月の旅人

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コンヤからカッパドキアへ

コンヤからカッパドキアへ




レストランから15分もせず『メブラーナ博物館』に到着した。
博物館の横でバスを降りると、すぐに木製のドアが石壁伝いに規則正しい間隔で並んでいる場所に出た。そのドアの上にはドームの屋根と三角帽をかぶったような煙突がそれぞれに1組ずつ見え、人が居住できるようになっているようだった。
そこを進むと、その壁伝いに博物館への入口が現れた。それをくぐると観光客やイスラム教信者で賑わっている前庭がそこにあり、正面に青タイルの尖塔を持つメブラーナ博物館の建物、左に目を向けると十六角形ほどの屋根のついた手水場があった。アーチのついた柱に囲まれた、手水場にしては豪華な作りである。
それを左に見たまま、Eさんの誘導にしたがって建物の中に入る。入った所で次の敷居を
通過する前にすぐに立ち止まり、その場で説明が始まった。
シャンデリアの下がったそこには神を現す装飾文字が金の豪奢な額に入れて掛けられていたり、かつて入口に使われていたという見事な模様が彫刻された木製のドアがそのまま壁に展示されていたりした。かつてはモスクだったため今でも敬虔な信者が参拝に訪れるようで中では大きな声で説明ができないためできるだけ近くに寄って説明を聞いてくださいと締めくくり、Eさんは私たちを奥へと導いた。

メブラーナ博物館入った途端何よりも真っ先に目に入ったのは、右手奥に見えた壁面を金細工で飾られたメブラーナのお墓のある場所。黄金色の照明が拍車をかけて豪奢に見せていて、口々の感嘆の言葉が洩れた。その近辺でもいろいろとEさんの説明があったが、私たちのいた場所からは少し遠巻き過ぎて声が聞き取りにくく、説明を聞くのは諦めて目で見ることに専念した。
頭にスカーフをかぶった若い女性も何人も参拝に訪れていて、メブラーナのお墓に向かって祈りを捧げていた。私たちのツアーの中にそんな女性の肩をとんとんと叩き、祈りの様子をおどけた風に真似たおじさんがいて彼女たちに怪訝な目を向けられていたが、おじさんにはその視線の意味が伝わらなかったようでさらに続けて祈りを真似ていた。傍(はた)から見てもバカにしているようにしか見えない。
それはあまりにも失礼過ぎるでしょ……。(-"-)
睨まれただけで済んで良かったってものだ。
メブラーナのお墓の前で左に折れ、オレンジや緑でアラベスク模様の描かれたドーム天井から吊るされたたくさんの蝋燭受けの下でその周辺に置かれている展示品の説明が始まり、所々聞き取りながら辺りを見回していると、自分の体よりも大きいに違いない国旗を頭に巻いて残りをマント状にした可愛い男の子が、革ジャンを着たとってもかっこいいパパに抱かれているのを発見した。
な、なんて絵になるのっ……♪(* ̄- ̄*)
ミーハー(死語)心をくすぐられ思わずカメラを向けると、隣にいたママらしき人がこちらに気づき、パパの肩にもたれかかっている男の子に「写真撮ってくれるって(^^)」みたいな感じで声を掛けてこちらへ向くように指差してくれたが、男の子はご機嫌斜めだったようで顔を隠してしまった。「ごめんね」と言いたげなママに「こちらこそ」てな表情と仕草で答え、ぺこりと頭を下げてその場をあとにし、ツアーの人たちの後ろについて移動。

その部屋は資料室になっているようで、旋回舞踏の儀式の際に使用した道具や衣装、能書家による細かく美しい大小のコーランの写本、イスラム教の開祖マホメットのあごヒゲを納めた銀の小箱などが展示されていた。資料室の出口脇には999個もの珠を繋げた数珠も展示されていて、実際に祈りを捧げるときに使用されていたとか。
999回も経を唱えるということだろうか……。なんて根気のいることだろう。
後姿の…

資料室で一時解散し、15分ほどの自由時間となった。
私たちが中庭に戻って辺りを見回していると、スカーフを頭にかぶったおばあさんが建物から出てくるなり私に向かって一目散に歩み寄ってきて、いきなりギュ~ッと抱きしめられたかと思うと何やら言いながら満面の笑みで両頬にキスされた。
「えっ、えっ……!?ヽ( ̄- ̄;)ノヽ(; ̄- ̄)ノ」
突然のことにわけもわからずされるがままになっていた私にさらに満面の笑顔で何かを言って、私が理解するまもなく去っていってしまったおばあさん。
な……何だったの……?( ̄_ ̄?)
その様子を見て傍で笑いこけていたみきちゃんが「写真撮り損ねた~っ」と残念がっていた。
私はそんなことより、風にあたって冷たい感触のする両頬が気になって仕方なかった。
「なぁなぁっ、ツバついてへんっ!?」
みきちゃんに確認してもらうと「ついてる」という答えが……。「拭いて~っ」とうろたえる私の頬を、みきちゃんがティッシュで拭いてくれた。どこかでおばあさんが見ていたら悪いかなと思って見回したが、幸いどこにもいないようだった。
ほんとに、何だったんだろう……。私のいったい何がおばあさんを惹きつけたわけ?
いまだに謎。いや、きっと永久に謎である。
ああ、驚いた。(; ̄o ̄)=Эふぅ

ご機嫌ななめ…そんな出来事のあと建物の入口付近へ移動したとき、先刻中で会ったかっこいいパパと可愛い男の子に再び出会った。やさしいパパが男の子を自分の正面に立たせて両手を広げるように持ち、写真を撮らせてくれた。まだちょっとご機嫌斜めな顔だったけど、やっぱり可愛い。(*^^*)
パパは黒髪だけど、男の子は金がかった茶色の髪だった。スカーフに隠れて見えなかったけど、ママがそうなのだろうか。
みきちゃんは私が男の子に寄って写している瞬間に、ちゃっかりパパを写してくれた。
ナ~イスみきちゃん!(笑)
「サンキュ~♪」とお礼を言って2人と別れると、まだ10代から20代前半に違いないトルコ人女性が2人、一緒に写真を撮ってくれと私に言ってきた。頭にはスカーフをかぶり、服装も体形の出ない長衣を着た女性たちで、敬虔なイスラム教徒のようである。最初はその2人を建物バックに撮るのかと思ったが、私たちと一緒にということのようだった。
彼女たちのカメラで友達らしい女の子に撮ってもらい、私たちも自分たちのカメラで一緒に写ってもらった。
そのあともまた今度はママに抱かれた男の子に会い、ママの友達らしいママさん仲間とも一緒に記念撮影した。乳母車に乗った赤ちゃんも可愛かった~。
トルコって可愛い子多いなぁ。
それにしても、メブラーナ博物館ではやけに声をかけられたな、私。
なんで?( ̄_ ̄?) 知りたい……。とっても気になるぞ。
それとも理由などは特になく、たまたまなのだろうか。気になる……。


旋回舞踏絵蛇足ながら、『メブラーナ博物館』は独特な旋回舞踏で世界的に有名らしいメブラーナ教団の総本山だった所だとか。メブラーナとは“我が師”という意味があり、教団創始者ジェラルディン・ルーミーのことを指すそうだ。
1925年にアタチュルクの宗教分離政策によって教団は解散させられ舞踏は禁止されたが、その2年後にメブラーナの霊廟は宗教色を薄めるために博物館として開放され、旋回舞踏も1970年代の緩和政策以後再開されたらしい。この旋回舞踏は毎年12月17日のメブラーナの命日前の数日間、市内の体育館で公演されるとか。それ以外にも通年鑑賞できるホテルもあるそうだ。山高帽をかぶり純白の衣装で反時計回りに旋回しながら忘我の境地に達し、神との合一化を目指すというこの舞踏は、まるでロングスカートのような純白の衣装が円錐形に開いて美しく、舞い手の真剣さによって荘厳な雰囲気でもあるとか。
ちょっと見てみたい気もした。


コンヤからカッパドキアへ向けて、約220kmの移動が始まった。かつてシルクロードと呼ばれた道も通るらしい。学校や本やテレビで何度となく耳にした事のある『シルクロード』を実際に通る日が来るなんて、思っても見なかった。ちょっと感動である。
30分ほど走って休憩となった。レストランのある新しい建物の中のトイレを借りる。
綺麗な上に無料でとてもありがたい。とはいえ、私たちはまだ無料のトイレしか使用していなかったが。f^_^;)
ウェイトレスさんが声を掛けてくれるがレストランには見向きもせずトイレだけを済ませて外に出ると、突然ゴーッっという音と共に頭上を紅白の戦闘機が3機ぴったりと三角形に並んで通過していった。
「今の何!? すご~いっ」
瞬く間にレストランの屋根の向こうに消えてしまった戦闘機に、トイレを済ませてバスの外でくつろいでいた人たちが感嘆して声を上げた。みきちゃんと私も、
「何やったん今の!? もう1回来てくれたら写真撮るのにな~」
と上空を見上げていると、かつて海上自衛隊にいたというおじさんがもう1度来ると断言してすぐ、その言葉どおり戻ってきた戦闘機が上空に現れた。今度も3機が三角形に並んで、そのまま固定されているかのようにまったくブレることなく上空を行き過ぎていく。
それで終わりかと思ったが、3分ほどして新たに5機が現れた。最初の3機と違い、飛行機雲のように噴煙を引きながらの飛行である。ピラミッド型に並んだ先頭の機が赤、その他は白の噴煙を引き、青空に線を描いていった。
みんな、アクロバット飛行に夢中である。ビデオカメラを回す人、写真を撮る人、ひたすら目で追う人。
テレビでは何度か見たことがあるが、生でアクロバット飛行を見るのは初めてだった私もデジカメで写真を撮りつつ目で追うのに忙しかった。
アクロバット飛行

出発時間になってバスに乗り、車窓から空を眺めつつ移動が再開された。
Eさんが「みなさんラッキ~です」と歌うような口調で話を始め、トルコについてのいろいろな話を聞かせてくれた。このときに話してくれたのかどうか記憶が怪しいが、自分の家族についてやクルド人問題について教えてくれた。Eさん自身も実はクルド人らしく、いまだに人種差別や男尊女卑が色濃く残る地域があることや、それでも現在はクルド人の国会議員もいて問題は一応解決しているらしいことを教えてくれた。クルド人についてはそれまでにも何度か話していたが、なんと「私の娘は……」と突然娘さんの話が始まり、私は一瞬耳を疑った。とても若いと思っていたEさんがもうお母さんだということに驚き、違う人の話かと思ったが、話しの先を聞いてもやっぱりEさん自身の娘さんの話のようで、改めて驚いた。Kさんのだんなさんも同じように驚いたようで、Eさんに確認していたくらいである。
Eさんの家は首都のアンカラにあり、娘さんはDちゃんという名で音楽の専門学校に通っていて、13歳になったらしい。なんと19歳のときに結婚してできた子供だとか。
Eさんって30歳超えてたのか……。
そう思って見てみると、そんな風に見えてくる気もする。外国人の年齢はわかりづらいな。(^_^;)
アンカラのホテルに着いたときにDちゃんが遊びに来ると言って、そのあとはEさんに対する質問タイムとなった。


Eさんが話してくれたトルコ話で覚えているのは、トルコはイスラム教国だと思われているが敬虔な信者は少なく、1日5回の礼拝をする人も少ないということや、ラマダン(断食)を実行する人も半数ちょっとであり、アタチュルクの政策によって女性が頭を覆うスカーフが禁じられたが今でも敬虔な信者は頭を出さないためスカーフをかぶること、ユーロの加盟国にトルコも入りたがっているがEさんは無理だと思っていること、トルコ人の平均月収は日本円にして7万円であるということ、トルコは観光客が多いため自然に英語やドイツ語、フランス語などを話せるようになる人が多く、最近では日本語もたくさん話されるようになってきたこと、などだ。
……もっとたくさん話してもらったのに、あまり覚えていないな。メモを取るべきだっただろうか。でも、乗り物で下を向くと酔うしなぁ。だからまぁ、仕方ないか。f^_^;)


地平線が見えるバスは、360℃見回しても平原が続く場所をずいぶんと長い間走った。まるで海原のように地平線が見えるのだ。1度、交差する道路を走ってきた自動車に会ったが、その自動車がやってきた彼方に目を向けても鉄塔が幾つか遠ざかって見えているだけで、建物らしいものが一切見当たらなかった。みきちゃんと2人で何度も「すっご~い」を連発し、身を乗り出すようにして車窓を眺めていた。
きっと夜になったらプラネタリウムもびっくりな星空が広がることだろう。大地に寝そべって見上げてみたい気分になった。が、見渡す限り何も見えない場所に取り残されたら、どちらへ歩いていけばどれくらいでどこに辿り着くのかわからなくて不安になるかも、とも思った。こんなことを考えるようじゃ、ロマンチックに浸りきるなんてことは難しいかもしれない。( ̄▽ ̄;)はは…


軽く2時間ほどそんな場所を走り、どこまで続くのかと前方に目を凝らしてしまったくらい直線だったその道中に何度か低い山や集落っぽい陰を見て、沈みゆく燃えるような夕陽を背後に眺めて自然の素晴らしさに感動し、夕闇が迫った頃ようやく町らしき中に入った。そしてこの日最後の観光、いや、写真ストップとなる『キャラバンサライ』に到着した。
キャラバンサライかつてシルクロードには40kmごとに隊商宿『キャラバンサライ』があったらしいが、今も残されているのは極僅かだとか。イスタンブールから中国の西安までぶどう酒や陶器類、絹や宝石などを積んだラクダの隊商が往来していた頃には、シルクロードにいったい幾つのキャラバンサライがあったのだろうか。気の遠くなりそうな遥かなる道のりを、いったい何日かけて旅したのだろう。……ほんとに気が遠くなりそう。f^_^;)
いつの間にやらシルクロードに入っていたことに驚きつつ、みきちゃんと写真を撮り合う。なんたって“写真ストップ”だし。(笑)
私たちが訪れたキャラバンサライはトルコ最大の規模を誇っていたそうで、1229年に建設された後火災で焼失したが1278年に再建された建物だそうだ。
隊商態と聞くと簡素な建物のイメージを抱いていたのだが、盗賊の心配をせず一夜の安全を得るためには堅固な建物が必要だったようで、5、6mはある高い石塀に囲まれ監視塔らしきものまである要塞のような建物だった。
キャラバンサライの彼方に微かに残照が覗き、本来は砂のような色をしているらしいキャラバンサライの石塀が薄っすらと夜を湛え始めた空に青みを帯びて見えていた。


50分ほど進み、売店が併設されている所で休憩を取った。
私たちはトイレに寄ることなく、売店に入ってみる。大学生の2人も同じく売店の商品を見て回った。そこへメブラーナ博物館で失礼な行動を取って顰蹙(ひんしゅく)をかっていたおじさんがやってきて、お気に入りらしい大学生の1人Kちゃんに「また何か買うのか?」とか女は買い物好きだなどと言い、「何も買ってませんよっ」と反論されていた。それでもしばらくつきまとっていたおじさん。明らかに嫌がられているのになぜ気づかないんだろう……。もしかして、アスクレピオン観光の頃からずっとだったのだろうか。
奥さんも一緒に来ているらしいのに、困った人だ。……奥さんとのツーショット、そういえば見ていないな。誰が奥さんだかわからなかったくらいだし……。困った人だ。o(-。-;)はぁ
みきちゃんはレモンの香りがする“コロンヤ”という万能液を見つけて欲しがっていたが、他に安くで売っているところがあるかもしれないとやめた。ここでの値段はいくらだったか忘れたけど……。
“コロンヤ”は、なんと香水であると同時に消毒等にも使える液体なのだそうだ。コロンヤの他にもそんな香水が存在するんだろうか。
そのあとみきちゃんと私がウィッグもどきの髪がついたヘアバンドやトルコ帽を見つけかぶったりしてはしゃいでいると、Mさん夫妻が興味津々といった様子で傍へやってきた。
そしてみんなでトルコ帽をとっかえひっかえかぶり合い、記念に写真を撮り合って「似合う~っ」と笑い合った。今思えば何がそこまでツボにはまったのか笑いが止まらず、おなかが痛くなるくらい笑った。
楽しかったなぁ~♪(*^o^*)


7時半近くになって、カッパドキアのホテル『ムスタファ』に到着した。
Eさんも言っていたが、この日いちばん大変だったのはGさんである。移動総距離約650kmをたった1人で運転してきたのだから。途中、景色の変わらない眠くなりそうな道も安全運転で私たちをここまで運んでくれたGさんに大感謝!!
バスを降りたときすでにGさんもスーツケースを降ろすために外に出ていて、どうしてもお礼をひとこと言いたくなり、Oさんに「お疲れ様でした、って英語でどう言うの?」と訊ねるとそういう言葉は英語にはないらしい。
「“Thank you”だけか“all the day”つけるか、“Good job”でいいと思うよ」
そう教えてもらった私は少し考え、Gさんに精一杯の気持ちを込め「Thank you so match!」と言った。Gさんが笑顔になり「どういたしまして」というように軽く頷く。どうやら伝わったようである。良かったっ。(^^)


白壁に臙脂(えんじ)系のファブリック、飴色の家具で統一され化粧台の他カウチもあるなかなかに豪華な部屋の写真を撮り終え、夕食を取りに1階へと降りた。またもやビュッフェスタイルだったが料理の数も多くトマトやピーマン、ぶどうの葉に炒めライスが包まれたドルマや豆料理などの数々の他、パンも数種、ケーキに甘そうなメロンまであり、スプーンに1さじずつ盛ってもとても乗り切らなかった。ケーキはやっぱり甘過ぎたが、それ以外はとてもおいしかった。
バースデー食事が始まった頃、突然照明が落とされてロウソクの灯されたバースデーケーキが運ばれてきた。オルガンの生演奏も行われていたのだが、その演奏もバースデーソングに変わる。
私たちの向かい側に座っていたおばさんの1人が、ちょうどこの日、誕生日だったのだ。EさんとOさんの計らいか、バースデーケーキを用意してもらってあったらしい。そして日本からは娘さんからお祝いメッセージがファックスで届いていた。感動の笑顔と少し嬉し涙を見せながらロウソクの炎を吹き消したおばさんに、祝福の拍手が沸き起こった。
なんて素敵な誕生日なんだろう。(* ̄- ̄*)
こんな風に海外旅行中に誕生日を迎えて祝ってもらえるなんて、ものすごく特別な感じがして一生の思い出に残りそうだ。思わず「私も誕生日に海外旅行しよっ♪」と言っていた。ぜひ実現させたいものである。
バースデーケーキはウェイターさんが均等に切り分けてくれて、全員のテーブルに行き渡った。あまり期待せずに食べてみたら、フルーツが生クリームとスポンジの間に挟まれたさっぱりとしたおいしいケーキだった。私たちも幸せのおすそ分けをもらって、とても楽しいひと時だった。これもいい思い出である。


夕食後いったん部屋に戻り、ホテルの名前が入ったところで写真を撮っておこうかと、Oさんを誘って3人で玄関に出た。そこで、初めて知った。ホテル・ムスタファは、なんと4つ星ホテルだったのだ。Σ( ̄ ̄*) そりゃあ部屋もいいはずだと納得した。
Oさんがもらったというワインのボトルを片手に掲げ、互いに4つ星の下で写真を撮った。

センサーで感知して照明のつく廊下を通り、部屋に戻る。が、このセンサーは感知するのが遅くて歩いた後ろで照明が灯るというちょっと間抜けな代物だった。前方は真っ暗なのだからあまり照明の意味を成していない気がする。(^_^;)
しかも早くドアの鍵を開けないと照明が消えてしまってエレベーターホール付近から漏れてくる明かりだけになってしまうため、ちょっと急かされたりもした。それってどうよ?( ̄_ ̄;)
私たちの部屋は奥まったところにあったため、鍵穴が見えなくなってしまうのだ。Oさんなんてもっと大変だった。突き当りをさらに少し曲がったところに部屋があったため、エレベーターホールの明かりなどちっとも届かないからだ。節電なのかもしれないけど、せめてお客さんが部屋に入るまでは灯しておいてよ……。

そのあと、Oさんと3人で私たちのちょうど隣だったMさん夫妻の部屋を訪問した。奥さんがどこからか黄色い皮のメロンを1個もらってきていて、それをみんなで食べようと約束していたのだ。
新しいカミソリを使って、奥さんが洗面台の横のスペースでメロンを切ってくれた。その間中おもしろい話をしてくれて、みんなおなかが痛いくらいに笑い、話に夢中の奥さんが「手が止まってる」と何度もだんなさんに言われた末、甘くてみずみずしいメロンをそれぞれに分けて賞味した。少し痛んでいる部分もあり、「だからくれはったんやな」と妙に納得して頷いていた奥さん。その様子がまた可愛くて、みんながきゃらきゃらと笑う。
Mさんの奥さんは本当に話し好きで、よく次々とネタがあるなと感心するくらいに一日のうちにいくつもおもしろいネタを仕入れてきては、私たちに話して聞かせてくれた。だんなさんも「あれ話したか?」と奥さんを促したりして、とてもほのぼのとした楽しいご夫婦だった。

長距離移動のわりにはあまり疲れた感じがしなかった楽しい一日は、こうして終了した。



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