月の旅人

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地下都市を経て塩湖の夕景

地下都市を経て塩湖の夕景





レストランから30分ほどの場所に、次の目的地『カイマクル地下都市』はあった。
1964年に発見されたがいまだ発掘途中で、その全容は現在も明らかになっていないそうだ。地下8層から成っていることは判明しているらしいが、観光客には地下4層目までしか公開されていない。
地下都市はイスラム教徒の迫害から逃れるため、推定15,000人ものキリスト教徒たちが居住していたといわれている。だが生活の痕跡がまるで無く、生活用品やゴミ、書物や落書き、遺骨などの他、キリスト教徒の居住跡に見られる宗教壁画すら何も残されていないため、使用された時代や期間は謎だそうだ。本当に人が生活していたのなら、墓地に骨くらい残っていそうなものだが……。
地下都市の歴史は古く、最初に鉄器を使用したことでも有名なヒッタイト人が食糧の貯蔵のために造ったものだと言われているらしい。しかしそれも定かな説ではなく、本当に謎に包まれているようだ。紀元前5世紀の歴史家ヘロドトスがすでに、カッパドキアの地下都市は現在のような構造をしていたと著書に書き記しているらしく、それよりも古いことだけは確からしい。一説には鱗を持った一族が住んでいたとも言われているとか。こうなるともう『ロード・オブ・ザ・リング』の世界のようである。謎が多いということは夢があっていいのかも。

カッパドキアには『カイマクル地下都市』の他にも『デリンクユ地下都市』や、あまりにも深過ぎて推定人口も特定されていない『ギョズテジン地下都市』、発見はされいてるが未発掘の地下都市やまだ未発見の地下都市が300以上存在しているらしく、すべてを合わせると数十万人が居住可能なのだそうだ。Σ( ̄□ ̄;)すごっ!!
しかも都市と都市は地下通路で結ばれていて行き来ができるようになっており、『カイマクル地下都市』と『デリンクユ地下都市』も10km程もある通路で繋がっているとか。
凄過ぎである。пヾ( ̄- ̄*)へぇ~へぇ~へぇ~
が、それだけで驚いていてはいけない。
なんと地下都市には居住のための部屋、厨房、食堂、トイレの他、ワイン醸造所に食糧貯蔵所、照明などの燃料貯蔵所、家畜部屋に飼料部屋、地表から水面までが100mにも達するという井戸、集会場に学校に教会、墓地、病院や役所などまで、都市として機能するに必要なものはすべて揃っていた。
地下都市その都市の中心部を底が井戸になっている通気孔が垂直に貫いていて常に新鮮な空気が流れるようになっており、各階層は傾斜した狭い通路や階段でつながり、通路と部屋の境目の随所に敵の侵入から身を守るため通路を塞ぐ円形の石扉も設置されていた。炊事場には汚水処理設備や調理の際に出た煙などを通気孔へ誘導する換気装置も備えられ、1枚岩の大きなテーブルには調味料などを入れる窪みが幾つも開いていた。

カイマクル地下都市見学の際に、私たちもそれらの幾つかを見ることができた。
通気孔をちょっと覗き込んでみたが、いったいどれほどの深さがあるのか、本当に8層しかないのか、底がまったく見えず闇の中に消えていた……。
通路や部屋の壁には所々窪みが作られそこにオイルランプが置けるようになっているが、現在は電気が通され人工的な照明が見学可能な地下都市内を照らし出している。
椅子やベッド、テーブルなどは掘り出して造られた、いわば造りつけで移動不可能だったが、矢印に沿って進まないと迷子になりそうな迷宮のごとき地下都市は、まさに生活の場として機能し得るのだと少し実感させてくれた。
でもいつだったかテレビで人間は長期間太陽の光を浴びないと精神不安定になり、骨粗しょう症や睡眠障害など身体的にも悪影響を及ぼすと聞いたことがある。どれくらいの期間だったか忘れてしまったが、それほど長くはなかったはずだ。ということは、都市機能を持ってはいても、地下で生活できるのには限りがあるということになる。その限界すらも信仰の上には障害とならないのだろうか。
私は見学を終えて地上に出た途端、開放感を覚えた。短い時間でも何か圧迫されるものを感じていたのかもしれない。だからこそ地上に出ることも叶わず地下で生活するなんて、とても想像できなかった。

地下都市カイマクル地下都市の前は、両脇に土産物店が並んでいる。私たちとOさんは写真を撮っていて地下都市を出るのが最後になり、Eさんが心配してOさんの名前を大声で呼んだ頃地上に戻った。土産物店ではすでに他の人たちがお土産探しをしていて、私もあるお店の前を通りかかったときふと目に止まったものがあった。
おっ、これはおもしろそう。( ̄ー ̄)にやり
お土産を見つけたわけではなく、楽しい写真が撮れそうな一品を発見したのだ。(笑)
それは、金糸と金色のビーズで編まれた三角形のスカーフのようなものである。実際にはダンサーが腰に巻いたりするのかもしれないが、私はそれをひょいひょいと両肩に引っ掛けて胸に下げてみた。ちょうど黒っぽい服を着ていたためそれがいい感じに浮き上がる。
そういう“妙なもの”がやけに似合うらしい私は、案の定みきちゃんに絶賛された。(笑)
しっかりカメラにも収まり喜んでいると、それを見ていたMの奥さんが「お父さん私も撮って」と、私の持っていたものに白い模様が少し入ったそれを胸にかけて楽しそうに笑い、私たちもそれが伝染って笑った。3色ほどの原色のチェック柄のシャツを着ていたためMの奥さんのそれはあまり浮き上がらなかったが、本人は至って満足気だった。
その様子がとても可愛くて、だんなさんが撮っている横から私も失礼して撮らせてもらった。あんなふうに可愛くて楽しいおばさんになれたらなぁ。(^^ゞ


バスに乗ると、Eさんがみきちゃんと私の席にやってきて、真紅地に金の刺繍が入ったトルコ帽をそれぞれにくれた。なんと、プレゼントしてくれたのだ。Σ( ̄ ̄*)まっ♪
実は前夜の夕食後、トイレ休憩で立ち寄ったお土産屋さんでMさん夫妻と共にトルコ帽のかぶり合いをしたときの画像をEさんとOさんにも見てもらい、翌日も同じ休憩所で停車すると聞いていたから「明日一緒にかぶって写真撮りましょ(^o^)」と誘ったところ「撮りましょう(^-^)」と快諾してくれていたのだ。
でもまさかトルコ帽をくれるなんて思ってもいなかったから、喜びより先に驚いてもらってもいいのかと少し考えてしまった。そんな私たちにEさんはあなたたちのために買ったものだからもらってと言い、Oさんにも1つ、そして自分も1つ、計4つも購入してくれていた。
嬉しくなってバスの出発後もトルコ帽をかぶっていた私たちに、後ろの座席だったKさん夫妻や他の人たちが気づいて「似合うなぁ~」とか「それ買ったん?」とかそれぞれ言葉が飛んできて、答えていいものかほんの少し迷ったものの正直に「Eさんに……」と呟く。見ると、EさんとOさんもトルコ帽をかぶっていた。
4人が仲のいい友達みたいでなんだか嬉しかった。(*^^*)

予定通り、前日と同じアクサライという場所でトイレ休憩になった。
バスを降りてトルコ帽を売っているお土産屋さんに直行した私たちだったが、EさんもOさんもちっともやって来ない。仕方なくトルコ帽の前から離れバスの停まった正面のオープンカフェのようになっている場所に戻ると、そこにEさんとGさんがコーヒーを飲んでいる姿を見つけた。Eさんはトルコ帽はしっかりかぶったまま、タバコを吹かしつつアイスクリームの乗ったフレンチトーストのようなものまで食べていた。
お土産屋さんであれこれとおもしろトルコ帽をかぶることはあきらめ、Eさんに誘われるままテーブルに近づくと、Gさんが立ち上がって「どうぞ」と言うように椅子を示して笑顔で譲ってくれた。なにやら追い出したようで申し訳なかったが、Oさんも呼んで4人で椅子を寄せて座り、Gさんにシャッターを押してもらった。
するとそれを傍で見ていたトルコ人らしき10代後半くらいに見える2人の女の子が、私たちに一緒に写真を撮ってほしいと声をかけてきた。EさんとOさんが席を代わり、Eさんがシャッターを押してくれる。私も記念にと、デジカメでもう1枚撮ってもらった。
今回の旅は本当にトルコの人たちと一緒に写る機会が多いなぁ。楽しい♪


中央アナトリア高原地帯の一本道が続く広大な草原をしばらく走ると、左側にまさに今夕陽が沈まんとしている雄大な風景が広がった。Eさんが『トゥズ湖』という塩湖だと教えてくれる。遥か彼方に薄く見える湖面と稜線が夕陽に染まり、宇宙の色になりつつある空とオレンジを微かに残して黒く見える地表がなんとも言えぬ自然の美しさを醸し出し、デジカメ片手に陶然と眺めていた。
塩湖の残照『トゥズ湖』のトゥズとはトルコ語で塩を意味し、琵琶湖の3倍の面積を誇るトルコ第2の湖である。紀元前1500年頃までは内海だったらしい。トゥズ湖には川はほとんど流れ込んでおらず降雨量も少なく、塩分濃度はあの死海よりも濃く世界一だとか。当然魚は住めない。しかも塩の結晶で足を切ったりしてしまうほど高い塩分濃度のため、泳ぐこともできないとか。
冬は水深8mほどになる場所もあるらしいが、乾期の夏は塩の上を歩いて渡れるほど一面真っ白になるそうだ。ただし、歩いて渡るには相当の覚悟がいるそうで、渡り切る前に太陽熱と下からの照り返しで自分が塩を噴いて干からびそうになるらしい。( ̄▽ ̄;)
それを言うなら、雨期は寒いわけで、そのときに水が溜まっても泳げる泳げない以前に寒くて誰も泳ごうと思わないよね……。
ちなみにトルコ最大の湖は『ヴァン湖』と言い、その町には真っ白な毛並みで左右の目の色が異なっている神秘的な猫がいることで有名なのだとか。その名も『ヴァン猫』と言うそうだ。保護と繁殖のため、すべてのヴァン猫は大学の施設に集められているらしい。
聞くだけでも神秘的なヴァン猫、この目で実際に見てみたかったな。

さて、『トゥズ湖』でも写真撮影のため少しバスを停めてくれた。
トルコ帽をかぶったままさっそく降り、夕陽を頭に乗せているように見える感じで写真を撮り合う。相変わらず普通に写真を撮らない2人である。(笑)


トゥズ湖を出てから2時間半ほどで、トルコの首都アンカラに入った。
夜の街を走っている途中Eさんの声に窓の外を見ると、ライトアップされた『アタチュルク霊廟』が見え、それから10分も経たずしてこの日宿泊するホテル『イッカレ・アンカラ ICKALE ANKARA』に到着した。
魔法の扉でも開けるのかと思うようなゴシックな鍵のキーホルダーがついた鍵をもらって部屋に入り、赤いファブリックで統一された綺麗な室内にビックリ。トルコ旅行の日を追うごとにいい部屋になっていく気がする。しかも私たちの部屋は3人部屋なのか、ベッドが1つ余分に置かれた広い部屋で、喜び勇んでまた写真を撮り合った。
20分ほど後に2階の食堂へと向かう。夕食ではとても楽しみなことが待っていた。アンカラで音楽専門学校に通っているEさんの娘さんDちゃんが、ここへ訪問することになっていたのだ。
全員が揃って食事が始まってすぐ、Eさんが紹介してくれたDちゃんはまだあどけなさの残る13歳で、華奢な可愛い女の子だった。Eさんのお母さんも一緒に訪れていて、Dちゃんはお母さんのEさんより銀縁眼鏡で笑顔の優しいおばあちゃんに似た顔立ちをしていた。
そのDちゃんが、持参したバイオリンをで曲を披露してくれた。音楽のことはよくわからないが、素直で優しい音色に聞こえ、演奏が終わるとたくさんの拍手をもらっていたDちゃん。

前菜!?メインディッシュデザートのライスプディング

Mさん夫妻、Kさん夫妻と同じテーブルで、美味だったが腹持ちのいいポテトや生クリームを使用した料理が多くデザートのライスプディングをふぅふぅ言いながら食べ終え(←それでも食べる(笑))、すぐにみきちゃんとEさん家族の席を訪ねて一緒に写真を撮らせてもらった。
Dちゃんはとても人懐っこい女の子で、ピースをしたり身を寄せて私と腕を組んだりして
とても楽しそうに笑顔で写真に納まっていた。Eさんのお母さんも見るからに優しそうで笑顔を絶やさない人だった。
Eさんは仕事柄留守が多いけど、Dちゃんの笑顔はとても幸せそうだった。おばあちゃんと呼ぶにはまだ若々しい優しいおばあちゃんが一緒なら、Eさんも心配なく仕事できるんだろう。だんなさんがどんな人か、ちょっと見てみたくなった。きっといいパパなんだろうな。


食後ホテル内のいくつかで写真を撮り、ベルボーイのおじさんとお兄さんにほほ笑まれながら回転扉を通ってちょっと外に出てみると、ちょうどMさん夫妻もホテルをバックに写真を撮ろうとしているところだった。
私も混ぜてもらって一緒に撮る。どこかあたりを散策しようかと思ったが、見る限り何も無さそう。かといってそのまま中に入るのもつまらないと、ホテルの隣にあったお店に入ってみた。靴やサッカーボールなどが売られていて、スポーツ用品店のようだ。
……つまらない。( ̄▽ ̄;)
スポーツをすることにはまったく興味がないため、特に見るものもなく店主のおじさんに愛想笑いをして出てきた。
ちょうどそこへウサギの耳がついたピンクのフードジャケットを着た赤ちゃんを抱いただんなさんと、黒のハイネックに純白のパンツスーツ姿の奥さん、そして眼鏡の奥の目が優しそうな赤い頬のおばあちゃんの家族連れが通りかかった。
「かわいい~♪」
またもや赤ちゃんに釘付けになった私たちと快く笑顔で写真を撮ってくれた家族は、振り返って私たちに手を振りながら街路樹の並ぶ石畳の歩道を歩き去っていった。


ホテルの中に戻り、Oさんの部屋に電話を掛けてみる。
「遊びに行っていい?」
了解を得て、同じフロアの端にあったOさんの部屋を訪れた。シングルルームながら広々としたいい部屋で、ベッドも心なしかセミダブルくらい大きく見える。
まだしっかりと名札を胸に着けたままだったが、靴下も靴も脱いですっかりくつろぎモードに入っていたOさんと互いの仕事のことや他愛も無い話で盛り上がり、気がつくと日付が変わろうとする時間だった。シャワーもまだ浴びていないため、「また明日! おやすみ~」と言ってあわてて部屋に戻り、また楽しい一日が終わった。



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