可及的ゆるやかに。

可及的ゆるやかに。

働くこと。



バブル期にさしかかった時期で,ほとんどの同級生が,大学を目指していた。
いわゆる進学校で,就職希望は私を含めて10数人ほどだった。

「ねえ,どうして卒業してすぐ働くの?」と無邪気に尋ねてきたクラスメイトがいた。
裕福な家庭に育った彼女には,私の気持ちなど分かるまい。

彼女のこの言葉が,働くあいだ私の内燃機関となった。



このブログにたびたび「元職場」のことを書いている。

退職したのだから,もう縁が切れた場所なのに。
そこまですがらなくとも,良いのではと思われていることだろう。

でも,そこは私の生活のすべてであり,
人間関係もほとんどそのコミュニティを脱することはなかった場所。

仕事の内容には誇りを持って働いていたし,
なにより働いている自分が好きだった。

でも,ある日突然,こころが完全に燃え尽きてしまった。

だましながら,家庭と仕事を抱えてきたが,
とうとう遠い場所への転勤を打診されて,立ち行かなくなった。

父と母が,それぞれ子どもを一人ずつ連れてばらばらに転勤するのか。
そこまでして,続けてゆきたい仕事なのか。

砕けてしまっていた私のこころでは,難しい選択だった。

こころはどんどん砕けていき,出した結論が退職だった。
退職して,この地にとどまり,今までできなかった,子どもたちを育てることと,
自分のこころの健康を取り戻すことを,選ぶことにした。

この結論を出すまで2年かかった。

上司に「こんなこと(県外転勤ができない)で,辞めたくないです」と訴えているうちに,全身が震えた。

どうして女は楽に働けないんだろう。
どうして男は,残業も付き合い酒も,気兼ねなくできるんだろう。

私は,働きたいのに,働きたいのに,働きたいのに。

そんな気持ちを押さえ込んで,最後の一日まで,最前線で働いた。
そして送別会では絶対に泣かなかった。
撮ってもらった写真の中の私は,どれも満面の笑顔だ。
周りの後輩や,同期たちが泣き顔になっていた。

ただ,花束だけはアレルギーを理由に断った。
もちろんアレルギーなんて無い。
花束は,円満に退職する人が受け取るべきものだと思ったから。
家に持ち帰った花を見るたびに,つらい気持ちがよみがえりそうだったから。
それでもどんどん花が届き,まるで芸能人の楽屋のようになった部屋は見るのも嫌だった。
花が枯れ,ゴミ箱に全部捨てたとき,心底ほっとした。

(2011.3.20)


⇒働くこと。その2へ


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