当初はテージョ川の中に建設された『ベレンの塔』だが、川の流れが後退したため現在では岸に建っている。正式には『サン・ヴィセンテの砦』という。マヌエル1世の命により、船の出入りを監視する要塞として1515年から1519年にかけてフランシスコ・アルーダによって建設された。
与えられた時間は15分。急いでベレンの塔へ向かった。塔内も見学できるようになっている。
発見のモニュメントの前には広場があり、世界地図のモザイクが大理石で作られていた。各地にはそれぞれに到達した年号が記入されていて、とてもいい加減な形の日本には1541年と記されていた。豊後に漂着した年だそうだ。ちなみに1543年には種子島に漂着している。
それを、傍で見ていた外国人たちが見て笑う。そんな私たちを撮っている人までいた。こんなことで笑いを取れるとは、西洋人の“笑い”ってちょろいな。(笑) ←失笑されてたのかも?( ̄▽ ̄;)

内部はステンドグラスから射し込む陽光とロウソクなどの間接照明で照らし出され、やわらかで清浄な光に包まれている。とはいっても、ロウソクは本物ではなくその形をした照明器具。……現実的である。
「おぉ~綺麗~ぇ( ̄□ ̄*)」
ヨーロッパに石畳の道は多いが、この石は1つの面の耐久年が20年ほどあり、すり減ってきたところで掘り起こし面を変えて再び20年、また掘り起こして面を……というようにして、1つの石を120年以上使うのだとか。( ̄- ̄*)素晴らしいっ
さらに石畳の坂を上ると、1本の椰子の木があるこれまた小さな広場に面してサン・ ミゲル教会が建っていた。ミゲルとは、キリスト教をあまり知らなくてもその名を聞いたことがあるであろうミカエルのことである。4大天使の1人(他にガブリエル、ラファエル、ウリエル)にして天使長であり、その名は“神のごとき者”という意味を持っている。
15分なんてあっという間である。すぐに集合時間となり、バスの待っている場所まで歩いて戻る。その道中に2つ、古い水場があった。何百年前のものか、もしかしたら大航海から戻ってきた船乗りたちが汗を拭ったりしたかもしれない。
バスに乗ってすぐ、右側にリスボンで最古のカフェの1つだという『Martinho da Arcada』が見えた。ガイドさんが教えてくれなければ、こういうことはガイドブックに載っていない限り絶対にわからない。こうして思わぬ説明を聞けるのがツアーのいいところだろう。……なのに聞き逃すことも多いけど。(; ̄ー ̄A ふきふき…
レストラン『BOTEQUIM DO REI』は、そのすぐ近くにあった。建物は厨房などのある一部だけで、あとはテント張りといった感じのちょっと珍しい印象を受けるレストランだ。
ポルトガルも基本的には一般的なヨーロッパ料理と変わらず肉食中心だが、日本と同様に魚も好まれ、干し鱈の料理方法は365日毎日違う料理を出せるほどだとか。それもそのはず、数千種類もあると言われているのだ。Σ( ̄□ ̄*)すごっ
そこには傾斜を利用して造られた幾何学模様の植え込みが見事なフランス式庭園『エドゥアルド7世公園』が広がっていた。中央奥にポンバル侯爵広場のライオンを従えたポンバル侯爵像やリスボンのメインストリートであるリベルターデ大通りと旧市街の町並み、テージョ川とその向こう岸まで見渡せる素晴らしい眺望だった。