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「昭和三十年代」・・・それは貧しかったけど多くの人が夢と希望を持っていた時代・・・・そんな時代の食卓を再現したものが上のものです。中流階級以上の人のものだそうで、もっと貧しかった人は多くいたと思います。 今日は、てんぷらをメインに大根の煮付けにきゅうりの漬物、そしてご飯に、なんといってもこのちゃぶ台がなんともいえませんね。 メインデッシュは下町ではコロッケなんかもよくでていましたね。 日本の今の社会はこのような食事から出来上がっていったんだと思うと感慨深いものがあります。□□□■■■-------------------------------本場奄美大島紬専門店 奄伽樂(あまから) http://www.amakara.jp/-------------------------------■■■□□□
2006年07月27日
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上 弥生人の衣装(推定復元) 弥生時代になると定住して田んぼを耕しムラができました。その過程のなかで組織に上下関係ができました。つまり身分ができたわけですね。 特に身分の高い人の服装が左の赤い染めの着物です。明確に織った帯もつけていて、大陸から来た渡来人の影響が大変強いですね。 当時は中国や朝鮮が先進国でしたから、着物も当然影響を受けました。 この後、着物は中国式になり、平安時代になると独自の着物が生まれてきます。更に室町時代になると現在の着物の原型ができました。 2千年以上のときを経ていまの着物が出来上がっていると改めて感じました。□□□■■■-------------------------------本場奄美大島紬専門店 奄伽樂(あまから) http://www.amakara.jp -------------------------------■■■□□□
2005年08月19日
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先日、鳥取に行ってきました。 実は鳥取は米子しか行ったことがなかったのです。今回、たまたま仕事で近くまで行く機会があり足をのばしてみました。もちろん車を運転して山陰を走りました。 上は、白兎海岸。鳥取といえば「白い兎」ですが、その舞台になった海岸です。海岸前には大国主とウサギの像が建っています。 鳥取では「因幡の白ウサギ」としてお土産もウサギのオンパレードなんですが、神話が知られなくなった現在、「なんで鳥取はウサギなの?」という質問が多くなりました。おそらく戦前生まれや戦後間もない生まれの人で知らない人はいないでしょう。 ご不明な方はぜひ「古事記」を読んでみてください。
2008年12月17日
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上 足利義満画像 金閣(本当は鹿苑寺という)を作った足利義政とはどんな人だったのでしょうか? 上が足利義満の肖像画です。当時は似顔絵の技術が発達していたので、室町時代の人でも顔がわかります。義満の顔はその目じりの下がった目がチャームポイント?です。他の肖像画や木造もそのような顔なので本当に似顔絵だったのでしょう。 彼は生まれたときお祖父さんの尊氏の死後だったこともあり、諸国を逃げ回る子供時代をすごします。そんな時のエピソードをひとつ。 逃亡時あるとき美しい山と海を目にした11歳の義満は家来の「この景色が美しいのでもって帰れ!」と命じます。当然そんなことはできないのですが、自分の権力が高まると次々と破天荒なことをやってのけます。 京都に自分の屋敷の庭園を作るのに日本全国から季節の花を持ってこさせ、一年中花の咲いている「花の御所」を作ります。 また一休さんの話の中で「屏風の虎を縛ってみろ」と命じたえらいお坊さんが出てきますが、これが義満です。これは一休さんが今の金閣寺に招かれたときのエピソードです。 実現不可能なことを次々とやってのけた義満が最後にたどり着いたのがあの金閣造営でしょう。現代に残る義満唯一の作品です。 義満死後、「花の御所」は後に戦争で跡形もなくなり、北山山荘も金閣以外は義満のことを嫌いだった長男義持にことごとく破壊されました。□□□■■■-------------------------------本場奄美大島紬専門店 奄伽樂(あまから) http://www.amakara.jp -------------------------------■■■□□□
2005年08月30日
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65歳定年の議論がとうとう起こってしまいましたね。というか起こるのが当然ですが。 ただ、これは職種や業種によって様々に議論する必要があります。 ただ、年金の問題と同じで企業への締め付けは強くなってしまうでしょうね。 たまたま見ていたニュースで「これは付け焼刃の議論だ」といっている評論家がいましたが、そりゃそうですよね。だって年金制度自体がいい加減に作られたんだから、後からつぎはぎしているだけなんです。 企業で働く労働者は必ず「生産性」を上げなくてはなりません。公務員のような生産性がなくても金もらえる連中じゃないんですから。ただ、生産性があればいいですが、年をとれば生産性が衰えてくるのもたくさんあるはず。それを押し付けられては企業経営がうまくいかないと思いますね。 まぁこれは当分、完全に65歳から年金支給されるようになるまで続く問題ではないでしょうか?
2011年12月14日
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最近騒ぎになっている年金なんですが、今、ある程度まとまった本を読んで学習しています。「年金制度は難しい」といわれていますが、その通り、さまざまなものが入り組んでいて難しい。また現在の年金問題が「制度上」であることも少しずつ判ってきました。 私は人事の仕事をしているのでよく従業員の方に年金について聞かれます。それも最近になってから急に増えてきました。もちろん勤める会社は厚生年金に入っていますが、国民年金も払うわけですから両方学習しないといけません。 楽しいですが、こりゃけっこう難儀だな・・・・・
2008年03月07日
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溥儀の居住区(紫禁城内) 紫禁城に残ることを許された溥儀はそこで、近代的教育を受けることになります。 当時、中国に来ていた英国人役人のジョンストンを家庭教師とし、英語などを学んでいます。上の写真は故宮に残る溥儀の居住区を再現したものですが、ヨーロッパ調の調度品が今でもならんでいますね。 紫禁城にすんでいた溥儀はいっけん平穏そうに見えましたが、紫禁城の外の中国は激動の時代を向かえていました。第一次大戦で列強が中国から手を引いていきましたが、各地に残る軍閥(有力者)と孫文の中華民国、そしてあらたに中国共産党が出来て中国内は混乱し始めます。 ついに1924年、大正の終わりごろ、溥儀は紫禁城を追い出され、天津にあった日本の租界地へと逃げ込みます。 ここで、日本とかかわりを持ったことで、今度は日本人を相手にした生活が始まってくるのです。当時の日本は混乱する中国に進出する機会を狙ってましたから、溥儀はまたとない「お客さん」でした。 そして中国への日本の進出が具体化していきます。
2006年02月04日
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先日、関西空港のANAラウンジで(私はANAラウンジが使えてしまうのです)、初めてビールを飲んだらうまかった!!(私は体を壊してからお酒は飲みません) 夏の暑ーい時期だけチョットビールを飲んだりします。 というわけで今日は夏の愉しみ、ビールを飲みながら「男はつらいよ」を鑑賞します。明日は休みだし!! ビールと柿ピーとキリン一番搾りと寅さんは夏だけ他のしめる最高の娯楽。 ちょっくら旅でもしてきます(年中旅してますが)
2011年08月08日
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最近話題の大阪府知事選挙に郷原先生が立候補を辞退されました。 私は、内部監査人なので、郷原氏の書物をけっこう読んでいるんですが、全く同感するところが多く、勉強になる先生だと思います。 「コンプライアンスとは何か?」という経営者でも答えられなさそうな問いにしっかり答えている。 今回の選挙で名前があがったので、氏の本を再度ペラペラめくってみました。気が付きゃ読み込んでいる・・・・・・・ ぜひ、選挙などでなく、本題を探求していただければというのが個人的感想です。
2011年10月24日
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上 浅草尾張屋 かしわ南蛮 それでは荷風先生のグルメをしてみましょう。 東武浅草駅と雷門の間に「尾張屋」いう大きいてんぷらの天そばや天丼を出すお店があるのですが、そこが毎日のように荷風先生がかよったお店です。 ただ、荷風先生はてんぷらには目もくれず、毎日上の「かしわ南蛮」を食べていました。というよりこれしか食べません。また唐辛子などは一切かけず、食べてる間は一言もしゃべらないのが「荷風流」です。 荷風先生は食べ物には池波正太郎さんなんかとは違い「毎日同じ店で同じものを同じ場所で食べる」というコダワリ?があり、他のメニューには見向きもしません。また自分がいつも食べている席に人が座っているととても不愉快になってしまう人でした。 荷風先生は180センチほどの身長にスーツに下駄、しかも傘に買い物用のおばちゃんカバンという格好で毎日来るので店の人に初めは気味悪がられたそうですが、「えらい作家」といわれ初めて気づくことが多かったようです。 この江戸風のごま油の効いたかしわ南蛮、浅草らしくちと高いですが来たら食べてみてください。850円です。
2005年11月07日
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