月の旅人

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今は小さな町アストルガと古の王都レオン

今は小さな町アストルガと古の王都レオン




サンチアゴ・デ・コンポステーラを出てから、すぐに高速道路に乗る。そのすぐ後、バスの左の窓側に座っていた私の視界に下方からせり上がってくるものが映った。Σ( ̄- ̄;)なんや!?
「あっ! また収納庫のドア開いてるっ」
私の声に車内が騒然となり、次々と「Jさん!」とか「添乗員さん!」と呼ぶ声が飛び交った。Jさんがすぐに気づきバスを右に寄せて止める。そして急いで運転席から降り、収納庫を閉めた。どうやら荷物が落下したりはしていなかったようだ。ε=(-。-;)ほっ
「良かったなぁ。荷物落ちてたらえらいことやで」
誰かが言ったが、まさにそのとおりだ。
「また」と言ったことでもわかるように、収納庫のドアが走行中に開いたのはこれが初めてではなく2度目だった。最初はいつだったか記憶に残っていはいないが……。
2度目が記憶に残っていたのはまさに私が収納庫のある窓際に座っていたこともあるが、もう1つは添乗員のKさんが巡礼路の話をしていたことで印象が深かったのかもしれない。その話とは、これから向かう『アストルガ』までの道中しばらく巡礼路を走る予定だったのだが、Jさんがうっかりすぐに高速道路に乗ってしまった、という……ちょっと衝撃な事実だった。( ̄_ ̄;)そんな…
サンチアゴ・デ・コンポステーラからレオンまでの移動地図だからといって高速道路を降りるわけにもいかないのか、残念ながら巡礼路を見ぬままに約285kmをひた走ることとなった。


エニシダの咲き誇る高速道路を2時間ほど走った頃、同じツアーで東京発の人たちが乗るバスが前方に見えてきた。ホテルやレストランなどで何度か会いはしたが、道中に見かけるのはもしかしたら初めてかもしれない。
が、この調子だと追い抜きそう( ̄ー ̄*)ふふん、と思ったのもつかの間、上り坂に差しかかったところで瞬く間に引き離されてしまった。20人で催行のはずのこのツアーであちらはなぜか11人で催行され、私たちの半分以下で同じ大きさのバスを利用しているのだ。その分軽くて速いのだろう。( ̄□ ̄)チッ ←あ…(笑)
車内も1人で1列の席を使っても余る快適さで、ちょっと、いや、かなり羨ましい。


それから約50分後、休憩を取るため高速を降りてバスが停まった。目の前にはホテルらしき建物があり、その中のトイレを借りる。
その後、入口横にあるお土産屋さんに立ち寄った。お店の人の飼い犬がとってもかわいくて、みきちゃんがいい写真を撮ろうと奮闘する。後ろの左足を痛めているようで、ずっと浮かしたままだったのがちょっと痛々しくもあった。
かわいい犬添乗員のKさんがおいしいクッキーがあると教えてくれたため、たくさんの人がお土産にと買い求める。ただ、クッキーと一口に言ってもいくつか種類があったため散々迷い、結局Kさんを呼んで直接聞くことになった。が、それを買って食べたNさんの感想は「……普通」だった。( ̄▽ ̄;)はは…
そのお店の外に白いテントを張ってチェリーが売られていたのを和歌山のIさん夫妻が1袋買って食べていて、私たちにも分けてくれた。今まであまりチェリーが好きではなかったが、その意外なおいしさに小さな感動を覚える。日本と比べてかなり安く売られていたようだが、Iさんが「もっと食べ」と分けてくれたため私は結局買わず、もらったチェリーを手にレジカウンターに並んでいた2人の元へ戻り、それを分けて食べた。

徒歩の巡礼者が休憩に立ち寄るのを見かけ彼らと話をしているおばさんたちもいて、思いがけず楽しいひと時を過ごせた休憩所を後にし再び高速道路に乗る。
実は休憩所に到着する15分ほど前まで雨が降っていたが、休憩所を出てからしばらくして青空が覗き始めた。そして1時間弱の走行でアストルガに到着する頃にはもう、曇りというよりは確実に晴れといった空に変わった。
「祈りが届いたんやわっ♪( ̄▽ ̄*)」と喜び、「こっちの神様ってほんまに願い事聞いてくれはるなぁ( ̄  ̄*)」と呟く。そして「それやったらもっとちゃんとしたことお願いしたら良かったなぁ」と言うと、みきちゃんに「身近な願い事やから聞いてくれはったんちゃう?」と返された。確かにかなり目先のお願いだよねぇ。(^。^;) とにかく願い事を叶えてもらったということで感謝しつつ、もったいないことしたなぁ……、とやはりちょっと後悔したりした。


司教館『アストルガ』は人口1万4000人ほどの小さな町である。標高869mの小高いこの丘に町が築かれたのはローマ時代の1~2世紀ことで、『アストゥリカ・アウグスタ』と呼ばれ交通の要衝として栄えてきた。今もローマ時代の城壁や浴場、下水溝や牢獄など遺跡が多く残っている。当時はガリシア地方やカンタブリア地方の鉱物資源を、セビリアを経由してローマへと運ぶための重要な拠点で、郊外には1世紀に造られた石畳の道が残り現在にその面影を伝えている。アウグストゥス帝時代の金鉱脈ラス・メドゥラスの大量の金も、この道を通ってローマまで運ばれていたのだ。
もとはこの鉱物資源を運ぶために作られた道であったため『銀の道』という名がついたそうだが、他にアラビア語の“balath(舗装)”、“balata(石・タイルを敷く)”という単語がカスティーリャ語に変化して“La Via de la Plata(銀の道)”となったという説など諸説あり、どれも明確ではないようだ。
アストルガはフランス街道のサンチアゴ巡礼路と銀の道が出会い1つとなる合流地点でもあり、そのため巡礼者が多くなったときには24もの救護院が存在したが、現在残されているのはただ1つだそうだ。


アストルガのバスターミナルに到着すると、すでに何台も観光バスが停まっていた。小さな町ではあってもホテルは10軒以上あり、巡礼者以外にもバスでやってくる観光客も多いのだ。
道路を隔てた所にあるバスターミナルからアストルガ旧市街へ向かうと、まず見えるのは正面の『カテドラル(アストルガ大聖堂)』、そして珍しい感じのする石垣とその上に建つ『司教館』である。この司教館はなんと、カタルーニャ地方以外には数少ないガウディの建築の1つなのだ。
司教館この司教館は、ガウディの友人だったグラウ神父がアストルガの司教として赴任した1886年の暮れに司教館が火災に遭ったため、新しい司教館の設計をガウディに依頼したことからできたもの。1889年に着工されたが、まだ建築途中の1893年に理解者であったグラウ司教が他界してしまい、その後設計を巡って教会側と意見が衝突し建築は中止となった。新司教からも建築続行を依頼されたようだが、それを行ったのはガウディではなくガルシア・ゲレッタという建築家である。そのためガウディの設計どおりには進まず1914年に完成。だが、後の司教たちはその斬新なデザインが恥ずかしいと住むのを嫌い、一度も使用されることはなかったという。
ガウディの芸術はバルセロナ以外の地でも理解されづらかったようで、ガウディ好きとしては切ない気持ちになる。それとも引き継いだ建築家に問題が? ←希望(^-^;)
1963年からは『巡礼路博物館』として利用され、1階は巡礼路の地図や絵画、写真や聖人像にフレスコ画、巡礼衣装や杖など巡礼に関する中世美術の品々が展示されており、2階は工芸関係の展示やネオゴシック様式の礼拝堂、3階はモダンアートが展示されているが、3階の一部はまだ未完のままだという。内戦期に軍の兵舎となってかなり痛んだというから、そのせいだろうか。

贅沢な窓の風景コウノトリの巣その司教館の真正面にあるレストラン『Gaudi ガウディ』で昼食となった。窓の外にガウディの司教館を見ながらの、贅沢なランチだ。
贅沢といえば、なんと司教館の煙突にコウノトリが巣を作っているのを発見し、みきちゃんとNさんがなんとか写真に収めようと奮闘する。少し遠くて、倍率に重点を置いていないデジカメではなかなか難しい。その苦心の1枚を掲載しておこう。
最初に出てきた魚貝入りのトマトベース風味のスープは実に絶品で、窓の景色だけでなく味も最高といった感じだった。最初からたっぷり入っていたのに、さらにおかわりもたっぷりとさせてくれる。同じ円卓についた8人のうち半数以上がそのおかわりをもらっていた。
次のメイン料理は、実はみんなが楽しみにしていた。ここまでのツアー中、添乗員のKさんがバスの中で何度もおいしいと紹介していたプルポ(タコ)の料理が出されると聞いていたからだ。タコはとてもやわらかく、塩とニンニクがきいていて、缶詰も売っているため見つけたら絶対に買う、というほどの“添乗員オススメ料理”だった。
絶品のスープタコのガリシア風……が、出てきたプルポ料理を一口食べて全員が眉をひそめた。確かにタコがとてもやわらかかったが絶賛するような味ではなく、しかも「……ニンニク、入ってないよねぇ?」と互いに訊いて頷き合う。オリーブオイルと塩とパプリカのシンプルな味付けといった感じで、どれだけ味わってもニンニクの風味はしなかった。メイン料理というよりはマリネっぽくて、何かひと味足りない印象だった。「ニンニク入れるの忘れはったんかなぁ」そう首を傾げ、食べ残す人も何人かいた。
でも、そもそも『プルポ・ア・ラ・ガジェーゴ(タコのガリシア風)』というガリシア地方の名物料理は地酒の白濁りワインなどのおつまみ(タパス)として出されることが多く、1時間ほどゆでたタコにオリーブオイル、パプリカ、塩で味付けし、付け合せにじゃがいもを添える料理のようで、まさに出された料理こそがそれだったのだ。添乗員さんのお気に入りのプルポ料理は、おそらく『プルポ・アル・アヒージョ(タコのニンニク炒め)』なのかもしれない。ただしこちらはタコよりエビのほうが一般的なようだ。
あとで添乗員さんがバスの中で言った。「私の言っていたプルポはあの味ではないんですよ~」と。(^-^;)
その“添乗員オススメ料理”を、是非食べてみたかったものである。
ちなみにデザートの生クリーム添えの焼きプリンは濃厚だけど甘過ぎず、とてもおいしく食した♪


カテドラル(アストルガ大聖堂)昼食を終えて出発までの残り15分ほどがフリータイムとなり、さっそくカテドラルを観に行く。
『カテドラル(アストルガ大聖堂)』は、もともとあったロマネスク様式の聖堂を元に15世紀末の1471年に後陣の建築が着工され、全体が完成したのは18世紀のこと。そのためゴシック様式からルネッサンス様式、バロック様式などが混ざり合っている。
プラテレスコ様式とバロック様式から成るファサードは2つの鐘塔を持っているが、右側の塔は18世紀のリスボン大地震の際に崩れたのを修復されたため石材が違い、左右の塔で色が異なっている。ポーチはキリストの生涯の一場面が浮彫され、タンパン(門上部の半円部分)にはキリストが十字架から降下される場面が彫られている。
ポーチカテドラルの博物館には金銀細工品の他、キリストが磔にされた本物の十字架の断片を納めた聖異物箱が所蔵されている。だがこの聖異物箱は13世紀のものらしい……。( ̄- ̄)おや?
聖堂内にも入ってみたかったが、アストルガへは観光ではなく単に昼食のためだけに立ち寄ったようでとにかく時間がない。町中も散策してみたかったが、とてもそれどころではなかった。
急いでガウディの司教館前に戻って写真を撮り、バスに戻るためにちょうど前を歩いていたMさんを捉まえて司教館をバックに3人で撮ってもらう。「胸から上でいいんで、建物を入れて撮ってくださいねっ」と頼んでの撮影だったが、画像をチェックしてみるとしっかり足も道も映り建物の上部が欠けていて「あぁっ……(>_<)」と思ったが、撮り直してもらうほどの時間の余裕が残されておらず、諦めてバスへと戻る。私たちが最後に近かったがまだ数人戻っていなかったようで、それならもう1枚くらい撮るチャンスはあったかも……と少し心残りだった。それに、あと30分ほど待てばシエスタが終わって司教館の開館時間になるというのに去らねばならないとは……。(T_T)


レオンの街灯出発してから1時間ほどでレオンに着き、かつてのレオン王国の紋章である獅子で飾られた街灯の前でバスを降りた。この獅子の紋章は、現在のカスティーリャ・イ・レオンの自治州旗やスペイン国旗にも描かれている。
スペインの国旗は『血と金の旗』と呼ばれ、豊かな国土を表す黄色とその上下に国土を守るために流された血を意味する赤、中央より左寄りにある紋章から成っている。紋章はレオン王国の他にカスティーリャ王国の城壁、アラゴン連合王国の黄色に4本の赤筋、ナバラ王国の鎖、グラナダ王国のざくろの各紋章と、かつてのこの古い5大王国の統一の象徴として盾の上部に王冠が乗せられ、盾の中央部には、ブルボン家であるスペイン王家の象徴の白ユリが描かれている。左右の塔は天を支える『ヘラクレスの柱』を表し、イベリア半島の最南端に位置するジブラルタル海峡に突き出した岩山とその対岸のアフリカ大陸にあるレオナ岬を意味しているらしい。また、スペインと中南米の領土を現しているともいわれている。
国旗そのヘラクレスの柱に巻かれている帯状のものには「PLVS VLTRA(もっと遠くへ)」と書かれているが、当初「ここは世界の果てである」と書かれていたようで、大航海によってスペイン人が新大陸に領土を得た後、当時の国王が現在の「PLVS VLTRA(もっと遠くへ)」に直させたという。この紋章は、スペインが小国が統一されたことによりできた国家であることを物語っているのだ。
ちなみに紋章入りの国旗は政府など公共機関で使用され、一般では1936年に定められた市民旗に由来する紋章なしの旗が使用されている。国旗が正式に採用されたのは1981年12月19日のことで、赤・黄・赤の帯は憲法上で「黄色の帯は赤の帯の2倍とする」と具体的に規定されているのだとか。日本の日の丸は、赤丸の大きさとか決まっているんだろうか?( ̄- ̄?)はて…

レオンはかつてのレオン王国の都で、現在のレオン県の首都でもある。起源は古く、68年にトリオ川とベルネスガ川に挟まれた地に古代ローマ軍第7部隊(レギオン)が陣営を設置し、レギオンがレオンになった、あるいはその地が『レイン(ラテン語で“軍団”の意)』と呼ばれたのが町の名の由来になっているという。
イスラム教徒との戦いに敗れイベリア半島の北部に逃れた西ゴート王国の人々がオビエドに造ったアストゥリア王国が、レコンキスタで勝利した914年にオビエドからレオンへと都を移してレオン王国となり、1230年にカスティーリャ王国に併合されて王都としての地位を失ったが、豊富な農業・鉱物資源によって繁栄を続け、巡礼路上の重要な町としても賑わってきた。中世の香りを色濃く残す界隈にはバルやレストランが軒を連ね、別名『水商売の町』とも呼ばれているそうだ。現在は工業化により近代都市としてめざましく発展し、新市街がエスラ川の西に広がっている。
カスティーリャ王国はもともとレオン王国の属国だったがレコンキスタの進行にしたがって領土を拡大して独立国家となり、ついにはレオン王国を吸収するまでになった。さらに1479年にはカスティーリャ王国同様に併合によって大きくなったアラゴン王国と結びついてカトリック両王が誕生し、スペイン統合の母体となった国である。


バスを降りたその場所『サント・ドミンゴ広場』で、現地ガイドのM・ホセさんがすでに到着を待っていた。スペインには実にホセという名の人が多い。私たちのバスのドライバーであるJさんもホセさんである。日本でいえば鈴木さんや佐藤さんといった感じなのだろう。
Mさんは細い金縁のメガネに黒のパンツスーツという出で立ちのまじめそうだが笑うとかわいい雰囲気を持った女性で、レオンの町を丁寧に案内してくれた。
カサ・デ・ロス・ボティネスサン・ジョルディのドラゴン退治サント・ドミンゴ広場から見える『サン・メルセロ広場』に面して、『カサ・デ・ロス・ボティネス』があった。これもアストルガ司教館と同じくガウディの作品である。カタルーニャ地方以外では数少ないというガウディの作品に2つも出会えるとはなかなか嬉しい。が……またもや外観だけの見学だったけど。(T_T)
その名のとおりグエル氏の友人であるボティネス氏のために造られた館で、1階は商売用、2階はボティネス氏の住居、3階と4階はアパートとして使用されていた。地下も1階ある。1891年に設計され、1983年に完成した。入口上部には、カタルーニャの守護聖人であるサン・ジョルディがドラゴンを槍のひと突きで退治している像がある。ここはカタルーニャではなくカスティーリャ・イ・レオン自治州だけど、ドラゴン好きのガウディのことだからどうしてもドラゴンを入れたかったのだろうか。現在ここは、銀行として使用されている。

ガウディカサ・デ・ロス・ボティネス前のベンチに、なんと等身大のガウディ像が座っていた。Σ( ̄▽ ̄*)♪
さっそくみきちゃんがベンチに並んで座り、ガウディと同じポーズで撮ってその足の角度が同じだったことに喜んだ。(笑) 続いて私が座り、まるで語らっているかのような風情で3枚連写で撮ってもらってひとり喜ぶ。(笑) その様子をツアーの人たちも撮ったりして喜んでくれたようで、思わぬところで楽しい思い出ができた。(^-^)

カサ・デ・ロス・ボティネスに隣接して名士グズマン一家の住居だった16世紀建造の『グスマネス宮殿』があったが、現在は県議会の建物として使われていて、プラテレスコ様式の内庭回廊が今なお美しく保たれているらしいが内部見学はできなさそうだ。
サン・メルセロ広場にはもう1つこの広場の名の由来ともなっている10世紀建造のレオン最古の教会『サン・メルセロ教会』が面しているが、観光に含まれていないためか説明どころか教会を示されることすらなかった。(;^_^A


サン・メルセロ広場からカテドラルに向かう『アンチャ通り』は遊歩道となっていて、巡礼者もこの道を通ってカテドラルへと向かう。以前は『ヘネラリシモ・フランコ通り(フランコ総統通り)』と呼ばれていたが、独裁者だった人物の名であるためさすがに改められたようだ。
巡礼の道しるべそのアンチャ通りで、巡礼の道しるべとなるホタテ貝を見つけた。路面に転々と続き、金色に輝いている。巡礼路にはどんな山道や田舎でも、長くて数十mおきに黄色の矢印やホタテ貝が必ずあり、地図など持たずともサンチアゴ・デ・コンポステーラまで歩き通すことができるそうだ。
その巡礼路の一部であるアンチャ通りを数十mほど歩くと『レグラ広場』となって視界が開け、“レオンの宝石”とも讃えられる『カテドラル(レオン大聖堂)』、別名『サンタ・マリア・デ・ラ・レグラ大聖堂』が目に飛び込んできた。
カテドラル(レオン大聖堂)『pulchra leonina プルクラ・レオニーナ(レオンの美?)』と呼ばれるこのカテドラルは調和の取れた姿からゴシック様式の最高傑作と言われ、スペイン一美しいステンドグラスを持つカテドラルとして知られている。
現在のカテドラルがある場所にはかつて古代ローマ時代の大衆浴場があり、10世紀になってレオン王国最初の王オルドーニュ2世が宮殿を建て、10世紀後半には小さな教会が建てられた。そして11~12世紀にロマネスク様式の教会が建てられ、1255年になって現在のカテドラルの建設が始まった。完成したのは14世紀のこと。北フランスのランス大聖堂の影響を受けていて、他のゴシック様式のカテドラルとは趣が異なっている。

カテドラルの前にはレグラ広場があるものの大して広くはなく、その威容をカメラに収めるのは至難の業だ。ましてや最新型ではない私のデジカメでは到底収まらず、最新デジカメを持っている2人に任せた。
門は北、南、西の3つあり、正門である西門には2本の鐘塔がそびえている。だが建造年代が違うため、左右で様式が違っている。さっそく西門であり正面のファサードに寄り、説明を聞く。
その扉は3ヶ所ある。これもサンチアゴ・デ・コンポステーラのカテドラルにある栄光の門のように、何か意味があるのだろうか。
中央扉の真ん中の柱には幼子キリストを腕に抱く白い聖母マリア像があり、その穏やかで美しい微笑に心が和む。きっと巡礼者たちも癒され、励まされるに違いない綺麗なマリア像である。聖母マリアの上には最後の審判を題材に浮彫が施され、左は極楽へ行く幸いなる者たちが、右には地獄の苦しみを味わう神に見放された者たちが表されていて運命の対比を描き出し、タンパンにはキリストの姿がある。
白い聖母マリア像ファサード左の扉のタンパンにはキリストの生涯の様々な場面が、右の扉のタンパンには聖母マリアの永眠と戴冠の場面が浮彫されている。これらの浮彫は13世紀当時のものだそうだが、白い聖母マリア像はレプリカでオリジナルは後陣礼拝堂内に収められている。
聖母マリアの左側には聖ヤコブの姿があり、巡礼者が道中の加護を願って口づけたり、ホタテ貝を擦りつけたりするため、その傷跡が溝になっていた。

巡礼者の祈りの跡
さて、いよいよ内部の見学である。ステンドグラスを撮りまくるぞっと気合を入れた私たちに、「内部は写真撮影禁止です」と添乗員さんのひと言。Σ( ̄□ ̄;)そんなバカなっ!
今日の観光でいちばんの楽しみだったカテドラルで、まさかそんなことが……と消沈した。左の扉から中に入り、ますます「なんで撮ったらあかんの~~(>_<。)~」とぼやいてしまう。その素晴らしいステンドグラスを写真に残してはいけないなんて、もったいな過ぎる。それにステンドグラスは絵画と違って色褪せたりしないだろうからいいじゃないか、とも思った。気合を削がれて文句タラタラである。(笑)
ポルトのサン・フランシスコ教会では、金が剥げるわけでもあるまいし、と思ったが、こういった壮麗な建築物にはよく撮影禁止の所がある。文化遺産を守るためにはいろいろあるのだろうが、わかっていてもやっぱり残念な気持ちは拭いきれない。(_ _。)しょんぼり…
筆舌に尽くしがたい美しさと残念さ(←しつこい(笑))のステンドグラスは聖書物語や聖人伝、神話や動植物を描き出し、太陽の動きとともに輝きを変化させる様子は思想家であり作家のミゲル・デ・ウナムノに“光と石が織り成す奇跡”とまで表現された。その総面積は約1800平方メートルにも及ぶ。それもファサードの直径8mのバラ窓は13世紀当時のものだったり、他にも後陣中央礼拝堂のバラ窓など13~15世紀のオリジナルのものが多く、他の教会やカテドラルとは違いリスボン大震災の影響や1808年のナポレオン戦争、1936年のスペイン市民戦争で崩れ落ちることなく現在に至るとても貴重なものなのだ。
主祭壇のレターブル(祭壇背後の装飾衝立)も15世紀のもので、カスティーリャ・ゴシック建築を担っていたニコラス・フランセスにより製作され、かつて司教だったレオンの聖人フロイランの生涯が描かれている。また、レオン王国初代の王オルドーニュ2世の墓もここにある。

聖堂内の周歩廊を左回りに見て歩き、北側に出るとそこにも見事なレターブル(レタブロ)があり、その横の部屋に土産物店があった。カテドラルのいろいろなグッズを販売しているのだが、ミニチュア・ステンドグラスはかなり綺麗だ。思わず購入しようかと思ったが、高くて諦めた。┐( ̄_ ̄;)┌ あかん…
回廊その土産物店の横に扉があり、それを開けると回廊に出る。ロマネスク様式やゴシック様式の墓碑がある所だが、右の写真に写っているこの塔のようなものはいったいなんだろう、と首を傾げた。こういうときこそガイドさんに質問すればいいんだろうに、このときはまったく考えもしなかった。f^_^;)あ~あ…

なんとこのカテドラルでは土曜日になると1日に数組の結婚式が行われるそうで、それはそれは素敵な結婚式になるに違いない。その土曜日は明日。惜しくも一日早かった。
そういえば、レオンのカテドラルは世界遺産に登録されていない。申請していないのか、何か規定に達していないのか、世界遺産となっていないのが不思議な感じだ。個人的に認定したいくらい。(笑)


カテドラルを出て『サン・イシドロ教会』へと向かう途中、最後尾から歩いてきた高槻のKさんがまだ来ていない人がいると声を張り上げて先頭を行く添乗員さんを呼び止めた。最初は誰がいないのかわからなかったが、Kさんの奥さんと話しているうちに一人旅のおじさん2人がいないことがわかった。どうやらカテドラル内の土産物店でまだ買い物をしているらしい。
添乗員さんが急いで探しに行き、私たちはしばらくその場で待つことになった。そこでふと見つけたのは、騙し絵。アパートなのかお店なのか、その建物の2階と3階の側面の壁に窓が描かれていた。しっかりバルコニーまである。
ニセ窓ユーモアあるなぁ。( ̄。 ̄*)ほぅ~
確かにただの壁より、窓が描いてあるほうが雰囲気も明るくなっていい。
さらに角のお店はゲイバーなのか女装服を販売しているのか、ピンクや緑のロングヘアのウィッグをかぶり二の腕や足を出したドレス姿の男性の写真が窓際に飾られていた。なるほど、水商売の町である。( ̄o ̄ )納得

10分ほどして添乗員さんが戻ってきたが、一緒に戻ってきたのは1人だ。ちょっと変わった人で、悪びれた様子もなく謝りもしない。私がほしいなぁとちょっと思ったミニ・ステンドグラスをじっくり選んで購入したらしく、手に提げていたナイロン袋を示して「これ買ってたんや」と言った。(ー_ー;)…
もうひとりの一人旅のおじさんMさんはどうやらアンチャ通りを戻っていったようで添乗員さんが改めて探しに行くことになり、私たちは『サン・イシドロ教会』前のエルシド通りにある『シド公園』で再び待つことに。
その公園では小学生くらいの女の子たちが長縄跳びをしていて、そのうち高槻のKさん夫妻が彼女たちに折り紙を配って折鶴を教え始めた。みんな興味津々で、Kさんの奥さんの手の中で徐々に鶴になっていくのを輪になって眺め、折り紙をもらった子は見よう見まねで自分も折っていく。
折鶴レッスン公園でなわとびが、鶴が完成する前にエルシド通りから声がかかって集まらなければならなくなった。急いで戻ったが、Mさんの姿はあるものの今度は添乗員さんの姿がない。行き違ったようだ。(;^_^A あらま…
Kさんは最後まで教えられなかったのを残念そうにしていたが、折り紙に夢中になっていた女の子の何人かが公園から出てきて、カフェだったのか私たちが集まっているすぐ傍のパラソルのあるテーブル席で、そこに座っていた女性たちと一緒に続きが始まった。今度のお手本はみきちゃんである。というより、時間があるかどうかわからなかったため途中だった折鶴を急いで最後まで折りあげてあげるといった感じになったけど。みきちゃんが向けたデジカメに、女の子は完成した折鶴をとても嬉しそうに手にして写った。その横で、テーブルの女性たちにKさんの奥さんがまた折り紙を渡して教えてあげていたが、こちらも大いに盛り上がる。折り紙は日本独特の文化の1つなのかもしれない。
意外なところで文化交流を果たし、逸れた人がいると判明してから30分近くが経過してようやく全員が集合する。公園の女の子たちに手を振って別れ、『サン・イシドロ教会』へ。


サン・イシドロ教会サン・イシドロ教会は1063年にセビリアから大司教サン・イシドロの遺骸をここに運び祀ったことから始まる、ゴシック様式、ロマネスク様式、ムデハル様式の混在する教会である。
聖イシドロはスペインが生んだ偉大な人物の1人で、20過ぎに20巻に及ぶ百科全書のような膨大な書物を記して中央ヨーロッパで高く評価され、聖職者としては多神教的な非キリスト教哲学を排除してスペイン・カトリック教会の組織や教育制度を整備し、布教にも尽くして600年に兄の跡を継いでセビリア大司教となった。633年には第4回トレド教会会議を主催してスペイン・カトリック教会の基盤を確立した人物である。聖イシドロが病没したのはその3年後のことだが、サン・イシドロ教会を建立するにあたり西ゴート王国随一の教会博士だった聖イシドロがキリスト教徒の地で眠れるようにとイスラム君主に同意を得、この地に遺骨が運ばれた。だが奉献された当時のまま残っているのは霊廟だけで、現在の教会は11世紀末に建立された後、拡張されもの。
塀はカテドラルから続く11世紀の城壁の一部から成り、歴代23代のレオン王国の王や王妃、王子、王女が眠る『王家の霊廟』もこの教会に置かれている。約8m四方のこの霊廟のアーチが交差する低い天井は、新約聖書の15の場面や四季折々の農村生活の情景などを描いた12世紀のフレスコ画で覆われており、これを見ずしてスペインのロマネスクは語れないと言われるほどのロマネスク美術の傑作である。カスティーリャ地方で最も早い時期のロマネスク美術として貴重なものだが、その保存状態は素晴らしく鮮やか。
中央ファサードのタンパンちなみに、私たちはそれを見ていない。ということは……スペインのロマネスクは語れないな。(笑)
……いや、笑いごとでなく、見られなかったのはとても残念なことだ。(_ _。)なぜ…

『サン・イシドロ広場』に面した中央ファサードのタンパンには我が子に今にも刃を突き立てようとする『アブラハムによるイサクの犠牲』が浮彫され、その上に十字架を負った羊の姿がある。聖書が主題となったファサードはこの教会が初めてだという。そして上部には剣を振りかざすサン・イシドロの騎馬像がある。
聖イシドロが祀られている主祭壇その中央ファサードの扉から中に入るとほとんど祭壇の証明だけかと思うような薄明かりで、幾人かの信者さんの祈りと静寂がその空間を満たしていた。内部ではやはり静かにしなければならないようで説明はなく、5分も経過しないうちにまた中央ファサードの扉をくぐって外に出る。ヾ(ーー;)さらっと過ぎない……?
王家の霊廟の“れ”の字もありはしない。もしや30分のロスタイムのせい……だなんてこと、ないよねぇ?


レオンには他に、12世紀にサンチアゴ巡礼者の救護院として建てられ1533年にサンチアゴ騎士団の修道院に改築され、現在は5つ星のパラドールとなっている『旧サン・マルコス修道院』もあるが、こちらはその外観を見ることすらなく、サン・イシドロ教会の傍の通りからすぐにバスに乗りホテルへと向かった。
CORTES DE LEON(コルテス・デ・レオン)ホテルまで遠いのかと思いきや、ものの15分ほどで『CORTES DE LEON(コルテス・デ・レオン)』到着。Σ( ̄- ̄;)早っ!!
時刻は19時前。
なるほど、日本人としてはそろそろ夕食時間である。そのためゆっくり観光できなかったということだろうか。
フロントに飾られていた巡礼路図を含め、ホテルや部屋の写真をあれこれ撮っているうちに時間となり、20時から夕食が始まった。それでも相変わらず外は明るい。もう夕食だなんて、もったいないくらいである。
その夕食ではバレンシア以来2度目のパエリアが出、6人掛けのテーブル1つに赤ワイン1本サービスでついた。メインは昨夜と肉の種類が変わっただけといった感じで個人的には盛り上がらなかったが、料理とは関係のないところで意外なことがあった。給仕してくれた2人の女性のうちの1人が、叔母にソックリだったのだ。ちょっと驚いた。
「うちのおばちゃんってスペイン人顔やったんやなぁлヾ( ̄o ̄*)へぇ~」
あまりに似ているためカメラを向けていたら、もう1人の金髪のおねえさんのほうがそれに気づき、叔母のそっくりさんを呼び止めて立ち止まり写真を撮らせてくれた。(*..)ヾ グラシアス

1時間ほどで夕食を終え、雲ひとつなくなった青い空を見上げたりしながらフロント周りをうろついていると、食事を終えたドライバーのJさんがお茶に誘ってくれた。すっかり私服で、黒襟のついたグレーのTシャツにジーパンというラフスタイルである。
言葉はさっぱりわからず意思の疎通はできないが、それでも即答で誘いに乗り喫茶室へ。偶然に添乗員のKさんも一緒なり、5人で1つのテーブルを囲む。
Jさんがコーヒーをごちそうしてくれることになり、しかも私たちには席に座っているように言い置いて自らコーヒーを運んでくれた。( ̄▽ ̄*)やさしい~♪
いちばん疲れているのはJさんだと思うのだが、見た限りではそんな様子はまるでない。しかもしゃべるしゃべる。(笑) 私たちは所々をKさんに訳してもらうだけで、あとはさっぱりわからない。( ̄▽ ̄;)はは…
が、すぐにJさんの興味は私たちの隣のテーブルに座っていた女性に移った。彼氏連れだったが、お構いなしにナンパ開始である。(笑) 本気なのか冗談なのかさっぱりわからない、相変わらず愛嬌炸裂のJさんだったが、すっかり私たちは眼中にない。
ナンパされていたのは若く見ても30代後半……いや、40代は確実かもしれない女性で、ショートカットの癖毛と大きな目が印象的な人だった。とても恥ずかしいがり屋さんのようで、カメラを向けると恥ずかしそうに顔を逸らしてしまう。それでもJさんと話している隙に撮り、画像を見せてあげるとまた顔を覆って照れていた。最後は彼女に彼女の彼を含めてみんなで写真を撮ってもらい、Jさんにお礼を言って喫茶室を出る。彼女とのおしゃべりに夢中で、Jさんは私たちの声どころか去るのにも気づかない様子だったけど。(;^_^A
でもコーヒーおいしかったです。ごちそうさま!
メモ

部屋に戻ったのは22時になるかならないかという頃。さっそくNさんからシャワーを浴びる。冷蔵庫に入れた水のペットボトルを忘れないようみきちゃんがメモを書き、3人がベッドに入った頃にはもう0時を過ぎていた。
でもなぜか目が冴えてなかなか眠れず、「眠くならへんなぁ」と言いながら話していた。が、直後に寝息が聞こえてきて「ん!?Σ( ̄- ̄*)」とNさんを見ると、思いっきり寝ていた。
「のび太もビックリやなぁ」とみきちゃんと笑い合う。するとその声にNさんが目を開けたので2人して「寝てたな」とつっ込むと、「寝てへん」と言う。さらに全然眠くないとも。が、その直後からまた寝息を立て始めるNさん。
それにまたみきちゃんと爆笑し、そのうちに「私らも寝なあかんな」と目を瞑り、眠りに落ちた。



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