『シュロの門』から寺院内へ入る前に、ちょうど直線上に聳えている鐘楼『アルミナールの塔』を写真に収める。この塔はもともとイスラムのミナレット(尖塔)だったが、17世紀にキリスト教徒によって鐘楼へと改築された。といっても、ミナレットは壊されたのではなく塔に内包されている。12の鐘とは別に、時計部分にも2つの鐘が取り付けられていて、頂には13世紀にペストの流行から救ってくれたというコルドバの守護天使ラファエルの像が立っている。鐘は12時、13時などの各時間にその数だけ鳴るらしい。
シュロの門から中に入ると、そこはもう大理石の柱が林立する『円柱の森』だった。その数は856本にもなり、カテドラル建築以前は1114本あったとか。花崗岩や赤レンガと白い石を組み合わせた二重アーチが続いている様は、まさに圧巻である。(* ̄- ̄*)すごいわぁ…
私たちが先導にしたがって通った所もカテドラルの聖職者席の裏側で、2つの大きな鍵を持った司教の姿が中央上部に彫刻されていて、周囲の天使像や柱の感じからまるで神殿のファサードのような雰囲気だと思った。その前を通って奥へ進むと、『アブデラマン2世の身廊』が少し残されていて、アブデラマン1世の身廊の馬蹄形アーチとは違い小さな円が5つある多弁形アーチになっている。
ここもやはり2重アーチになっているのだが、2重アーチは単なる装飾から生まれたものではなく合理的な理由がある。背の低い柱が多かったローマ神殿や西ゴート王国の聖堂の柱を転用したためそのままでは高さが足りず、アーチを重ねることによって高さを確保したのだ。つまりもし背の高い柱が使われていたら、メスキータの2重アーチの美しい景観が生み出されることはなかったことになる。アーチになっているのにも理由があり、9.3mの高い天井を支えるために受ける強い重圧を建物の壁に分散させているのだ。
さらに進むと961年にアルカハム2世によって築かれた身廊になり、最奥にイスラム教寺院では祭壇の代わりとなる重要な『ミーラブ』いう窪みがあった。これは必ずメッカの方向に造られる。が、何か間違いがあったらしくこのミーラブは15度ほどメッカの方向からずれてしまっているとかいないとか。
入ってすぐ、ガラスケースに収められた黄金に輝く聖体顕示台が中央を占領していた。聖体顕示台とはキリスト教の聖具の1つで、中央部分に聖体の一部を収める透明な部分があり、主に聖体拝礼のときや聖体行列のときに使用されるものである。この聖体顕示台は16世紀に作られたもので、3月から4月に行われる聖週間や5月に行われるパティオ・フェスティバルで引かれる山車の頂に取りつけられる。
だが、前述したとおり1523年にカルロス5世がカテドラルへの改築を許可し、243年をかけて祭壇、聖歌隊席、聖職者席(説教壇)が造り上げられた。スペイン・イスラム王国の信仰と精神の中心だったメスキータは、こうして名称も『聖母マリア被昇天』に捧げるカテドラルへと変えられてしまう。それでも尚、現在も人々からメスキータと呼ばれているのは、そこにメスキータへの賛美が込められているかのだろうか。それともイスラム文化がスペインに及ぼした影響の大きさを物語っているのだろうか。
両側の壁面に53席ずつずらりと並ぶ聖歌隊席はマホガニー材を使用し、高い背もたれには右にイエスの生涯、左に聖母マリアの生涯が旧約聖書に基づいて浮彫されており、聖職者席も共にマホガニー製で上部にイエスの昇天、右にアビラの聖女テレサ(神秘神学)、左にマリアマクダレーナ(禁欲主義)が、頂にはコルドバの守護神聖ラファエロの等身大の像がある。1747年に完成。
それでも二重アーチが続く様は壮観で、明かり取りの天窓からまるでスポットライトのように床に落ちる光の中に立って写真を撮ってみたり、列柱の間に3人並んで自分たちでもアーチっぽいポーズをして撮ってもらったりと楽しんだ。


