月の旅人

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建国の父と古代文明

建国の父と古代文明




朝食は少し遅く8時から取った。
トルコはパンが主食だからか、どのパンを食べてもあまりハズレがない。ドライフルーツの入ったパウンドケーキとシリアルのヨーグルトかけの他、チーズやハム、トマトなどを平らげ、牛乳で飲み下して部屋に戻り、スーツケースを出してチェックアウトする。
なぜか回転扉の外が騒がしい。それにやけに人が多い。
私たちも鍵を返したあとさっそく出てみると、バレーボール選手団がおじさんやおばさんたちに握手やサインを求められているところだった。それぞれに写真も撮ったりしているため、何人もの選手のサインをもらっていたMのおじさんを見つけて「どこの選手?」と聞いてみたが、よくわからないらしい。他の人に聞いても国名がいくつか出てきて、どれが本当だか定まらなかった。でも最終的にはルーマニアの選手であることがEさんかOさんによって判明し、選手たちがホテル前で並んで集合写真を撮るところに私たちツアーの団体もお邪魔して一緒に撮らせてもらった。さすがにみんな背が高いため、前に普通に立っても顔が隠れたりしない。
先にバスで去って行ったルーマニアのバレーボール選手団を手を振って見送り、朝から賑やかな私たちもバスに乗り込んで移動開始。


20分ほどで『アタチュルク霊廟』に到着し、その広大な敷地に入ろうと守衛所の横の車道を登っていこうとしたが、バスを止められた。Gさんが衛兵の1人とトルコ語で何か話していたが、当然ながらさっぱり理解できない。結局、バスで乗り入れることができないらしく、道路の端に寄せて停めることになった。
改めて守衛所へ行き、空港のように荷物検査とボディチェックを受けてから通る。
さっそく目についたのは、入場口の両端で人形のようにピクリとも動かない衛兵さん。瞬き以外、本当に動かない。私たちが傍に寄って写真を一緒に撮っていても視線すら動かなかった。
そんな観光客の撮影対象と化していた衛兵さんだが、いつでも攻撃体勢に入ることができるように右手には筒の長い銃を杖のように持ち、左手は背後へ回してベルトホルダーに掛けられている剣の柄を握っている。
心の中では何を思っていたんだろう……。
勝手に撮ってんじゃねぇよ、うるせぇなぁ。
とか思ってたりしたのかな。( ̄▽ ̄;)
それとももう慣れっこ?


霊廟は丘の頂にあるため、低木の垣根に沿ってアスファルトの坂道をえいこらえいこらと登って右に曲がると、左側に階段が見えてきた。階段の上にもガラス張りのボックスがあり、衛兵さんが護衛していた。
階段を登り切ると、途端に視界が開ける。広大な広場になっているのだ。右側にギリシャの神殿を直線的にしたような巨大な建物が階段上にあり、それが『アタチュルク霊廟』だった。私たちが登ってきた階段の正面には両脇にライオンの彫像が座して並ぶ石畳の道が続いていて、左側は街を見下ろせる回廊になっていた。
アタチュルク霊廟とにかく広い。どれだけアタチュルクが国民に大切に思われている存在か、一目瞭然といった感じである。

そのケマル・アタチュルクは、トルコ共和国建国の父と呼ばれ、初代大統領を務めた人物である。第一次世界大戦時、ドイツとオーストリアに協力して惨敗したオスマントルコ帝国は連合国に国土の大半を取り上げられ分裂の危機に瀕し、その危機に奮起してトルコ国民軍を創って立ち上がったのが当時軍人であったムスタファ・ケマル・パシャだった。ギリシャに奪われた国土を取り返したのを手始めに、その巧みな戦略で侵略者を次々と追い払い、条約を結び、近代化のためスルタン制を廃してオスマン王家を追放して栄華を極めたオスマントルコ帝国を滅亡させ、1923年、トルコ共和国を建国して初代大統領に就任した偉大な、偉大すぎるほどの英雄なのだ。
大統領に就任してからの業績も素晴らしい。首都をトルコ西端のイスタンブールから中央部のアンカラに移したアタチュルクは、政教分離を行ってイスラム教を非国教化し、イスラム暦を廃止して西洋暦を取り入れた。イスラム文字を廃止してアルファベットを採用し、一夫多妻制を廃し、トルコ帽と女性の頭部を覆うスカーフを廃止し、イタリア刑法を採り入れ、新憲法を作り、などなどその改革は脳出血で亡くなるまでの15年間で数多くある。
アタチュルクがいなければ今のトルコはないに違いない。そのためムスタファ・ケマル・パシャは“トルコの尊父”という意味を持つ“アタチュルク”と呼ばれるようになった。

そのアタチュルクが手本としたのが、なんと日本である。短期間に近代化を成し遂げた明治維新を模範とし、トルコ近代化に活かそうとしたのだとか。国民にも「日本を見習うように」と呼びかけたため、トルコ人の親日感情がさらに高まったらしい。
それ以前から日露戦争で日本が勝利したことに尊敬の念を抱いていて、ロシアのトルコ侵攻に助けを求めるべく日本に派遣した使節団が大島沖で台風により遭難した際に、台風吹き荒れる暗い夜の中、島民総出で初めて見る外国人たちを救助し、食糧難の時代に非常食までトルコ人に与えて救い、それを知った明治天皇が軍艦2隻を出して使節団をトルコへ送り届けたことにトルコ国民は感動し、その感謝の思いを忘れないために教科書に載ったり絵本にもなっているそうで、今でもトルコ人が好きな外国人は日本がダントツでトップなのだ。
その絵物語の1つをネット上で発見。興味のある方は是非ご覧ください。→ 『絵物語 エルトゥールル号の遭難』

トルコのお札がすべてアタチュルクの顔になっているほど現在も親しまれている彼の神殿のような霊廟を前にして、Eさんが説明をしてくれた。そのあと霊廟に入り、その荘厳さに改めて圧倒される。
トルコ各地から集められた建築素材や技術など、当時のトルコのすべてを結集させて造られた霊廟の天井は高く、黄金に輝く梁が整然と連なっていた。とても大きな霊廟だが中はほとんど何も置かれておらず、がらんとしている。最奥に大理石の台座が置かれており、その下に遺体が安置されているそうだ。

霊廟を出て階段へ戻り、衛兵さんの他に3人の警備の人たちとOさんと並んで写真を撮った。11月~3月は1時間に1回衛兵の交替式が行われるらしいが、残念ながらそれを見ることはできなかった。1時間に1回やっているのに見られなかったなんて、運がないなぁ。ちなみに4月~10月までは2時間に1回行われるらしい。
それから正面の石畳の通路へと行ってみる。ちょうどMさん夫妻もそこにいて、集合時間が近づいていたため急ぎ足で通路を奥へと進んだ。途中、ライオンの彫像の口に手を入れて“真実の口”もどきの写真を撮り、一番橋まで進んでその両端に男性像と女性像に分かれて向かい合って立っていた3体ずつの彫像と同じ仕草をして撮った。男性の彫像は学者、羊飼い、軍人を表していて、トルコ共和国にとって非常に大切な職業だという意味が込められているとか。女性像はそれを助け、国民一体となってトルコ革命を成功させたことを称えているらしい。
本来はここが正面入口だそうだが、バスがなぜか中に入れなかったんだから仕方がない。
その像の後ろにぞれぞれ四角い石造りの小さな建物があり、中に霊廟ができるまでの様子を伝える資料などが展示されていたが、じっくり見ている時間はとても無く、長い距離を大急ぎでバスに戻った。(; ̄o ̄)=Эふぅ


次に向かったのは、かつてキャラバンサライ(隊商宿)だった建物を改造して造られた『アナトリア考古学博物館』。別名『ヒッタイト博物館』である。
旧石器時代、新石器時代、ハッティ、ヒッタイト、ローマなどの各時代の出土品や宝物など、歴史的価値の高い品々が展示されていて、アンカラの必須観光スポットとなっている。中にはヒッタイト帝国の首都ハットゥサにあった、王の門のレリーフの現物もある。
またまた人懐っこい猫に歓迎されて券売所に並ぶ。とても可愛い虎猫で、しゃがんでなでていたみきちゃんの肩に乗っかって“肩乗り猫”と化し、すました顔で座ったりしていた。
ほんとにどうしてトルコの猫はこんなに人懐っこいんだろう。警戒心というものがまるでない。日本の猫とは大違いである。猫好きにとってはたまらない国だな、きっと。
トルコ人が親日家なだけに、猫たちも親日家なのか?(笑)


中に入ると、Eさんが出土年代や場所、それにまつわる話などを説明しながら進んでくれる。ここまでのトルコ旅行の間でもEさんの知識の豊富さには感心させられっぱなしだったのに、博物館の中に展示されているものまで知り尽くしているとは驚愕である。かなり尊敬してしまった。きっとトルコのことなら古代から現代までほとんどのことを知っているに違いない。現に、何を聞かれてもすぐに答えを返していたから。ほんとに凄過ぎる。
そんなEさんの説明も私の頭にはなかなか留まることなく右から左へ抜けて行き(;一一)ゞ、写真撮影が可能なためショーケースの中の数々の展示品を写真に収めて記録した。

20世紀にその都が発掘されるまで幻の国といわれていたヒッタイト帝国は、紀元前2000年頃に東方からアナトリアにやってきたインド・ヨーロッパ語種族が築き上げた帝国である。その後バビロン第一王朝を滅亡させ、エジプトと対立を始め、やがて世界で初めて製鉄の技術を得て鉄製の武器を導入し、優れた騎馬術と高度な文明をもって繁栄を極めた。が、紀元前1190年頃、そのヒッタイト帝国さえも滅亡に追い込まれる。
繁栄すればやがては滅亡するというのが、国というものなのだろうか。やがては日本も……?

粘土板地母神像旧石器時代の壁画、手に乗るくらいの大きさの地母神像、青銅の祭儀用表像や土器、楔形文字や象形文字の粘土板などが展示された回廊を見終わったあと自由行動となり、中央ホールに集められているヒッタイトのレリーフや石像を見学した。おもしろ写真撮り放題である。(笑)
数々のレリーフや石像を“体感”して楽しみ、建物を出る。外でも少し写真を撮り、トイレへ行っておこうかとそこへ向かうと、無料だと聞いていたのに番人らしきおじさんがいた。有料ならいいや、と踵を返して外へ出、集合場所へ行ってその話をするとKさんの奥さんが「無料だったよ」と言い、おじさんもいなかったと付け加えた。「あれ~?」首を傾げながら再びトイレに行ってみると、今度はおじさんの姿がなかった。よし今だ! とばかりにみきちゃんとトイレに駆け込み、出るときもそこにおじさんの姿はなくホッとして再び集合場所へ。
おじさんが立っていた場所にはチップ入れの容器まであったんだけど……何だったんでしょ。f^_^;)


博物館の上の丘にはローマ、ビサンチン帝国、アラブの侵攻などの度に破壊されたアンカラ城の城壁があるらしいが、それを見ることなくバスに戻って出発。一路、イスタンブールへと向かう。
添乗員のため最前列に座っているOさんとその後ろの席に座ったMさん夫妻は道中ずっと楽しげに話していて、中ほどの席に座っていた私たちも近くに座って話に加わりたい気分に悩まされながら(←大袈裟(笑))、3時間近くの行程の後、14時前にホテルのレストラン『KORU HOTEL』に到着した。少し遅い昼食である。
エルマチャイを注文し、これも恒例となったトマトスープを飲み、ケバブ料理を食べて、これも恒例となった丸ごとボンッと出されるフルーツに少しげんなりしつつ、レストランを出た。


2時間半ほどでサパンジャ湖の近くに停まってトイレ休憩となり、お土産屋さんのトイレを借りる。ここは確か有料だったな。
トイレを済ませた後も少し時間があり、お土産屋さんに売られていたどんぐりらしき木の実を買っていた人から1個もらった。味は「………(ーー;)」。
そのあとEさんに今さらながら名前の綴りを訊ねていると、傍にいたKさんの奥さんが今までずっと名前を勘違いしていたことに気づいて申し訳なさそうにしていた。外国人の名前って難しいねと言われ、何を隠そう私も最初はKさんと同じ間違いをして名前を覚えていたため大いに頷く。
そんなことをしていてもさらに時間が余っていたため、Mのだんなさんとお土産屋さんの裏へと回ってみた。空き地のような草地になっていて、その向こうにフェンスで仕切られた道路と線路が見えた。
「電車通らへんかなぁ」
トルコでは道路がかなり整備されているため車やバス移動が主で、電車は一日に何本かしか走っていないとEさんが言っていたため、見られたら貴重だなぁ、と思っていたのだ。
雨でも降ったのか土が緩んでいて水溜りもあり、靴が汚れるのを気にしながらもMさんについていく。石の円卓と椅子が置いてあるコンクリートの場所まで辿りついたとき、踏み切りの鳴る音が聞こえた。
トルコ電車「あ!Σ( ̄□ ̄*)」
急いでフェンスの傍まで駆け寄る。Mさんは興味がないのか、見向きもせずに靴の泥を落としていた。やってくる電車をデジカメをスタンバイして待ち構え、準備万端でシャッターを切る。おかげでしっかり撮れた。
「電車やっΣ( ̄□ ̄;)」
通過していく電車に今気づいたらしいMさんは、ビデオカメラを構える間もなかった。
「教えてほしかったわ~」
そう言われた私は驚き、
「すごい大きい音で踏み切り鳴ってたから、知ってはると思ってましたよ……」
と正直に答えると、何か鳴っている気がしたけど踏み切りとは思わなかった、とか。
日本と大差ない音だと思ったけど、言ってあげればよかったなぁ……、ととっても後悔。
気分を切り替えて傍にあったモスク(イスラム寺院)へ行ってみようかと思ったが、時計を見ると休憩時間はあと5分ほどしかない。そのため、諦めて戻った。
お土産屋さんの横の通路を通るときみきちゃんとすれ違ったのだが、そのとき時間を確認すればよかったとあとで思った。
全員がバスに乗り終わり出発時間になっても、みきちゃんが戻って来なかった。EさんにもOさんにも「みきちゃんは?」と訊かれたが、「別行動してたからわからへん……」と言ったあと、そういえばお土産屋さんの裏へ行ったのを見かけたのが最後、と付け加える。Oさんがバスを降りて探しに行こうとしたちょうどそのとき、みきちゃんがものすごいダッシュで戻ってきた。
隣に座ったみきちゃんに「どこ行ってたん?」と訊ねるとモスクへ行っていたと返ってきて、Mさんと私が諦めて帰ってきたのにあとから行ったみきちゃんがモスクに入って間に合うはずがないと驚く。まぁ、みきちゃんも大慌てで帰ってきたようだけど。
欲を言えば、どうせ入ったなら写真撮ってきてほしかったな。( ̄▽ ̄;)えへ


マルマラ海をチラリと見、トヨタの工場を通過し、日も暮れて休憩所から1時間半ほどで10個以上も通過口が並ぶ料金所を通った。今までこれほど大きな料金所を見たことがなかったため、みきちゃんも私もやけにはしゃいで窓ガラス越しに夜の料金所を写す。
いつからかトルコに来て初めての雨が降り出し、後ろの席に座っていたKさん夫妻が、さすがに明日は雨かなぁ……、と窓の外を見て沈んでいたため、それを聞いていた私は振り返って、
「大丈夫。明日も晴れます。私、旅行で雨降られたことないですもん」
と自信ありげに言い切った。それでもそんな根拠のない天気予報に安心し切ることはできなかったようだけど、笑みを向けてもらえて席に座り直し、どうか明日も晴れますように……( ̄人 ̄)、と心の中でどこかの神様にお願いした。
はい、正直私自身も不安でした。(笑)
だってこれまでがあまりに快晴だったから。アンカラ以外、雲ひとつなかったくらいに。



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