月の旅人

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破壊されたハイデルベルク城

破壊されたハイデルベルク城


夕食とは違ったビュッフェスタイルの広い部屋で味も量も満足な朝食を取り、ようやく空が白み始めた7時10分には全員がバスに乗り込んで出発し、古城街道へ向かった。
7時半近くになり、毎朝恒例の靄がかった景色に朝陽が顔を見せた。妹はその美しさに魅せられて何枚も何枚も車窓から写真を撮りまくり、あとでセレクトするのに手間取っていた。(^-^;


9時40分近くになって、古城街道に入った。ところがせっかく空は晴れているというのにまだ朝靄が晴れておらず、古城があるはずの場所も真っ白で見えなかったりしてかなり残念なドライブとなった。なんだか心残りが多いドイツの旅である。


しばらくしてバスはネッカー川を右手に見ながら進み、向こう岸に元テニス選手のシュテフィ・グラフの別荘もあるという高級住宅街が見えてきた頃、ハイデルベルクに入った。路面電車の走る市街を通り抜け、坂道を上がって、ハイデルベルク城の駐車場でバスを降りる。
ハイデルベルク城は代々の王がその時々の流行の建築様式を取り入れ建てたため、様々な様式を一度に目にできる城である。が、王の権力の象徴であり芸術意識の表現であったこの城は1622年の30年戦争で破壊され、次いで1689年にフランス軍の砲撃と爆破によって見る影もなく破壊されてしまった。その後改修工事が行われていたが1764年の落雷以来手がつけられておらず、大半が廃墟のままである。
エリザベートの門最初に目にしたのは、そんな廃墟の入口に建つ『エリザベート門』、別名『一夜の門』だ。ルートヴィッヒ5世が妃のエリザベートの誕生日のために、彼女のお気に入りの散歩道だった庭の入口にたった一晩で作らせた門である。毎朝この庭を歩いていたエリザベートが、誕生日の朝もいつものように散歩していると昨日までなかった門があり、それに彼女は驚いて、王からの誕生日プレゼントを喜んだという。そりゃそうでしょうとも。ロマンチックな話だ。ツアーのおばさんたちからも溜め息が洩れていた。その時のだんなさんの反応も見ておけば楽しかったかも?
この門をバックに写真を撮ると、仲の良かった2人にあやかって幸せになれるらしい。妹と2人で撮ってもらったけど、姉妹で撮っても……ねぇ?
門をくぐると、右側にけっこうな高さのある深い堀があった。平和な時には鹿を放し飼いにし、戦争時には水で満たして敵の攻撃に対する防御にしていたらしい。その堀の向こうに、破壊されてもなお当時の壮大さを感じさせる廃墟の城が広がっていた。物悲しい雰囲気とはいえ廃墟でさえ絵になるのだから、当時の城がそのまま残っていたならそれはそれは雄大で壮麗な城だったのだろう。
戦争なんてなければ、破壊されることもなかっただろうに……。o(ーー;)はぁ…

5分と見られず再びエリザベートの門をくぐり、入城するべく堀の上にかかる石橋に向かった。添乗員さんからチケットをもらい、門番のお兄さんの横を通って石橋に踏み込む。
この石橋の両側には城門塔があり、塔の地下には牢獄があり、入口上部の2階と3階は防御のため、4階は門兵の住居として使われていたらしい。
入口の真上に位置するその壁には槍を持った2人の兵士の像とその間に獅子の像が残されていて、この獅子はヴィステルバッハ家(王)の紋章が付いた黄金の盾を持っていたが、ナポレオン軍によって持ち去られ、今はどこにあるかわからないらしい。剣と十字架からなるこの紋章は、現在ハイデルベルク大学の紋章として使われているとか。
なんかお洒落だなぁ。(* ̄- ̄*)
これまた説明がなかったのか聞きそびれたのか、城門に向かって右側の端の欄干にはゲーテの名を刻んだ1枚のプレートが埋め込まれているらしい。ゲーテはハイデルベルク滞在中によくこの古城に散歩に来ていたようで、プレートの位置から城の右手に見える『崩れた塔』を写生し、その記念としてプレートが埋め込まれたようだ。文豪ゲーテがこれをスケッチしたことにより実物を見るためにハイデルベルクへやって来る人が増え、町の観光の火付け役になったという。すごい影響力だ。Σ( ̄ ̄*)

私たちはそんな言われのあるプレートに全く気づくことなく石橋を進み、向かって左側の城門の扉の鉄の輪に注目した。そして、添乗員さんの説明に目を輝かせながら耳を傾ける。魔女の噛み輪
この門を造った当時の王があまりの丈夫な門構えに自信を持ち、鉄の輪を噛み切ったものがいればその者に城を明渡す、と布告を出したところ大勢が挑戦しにやってきた。だが当然のことながら誰ひとりとして噛み切れず、最後にやって来た魔女がガブリと噛んだところ、鉄の輪にその噛み跡が残った。その伝説から『魔女の噛み輪』と呼ばれるようになったらしい。
みんな興味津々で鉄の輪を持ったりさわったりしたが、それはどう見てもひやりと冷たい鉄製の重たい輪だった。噛み後にしては不自然な形に見えたが、伝説好きな私は妹と2人でその輪を持っているところを写しておいた。さすがに噛みつけなかったなぁ。( ..)ヾ

城門を抜けると中庭が広がり、すぐ左手に『ルプレヒト館』がある。ハイデルベルク城で一番古い建物で、600年程前の建造物だ。これを建造したルプレヒト3世は旧市街にある聖霊教会の起工者でもあるらしく、どちらも当時流行のゴシック様式の建物である。内部も見学できるらしいが、時間の都合か、私たちはその前で説明を受けただけ……。がっかり。

そのルプレヒト館の前には蔵書館があり、その左側には『オットーハインリッヒ館』がある。宮殿風のファサードはドイツルネッサンス様式の模範建築と言われ、ヨーロッパ各国のルネッサンス様式の様々な要素が芸術性豊かに表現されている。廃墟なのに城の中で一番印象に残るその館は柱だけでも1階はドーリア式、2階はイオニア式、3階はコリント式を用いており、2つの窓と窓の間には立像が置かれていて、凱旋門のような造りの正面入口はオットーハインリッヒを表す浮き彫り、紋章、彼を讃える銘句が彫られている。2階部分の立像は左から、権力、信仰、愛情、希望、正義の五つの徳を表しているとか。深過ぎてわからない。f(^^;)
ちなみに立像はレプリカで、オリジナルは城内に保管されている。

フリードリヒ館そして城門の正面に位置するのがルネッサンス風建築の『フリードリッヒ館』。1607年にフリードリッヒ4世に建てられて以来、代々の選帝候たちの住まいとして使われてきた館である。この館だけは戦禍を免れたのか、それとも再建されたのか綺麗に残されていた。
この館を造ったフリードリッヒ4世は大変な酒飲みで、30歳のフリードリッヒはよぼよぼで杖をつき、6年後には死に至ってしまったらしい。
相手が王なだけに、周囲も彼の飲酒を止められなかったのだろうか……。

そのフリードリッヒ館の裏手にあるテラスへ行き、ハイデルベルクの美しい旧市街を眺めた。まさに一望できるため、絶好の写真スポットとなっている。私たちも例に洩れずしっかり撮影。
騎士の足跡そして、このテラスにも伝説が1つ残されている。テラス中央の建物寄りの部分に、『浮気者の足跡』と呼ばれるめり込んだ足跡があるのだ。それは、王があまりに浮気をすることに腹を立てた妃が復讐のために王が狩りで留守中に若い騎士を部屋に呼び込んだのだが、狩りに出たはずの王が急に帰宅しあわてた騎士が鎧をつけたまま妃の部屋の窓から飛び降り、その時にできた足跡だと伝えられている。が、足跡はなぜか片足である……。すかさずそれにツッコミを入れるおばさんもいた。
その足型に足がぴったり合う人は、その騎士の生まれ変わりだとかプレーボーイの末裔だとか言われるらしい。(笑)
そんな足跡に、何人かが足を合わせてみた。すると夫婦でツアーに参加していただんなさんが、それにぴったりと嵌まったのだ。
みんなにツッコミを入れらたことは言うまでもない。私もしっかり入れておいた。(笑)

フリードリッヒ館の左側地下には、1751年にカール・テオドールの命にによって作られた、長さ8.5m、直径7mの大きさで、22万リットルのワインが貯蔵できる大樽がある。ふつうのワインの瓶30万本分に相当する量らしい。130本の樫の木を使ってこの場所で組み立てられたこの大樽は、実際にワインを入れた木製の樽として世界一の大きさだとか。
なぜこれほど大きな樽が作られたかというと、昔は税金をワインで納めることができたために必要だったから。過去3回ほど、ワインがいっぱいに満たされたようだ。
城では当時一日平均2000リットルものワインが消費されており、城の地下にはこの大樽も含め常時70万リットルのワインが貯蔵されていたらしい。
すご過ぎる。フリードリッヒ王に限らず、みんな酒飲みだったんじゃないのか?
大樽の傍には、1720年ごろカール・フィリップ公に仕えていた宮廷の道化師ペルケオの像が立っている。彼は樽の番人でもあったが大変なワイン好きで、「吹けば飛ぶような小男のくせに、飲みっぷりは大男そこのけ」と詩人が詩ったほどだった。なんと1日に18本ものワインを1人であけたらしい。どう考えても飲み過ぎでしょ……。
ところがそんなペルケオ、あるとき人に勧められてワインの代わりに飲んだたった1杯の水が原因で死んでしまったそうだ。

公衆電話この樽の前で解散して20分間の自由行動が許され、樽の右側から階段を登って樽の上の踊り場を通り、ペルケオの像の前を通って元の場所に戻った。
見るだけでも大きいけど、登って上から見下ろすとさらに大きく感じられる樽である。いくら大酒飲みでも、1人でこの樽のワインを飲み干すのはきっと無理に違いない。…たぶん。
妹が全体をフレームに入れるのに苦労して樽の蓋部分の等大レプリカの前で写真を撮ってもらい、地下から出る。そしてオットーハインリッヒ館、その前の噴水で写した後、城門をくぐってエリザベートの門に戻る。その前の道を進むと売店があるのだが、その横に変わったデザインの公衆電話を見つけてはしゃぎ、お互いに電話をかける“ふり”をして写した。(笑)
そしてまた無料の公衆トイレを利用し、きっちり時間よりほんの少し前にバスに戻った。あちこち行きたい誘惑にも負けず、えらい姉妹だ、うん。←それが当たり前…


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