目覚めたのは6時過ぎ。
走り出して30分ほど過ぎた頃、窓の外に紫の花畑が広がった。丘の斜面をドレスの裾のように紫に染める光景が美しい。
町の南西に位置する城門『ポルタ・ダ・ヴィラ(町の門)』に向かう。少し前までは入口横に車のための信号がついていたようだが、今は車輌進入禁止の標識が立てられていた。
オビドスのポウザーダ(国営宿泊施設)は元は要塞で、16世紀に宮殿に改修されたものをさらに宿泊施設として改修された。歴史的建造物を改修して認定された最初のポウザーダだそうで、数あるポウザーダの中でも人気があるという。ただ客屋は全9室しかなく、一般のツアーで宿泊となるとなかなか難しそうだ。個人でも予約を入れて訪れるしかなさそう。
しっかりみきちゃんが町を見下ろしてパノラマ写真を撮り、途中で切れている階段を下り始める。途中からはごつごつとした岩も出ているちょっとした急な山道状態で、最初はNさんの手を借り、さらにみきちゃんの手も借りてようやっと下の道に降り立つ。(;~ ・~)> ふぅ…
『サンタ・マリア教会』の建造年は不明だが、内部の壁を飾る18世紀のアズレージョや17世紀の天井画や主祭壇の装飾が美しく、1444年8月15日にはアルフォンソ5世がここで結婚式をあげている。といっても、当時まだ王子だった彼はまだ10歳で、いとこであった花嫁のイサベルは8歳だった。Σ( ̄- ̄*)…。
そのお店は右の写真のオレンジの蓋のゴミ箱(?)が入口に置いてある所。
ナザレの海岸の町と大西洋を一望できる展望台へ行く予定だったらしいが、バスがギリギリ通れる幅しかない住宅街の道を通ったりするうえ、終いにはアスファルトでもなくなり、片側が林になっていった。そして右側には墓地も。Σ( ̄- ̄;)
右の写真の場所で狭い角を曲がりきれず立ち往生し、先導しようとしてくれていた地元の自転車のおじさんも心配して引き返してきた。周りに2、3人いた地元の人たちも傍に寄ってきて、バスに今にも当たりそうになっていたカーブミラーをグイッと角度を変えて通りやすくしてくれる。
『ナザレ』は、イエス・キリストが30歳まで育った地であるイスラエルのナザレスから、4世紀に1人の僧がマリア像を持参したことによってつけられた地名である。人口約1万人の漁師町で、10年ほど前からはリゾート観光の街としても人気を呼んでいる。町の起こりは北アフリカやスペイン沿岸を植民都市としていた古代フェニキア人がこの地に開いた漁村だが、人々が海岸沿いで暮らすようになったのは17世紀になってからのことだという。
そしてなんとか曲がり角を無事に脱して迎えに来てくれたバスに乗り再び道を訊ねつつ向かったのが、海岸沿いに広がる町プライア地区。ソウザ・オリヴェイラ広場に面したレストラン『Mar Bravo』の傍でバスを降り、そこで昼食である。ナザレでいちばん魚がおいしいレストランなのだそうだ。
きっと厨房へ入ってからもそれを見せているに違いない……と勝手に想像して楽しむ。もしかして記念に写真を撮ったりしたかも! (ー_ー;)それはどうやろ…
あとは海岸やオ・シティオ地区の崖などの写真をみきちゃんとNさんがバッチリ撮っているのを、私は眺めていたりフレームに入ったりしていた。記録メディア節約のため。(^。^;)おほほ…