セビリアからポルトガルのエヴォラへ向けて、約250kmの道のりをひた走る。
そのお店を出て、道路を挟んだ向こう側に見えていた小高い丘の上に広がる白壁の町並みと、頂に建つ城砦らしき建物をズームして撮ってみた。
シャッターチャンスは1度きり。急いで画像をチェックした。
ポルトガルはスペインよりもさらに1時間の時差があるため、ポルトガル時間で言えば14時前だが、スペイン時間だともう15時になろうかとしている時間のため、これから昼食といわれるとちょっと妙な気分になった。
石畳の坂を登り階段を登りして住宅街を進み、6~7分後にレストランに入った。さっそく長テーブルの席に着き、今か今かと料理を待つ。待つ。……待つ。(ー_ー;)
ポルトガルに入る前に添乗員さんが車中で一人旅をしたときの話をしてくれていて、ポルトガル人のおじさんに会ったときに「ポルトガルは料理がおいしい!」とかなり自慢していたらしいが、まさにその通りかもしれない。期待できそう♪( ̄m ̄*)ふっふっふ
満足した遅い昼食を終えて現地ガイドのおばさんと合流し、再び石畳の坂道を登って『カテドラル』を訪れた。エヴォラは初めてらしいドライバーのJさんも一緒である。
中に入ると、レンガ調の壁や天井がシンプルな印象を与える落ち着いた教会だった。中程にヨーロッパに2台しか現存しないというイベリア・パイプオルガンがあり、1584年9月にリスボンに到着した天正遺欧少年使節団がローマへと向かう道中で8日間滞在した際、伊東マンチョと千石ミゲルが見事に演奏してみせたという。扱いが難しく、世界中でも弾ける人は僅かだと言われているこのイベリア・パイプオルガン。それを少年2人が見事に弾きこなしたというのだから凄い。語り伝えられるのも頷けるというもの。
祭壇の手前には、左右にバラ窓が見える。左は明けの明星、右は神秘のバラとされ、ともに聖母マリアのシンボルを表している。
ディアナ神殿は2世紀末にローマ人によって造られたコリント式の神殿で、月の女神ディアナに捧げられたものだと推測されている。大理石で作られた土台の上に花崗岩(御影石)でできた14本の柱が残っている。
ジラルド広場に着くなり現地ガイドのおばさんとお別れすることになり、囲んで拍手をすると嬉しそうに笑っていた。それにしても、案内してもらったのはカテドラルとディアナ神殿だけ……。なんて短いガイドなんだろう。f^_^;)
つい最近知人を通じて意気投合し、今回のスペイン旅行に参加することになったという2人は、とても知り合ってから間もないとは思えないくらい仲が良さそうに見えた。それに、1人はJさんのお気に入りだし。←関係ない(笑)
『クリスト・レイ』はブラジルの首都リオデジャネイロにあるクリスト・レイ像を真似て1959年に造られたものだが、遠慮深い国民性であるらしいポルトガル人は本家のものより少しばかり小さく仕上げた。高さ85mあり、エレベーターで昇る足元の展望台からは対岸の市街が一望できる。
“7つの丘の町”と称されるヨーロッパ大陸最西端の大都市であるリスボンの歴史は古く、紀元前1200年頃の海の遊牧民といわれたフェニキア人の入港、築城をきっかけにしてギリシャ、ローマ、イスラムと支配者を変え、街の姿を変化させてきた。レコンキスタ完了後の1255年、アルフォンソ3世がコインブラからリスボンへと首都を移し、15世紀からの大航海時代には貿易を中心としてポルトガル史上最高の栄華を極めたが、そんなリスボンを1755年11月1日9時40分に大震災が襲い街の大半が壊滅状態となった。キリスト教の祝日だったため市民はロウソクを灯して祈りを捧げており、その火が大地震で崩壊した街をさらに6日間も燃やし続けたのだ。死者は6万人にものぼったという。
エヴォラに続きこの日2つ目となるローマの水道橋をくぐってから1時間弱で、2連泊する4つ星ホテル『サナ・パーク・メトロポリタン(SANA PARK METROPOLITAN)』に到着。
毎度のことながら食べ放題のパンと、トマト・レタス・コーン・にんじんの盛り合わせサラダ、にんじんたっぷりリゾット、そしてデザートのりんごケーキのバニラアイスとイチゴ乗せ(←勝手に命名)というわりとヘルシーなメニューだったお蔭で、昼食が遅かったとはいえしっかりと完食する。
互いに褒め合って満足し(笑)、次に見つけたのは一列に並べて陳列されている大小のニワトリの置物。ポストカードにもなっていることからして、何か特別な意味があるのだろう。