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先月21日(土)に再びJR奈良線の東福寺駅に降り立ちました。京都女子大学の学舎で開催された公開講座を聴講するためでした。この駅での下車は、私が京都国立博物館に行く時の径路の一つです。冒頭の瀧尾神社は先日再訪記をご紹介しました。石鳥居は本町通に面しています。こちらは南側にある朱塗りの鳥居です。鳥居をよく見ていただくと、柱の上部、島木の底面に接する箇所に台輪が設けてあります。稲荷鳥居(台輪鳥居)の形式です。現在の地図表記では、瀧尾神社は本町11丁目に所在します。この鳥居の近くから東方向は、鳥居前野東西方向の道路の両側が、 この町名になります。この道路は「五葉の辻」と呼ばれていて、泉涌寺(センニュウジ)への古道だったそうです。地名の由来は、五葉の松があったことによると言います。(資料1)これが今も「泉涌寺五葉ノ辻町」として地名に残っています。天正年間(1573-1592)に一筋北に新道ができ、そちらが泉涌寺道になったことで、この道は古道になったそうです。(資料1) かつてのこの泉涌寺への道(五葉の辻)を経由して、東山七条の交差点へと歩くことにしました。 今ではこの五葉の辻は普通に民家が立ち並んだ普通の住宅街です。 道路の北側に小さなお堂があります。地蔵堂かと思って近づくと、手前に「大日如来」と刻された香炉石柱が立っていました。格子扉越しに小堂内を拝見しましたが、太陽との位置関係もあり中は暗くて見えませんでした。画像処理して眺めて見ますと、堂内に遮蔽の仕切りが設けてあるようで、本尊は拝見できません。道路沿いにある小堂は殆どが地蔵堂で、大日如来が祀られているのは少ないと思います。 現在の道路を東に歩めば、「東大路通」に出ます。この景色は東大路通の南方向を眺めた景色です。通りの向こう、東側は「泉涌寺雀々森(ズズメガモリ)町」。東大路通でかつての古道は途絶えています。左折して、東大路通を北に進みます。 「いまくまの商店街」のアーケードが見えます。 交差点近くに、「智積院」まで10分の標識が出ています。 ここは、「泉涌寺道」交差点です。北側の角に、「泉涌寺道」の道路標識が見えます。 交差点を東に横断しますと、角に立つのがこの標識。「泉山御陵」は、京都市東山区今熊野泉山町にある陵墓の総称。(資料2)地図を見ますと、泉涌寺があるのは「泉涌寺山内町」その北東隣りが「今熊野泉山町」です。ここには数多くの陵墓があります。 この坂道が泉涌寺道。道路の北(左)側は泉涌寺門前町、南(南)側は泉涌寺東林町です。さらに上れば山内町で、即成院(ソクジョウイン)、那須与市墓所、戒光寺(カイコウジ)、泉山、新善光寺とお寺が連なっています。その先に泉涌寺が位置します。陵墓への参道入口が手前にあります。 東大路通の東側歩道を北に進みます。北西方向に石柵と樹林が見えて来ます。 「新熊野(イマクマノ)神社」です。白河上皇が法住寺殿を設けて、院政を始めたとき、熊野の神霊をこの地に勧請しました。神社の造営を担当したのが平清盛です。「白河天皇法住寺稜」の御紹介をした折に触れています。 この神社の北側は少し小高い地形になっています。以前探訪した時に歩いています。自然の地形なのか、土塁のようなものが築かれた結果なのか、私には判断できませんが。 先に進みますと、右側にこの坂道が見えます。南側角に、「鳥戸野(トリベノ)陵 中尾稜」と刻された道標があります。「鳥戸野稜」は、上記の泉山御陵に続き、泉山の一峰上にあります。一条天皇皇后定子陵以下1陵6火葬塚がある御陵です。中宮定子に仕えたのが『枕草子』を書いた清少納言。中宮彰子に仕えたのが『源氏物語』を書いた紫式部です。中宮定子は皇后定子のこと。「中尾陵」はこの坂道を上ったところで、今熊野宝蔵町にあります。仁明天皇の女御沢子の御陵だそうです。藤原総継(フサツグ)の女で、仁明天皇の女御となり、光孝天皇をはじめ三男一女を産んだ人です。鳥戸野稜と中尾陵は、今熊野川の渓谷を挟んで相対する位置になります。(資料1)余談ですが、調べてみますと、一条天皇円融寺北陵は、京都洛北の竜安寺内にあります。(資料3)中宮彰子、つまり一条天皇皇后であり、後に太皇太后となった藤原彰子は、宇治市内の宇治稜が墓所になっています。この坂道は、手許の地図を見ますと「醍醐道」と記されています。東山越えの道で、別名「滑石街道」とも称され、府道118号勧修寺今熊野線です。 この道路を横断しますと、空地が見えます。東の方に石段が見えます。立ち寄って見ますと、 公園です。地図には「宝蔵公園」と記されています。今熊野宝蔵町の区域の北西隅になりますので、公園名は町名に由来するようです。 石段上からの西方向の眺め。この景色の右(北)側が谷間状になっていて、JRの鉄道線路が通っています。東海道本線(JR琵琶湖線)が通っている幹線路です。 東大路通は、谷底を走る東海道本線を跨ぐ形になっています。その橋が「今熊野橋」です。橋上は工事が継続中であり、スッキリした橋を撮れません。そこで南詰東側の親柱だけを撮りました。この橋を渡れば、智積院はほんの少し先です。智積院は別稿としてご紹介します。ご覧いただきありがとうございます。参照資料1)『昭和京都名所圖會 洛東-上』 竹村俊則著 駸々堂 p532) 泉山御陵 :「コトバンク」3) 一条天皇円融寺北陵 天皇陵 :「宮内庁」補遺泉山御陵参道【道標】 :「フィールド・ミュージアム京都」御寺 泉涌寺 ホームページ泉涌寺 :ウィキペディア中尾陵 花洛名勝図会 巻六 画像45 :「国際日本文化研究センター」Kyoto Japan【4K】醍醐道を歩く(妙法院→東大路通→東山七条→智積院→今熊野→滑石街道 滑石峠→大石神社→新十条通→坂上田村麻呂墓→小野駅)Walk the Daigo-michi St. YouTube ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)探訪&観照 京都・東山 瀧尾神社ふたたび -1 唐破風の拝所と瑞垣 へ 2回のシリーズでご紹介。こちらもご覧いただけるとうれしいです。スポット探訪 [再録] 京都・東山 新熊野神社スポット探訪 [再録] 京都・東山 泉涌寺山内 即成院と戒光寺スポット探訪 [再録] 京都・東山 泉涌寺周辺の散策 御陵群・善能寺・来迎院スポット探訪 [探訪] 京都・東山 今熊野観音寺探訪 京都・東山 泉涌寺と周辺を巡る -1 瀧尾神社・泉涌寺道(古道)・勝林寺 2019年に7回のシリーズでご紹介。
2023.11.08
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JR南草津駅前広場のモニュメント母の介護やその他事情で長らく参加できなかったウォーキング同好会に久しぶりに参加しました[3月25日(土)]。天気予報がコロコロと変化する頃でした。前日の天気予報で実施が決定。当日の天気予報は曇りに変化していました。改札口前に9時半の集合です。駅前からロクハ公園まで歩き、公園内で「闇汁」会。昼間に持ち寄り食材による野外昼食会です。恒例の名称が闇汁会です。従来は12月恒例実施だったのですが、前回できなかったのでこの3月に持ち越された結果でした。俳句で「闇汁」は12月の季語です。お陰で、私には久しぶりに参加できたウォーキングに加え闇汁会にも参加できた次第。ウォーキング参加の記録を兼ねたご紹介です。当日、デジカメを持たずに参加しましたので、ロクハ公園に至るまでの途中の写真は同好会で写真係を担当していただいたHさん、Mさんの写真を一部借用(☆マーク付)します。2015年12月に、この同好会で草津駅からロクハ公園まで歩いています。今回のルートは南草津駅が出発点になりました。先頭を行くリーダーに付いて歩くとルートを断片的にしか記憶していない結果になりました。地図を後で確認しますと、ロクハ公園は南草津駅から東南東方向になります。ウォーキング目的ですので、公園までの往路のルートは少し遠回りぎみに歩きました。野路地区を通り、松下中央の交差点を経由して、 ☆「桜ケ丘4丁目2」の住所表示板が見える歩行者道を進みます。 ☆名神高速道路を眺めつつ横断し ☆ 立命館大学前を経由して北東方向に転じます。 ☆その後、しばし名神高速道路沿いを歩くことに。 ロクハ公園の南の入口に到着。入口傍に設置された案内図です。赤丸を追記したところから公園に入ります。青丸を追記した辺りが今回の到着場所(バーベキュー広場)です。”「ロクハ」は、昔は「緑波」と記され、文字通り背景の木々の緑を映して静かに波うつ「緑波池」が名の由来です。「リョクハ」と呼んでいましたが、なまって「ロクハ」と呼ばれるようになりました。”という経緯があるそうです。(資料1) ☆ ☆ ☆ ☆ バーベキュー広場に至るまでの公園内散策路沿いの景色 闇汁会実施場所近くからの眺め ☆ 闇汁会終了後は現地解散です。大半のメンバーはほぼ一緒に、帰路はロクハ公園の北西側にある正面ゲート(茶色の丸を追記したところ)に向います。 ☆ ☆ 多目的広場 「愛こそが平和をかなえる」というフレーズが刻まれた石碑の後に、モニュメントが建立されています。 ☆ 「くるくるランド」の標識案内が設置されています。 ☆ 正面ゲートへの直線道路への角から南方向を撮った景色左奥側に屋外プールの施設が見えています。後は少し戸惑った箇所がありましたが、南草津駅前の高い建物を目印にしながら、かがやき通り沿いに進み、野路町の交差点で国道1号を横断してそのまま進みます。 左折して、南草津駅口の交差点へ向かう角地に建てられたこの案内板に気づきました。 「野路玉川古跡」の案内碑です。野路の玉川は諸国六玉川の一つに数えられていました。左側の絵は、歌川広重が描いた近江野路の玉川の浮世絵です。(資料2)絵の左上に、『千載集』に載る源俊頼の歌が記されています。 あすもこむ 野路の玉川 萩こえて 色なる浪に 月やとりけり (明日も来む 野路の玉川 萩越えて 色なる浪に 月宿りけり)調べてみますと、「野路の玉川」は、「玉のような清水が湧き出たという故事来歴を有する名所」で、「萩の玉川」とも称されたとか。現在は地元の人々の手により修景整備がされ、史跡としてそこに「玉川」の石標が建てられているそうです。場所は草津市野路4丁目3-26。(資料3,4)南草津口の交差点を超えれば、南草津駅は目の前です。雨に降られることなく無事、集合場所に帰着しました。ご覧いただきありがとうございます。参照資料1) ロクハ公園とは :「草津市公園事務所・ロクハ公園」2) 諸国六玉川=歌川広重= 近江野路 :「みんなの知識 ちょっと便利帳」3) 野路の玉川 :「草津市丸ごとガイド」4) 野路の玉川(萩の玉川) :「野路町内会」補遺諸国六玉川・歌川広重 :「みんなの知識 ちょっと便利帳」源俊頼 :ウィキペディア源俊頼 :「千人万首」(やまとうた)16方位の覚え方 :「セルフ塾のブログ」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらもご覧いただけるとうれしいです。歩く&探訪 [再録] 滋賀・草津 JR草津駅からロクハ公園 -1 旧東海道沿いの史跡点描歩く&探訪 [再録」 滋賀・草津 JR草津駅からロクハ公園 -2 平宗清の胴塚・木瓜原遺跡・ロクハ公園ほか
2023.04.01
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