2009年11月22日に行われた 「セ、パ両リーグ誕生60周年記念試合・プロ選抜vs
大学日本代表」
のこと。
■プロ選抜・ 高田繁
監督(現・ヤクルト監督、浪商高-明治大時代)、試合後のコメント。
「大学生の投手たちは本当に力のある投球をするし、すぐプロに来ても十分に通用
すると思う選手が何人かいた。これなら打てなくても仕方がない。大学生の打線に
ついても、あと一本が出ていれば展開が違っていただろう」
(日刊スポーツ09年11月23日付)
以下、敬称略。
■高田繁の高校時代。浪商高の1年生だった1961年(昭和36年)夏、甲子園で
優勝を経験している(ポジションはレフト)。チームのエースは「浪速の怪童」と呼ばれた
豪速球投手・ 尾崎行雄
(元・東映)。さらに二塁手は 住友平
(元・阪急、明治大)、
三塁手に 大熊忠義
(元・阪急、近畿大)がおり、豪華な陣容を誇っていた。
この当時、浪商のライバルはエース・ 柴田勲
(元・読売)を擁した法政二高。控え投手
には 村上雅則
(元・南海)もおり、浪商高と法政二高は「宿命のライバル」と呼ばれ、
甲子園では三度(みたび)対戦した。
(1)1960年夏 2回戦
法政二高 4-0 浪商高 (勝)柴田、(負)尾崎
※スコア0-0で迎えた8回、カーブを多投し疲れの見えた尾崎を攻略するため、
法政二高の 田丸仁
監督は打者に外角のストレートとカーブに的を絞らせ、一挙4点
を奪い勝利を決めた。その後も勝ち進んだ法政二高がこの大会を制した。
(2)1961年センバツ 準々決勝
法政二高 3-1 浪商高 (勝)柴田、(負)尾崎
※「事実上の決勝戦」とも言われたが、イレギュラー打球の不運などもあり、浪商高
は再び法政二高の軍門に降った。その後、法政二高はこの大会でも優勝した。
(3)1961年夏 準決勝
浪商高 4-2 法政二高 (勝)尾崎、(負)柴田
※「打倒、法政二」「打倒、柴田」が浪商ナインの合言葉だった。燃えに燃えて臨んだ
この試合は延長11回の末、三度目の対決でやっと初勝利。そして浪商は決勝も勝利
し、この大会の優勝を決めた。
(参考:『甲子園-名投手物語』 鈴木俊彦著、心交社刊)
■高田繁の「人となり」(人物評)
長嶋茂雄
がみた「高田繁」評。
「オレの後ろにもう一人三塁手がいたよう」「高田の魅力は内野手より外野手でしょう」
(高田のレフトの守備の巧さに対して)
川上哲治
がみた「高田繁」評。
「実にスマートな生き方をした選手。自分勝手に気ままにやりながら誰からも憎まれも
嫌われもせず、逆に良く好かれていた。努力も相当したんだろうけど、彼には努力の
跡はまるで感じられず、ただいい選手だったと言う事だけが強く残っている」
荒川博
がみた「高田繁」評。
「言われたことは何でも『ハイ!』と素直に聞いてくれたが、試合になると結局元に戻って
いた。もしかしたら守備に比べたらあまりまじめに取り組んでいなかったんじゃないかな」
島岡吉郎
がみた「高田繁」評。
「高田を怒る理由を探しても何も見つからなかった」
星飛雄馬
がみた「高田繁」評。
星が高田と初対面のとき、ルーキーの高田のことをこう評した(高田と星は同期である)。
「盗塁では柴田勲のライバル、新人王争いでは花形満のライバルになるだろう」
(引用:星飛雄馬のみ「あの人検索SPYSEE」、それ以外はwikipediaより)
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