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2007年05月28日
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カテゴリ: 安土桃山・江戸


 家康はその3年後、名目上の江戸幕府を開設し完全な権力者になるのですが、自己の政権の安定のため、関が原の直後に本拠地の江戸に向かう重要地点に城郭を造ったりしたのですが、その最たるものが名古屋城の築城でした。

 名古屋は本来那古家と書き、砦みたいなお城があるくらいでしたが、ここが中山道と東海道が通過する「要所」と踏んだ家康は、大城郭の建設を命令し、当時の大名が分担して行いました。

 当時は、まだ大阪に豊臣秀頼がいましたから、その防衛と江戸防御のため、当時の最高技術を集めた城郭となりました。

 上は改めてご覧いただく名古屋の場所です。紫の道が東海道と中山道ですが、両方とも名古屋近辺を通過しているのがわかると思います。

 そんな大城郭ができた当時の様子を次回、みてみましょう。





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最終更新日  2007年05月28日 00時25分31秒
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