Ash Ground

09.10




僕がテントに戻ると、碗曹長がテントの外の木に凭れ掛かってこちらを見ているのが分かった。
「夜中に申し訳ありません。少し散歩に」
「4時間も散歩か、呑気な奴だな。・・・何処に行って居た」
「敵軍総本拠地の前の森まで」流石の曹長も唖然とした表情を隠さなかった。
「馬鹿かお前は。・・・それとも、あの少女に誑かされでもしたか」
・・・鋭い。当然だ、そうでもなければ曹長が務まる訳が無い。
「その少女の事ですが曹長、夜明けの出兵を少し遅らせて欲しいのです」
碗曹長は整った眉をこれ以上無いくらいに顰めた。

「あの少女がそう言ったか」
「否、これはわたくしの独断です。責任もわたくしが取ります」
碗曹長は滅多な事では能面の表情を崩さない、とは部下が言った言葉だ。
僕は曹長が悩み、苦しみ、静かに怒る所を何度も見ている。
上に立つ者だからだ。僕や曹長は、上に立つ者としての義務がある。
「何かが起こってから責任などという言葉を持ち出したところで状況が変わるか?孝軍曹」
「・・・否。しかしわたくしは、あの者を信じております」

上司は部下を死なせてはいけない。それも義務だ。
しかし、部下を信じること、それもまた、義務だ。
いや、義務というより、そうしなければ軍自体が機能しない。

「・・・言いたい事はよく分かった。テントに戻れ」
碗曹長は木に凭れた姿勢を崩さないままそう言った。少女が来るまで待つつもりだろうか。
「曹長」
「お前は疲れている。ゆっくり休め。昼には出兵する。兵力を整えよ」

この人の下で軍曹をやっていて良かった、と思うのはこんな時だ。
「・・・感謝します」僕はそれだけ言って、テントの中に戻った。

テントに入って腰を落ち着かせると、自分がどれだけ疲れているのかがよく分かった。碗曹長の言う事は、大概正しい。
緊張の糸が切れたような気持ちだった。
「もう、泣いてもいいんだよ」 そんな思いが僕を支配する。

「まだだ」声に出して自分に確認する。少女が戻ってくるまでは、まだ。

「・・・孝軍曹」涼やかな声に起こされた。どうやら知らぬうちに眠ってしまったようだった。
瞼を開けると、目の前に少女が居た。服が血みどろだったが、返り血のようだと分かって安心した。
「終わりましたか」
「えぇ」
僕と少女はどちらからともなしに微笑んだ。

貴女を待っていた んですよ。終わりの後は始まりです」
「私の命は貴方のものですと前に言いましたよ、軍曹。お傍に居させて頂けますか?」

今度は貴女に始まりを見届けて貰います、と言うと、少女が初めて年相応の笑顔を見せた。





© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: