月の旅人

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谷間の真珠オビドスと漁師町ナザレ

谷間の真珠オビドスと漁師町ナザレ




窓の外の飛行機目覚めたのは6時過ぎ。
カーテンを開けると、ようやく朝陽が昇り始めたばかりで地平がオレンジに染まっていた。高い空はまだ夜の名残りを残し、見事に晴れ渡っていた。
昨日の朝もこうであればと、改めて残念な思いがする。
そんな昨日の朝もそうだったが、この日も部屋の窓とあまり変わらない高さに飛行機が飛んでいき、それを待ち構えていた私は逃さずデジカメのシャッターを切った。
7時半には食堂に赴き、メロンを堪能する。(笑)
夕食にも朝食にも満足して、9時にはホテルを出発した。

花畑走り出して30分ほど過ぎた頃、窓の外に紫の花畑が広がった。丘の斜面をドレスの裾のように紫に染める光景が美しい。
「綺麗ぇ~( ̄▽ ̄*)」
バス移動の最中も常にデジカメを手にしている私はすかさずその光景を切り取り、その15分後には黄色の花畑が広がった。もちろんしっかりデジカメに収める。( ̄ー ̄)


その花畑から20分も建たずに到着したのは、『オビドス』という中世の町並みを今に残す城壁に囲まれた小さな愛らしい町。
オビドスは1148年にアルフォンソ・エンリケスによってイスラム支配から奪還され、家々の壁は白く塗られて花で飾られた。1282年にディニス王とともにこの町を訪れた王妃イザベルは“谷間の真珠”と呼ばれるその美しさと愛らしさに魅了され、以来1834年まで歴代の王が王妃に捧げ続け、王妃の直轄地とされてきた。
教会や礼拝堂はかつては13あったが、1755年の大地震で大半が被災を受け、城壁内に6つ、城壁外に4つが再建されて今に至る。
オビドスに町が築かれたのは、紀元前のケルト時代のこと。葡萄畑の丘にあり、城壁の高さは13mほどだ。

その城壁の外に駐車場があり、城門に程近い場所でバスを降りた。城門の手前に案内所があり、そこで町案内のチラシをもらう。案内してくれるガイドさんはおらず、各自で自由散策である。
ポルタ・ダ・ヴィラの教会のアズレージョ町の南西に位置する城門『ポルタ・ダ・ヴィラ(町の門)』に向かう。少し前までは入口横に車のための信号がついていたようだが、今は車輌進入禁止の標識が立てられていた。
『ポルタ・ダ・ヴィラ』は、全部で6つあった城門の中でいちばん美しいという。イスラム支配時代に造られたため敵が侵入しにくいよう鍵形をしている城門で、一部が18世紀のアズレージョで装飾されていて、内部は『ノッサ-セニョラ・ダ・ピエダデ祭壇になっている。入口は城門の外にあったが、扉はピッタリと閉ざされていた。鍵は開いていたのかもしれないが、どうだろう。
教会のバルコニーの下ではおばあさんが1人椅子に腰かけてレース編みをしながら、完成した直径30cmくらいのクロスをもう1脚の椅子に掛けて売っていた。そういう光景もなんだか絵になる町である。

アズレージョとはアラビア語で“小さな磨かれた石”という意味で、“青”を意味するアズールにも通じている。教会や宮殿、バー、レストラン、駅など町のあちらこちらの建物に多く見られる他、一般の家などポルトガルのどの町でも必ず目にする装飾タイルのこと。アズレージョの飾る壁が、ポルトガルの建物の特徴となっているのだ。
中世のイスラム王国の時代から1枚1枚に手描きで絵付けをし、それを窯で焼き、組み合わせて作られてきた。
絵は聖人の一生を描いたものや物語、歴史的場面、風景など様々で、単に模様を描き込んだものもある。アラブを起源としてスペイン経由でポルトガルに入り、ポルトガルの気候風土に合っていたこともあり1415年の北アフリカのセウタ攻略を機に全土に広がって、16世紀の終わり頃からはポルトガル人の手で作られるようになり、18世紀にアントニオ・デ・オリヴェイラ・ベルナルデスとその息子がドイツ陶芸を取り入れて芸術として発展していった。
絵が青1色で描かれるようになったのは、リスボン大地震後、復興のためにたくさんのタイルを急いで焼く必要に迫られたためだと伝えられている。
リスボンにはアズレージョ博物館もあり、名所もいくつかあるというが、どこもツアーに含まれていなかった……。(/_<。)残念やわぁ
オビドスの城壁


ポルタ・ダ・ヴィラを抜けると道が2つに別れ、その左がメインストリートのディレイタ通りだ。が、その道を行くことは私たちの頭には最初からなく、城門に添う形で造られている階段をさっそく上る。ツアーの多くの人たちが城壁を歩くことを選んで、私たちよりも先にその階段を上がっていった。
左に折れる階段の踊り場でI夫妻や京都のKさんと写真を撮り、城壁散歩を開始した。気づくとなぜか私たちだけが左回りで、他の人たちはみんな右回りに進路を取っていた。……ちょっと寂しい。(^-^;)
でも今から考えると右へ進むと城壁が高くなっていて、全体がよく見渡せると思ってのことだったのかもしれない。でも私たちはそもそも1周する気満々だったので、そんなことは気にもしていなかった。
歩いていくうちに反対の城壁を歩いているIさんたちの姿が見える場所もあり「お~い」と呼んで手を振ってみたが、みんな下を向いて歩くのに必死でこちらを見る気配すらなく、「気づいてくれへんなぁ……」とちょっぴりガッカリしながら先へ進む。
よそ見をできないのも無理はない。足場がいいとは言えないうえに、手すりも柵もないのだ。片側は13mの絶壁である。正直言って怖い。よろめいたり躓いたりして落ちはしないかと考えたりもし、城壁に手を這わすようにしながら前進した。そんな最中でも、何度となく止まって写真を撮るのを忘れなかったが。(笑)

城壁はぐるりと1周できるものだとばかり思っていたら、ポウザーダ横でいったん途切れていた。しかもちょっとした山道を下るかのような足場の悪さである。
慎重にあちらこちらに手をつきながら下り、ポウザーダの入口付近をうろついた。
ポウザーダオビドスのポウザーダ(国営宿泊施設)は元は要塞で、16世紀に宮殿に改修されたものをさらに宿泊施設として改修された。歴史的建造物を改修して認定された最初のポウザーダだそうで、数あるポウザーダの中でも人気があるという。ただ客屋は全9室しかなく、一般のツアーで宿泊となるとなかなか難しそうだ。個人でも予約を入れて訪れるしかなさそう。
ちなみに、このポウザーダに宿泊するリスボン発のツアープランもあるスペインとポルトガル旅行専門の旅行社がある。
いつか利用してみたいなぁ。(* ̄- ̄*)


城壁の上り口を探して歩き回り、ポウザーダ横の門を出てみたらそこに見つけた。Σ( ̄- ̄;)外やったんかいっ
ついでに公衆トイレも見つけ、無料だったためさっそく利用しておく。そのトイレから出るとき、外国人のおじさん2人が入れ違いに入ってこようとし、互いに「Oh!?」と驚いた。私たちは男子トイレと間違って入っていたのかと不安になり、おじさんたちは男子トイレから女が出てきたと思って驚いたのだ。でも間違っていたのはおじさん2人。照れたように謝って、そそくさともう一方の入口へ移動していった。
みきちゃんは一足先にトイレを出て、ポウザーダ裏にも続く城壁や広場などの写真撮影に励んでいた。いつもながら行動的な人だ。( ̄▽ ̄*)
そのときにみきちゃんが撮ったポウザーダの写真が、右上のもの。

町も散策してみたいが城壁を半周しただけで思わぬ時間を取ってしまい、そうそうゆっくりもしていられなくなった。
城壁を登り始めたはいいが、そのまま南西の門まで行く時間もなさそうで、20mも進まないうちに階段を見つけて下りることになった。
オビドスの町しっかりみきちゃんが町を見下ろしてパノラマ写真を撮り、途中で切れている階段を下り始める。途中からはごつごつとした岩も出ているちょっとした急な山道状態で、最初はNさんの手を借り、さらにみきちゃんの手も借りてようやっと下の道に降り立つ。(;~ ・~)> ふぅ…
すぐに町へと下る道を見つけ、青や黄色でラインの引かれた白壁の家々や窓辺に咲き誇る花々のかわいい中世そのままの路地を、南西の城門へ向かって歩いた。


メインストリートのディレイタ通りを進んでいくと、左側に『サンタ・マリア広場』が見えた。その奥に『サンタ・マリア教会』が静かに佇んでいる。町でいちばん大きな教会でオビドス一の観光スポットとなっているが、町に似合う素朴で小さな教会である。
『サンタ・マリア広場』の周囲には、観光案内所、市場、博物館が集まっている。その広場に『ペロウリーニョ』という小柱が立っている。レオノル王妃がテージョ川で水死してしまった王子への悲しみを胸にオビドスを訪れてその王子の遺体を引き上げた漁師の網と王妃の紋章がペロウリーニョに刻まれ、そこに王妃の悲しみが封印された。夏季には、野外コンサートが催されたりもする場所。
サンタ・マリア教会『サンタ・マリア教会』の建造年は不明だが、内部の壁を飾る18世紀のアズレージョや17世紀の天井画や主祭壇の装飾が美しく、1444年8月15日にはアルフォンソ5世がここで結婚式をあげている。といっても、当時まだ王子だった彼はまだ10歳で、いとこであった花嫁のイサベルは8歳だった。Σ( ̄- ̄*)…。

時間はないがチラッと見るくらいは余裕があったため、サンタ・マリア教会の中に入ってみた。外観同様、中も豪華というよりは素朴な印象を受ける。ポルトガルに来て初めて見た壁面全体のアズレージョも見事だった。
「あ……Σ( ̄- ̄;)」
写真を1枚撮ったところで、記録メディアがいっぱいになってしまった。
このままの調子ではメディアが足らなくなりそう……と不安になる。しかもそれは、私だけではなかった。みきちゃんもだ。
2,3分ほどの見学でディレイタ通りをさらに南西の城門へ向かって歩く道中、2枚ほど写真を撮ったところでみきちゃんもメディアの容量がいっぱいになり、その先のオビドスでの数枚はNさん頼りとなった。
集合時間にしっかり間に合って南西の城門ポルタ・ダ・ヴィラに着くと、テレビ局が撮影にやってきていた。カメラマン1人とレポーター1人と何人かのスタッフらしき人がいるだけだったが、オビドスの町の紹介でもしていたのだろうか。
私たちはテレビカメラが向いている方角にあるお店に水を買いに行きたくて、取材の合間を待っていた。レポーターのおじさんがマイクをおろし、その瞬間がやってきた。私たちはいそいそとお店に入り、小さな小さなお店で2リットル入りのミネラルウォーターを2本もゲットした。驚くほどに安かったのだ。この旅行中の最安値である。
かわいいオビドスの町そのお店は右の写真のオレンジの蓋のゴミ箱(?)が入口に置いてある所。
こうして改めて見ても、見るからに小さいお店だなぁ。( ̄- ̄*)
お店だけでなくオビドスは全体が小さな町だから、初めての町なのに何となく落ち着く不思議な町でもあった。やっぱり、庶民だから?(笑)


城門から出てみんなでぞろぞろとバスへ向かうとき、リスボンのフリータイムで「厭な経験をしたことがあるから」と私たちとの同行を拒否した夫妻と一緒になった。
みきちゃんと私は奥さんからそのときに訪れて堪能したというレストランの伊勢エビ料理のすごさを聞き、Nさんはだんなさんと歩きながら“厭な経験”の話を聞く。あとでそれを教えてもらったところによると、以前私たちと同じようにフリータイムをご一緒しましょうと行ってきた女の子たちがいて、彼女たちにさんざん奢らされる羽目になったことがあるのだとか。
私たちもそんな非常識な人たちと同じに見えたんだろうか……と、やっぱり気分は良くない。(ー_ー;)う~ん…

バスに乗るなり、みきちゃんと私は画像整理に励む。要らなさそうなものは削除、あるいはリサイズして少しでも容量を増やすつもりなのだ。
そんな私たちを尻目に、走り出したバスの車窓からNさんが南に約3kmに渡って伸びる16世紀の水道橋を写真に収めていた。


オビドスから次の目的地『ナザレ』までは50分足らずの道のりだった。
ただし、ナザレに着いてからまた迷った。( ̄▽ ̄;)はは…
墓地ナザレの海岸の町と大西洋を一望できる展望台へ行く予定だったらしいが、バスがギリギリ通れる幅しかない住宅街の道を通ったりするうえ、終いにはアスファルトでもなくなり、片側が林になっていった。そして右側には墓地も。Σ( ̄- ̄;)
この分だと道が途切れてしまいそうな雰囲気である。
さすがにヤバイと思ったドライバーのJさん、地元人らしいおじさんを見かけた途端バスを降りて訊ねた。そして笑顔だけでなく走り方まで愛嬌たっぷりに戻ってくると、林の中にバスのお尻を突っ込んでUターンを始める。そのとき、バキッと後方で何かの割れる音がした。「おや?」と思ったらしいJさんが再びバスを降り、後方を確認しに行く。そしてすぐにちょこちょこと駆け戻って発車した。だから何事もなかったのかと思いきや、あとでバンパーが割れてしまったことを知った。切り株だか大きな石だかに当たったらしい。(^。^;)あらら…

完全に道を間違っていたようで、改めて先刻のバスが通れるギリギリの幅しかない住宅街の道を通ることになった。行きはなんとか無事に通り抜けることができたが、帰りはまたもやハプニング発生。
立ち往生右の写真の場所で狭い角を曲がりきれず立ち往生し、先導しようとしてくれていた地元の自転車のおじさんも心配して引き返してきた。周りに2、3人いた地元の人たちも傍に寄ってきて、バスに今にも当たりそうになっていたカーブミラーをグイッと角度を変えて通りやすくしてくれる。
そこでゆっくりと前進を試みたJさんだったが、それでもカーブミラーにガガガッと擦ってしまい、「あ~っ!!/(>_<)\」と車内が騒然となる中、ちょうど私の座っていた席のあたりから窓ガラスに傷が走ってしまった。
これはどうやって抜け出すんだろう……と心配になっていると、私たちはその場でバスを降りて近くの展望台へ向かうことになった。幾人かはJさんを日本語で応援しながら降り、私もグッと拳を握って「頑張ってくださいね」ともちろん日本語で(笑)言って降りる。
バスの後ろに回ってみると、カーブミラーも歪んでいた。(^。^;)あらら…
その角を脱出するのはJさんの奮闘と地元の人たちに任せ、教えられた道を添乗員さんのあとについていく。


本当に歩いてすぐの所に16世紀の木造建築『ミゼリコルディア教会』があり、その傍に展望台があった。「お~っΣ( ̄o ̄*)」とか「綺麗~♪Σ( ̄▽ ̄*)」と口々に感嘆の声が洩れるパノラマが眼下に広がる。
さっそくみんなで入れ替わり立ち代わり写真を撮った。
無事に来られて良かったと思っていたら、バスに戻ってから添乗員さんが「お連れしたかったのは違う場所だったんですけど、綺麗でしたね~」と言っていた。Σ( ̄- ̄;)違ったん!?
ミゼリコルディア展望台からの眺望『ナザレ』は、イエス・キリストが30歳まで育った地であるイスラエルのナザレスから、4世紀に1人の僧がマリア像を持参したことによってつけられた地名である。人口約1万人の漁師町で、10年ほど前からはリゾート観光の街としても人気を呼んでいる。町の起こりは北アフリカやスペイン沿岸を植民都市としていた古代フェニキア人がこの地に開いた漁村だが、人々が海岸沿いで暮らすようになったのは17世紀になってからのことだという。
私たちが迷い込んだ展望台のある場所は東側の高台にあるナザレの中で最も古い居住区ペデルネイラ地区で、本来訪れる予定だったオ・シティオ地区は岬のある北側の断崖上に広がっている。ようするに、まったく場所が違っていたというわけ。f^_^;)

レストラン『Mar Bravo』そしてなんとか曲がり角を無事に脱して迎えに来てくれたバスに乗り再び道を訊ねつつ向かったのが、海岸沿いに広がる町プライア地区。ソウザ・オリヴェイラ広場に面したレストラン『Mar Bravo』の傍でバスを降り、そこで昼食である。ナザレでいちばん魚がおいしいレストランなのだそうだ。

昼食のメインは、ナザレの名物の1つであるイワシの塩焼き。炭火で焼いているそうで、塩加減も焼き加減も絶妙なおいしさだった! けっこう大きなイワシだったため最初は少しためらったが、イワシだし……、とこれまで家で食べてきたとおり尾から丸かじりしにして食べる。ふと見るとみきちゃんも同じ食べ方をしていた。
同じテーブルになったおじさんやおばさんたちが口を揃えて「若いのにえらいね~」と褒めてくれるのに対し、みきちゃんと私も口を揃えて「イワシやし骨も食べられるかなと思って」と答えると、またもや「えらいね~」と褒めてくれる。(*..)ヾテレ…
そんな皆さんも魚好きだと言い、綺麗に骨をピーッと剥がし取って食べていた。しばらくしてお店の人がおかわりを持ってきてくれると、半数以上の人がもらっていた。中には2匹もらった人も。よほど魚好きらしい。みきちゃんもしっかりおかわりをもらっていたが、私は残念ながら満腹のため断念する。←大げさ(笑)
うちの父もかなりの魚好きのため、ちょっと食べさせてあげたくなったりした。
ほとんどの人が食べ終わりお皿を提げにきたお店の人が、みきちゃんと私のお皿を見て目を丸くして驚く。特にみきちゃんのお皿ではイワシが頭だけでラブラブ状態だったため、仲間にまで見せて驚きを分かち合っていた。(笑)
完食のちゅー(笑)イワシの塩焼ききっと厨房へ入ってからもそれを見せているに違いない……と勝手に想像して楽しむ。もしかして記念に写真を撮ったりしたかも! (ー_ー;)それはどうやろ…
私も、最後に驚くことがあった。
それはデザート。りんごを赤ワインとシナモンで煮込んだものだったのだが、何度も自分で作ったことのあるそれと同じだったのだ。
知らない間に同じ料理を作っていたなんて、実は前世がポルトガル人!? (ー_ー;)それもどうやろ…


外へ出て浜辺を歩いてみた。と言っても、レストランの見える範囲内の小さな行動である。( ̄▽ ̄;)あは
私たちの訪れたときは浜辺から海の見渡せる綺麗な光景が広がっていたが、海水浴シーズンになると砂浜はカラフルなテントで埋まり、まっすぐに歩けないほどの賑わいを見せるという。シーズンが終わると魚を干す網棚が見られるらしいが、それも海水浴準備に向けてかすでに見あたらなかった。アジなどの魚の干物も、ナザレの名物なのだ。さすがは漁師町である。
他にも、ナザレといえばその民族衣装が有名らしい。漁師は手編みの帽子をかぶって厚手の質素な毛織の格子縞のシャツに黒いズボンを穿き、女性は長いスカーフか帽子をかぶり色柄の短めなペチコートを重ねてチューリップのようにふくれたスカートが印象的である。ペチコートは、未婚の女性が7枚重ねにし、既婚の女性は2枚重ねと決まっているそうだ。そして未亡人はスカーフもペチコートもすべて黒一色となる。
おばあちゃんたちも膝が出るくらいの短いペチコート姿で、なんだかかわいらしかった。
でも、それを見ているばかりで私としたことが写真を撮り忘れてしまった……。/(>_<)\あかんやんっ
オ・シティオ地区の下の崖あとは海岸やオ・シティオ地区の崖などの写真をみきちゃんとNさんがバッチリ撮っているのを、私は眺めていたりフレームに入ったりしていた。記録メディア節約のため。(^。^;)おほほ…
そろそろ出発しようかというとき、岬をバックにして全員で記念撮影を撮ろうと誰かが発案し、私たちも端っこにおじゃまさせてもらう。
自分たちのデジカメでも撮っておけばよかったと思って残念に思っていたところ、帰国後に2人もその画像を送ってくれた方がいてとても嬉しかった。ありがとうございました!
そんなこんなで懐かしい感じも漂うナザレを後にし、『バターリャ』へと向かう。



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