そして これは 全部ポイだった。
昔と違って 30日にお飾りすると 元日にはカビが生えるのだ。
7日には 惨憺たる鏡餅になる。
ペニシリンの材料としかならないだろう。
やっと プラスチック製の中に丸餅の入ったタイプになり
それでも おかんは そこそこの大きさのものを要求。
そして 彼女は もう餅は食べない宣言もした。
嚥下に問題があるので餅は危険ということ。
なので 貧弱なお供えを買ってきたら・・・・・・こんなもので仏壇におけるかと来た。
餅は食べない お飾りはする もう飢えて死ぬ人がいるご時世にバカだとけんか。
食べない物を飾りにするなんて ナンセンスだ。
昭和30年代 28日はどこでも餅つきだった。
9日に餅はつくものではないと ほとんどが28日
おいらもじーさまの自転車に乗せられ じーさまの実家(爺は婿だったので)に行き
餅つきの手伝い(ほとんど邪魔だけど)と つきたての餅の御相伴だった。
じーさまは 器用で きれいにお供えも作った。
多分3升くらいのでかいのだったね。
後は 伸し餅で 今どきの餅の倍くらいにカットした。
お供えは やはりカビて残るので 乾燥させて 金槌でぶっ叩いて細かくし
油で揚げて 砂糖やら醤油で お菓子も作ってくれた。
父親の実家(これも婿でぇ)に行くと 雛の節句にもきれいな三色の餅をついていた。
伯母は 細かく切って ひなあられなんかも きれいに作ってくれたな。
あちこち 行くところがあって 考えたら おいらって幸せ者だったかもしれない。
考えたら 全部の親戚に顔を出していたのは おいらだけだね。
あっちの叔母の嫁ぎ先やら こっちの叔父の実家と まあ あちこち行ったもんだ。
おかげで 葬式なんぞに行っても 「えぇぇぇ!! あの×子ちゃんなのぉ!!」と言われる。
結局 おかんに根まけで 中くらいの インチキ鏡餅となりました。
中は 丸餅6個在中 これも私が食べなくてはならないのか トホホ
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