咬菜園跡です。 安政4年に開かれた日本庭園があり、3月14日榎本ら箱館軍幹部6人は追討軍が品川を出港したとの報に接し、ここ咬菜園で宴を張りました。 中鳥三郎助が「ほととぎすわれも血を吐く思い哉」「われもまた死土で呼ばれん白牡丹」の辞世の句を残したのが、ここ。 M子さんと、6人って誰が参加してたんだろねーという話になり、「巡察中の大鳥はいないから、榎本、タロさん、永井様、中島さん、荒井さん…あとは?」「土方いないかな~」「どうだろ~」「こういう看板ってね、英字訳のほうが詳しかったりするよ」「おお! なるほど! M子さんスゴイ!」と、一生懸命英語のほうを読んでみる。 「the governer of the Shogunate Army Takeaki Enomoto and his 6 men spend their last night before death in Kosaien on March 14.」 えーっと、これ、「将軍の海軍」は榎本1人にかかるのかな? それとも6人全員? よけい解らなくなった(笑)。 どちらにせよ、ここで宮古湾襲撃の話なども出たやも知れません。 そして、中島さんの、決意の程に合掌…。