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カテゴリ: あすかあれこれ
叔父の葬儀が火葬場の都合で明後日になり
少しばかり余裕が出来ました。


嫁のお母さん、自分の叔父さんの死を通じて
何となく感じたこと。

【人は生きるために生きる。】

人間は死ぬために生き続ける(だれだっけ?)
死は生の対極ではなく一部として存在する(村上春樹だったかな)
とか、生の先に死があるとか生と死を関連付けて考えていたけど
実際の亡骸に触れて、死は生とは別の局面であって
生の終わりは物でしかないのではと思える。



生を失った物は『物』でしかない。

こんな考え方、極論かも知れないけど、
新品の棺おけに収められた叔父の亡骸にお線香をあげている
その後ろで、
棺おけを梱包していたダンボールを片付けてる葬儀屋を見て
死の世界、来世、霊的なものなど神秘的なイマジネーションがぶっ飛び
リアリティだけが、そこに存在していたのも確かです。

だから

【人は生きるために生きる。】

そう思いたいです。

さて、本題(前置き長いですね。)

あすかによると死んだら黄泉の国にも地獄にも天国にもいかない。



昼間は雲に、
夜は星になる。


そうです。何か良くないですか?

今日も実家に向かう車の中で

「あ、あれアカバァ(嫁のお母さんの呼び名)の雲だよ」
「ほほぅ」
「ほらほら、だってブタさんみたいに見えるよ」



嫁のお母さんは生前、決してブタさんみたいではありません。
アシカラズ。

もうすぐ3才あすかだけに
分かっているんだかいないんだか。。。





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最終更新日  2006.01.09 19:43:24
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