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カテゴリ: 勝手に野球談義


 砂押監督というと野球に詳しい方はプロ野球の監督というより「立教大学野球部の監督」のイメージが強いと思いますが国鉄スワローズがプロに招請したのです。

 砂押監督は立教大時代「スパルタ」で有名でしてバットで選手の頭を叩くなど当然のように行われていました。当時の模様について監督のもとで野球をしていた大沢親分こと大沢啓二氏は著書で以下のような内容をいっています。

 当時の野球部はまさに監獄だった。えらい厳しかった。大学3年のある時、一年生たちが自分の部屋にやってきた、その中には長嶋茂雄、杉浦忠といった後のプロ野球に多大な貢献をする者たちがいた。彼らは「砂押監督は厳しすぎてやっていけません。砂押監督に辞めてもらうか、そうでなければ自分たちが退部する」ので一緒に動いて欲しいというのです。大人しく卒業したかった(らしい)親分も同意、結局砂押排斥運動に発展、大学の総長まで出てきて鎮めるといった混乱ぶりでした。

 後に、砂押監督は日立で監督をしていたのですが、一転国鉄スワローズ監督になり、飯田(のちスワローズ監督)、徳武(のちロッテ、中日監督代行)らとカネヤン投手陣の活躍で3位になり、はじめてAクラス入りとなりました。

 ヤクルトファンで有名な三宅祐司さんが父親が国鉄職員だった関係でスワローズファンになったというのはこの時期からだそうです。

 上の写真はスター長島茂雄が読売の監督になったとき談笑している砂押元監督。かつてはいがみあった関係でもお互い「野球が好きで強くなりたい」思いは一緒。後に砂押元監督は排斥運動をした立教大野球部OBが主催した「砂押監督を囲む会」に参加し楽しそうだったと大沢親分は述懐しています。

 つづく





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最終更新日  2007年11月29日 19時10分16秒
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