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9月4日から新学期が始まりました。今期の受け持ちは、週14時間で、火~金の4日間の授業です。4年生:商務日本語、旅遊日本語、3年生:高級会話、上級作文、1年生:初級会話今学期も、4年生と3年生は、前期からの受け持ちの継続で、2ケ月ぶりに学生達と再会を喜びました。長期休養のあとでみんな元気に、学習意欲に燃えている様子が感じられます。1年生は、15日以降入学手続きが始まるということで、まだやってきていません。早々に軍事訓練があるので、授業開始は10月に入ってからになります。日本語は全く0時点からですので、初級会話の授業をどのように始めようかと、今から戸惑っています。昨年の日本語能力試験で華南地区で最優秀成績をとった学生は、新学期早々、ご褒美の半月の日本旅行に出かけました。
2006年09月11日
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2006年09月11日
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指折り数,えて、私はもう三年生になった。時間はだれの意志にも関わらず早く過ぎ去っていく。 三年前、F大学に進学し、家族の二番目の大学生として、今日まで励んできた。私はよく雑誌を読んでいる。次の和歌が好きだ。 花の色はうつりにけりないたずらにわが身世にふるながめせしまに人々は、盛りの時期はあまりにも短く、惜しげもなくあっという問に散ってしまう様子に、悲哀や無常観、潔さを感じ取ってきた。人生は桜のようにはかない。しかし、私は短い一生を充実したものにしたい。 日本語の勉強を始めたときは易しかった。しかし、勉曲すればするほど難しくなった。文法と外来語が特に難しい。私は自信をだんだん失いかけてきた。幸いその時、ある日本人の先生が来た。彼の授業はとてもおもしろくて、私はだんだん興味を持ってきた。毎日、日本語を読んだり、書いたりしていた。よく先生と話したりして、日本語のレベルがだんだん高くなった。とても喜んでいた。 日本語の勉強のよい点はたくさんある。二年生の時、日本のN経済大学の先生方がわが大学に来られたとき、私たちは彼らに大学を紹介したり、西禅寺を案内してさしあげた。その時、自由に日本語で交流でき、とても楽しかった。 勉強のほかによく運動をする。風や雨をよそに、毎日ジョギングを続けている。一年生の時、経験がなかったが、100m障害レースに参加した。最後に転んでしまった。ひざに傷がつき、今でも傷跡が残っている。その後、障害の練習をすることにした。とても苦しかったが、一生懸命がんばった。 二年生の時やっと成功して、運動会で第三位に入賞した。そして、「大学優秀体育積極分子」と認定された。このことから、何をしても心を込めて最後まで頑張ることが成功につながると思った。 私は小学校時代から中高時代までずっと班長をつとめていた。大学に入った後、まじめに勉強したので、成績はクラスで第二位だった。同級生には真心をこめて接し、みんなとよく付き合った。そして、班長に選ばれた。班長として、責任をもってクラスの仕事にいろいろな工夫をした。クラス全員と一緒に山に登ったり、ボランティアをしたり、いろいろなことをした。その間、「優秀団員幹部」に認定された。二年生の時、班長のほかに年級長と学院体育部長を兼任した。会議が多く、交流が広くなってとても忙しかった。かなり辛かったが充実感があった。これは私がいつも求めた生活である。勉強も怠けず毎学期奨学金をもらった。そして、「大学優秀学生幹部」と評定された。三年生の時、学生会の副主席になった。 その頃、運動会が近づいた。私はもともと運動が好きだから、毎晩勉強した後、運動場で苦しい練習をした。いつも汗まみれになって寮に帰った。しかし、勉強の負担が重くなった。しかも、日本語能力検定試験一級に申し込んでいた。試験日が近づいていた。日本語学科の私にとっては、とても重要な試験だと言われた。今年は三年生だから、来年受けてもいい。でも、私はいつも決めたことは決して止めない。申し込んだ以上、結果の如何を問わず、最後まで勉強しなければならない。時間が足りないので、どんなに苦しくても昼寝はしない。昼休みの時間は、図書館で一級試験の勉強をした。そのほか、運動会に力を入れて先頭に立っていた。選手たちと一緒に頑張っていい成績を取った。「大学優秀体育幹部」と「福州大学三一二届運動会道徳風尚奨」をもらったが、私はそれを自慢しない。「驕るもの久しからず」と思うからだ。人間として、「頑張って、頑張って」こそ成功の道なのだ。 私は好奇心が強く、いろいろなことを経験してみたい。この前、面接を受けた。日本料理店の日本人コツクヘの通訳の仕事だ。店長は日本人だ。その日は少し寒かったが、私は自信を持って出かけた。店長と向かい合って座った。店長の奥さんは私のそばに座った。ちょっと緊張した。面接の問題は易しいと思った。私はだんだん楽になった。社長と料理の作り方を話していた。私の兄もコックだから、中学時代、兄からいろいろな作り方を習っていたから、面接にそれが役立った。しかし、ずっと静かに座っていた奥さんが、「タバコを吸いますか」と聞いた。私はぽかんとして、「タマゴを作れますか」と聞き間違えてしまった。「ええ、好きです。いつも買ってつくります」と答えた。奥さんは不思議そうな顔で、まだ学生の私をじっと見ていた。私ははっとした。その時、カバンの中の携帯電話が鳴り出した。電源を切り忘れたのだ。一泣き面に蜂一だと思った。見事に不合格だった。少し悲しかった。この教訓から、何事にもそそっかしくせず、まじめにすることの大切さを知った。 今は、研究生になりたい。小さい頃から、数学が好きだった。外国語学院の学生だから、高等数学は習っていない。これからは、数学だけでなく、経済についての知識も独学したい。経済学の研究生になるもりだ。来年は、卒業論文を完成しなければならないので、とても忙しい一年になりそうだ。現代社会には挑戦する課題が充満しているので、私着は怠けていてはいけない。活気に満ちた生きがいのある生活を求めたい。人の一生ははかないものだと一言われているが、心を込めて大切にすれば、これが幸福だろう。 大学時代の努力した積み上げは、一生の中で、きっとよい役割を果たしてくれることだろう。私はいつまでも忘れない。
2006年05月09日
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日本の高知県の競馬場に、ハルウララという競走馬がいます。この馬は一九九六年に生まれた今九歳の雌馬です。今までハルウララは競馬場で、もう六年間も走ってきましたが、一一一二回の試合のうち一回も勝ったことがありません。しかし、そんなハルウララは日本の人たちに大変人気があります。多くの人はハルウララの馬券を買って贈り物として、親友や同僚に送ります。このようにして、この負け続けた競走馬のおかげで、高知県競馬場は大金を得ることができました。競馬界で、もし競走馬が一回も勝たなかったら、引退するときに処分されるというルールがあります。それに反して、人々の願いに応えて、ハルウララは殺されることもな/\最後の試合に参加し、北海道に帰って安楽な余生を送ることになっています。NHKは「負け続けたスター」という記録映画を作りました。二〇〇四年、日本の有名な映画監督である森川時久は、ハルウララの体験を背景に「ハルウララの歌」という映画も作りました。 いったい、どうしてこの負け続けた競走馬は、こんなにも人気があるのでしょう。それは、ハルウララの精神に関係あるからだと思います。日本国民にとって、ハルウララは「運命と闘う不擁不屈の表徴」と認められるからです。戦うたびに負けるハルウララを通じて、「何度負けても戦い続けていこう」という日本人の精神を私は発見しました。ハルウララはずっと失敗しても、一生懸命に走っていました。 バブル経済が崩壊してから不景気に陥っている日本において、自信を失いつつある日本人は、ハルウララの姿から勇気づけられています。彼らはハルウララを鏡として、自分の姿を反映しているのです。ある人は一生に一度も勝ったことがないから、ハルウララとよく似ています。しかし、ハルウララはずっと走っているので、人間として馬に負けないように頑張っていかなければなりません。失敗しても、それぞれの人生は輝いているから、人生の花は思う存分咲くはずなのです。だから、「人事を尽くして天命を待つ」といった心情をもって生きていくことの大切さを知ります。それによって、生き方を見直し生きがいを見つけます。幸福の意味を理解することで、私はハルウララからさまざまなことを学びました。誰もいつまでも勝ち続けることはできません。自信を持ってしっかりとした足取りで優勝へと頑張っていくことはなんと幸せなことでしょう。失敗したり、心を傷つけたりするときに、「ハルウララは諦めないで頑張っているから・・・」と思うと、すぐ心の中に希望と勇気が湧いてきます。最終の勝利は人々に楽しみを与えますが、頑張っている瞬間のすばらしさは人々を喜ばせます。ハルウララは戦うたびに負けていますが、試合の間、ずっと終着点に向かって一生懸命走っているので、人々に忘れがたい思い出を残しているのです。多くの人は人生の旅の途中で、ふつう見向きもしないことに気づき、毎日を有意義に過ごしています。 成功を追求している過程の中で、自由と夢をたっぷり味わえることは、人生の生き甲斐ではないでしょうか。生命の最も重要なことは、その存在を感受することです。一位を取るほかに重要なことはたくさんあります。楽しみであれ、苦しみであれ、なんでも真剣に体験しなければなりません。人問にとって、何より大切なのは、まじめに考え、断じて行う人生への情熱でしょう。もし、それがなければ、生涯、後悔し本当の人生を知ることができません。ハルウララのように、一歩一歩踏みしめて頑張っていけば、私たちの夢の実現への終着点にきっと辿りつくでしょう。人生は船の旅のように浮き沈みがあります。人生は絵のように、輝く紅色もあるし、暗い灰色もあります。疲れた時、くじけそうになった時、負け続きの戦いを続けたハルウララを思い出してみるがいいでしよう。そうすれば、望みを捨てないで目己の価値を発見していくことができるのです。昨年流行った「世界に一つだけの花」といった歌は、人間の心のありのままの描写ではないでしょうか。「世界に一つだけの花、一人一人違う種を持つ。その花を咲かせることだけに一生懸命になればいい。小さい花や大きな花、ひとつとして同じものはないから、ナンバー一にならなくてもいい、もともと特別なオンリーワンなのだから…」
2006年05月09日
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今年の旧暦元旦は1月29日です。中国ではこれからがお正月で「春節祭」として家族全員でお祝いします。(作文1)「 新年 」 W.S. 新年は中国人にとって非常に大切な行事です。新年も春節といって、この期間に人々にとって、とても楽しい期間です。新年の到来を祝うために、家族がみな集まり幸せに新年を過ごします。 新年について一つの物語があります。昔、中国に「年」という妖怪がいました。この妖怪は、ふだんは山の奥に住んでいましたが、毎年の大晦日に山から下りてきて村人を食べました。人々は皆たいそうこの妖怪を恐れました。そこで、村人達は年の暮れになると、食べ物を蓄え、家の門をしっかり閉めて妖怪の来襲に備えました。しかし、この妖怪にも弱点がありました。赤い色と大きな音が大嫌いだったのです。それで、人々は前もっていろいろな準備をしました。窓に赤い紙を貼りました。バンバンと大きな音を立てる爆竹も用意しました。妖怪は、爆竹を投げつけられて慌てて逃げていきました。その後、人々は無事を祝うため、互いの家を訪問し、喜びを述べ合いました。これが新年を祝う始まりになったということです。そのため、赤い紙と爆竹と年賀の習慣が現代に至るまで残っているのです。新年になると、子供たちは爆竹を鳴らすことが大好きです。 旧暦十二月の中旬になると、人々は正月用品を買ったり、正月料理を準備したり、家族のために新しい服を買つたり、子どもを床屋に連れて行ったりで、猫の手も借りたいほどの忙しさです。旧暦の十二月二十八日、どの家でも新年を迎えるために、大掃除をします。新年早々掃除をすることは、福を掃き出すことになるので、縁起が悪いとされているからです。正月の食べ物である「年がお(にえんがお)」(粉餅)などを作り、門口の両側に赤い紙におめでたい言を書いた「春聯(しゅんれん)」を貼ります。よく見かけるのは、「爆竹一声除旧歳」や「桃符万戸慶更新」などです。最近はもっと簡単な四文字の揮春が多いです。たとえば、「恭喜発財」とか「出入平安」などがよく見られます。そして、大晦日の夜には、家族はいっしょに「団年飯(だんご)」を食べます。これも古くからの習慣です。食卓には普段よりずっとぜいたくな料理がずらりと並びます。この時、餃子を食べます。ある家では餃子の中に硬貨を入れます。それを食べた人には、新しい年にきつと好運がくると言われています。また、魚を必ず食べるのは「年年有餘」の「餘」と「魚」の発音が同じなので、それを掛けて縁起を担いでいるのです。新しい年の到来に物質的な豊かさと幸福を願うのは、古今東西共通ではないでしょうか。 新年には、両親や親戚、お世話になった人や先輩の家などへ年始回りに行くのですが、これは「拝年」と言われています。新年の挨拶を互いに交わします。子ども達は、年始回りに行く先で「利是」と呼ばれる赤い袋に入ったお年玉がもらえるので、楽しみにしています。中には何干元も集めて、一度にぱっと使う子もいますし、もちろん何年分もしつかり貯金して、海外旅行や留学の資金と考えている堅実派もいます。 一方、親のほうは、年始に訪ねてくる親戚や知り合いの子ども、未婚の大人、また使用人やアパートの管理人からひいきにしているレストランのウエイターまでお年玉や贈り物を用意しなければなりません。これは年に一度のおめでたいことですから、ほとんどの人がこの習慣に従っているようです。新年には、いくつもの禁忌や迷信があります。元旦には肉は食べません。正月三日には、「口は禍の門」になりやすいから、外出や年始回りは避けます。新年の掃除や洗髪は、幸運を洗い流したり切ったりするので、暮れのうちに済まさなければなりません。前に述べたとおり、めでたい色の「赤」は、正月の街のいたる所に見られます。逆に、悲しみの色である「白」や「黒」の服を正月に着る人は当然少ないです。しかし、無彩色が流行色ならば、黒や白の服を着て、気にも掛けずに颯爽として正月の街を歩く若者も中にはいるかもしれません。 最近、正月の行事は、次第に簡単になりました。中には煩わしさを嫌って、その期間に外国へ旅行する人も出てくるようになりました。ある家族は、団年飯を食べるのはレストランヘ行きます。ほとんどの家庭では、正月の食べ物は外で調えるようになり、新年の気分は次第に薄れてきていますが、桃の花を飾り、獅子舞を見、太鼓の音を聞けば、まだ新春の喜びに浸ることができます。 正月の十五日は元宵節です。古来から「花燈」といわれ、飾り灯籠を楽しみます。これが過ぎると、正月行事も、賑やかなお祭り騒ぎも終わります。人々は元の落ち着きを取りもどしていきます。今度の新年を着たいしています。(作文2) 「 お正月 」 K.L. お正月は、全世界で一番人気のある祝日です。人々にとって非常に重要な日です。お正月はどこの国でも何日間か学校や会社、商店などが休みになります。人々は、さまざまな楽しい計画を立てます。多くの人は、この休みを利用して旅行したり、故郷に帰ったりします。でも、国が違うとお正月の過ごし方も違います。例えば、日本のお正月は、このようです。 まず、年末に、人と別れるとき、「よいお年を」と言って別れます。大晦日には、年越しそばを食べる習慣があります。これは、長生きを祈るという意味です。夜十二時に、除夜の鐘が鳴ります。みんな鐘の音に耳を傾けながら、過ぎていく年を思います。また、大晦日には、テレビの特別番組を楽しむ人も多いです。一眠りすれば、もう元日の朝です。郵便屋さんが年賀状を配達してきます。会う人ごとに「明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。」と言って、新年の挨拶をします。元日には、お雑煮やおせち料理を食べます。それから、初詣に行きます。近くの神社やお寺に詣でてむこう一年間の家族の健康と幸福を祈ります。 ところで、中国のお正月はどうでしょうか。巾国のお正月は、旧暦のお正月を指して「春節」と呼びます。それは、長い歴史を持っています。ちろん、中国のお正月もたくさんの習慣、あるいは風習があります。しかし、中国は広いので、地域が異なると異なった風俗があります。私が知っている天津だけでも、いろいろな風俗があります。ふつう、「春節」を祝う行事は、旧暦十二月八日から始まり、正月二十五日まで続きます。その内、十二月二十六日から正月十五日にかけてが、一番賑やかです。 年末の二十六日に大掃除をし、二十七日に鶏肉を使った料理を作って、二十八日には饅頭(マントウ)を作ります。二十九日に、吊り銭や春聯など赤い飾り物をつけます。この頃、みんな忙しいのです。というのは、この間、仕事をしながら、上述のハウスワークをしなければならないからです。でも、お正月の雰囲気もこの間にだんだん盛り上がっていきます。それから、大晦日が来ます。大晦日には必ず家族全員で晩ご飯を食べます。それは、「団圓飯」というものです。夜十二時に、爆竹を鳴らします。来年の幸せを祈って、今年の不幸を捨てます。同時に、鮫子を食べます。中国の鮫子を食べる習慣は、日本の年越しそばを食べる習慣と同じです。みんなの長生きを祈ります。晩ご飯を食べてから寝るまで、現在の中国人は、テレビの特別番組を見ます。若者達は、友だちと一緒に外へ遊びに行きます。 一眠りすれば、元日の朝です。人々は、親戚、友だち、同僚の家を訪ねて、「新年おめでとうございます」とか、「物事が万事うまくいくように」というような新年の挨拶をします。また、このような挨拶回りは、ずっと正月十五日まで行います。この日も鮫子を食べます。それから、正月の二日は、「姑爺節」と言って、お嫁さんは夫と一緒に、おみやげを持って、実家に帰らなければなりません。ふつう実家では、うどんを準備しており、お嫁さんに食べさせます。 次は三日です。人々は丸い鮫子を食べます。中国語でそれを「合子」と言います。幸福と円満を表徴しています。ほかのおいしい食べ物は、元宵というものです。この食べ物は、よく正月十五日の夜に食べます。それでその日を「元宵節」と言います。同時にその日も「燈節」あるいは「団圓節」ともいいます。その日の夜、月が丸くなるので、団らんすることを意味しています。その時、中国人はきっと一家団らんして元宵を食べます。この夜、灯籠をつける習慣もあります。 このようにして、天津の人達は、自分たちの特色あるお正月を過ごします。とても賑やかです。 ほかの地域では、異なる風俗があります。でも、私は、ほかの地域に行ったことがないので、その風俗は知りません。これから、私はきっとほかの地方の風俗を研究します。そうすれば、もっと深くお正月が分かると思います。
2006年01月23日
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旧暦の8月15日、今日は中国では中秋節(節句)です。日本と同様、満月を愛でるのが風習になっています。月が丸いことと家族円満をかけ、遠方からの家族も集まって一緒に美味しい料理と月餅を食べながら、一家の繁栄をお祈りしながら過ごすます。学生寮の学生たちも、月餅を食べながら遠く家族のことを思い、両親に電話をかけるなど、一時ノスタルジーに浸ります。中秋節には特別ボーナスが出る中国企業も多く、「初めてのボーナスで父と母にご馳走をするのだ」と、社会人1年生の卒業生もお祝いの言葉を告げつつ、電話連絡してきました。私も、2ケ月ぶりに出会った4年生たちと一緒に、美味しい料理と大学から差し入れの月餅をいただき、’中秋の名月’を眺めつつ散歩・楽しい語らいをしながら、中秋節の夜を過ごしました。
2005年09月18日
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いよいよ今日から新学期の授業が始まりました。今学期は本日から来年1月13日まで。日本語科3年の日語会話(2クラス)と日本概況(2クラス合同)、同2年生の作文(2クラス合同)、英語科の大学院生の第二専門日本語会話。週12時間これが私の受け持ちとなります。150名の中国の若者との新しい出会いとふれあいが楽しみです。
2005年08月31日
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夏休みが終わって南昌へ戻る時に、少し計画を変更して上海で1泊しました。2ヶ月前に卒業し新社会人となり上海近くで働いている教え子たちが10名近くも集まって、南京路でミニ同窓会を開き楽しい語らいの時を持ちました。南京路から外こうにかけて散策...25年ぶりの上海の街と人々は大きく変わっていました。
2005年08月28日
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4年生の卒業生たちは巣立ち、在校生達の学年期末試験も終了して故郷へもどり、大学は潮が引いたようにめっきり寂しくなりました。私も最終試験の採点・評価資料を提出し、今学期の仕事は完了。夏休みに入ります。7/9~8/27の間50日の日本/神戸での夏休みです。南昌は内陸性気候、連日40数度Cを超える暑[熱]さが続くこともあり、中国4大かまどのひとつとも言われています。こうした環境でも、来年大学院を目指す学生達は大学に残って受験勉強を続けます。頑張れ!中国の若者達!
2005年07月07日
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南昌大学全体の卒業式典がありました。新しい博士・修士・学士の誕生です。今年の卒業生は約8000人。わが日本語科からは優秀賞受賞の4名(79名中の5%)が式典に参加。代表して学位書と個人優秀賞を受けました。学生たちが私も親代わりとして参加させてくれました。
2005年07月01日
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試験休みを利用して、江西省の名跡”三清山”旅行を楽しんで来ました。(6/25-26)三清山は江西省の最東部に位置する風光明媚な観光地。もうすぐ卒業の地元出身の厳さんの招待を受け、戴さんにも旅行の通訳をお願いしてやっと実現。山麓のホテルに宿泊し、40分もかかる急勾配のケーブルにのり、下りたところは別天地。世界遺産の”黄山”に負けるとも劣らない素晴らしい景観に包まれました。しかし、数千段の階段の山道を登るのは、日ごろ運動不足の老人にとっては大変辛いものでした。
2005年06月28日
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4年生は四年間住み慣れた学生寮を引き払って出て行きます。不要になった本やカセットテープ更には色々な日用品まで、構内の街頭に並べて自分達で販売します。3年生以下の後輩達がお客。来年度必要な教科書などもここで格安に手に入れます。
2005年06月22日
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さようなら!若者達
2005年06月14日
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お別れの...涙も
2005年06月13日
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卒業パーティ
2005年06月12日
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6月11日に卒論発表会、12日記念撮影と夜卒業パーティ。これで中国大学の主な卒業行事は終了です。後学位書が発効されますが、これは代表の学生が受け取り郵送や宅急便で送るだけ。だから今日は多くの学生が四年間住みなれた学生寮から、早々に就職先の上海、広州、深セン、北京、あるいは親元(一時帰省)へ...昨日までお別れの涙に暮れていた若者も、明日に希望を膨らませて巣立っていきました。乾杯!今、大きな舞台に立ち、遥か遠い道程を歩き始めた「君」に幸せあれ!
2005年06月11日
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今年も、去年に引き続きわが学生達はやってくれました。全国大学作文コンクール「桜花杯」。全国から応募330篇、この内1次審査合格の39名が集まって最終審査が5/28、南昌大学で開催されました。私が特別レッスンを頼まれた南昌大3年生の3人は、最優秀賞、2等賞、3等賞の素晴らしい成績を上げてくれました。「作文は人の心に訴えるもの。一般論でなく自分の体験と気持・感情を書くように...」と少しヒントを与えただけなのに、それが効を奏したのでしょうか。本当に教師冥利、ありがたいことです。
2005年05月31日
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朝起きて、パソコンをたちあげると、遠く上海や広州へ実習に行っている学生達から「先生、おはよう」のメッセージが飛び込んでまいります。これに「元気?今日も頑張って!」と挨拶を交わします。学生達は朝就業前に早めに職場に出てこっそりメッセ-ジをしてくるのです。また時には「日本のお客様に手紙をかいたのですが...」「翻訳をしていて分からない...」と呼びかけてきます。そう日本語だけ覚えただけで、実務経験がないのですからあたりまえ、「卒論指導」を含めて、できるだけの遠隔支援をしてやっています。本当に便利な世の中になりましたね。そうそう、日本語の話をしたい学生や日本にいる妻とMSNメッセンジャーのボイスチャットもやっています。(私のMSNアドレス:arata176@ybb.ne.jp)
2005年05月22日
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今、中国もゴールデンワーク真っ盛り。多くの人々は旅行したり、帰省したりして、休みを楽しんでいます。わが4年の学生達も実習先から久しぶりに学校に戻ってきて卒論を書いたり、親元へ帰省したりしています。中国/江西省のゴールデンウイークは5月1日の労働節から1週間7日迄です。正規には5/1-4なのですが、追加の3日分を4/30(日)と5/8(土)の2日?を振替平日として7日間の連続休日として、官庁も学校も会社も休んでいるところが多いのです。江西省にある世界遺産”ろ山”(中国の軽井沢?)旅行を5/4-5に計画していたのですが、反日運動を警戒して大学が許可してくれず、残念乍ら南昌で過ごしています。今年は、大学創立65周年、抗日戦争勝利60周年等を記念して南昌大学学内でもコーラス・演劇・パーティ等いろいろ行事がおこなわれています。
2005年05月05日
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学生が「実習(アルバイト)をして初めて大金?が入った。いつもお世話になっているから」といってご馳走してくれました。「貰ったお金で、卒業・就職まで数ヶ月間パソコン教室(夜間)に通う...」とか。また他の学生に「初月給で何かご両親へプレゼントしてあげた?」と聞くと、「稼いだお金の90%を家に入れた。必要なお金は親から貰う」と...、ほしい物がいっぱいあるのでしょうが、なかなかケナゲナわが4年の大学生達。これも中国の若者の一面です。日本の若き学生達は...?
2005年04月21日
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幾人かの(日本の)友達と、現在北京や上海に実習中の(4年生の中国人)学生から、中国広州や北京での反日運動の動きに対し、お見舞いのメールを頂きました。今のところ、私のいる南昌では(繁華街で反日ビラ配布や署名運動等の動きが少しあったようですが)大きな動きはありませんのでご安心下さい。今日の講義でも学生達に、中国にとってもこれからの発展と繁栄のために、両国の信頼と友好の確立は欠かすことができないものである。相互理解の基本は意志の疎通であり、君達は日本語能力をもっと上げて、これからの日中の架け橋になってほしい...とお願いしたところです。
2005年04月11日
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南昌でも桜が咲き始めました。ソメイヨシノ。ひとつはわが宿舎の前に1本。これは初代日本語教師だった小坂先生が日本から持ってきて植えられた10数本のうちやっと生き残った1本。今年10年ぶりに初めて花が咲きました。もう一箇所は青山湖畔にある高松南昌日中友好会館にある3本。こちらはまだ3分咲き。3年の学生達と花見の散歩に出かけました。
2005年04月01日
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喉の痛みと咳がまだ治りません。ある学生が梨の実と氷砂糖をもってきて、梨のシロップを作ってくれました。喉が痛いとき母親が作ってくれたのだそうです。熱いうちに飲むようにと、心配しながら勧めてくれます。こちらはまだまだ心優しい若者が多いですよ...
2005年03月26日
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今日も雨模様、寒い日が続いています。風邪でのど・咳もひどく、授業が大変です。早く治さなければ...ところで、日本出発直前に急に歯の詰め物がとれ、少し疼いたので、思い切って歯医者に行ってきました。中国では床屋のように外から丸見えで治療している歯医者もありますが、そこではどうも(衛生や技術?面で)心配だから、「中日合作、江西省友志口腔研究センタ」というところを紹介してもらい、そこに通いました。そこは日本の歯医者さんと殆ど変わりません。設備は日本製、治療していただく先生方も、日本(名古屋)の大学留学経験者、日本語も上手です。医院の壁にも「いつも笑顔で、連絡と報告は忘れずに、清潔...」と日式の標語も掲げられてあり、日本と同じ内容の治療が受けられました。しかし、同じ医院の一般治療より数倍は高いようで、結局上下2本の歯に金属を被せて「1620元(日本円で2万円超=日本と同じぐらい?)」と、付き添っていただいた中国人先生が驚かれるほど高い治療費でした。
2005年03月21日
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2~3日前は春の陽気だったのに、昨晩から急に雪が降り始めました。風も吹き寒く、またまたダウンを引っ張り出さなければなりません。上海や広州の学生達から実習の近況が、メールやチャット、電話で届きます。一人の学生は実習先からの派遣で4月にはもう日本へ短期出張と、うれしそうに近況をくれました。きっと桜満開の美しい日本の印象を、お土産に話してくれるでしょう。今日はこれから、授業です。教室は暖房が無いのでダウンを着たまま授業をすることになりそうです。
2005年03月12日
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3月に入っていよいよ春の到来を感じられる陽気となってきました。我が多くの4年生達は遠く上海や広州、深せんへいき就職活動展開中です。やはり就職は発展著しい沿岸部です。そろそろ日系企業にも何人か就職が決まってきています。就職が決まった学生たちは今度は実習で、やはり5月末ごろまで学校に戻ってきません。だから今は大学院を目指す者、南昌で職を探すもの、就職が決まっても実習をする必要がない学生達だけになっています。実習先ではみんな専門用語や馴れない業務に四苦八苦していると...メールが届きます。こうした事情から「卒論」の指導は当分、インターネットや郵便を使ったリモート指導になります。6月にみんな戻ってきて卒論の総仕上げ、それから卒論の審査を受けて、卒業写真をとり、お別れのパーティ...6月下旬?これで卒業です。(こちらでは卒業式といったものはありません)
2005年03月06日
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いよいよ新学期が始まりました。今期は4年生の卒業論文指導があるために、授業は1週間10時間と短くなっています。特にそのうち8時間は他学部の第二外国語として日本語を選択した1年生に対する日本語講義です。全学から91名の受講生。2クラスあり、学生達はほとんどが前学期から初めて日本語を学び始め、学習期間は3ケ月程度。この学生たちにどうして日本語を教えようか...難題です。学生たちは全中国から集まっており、その中には延吉(吉林省)と大連からきている学生が4人ほどいます。この学生たちは中学から日本語を学んでいるので、彼らの力を借りながら授業を進めようと思っています。この授業は第二専門であることから土曜日と日曜日の集中講義。だから今期は土日月3日間の変則勤務なのです。またこの授業は、我が宿舎からバスで40-50分ほどかかる新校区です。日曜日は8時から始まるために、6時過ぎに起床、7:10発の送迎バスでの出勤です。春休みで怠けた体には少しキツイですね。第二専門だから授業に出てこない学生もいるようです。そのような学生には合格点は与えないと最初から宣言しいます。半分以上の学生はやはり非常に熱心です。彼らとの新しい交流が楽しみです。
2005年02月27日
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今日は旧暦1月15日。いわば小正月。中国ではこの日は今年最初の満月の日で「元宵節」としてお祝いします。(参考)元宵節新しい年の始まり。中国では旧暦1月15日の元宵節が終わると、漸く新しい年が始まるという実感が湧いてきます。元宵の元は1月、宵は夜の意味で、旧暦1月15日は新年最初の満月の夜になります。この日、人々は新しい春の到来を祝って、提灯に火を灯し、月を眺め、提灯に貼られた謎々を当てたりしながら一家団欒して過ごします。 (元宵節の伝統)元宵節は灯節とも呼ばれ、漢の時代に始まりました。唐の時代になると皇帝の宮殿や街道など、至るところに大小さまざまな提灯が飾られて「星が降るようだ」といわれる程になりました。その後も民間の祭りとして益々盛んになり、明の時代には1月8日から18日まで10日間、火を灯し続けたそうです。 (「元宵」を食べる)元宵節につきものの食べ物は、宋の時代から伝わる饅頭のようなものです。始めは「浮元子」と名付けられていましたが、いつの頃からか「元宵」と呼ばれるようになりました。南昌でも今夜は、花火が街のいたるところでいつまでも打ち上げられ、爆竹の音とともにとても賑やかです。レストランヘ行くと、「元宵=餡入りの小団子が入ったお汁粉のようなもの」をサービスしてくれ、学生と一緒においしくいただきました。元宵節が終わるといよいよ就職活動本番。わが学生たちは明日、グループを組んで「上海」へ就職先を探しに行くそうです。「加油(ジャアヨウ)!」(=火に油を加えるといきよいよく燃えることから、中国では「ガンバレ!」の意味)
2005年02月23日
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来週から新しい学期が始まるので昨日南昌に戻ってきました。神戸の自宅を朝6時20分に出発、8時に同僚の小西夫妻と落合い、関空から10時の出発便で11時(日本時間では正午)にもう上海に到着。浦東空港から国内便の虹橋空港へ移動(約1時間)。昼食(えび焼定食:38元=日本円で500円ほど>中国の物価にしては高い!)を食べ待機。15時出発16時南昌空港到着。張老師(助教)が迎えに来てくれたので外事処の車で17時過ぎ大学に到着。無事我が宿舎に戻りました。南昌は曇り約3℃の寒い冬空。ずっと寒くて悪い天気が続いていたとのことです。
2005年02月19日
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今日は旧暦(農暦)元旦-春節です。中国では旧暦のお正月を祝います。南昌の街もきっと爆竹で賑やかな事でしょう。学生達からも、標記のようなお祝いのメールが届きました。
2005年02月09日
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神戸の冬休みもあと10日程になりました。もうすぐ「春節:旧正月元旦」です、学生達からお祝いと近況便りのメールが届いてきます。故里の両親の家から、旅行や実習先から...そろそろ中国へ戻る準備です、中国では入手が難しい食材や、参考書や小説などの本、それにお土産...など、パソコンも持っていきたいので、やはり今回もかなりの量になりそうです。2/18ごろ寒波の到来がありませんように祈るだけです。
2005年02月07日
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新しい年が始まりました。しかし、こちらは今年2/9の「春節」がお正月。そのため恒例の爆竹もならず静かな新年を迎えました。学生たちの卒業論文も始まります。私の受持ちは5人、今論文テーマの選択に知恵を貸しております。私の科目の期末試験が1月の20日に終わりますので、その採点をして、1/21に日本へ戻る予定です。契約継続も決まりましたので新学期からまた南昌大学で教えることになりました。2/18には戻らなければならないので、ひと月足らずの慌しい日本帰国となります。2005年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。
2005年01月01日
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今年も早や12月を迎えました。日本ではクリスマスムードが高まり、忙しい師走でしょうね。中国では紅葉もなく急に寒さがやってきたことで12月の到来を感じます。この5日が日本語検定試験の実施日。4年のわが学生たちは、武漢、北京、南京、西安へ受験旅行へ飛び立ちます。私も学生たちについて武漢へいくことにしました。南昌から汽車で6-7時間、実は武漢(漢口)は私が0歳から3歳になるまで育った街、初めてヨチヨチと歩き始めたのがこの土地だそうです。母親から昔の思い出の中から聞き出した地名を頼りに、12/3-6、約60年ぶりのわがセンチメンタル・ジャーニーに出かけてまいります。学生たちの就職活動(2005年7月入社)も始まりました。早々に成績優秀な男子学生のひとりが、就職決定の報告を嬉しそうに電話してきました。人気の高い、遠く広州深せんにある有名なエレクトロニクス機器メーカだそうです。加油(ガンバレ)!
2004年12月01日
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今、学生たちは12月5日に催される日本語検定1級試験の準備に全力を挙げています。この試験は語彙、文法、読解、聴力について3時間で日本語能力が試され、合格するためには400点満点で280点以上とる必要があります。合格しなければ就職試験にも影響するのでみんな必死です。 試験は江西省では行われず、学生たちは武漢、北京、南京...へ受験のために7~18時間汽車にのって受験に向かいます。たった3時間の試験のために、3~5日と高額な旅費をつかっての受験とは...やはりここは内陸部、かわいそうな学生たちです。受験のための質問や「日本語会話」練習のため学生たちは連日、入れ替わり立ち代り熱心に我が宿舎にやってきます。少しでも役に立てれば...と嬉しいかぎりです。
2004年11月12日
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南昌大学の元日本語教師:小坂孝彦先生が教育長をなさっている秋田県若美町の支援を受け、今年も中国全国で日本語を勉強している大学生を対象に「桜花杯」(第7回)作文コンクールが南昌大学で開かれました。この、コンクールには100を超える全国の大学に参加を呼びかけ、今年は180篇の作品が応募。1次審査を合格した35人の学生たちが北京,吉林省,山西省,南京,広州..等から南昌大学に集まり10月23日に最終審査と表彰式が開催。最優秀賞に見事!わが教え子南昌大学4年生の張金菊さんが選ばれました。これまで最優秀賞は1度もとったことがなかったので南昌大学の幹部にも喜んでいただきました。応募者たちも、2次作文試験を終わって、南昌大学の新校区や南昌市の名跡(藤王閣,八一革命記念館など)を見学、秋の1日を楽しんだ後、表彰式と懇親会に参加。南昌大学の学生たちの歓待を受け、同じ日本語を学ぶ同士の交流を深めました。
2004年10月26日
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国慶節(10/1)から1週間は秋の黄金週間!企業派遣学生たちの帰省に乗じて、中国隋一の陶磁器の街「景徳鎮」に旅行しました。(南昌から汽車で約4時間半)ちょうど千年祭の前で、街の中はきれいに整備されていました。秋天好日に恵まれ、6人の学生たちに家族ぐるみで歓待していただき素晴しい旅遊を楽しみました。陶磁器の好きな方には是非お勧めの都市です。
2004年10月04日
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早朝まだ暗い6時前からパンパンパパン爆竹の音でおこされました。今日は中秋節です。中国では家族の皆が寄り集まり、みんなで満月を見、月餅を食べながら、一家の安泰を祝い、健康をお祈りするそうです。遠方から来ている学生は無理ですが、南昌近辺学生たちは「来年は就職して遠く離れるのだから(4年生)」といって、今晩は家に戻ってお祝いするといっていました。10月1日は中国の建国記念日「国慶節」。1週間の休みに入ります。秋のゴールデンウイークです。でもほとんどの我が学生は、日本語1級試験のための最後の追い込み。受験勉強に没頭します。私は、企業研修生の皆の帰省に同伴して、焼き物の町「景徳鎮」旅遊を楽しもうと思っています。
2004年09月28日
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9月から入学した新入生はいま軍事訓練(2週間)の真っ只中。中国では徴兵制はとられていません。しかし、大学や企業では、若者達には軍事訓練が義務付けられているのです。校内にも応募を促すポスターが見られます。中国で一番尊敬されている(職業)は「軍人」。学生の中には将来軍人になりたいという学生もいます。しかし現在は「軍隊」もリストラ。軍人の縮小が進められているとのことです。学園の広場で迷彩服と迷彩帽を身にまとい、掛け声をかけながら整列歩行、銃剣を持っての演習...まだ、幼さも残るその姿には(私達には)少し驚きです。旧日本軍への憎悪がまだ残っている?現状を思うと、複雑な気持ちです。中国にいることが思い出されるひとコマです。
2004年09月21日
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ここ2~3日また暑さがぶり返しました。30度近い日が昼夜続きます。本当に中国/南昌の気候は疲れます。しかし、最近外の空気が芳しくなってきました。そう、キンモクセイの花が咲き始めたのです。日本では確か10月初めごろに咲くと覚えていますが、こちらは2週間ほど早いのでしょうか?甘ったるいよい香りがそこここに漂い、吹く風も少しヒンヤリと、秋の気配が感じられるこのごろです。小生の新学期もようやく第3週目に入りました。新しい学生達ともそろそろ慣れ、新教科も順調に進み始めました。わが受持ちは、月4時間(日本文化・報刊精読)、火2時間(会話)、水4時間(日本ビジネス・読解)、木(日本概説・会話)の週合計14時間、4日半日教え、あと3日は休みという、比較的楽な受けもちです。手空きの時間は、出来るだけ学生達と接触の時間を持ち、少しでも彼らの日本語学習に役立ちたいと思っています。日本では、台風の到来、地震多発、津波騒ぎ、浅間山の爆発など自然災害のニュースが流れてきます...、皆様お変わりありませんでしょうか?
2004年09月17日
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2-3前までは30度Cを越える真夏日で、クーラーをつけっぱなしだったのが、一昨日の雨から急に気温は25度C以下。半そでのシャツで寒さでふるえながら授業に行ったのは日本人の私だけ。通学中の子供達の服装もみんな長袖。中国人は心得たもので、衣替えといった習慣もないようです。朝暑ければ夏の服装、寒ければ長袖を着る...当たり前のことですが、少し驚きです。果物の美味しい季節になってきました。桃がそろそろおわり今梨や葡萄が旬です。中国の果物は本当に安く、旬のものは日本の数十分の以下で美味しいものが食べられます。先日買った桃と梨は大きいもの五つで、2元(約26円)以下、ひとつ5円と信じられない安さです。
2004年09月10日
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新学期が9/1からいよいよ始まりました。わが受持ちは1週間16時間の予定です。・大学院生-日本語精読2h・4年生-日本文化2h、商務文書2h・3年生-日本概説2h、報刊購読2h・企業委託生-日本語会話6h(9/10以降予定)3年生以外は昨年度がらの持ち上がりです。3年は新しい受持ちで、1クラス43名、3年はなぜか江西省の学生は少なくて、黒竜省、内蒙古、山東省、四川省、吉林省、山東省、天津...など全国から学生が集まっています。また新しい学生との交流の楽しみが増えました。
2004年09月02日
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期末(学年末)試験の採点も終わりましたので、6/23に神戸の方へ戻ります。日本へはあまり手荷物はないのですが、壊れた衛星放送付きDVDとパソコンをリュックに、また大型トランク(9月に冬衣装の持参が必要なため)を持参するので、結局、3ヶ月前に来たときと同じようなすがたで帰ることになりますね。学生達は7/2まで試験があるので、私の方が一足早い夏休みです。ほぼ8月いっぱい神戸にいる予定ですので、関西の方へ来られたら電話でもしてください。 荒田一郎(tel:xxx-xxx-xxxxx、Mail:??????@ybb.ne.jp}
2004年06月20日
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早や3ヶつきが過ぎました。あっという間の3ヶ月でした。日本は梅雨のようですが、こちら南昌にも梅雨があります。雨は日本より少ないようですが、今日も曇り空、少し雨も降りそうです。しかし、雨が降ると涼しく、乾燥も気にならなくなり日本人としては比較的快適です。晴れた日は、もう初夏、30数度の真夏日が続き、クーラーが必需となります。長い間お願いしていた<蚊帳>が設置されました。ベッドの上にテントを置いたようなものですが、やっとこれで蚊にを気にすることなく眠れそうです。今、3年の学生達に期末試験代わりに書かせた作文の添削、評価の真っ最中です。やっと半分終わり、あと1クラス40人の作文が残っています。作文は日記と異なり、相手に感動を伝えるもの。だから、自分がこれまで約20年の人生で1番感動したことを題材にするように...と自由課題にしました。すると1/4位の学生は自分の<親>について書いてきます。これまで育ててくれたありがたさを、遠く親元から離れることで一入感じているようです。また高額な学費と生活費(学費4千元それに寮費や生活費を合わせると年間1万元=14万円ほどかかります。これは今の一般中国人の収入にとっては大変な高額負担です)のためにいかに両親が苦労をしているかを身をもって感じているのが良く分かります。日本の若者とは少し違うようです。学問に大きな負担がかかる現在の中国ですが、それでもわが学生達の多く(約3割程度)は更に進学を希望しています。北京、上海などにある有名大学院をめざして、1月に行われる大学院試験(全国統一試験と復験とよばれる各大学入学試験)の準備のために、故郷の親元にも帰らず、極暑の南昌で、夏休みを返上して勉強に取り組みます。<中国の若者よガンバレ>と心からエールをおくりたくなります。
2004年06月14日
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南昌へ来てからまだ3ヶ月も経っていないのですが、もうすっかりこちらの風土や人たちにも馴染み、ずっと前から住んでいるような錯覚を覚えるほどです。 学生達も日本語学習を始め知識欲旺盛、真面目で、日本人が忘れてしまった「思いやり」があり、若いエネルギーを貰いながら、楽しく、元気にやっております。 日本のニュースもインターネットや放送をとおして、ほとんど瞬時に入手でき、音声チャットを使って毎日時間を決めて妻と情報交換の会話をするなど、日本でいるときよりも会話密度が増えているぐらいです。 本当に便利な世の中になりましたね。30数年前にNTTデータで、将来の高度情報化社会はどうなるのだろうと、皆と話しあったのが懐かしく思い出されます。ARPAネットワークはひとつの選択肢ではありましたが、まさか本命になろうとは思ってもいないことでした。 こちらの大学では、6月が学年末であり4年生は卒業、他の学生達も学年末試験です。小生が受け持っている約100人ばかりの学生達の試験実施と、採点、評価が待っております。それが終われば夏休み、6月下旬には神戸にもどって、約2月の休暇を過ごします。機会があったらご連絡下さい。
2004年06月05日
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五月下旬、南昌はもう夏。気温は35度超。日本の蒸暑い真夏のようです。昼間は学生達に占領されている大学の広場も、朝は高年齢の人たちの運動場に変わります。朝はやくから100人を優に超える沢山の老人達が三々五々集まって、体操や太極拳、剣、扇の演武、ランニングを楽しんでいます。日本よりゆったり人生を楽しむ人たちです。自由市場へ野菜を運ぶ農民も通ります。
2004年05月28日
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南昌へ来て2ヶ月が過ぎました。すっかり慣れ、もう何年もここで生活しているような錯覚。学生たちともたった2ヶ月とは思えない親しみを感じます。しかし、時々中国にいることを気付かせられます。 今日も、朝6時前にパンパンパンという大音響で目覚め。北京では禁止されている「爆竹」が炸裂。ここでは個人的な祝い事(やお葬式など)にも、朝早くから連発「爆竹」が鳴らされます。今日もご近所に「子供の誕生?」があったのでしょうか? 雨が比較的多く、北京や天津のような「乾燥感」はありません。砂塵が舞うことも少なく、日本とそう変わらない天候です。しかし晴天ともなると、もう既に初夏の暑さ。外から帰るとすぐシャワーを浴びるこの頃です。内陸性気候のため真夏には40度近い日が続くとか..... もうすぐ6月、そろそろ学年末テストの準備をしなければなりません。7月初めには日本に戻ります。約2ヶ月間の夏休みがとれます。
2004年05月19日
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「龍虎山」は2001年に開放され、中国独自宗教である「道教」の発祥地。99の峰と24の岩、10の道殿があり明浄清秀な景勝地です。南昌から電車とバスで約3時間、美しい風景と雲ひとつない好天に恵まれ楽しい一日の旅遊を楽しみました。(参加費:ひとり250元=約3000円) 竹の筏に乗って川くだり 高い岩窟に埋蔵されたお棺と埋蔵実演 記念撮影
2004年05月05日
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南昌の大河「ガン江(揚子江の分流)」を守る旧跡「藤王閣」へ学生の葉さんの案内で散策してきました。藤王閣は江南の三大名楼と言われ、「武漢の黄鶴楼」、「岳陽の岳陽楼」、それに「南昌の藤王閣」です。創建は653年。唐の詩人王勃によって詠まれた藤王閣序が有名。
2004年05月04日
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午前少雨の中南昌一の繁華街である中山路へ繰り出す。連休中の繁華街は人でいっぱい。そこにある太平洋百貨店に日本食コーナーがあると教えてもらったので、日本の醤油を買おうとしたのだが、結局場所不明で目的達せず。夜、南昌一立派なホテル:五湖大酒店(青山湖畔の★★★★ホテル)で南昌五十鈴会社(いすゞ自動車メーカとの合資会社)永田社長の請客で中華料理のご馳走、久しぶりに本格中華を堪能。当ホテルは永田社長の常宿。連休中の為ホテルの中はガラガラ状態。
2004年05月02日
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今日から中国もゴールデンウイーク。大学もメーデー(国際労働節:5/1)から丁度一週間(5/7まで)休みになります。(5/8,9は振替授業となりますが....)学生や先生達も故郷へ帰ったり旅行に出かけたり、学内は寂しくなります。今朝は、爆竹が未明からなるのではないかと覚悟していたのですが、珍しく静で小鳥の声が優しく、若葉をわたるそよ風の爽やかなゴールデンウイークがはじまりました。景徳鎮や竜虎山へ出かける計画もあったのですが、今回はパス。丁度喉風邪気味でもあり、南昌の街へ繰り出す程度にしておきます。4年生の卒論の一部の添削支援も頼まれたことでもあり、また学年末までの授業と試験の準備を、少しゆっくりとしようと思っています。
2004年05月01日
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