月の旅人

月の旅人

観光のない初日 前編

観光のない初日 前編




空港を出て、そこに停まっていた当ツアー専用のバスに乗車した。
最初はちょっと遠慮して後ろのほうに座ろうかと思っていた私だったが、積極的かつ行動力のあるみきちゃんが「前でいいやん」と言ったそのひとことで、右側前方の中程に座ることになった。そのおかげで、現地ガイドさんの顔もはっきりと見え、話もよく聞き取ることができた。遠慮するのも時と場合によるのだ。
全員が乗車してバスが出発するとすぐに添乗員Oさんから、現地ガイドさんとドライバーさんの紹介があった。ガイドさんはEさんというクルド系トルコ人の黒に近い茶色の髪と瞳をしたスタイルが良くお洒落な美人で、ドライバーさんは短く刈り込んだ金色がかった茶髪で、目は真っ黒のサングラスをかけていたので見えなかったが、私が抱いていたトルコ人のイメージとは全く違い西洋人系の顔立ちをしたGさんだった。
Eさんはトルコの行程をすべて案内してくれるそうで、この後1週間のお付き合いとなる。Gさんもそれは同様で、日程表をチラッと見ただけでももの凄い移動距離が記載されているだけに、1人のドライバーさんが交代もなく運転してくれるという事実に少なからず驚いた。

移動中、Eさんがトルコリラの種類を説明してくれたが、Eさんが金額を口にするたびにそのあまりの桁の多さに笑いが起こった。なんたって、1000万トルコリラの紙幣まであるのだ。どの人の笑いも、これが円だったらものっ凄い大金だな、という笑いである。
もの凄い大金というより、そんな紙幣があったとしても極一部の限られた人たちしかお目にかかる機会のない不必要な紙幣以外の何物でもない。でもそれがトルコリラなら簡単に手にすることができるわけで、ちょっとしたお金持ちになった気分に浸れる。(^o^;
トルコは非常にインフレが激しくなっているため、1000万トルコリラの紙幣が登場したかと思えば、25万や10万トルコリラなどのコインはあまり流通しなくなってきていたりして、新旧の入れ替わりも激しくなっているそうだ。25万や10万トルコリラは、代わりに紙幣もちゃんとある。後にコインも手にすることになったのだが、ややこしかった……。どれがどれだかわからなくなってくるのだ。が、トルコ人は親切で正直な人が多いのできっちりおつりも返してくれるから心配はないとEさんが断言し、そのとおり誤魔化されて困ることは全くなかった。
ちなみに当時のレートは、1万トルコリラ=1円として計算すればいいと教えられた。実際には1円を少し割っていたそうだが、面倒なので1円換算のほうが簡単でいい。
そしてホテルのメイドさんへの枕元に置くチップは1人50万トルコリラで、有料のトイレには10万~20万トルコリラだと教わった。


添乗員Oさんが事前に予告していたとおり、最初の目的地は朝食のレストラン。イスタンブール市内にあり、ガラタ塔を左に見ながら進む。
市内に入った途端、やけに多く吊るされたり掲げられたりしている国旗が目に飛び込んできた。トルコの国旗は赤地に白抜きで三日月と星が1つ左寄りに入っている。月も星も好きな私にとって、ちょっと羨ましいデザインの国旗である。
「みなさんがトルコに来られたこの日が、ちょうどトルコ共和国の建国79周年目になります」
Eさんが、語尾に少し上がり気味になる癖はあるが流暢な日本語で説明してくれた。そのため街中に国旗が溢れているという。日本の建国記念日なんて、最近では国旗を掲げる家もめっきり減って街でもあまり見かけないし、建国何周年どころか記念日だということすら忘れそうになるほどなのに、ずいぶんな違いである。イスタンブールの象徴的存在であるブルーモスクの傍の坂道を数年前の大地震で倒壊したままの建物をいくつか右手に見ながら上がると、しばらくしてバスが停まった。
「はいみなさん降りてください。朝食です」
歌うように抑揚をつけてEさんが促し、ぞろぞろと39名がバスを降りた。
さっそく10枚ほど連なったポストカード売りの青年3人が寄ってきて、行く手を阻むようにしながら販売を試みる。それでも誰もが連れなくいらないと手を振って素通りし、案内されたレストランの中へと入った。

時間はちょうど9時。朝食にしては少し遅いが、機内食で夜食も朝食も食べていたため気分的にはもう昼食であり、それにはかなり早過ぎた。とにかく中途半端な食事である。
入ったのは商店街の道に面した『GRUP Restaurant』というお店で、6人掛けの円卓が入口付近に3つ程と四角いテーブルが奥に幾つか並んだこじんまりとしたレストランで、私たちが入っただけでもう満席となり、OさんやEさん、Gさんは上の階へ上がって別に食べることになった。
レストランの奥にバイキング形式でパンやデザートなどがL字型に並んでおり、それらを平皿に取ってからその横のカウンターで並々と注いでくれるコーヒーか紅茶をもらう。
私はドライフルーツの入ったパウンドケーキ2切れと、親指と人差し指で輪を作ったくらいの大きさのちょっと固めの丸いパン1個、トマト3切れ、ソーセージ1本、オリーブの実3個、カマンベールチーズ1切れ、そしてみんなが取ってしまうためすぐになくなってしまったメロン1切れをお皿に盛り、友達の分も持ってテーブルに戻った。後からみきちゃんが私の分の紅茶も持って席に戻り、いよいよトルコ初の食事の始まりである。とはいえ、トルコらしい料理というわけではなくどこの国でも見かけそうな内容だったけど。
6人掛けの円卓には他にシンガポールの空港で立ち話をしたMさん夫妻と、機内で隣り合わせたKさん夫妻が一緒だった。あとから思い返して「そういえば最初のテーブルから一緒だったな」と思ったが、この時は特に何を思うでもなく自然にテーブルについたらこの組み合わせになっていた。Mさん夫妻とは写真を撮り合ったり、Kさん夫妻には丸ごと盛ってあった林檎を切り分けてもらったり、最初から何となく仲良くしてもらった。本当に、縁というのは不思議なものだ。

9時40分にはトイレも済ませてバスへ戻らなければならず、あまり落ち着いた食事はできなかった。
紅茶はしっかり味が出ていておいしかったのでおかわりをもらったのだが、猫舌の私には熱過ぎて結局時間に追われて飲めず、諦めてレストランを出た。ところが、振り返るとみきちゃんがいない。一緒に出たつもりになってた私はしばらく外で待ってみたが、他の人ばかりが出てきてどんどんバスへと向かって歩いて行った。それでも出てこないのでほんの少し周りの景色を見ているうちに見逃したのかと思い、集合時間にもなってしまったので急いでバスに向かったら、その途中で後ろから彼女が駆け足で追いついた。
「紅茶全部飲んできた」
「えっΣ( ̄- ̄;)、全部飲んだん!? あんな熱かったのにっ」
驚きつつバスに乗ると、もう他の人はほぼ全員が席についていた。時計を見ると2分の遅刻である……。5分前行動を心がけようと日本を出るときに言ったのに、最初からもう遅刻とはっ!!(>_<;)
団体行動のツアーなんだから気をつけねば、と改めて思った。


さて、ここからはひたすら移動の始まりである。
文字通り、“ひたすら移動”である。今日の観光は何もないのだ……。
日程表どおりなら午後にはトロイの遺跡観光が待っているはずだったが、明日の朝一の観光に変更された。飛行機はほぼ時間どおりイスタンブールに到着したのに、なぜそんなことになってしまったんだろう。( ̄- ̄;)はて?
イスタンブールのレストランで朝食を取ったのが、そもそも予定が変更された最初だったのだろうか。日程表には『着後、イスタンブールよりヨーロッパとアジアの2大陸を結ぶ約2kmのダーダルネス海峡をフェリーで渡り、チャナッカレへ』と書かれていて、つまりはすぐにチャナッカレへ向けて走る予定だったように見受けられるから。
光る道とにもかくにも移動は始まり、晴れ渡った空の下、バスで快適なアスファルトの道を疾走する。トルコはとても道路の整備された国であるらしく、凹凸も滅多に見られない平面のアスファルトがどこまでも続き、あまりに平面過ぎてピッカ~ッと太陽光を反射するほどだった。サングラス無しでは眩し過ぎてとても運転などできないに違いない。ドライバーのGさんも目が全く透けて見えないほど真っ黒のサングラスをかけて運転していた。

イスタンブールから30分ほど走った頃、無数の家が立ち並ぶ丘が見えてきた。Eさんいわく、仕事をなくしたり夜逃げをしてきたりなどして家をなくした人たちが家族総出、あるいは親戚や友達と手を合わせて一夜にして自分たちの手で造った家々であるらしい。昨日の夜までいなかった隣人が、翌日には家と共に出現しているといった状況だそうだ。
いくら大勢で造ると言っても、一夜にして家を建てるなんて。まるで豊臣秀吉の一夜城のようだ。
一夜家群トルコには建設・不動産業がほとんどないらしく、数年前の大地震以降はますます姿を消して、家は自分たちの手で建てるのが一般的らしい。親は子供のためにこつこつ働いて貯めたお金で家を建て、その家は子供のものとなるため、結婚後に親と同居という環境は滅多にないそうだ。つまり、嫁姑問題に悩むトルコ人はいないということか。
時代の違う人と意見が合わないのは当然で、一緒に住むのは考えられないのだそうだ。
それにしても、地震後に倒壊したビルや家を建て直すために建設・不動産業が栄えるならわかるけど、地震前よりも倒産などで数が減るなんて、ちょっと不思議な感じがした。
トルコ人はそれぞれが建築知識を持って、大金を出してまで建ててもらう必要がないということだろうか。
が、そのわりにはさらにその3分後に整然と並び立つ高級住宅地が丘の向こうに突然見え、そのあまりに計算され尽くしたような景観に車内からどよめきが起こったほどだった。さすがに、高級住宅というからにはプロが建てているのだろう。……たぶん。f(^^;)

旗だらけの町さらに1時間ちょっと走った頃、どこかの町中にバスが迷い込んだ。
迷い込んだと言ってもGさんが道を誤ったわけではなく、通る予定だった道が通行止めになっていたために迂回したのだ。
建国記念日のイベントと選挙活動が重なったらしく、町には車と人が溢れ、楽器を持って盛装した少年少女やトルコの大きな国旗を広げて振っている子供たちなどがたくさんいて、町中がそれはそれは賑やかなパーティー会場のようになっていた。
何となくこちらまで楽しくなってきて、友達がこの町を通れて良かったと窓の外を見ながら笑顔で私に言い、私も大いにそれに頷き返した。

町を抜けるとまた開けた車道に出、町がバスの背後に遠ざかって行きかけた頃、右手前方の沿道に2人の少年が立っているのが目に入った。そして、バスが彼らの前を通過しようとしたその時、2人揃って何かを言いながら小石を投げつけてきた。Σ( ̄ロ ̄∥)なっ…!
思わず、バックミラーに映っているGさんの様子を窺う。
ドイツを旅行した時に添乗員さんが、ドライバーさんは自分のバスをとても大切にしていて、毎日磨いたり清掃したりしているので汚したり痛めたりしないように気をつけてくださいと言われていたので、Gさんもそうなんじゃないかと思って見てしまったのだ。でも何事もなかったかのように眉1つ動かさず、ただ前を見据えて運転しているGさんがそこにいて、何となくホッとした。o( ̄。 ̄)ほっ

12時15分頃、初めてのトイレ休憩となった。そこはドライブインで、レストランらしきお店とコンビニっぽいお店が6、7段の階段を登ったところに併設されている所だった。トイレは25万トルコリラのチップが必要だったため、友達も私もトイレへは行かずコンビニのような小さなお店に入ってみる。
開けっ放しのガラス戸のすぐ左にレジカウンターがあり、そこに20代らしき男の人が1人いた。入口の右側には砂糖菓子のような、ゼリーのようなお菓子が仕切られたケースに剥き出しで置いてあった。とても食べる気にはなれない……。そもそも何も買うつもりはなかったが、一番奥の冷蔵庫の前まで行った時、先にそこにいた人がミネラルウォーターのペットボトルを取り出していた。というより、その冷蔵庫は大小のミネラルウォーターのみが入っていた。両開きのガラス扉の上部に張り紙がしてあり、“SMALL=350000TL、BIG=750000TL”と手書きで記してあった。
「これって安いの高いの?」
トルコへ来てから初めて見たミネラルウォーターのため、その値段が安いのか高いのかわからなかった。ちょうど添乗員のOさんも傍に来たため聞いてみたがわからないようだった。彼女もトルコの添乗は初めてなのだ。
トルコでは商品に定価というものが存在せず、それぞれの地方やお店によって同じ商品でも値段が違うらしい。だからもしかすると他で買うほうが安い場合もあるし、当然逆に高い場合もある。
喉は渇いてきたし、買っておこうかどうしようかと迷っていると、Oさんが言った。
「でも大でも75万トルコリラってことは、75円ってことでしょ?」
「あ、そっか……。安っ!」
またまたトルコリラの桁数の多さに惑わされてしまっていたわけで、悩んでいた自分がちょっと恥ずかしくなった。(*..)ヾ
でも大はさすがに持ち歩くには不便だと思い、500mlで35円の小を購入することにする。
そして、その場にいたほとんどの人がその安さに思わず購入することになった。
会計で100万トルコリラ札を渡すと、50万トルコリラ札と小銭が戻ってきた。
「サンキュ~」
と言ったものの、それが合っているのかどうかを計算するのにまたちょっと手間取る。小銭は10万トルコリラと5万トルコリラであることがわかり、「ああ、合ってるわ」と同じようにミネラルウォーターを購入したおばさんたちと「ややこしいねぇ」と笑い合った。
添乗員のOさんは1ドル札で支払ったらしく、戻ってきたトルコリラの金額が合っているのかを計算するのに尚更ややこしかったようで「ん!?」とレジのお兄さんを見ながら言ったらさらに紙幣を渡されたようで、それを計算してみると結局は1ドルよりも多くもらっていることが判明したらしい。
トルコリラの桁数の多さ、何とかならないもんだろうか……。



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