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カテゴリ: 江戸末・明治以降


 浅草十二階は明治23年(1890年)英国人技師により造られました。当然当時の日本で一番高い建物で、日本初のエレベーターが設置されていましたが、途中で安全面で問題があると使用中止となっています。したがってらせん階段を上まで
登っていきました。結構しんどかったんではないでしょうか。

 階の途中で甘酒が振舞われ、最上階からは東京都心部が全部見渡せたそうです。
また古老の話によると、最上階に行くと少し建物がグラグラ揺れていたそうです。
怖くて登れなかった人もいるんではないでしょうか。

 大正時代になると浅草は文化の発信地になり、当時の流行の洋服や着物を着た人たちが集まり、たいへん発展します。その当時の写真や絵には必ずこの十二階が載っています。

 しかし大正12年(1923年)関東大震災で8階から上がポッキリ折れてしまい、周りに密集していた家も焼けてしまいます。震災直後の無残な姿の十二階が焼け野原にポツンと建っている写真は震災を扱った書物に必ずといっていいほど載っています。

 十二階は二度と再建されることはなく、震災後、浅草は文化の発信地から後退していきます。たった33年の命だった十二階は当時を知る人々の心に残り、語り伝えられ現在に至っています。




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最終更新日  2005年05月30日 15時11分08秒
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