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ドイツ語でジャズを歌う歌手を聞きに、コンサートホールまで二人で歩いた。そもそものはじまりから、ドイツ語の響きが嫌いだった。演説と議論と喧嘩にしか、ドイツ語は向かないと思っていた。音楽とドイツ語は、思いつく限り最低の組み合わせだと信じていた。彼の歌を知るまでは。そういうわけで、クラシック以外のコンサートに行くのは、今夜がドイツで初めてだ。入り口を入ってすぐの長蛇の列は、もちろんビール購入待ちの列だ。気温が20度以下でビールを飲みたいと感じたことがいまだかつてない私には、ドイツ人のこのビールに対する激しい欲求は、いつまでも世界の不思議のひとつだ。振り返ってみればドラちゃんは既に、列の中の一人となっている。すばやい。ぐるりと建物内を一巡してみる。無口なその心の中に熱い反バイエルン魂を燃やし続けている北ドイツのわりに、売り子によってさばかれているのはブレッツェルだ。ミュンヘンを愛してやまない私は、バイエルン文化への敬意をこめて、やたらと高いそれをひとつ、お買い上げ。「ビールいかがですか」でもなく「この線からさがってきちんと並べ」でもなく歌手のポスターが声高に売られているでもなく何か音楽が流れているでもなく、日本人の私には例によって異様に静かに感じられる、ドイツのイベント会場。やがて歌手が現れ歌い始める。最初に彼のCDを贈ってくれたのはドラちゃんだった。ミュンヘンでの通学の朝晩にくりかえし聞いた。大好きな一曲が始まる。ああここのところのこのドイツ語の響きが好きだなあと思う。今だってやっぱり、明日にでも日本へ帰れるものなら帰りたいと、毎日毎日泣きたい気持ちをのみくだす。それでも。明日の飛行機で今すぐ帰れるわけではないのだったら、こういう瞬間を紡いでゆくしかないのだろう。ドイツの何かについて、ああ好きだなあと思える瞬間を、あつめてつなげてまたあつめて、そうしていつかどこかへ行き着ける日まで。
Mar 6, 2008
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「君の香りに、僕はいつでも春を思うよ」。湯浴み後そのままの私をベッドに迎え入れてドラちゃんは言う。このまま何ヶ月でも冬眠してしまいたい私にすら、春を見てくれるドラちゃんに感謝する。6ヶ月のフルタイム企業研修がようやく終わった。渡独して2年半、走り続けてきたように思う。ドイツ語を習い、大学へ戻り、そのためドラちゃんと離れミュンヘンへ移り、遠距離婚をしながら教会式を挙げ、直後にドラちゃんの街へ戻りまだまだ覚束ないドイツ語で働いた。私のなかにあるものをすべて使い尽くしてしまったような疲労感で、そのまま一週間眠った。目覚めてみれば春の気配だ。明けようが暮れようがただただ暗い中、京都へ帰りたいとそればかり願いながら通勤電車に立ち尽くしていた冬の日々から、確実に時間はそこに刻まれていた。刻まれた時間のうちに、友人たちは子を産み、あるいは結婚し、転職をして別の街へと引越し、ドラちゃんは少し出世をし、同級生の何人かは卒業準備を終え、そうして私は何ができたのだろうかと問う。語る言葉を取り戻しつつあるように感じる今、また走り出してしまう前に私自身に問うてみる。深く深く、呼吸をしてみる。
Feb 28, 2008
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ウェブカメラの画面の向こうで、ぷりぷりとした卵に閉じられた肉厚のトンカツが、箸でつままれアップになる。カツ丼の匂いがただよった気がして、思わずつばをのむ。「あーオイシイ。今日は日本酒も買っちゃった」カツを口に運び運びして、ドラちゃんが自慢気ににんまりする。和食の作り方を教えろ教えろとせっつく胃袋日本人のドラちゃんだが、いざ料理の段になると教える手間隙と時間とが惜しく、ついつい、また今度ねと先延ばしにしていた。私が南に戻って2週間、和食への思いが絶ちがたく、いつになるかわからない私の指南を待つのはやめて、自分で作ることにしたようだ。料理酒からこんぶ出汁までそろえ、レシピをながめながめして作ったというカツ丼は、なかなか本格的で私の食欲もそそる。次はから揚げに挑戦というから、次回の北の街帰省にむけて期待が膨らむというもの。カツ丼2人前を完食したら急に眠気が。。とソファに移動するドラちゃん。私はといえば、学期が始まって2週間、土日なしの一日10時間労働が明日で3週間目に突入だ。北の街で過ごした春休みは、あのソファで一緒にご飯が食べられたんだなあと、感傷にひたる一秒の余裕もなく、ウェブカメラを開いたままで、作業に戻る。そして日曜日、もう夜になってしまったとパソコンの前でいそぐ私に、一通のSMS。「今日の夕飯は、うどんとシュウマイ。ドラ」。なんとも言えない組み合わせだが、添付された写真からまた、湯気と匂いがたちのぼった。
Apr 29, 2007
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外出日和の日曜日だ。晴れた日のドイツは美しい。ここにドラちゃんがいたなら一緒にできることがたくさんあるのに、と思う。郊外の湖に行くお誘いが来たけれど、今学期中にカリキュラムを終えてしまうことにしたため、湖へ行っている場合ではなくなった。進学を決め南下する直前にドラちゃんに言われた言葉を思い出す。「誰に強制されたわけじゃない。自分でそうするって決めたことを、決して忘れないようにね」。どこまでもその通り。今日は太陽を諦めて、机に向かう。
Apr 22, 2007
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ドイツ暮らしでいらっとするとき。人ごみ歩行術を知らないドイツ人たちにまじって週末の街を歩かなくてはならないとき。最小170cmのドイツ人女性の集団に前をふさがれてダンスのインストラクターのステップがどうにもこうにも見えないとき。同じ売り場にいるくせに店員ごとに答える料金がまちまちなとき。サッカーの試合前の地下鉄にのらなくてはいけないとき。ドイツ暮らしで悲しくなるとき。スーパーをはしごしても新鮮な野菜がみつからないとき。ショッピングに来ても服をみればみるほど購買意欲が落ちてゆくとき。たまにはチョコかクッキーかケーキ以外の甘いものが食べたいなと思うとき。ドイツ暮らしでうんざりするとき。乗るたびに鉄道があれやこれやとちょっとした理由をつけて遅れるとき。尊大この上ない独占電話会社にふりまわされるとき。閉店10分前のスーパーで入店を拒否されるとき。いつかドイツ暮らしの素晴らしさを語りたいものだとは思うのだが。
Apr 20, 2007
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ドイツでは春夏が結婚式シーズンだそうで、結婚話がつぎつぎ舞い込む。ウクライナ人のマリヤは、ロシア人の婚約者との結婚手続きの煩雑さに、ドイツでの結婚を放棄、デンマークで入籍することに。陽の光に金色の髪をゆらゆらと揺らし、疲労をにじませながら、でも微笑む。アメリカ人のジェインは、ギリシア系の素敵な姓と別れ、ドイツ人の婚約者のどこまでも平凡な苗字をもつのだと言う。どうしてと尋ねると、くるりと反り返る長く濃い睫にいろどられた瞳を驚いたように見開き、「だってそれが当然のことだから」と、あっさり口にする。スロヴァキア出身のエレーナは、招待客200人のパーティの準備にてんてこまいだ。きれいなコーヒー色の額に皺をきざんで、学期末レポートをいつ仕上げるべきか悩んでいる。婚約者がかわいくて仕方のない、ドイツ人のロランは、二人が同じ姓を持つことの重要性を力強く語る。「家族になるわけだからね」と。結婚は何を意味するのだろうと、改めて考える。私にとっての結婚とは、ドラちゃんにとっての結婚とは、そして私たちにとっての結婚とは。よくわからないままに入籍し2年が過ぎたけれど、挙式を控えた今も、まだはっきりしないままのように感じ、考えてみる、ひとりで過ごす春の宵。
Apr 19, 2007
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「世界一の笑顔に」。CDジャケットの裏書を見つけて泣けた。南の街へ戻る電車のなかでのこと。北の街へ滞在中、ひとりのジャズ歌手に恋をした。「こんなときめきはあなたと恋に落ちたとき以来」はしゃいでCDを買おうとする私を、ドラちゃんはそのたび止めた。あれこれと理由をつけて。そうして帰路の鞄に、私はそのCDを見つける。裏書は、見慣れたドラちゃんの筆跡。もしやと確かめれば、CDは携帯にダウンロードされ、隣にイヤホンが添えられている。最大のヴォリュームで聴き始める。ふたりでいくども通った、電気屋でのあれこれを思い出す。外はもう、限りなく春だ。菜の花があざやかな黄を誇り、どこまでも、どこまでもひろがる。ドイツ語ではラプスというのだと、いちどドライブにでかけた際にドラちゃんに教わった。黄色があふれ、ジャズボーカルがあふれる。ああ毎日もっともっともっと微笑んであげることもできたのにと、もうどうにも仕様のないことを悔やむ。時速120キロで黄色の海を駆け抜けながら。
Apr 19, 2007
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放置しておいたレポートにいよいよ本腰を、という絶妙なタイミングで、ドイツにも春が来た。夏時間への移行にぴったり合わせて。渡独以来私は、青空が広がると室内にとどまっていられない症状を抱えてしまった。このときの焦燥感といったら泣きたくなるほどで、この瞬間を逃したら次いつ太陽を浴びられるかわからないという思いから、一秒たりともじっとしておれなくなる。そういうわけで、いちばん陽の高いときを狙って家の前の巨大な公園をジョギングするという贅沢をしてみた。働いているときにはできない贅沢。帰宅したドラちゃんと夕方もう一度、その同じ公園を散歩する。夏時間マジックで、日没までまだ間があるものの、木陰になっている道にはもう陽が射さない。脚の長さの違いにより、散歩の道筋はなんとなくドラちゃんがリードするかたちだ。陽のあたる道ばかりを歩いていることに気付く。「だってゾンネは日向を歩きたいに違いないから」、ドラちゃんが微笑む。日焼けするとすぐに肌を痛めるくせに、私のために陽のあたる道を選んでくれるドラちゃんのやさしさ。真夜中、月の光の明るさで目覚めた。カーテンのない寝室の窓から、冷たい光が私たちを白く白く照らす。ねえ月が綺麗だよと、口の隣にあったドラちゃんの耳にささやいてみる。ううんと不明瞭な音を発して、私を抱えなおして眠り続けるドラちゃんの体温の高さ。こういう幸せがずっとずっとここにあればいいのにと願うけれど、南へ戻らなくてはならない日まで、あと少しだけ。
Mar 27, 2007
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活きのよさにはもちろん眼をつぶって、アジアンショップでえせ食材をそろえ、手巻き寿司をしてみた。「あればうれしいけどなくてもやっていける」という関係を日本食と既に築いた、在独7年目の友人と、そのできたてほやほやの6つ年下アメリカ人彼氏と、胃袋日本人のドラちゃんと。南の街での学期中には、とうていできない贅沢だ。食器も台所のスペースも時間も気持ちの余裕もない。あるのは各国人からの「スシつくれ」リクエストのみ。あくる日平日だったけれど、日付が変わるまで食べて飲んで話した。二人を送り出してしんとした居間のソファに座っていると、ドラちゃんが膝に顔を埋めにきた。「4月になったらまたひとりになっちゃう。。。」、呟いて一層強く鼻を押し付ける。2年のカリキュラムを、1年目の来学期で終わらせるという暴挙にやはり挑戦してみようと、ずっと迷っていたけれど、そう決めた。
Mar 23, 2007
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懸案の、結婚式の髪のセット。披露宴会場おすすめの美容院に、ともかくも予約をいれる。H音の抜け具合から、「美容師さんフランス語圏出身者疑惑」が浮上。「それはよかった、モードの本場じゃないか、ドイツ人美容師よりはましに違いない」ーポジティヴ思考のドラちゃんの反応。「電話の感じではドイツ語がわかりにくかった、フランス語なまりのドイツ語と日本語なまりのドイツ語とで、意思疎通が可能だろうか、いや不可能だろう」-ネガティヴ思考の私の反応。ともかくも。「ドイツ語単語帳美容院バージョン」を急遽作成し、これでもかとヘアカタログを用意して、しつこいくらいに準備万端で、「初美容院@ドイツ」へと乗り込んだ。結果は吉。案の定フランス人と判明した美容師ローラン氏は、プロだった。伝えたいイメージを、文句なく的確に理解してくれる。理解した上で、イメージ以上の仕上がりにしてくれる。細かい部分の丁寧さは日本の美容室並みの水準だ。「癖毛・剛毛・多毛」の三重苦に傷みまで追加された私の髪を、見られるレベルに苦もなく持ってきてくれる。ああそしてメイク。小型トランク程度のメイク道具一式をパカンとあけたその手つきに、「これはできる」と既に確信。プロのメイクはピンキリだ。自分でしたほうがよかったなと思った体験数え切れず。ローラン氏は違う、再度、本物のプロだった。メイクが始まった瞬間に、この両の手にすべてを委ねようと、鏡を見るのもやめたくらい。私のドイツ語で可能な最上の賛辞を送るにつけ、さらっと一言、「18年間、コレクションのメイクを担当していたんですよ」。。。。その場で結婚式当日のすべてを予約した。多毛ゆえにとにかく崩れやすい。その点が心配心配としつこく言い続ける私にローラン氏は言った。「大丈夫、絶対崩れない」。そしてそれは真実だった。実験と称し「クラブでサルサ3時間」でその日を閉めてみたところ、優に15時間、ローラン氏作品はびくともせずに美しいままだった。私の日常メイク必須アイテム「マスカラ下地」に強い関心を示していたローラン氏に、日本から持ち込んだうちの一本を、当日お礼に進呈しようと思う。
Mar 12, 2007
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あれこれ考えすぎて構想の半分も実現できない、とは、小学校4年生図工課題であった「狐のペーパーナイフ」を目にしたときの、母による私の性格評だ。その通りの人生を歩んできて、その通りの日々を更に積み重ねてもいる、結婚式に関してのこと。パーティ会場がようやく決まった。メニューの試食もしてみた。が。節約のため招待状はEカードにしようという私の妙案は、貧乏くさいとドラちゃんに却下され、日独文化役割分担がここ最近逆転しつつあるのを感じる。ドラちゃんのスーツ購入についてだが、結婚式にはモーニングは着ないもの、とマリッジ雑誌の該当ページを開いて本人は強調するが、それならいったい何を着るのか?原始的にパワーポイント使用を許可してくれさえすれば、お決まりの「披露宴スライドショウ」をちゃっちゃと作成してしまえるのに、私は名前も知らない、より高度なソフトウェアの使用が技術担当者ドラの意向だ。結婚式当日を含み実質滞在日数5日の旅程で、北ドイツからライン沿いを下りたいのだと母は主張する、その口でベルリン行きはもちろん欠かせないとか言いながら。それにしても、日本人美容師のいないこの田舎町で、日本人美容師すらもてあます、「クセ毛・剛毛・大量」3重苦の私の髪をどうにか花嫁ヘアにもちこんでくれる腕のよい美容師など、どうして探したらよいものか。「ゲストに引き出物なんか出すわけない、アレは金満ニッポンの嘆かわしい習慣だ」それはドイツ全土における普遍的事実ではなく、むしろドラの個人的意見だと、早めに気付いてよかった。「ホッホツァイト2月号」によれば、「ゲストへのお土産は一人あたり2ユーロから。小さいお菓子なんかがよいのでは?」だそうだから。2ユーロというところにドイツらしさをひしひしと感じるものの、ゲストへの贈り物という習慣が全くないわけではなさそうだ。「カネだけだしてもらえることなどない。カネもクチも出されるよりは、どちらも出されないほうがマシ」妹の慧眼はおそらく真実なのだけれど、普段暮らしていないドイツの街で、ドイツ側の親戚による手助けほぼゼロで、結婚式を準備するという試みは、なかなかに鬱陶しい。今日のお題は、馬車の手配だ。
Mar 5, 2007
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腕のなかには君がいて、食卓にはテンプラとビールがあって、たまらなく幸せだと、食事中の小休止にソファで私を抱いてドラちゃんが言う。天麩羅が、たまらなく食べたかった。南の別宅に居れば日本食レストランに行けばすむ話なのにと恨めしく思いながら、帰り着いた北の本宅で、田舎の不便さを嘆きながら、買い物から始めて支度をする。日本に居たころは、揚げ物などしたことがなかった。天麩羅にいたっては、これが人生初になる。天麩羅は、実家では父の担当だ。牛蒡をたっぷり使ったかき揚げや、海沿いならではのふんだんな魚介類を、おしげもなく揚げる父の姿を二人で懐かしむ。日本で甲殻類に恋したドラちゃんは、スーパーで魚介類の値段と食欲との葛藤にしばし戦う。戦い敗れて、冷凍の魚介ミックスと牛蒡と人参の変わりかき揚げというメニューに、今夜の胃袋は決定された。ドイツの牛蒡は皮がやたらと硬い。厚い泥と硬い皮という二重苦を克服し、おいしいところに辿り着くまでが相当な手間だ。天つゆ用の大根をすりおろす私の隣で、ドラちゃんが1キロ分のドイツ牛蒡の皮を、もくもくと、ひたすら剥き続ける。10分もあれば食べ終えるドイツ流の食事は、私の食い意地を前に、日本時代にすでに我が家からは追放済みだ。お腹が落ち着いたらまた食べるのだと、右手で自分の胃の辺りを、左手で私の髪をドラちゃんが撫でる。そのとき、ここのところ南の街で、何をどれだけ食べても空腹だった理由が、すとんとあっさり腑に落ちた。ドラちゃんの高い体温と、両手を真っ黒にしながら牛蒡を剥いてくれるやさしさにすっぽりとくるまれて、こうしてようやく満たされたと、油くさい二人のアパートの空気を、深く吸った。
Feb 27, 2007
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ドイツでのウェディングドレス購入はまだまだ続く。☆店員は中立地帯何十着も試着していると、果たしてどれが似合っているのかわからなくなる。店員はプロだ。何百人もの花嫁候補を見てきたその鋭い眼ならば、私の迷いをふきとばすアドヴァイスを期待できよう。どれが一番似合いますかと尋ねてみる。一様に帰ってくる返事はこうだ。「お客様が心地よく着られるものが一番です」。実際迷うたびに店員は言う。「どっちのほうが心地よい?どっちのほうがいい気持ち?」「ドレス」と「心地よさ」とが、コンビネーションで使われるべき単語とは。はっきり言ってドレスなど、どれも重くて締め付けられて心地よさなど、どれにもない。そして何より、そんなことより少しでも細く美しく見えるものがどれなのか教えてくれ!という心中の叫びを押し殺して、いつも私の服装について的確な判断をしてくれた実妹が今ここに居てくれたならと、切実に願った。もっとも、ドレス候補の写真を見た実母の言葉が、ああ言うしかなかった店員の苦悩を指摘しているのかもしれない。母曰く、「・・・中身が中身だから、どれも似たりよったり。どれ着ても一緒」。
Feb 18, 2007
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ウェディングドレスのテーマは3つあった。7月の教会挙式に向けて。1.色はアイボリーアメリカに住む友人の届けてくれた「Bride7月号」によれば、「黄色人種は、オフホワイトよりもアイボリーが映える」そうだから。2.二の腕カバー昨夏帰国時に試着を重ねた、日本のショップの店員さんによれば、「二の腕カバーしたい場合は、むしろ袖で隠そうとするよりも、いっそ思い切って出しちゃったほうがいいですよ~」ということで、「いっそ思い切って出しちゃう」タイプ。3.コンセプトは、「シンプルでもゴージャスそしてエレガント」「シンプル」-ごちゃごちゃした飾りがなく、「ゴージャス」-でも素材でゴージャス感を演出し、「エレガント」-外側だけでも品の良さを。夢を見ていられたのは、日本での試着時までだった。ドイツでの現実に目覚めたのは、ショップ13件目総試着数50着を超えようというくらいのタイミングだっただろうか。見えてきた現実とは、こういう感じだ。☆素材でゴージャス感を出すにはゴージャスな予算が必要だ考えてみれば当たり前。☆ドイツでプリンセスラインは難しいプリンセスラインが、ドラちゃんにも店員さんにもいまひとつわかってもらえない。カタログでもなかなかみつからない。図解したところ、ドラ妹がひらめいた。「ほら、あれ、"Toilettenpapierpuppe”のことじゃない?」。一昔前、トイレットペーパーホルダーとして、プリンセスラインのドレス(大きく広がったスカート部分にペーパーが収納される仕組み)を着た人形が各家庭のトイレによく設置されていたそうだ。「君が教会のドアを開けた瞬間、客は皆Toilettenpapierpuppeをイメージしてしまうから、そのラインはやめたほうがいい」。大爆笑ドラの言。物議を醸したプリンセスラインについて、私なりに別見解も出してみた。ドレスは重い。試着だけでもどっと疲れるくらいだ。披露宴2時間の効率的な日本での結婚式なら、プリンセスラインも耐えられよう。しかしドイツでは、披露宴は朝まで続く。時間単位の会場料金を披露宴会場のホテルマネージャーに尋ねた私は失笑された。「そのような料金設定はございません」と。そしてその一日がかりの披露宴中、花嫁は座っていればよいわけではない。もちろん踊らなくてはならない。そういう過酷な条件下、ドイツ人の合理的精神は、プリンセスライン却下に至ったのではなかろうか。「ドイツウェディング事情」考、次回に続く。
Feb 16, 2007
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怒りという感覚を思い出したのは、今日の午後のこと。寮担当の契約担当者に英語での契約内容説明を拒否されたので、一緒に来てくれと頼まれ、ドイツ語初心者の中国人シュアンに同行した。賃貸契約書などドラちゃんに尋ねなくては私も理解できないが、わからないことは尋ねて説明してもらえればなんとかなるだろうという観測のもと。「じゃこれ読んで」と契約書を手渡され、一言質問した途端、「あなたのドイツ語は完璧じゃない。ドイツ語が完璧で中国語を話す人が来ると思っていたのに。それだったら私がこの子に英語で説明したほうがマシ。」「完璧じゃく」ても一生懸命理解しようとしている外国人、しかも曲がりなりにも客に対してこの発言、そもそも英語を話すならはじめからシュアンに英語で説明してあげたらどないやねんこのオバハン!と怒り心頭、言い返した。「もっっっろん私のドイツ語は完璧じゃないけどそれが何か???彼女に英語で説明しないということだったので一緒に来たんです。英語での説明が可能であればぜひぜひそうしてくださいな!!」オバハンしぶしぶ英語で説明を始めたが、シュアンの質問を理解しておらず話は食い違うばかり。終いに担当者は私に向かってのドイツ語説明に切り替えた。渡独以来、ドイツに関してぐちぐちぼやぼや文句は言っても、こと対人関係に関する限りドイツで不愉快な思いをしたことはなく、それがこの国の類まれなるすばらしさだと手放しで賞賛していた。そのことの確実さは、私自身がからだを張って知り得てきたことで間違いないが、今日の午後の寮事務室の対応も、また一面の事実だ。今日まで怒りを忘れていられたのも、私が「ドラちゃんに守られた外国人」であることや、単純な運の良さに起因するのも確かだろう。「ドイツ人」の、相手に対する率直さや寛容さという人間性をどれほど私が高く買っていようとも、外国人として外国で暮らす限り、こういうことはきっとまた起こる。そこに沸く諸々の感情をいかに生きるのかということも、外国暮らしのテーマのひとつなのだろう。いずれにしても、あのオバハンを黙らせるくらい「完璧な」ドイツ語習得に向けて、更なる精進を怒りとともに誓った、今日の午後。
Feb 14, 2007
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「ドイツ人は踊れない」という、私の密かな5年越しの仮説は、確信へと深まる一方だ。半年のブランクで増やした脂肪によりハイインパクトがあまりに苦しいので、初心者向けのエアロビクスに出てみた。ほんとうにほんとうに基本ステップだけで構成されるクラスなのだが、同じステップを右から左に変えただけでばたばたと動きがとまる。ステップを経て定位置に戻ってこれないため、次々にぶつかる。そして何より、誰も楽しそうでない。ジムを決める前には何件もまわり、エアロビクスのお試しレッスンを受ける。どのジムでも、北ドイツでも南ドイツでも、明らかに私よりずっと若い人たちの参加している大学のエアロビクスコースでも、この法則は変わらない。観察したところ、「リズムあるいはメロディーに的確に合わせた身体の動きをする」ということが、彼らは苦手なのだろう。いわんや、「音楽にのって身体が自然に動き出す~。。」のような現象は、ドイツ(人)でまだ眼にしていない。コンテンポラリーダンスなどによい仕事があることと一見矛盾するようだけれど、やっぱり、ドイツ人は踊れない。ちなみに言い尽くされていることではあるが、彼らの筋力と総合的な体力は生半可ではない。「銃をかついでひたすらノルディックその後射撃」というあの恐るべき冬のスポーツに圧勝したり、集団で干潮時に沖合いの島までひたすら歩き満潮になる前に歩いて戻ってくるという苦行としか思えない行為(@北ドイツ)が「楽しい週末の過ごし方」であったり、ひと踊りしてへばりつつある私たち外人集団を尻目にパーティ開始時から夜明けまでひたすら立ち続け飲み続け喋り続けたり、私の筋力と体力と根性とでは、そういうことは、到底無理だ。両立はしないというところか。
Feb 13, 2007
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上海っ子のシュアンと二人で、寮やらアパートやらを見てまわる。学生のあふれるこの街の寮はどこも、申し込んでから1、2年待ちがザラだ。シュアンは半年前に申し込んでいるため希望が持てるものの、家主の都合で突如解約となった私の状況は悲惨だ。住居不足を嘆くうち、私たちの住居探しを心配してくれているヨーロッパ人のクラスメートたちの前ではとうてい大きな声では言えない結論に、二人で到達した。「住居不足の理由は上層空間活用が非効率的なためだ!これがアジアなら(上海もしくは日本なら)、とっくに高層ビルをばんばん建てているだろう」。何しろどの建物も、せいぜい5,6、階建てがいいところ。「このすべてが30階建てなら、あたしらこんなに苦労することもあるまいに」二人で嘆く。確かにドイツの町並みは均整がとれており美しい。それも都市計画において様々に規制している故こそだということもわかっている。広々とした「公園」(私にとってはすでに森だ)を、誰にぶつかることなく犬連れで散歩に励み、5階建てにそろえられた建物が整然と並ぶなか、悠然と家路につくドイツ人だちは幸せそうだ。それでもせめて、都市の範疇に入る街くらいは、ビルを建ててみてはくれないだろうか。私たち貧しい留学生が、「家探しストレスフリー」で勉学に励めるよう。起こり得るはずのないことを知りながら、アジア化したドイツの街を、シュアンと二人、疲れた頭でぼんやり夢想したりする。
Feb 12, 2007
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深く深く息を吸い込み、ひとおもいに潜水していた、25メートルプールの青を思う。そういうふうにして、大学院の最初の学期が終わった。くたくたとくずおれる身体を甘やかして、終日小さなシングルベッドを出ない。やはり、南はいい。冬晴れの空を仰ぐたび、綿々と続く北ドイツの曇天とそれとをくらべ、南下できたことに感謝する。強く青を印象づける空をそのたび四角く切り取って、北に居るドラちゃんの携帯に送る。ミュンヘンは今日も快晴よと、タイトルをつけて。授業のある毎日の戦闘モードを抜けるや否や、それでも今すぐにドラちゃんのもとへ帰らなくてはと焦る。帰り着く先が北であっても、そこには私専用の、あたたかな胸と腕と、私の頭のかたちに馴染んだ肩とがある。そのすべてに全身をあずけるときの、それだけでその瞬間完結してしまうあの安らぎ。はやくしなければと、内から焦りがこみあげるのをなんとかなだめる。締め切りの迫るレポートを仕上げ、新しいアパートを見つけない限り、帰ることができないことをわかっているからだ。そして、夏に決まった、私たちの教会挙式。「結婚式フェア」でカップルの波の中ただひとりシングルチケットを買う身のおきどころのなさを、ドラちゃんは控えめにこぼす。シングルチケット購入にドラちゃんが慣れてしまうまえに、急いで、急いで帰らなければ。
Feb 11, 2007
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常時オンラインのパソコン、携帯2台、地下鉄路線の地図、ミネラルウォーター。この態勢で一日中待機しつつ予約がとれるや現地に直行する。これが私の家探しだった。家なんて、不動産屋に至れりつくせりでみつけてもらうものだと思っていたのだけれど。もちろんドイツにも不動産業者は存在する。しかし私の南下プランには、仲介手数料は贅沢すぎる。そういうわけでメインターゲットはWG、メインツールは無料のWGサイトということになった。1、自分の住む住居の空き部屋を貸したい人がサイトに広告を載せる→2、賃貸住宅を探している人が貸し手に直接連絡をとる→3、住居を見学する日時を決め見学をする4、貸し手は見学者の中から、今後共に暮らす相手を選択する。これがWGで住む場所を得るまでの仕組み。圧倒的な買い手市場であるこの街で、この仕組みの意味するところは二つ。1.貸し手に気に入られない限りホームレスのまま。2.運良く気にいられる確率は宝くじ当選なみ。サイト広告がアップした瞬間に貸し手に電話してももちろんつながらず、数時間後につながった時には100件以上の申し込み者の中からもう決めちゃったと言われ、なんとか見学にこぎつけても行ってみれば更にもう100人の見学者。これを繰り返すこと3日間、あくまで無料サイトのWG探しに固執し「君だっていつかは当選する!」と励まし続けてくれるドラちゃんを聞き流し、新たな戦略を練る必要性があることに私は気付いた。時既に遅しの感に疲労を増幅させつつ。
Oct 9, 2006
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オクトーバーフェストの真っ只中に、―600万の観光客が街を埋め尽くす―ドイツいちの住宅難を誇る南の街で、―9万強の学生のうち首尾よく安価な住環境を達成できるのは10%未満、統計によれば―新学期開始2週間前という最悪の条件下で、―ぐずぐず迷っているうちにそうなった―更には外国人というハンデをぶらさげながら、―お金を積めばある程度解決されるハンデとはいえ―格安予算で住む場所を探そうという暴挙に出た。2キロ痩せた。オクトーバーフェストだ。もちろんホテルが軒並み普段の3倍料金を設定する中で、ユースホステルすら値上げした上で満員だ。家を云々する以前にまず、その家を探すために街で宿泊する場所がみつからない。ようやく街にたどりつくや、ディアンドルと皮パンツの大群をかきわけるだけで一仕事だ。3日間の見学予約が15件しかとれていないと焦るわたしに、2,3件見学すればみつかるよとドラちゃんは自分の学生時代を振り返るが、ドイツ事情に詳しいのは当然ドラちゃんの方だという事実を差し引いてさえ、ドラ希望的観測は甘すぎるだろうという予感が一秒ごとに確信へと深まってゆく。ひとつだけ確かなこと。この家探しには、不安要素しかない。
Oct 7, 2006
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せめて明るい空を見たいと切なく願った。唇に触れ、髪に指をくぐらせ、そうしてドラちゃんは、プラットフォームの白線より一歩さがる。ドラちゃんの頭上、濃紺の空に、わたしは輝く月を見る、夜明けが近い。車内に持ち込んだ巨大なスーツケースを気にしてみたり切符に記された座席番号をたしかめてみたりして、痛みを紛らわせようと努力してみて虚しい。それはたかだか特急電車で6時間の距離なのだし、2年なんて1000日にすら値しない。言い聞かせ言い聞かせしながら座席番号64にたどりつき、空くらいせめて明るくなってくれるのを待ち、ただただ車窓に目あてつづけた。
Oct 6, 2006
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この街をでることになった。まだ冬がくる前に。どれだけ中へ中へと見入っても、できるかぎり遠くまで見渡してみても、そこへと導かれるべき道が、私にはまだ見えない。それならば今与えられた道からえらぼうと、もう一度勉強することにした。行き先は、南の産業都市か北の商業都市。そしてドラちゃんは、この街に残る。ドラちゃんさえも知らないことだけれど、ひとりで居ることのできないのは、ほんとうにはドラちゃんのほうだ。そのことだけが気がかりで、そのことだけに胸が痛む。私自身のためにここを離れると決めたのは私なのだけれど。
Sep 13, 2006
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「水曜日」という英単語が一瞬思い出せずにぎょっとした。約一月ぶりに英語で話した、今日の午後のこと。予備校時代の再来のような暮らしをはじめて一月が経つ。一日の半分をドイツ語の教室で過ごし、残りのうち半分を机に向かって過ごすので、降ろうが照ろうが最早気にもならない。ドラちゃんとの会話もドイツ語に切り替えた。眼と耳に入るものすべての意味が、めまぐるしいスピードで、日に日にクリアになってゆく。街が、行き交う人が、急速に意味と主張をもってあらわれてくる。そろそろ夢もドイツ語でみたいところだけれど、疲労しすぎて夢もみない。
Jan 26, 2006
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予定をうらぎって、どうやらあたしの目指す先は、隣街ではなくドイツの南の端っこになりそうな情勢になってきたことを知ったのは、数日前。ドラちゃんの職場のある、ここ北の端っこと、あたしが行くかもしれない南の端っことでは、だいぶん遠距離婚になるだろう。「隣街なら、毎週末会えるから、別居婚でも大丈夫!」力強く言っていたドラちゃんの表情が、さみしさで陰るのを見たくなく、数日ひとりで考えた。あたしの将来に好案件のためドラちゃんをおいて南下するのか、諸々を妥協してドラちゃんのそばにいるために北にとどまるのか。ひとりでもやっぱり南下しようと心に決め、顔を見ないようにしてドラちゃんに告げてみたのは、今朝のこと。「あたし、南にいくかもしれない」。振り向いてドラちゃんは条件反射のように即答した。「あ、じゃ、僕も」。腰が抜けるほど驚いた。南北の端と端とでは同居の可能性があるわけがないと頭から決めてかかっていたあたし。とにかく「一緒にいること」を守ることが、まず頭に浮かぶドラちゃん。その南の街にはドラ勤務先の支社があるそうで、ふたりで南下しようじゃないかと、ドラちゃんは楽しそうに言う。ああこの人はこうやって、日本にもはるばるやってきたんだったと思い出してみれば、腰が抜けるほど驚く理由はなにもなく、あたしのなかの硬いものがほぐされてゆくのを感じる。働き始めたばかりのドラちゃんがそう簡単に転勤できるのかとか、北ドイツしか知らないあたしたちが南でやっていけるのかとか、そういえば南って昨日の天気予報ではマイナス12度になっていたとか、いつものように、無意味に心配事の螺旋階段を上っているあたしの隣に、南にいったらスキーができるぞと、いつものように、現実を味方につけてしまう楽観論を展開するドラちゃんが居る。あたしがどこにいこうとも、きっと。やわらかくあたたかなものに、くるまれる。
Jan 6, 2006
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これでもうあと一年は、クリスマス~年末年始をやらなくていいことに、心底ほっとしているのはこの世界であたしだけではないはずだと信じている。そしてあたしは愛すべき日常へ、鼻歌まじりに戻る。鼻歌まじりに机に向かい、鼻歌まじりにジムへゆく。10年来、あたしは日常にジムを欠かさない。ほぼ街中のジムをたずねたその後で、両腕に信頼感のおける筋肉を備えたオーナーと握手をし、契約を交わした。さて、ドイツのジムだ。どの人もなんだかお洒落だ-なぜスポーツのときはお洒落なのか?「合同自転車こぎ」のコース(日本では人気がなくコースが消えてゆくのをよく見た)がどのジムでもメインだ-さすが自転車乗りの国料金設定に失業者割引がある-ドイツの底力を感じるあたし、むっとする納税者ドラちゃん夕方5時でもジムは会社帰りの若年層で満員-日本じゃみることのない光景ダンス系のコースが少ない-ダンスは別口でやるものなのだろうか?カップルで仲良く来ている人が多い-日本じゃあたしとドラちゃんくらいだった噂の混浴サウナには、その昔北欧人の友人からはじめて耳にしたときに期待したほどの、違和感も興奮もおぼえなかったけれど、太腿内側筋肉を鍛える新しいマシンに挑戦し、満足して帰路につく。少しずつつくられてゆく、あたしのドイツでの日常。それにしても、青空をもうここ何日も見ていないと、とっぷり暮れた帰り道で思う。せめてもの自衛策に、オレンジ色のペディキュアを塗る。ジムのシャワーで水しぶきに散るだろう、おひさま色を思いながら。
Jan 5, 2006
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台所に工事がはいるよと聞いて、騒音対策として今後数日間の図書館行きを覚悟し、工務店の作業服姿の工事のおじさんをなんとなくイメージして朝から待っていたわたしが、やっぱりまだまだ甘かった。「ドイツ人は自分でやる」、この大原則を忘れていた。それは簡単な工事ではない。何しろシステムキッチンの改造だ。シンク下の食器棚の一部を破壊して、そこに洗濯機を設置するという。一般人はまずそんなことできないし、そのための器具だって持っているわけがない。ドイツの一般人は違う。朝、あわられたのは、やたらと凝った道具一式を携えた、この部屋の所有者とその弟だった。入ってくるなり、今朝は重ね着3枚のわたしの前で、暑い暑いと半裸になる。何種類もの機械音を響かせて、なにやらどんどんすすんでゆく。もちろんそんな音、プロだけが出すのだと信じていた。きっちり2時間後、洗濯機はぴたりと納まり、棚そのほかは半分に縮められ、新しい引き出しには半自動ドアまでつけられていた。「ドイツ人は自分でやる」。知ってはいたけれど、それは趣味がDIYのドラちゃんの誇張もあるだろうと、話半分に聞いていた。今日からは、わたしのなかでもそれは事実だ。半自動ドアの性能のよさにうっとりしながら、人件費の高さゆえの自助努力というドラちゃんの説明を思い、技術家庭科の授業の課題「本棚」を最後に、かなづちなんて触ってもいないわたし自身を省みて、金持ちになるか技術を習得するかの選択を迫られていることにも気付いた、クリスマス前のわたしにはやっぱり寒いこの国の朝。
Dec 21, 2005
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悪夢を見た、と起こされたときの、ドラちゃんの反応が好きだと、まだカーテンがなく街灯に照らされる真夜中の部屋で思う。眠りのなかから、長い腕をわたしに伸ばし、「ここには怖いことも悲しいこともなく、君と僕とがいるだけだ」と言葉を着実に届ける。世界には、怖いことと悲しいこととをいくらでもみつけられるし、「君と僕」のなかにこそ怖いことと悲しいこととが生きていることを、わたしはひとときも忘れられないとわかっている。おなじくらいの強さで、ドラちゃんのつくってくれるあたたかな幻想なしでは、眠りに戻ることのできないこともわかっている。だからわたしは、忘れたふりをして、もういちど眠りにとびこむ決意をする。街にでる。空気の一粒一粒が、クリスマスをたっぷり含んでじっとり重く、息をするたびからだを満たす。クリスマスの忙しなさは、無宗教のわたしにも容赦がない。うっかりのせられて、きりきりとうごいてしまった昼間が暮れると、放っておかれたものたちが、夢のなかで息を始める。
Dec 20, 2005
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グリューワインのカップのふちを合わせたら、鈍い低音が響いて、また3人で笑った。今年のカップは長靴型で、私たちは、私たちの生まれ年と出会いとに乾杯した。クリスマスマーケット、ワイン屋台の片隅に、同じ歳の日本人の女が3人。一人は歩き始めた赤ん坊を膝にのせ、一人は結婚式を間近に控え、そして私は、風邪療養中のドラちゃんに頼まれたオレンジを買うことを、忘れないようにとちらっと思った。微妙な年齢で移住してしまったことの良し悪しについて、ときどき考えてみる。語学学校に行けば周りより少し年上で、主婦グループに混じるには若すぎる。そういうふうに思いながら、奇跡的に私たちはここで出会った。それぞれの喜びと憂いとを持ちよって、グリューワインに混ぜて飲み干した、くつくつと絶え間なく笑いながら。
Dec 11, 2005
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昼に。50cmのソーセージに、たっぷりと辛子をぬりつける。まわりのパンにしみこまないように、集中して。一口ずつ交替で、ドラちゃんと齧る。パリっとたつ音に、ドラちゃんが眼をほそめる。夜に。まずは山葵を注文する。はがしたネタを脇にどけ、シャリに山葵をのせてゆく。人差し指も使って、丹念に。一皿分ずつ値段を計算しながら、緻密なプランを立てて注文する。味噌汁は、ドラちゃんの分ももらうが、甘海老はゆずってあげることにする。食べることの、ひろがりとつながり。
Dec 5, 2005
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ドラママのちっちゃな赤いフォードは、もう古い。ところどころでエンストしながら、わたしたちは家具を買いにドライブした。はじめての街を、地図を膝にのせ、何度か迷って。ドラちゃんは、三角座りができない。脚が長すぎるから、膝が、座った顔の鼻先に来てしまい、バランスを失って倒れてしまう。今日こそはどうしても椅子が要る、と、鼻息を荒くして、開店前に家を出た。左側にドラちゃんを見るのは新鮮だと、助手席で思う。昨日つくった店のリストを開き、土曜日の閉店時間を確かめてくれと、ハンドルを握ったままのドラちゃんに頼まれる。地名を示すナンバープレートのアルファベットを読み上げ、どこの街なのかとひとつひとつをドラちゃんに尋ねる。土曜日で、街は、目にも耳にも静かだ。奇妙なところに行き着いたことの、幸せと不幸せとについて、考えてみる。信号で停まり、ドラちゃんの空いた右手が私の左手をくるむ。奇妙なところに行き着いたことの、現実感について、考えてみる。注文した椅子とテーブルは、7週間後に届くと言う。
Dec 4, 2005
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この国で働き5年目になる大学時代の先輩と、美術館とカフェのはしごとで、半日を共にした。わたしたちには、どちらの夫も、ドイツの北の果て出身という共通点がある。「この国で、外国人として、どういう位置づけになりたいのか、まだよくわからないんです。ドイツにすっかり溶け込んだドイツ人みたいな日本人になりたいのか、たまたま今はドイツにいるけれどいろいろな場所を転々とするようになりたいのか、いつかはどこかへ帰るドイツ滞在者になりたいのか」。先輩は、何杯目かの、夫たちの故郷のお茶を口にする。いつでもゆったりとした雰囲気を身に纏い、時間をかけて思いを言葉にのせる人だ。「そうねえ。。。。<こうなりたい>ってわかっても、なれたりなれなかったりするものだしね。」<自分にとって居心地のよい在り方にそのうち落ち着くのではないか>という示唆を結論として私に残して、先輩はふんわりと帰っていった。「自分自身に対して、もう少し寛容に辛抱強くなれないものか?」私が険しい表情を作るだびに、ドラちゃんは困ったように言う。何かがそうあるべき姿に<落ち着く>ことも、寛容さや辛抱強さも、そこには<待つこと>が在る。<待つこと>。これからの私にもっとも必要なことなのだろうと、ぼんやりと見えてくる。それでも。「今は学期の途中だからねえ。。」待ちきれずに、しぶる学校側を説き伏せて無理やり入った語学学校が、月曜日から始まる。
Nov 25, 2005
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この街の独日協会に行ってみることにした。ホームページには、住所と電話番号の代わりに、「Marktplatzにあります、すぐにわかるよ♪」、と記されている。そうなのか。そうなのだろうか?シンプルだ。そうでないことは、Marktplatzについてすぐわかった。とりあえず観光案内所を目指す。とそこに、和小物の店をみつける。店頭のお茶碗や箸に、眼が懐かしい。たずねてみる。誰も知らない。電話帳を持ってきてくれ、住所と電話番号は教えてもらえた。'Marktplatz1'。「マルクトプラッツ、アインス」。 番地をたどる。フィア、ドライ、ツヴァイ。4,3,2。その隣がなぜ十字路交差点になってしまうのか、立ち止まって考え込むと、たっぷりとしたおばさんが声をかけてくれる。一緒に探すこと数分、ありがとうと告げて出直すことにした。この街のことを、まだ何も知らない。携帯電話も銀行口座もまだ持っていない。瞳が大きく開き、背筋が伸びるのを感じる。見て、聴いて、触って、嗅いで、この街を知っていかなくてはならない。この街が何なのかを、私がどこに居てどこへ向かうのか、を。「マルクトプラッツ、アインス」から、まず。
Nov 22, 2005
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酒処の出自が泣けるほどに、アルコールを好んで口にすることはない。だから、週末は、私にできる、かなりの努力をしたと言ってよい。北ドイツの果てにあるドラ実家は、行けども行けども延びる平原にぽつりと立つ。そこで話されるドイツ語は私には聴き取りすらできず、残された唯一のコミュニケーション手段はアルコールだ。ドラ義母の誕生会は昼に始まった。飲み物はアルコール度数50%のシュナプスと決まっている。ドラ父に、弟に、知らない村のおじさんに、勧められるままに杯を重ねて、陽が落ちたことに気づいたときには、寝室にかつぎこまれていた。「いよいよ病院行きを覚悟した」とは、翌日のドラちゃんの弁。「あれだけ飲んでいたのに、吐きもせず、二日酔にもならず、あたしたち、ほんとに感心してるの」。ベッドを一晩あけわたしてくれたドラ妹が言う。ドラ義弟とは、葉巻を吸いながらクリスマスマーケットを歩く約束が成立したらしく、帰り際に念を押された。なんだかどれだけ着てもいつも寒くて、からだごと縮こまってしまいそうだけれど、からだを張って生きていかなきゃと思う。月曜日お昼前、ドラ妹にもらったジャケットを巻きつけて、とりあえずは、息の白い街に出る。
Nov 21, 2005
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ドイツ第二の都市を歩いているはずなのに自分が周りより華奢でお洒落なんじゃと錯覚できたり、ピンヒールでもなんでもなく普通の5センチヒールを履いているだけなのに石畳の隙間につきささるヒールをいちいち抜かなくてはならなかったり、ドラちゃんはTシャツ一枚でいる室内で温度最大にしている暖房器具に低温火傷しそうなくらい張り付いていても寒くてたまらなかったり、何かを収納しようとするたびに高すぎて手が届かなかったり、注文したあんかけ焼きそばが一瞬で高血圧になるんじゃないかと食欲を喪失してしまうほどしょっぱかったり、ドアのいちいちが重くて開け閉めに苦労したり、ドラちゃんが朝6時の真っ暗い中出勤するのを見送ったり、そういう諸々に、ドイツに居るのだということをひしひしと感じはじめた。そうそうドイツってこうなのよ、と、少しずつ思い出し始めた。新居にはまだ、ベッドもテレビもたんすも棚も、なんにもない。この一面に広がる日本からのダンボールの海を、整理しようにもやりようがない。午後にはドラ弟が、実家に届いた残りざっと150キロ分を届けてくれると言う。ということは、炊飯器と米とカレールーとうどんとトリガラスープの素が届くということで、すし屋と中華屋とうどん屋とケバブ屋で済ませていたためまだ一食たりともドイツ食をはじめていないけれど、既にうれしい。うれしいけれど鍋さえないことに気づいたりもする。とりあえずは、潰さないように苦労して持ってきた大福をほうじ茶でいただいてから、ダンボールとの格闘をはじめてみようかと思う。明日はドラ義母の50歳を祝う誕生会、あさってはドラ名づけ子の2歳の誕生会が予定されているらしい。ダンボールのどこかにあるはずの、プレゼントと土産を探し出さなくてはならない。
Nov 18, 2005
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力の限りにやってみたけれど母の姿を消してしまうことができなくて、エコノミークラスの小さな座席にきゅっと身を縮めうつむいた。ジーンズのインディゴブルーが、涙で黒く染まった。母が泣いた。いつのまにか分厚くなっていた両手で顔を覆い、子供のようにわんわんと声をあげて、居間に仁王立ちになったまま、母が号泣した。ドイツに行ってしまったら、もう何かあっても飛んでいってやれない、知らない国で知らない言葉が話されているから、行けたとしても助けるどころか足手まといになるだけだ、と、きれぎれに叫びながら。この人は決して泣かない魔女なのだと、子供のころから信じていた。私は魔女には愛されない継っ子なのだと、そのことも強く信じていた。私に何もしてあげられないことを全身で悲しむその姿にはじめて、魔力などはじめからなかったのかもしれないと、痛いほどの後悔で身動きできなくなった。日本で離れて暮らすことと日本とドイツで離れてくらすこととは、それなりの経済力さえ備われば、本質的には変わりはないと考えていた。母にとってはそうではなかった。日本から出たことさえない母にとって、私の移住がどれだけの変化を意味しているのか、一片の思いすら寄せてみなかった。魔力への恐怖感を言い訳に、私は何もしようとしなかった。母の姿と後悔とをからだの奥深くに抱えて、濡れそぼってゆくジーンズの布地の冷たさを太腿のあたりに感じながら、後戻りのできないスピードで、ドイツへと地球を半周する。
Nov 16, 2005
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もう決めてしまったことだし、そこから切り開いていくしかないことだし、言葉にすると事実になってしまうことだし、だから、口に出してみたことはなかった。多くの「もし」のどれかが現実だったならば、このままここに居たかった、ということを。84歳の祖父がゆっくりと問う。ドイツまでひとりで行けるのかと、飛行機で何時間かかるのかと、ドラちゃんは空港で迎えてくれるのか、と。そしてかみしめるように続ける。「だあれも知らないところに行くのは、いやだろう?俺だって、だあれも知らないここに移ってくるのは、いやだったもの。」ひとまとめにして片付けておくしかなかった、私の思いの中の迷いや不安や後悔に、祖父だけがまっすぐに目をあてやわらかく手で触れた。あわててうつむき刺身の一片を咀嚼した。「だあれも知らないところ」へ発つまであと一週間。「だあれも知らないところ」では、ドラちゃんが黙々と巣作りに励み、私を待っている。
Nov 8, 2005
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行き先が定まったわけではないのだけれど、ここを離れる日は延びはしない。ざわざわした気持ちのまま、浅い呼吸しかできないような体感で、こなす速度をうわまわる勢いでやるべきことが増えてゆくのが見える。たいしたことはしていないのだけれど。☆歯科医通い押さえつけられて削られた3歳時の恐怖心から、笑気ガス使用以外の治療は決して受けないと誓いを立てている私。渡独に備えて行き着けの歯科医を予約したところ、新人なのか、やたらと若く男前な歯科医師が現れ、一気に不安に。「腕、大丈夫か??」。。。偏見のおももくままに、やはり医者は、あまり美形でないほうがいい。☆日本食買いが抑えられずアパートを引き払う日も近づき、船便戦線も終盤に入った。仕事帰りにスーパーに寄る度に、「きっとこれもドイツじゃ高い」という呪文が頭をぐるぐるまわり、買いだめしてしまう。トリガラスープ、増えるワカメちゃん、切干大根、春雨、あらゆる種類のフリカケ、ひじき。。。。アパートには、ドラちゃんが数年前に買いだめしたまま賞味期限のすぎた、あらゆる種類のドイツのお茶がうんざりするほど残っていると知っているのに。
Sep 15, 2005
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スイスへ行ったこともドイツ語圏スイス人と知り合ったこともないけれど、スイスジャーマンを聞き分けられるようになりつつあるこのごろ、もちろん聞き取りはできていないわけだけれど。本日の上客は、日系某企業スイス支社社員ツアー。求められるままに「菊と刀」を古典コーナーから探しだし、日本の文壇の動向を解説しながら、初心者向けの、でもつぼを押さえた小説を何点か選んで薦める。夫には作務衣とじんべえの違いを説明しながら、妻には予算の範囲内で着物を見立てついでに帯の結び方も伝授する。寄木細工と樺細工の相違から東西の美的感覚の相違へと会話を広げる横目で、西陣織のスカーフをくれと言う難題に頭を悩ます。日本に対するそれなりの知識や関心や体験を持つ人がお客の日には、仕事場での一日の速度と濃度が増す。これらすべてをドイツ語でこなせるように一日も早くなりたいものだわと疲れきった頭で考えながら、明日のゲーテの宿題をする。前回の特訓は「形容詞」、習った形容詞を無理にでも使って、お気に入りの土地を紹介するという、お題。雨風吹き荒れる北ドイツの風物を紹介するテキストに登場した形容詞をどのように駆使したら、果たして私の愛するキプロス島の紹介ができるだろうか、悩み中。すべて否定形で作ってみるか(笑)。頭とからだのあちこちにさまざまな言葉が音のかたちで浮いている感覚。子供のころ言葉や音楽を習い始めた時期にいつもあったものだなと、懐かしさを覚える。からだがアンテナになるような感覚、その心地よさ。
Sep 9, 2005
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「安全のために、私たちはあなたの目をつぶして私の耳の中を焼くことに合意した」。'Folie a Deux'Rebecca Brown、邦題は、「私たちがやったこと」。ドイツへ送る荷物を選別するうちに、ふと開いた短編だった。互いに相手をいつも必要とするように、彼女の耳の中を焼き、彼の目をつぶしたふたりの物語。彼女は画家、彼は演奏家。互いだけが存在する他者である、完結した世界に生きようとした。これだけでは決してただしくないけれど、このこと自体はきっとただしい。「愛だけが、与えることを幸とする」。結婚祝いの深緑のカードに金の飾り文字で、ドイツ人の友人が記してくれた。これもきっと、ただしいことだ。「今の暮らしのレベルを落とす結婚は、やっぱちょっとできないと思うわ」。少し年下の同僚たちの結婚観は、ここのところで一致した。そしてこれもまたきっと、やはりただしいことなのだ。手放すことを覚悟したものを悔やみすぎて、遠くにあるものを渇望しすぎて、持たないすべてに欲情しすぎて、わたしは半ば、瞳が見えなくなりつつあるのではないかと恐れる。失えないものが何なのか、わからないふりを決め込みつつあるのではないかと。ドイツ滞在中のドラちゃんは電話の向こうで、すべてを聞いたあとポツリと、「息を深く吸って、頼むから少しリラックスして、枕にボクの香水をふりかけて眠ってほしい」とわたしに告げた。
Sep 7, 2005
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朝イチからの客は珍しく、英語に不自由のあるドイツ人団体ツアー客だった。ドイツ語に切り替えてはみたものの、ひとつひとつを考えなくては発語できないため、からだに錘をつけて動いたときのようにあとからどっと疲労した。「子供の服が20オイロ?高すぎるわ、そんなん何ヶ月着れるかもわからへんのに」ー子供用着物に心ひかれる初老の女性に、断固買わない姿勢を主張する夫の発言。「緑で桜模様のが欲しいんやけど、今見たら鶴のも綺麗やから迷ってきたわ」ーもういい加減疲れてきた夫に、生き生きした顔で相談している妻の言葉。「これ、洗濯機洗いできんの?水は何度にしたらいいのん?」ー日本の洗濯機の説明までしてらんない。。ともっとも効率的な説得方法を考えている私に浴びせられる、Tシャツに関するおばちゃんの質問。「どこでドイツ語習ったん?あとは何語がしゃべれんの?なんでドイツ語習ってんの?今はどこで勉強してるん?」ー妻の買い物に飽きてきたおっちゃんたちの、私への質問タイム。何がもっとも疲労を招くかと言えば、「相手の言うことはわかるけれども語彙が足りなすぎて答えられない」という、赤ちゃんがえりのもどかしさだ。今の私はまさに3歳児。言葉もでてきたし大人の言うこともわかるけれど、まだまだ言いたいことをじゅうぶんに伝えられない。姪のアナレナは2歳になった。その兄パスカルにはすでに追い越されてしまった、初めて会ったときはタウフェだったのに。せめてアナレナには勝ちたい、と、ゲーテのクラスは今回、「語彙を増やそう!ー中級者のための語彙レッスン」だ。ドイツ語圏からの帰国子女にまじって奮闘中。
Sep 4, 2005
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引越しをすすめなくてはならず、日本で買ってゆきたいものもそろえなくてはならず(ドイツ対応のバカ高い炊飯器を買ってゆくべきか?)、まだまだ続く結婚関係の書類作り(Familienbuchって今すぐ作ったほうがよいのだろうか??)もやめるわけにもいかず、進学準備の書類もあちこちにとりにいかねばならず、そういえば運転免許はどうしようかと今思い当たり、渡独前に歯科へも行っておきたく、かといって退職日まではまだまだで、在日ドイツ大使館は突然翻訳業務を停止してしまい、半分の労働を受け持ってもらえるはずのドラちゃんはスケジュールがずれこんだためいまだドイツで奮闘中で、そういう中で無謀にもゲーテの集中講座が始まった。申し込んだ2ヶ月前に、今の惨状を予測できていたならば決してこのタイミングでわざわざゲーテ通いなどしなかったものを。。。と言ってみたところであとのまつりだ。7月にドイツ語試験を受けて以来、文字通り一秒たりとも勉強していないことを知ってはいたものの、授業中「unglaublichってなんだっけ。。。?」とこころの中でつぶやいたときにこれはまずい、と青くなってみた。数秒後、「das Talの英語がどうしても思い出せない。。。」と悩んだときに、青くなってみている場合じゃない、と深刻さを認識した。ドイツ語について3歩進んで2歩さがり、英語をだんだん忘れてゆくなんて、頭の中身がどんどんほどけてゆくような恐怖感を覚えぞっとする。家の中じゅうが出された荷物でひっくりかえっていようと、毎日昼ご飯を食べる時間がなかろうと、職場で消えないクマを指摘されようと、しっかりたってふんばらないといけない、わたしの脚で。
Sep 3, 2005
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「結婚行事@日本」、詳細;京都での入籍+家族が来てくれて写真撮影と食事・・・日本髪の鬘の締め付けに失神寸前、 撮影終了後に提示された金額にまた失神寸前↓京都に友人が集まってくれてパーティ・・・「ほんとうにアナタを祝いたい人だけが集まってくれた、 ほんとうのパーティ」とはいつも辛口な妹の評↓故郷で親戚が集まってくれてパーティ・・・京都からの遠隔操作での準備かつ盆の真っ最中での無理やり敢行、 のため、見知らぬ美容院で二昔は前の髪型にされて笑いをとった が、ようやく終わった。手付かずの写真&ビデオデータやいただいたお祝いを、夫婦になったのねと微笑みをかわしながら順々に開封してゆく、などという贅沢はわたしたちには許されない。京都へ帰り着き、結婚関連グッズをとりあえずソファに避難させるや、ペリ○ン便に電話しまくることから、「引越し戦線」が幕を開けてしまった。 回転よく動くアタマとどこまでも軽いフットワークを要求される「戦局」を生き抜くことは、あまり得意じゃないのに・・・と口にしているヒマすら見当たらないくらいのスピードで。
Aug 18, 2005
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仕事帰り、まわりみちをして、閉店間際のパン屋に駆け込む。ドラちゃんの大好きなサンドイッチを買うために。「今日はあのパンあるよ」と告げるときの、自分自身のこころのあたたまりのために。「ただいま」とのっそり入ってくるなり、ジーンズのポケットを探る。広げた掌に、私のための水羊羹がひとつ。研究室で出されたその日のおやつを、今でもかならず持ち帰る。私が食べようとも食べずとも、かならず。こんな瞬間だけをつなげて生きてゆくことができると信じていたのは昔のことだし、こんな瞬間がどれほど貴重なものであるか今ではわかるようになってしまったくらいに、私たちの立ち位置は安定感に欠け、行き先の道のりは平坦でなく、そして何より日々の疲れとストレスとは尋常ではない。だからこそ、こんな瞬間を、一滴一滴甘受しなくてはだめなのだと知る。雫が集まってそのうちに、私たちふたりのこころを潤すように。そういうふうにして、次のよい時間へと、耐えて繋いでゆけるように。毎日、とまって何かを考えてみる時間もない。秒針の刻む音を背中に聞きながら、雨上がりに雫が一滴一滴落ちる音を聴きたいと、ざわつくこころに思う。
Aug 12, 2005
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自分のためにも、誰かに見せるためにも泣かない妹が、私のために泣いてくれた。深紅の百合が鮮やかなブーケを手渡してくれ、涼やかに見張った両の眼を真っ赤に染め、「ドラちゃんと出会ってからのお姉ちゃんは、ほんとうに幸せで」と小さな小さな声を贈ってくれながら。美人画ばかりを描き続けた、美しい名前を持つ故郷の画家の作品を2点、抱きしめるようにして父は来洛した。切れ長の目線を斜めに流し、着物の襟元に粋を誇る大正美人に託された、父の願いと思い。「結婚して渡独するときに持たせようと思って、昨夏から用意していた」それだけ口にした後父は、瞳で触れようとでもするかのように、その美人画を眺め続ける。わたしたちの小さなキッチンで、母はドラちゃんのためにひたすら料理を続けた。その手料理は毒入りに違いないし、その正体は魔女に違いないと、憎しみをつのらせた日々があったことを、未だ生々しい痛みとともに思い出す。魔力はおそらくもう、ずいぶんとおとろえてしまった。こうした思いに幾重にもかこまれて、わたしたちは結婚した。思いの一粒一粒が空気に重さをあたえ、部屋の空気はまだ、少し濃いままだ。結婚4日目。わたしたち二人の暮らしは何も変わっておらず、わたしたち二人の人生は決定的に変わった。故郷の伯父がシンプルな言葉で私に伝えたように。「幸せになる義務ができたんだ。好きで結婚したんだから」。濃い空気に呼吸が浅くなりながら、ドラちゃんと、そして愛してくれるすべての人々の思いを、全身にずしりと感じてみる。
Jul 21, 2005
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もちろん世界はやさしくなんかないし安らかでもないのだ。それでもそう信じることのできた瞬間にこそ価値があるのかもしれず、そういう奇跡に価値を認めるならばそれを生き抜いてゆくしかないのかもしれない。ドイツ語検定試験の口答試験では、二人の試験官が破格の微笑みでわたしたちの結婚を祝福してくれた。おめでとう、と、それぞれ10回ずつは言ってくれたはずだ。週2回のドイツ語学校では、先生の一存で最近教材が変更になった。新しい教材のテーマはどれもなぜか「結婚」で、恋愛と結婚と離婚についての語彙を極端に増やすことができた。職場では、少し前まで私も持っていた瞳を持つ女の子たちが、「そろそろ秒読みですか?」と、明るい声でたずねてくれる。祝いの言葉を浴びるほどもらって、入籍まであと一週間で、そうして、自分が誰なのかどこにいるのかどこにゆきたいのか、わからなくなり、ドラちゃんと出会って以来の日記を読み返し始めた。「ほんとはそうではないことを知っているけれど、ドラちゃんの腕のなかで、世界は限りなくやさしく安らかで、その奇跡を生きてゆけるほどに強くなりたい」と、ドラちゃんと恋をはじめたばかりのわたしが綴っているファイルで、今日は時間切れとなった。さて。入籍までに、間に合うだろうか??だいじなものが、またきちんと瞳に映るようになるだろうか。
Jul 11, 2005
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薬指の結婚指輪が水に濡れ、みるみるうちに細い細い一本の糸となり指にまとわりつく。暁の夢、こんなはずではなかったのにと、泣きたい気持ちで目覚めると、からだはぐっしょりと重い。ふたりで求めた結婚指輪は、まだ刻印もされぬまま桐箱にしまわれているのだけれど。見遣った薬指には、婚約指輪が変わらぬ輝きを放つ。卓上には、湯気の上がる番茶と、それぞれのパートナーから贈られた指輪の光る、わたしたちの両の手、4つ。2年ぶりに帰国した友人が、京都に私を訪ねてくれた日。昼下がり、ランチタイムもとうに終了した、和食屋で。夫への気持ちが変わったわけではなく、ただただアメリカ暮らしの過酷さゆえに考えた別れを、その都度乗り越えて今、静かに強く、彼女は言う。「ふみとどまることのできた理由を、ことばで説明することはできない。でも、ただやっぱり、夫を離れることはできなかった」。「ゾンネも、ドラちゃんを離れることはできないよ」。どのひとことも出せぬままに、それが、説明不可能な、しかし事実であることを、そしてその事実からは逃げられないということを、知っていると、私は思った。ふたりで涙を落としながら、かけがえのない相手と出会ったわたしたちが、とうとうたどりついてしまった場所のことを、ひたすら思った。ことばが、そのちからをまったく失ってしまう場所のことを。贈ってくれるという本の一節を、いちばん好きな言葉だと、彼女は指差す。"I may not have gone where I intended to go,but I think I have ended up where I intended to be."彼女の苦難のひとつひとつを思ってみる。築き上げたアメリカでの暮らしと成し遂げたことをまた、思ってみる。私の道はこれからで、長くなるだろう。いつか、この言葉を好きだと言えるときへと、行き着くことができるだろうか。
Jun 4, 2005
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親友に言わせれば、私はマリッジ・ブルーだそうだ。相手をめぐって生じるものではなく、状況をめぐって生じるものではあるけれど。1年ほど前に結婚することを決め、改めてその後、光の海の中で静かにプロポーズされ、半年かかって集めた書類がすべて整い、いよいよいつでも結婚できることとなった今、すべてを投げ出し諦めてしまいたくなる恐ろしいほどの衝動と、歯を食いしばって闘っている、毎日。尊敬する、姉のような友人がいる。そのしなやかな強さとやさしさとで、私に多くを与え続けてくれている人が。食いしばる歯がいよいよ欠けそうになるとき、彼女の送ってくれた婚約祝いのカードを開く。全面にピンクのバラが飾られたハート型のそれを。<本当にこれでよかったのだろうか、という自問はこれからもつきまとうのかもしれないけれど、ドラちゃんと居ることが、この先もあなたにとっていちばん大切なことであり続けることを、私は信じています>一文字一文字、確かめるようにして、何度もくりかえし、眼に、そしてこころに映す。まるで冬のさなか、荒天に居るような状態だけれど、そこにもうすこし、ふみとどまってみようと思えるようになるまで。
May 10, 2005
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GWは日本人が出国・帰国航空券を買占めるため航空券が品薄状態となり、海外から日本への観光客が激減するのだ、という、もっともらしい社長の説明に一応うなずきながら、あまりにヒマな店内での時間をもてあまし、スペイン語の勉強をしてみたりする。私にはまだまだ遠いところにある、輝く太陽や肌の色付く感触に焦がれながら。さて、イタリア人、そしてスイス人。販売員の嫌うことを何もしないにもかかわらず、それどころか、その笑顔と明るさとは販売員に好まれているにもかかわらず、販売員をもっとも混乱させるのが、イタリア人。販売員を、と言うよりむしろ、店舗の<場>を、と言うべきか。店には自然と、<順路>とでも言うべき通り道がある。たとえばそれは、販売員の待機するレジの奥は客の通路ではないということであったり、遠回りではあっても狭い狭い棚と棚の間ではなく広いスペースを通る、ということなど。誰もそんなことを改めて客に伝えることはしないし、客もそんなことは尋ねないけれど、<自然と>そうなっている。つまりは、<自然発生的な秩序>だ。ところが。恐るべきイタリア人。それが通じない。イタリア人が一歩店に踏み入れるなり、販売員は動きを封じられる、といってもよい。いつも客のいるはずのいないスペースに、笑顔のおじさんがこちらに向かって投げキッスをしている<誇張じゃない>。レジ内に入り正面の客の免税書類を作成している時に、客のいるはずのない背後から、着物を探しているんだけどおー、と歌い出しそうなおばちゃんに声をかけられる。一瞬ぎょっとし、忙しい時にはいらっとし、それでもなんだか最後には一緒に笑ってしまう。恐るべきイタリア人。私には決してできない技だと、感服する。そしてスイス人<フランス語圏>。ドイツ語・イタリア語圏の客にはあまりめぐりあわない。控えめかつ柔らかな物腰で静かに買い物をする。販売員に対する態度には、その品性をうかがわせる客が比較的多い。結構な額を買うだろうという雰囲気を漂わせ、英語も問題なく使いこなす。しかし客同士での使用言語はフランス語であり、最後までどこからの客かを判断する決定打にかけ、販売員も今ひとつ攻めきれない感が残る。会計時にパスポートを見て初めて、<ああ、納得、スイスの人ね>と販売員の胸のうちはすっきりし、こうして日本人のスイスに対する好印象はまたひとつ評価を上げるわけだけれど、あっさりしすぎた食事の後で食べたものを忘れるように、彼らが何を購入していったのか、あとから思い出せないことが多々ある。
Apr 30, 2005
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忙しがって働いている私の職場は、外国人団体観光客対象の免税店集合ビルだ。下は単価300円から、上は数十万まで、取り扱い商品は幅広い。そして、毎日が、ヒトの万国博覧会だ。1.アメリカ人ほとんどすべてが英書であるにもかかわらず、書籍コーナーにはめったに立ち寄らない。大きく漢字単語のプリントされたTシャツ、おそろいの言葉の入った鉢巻、竜の刺繍の入った着物、そんな感じのわかりやすく派手な品物が大好き。大声で販売員を呼びつけ、呼びつけたが最後、買い物終了まで僕のようにつれまわす、店がどんなに混んでいようとも。にもかかわらず、販売員が漆器の由来などを説明しだすとつまらなそうにさえぎる。2.フランス人ここはフランスだっただろうかと、こちらが錯覚するほどに、当然のようにフランス語で販売員に話しかけ、販売員が仏語を解さないと知ると、大仰に落胆する。着物・浴衣コーナーに腰を落ち着けたが最後、そこから動くことはない。時間はかかるが、新鮮な色使いや組み合わせで商品を選んでゆくのはさすが。3.スペイン語系来店するや、あふれるスペイン語で、売り場は日本ではなくなる。スペイン語の響きはそうまでに力強い。販売員に当然スペイン語で話しかけるところまでは、フランス人に同じだが、販売員がわかろうがわかるまいが意に介さないところがフランス人との違い。ベテラン販売員は、接客を通じてスペイン語をマスターしてしまったというから、その威力は強烈だ。金箔工芸品など、キラキラしたものに目がない。4.ロシア人富豪しか来店しないため、販売員の、接客したい客トップにランクインする。単価数万円のシルク製品を無造作に買い漁る。髪の薄くでっぷりとした中年男性と、アンニュイな雰囲気をふりまく細身のブロンド美女の組み合わせが多い。5.中国語系言葉の響きの威力はスペイン語系に匹敵する。キティちゃん関連のグッズを幅広く購入してゆく。必ず値切る。ーさて、ドイツ人。販売員に笑いかけない。販売員から微笑むと、隠せぬ戸惑いを見せる。高い高いといいながら、商品をじっくり物色する。ほしいものと寸分違わぬものがない限り、購入には至らない。散々接客して結局はがき一枚ご購入、に陥るパターンが多いため、販売員としては避けたい接客相手。噂に違わぬ財布の紐の固さであるが、その割には書籍には金を惜しまない。着物など着るもの系には、あまり興味を示さない。こんなふうに観察しながら、毎日を過ごしている。何が一番興味深いかと言えば、こうして言葉で表現できるほどに明らかに、買い物ぶりにお国柄を見出し得るということ。
Apr 24, 2005
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私の暮らし。朝から夜まで、英独日のトリリンガル接客をし、その後自動車学校か語学学校へ通う。仕事が休みの日はやっぱり自動車学校へ通う。合間に渡独後の進路を模索する。ドラちゃんの暮らし。6週間後に迫った博士論文の執筆に、昼も夜もない。以上。文字通り、一緒にベッドをあたためる暇もないとはこのことだ。気づけば桜が満開になっていた。ドラちゃんの論文提出が終われば少しは楽になるはずだからと、二人で互いに言い聞かせながら、それぞれの場所で力を尽くして、日々はサラサラと過ぎてゆく。どうしても慣れることのできなかった、<私とあなた>ではなく<わたしたち>という考え方が、いつのまにか私の生き様になっていることに気付いた。暮らしを続けてゆくために生じた変化、その力強さ。
Apr 10, 2005
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