月の旅人

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奇岩風景とトルコ絨毯

奇岩風景とトルコ絨毯




6時。この日も早い朝食である。
もうトルコでの朝食として個人的に恒例となったシリアルのヨーグルトかけとパン、甘~いメロンを食べ、40分後にはもう出発のためバスに乗車した。
みきちゃんはさっそく革製品のお店で購入した青の皮コートを着て、颯爽と観光に向かう。
いよいよ楽しみにしていたカッパドキア観光の始まりである。Eさんもカッパドキアは素晴らしい所だとかとても好きな場所だと何度も言っていた。旅行ガイドのEさんがそれほど言うだけに、尚更楽しみにしていたのだ。
三人美人岩岩山に穴を開けて造られた岩窟住居跡のすぐ横を通り抜け、10分もせずにこの日最初の写真スポットである『三人美人岩(エセンテペ)』に到着。カッパドキア独特の奇岩を初めて目にした瞬間である。形といい色といい、どうしてもしめじを想像してしまう。が、『妖精の煙突』というかわいい呼ばれ方が一般的である。そういう呼び方をすると、とてもファンタジックな光景に見えてくる。
太陽がちょうど美人岩と同じ高さに昇ったところで、とても幻想的な写真が撮れた。
この『三人美人岩』にも伝説があり、昔、父親と3人の美人姉妹が一緒に暮らしていたが、3人娘の全員が父親の気に入らない男と結婚してしまい、それに怒った父親が呪いをかけて娘たちを岩にしてしまった、というものだ。
なんて身勝手な父親……。(ーー;)
ま、岩になってしまったという伝説にいい話なんてないかもしれないけど。
美人岩の周囲はほとんど他にしめじ岩(←勝手に命名(笑))は見あたらず、伝説の親子が住んでいた、かもしれない住居跡が美人岩の下に見えていた。細い道筋がくっきり残っていたことを思えば、今も利用されているのだろうか。



カッパドキアはアンカラから東南一帯に広がる火山地帯で、数億年前に起きたエルジェス山の大噴火によって堆積した火山灰と溶岩が気の遠くなるような永い年月をかけて風雨に侵食され、今の光景を作り出したのだそうだ。
人が住み始めたのは紀元前8000年~7000年以上も前で、紀元前1900年頃のヒッタイト時代にはすでに交易ルートの要衝地として栄え、なんとカッパドキアという名もヒッタイト語らしい。“強く美しい馬の産地”という意味だとか。


鳩の谷からのウチヒサール三人美人岩から20分で『鳩の谷(ビジョンバレー)』に着いた。
左側に『ウチヒサール』という要塞跡も見えるこの谷は、雨に浸食された様子がよくわかる白い岩肌が剥き出しになった、これもファンタジーの世界のような景観である。
その岩のあちこちに小さな穴が並んで開けられている。これは鳩が住処にしやすいように開けられたもので、カッパドキアの名産となっているワインを造るために鳩の糞を集めて肥料として使っているらしい。
これといった農業ができるような緑地のない半砂漠のようなカッパドキアでは、ワインのブドウ栽培は貴重な仕事だったに違いない。Eさんいわく、昔から羊を飼って絨毯を織り、それを売って物資や食料を手に入れていたそうだ。そのため、女性は絨毯を織ることができてこそ一人前と見なされたらしい。嫁入りするのに自分が織った絨毯を持参しなければならないとか。
けっこう大変な土地柄かも……。( ̄- ̄;)
左に見える『ウチヒサール』はトルコ語で“3つの要塞”とか“尖った砦”という意味を持ち、カッパドキア地方で最も高い場所に位置する村が、中央にそびえる大きな岩の要塞下の斜面に貼りつくように密集していた。岩を刳り貫いて作られたその住居は、現在も使われているそうだ。
どんな住居なのか、ちょっと訪問させてもらいたくなった。


バスに乗って5分ほどで『ウチヒサール』の背後へ移動し、写真ストップとなって再度下車する。
目の前にしたウチヒサールはかなりたくさんの穴が開けられており、大きな穴には人が住み、上方に集中している小さな穴には鳩が住んでいて、別名『鳩の家』とも呼ばれているらしい。ヒッタイト時代にはすでにあったとか。なんて古い歴史なんだっ。Σ( ̄□ ̄*)
ラクダしばらくするとラクダを1頭引いたおじさんがやってきて、1人1ドルでラクダに乗って写真を撮らないかと言ってきた。乗りやすいように踏み台も用意されている。おじさんはこれを生業にしているようだ。1ドルは少し高いように思ったが、みきちゃんは乗馬ならぬ乗ラクダに挑戦した。私はその下に立って綱を引いているフリをし、傍にいたおばさんに頼んで撮ってもらう。
それを見たラクダ引きおじさんが私にも「1ドル!」と言ったが、それは聞いてないぞってなわけでするりとかわした。(笑) だって他の人も一緒に撮ってるだけの人は払ってないんだもの。
そそくさとバスに乗り込みGさんにほほ笑まれながら座席に戻って、出発を待つ。5分ちょっとの写真ストップで再び移動が始まり、車窓からウチヒサールを見るとおじさんがラクダを引きながら笑顔で手を振っていた。
ラクダに乗る人が少なかったうえに乗らずに写真を撮った人が多くて儲からなかったはずなのに、機嫌を悪くしていなかったようで少しホッとした。f^_^;)
ちょっぴり良心に責められながらおじさんに手を振り返し、ウチヒサールを後にする。


ギョレメの谷またまた5分ほどで下車となり、『ギョレメの谷』に到着。
谷が一望できるビュースポットのため観光客がよく訪れるのか、カメラのフィルムやポストカード、ドリンク類などを販売しているお店も1件あり、店主が飼っているらしい黒の雑種犬も1匹いた。犬小屋には「DENGER DOG」と黄色に青文字で書いてあり、「デンジャーって書いてあるでっ」と女子大生の子と言いながら見ていると、その犬が急に前足を揃えて前に出しお尻を突き出して“のび”を始めた。戦闘準備か!?(笑)
ま、しっかり鎖につながれていたため至近距離まで行かなければ安全だろうが、顔を見る限りとても穏やかそうな犬に見えた。尻尾まで振っていたし。( ̄▽ ̄;)
DENGER DOGはさておき、さっそくギョレメの谷をバックに記念撮影をする。背もたれのない丸太のベンチに座ってMさんやOさんと写し、EさんとOさんのツーショットも撮った。
Oさんは一人旅のおじさんのビデオカメラでそのおじさんを撮ってあげたり、Eさんもビデオカメラを手に撮影協力をしてあげていた。

エルジェス山彼方には霞むように雲ひとつない空の下エルジェス山が富士山のような美しい姿を見せていて、ギョレメの谷には上部をスパッと切り取ったように平らな山がその存在を主張していた。ビュースポットからその山の間には、たくさんのきのこ岩がトゲトゲと密集している。それらの中に、岩窟教会や修道院跡がたくさんあるらしかった。そのまま博物館になっているそうだ。4世紀頃からキリスト教の修道士たちが迫害から逃れるため洞窟を掘って生活を始め、信仰を貫いていったのだ。聖書の教えを描いた美しいフレスコ画が壁一面に残っているとか。
カッパドキアといえばそれらの教会を見るのも重要な観光の1つだと思うのだが、私たちが参加したツアーではビュースポットから谷を眺めるだけに終わった。
『ギョレメ』とはトルコ語で“見てはならないもの”という意味を持っているらしい。イスラム教徒であるトルコ人が異教徒のキリスト教が広がるその地に命名したのか、キリスト教徒たちが命名したのか、いったいどちらなのだろう。どちらだとしても、相容れない宗教というものは難しいようだ。宗教がこの世に1つだったら、今の世の戦争やテロも格段に少なかっただろうに。

写真をひと通り撮り終わってふと見ると、Gさんがお店に設置されたテーブルで新聞を読んでいた。そこに女子大生のKちゃんがするすると近づいて背後に回り、突然肩たたきを始める。初めは驚いたGさんだったがすぐに笑顔になり、その光景を私がデジカメに納めると照れたように笑った。それを後ろで見ていたKさんのだんなさんがにやりとして近づいてきて、そっとKちゃんと入れ替わって肩たたきを始める。しばらく気づかなかったG
さんだったが、私たちがおかしげに笑うものだから何かを察したらしく後ろを振り返り、「Oh!!」と驚き声を上げて笑った。
初めは近寄りがたい人に見えたGさんだったけど、この頃にはもうそんな雰囲気は微塵も感じられなくなっていた。


バスで石畳の坂道を登り、新たなビュースポットで停車。
そこは何という谷か定かではなかったが、少し高い位置にある岩のうえへ登る道筋があった。でも足場が悪いため、私は行くのをやめた。転げ落ちでもしたら大変である。みきちゃんはMさんや他の人たちに続いて登り、写真を撮ってきてくれた。私は現像されたその写真を見て満足することにする。
ここもやはり観光バスがよく停まるスポットなのか、2、3歳くらいの小さな女の子(たぶんf^_^;))を連れたお母さんが品物を売りに来ていた。子供は花柄の刺繍の入った黒の頭巾をかぶり、青い瞳がとても印象的で、お母さんが焼いてくれたのかクッキーを持ってかじっていた。
バスに乗る直前にその子供を見つけた私たちは声を揃えて「可愛い~♪」と言い、みきちゃんの要望に応えてデジカメにツーショットを収めた。


約15分後。次に到着したのはトルコ絨毯のお店である。店名は残念ながらわからない。f^_^;)
ついでにEさんに教えてもらったメルハバ上級編も忘れた……。
「メルハバ」とはトルコ語で「こんにちは」という意味である。が、Eさんはお店の店長さんらしき人と大学時代の友達で、彼に対して皆さんでこう挨拶しましょうとメルハバに言葉を付け足して教えてくれたのだが、メモしておかなかったためにすっかり記憶の彼方である。
がっちりした体形の背の高いその人は、ネクタイを締めずラフに2つほどボタンを開けた白シャツに黒のスーツ姿で現れ、私たちが声を揃えて挨拶すると笑って挨拶を返してくれた。
ところがこの人、トルコ語で挨拶する必要もないくらい日本語がペラペラだった。癖もほとんどないくらいに。
そんな彼の案内と説明でまずは蚕から絹糸を取る工房に入り、そこで工程を実際に見せてもらう。と言っても、煮えた釜で踊っている蚕からくるくるとミシン糸のコイルくらいの大きさのものに糸が巻きつけられていくのだが、糸が細過ぎて見えやしなかった。最初はそれほど細いが、より合せて絹糸を作っていくらしい。機械でくるくると回転させて取っていて糸が切れないのかと思ったら、蚕の糸は見た目より丈夫らしく些細なことでは切れないようだ。

糸紡ぎ工房を出ると、3匹の羊が木陰に集まっていた。2匹は白く、残りの1匹は胸の辺りから前方が黒い。みきちゃんが白羊の首筋をなでながら写真を撮ったが、油っぽくて手が汚れたようだった。確かに、見た目も綺麗には見えなかったけど。(^_^;)


絨毯織り今度は織り子さんたちが実際に絨毯を織っているところを見せてもらう。ミニログハウスのような小屋のような建物の中に、10代から40、50代くらいの織り子さんたちが5人、それぞれ絨毯製作をしていた。カッパドキアの女性は自分の織った絨毯を花嫁道具の1つとして嫁ぎ先に必ず持参するらしい。絨毯が織れなければ一人前と認めてもらえないとか。
不器用なうえ細かい作業が苦手な私には一種の拷問かも。(笑) カッパドキアに産まれなくて良かった。(; ̄o ̄)=Эホッ
お店の人は日本語ペラペラだったが織り子さんたちは誰も日本語を話せないようで、誰かが話しかけたが「……?」と首を傾げてほほ笑んでいた。
10代か20代らしき女の子2人以外は、3人とも頭をすっぽりとスカーフで覆っていた織り子さんたち。敬虔なイスラム教徒、キリスト教徒、どっちだろう。あるいは単に織るときに邪魔になるから髪を覆っていただけ、ということもあるかな。

ここで、トルコ絨毯の特徴についてEさんのお友達が説明してくれた。
絨毯といえばペルシャ絨毯が有名だが、その歴史はトルコ絨毯のほうが古いらしい。絨毯の発祥地なのだそうだ。織り方に特徴があり、他国の絨毯がシングルノット(ノットとは結び目のこと)なのに対してトルコ絨毯は縦糸を2本結ぶダブルノット方式で、とても丈夫な織り方なのだとか。それゆえペルシャ絨毯は機械織りも可能だが、トルコ絨毯は手織りでないと不可能らしく、トルコ絨毯こそ世界一だと断言していた。
そんな世界一のトルコ絨毯の技術やデザインは母から娘へと代々受け継がれ、細かな模様の絨毯や結び目の細いシルクの絨毯のほとんどを20代前の女の子たちが織っているらしい。目の細かい絨毯は、指先が細く繊細で目の良い少女が適任なのだそうだ。20歳代ですでに目の疲れが少ないノット数の絨毯に転向するという。20代でもうおばさんって感じ……。( ̄▽ ̄;)
この工房では羊毛の染色をケシの実やナスの皮、サフランやお茶、藍染めなど天然染料を使用していて、染めずに毛色をそのまま生かして織ったりもするそうだ。合成染料を使用すると年月の経過につれて色褪せていくが、天然染料の場合は色に深みが増して味わい深くなるのだとか。さらにトルコ絨毯は踏めば踏むほど結び目が詰まって丈夫さが増し、半永久的に使用できると胸を張って自慢していた。
トルコ絨毯に対する知識などまるでなかった私だったが、根が単純にできているため、帰国後に広告やデパートなどで絨毯を見かけると「トルコ絨毯が世界一やねんで」とつい思ったり口にしたりしてしまう。すっかりトルコ絨毯屋さんの回し者状態?(笑)


絨毯屋さん続いて、いよいよ絨毯販売の開始である。
無地のベージュ色系の絨毯が敷かれ壁一面をトルコ絨毯で飾られたフロアに通され、その壁に沿ってコの字に設置されている木製ベンチに座るよう促された。サービスとしてドリンクをもらい、みきちゃんは『ラク』というアルコール度数の高いお酒に挑戦、私はもう恒例となった『エルマチャイ』をもらった。それを飲みながら、改めてトルコ絨毯のすばらしさを語る店員さんの話に耳を傾ける。
1cm四方の中にノットが幾つあるかで図柄の細かさや滑らかさが変わり、当然ながらそれにしたがって高価にもなっていくそうだ。中には数ヶ月~1年以上かけて織られた絨毯もあるらしい。
そして木製ベンチのない一辺に筒状に丸めて所狭しと立てかけられていた絨毯が、お店の人たちによって次々と広げられていった。こういう商品は実際に触ったり裏返したりして品質を判断するものだということで、靴を脱いで絨毯の上を歩いたり触ったり裏を見たりしてくださいと、自信を持って進めるEさんのお友達。
私は靴を脱ぎまではしなかったが、数万円の絨毯と数百万円の絨毯をその手触りで違いを確認し、「全然違~うっΣ( ̄ ̄*)」と、ありきたりなコメントをして驚いた。
ま、専門家でもレポーターでもない素人なら、大抵そんなもんだろう。現に、みきちゃんも似たり寄ったりな感じだったし。(笑)
中でもヘレケ産の最高級絨毯を触った後に手頃な絨毯を触ってみると、もうヘレケ以外は粗悪品に思えたと言っても過言ではないかも。高級な絨毯は裏返しても表と大差ないくらいに綺麗に模様が出ていて、裏返して敷いていても言われなければ(言われても?)気づかないのではないかと思った。……それはボケボケは私だけ?(笑)
一切染色されていない羊毛本来の色を活かして織られた絨毯も見せてもらったし、300万円のシルクの絨毯も見せてもらい、その独特の光沢や絵画のような美しさにうっとりとなった。でも個人的には染色なしの羊毛の絨毯が一番好みだったかな。素朴で部屋にいい趣を与えてくれそうで。
Oさんは300万円のシルクの絨毯が柄も色もお気に入りで、私たちのリクエストに応えて絨毯の上に寝そべり、“私の絨毯”状態で写真に収まった。300万円もするなんて、ここでしかそんな体験できないもんね。もちろん私も、でんっと偉そうに座って撮ってもらった。発想が貧困?(笑)
さらにそこら中に広げられた絨毯を前にまだ広げられていない筒状の絨毯を背にして立ち、人の途切れた瞬間を狙って“これぜ~んぶ私のもの”風にみきちゃんに写してもらい、幾つか寝かして詰まれている筒状の絨毯をベンチ代わりに座ってお店のお兄さんに肩を抱き寄せられ“ラブラブツーショット”写真もどきも撮り、散々触りまくり乗りまくりのあげく購入する気のまったくない私たちは、一足お先にお店の外に出た。

もう一度、織り子さんたちの機織り小屋に入ってみる。先刻はツアーの人たちで溢れていて傍でじっくり見られなかったが、今度は織り子さんたちの傍に座ってじっくりと手元を観察する。そのうち織り子さんの1人が「ここに座ってやってみる?」と仕草と表情で誘い、さっそくみきちゃんが彼女の隣に座ってチャレンジした。
見ている分にはとっても早くて簡単そうなのに、いざやるとなるとコツを掴むまでは大変そうだった。当然図案どおりの色でその場所に織り込まないといけないわけで、ダブルノットにし終えたあとはピッと強く引っぱって毛糸を切り、ある程度その一列を終えると結び目を詰めるために平たい物でタンタンッと叩いて織っていた。
みきちゃんはさすがにそこまでできないため、1回だけ見よう見マネでダブルノットにしただけである。でもその記念に織り子さんがみきちゃんの手首に毛糸1本結び、さらに毛足を揃えるためにハサミで切り落とした毛糸クズを手に乗せてくれた。
私はそれらの様子をデジカメに何枚か収め、最後に織り子さんたちの写真もみんな撮って見せてあげると「その写真送ってね」とジェスチャーでお願いされた。「OK!」と答え、焼き増しもちゃんとしてあとは送ればいいだけ……なのだが、絨毯を買った人に教えてもらったお店の住所はイスタンブール支店になっていて、カッパドキアに送らなあかんよなぁ……、と思って送れず、インターネットで調べてみてもわからず、メールアドレスを教えてくれたEさんはいっこうにメールが返信されて来ず、結局まだ写真は私の手元にある……。(;一一)ゞ
いつか再度カッパドキアに訪れて直接渡すしかないのかなぁ。
それって……いつ?(ーー;)



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