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マイケルジャクソン This is it! DVDを楽天ブックスで予約購入し、代金も決済が予約と同時に完了したはずであるが、発売日になってもまだDVDは届かない。さらにいつ届くのか?何の連絡もない。一体どうなっているのだろう??楽天ブックスよりもアマゾンの方が1%割引率もよかったし、今度からCDやdvdはアマゾンで購入するしかないとまで思ってしまった。アマゾンはすぐに届くし、メールもこまめで連絡あり。楽天のメリットは、唯一楽天ポイントが使えるってこと。これだけか?楽天で買い物して、失敗したと思った例は意外に多い。ネットだから、他と比べて見て、しまった!と思うのだろう。他がよすぎる場合に特にそう思う。本来は良いも悪いもないのかもしれない。それはそれ。何でもかんでももっともっとよいもの、もっとよい方法を相手に期待して求めてしまう。他で同じ金額で、もっと良いサービスを見つけると、損をしたような気分になったりするのはそういうわけかも。別に損をしたわけではない。ただ、連絡がのんびりだったり、楽天ブックスの場合には、決済の済んだ商品については、発送の連絡などしないだけなのかもしれない。商品は発送したら、そのうち届くよという程度の認識で商売をされているだけなのかもしれない。待っている方の身になれば、それこそいつ届くのだろうかとワクワク心待ちにしているにもかかわらず・・・、、、そんな購入者の気持ちなど、楽天ブックスのスタッフにとってはどうにも関係ないところだ。そのような部分の予約購入した人の気持ちの配慮等はしていないというだけのものである。その分、楽天市場に出品している他のCDショップ等よりも価格も安くしているというのだろうけれど、しかしやはり、インターネット上では、何も楽天市場だけが市場ではないので、アマゾンという巨大ショップから見ると、楽天に楽天ポイントのメリットが無くなってしまえば楽天市場のショップでは買い物のメリットはなしとでも思ってしまいたくなるサービスカットの価格安である。楽天市場から出れば、もっと人にフォーカスしたサービスを提供してくれるショップがいっぱい見つかる。人を無視した販売は、結果的に関わる人の運までも悪くするような気分になるので、そういうところとは関わりをしないのが得策と思う。ここは金銭では測れないものが存在すると思う。貴重なお金では買えないものを添えて商品販売しているところを選んで利用する。インターネットで買い物のメリットはそういうところがある部分だ。そんなショップとは長く付き合っていきたい。楽天で利用して良かったと思えるのは、楽天トラベル!高速バス、海外ツアー 海外航空券 国内宿泊明朗会計で判り易く、簡単便利で利用しやすい。楽天トラベルは使ってメリットあると思ってる♪
2010年01月27日
タダより高いものはなしとはよく聞いたが、なるほど、そうかもしれない。いつの間にか・・・、しばらく見ないうちに、この楽天ブログも商売気丸出しになって、無料で貸しているのだから、当り前(?!)だと言わんばかりに、でっかい広告を日記のすぐ下に貼り付けている。この広告は、日記作者が貼り付けた広告ではない。タダで借りているが故に、ここの貸主である大家さんの『楽天』が商売しているスペースになってしまった部分なのである。広告をつける場所としては、ちょうどいい位置なのだろうが、不本意な広告が堂々と表示されるとあっては、タダ無料というのは結果的に高くつくと感じてしまわざるを得ない。この下の広告は、大家の『楽天』が商売しているもので、日記を書いている作者とは何の関係もないことを明言しておく。
2008年11月24日
人生って恐ろしい冗談・・と言ったのは、フランス人だったらしい。もちろん日本語でそう言ったのではないだろう。(;^^)しかし、それ、実感。冗談だろ?! と思いたくなることが山ほど・・・あった。おそらく、真面目に物事を直視していたら、そう思えることがいっぱい見えるのが人生というものなのかもしれない。自分の人生のみならず、他人も同時にこのここ社会を共有しながら生きている限り、他人の人生もちらほら見えてしまう。別に覗き見しているつもりはないけれど・・・、見えてしまうのだから仕方がない。知人が自殺した。しかも二人も・・・。昨年、一人、今年も一人・・・。ショックだった。・・ったく、もー、自分のことしか考えられないのだから、自殺するってことは!!全く関係ないように思えても、かなり関係あったということが、実際にそれが起こって判った。身体からエネルギーが消えていったかのように、私自身もエネルギーが枯渇してしまったようになってしまったのである。いったい全体何が起こったのか???なぜ????悲しみとか、そういうレベルの問題ではなかった。人って繋がっているって、本当だった。・・・と言った方が早いのかもしれない。持ち直すのにかなりの時間がかかった。すべての人が同じように一定の形で繋がっているというわけではない。人には、生命的な種類があって・・・、単刀直入に言うと『たましい』のようなものに関連する何らかのものの種類かなんかが複数あって、その中でも、同種類の者たちが、なんらかの形で繋がっているのと違うのだろうか?と実感したのだった。運命の『赤い糸』の伝説は有名であるが、あれもあながち嘘話ではないのかもしれない。運命の『白い糸』や、『金の糸』、『銀の糸』、あるいは、『蜘蛛の糸』なども、もしかしたらあるのかもしれない。・・・と思えるのである。ある種のいのちの系列で直列に繋がっている『運命の銀の糸』、一か所が切れてしまうと、同時にそこで繋がっている人たちも一時的にしろ、エネルギーの停電が起こったりする。すぐさまそれに気づいて、糸の修復にかかったが、本当に大変だった・・・。命は自分一人のものではないと思え!おそらく地球上の多くの人々が同時に直列配線されているのだろうと思う。目には見えないけれど、命の糸がネットワーク配線されているのだろう。勝手に糸をきるなかれ。あちらから、糸を切りに来るときは、およそ1か月くらい前から、あらゆる準備が始まるものなのだ。しかもその人の背中に、配線カット『準備中』の貼り紙まで貼ってある!肉眼には映らないが、肉眼映像とは別のイメージが映し出されたりすることがある。同時に繋がっている人々の中で、同時に行く必要のない人たちの配線に影響が出ないように配線替えをする準備があるのだ!人の意思の力で自分の人生はいくらでも選択の自由がある。その自由を行使するならば、もっと全体のイノチがエネルギーに満ち溢れる方向へ導いて欲しいものである。
2008年11月23日
滝行の効果なのだろうか?墓掃除の結果なのか?・・・そんなことは思いたくないけれど、 一般的に言うよい知らせが入った。 父が、病院の療養ベッドに入れるようになったということ 一年待ちだったが、特養からも連絡が来ていて やっと父も自分の安心の生活の拠点が持てる 真ん中の妹が、毎週2回行ってられるためには近くに超したことは無い 妹は遠いとこは嫌と言った 本来ならば、自分ちで同居するのが自然であろうが いろいろな人間関係のもつれからそれもかなわず 現在に至る もんたが花を買ってきた 植木鉢入りの根っこが付いている花である 「これは四季咲きだそうだ」 2ヶ月前に買った白い菊がまだもっている 菊は強いというけれど 神棚の下に置いた花瓶の菊から根が生えていた。 どこかに植えてあげなくてはね そういえば、2年前の菊も2ヶ月以上葉も花も枯れずに とうとう根を出して、植木鉢に植え替えた菊がある また根を出したんだ・・・。 菊って本当に強いんだね。
2005年03月17日
昨日の墓掃除を終えて、 本日の滝行をもんたは準備していた。 つくばの白滝へいく。 筑波山は、もんたが佐田先生のところに行ったおりに 与えられた課題をこなす前行としての初歩の初歩の行を命じられた 最初の百日行の行場であった。 ・・・つまり、つくばは、もんたの母校である。 校舎は、筑波山全体。 滝場は、白滝。 ここで、2週間の断食行と合わせて、百日行を行ってきた。 そういえば、先週ももんたは滝行だったはずだ。 もんたの本格的滝行が始まって13年になるんだな。 ・・そんなこんなで、ふと何を思ったのか、 私も数年前、もんたと白滝で、最後にした滝行を思い出した。 白滝には、手前の行用の人口の3本の滝と、さらに上に登って その奥まったところに同じくらいの大きさの奥の滝がある。 奥まったところへ行くには、滝の真上に上がっていく必要があり あまり使われていないように見えていた。 滝行が終わって、少し上にある祠、神社の出張所のようなところへ 終わりましたの礼儀を整えに山を少し登る。 すると、その奥の滝が眼に入って、、 なにやら不思議に誘う光を放っているかのように、そこが映った。 『・・・・・・・・・』 と、メッセージが、、飛んできた。 どういう意味だろう・・考える間もなく、 そこでの滝行を要求されているのだなと感じた。 もんたに言った。そのときそこで見たこと。感じたこと。聞こえたこと。 。。。。もうあれから、どれくらい経ったのか 私は覚えていない。 多分、もんたは、そのときのことをずっと覚えていたのだろう。 そういえば、数日前の見た夢の後、起きてふと、口を付いて出てきた言葉が あのときのメッセージと同じだった。 何か意味のあることかもしれない? 多分、私も一緒に滝行せい!!ということだろう・・・。いろいろ難しく考えることではない。結果そうしなければならないような事態を何度も見るまで、いろいろなことが巻き起こるのよりは、やってきたメッセージの方向性をすんなり捉えて、為すべき事を為していったほうが、人的被害に及ばなくて済む。 ・・・かくて、私も一緒に同行することにした。 1年と半年ぶりの滝である。 思うことあって、滝行を止めていた。 見えないものが見え、聞こえないはずのものが聞こえる?? わけのわからない様々のものが絡み合ってくるので 自分にそれ以上の処理能力が無いため まず自分自身をしっかり確立させることが先決と感じたから・・。 内からのものと外からのものが絡み合って おかしな具合になりすると、機知外になるらしい 何のために滝行をしているのだろう? 本来の目的を違えてはいけない。 いったん滝行を離れて、自分自身をしっかり確立させよう 趣味>滝行 になっていては、何かがおかしくなってしまう ・・・そう思っていきなり滝行をやめたのだが、 ・・・・偶然か、どうやら父が最初に倒れたもう片方の脳梗塞発祥の日と ほぼ一致していたのが、、なんだか気にしてはいけないと思いながらも ふと、もしかして。。。などとおもってしまう ・・・・つくばの白滝、さて滝行を始めようと、着替えと準備が終わったそのとき 上の登山道のほうから、一人ずつ大勢の人が降りてきた。 「こんにちは」「ご苦労様です」 にこやかに挨拶されていく人も・・・。 いったい何人通過したのだろう・・・。 その光景に、ふと芥川龍之介の蜘蛛の糸を思い起こしてしまった。 蜘蛛の糸が降りてきたのかも。 いい天気だった。 下の滝で4回。もんたは3回 予想通り、その後、もんたは上の奥の滝へ向かった しかし身体はもう相当冷えているはずだ。 はじめから上の奥へ行けばよかったのに 奥の滝には何があるのだろう そこで何が感じ取られるのだろうか? もんたが入ったとき、もんたの腰の辺りに小さな虹の輪がかかった。 そうかここはもんたのための行になるんだった?! もんたはここは温かいといった。 やっぱりそうか・・・。 帰りにもんたがいった。「はじめに現れて順番にあいさつして通過していった大勢の登山客のことだけど、あれって蜘蛛の糸が降りてきたんじゃあないかと思えるんだけど」 ・・・やっぱり同じことを思う。
2005年03月13日
夢を見た。・・・数日前。「うちのお墓がある管理事務所で勤めていたおじさん」が出てきた。人と一緒に歩いていた私は、ガラス越しのビルの事務所にいるそのおじさんに声をかけようとして、同行の人々に断りを入れた。「あそこにいる人、私の知ってる人なの。ちょっと声かけして来るね♪」果て、職場を変わったのか? このビルの事務所は、うちのお墓のある管理事務所ではない。・・あれ?でもこのおじさんは、もう亡くなったんだっけ・・・・?? そんな夢を見た。 明け方の夢で、その夢を見て、何でこの人が出てくるのだろうと 夢の中で考えてしまった。・・・で、目が覚めた。 ・・・・あのおじさん、うちのお墓の管理事務所で働いていたおじさんだった。 そうか、もうすぐお彼岸だから・・。 そういえば、昨年は、父に気遣いして、お墓の掃除もしに行っていなかった。 ちょうど1年前、うちに父が来たばかりの頃、 一緒にお墓参りに行こうと誘ったら、父が嫌がった。・・・いや、、怖がったように思えた。お墓には、父の実母の骨が入っている。 おばあちゃんに連れて行かれるような、気になったのかもしれない。 ・・・もしそういうことがあったとしたら、いやだな・・と、 私は考えてしまった、あの時。 それ以来、お盆も秋彼岸も正月すらも行ってない。 もともと墓に対する信仰なんて持ってはいない。 そもそも人類の歴史に比べたら、お墓の歴史なんていうものは 無いに等しいといわれるくらい、お墓という形ができたのは つい最近のことらしい。 しかし、お墓を建立したときに、時を合わせるがごとく 当時、困窮していた妹の家庭に大きな変化が現れた。 下の妹一家のもうどうしようもない現実から、 一気に救いの手が伸べられたかのような救いの舟が出てきたのだった。 ローンで買ったお墓は、支払いだけは私が毎月全額負担して来た。 ローンの名義は、真ん中の妹の夫名義であった。 そのお墓の建立者と名義は、父の名前で、墓の前面には 『クエイッショ』と漢字で刻んである。 段取りは、縁あって私がしてきたものだけど・・・。 信仰でもなんでもない、縁あって、その偶然の縁に沿うただけのものだった。 私は、その見た夢を、もんたにしゃべった。 「墓掃除しにいかなあかんな・・・」 一通りしゃべったあと、つまりこういうことかと、 自分の口でそう言った。 そんなわけで、この日墓掃除に行った。 もんたも一緒に行くといい、掃除用具と私を車に乗っけて国道6号線を走った。 いつもは混む道路もなぜかその瞬間その瞬間、、スイスイ通過。 しかし、出発がお昼にかかっていたため、墓を触った後の、 もんたの望む滝行までは及ばない。 いつもきれいにきちんと管理してくれているのだろう。 誰かが掃除してくれたのか? 墓石も外柵もとてもきれいで、掃除がとってもラクだった。 もんたが買ってくれた花と、用意した塩と、お供えの団子2種類 おばあちゃんの好きだったプリンと、ペットボトルでお茶を備えた。 同行のもんたは今、神道で修行を継続している。 そのもんたとつきあってきた私も、それなりに目には映らないけれども 実感としての恩恵を、そこで受け続けている。 ・・・そんなわけで、墓前での礼儀は、読経ではなく、禊払いを宣り挙げる。 さて乗ってきた白い車もみると、真っ黒ホコリだらけだったことに気が付いた。 「車も洗車してあげなきゃ・・・」 「そのつもりで来たんだ」 墓の掃除をしたからといって、何の感覚も無い。 当たり前のことをして、何のことなない・・、ということなのだろう。 ふと。。、今年の管理費を支払ったのかどうか、気になった。 年間管理費は母が支払ってきたからだ。 管理費の請求書が届くところは昨年引き払ったから・・。 昨年はいろいろあって、支払いの滞りがたくさんあった。 しかし墓の管理費請求書は見なかったし、領収書も、振込用紙も 見なかった。 引っ越しましたのはがきを出したけれど、肝心の墓の管理会社が移転したのか はがきが返送されてきた。 ・・・まあ、また来たときに聞いてみようと、日が落ちて 管理事務所もしまいかけになっていたのもあり、そこには立ち寄らず 霊園を後にした。 せめて年に一度くらいは、墓掃除必要だね・・・ 独り言である。 「明日は、つくばの滝へ行く」 もんたが言った。
2005年03月12日
すごい! 脳梗塞の後遺症で寝たきりになってた90歳代のおばあさんが、『この方法』で一人で歩いてトイレに行けるようにまで回復した。・・・という話。 脳梗塞の後遺症で、寝たきりになり、足も拘縮して曲がったままの状態だった80歳代の男性が、『この方法』でトイレに一人で行けるようになった・・・という話。 これはすごい!!! 先日までは、悲惨な話ばっかりで 65歳を過ぎた高齢者は、病気をしてお金がないとなると 社会のお荷物だから、早く始末しろと言う感じで 扱われていたのが、一転して 入ってくる情報が!! 80才代でも、90歳代でも、『この方法』で『良くなる』方向へ向けてリハビリをするところがある・・という情報に変わった! 75歳だからといって、「もういいでしょう」と 言われない・・・ということ!!! 80歳でも90歳でも!!! さらに、もうこれ以上、良くなることはないと 怒鳴るようにして(実際、怒鳴った。内科部長先生が) 言い聞かされた数ヶ月前とうって変わって 奇跡ではなく、『この方法』で、当たり前のように 多くの人々が良くなっているという情報 しかも、寝たきりだった高齢者が、歩いてトイレにいけるようになったというのは、奇跡のような情報である。必ず歩けるようになる!! 絶対にまた歩けるようになる! 強く念じて、、腹底から、頑張ろうと声かけして ちょうど4日目が昨日だった。 昨日私は、異常に身体全体が痛かった。 初めての体験だった。 身体と意識が繋がっていないという体験 手首を捻挫したみたいに、物が持てない 力が入らない 高度のストレス??? 意識を調整しようにも あまりにもの 身体の痛み 筋肉およびからだの内容物が、 急速冷凍で拘縮していくような痛みだった。 それで仕事も何も手につかず マッサージ器の体験コーナーで時間を過ごしていた さらに付き合いで本屋へ行った。 そこで見つけた1冊の本 本当だろうか? 疑えばきりがないが 東大医学部付属病院の関連セミナーでも 今年16年10月より、22世紀医療という立場で この方法を、医療関係者に伝授するという。 九州の病院 川崎の病院でも 取り扱いがあり 治験例もそこそこあってのことだと書いてあった 今朝、川崎の病院を、インターネットで調べて 電話した。 一筋の光になるかもしれない!!!!! 今日はまだ、寝たきりの父も、 もうすぐ、また歩けるように、なる!!! なんてラッキーなんだろう!! ありがとう みんな !
2004年07月30日

『 親あり 子あり 孫あり 』 ヒトは、決して自然発生的にたった一人突然現れ、突然智恵を持つものではない。 多くの人々と係わり合いになり、多くの人たちの世話になりながら 大きくなっていく。 たとえどんな関わりであっても、良いも悪いも目先だけの事 すべての存在が、今そこにあってこそ、育まれていくもの この大自然のルールを、すっかり忘れてしまうと、 子供たちの人殺しが、なぜ?という疑問とともに、社会問題化され 解決の道からは程遠い論議の渦の中に吸い込まれていくのである 自然は、何でも使う 軌道修正のために 人間は、早くそのことを もっと早くそのことを 思い出さなければ・・・・ 父は、本当にラッキーだった。 最高の医師にめぐり合い、最高の待遇に迎えられ そして今、奇跡の回復に向かって 生きている!!! (脳梗塞は、本人のみの病気ではないのかもしれない。 親族一同、自分自身の日頃の生き方に心して振り返るべし。 心馳せるべし。身についてしまった気付かない汚れを落とす事によって 環境に変化が出てくる。それが結果だ。 更に事態が深刻になってしまえば、どうしようもないほど 穢れにまみれたままであろう。 改善が見られれば、汚れが少し落ちた証拠。 きれいにきれいになあれ。親の因果が子に報い・・・。 孫が人質になり、学校へ行かない、家出を繰り返す あげく孫の親や学校地域でその子を精神状態不良の障害者として扱うようになった。 こうなれば悪循環は続き、 行く末の短いその子を産んだ親が責任をとることになる。 倒れても頑張れる方を、自然は選ぶのだろうか? かくて父は、脳梗塞で倒れ、四肢マヒになり 実の娘のところに救急車が運んでも、追い返し しているところで、妻にも大変だからと見捨てられかけ・・・ 「同情なんかしたらあかんよ!!」と、妻 「骨になったらひきとってやるわ」と、実の娘 これらの全体を見てとった私は、 なんとこれは、妻や娘たちの、無茶苦茶な生き方の軌道修正を させるために、大自然があたえた試練なのだと いや、、チャンスなのだと、気がついた。 気がついたものしかできない この父とは、血縁なしで、昔子供の頃に養子縁組があったという関係で 法的には、今は何の代理も出来ない私だけれど 皆がそっぽをむいているので 私が父の代理人として 動いた。 脳細胞の大切な部分が欠落した父の姿は、本当に無能力者のパーに見える しかし、その身体の中に、肉体の中に、人間には、霊体もあり意識体もあり ミタマと呼ばれる魂もあるという。 ならばそれらを呼び起こし、軌道修正する幾ばくかの時間、頑張って持ちこたえ そして軌道修正に、共に協力して欲しい 人間は、『脳』だけではない 脳は、コンピューターのプログラム格納庫だった。 いわばハードディスクだ 決してCPUではない 母が筆写行に臨んだ。 母が滝に行った。そして滝に入った。 妹の子供が学校へ行きだした。 勉強が判るようになったといった。 明るくなり、元気に毎日学校へ通うようになった 父は・・、高度医療を実践する病院へ入院する事ができた。 何してもダメと、見捨てられていたけれど そこではリハビリで 充分戻る可能性があると 若い医師たちが励ましてくれた。 可能性と生きるチャンスが訪れ やがて幾ばくかの回復を見るまでになった 後は自然死するまで放置するか、医師に任せて別途医療行為に頼むかしかない ・・・とまで、迫られた状態から、、 他人にも何を言わんとしているのか判ってもらえるようになるまで回復した まだまだもっともっと戻る可能性がある。 リハビリ頑張れ 親のみそぎ 子に孫に 結果現る 私にも、人間は決して『脳』だけではないことを しっかりと確認させてくれた。 人間には、そこに宿る何かがあると 意識体とは別の何かがあると 意識体も結果に過ぎず 人間の本体ではないことを はっきりと見せてくれた 父よ。この機会をありがとう 他人は知ることがないかもしれぬけれど どんな人間にも、ここまで育ててもらったきっかけがある 父は、私を山奥の田舎から 一歩都会へ連れ出してくれたヒトだ。 この恩恵は、計り知れない 父がいたおかげで、やがてはたどる道の初めの方の分岐点で 行く方向を間違えずに済んだ この父をこの世に送ってくれた人々もいる そうして連綿と続く人間たちの繋がりが 今ここに確認させられる 人間は決して脳のみで生きているのではない 人はパンのみで生きるにあらず 飢えていた頃に与えられた聖書の言葉 続きは、人は神から出る一つ一つの御言葉で生きるのである と記憶にある 人は脳のみでいきているのではない 人はその本体から出るエネルギーで生きているのではなかろうか? 人の本体は、広く大宇宙とも繋がっており 他の人々の本体とも 繋がっている 汚れを取り除き、自分たちの分担分をきれいに出来れば、 自ずと結果として、整った環境が現れるのだろう。 この世が浮世で、実相の世界は別にあるといわれる所以だ。 父は七夕に、元気を取り戻して退院する。
2004年07月07日
・・・・人間とは何か? 究極の問いに、問いつづけます。 肉体に宿った意識体を持つ何か? 健全な肉体のある間だけ、生かされている生命体? 『人間とは、脳である』と断言した自己啓発セミナー屋さんもいたけれど・・・。 全く、人間が自己を表現しえなくなったとすれば、もはやそこには人権など存在しないかのように取り扱われてしまう病院というところ。 今回も、父はラッキーだった。 高齢ゆえに、そんな身体になってしまって、もう治る見込みもない もうどうしようもない そんな身体のままで、 生きていて何の楽しみがあるのだ?と 医療関係者方々の口からもらされ、、、 社会復帰する年齢でもない できる状態にない ただ生きているだけで、自分以外の他人様の手を借りる必要に迫られてしまう。 人手と、その他諸々の費用もかかり、だからといって いったい何の役に立つというのだろう こうして、肉体の弱った高齢者たちは 一端、病院に運ばれたとしても、 少しでも改善に向けての治療というものではなく、 なるだけ早く逝けるように、点滴の中身もただの水だけ 酸素吸入? 徐々に酸素の量を減らしていき、自然死??へと誘う これらすべて医者の範疇に委ねられた医療行為の一環となっている現実とは!! 平成16年6月2日の読売新聞の記事中に、それを見つけ、 ああ、やはり、あの医者がほのめかして教えてくれたことは 本当だったのだと確認させられたのだった。 社会問題 高齢者社会の持つ社会問題と、いわれているらしいが いままだ充分に生きていない若年の知識人や、時間と目先の金銭に追われる やすもんの政治家たちや一般的に知識人と呼ばれる無感動の評論家たちが 人間個人の問題を、社会問題にすりかえてしまっている。 すると、自らの問題に気付くことが手遅れになってしまう今の日本の社会 『 親あり、子あり、孫あり 』 この一節を深く噛みしめて、生きていくことができれば、 日本の社会問題であるといわれる高齢者問題など、問題ではなくなる。 いったい自分は、どこからどうやって生まれてきたのと思っているのだろう 一体自分はどうやって育ってきたと思っているのだろう すっかり忘れてしまった事が多すぎる きっと、きっと、すっかり忘れてしまっているのだろうと、私は思う。 ・・・まだ育ち盛りの子供たちが、人殺しをする時代になった。 決して、子供たちのせいにしてはいけない 子供たちは、ただ使われているだけだ!!! 大自然に。 無感動・無感覚になって、すっかりロボット化した脳で 日本の社会を牛耳ってしまっている大人たちが、用がなくなったからといって 簡単に親を殺してしまう。 いや、もちろん!! 大義名分こそあれ!! ガンの苦しみから逃れさせる為に もうこんな姿で生きていてもしようがないから 親を生かしておくことによって、共倒れするのを避ける為に ??????? いろいろあらあ~な 本当は、なぜ、そんな状態になってしまったのか? ヒト整理しなくてはならない時期に入っただけなのに いや、実は、、 家族全体、親族全体が 軌道修正を、迫られている一大事だというのに それを、子供の事が大変だから、もう親のことにはかまってられない など 子供が大変なのは、親のことを放ってしまうようなそんな基本を持つ その生き方に起因しているからに他ならないだけなのに。 そこが変われば、子供の大変なことも、同時に解決するものなのに 時代は、社会全体に広がって、社会全体で清算させようとしているようだ。
2004年07月05日
あっという間の数ヶ月でした。 なんと、父生きていたのです!! (しぶとい!) やはり、人間は、その寿命まで生きるのでしょう。 しかし、『四肢マヒ』という・・・、いわゆる手も足もナメクジ状態!!! 自力で立つ事もできなければ、座る事さえできない寝たきり。 ただ,意識だけが生き残っていて、他はもう既に死んでしまったのではないかと そう思えるほど、その目の表情には無関心の手足身体がついていました。 スクラップの中に封じられた意識が、こちらに向かって何か訴えたそうにしています。しかし、のどの筋肉も動かす事ができないのでしょう。声になりません。 人間とは何か? それはそれは精密なロボットで、実に正確にエネルギー原則どおりに動いているものです。 偶然、父倒れるのメールをもらう前に、脳と意識の関係の臨床レポート本を購入し、読んでいるところでした。 脳と意識の関係。 ・・・・・・・・・
2004年03月05日
2004年 1月、『 父 倒れる 』のメールが届きました。 いままで世話になった。 ありがとう。 と、みなに伝えてくれとのこと・・、と添えられて。 父は、これまで、何度も倒れていました。 脳梗塞で・・・。 ノーコウソク・・・。 その度に、見事な復活を果たし、年始には、いつも近況報告と共に 『 ま だ く た ば り ま せ ん 』とワープロの文字が、勢い良く賀状に乗っかってやって来てたのです。 その父が・・・、今年は、これ。 (もう逝ってしまうと、言う合図なのだろうか??) これまでと違った父からのメッセージの伝言を受け、 明日に控えた娘の誕生日を、そっとそこに その晩、私は夜行に乗り込みました。
2004年01月12日
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