
おととい、頂いたアンネのバラ・
咲くとこんな感じになるようです。優しいきれいなお花です。
長いドイツ滞在から帰国し、一年後、
母国であるのに、なぜか居心地が悪く、
見るもの、聴くもの違和感があり・・・どうしても帰りたい!と
長男とわたしは春休みになるのを待たずしてドイツへと向いました。
親しくしていた長男のお友達のところへ親子で2週間お世話になることにしました。
ドイツに住んでいたといっても、うちのなかは日本でしたので
このホームステイはたいへん、興味深いものでした。
子供はお友達のお部屋に、わたしには屋根裏部屋を貸してくださいました。
こどもはどこへ行くともなく、住んでいた時と同じように
友達と遊んでも遊んでも飽きず、日を追って言葉も戻ってきて
まるで帰国した事などなかったかのようでした。
わたしは次男を母に預けてきたので
ひとりで歩くフランクフルトを満喫していました。
マイン川の向こう岸にある美術館やこちら側の博物館を
ゆっくりひとりみてまわっておりました。
歴史博物館にいったとき、一冊の本が、目にとまりました。
それが・・・これです。

Fruher wohnten wir in Frankfurt
そういえば、Anne Frank schule やAnne Frank Strasseというのもありました。
Anneが住んでいたと聞いたこともあったような・・・なんとなく気になり買って帰りました。
ぱらぱらとめくっていると、こんな写真が目にはいりました。

アンネの姉マルゴーが通っていた学校の遠足の写真です。
この学校名をみて、息を呑みました・・・
息子が通っていた学校だったのです。

さらに驚いた事には、このアンネ一家が住んでいたうち・・・息子のお友達が住んでいて、何度か遊びに行かせていただいたことがあったのです。
これはその夜、友達に本をみせたときに聞いてわかったのですが。
この写真と比較して今の学校の子供達ということで
そのおうちの長男の学年が同じ感じで写真を撮り比較されたそうです。
ドイツの方とアンネのこと、話すとは思ってもいませんでした。
フランクフルトも戦火にあっているはずですので、まさか残っているとは・・・。
滞在したとき、シンドラーのリストが封切られました。
夫妻に誘われたので、一緒に見に行きました。
帰宅してから、夜遅くまで
ご主人のだれともなしに語る重い言葉に耳を傾けながら長い夜を過ごしました。
そんなある日、3年生か4年生だったと思いますがその家の女の子が
帰ってくるなり泣きながらママとパパに問いただしているのです。
ドイツ人はそんなひどいことをしたの?・・・と。
彼女は収容所のむごい写真をどこかで見てしまったようなのです。
夫妻は、まだこの子が知るには早すぎる、
時期がきたらきちんと話そうと思っていたのに・・と
むやみにそんな写真をみせたことに不快と憤りで
憤懣やるかたないといったご夫妻の様子でした。
あのむごい事実がドイツ人をそれほど、いまもなお苦しめているか
駐在中は、知る由もなく、感じる事もありませんでした。
語るのもはばかられていたような気がします。
そんなことを思い出しながら、とうとうやってきてくれたアンネのバラに
そっとドイツの人の心を伝えたいと思っています。