助けようとしたら実は助けられていたというのも印象的だった。 ダライラマ法王が自分の師だと言い切ったとき、何か自分のアイデンティティを決定づけたような、カミングアウトできたような気がしたのだった。ああ、やっと自分はここまで辿り着けた、みたいな。思えば、初めてダライラマ法王の著書を読んで感銘を受けたのが1999年、初めて法王のオーストラリア・ツアーに参加したのが2002年だった。あれからかなりの年月が流れたわけだ。 法王は2015年のリトリートのとき、夢の内容だけでなく、その印象や目覚めたときの気持ちにも注意を払うようにとおっしゃっていたけれど、夢の中でも、目覚めたときにも、心は温かな自信に溢れ、平静で落ち着いて、何よりもとてつもなく幸福だった。 チベット密教では袈裟を纏った僧や尼僧を見るのは浄化のサインだと言われる。もしかして、負のカルマを一つ昇華できたのかナ?いずれにしてもサカダワの幕開けとしては、私にはもったいないほど有り難い吉夢だった。 その夢のエネルギーはその日1日、しっかりと残っていた。私は夢見のエネルギーを胸に、チベット仏教寺院へ、ゲシェⅮの講義に向かったのだった。 ゲシェDの講義は6月27日の日記「ゲシェDの1Dayコースとトンレン瞑想」に続きます。 ちなみに、私が初めて読んだダライラマ法王の本は『The Art of Happiness』でした。既にメルボルンに移住していたので英語で読んだのですが、その後日本に帰ったときに和訳されていた『ダライ・ラマ こころの育て方』も買ってきて読みました。アメリカの精神科医が書いているので仏教用語も少なくて、一般にも分かり易く素晴らしい本ですよ。 『ダライ・ラマ こころの育て方』ハワード・C・カトラー著、ダライラマ14世著またちなみに、2002年当時は未だブログを始めてなかったのですが、2008年以降のツアーのことはブログに書いているので、よろしければこちらの日記もお読みください(^^♪⇒2015年6月10日の日記『ダライラマ法王のリトリート』、9日の日記、8日の日記、6日の日記⇒2013年6月16日の日記『ダライラマ法王ツアーで、シドニーの旅』⇒2012年7月6日の日記『ダライ・ラマ こころの自伝』⇒2011年6月11日の日記『ダライラマ法王と、Day1』、12日の日記、13日の日記⇒2009年12月1日の日記『ダライラマ法王、オーストラリアに再び』、2日の日記、3日の日記⇒2009年12月10日の日記『ダライラマ法王と朝食会』⇒2008年6月9日の日記『Dalai Lama』、10日の日記、11日の日記、12日の日記、13日の日記、14日の日記、15日の日記 、16日の日記ダライラマ法王の去年予定されていたオーストラリア・ツアーは残念ながら中止になってしまいましたが(泣)、日本には11月にいらっしゃいましたね。法王もご高齢になって今後海外での講義は控えるとのことでしたが、日本にはこれからも来られるようで、羨ましい限りデス。やはりオーストラリアはダウンアンダー、ダラムサラからは遠いものね。日本での講義、私も参加したいな~。 「にほんブログ村」に参加しています。応援クリックをどうぞよろしくお願いいたします。にほんブログ村 [マックあつこの著書]『Tamagoー39歳の不妊治療』えっ、不妊症!? ミラー月子はたまご時計に急かされながらベイビーを夢見て先の見えない旅に出た。メルボルンからアラフォー妊活小説『Tamagoー39歳の不妊治療』 Kindle電子書籍『Tamago』 単行本『インスタント・ニルヴァーナ』もしもあなたの大切な人がカルトの罠に嵌ってしまったら? マインドコントロールの鎖は密かに繋がれてゆく。サスペンス長編3部作『インスタント・ニルヴァーナ 上巻』 Kindle電子書籍『インスタント・ニルヴァーナ 中巻』 Kindle電子書籍『インスタント・ニルヴァーナ 下巻』 Kindle電子書籍[Ako Mak 英語の著書]『Someday, IVF at 39』‘Someday, IVF at 39’ ―poignant, humorous and mysterious― a cross-cultural odyssey for motherhood.『Somedsay, IVF at 39』 英語版Kindle電子書籍『Someday Baby: IVF at 40』単行本[マックあつこのHP]マックあつこのHP Ako Mak HP
2019.06.15
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5月24日の日記「忙し過ぎて心がキリキリしてきたら、ターシャと過ごそう(前編)」の続きです。 ターシャの人生は、概要を聞いただけでも山あり谷あり―お伽噺のプリンセスのような恵まれた人生ではなさそうだったけど、彼女は「ずっと幸せだった」と言い切っている。「思い通りに生きてきた」から、と。 「私はいつも自分が欲しいものを手に入れてきた。それは忍耐強かったからよ。決して諦めないことが大切なの。私の人生は忍耐の連続だった。でも忍耐の後に得るものは絶対にその価値があるのよ」 確かに、そうかもしれない。忍耐の後に得る喜びは、大きい。私たち夫婦はなかなか子どもに恵まれず不妊治療をしてやっと授かったのだけれども、念願の子どもたちから得られた喜びは測り知れない。そのうえ不思議な体験にまで恵まれて、そこから小説まで書くことになったのだ。 『Tamago―39歳の不妊治療』Kindle電子書籍 『Tamago』単行本 ターシャは4人の子どもたちを授かった。農業をしながら4人の子育てをしていた当時の母親のことを長男が回想している。4人の子どもたちのみならず家畜やペットの世話をしながら料理や裁縫をこなし、読書や庭仕事を楽しみ、同時に絵も描いていたんだそうだ。私など想像しただけで疲れ果ててしまいそうな生活だけど、「でもいつも(母は)楽しい楽しいって、やってたよ」と、長男。 「子どもたちと私は<探検>と称して毎朝寝巻のまま外に出て、<昨日と違う何か>を探して回ったの。楽しかったわ」と、ターシャ。 その笑顔に刻まれた皺を見ながらしみじみ思わされた。彼女は幸せでいるためにクリエイティヴな努力を惜しまなかったんだなぁ、と。 目まぐるしい都会の生活とは違って、農場の暮らしはのんびりと、変化に乏しい単調な毎日になりそうな気もするけれど、ターシャと子どもたちは毎朝起き抜けに<昨日と違う何か>を探す探検に出ていた。日常生活のなかに小さな喜びを見つけて、楽しむ。当時のターシャ・ママは忙しかっただろうに、子どもたちと素敵な時間を持つことのできる余裕を持ち合わせていたのだろう。 この余裕こそ幸福の鍵なんだと思う。心に余裕がなければ、何をしても本当には楽しめない。好きなことややりたかったことをしているときでさえ、慌し過ぎると心は悲鳴を上げてしまうんだ。 この年末、日本に一時帰国したときのことが思い出された。後何年こうして両親の暮らす実家に帰ることができるのだろうかと思えば、目に見えて年を取ってきた両親とできるだけ一緒に過ごしたいと思っていた。身体の自由が利かなくなってきた母に代わって、日本に滞在しているときだけでも家事全般も引き受けて。 とはいえ1年ぶりの帰国なので、自分自身が浮足立っている。やりたいこと、行きたい所、会いたい人、食べたいものと〈やりたいことリスト〉も長々と。子どもたちの方も成長するにつれ日本滞在でやりたいことが益々出てきて、毎日はあっという間に予定で埋まってしまう。 気がつけば、時間に追われて急かされて―いつの間にか<やりたかったこと>さえ<しなければならないこと>リストの項目のようになってきて― あるとき今日もこんな時間・・・急いで夕食を・・・と子どもたちを急かし家に戻って、母に頼まれた買物をそっくりお店に置き忘れてきたことに気がついた。自分の間抜けさを呪いつつ、さっき運転してきた道を戻りながら、自分でも驚いたことに目頭が熱くなっていたのだった。そんな自分の反応に呆れ、思った。何やってるんだろ、自分… 仕事や家事や子供の面倒に追われる日常生活ならいざ知らず、これは年に一度の一時帰国で、子どもたちなど夏休みホリデー中だと言うのに、この慌ただしさは何なんだ!?いったい毎日、何を焦って飛び回っているんだろうか。頭ばかりがせかせかと次の行動を考えてしまって、心はちゃんと楽しんでいないじゃないか。喜びどころか、むしろストレス…? 何を贅沢なことを…と思ったとき、贅沢という言葉にハタと思い当たった。これなら、和食もお風呂もない、テントに居候させてもらって、寝袋の中で寒さに震えながら眠り、シンプルな食事をしていたリトリートの方が(2018年5月12日の日記「キャンプdeリトリートと夢見」に)、まだしも心は弾んでいた。ニュンネだって(2017年5月29日の日記「Nyung Nye浄化のリトリート」に)、ただ断食断飲、無言の行をしながら慈悲の心について瞑想しているだけだというのに、むしろ満たされ、落ち着いていた。心の平穏という点でいうなら、メルボルンでの平凡な日常の方がまだしも・・・。 これってば、やっぱり…日本に来てから慌しくて、ろくに朝の瞑想もしていなかったことが悔やまれた。毎日の密教行だって、手抜きのせかせかしたもので…。里帰りなのだからと気を抜き過ぎ手を抜き過ぎて、心の鍛錬がおざなりになっていたのだ。仏教でいうMonkey Mind、ただ反応し続けるだけのとりとめのない心で、Mindfulnessからは程遠く…。そのうえ、やりたいことややるべきだと決めたこと、要は執着や期待が大き過ぎて、「足るを知る」の心には程遠くー「感謝」の余裕もなく― 「すべての瞬間を楽しみなさい。五感のすべてで命を感じなさい」 まさにマインドフルネスだ。ターシャは毎瞬毎瞬に心を込めて生きようとしてきたのだろう。状況に反応して流される<お猿さんの心>ではなく、<意識的に>生きよう、と。彼女から<選ぶことの大切さ>について学んだと孫の奥さんが言っていた。 「家の仕事にしても趣味にしても、何をして何をしないか、誰と会って誰と会わないか、人生は小さな選択の積み重ねでできていると言うのです。(ターシャは)すべての選択を真剣に行ったから自分の世界を築けたのですよね」 人生は小さな選択の積み重ね―本当にその通りだと思う。ターシャは自分にとって重要なことを知っていた。人生のプライオリティを明確に意識して生きてきたんだ。 そんなターシャは心の真ん中に「Still Water教」と自分で名付けた信念をもっていた。 「私は静かな水のようにありたいと<Still Water教>を発明したの。人間はないものねだりばかり。欲望で不満を膨らませているの。まずは静かな水のように世界を受け止め、感謝することから始めたいわ」 その信念について息子も語っている。「静かな水のように穏やかであること、水鏡に映し、自分を知ること、周りに流されず自分の速さで進むこと。それを母はスティル・ウォーター教と言って冗談めかしていましたが、そのように生きていました。いつも手を動かすことを楽しみ、自ら作り出したものに幸せを与えられ、そうして積み重ねた人生は充実したものでした」 「人生なんてあっという間に終わってしまうわ。好きに生きるべきよ。幸せは自分で創り出すのよ」 そう語っていたターシャはもういない。2008年に92歳で永眠したのだ。 幸福は自ら作り出す。だから、心を迷子にしないようにする。 ほんとうに、その通りだと思う。今度、心がわさわさしているなと気がついたら、立ち止まって深呼吸してみよう。それから自分の心に聞いてみるんだ。耳を傾けてみれば、ちょっとコーヒーで一息つきたいとか、温かいお湯につかりたいとか、瞑想したいとか、案外、他愛ないことかもしれないな。 まずは、汝自身を知れ、ですよね。それから、周囲の状況だけでなく自分自身も、自分の求めているものさえも、実は刻々と変化しているのだということを意識してみよう。今人生で与えられていること、不要になったこと、整理した方がいいことなんかについても思いを巡らせてみたい。自分にとっての豊かな人生について、のんびりと夢想してみるのも楽しいかもしれないな。今よりもう少し豊かに生きるために、できることを考えてみよう。 ありがとう、ターシャ。なんだか最近疲れてるなぁ…と感じたら、ターシャに会ってみませんか? にほんブログ村に参加しています。ポチっと応援クリックよろしくお願いいたします。 にほんブログ村 [マックあつこの著書]『Tamagoー39歳の不妊治療』えっ、不妊症!? ミラー月子はたまご時計に急かされながらベイビーを夢見て先の見えない旅に出た。メルボルンからアラフォー妊活小説『Tamagoー39歳の不妊治療』 Kindle電子書籍『Tamago』 単行本『インスタント・ニルヴァーナ』もしもあなたの大切な人がカルトの罠に嵌ってしまったら? マインドコントロールの鎖は密かに繋がれてゆく。サスペンス長編3部作『インスタント・ニルヴァーナ 上巻』 Kindle電子書籍『インスタント・ニルヴァーナ 中巻』 Kindle電子書籍『インスタント・ニルヴァーナ 下巻』 Kindle電子書籍[Ako Mak 英語の著書]『Someday, IVF at 39』‘Someday, IVF at 39’ ―poignant, humorous and mysterious― a cross-cultural odyssey for motherhood.『Somedsay, IVF at 39』 英語版Kindle電子書籍『Someday Baby: IVF at 40』単行本[マックあつこのHP]マックあつこのHP Ako Mak HP
2019.05.25
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「忙しすぎて心が迷子になっていない?豊かな人生を送りたいと思ったら、心が求めているものを心に聞くしかないわ。私は時々腰をおろして、ゆっくり味わうの。花や夕焼けや雲、自然のアリアを。人生は短いのよ。楽しまなくちゃ」91歳のターシャが、自ら作り上げた広大な庭の野原に腰を下ろして、風にそよぐ花々を眺めながら、掠れた声でゆったりと語りかけるとき、その言葉は心に響く。『ターシャ・テューダー 静かな水の物語』は、自分のスタイルをとことん追求し慈しんで生きた女性のドキュメンタリー映画だった。映画『ターシャ・テューダー 静かな水の物語』先日ゆったりと一人の時間が取れたので、久しぶりにネット配信で映画レンタルでもしようと思い立った。映画を見るなんて、年末日本に里帰りしたときにDVDを借りて以来だ。わくわくと以前チェックした邦画を見ようとネットで「お気に入り」のファイルを開けたら、その下に並んだ<この作品をご覧になったお客さまは次の作品もご覧になっています>の一つに心が引き寄せられた。予告編を見てみれば― アメリカで最も愛される絵本作家 世界中のガーディナーが憧れる美しい庭をつくり上げたひと ・自然と寄り添うこと ・自分の手でつくること ・季節の行事を楽しむこと 自然と寄り添って暮らし、自分の手で喜びを紡ぎ出す それがターシャの生き方 人生を見つめ直すときは、ちょっと立ち止まって、ターシャに聞いてみよう。 忙しすぎて、心が迷子になっていない?忙しすぎて心が迷子・・・なって・・・いるかもしれない・・・つーか、NOなんて言えない自分がいた。ターシャ・テューダーはアメリカの絵本作家である。代表作の『コーギービル』など80冊以上もの本を出版し、日本でも翻訳された作品が多数ある。見ているだけで心がスキップしたくなるような、温かくて美しい絵を描く方だ。『コーギービルの村祭り』ターシャ・テューダー著ターシャは自分の夢だったライフスタイルであるスローライフを実現した。彼女の家「コーギ・コテージ」は、自分でデザインして息子に建ててもらった1800年代風の農家である。彼女は50代半ばから自分の夢の家で田舎暮らしを始めたのだった。「ガーデニングは喜びなの。人生は短いから好きなことをする。私の場合それがガーデニングなの」ターシャは広大な敷地で四季折々の花々を育てながら、コーギ犬や鳩、アヒルや鶏や、家畜と暮らしていた。実際それは田舎暮らしというより、1800年代の農村の暮らしって感じだ。映画を観ながら『大草原の小さな家』を思い出していた。私が小学校高学年とか中学生のころNHKで放映されていたアメリカのテレビドラマで、本も翻訳されていた。西部開拓時代に生きた一家の話で、当時の私は自分と同年代のローラと彼女の世界に魅了され、毎週楽しみに観ていたものだった。自然の脅威にさらされながらも大地に生きる、ローラの素朴で温かい世界に惹かれた。そのころはミートパイもシェパードパイも食べたことなんてなかったから、主題歌にも歌われていた「母さんの焼くパイの香り」に憧れたものだ。オーストラリアに暮らす今となってはミートパイなんて食べたくもないけれど・・・。(^^;)ターシャのコーギ・コテージは、ローラの家よりはずっと大きくて洗練されているけれども、電気や水道は最小限に、暖炉や薪ストーブを使っている。ターシャは蝋燭も手作りしていた。身に着けるボンネットも小花模様のドレスも、人形もクリスマスの飾りも、なんでもハンドメイドで作ってしまう。自分で(もしくは近所に住む息子たちに手伝ってもらって)山羊の乳を搾り、庭で取れた果実でジャムを作って、スープを料理して、パイを焼いて―木の温もりが魅力的なその家で、ターシャは時代がタイムスリップしてしまったかのような、シンプルで素朴な生活を送っている。「私の赤ちゃんに会いたい?」と、たとえば彼女がカーディガンの胸元を開けたときにはビックリした。だってその胸元にはなんと、ひな鳥が!? ヒナから育てあげた鳥たちと彼女の絆は強く、一緒にお昼寝もしてしまうんだとか。「コーギ・コテージ」では、時間はひたすらゆったりと流れる。普段慌しい日常に追われるように暮らしている現代人とは対照的に。ターシャの紡ぎ出す緩やかで穏やかな世界に浸っていると、なんだか目頭が熱くなってしまう。感謝祭のディナーで七面鳥を焼くシーンも印象的だった。「もうちょっと早く焼くやり方はないの?」と尋ねる孫の奥さんにターシャは諭すんだ。「急いではだめよ。200年前に戻ったつもりで、1日がかりの覚悟で作るの。この家では時間の進み方が違うの。煮るのでも焼くのでもなく、ローストするからおいしいの。買ってきたものを温めるだけで済ませるなんて、私は嫌だわ」彼女はプロセスを楽しむ達人なんだ。全ての瞬間に念を、思いを込めることのできる人なのだと思う。それにしても、1日がかりの覚悟か…。う~ん、何をするのでもやはり覚悟は必要デス。とことん愉しむために腹をくくる。すごいな、ターシャ。「91歳なんて、すごいでしょ。こんなに長生きして、しかもずっと幸せだったのよ!人生は短いから不幸でいる暇なんてない。気づいていない人が多いけど」言い切れるなんて、素晴らしい!なんて恵まれた方なの!?とか思ってしまいそうだけど、ターシャの人生は、実はそれほど平坦でも恵まれていたわけでもなかった。ターシャはボストンの名家に生まれた。両親は典型的なボストンの文化人で、家に作家のソローやエマーソンが遊びに来ていたというのだから驚く。母親は肖像画家で、技師で実業家の父親はアインシュタインとも交流があったそうだ。両親は多忙で、7歳上の兄は遊び相手にならず、孤独なターシャは乳母に育てられた。乳母から家事と「地に足のついた生き方」を学ぶことができたのだと言っている。9歳のときに両親が離婚して、ターシャは母親の親友の農家に預けられた。え~、可哀想に・・・と思ってしまうところだけれども、彼女自身は温かい家族に囲まれ、そこでの田舎生活の方をむしろ好んだ。4歳年上のローズはシェイクスピア全集を読んでくれたのだと嬉しそうに語っていた。「あの頃、夢中になって読んだ本から私は生き方を教わったの。今日まで素晴らしい人生を送れたのは、ローズと本のおかげね」ターシャは10代半ばで、早くも大きな夢を一つ叶えてしまう。母親の尽力で華々しく社交界デビューを飾ったのだ。って、そうではなくて、ずっと欲しかった牛を叔父から贈られた!のだった。ティーンネイジャーの女の子の夢が牛っ!?ですか…ユニークな夢の叶った彼女は独立して農業を始めたのだった。その後、21歳で結婚。その年に絵本作家デビューも果たし、それから70年もの間現役で活躍し続けた。その間に2度の離婚を経験して、4人の子どもたちを女手ひとつで育て上げて、第2の人生をコーギ・コテージで始めたのだ。続きは5月25日の日記『忙し過ぎて心がキリキリしてきたら、ターシャと過ごそう(後編)』をお読みください。にほんブログ村に参加しています。ポチっと応援クリックをどうぞよろしくお願いいたします。 にほんブログ村 [マックあつこの著書]『Tamagoー39歳の不妊治療』えっ、不妊症!? ミラー月子はたまご時計に急かされながらベイビーを夢見て先の見えない旅に出た。メルボルンからアラフォー妊活小説『Tamagoー39歳の不妊治療』 Kindle電子書籍『Tamago』 単行本『インスタント・ニルヴァーナ』もしもあなたの大切な人がカルトの罠に嵌ってしまったら? マインドコントロールの鎖は密かに繋がれてゆく。サスペンス長編3部作『インスタント・ニルヴァーナ 上巻』 Kindle電子書籍『インスタント・ニルヴァーナ 中巻』 Kindle電子書籍『インスタント・ニルヴァーナ 下巻』 Kindle電子書籍[Ako Mak 英語の著書]『Someday, IVF at 39』‘Someday, IVF at 39’ ―poignant, humorous and mysterious― a cross-cultural odyssey for motherhood.『Somedsay, IVF at 39』 英語版Kindle電子書籍『Someday Baby: IVF at 40』単行本[マックあつこのHP]マックあつこのHP Ako Mak HP
2019.05.24
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4月29日の日記「ジャパニーズ・スクールの卒業式とちこちゃんの猫に、DNA」(前編)の続きデス。 そんな折、オージーの女友達から興味深い話を聞いた。彼女自身はオーストラリア生まれのオージーなのだけど、両親はクロアチアで生まれたのだそうだ。両親とも成人してからオーストラリアに移住したので英語は殆ど話せず、付き合う人たちもクロアチア人で、彼女もクロアチア文化にどっぷり浸って育った。小学校に上がるまで、英語は全く話せなかった!?のだとか。そうして両親は、移住から半世紀以上が経った今でもクロアチア・コミュニティーで生きている。彼女の方も、今では英語はネイティヴ・スピーカーだけど、クロアチア語を話し、片足は常にクロアチア社会に置いたまま生きてきた。そんな話を聞いているうち、つい尋ねてしまった。「私は子どもがハーフだから聞いてみたくなったのだけど、自分のこと、オーストラリア人だと感じている? それともクロアチア人だと?」「クロアチア人ね」と彼女は迷うことなく答え、付け足した。「クロアチアには2回しか行ったことないけど」2回!?それでも自分のことをクロアチア人だと感じるんだ・・・。じゃあ、うちの子たちは?大人になってから自分のことをどう・・・?口には出さなかったけど、つい「ちこちゃん」の猫の12週間の話なんかを思い出してしまった。子ども時代の環境がいかに人格に影響を与えるものなのかと半ば感動しつつ、彼女が20代半ばに初めてヨーロッパを旅行したときの話に耳を傾けた。「そのとき初めてクロアチアを訪れたの。クロアチアに滞在してみて、しみじみと思った。ああ、やっぱり、ここが自分の国だったんだって。ここが自分のルーツで、自分はクロアチア人なんだって」そんなものなのかなぁと頷く私に、「ところがね」と、彼女。「旅を続けてチェコに行って、ビックリしたわ。だってチェコ人が、なんだか自分に似ているんだもの。だってまず顔が自分とそっくりじゃないの!ううん、顔立ちや容姿だけじゃないの。洋服の好みとか色使い、スカーフの巻き方、ファッションの好みまで似ていたのよ!それにチェコの食べ物は美味しくて、私の好みそのものだったし、ほんと毎日食べても飽きないくらいだった。そうして食べながら周りを見回せば、チェコの人たちの話し方、食べ方、仕草や振舞い方が、信じられないくらい自分のそれに似ているの。思わずにはいられなかった。えっ、私ってば、チェコ人?って。自分は、クロアチア人じゃなく、むしろチェコ人だったんだって」 当時の衝撃的発見を思い出し熱く語る彼女に、私は「へぇ~」としか言えなかった。そもそも私にはクロアチア文化とチェコ文化の違いもよくわからないし。顔立ちがどう違うのか、皆目見当もつかないし。つーか、クロアチア人とチェコ人の、いや、ヨーロッパ人自体の違いも良く判らない。だいたい彼女のことは、その栗色のストレートヘアと大きな茶色い瞳から、てっきり北部のイタリア系だと思い込んでいたのだった。つい口走ってしまった。「前世、チェコ人だったとか?」「そうじゃあなくて、DNAよ」「はぁ・・・」「実はね、母が遺伝的病気になっちゃったから私も去年、自分のDNAを調べてみたの。そしたら驚くべきことがわかったのよ」と、彼女。「私の遺伝子の54%はチェコ人のそれと一致していたの。それで調べたら、父方の祖先がチェコから来ていたことがわかったの。だから昔ヨーロッパを旅行したときに、あんなにチェコの人に親近感を覚えたのね」え、DNA!?遺伝子ですか!?そうか、DNAにチェコ人のタイプとか、民族的型があったのか…。そうか、言われてみればさもありなむ・・・だけど、目から鱗っ。DNAか・・・。じゃあ、うちの子どもたちがアニメやマンガや和食が好きなのも、DNA?ごはん大好きなのも、コメ好きな日本人の血が流れているから?じゃあ、例えば、初めて寿司を食べるとき、海外で育った日系人は他の民族の人たちよりも美味しい💛と思ってしまうんだろうか?例えば和菓子を食べたとき、ジャパニーズ・タイプのDNAの強い子の方が和菓子好きになるってこと?かしら・・・妖精やゴブリンの絵本より、砂かけばばあや一つ目小僧の話に惹かれてしまう?ってこと・・・?そういえば―子どもたちに納豆を食べさせたとき、娘の方は「ふぅん・・・」って感じだったけど、息子の方は食べたとたんに納豆大好き納豆命ラブ💛になったのだった。オーストラリアでは納豆は高いし手に入り難いのであまり食べさせなかったのだけれども、ムゥは日本に帰ると毎朝納豆と海苔ばかりを食べていた。納豆と海苔と蕎麦は長いことムゥ食べ物界の三宝になっていた。同じ家庭で育ったのに、なぜ息子の方はこんなにも納豆に執着しているのだろうかと考えたこともある。前世の記憶?かとも思ったけど、もしかして納豆好きになる遺伝子的何か?とか??ああ、でも娘だって納豆派にはならなかったけど、サンドイッチよりおにぎり、ケーキよりも白玉やお団子が好きだった。てっきり希少価値の法則で、母親がオーストラリアでは手に入り難い和菓子をありがたがるから、子どもたちもつられて貴重だと感じてしまうのだろうと思っていたけれど、もしかして・・・DNA?やはり人格形成の大きな要因は育った環境と、それからDNAも影響しているんだろうな。日本タイプとUKタイプー、あの子たちのはどちらが強いのだろう? 一度、二人のDNAを調べてみたいナ。さて、日本なら桜舞う4月6日。ジャパニーズ・スクールを卒業した息子は、その翌週には中等部に入学した。これから3年間また日本の国語と数学の教科書をつかって勉強するのだ。今年ムゥの入学した現地の中学校には「ジャパニーズ」があるので、無理して土曜校に行かなくてもいいかなぁと私は考えていた。だから息子にも、土曜校の国語は古典や漢文まで入って益々難しくなるし宿題も多くなるから、嫌なら進学しなくてもいいよと言ってみたのだけれども、やはり好きだから続けたいのだそうで。本人は生徒会にも入って、積極的に土曜校生活を送ろうと張り切っているから、私も応援していこうと思う。そうして前年度に高等部を卒業した娘の方までまた土曜校に戻ってしまった。現地校では高校3年生、大学受験の真っ只中。大学の付属高校なので大学の授業まで一つ履修しているから忙しいだろうに、新学期からボランティアに入ることにしたのだ。オーストラリアで日本語を思う存分使える環境を離れたくないみたいだ。メェは今、小学1年生のクラスにアシスタントの先生として入っている。「メェせんせいって、子どもたちがもうなついてくれたの」と楽しそうだ。ピッカピカの1年生、子どもたちが自分のように日本語と土曜校を好きになってくれるよう、自分が1年生のころ先生たちにしてもらった楽しい体験を思い出しながらがんばっているんだそうだ。やはり土曜校の存在は大きかったんですね。どんなに家で日本語や文化に触れても、それが学校とか子どもたちの外の世界に通じなかったら、それほど根付かなかっただろうから。メェは相変わらずインターネットでアニメやラノベや四字熟語なんかをチェックしては喜んでいる。時々私にも面白いのを見せてくれて、二人で大笑いしている。おかしいので、ちょっと紹介してしまうと―Q.うっせーな、てめぇ。死ねや! って、敬語で何て言いますか?A.たいそうにぎやかなご様子でいらっしゃいますところ誠に恐縮でございますが、ご逝去あそばしていただければ幸甚に存じます。とか、Q.*に平仮名を入れ「人を小バカにする」という意味の慣用句を完成させなさい。 鼻で***A.鼻でかくねとか。Q.あなたの町の様子を調べるとき、どのようにして調べましたか?A.がんばって。なんか。 オーストラリアは、いうまでもなく移民の国である。国勢調査でも、たとえばビクトリア州は、人口の4分の1強が海外で生まれている。でもって人口の半分は、本人が海外で生まれたか、片親が海外で生まれたオージーである。21世紀生まれの二人。「オーストラリア人」とか「日本人」以上に、「地球人」として成長してほしい。それでもオーストラリアで育っている彼らに日本という立ち位置があることをとても嬉しく思う。ありがたいことです。上の写真👆は、息子が出してくれたお気に入りの本とDVDデス。『いとしのムーコ』みずしな孝之著、『黒執事』トボソヤナ著、それから『Fate』のDVD。そうしてこちら👆は娘の出してくれたもの。『さよなら私のクライマー』新川直司著、『コナン』青山剛昌著、『六花の勇者』山形石雄著。二人共通のお気に入りは『やはり俺の青春ラブコメは間違っている』渡航著だそうです。私も読んでみようかな?今日が、日本では平成最後の日なのですね。もっと早くブログをアップしようと思っていたのに、こんな意味深い日になってしまいました。。。それでもどうにか、新時代に持ち越すことなくアップできてよかった。明日から新しい時代が始まりますね。令和が、素晴らしい時代になりますように。皆様のご多幸をお祈りいたします。 にほんブログ村に参加しています。ポチっと応援クリックを、どうぞよろしくお願いいたします(^^♪にほんブログ村[マックあつこの著書]『Tamagoー39歳の不妊治療』えっ、不妊症!? ミラー月子はたまご時計に急かされながらベイビーを夢見て先の見えない旅に出た。メルボルンからアラフォー妊活小説『Tamagoー39歳の不妊治療』 Kindle電子書籍『Tamago』 単行本『インスタント・ニルヴァーナ』もしもあなたの大切な人がカルトの罠に嵌ってしまったら? マインドコントロールの鎖は密かに繋がれてゆく― サスペンス長編3部作『インスタント・ニルヴァーナ 上巻』 Kindle電子書籍『インスタント・ニルヴァーナ 中巻』 Kindle電子書籍『インスタント・ニルヴァーナ 下巻』 Kindle電子書籍[Ako Mak 英語の著書]『Someday, IVF at 39』‘Someday, IVF at 39’ ―poignant, humorous and mysterious― a cross-cultural odyssey for motherhood.『Somedsay, IVF at 39』 英語版Kindle電子書籍『Someday Baby: IVF at 40』単行本[マックあつこのHP]マックあつこのHP Ako Mak HP
2019.04.30
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3月27日は息子の通うジャパニーズ・スクールの卒業式だった。この学校のことはブログに書いたこともあるけれど(⇒2013年4月13日の日記「ランドセルの思い出」、⇒2014年3月29日の日記「メェ、もう一つの卒業式」)、週に1度土曜日だけの補習校である。 公立小学校の校舎を土曜日だけ借りているのでオーストラリアの4学期制だけど、日本式に卒業式は3月末、入学式は4月頭になる。ちなみにオーストラリアの学校は年明け(といっても夏休みの後なので1月末か2月頭)に始まって、12月クリスマス前に終了の4学期制だ。 娘のメェと息子のムゥは、ここに幼稚園から通って、メェの方は去年高等部を卒業した。といっても高等部は日本の教育ではなく、 Victorian Certificate of Education オーストラリアビクトリア州教育修了証ーVCEの日本語なので2年間で、去年末が卒業式だった。小学生のムゥの方は日本式に3月に卒業式を迎えたのだった。 お陰で、週に1日だけではあるけれど、子どもたちはオーストラリアにいながら日本の教科書で国語と算数を学ぶことができた。まぁ、かなり慌ただしく、かつアバウトに学ぶことにはなるのだけれど…。それでも海外で日本語や日本の文化を学ぶ機会を子どもたちに与えることができるのだから、海外在住の日本人の親たちにとっては有難~い存在である。 それに勉強だけでなく、様々なイベントも楽しむことができた。 二人とも幼稚園では玉入れや綱引き、かけっこにお遊戯の運動会を体験した。「赤勝て!白勝て!」の応援は、『ハリーポッター』のホグワーツ校よろしくハウスに分かれて戦うオーストラリア現地校のスポーツ大会では味わえない醍醐味である。 毎年「蚤の市」と呼ばれる文化祭的お祭りも子どもたちの楽しみの一つだった。和太鼓の演奏や生徒たちのダンスや合唱などの舞台、たい焼きやお寿司や屋台ふうおやつの販売などなど。子どもたちはお祭り気分で、学年ごとに出店される輪投げやお菓子釣りやお化け屋敷を50セント硬貨(日本で言うと50円玉ですね)で楽しむことができた。フリーマーケットも人気で、ムゥは幼稚園のときウルトラマンと怪獣の特売セールに遭遇して以来この日を楽しみにしてきた。二人ともここで日本のDVDやマンガやおもちゃをだいぶ手に入れてきたのだった。 そうそう、「カレーパーティー」という、具体的なのに謎のパーティーもこの学校ならではのイベントだろう。日本のカレーをお腹いっぱい楽しんでもらおうと年に1度お昼休みに保護者の手で催されるのだけど、娘など高校生になっても楽しみにしていた。 そう、保護者の手。非営利団体なので、イベントとかいろんなことが保護者たちのボランティア行為で行われるのだ。故に保護者の方は数年に1度回ってくる役員活動に追われることになるのだけれど。子どもたちが楽しく日本語と日本の文化を楽しめるようにと、大人たちの思いも詰まった学校なのだった。 思えば二人とも土曜校のカレーパーティーで日本のカレーが大好きになったのだった。今ではカレーならお代わりをするムゥだけど、昔は「カレーの王子様」のカレーも食べられなかった。初めてのカレーパティを前にカレーライスが食べられるようにとカレーを食べる練習をしたことも今となっては愛しい思い出である。 小学校に入ってからは二人とも時々不平を漏らすようになったのだった。「なんで現地校のお友達は週末お休みなのに自分は土曜日に学校に行かなきゃならないの」とか、「宿題なんかやりたくない」とか、素朴にして気持ちのわかる不満を。 実際、宿題の量は多かった。なにしろ日本の子どもたちが1週間かけてする勉強を、補習校では1日でやらなくてはならないのだから、当然やり切れないものも出てくるわけで・・・。とはいえ、それで日本や日本語が嫌いになってしまったら本末転倒である。熱心に教えてくださる先生には申し訳ないとは思いつつ、宿題の量を減らしてくださいとお願いしたことも今では懐かしい思い出だ。 土曜校の後は1週間頑張った子どもたちと何か一緒に楽しいことをするように心がけてきた。公園で遊んだり、カフェでお茶したり、外食に出かけたり。土曜校の図書館で借りた日本のDVDを一緒に見たりもした。 そう、図書館。土曜校の図書館にも大変お世話になった。 海外で日本の本は貴重である。アマゾンとかネットショップで買って海外配送してもらうとかなりの金額になってしまうし(つーか、海外だと配送してもらえないことも多いし・・・)日本に一時帰国したときに買って送っても、郵送料が嵩んでしまう。 その点、土曜校の図書館なら無料で読書が楽しめるのだ。私の時代には(遠い昔だけど)学校の図書館に漫画本なんてなかったけれど、この学校にはマンガやアニメも置いてある。なんでもいいからとにかく子どもたちに日本文化に親しんでもらいたいという思いは学校側も保護者も同じ・・・。 実際、息子など漫画本が借りたくて通っていた時期があった。娘も小学校のころ「青い鳥文庫」(ほぼ全ての漢字にふりがなが降ってある)の『黒魔女さんが通る』にハマって以来、日本語の読書の時間がぐぅんと増えた。高校生になった今は毎朝通学時のバスで日本のラノベの単行本を読んでいる。 気がつけば、子どもたちは欧米の本や映画よりも、アニメやマンガやラノベが好きな子に育っていた。オーストラリア生まれの二人が、こちらの文化よりも日本のそれに惹かれるとは思ってなかったので、嬉しい驚きだった。日本で生まれて育ちながら、アルプスの少女ハイジや赤毛のアンに憧れた自分の子ども時代がふっと思い出された。みんなどこかで異国の世界に憧れるものなのかな? 先日、NHKワールドプレミアムの「ちこちゃんに叱られる」で猫の嗜好の話をやっていた。 猫はなぜ魚が好きか?それは、日本人が魚好きだから~という話だった。 なんでも猫は生後12週間で食べ物の嗜好が決まるので、結果的にその地で良く食べられるものを好きになるんだそうだ。メキシコの猫はトウモロコシが、酪農国スイスの猫たちはチーズ、イタリアの猫ならパスタが好きなんだとか。 さもありなむ、と納得しつつ子どもたちのことが浮かんだ。猫でいうところのその12週の間に、メェとムゥはどんな環境にいただろうか?食べ物の嗜好だけでなく、言葉や趣味は? 思わず計算してしまいました。猫の寿命を15年、人間を80年として考えた場合、猫の12週間は、人の・・・・・・約1年3か月か。1歳3ヶ月ころまでの二人を思い出すに・・・・・・ 長女が生まれたとき、夫と私が決めたことがある。家ではそれぞれ自分の言語だけで話そう、と。 夫は8年間日本に住んでいたことがあるので、読み書きはさておき日本語がわかるので、私たちは英語で話したり日本語で話したりしていた。それで子どもが私のへっぽこ英語と彼のつたない日本語を覚えてしまったら・・・不憫じゃあないか、ということで珍しく意見が一致して。 お陰で、年を追うごとに私たちの語学力は悪化の一途を辿っていったのだけれども(夫の日本語力はいいとして、オーストラリアに住む私の場合は致命的である…)、子どもたちの語学力は確実に伸びていった。 「お子さんの第一言語は?」と聞かれると、夫は「英語です」と、私は「日本語ですね」とそれぞれが胸を張って答えていたほどだった。 父親は英語、母親は日本語と徹底していたのがわかりやすかったのか、二人とも混同することもなく使い分けていたし。寝言も日本語だったり、英語だったり。起きたときに聞いてみると、「ドラえもんの夢を見ていた」とか、「ハリーポッターの夢だった」(ポッターの映画は英語で見ていた)などと言っていた。どうやら日本語の寝言は日本語で展開される夢を見ているときに、英語の寝言は英語の夢を見ているときに出てくるらしかった。 テレビなんかは、ABC放送の「Play School」を見せることはあったけど、外が英語環境なのでわざわざ英語の番組を見せることもなかろうと殆ど付けなかった。もっぱら日本から送った「お母さんと一緒」や「アンパンマン」、毎月送られてくる「シマジロー」のビデオ(時代デス)とか日本のものばかりを見せていた。 そうだ、「シマジロー」がこの時期、子どもたちのお気に入りだったっけ。それは海外でも受講できる日本の通信教育で、子どもたちは「シマジロー」という虎の人形(もしかして猫?)と、毎月送られてくる絵本とビデオ(息子のときはDVDだったけど)と玩具の教材を楽しみにしていた。「シマ」を膝に抱きながら毎日毎日、飽きもせずに見ていたものだった。そうして画面の中にシマジローが登場すると、自分のシマが画面に出てきたことに興奮して、歓声を上げ拍手をするのだ。 私は生後2、3か月から絵本の読み聞かせをしていたのだけど、日本語の絵本の数も少ないから同じ絵本を何度も何度も繰り返して読むことになった。この繰り返しは日本語のビデオやDVDも同様で、とにかく枚数がないので子どもたちは「シマジロー」に限らず同じものを繰り返し見ていた。 そうか、あの子たちは、猫ちんの嗜好を決定づける生後12週間ともいえる幼児期に、もっぱら日本語のものに触れていたのだった。だからオーストラリアで生まれたのに、こんなにアニメやマンガやラノベが好きな子に育ったのかもしれないなぁ。 続きは、⇒4月30日の日記「ジャパニーズ・スクールの卒業式に「ちこちゃんの」猫に、DNA」(後編)をお読みください。 にほんブログ村に参加しています。ポチっと応援クリックを、どうぞよろしくお願いいたします(^^♪にほんブログ村[マックあつこの著書]『Tamagoー39歳の不妊治療』えっ、不妊症!? ミラー月子はたまご時計に急かされながらベイビーを夢見て先の見えない旅に出た。メルボルンからアラフォー妊活小説『Tamagoー39歳の不妊治療』 Kindle電子書籍『Tamago』 単行本『インスタント・ニルヴァーナ』もしもあなたの大切な人がカルトの罠に嵌ってしまったら? マインドコントロールの鎖は密かに繋がれてゆく― サスペンス長編3部作『インスタント・ニルヴァーナ 上巻』 Kindle電子書籍『インスタント・ニルヴァーナ 中巻』 Kindle電子書籍『インスタント・ニルヴァーナ 下巻』 Kindle電子書籍[Ako Mak 英語の著書]『Someday, IVF at 39』‘Someday, IVF at 39’ ―poignant, humorous and mysterious― a cross-cultural odyssey for motherhood.『Somedsay, IVF at 39』 英語版Kindle電子書籍『Someday Baby: IVF at 40』単行本[マックあつこのHP]マックあつこのHP Ako Mak HP
2019.04.29
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4月6日の日記「エクサ、あれこれ(前編)」の続きデス。そして長男が生まれてからは、もうまともにエクササイズをしたことがない。 それでも、これではマズイ!と年に1度くらいは不安になって、発作的に何か始めたりは、した。 息子が1歳になったときに引っ越したのだけれど、引っ越し先でまたヨガ教室の扉を叩いてみたり(2011年2月の日記「ヨガ、再び」に)、ズンバ教室に通ってみたり。 だけど当時、通い系のエクササイズを続けるのは時間的に難しかった。1時間半とかのエクササイズの時間に加えて移動やシャワーの時間を入れると、半日潰れてしまったから。 そこでDVDを使ってお家ヨガしてみたり、お家ズンバしてみたりと家エクササイズも試してはみた。やはりヤバイ状態の夫と相談して、思い切って家筋トレのできるエクササイズマシーンを買ったこともあった。家庭用筋トレマシーンを購入する人は圧倒的にオージー男性が多いのだそうで、一番コンパクトに作られていたものを選んだのだけれど、残念ながら私の背丈には大き過ぎた。設定を変えても椅子は高過ぎ、ウェイトも重過ぎ。夫の方は今でも時々使っているようだけど、私は2、3回使って止めてしまった。 残念な結果の原因は、忙しかったってこともあるけれど、プライオリティの低さにあったのだろう。ひとたび習慣から抜け落ちてしまったものをまた習慣化するにはかなりの決意とエネルギーを要するのだ。 昔読んだ『7つの習慣』を思い出す。 『7つの習慣』 スティーヴン・R・コヴィー著 確かコヴィー博士が思考の「パラダイム転換」かなにかでこんなことを書いていた。もしもあなたが忙し過ぎて自分には運動をしているような時間などないと考えているなら、思考の転換が必要だ、と。運動不足の不健康なライフスタイルがたたって後で深刻な病気にかかって働けなくなってしまっては元も子もない。だから忙し過ぎて自分には運動をせずに病気になって長療養をするような時間などない、と考えるべきだと。 私も数年前、緊急手術になって、その後思いもよらず長患いをしてしまったことがあった(2015年11月の日記「緊急者術入院」(前編)/(後編)、2016年5月の日記「サカダワ吉日―病気で浄化」に)。思えば、私がもしも忙しさにかまけず日々エクササイズをしていれば避けられたのかもしれないな。言うまでもなく、運動不足は健康の敵。子どもたちに余計な心配をかけないように、私もできるだけ健康でいなくちゃ、だわ。健康でいるためには努力が要るのだ。息子に励まされつつ、自分にもできそうなエクササイズを探していたところ― 先月、我が家のポストに近所のスポーツジムのお試し割引券が入っていた。この家に引っ越してから12年になるけれど、ジムの割引券を貰ったのなど後にも先にも初めてである。これは天からのお導き…かも。 期待に胸を膨らませて覗いてみたら、かなり大きな2階建てのスポーツジムだった。マシーンの種類も豊富で数も十分すぎるほど。一部屋など映画館並みのスクリーンの前にサイクリングマシーンが50台ほど(数えたわけじゃないけど…)並んでいる。サウナやプールも完備。ヨガ教室や体操教室も毎日開かれていて、他にも様々な教室が開催されているという。そのうえ、どの教室に何度でも参加できる!そうな。 うわぁ、お得っ! つーか、嬉しくないしっ。 だってジムの会費が一律料金で、フル会員オンリーなのだもの。昔のジム同様パートタイム会員になろうと思っていたのに、週末会員とかウィークデーの昼間だけとか、そういう痒い所に手が届くような細かい会員設定が全くない。毎月一律A$130ポッキリ。 何度参加してもって…言われても、そんな時間が取れるわけもない。週に半日じっくりエクササイズしようと思っていたのに、週1回でその値段じゃあ割が合わない。 そこでピラティスやフィットネス教室など近所にある他のエクササイズ教室も覗いてみた。だけどスポーツジムのみならず、エクササイズ教室まで一律バイキング料金設定がどうやらこの辺りの最近のトレンドであるらしく・・・。むむむ、どうしよう… そんなとき日本から船便で送った本が届いたので本棚を整理していたら、この本を見つけた。 『ちゃんとキレイにヤセたくて』 細川貂々 著 ダイエット・ネタだ。いつ買って送ったものか、未読のコミック・エッセイだった。パラパラと捲って、ハッとした。 「40代は初老と呼ぶのだそうだ」って…、じゃあ私はいったい… ショーゲキを受けつつ読み進めば、「筋トレ」について書かれている。筋トレこれこそまさしく私に必要なエクササイズではないかっ!? 毎日家でできる筋トレ方もラブリーなイラスト入りで載っている。その名も、「40女でもできる家トレ」指導してくれたのはなんと「日本ボディビル選手権大会6連覇という筋肉のプロ」だそう。空いてるフロアで私でも手軽にやれそうな「毎日やる家トレ11種」と「身近な道具を使った家トレ5種」、16種の筋トレが紹介されていたのだ。思わずやってみました。「最初は10回ずつくらいから」というアドバイスを受けて10回ずつ全てこなしてみた。15分間のエクササイズだったけど、体験談を読んで筋トレの重要性を実感してから試したせいか、思いのほかの達成感。 そうして翌朝―たった15分間の筋トレだったのに、なんと効果を実感することになる。幼稚園児で既に便秘症という筋金入り便秘人間の自分がいつもより快便になっていた!のよ。 思ってもいなかった即効効果に、悟った。これこそ自分のエクサだ、と。 週に半日はキツくても毎日15分くらいならなんとかなる!家トレなので移動の時間もなし!隙間時間に滑り込ませることができるのも嬉しい。これなら、続きそう。細川先生、どうもありがとう!数日間10回ずつを続けた後、15回ずつにグレードアップしてみた。25分くらいかかったけど、今では慣れて20分ちょっとでできるように。そのうち20回ずつにグレードアップしてみようかなぁと思っている。 そうして気がつけば、家トレ祝 1か月達成!Yeah! Rejoice! そう、Rejoice、喜びながらの精進はチベット仏教で徳の6行の一つなの。続いている今のうちにせいぜい喜んでおこうと、毎回家筋トレを終えるたびに自分を褒めまくっている。 ちなみに徳の6行(6 Perfections/六波羅蜜)は、 Giving(布施) Morality/Not Harming(持戒、他者を害さないこと) Patience(忍耐、忍辱) Rejoice/Joyous Effort(精進) Meditative Concentration(禅定) Wisdom(智慧)デス。 こうして思いもよらずコミック・エッセイから始まった毎日の運動。たかが20分の家トレですが、それでも筋トレ。 緩~~~いエクササイズとはいえ、塵も積もれば山となる。考えてみれば、週累計では2時間半ほど運動していることになるわけで。そう考えると1年後がちょっと楽しみですね。来年の今頃は息子に安心感を、筋力でも示してあげたいものデス。 皆様の毎日が健康元気でありますように… にほんブログ村に参加しています。ポチっと応援クリックをよろしくお願いいたします(^^♪ にほんブログ村[マックあつこの著書]『Tamagoー39歳の不妊治療』 Kindle電子書籍 790円『Tamago』 単行本1,200円(税抜)『インスタント・ニルヴァーナ 上巻』 Kindle電子書籍 390円『インスタントニルヴァーナ 中巻』 Kindle電子書籍 590円『インスタントニルヴァーナ 下巻』 Kindle電子書籍 390円『Someday, IVF at 39』 Kindle電子書籍 490円 『Someday BabyーIVF at 40』 単行本2,572円詳しくは、マックあつこのHPで
2019.04.07
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運動やエクササイズと無縁の生活を送るようになって何年になるだろうか?そろそろマジでヤバイかもしれない・・・ ここ数年、本気で思うようになった。つーか、思わざるおえないことが日々多々あって。 思い返せば去年、息子がスクールキャンプから戻ってきたときも…。オーストラリアの小学校では子供の送迎は基本親がするのだけれど、スリーピングバッグやらリュックやら大荷物を抱えて、きょろきょろとお迎えを探す息子に向かって「こっちこっち」と手を振ったのだった。その振った右手は、息子が気づくよりも早く疲れてしまった。やむなく振る手を左手に変えたものの、こちらはもっと持久力弱し。もはや見当違いな方向に歩き出してしまった息子に向かって、大声を張り上げなればならなかった。 ちょっと振っただけで根を上げてしまった自分の二の腕の筋肉に、今更ながら驚愕しつつ思った。祖母は転んで、あっという間に寝たきりになってしまった。母も足腰弱いし…。母は昔は社交的で出かけるのが好きな人だったのに、最近じゃめっきり外出もしなくなってしまった。自分も何か運動をしないと、寝たきり老人への道は案外あっさりとやってきてしまう…のかもしれない。 私は時々家事をしながら海外でも視聴できるNHKワールドプレミアムを見ることがあるのだけれど、たまに「あさいち」とか「あしたも晴れ!人生レシピ」とかで健康のためのエクササイズ特集をやっている。 「健康のため」 そう言われるとなんだか無性に気になってしまって、ここ数年は録画してしまうことさえある。考えてみれば、エクササイズがもはや「美容」のためではなく「健康」のためにと勧められる年齢になって久しいのだ。 そんな母親に気づいたのか、最近では息子が私を呼びに来るようになった。 「ほら、テレビでエクササイズの番組やってるよ!ママも一緒にやった方がいいんじゃない。ぼくも一緒にやってあげるから」などと言いつつ私をテレビの前に引っ張ってゆくのだ。息子が母親の運動不足を心配しているのは、一目でわかるその危機的な筋肉状況もあるだろうけど、父親が病気になってしまったからかもしれない。「ママにまで何かあったら…」と呟いたこともあったし。 そんな息子の心境を思えば、自分も本気でなんとかしなければ…って気持ちにもなってくる。それで私も年明けに硬く決心したのだった。 2019年のNew Year’s Resolution―今年こそエクササイズを始めるゾゥ!🐘 🐘 🐘 パォ~ン 確か以前も似たような決意をした記憶が過ったものの、今年は本気の一大決意である。日本からオーストラリアに戻るや家の近所にあるエクササイズ教室を探し始めたのだった。 考えてみれば自分は、体育の授業以外でスポーツをした記憶がないほど運動に後ろ向きな子どもだった。70年代の地方小学生―家にテレビゲームやパソコンがあろうはずもなく、反面外には畑や空き地が広がっていた。にもかかわらず、もっぱら家遊びばかりだった。 中学ではバスケットボール部に入部したものの、いったいコートに足を踏み入れたことがあるのかさえ記憶がはっきりしない。定かなのは『銀座ナウ』見たさに(この番組、どなたか覚えてますか?)部活をサボって友達と家路を急いだ記憶くらいだ。 高校のときのスポーツの思い出と言えば、水泳くらい。もちろん水泳部に入っていたわけではなく、学校の25メートルプールを完泳できなければ夏休みに水泳の課外授業に通わなければならないと言われて、決死の覚悟で泳ぎ切った。息継ぎができなかったので、息継ぎ無しのクロールで完泳!とか。 大学ではいちおー先輩に紹介されてテニスサークルに入ったものの、コンパに出た記憶はあるけれど練習に出た記憶はない。つーか、テニスとは名ばかりのなんちゃって系だと信じ込んでいたので、夏休みの合宿旅行でテニスのラケットを握らせられたことに驚愕し、以来足が遠のいてしまった。。。のだった。 そんな自分が、なぜだかスポーツジム通いを始めたのは20代半ばだった。仕事仲間に影響され試してみたジムに、予想外にハマってしまった。筋トレマシーンは使ってみると楽しく、汗を流すのも心地よく、いつしかジム通いは習慣になっていた。 自分、初めての健康生活である。それはオーストラリアへ移住してからも続き、思えば私の人生で唯一、運動レベルの高い栄光の十年間だった。 そのジム通いを止めてしまったのは36歳で長女を妊娠したときだ。体外受精までしてやっと授かった子に何かあったら…と考えたら、とても腹筋などする気になれなくなってしまったから。 その長女を無事に出産したときには、腹筋は壊滅的な状況に陥っていたけれども、赤子の子育てに追われ、ジムに通うような時間的余裕など無くなってしまった。 確かに子育ては肉体労働ではあるけれど、筋トレには届かない。どんどん退化してゆく筋肉に危機感はあった。スポーツジムは無理でも、せめて週に1回1時間でもいいから何かエクササイズを…と思うようになっていた。 娘が1歳のとき家から徒歩数分で行ける近所のコミュニティセンターに気功教室を見つけて通ったことがあった。1歳児の子育てに追われる慌しい毎日。エクササイズとリラクゼーションを求めていたから、気のエネルギーの魔術師みたいな美しい所作に惹かれたのだった。 教室の傍にリタイアメント・アパートメント(老人ホーム)があったせいか、生徒の平均年齢はやたらと高かった。講師は台湾出身の初老の男性で、シルバー・オージーたちは彼に東洋の神秘を重ねているらしかった。 教室の後、老夫婦が聞いてきたことがあった。「あなた、あの先生、いくつだと思う?」 こういう質問が出るときは〈実年齢〉と〈見た目年齢〉がかなり違うことが大半だから、70歳くらいでしょ、と出かけた言葉は飲み込んだ。「さあ?」 「あら、同じ東洋人だからあなたにはわかるかと思ったけど…」と彼女はなぜか嬉しそうに微笑んでから、耳打ちしてくれた。「今年、70ですって。驚きでしょう。どうすればあんな若さを保てるのかしらね?やっぱり気功をやってらっしゃるからなんでしょうねぇ」 つーか、東洋人は若く見えるからって言葉も、なんだピッタリ当たったじゃんって言いたいのも飲み込んで、「Wow!」と驚いてみせた。お二人とも明らかにもっと何か言って欲しそうだったので、思わず意味深に頷いてもいた。「きっと気功が、若さの秘訣なんでしょうね」 それで老夫婦は満足そうに頷き去っていった。今思えば懐かしくも微笑ましい思い出ではある。 気功は、動きの激しいエアロビクスやズンバと違って、ゆったりと流れるような動きをする。時々先生が動きの解説をしてくれた。 「はい、ここで右手をす~っとひいてぇ、相手を油断させておいてからぁ、次にぃさっと切り込むっ」とか。「左足を高ぁぁぁくゆうっくりと上げてぇ、相手の隙を狙ってぇ、はいっ、ここで足蹴りを食らわす」とか。 足蹴り…気のエネルギーを操っていたんじゃあ… そうなのだ、気功はなにぶんMartial Arts、武芸から生まれているので、流れるような美しい動作に反して、背景にある哲学はいかに相手をぶっ殺す、ではなく、やっつけるか、なのだった。今一つ、自分の目的に合わず。今一つチベット大乗仏教哲学とは相容れずー結局1年と続かずに止めてしまった。 その後、同じコミュニティセンターで開かれていたヨガ教室に通い始めた。そこはハタ・ヨガの初心者クラスだったので、首立ちとかインドのヨギのような高度な技をさせられるわけでもなく、東洋の神秘をなんとなぁく感じながらヨガすることができた。 最後に屍のポーズをとって入るリラクゼーションの瞑想が私のお気に入りだった。あの頃は(今もか)慢性的に疲れていたので、そのままマジで寝入ってしまって、自分の寝息か、悪くすると鼾でハッと目覚めることも良くあった。週に1度のエクササイズではあったけど、ヨガは私の日常にすんなりと習慣化していったのだった。 だけどあのヨガはリラクゼーション、心のエクササイズには最適だったけど、どれだけ運動になっていたのかは怪しいものだった。ビギナー用の緩~いクラスだったからかもしれないけれど、そこで私は1度も息を切らしたことがなかったし。汗をかいたこともなかったから…。 二人目を妊娠したとき、流産すると大変だからマタニティヨガに変えるようにと講師から言われて止めてしまった。そのコミュニティセンターにはマタニティヨガはなかったし。 続きは4月7日の日記「エクサ、あれこれ(後編)」でお読みください。 にほんブログ村に参加しています。ポチっと応援クリックをよろしくお願いいたします(^^♪にほんブログ村[マックあつこの著書]『Tamagoー39歳の不妊治療』 Kindle電子書籍 790円『Tamago』 単行本1,200円(税抜)『インスタント・ニルヴァーナ 上巻』 Kindle電子書籍 390円『インスタントニルヴァーナ 中巻』 Kindle電子書籍 590円『インスタントニルヴァーナ 下巻』 Kindle電子書籍 390円『Someday, IVF at 39』 Kindle電子書籍 490円 『Someday BabyーIVF at 40』 単行本2,572円詳しくは、マックあつこのHPで
2019.04.06
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メルボルンから日本に帰ってくるたびに、温泉や神社仏閣の多さ、その素晴らしさに嬉しくなる。前回のブログに神社仏閣を思いのほか参拝できて嬉しかった💛と書いたけど、今回は三峯神社に参拝したときのことを。 三峯神社に行きたい~! そう思ったのは去年、『霊感体質かなみのけっこう不思議な日常』というスピ系のコミックエッセイを読んだときだった。2017年に日本に帰ったときブックオフで子どもたちが漫画やラノベを選ぶのを待っている間に手に取って、他の大量の本と一緒に船便で送ったので、年が明けオーストラリアに戻ってから読んだのだけれど、そこに三峯神社のことが書かれていた。 「霊感体質かなみのけっこう不思議な日常5」吉野奏美&ノブヨシ侍 著作者の吉野奏美さんがご祈祷をしてもらったときのエピソードが興味深かった。ご祈祷中に、三峯神社に祀られている国作り神作りの夫婦神、イザナギノミコトとイザナミノミコトが降りてこられて舞を踊り、二人が溶け合ってお坊さんになったというところとか。 そうして、そのお坊さんから奏美さんとお友達はメッセージを授かるのだが(霊感のないお友達には見えないのだけれど)、後で二人がお神籤を引いたら、お坊さんからいただいたメッセージと同じ内容のことがそれぞれの御籤に記されていたってくだりなんかも。 お神籤を通して上から伝えられるメッセージに関しては私も出雲大社を参拝したときに実感していたから(2017年7月の日記「メルボルンの冬空から、出雲大社にー」)、さもありなむ、と納得してしまった。そうして思った。 三峯神社なら、うちの実家からだと飛行機行を考えてしまう出雲大社と違って関東の神社だから、今度里帰りしたときに参拝してみようか。秩父なら実家からそれほど遠くないハズだし。そうだ、ご祈祷もしてもらおうか。もちろん、お神籤も。、と。 だけどググってみたら、公共交通機関で行くには案外面倒なことがわかった。5時間とか6時間とか、電車やバスの接続が悪いと8時間とかかかってしまうらしい。って、それじゃあ往復軽く10時間は超えちゃって、日帰りなんて絶対無理!じゃない。 ある朝、瞑想のとき、ふっと幼馴染の友達の顔と、次いで三峯神社のイメージが浮かんだ。ああ、彼女と行くのは素敵かも…。 早速連絡してみたら、実は彼女も三峯神社にずっと行きたいと思っていたと言ってくれたではないか。しかも車なら3時間くらいだから運転してくれるという。 年末に私が里帰りをしたとき一緒に行こうねっ!と約束した。 けれどいざ帰国してみると、車での参拝は思った以上に難しそうだった。というのも冬場は山の路面が凍結してしまうらしく、運転上手な彼女もチェーンがないと怖いから…と及び腰で。彼女に無理はさせたくないし、かといって電車とバスを乗り継いだら軽く往復12時間はかかってしまうし…。むむむ…今回三峯神社は諦めて、実家からだと電車でも手軽に行ける奥日光の方に一緒に行ってみようと提案してみた。 そうして年も明けた1月15日。結局、彼女の車で西武秩父駅まで行って、そこからバスで三峯神社に行くことになった。友達も私以上に三峯神社参拝に気合を入れていたのだった。 その前夜、夜中にふっと目が覚めた。半分寝惚けた頭で、大きな神社にお参りに行く前には、まず地元の神社を参拝してから行くといいと何かで読んだことを思い出す。彼女が雪道(になってしまうかもしれない)運転を不安がっていたから、無事安全に辿り着けるよう氏神様にお願いしておこうと思いついた。 子供のころ遊んだ近所の神社のことが思われた。実家でお正月を迎えたときには必ず元旦に参拝をする神社である。子どものころはその境内で近所の友達と遊んだり、犬の散歩で立ち寄ったりしていた。そうだった、あれは確か小学3年生のころ―幼馴染に誘われて拝殿の軒下で初めてこっくりさんをしたのだった。本当にひゅるひゅるぅと10円玉が動き出して度肝を抜いたものだ。今思えばなんて大胆にしてなんて恐ろしいことを!?である。その神社にまつわる不思議な思い出はいろいろとあるのだけれど、それはまた今度、別の機会に。 とにかく私はその夜、想念で参拝してきた。頭の中で実家から神社まで夜道を歩き(つーか、ふわふわと飛んで)、二礼二拍手してから自分の名前を告げてご挨拶をした。どこからか実家の住所もきちんと告げるようにと聞こえてきたので、番地まで告げた。そうして事情を話し終えたとたん、なんとなくもう大丈夫だという気がして安心してまた眠った。ついでに4時に起こしてくれるようにと頼んだら、目覚まし時計無しで本当に4時きっかりに起きることができた! 氏神様のお力か、友達の運転能力か、お陰で三峯神社までとてもスムースに行ってくることができた。出発するや朝のラッシュ時にわざわざ道を譲ってくれた対向車の思いやりに、氏神様から大丈夫だから安心していってらっしゃいと言われた気がして、ドライバーの方に向かって思わず両手を合わせてしまった。「あつこ、何拝んでんの」と友達は笑っていたけど。 西武秩父駅に車を止めて、そこからは三峯神社行のバスに揺られていった。なるほどかなりの山道で、道路の端とかに雪が残っている。これじゃあ、路面も凍結してしまうだろうナ。 三峯神社に着いて駐車場でバスを降りたときには、はらはらと雪が降っていた。幻想的な光景に、神社の神聖さ感が高まってくる。とはいえあまりの寒さに、もう1枚着てこなかったことを後悔したのだけれど(笑)。 だけど三ツ鳥居をくぐったころには雪はすっかり止んで、二の鳥居をくぐって参道を歩いていると、さぁっ陽光が差し込んできたではないか!やはり山の天気は気紛れデス。きらきらと木々の間から零れる陽光が眩く、美しかった。 お天気にも恵まれ、壮大な木々の並ぶ参道をゆっくりと歩いた。凛とした空気が気持ちいい。平日のせいか思ったより参拝者の数も少なく、ゆっくりと参拝することができた。続きは3月14日の日記「三峯神社参拝と氏神様とお神籤と(後編)」でお読みください。にほんブログ村に参加しています。応援クリック、どうぞよろしくお願いします。にほんブログ村************************************『Tamagoー39歳の不妊治療』 Kindle電子書籍 790円『Tamago』 単行本1,200円(税抜)『インスタント・ニルヴァーナ 上巻』 Kindle電子書籍 390円『インスタントニルヴァーナ 中巻』 Kindle電子書籍 590円『インスタントニルヴァーナ 下巻』 Kindle電子書籍390円『Someday, IVF at 39』 Kindle電子書籍490円 『Someday BabyーIVF at 40』 単行本2,572円詳しくは、マックあつこのHPで
2019.03.16
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せっかくここまで来たのだからと、ご祈祷もしてもらった。神職の方がやって来て太鼓を打ち鳴らすや、風が吹き込んだ。吹き抜けるというよりも渦を巻きなが走ってゆく感じで、拝殿が清められ、空気が変わったのがはっきりとわかった。 ご祈祷中、残念ながら私にはイザナギノミコトとイザナミノミコトの舞は見えなかったけれども、空気が舞うのを感じた。風が踊っていた。 神職の方が太鼓を鳴らし祝詞を読んで榊を振ったときも、また風が今度は右から左へさぁ~と吹き抜けた。心が洗われるような爽やかな風で、胸の真ん中がぽっと温かくなる。 お御籤も引いてきました。ご祈祷前と後で2本も。別段、前後の違いを試そうと思ったのではなく(笑)、思わず惹かれてしまったから。 参拝の後お神籤売り場で「開運とんぼ玉根付入り おみくじ」というのが視界に飛び込んできたのだ。トンボ…その響きに、トンボは私のガーディアン・アニマル(?)なもので惹かれてまったの(詳しくは2010年7月の日記を「トンボですか…!?」に)。 で、トンボ神籤曰く―「桜花 盛りはすぎて ふりそそぐ 雨にちりゆく 夕暮れの庭」 って、「中吉」にしては、なぁんか寂しげで侘し気な詞じゃなぁい!?つーか、盛りは過ぎてって…雨にちりゆくって…夕暮れって…黄昏れ過ぎていて…大きなお世話だっ!って感じィ?ですか…(笑) だけど続くメッセージにぐっときてしまった。「思いもかけぬ煩い起りて心痛するが 心正しく身を慎めば年永く音信のたえし縁者又は他人の便ありて喜び事が出て来ます 何事も運に任せ思い煩うな」 それが自分の状況に、ぴたっと嵌る気がして。そのうえで大きな心で励まされているような気がして。 思えば一昨年、思いもよらず夫が深刻な病気にかかっていたことがわかったのだった。そのことを踏まえて励まされているような気がした。不安だろうが、心的態度を正しくもって生活していれば、他者とのご縁で良いこともある。あまり心配せずに生きていきなさい、と。思わず、ほろり。 ご祈祷の後、今度は拝殿を出たところに置いてあった「開運招福守入りのお神籤」が視界に飛び込んできた。お守り入りのお神籤はいろいろな神社仏閣で出していて、七福神とかの、金色の小さなお守りがお神籤に入っている。ここ数年、年末年始に里帰りするようになってから毎年どこかで引いていた。お守りはお財布に入れて持ち歩くと良いってことだったけど、可愛いのでオーストラリアの書斎のPCモニタの上部にずらりと貼ってあるのだけれど、今年は未だだった。このありがたくて小さくて可愛い「開運招福守」が今年も欲しくなってしまったのだった。 そうして2019年、今年のお守りは―「かえる」だった。 そう、あの、蛙。両生類の。 私のPCモニタには大黒天さまとか恵比寿さまとか達磨さまとかが並んでいるのだけれども、カエルさまがあったとは知らなんだ…ちなみに友達の方は振るほどに幸の出る「うちでの小槌」で、なんか羨ましい感じ。 そうか、私のは、「かえる」、か。三峯神社のお神籤は、「トンボ」に「かえる」。昭和の小学生の夏休みみたいで、風情があって良いではないか。 と思いつつ、お守りのお神籤を読む。 「かえる」「無事に帰る」「元のようになる」旅行、外出先からなにごともなく安全に帰ることができ、また悪いことも良いことにかわり 財布から出ていったお金ももどって来るといわれております 「無事に帰る」オーマイガッ!?そうだった、三峯神社参拝が無事にできるよう氏神様にお願いしてきたのだった。これは…そんな自分にはピッタリ!?じゃあないかっ。(笑。でもマジ) それに、日本とオーストラリアを行ったり来たりする、でもって飛行機が気圧の悪いところを飛んで大きく揺れるたび震え上がって数珠を取り出して真言を唱え祈祷している身には、何よりの御守りではないのかっ!?そう思ったときに、ハッとした。 「悪いことも良いことにかわり―」 その一言が出雲大社で頂いたお神籤のメッセージを思い出させた。 「夫婦の和は人道の根源、これを守る者は必ず祖神の愛護を受く」で始まるそこに書いてあったのだ。「禍変じて福となる。信心を怠るな」と。 そうか、これは、禍変じて福とするための御守りなのだ。 変える、変容、トランスパーソナル―それこそ正にタントラ・ヨーガ、チベット密教の真髄ではないのかっ。ジンセイで次々と起こる問題や障害は、全て行の実践と考える。苦難も禍も、英知と菩提心で、悟りと祝福に変容させる。 もちろん私にはまだまだなかなかそんな芸当はできないけれども、2019年、できるようにするためのこれは「お守り」なんだ、と。 だけど、「元のようになる」って、どういうことだろう?「元」って、どこ? ジンセイのどの時点?夫の病気が治るとか?日本に戻るとか????だいたい万物が変化し続けるということだけが、唯一変化しない現実なわけで…。とりあえず仏教の「空」は棚に上げておいて、考えてみた。たとえば私は人生のどこに戻りたいのだろう?どこもそれなりに愛しい気がする。それは、そのとき幸か不幸かとか、満足していたか後悔しているかとかとは関係なくーけれどもう一度体験したいかと問われれば、それよりもむしろ先に進みたいと思う。ご祈祷の後、境内の食堂でランチを頂いた。三峯神社の名物料理だというシイタケのカツ丼を。カツ丼なのに超特大肉厚の椎茸は上品で、とっても美味しかったデス。 売店で子どもたちにお土産を買って、御朱印を貰い(私ではなく友達が)、それから境内をゆっくりと探索した。帰りは3時30分発のバスに乗ろうと思っていたので、摂社や末社にも掌を合わせて、それぞれの神様にご挨拶をしながらのんびりと。 途中地図を見たら、ご祈祷のとき風が吹いてきた側に本殿があることを発見。だからあのとき右側から風が吹き込んできたのかとハッとした。 辺りを一望できる展望台みたいな所が遥拝殿だった。ちょうど毎日神社の掃除をしているという男性がやって来て、「向うに聳える山に三峯神社の奥の院があるから、そっちに向かって拝むと良い」と教えてくれた。三峯の神様は奥宮の方にいらっしゃるんだ、と。彼はわざわざ場所を指さして丁寧に教えてくれたのだった。 彼の教えてくれた方向にしっかりと心を向けて拝んだ。奥の院への山道、冬は閉まってしまうそうだけど、いつか夏に帰国できるときにはそこまで行ってみたいナ。 それから三峯神社参拝の名物だという「味噌ポテト」も頂いてからバスで山を下りた。途中、道路から落ちて溝に嵌ったトラックが放置されていたのでゾッとしてしまった。やっぱり車で来なくて良かった…。合掌。 もちろんその後、氏神様にお礼参りに行ってきた。今度は想念ではなく、現実に。秩父のお酒とお菓子を手土産に参拝してきた。このことがあって、実家を出てからは途切れがちだった氏神様とのご縁が深まったのか、それから何晩か不思議な霊夢を見た。 それで今回は日本を発つ朝も氏神様にご挨拶に行ってきました。午前中の神社には爽やかな陽光が降り注ぎ、きらきらと息をのむほど美しかった。 今回も無事に日本に里帰りできたことを感謝して、無事にメルボルンに帰ることができるようにと祈ってきた。そうして、2019年の年末もまた無事に帰ってこられるように、と。願わくば、また家族4人で。 ああ、そう、まさに「無事に帰る」デス。やはり「カエル」の御守りは私の必要としている御守りですね。 三峯神社の神様、氏神様、どうもありがとうございました。来年もまた参拝できるといいな。 皆様も今週末はちょっと足を延ばして、氏神様をお参りされてはいかがでしょう?お神籤のメッセージを頂いてくるのも楽しいですよ。「にほんブログ村」に参加しています。ぽちっと応援クリックをどうぞよろしくお願いします。にほんブログ村************************************『Tamagoー39歳の不妊治療』 Kindle電子書籍 790円『Tamago』 単行本1,200円(税抜)『インスタント・ニルヴァーナ 上巻』 Kindle電子書籍 390円『インスタントニルヴァーナ 中巻』 Kindle電子書籍 590円『インスタントニルヴァーナ 下巻』 Kindle電子書籍 390円『Someday, IVF at 39』 Kindle電子書籍 490円 『Someday BabyーIVF at 40』 単行本2,572円詳しくは、マックあつこのHPで
2019.03.14
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久~しぶりのブログUPデス。 2019年も早2月も末。メルボルンに戻ってからもう一月経ってしまいましたが、日本に帰っていました。1年ぶりに両親と過ごして、妹家族や旧友たちに会って、日本で暮らした6週間。温泉旅行にも行けたし、神社仏閣も思いのほか参拝できたし、子どもたちの希望でハリネズミカフェや、初めての猫カフェ、犬カフェも体験して― と、思い出は尽きないのですが、一番心に残っているのは大阪旅行での、涙の鍵穴事件でしょうか。今回はその話を。 思い返せば1月7日早朝4時―私は始発の高速バスに乗るために、あたふたと最後のパッキングをしていた。やっと着替えを終えた子どもたち(とりわけ息子の支度は6年生になってもこちらの忍耐を試しているかのように果てしなくのろい)のパジャマをスーツケースに無理やり押し込んで、パッキング終了!と思いきや、あまりに詰め込んでしまったせいでスーツケースが閉まらなくなってしまった。。。 こういうことはたまにあることなので、娘にも手伝ってもらって何とか閉めた。閉まって良かった!とホッとしつつ習慣で鍵をかける。国内旅行では鍵は必要ないかな~とは思ったのだけれど、詰め込み過ぎて実はちゃんとロックがされてなかった、なぁてことが過去に多々あったので。その鍵をハンドバッグに入れて、急いで他の準備にかかった。 と、慌しく出発した大阪旅行だったけど、東京駅では2時間待ち。以前、高速バスが遅れて新幹線を逃しそうになったことがあったので、1本余裕をもって到着するようにしていたのだ。早朝から開いていたスタバでゆっくりと朝茶しながら時間を潰した。大阪は初めての子どもたち。ガイドブックを開きながら、どこ行こうか? ここはどう? あそこは? こんなお喋りも旅の楽しさですよね。 さて、そろそろ駅弁でも買いに改札に入ろうかと立ち上がったとき、息子がスーツケースに入れたステロイド系のクリームが欲しいと言い出した。アトピー性皮膚炎で入院したこともある彼は冬の日本に来ると霜焼けになって、そこから皮膚炎を発症してしまう。それでオーストラリアの主治医に出してもらったクリームを、手荷物ではなくスーツケースの方に入れてしまったというのだ。 「え~、そういうクリームは自分の手荷物の方に入れときなさいって言ったのにぃ」とブツブツ言いながらスーツケースの鍵を探した。ところが、ん?あれっ?なぜかハンドバッグに鍵が見当たらなかった。 でも確かにここに入れたハズ・・・??? だけど、どれほどバッグを引っ掻き回してもスーツケースの鍵が見つからないのだ。探し物をしているとゴミ箱のように思えてくるバッグの中味を探し続ける。だけど、マジで、ないっ? 「どうしたの?」と心配顔で私の手元を覗き込む子どもたち。 遂に私はバッグの中身を一つ一つテーブルに取り出しながら、米粒一つも見逃さない覚悟で探し始めてみたけれど、やっぱり、ない。(バッグに入れたハズの)スーツケースの鍵が、どこにも、ない…のだ。 頭のなかが真っ白になった。 「ママ、落ち着いて。バッグのポケットの中は見てみた? こういうとき妙に冷静になれる娘が、改めて私のバッグを隅々まで探し出した。「ママ、コートのポケットの中とかは?」 コートも、ジーンズも全てのポケットの中も確認してみたけれど、やっぱり・・・ ひぇ~~~~~~どうしよう~~~~~~~~~あの中には私たち家族全員の3泊4日分の荷物が詰まっているのにぃぃぃぃ!? 「終わったな」と一言、娘。 「どうするんだよ~~~ママのバカ~~~~~!あんなに僕たちを急かして、結局ママが一番バカじゃないかぁ~~~~~~」と、半泣きの息子。 ごもっともデス。返す言葉もない私・・・ 「だけど、どうするも何も・・・とにかく新幹線出ちゃうから乗るしかないでしょ」 既に新幹線のチケットとホテル代金込みのツアーを購入してしまっているのだから、とにかくもう出るしかないのだった。 自分を呪いながら、鍵無しではもはや単なる筋トレ用お荷物でしかなくなったスーツケースを転がして、改札口へと向かった。 ダメ元で駅員さんに聞いてみた。「あのぅ、東京駅近辺でスーツケースの鍵を開けてくれるとことか、ありませんか?」 「はっ? スーツケースの鍵・・・ですか?」 「そーなんです、スーツケースの鍵開けですッ! 家に鍵、忘れてきちゃったんです。どこか開けてくれるとこ、ご存じありませんかっ!?」 ダメ元とはいえ切羽詰まった形相をしていたのだろう。駅員さんはたじろいだ感じで、「ちょっとそういう所は、私は存じ上げませんが・・・」 「ですよね・・・」 ガックリ _| ̄|○ と肩を落とし、それでも駅弁はゲットして、ともかく新幹線に乗った。 こんなはずではなかった・・・ 開かずのスーツケースは私と息子の間の足元に置き、携帯でグーグルサーチを始めた。スーツケースの鍵を開けてくれる業者を探した。すると、ありました、ありました。 上がってきた業者の中から上位のものをいくつかチェックした。大阪にも支店があるという全国展開をしている業者を探した。中の一つに電話をかけてみたのは、ちょうど新幹線が新横浜駅に入ったところだった。 電話口に出たお姉さんは日本の会社らしく丁寧に応対してくれた(海外で暮らしていると、これはとっても嬉しいデス)。事情を話すと、大阪のホテルまで来てくれるとのこと。全く勝手のわからない大阪でお店に向かうよりは、来ていただけるならありがたい! 念のため、料金も確認してみた。HPの料金案内では<スーツケース1個8000円~>となっていたけれど、出張料金とかも取られるかもしれないし。 けれど出張料金等はなく、スーツケース1個につき8千円とのことだった。細かい料金に関しては物を見てから見積もりを出してくれるとのこと。希望時間を聞かれ、新幹線の大阪着が1時なので、余裕をもって2時にホテルのロビーということでお願いした。2時から3時の間にホテルに来てくれると言う。 ようやっと胸を撫で下ろして電話を切ったら、数分後にまた電話がかかってきた。スーツケースを開けるには身分証明書がいるので免許証かパスポートを用意しておいてほしいとのこと。 なぜっ?と思ったけれど、すぐに盗品の開錠を念頭に置いているのだろうと思い当たった。 そうか、クリミナルかと怪しまれしまう身なんだ、自分ってば・・・単なるうっかりものの間抜けな客…なのに… パスポートも運転免許証も提示できる旨を伝え、とにかくせっかくの旅行なのだから楽しまなくては、と気持ちを切り替えようとした。けれど不安と、なんなぁく暗ぁい気持ちはなかなか払拭できなかった。 座席に倒した件のスーツケースには息子が足を載せている。このまま開かなければ新幹線用フットスタンドに持ってきたとしか考えようのない、無駄に重くてでかいスーツケースを眺め、自分を励ます。 まあ、いい。開けてしまえば、それで解決してしまうような問題のだから。 後半は2月27日の日記でお読みください。写真は大阪城デス。 にほんブログ村に参加しています。ポチっと応援クリック、どうぞよろしくお願いいたします(^^♪にほんブログ村*************************『Tamagoー39歳の不妊治療』 Kindle電子書籍 390円『Tamago』 単行本1,200円(税抜)『インスタント・ニルヴァーナ1』 Kindle電子書籍 250円『インスタントニルヴァーナ2』 Kindle電子書籍 250円『インスタントニルヴァーナ3』 Kindle電子書籍250円『Someday, IVF at 39』 Kindle電子書籍250円 『Someday BabyーIVF at 40』 単行本2,572円詳しくは、マックあつこのHPで
2019.02.28
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ホテルが思いのほか便利な場所にあったので道に迷うこともなく、1時には着いた。「必ず来てちょーだいねっ」の確認もかねて早速さっきの業者に電話をかけ、ホテルに到着したことを報告する。交通事情から正確な時間は言えないけれど確かに担当者がそっちに向かっているのでロビーで待つようにと言われ、胸を撫で下ろした。 暫くするとこちらに向かっているという担当の方から電話が入った。2時15分ごろには「開錠の**」とかなんとかボディに描かれたバンがホテルの通りに横付けするのがロビーから見えた。 おぉ~、遂に! あのスタバでハンドバッグの中を引っ掻き回して以来、私たち家族の心を重たぁく沈ませていた問題を解決してくれるヒーローの登場である。ほとんど感涙。お待ちしておりました~~~と、ハグせんばかりの勢いで私はバンに駆け寄った。白馬の王子様ならぬバン上のプロフェッショナルが運転席から降りてくる。 「このスーツケースの開錠ですか。今、お見積り出しますね」開錠のプロフェッショナルは早速スーツケースを点検し始めた。 良かった、これで、遂に! 「あれっ、このスーツケースは・・・」 「え、何か?」 「いやぁ、これはちょっと…あれだなぁ」 「えっ、もしかして…開けられませんか!?これだと古いから難し過ぎますかっ!?」 「いやぁ、開けられないってことはないんですけどねえ。それよりもねぇ」 「それよりも何ですかっ…」 「鍵穴が3つありますね」 「はっ?」 「ほら、ここ。このスーツケースには3か所、鍵があるでしょう。まずいなぁ、1か所じゃないんですねぇ」 「はぁ?」 まずいなぁって…娘のおさがりで、今では日本の国内旅行用に使っているスーツケースには確かに、両端と真ん中の3か所に鍵がついている(写真は娘の新しい方のスーツケースで、大阪旅行に使った物は今も日本に置いてあります)。だけど…だから何っ!?スーツケースにはふつーついてるよね、鍵穴の2つや3つ。つーか、メタルのスーツケースなら絶対に鍵穴、最低、両端に2つはあるでしょ。 なのに、おじさんは堂々と宣言したではないかっ。「鍵3つですから、料金は3つ分かかりますよ」 「はぁっ!?」 「3つで、2万4千円になります」 「えぇっ!?」 「電話でお聞きになっていると思いますが、お支払いは現金でお願いしますねっ」 「えぇ~~~~~」 目が点。動揺しまくりながら、それでもスマホを取り出した。その会社のHPにあった料金表を探した。 「でも電話で料金を確認したときには、スーツケース1個8千円って言われたんですけど・・・そちらのHPにも8000円って明記されていましたけど・・・」 けれどおじさんはさらりと言ってのけるのだった。「8千円~から、となっていますね。8千円は鍵が1つのスーツケースのお値段ですから」 「え~~~~」て、鍵が1つだけって、いったいどんなスーツケースだよっ! と挑みかかりそうになったとき、昔々、自分が未だ大学生のころに初めて買ったスーツケースを思い出した。それは布製のスーツケースでファスナー部分を鍵で留めるようになっていた。それだと確かに鍵は1つだけだった…けど… なまじ記憶が蘇ってしまったので、途端に強気になれなくなってしまった自分…あぁ、こういう時だけシャープになってしまう記憶力が恨めしい。それにしても、これって、もしかして…、 ぼったくり?私ってば、足元、見られてる? うろたえながら、真ん中の施錠には別の鍵が必要だったので、掛けなかったことを思い出す。こずるそうなおやじに(私の目に映る彼はもはやそうとしか見えなくなっている)「でも真ん中のは鍵、かけてないです」と、ぼそぼそっと告げた。 「あ、そう。じゃあ、2つで1万6千円ですね」 「え、え~~~~」 ぼってるよね、おじさん。 「そこに8%の消費税がかかって、1万7千280円ね。はい、見積。今、領収書、書きますね」 おい、ぼってるだろ、おやじっ! 「でも、あの・・・」 「あれっ、どうしますか?開けますか?それともこのままにしときますかぁ?」 このぉぉぉぉ、狸親父ィっ! 一瞬、鳩尾から怒りの炎が噴き出した。 「もう結構ですっ!」そう言って、今貰ったばかりの見積書を突き返してやりたい衝動に駆られる。 これは、明らかにぼったくりではないのかっ!?1消費者として、こんなやり口を許していいものだろうかっ!?こんな詐欺まがい商法には断固として立ち向かわなくてはならない。さあ、毅然とした態度で、三下り半を突き付けてやるのだ。はっきりと宣言しなくては。「話が違うので、やはり結構です」と。 私の怒りと戸惑いを察したらしきインチキおやじは領収書を取ってくるとバンの運転席に戻った。 でも、ここで断ってしまったら・・・ 彼の後ろ姿を見ながら今後の展開を考えてしまった。フロントで地元の鍵屋さんを探してもらおうか?見つかるだろうか?今夜中にスーツケースを開けることができるだろうか? ガラス超しにフロントの様子を窺えば、ロビーの椅子に座った子どもたちが心配そうにこちらを見ていた。 スーツケースの中には、オーストラリアの主治医に出してもらった、息子のアトピー用のクリームが入っている。子どもたちの喘息用パファーも・・・私のコンタクトレンズ一式や眼鏡や・・・ 改めて自分の愚かさが呪われた。子どもたちがあんなに楽しみにしていた大阪旅行を鍵屋探しに費やすわけにはいかない。 戻ってきたおやじに断腸の思いで告げた。「お願いします」 「はい、じゃあ、現金でお願いしますよぅ」と、インチキおやじは勝ち誇ったように言った。 怒りと口惜しさと惨めさが入り混じり、情けない気持ちで現金を手渡した。身分証明書を提示した。 「じゃあ、開けましょうねぇ」と、長いピックのようなものを手に戻って来る。 こういうの、ぼったくりって言うんじゃないんですか!詐欺まがい商法とか言うんじゃないのぉ!嫌みの一つでも言って毒づきたいところだ。 だけど、私ってば、仏教徒だし。チベット密教徒だし。ダライラマ法王から菩薩戒も授かったではないか。腐っても、タントラ・ヨーガ行者なのだから。なんとか、なけなしの英知と菩提心を絞り上げて、怒りを慈悲の心に変容させなくては! 「でもですね」と、スーツケースに手をかけた彼の背中に言ってみた。「私が電話で料金を確認したとき、確かに8千円と言われたんです。HPでも1個8,000円となっていたし、確かにから<~>とかも記されていましたが、8千円だと思い込んでいました」 「あ、そうですか」 「他にも私のようにスーツケース1個8千円だと勘違いしてしまう方もいらっしゃると思うんですよ。だから今後のためにお願いします。そちらの会社のHPに、スーツケースの鍵の数によって値段が変わることを、もっと明確に記していただけますか?せめて電話で料金をお尋ねしたときには、8千円はあくまでも鍵穴1つのお値段であって、鍵穴の数によって倍上がりになることを説明していただけますか?」 「はい、はい。そう伝えておきますよぅ」 小ばかにしたように、さらりと答えたおやじを前に思った。 おいっ、絶対に伝えないだろ、お前っ! そうして彼はピックのようなもので、あっという間に開錠してしまった。その速さたるや、私がふつーに鍵を開けるのと同じくらいの速さで、1分とかかっていなかったと思う。その余りのイージーさにまたムッとしそうになる。 だけどそのときバンのナンバープレートが目に入った。なぜか「横浜」ナンバーであることに気がついた。 なぜっ? ここは大阪なのに… そういえば、フリーダイヤルで会社に電話をかけたとき、ちょうど新横浜駅に入ったところだったけど…まさか、横浜から来たわけじゃない、よね? ありえない。とは思っても、新幹線と一緒に横浜から大阪めがけて走ってくるバンを想像したら、なんとなくおかしくなった。いくぶん心が和んだ。 いやぁ、まったく、急いで注意力が散漫になってしまうとロクでもないことになってしまう、ということをしみじみぃと体験した1日でした。あぁ、高~いレッスン料を払ってしまった。。。24時間、マインドフルネスを心掛けなくては、と改めて実感した次第デス。 旅行から戻って、この話をしたところ、妹はあっさりと一言。「それで言われるままに1万7千円も払ってきたの!?バッカじゃん」 ですよね。。。返す言葉もありません。 大阪に数年暮らしていた友達は、「値切ればよかったねぇ。大阪ではね、値切りもふつーにありだよ」 そうだったんですか。実は私も後でダメ元で値切ってみればよかった、と後悔しました。ほんと、自分の交渉力の無さが情けないデス。 「ネットの、お店の評判とかに書き込めば?」と大学時代の友達。 「う~ん、でも批判や悪口系のことは書きたくないしなぁ…」 「そうじゃなくて、この会社を使ったときにこういうトラブルを経験しました。開錠をお願いするときには、事前にスーツケースの鍵穴の写真を送って、これでいくらになるか見積もりを出してください、と交渉した方が良いと思いますってアドバイスを書けばいいのよ。他の人が同じトラブルに巻き込まれるのを防げるでしょう」 確かに!けれどやはり実名は憚られるので、体験だけを。 というわけで、もしもあなたが私のようにスーツケースに掛けた鍵をうっかり家に置き忘れて旅に出てしまったときには、どうぞ思い出してください。 ・スーツケースの鍵穴部分を全て写真にとって、事前にLINEか何かで送ったうえで、料金の交渉をする!、と。 万一の場合に強くお勧めしたい対処法デス。 さて、最後になりましたが―余りに遅ればせてしまって、新年のご挨拶など失笑どころか顰蹙でしょうが、それでも気持ちだけ。心を込めて。 皆様の2019年が実り多く、幸せな年になりますように。良い旅に恵まれますように。 今年はもっと頻繁にブログを更新しようと思っていますので、どうぞよろしくお願いします。 にほんブログ村に参加しています。ポチっと応援クリック、どうぞよろしくお願いいたします(^^♪ にほんブログ村************************************『Tamagoー39歳の不妊治療』 Kindle電子書籍 390円『Tamago』 単行本1,200円(税抜)『インスタント・ニルヴァーナ1』 Kindle電子書籍 250円『インスタントニルヴァーナ2』 Kindle電子書籍 250円『インスタントニルヴァーナ3』 Kindle電子書籍250円『Someday, IVF at 39』 Kindle電子書籍250円 『Someday BabyーIVF at 40』 単行本2,572円詳しくは、マックあつこのHPで
2019.02.27
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もう一月以上前の話になるけれど、8月29日から10月28日まで2か月間のリトリートに入っていた。このときのことをブログに書いたものか迷っていた。リトリート中は後回しにしていたやることが山積みになってしまって、滅茶苦茶忙しかったということもあるのだけれど、それ以上に密教だし秘儀だしで、どれだけ書いていいのかわからなかったから。書かずにおこうかとも思ったのだけれども、自分にとっては大切なことだし、興味を持ってくださる方もいるかもしれないので書いておくことにした。 「リトリート」とは「退却、避難、休養の場所」などを意味する英語で、一般には「仕事や家庭などの日常生活を離れ、自分だけの時間や人間関係に浸る場所などを指す」とされている。チベット仏教では俗世を離れて、一つの行を集中的に行うことだといえるだろうか。 2015年6月にオーストラリアのブルーマウンテンで開催されたダライラマ法王のリトリートに参加したことはブログに書いたけど、今回のリトリートは、そのときにご縁を結ばせていただいた神仏の行で、去年6月に3週間アティーシャセンターで開催されたのだけれど、参加できなかった。今年は、それをやり遂げたいと思っていた。 リトリートをして、Fire Pujaをして、セルフイニシエーションを終える。でないと、せっかくの恩恵もどこか宙ぶらりんで、区切りがついていないような気がしていた。残りの人生を生きるために、心を整理するというか、ジンセイの区切りをつけるというか。それにあのときイニシエーションの前夜に、この行に関するアドバイスを仰ぐためダライラマ法王から夢見のガイダンスを受けて夢を見たのだった。それは、ブログにも書いたけど、夢の中で私は電車に乗ろうと小さな切符売り場で切符を買っていた。山の中腹にあるプラットフォームまで、かなり長い、急な石段を登ってゆく。やっと辿り着いたときには既に電車は来ていて、ドアも閉まったところだった。けれど私は焦るでもなく、のんびりと次の電車に乗ればいいやと思っている。周囲にはやはり電車に乗ろうと石段を登ってきた人たち。地元のチベット仏教センターで一緒の友人たちの姿もあった。石段やホームの端でプラスチックの緑色のバケツに吐いている人たちも。山の向こうには、すがすがしい青空が広がっていて、とても美しかった。目覚めたとき、浄化と門出の夢だと思った。電車のドアが閉まっていたことから、明らかに自分にはまだ準備が整っていないものの、浄化をすれば、いずれは大丈夫だというサインの夢だろう、と。あれから3年、まだあの電車に乗る夢は見ていないのだ。 ちょうど7月に昔~書いた長編『インスタント・ニルヴァーナ』の最終巻を電子出版して一区切り付いたので、今度こそ実行しようと思った。そのうち時間ができたら・・・などと思っていたら、一生やることもなく、人生終わってしまうかもしれないし。やっと時間ができても、今度は病気になってしまったとかお金がないとか気力がないとか、そのときはそのときでまた別の理由で実行する余裕などなくなっているに違いない、と。来年、娘は高校3年生で大学受験だし、息子も中学に入る。夫の体調もどうなるかわからないし、じっくりリトリートをするような時間など10年待っても取れないかもしれないのだ。 グルー、私のスピリチュアルな師の一人であるゲシェDとも相談してパートタイムで日に2~3時間ほど、ひっそりと一人リトリートを決行することにした。 「パートタイムでリトリートなんて、ありっ??」と、仏ぶつ友とも(仏教友達)ジェニさんが言っていたことがあるけれど、背に腹は代えられない。どっぷりとリトリート三昧3週間とかのフルタイムは今の私の状況では望みようもないのだから。 ゲシェのガイダンスはそんな私の状況でも実践できそうなものだった。それからアドバイスしてくれた。 何よりも大切なのは心である。いくら祭壇を豪華に飾っても、正式な流儀にこだわっても、心がこもっていなければ、大した意味も益も生じない。そういうものはシンプルでいいから、リトリート神を心の中央に据え、菩提心から実践するならば、たとえ日に数時間であっても有益なリトリートになるだろう、と。 仏友ティナリンは『リトリート・ダイアリー』をつけることを勧めてくれた。何か不思議な体験をしたり、メッセージを受け取ったり、夢を見たら、記しておくといいから、と。 こうして私の独りリトリートが始まったのだった。自宅の書斎で、ひっそりと。パートタイムとはいえ毎日キツキツの普段の生活から2~3時間をひねり出すのは難しかったけれど、リトリートを終え、心に残っている出来事についてちょっと書き留めておきたい。 リトリートを始めてから数日経ったころから毎朝、虫の死骸に気がつくようになった。たいてい黄土色というか、金色がかった小さな羽虫で、洗面所とかバスルームで溺れているのだった。今の家に引っ越してから、その虫をよく見かけるようになっていた。その子たちはジュースの中や水のある場所で溺れていることが多かったので、気がつくとティッシュでそっとすくって、そのまま置いておいた。そうして数時間後に見ると、たいていいなくなっているのだった。どうやら羽が渇いて活力を取り戻すと助かるらしかった。それでも助からなかった子は裏庭の仏陀の前、芝生の上に置いてマントラを唱えて成仏を祈っていた。 言葉に書いてしまうと、イッちゃってる感は拭えない (^^;) けれど、、、ジュースの中とかで溺れ死んでいる姿があまりに不憫だったから。犬や猫やペットになるような子たちならば飼い主から祈ってもらえる機会もありそうだけれども、そこら辺の虫では祈ってもらえる機会などありそうにもなかったし。そんなことを何年もしているうちに、いつしか私はその種類の虫を「羽虫君」と呼ぶようになっていた。 その羽虫君がリトリートを始めてからは毎朝目につくところで死んでいるのだった。不憫なのでそっとティッシュに取って書斎に持ってきて、リトリートのときにお供養をすることにしていた。 「リトリート・ダイアリー」の記録では10月7日の朝もまた水の張っていないバスタブの中で羽虫君が死んでいた。 その子は綺麗な金色の花びらのようなものの上にのっていた。なんだろうとティッシュでそっとすくってみたら、花弁はすぅっと消えてしまった。とても綺麗な黄金色の羽虫だったから、花びらに見えたものはその子の身体の粉か何かだったのかもしれないのだけれど。とにかくその子を書斎に連れてゆき、机の上に置いておいた。 その日リトリートをしたときに、その子にも徳を廻向して供養をしてからいつものように裏庭の仏陀の前の芝生に置こうと外に出た。日曜のお昼ごろで、春の空は晴れ渡っていた。ドアを開けて外に出た瞬間、思いもよらなかったことが起きたのだった。陽光を受けた羽虫君が一瞬、動いた気がした!?のだ。 えっと目を凝らすと、確かに羽虫君がティッシュの上でもぞもぞと歩き回っている!もう朝から6時間もそこで死んでいた!というのに。単に気絶していただけなのかもしれないのだけれども、あまりのタイミングに、私は庭でガーデニングをしていた夫に駆け寄ってしまった。 「見て見て、羽虫君が息を吹き返したから!」 夫にも見せようと差し出したその瞬間、羽虫君は羽ばたいたのだった。くるくると私の周りを回ってから、青空に飛んで行った。ありがとう、とでもいうように。 羽虫君、良かったね…声に出したら、涙が止まらなくなってしまった。現実がどうであろうとも、とにかく羽虫君は息を吹き返したのだった。 続きは12月6日の日記「初めての独りリトリートと僧院ステイと、夢見と②」でお読みください。「にほんブログ村」に参加しています。応援クリックをどうぞよろしくお願いいたします。にほんブログ村
2018.12.07
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その翌日―私は毎朝、庭でコーヒーを飲むことを日課にしているのだけれど、リトリートを始めてからマグパイが遊びに来るようになっていた(写真の子です)。すぐ目の前に来て鳴いたりするので、可愛くてついミューズリーやオートなんかをあげるようになってくると、自然、親密度も倍増してくる。いつの間にか私はその子を「マギー」と呼ぶようになっていた。 マギーはその朝もコーヒーを飲んでいる私の横にやって来て「おはよ~」とでもいうように鳴き始めた。それから飛んで行って、庭の真ん中に転がっていた何かを突っつき始めたのだった。 「何して遊んでるの~?」と腰を上げ、「え?」目が点になってしまった。 それは、なんだかふわふわした、縫いぐるみのような・・・つーか、小動物の死骸のような… とても・・・傍に行って見る勇気はなかったので、家の中に戻って眼鏡をとってきて、目を凝らせば、やっぱり! それは、野ネズミの死骸だった。マギーは野ネズミの死骸を突っついているのだった。ひぇ~~~~~~~~ マギーが・・・殺してしまったんだろうか?それとも死体を運んできた・・・とか? マギーを責める気持ちは、声を荒げずとも気配で本人にも伝わるのか、どこかへ飛んで行ってしまった。 羽虫君と違って野ネズミの死体ではとてもティッシュにくるんで書斎に持ってゆく気にはなれない・・・(つーか、近寄れなかったし・・・)。家族が起き出してから、「あびじゅあびじゅ」と死体のことを告げると(「あびじゅあびじゅ」は娘が焦ったときや驚いたときに使う言葉で、我が家ではショックの公用語になっている)、素晴らしいことに、夫がシャベルを持ってきて、野ネズミを裏庭の隅に埋め、お墓を作ってくれたのだった。 結局私は近寄れなかったのだけれど、夫の話では、野ネズミに外傷はなかったそうだ。だから毒で殺されてしまったのではないだろうかと言っていた。オーストラリアではネズミ駆除のために毒を盛っている家も多いというから。 それでも、その日のリトリートのときにこの子のことを祈った。成仏を祈りながら気になってしまった。野生の動物は死を迎えるとき木陰や物陰など隠れられる場所を死に場所に選ぶと聞くけれど、あのネズミはどうしてあんなところで死んでいたのだろうか?あの場所で攻撃されたのではないのなら、何もわざわざ隠れるところも何もない庭の真ん中、芝生の上で死んでいたのだろうか?毒を食べて苦しくなって巣に帰ろうとして、そこで力尽きてしまったのだろうか?それともあの場所で突然、心臓発作とか? 蜘蛛膜下出血とか??なんしても苦しかっただろうに、あんなところで…、独り…。 そんなことを考えだしたら、ますますその子が不憫で堪らなくなってきた。野ネズミの成仏を願って、徳を廻向して、夫がつくってくれたお墓にお線香を手向けたのだった。 それから暫くした朝、マギーが庭に面した窓からこちらを覗いているのが見えた。今日は友達を連れてきたようで、2羽で楽しそうに戯れている。「見て、今朝はマギーがお友達を連れてきたよ。あ、何か2羽で一緒に遊び始めた。かわいいねぇ」と朝食を食べていた息子に言いかけて、絶句してしまった。 2羽が仲良く突っついたのは、ひぇ~~~小鳥の死体・・・・・・ それも、あろうことか、あの野ネズミが死んでいたのとまさに同じ場所に、裏庭のド真ん中に、小鳥の死体が転がっている!?のだ。 マギーたちの間から、小さな黄色い口ばしが覗いたときほんとうに悲鳴を上げてしまった。かわいいね~と油断していただけに衝撃もひとしおだった。「あびじゅ」どころではない、私のあまりの動揺に家族は恐れをなしてしまったが、事態を把握すると、夫が小鳥の死骸を埋めてくれた。 「同じ場所で死んでいるなんて奇妙だねぇ」などと言いながら、またお墓を作ってくれたのだった。この子も外傷はなかったのだそうだ。 その日のリトリートでその小鳥の成仏を祈った。時々庭で見かける、黄色い嘴のインドから来たという鳥だった。この子たちは狭い道をよくちょこちょこと歩き回っていて、動作が鈍いのか咄嗟に飛べないらしく、車に轢かれている姿を時々見かける。 オーストラリアに来て間もないころ、この種類の小鳥たちが路地裏をちょこちょこ歩き回っていて、夫は避けながら運転していたのだけれど、轢いてしまいそうになって冷や冷やしたことがあった。そのとき後部座席に座っていた義母が言ったのだった。「その鳥は昔イギリス人が誤ってインドから連れて来てしまった鳥で、オーストラリアの自然体系を壊しているから、轢いてしまっていいのよ」と。轢いて・・・いいって・・・ それで車の中で口論になってしまったことがあった。 実際、この鳥たちのご先祖は、イギリスからの移民がインドからオーストラリア大陸に向かう船の中に紛れ込んで乗船してしまい、一緒に来てしまったのだそうだ。そのうえ、他の鳥が作った巣から卵を落として、自分の卵を産んでしまうという習性があるそうで、一般にオージーからは嫌われている。この大陸の自然体系を壊しているという理由で毎年、駆除されているともいう。 そんな事情のある小鳥だったから、成仏を祈りながら自然、そのカルマや転生について考えずにはいられなかった。 あの小鳥はたぶん、カルマからまた同じ種類の小鳥に転生してしまうのだろう。あの子の魂が同じ種の生き物に自然と引き付けられてしまうだろうから。そうしてたぶん、オーストラリアという同じ土地のエネルギーにも・・・。だけど、この大陸でこの種類の鳥に転生を続けている限り、あの子が幸せな生を生きることはないのだろう。自分の意志でこの国にやってきたわけでもないのに、忌み嫌われて・・・。産卵の仕方がどうであっても、それは習性であって、嗜好ではないのに・・・。 そんなことを思ってしまったら、あの小鳥が不憫で堪らなくなってきた。あの子が鳥のカルマから自由になれることを祈らずにはおれなくなる。 ふっと思った。人間だって、根源的にはあの鳥とあまり変わらないんじゃなかろうか? 私たちは自分の意志で生きていると思っているけれども実はさほど自分の意志でなど生きられてはいないのだ。仕事や家族や健康や、自然災害や社会的情勢、人間関係や様々な制限に支配されて生きているに過ぎない。そういう制限から自由な人など、いない。この世に生きている限り、病気にもなるし、別れも来るし、事故にも遭うし、天災にも遭ってしまうだろう。仏教でいう苦諦― この肉体をもって、この世に転生を続けている限り、そういう制限から解放されることは、自由になることなどあり得ないのだ。輪廻転生から解脱しない限り―いつしか私は輪廻からの解脱について、心から考えていた。たぶん、初めて。 Renunciation(直訳では放棄、仏教的には解脱の決意だろうか)という言葉を初めて聞いたのは、もう20年も前になる。けれどそれは私には、あまりピンとこない概念だった。それが初めて実態をもって心の真ん中に迫ってきたのだった。 そうなると小鳥への思い入れも倍々倍増してしまって、もう涙が止まらなかった。あの小鳥が小鳥というカルマから自由になることを心の底から祈っていた。続きは12月5日の日記「初めての独りリトリートと僧院ステイと、夢見と、③」でお読みください。「にほんブログ村」に参加しています。応援クリックをよろしくお願いいたします。にほんブログ村
2018.12.06
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