月の旅人

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トプカプ宮殿とボスフォラス海峡の宝石

トプカプ宮殿とボスフォラス海峡の宝石




『トプカプ宮殿』はイスタンブール最大の見所の1つである。
征服王メフメット2世により1467年に創建され、約370年にわたってオスマン・トルコ帝国の歴代スルタンたちが生活し、政務を行った場所だ。
トプカプとはトルコ語で“大砲の門”という意味を持ち、その名の通りかつては『トプカプ宮殿』の建っている岬の先に大砲が置かれていたとか。1856年に新市街側へドルマバフチェ宮殿が建てられ公式宮殿の役目を終えた『トプカプ宮殿』は、1924年からアタチュルクによって博物館として一般公開されるようになった。
ボスフォラス海峡、金角湾、マルマラ海を望む丘の上に建っている『トプカプ宮殿』はヨーロッパ側の新市街もアジア側も見渡すことができ、城塞として絶好の立地を誇っている。総面積は70万平方mに及び、全長5kmの城壁で囲まれていて、ヴァチカン市国の2倍ほどの大きさであるらしい。そんな広大な宮殿の中で、4000人もの人がスルタンのために常時働いていたそうだ。Σ( ̄□ ̄*)
大帝国の皇帝って凄い……。


内部には数々の財宝が展示されている宝物館もあるのだが、それには別料金がいるそうで1人1500円をEさんが集めた。
高っ!!Σ( ̄- ̄;)
日本の寺院見学料でも1000円を超える所は少ない。京都の寺院でも高くて700円くらいじゃないだろうか。それなのにトルコで1500円も出すことになろうとはっ。
ちなみに4月まではこの3分の1の料金だったらしい……。えらい値上げやわ。(ーー;)
『表敬の門』の右側のチケット売り場へ、Eさんがチケットを購入しに行く。しばらく待ってそれぞれにチケットが行き渡り、門をくぐる。
この『表敬の門』は『トプカプ宮殿』の第1庭園と第2庭園の間にある第2の門で、左右にとんがり帽をかぶったような党を持つ。この門を馬に乗ったまま通ることができたのはスルタンのみで、宰相以下、各国大使もすべてこの先は歩いて宮殿内に入らなければならなかったそうだ。

厨房棟第2庭園を抜けて最初に見学したのは、屋根の上に煙突が幾つも並び立つかつての厨房棟。なんと、その煙突1つの下で1つの料理が作られていたのだとEさんが教えてくれた。Σ( ̄ ̄*) スルタンの食事は、いったい毎日幾つの料理が並べられたんだろう。
さてこの厨房棟、現在は一部が陶器展示室として使われていて、中国の青磁に白磁、マイセンやウィーンの陶器、日本の伊万里焼など膨大な数がコレクションされている。じっくり見ていると時間がないためわりと早足で見たが、さすがに宮廷で使用されていたものはどれも素晴らしい陶磁器ばかり。すぐに、これ幾らくらいするんやろう……、と思うのは、私は宮廷生活には向いていないのだろうか。
なんて、心配する必要もまったくない環境にいるんだけど。(笑)

陶磁器展示室を見学した次は、衣装展示室を見学した。陶磁器見学でもそうだったが、衣装見学もEさんの案内はなく各々が個別に見て回る。
衣装展示室には歴代スルタンや皇子たちが着用した普段着や儀式用の礼服などが展示されている。普段着でさえ上質の絹やサテンが使用され、礼服にいたっては金糸や銀糸の刺繍がふんだんに施されていて豪華そのものだった。

指の先が宝物館入口そしていよいよみきちゃんが何度も口にして楽しみにしていた宝物館の見学である。こちらもEさんの案内はない。そればかりか、宝物館見学はオプショナルのため見学しない人もいた。が、入場料は確かに高いけど見る価値は十二分である。
残念なことに内部は撮影禁止になっているため写真は撮れなかったが、目が痛いほどにキラキラと輝く宝物に圧倒されっぱなしだった。宝石をこれでもかと言わんばかりに散りばめたスルタンの鎧や儀式用玉座、一輪挿しなんかでは花がかすむんじゃないかと思うほどルビーやエメラルド、トルコ石などが埋め込まれた水差し、50kg近くもあるという黄金の燭台はそれでも飽き足らずダイヤモンドで飾られていた。が、何をおいてもこの2点以上
に目を奪われる宝物はないだろうと思えるものが、『トプカプの短刀』と『スプーン職人のダイヤモンド』である。
『トプカプの短刀』は柄部分を世界最大級の3個のエメラルドで飾られた黄金の短剣で、もちろん他にも宝石が模様を描くように埋め込まれている。照明に煌めくその姿に、西洋人東洋人問わず溜め息が洩れていた。あまりの美しさに、そこで流れていた人の列が一時止まるほどである。
が、さらにそれを上回って人垣ができ感嘆の声が洩れていたのは『スプーン職人のダイヤモンド』。照明の当て方がうまいのか、まさに眩し過ぎて目が痛くなりそうなほどの輝きを放つ大きなダイヤモンドのペンダントヘッドがそこにあった。それでも世界で7番目の大きさだという86カラットのダイヤモンドを黄金と49個の小粒のダイヤモンドの装飾が飾っている。小粒といっても、中心のダイヤモンドが大きいせいで小粒に見えるのかもしれないけど。f^_^;)
『スプーン職人のダイヤモンド』は漁師が拾ったダイヤモンドの原石を、スプーン職人の3本のスプーンと交換したという伝説があり、この名がついたとか。それが本当なら……漁師さん、お気の毒。(ーー;)

列に何度も戻っては『トプカプの短剣』と『スプーン職人のダイヤモンド』を見ていたため宝物館で時間を取り過ぎ、あとは歴代スルタンの肖像画などが飾られている場所を急ぎ足で見るくらいしかできなかった。第3庭園に出て宝物館の前を見ると、もうツアーの人がちらほら集まっている。まだ見ていない場所がたくさんあったものの、仕方なく私たちも集合場所へ移動した。

宝物館前から宮殿の北の端へと移動してテラスに出る。そこからはボスフォラス海峡と金角湾が一望できた。青空もずいぶん広がり、すっかり観光日和である。
テラスの傍には下へと続く階段があり、それを降りるとレストランがあった。これからこの宮殿内のレストラン『コンヤル』で昼食を取るのだ。1897年に創業された、トルコで最も古いレストランの1つらしい。オスマン・トルコ時代の宮廷料理を今も守り続けているそうだ。でも私たちが食べたのはここまでのツアーで食べたケバブ料理と大差ないものだった……。それがちょっと残念。葡萄の葉のドルマとかオリーブオイルで調理された前菜とか、もっとここならではの伝統的な宮廷料理が食べたかったなぁ。贅沢を言えば、器ももう少し宮殿内で食べている雰囲気が出るようなお皿にしてほしかった。あまりに変わり映えが無さ過ぎるから。f^_^;)

表敬の門レストランを出るとまた第2庭園の表敬の門へと続く道を通って、バスへと向かった。
第2庭園内を歩いているときEさんが、あちらがハレムです、と教えてくれたが、中に入る予定はないようだった。いや、そもそもイスタンブールの観光はこれで終了であり、後はフリータイムかオプショナルツアーを選択することになっていた。
短い……。
これで『アヤソフィア』が休館ではなかったら、もっと慌しかったんだろうか。
ちなみにハレムは説明するまでもなく、スルタンの奥さんや身の回りの世話をする女性たちの居住区である。イスラム教は一夫多妻制であることもあってか、スルタンの奥さんは”数えられないほど大勢”存在したそうだ。ハレム内の女性たちの対立が怖そう……。
ハレムはアラビア語で“禁じられた”あるいは“秘められた”という意味を持つ言葉らしい。そのままである。(笑) スルタンと皇子、エジプトから連れてこられた奴隷の黒人宦官以外の男性は入ることができなかった場所だ。
現在は公開されているが、宝物館同様こちらも別料金を支払わなければならないとか……。それでも、かつてヨーロッパ諸国を脅威にさらしていた大帝国の皇帝の住まいなんだから、是非とも見たかったなぁ。(_ _。)がっかり


午後のフリータイムは、昨夜までは私たちも自由行動をする予定をしてどこへ行くか決めていたが、幸いと言うべきか何と言うべきか、行こうと思っていた場所は『地下宮殿』と『トプカプ宮殿』で、すでにツアーで行ってしまっていた。それに石畳を歩き詰めで足もかなりよれよれである。バザールや他のモスクへも行ってみたい気持ちは大いにあったが、体力がついて行きそうにない気がして私たちもオプショナルツアーに参加させてもら
うことにした。
そのツアーとは『ボスフォラス海峡クルーズ』である。クルーズも自分たちで行って自分たちで船を探して行こうかと思いもしたが、それもまた疲労と言葉の壁が邪魔をして諦めた。
実はオプショナルツアーの締切は前日だったため、申し訳なさげにEさんに自分たちも参加させてもらえないかと申し出てみたところ無理だと言われ「仕方ないか……」としょんぼりしていたら、Kさんのだんなさんが、
「Oさんに言うてみたら? Eさんは話が通じてないのかもしれないしね」
と声をかけてくれて、十分日本語ペラペラなEさんに失礼かと思ったけど駄目もとでOさんにも訊いてみた。するとあっさり了解がもらえて拍子抜けする私たち。
……参加しても……いいんやんなぁ?( ̄- ̄;)(; ̄- ̄)どきどき
そういうわけで、バザールへ行くおばさん数人と別れ、迎えに来てくれたバスに乗り込んだ。

かつての宮殿の正門『皇帝の門』を通り、トプカプ宮殿を後にする。
その『皇帝の門』を通過直後、バスの中で拍手喝采が沸き起こった。
門の幅はなんとバスの幅すれすれしかなく、ほんの少しでも目測を誤ったりハンドルを切り損なったりすれば壁をガガッと擦ってしまうに違いないものだったが、スピードを落として慎重に、そして見事に通り抜けたGさんの素晴らしい運転にみんなが感動しての拍手喝采だった。
「すっご~い♪( ̄o ̄*)」
それを背中で受けて、バックミラーに映っているGさんはとても嬉しそうに笑っていた。


いくつかの船が停泊している桟橋の傍でバスを降りて貸切のクルーズ船に乗り込み、お天気も良くなってそれほど寒くもないため全員が船室の上に設けられた展望席にあがり、周囲と中央に背中合わせに設置された赤い長ベンチに座ってボスフォラス海峡クルーズが始まった。Eさんだけは展望席にあがって来ず、船長室に入ってマイク越しに要所の説明をしてくれた。

『ボスフォラス海峡』はヨーロッパ大陸とアジア大陸を分けている海峡で、黒海とマルマラ海を約30kmの水路で結んでいる。幅は700~3000mで『海の川』とも呼ばれていて、世界で最も美しい海峡と1つと言われているらしい。その海水は表層を黒海の塩分が薄い水がマルマラ海に向かって流れ、底をマルマラ海の通常の塩分の水が黒海へ向かって流れているとか。пヾ( ̄- ̄*)へぇ~へぇ~へぇ~
ちなみにボスフォラスというのはギリシャ語で“牝牛の渡し”という意味だとか。そう呼ばれるようになった所以は、ギリシャ神話の神ゼウスが妻である女神ヘラの女神官イオを恋したため、ヘラは嫉妬に狂ってイオを牝牛に変えたうえ虻を送って苦しめ、彼女が虻に追われてヨーロッパからこの海峡を渡った、という伝説からきている名称らしい。
さらにちなみに、イスタンブールの人々は人体の食道に例えて『ボワジチ(咽喉)』と呼んでいるのだとか。ボスフォラス海峡は生活に欠かせないものであるから、ということのようだ。

ガラタ塔まず港越しに1663年に完成した“新しいモスク”という意味を持つ『イェニ・ジャミイ』が見え、左岸に新市街のシンボルである石の塔『ガラタ塔』がそびえているのが見えた。イスタンブールでは移動の度にどの建物よりも何度となく目にしている塔である。
トプカプ宮殿のある岬の前に豪華客船が2艘停泊しているのが見え、クルーズ船はヨーロッパ側寄りに進路を取って、私たちが宿泊しているホテル『リッツ・カールトン』が見えてきた。Mさん夫妻やKさん夫妻、Oさんたちとそれをバックに写真を撮り、それからすぐ白亜の宮殿『ドルマバフチェ宮殿』が姿を現した。
西洋風のトルコ・ルネッサンス様式で建てられたこの宮殿は、岸辺に佇む姿から別名『水の宮殿』とも呼ばれているそうだ。近代トルコを築いたアタチュルクもイスタンブールではこの宮殿に滞在し、ここで倒れて生涯を閉じたという。現在も政府主催の宴などが行われているらしい。ドルマバフチェとは“埋め立ててできた庭園”という意味で、その名の通りかつては小さな港だった場所を埋め立てて王立庭園を造り、その後17世紀初めにアフメット1世が娯楽用の宮殿を建てたのが『ドルマバフチェ宮殿』の始まりだそう。
その隣にはこれも宮殿かと見紛うばかりのホテル『チュラーンパラスホテル・キビンスキー』があった。それもそのはず、もともとは19世紀後半に建てられた宮殿で、20世紀初頭に大火で消失した際に改修され、1991年にホテルとしてオープンしたそうだ。施設は宮殿側とホテル側に分かれていて、宮殿側は各国の王族や国賓も滞在する名実共に最高級のホテルである。クルーザーやヘリコプターでホテルにチェックインすることもできるとか。
……そんなチェックイン、してみたい。(* ̄- ̄*)ぽ~っ ←空想中(笑)
クルーズ開始から25分ほどでボスフォラス海峡にかかる2つの橋のうちの1つ目『ボスフォラス大橋』まで進み、その前にある1894年建設の『オルタキョイ・ジャミイ』を見ながら通過した。このモスクはオルタキョイという若者の街の岸辺に建ち、今や格好の待ち合わせ場所となっているとか。
モスクで待ち合わせ……京都で言うとお寺で待ち合わせと同じかぁ。( ̄_ ̄;) でもこっちだと少しお洒落な感じがするのは、モスクが岸辺に佇んでいるからだろうか。
しばらく高級住宅や別荘が建ち並ぶ丘を眺めながら進み、シンプルながらも時計塔を持つ赤屋根の白い建物が美しい『クレイ海軍学校』を右岸に見て10分後、アンカラのホテルで会ったバレーボールチームの国ルーマニアの大使館が見えた。それをEさんが教えてくれた途端「おおっ、ルーマニアやって!」と何となく親しみを感じて大使館を見る。薄い緑の屋根に純白の壁が美しいシンメトリーの建物だ。
ルーマニアって、ええ場所に大使館あるんやなぁ。( ̄o ̄*)
ルメリ・ヒサールそんなことを思いながら通り過ぎ、その5分後、『第2ボスフォラス大橋』の架かる手前にある『ルメリ・ヒサール』の傍までやってきた。

『ルメリ・ヒサール』はオスマン・トルコ帝国のスルタン、メフメット2世が、難攻不落といわれたコンスタンティノープルを攻略するために、1万人の労働者と1000人の石工職人たちを動員してたった4ヶ月で築いたという要塞である。『ルメリ・ヒサール』のある場所は海峡の幅が660mと最も狭くなっている場所で、対岸には『アナドル・ヒサール』があり、ここを通過しようとしたビザンチン軍の船は尽く撃退されたそうだ。『ルメリ・ヒサール』は現在、野外博物館として一般公開されている。場内でコンサートが催されることもあるとか。どんなコンサートなんだろう。
『第2ボスフォラス大橋』は『ルメリ・ヒサール』の傍にあることから正式名称を『ファーティフ・スルタン・メフメット大橋』といい、日本企業の協力によって1988年に完成した橋だそうだ。もう1つの橋『ボスフォラス大橋』はイギリス企業によって1973年に架けられが、海峡の幅が一番狭い場所に架けられている『第2ボスフォラス大橋』のほうが10mほど長いらしい。

その『第2ボスフォラス大橋』をくぐらずして船はUターンした。黒海まで行くのかと思っていたが、後に知ったところによると定期船でも観光船でも黒海まで出る船はないそうだ。すると、黒海へ出入いているのは幾つか見た大型タンカーや豪華客船だけなのだろうか。
かなり残念に思いながら、名残惜しげに遠ざかっていく『ルメリ・ヒサール』と『第2ボスフォラス大橋』を眺めやる。
このクルーズの料金は7000円もしたのに、たったこれだけで終了かと思うとちょっと満足し切れなかった。個人で定期船などに乗れば、同じコースをなんと1000円以内でクルーズできるらしい。Σ( ̄- ̄;)!!
ちょっと7000円は取り過ぎなんじゃ!?
でもまぁ、クルーズ中とっても楽しかったけどね。帰路ではクルーズに参加した全員で写真を撮ったりもしたし、いろいろ話しながらでみんな笑顔も絶えなかったし。←と、自分を納得させる…

帰路はアジア側寄りの航行だったがもう見所は全部往路で見たからと思い、船長室に降りてみた。『ルメリ・ヒサール』の手前から声がぱったりと止んだと思ったら、船長室の席に腰掛けて眠っているEさんを発見。お疲れなのだろうか。
でもみきちゃんが船長室にお邪魔して恰幅のいい白髪にグレーの口ひげの船長と写真を撮ろうとしたら、Eさんもその横に顔を並べて笑顔で一緒に撮ってくれた。が、続いて私が一緒に撮ってもらおうと思って船長室に入ると、またEさんは居眠りモードに入ってしまった……。遠慮して起こせなかったけど、一緒に撮ってほしかったなぁ。
そのあと夕陽になってきた太陽に向かって進む船首に立って、もう時代遅れかもしれない“タイタニック”ポーズをしているところをOさんに撮ってもらう。(笑) その頃には『ボスフォラス大橋』が見えるところまで戻ってきていて、橋の手前にスルタンが夏の離宮として1865年に建てさせた『ベイレルベイ宮殿』が見えた。ここは主にオスマン・トルコ帝国と関係が深い王家や各国大使が滞在する施設として使われ、英国王エドワード8世やオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフなどそうそうたる人々が訪れたそうだ。
ボスフォラス海峡の日没『ボスフォラス大橋』を超えるとマルマラ海と金角湾に合流している場所まで帰ってきて、アジア側寄りに『クズ塔』を望むことができた。クズとは“乙女”という意味で、愛娘が蛇にかまれて死ぬと預言者に告げられた王が海に囲まれた場所に塔を建て娘をかくまったが、結局差し入れの果物かごの中に潜んでいた毒蛇に噛まれて予言どおり娘は死んでしまい塔だけが残された、という伝説があるらしい。
500年頃には税関の見張り塔があったこともあり12世紀には島の入口として灯台の役割を果たしたが、1763年に再建されたバロック様式の塔が現在のもの。2000年に展望レストランがオープンし、新名所として人気だとか。

モスクが建ち並ぶ旧市街が見えてきた頃には、もうすっかり夕焼けになっていた。世界遺産の街のシルエットがとても美しく、思わず何枚もシャッターを切った。夕陽がまるで宝石のようだった。
そして桟橋に到着し、1時間半ほどのボスフォラス海峡クルーズが終了した。



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