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2010年01月21日
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カテゴリ: 鎌倉・室町・戦国


 しかし、道三ののち孫の代になって織田信長に攻略され、信長が「岐阜」と命名、居城としてました。岐阜が栄えたのはまさにこの時期です。

 当時の資料は絵図が残されているのみで、具体的な城郭の様子はわかりませんが、面白いのは天守が山の上と山の下に置かれていたことでしょう。このようなケースはほかに聞いたことがありません。

 写真は当時の想像図ですが、山下に居館が見えます。ここに天守があったわけですね。

 山城では、いちいち山の上で生活するのは不便なので、このように居館を下に設けることが多くあり(根小屋という)ました。

 日本に来ていたフロイスは当時の岐阜を「楽園」と呼んでいますが、それほど繁栄していたのでしょう。





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最終更新日  2010年01月21日 05時18分43秒
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