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時々ぐるぐると回りたくなってしまうのは、それらと関係があるのかもしれない。
ぐるぐる回っていると子どものように笑いたくなる。
母親や周りの大人からは「子どもであるな!」+「楽しむな!」「属するな!」という禁止令を貰って育った。
だけど父親からは「大人であるな!」という真逆な禁止令を貰っていた。
長子+女の子の場合はよくあるパターンだとは思う。
ただのカウンセリング上の分析で、誰かしら何らかの禁止令を貰っているものだし、それを取り正してどうのこうのするほど重要なものだとも思えない。
今の自分を作ってきてしまったひとつの材料ではあるけれど・・・だから何?って感じ。
実年齢を言うと大抵の人はびっくりするけれど、長子と言っても意外な顔をされる。一人っ子か、末っ子に思われる・・・思われていた。今は違うかもしれない。
外見と実年齢と精神年齢のギャップに戸惑っていたのは周りよりも、自分自身だったのかもしれない。
カウンセリング教室とか瞑想会とか、日常の場から離れて集まってくる人はどこか忙しく、疲れている人が多い気がする。
当たり前かもしれないけれど、共通したものをもっている。
どんなに成功者に見える人でも、その場が必要だからやってくるのだ。
そして、そこで得たものを大事にして、日常に帰っていく・・・
ゆったりとした(または刺激的な)その場と忙しい日常の場は、違うらしい・・・
日々怠惰な生活を送っている私は、その辺の感覚が希薄になっているのかも。
どこに行っても日常となんら変わりない・・・
場所や関わる人が違っているだけで・・・見方(?)はほとんど変わらない。
自分というものが強すぎるのか・・・
今日もまぶしい光を感じられ、樹木があり、ごはんが食べれ、風があり息吹があり、大地に足がついている。
とりあえずみんな元気で、とっても普通だけど、恵まれている。
「カウンセリングを学んでいるから・・・」とか、「さぁ、座って瞑想を始めよう」という感覚は実はよくわからないのだ。
見よう見まねで試している途中なのだが、やっぱりわからないということがわかった。
大体、悟りなんてどうでもいいと思っている奴が、瞑想するのも矛盾してる?
日々の行いだって、ある意味とても瞑想的。
仕事だって、ごはんを作っていたって食べていたって、本を読んでいたって、集中している行為であれば充分にそれは瞑想的であるとやっぱり思う。
だけど、人には欲望と執着がある。過度なそれらはとても厄介な代物。情報がそれらに輪を掛けて煽る。
だから、現代人には益々、カウンセリングや瞑想などの精神的なものが必要不可欠になるのだろう。
そして今にも増して、もっと抵抗なく浸透していくことだろう。
こころのブレを1人で元に戻せるほど精神的に大人な人は、どんどん少なくなっている気がするから。
だけど瞑想は、勘違いも生みやすいところがある。
魔的になるなら、悪の方が大分救われるかもしれない。
( ̄~ ̄;)ウーン・・・ October 18, 2006
こころのぶれ。 October 4, 2006
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