月の旅人

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ラ・マンチャの風車

ラ・マンチャの風車




3日目、スペイン2日目の朝。
朝食はパンとヨーグルトとフルーツで軽く済ませ(←いや、充分だろ(笑))、ホテルを出たのは8時になる前のこと。
バスは新たなドライバーJさんと共に替わり、内装は似ているが前日のバスのほうが座り心地は良かったひとり残念に思いながら揺られる。JさんはSさんと違いスペイン人で、マドリードに住んでいる人らしい。
添乗員のKさんが、スペイン人だからSさんのように迷うこともないはずだろう、と言って笑った。
この日はまずバレンシア市内の観光をすることになっていた。少し散策するだけであるため、現地ガイドさんはつかないとのことだった。つまり添乗員さんの後について歩くだけ、ということになる。スペインでは現地ガイドさん以外に観光客に説明をすることは法律で禁止されていて、それが見つかると罰金を支払わなければならなくなるのだ。そうすれば必ずツアーには現地ガイドが必要となり職業が安定するため、失業対策の1つとして施行されたらしい。
ちなみにバスが走行中に立つのも駄目で、それも見つかると罰金対象になるそうだ。


メルカド市場さて、ホテルから30分もかからず到着したのは、1996年に世界遺産に登録された『ラ・ロンハ』。厳密にはその傍、である……。まだ開館時間には早いため見学できないらしく、その向かいにある『メルカド市場(中央市場)』を訪れた。11世紀から市場が開かれていたという場所にあり、8000平方メートルもの広大な市場内には300軒が出店していて、バレンシアでとれる豊富な野菜や果物の山、魚、肉類にパンやお菓子、キッチン用品など膨大な品物が揃っている。
ドラいもん店内に入り裏口へと直進するツアーの人たちの最後尾からついて歩き、各種お店の前で写真を撮りながら進む。本当にただ通り抜けただけで、裏口から出た。その出入口のところにテレビが設置されていて、ちょうどドラえもんが放送されていた。ただしスペインのドラえもんは“ドラいもん”と呼ばれ、のび太は“ノビータ”と呼ばれているとか。スペイン人には「えもん」と発音しづらいのだろうか。
裏口から出ると、その目の前にある教会に入った。中は外よりも少しひんやりとした厳かな空気が漂っていて、囁き声さえ拒むかのような静寂に包まれていた。
市場前の教会そこでも添乗員さんからの説明があるわけでもなく、ただ各々が信者さんの邪魔にならないよう思い思いに見学するだけである。
私たちは出入口に程近い席に座って祭壇の写真を撮り、明かりが足りず見えにくい天井絵の写真を撮って、お祈りしている自分たちを撮った。かなり遠慮して撮っていたため、ピントも合っていないうえにNさんがその写真に入っていなかったが撮り直す余裕もなく、無言のまま出て行く人たちに続いて私たちもその教会を後にした。
それからは20分間の自由時間をもらい、教会の外観を見るため少し回り込んでみる。ちょうどそこに、ラ・ロンハもあった。ここも改修工事中で、外観をそっくりに描いた幕で全体が覆われていたけど……。

『ラ・ロンハ』は15世紀末の1482年に、当時活発になっていた絹製品の商取引のための新たな交易所として着工された城砦のような外観をしたゴシック様式の建物で、かつてのイスラム王宮跡に建てられたもの。マヨルカ島にすでに存在していたラ・ロンハを手本にしてペレ・コムプテという建築家が設計し、商取引の場となった大広間と塔は1498年に完成した。だが建物全体が完成したのは16世紀に入ってからで、1533年のことである。
大広間はイタリア産の大理石が敷き詰められ、並び立つ螺旋模様の高い柱が天井へ枝葉を広げるようにして繋がっている。絹糸を束ね、それを捻ったものが先端で広がっていく様子をイメージしたものだそうだ。
現在は毎週日曜日に古銭と切手の市が開かれたり、展覧会やコンサート会場としても使用されている。


市場内市場内改めて市場内に入り、左回りにお店を見てみる。ワインなどのドリンク、穀物、魚介類、果物、野菜、ハムやサラミ、チーズ、肉屋さんと、特に同じ品物のお店が集まって売られている様子もなくバラバラで、確かにたくさん揃ってはいてもお店の場所を覚えるのも値段を比較するのも大変そうだな、と思った。
そろそろ時間だから入口に戻ろうということになったが、出入口は2箇所というわけではないようで、いったん出てみた所はまったく違う場所だった。
「あ……ここ違うわ」
また市場内に戻り、さらに回って進むと見覚えのある人たちの姿が外に見えた。
添乗員のKさんがツアーの人たちの名前を書いた紙を持って点呼を始めるが、まだ揃ってはいないようだ。それでお手洗いに行きたい人は済ませることになり、みきちゃんとNさんもその人たちに続いて行ってしまった。が、そのトイレが男女共同で予想以上に混み、結局全員が揃ったのはそれからさらに10分以上が経ってからだった。
この間に話したおばさんによれば、しっかりラ・ロンハを見学してきたらしい。まだまだ開館時間ではなかったが、入りたそうにしていたら入れてくれたとか。私たちは開館時間になっていないと言われた時点でラ・ロンハの見学はすっかり念頭になく、そう言われるまでラ・ロンハのことなどすっかり忘れていたくらいだった。
なんだ、入れてくれたのか……惜しいことをしたなぁ。
世界遺産を1つ、見そびれてしまった。(_ _。)がっかり…


次はラ・マンチャ地方の風車を見学するため、315kmの移動である。
『ラ・マンチャ』とはアラビア語で“乾いた土地”という意味を持ち、スペインの首都マドリードの南に広がる九州よりも広い8万平方キロメートルもの広範囲に渡る赤茶けた大地を指す。トレドを中心にして、クエンカ、グアダラハラ、シウダー・レアル、アルバセテと5県にまたがっている。ラ・マンチャは県名ではないため行政上の線引きはなく、ここに白い壁を持つ小さな村が点在し、この地方特有の風車が見られる。
特に夏の雨量は乏しく、農業用水を得られるような川も少なく、昔はただ荒野が広がる貧しい地域だった。マンチャには“汚点”や“不名誉”といった意味もあり、かつてのラ・マンチャはそのあまりの不毛さに「スペインのマンチャ」とされていた。だが現在は山間部にダムがいくつもでき、冬場に貯えた水が地下に設置されたパイプによって運ばれ、スプリンクラーで農地に供給されるようになったため、今ではサフラン、ぶどう、オリーブ、小麦が栽培されており、スペイン一のワインの産地でもある。

そんなラ・マンチャへの道中、3本の羽を持つ巨大な白い風車が山頂に何本もある山があり、10時過ぎには雨が降り出して「いや~降らんといて~っ!」と心の中で叫び(笑)、赤土の広大なニンニク畑や巨大な牛の影絵のような看板を通過して、曇ってはいるがすぐに雨も止んで湖なのかダムなのかわからない所を眼下に見、今度は広大な平地にたくさんの白い3本羽風車が並び立つ風景を見た。
11時20分過ぎに休憩となり、地下でトイレを済ませてからレストランに併設されたお土産店をちらりと見て、軽食とドリンク類のあるカウンターにドライバーのJさんと添乗員のKさんが並んで立ち何かを食べているのを見つけて、「何食べてるんですか?」と声をかけてみた。
見ると、平皿に揚げパンらしきものがいくつか乗っている。Jさんの奢りだそうで、切り分けたそれを食べてみてと勧めてくれるKさん。「おいしいですよ」という言葉に期待して一切れもらうと、ちょっと癖になりそうな美味しさだった。シナモンをたっぷり振りかけたフレンチトーストを揚げたもの、といった感じだろうか。
それからすぐに出発時間になったが、買ってバスの中で食べればよかったかなぁ、なんて今さらちょっと思う。(^-^;)
そのお店の外にはただのオブジェか意味のあるものなのか、ラグビーボールの上下を平らにしたような感じの細長くて巨大な壺がいくつも置いてあり、「何やろこれ~?」と疑問を口にしながらとりあえず写真に撮った。←何でも撮る人(笑)

それからまた1時間もしないうちに雨が降った。きっともうすぐラ・マンチャに着くに違いないのになんてことっΣ( ̄□ ̄;)、とあせり、それからずっと呪文でも唱えるかのように「晴れてください、青空にしてください」と空を見上げながら心の中でしつこいくらいに繰り返していた。(笑)
遠くに見えてきた風車その願いが届いたのか単なる通り雨だったのか雨は止み、そればかりか遠くに小さく風車が見え始めた頃から徐々に綺麗な青空が覗き始める。
ああっ良かったっ♪ 神様ありがとう!ヽ(*^^*)ノ
思わずこの旅行ですでに2度目となる神様への感謝をした。今はキリスト教国だから、神様はやっぱりイエス様だろうか。そんな細かいことは考えもせず、ただ晴れてくれることを祈っていただけだけど。f^_^;)


人気の感じられない民家が軒を連ねる村道を大きな観光バスで通り抜けながら丘を登ると、風車が眼前に迫ってきた。
ドン・キホーテが巨人プリアレオという腕の長い巨人と見間違い、「逃げるな臆病者め!」と叫びながら痩せ馬のロシナンテにまたがってドゥルシネーア姫のために風車に戦いを挑む場面の舞台が、この丘である。かつては30基以上あったらしいが、現在は10基の風車が丘の頂に並んでいるのみだ。観光用として残されているだけであるため、今は粉引きの役割を終えてただ静かに羽根を休ませている。
放置されて朽ちかけていた風車を、中南米に移住して成功した人たちがお金を出し合い、故郷の貴重な文化財として修復して今日に至っているそうだ。
この風車の並ぶ丘とそれに寄り添うようにある白い小さな村の名を、『カンポ・デ・クリプターナ(Campo de Criptana)』という。クリプターナとは女神の名前で、カンポ・デ・クリプターナはつまり“女神の領分”的な意味だろうか。『ドン・キホーテ』の著者ミゲル・セルバンテス・サーベドラの生きた400年前の姿をとどめる静かなおとぎの国を思わせるこの地は、彼が物語の舞台にすることがなければ観光に訪れる者もなかったかもしれない。
書いてくれて良かった♪
そして、修復してくれた人たちにも感謝!(*^^*)


この地方に風車がつくられたのは16世紀半ばのことで、カルロス5世がオランダの風車にヒントを得、風の吹き荒れるラ・マンチャに導入したもの。カンポ・デ・クリプターナの10基のうち1基は、当時の状態を復元して内部を見学できるようになっている。
風車内の窓の景色風車の前でバスを降り、さっそくその風車へ向かう。ちなみに風車にはそれぞれ名前がつけられているそうで、内部を見学できる風車はインファント(INFANTE)という名を持っている。
石造りの白い円塔の長方形の入口にある木の扉が開け放たれていて、すぐに左回りの階段があった。内部は2層になっていて、まずは階段を登り切り上の階を見学。中央に大きな車輪があり、風車が回っていたときにはこれもキコキコと音を立てて回転していたことが想像され、八方に設置されている窓からは当時とほとんど変化していないであろう風景を眺めることができた。この窓は採光と換気はもちろん、風車番をしていた人が風向きを知るのに役立ったものだ。
この地方の風車は、風向きに応じて円錐形の屋根ごとくるくると向きを変えることができるのだ。風車の向きが一定じゃないなとチラッと思っていたら、そういう仕掛けがあったのか。それで納得。('-')(,_,)('-')(,_,)うんうん

カンポ・デ・クリプターナの風車一通り写真を撮り終えて、階段の中ほどにある部屋へと移動する。
その小さな部屋で、おじいさんがひとり土産物屋さんを営んでいた。自分でもこれからたくさん風車の写真を撮るつもりだったが、記念にとポストカードを1枚購入した。Nさんも同じく土産物を購入し、みきちゃんはそんな私たちの様子を写真に収める。
風車を出ると、とにかく3人して風車を撮りまくった。青空に白い風車が映え、どれも絵になるなぁとか、さっき買ったポストカードよりGOOD!などと調子に乗る。
そのうちみきちゃんは「ちょっと行ってくる」と言い、野花の咲く中に建つ風車めがけて駆けていった。風車に辿り着いてみきちゃんがバンザイをし、風車風景の中にまぎれそうなその様子を写していたら、Nさんが「私も!」と走り出した。辿り着いた彼女も同じく写す。どっちも写真にしたらゴマほども小さいに違いない。でも、それもまたおもしろい。
みきちゃんはそのあとその傍で一人旅のおじさんに写真を頼まれ、お返しにみきちゃんも撮ってもらっていたが、そのポーズがモデルとカメラマンのようで思わず笑った。


余談だが、風車を別荘にするのが流行っているらしい。風車は必ず見晴らしのいい丘の上にあり塔の内部は以外に広いうえ石組みも丈夫にできているが、所有者にとってはもう粉引きもしない無用の物であるため、希望者にはふたつ返事で安く貸してくれたり売ってくれたりするという。( ̄- ̄*)へぇ~


白壁の小さな村それから白壁の小さな村も写真に収め、まもなく出発時間となった。
村は、壁の白さを維持するために年に一度ほど壁を塗り直すそうだ。きっと風車の白壁も塗り直されているのだろう。
だんだん遠くなっていく風車を車窓越しに眺め、ふと牧童と羊の群れがいるのに気づいた。
のどかな風景やなぁ。(* ̄- ̄*)
そんな感想を抱きながらも、素早く写真にも収めておく。(笑)
再び村道を下り、30分ほど走って昼食場所に到着した。プエルト・ラピス村にあるレストランで、店名を『ヴェンタ・デル・キホーテ(Venta del Quijote)』という。ヴェンタとは“旅籠”という意味で、つまり店名は『キホーテの旅籠』となる。その名のとおり、かつては旅籠であったものがレストランに改造されたのだ。『ドン・キホーテ』の著者セルバンテスがここに宿泊し、ドン・キホーテが騎士の称号を受け取る儀式の場所をこの中庭として描いている。
私でも倒せそうなドンキ・ホーテと(笑)白い壁と青く塗られた木戸や窓枠が印象的なレストランで、中庭にはブリキかアルミで作ったようなへなちょこドン・キホーテが槍を持って天を仰いでいた。(笑)
ここで食べたのはドン・キホーテの結婚式に出されたメニューを再現したもので、ピーマンやタマネギなど野菜たっぷりのトマトベースのスープ『ガスパチョ』と、日本のおでんを思わせる鶏肉とパン粉を団子にしたものの煮込み『ギソボータデカマーチョ』という家庭料理、そしてデザートには春巻きの皮のようなものを花のような形にして揚げて砂糖とシナモンをまぶしバニラアイスを乗せたものが出された。
どれも好みの味でじっくりゆっくり味わいたかったが、一番奥まった席に座ったのが災いして、ただでさえ食べるのが遅い私なのに料理が来るのが遅いためかなり急いで食べる羽目になってしまった。(/_;)しくしく
ガスパチョ以外は少しずつ残すことになってしまったが美味しさに満足して席を立ち、Nさんがお手洗いに並んでいる間にレストランを出て、みきちゃんと2人で前にある素朴なレンガ造りの教会を見る。入口にはここにもへなちょこドン・キホーテが立っていて(笑)、レストランの中庭よりも背中を反らせて天を仰いでいた。


沿道に続くエニシダ沿道にエニシダが黄色い花を満開に咲かせている高速道路をひた走り、グラナダを目指す。山沿いの道をくねくねと登る頃には、Nさんもみきちゃんもすっかり夢の中だった。私はひとり陽射しの強い窓の外を眺め、始終デジカメを構えどこまでも続くオリーブ畑を写したり、広大やなぁ~、感心したりしていた。
切り絵風の牛の看板そのうち添乗員のKさんがおもむろにマイクを手にし、みなさんに自己紹介をしてもらおうと思う、と言った。夫婦やグループ参加の人は1人が代表して自己紹介をすることに。
何を言い出すのKさんっ!Σ( ̄- ̄∥)
……厭な予感がした。
私たち3人の関係からいったら、代表となるともしや……私?( ̄- ̄;)
その予感は的中し、誰が代表になるかを話し合うこともなく2人は私を見て「がんばってな( ̄ー ̄)」と言った。
「なんで~っ、ここは平等にジャンケンで決めようさぁ~~(>_<。)~」と言ってみても2人は団結して私を押し、私以外にはあり得ない、といった雰囲気を露にしている。
自分でもそう思ったからわからないでもないが、この旅行で初めて会ったにしては団結力強過ぎよ2人とも!o(><;)o
野球のうぐいす嬢なんてやっている私だが人前で話すことほど苦手なことはなく、ましてや突発で原稿もなく考えながら話すなんて論外だった。
他の人たちが次々とマイクを手にして自己紹介をしていく中、最後の最後まで粘ってみたが結局1人であがいている状態が変わることはなく、ついに私たちの番になってしまった。
心臓はバクバクし、緊張で顔がこわばっているのがわかる。すでに頭はボ~ッとして、マイクを手にした頃にはもう真っ白! 自己紹介にもかかわらず自分の名前すら言い忘れ、とにかく声が震えないうちに短く終わろうとばかり考えていたら何を言っていいのかわからなくなり、みきちゃんが「せっかく写真撮ろうと思ったのに、短っΣ( ̄- ̄;)」と苦笑するほど何も言えずに終わった……。|\(_ _。).....ずぅ~ん…

自己紹介が終わってすぐにトイレ休憩となり、ガソリンスタンドのトイレを借りる。女子トイレは無駄に広い個室がたった1つしかなく、順番待ちの行列となった。仕方なく、男子トイレが開くとおばさんたちはそちらも使わせてもらい、途中、全身赤の服を着た外国人女性がやってきて列に加わったがなんとか全員がトイレを済ませ、私たちは傍に咲いていた赤い花を写真に収めた。
アマポーラエニシダと同じくこの花も至る所で咲き誇っていて道中の私たちの目を楽しませてくれていたが、遠目だったため「なんていう花やろうなぁ」とずっと言っていたのだ。それが傍に咲いていたからさっそく撮ってみた、というわけ。花の名はヒナゲシ。またはポピー。
スペインではアマポーラと呼ばれている。なんだか可愛い響きだ。(^^*)


闘牛場へ向かう闘牛士それから1時間ほどでグラナダに入り、闘牛士たちが馬に乗って闘牛場へ向かうところを偶然すれ違って、3ツ星ホテル『アベン・ウメーヤ(ABEN-HUMEYA)』に到着した。
私たちの部屋は2室に分かれている4人部屋だったが、スーツケースを広げるにはやや狭い感のある、豪華なんだか狭いんだか微妙な部屋だった。(^-^;) 手前の部屋の一箇所は天井から床まで鏡張りでさっそく3人で鏡越しの写真を撮り、すぐさま階下へ降りて夕食場所へと徒歩で移動した。
スペイン2日目にして、夕食は早くもスペイン料理ではなく中華料理である。
『JIN YUAN』というレストランで、スープ、バターライスから八宝菜まで7種類の料理が各テーブルに出され、中華料理なのにエスニックなギターの生演奏が2、3曲行われた。3人グループの彼らは出したばかりのCDを買ってくれないかと各テーブルを周り、私の隣に座っていた一人旅のMさんが1枚購入。
最後にデザートとして山盛りのイチゴが出され、その美味しさに次々と頬張った。


いったんホテルへと戻ったがすでに20時40分を過ぎていたにもかかわらずまだ明るく、近くにカテドラルがあると添乗員のKさんが地図を描いて教えてくれたので、その簡単な道案内の地図を見てほとんどの人がカテドラルを目指して歩き出した。
ホテルの前の坂道を下ってすぐに左折し、そこをまっすぐに行って右斜めに続く道を行けばいいだけのはずだったのだが、先を行く人たちは左折してすぐにまた左折した。私たちを含めそれに首を傾げた人たちが左折せずに斜めの道を目指してさらに進み、同じ場所へ向かうはずなのに分かれてしまった。
大通りに沿って歩く私たちの行く手に、結婚式を終えたばかりらしい花嫁さんと花婿さんがクラシカルな小型車に乗っているのを見つけてみきちゃんが写真を撮らせてもらい、すぐに斜めに下がる道へと続く横断歩道に差し掛かった。
が、その斜めの道は1本ではなく2本あり、「どっち行けばいいの……」と迷うことに。
私たちだけがより斜めのほうを選んで進んだが、カテドラルらしきものがどこにも見当たらなかった。歩いてすぐの距離ということなら見えないのはおかしい。もう1本の道のほうだったのかとも思ったが、なぜか引き返そうとは思わなかった。そして、結婚式で撒いたらしいピンクの花びらがたくさん落ちている教会らしき建物を見つけた。でも扉は硬く閉ざされ、そればかりか締め切りの扉ででもあるかのように柵までされていた。
「ここは違うんかなぁ……?」
首を傾げた私たちの目に、これまた教会のような建物が飛び込んできた。ほんの数メートル先の交差点で、ほとんど向かい側と言っても差し支えないほどである。その入口には20人前後の人たちがいて、出入している人の姿も見える。そこで、私たちも遠慮がちに扉を押して入ってみた。
ペルペトゥオ・ソコロ教会中には大勢の人が集まってミサらしきものが行われていて立派な祭壇もあり、やはり教会のようである。
だがここがカテドラルかと言われると違う気がして、厳かな雰囲気のそこをこっそりと撮影させてもらってすぐに外へ出た。
あとで調べた結果やはりカテドラルではなく、撒かれたピンクの花びらが落ちていた建物がグラナダ市内でも特に素晴らしいゴシック建築とされる『サン・ファン・デ・ディオス教会』で、ミサの行われていた建物が17世紀建造の『ペルペトゥオ・ソコロ教会』のようだった。

カテドラル(大聖堂)とは司教のいる教会のことで、教会はたくさんあるがカテドラルは各司教区に1つしか存在せず、その地区の教会を統括している。つまりカテドラルと言えばバルセロナ大聖堂、バレンシア大聖堂、グラナダ大聖堂などのようにその地区の大聖堂1つを指し、特に名称はつけられていないらしい。
そのカテドラルへの道順は簡単なはずだったのに迷うことになり、そろそろ日暮れの空になってきていたこともあって、カテドラルへ行くのはもう諦めてホテルへ戻ることになった。
ほとんどの人が左折していった道まで戻ったとき、ホテルにもどうせ一本向こうの道を登っていくのだからと、その道を上がってみることになった。道の両側に車がずらりと停められていてとても細い道になってしまっているそこの右側は噴水のある住民の憩いの場になっていた。『トリウンフォ庭園』である。入口を見つけて中に入り、ちらりと見てすぐに出る。
上り坂の突き当たりはこれまた凝った建築の建物があり、せっかくだからクルッと見てみようと、本来は左へ進むはずのところを右に進んだ。その建物を左折してすぐ、正面入口らしい立派な門扉があった。ここもあとで調べた結果、1503年にカトリック両王が建設した王立病院で、現在はグラナダ大学本部、大学中央図書館として機能している建物だとわかった。
ここで来た道を戻りトリウンフォ庭園沿いのもう1本向こう側の道へ出れば良かったのだが、この道を登って左折しても同じようにホテルへ戻れるだろうと、さらに先へ進むことにした。
これが、運の尽きだった。

坂を上り切ると確かに左折する道はあったのだが、進んでみるとどんどん斜めに上がっていく。ホテルのある坂道が左に見えてくるはずだったのに、どう見ても住宅街のような所ばかりでそれらしき道が見えてこなかった。
とうとう日も暮れ、坂道のせいもあって足への負担が半端ではなく、もう何年もの付き合いとなる足裏の側面にできているタコも痛みを超えて疼き始めた。自然歩みが乱れて遅くなり、2人についていくだけで必死になる。「大丈夫?」と訊いてくれるみきちゃんに頷きを返すのが精一杯で、できることならもう1歩たりとも踏み出したくなかった。
だがそういうわけにもいかず、とにかく必死にホテルを目指して……いや、探して夜の道を進んだ。
さすがにもう行き過ぎているんじゃないかと思って左に下る坂道に進路を取り、どうぞ一刻も早くホテルに着けますようにと願いながら下ったその道には、右に大きな病院があった。
こんな病院なかったよな……と、途中で道をもう1本変えた。それを少し進んだところで、声をかけられた。同じツアーのおじさんである。
ああっΣ( ̄ ̄*)、これでホテルに戻れるっ!
迷っていることを告げると、ホテルまで一緒に行こうと言ってくれたおじさんが救世主に見えた。あと一息だと足を叱咤し、みんなのあとについて遅れないように歩く。その坂道を下って右折れし、さらに次の道を右折れして上り坂になった。ようするに、病院のあったあの道に出たのだ。
間違ってなかったのか……。
あのまま進んでいれば下っているうちにホテルが見えたんだと心の中で選択ミスに深々と嘆息し、交差点に差し掛かったときだった。
おじさんが横断歩道を渡ろうとしたのを見て、みきちゃんが間違いを指摘する。もうみきちゃんには現在地が把握できていたのだが、おじさんは酔っ払っていたためか危うく道を間違うところだったようだ。何やら探し物をしているようで、結局そのままそこで分かれて横断歩道を渡っていった。
そこからすぐに無事にホテルへ辿り着き、体中の力が抜ける思いだった。
危なかった……おじさんについて行ってたらまだ迷ってるとこや……。ε=( ̄。 ̄;)はふぅ…
ふとおじさんは無事にホテルへ戻ってこれるのかと言って心配になった私たちだったが、疲労はもうピークになっていて一刻も早く部屋に戻りたかった。

ホテル室内そして部屋に着いたはいいが、まだ誰がどこで寝るのかを決めていなかったためベッドにダイブすることもできず、とにかくどこで寝るかを決めることになった。
私は前日のホテルが超簡易ベッドだったためみきちゃんが私に置くの部屋を1人で使っても手前の部屋を1人で使ってもいいからベッドを選んでと言ってくれて、スーツケースに体重を預けるようにして何とか足を浮かす努力をしていた私はもうとにかくすぐにでも座るか寝転ぶかしたいという気持ちでいっぱいで、入ってすぐの目の前のベッドを示して「こっち」と言った。そしてすぐさまベッドに深く座り、ようやく足を浮かせることが叶った。(>_<。)痛かったぁ…
みきちゃんも私の選んだ手前の部屋が良かったようだが、私に1人で部屋を使ってもいいと言ったためかスーツケースを転がして奥の部屋へ入っていった。Nさんはそもそも最初から奥の部屋がいいとすでにそちらに入っていた。
重い足を上げて補装具を外し靴下を脱いで疼くタコをさすろうとしたところで、Nさんが「向こうの部屋がいいんちゃうの?」と言っているのが聞こえ、「あっちで1人で寝たいんやって」と答えているみきちゃんの声が聞こえた。他にも2人で何か言っている。
私は別に1人で寝たいなんて思っていたわけではなくとにかく早く足を休めたかっただけなのでそれは誤解だと思い、「こっちで寝たらいいよ」と奥に声をかける。さらに疲れで気短になっていた私は、「結局Nさんはそっちで1人で寝たいわけやろ」と最初から奥の部屋に入って出てこない彼女に文句を言ってしまった。
それに何も答えないNさんの代わりに、みきちゃんがこちらの部屋へやってきた。それぞれスーツケースを広げたりデジカメの充電池を充電したりし、私が最初にお風呂に入ればと勧められたがとてもまだ立ち上がる気にはなれず、2人に先を譲る。
翌日以降のためにも撮ったデジカメ画像の整理をし、眠りにつけたのはホテルに戻ってから2時間以上も経過してからだった。
観光の少なかったこの日がこれほど疲れる一日になろうとは……。......(;__)/| はぁ…
とにもかくにも6時間弱を爆睡し、瞬く間に朝を迎えることになった。



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