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おかえりなさい☕
ご無沙汰しております!
Angieです。
我が家のべビ太郎が連続で発熱し
その後は案の定、私に移り、、
調子が悪くて動けずだったりで
色々と立て込んでおりました<(_ _)>
今日は「運」について
コラム的な雑記です
のんびりお付き合い頂ければ幸いです🌸
さて、早速ですが
我々が「運」と感じている、あるいは表現する抽象的な認識状態
「運がいい」とか「運が悪い」とか、割と日常的に言ったり聞いたりしますが
じゃあその「運」て、具体的には何なの!?
って、考えたことありませんか?
(あ、私はしょっちゅうこういう事を考えてる変な人間です!汗)
「運」というのは、「うん」以外に「はこ(ぶ)」と読むわけで
漢字は「表意文字」ですから、そのまま意味を持っているので
「はこ(ぶ)」というのは、「移す」とか「(物事が)進む」などと同義です
では何が、移って、どんな物事が進んでいく時
あるいは、「運」という認識状態が発生する条件とは何なのか
この部分をある程度、具体的に把握できれば
より鮮明な輪郭を掴むことができることによって
より明確な説明を行っていくことが可能になるのでは?と思いつきました
そして、今のところ
最も近似値として扱えるんじゃないかという状態が
下記のようになりました
運=確率的変動+外部要因+情報限界
つまり、 ・確立によって左右される、事象発生のランダム性
・それ以外の外的影響
・それら全ての動向を知り得る限度
が、「運」を作り出している
というアンジーの見解です
以前、ここではないどこかでも書いたかもしれませんが
「占い」は、 一種の学問としての理論体系がある
ことは間違いありません
大昔から、人は先に書いたような
①人の認知が及ばず
②予測が難しい事柄
つまり、大きくは 「確率的変動」「外部要因」「情報限界」
を
何らかの法則性や因果関係によって読み解くことができ
予測することによって、実現あるいは回避しようという試み
から
地球上の自然界の移り変わりから、宇宙の動きなど
この世界の「摂理」について観察し、理解し、扱おうとしてきた
のが占い事の原点
です
なので、その当時、大昔の人々が発見した事柄はその後
化学や医学の種になっていたりする側面もあり
現代におていも、宇宙の、地球上の現象や原理の全てを、人間が解明し
理論体系として保持できているわけでもありませんから
「算命学(命を算出する学問)」のように
学問として研究し、追求しようとするガチ勢が引き続き存在することは
とても自然なことでしょう
しかし、よく占いを「統計学だ」「カウンセリングだ」と
一緒くたに
して考えられてしまう方を見かけますが、それはよろしくないと考えます
※あくまでこれは私の考え方であるので
「これが絶対的に正しい!」と主張するものでもなければ
他の考え方をなさっている先生方を否定・批判するものではないことは
ここで改めて、明らかにさせて頂きます
私は、「占い」というものは
先人の知恵や独自の研究を基にしている部分がありながらも、やはり
未だに、抽象的かつ感覚的で、根拠が飛躍しすぎてしまう部分もあり
極客観的整合性を証明する力は弱い部分が大きい と感じるから
です
(もちろん、どんな事も「絶対」はありませんが)
これも、あくまで私個人の考えであって未熟さからくる気の迷いであるのかもしれませんが
今の段階では、そのように思っているのです
しかし
(あまりに長くなってしまうので、ここでは細かく書きませんが)
「占い」は、もちろんその使い方にはよりますが、あらゆる方面で役に立ちますし
「占い自体が時代にそぐわず、全く不必要なものである」というご意見にも賛同はできません
私もオカルトのように一種のロマンに通じるような仮説や伝承などには
もちろん興味を惹かれますし、面白さを感じずにはいられませんまた、所謂「霊感」みたいなものも皆無ではなく、妙な体験もするので超自然的な事柄にも肯定派です
しかし「日常的な社会活動におけるお悩み」に関しては
どこかで一線を引いて、分けて考えなければならないとも思っているのです
故に、私は懐疑的な視点も持ち続けていて
もしかすると、ベテランの先生方でも、同様の感覚をお持ちの方は少なくないのではないでしょうか
(わざわざ言葉にするのは夢がなく、無粋かもしれませんが、私はそのようなスタンスなのですそういう性分なのです。。汗)
なので、先のようにして、数式のように表現をしてしまうのは
適当ではない側面もあるかもしれませんが
曖昧過ぎて、他者と認識を合致させ辛いものに関しては特に
理解を合わせやすい状態にしておくのが最善だという考えもあって
運=確率的変動+外部要因+情報限界
という、私自身の指標にもなるであろうアイデアをアウトプットしてみました
この1記事の中でも
何度も注釈などを挟んでいますが
「1+1」という数式の解が、全体の共通認識で「解は2」と一致するようには
占いの分野で導き出される「解」というのは、固定的で断定できるものではなく
人それぞれの感覚や解釈に左右される側面が強く
私とは異なるクオリアでもって、占いという分野に関わられている方々のお考えや思いを
真っ向から否定することはできないという意味も込めて
細かめに注釈を差し込んでおります
そこには、占いという分野が持つ「柔軟性」とも言える、良い部分も多くありしかし同時に、その脆弱性も否定できないと言える部分がよく表れていると私は思います
「法の解釈」のようなものですね
私個人的には
いずれの占術(占いの方法)を用いようと
そこに扱う側の多様な想いや考えがあろうと
「ご相談者様のお役に立とう」
「ご相談者様のお悩みが解決するようお手伝いしよう」
「ご相談者様が少しでも元気になれるように寄り添おう」
などの志や、それらを得意としているだとか
それぞれのお役目を果たすことができていて
「適当な事を言って、やって、高額報酬を受け取ろう」などという
悪意がそこに無ければ
それで良いのではないかと、極端に考えたりもします
それは、不真面目で投げやりな考えからくる発言ではなく
それくらいの ”遊び(思考の自由度)”が人間には必要であるから
です
また
それぞれ個人の特性であったり、バイオリズムのような一定の時期で上下する波など
理屈だけではカバーしきれない、はみ出すような曖昧な部分こそ受け皿、あるいはクッション材のようになりながら機能していくことが
現代においては、私が目指す健全な「占い」の道なのではないかと考えたりしていますので
その辺りを研究しながら、今後も占いの分野を深めていけたらいいなと思っております!
占いの分野を面白がって行きましょう❣
また遊びに来て頂けたら嬉しいです!!
それでは、また。
いってらっしゃい👋
Angie
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