遊心六中記
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2012年12月初旬にウォーキングの同好会で歩いたルートの探訪を記録を兼ねて再録しておきたいと思います。既に再録してご紹介している守山のホタルの関連で、思い出しました。JR守山駅を起点にして、目的地を「びわこ地球市民の森」としたウォーキングでの立ち寄り先になります。 JR守山駅前~三津川沿い~小津神社~赤野井~洲本町~びわこ地球市民の森こんな感じのウォーキング&探訪でした。冒頭の画像は、ひとつの川の中が3本の小川のように別れている景色です。 こんな説明板がありました。 こんな看板が河辺に建てられています。 最初に訪れたのが「小津神社」です。由緒・神像・本殿について 石板に説明文が刻されています。境内の建物に、立派な神輿が安置されていいます。 少し関心を持った点を手許の諸本とネットで調べてみました。*小津君 『日本の神様読み解き事典』(川口謙二編著・柏書房)には、神としての掲載はありません。ネット検索で、日本武尊の系図を取りあげているのを見つけましたが、孫までは系図に載っていません。 *宇賀之御魂命 上記事典は「宇迦之御魂神/倉稲魂命」と表記。同一と判断しました。 『古事記』では、スサノオノミコトとカミオオイチヒメノミコトとの間の御子 『日本書紀』では、イザナギ・イザナミノミコト二神の御子 であるとしているとのこと。この不一致なところがおもしろいですね。 ウカはウケ(食)と同じ意で食物の意味、つまり穀物霊の神樣のようです。*長刀踊 ネット検索すると、季語にもなっているのです。こちらからお読みください。 なんと、「千四百年前、琵琶湖氾濫により流出した神霊を迎えた際に、奉納したのが始まり。」なのだそうです。ちょっと、驚きです。しかし手許の数冊の歳時記には季語として掲載はされていません。そんな例もあるのですね。 毎年5月に小津神社では、「長刀振り」とそれに続く「田楽踊り」を総称して、「長刀踊り」と呼ばれる行事が行われているそうです。こちらからご覧ください。(滋賀・びわ湖 観光情報) また、竜王町では、「山之上の長刀踊り」が「ケンケト祭り」の一環として行われています。こちらをご覧ください。(竜王町 滋賀伝統文化再発見 :「滋賀文化のススメ」) 長刀踊を「帯掛ケンケト祭り」として東近江市所在の神社数ヶ所で行われているのも知りました。こちらをご覧ください。(帯掛ケンケト祭り・東近江市 滋賀伝統文化再発見 :「滋賀文化のススメ」) 尚、小津神社を含めて、文化遺産データベースには、「近江のケンケト祭り長刀振り」として登録されています。最近滋賀県を歩くと、このあたりから三上山が見えるか?どのように見えるだろうか?ということに関心を抱いてしまいます。関心を抱くと楽しみが増えました。 赤野井に向かう途中で眺めた三上山友人のブログ、そこから導かれて八田正文氏のHP(写真ステージ「近江富士」→ 三上山スペシャル)を拝見してからの影響です。 赤野井には、浄土真宗の西本願寺・東本願寺それぞれの別院がほんの近くに位置しています。まるで、京都の両本願寺が東西に並んでいるようです。こちらは両別院の距離がもっと接近しています。仲良く並んでいるという感じです。最初に訪れたのが東別院(東本願寺、真宗大谷派)です。 本堂の軒丸瓦には「東」という文字が陽刻されています。 そして、こちらが西別院(西本願寺、真宗本願寺派)です。 これは太鼓楼だとか。中は拝見していません。中には多分、大きな太鼓があるのでしょう。本堂は同じくらいの規模です。お寺の雰囲気は若干異なりますね。なぜ、ここに・・・と、ネットで調べて見ると、「赤野井西別院」についての資料を見つけました。こちらから入手できます。(守山市)蓮如上人の時代に、金森や赤野井周辺の人々が本願寺門徒となり道場建立をしたのが起源だとか。蓮如上人が若い頃にこの守山のちまで足を運んでいたようです。「顕証寺」という寺になったときに、蓮如上人の六男・蓮順淳が初代住職を務めたといいます。東別院については、検索で真宗大谷派の「別院紹介」のページにたどり着きました。「赤野井別院」という項で簡略に説明されています。「十二代本願寺を継がれた教如上人が退かれて、別派独立されたとき、湖南地方六十ヶ寺の参加を得て、上人の為に新堂を建立された。」ことに起源するようです。境内には本願寺第十二代・教如上人の墓所があるのですが、ウォーキングの時には気づきませんでした。別院に近いところで、「小津若宮神社」というのを見かけました。傍を通り過ぎただけですが、なかなかの規模でした。ここは、最初に訪れた「小津神社」の末社になるようです。 (滋賀県神社庁)その後、少し奥まったお寺の門になっている上掲の東別院前を通過します。そして、赤野井では、もう一つ、史跡となっている「大庄屋諏訪家屋敷」です。 屋敷の門の入口から少し中を覗かせてもらいました。 わかりやすい説明板が設置されていて助かります。ネットで得た資料として、守山市広報(8月1日号)が「新たな観光コース」と言う記事で、この諏訪屋敷が「諏訪円忠が足利氏に従って赴任し、その後裔が江戸時代にこの一帯の大庄屋になった屋敷。母屋、客殿、庭園など、江戸時代の大庄屋の建物が保存されている」と述べています。この記事の一項目として、「 5. 蓮如歯型の葦の葉 赤野井の浜に自生する葦の葉に歯形のような跡があり、蓮如の歯形のある葉として伝わる。」というおもしろい一行があります。たまたま、ネット検索していて、これを紹介されているサイトを先に見ていて、結びつきましたので、どんなのか序でに触れておきましょう。「照光寺」というブログの「赤野井別院」という記事の中程に写真が掲載されています。この後、洲本町に入り、いよいよ「びわこ地球市民の森」に踏み込みました。この四阿のあるところで、恒例・昼間の通称闇鍋会を実施。一時雨もよいでしたが、闇鍋会を始めるころには雨も止み、なんとか野外闇鍋を楽しむことができた次第です。私はもっぱら、鍋奉行ではなく、おいしくいただく方に専念するひとときでした。 青空が見えるようになった時の景色 ここからも、三上山が眺められます。帰路は、少し歩いたところのバス停から、守山駅に戻りました。待ち時間20分ばかりが寒かった!ご一読ありがとうございます。【 付記 】 「遊心六中記」と題しブログを開設していた「eo blog」が2017.3.31で終了しました。ある日、ある場所を探訪したときの記録です。私の記憶の引き出しを維持したいという目的でこちらに適宜再録を続けています。再録を兼ねた探訪記等のご紹介です。再読して適宜修正加筆、再編集も加えています。少しはお役に立つかも・・・・・。他の記録もご一読いただけるとうれしいです。補遺小津神社 長刀踊り :YouTube小津神社 長刀まつり :YouTube22.小津神社 ふるさと守山デジタル資料集 :「守山市」ネット検索していて、「赤野井町について」紹介されているページに出会いました。このサイトでは勿論「赤野井町の名所史跡」を紹介されています。(作成者はこの町に生まれ育ち、町をこよなく愛されている赤井さんです。)赤野井の立地もこのTOPページでご理解願えるとおもいます。 びわこ地球市民の森 園内散策マップ蓮如 :ウィキペディア 「寛正6年(1465年)1月8日、 延暦寺は本願寺と蓮如を「仏敵」と認定、翌1月9日、同寺西塔の衆徒は大谷本願寺を破却する。3月21日、再度これを破却。蓮如は祖像を奉じて近江の金森、堅田、大津を転々とする。更に蓮如と親友の間柄であった専修寺(真宗高田派)の真慧が、自己の末寺を本願寺に引き抜かれた事に抗議して絶縁した(寛正の法難)。文正2年(1467年)3月、延暦寺と和議。条件として、蓮如の隠居と順如の廃嫡が盛り込まれた。廃嫡後も有能な順如は蓮如を助けて行動する。」 という記述があります。赤野井別院には、此の頃一時的に居住されたのかもしれませんね。 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)
2017.06.28
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