だからといって高速道路を降りるわけにもいかないのか、残念ながら巡礼路を見ぬままに約285kmをひた走ることとなった。
添乗員のKさんがおいしいクッキーがあると教えてくれたため、たくさんの人がお土産にと買い求める。ただ、クッキーと一口に言ってもいくつか種類があったため散々迷い、結局Kさんを呼んで直接聞くことになった。が、それを買って食べたNさんの感想は「……普通」だった。( ̄▽ ̄;)はは…
『アストルガ』は人口1万4000人ほどの小さな町である。標高869mの小高いこの丘に町が築かれたのはローマ時代の1~2世紀ことで、『アストゥリカ・アウグスタ』と呼ばれ交通の要衝として栄えてきた。今もローマ時代の城壁や浴場、下水溝や牢獄など遺跡が多く残っている。当時はガリシア地方やカンタブリア地方の鉱物資源を、セビリアを経由してローマへと運ぶための重要な拠点で、郊外には1世紀に造られた石畳の道が残り現在にその面影を伝えている。アウグストゥス帝時代の金鉱脈ラス・メドゥラスの大量の金も、この道を通ってローマまで運ばれていたのだ。
この司教館は、ガウディの友人だったグラウ神父がアストルガの司教として赴任した1886年の暮れに司教館が火災に遭ったため、新しい司教館の設計をガウディに依頼したことからできたもの。1889年に着工されたが、まだ建築途中の1893年に理解者であったグラウ司教が他界してしまい、その後設計を巡って教会側と意見が衝突し建築は中止となった。新司教からも建築続行を依頼されたようだが、それを行ったのはガウディではなくガルシア・ゲレッタという建築家である。そのためガウディの設計どおりには進まず1914年に完成。だが、後の司教たちはその斬新なデザインが恥ずかしいと住むのを嫌い、一度も使用されることはなかったという。
その司教館の真正面にあるレストラン『Gaudi ガウディ』で昼食となった。窓の外にガウディの司教館を見ながらの、贅沢なランチだ。
……が、出てきたプルポ料理を一口食べて全員が眉をひそめた。確かにタコがとてもやわらかかったが絶賛するような味ではなく、しかも「……ニンニク、入ってないよねぇ?」と互いに訊いて頷き合う。オリーブオイルと塩とパプリカのシンプルな味付けといった感じで、どれだけ味わってもニンニクの風味はしなかった。メイン料理というよりはマリネっぽくて、何かひと味足りない印象だった。「ニンニク入れるの忘れはったんかなぁ」そう首を傾げ、食べ残す人も何人かいた。
昼食を終えて出発までの残り15分ほどがフリータイムとなり、さっそくカテドラルを観に行く。
カテドラルの博物館には金銀細工品の他、キリストが磔にされた本物の十字架の断片を納めた聖異物箱が所蔵されている。だがこの聖異物箱は13世紀のものらしい……。( ̄- ̄)おや?
出発してから1時間ほどでレオンに着き、かつてのレオン王国の紋章である獅子で飾られた街灯の前でバスを降りた。この獅子の紋章は、現在のカスティーリャ・イ・レオンの自治州旗やスペイン国旗にも描かれている。
そのヘラクレスの柱に巻かれている帯状のものには「PLVS VLTRA(もっと遠くへ)」と書かれているが、当初「ここは世界の果てである」と書かれていたようで、大航海によってスペイン人が新大陸に領土を得た後、当時の国王が現在の「PLVS VLTRA(もっと遠くへ)」に直させたという。この紋章は、スペインが小国が統一されたことによりできた国家であることを物語っているのだ。
サント・ドミンゴ広場から見える『サン・メルセロ広場』に面して、『カサ・デ・ロス・ボティネス』があった。これもアストルガ司教館と同じくガウディの作品である。カタルーニャ地方以外では数少ないというガウディの作品に2つも出会えるとはなかなか嬉しい。が……またもや外観だけの見学だったけど。(T_T)
カサ・デ・ロス・ボティネス前のベンチに、なんと等身大のガウディ像が座っていた。Σ( ̄▽ ̄*)♪
そのアンチャ通りで、巡礼の道しるべとなるホタテ貝を見つけた。路面に転々と続き、金色に輝いている。巡礼路にはどんな山道や田舎でも、長くて数十mおきに黄色の矢印やホタテ貝が必ずあり、地図など持たずともサンチアゴ・デ・コンポステーラまで歩き通すことができるそうだ。
『pulchra leonina プルクラ・レオニーナ(レオンの美?)』と呼ばれるこのカテドラルは調和の取れた姿からゴシック様式の最高傑作と言われ、スペイン一美しいステンドグラスを持つカテドラルとして知られている。
左の扉のタンパンにはキリストの生涯の様々な場面が、右の扉のタンパンには聖母マリアの永眠と戴冠の場面が浮彫されている。これらの浮彫は13世紀当時のものだそうだが、白い聖母マリア像はレプリカでオリジナルは後陣礼拝堂内に収められている。
その土産物店の横に扉があり、それを開けると回廊に出る。ロマネスク様式やゴシック様式の墓碑がある所だが、右の写真に写っているこの塔のようなものはいったいなんだろう、と首を傾げた。こういうときこそガイドさんに質問すればいいんだろうに、このときはまったく考えもしなかった。f^_^;)あ~あ…
ユーモアあるなぁ。( ̄。 ̄*)ほぅ~
が、鶴が完成する前にエルシド通りから声がかかって集まらなければならなくなった。急いで戻ったが、Mさんの姿はあるものの今度は添乗員さんの姿がない。行き違ったようだ。(;^_^A あらま…
サン・イシドロ教会は1063年にセビリアから大司教サン・イシドロの遺骸をここに運び祀ったことから始まる、ゴシック様式、ロマネスク様式、ムデハル様式の混在する教会である。
ちなみに、私たちはそれを見ていない。ということは……スペインのロマネスクは語れないな。(笑)
その中央ファサードの扉から中に入るとほとんど祭壇の証明だけかと思うような薄明かりで、幾人かの信者さんの祈りと静寂がその空間を満たしていた。内部ではやはり静かにしなければならないようで説明はなく、5分も経過しないうちにまた中央ファサードの扉をくぐって外に出る。ヾ(ーー;)さらっと過ぎない……?
ホテルまで遠いのかと思いきや、ものの15分ほどで『CORTES DE LEON(コルテス・デ・レオン)』到着。Σ( ̄- ̄;)早っ!!