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タイ正月ソンクラーン(水かけ祭り)でアユタヤに行った時から悪夢は始まっていた…。友人の車2台とそのうしろからの3台がオカマを掘り、大型ショッピングセンターで停電になり、挙げ句の果てに、パタヤのハリウッド(ディスコ)で大火事が起こった。これら全て、私がいるところで起きた事件、事故。命には関わってはいないものの、へたをすると死に至ることばかり…。とくにパタヤのハリウッドでは何が起きたのかわからなかった。とにかく1階へ。するとそこは、わずか2、3m先さえも見えないほどの煙と炎に包まれていた。それを目の前にして初めて事の重大さに気づいた。あぁ、わたしはここで死ぬんだ…。ってなぐあいに感傷に浸ってるわけにもいかず、小学校の頃からの訓練の成果をここで発揮するかのごとく、押さず、しゃべらず、走らず、で外へ。野次馬がたくさん見守る中、消防隊や警察があわただしく動きまわっていた。さっきまでこの中にいたのが信じられないほどの速さでハリウッドの看板が焼け崩れてゆく。ごうごうと燃えるハリウッドを前にふと友人をみると、その手には中で買った1000バーツのウイスキーがしっかり握り締められていた。さすが…。そして今日…。今度アルバイトしようと思っていた会社が、ワークパーミット無しで働いている外人取り締まりの件で引っかかった…。私の行くとこ行くとこ災難続き…。それ以来わたしは、疫病神扱いされている…。。。。
2004年05月13日
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その道の“師匠”と崇める女性に連れられ、久々に夜の街へ繰り出した。禁断のトビラを開く瞬間。胸が高ぶる☆人波をかき分け、呼び込みを避けるように奥へと進む。眩しいネオンが怪しく光る午後9時のスリウォン通り。師匠のお目当て、最近新しくできたという“フレッシュ・ボーイ”に足を踏み入れた。すっ……スゴイ……☆★☆★真っ白なパンツに身を包んだ(?)10代~30代の男性群がわさわさとステージ上で目配せ、ウインク、愛想を振りまき、指名を待っている。しばらくして曲が変った。ショーの始まり。…あわわわわわわわわ…そ…そんなコト………!!!!!(ここからはあたくしの音声(叫び)だけでご想像下さい…。)ぅ!!!うおーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!ぎゃぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!ひぇぇぇぇぇーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!知られざる世界に興奮覚め止まぬまま、時間はあっという間に過ぎ去った。閉店午後2時。(何時間おってん…)家路につくダンサーのお兄さんたち。その辺を歩いてたらあんな所で働いているなんて全く想像もつかないような、そんなおとこのこたち。GOGOダンサーの女の子はなんとなく見てすぐわかるのに、GOGOダンサーの男の子は到って普通の子(見た目)が多いことにちょっと親近感が湧く。遠いと思っていたこの世界。意外と近く感じられた。と友人に語ったら、軽くブーイングを食らった。偏見はいかん。彼らだって頑張ってるんだ。お仕事とはいえ、ほんとの意味での体力勝負。毎日ごくろうさんデス…。
2004年05月04日
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免許更新やらなんやらで日本へ約一年ぶりに帰ってきました。日本…。春だというのに…寒い~!!一気に体中の毛穴という毛穴が引き締まっていく…。久々の日本。まずやりたかったことは“美容室に行く”こと。もちろんタイにも美容室はあります。それなりの所へ行けば、それなりにしてくれる。腕も(それほど)悪くない。しかし、しかしですね…。一言モノ申させていただくとすれば、 『センスが…ない…』以前…タイの“カリスマ”がいると言われる、バンコクでも数店舗ある美容室の本店に行き、“パンチの伸びたようなパーマ”にされ、さすがに泣いた。帰りに立ち寄ったコンビニで、とどめをさすようにレジのおねえさんがこう言ってくれました。 『その髪型、ステキね!!』タイのカリスマの凄さを知った…気がした…。それからというもの、パーマとカットはタイ人の所ではしていません…。日本に帰ったら、買い物は絶対はずせない。そして、日本の(気の合う)友人達(だけに、帰国する事を伝える)に会う。元職場に(園長がいないのを見計らって)顔を出す。(NHK以外の)テレビを見まくる。本を買いあさる。などなど…です。そんな感じ。
2004年04月27日
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鍼ツボダイエットを始めて7ヶ月(内、2ヶ月は休止状態…)。ようやく“バケモノ”から、“ウアン(デ〇゙)”に昇進することが出来ました。しかしここ4週ほど停滞期が続いており、自らの力もそろそろ尽きたか…と思われた頃、友人の紹介でタイに4年住んでいるという日本人女性と知り合いました。聞けば彼女、8ヶ月で30キロの減量に成功したという。気さくで話しやすい彼女は、いわば同じ過去を持つ良き理解者(私の場合、まだ過去ではなく現在進行形ですが…)。ダイエット成功者の話しを直々に聞かせてもらうことは、私にとってとても意味のあるものでした。アドバイス、教訓、指摘など、自らの経験を包み隠さず語ってくれた彼女。その話しには、ズシーーーーーーーーーーーーンとくるものがありました。デ〇゛の気持ちがお互いものすごく理解できる環境の持ち主だっただけに、益々デットヒートした“デ〇゛ばな”。周りに日本語がわかる人がいたら絶っっっ対できないような濃いっ濃い内容(もちろんこんな所にも書けません…)でしたが、これがのちのち為になり、役に立つ…。私は今まで生きてきて、親、姉妹、とても親しい友人にですら言えない事が数え切れないほどありました。自信も無く、コンプレックスの固まりの様な人間でした。でも彼女と出会って話しをして、そんなことを口にする事が簡単にできたのです。それは、同じ境遇の中で生きてきた者だけにしか理解できない事であって、また、違う境遇の中で生きてきた人達に理解してもらいたいものでもなく、理解できる筈も無い事で、いくつも幾年も持ち続けていた私の中のわだかまりが私の人生に彼女が登場してくれた事によってどれだけ拭い去って私を楽な気持ちにさせてくれたことか。知り合ってたった1日ではあるけれど、私の人生に強い衝撃を与えてくれたのは彼女であると言えるでしょう。痩せて綺麗になった彼女は、内側から輝いて見えました。私もいつかそんな女性になりたい。見た目を美しくする事も大事だけれど、中身を磨かないと外側も輝かない。彼女を見てそんな風に思いました。
2004年03月22日
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タイと言えばおかまちゃん、というのは当たり前の常識ですが(ほんまかいな?)、タイに数あるニューハーフショーに今まで足を踏み入れた事がなかった。なぜなら全くもっておかまになんて興味がなかったから。しかし今回パタヤへ旅行に行き、ガイドをしている友人のおかげで特別価格になったので、ふらりとでかけてみることにしたのだ。おおお…!!下チチがっ!!!! はみでる!!はみでるっ!!!!やばいやばいっ。興奮覚めやまぬまま、ショーは幕を閉じた。しかし、そんなわたしが一番気に入ったのは、脇役ダンサーのゲイ君だった☆やっぱりおかまよりゲイがええわぁ~。
2004年03月13日
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やらし~想像を書き立てるタイトルとは全く逆の、清~い内容でごめんあそばせ。この世に生を受け、24年目にして初めて、しかもタイランドという異国の地での初体験2点を綴りたいとおもふ。まずは、レーザー脱毛。これはずーーーーーーーーーーーっと以前からやりたかったことのひとつでもある。『ちーっとも痛くないですよぉ~』という言葉を素直な私は真に受け、簡単なカウンセリング後、即開始。 『いてててててててててててて』笑い事じゃないよ、この痛み全然我慢は出来るが嘘はイカンよ、嘘は。はっきり言って『(ちょっと)痛い』です、レーザー脱毛。(注意:個人差はあると思われます)続いて、祝・スパデピュー。なんて優雅で贅沢な時間…。ソフトスクラブにアロマオイル、仕上げはフェイス…。ぽぽぽーーーーーーーーーーーーーーーんと、だしてやった。2時間2600バーツ(約7800円)!!タイの物価からすると(私個人的な価値観からも…)馬鹿高い価格が、オハイソマダム達には所詮2600バーツ…てな感じなのでしょうか…。うらやましい。実にうらやましい。私のスパデビューは、デビューで終わりを告げた。よかった、癖になるほど金が無くて。実によかった。
2004年03月11日
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タイに来て間もない新しい友人が恋をした。相手はもちろんタイ人。猛烈なアタックを仕掛けるも“キング・オブ・鈍感”の名に相応しい程の鈍感君。それもそのはず、奴は女に興味がなかった。タイに来た日本人の女の子(もちろんM含む)ほとんどが避けられない道なのね(M談)、と悟った。
2004年02月17日
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本当は当日である2/14に渡したかった…。それがその前日、13日の金曜日に決行されることになった。なぜなら2/14は土曜日。学校はお休み。そう。今年の(?)わたくしのバレンタインのお相手は、学校関係のト・ノ・ガ・タ☆授業終了のベルが鳴り、いそいそと教室の外へ。影からそっと熱い視線を送る…。ビビビビビ…。(我ながらかわいい奴)あぁステキ…☆…なんやかんやで2ショットに持ち込むことに半強制的に成功。『日本のバレンタインはタイと違って女の人が男の人にあげまぁ~す。エヘ☆』と、へたくそなタイ語の単語を並べコミュニケーションを図る。『ル・カップ(そうなの?)コップン・クラップ(ありがとう)』と、イム・ワ~~~~~ン(甘~~~~~い笑顔)☆あぁ、そのイム・ワ~ンに何度K.Oを喰らったことか。彼『明日(2/14)は学校休みだね』私『そうですね』彼『僕も明日は仕事が休みなんだ』(←普段は土・日も仕事をしている)私『へぇ…』(…?)彼『明日どこか行くの?』私『多分家に居ると思います』(え?やだ~もしかしてぇ~☆)彼『それはサバーイ(快適etc)だね』私『…えぇ』(へ??)この会話ってさー…早とちりしそうじゃん?勘違いしそうじゃん?っんだよー。なんなら強引に誘えばよかったか?ったくよー。でもそのイム・ワ~ンですべて許せる。恋ってスバラシー!!ひやっほぅ!!!!!!!!!!!
2004年02月13日
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知り合って2ヶ月弱。共通の友人を持つということで話すようになった九州男児。今時風で、話のわかる面白いいい奴で、顔もいいほう。(年齢不祥)そんな彼とくだらない話をしている途中で、彼の口から思いがけない真実が語られた。『でも俺、ゲイだし。』一瞬空気が止まったが、ここで固まったらやばいよなっ!ぜっ…絶対やばいよなっ!!と瞬時に悟り、気の利く私は機転を利かし(?)『え~!そうなんやぁ~。わ~。へぇ~。ふ~ん。ほぉ~。』と、わけのわからない相づちを打つことでその場をしのぐことでなんとかクリア。日本人で、自分の周りでゲイは今までいなかったので彼のその言葉を最初は素直に信じることはできなかった。しかし、ここタイでは、ゲイは当たり前の存在になっている。日本でもゲイはいることにはいるが、自分の近くにそんな人がいることはまずなかったので(気づかなかっただけかもしれないが…)正直驚いたのだ。しかし、その驚きも瞬く間に喜びに変わり、ゲイ好きの私は思わず小躍り☆日本人のゲイの友達ができた~!!!!!!!タイには日本人のゲイがたくさんいるらしい。何気ない日常の中で、こんなステキな友人に出会えたことがうれしくて声を大・大・大にして言いたい!!!!!!!!ゲイよ、大志を抱け~!!!!!!!日本人ゲイに光あれ!!!!!!!!
2004年02月09日
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タイに住んでかれこれ2年になるが、この数字を大きな声であまり言いたくない。『タイに2年“も”住んでたらタイ語なんてぺらぺらでしょう!』と言われるのが目に見えているからである。加えてわたしは、いくつものタイ語学校に通ってきた。周りの人たちより遙に多くの授業数を受けてきたようにも思う。わたしは前に述べた言葉を発せられるのを何より恐れている。なぜなら、2年“も”タイに住んでいるのに…“いくつもの”語学学校に通っているのに…なのに…いつまでたってもタイ語がまともに話せるようにならない!という正当な(?)理由の元からなる、自分にのしかかる見えない敵という名のプレッシャー。こうなりゃタイ人男を捕まえるしかないかっ!!近場だと…学校の先生とかいいかもねっ。(今ちょうどええのがおるんですわ~。)
2004年01月08日
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今年は(も?!)友人宅でTVを通してのカウントダウン。3…、2…、1…HAPPY NEW YEAR!!!!!おめでとう!おめでとう!!今年もよろしく!!!!!と、みんなで乾杯。一段落してチャンネルを変えると、タイの首相、タクシンがコップを持って演説していた。『今年もあと20秒で終わりを告げ…』今年は2回もカウントダウンを味わうことができた。新年早々、アメージングなタイランド☆
2004年01月05日
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友人に恋人ができた。彼女は常日頃、こう言っていた。男には『安定性』『将来性』『ファッションセンス』を求める、と。『でもやっぱり…“愛”でしょ☆』わたしのそんな言葉に目もくれず耳も傾けず、『Mちゃんはまだ若いから“愛”だのなんだの夢見てられるの。わたしぐらいの年になると(←と言っても私と3つしか変わらない…。)現実的になるの。夢見てるだけじゃ幸せになれないのよ。結局、将来の安定を求めるのよ。女はしたたかでなくちゃ。』女の、本来あるであろう本性そのままを絵に描いたような女性だった。だけど。彼女は結局『愛』を取ったのだ。(かくかくしかじかで…)女はいくつになっても『愛』。いや、年齢なんて全く関係なく、『愛』がなくちゃ☆なのだと彼女を見て思った。今の彼女は以前より優しく、とても幸せそうなまぶしい笑顔を見せる。やっぱり『愛』は女を変えるのね。でも女同士の付き合い悪くなるのはどうかと思うけどねぇ~(笑)。
2003年12月21日
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久しぶりに日記にありつくことができました…。色々、なんやかんやとありまして…。それまでに私の周りで起こったことといえば…①プイちゃん(ハムスター)に妹ができた!!名前はももちゃん。よろしく。②耳つぼ再挑戦。4㌔減量記録更新中!!③マレーシア、コタバル。ビザ取り旅行で踏んだり蹴ったり。宿無し。金なし。余裕なし。④バーンセン、地獄立体絵図見学ツアーに腹よじれる。(←おすすめ観光地)⑤古着にはまり、安物買いの銭失い。1着30バーツ(約90円)~100バーツ(約300円)⑥新しい語学学校に通うが友人できず、ひとりぼっちの日々続く…。⑦日本ドラマのVCD見まくる。⑧…その結果、パソコン壊れる。⑨来年、赤バス4バーツ(約12円)に値上げ!!と聞いて肩を落とす。⑩MBKのクリニックにてアザ取りチャレンジ。アザ取り機械でアザできる。⑪半ひきこもりになる。⑫『うち、なにやってんねんろ…』と考える。⑬将来に不安を抱える。⑭どこかの殿方のカテゴリーO(オー)を密かに狙う。(俗に言う、奥様ビザ) という感じです…。
2003年12月12日
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いつからだろう、そう呼ばれるようになったのは…。道を歩けば『ハローマダム。』買い物に行けば『ハローマダム。』念のため言っておくが、あたしは“まだ”、マダムじゃない。気持ちとしてはものすごく“マドモアゼル”なんですけど。あの人達はきっと“マダム”の方が言い易いのか、“マダム”という単語しか知らないのかのどちらかだろう。そりゃーあたしだってできることなら“マダーム”になってやりたいさ。でもさ…なれる機会がないんだってば!! ま…、機会だけが、あってもねぇ…。。。 あ~ぁ。神様っていぢわるだ。
2003年11月17日
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伊勢丹の、あるパン屋さんで55バーツ(約150円)もするイギリスパンを買ったら3日でカビが生えた。“防腐剤が入っていない”事実に喜びもひとしお。最近はこんなことでしか喜びを感じられなくなった。ある意味寂しい。
2003年11月10日
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タイの伝統行事、ローイクラトン(灯篭流し)が行われた。タイ人曰く、この日はクリスマスやバレンタインよりも恋人達にとって、最も大事な行事だという。恋人同士で流す灯篭は、将来を誓い合う事を意味するらしい。かくしてあたくしは、そんな事とは無縁の生活を余儀なく(?)されているので“だから何?”なのである。よって、ローイクラトンのおもひでなんてもんは、ない。あ、あった。昨年…学校の人達と10人くらいで揃って行った…。ロマンチックの“ロ”の字もないっす。
2003年11月08日
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最近、タイ人と間違われる回数が減ってきたように思う。きっと以前は過剰に反応しすぎていたため、『タイ人じゃないのか』という問いに常に敏感になっていたのだろう。ある日、チャトチャックに1人で買い物に出かけた時のこと。なにげに陶器を見ていたら、日本人観光客と思われる女性2人が隣にやって来た。観光客A『いやー!なにこれ!むっちゃぶっさいくやん!なぁ!』(←わたしにむかって)私(あ…ほんまや…)(←圧倒され、黙って微笑むしかできない…)観光客A『ちょっと、これやめとき、かわいない。こっちにし!!』(←と、わたしに差し出す)わたし『あぁ…。』(←うなずきながら受けとる)観光客B『ちょっとー(知らない人に)やめときぃやー。』観光客A『ええやんなぁ?交流よ、交流!』私(?…微笑むしかない)観光客B『もぅ、ほらっ、「なんやこの日本人」って思われてんで!!』観光客A『ははは~。ごめんなぁ~コップンカー☆』私『………』これって、わたし、“また”タイ人だと思われてたってこと…かな…??
2003年11月06日
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なぜ、できないのに『できる』と言い張るのでしょう。なぜ、わからないのに『わかる』と。なぜ、行けないのに『行ける』と…なぜ? なぜなの? なぜ…??その自信は一体どこからくるのでしょう…。日本人(わたし)には理解しがたい。でもタイに住んで、タイで働く以上、理解しざるをえないのが現実なんだな…。
2003年11月05日
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バンコク郊外のチャトチャックウィークエンドマーケット(だけじゃないと思うけど)にある、果物が山盛りに盛られた“キロあたり○○バーツ”と書かれた果物屋。よくよく見てみると、“キロあたり○○バーツ”の文字の前の果物に隠れて見えない位置に、ちいさなちいさな文字で“半”と書かれている。
2003年11月03日
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スーパーアイドル・タッキーこと、滝沢秀明をはじめ、ジャニーズJr.達が“J-ASEAN POPS CONCERT THAILAND 2003”と題するコンサートに参加するため来タイした。タイのグラミー所属歌手からは、CLASH、Palmy、Briohny、U.H.T.、China Dollsなどが参加。タッキー以外のJr.はさっぱり『?』な私達は、タッキーの傍で一際輝く一つの☆を見つけた。 『や…山ピー?!?!?!』そう、山ピー。あの山ピーがタッキーの後ろで踊っているではないかっ!!あの山下智久がJr.としてわざわざタイまで…。感動です。感無量です。あぁ、来てよかった…。 『山ピーーーーーーー!!!!!!!!』この声山ピーに届け……。待ってました!!山ピーのソロっ!!!! 『山ピー!!山ピー!!山…』あ…あれ…??なんか ちゃう…??声が…ふぅ…。どうやら山ピーだと思っていたのはファイブとか言うグループのメンバーらしく、タイ人のファンの子に『ノー!ノー!ノット ヤマピー!!!!』と怒られたのもムリはない。どうやら我々は勝手に山ピーだと思い込んでいたようだ。あの姿カタチ、あの髪型、どこをどうとっても山ピー…。紛らわしい演出(?!)にカラ喜びカラはじけたあの感動は一体なんだったのか…。でもいいの。生タッキーはすんごくキュートだったからっ☆
2003年10月26日
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娘が昨日の夕方からぐったりしている。元気がない。『“ルームメイト”(←俗に言う“飼い主”。でもこの言葉はあまり好きくないので前に述べた言葉を使用します)に似る』とはよく言ったもので、そんな中でも彼女は食欲だけは常にあった。夜中にはだいぶ元気になってきたのだが、念のため病院へ。APECの関係で公務員は休みと聞いていたのだが、今朝、いちかばちかで公立の大学病院へ連れて行ったら診察していたのですぐ診てもらえることができた。ここの大学病院はいい。何がいいって、治療費が免除ってのがいい。使った薬代だけで済むのがなんてったって有難い。ゆえに、色々質問して、診てもらって、チェックしてもらって、『なんともないですね。健康ですよ。』と言ってもらって終わりの場合、そのままクラップ・バーン・ダーイ(帰れる)。タダ。タダ。しかも先生は親切、丁寧。わたしのつたないめちゃくちゃなタイ語も頑張って聞こうとしてくれる。わたしの強い味方。そんな中、我が娘は、先生の前ではいい子ちゃんを装う。うちに帰るとダラーーーーーーーーーーーーーーーーーーとするくせに~。そんなとこもルームメートに似たのかしら。 まっ、元気になってよかった☆
2003年10月21日
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来たる10月26日。バンコクはインパクトアリーナにて、アジアポップミュージックコンサート(そんな名前だったかな?)が開催されるのをご存知だろうか。我々はY-子ちゃんのお誘いを大喜びで受け、大勢で乗り込むことに。10人…いやそれ以上。タイからは、ブライオニー、クラッシュなど、人気歌手が勢揃い。日本からは、我がアイドル、“タッキー”こと、滝沢秀明を筆頭に、ジャニーズJr.など(あとは名前も聞いたことない…)が参加。ジャニーズコンサートと言えば、忘れもしない従姉妹のおねぇちゃんに連れて行ってもらった光GENJIコンサート。大沢クンと目が合ったあの瞬間が記憶に鮮明に残っている。小学校3年生だった。それ以来のジャニーズ。気分はすっかりジャニ子☆(←ジャニーズファンのこと。勝手に命名。)今からうちわや垂幕作りに専念しようと思うので、今日はここで失礼します。
2003年10月20日
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8/29の日記『鍼つぼダイエット』 3週目にして効果なし。即辞めた。9/9の日記『戦いは続く』 「アリコロリン見たいな、黄色で小さな粒の薬が効きますよ。 アリが餌と間違えて、自分の巣まで運んで、巣から根こそぎ殺してしまうという優れものです。」 と、教えてくださったzmankingさんの言葉を信じ、設置してみたところ効果抜群。 今のところありんこ1匹見ない。zmankingさんに感謝。9/20の日記『ハムスターのこころ』 生きてます。10/7の日記『ホクロ除去』 レーザーで焼いたところが少~しずつめくれて、1つはかさぶたが剥がれて治りかけの傷といった感じ。 もう1つはまだ“根”があるらしく、黒いのが2,3個点々と。もう1回する必要があるかもしれない。以上、途中報告でした。
2003年10月11日
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頭部の生え際と毛先にかけての色の変化が気になりはじめて2,3ヵ月。そろそろ美容室にでも行こか…と、ようやく重い腰を上げることにした。いつもは最高にリッチな気分でサイアムスクエア1等地にある日本人経営の美容室に通っていたわたしだったが、そこはいつのまにやらもぬけのカラ。(店長曰く、地主のタイ人オーナーに店ごと横取りされたらしい。)それ故、これからはどこの美容室に行くべきか考えに考え、悩みに悩んだ。日本人たる者、日系でセットすべし!!という考えも特になく、適当に探してみることにした。しかしタイの美容室と言えども、なかなかいい料金を設定している。いかんせんここは貧乏人。失敗を承知で、初・地元美容室に挑戦することにした。一概に“美容室”と言っても、やはりここはタイ。しょぼい。入り口に書かれている料金を見てみる。“タッポム(カット)100バーツ(約300円)”“タム・シー(ヘアカラー)290バーツ(約870円)”。価格破壊である。どこかで会ったことがあるような見るからにゲイの、ちょっと年食った気の弱そうなおにいさんが担当してくれた。襟元まで水しぶきがかかる中途半端にぬるい水シャワーでがっしがっしのシャンプーで始まり、多分タイ産であろうどこのメーカーかわからないカラー液を毛根の根元までこすりつけ、今にも火が吹き出そうな勢いのドライヤー(2度程「あ゛づっ!!」というのがあった)でブローをし、『恋人はいるの?』『タイ人の男はすき?』などという向こうの一方的な会話も弾み(?)、そして勘定。ゲイ『800バーツ…。(約2400円)』(←ぼそぼそと) ぼったくりもいいとこである。私『なんでやねん!あそこにタム・シー290バーツって書いてるやんけ。』ゲイ『あ…あれは“プロモーション”…』(←おろおろと) 出た!タイ人お得意の“プロモーション”。私『じゃぁそのプロモーションはもう終わったんかいな??』ゲイ『終わり、終わり…かな…。終わりだよね?ピー(おねぇさん)…。』(←自信なさげに人に聞く)私『どうなん。』ピー達(声を揃えて)『アナタ髪長いでしょ。あれ、ポム(髪)サンサン(短い)の値段。だから800!!』 更に出た!!タイ人仲間同士のでまかせ団結。キーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!ゲイ『…。』(←ボク知らない…。という顔) チャイ・イエンイエン(落ち着け、落ち着け。)。 タイ。そう、ここはタイランド。気の弱いゲイのにぃちゃんは、周りのピー達に無理やり800と言わされたのだろう…と、いらん心配をし、このにぃちゃんに同情することで自分のイライラを追いやることにした。わたしはゲイのにぃちゃんに800バーツを差し出し、『あの紙は外したほうがいいで。』とかっこよく捨て台詞をきめ、カゼのように去って行った。そして次の日、その店には、変わらず“終わったはずのプロモーション”だという紙が張ってあった。 わたしはまたしても負け犬で終わったのか…?
2003年10月10日
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友人Yさんとランチをした帰り。有り余る時間を持て余していたため、以前から興味があったホクロ除去をしに行くことにした。バンコクに星の数ほどあるクリニックの中で、安く、ちょこっとセーフティーに(?)済ますためにはMBK(マーブンクロン)か?ということで何件か見回った結果、そこの2Fにある一番愛想のいい、一番清潔っぽい、一番こぎれいなクリニックにて決行することになった。土日は患者がごった返すらしい人気のクリニック(?)で、「10分待ってね~」と言われ待つ事1時間。待てど暮らせど名前を呼ばれず自ら聞きに行く。ようやく治療開始。チクチク…じりじり…辺りに焦臭いにおいが漂う。ちっちゃなちっちゃな針で刺されているような感覚のレーザー除去。ひどい痛みはない。会計時。合計770バーツ。(内、塗り薬代270バーツ)ホクロ除去1つにつき500バーツ。わたしがしたのは除去2つ。明らかに会計ミスである。言わぬが仏とはこのことfor me.
2003年10月07日
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かぜをひいた。タイに来て初めて。ハナがでる。喉がいたい。38.2度。10年ぶりの熱。体が熱い。それなのに食欲劣らず。
2003年10月04日
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今日でシーロムのプライベートレッスンが終了した。タマサート大学でのタイ語クラスも先月終わったので、これから途方に暮れることになる…。することもなく、アルバイト先に行った。廊下から部屋の中が見える位置に会社がある。I氏が見えた。ここだけの話、わたしはI氏の裏ファンである。そう、あの『自他共に認める変態I氏。』の、だ。今までに出会ったことのないあの濃いキャラ、濃い顔、濃い会話…。今の時点ではまだまだ彼に敵わない。いつかギャフンといわせてやるのが今のわたしの目標だ。待っとれよ。
2003年10月02日
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昨日の続きの旅(?)で、今日はかの有名なダムヌン・サドゥアク水上マーケットへ行った。今日はY子ちゃん、Nさん、I子さん、S子ちゃん、R子さん、Hさん、K子さん、わたしの8人。今回も運転手、車を貸しきって、一人当たり250バーツ(約750円)。タイに住む以前に旅行でタイを何度か訪れたが、ダムヌン・サドゥアク水上マーケットは実は今回が初めてである。こんなん落ちてまうで…というような小さなボートに8人もが所狭しと詰め込まれた我々の不安をよそに、おばちゃんは漕ぎ出した。お約束のしつこいふっかけ物売りに『高っっっっ!!!!』と絶叫しながらも、船の上で味の薄いバミーをつつき、たまたま居合わせたNさんの同僚のガイドさんに船でのすれ違いざまにサラッ(おいしくない、柿のような果物)を貰い、観光客なら絶対買いそうにない野菜まで買いこみ(すごく安かった)、550バーツの像のろうそくを150バーツにまでさせたが買わず…そんな感じでダムヌン・サドゥアク珍道中は終了した。
2003年10月01日
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バンコクから1番近いリゾート地で有名なパタヤから船で約20分。そこにコ・ラーン(ラン島)がある。Y子ちゃん、Nさん、S子ちゃん、Ⅰ子さん、R子さん(日本から来たY子ちゃんの友人)、Sさん、わたしの7人で車をチャーターし、日本語ペラペラのタイ人Nさんにガイド(本物のガイドさん)をしてもらい、ラン島の裏側へ行った。なにを隠そう(隠せるものなら隠したいが、隠すに隠し切れない)、中学以来の水着着用。そのおぞましい姿にラン島の青い海、白い雲、まぶしい太陽も真っ青だったことだろう。が、それをもはるかに超えた超人が現れたのだ。 ブリーフおじさん。明らかに中国人と見られるおじさん。薄く、水でぬれてすけすけになった真っ白のブリーフ一丁で、我々の前の美しい砂浜を足取り軽く走り去って行き、見事な自由形でランの海へ潜っていった。その衝撃的な姿が脳裏に焼きつき、忘れ去ることがしばらくできそうにない。
2003年09月30日
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一体何ヶ月ぶりだろうか。かなりご無沙汰していたAUA(タイ語学校)へちょっとしたきっかけで1時間だけ受けることになった。久しぶりに会う元クラスメートたちにまるで化け物を見たかのように驚かれつつも、歓迎(?)された。来タイ当初は1日平均7、8時間も授業を受けていたまじめを絵に描いたような至って優秀な生徒だったのが、1時間で疲れを感じた。しばらくまた行くこともないだろう。
2003年09月29日
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今月の29日にビザが切れるので前日の今日、カンボジアに出ることにした。パッポンデビューの翌日(正式にはもうその日になっていた)だったので、一睡もできないまま早朝、カンボジアへ。ビザの種類はツーリスト。入国してから1ヶ月後、サートーンにあるイミグレで1ヶ月延長。そして今回の出国。イミグレのおねぇさん(?)に『この日までにどこかに出国しなさい。』と言われ、9/29のスタンプを押された。ビザのことに関して全くの無知であるわたしは、その言葉どおり29日の1日前の9/28に出国することにしたのだ。出入国を難なく終えそうになった時、イミグレのおにぃさんが興味なさげにこう言ってきた。『来月また来なさい』はっっっ?!今回出国したらあと2ヶ月は何もしなくていいはず。おにぃさんが説明してくれた。タイに滞在できる日はスタンプ通り9/29までなのだが、ビザの有効期限は9/25までだったのだ。結局ダブルのビザは1回きりで無効。意気消沈してるわたしに、ガイドさんが慰めてくれた。『マタアイマショウ!!』 そうね…。。。
2003年09月28日
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と言っても、お立ち台に立ってセクシーショーを見せる踊り子デビューではない。わたしの、ソイ・カウボーイに続く夜の街デビューは誰もが知ってるパッポンであった。今回の案内役は、以前もこの日記で紹介させていただいた『自他ともに認める変態(←僕は認めてないんだけどなぁ。と、ぼやいていた…)I氏』。呆れる程の変態ぶりも、そこまでくれば逆に尊敬にまで値する。そんな彼だが、仕事中は意外にもシリアスで冷たい。彼に対してちょこっとむかついたときもあったが今では『師匠』と崇めている人物なのである。パッポンの常連、夜の帝王I氏。お目当ての99番に目をキラキラさせていたが、違うお客に“お持ち帰り”されるのを知り、みるみる死んだ魚の目に変わっていった。今日は土曜日。明日は休みなので心おきなく夜遊びができる。一緒に行ったYさんが気を利かして女性のわたしたちはお先に失礼することにした。そして男達は夜の街へと消えて行ったのであった…(←I氏談。)。
2003年09月27日
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Wさんの奥さん、Pさんのやっているタイ人向けカラオケ店にWさんとPさんに連れられてYさんと行った。ペッブリーにあるこの店に入ったとたん、大音量のカラオケと、ノリノリで80年代(←日本の)ダンスをしている若いタイ人に目が点になったが、案内されるがまま席についた。すると、そこに居合わせた若い学生服姿のタイ人がジーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっとこちらを見つめているではないか。内心、“いや~ん、わたしに気があるのかしらん…”と思ったのだが、どうやら奴の視点はわたしではなく隣に座っているYさんへ向いている…。奴はYさんに熱すぎるほどの視線を送り続け、しつこくしつこくモーションをかけてきた。わたしは奴に言ってやった。『カオ テンガーン レーオ(彼女、結婚してるわよ。)』←うそ。『オーマイガーーー!!』奴はコントのように頭を抱えて嘆いていた。笑えた。
2003年09月24日
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日本に帰ったとき、そうめんとそうめんつゆを持って帰ってきた。(タイでも買えるけど…)友人に『そうめんパーティーすんで~』と言ってから早や3ヶ月、やっと開催することができたのも、友人Ⅰ子さんが会場提供してくださったおかげである。しかし、なんたることか自分がこのパーティーの主役であるそうめん作りを強制的にさせられることになってしまった。予想外の事件に自分を見失いそうになったが、なんとか我に返り、火の調整、湯加減、そうめんの撒き入れ方、茹で加減、など、時間との戦いに悪戦苦闘しながら、途中3度の味見もあり、なんとか出来上がった、その結果…なんとわたしは“夏の風物詩”『“日本の味”そうめん』を再現することに見事成功した!しかし、パーティー開催予定時刻1時をはるかに遅れてきた友人達は口を揃えてこう言った。『…カノムチン??』わたしが苦労し、丹精込めて作り上げた、まるで我が子のような『そうめん』を、“タイにある” “すごく安っぽい” “タイのそうめん(?)”『カノムチン』だと。前回の日本食パーティーでの大傑作(失敗作??)、手作り『ギョウザ』の不評を塗り替えるつもりが、こんな結果に幕を閉じることになるとは…。
2003年09月23日
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アルバイト先に着いたとき、WさんのBちゃん(まだ子どもの白いトイプードル、オス)がさらわれたと聞いた。そのことでWさんは昨晩、寝れなかったらしい。Bは、Wさんの奥さんの経営するカラオケ店で誰かに連れて行かれたそうだ。連れて帰りたくなるのもわかるほど、Bは小さくてかわいく、とても人なつっこい犬だった。Wさんも奥さんのPさんも心配で心配で表情がかたい。他人のわたしですらそうなのだから、親としてはそれ以上なのは痛いほどよくわかる。話しをするWさんとPさんの顔を見ていると、何も言えなかった。いたたまれなくなった。Bを連れて行った人、お願いだからBを返して。Bが早く無事に帰ってきてくれることを心から祈っている。
2003年09月22日
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『うちの子、超かわいいんですぅ~ヽ( ´ー`)ノ』そんなことを人前で平気で言える親が正直好きにはなれない。自分の子を他人に自慢し、褒めちぎり、かわいがり、甘えさせ、べたべたに育てている“ダメ親”が。もしわたしがいつか子を持ったとき、絶対譲れない教育方針として以下のことがある。“甘えさせすぎない”“時に厳しく”“アメとムチ”親たるもの、いかなる場合にもそうであるべき、と考えている。そうするつもり だった。しかし、プイが来てからというもの(まだ1日…)、そんな教育方針なんてどこへやら。すっかりデレデレになっている自分の姿が、初めに書いた“ダメ親”とピッタリ重なっている。少しばかり馬鹿にしてたはずの親ばか、ダメ親の気持ちが今、初めてわかった。なってみないとわからないもんだ、と、ひとり頷く。だってカワイ~んだも~ん(^з^)☆えへへ
2003年09月21日
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我輩はハムスターである。名前はまだない。我輩は先程、チャトチャック市場から、奴…。たしか、アロイとかいう名の人間の元へと移ることになった。奴は、今まで我輩の面倒を見てきた女に手切れ金、20バーツ4枚を手渡した。つまり我輩の価値は80バーツという計算になる。なんたることだ。我輩が80バーツだとは全く遺憾である。しかも奴は我輩がオスかメスかを女に聞いている。女はおもむろに我輩をつかみ、仰向けにした。やっ…やめてっ!!!わたしはオンナ!!デリカシーのない人間は嫌いよっ!!抵抗するわたしを横目に、奴は『元気やなぁ~』とウキウキしてたわ。これからわたし、どうなるのかしら…。まずは名前!!!!!!!!ということで…、 名前候補 ↓↓↓↓ 1・タクシン(タイの総理大臣のように金持ちになってほしいという願い) 2・チナ(タクシン・チナワット。同上。) 3・親方又は女将(どっしり構えていてほしいという願い) 4・テンモー(すいかのように甘い人生を送ってほしいという願い) 5・チャラ(チャラート・賢く育って欲しいという願い) 6・チュイ(チュイチューイ・別にぃ~というサバーイな生活を送ってほしいという願い) 7・ポチ(番犬ならぬ、番ハムになってほしいという願い) 8・黒木瞳(美人になってほしいという願い) ・ ・ ・ ・などなど候補はたくさん。 決まり次第報告したいと思う。 追 記 ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓決定!!詳しくはこの日の感想のページで!!
2003年09月20日
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行ってきた。そして、見てきた。念願の映画、“ロックよ、静かに流れよ”今日この日、この映画を見るまで、わたしは男闘呼組というグループをよく知らなかった。知ろうともしなかった。今日この日、この映画を見てわたしは思った。男闘呼組最高。
2003年09月19日
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日頃お世話になっている日本人の皆さん。(ほんの一部です)Ⅰ子さん 黙ってたら美人。 Kちゃん チッチ(わたしのあだ名らしい…)の名づけ親。Y子ちゃん 美人。スタイル抜群。毒舌。 S子ちゃん ムードメーカー。あほ。(←大阪人にとって、最高のほめ言葉)Hさん 気の利く謎多き異国人。T哉さん 優しい口調のむっつりすけべ。 Sジさん 話しやすく面白いミスターカウボーイ。 おにいちゃん おっとり癒し系?????Y-子ちゃん 女の幸せ独り占め。(←実はかなりうらやましい)Sさん 出世頭。若い嫁もらって幸せ真っ只中。 Yさん アルバイト先の元社員さん。ダメ男に弱いけなげな女。W辺さん アルバイト先のえらいさん(?)超ベビーフェイス。I澤さん アルバイト先の社員さん。自他共に認める変態。Tくん 同じアルバイト。結構…かっこいい。Hくん 元クラスメート。ジャニーズ系。若くしておっさん。Tちゃん 元クラスメート。現在大学の日本語講師。見た目怖い。Yちゃん (一応)現クラスメート。超おんなのこおんなのこ。わたしの周りはいい人、又は変な人ばかり。毎日楽しく過ごせられるのもこの方々のおかげ。コップンカーナ。
2003年09月18日
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枝豆を買った。おいしかった。次の日、今日と明日の分、そして友人にも分けようと思い、1キロ買った。1日で食い尽くした。
2003年09月17日
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夜。アルバイト先からの帰宅時必ず通るプラトゥナム地区にあるインドラリージェント周辺が海と化していた。どないせぇっちゅうねん…と思いつつも、ここを通過せねば帰宅することが出来ない。波打つ海を眺め、しばし考えた。なんとか無事回避できる方法は無いものか。と神経を集中させ、無いに等しい脳からありったけの知恵を振り絞ってみるが時間の無駄に終わった。今一度海を眺める。海底が見えない。雨は一向に止みそうにもない。水嵩は更に増すばかりである。ここで腹をくくるしかない。そう決意を固め、ズボンの裾を軽く捲り上げ、わたしはインドラの海に片足を入れた。甘かった。水位推定35センチ。捲り上げたズボンの裾の意味も空しく、わたしはインドラの波に飲み込まれたのは言うまでもない。プラトゥナム。日本語で『水の門』と言うそうな。 …役立たずっヽ(`Д´)ノ
2003年09月16日
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今回は、ことあるごとにこの日記に登場してくれる、友人S子ちゃんについて述べようと思う。彼女のことを知らない皆さんにとっては読んでも仕方のない内容になっているかと思われますが、彼女とわたしの切っても切れない深い深い友情の証として綴っていきたいという願いから、個人的な意見を述べることを許していただきたい。そもそも彼女とわたしの出会いというのは、以前からわたしが通っている語学学校の友人Y子ちゃんとわたしが二人で会うことになっていたのにも関わらず、待ち合わせ場所にY子ちゃんがS子ちゃんを連れてきたことからだった。これがこれからのタイでの生活を180°覆す結果となった事件の勃発記念日だった。S子ちゃんは、Y子ちゃんが以前通っていたタイ語学校のクラスメートで、わたしとY子ちゃんが今通っている学校に来るということで、Y子ちゃんから紹介された。今思えば初めて会ったときから彼女は、今と全く印象が変わっていない。なぜなら彼女は、二面性のない、実に素直で馴れ馴れしい…失礼、“親しみやすい”人間だったからである。そんな彼女でも、わたしにとって尊敬すべきところが幾多もある。・愉快である。(女はまだ捨てていないようだ)・料理ができる。(時々タダでご馳走してくれる)・笑顔が絶えない。(いいことですね)・パソコンができる。(自分が全くできないからできる人は偉く感じる)・意外と家庭的である。(年の功)・積極的(こちら側がオドオドさせられる)・部屋がきれい。(わたしの部屋と大違い)・話題が豊富。(いつも新しい話題を提供してくれる)・ムードメーカー。(居ないと静か)・存在感がある。(上に同じ)・誰とでも仲良くできる。(使える奴は使っておこうとうという魂胆か?)・見た目若い。(7つは若く見られる)・気持ちも若い。(心は乙女)・嫌味たらしくない。(慣れた)・小さな事にはこだわらない。(さっぱりしてる)・大きな事にもこだわらない。(さっぱりしすぎ)彼女は、彼女にしかない魅力をたくさん持っている。彼女は、その魅力を十分に発揮できている。彼女は、わたしにないものをたくさん持っている。だからこそ、彼女に惹かれるのかもしれない。こんなことを書くと誤解を招くようだが。けしてそんな気はないのはお互い良く理解しているので安心してほしい。最後に… S子ちゃんへあなたと知り合えて、お友達になれてよかったです。これからもいいお友達でいてください。この日記を友人S子に捧げる。 愛を込めて…(??)M。
2003年09月14日
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『今週の土曜“失恋レストラン”行くで。6時半やしな。』いつものごとく、友人S子ちゃんからの半ば強引なお誘いを受け、ソイ・トンローとソイ・エカマイの間にある“Love Sick”という店にS子ちゃん、I子さん・Kさん夫婦、Y子ちゃん、Hさん、わたしの6人は、Rおにいちゃんに連れて行ってもらうことになった。ここでは、用意されたガラス瓶(12本で40バーツ)に恨みを込め、フラれた相手や嫌いな相手の写真(各自デジカメのメモリーや写真を持参)にめがけて投げ割る場があることで(一部では)名が知られている。一見、いたってやることの小さい人間がするようなささやかな反抗の儀式の様ではあったが、見るとするとでは全く異なり、不思議なことに投げた後は妙にスッキリ爽快な気分にさせられた。他にも“泣く部屋”“叫ぶ部屋”などがあり、それぞれ薄暗い小さな個室になっているので人目も気にすることなく、誰にも邪魔されることなく、その部屋で泣き、叫ぶことが出来るようになっていた。しかし、部屋に入ったものの、『ただ今使用中』などといったプレートがどこにも見当たらなかったのが気になった。もし一人で浸って泣いているときに第三者にドアを開けられた場合、それこそ恥ずかしくて泣いてしまいそうだ。しかし、ご丁寧にも“泣く部屋”には、ちゃんとティッシュまで用意されていた。次回、わたしが何らかの理由で一人で来ることがあれば、そのときは安心して利用出来そうだ…。今からわたし専用『使用中』プレートを手配しておかなければ。
2003年09月13日
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毎週金曜、アソークにあるサーミットタワーにて日本映画を無料上映しているのを過去2、3度見に行ったことがある。今日も大雨にも関わらず行くことにした。室井滋の“のど自慢”を見に。いつもほぼ満席状態なので余裕をもって1時間前に会場に入った。1番前の特等席を確保するためだ。しかし、その日が雨だったせいか、この映画の人気がなかっただけなのか、ガッッラガラだった…。一緒に行ったのは、I子さん、Y子ちゃん、S子ちゃん(←いつもこの3人…)、Y-子ちゃん、(Y-子ちゃんの)おにいちゃん、わたしの6人。売れない演歌歌手役の室井滋が素人のど自慢に出場し、合格の鐘を鳴らされ自信を取り戻す(?)、といった〆だったのだが、個人的には、上手いとも下手とも言えない室井滋の歌の中途半端さには鐘1つだった。そんなもやもやが残ったまま終了したのには少し納得いかなかったが、本来の目的の来週の映画、“ロックよ静かに流れよ”元祖アイドル男闘呼組に期待で胸が高鳴る。が、わたしと、タメのY-子ちゃんは、男闘呼組を知らない。
2003年09月12日
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タケシが死んだ。…わたしの目の前で。タケシが死んだのはこれで3度目。今、タイのI-TVで日本のドラマ、“天体観測”が放送されている。(次回で最終回)昨日、そのドラマのタケシ(オダギリジョー)が男に刃物で刺され、病院でそのまま息を引き取ったのだ。初めてタケシが死んだのを見届けたのはわたしがまだ日本に居た約2年前だった。2回目は今年の6月後半あたり。このドラマが再放送している日本にちょうど帰国した時だった。そして、3回目。それが昨日、ここ、タイ、バンコクで。初めて見たとき思わず『タ…、タケシィィィィィーーーーーーー!!!!!!!!!』と、年甲斐もなく発狂したものだった。もちろん、2度目もそうだった。3度目…、まさか発狂しないはずがない。タケシの死…。1度ならずも3度も、タケシの死ぬ暗い悲しい場面をユリ(タケシの恋人役)の代わりにわたしが見届けた。そして、1度ならずも3度も、タケシの死ぬ暗い悲しい場面で…笑い死にそうになった。(見たことある人はわかるはず…!!)
2003年09月11日
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タイ人は歩くのが遅い。これは全然マイ・ミー・パンハー(問題ない)である。ミー・パンハー(問題あり)なのは、よそ見をして歩く輩である。そんなタイ人はけして少なくはない。いや、多いと言っても過言ではないだろう。前からよそ見しながら歩いてきたタイ人とすれ違うことはまだいい。自分から避ければ難は免れることが出来る。しかしだ、よそ見しながらゆっくりと道の真ん中を堂々と歩くタイ人の後ろに運悪くついてしまった場合、追い越すに追い越せない現状が待ち構えているのである。腹ただしいことに、わたしはそんな状況にボイボイ(しょっちゅう)接触する。歩くペースを常に保ちたい派であるわたしは、自分の歩くペースを余儀なく崩されることに納得いかず、耐えかねる。そのような場合、わたしは一切『コートート・カ(すみません)』という言葉を発さない。もしこの言葉を口に出してしまうと相手に負けを認めてしまう形になってしまう。そうなると自分で自分が許せなくなるのだ。そこであえて、聞こえよがしに『ゴホン…』と咳き込み、相手が気づき振り向いたその瞬間を見計らい、体をねじらせすかさず相手を追い越すことに今まで9割方成功している。わたしの唯一の高成功率の必殺追い越し作戦なのである。ここまでは…まだ…、まだ…許してやれる。さらに続くタイ人の行動、ここ一番の問題児である、“よそ見しながらバイクに乗る”(一応スピードは出していないが)。これはもう救いようがない。何度轢かれそうになったことか。身の安全は自分で守るべし。そのことを教訓に今日も街に出る。右よし、左よし。くわばら、くわばら。
2003年09月10日
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昨日の日記にも書いたように、我々在タイ者は、ゴキ○リ、アリ、チンチョ(トカゲ)、クモ…は、タイに住んでいる以上、その存在を認めざるを得ない状況を強いられている。特にタイのアリは日本のアリの100倍は強い生命力、繁栄力があるのでは、と思わせるほどのツワモノで、なかなか手強い相手である。 タイのアリはどこにでも住め、なんでも喰う。事件その1・袋からトイレットペーパーを取り出したとき、トイレットペーパーにアリが2,3。不審に思い、透明の袋を下から覗き込むと、数十匹のアリの大群がトイレットペーパーにむさぼりついていたのを見た。それが、これから長く関わってゆくことになるタイのアリとわたしの劇的な出会い、物語の始まりだった。それからしばらくして、あれ以来、特に大きな事件にも被害にも出くわすことなく、わたしは住んでいたチャトチャックのマンション(←かろうじてマンション。4500バーツ也。)から金銭的な理由により、狭い安いダサいアパートに引っ越すことになった。更にショッキングな事件が降りかかるとも知らず。チャトチャックでのトイレットペーパー事件は、ただの幕開けに過ぎなかったのだ。事件はごく普通の1日の中で起こった。ホンナーム(バスなんてないが…バスルーム??)に入った瞬間、頭上を何かが横切った感覚に、ふと天井を見上げた。アリだ。 1匹、2匹…。。。すぐさまティッシュで押さえつけ、苦しむ間もなく一気に逝かせてやる。それは、わたしのせめてもの情けでもある。じわじわ痛みつけ、最後にとどめをさすというのは人間の道理に反している気がするのだ。気がつくとティッシュが潰されたアリ達によって真っ黒になっていた。それでも奴らは我先にとこの戦いに挑んでくる。負けるわけにはいかない。アリとわたしの真剣勝負だった。列を成す敵の最終尾を探す。…見つけた。奴らの住処を居とめたのだ。わたしはそのとき確信した。“この勝負、いただいた”と。 我が家(アパート)は、狭い、安い、ダサいと言えども、いっちょまえにエアコンはある。エアコン…その、外と繋がって筒状になっている(空洞)ところ…。敵は、ここを基地としていたようだ。アリはアリらしく土に住むべきだと、考えれば考えるほど憎々しくなる。狙いを定め、容赦なく敵地にタイ産キ○チョールを大量に噴射。無差別殺虫である。ホンナームのドアを閉め、しばし休戦すること30秒。敵に気付かれない様、細心の注意を払いながらドアを開け、恐る恐る戦地の状況を確認する…と、なんということだろう、数十匹だったはずの敵が、100も200も300も、いや、数えられぬほどのアリが、命からがら戦地からわさわさと亡命してくるではないか!!!!“情け”や“道理”などと甘ったるい事をほざいている場合ではなかった。わたしは自分のアリに対する思いやりに少々驕っていたのかもしれない。その結果、この様な状態を作り上げてしまったのだから。わたしは心を鬼にして再びキ○チョールを奴らに向け、彼らの最期を見守った。そのときのわたしに出来ることは、それくらいだった。あれから1,2ヶ月が過ぎ、ホンナームに入ったわたしが見たものは、ちいさなちいさなアリの子1匹。この子が大きくなるまでに、わたしはここを立ち退きたいと願う。 。。。追伸。。。 長々と綴ったくだらない日記にも関わらず、最後まで読んでくださった方!!お疲れ様でした&有難う御座いました。もう少し簡潔に要約できるくらいの文章力があればこんなにだらだらと書かなくてすんだのですが、なにせ表現力が乏しいいもんで、ご迷惑おかけしました…。。。でも、人に自分の書いたモノを読んでもらえるって、うれしいもんですね。感謝感謝で御座います。 ☆aroychan☆
2003年09月09日
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わたしの周りの人たちは、ペットを飼っている人が多い。Ⅰ子さんは真っっ白なロン毛でハナが桃色、抱くと毛がす~んごいつくけど超かわい~ぃ猫Pちゃん。Y子ちゃんはのロバのミニチュアバ-ジョンの犬Rと、ストレス気味で出不精のKちゃん・Tちゃんの猫2匹。Yちゃんは名前が日本人の、犬T中。Wさんはせわしなく走り回るB。etc…以前、『ペット飼えたらええなぁ』と言った私に向かって友人S子ちゃんはこう言い放った。『わたしゴキ○リとアリと(日本で)見たこともない虫ならこうてんで。』その一言で、ペットを飼わないことに決心がついた。ある意味ありがとう。それから、それは“飼ってる”と言うのか。わたしの中でそんな素朴な疑問が今でも鮮明に残っている。 お詫び先日Y子ちゃんに、『ろばじゃないよぉ~!!バンビちゃんだよ~っ!!』と、ご指摘を受けました。ここに訂正してお詫び申し上げます。
2003年09月08日
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まへさっくねぇさんは日本に帰っていった。昨日、まへさっくねぇさんに最後のお別れの電話をかけたとき、こんな会話をした。まへ『もしもし~』あろい『もし~。ねぇさん、明日やんね??』まへ『そうよ~。』あろい『なんか余裕やね』まへ『わたしの周りだけが騒いでてさ~、自分のことなんだけどぉ~』あろい『なんやソレ。あろいさん的には別れを惜しんでんのに』まへ『え~、でもすぐ戻って来るよ』あろい『え??そ~なん??』まへ『そ~なの。』あろい『じゃぁ永遠の別れやないんや?』まへ『そ~よん。じゃぁねぇ~ん』あろい『じゃ…じゃぁねぇ~んって…』と、まぁ、ねぇさんとの最期…最後の会話がこんなカンジで締めくくられた。まへねぇらしいといえばまへねぇらしい、そんな会話だった。 ☆まへねぇさんとのおもひで☆☆初めて二人が出会ったタイ語学校のAT2の教室。 そのときから既にあなたは“アネゴ”でしたね…。☆WTCのチェ○ターズグリル。 50バーツもするオリエンタルのアイスを勝手にここに座って堂々と食べましたね。☆ランスアンのイタリアレストラン わたしが作ったほうがよっぽどおいしいわ、と語っていましたね。☆ねぇさんの部屋(1回目) 『随時決行!!』と言っていた“日本人会”、結局一回きりでしたね…。☆ねぇさんの部屋(2回目以降) まっぷたつに割れた便座、その後どうされましたか。忘れないよ、ねぇさんとのバンコクライフ。 忘れないよ、ねぇさんとのおもひで。 忘れられないよ、ねぇさんのキャラ。お元気で、お元気で。離れていても、空はひとつにつながっている…。
2003年09月07日
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昨晩、友人に誘われるがまま夜の街、“ソイ・カウボーイ”にSさん、I子さん、S子ちゃんと繰り出した。タイ語学校のクラスメートであるSさんこと、ほぼ毎日通いつめているソイ・カウボーイのことならオーナーですら知らないような裏事情までをも知り尽くしている(?)ソイ・カウボーイの専門家(プロフェッショナル)自らが、ソイ内の案内を買って出てくれたのだ。ソイ・カウボーイのプロフェッショナルS氏…人は彼を“ミスター・カウボーイ”と呼ぶ。ソイに入ったその瞬間、ミスター・カウボーイの目つきが変わったのを我々女性群は見逃さなかった。すばらしい。これがソイ・カウボーイを熟知しきった“眼”なのか、と我々は暗黙の内に悟った。 …なんとうれしそうな眼。今回我々がソイ・カウボーイに来た目的とは。ずばり、『すけべ日本おやじ観察』であった。我々はソイ内を隈なく徘徊し、ミスター絶賛の店と、変態好きが集まるという店など、計4件をはしごすることにした。中でも、我々女性群が一番ソンチャイ(興味)をもったのが、3件目に入った“バ○ラ”という店だった。ミスター曰く、ここが一番日本人出没率が高く、変態思考の店だという。日本の女子高生を意識したミニの制服や、超お尻に食い込んでいるビキニを身に纏った女の子達が、お立ち台に立ち、腰をフリフリ激しく踊っている。しかし、この店のウリはそれだけではない。なんと、2階の床がガラス張りになっており、下から覗きこめる…といった男性群にとってはなんとも有り難い造りになっているのである。我々が入った時には既に席はほぼ満席で、客も出来あがっており、オシャベリやオサワリに忙しそうであった。国民性というのは面白いもので、ファラン(ヨーロッパ系白人)女性客が来たときはファラン男性客の手が止まり、日本人女性客が来たときは、日本人男性客の手が止まる。どうも自分と同じ国の女性に見られるのはさすがに抵抗があるらしい。後ろに座っていた日本人おじちゃんは、なすすべなく逃げるように2階へと上がっていった。我々にとっては実に面白く興味深い体験ではあったが、来られたおじさん達にしてみりゃこれ以上不愉快なことはないだろう。この場を借りてあやまりたいと思う。唯一のお楽しみを邪魔してゴメンナサイ。尚且つ冷たい眼差しで『こんなとこ、妻子が見たら…』と思って(もちろん口には出さなかった。いや、出せなかった)ゴメンナサイ。 でも………… 行ってみて思った。 夜の街って… ソイ・カウボーイって… おもろい。ミスターのおかげか策略か定かではないが、近い将来、“ミス・カウボーイ”の名がわたしのモノになるのもそう遠くはない…と思ったが、すぐ重大な問題に気づくことができた。わたしには金がなかった。よかった。最後に、ミスター・カウボーイS氏。彼には、わたし達にとって今回のことがいつ役に立つのか、今後のわたし達の為になるのかわからないが、強烈な、刺激的な未知の世界を体験をする機会を与えてくれたことに感謝すると供に、彼の懐の残高の安否を願ってやまない。
2003年09月06日
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