●ぐうたらミセスのPDくらぶ●

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結婚ー病院探し

なんとか、新婚生活がスタートしましたよー。

  いわゆる普通の新婚生活は、ばら色・ピンク色・・・かな?
 私の場合は、グレーに黒を混ぜた色・モスグリーンに黒を混ぜた色・青に黒・・・という感じで、
ホンワカした生活とは程遠いものだった。

 と言ったら、まるで、かわいそすぎ、夫が??
 少しは楽しいこともあったような?ハハハ・・・
 自転車2人乗りで婚姻届出しに行き、私の足が車輪に絡まって怪我したり。
 あと・・・んーと、えらい昔のことで忘れた。

 家は社宅がいっぱいで、新たに会社が借り上げてくれた2Kの(古~い)社宅に第1番目に入居した。
 友達の全くいない知らない関東の土地での、新しい生活が始まった。

 すぐに、病院探し。でも、どこに行ったらいいのか・・・

 結婚が決まった時、偶然目にしたクロ○○サンの雑誌の読者のコーナーで
「神経症とともに頑張ってます」という東京の主婦の記事。
結婚したらこの人に連絡取りたい!と、そのページを切り抜き、嫁入りした私。
 結婚後すぐ、出版社に電話して、彼女に私の手紙を送ってもらうよう頼んだか、電話を教えたか、
記憶からは消えているが、彼女Hさんから、まもなく電話か手紙を頂いた。

 で、Hさんの通う病院に私も通うようになった。
 電車で乗り換えなしとはいえで50分もかかったが、行ってみようと・・・
 発作が出て、ホームのベンチでしばらく動けなかったり。
でも、郊外で、満員電車ではなかったから、いつも1人で行った。

 時間を合わせて、帰りにお茶したり、主婦の先輩Hさんは、私には関東地方での1番目の友人になった。
 彼女は躁鬱病だった。

 夫が長期出張のときは、泊まりにも行った。
 家からあまり出られない彼女は、外ではおもしろい?若い私を、彼女のご主人ともども歓迎してくれた。
 あーまちゃんが来ると、Hさんが元気になるから、いつでも来てよとご主人に言われ、
薬を見せて相談したりもしていた。
 夫は、そういう関係の本は一切読まない人、興味のない人だったから(今も)、
夫婦一緒に戦ってて羨ましいなと思ったりもした。ご主人は生真面目そうな方で、うちとは正反対だった!?
 うちにも、泊まりに来てくれた。

 その頃、クロ○○サンに、「このコーナーのおかげで、見知らぬ土地での同病の友人ができ、
どちらが早く薬と縁を切って赤ちゃんに恵まれるか、いい意味で競争している・・・」
というような私の投稿した文が載った。

 それを読んでくれた私と同じ主婦1年生から、手紙がきて(転送されたのかも?)、電話で話す仲になった。
聞けば、彼女Sさんは年齢も同じ、結婚したのも同じ頃。
彼女はその頃、通院はしてないけど、外で食事できなくて困っていた。子供のこともよく話した。
 この地での2人目の心つながりのお友達。
 何年か後、近所の総合病院を経て、私と同じクリニックに通うようになり、
知り合った頃から趣味を持っていた彼女は、生き生きとその趣味を仕事としていくようになった。




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