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写真は本文と関係ありません。4月13日(月)今日は「公共の福祉」というキーワードについて少し纏めてみました。題材は、日本国憲法と、コロナ禍の中で垣間見られる残念な人々の行動です。先週から始まった7都府県での緊急事態宣言発令。一般市民に関係する主な内容は、外出自粛要請と事業者の休業要請でした。その後、愛知県、岐阜県、三重県が府県独自で緊急事態宣言を発令。一早く独自の緊急事態宣言に突入した北海道も、再び緊急事態宣言下に入りました。そのような事態の中で、残念ながら「頭が悪いんじゃないか」と思われる人々の行動も見られました。これには少々イラっとさせられました。 何を考えているのかと・・・。我が街とお隣合わせのの茨城県は、対象地域に含まれていないことから、自主的に休業している一部の施設を除いて、パチンコ店などの遊興施設は開いています。このパチンコ店を目指して、東京都、埼玉県、千葉県のパチンコファンが押しかけたのだとか。自分の目で確認したわけではありませんが、報道等によると、足立や柏といったナンバーの車が多かったそうです。新型コロナウイルスを抱えて越境した方がいるのかもしれませんよ。今、人の移動が一番慎むべき行為なのです。 何故利根川を越えてパチンコなのか。一部の人の行いによって、社会が崩壊する危機に面してしまいます。地元の人たちは、「勘弁してよ」という気持ちでしょう。また、長野県の軽井沢町のスーパーには、品川ナンバーや世田谷ナンバーの車が多数見られたと話題になりました。感染者数が少ない鳥取県でも同じ現象が見られているのだとか。宮城県でも関東圏のナンバープレートを付けた車が増えているそうです。このような人たちの行動を考えると、「基本的人権」と「公共の福祉」の関係は、と思わざるを得ないのです。これは先日書いた「私権の制限」とも密接に関係します。改めて日本国憲法を紐解いてみましょう。全103条で構成される憲法の中で、「公共の福祉」は4か所に出てきます。全て「第3章 国民の権利及び義務」にあります。この4か所を全て見てみましょう。第12条【自由・権利の保持の責任とその濫用の禁止】 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。 第13条【個人の尊重、幸福追求権・公共の福祉】すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。 第22条【居住・移転・職業選択の自由、外国移住及び国籍離脱の自由】1 何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。2 何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。第29条【財産権】 1 財産権は、これを侵してはならない。2 財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。3 私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。パチンコそのものを否定する気はありません。様々な他の趣味と同様、平時ならば幸福の追求として楽しむことも良いでしょう。しかし今は有事です。第二次世界大戦以降、人類にとって最大の危機とさえも言われているのです。特に、第13条と第22条では、「公共の福祉に反しない限り」となっています。ここで福祉という言葉も意味を確認してみましょう。決して社会的弱者に愛の手を差し伸べるということではありませんよ。大辞林では、「幸福。特に、社会の構成員に等しくもたらされるべき幸福」とあります。では、「公共の福祉」とは何を意味するのでしょうか。日本は民主主義国家ですね。 従って国民の自由と平等が尊重されます。従って憲法でも、第11条から13条にかけて以下のことが書かれています。全ての国民は個人として尊重され、法の下に平等であり、基本的人権の享有を保障されます。また、国民が保障される自由及び権利は、国民の不断の努力によって保持されなければならないとなっています。しかし、国民個々人がそれぞれの人権やら自由やらを、それぞれの立場だけに立脚し主張しあえば、衝突し混乱することは必至です。放置しておくと人権を大幅に侵害される人も出かねませんね。このような事態を避けるために、決め事を設けお互いの人権を少しずつ制限せざるを得ません。スポーツ競技のルールと同じです。「自由・権利」とは、「何をしても許される」ということではありませんね。これを一番明確に表しているものは法律や条例などです。しかしこれは、健全な市民として社会生活を営むには最低限のルールです。もう少し視野を拡大すると、やや内容が曖昧なきらいはありますが、社会規範やモラルも含まれるのでしょう。「公共の福祉」とは、これら全体を指しているのです。ある場合には「私権の制限」も止む無し、とは、この「公共の福祉」と齟齬を生じる際、尤もなことだと思えるのです。ごちゃごちゃ書きましたが、簡単に言えば、個々人の行動が他人にどのような影響を及ぼすのかしっかり考えて動けよ、ということです。作用・反作用という言葉がありますが、他人に与えた影響は、直接的、間接的に自分にも跳ね返ってきます。今回のコロナ禍は間違いなくこの事が言えます。今、医療関係者や保健所職員の方々はたいへんな思いをされて、自らのリスクを顧みず、新型コロナウイルスとの戦争の最前線に立たれています。大変尊敬に値することですし、社会全体として感謝しなくてはならないことです。しかし疾病対策の専門家である医療関係の方々ですら、感染してしまう事実があります。このウィルスはとんでもなく手強い相手のようです。日本に先行して戦闘状態に入った欧米諸国も、未だに抑え込むことに成功していません。英米独仏伊西の6か国で、120万人弱の方々が感染してしまいました。そして8.6万人もの命が奪われてしまっています。舐めて掛かったら勝てない相手です。人口密度が高い場所を好みます。 人にくっついて移動します。まさに人の社会性という本能的行動パターンにミートしています。医療機関だけではなく、警察や消防、福祉施設でもクラスターは発生しています。身勝手な行動は重要な社会システムをも崩壊させてしまいます。感染拡大は人と人の繋がりも断ってしまいます。 コロナとの戦いが終わった後に残っていたのはズタボロの社会だった、そのような残念なことにならないために、全ての人の今の行動が肝要なのです。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2020.04.13
写真は内容と関係ありません。法律の専門家ではありませんから、内容に間違いを含んでいるかもしれません。あくまでも私見です。4月9日(木)3月13日に成立した新型インフルエンザ対策特別措置法の改正議論の中で、改めて「私権の制限」というキーワードがクローズアップされました。新型インフルエンザ対策特別措置法は2012年の制定。21世紀に入り、2003年に高病原性鳥インフルエンザ(A/H5N1)が人に感染し死亡例が発生。世界中で流行すれば日本でも多数の死者が出ると恐れられました。更に2009年には、豚インフルエンザと呼ばれた新型インフルエンザ(A/H1N1)が流行し、従来の季節性インフルエンザよりリスクが高いインフルエンザの出現が続きました。その時間軸の中で、2008年に感染症予防法を改正し、法令上「新型インフルエンザ」を明文化し、更に特措法を制定した経緯があります。従来の新型インフルエンザ対策特別措置法の基本方針は、1.感染拡大を可能な限り抑制し、健康被害を最小限にとどめる。2.社会・経済を破綻に至らせない。であり、緊急事態発生の際の措置としては、①外出自粛要請、興行場、催物等の制限等の要請・指示②住民に対する予防接種の実施③医療提供体制の確保④緊急物資の運送の要請・指示⑤政令で定める特定物資の売渡しの要請・収用⑥埋葬・火葬の特例 ⑦生活関連物資等の価格の安定⑧行政上の申請期限の延長等⑨政府関係金融機関等による融資等でした。 今回の改正は内容の改正ではなく、新型コロナウイルスが特措法の対象になることを明確化したに過ぎないようです。そもそも、従来の特措法の第2条において、「新型インフルエンザ等とは新型インフルエンザ等感染症及び、全国的かつ急速なまん延のおそれのある新感染症」が対象であると規定されています。 (感染症法第6条7項及び9項で規定する感染症です)従って、改正することなく緊急事態宣言を発令し、①~⑧までの措置を実施することは可能であるとの意見も見られました。この辺りの経緯は、政治的思惑の臭いもするので省略します。このような経緯に鑑みますと、今更ながら「私権の制限」が取り沙汰されるのは奇異な話に感じられます。制定された2012年に至る中でも、散々議論された事柄だからです。そもそも私権とは何なのでしょうか。大辞林によると、「私法関係において認められる権利の総称」とされています。一方、公法関係における権利は公権と呼ばれます。私権とは、具体的には財産の帰属に関する権利(財産権)や、生命や自由、名誉などに関する権利(人格権)、家族関係に関する権利(身分権)などの権利を指しています。この私権の行使は、民法第1条(基本原則)において、1 私権は、公共の福祉に適合しなければならない。2 権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に行わなければならない。3 権利の濫用は、これを許さない。と定められていて、無制限に認められる権利ではないことは明白です。さてもう一度、特措法にある措置の内容を見ますと、①外出自粛要請、興行場、催物等の制限等の要請・指示と、③医療提供体制の確保が、特に「私権の制限」に大きく関わってくるようです。現在、緊急事態宣言の対象とされた都府県の知事と国との間で、①のうちの「興行場、催物等の制限等の要請・指示」の対象とされる業種について、具体的な協議が続けられています。このことに関して、緊急事態宣言が出される前に決定していなかったことに驚きを隠せないところです。争点は、感染拡大の抑制と社会・経済の維持の綱引きなのでしょうが、中途半端な状態が長びくと、対象と目される業種の事業主の戸惑いは深まるばかりです。そうこうしているうちに、警察、郵便局、医療機関、サークルなど、新たに大規模なクラスターの発生が報道されています。保育園などの開園も混迷を深めるばかり。首都圏など大都市圏はもとより、地方での感染拡大も加速してきました。事態がここに至り、行政からの指示待ちでは埒が明かないと、自主的に休業を決めた事業主も出てきました。また飲食業を中心に様々な取組も行われています。これらはコロナ禍が収まった後に、新たなビジネスモデルの芽になるのかもしれません。一方では、所得補償無しでは休業できないとの意見も多く聞かれます。今の状況では、どちらが正しい選択なのか軽々には言えませんが、兎にも角にも足並みが揃わない状況が続くと、実効性が上がらないことは明らか。今日、東京都では180人を超える感染者が確認されました。数字の伸びは留まるところを知りません。 既に病床が足りない状況のようです。この際、「私権の制限」は✖だなどと騒がずに、諸外国と同様、強制的に外出禁止と休業を求めてはどうなのでしょうか。休業補償とのセットは論を待ちませんが、何よりもスピーディな対応も肝心です。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2020.04.09
12月13日(金)いよいよ12月も10日過ぎ。三週間も経てば令和元年も暮れ、新年が始まっていますね。写真は本埜の夕景を舞うコハクチョウ・オオハクチョウ。お食事処から塒へと帰るところです。利根川下流域を訪れた帰り道に寄りました。縁起物のツルではありませんが、冬らしい情景を醸し出してくれます。さて、秋の北海道旅行の日記の中で、宿泊した花咲漁港の「民宿いわさき」関連から今年のサンマ漁の不調ぶりについて触れました。花咲漁港は日本で最もサンマの水揚げが多い漁港です。岩手県の大船渡漁港や宮城県の気仙沼漁港も有名ですが、それぞれの水揚げ量をグンと引き離し、毎年ダントツの一位です。その花咲漁港で、今年は8月~9月にかけての水揚げがほぼゼロに等しかったのです。10月初旬以降は何とか持ち直したとのニュースもありましたが・・・。そのような事情から、我が家に戻ってからもサンマ漁のことは気に掛けていました。そのような中、先日の読売新聞では遂に歴史的不漁の記事が載ってしまいました。記事の元は12月6日に公表された、全国さんま棒受網漁業協同組合による11月末までの水揚げ量の集計。この資料を紐解くと、平成30年の118,207トンに対して、令和元年は37,715トンで前同比は32%。平成30年も決して大豊漁とはいえないのですが、それに対しても何と約7割も減少しています。 地域別には、花咲漁港が65%減、大船渡漁港が68%減、気仙沼漁港が78%減。どこも苦しい中、南に行くほど影響が大きいようですな。嘗ては(といっても10年ほど前ですが)、銚子漁港にも大量に水揚げされていたのですが今年は皆無に等しい状態です。尤も銚子沖でサンマが捕れるのは11月以降ですから、今後若干増える可能性はあります。サンマ漁の歴史は古く、前出の全国さんま棒受網漁業協同組合の website に依りますと、約300年前から旋網漁業、明治末期以降は流刺網漁業で捕獲していたそうです。第二次世界大戦後は灯火管制が無くなり、食料増産の時代背景もあり、魚体を傷つけず効率的に大量に捕獲できる棒受網漁法が急速に主流となりました。農林水産省の海面漁業生産統計調査では、1958年には、570,508トンと今年の10倍以上の水揚げがあったのだとか。これは記録上の最高値ですが、凡そ10年後の1969年には63,288トンまで激減。その後はだいたい10万トンから30万トンの間で推移していましたが、2015年以降から不漁期に入り、今年は1969年も下回り過去最低となる見込みなのです。今からちょうど50年前の1969年も記録的な不漁だったのですね。この不漁の兆候はその5、6年前から徐々に始まっていました。このどん底の理由は不明ですが、おそらく棒受網漁による乱獲だったのでしょう。しかしこの当時は、徐々に盛り返し4年後の1973年には406,445トンまでⅤ字回復しています。このトレンドは一体何を意味しているのでしょうか。推測にすぎませんが漁獲制限をすれば、おそらく急速な資源回復は可能かと・・・。サンマは多産で年中産卵をするタフな魚種です。もう何年か様子を見る必要があるのかもしれません。しかし一部の漁業関係者にとっては死活問題です。様子見している場合か、との声があるのも事実。 現在のサンマの不漁の原因は大きく二つの要因が挙げられているようです。①台湾、韓国、中国の公海上での乱獲による資源の枯渇。②気象変動によるといわれる暖水塊の居座り。①については、日本ウナギの激減やクロマグロの資源量の減少でおなじみです。ウナギとマグロの犯人は日本ですがね。近年、サンマの漁獲量が一番多い国は台湾です。そしてその後に日本以外では中国や韓国が続きます。これらの国は1000トン級の大型船で乗り付け、公海上で根こそぎ捕ってしまうという噂です。しかし、公海上で操業するこれらの他国でも年々漁獲量が減少しているのだそうです。サンマ資源の減少はもう明らかな事実であって、各国の共通認識になっています。それでは本当にサンマは居なくなってしまうのでしょうか。この点はウナギやマグロと異なり、少し冷静に考える必要があると思われます。漁獲量が非常に多く日本人の食卓を支えてきたマイワシはどうなのでしょうか。マイワシの場合は、今から10年程前に不漁となり当時は大きな話題になりました。イワシ専門料理店は、食材確保がさぞかし大変だろうと思ったものです。また、1964年も大不漁であったようですが、現在の漁獲量は回復傾向にあり、そこそこ捕れているようですよ。また、先にも書きました通り、サンマの大不漁は過去にもあった話です。資源回復の可能性は十分あり、捕り尽くして絶滅してしまうという話ではなさそうですな。北太平洋漁業委員会で各国の漁獲規制枠の設定など、乱獲防止への共通認識の浸透と協調体制が整ってきたところでもあります。短期のトレンドで騒がず、来年以降の動向にも注視しましょう。次の問題は②なのですが、暖水塊の居座りによって、サンマの群れが日本近海に近づけなかった、或いは南下が遅れた、ということは明白な事実でであると思います。何せサンマは冷水を好む魚だからです。 その上、海の表層を泳ぐ魚だからです。表層の温度が高い海域は避けていくことは当然でしょう。これが1969年の不漁とは異なる悩ましい要因です。それでは何故、暖水隗が日本近海にあるのでしょうか。その理由は良く分かりません。が、黒潮や親潮などの海流の蛇行が要素の一つとして考えられるでしょう。地球温暖化の影響だと軽々には言えないとも思いますが、要因の一つになっているのかもしれません。サンマと同様、現在不漁のどん底にあるのがスルメイカです。こちらは産卵域といわれる東シナ海の低温傾向が影響しているのだとか。漁業は農業と異なり、大方が自然生物を相手にする生業。したがって、特に魚種による生態や分布域の解明が重要になりますね。それでもなお、いることもあればいないこともある、というごく当たり前の前提の上に成り立っている産業だと思います。そもそも海の中は全体調査が不可能であり非常に困難なことです。また研究の歴史もまだ浅いところ。 これは自然環境、生物の研究全般に言えることです。また、研究とは得てして狭い分野の木を観ることに終始しがちです。「木を見て森を見ず」、「群盲像をなでる」、となると益々真実から遠ざかることになりまねませんな。話は変わりますが、ハクチョウやオオヒシクイが田圃の二番穂を食べている姿を観ますと、人と野鳥の関わり合いについて、改めて考えさせられることがあります。稲作が普及していなかった太古の時代はどうだったのでしょう。想像の世界になってしまいますが、マコモやヒシの実を食べていたのでしょうね。仮に耕作放棄地が増えていくと、またそのようなお食事メニューに戻っていくのでしょうか。北海道ではここ数年、サンマの代わりに暖水を好むマイワシやブリが豊漁なのだそうです。知床半島の羅臼では、サケの定置網に大きなブリも入ってくるのだとか。サンマぐらいで大騒ぎしなさんな、ということかな。それにしても地球の気象変動というテーマは、まさに「木を見て森を見ず」の議論に陥りがちな悩ましい問題になっています。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2019.12.13
写真は本文とは関係ありません。北海道で写したものを適当に挿入しています。7月15日(月)「北海道放浪記 38 ギンザンマシコ」の冒頭に記しました通り、7月3日の午後4時ごろ、私の父は突然鬼籍に入ってしまいました。苫小牧東港から新潟港に向かう新日本海フェリーの客室の中で親類から訃報を聞き、何ともやりきれない焦燥感の中で、自分では為す術もなく悶々と時を過ごしておりました。取り敢えず姉と奥様に連絡を入れ、初動対応を皆に任せておりました。葬儀を執り行ったのは7月7日、七夕の日。亡き父の遺言もあり家族限定の密葬という形をとりました。父はあと一月ほどで91歳の誕生日を迎えるところ。この年で塾講師を務めており、その当日も学習塾へ向かう途中でありました。 塾では「じっちゃん先生」と生徒たちから呼ばれ、勉学のみならず人生の師として親しまれてきた存在であったとか。生涯現役を目指していた父らしく、まさに生涯現役を貫いたことになりますが、その意志の強さ、思いの強さに感銘を受け、改めて父の存在を強く感じたところです。さて、父の突然の死は交通事故によるもの。押しボタン式信号がある横断歩道上を歩行中、大型トラックに轢かれたそうです。自身でも事故現場を観てきましたが、常識的には事故が起こりえない場所でした。トラックの運転手はその場で逮捕されたそうですが、父にも過失があったのかどうかは現時点でも未だ不明です。当然のこととして、この方は刑事責任も負うわけで、嫌疑を固めるための捜査が進められているところです。起訴されるのか、不起訴となるのか、その帰趨も気になるところではあります。「証拠、証人も揃っていて状況は凡そ把握しているが、捜査内容が確定するまで事故状況の説明は待っていただきたい」というところが、○○警察署交通課の担当官のお話でした。ところで、車が歩行者を撥ねたというニュースは日常茶飯事のように目にする昨今です。我が家はこれまで、人身に関わる自動車事故とは無縁の暮らしをしてきました。少なくとも自分の生存期間中はこれまで皆無。 子供も含めて。事故を目撃したことはありますが、正直に言いますと人身事故はどこか別世界のような意識でいました。警察庁の発表したデータを見ますと、2000年以降の20年間、日本における交通事故による死亡者数は毎年減り続けています。交通事故の発生件数も減り続けているのであります。 とても良いことです。この統計は1948年から始まっていますが、昨年、2018年の死亡者数は3,532人で、過去最低の記録を更新したとのことです。しかしなお、全国では一日平均10人程度の尊い命が失われています。このうち65歳以上の高齢者に着目してみますと、全年齢の減少傾向よりも明らかに減少率が緩やかになっています。従って、死亡者数に占める高齢者の構成率は、年々増え続けているのですね。高齢人口の構成比率の増加とリニアに上昇しているのかもしれません。また、高齢者の死亡事故の大きな特徴は、当然のことながら自動車搭乗中よりも歩行中の事故が多いということです。交通事故は意外と身近なところに存在しているのかもしれません。この10年ほどで安全に関する自動車技術の進歩は顕著です。以前はエアバッグや衝突安全ボディなどの古典的なパッシブセーフティが中心でした。昨今は、自動車の姿勢制御システムから、360度監視モニター・アラーム、オートレーンキープ、衝突被害軽減ブレーキなどの、アクティブセーフティへと主眼が変わり、多くの技術は軽自動車にまで搭載されています。更には自動運転の実用化も夢ではないところまで来ているようです。これらのことが、近年の自動車事故の減少傾向に大きく寄与していることは間違いの無いところでしょう。しかしながら未だに、自動車が歩道上の歩行者に突っ込み複数の死傷者が出たといったニュースが流れてきます。また、横断歩道を横断中の歩行者を撥ねる、轢くといった、本来あり得ない、全く想定外の事故も散見されます。自動車対自動車、或いは自損事故が減少してきたことから、むしろこのような事故の方が際立ってきた感があります。これらの歩行者が被害者となる事故は、何故発生してしまうのでしょうか端的に言えば、やはり運転者の脇見運転、余所見運転、居眠り運転など、注意力が散漫な状態での運転態度に問題がある場合が多いのだと思います。もちろん、一方的に全てが運転者の責任とならない場合もあります。歩行者の信号無視、飛び出し、不注意な歩行など、運転者が幾ら注意していても避けられない事故もありましょう。また高齢者の場合は、運動機能に対する本人の認識と実際の運動機能のズレも指摘されるところです。最近街中で気になる事象は、やはりスマホ歩きでしょうか。以前は読書歩きをしている人もいましたが・・・。このような行為を平然と行う人は、自分自身のリスク管理が全くできていません。自動車が突っ込んでこようが、暴漢が襲ってこようが、身をかわすことさえできません。自分自身の身に降りかかるリスクさえ無関心なのですから、ましてや自分の行為によって引き起こされる他人のリスクなどに気を遣うわけがありません。また、混雑した通路を歩行中、前を歩く人が突然立ち止まったり振り向いたりして、ぶつかりそうになることもありますね。おしゃべりに夢中な複数人が、狭い通路の幅一杯に広がって呑気に歩いている姿もまま見られる光景です。自分の身の回りの状態に無関心なのか、注意が行き届かないのか・・・。とても理解に苦しむ行動であります。このような方々がハンドルを握ることがあるとすれば、それはそれは真に恐ろしいことであると思わざるを得ないのです。自動車技術はかなり進歩しましたが、現在では運転する、歩行する主体は人そのものです。従って、主体である人の在り方そのものに起因する事故は、その在り方自体が変わらない限り現状では避けがたいものとして残ります。父が突然この世から姿を消して10日以上が経ちました。しかし前述の通り、その経緯に関しては未だに深い謎が多々あります。それはそうとして、自身が歩行者の立場にも運転者の立場にも為る身です。信号に従う、制限速度を順守する、通行禁止区域は通らないなど、法令や交通ルールを尊重することは当たり前として、常時周りの状況に気を配り、他者に優しい歩行者、運転者であろうと改めて思う次第です。自動車事故の被害者、加害者は何も当人同士だけではありません。どちらにも家族・親族はありましょうし、供に社会生活を送る仲間もいましょう。父の場合には、突然先生を失った生徒たちがいます。また事故発生のための渋滞に巻き込まれ貴重な時間を失った方もいることでしょう。多くの人々の暮らしに多大な影響を与えてしまいます。この世から交通事故が根絶されることを願い、歩行者、運転者を問わず、交通法令やルールの遵守はもとより、常に周りに注意を払い気を配ることを全ての人々にお願いしたいところです。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2019.07.15
画像は本日の日記の内容と関係ありません。年末の写真のうち未掲載のものを載せました。1月20日(日)今日は24節気の一つ大寒の日です。 一年で一番気温が下がる時期だとされています。朝方は薄曇りで薄ら寒く感じましたが、お陽様が照りだしてからは暖かくなっています。昨日の日記で、NACS-Jの自然観察指導員をされている、坂入さんとのふれあいについて簡単にご紹介しました。そもそもNACS-Jとは何でしょうか。日本語で言えば、公益財団法人 日本自然保護協会 だったのですね。英語表記である The Nature Conservation Society of Japan の略称がNACS-J。自然が好き、アウトドアが好きといいながら、このようなことについて無関心であったことはお恥ずかしい限りです。公益財団法人 日本自然保護協会の website を覗いてみましょう。定款には、法人の目的として以下の事項が掲げられています。「自然を調査研究してその保護の大切さを明らかにし、野生生物の生息及び生育環境の保護、自然資源の持続、生物多様性の保全等広く自然保護に努めるとともに、これらに関し人々の認識を深め、もって現代及び後代にわたる自然環境の保全に貢献すること」とあります。また、上記の目的を達成するために、以下の事業を行うとされていました。(1)自然及びその保護に関する調査研究(2)自然及びその保護に関する情報の収集、整理及び提供(3)自然保護の推進に関する施策の提言(4)野生生物の生息及び生育環境の保護復元等の自然保護に関する実践活動(5)自然保護の普及啓発のための印刷物等の刊行及び頒布、 電子情報媒体の作成、行事等の開催(6)講習会の開催等を通じた自然観察の指導員等環境教育のための人材養成(7)自然の観察及び研究を目的としたセンターの設置及び運営等を通じた環境教育の実践(8)自然保護に関する内外諸団体との連絡及び提携(9)その他本協会の目的を達成するために必要な事業最近の具体的な取り組みとしては、サシバやイヌワシの猛禽類、四国のツキノワグマ、オオルリシジミなど、絶滅の危機にさらされている種の保全のための調査、環境整備などを行っております。また、辺野古への米軍基地移設やリニア中央新幹線の建設が、自然や生態系に与える影響について問題提起と情報発信等を行っています。更に自然保護や種の保全は地球規模の話であって、重要な国際問題となっています。そのため、IUCN-J(国際自然保護連合日本委員会)事務局関連事業や、世界各国の自然保護団体との連携活動も行っています。しかし、自然保護など環境に係る問題は、単にこれらに関心が強い人だけの活動では広がりがありません。より多くの人々の共通認識とならなくてはならないわけです。自然観察指導員は、自然環境の重要性に対する共通認識の醸成と、世論形成の推進事業の一環として重要なキーを握っているようです。身近な自然観察を通して地域の方々と自然の魅力を共有し、共通の認識のもとに地域の輪を広げ、もって自然保護に繋げるというお役目です。ボランティア活動にも関わらず、既に3万人弱の方々が自然観察指導員となっているようです。こんなに多くの方がいらっしゃるのに、親爺のアンテナが極端に低かったせいか、始めてお会いした方が坂入さんです。これも何かのご縁です。 今後ともよろしくお願いします。さて、NACS-JはNGOであり、その事業はほとんどが個人・団体・法人会員からの会費および寄付金で支えられています。ご興味の沸いた方は是非・・・。 親爺も近々対応しようと思っております。NACS-Jの URL は以下の通りです。https://www.nacsj.or.jp/話はガラッと変わりますが、昨年のスルガ銀行不正融資問題では、投資用不動産の開発・販売業の杜撰な事業内容が露呈しました。中古マンション・アパートの転売や、投資用マンション・シェアハウス・アパート物件の施工・管理する一部の事業者は、何と銀行融資の審査資料を改ざんし不正な融資を引き出していたというのです。家賃や入居者履歴も手を加え優良物件に見せかけたり、顧客の銀行預金残高を水増しするなど、あの手この手で売上至上主義に走っていたのです。思い起こせばサブプライムローン問題に端を発し、リーマンショックに至った2008年。少しばかり細かい所は異なりますが、根っこは全く同じところにあります。人間とは懲りないものですな。何れ破綻し問題が表面化することは自明の理でありながら、同じようなことを繰り返す愚かさよ。事業内容が環境に合わせ進化することはあります。しかし、破綻することを前提にしていたのでは成り立ちません。何時かは行き詰まる行為など、企業活動はおろか、経済活動ではありえません。この問題は突っ込み処満載で書き続けても面白いのですが、この日記の趣旨に合いませんのでこの辺にしておきます。では何故触れたのか。この問題は単なる経済問題に収まらない、自然・環境問題にもつながる根が深い話だと思うからです。無秩序な開発と自然および環境の破壊は、トレードオフの関係にあります。野生の動植物の生息には、それぞれがそれぞれの種に適した自然が保持された環境を必要とします。ここには当然生育圏の面積の問題があります。種の保存・繁栄に必要な食料確保の問題もあります。動線の確保という問題もあります。無秩序な開発は自然環境の非連続性を惹起します。例えば塒と餌場の移動を分断してしまうなどです。こうなってしまっては、環境適応の低い種は、その場を生息場所として活用できず放棄せざるを得ませんね。土砂などの移動は、外来種を撒き散らすこともあるでしょう。そしてこれらは往々にして、様々な種間で連鎖してしまいます。パッチワーク的な無秩序な開発は、その地域全体の生態系を損なうリスクがあるのです。前述の投資用マンションやシェアハウス・アパートの開発は、未だに自然豊かな都市と農村の中間域においては、影響が深刻ものになりかねません。顧客を騙してでも目先の儲けを優先しようという一部の業者は、何故このような処にと思える場所でも、許可さえ下りてしまえば平然と開発してしまいます。自然や環境はおろか災害リスクにも配慮するはずがありません。自身の都合を最優先し開発を進めるわけです。このような乱脈開発の一方で、全国の空き家問題は一層深刻化しています。総務省の住宅・土地統計調査によれば、2013年(平成25年)において、空き家の総数は過去20年で1.8倍(448万戸→820万戸)に増加しているそうです。そのうち賃貸用住宅は約半数を占めていますし、残りの半数弱は居宅者が所有する居住用の住宅です。ああ、それなのにそれなのに・・・。何故これほどあくどいことまでして新たな住宅を造ってしまうのでしょうか。このために破壊された自然はどれほどになるのでしょうか。日本は少子化社会を反映し、8年ほど前から人口減少時代に突入しています。そして、出生率などのデータを見る限り、このままでは人口増に転じる時代は到来しないでしょう。空き家の有効活用を最優先するなど、住宅政策は包括的に早急に見直すべきです。中古物件に住めとは言いません。 少なくとも空き家の土地の再利用はもっと進めるべきでしょう。現所有者の把握など問題が山積なことは理解しています。しかし、できない理由を並べ立て、やらないで済んだ時代はそろそろ終わりでしょう。この人口減少時代は、もっと効率的なこと、効果的なことに社会資本を投下すべきです。現在の日本では、物流量も飛躍的に増えています。総重量では減少傾向ですが、小口配送が飛躍的に増加しこれに伴い物流件数は大幅に上昇しています。生産者と消費者の直接取引や、小売業者のネット販売が物流の主流になりつつあることを反映しているものでしょう。そのため、物流業者のロジスティックセンターが増えてきています。工場跡地や工業団地の空き地の活用ならまだしも、場合によってはこれまで豊かな森であった地域に新たに建設される例もあります。ロジスティックセンターは、高速道路のICや主要幹線沿いに造られることが多いですね。センターだけではなく、そこまでの幅広の道路も新たに整備されます。センターの建設自体による自然破壊ばかりでなく、交通量の増加による騒音や衝突といった、野生動物に対する新たな影響も発生してきます。さて、至極局地的なお話となってしまいましたが、一度失ってしまった自然環境を取り戻すことは容易ではありません。また、一度絶滅してしまった種は、二度と復活することはないでしょう。そのような意味では、自然や環境の問題は経済活動と同じです。破綻することを前提にはできません。過去、現在、未来が一貫性を持って持続されるよう、あらゆる面から配慮が必要ですし、そのためのコーディネートが必要です。人間の経済活動と自然や野生動物の環境の保全は、かなりの部分で二律背反します。しかし開発する場所の計画的な集約化によって、相当緩和されることでしょう。更には、魚釣りやパラグライダー、あるいは模型飛行機など、広範なアウトドアレジャーの普及も、環境には大きなインパクトを与えています。他にゴミ廃棄の問題もありますし、それ以前に食料廃棄の問題さえありますね。最近、といいましても2015年からですが、世界中でSDGs(エズ・ディー・ジーズ)という言葉がキーワードになっています。"Sustainable Development Goals"の省略です。、2015年9月の国連サミットで採択された、全世界共通の環境や開発等に関する国際目標です。「持続可能な開発目標」と日本語訳されますが、持続可能な世界を実現するための17のゴール・169のターゲットから構成されます。SDGsの前身はMDGs(ミレニアム開発目標)であって、2015年に到達期限が来たことから、新たに制定されたものです。MDGsはどちらかといいますと、先進国目線で語られており、地球規模の問題を正確に反映していなかったきらいがあります。MDGsの中には、「環境の持続可能性確保」があげられていました。SDGsではより具体的に、12 持続可能な生産消費形態を確保する 13 気候変動及びその影響を軽減するための緊急対策を講じる 14 持続可能な開発のために海洋・海洋資源を保全し、持続可能な形で利用する 15 陸域生態系の保護、回復、持続可能な利用の推進、 持続可能な森林の経営、砂漠化への対処、 ならびに土地の劣化の阻止・回復及び生物多様性の損失を阻止する と環境関連は4項目があげられています。やはり「持続可能な」、英語では"sustainable"という言葉がキーワードです。過去、現在、未来の持続可能性は何か、生物多様性の確保はどのようにしたら達成できるのか。自然保護や環境問題、種の保全は未だに問題山積ですし、新たな課題も増えていますし、より複雑化してきています。自然保護や環境保全を考えるだけでは解決しえない問題も増えています。人間社会の進展や経済の発展との調和。身近な自然も含めて、地球環境を後世に伝えるためには、このような事の理解と取組みも求められるところです。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2019.01.20
12月17日(月)今朝は冷たい雨が降っています。 現在の気温は1.8℃。雪にならなくて本当に良かったですよ。 子供のころは楽しみでしたけどね。この雨も午前中には止みそうですが、今日の最高気温は夕方の5時ごろになりそう。変則的な一日になります。 暖かい服装で出かけたほうが良いようですな。ミヤコドリのことを書いていて浮かんだ疑問。シギやチドリの中間は、まとめてシギチドリとかもっと省略してシギチとかよんでいます。同じようなところをうろついて、同じような行動をし、同じようなものを食していますね。そもそも、シギとチドリの違いは何なのでしょうか。どちらもその多くは渡り鳥です。夏は北国で繁殖し、冬には越冬のために南国へ移動します。この点は、夏鳥や留鳥を除く他の鳥たちと共通ですね。外観で区別すると、チドリよりシギの方がだいたい身体が大きいようです。もちろん逆転もありますけどね。それでもって、チドリの方がくちばしが短い傾向にあります。この写真の子はコチドリです。しかし、トウネンはシギ科に分類されていますが、小さい上にくちばしも短かめです。迷鳥のヨーロッパトウネンは、もっと身体が小さいようです。 スズメ位の大きさです。一方、チドリ科のダイゼンはヤマバト程の大きさがあります。これはシギの仲間に入れてもかなり大きな部類になります。しかし、くちばしの長さは短めです。どうやらシギとチドリの違いは、単なる身体的特徴だけではではないようです。チドリといえば、千鳥足がその習性を良く表しています。千鳥足とは、夜な夜なほど良い時間になると呑屋街に出没するあの歩き方。あっちにふらふら、こっちにふらふら、行先が良く分からないあれです。チドリは目で餌を見つけます。 いつも頭を上げて歩いています。餌を見つけると、直ぐダッシュ、或いはフェイントをかけてからダッシュ。素早く駆け寄ってくちばしで咥えてしまいます。シギには何か良い例えが無いかと考えてみましょう。中国の戦国時代には、「漁夫の利」という故事がありました。千鳥足と少しレベルが違いますがご容赦を・・・。あえてこれ以上は記しませんが、ここに登場する鳥がシギといわれています。ミヤコドリあたりに登場いただくとイメージピッタリなのですが何故かミヤコドリはシギよりチドリに近いと分類されています。で、シギが貝にくちばしを射し込んでいる状態が、シギの餌捕りを表しています。シギたちは常に下を向いて餌を探しています。しかも、くちばしを水の中や泥の中に入れています。この子たちはくちばしの触覚が優れていて、この感覚によって泥の中の餌を探す事が出来るのです。この子はキアシシギです。地球上の生物において場所や物体の位置、空間を認識する方法は、視覚、聴覚、触覚、嗅覚、そして、運動感覚、平衡感覚などがありますね。人の場合、大方視覚に頼って生きていますが、聴覚や場合によっては触覚、嗅覚も運動感覚、平衡感覚を総動員しています。辺りがとても暗い場合を想像してください。 視覚だけでは動けない場合があります。その際、人は触覚や聴覚も働かせます。 手探り足探りですね。シギの餌探しは、まさにこの触覚による探索が中心になります。餌は水の中、砂・泥の中です。 くちばしに触れたものを餌として認知するのです。シギはかなりの時間、下を向いてゆっくりと歩き回っています。これは足元を見ているのではなく、くちばしを砂・泥に差し込むための予備動作と考えられます。一方チドリの場合は、主に視覚を使って餌探しをします。従って水が引いた場所を、顔をあげて四方を見ながらちょこちょこ歩き回っているのです。この子はシロチドリ。以前の日記でも触れましたが、鳥類の視野は人の凡そ1.5倍はあり、真後ろ以外はほとんど見えているそうです。頭をいちいち動かさなくても、前方180度はもちろん、左右の後方45度ぐらいは楽勝で見えているのかもしれません。そのため、突然立ち止まり急に方向転換をして、あらぬ方向に走り出したりするのですな。この動きがフェイント込みなのかどうかは、直接チドリさんに聞いてください。傍から見ていますと、如何にも獲物を油断させるためのフェイントをかけているように思えます。この写真はシロチドリとミユビシギ。このような採餌の仕方の違いが、チドリとシギの違いであり、それが故に、くちばしの形状に違いが出てきているのではないでしょうか。このように書いていると、話の順序が逆なのかもしれません。食生活に合せてくちばしの形状が変化したのか、くちばしの形状に合わせて食生活が変化したのか。はたまた、環境の変化に合わせてそのどちらもが変化してきたのか。生物学者ではない親爺には何れなのかは分かりません。何の確証もありませんが、直感的にはやはり三番目なのではないのかと思えます。ミヤコドリとダイゼンですよ。ところで、くちばしは鳥類独特の器官です。哺乳類にはカモノハシという特殊な動物がいますが、このカモノハシなどを除けば、哺乳類にも、爬虫類にも、両生類にも、昆虫類にも、たぶんくちばしを持つ動物はいません。一方、鳥類でくちばしを持たない種はおそらくいないでしょう。また、鳥といえば翼を持ち空を飛ぶことも代表的な属性です。もちろん、ペンギンやダチョウのように空を飛ばない鳥も存在します。しかし、退化しているにせよ翼はあります。つまり、鳥類にとってくちばしと翼は必須の器官です。このくちばしと翼は関係がないようで関係があるのですよ。この写真はイソシギです。聞きかじりの知識を総動員しますと、鳥類は進化の過程において、前趾(手)を翼にすることで空を飛ぶことができるようになりました。しかし、その為にものを掴むことができなくなりました。替わりになるものとして、くちばしという器官を得たということです。このくちばしは、手と口の役割を果たしています。それぞれの種は、特定の食べ物を特定の方法でくちばしを使って食べています。それに合わせてくちばしはそれそれ独特の形状に深化したのです。ミユビシギとハマシギの混群です。話を変えますが、ミユビシギの日記では、シギに仲間で第一趾が退化消滅し三本趾になったのはミユビシギだけと記しました。チドリの仲間ではどうでしょうか。こちらでは三本趾の種はとても多いのですね。シロチドリも、以前登場したコチドリも三本趾なのです。何度も書いていますが、チドリの仲間は浜辺など水際をちょろちょろ走り回っています。シロチドリ。急停止しますし、急な方向転換もします。 この際後ろを向いた第一趾は邪魔になるのだそうです。従って、邪魔な第一趾は消滅しているのだとか。ミユビシギもチドリの仲間であったならば、ミユビチドリにはなれなかったわけです。まぁ、ミユビシギはシギですが、他のシギよりは高速で歩くことが多いようです。実際、浜辺を集団で走り回る姿は、雪団子が転がっているようで面白かったですよ。もっと波が大きな場所では、寄せる波、引く波に合わせて行ったり来たりするそうな。このちょろちょろ歩きのために、ミユビシギの第一趾もシギとしては例外的に消滅したのでしょう。このように、第一趾についてもシギとチドリの違いがありました。この日記では、シギはシギ、チドリはチドリとして、非常に大雑把に扱ってしまいましたが、勿論のこと、シギの中でもチドリの中でもそれぞれ変化があります。ハマシギです。特になるほどと思いましたのは、シギのくちばしの形状がバリエーション豊かなことです。概論では細くて長いくちばしといってしまいます。しかし、その中には細いの太いの、先が丸いの尖がっているの平たいの、はたまた、上に反っているの、下に反っているの、真直ぐなの等、千差万別なのです。親爺はほとんど図鑑でしか観たことありません。何たって初心者ですから、オッホン(えばるなよ)。自分の目で確かめたのは、ヤマシギ、タシギ、キアシシギ、イソシギ、ハマシギ、ミユビシギぐらいかな。徒話はさておき、目学問・耳学問になってしまいますが、それぞれのくちばしの形状はやはりそれぞれの食生活にピタッと合っているそうです。それでもって、先端だけを開閉できるという特技もあるようです。生物の多様性を感じるには、鳥類の観察は身近で最適なのだと思います。だから面白いのですよ。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2018.12.17
11月19日(月)今日は一日曇天の予報。 明日以降は回復の兆しですが・・・。YAHOO天気によると、水曜日と木曜日は晴れと雨が混在する予報となっています。どうなりますことやら。さて、ガンの仲間は鳥類分類上どのような位置付けなのでしょうか。オオヒシクイを例に取りますと、カモ目 カモ科 ガン亜科 マガン属 種名ヒシクイ 亜種オオヒシクイとなりますか。 一番大きな括りでは、カモ目となりますね。カモ目全体では、水鳥であってずんぐり体型で、短めの足に水かきがのあって、幅が広く縦につぶれたクチバシのある鳥のイメージで良いでしょうか。かなり小さなお子さんでも、カモとはこのようなグループと認識してますね。 おそらく。カモ目はカモ科など幾つかに分かれるようです。しかし、カモ目のほとんどの鳥は、カモ科に属します。コガモもマガモも、オオヒシクイもコハクチョウも、皆同じカモ科になります。身体の大きさは大小様々あれど、カモ、ガン、ハクチョウは親戚同士ということです。分かり易く例えてみれば、タカ科のタカとワシや、キジ科のキジとクジャクの違いのようなものです。更にカモ科には、カモ亜科とガン亜科など五つの亜科があります。ここでカモの仲間は、ガンやハクチョウと分かれます。そしてガン亜科には、ガンの仲間とハクチョウの仲間が属しています。即ち、ガンとハクチョウは、カモより近いということになりますね。ざっくりと言ってしまえば、ガンはハクチョウと似ているけれど、白くなくて幾分小柄な鳥ということになります。実際、オオヒシクイとコハクチョウは、色こそ異なれど、体型、行動、食性等がかなり似ています。下の写真は、オナガガモの♀です。 特別友情出演。いわゆるカモの仲間は、潜水するものしないもの、植物食のもの動物食のもの等、かなり多様性があります。しかし、共通の特徴もあります。例えば年2回の換羽回数や、生殖羽における♂・♀の羽衣の違いです。この点は、カモ亜科とガン亜科の明確な相違点になりますね。ガンやハクチョウは、全てが草食であって、換羽は年一回、♂・♀同じような羽衣です。下の写真はコハクチョウ。 性別不明。 特別友情出演。さらにカモの仲間は比較的家族の絆が希薄です。 毎年パートナーが変わる場合が多いですね。ところが、ガンとハクチョウはいつも家族単位で行動します。パートナーもどちらかが死ぬまで一緒です。強いて違いを上げると、ハクチョウは家族単位での行動も多いですね。塒から餌場への移動などは、概ね家族単位で飛び立つようです。上空で合流することはなくはないですがね。一方、ガンは家族単位が寄り集まった、群れ全体での行動が多いようです。従って、コハクチョウの飛行編隊は小規模、オオヒシクイの飛行編隊は大規模となります。因みに、仲の良い夫婦をオシドリ夫婦と言いますね。ところがオシドリはカモの仲間ですからね、♂はけっこういい加減なのですよ。抱卵も子育ても手伝わず、毎年相手を変えてしまいます。仲の良い夫婦のことは、ガン夫婦とか、ハクチョウ夫婦とか、ツル夫婦とか、小鳥でいえば、メジロ夫婦とかに呼び名を変えた方が宜しいですな。やはりガンは、カモよりハクチョウに近いと言えます。下の写真は、オオヒシクイの飛行姿。現代の日本では、ガンはポピュラーな鳥ではありません。極々特定の場所に出向かないとお会いできません。ガンを見たことが無い人はけっこう多いのではないでしょうか。そのような人は、ハクチョウに似ているけれど、白くなくて少し小さくて、やや首が短い鳥をイメージしてください。下の写真はコハクチョウの群れ。 上空で合流しました。ガンの仲間は、江戸時代までは日本中に普通に存在していた鳥だそうですよ。ところが、明治時代に狩猟の対象となり、日本に渡来するのガンの数はどんどん減ってしまったそうです。当初、1892年(明治25年)に鳥獣猟規則が制定され、1892年(明治25年)に狩猟法として法制化されます。この当時は、保護鳥以外は何でも捕って良いという内容でした。そしてガンは保護鳥では無かったのです。1918年(大正7年)には狩猟法が改正され、狩猟鳥以外は捕ってはダメという内容になります。しかしガンは依然として狩猟対象の鳥でした。この狩猟対象であった期間に、一番多いマガンでさえ、何と全国で5,000羽以下まで激減してしまったそうです。第二次世界大戦後には、多くの鳥が狩猟鳥から外されます。ガンの場合は、1971年(昭和46年)にヒシクイ等三種が国の天然記念物に指定され、狩猟できなくなりました。やっと保護されるようになったのですね。その後、日本への飛来数は順調に増え続けているようです。下の写真はオオヒシクイの大編隊の一部。ところが、戦後の高度成長期時代に、日本各地の干拓や都市化が進み、ガンのお気に入りの地はどんどん姿を消してしまいました。どうもガンは環境への適応が苦手な、やや頑固な性格でもあるようです。その結果、ヒシクイもマガンも越冬地が限られた地に集中してしまうことになりました。宮城県の伊豆沼周辺はその最たる地なのでしょう。日本へのマガン飛来数の8割以上が集中しているといわれます。このように特定の鳥が特定の場所に集中すると、食糧不足や感染症のリスク、人間との共生等、困った問題も起こります。そう考えますと、小規模とはいえ稲波干拓地のような場所が保全されることは大変好ましいことなのです。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2018.11.19
12月29日(金)2017年もあと3日です。今日からお正月休みという方が多いのではないでしょうか。上のコブマンションの様子の写真を撮っていた時に、この子達は果たして目が見えているのかどうか気になりました。鳥たちは夜は目が見えないのだ、と俗に云われていませんか。そこで、いわゆる「鳥目」について調べてみました。午後5時前。 陽はすっかり西に落ちて、次第に暗闇が支配していきます。しかし、コブちゃんもオオバンも、暗さを気にしている素振りはありません。鳥目(とりめ)とは、人の場合夜盲症という症状を現しています。鶏など昼行性の鳥が、夜間は全く動かないことから、眼が見えていないのではないか、と推測したところから名付けられています。急に暗くなると、暫く何も見えませんが、眼が慣れてくると、次第に周囲の状況が見えてくるようになります。これは暗順応と呼ばれる、普通の人の生体反応です。この反応が起こらないか、時間がかかってしまう場合、夜盲症という病気とされ、俗に鳥目といわれてしまいます。では、本当に鳥たちは、暗い所で眼が見えていないのでしょうか。俗説では全ての鳥たちが、暗闇は苦手だとされています。しかし、これは鳥の種によって大きく異なる話のようです。そもそも、人を初めとする哺乳類の先祖は、夜行性の生活をしていたと考えられています。従ってその長い歴史の中で、人の目は暗闇に特化してきたそうです。一方、鳥類はそのほとんどが昼行性であって、それらの鳥たちの目は、光が十分にある時に能力を発揮するよう進化してきたそうです。しかし、昼行性であるから夜間活動しないのであって、全ての鳥たちが夜間目が見えないということではないようです。もちろん、フクロウやミミズクのように、鳥類にも夜行性のものはいます。また、現に渡り鳥たちは夜間にも飛ぶことが多く、星の位置を頼りに目的地への方角を知るとされていますね。人の目も鳥の目も基本的には同じような仕組みです。光や色彩を感じるのは、桿状体と錐状体と呼ばれる視細胞があるからです。桿状体は弱い光でも感じることができますが、色彩を感じることはできません。一方、錐状体は強い光も下で働き、人の場合は3種類の光の波長を感じる、3種類の錐状体を持ちます。この3種類とは、三原色と呼ばれる青型・緑型・赤型です。もともと生物は、進化の過程で光を受け取る錐体細胞を4種類獲得していました。人の場合は、長い夜行性の生活で、2種類の錐状体視細胞を喪失したそうです。青と赤しか識別できなかったそうです。しかし、その後の昼行性の生活の中で、再度3種類めの緑を感知する錐状体視細胞を獲得し、現在に至っています。鳥類は今でもこの四原色を維持しています。人には見えない4種類めの色は、紫外線の色のようです。ということで、昼間の視力は鳥類の方が数段優れているといわれていますね。タカ族は人の8倍の視力などといわれます。 錐状体視細胞が8倍ともいわれます。一方、桿状体視細胞は人の方が多く持つようです。しかし、鳥類が桿状体視細胞を全く持たないわけではありません。このことから、確かに鳥類は人よりも昼間の視覚が鋭く、逆に夜は弱いかもしれません。それでも、「鳥目」というほどではないのでしょう。実際、朝方などカラスは暗いうちから「かあ、かあ」と鳴いて飛んでいます。また、コブハクチョウ達も薄暮の中で普通に動き回っていました。やはり、鳥の「鳥目」は迷信の類のようですね。あたりがすっかり暗くなっても、ここの鳥たちは、泳ぎまわったりして活動を続けていましたよ。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2017.12.29
11月1日(水)今日から11月。 朝晩はかなり冷えるようになってきました。昨日の午後から雲が出ていますが、一応晴れています。連休の初日は、小さな低気圧に支配されそうです。現在の予報では、日本近辺に3つ。 よい天候は期待薄です。今日の日記は水戸八景。涸沼、那珂川、那珂湊シリーズで、広浦、巖船のことを書きましたから、少しだけまとめておきましょう。「水戸八景」とは,水戸藩の第9代藩主徳川斉昭(とくがわなりあき)烈公(れっこう)が、天保4年(1833年)に江戸小石川邸より水戸に下り,藩内を巡視した際、領内の景勝の地、八か所を選んで選定したものです。徳川政権、265年の終盤戦の時代のお話です。因みに、徳川斉昭は第十五代将軍一橋慶喜の実父です。中国北宋の文人画家、宋廸(そうてき)が選んだ、「瀟湘(しょうしょう)八景」にならったものといわれています。瀟湘八景は、山水画の画題とされますが、江天暮雪:山に雪が降り積もるさま瀟湘夜雨:しとしとと、もの悲しく降る夜の雨の風情山市晴嵐:山里が靄に煙って見える風景遠浦帰帆:遠くの水上から帆船が返ってくるさま煙寺晩鐘:霧に煙る山あいのお寺の鐘の音が聞こえる夜平沙落雁:干潟に雁が舞い降りるところ漁村夕照:夕焼けに染まるのどかな漁村の光景洞庭秋月:湖上に浮かぶ月の八つの場面が選定されています。同じようなものには、金沢八景や近江八景が知られていますね。水戸斉昭は、単に風流文雅のためではなく、武事を鍛練し、藩士弟の士気鼓舞のために八景の地を定めたとされています。そのために、かなりの遠距離に散らばっています。この八か所を普通に巡るには、時計回りに、青柳-太田-山寺-村松-水門-巖船-広浦-仙湖という順が自然かな。太田と山寺は逆に回っても、問題ないでしょう。巖船が夕照、広浦が秋月ですから、どんな健脚でも、水戸に戻るのは深夜ですね。これらの碑を結んで一巡すると30里程,おおよそ100km以上の道のりです。急いでも丸々一日がかりの行程です。現代風にいえば、スケールの大きなオリエンテーリングですな。水戸八景の地、八ヶ所には、翌天保5年に、斉昭自筆の書を刻んだ石碑が建てられました。現存する八景の碑は、全てこの当時のものです。碑の意匠はそれぞれ異なり、石の種類や形、字体、配置が工夫されています。字体は、水戸八分隷書(はっぷんれいしょ)と呼ばれるものや、古典文字とされる装飾的な独特の書体が用いられています。石碑は台座や周囲の柵がないのが本来の姿です。しかし,広浦の秋月の碑のように、その多くは石垣の台座に乗せられたり,石柵で周りを囲われたりしています。後世に何らかの改修を受けた後と考えられます。水戸八景を簡単にご紹介。先ずは、青柳夜雨 (あおやぎのやう)。水戸市内を出発して北に向かい、那珂川を渡ります。現在の国道349号線の傍に、鹿島香取神社があります。その境内の南の那珂川堤防の柳の木の下が、第一のチェックポイント。横120cm、縦103cmの黒灰色の自然石でできています。那珂川上流の那須岳の火成岩でしょうか。河岸段丘の上に造られた、お城や水戸の城下町を、那珂川越しに見上げることができます。太田落雁 (おおたのらくがん)水戸の御老公の隠居場所として名高い、西山荘の近くです。常陸太田市街の北端の東向きの斜面の中腹にあります。横140cm、縦170cmの赤みを帯びた花崗岩でできています。眼下には久慈川の支流、里川の支流が幾筋も流れ、かっては、田園が広がり、鳥たちの楽園であったと想像できます。山寺晩鐘 (やまでらのばんしょう)大田落雁と同じ常陸太田市にあり、南方に1km程の所です。県立西山研修所内の東の端になります。やはり西山荘の近くです。横87cm、縦220cmの黒灰色の大理石(寒水石)でできています。この地には、かっては寺院が幾つかあったようです。村松晴嵐(むらまつのせいらん)常陸太田の市街地から南東方向にあたる、東海村の海岸線になります。久慈川河口に出て南に進むことになりましょうか。 今でも村松海岸と呼ばれています。近くには日本三大虚空蔵菩薩といわれる、十三参りで有名な村松虚空蔵尊がございます。その裏手の砂の丘を登っていきますと石碑が建っています。現在の海岸線は、石碑からかなり離れているようです。また、海岸までの間には原子力施設が有り、江戸時代の景色とは相当異なっているのでしょう。横95cm、縦90cmの黒褐色の自然石でできています。以前はこの地から太平洋を望むことができたのでしょうか。水門帰帆 (みなとのきはん)村松海岸からさらに南下して、那珂湊港に近付きます。水門とは、湊のこと。 湊を見下ろす丘の上にあります。 昔は、直ぐ下に那珂川が流れていたそうです。今は茨城県立海洋高等学校が見えます。 海洋高校の辺りは埋め立てられた土地でしょう。横120cm、縦214cmの大理石(寒水石)でできています。これは、Google map の写真をお借りしました。巌船夕照 (いわふねのせきしょう)那珂川を渡り大洗町に入ります。 「かんぽの宿 大洗」の奥の岬の上にあります。涸沼川と那珂川の合流地点を見下ろすことができます。遠く筑波山まで見通せ、今日でも夕日がきれいに見えることでしょう。横170cm、縦148cmの大理石(寒水石)でできています。残念なことに、今回は近くまで行きながら、訪うことはできませんでした。広浦秋月 (ひろうらのしゅうげつ)広浦秋月は既に10月29日の日記で書きました。広浦大杉神社の御神域の中に建っています。横70cm、縦263cmの黒灰色の自然石からできています。「広浦秋月」の石碑の横に建っている石碑は、水戸八景選定経過等を記した副碑「保勝碑」だそうです。僊湖暮雪 (せんこのぼせつ)最後は千波湖です。云わずと知れた、日本三名園の一つ、水戸偕楽園の南に広がる湖です。この偕楽園は、やはり水戸藩第九代藩主徳川斉昭の構想です。このお方、藩校弘道館をお創りになるなど、領民を大切にする名君だったそうです。偕楽の意味も、当に皆と楽しむですね。横119cm、縦128cmの自然石です。かなり前、お正月に訪れたことがあります。 ハクチョウなどの水鳥で賑やかでしたよ。水戸藩と言えば水戸学の本家であり、云わずと知れた、バリバリの勤皇派で攘夷派です。斉昭も同然攘夷を強くとなえます。また、第十三代将軍の跡目争いにも深く関わります。そのあげく、大老伊井直弼といろいろやらかしてしまいました。水戸藩は、安政の大獄、桜田門外の変を経て、天狗党の乱に見られるように、藩そのものが分裂し、幕末の混乱の中、多くの優秀な人材を喪う悲しい歴史をたどってしまいました。その原因の多くは、徳川斉昭にあったのかもしれません。最後にもう一度、水戸八景の位置確認。こうして見ると、どうやって一周したらよいか、イメージが湧きますね。因みに寒水石とは、茨城県久慈郡,多賀郡に産する、古生層中に挟まれた大理石の石材名です。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2017.11.01
10月6日(金)今朝は、我が家の周りでヒヨドリ達が、「ピーヨピーヨ」と騒いでいます。こんなに騒がしいのは久し振りかなぁ。 涼しくなって元気いっぱいです。秋が深まるにつれ、身の回りの野鳥の種類は増えていきます。もちろん、ヨシキリやツバメのように南へ渡っていく鳥もいます。しかし、北からやってくる鳥たちの方が多いのではないでしょうか今日は、日本におけるサケ、マスの呼称について記します。「なかがわ水遊館」のお話を書いていて、長年、疑問に思いながら放置していたことを思い出しました。そのことの整理です。普段、サケだマスだと何気に使っていますが、サケとマスの違いは何だかご存じですか古来、日本でサケといえば、誰でも知っているシロザケがその代表です。否、単にサケといえば、ほぼ100%シロザケを意味しますね。その他、ベニザケもいますが、ベニザケを想定する日本人は、極々少数だと思います。シロザケは、秋になると関東北部・東北・北海道の河川を中心に溯上し、アキアジと呼ばれているあのサケです。更に、魚屋さんでは、ギンザケと呼ばれているサケも並んでいます。同じ北太平洋が棲みかですが、本来日本の河川には溯上しません。シロザケとは別種です。 アメリカやカナダではコーホと呼ばれます。東日本大震災前は、三陸沿岸で養殖されたものが、大量に市場に出回っていました従って、これがサケだと誤解している人がいるかもしれません。昔から日本にいた、その他の降海型のサケ科のお魚は、本来皆マスと呼ばれています。サクラマス、サツキマス(ビワマス)、アメマス、カラフトマス、マスノスケ等々。最近は、北米原産のニジマスも幅を利かせています。ニジマスの降海型はスチールヘッドと呼ばれていますね。また海で養殖されたものは、サーモントラウトなどと称して販売されています。サケかマスかどっちなんだよ、という名前をもらっちゃっています。そもそもサケとマスには、種に何か明確な区別があるのでしょうか。商業上の呼称も混在し、混乱を招いています。そこで、サケ科のお魚について少し調べてみました。サケ科は、四つの属に分かれます。サケ属、タイセイヨウサケ属、イワナ属、イトウ属です。この中で一番種が多く繁栄しているのはサケ属。北太平洋地域を中心に生息し、日本でも馴染のある種ばかりです。シロザケとカラフトマスそしてベニザケ。マスノスケとギンザケ。サクラマス(サツキマス、ビワマス)。最後はニジマス(スチールヘッドなど)の仲間です。サケとマスが混在しています。 降梅型かどうかは関係ありません。 大きさも関係ありません。 うーん何でだろう。タイセイヨウサケ属には、アトランティックサーモンとブラウントラウトが所属します。イワナ属には、オショロコマ、イワナ、アメマス、レイクトラウト、ブルックトラウトが所属しています。イトウ属は、まさにイトウです。日本では、もともとサケと呼ばれるお魚は一種類だけです。前述の通り、シロザケのみです。 他のサケ科のお魚は全てサケ以外の名称でした。しごく単純な話だったようです。ところが、日本の領土が北に拡大するにつれ、これまで見たこともないサケ科のお魚に出会います。ベニザケやカラフトマス、ギンザケなどです。そして、後に英語圏の文化に遭遇しました。元々の英語圏を含むヨーロッパ大陸と、アメリカ大陸に挟まれた、大西洋周辺のサケ科の魚は2種類です。降梅型のアトランティックサーモンと梅に降りないブラウントラウトだけ。下の写真は、「なかがわ水遊館」のブラウントラウトの写真です。厳つい顔をしています。ヨーロッパ原産ですが、今では世界各地で繁殖しているたいへん適応力の強いマスです。シューベルトの名曲「鱒」は、このブラウントラウトがモデルでしょう。降海型もいるそうで、シートラウトと呼ばれています。このお魚の場合は、特別に降海型もトラウトです。あくまでもブラウントラウトの亜種扱いなのでしょう。アトランティックサーモンの、天然資源による漁獲量は減少傾向にあります。しかし、チリ、カナダ、ノルウェーなどで大量に養殖されています。サケ科の仲間では、人類に一番食されているお魚のようです。もともと英語圏を含むヨーロッパでは、サケやマスの種類が少ないだけに、しごく単純な話だったんです。しかし、英語圏はアメリカ大陸を太平洋に向かって拡大して行きました。太平洋は大西洋より、サケ科の魚は多様性に富んでいます。コーホサーモン(ギンザケ)やソッカイサーモン(ベニザケ)、キングサーモン(マスノスケ)やチャムサーモン(シロザケ)等に出会います。サクラマスだってチェリーサーモンです。降梅型のサケ科のお魚は、英語では全てが「うんちゃらサーモン」と名付けられました。ところで、英語を日本語に翻訳する際、一般的にはサーモンはサケ、トラウトはマスと訳すことになります。この英語の呼称と訳から、日本語の混乱が始まります。日本人にとって本来サケはシロザケだけです。日本古来の考え方を踏襲すれば、「うんちゃらサーモン」も、サケではなくマスだったはずです。しかし、サーモンを大方サケと訳してしまいました。そんな訳で、ベニザケやギンザケの呼称が誕生してしまったのではないかと睨んでいます。でもカラフトマスは何故マスなんだろう 英語名はピンクサーモンです。マスノスケは何故マスなの 英語名はキングサーモンですよ。和名の方が先行して定着していたためでしょうかやっぱり良く分からないや。 単なる符丁と考えるべきでしょうかね。一つ分かったことは、サケもマスも種としては大きな違いは無いということ。どちらにしても、釣って楽しい、食べて美味しいお魚ですよねにほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2017.10.06
9月28日(木)昨晩遅くから降り始めた雨は、今朝も降り続けています。今日はウェットな一日になりそうです。毎年、我が家の庭のイチジクの実が熟してきますと、必ずスズメバチが甘い匂いに誘われて訪れます。直ぐ傍を通ったりしても、危険な思いをしたことはまだありません。一匹か二匹でやってきますので、直ぐ近くに巣があるわけではないと思いますが、姿を見かけるとやはり緊張しますね。一心不乱にイチジクの果肉を貪っています。 夢中なのか、こちらには無関心です。よほどお腹を空かしているのでしょうか。 それとも巣に持ち帰るのでしょうかこの写真の子は、朝から夕方まで、ずっとイチジクの実に取り付いています。イチジクの実には、既に大きな穴が開いています。夕方にはハナムグリと仲良くお食事をしていました。辺りが暗くなるころ、やっとお家に帰っていきましたよ。日本のスズメバチ科スズメバチ属のハチの主なものは5種類。オオスズメバチ、コガタスズメバチ、ヒメスズメバチ、そして、キイロスズメバチ、モンスズメバチです。このうち、オオスズメバチとキイロスズメバチは、特に短気で攻撃的、凶暴な性格をしていますから要注意です。なかでも、キイロスズメバチは、住宅街でも生息していますから、遭遇率がアップします。軒下等に、丸くて大きな巣をぶら下げるのは、キイロスズメバチが多いようですよ。オオスズメバチは、大方地中に地下宮殿を造ります。迂闊に巣の周りに近づいてはいけません。 襲われてしまう確率が高くなります。8月から10月にかけてのこの時期は、子育てから巣別れの季節です。気が立っているので、注意が必要なようです。ところで、写真のこの子はどの種類なのでしょうか。オオスズメバチは、見るからに大きく一目で区別が付きそう。殺傷能力は強烈です。 何度でも刺してきます。 毒液噴射といった技も使います。また噴射された毒液は、仲間に危険を知らせるフェロモンでもあります。気が付いた別のハチが救援にやってきます。こうなってしまうと、もはや絶望的な状況ですねオレンジ色と黒色の縞々で、頭でっかちのハチを見かけましたら、まずはオオスズメバチを疑うべきです。音を発てずにゆっくりと離れましょう。君子危うきに近寄らずです。やや小型で全身が黄色っぽいスズメバチは、キイロスズメバチです。名前の通りですよ。 この子も見かけたらそっとしておきましょう。オオスズメバチもキイロスズメバチも、人の姿を見たからといって、むやみやたらと攻撃はしてきません。そう、君子危うきに近寄らず。そっと知らんぷりをしてその場を離れることです。払い除けようと、手を振り回したりしてはいけませんよ 刺激すると自殺行為です。コガタスズメバチはオオスズメバチと姿形がよく似ています。体の大きさはやや小さいのですが、たぶん直ぐには見分けられません。コガタといいながら、あくまでもオオスズメバチと比較しての話です。3cm程度はありますから、見ればけっこう大きく感じるはずです。住宅街にもよく出没します。おとなしい性格といわれていますが、オオスズメバチとの見間違えだと厄介ですから、やはり君子危うきに近寄らずで対処しましょう。ヒメスズメバチも、ヒメといいますが決して小さくありません。ただ、こちらもおとなしい性格のようです。お尻の先端部分が黒いので、他のスズメバチとの区別は容易です。といって出くわした時に、冷静にそこまで判断できるか疑問です。とにかく、オレンジ色か黄色の顔と縞々パンツにに出会ったら、かまったりしないことです。どの種類のスズメバチも、一端戦闘モードに入りますと、遺憾なく攻撃力を発揮します。絶対にスイッチを入れてはいけませんよ。モンスズメバチは、珍しく夜行性のスズメバチで、夜間飛行が可能です。けっこう怖いそうですが、最近個体数が減っていて、出くわすことは少なそうです。近年、厄介なスズメバチが、中国・韓国経由で渡ってきているそうですね。南方のインドネシア原産ですが、アジア全域に広がってきているそうです。遠くヨーロッパも席巻しているようです。我が国では、最初に対馬で発見されましたが、現在は九州の福岡県辺りでも発見されているそうです。名前はツマアカスズメバチ。とんでもなく攻撃的。獰猛、凶暴な奴だそうです。 そしてミツバチの天敵。一刻も早く拡大を食い止めるべき侵入生物と言えましょう。で、一見オオスズメバチに見えるこの子は、実はコガタスズメバチでした。お腹の縞模様と顎の上の形で区別できます。悪戯しなければ、刺されるリスクは殆んどありません。 食いしん坊で無警戒です。接近して暫く写真を撮っていましたが、攻撃はおろか警戒もしていませんでした。ひたすらイチジクの実を食べています。カメラのレンズとの距離は、50cmを切っています。 万が一刺されると大事に成りかねないので、さすがに少しだけ緊張しました。良い子は真似をしないでくださいね。しかし、この子は子育てしなくて良いのでしょうかね甘いものが好きとは知っていましたが、一日中、イチジクの実に取り付いているとは・・・。今週は、四日連続で通ってきています。この姿を見て、奥様も何か感じるところがあったようです。ところで、今年の我が家のイチジクは不作です昨年は豊作だったのにねぇ。 コガタスズメバチは気が付いているでしょうかにほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2017.09.28
9月16日(土)アユというお魚は、北海道南部からベトナム北部まで、東アジア一帯に生息しています。ただしその多くは、日本沿岸と河川を住処としています。古来、日本人の生活に密着した、日本を代表する川魚といってもいいでしょう。日本神話や万葉集、延喜式でも、既にアユに関する記述が見られます。万葉集ではお酒好きの歌人、大伴旅人作とされるアユの歌が幾つも載っています。鵜飼などの伝統漁も、1,000年以上も前から行われているようです。といいましても、清流に住むアユは、現代の都会近郊に暮らす人々にとって、簡単に目にすることができるお魚ではありません。アユはサケやマスのように、ライフステージに合わせて海水と淡水で生活します。ほとんどの個体の寿命は1年で尽きますが、中には2年生きる個体もあるようです。1年で一生が終わることから、日本では「年魚」と表してきました。夢枕獏さんの「鮎師」という小説の中で紹介されています。夢枕さんの地元、小田原の早川が舞台となっていますが、60cmを超える大鮎を追いかけるお話でした。本当に、こんな化け物がいるかどうかは分かりません。化け物系のお話が得意な方ですから、創作ではないかと思いますけど・・・。とにかく、2年生きるアユもいるそうです。もう、20年近くも前の早春、3月の話になりますが、神奈川県の相模川河口で、ウナギのシラス漁を見学したことがあります。シーバスをルアーで狙っていたのですが、ワンバイトをキャッチし損ねて、見学者に鞍替えしてしまった時のことです。カーバイトランプで川面を照らし、溯上してくるシラスを網で掬う単純な漁です。既に当時、ニホンウナギのシラスは全国的に危機的状態になっていました。漁師の方も年々採れなくなってきたと愚痴を溢していました。それでも、たまに頭デッカチのシラスが、体をくねらせて上流目指して泳いでくる姿が見られたものです。そのシラスより圧倒的に多くの小魚が、同様に上流を目指して泳いでいます。漁師さんは、アユの稚魚だと教えてくれました。 相模川もアユ資源の豊富な川なのです。ただ、残念なことに、中流域には大きなダムが幾つもありますね。アユはこれから産卵時期に入ります。 河口に近い砂礫上の河床に産卵します。秋のうちに孵化した稚アユは、海にでてプランクトンなどを食べて育ちます。そして早春、5cm程の稚魚となったアユは、河口から遡上しはじめます。この姿を見ることができたのです。溯上した稚アユたちは、河川の中・上流域を住処とするようになります。食性も動物性から植物性に変わり、主に岩に付いている藻を食べるようになります。歯の形状や体色なども変化してしまいます。このころから、良い藻が付く岩を巡って、縄張りを持つようになります。この習性を利用したのが、アユの友釣りですね。縄張りを持つアユは、自分の庭に侵入してきた他のアユに体当たりして追い出そうとします。釣り師の操る囮アユは、針を背負っていまして、体当たりしたアユはこの針に掛かってしまうという仕掛けです。世界的に見てもたいへんユニークな、日本独特の釣りです。300年ほど前から、文献に登場してきます。当然それより前から、釣技は確立されていたと思われます。伊豆の狩野川や、美濃の長良川辺りから全国に広まったとされていますね。一度はチャレンジしてみたい釣りですが、未だにそのチャンスはありません。さて、岩についた藻を食べて成長したアユは、スイカやメロンの香りがするといいます。 従ってアユのことを香魚ともいいますね。アユ資源が豊かな河川は、川自体がこの臭いを放っているとか。アユは養殖も盛んに行われているそうです。しかし養殖されたアユはこの臭いがしないそうです。従って、この香りは食性に関係があることが分かります。スーパーで売られているアユは、ほとんどが養殖物でしょうから、アユであってアユではないということになりましょうか。農林水産省の調査によりますと、県別のアユの漁獲量は、平成27年度の一位は茨城県、二位は神奈川県、三位は栃木県です。何と、関東地方がトップスリーです。河川別には、那珂川がトップです。次いで相模川ですね。久慈川は何故かデータ無し。 上位にランクされることは間違いないと思われますが。やはり、河口堰のような、お魚にとって余計な建造物が無い河川は繁殖も良好です。長良川のように、河口堰が稼働している河川は、往年の輝きを失いつつあるようです。利根川も防潮のための河口堰が出来てから、生態系が全く変わってしまってしまいました。1971年に河口堰ができる前は、ウナギもアユもサケも資源が豊富であったと聞きます。防災の観点から考えますと、河川の氾濫は恐怖以外、何物でもありません。従ってダムを造ったり、堤防を強化したり、河川を付替えたりする、治水事業の重要性も良く理解できます。また、水田を塩害から守るために、防潮堰が有効との考えも分かります。しかし、その一方で自然の生態系を犠牲にする可能性も大です。一度破壊された生態系が、元に戻るには膨大な年月を必要とします。いや、二度と元には戻らないかもしれません。せめて、久慈川や那珂川が、いつまでも、アユの住み易い川であって欲しいと願うのは、一方的な考えでしょうか。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2017.09.16
9月13日(水)今日の日記は、コラム風に最近気が付く事の多い、帰化植物について整理します。鎌倉を散歩した時にも、かなり目につきました。「道の駅常陸大宮 かわプラザ」で気になった事です。「かわプラザ」は、久慈川の堤防沿いにありまして、なかなか景色の良いところです。河川敷まで降りることもできます。鮎釣りをしている人の姿を見たり、景色を眺めたりしながら、身近では見られないお花や昆虫を探しました。ふと土手の方を見ますと、見慣れない植物が繁茂しています。土手をびっしりと覆っています。一見、雰囲気はキュウリやカボチャに似ています。何だろうと思い調べてみますと、アレチウリという植物のようです。北アメリカ原産の帰化植物。 今から半世紀ほど前に、初めて日本に上陸したようです。繁殖力は旺盛です。在来の植物を覆いつくし枯死させる問題が、日本各地で問題になっているそうです。信濃川など、河川敷を中心に広がっているもよう。利根川の河川敷でも見つかるかもしれませんね。こんなお花が咲いていました。以前紹介しました、ワルナスビのお花に少し似ていますね。ワルナスビも北アメリカ原産でしたね。アレチウリはワルナスビと同様、利用価値は全く無いようです。続きまして、キクイモ。 たぶんキクイモ。似ている植物で、キクイモモドキというのも有ります。しかし、葉っぱのギザギザ具合からキクイモだと思いますよ。黄色いでこのようなお花が咲く植物は多いですね。 わりと判別は困難です。一面、アレチウリに覆われている河川敷の中で、この一帯はキクイモが支配していました。。キクイモの繁殖力もかなり旺盛。 今後のバトルはどうなるのでしょうかね。キクイモも北アメリカ原産の植物です。従いまして、この景色、ここはもう日本ではありません。北アメリカになっちゃっていますよキクイモの位置付けは、アレチウリやワルナスビとは異なります。地下に出来る塊茎はたいへん利用価値があるようですから。キクイモはキク科の多年草で、こぶの多い塊茎を作り、背の高さは1~2mになります。塊茎は食用になりますが、豊富に含まれるイヌリンが、健康食品として注目を集めだしています。元々、アルコールの原料、家畜飼料、観賞用として導入されています。同じ帰化植物でも、この点がアレチウリとは異なりますね。 世界的にも、キクイモが飢饉を救ったとの話も聞かれます。大きな目で見れば、ジャガイモやサツマイモと同じといえましょうか。キクイモの場合は、栽培されていたものが、脱走して雑草化したようです。昨日の日記でも書きましたが、このハルシャギクも、北アメリカ原産の帰化植物でした。 とてもひっそりと咲いていましたけどね。観賞用に導入されたものが、脱走したものと思われます。ここで、「ちょっと待てよ」と考えます。大きな河川の河口には、大概大きな港湾施設があります。久慈川の河口にも、日立港という巨大な港が控えています。帰化植物が多い理由は、このこととかなり関係があるのかもしれません。利根川の河口にも、銚子港がありますね。しかし、銚子港の主体は漁港です。ひょっとしたら久慈川とは事情が異なるかもしれません。アレチウリのように、人が意図せずに進入してくる帰化植物は、外国船の積荷にくっついてやってくる可能性が大ですね。ところで、帰化植物の侵入(導入)経路はいくつもあります。トマト、ジャガイモ、サツマイモ、トウガラシ等々、海外から導入された野菜類は数多もあります。ヒマワリやチューリップ等の、園芸用のお花も日本原産ではないですね。しかし、普通これらは帰化植物とか侵入生物とはいわれません。もともと勝手に侵入したものや、野生化して雑草扱いされているものは、このような名称で区別されているような気がします。繁殖力が旺盛なための因果でしょうか。 ちょっとお気の毒な気もします。話は変わりますが、最近、道路沿いの空き地などで、4月~5月にかけてオレンジ色のケシ科の花を見かけませんか。これは、地中海地方原産の、ナガミヒナゲシですね。手前のオレンジ色のお花です。 我が家のご近所では、急速に勢力を拡大中です。ナガミヒナゲシは、細かい種子が拡散する上に、アレロパシー活性が強く、生態系に重大な影響を及ぼす可能性があるといわれています。この場合のアレロパシーとは、ナガミヒナゲシの根茎や葉から出る化学物質が、他の植物の生育を抑制してしまう作用を指します。つまり、定着させてしまうと、ナガミヒナゲシだけが繁茂してしまうことになります。でも、そうはならないのでしょうね。 たぶん。一時期、そこらじゅうの空き地で茂っていましたセイダカアワダチソウ。ところが、最近見かける機会がかなり減ってきています。セイダカアワダチソウもアレロパシー活性が高いようです。しかし、自分自身もこの作用にやられてしまうそうですよ。いずれにせよ、このナガミヒナゲシにしても、アレチウリにしても、日本の在来種と競合し、こちらが駆逐されてしまうリスクは十分に考えられます。一度絶えてしまった種は、二度と復活はしないでしょう。しかし、これも自然の摂理なのでしょうか。永い地球史のなかでは、そのような事例は幾らでもあります。この久慈川の河川敷の光景を、異様なものと感じるのは、人のか勝手な感傷というものなのかもしれません。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2017.09.13
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