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昨年は喪中で静かなお正月だったので、今年はお正月らしい正月をと奮起。年末の買出しから、おせちづくり、明けては田舎の滋賀への初詣、凧揚げ、こま回し、福笑い、などフルコースで満喫。五歳になる長男も、準備から何から参加してもらった。見慣れぬ飾りもの、食べなれない料理。「なぜ?なに?」大臣の息子からの質問のたびにその意味を調べる始末。こっちは、「あたりまえ」でやっているので、上手に説明できないことばかり。「年越しそば」「鏡餅」などひとつひとつにいわれがある。おせちもそう。大体が縁起かつぎなんだけど、日ごろ縁起をかつぐこともあんまりないので、その概念を伝えることが難しい。「なんでおめでとうなん?」これが一番困った。「お誕生日おめでとう」の方はケーキも好きだし、プレゼントもあるしその楽しげな雰囲気で「おめでとう」の感覚が理解できるのだそう。でも、お正月、つまり年が新しくなることが何故おめでたいのか、わかりにくいらしい。昔は数え年で、皆正月でひとつ年をとったから、新年イコール誕生日おめでとう、になるのだからまだ説明が付きやすい。でも、今は自分の誕生日は別に祝うので、お正月のめでたさがイマイチ説明しにくい。たしかに自分でも年賀状書きながら、「何がおめでたいんやろ」と思っていた頃が何年もあったような気がする。自分が子どもの頃はお正月は胸踊る楽しい行事だった。なのに家族に対する照れなのか、思春期をすぎたころから、退屈なものになってしまって、気がつけば、お正月らしいお正月に背を向けて、関係ないとばかりに過ごした年もあった。子どもができたことで、何の照れもなくそれらをまた一から楽しむことができた。私にとっては、それが一番「めでたい」。(私)「みんなでそろってお雑煮を食べたり、いろんな遊びを家族でするのって楽しいやろ、それが『おめでとう』やん」(息子)「それは『めっちゃ楽しい』やん」理屈っぽいうちの息子は、どうも納得いかないよう。きっと、息子も何年か経てば、家の正月なんてそっちのけで遊びに行ってしまうんだろう。そう思うと、ひとつひとつを目を輝かせて楽しんでいるこの正月の貴重なことよ。いつか彼が大人になったとき、私が感じてるこの「めでたい」感覚を思い出してくれますように。
2007年01月04日
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