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(I'm) ready for moving! 『どっちに行くのかわかんないけど、とにかく、OK! 準備できました。。。』 ↑(この場での勝手な意訳です)。 というか、la'「movin」てフランス語(あ、スペイン語?!)ないからたぶん、UNIの造語と思いますが。。。でもかっこいいね。 見た目も 音色もこざっぱりもっちり。(←言葉のことです。"la'MOVIN"はこざっぱりではありません。がっしり、所々しゃっきり、どんすかどんっ!ったい!!!(試聴なのであまり信用しないでね)) UNIファンとかいいつつ早5年。ちゃんとCD聞いてなかったのですが、、、やっぱライブでしょ←結構通じる言い訳。 「La'Movin」試聴とかしてみると「あぁつっっ!!!あるあるぅぅ!このぐるぐるドラムは!!!おショーさんやぁ」で「なつかしいぃぃぃい!」 実際に行った最後は今年の3月31日の月詠みですがな。なんかいきなり1時過ぎにUNIで体内スケジュールあわせるのが大変でした。ぁ。。 UNIと言えば出番が4時とか5時がお約束、知らない人ともUNI出るとこでは「UNIまで長いよね。」ってのが合言葉だったんだけどなぁ。。。 それどころかそれと前後して、今年の春に今の会社に派遣で働き出して、経験のない翻訳どっぷりになってから(もともと通訳の勉強しかしてないのです)、音離れしちゃってました。2,3年前あたりからほんとに好きなことが逆にだめになっちゃう時期に入ってまして。。。英語の仕事離れもしてたくらい。。。 まだ春のころはクラシックとかそんな方にいい子ぶって、ぶら下がっていましたが、単にラジオで聞けるからだったかなぁ。 夏からずっと無し。 ぜーんぜん遊ばず。たまーにある、ほんとに誘い水のようなパーティのお誘いにも腰が上げられず、ていぅか、うまく乗れず。 夏の終わりの「ウバタマ先生のインターネット・ライブ@先生 宅!参加!!」も終電乗り遅れ。。。 先月末のTPEのパーティもALTOMのThomasとたまたま知り合いなので連れてってもらえるのに、つい当日電話くるの遅かったから「Too Late! Thomas!」ってもう行かないっていってしまった。迎えに来てくれるとまでだったのにぃ。。。あぁ。。。 心の奥ふかーくでたぶん出るの怖かったんだろうなぁ。と今思いますが。。。 ちょっと↑この二つのパはしがらみが多すぎたよぃぉ。。。 しがらみがいやといいつつ、動く(これも、moving)弾みつけにしがらみを使おうとしてた。 やっとそんなこつ、わかってきたとです。 わかって音戻り最初のCDが「la'movin (試聴)」なわけです。 んで、タイトルの裏の意味は「音戻り準備OK!」です。
2006.11.20
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天秤座7度 「鶏を鷹から守りながら世話する女」 A woman feeding chickens and protecting them from hawks(~12/11)日常生活のささやかな安定を願うあなた。それを脅かす鷹を恐れることなく闘う勇気を持ちましょう。この"鶏"は安定した日常生活を、"鷹"は、それをおびやかす、外からの攻撃をあらわします。このシンボルをもつ人は、とても臆病になることが多いようです。 自分や仲間をおびやかす人の悪意を感じやすく、それらから大切な生活や立場を守ろうという気持ちが強くなるからです。 いつも"失敗するかもしれない"という不安に揺れている人ですが、逆にこうした態度が、人からの攻撃を誘ってしまいます。 安全を第一に考え、守りを重視すると、とたんにこの人の「大事なお城」は崩れ去ってしまいます。 実は、守りより攻めることのほうが、この人にとっては最大の防御です。 心の底には、鶏のような生活を捨てて、鷹のように自由に飛び回りたい気持ちが眠っています。本当は自分自身で、鶏でいることも、鷹になることも両方選べるのです。 時には、変化を怖れず、積極的に挑戦してみましょう。 そのとき初めて、自分を不安がらせていた怖れが、ちっぽけなものだったことに気づくでしょう。 イメージが形になりやすい人なので、否定的なことを思い浮べる暇もないほど忙しく行動することが、健康でいるコツです。
2006.11.13
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思い思いを伝えるのって、真剣で切実であればあるほど、難しいことです。その裏には、期待とコントロールが存在するからでしょう。純粋に思いを伝えるという行為は日常にはほとんど無く、そこには様々な動機と目的、反応や結果を得ようとする行為(期待、思考)が含まれます。単純に思いを伝えるためにはどうすればよいのでしょうか。思いが浮かんだ瞬間に伝えられれば一番良いでしょう。それが言葉であれ、他の形であれ、そこで発せられたエネルギーはさらに強められるのです。もしそれが質問であれば、なんの狙いも疑いも答えに対する予測も無く質問をされた相手は、真実を答えやすくなるのだと思います。相手が離れている場合には又事情は変わってきます。その瞬間に電話でもすることができ、コミュニケーションがとれるのであれば別ですが、時間とともにその思いのエネルギーからは純粋さが失われ、付加された思考や感情のエネルギーが加わってしまいます。そこでコミュニケーションのタイミングが合うことが多い相手と、すれ違いが起こりやすい相手がいます。おそらくそれが「縁」というものなのでしょうか。あるいは、その思いが伝えられる事が宇宙のエネルギーと波長があっているということなのでしょうか。さて、なぜ思いを伝えるのが難しいということになってしまうのか、考えてみたいと思います。私の場合は、そこに拒否されたり、うとまれたりするのではないか、という恐怖が生まれるからです。相手が忙しいのはわかっているし、とか、言ってもどうにもならないから、という言い訳はいくらでも作り上げる事が出来ますが、実際はその奥にある恐怖心を抑圧しているのです。その恐怖は小さい時にコミュニケーションを拒否されたり、さえぎられたり、うるさがられたり、無視されたりした、心の傷から生まれてきます。あまりにも、それが固着してしまったので、大人になってその傷に気づいた後も、無意識に出てきてしまう場合があるのです。だからといって、誰にでも、そうではありません。特に自分と対極にある「傍観者」を相手にした時に起こりやすくなるのです。一般的な「傍観者」は、大切な事は自分から何も言わないで、自分の内にこもって世界をつくりあげて他人によそよそしくしながら、相手がそこに隠されたものが気になって注意を与えることによる、相手のエネルギーを吸収しているのです。完全に自由であった子供が成長し、飼いならされる過程で、その子供の生存に関わる程の重要性を持つ、親からの注目、を獲得するために様々な技法が培われていきます。「傍観者」の親からは「尋問者」の子供が育て上げられ、「尋問者」からは「傍観者」。そして、「脅迫者」の親からは「被害者」そこから転じて「脅迫者」の子供が作られるのです。こうした自分自身のコントロールの癖を気づかない限り、同じドラマが何度となく繰り返されていきます。私の場合、父が「傍観者」母が「被害者&脅迫者」で、「脅迫者」と「尋問者」そして「被害者」が交互に相手次第で出てくるような気がしているのですが、一番苦手なのが「傍観者」と関わってしまった場合なのです。 私にとって最もつながりの深い「傍観者」であった父が死ぬまでは、それ以外の人間関係において、ほとんど「傍観者」的な人を相手にすることは無かったのですが、父の死以来、その関係を昇華させるためなのか、突然「傍観者」とのドラマに直面するようになりました。もっと正確に言うと、人のコントロールが見えてくるようになり、だんだん無意識に真っ向から取り組んでいた人間関係から、一歩下がった状態で参加するようになったからなのでしょう。それはある意味での「傍観者」になったのだと言われれば、それが正しいのかもしれません。
2006.11.08
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:*:・°`☆Thursday, August 10, 2006・:*:・°`★ 暑くて苦しい日仕事中に書いた初めてのエッセイなんだか知らないけど突然書き出しちゃた一人に見せたけど ずっとしまいっぱなし。。。 もう、出してしまうぅ!O(´^`)O 後から続けて書き足そうとか、色々もくろんだけど、このまま一つのものとして固定しちゃった
2006.11.07
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楽天ブログだぜぃ!( ^-^)∠※.。・:*:・°`☆、。・:*:・°`★心機一転なのだ!
2006.10.31
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