全192件 (192件中 1-50件目)
12月4日(土)過日、八王子にある父母のお墓にお参りした後、久しぶりに藤沢の「そば酒房 陽ざ志」さんを訪ってきました。前回は2020年3月の訪問でしたからおおよそ2年ぶり。この約2年間、言うまでもなくCOVID-19の流行により、「陽ざ志」さんも御多分に漏れず休業されていた期間が長かったのですよ。もちろんずっと完全休業されていたわけではなく、ランチ営業とかテークアウトとかいろいろとチャレンジしていたようですが・・・。理由は未だに判明していませんが、日本国内でのSARS-Cov-2の勢いが急激に衰えましたからね。10月1日より晴れて通常営業を再開されたので、早速お邪魔して研究熱心な店主さんのこと、度重なる時短営業、休業期間は、新メニュー開発や食に関する知識等々の習得に勤しんでいたようです。益々パワーアップしていました。お墓参りの後、ほぼ南に向かって移動したのですが、お約束の時間よりは随分と早く到着しそうだったので鎌倉で寄り道。「陽ざ志」の店主の渡邊充寛さんの高校時代のお友達が、鎌倉の浄智寺境内で個展を開かれているとのことで、まずはそちらに向かいます。個展の内容は、沖縄の染め物である琉球紅型(びんがた)の作品。一般的には型紙を当てて糊を置いて防染し、型を取り去った後色を差していく染色方法。琉球紅型は、南国らしく色が明るく鮮やかなのが特徴でしょうか。我が家の奥様は着物の着付け師の免状を持っていまして、もちろん実態は開店休業のようなものですが、着物のことには興味深々です。琉球紅型の作品は、普段なかなか目にする機会が少ないので尚更ですね。個展のお話は後日の日記に譲るとして、今日は浄智寺境内で目に付いたお花のお話。浄智寺は鎌倉五山の第四位。 由緒ある臨済宗円覚寺派の禅寺です。超有名な建長寺や円覚寺と比べるとこじんまりとした境内ですが、裏山の天柱峰と一体化し、静かで「侘・寂」、「幽玄」を感じさせる素敵なお寺です。まずはサフランのお花。サフランはイラン原産の植物とされますが正確な起源は不明だとか。紀元前からめしべを香辛料、染料、生薬として用いられ、人との付き合いは長い植物。現在はイラン、ギリシャ、インド、スペインなど世界各地で栽培されています。日本でも栽培されていて、大分県の竹田市が主産地です。利用されるのは赤いめしべだけ。そのため単位当たりの金額が一番高い香辛料・生薬としても知られています。透き通った紫色が素敵ですね。 基部の黄色と合わせてガラス細工のようです。ウバユリの実でしょうか。日本固有のヤマジノホトトギス。 これは自生でしょう。小さな苗で頭頂に一輪だけ咲いていました。花壇に栽培されていたタイワンホトトギス。お花の付き方が特徴です。 枝別れをしてその先端にお花が咲きます。日本産のヤマジノホトトギスやヤマホトトギスは、枝が伸びて別れるようなことはことはありません。 葉の腋に咲くことが多いですね。ただ、ヤマジノホトトギスは先端にも咲くので、最初のお花はヤマジノホトトギスなのです。シュウメイギクですね。キクとありますが、キクの仲間ではなくアネモネの仲間(キンポウゲ科)なのだとか。何となく日本のお花の雰囲気ではないように感じますよ。まぁ、古くから日本で暮らしていますが、中国から渡ってきた帰化植物です。貴船菊(キフネギク)との異名もありますから、京都の貴船で定着したのでしょうか。斑入りの葉っぱのススキ。 逆光の中、光輝いて奇麗でした。これは正確にはタカノハススキとかヤハズススキと呼ばれる園芸種。斑入りの葉っぱが、独特の鷹の羽(鷹斑)の模様に似ていることから名付けられています。我が家にも鉢植えのものがあります。ススキですからね。 地植えでは限りなく増えてしまいますので鉢植え。お寺さんのように広大なお庭でないと地植えは無理ですね。トリカブト。 え、こんなところに生えていて良いのかって感じですね。葉っぱが細く伸びているところからホソバトリカブトにも見えますな。しかしホソバトリカブトの自生地は亜高山から高山。 あまりにも不自然。何れにせよ、全草に強毒を持つ植物が鎌倉のお寺の境内に見られるのには少々驚きました。何方かが意図して植えられたと考えるのが自然でしょうか。ご案内の通り、トリカブトの仲間の根茎は減毒処理されたのち生薬として利用されます。附子(ブシ)とか烏頭(ウズ)とか呼ばれますね。毒で使用される時は附子(ブス)です。だから狂言の「附子」はこちら。 演目はブスと読みます。さてとてもとても古い時代、中国で発達した医学は、仏教とともに多くは高僧を通して日本に伝来したことは間違いないところ。もちろん医学だけではなく、思想・哲学、暦、官僚制度、食文化、建築等々も然り。 そんなお話を想起させられます。これはサラシナショウマでしょうか。若葉を茹でて水に晒して山菜として食べられていたように山地では身近な植物。しかし身近な山では見かける機会は多くはありません。千葉県、東京都、埼玉県では純絶滅危惧種に指定されているようです。さて、このサラシナショウマも根茎は升麻(ショウマ)という生薬。ブラシのように咲いている白いお花が特徴的敵です。サフラン、トリカブト、そしてこのサラシナショウマは、広いお山の境内の中にポツンポツンと、とても離れて咲いていました。しかし、鎌倉の由緒正しいお寺の境内に集合していたことは、決して奇遇ということではなく、何か大きな意思のもとにこうなっていたのだと、大いに感じるところでありました。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2021.12.04
10月20日(水)先週から急激に気温が下がってきましたが、本日の関東地方では早くも「木枯し一号」と思われる強い北風が吹きました。我が家でもお昼頃から、「ヒュー、ヒュー」という風が吹き抜ける音が室内でも確認できました。「木枯し一号」といえば、晩秋から初冬にかけて吹くものと思っていましたが・・・。体感的には少なくとも半月ほどは早いなぁというところでしょうか。気象庁の website によると、「木枯し」の定義は「晩秋から初冬にかけて吹く、北よりの(やや)強い風」。そのシーズンで最初に吹いた「木枯し」が「木枯し一号」となりましょうか。過去のデータを見てみると、東京では10月下旬から11月上旬が多いようです。今年は、お天気が良いと暑い、お天気が芳しくないと蒸し暑い、このような日々がつい最近まで続いていて、爽やかな秋晴れの一日という記憶はなかなかありませんな。日本近海の海面水温を見てみると、9月末頃まで、30℃に近い海水温が太平洋側に迫っていました。10月に入ってから、この海水塊が南方に後退し始めています。これが最近の急激な気温の低下に繋がってはいないかと推測できるところですね。北海道では、襟裳岬では秋鮭は不良でブリが大漁とのこと。数年前からオホーツク海側では、このような現象が見られていましたが、今年は太平洋側で顕著なようです。ところが、北海道ではブリはとんでもなく安値だそうで、漁師さんには思いっきり迷惑な現象だそうです。 赤潮も発生しましたし・・・。年々不漁が酷くなるうえに、今年は赤潮も発生し網の中のサケは大方が死滅。特産のウニも大量に死んでしまい、踏んだり蹴ったりという状況ですね。それ以外にも、根室海峡に面した知床半島の羅臼では、今夏クロマグロの群れが確認されたとのこと。シャチやクジラのジャンプではなく、クロマグロのジャンプだったそうです。晩夏からいきなり晩秋かと思われる季節感や、北海道で顕著な海産物の変化。 不気味ですね。今年のノーベル物理学賞を受賞した真鍋淑郎氏は、地球全体の気候をコンピューター上で再現して予測する数値モデルを開発し、大気中の二酸化炭素濃度が気候に与える影響を初めて明らかにしたとされました。これまで、相関関係はあっても因果関係は不明であるから、二酸化炭素の排出抑制には反対だ、という国の指導者もいましたが、やはり排出抑制は地球全体の喫緊の大きな課題なのですよ。折しも昨日、衆議院議員総選挙が公示され、選挙戦がスタートしました。やはり、COVID-19対策と経済対策が大きな争点となるのでしょうね。勿論目先はそうかもしれませんが、経済対策については困窮者に手を差し伸べるといった近視眼的な話だけではなく、グリーンやエコをも包括的に解決する、大きな視点での経済構築を望むところです。今日は阿蘇山中岳で中規模な噴火があったそうです。昨年訪れた時もモクモクと噴煙を上げていました。今日は小規模の火砕流と噴出物が観測されたそうです。夕方には噴火そのものは落ち着いたようですが、今後もしばらくは警戒が必要かと。COVID-19が落ち着いて、今後観光需要が見込まれる時期ですから地元は残念ということろでしょうか。さて、前置きがやたらと長くなってしまいましたが。今日のお題は秋のお花の続き、ということです。いずれも、ソバの花が咲いていた下妻市の小貝川の河川敷で見られたお花です。最初の3枚の写真は言わずと知れたヒガンバナですね。球根でしか増えないのに、離れた場所でも増えていくというちょっとミステリアスな植物。人が植え替えただけでは何でその場所と理解ができないような移動も見られます。しかも有毒植物ですから、動物が食べたりして移動したとも思えません。河川敷ならば洪水の際に流されたとか。このようなことを想像することはできますが、なかなか謎多きお花です。続いて、1枚の写真はフジバカマ。 秋の七草の一つですね。古来から愛されてきたお花ですが、河川工事などの影響で自生は激減しているそうです。環境省のレッドリストでは純絶滅危惧種(NT)に指定されています。ピンク色の小さなお花はミゾソバです。小川や湿地の畔など、湿潤な場所では良く見かけるお花です。よく似たお花が2種あります。 すべて縁がほんのりピンク色の可愛いお花。しかしどちらも面白可笑しなお名前なのですよ。アキノウナギツカミとママコノシリヌグイ。 奇天烈でカタカナではイメージできないかも。漢字で書くと、アキノウナギツカミは「秋の鰻掴み」。 ママコノシリヌグイは「継子の尻拭い」なんですね。ミゾソバにも見られますが、何れも茎や葉っぱに棘があります。アキノウナギツカミは細かい棘があるので、ウナギを掴むのには持ってこいか実際に掴んだことはないのでその効用は不明です。ママコノシリヌグイはもっと恐ろしいお名前です。こちらの棘のほうが大きくて鋭いのです。 継子苛めにこれを使ったってことか。今風に言えば大変な児童虐待ということになります。ミゾソバには白花もあります。 同じ場所で咲いていました。ところでCOVID-19の新規患者数は、何でと思われるほど少ないままで推移しています。激減してきた理由が今一つはっきりしない中、もう大丈夫ともはっきり言えないところ。ワクチン接種先進国のイギリスでは、行動抑制を全面解除した後、新規患者数が増え始めているとのこと。東京、埼玉、千葉、神奈川の一都三県では、来週の月曜日、10月25日から飲食店の時短営業の要請解除に踏み切るようです。飲食店を経営されている方、従事されている方には朗報ですが、利用する側については、引き続き大声で騒がないなど、それなりの配慮が必要なのは言うまでもないことでしょうね。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2021.10.20
10月15日(金)今日は久しぶりに日記の更新。COVID-19の第5波は拍子抜けを感じるほど急速に収まり、東京都ですら、このところ新規患者数の確認数が二桁台の日が続いています。このまま大人しくしていてくれることを祈るばかりです。関東地方では昨日から急激に気温が下がり、半袖・短パンの姿から上着に薄手のコートを羽織るといった、残暑の出で立ちから、秋の装いを一気に通り越して初冬の趣に突入です。ところが九州方面は未だに30℃前後の夏日が続いている模様。もう10月も半ば。 やはり気候変動の兆候を感じずにはいられませんね。一方、衆議院は先程解散し、自民党の総裁選から第100代総理大臣の誕生、衆議院議員選挙と熱いイベントが続きます。 選挙戦の結果が出るのは10月末。自公政権が続くとなれば、岸田自民党総裁が引き続き第101代の総理大臣を務めることになるのでしょう。個人的な意見とはなりますが、COVID-19の影響でガチャガチャの経済・社会情勢ですから今暫くは安定を望みます。岸田さんは大人ですよ。 家庭をとても大切にする方ですし。自分が40台半ばの頃、岸田総理は2つ年上、当選5回で入閣目前といったところ。当時は小泉純一郎元総理大臣の元行われた郵政解散の直後と記憶しております。そのような折、属していた会社の仕事の件で、衆議院議員会館でお会いしたことがあります。ご理解いただいたかどうかは別にして、少なくとも良く話を聞いていただきました。総裁選挙中から人の話を聞くのは得意とおっしゃっていましたが、今思えばそのような姿勢はお若いころから堅持されてきたのだと思われます。就任直後であり総理大臣としては実績ゼロですから、マスメディアなどは余り好ましくない適当な評価を垂れ流していますし、支持率もそれほど芳しくはありませんが、小手先の施策に終始せず、本格的な経済再生と社会情勢の安定を期待しましょう。日記のテーマは秋のお花。 今日は日本そばのお花です。時期は9月末。 場所は茨城県の下妻。 トップの写真のお山は筑波山です。そばの県別の収穫量は北海道がダントツの1位ですが、2位以下は、山形県、栃木県、茨城県、長野県で抜きつ抜かれつのデッドヒートです。そのようなそば処の茨城県にあって、筑波山の西側・北側に位置する下妻市や筑西市、桜川市には、今では茨城県全体の作付面積の5割程度のそば畑が広がっているといわれています。特に茨城県で栽培されている品種は「常陸秋そば」というもの。元々常陸太田市の金砂郷の赤土地区で栽培されていた在来種を、粒揃いがよく味がしまりたんぱく質やでんぷんを多く含むことを基準に、選別を繰り返す選抜育成法によって良質なものを固定したのが「常陸秋そば」。粒揃い、香りの高さ、甘みに優れているのが特長ということで、茨城県内で栽培されるほぼすべては「常陸秋そば」で占めるそうです。従ってこれらのお花もおそらく「常陸秋そば」のお花。毎年、9月末から10月初めには、国道294号線(常総街道)を走っていますと、真っ白に見えるそば畑の広がりを確認することができます。特に、「道の駅しもつま」の周りには多いように思います。この日はお天気が良くなく、くすんだ色の写真ばかりになってしまいました。広いそば畑の中で、見える範囲では唯一の赤い実。そばという植物は、ハナバチやハナアブの訪花によって受粉する他家受粉植物。従って自然交雑しやすく、品種の特性が失われ(変化し)やすい特性があります。上の写真の赤い実もそのような自然交雑の結果かも。このような変化を避けるため、茨城県全体で栽培品種を「常陸秋そば」に統一するという取組がされているそうです。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2021.10.14
4月21日(水)先週の日記でも書きましたが、SARS-Cov-2の変異株・N501Yの猛威は益々勢いを増しているようです。先に流行が始まった大阪府では、高度医療を提供する病院が多くが、通常の医療体制を維持できなくなっているとか。重症患者さんの救急搬送は、受け入れ先が無くて自宅に逆戻りの例もあるそうです。また、患者さんのトリアージが始まっているとか、交通事故の患者さんは救えないとか、本当にやばい状況になりつつあります。医師・看護師の手が足りなく、他府県からの応援も必要ですね。しかし大阪府の状況が全国に広がれば、医療資源に余裕がある都道府県も無くなります。東京都で緊急事態宣言が解除されたのがちょうど一月前の3月21日。ところがその後は一転して感染者数が増え続け・・・。たったの3週間ほどでまん延防止等重点措置が適用され、更に10日ほど経った今週末には、再び緊急事態宣言下に逆戻りしそうな状況です。最近、政府は9月末までには全国民分のワクチンが確保可能としましたが、一方で自民党高官はそうであっても接種完了は来春の恐れありと、言ってることがちぐはぐ。そもそもPCR検査に及び腰であった日本政府。 一年経っても未だに体制は貧弱。更にはワクチンの確保に失敗したワクチン戦争に対する日本政府の敗北。政府にも地方自治体にもプランB、C、Ⅾって考えは無いのでしょうか。言いたいことは様々ありますが、ここでは控えめにしておきましょう。昨年の4月の緊急事態宣言下より悪化している社会状況を見ると、今まで一年間も、一体何をしてきたのかという思いに駆られてしまいます。さて、日記は花の福島の第三弾。 三春から北上した二本松市の霞が城址です。トップの写真はお尻に花弁を付けた二ホンアマガエル。末っ子が「パンツ履いてる」と面白がっていましたので、思わず追っかけて写真を撮ってしまいました。下の写真は霞池の片隅に吹き寄せられた桜の花弁。微妙に色が異なりきれいなグラデーション。隙間の水面がキラキラ光り、実際にはもっと輝いて見えました。時は室町時代初期の1341年(興国2年/暦応4年)、奥州探題・畠山高国が殿地が岡に居を構え、地名を二本松と改称したの始まり。そして7代当主・二本松満泰が1414年(応永21年)頃に、殿地が岡より2kmほど南に位置するこの山に築いた城が霞が城(二本松城)です。城郭の分類からいうと平山城になるのだそうですが、要するに平野部にある山や丘を利用して築かれたお城ということです。従って麓の駐車場から天守址までひたすら登りです。その登り坂の途中に少し変わり者のお花が咲いていました。ショウジョウバカマのお花ですね。北海道から九州まで、平地から高山帯のやや湿った土地に生えています。垂直分布が広く環境適応力も強そうですが、その割には見かける機会が少ないな、というのが印象です。山菜取りの名人なら良く見ているかもしれません。ショウジョウバカマは漢字で書くと「猩々袴」。猩々は赤くてお酒が好きなお猿さんのような中国の伝説上の生き物のことです。赤くてぼさぼさのお花を猩々に擬えたのでしょうね。ハカマとは根元から多数出て地表に広がる葉っぱが袴のようだからだそうです。ショウジョウは様々な生き物の名前に用いられています。ショウジョウトンボやらショウジョウバエなどなど。 ショウジョウトンボは真っ赤な身体から。ショウジョウバエはお酒の匂いに目が無いからなんだって。アマサギの漢字表記は「猩々鷺」。 その他色々あるようです。傘松とよばれる赤松の巨木。 推定樹齢300年以上だそうです。展望が開けたところから安達太良山から吾妻連峰が見渡せました。山の上にはまだ雪が残っています。とてもきれいな薄紫色のタチツボスミレ。東北地方では珍しいシロバナタンポポでしょうか。関西方面では、場所によって白いタンポポばかりというところもあるそうです。処変われば品替わるですね。この近辺には何本か咲いていました。後方には普通の黄色いタンポポも見えますが・・・。黄色いタンポポは、ご多分に漏れずほとんどがセイヨウタンポポ。やっと二ホンタンポポを見つけました。霞が城は「日本さくら名所100選」に選ばれています。三春の滝桜もそうですね。また霞が城は「日本の100名城」の一つに選ばれています。城郭のご案内は次の日記で。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2021.04.21
4月14日(水)今日から末っ子の大学の対面授業が始まりました。大阪が大変な事態になっていて、早晩関東地方も同様の事態になりはしないかと危惧されているこのタイミングで・・・。大学4年生となって受ける授業数はグッと減りましたが、片道2時間ほどの長距離通学なので、親としてはやはり心配なところです。大阪で猛威を奮るっているSARS-CoV-2の変異株・N501Yは、従来型よりも伝染性及び毒性が強くなっていると示唆されています。息子に聞けば、やはりリモート授業と対面授業では得られるものの量が大きく異なると感じるそうです。その意味では、できる限り対面授業を行うことに大きな意義を認めるところです。しかしN501Yは若年層への感染も広がっているそうですから、児童・生徒・学生への授業形態については、各地区の感染状況に鑑み、臨機応変に実施していただきたいと思うところです。一方東京で多いとされるE484Kは、既存のワクチンの効果を減弱させるのではないかともいわれています。昨日、主治医の方とお話をしたのですが、未だにワクチン接種は受けられず、現状では何時になるのか分からないそうです。お仲間の医師とも常に情報交換をしているそうですが、茨城県のお仲間は2回終了、横浜のお仲間は同様に未接種とのことです。その一方で、昨日から65歳以上のご高齢の方へのワクチン接種が始まっています。しかしワクチンの絶対数が足りませんから、何れにしても中途半端なのでしょうか。河野ワクチン担当大臣のお話では、GW明けから大きな単位でワクチンが届くそうですが、英や米などワクチン接種が進んでいる諸外国の状況を見ると、一刻も早く多くの方に接種が進むことを切に願うところでありますね。さて、日記は花の福島の続き。 前の日記でも書きましたが、この三春町から二本松市、福島市にかけて桜の樹が非常に多いとの印象です。福島市では、多くの桃の花も満開でしたが。ということで、三春城址である城山公園にも行ってみました。三春交流館「まほら」の駐車場に車を駐めて町内の散策を開始です。まずは山裾をぐるっと回り込んで田村大元神社へ。大元神社とは変わった名前ですが、大元はどうやら大元帥を意味するようで。その大元帥は平安時代の武人、坂上田村麻呂を指しています。2度征夷大将軍に任じられ、東北地方の蝦夷征伐の功があった将軍です。何分にも大昔のお話ですから、伝承の類の域を出ないと思いますが、坂上田村麻呂の末裔であって、一時期三春城城主であった田村氏が祀った神様です。立派な拝殿の裏にはこじんまりとした本殿があります。拝殿は立派でまるでお寺の本堂のようですね。 古くから神仏習合されていた名残です。拝殿に向かって左側の神楽殿の脇から、裏の城山公園へ登りました。そこかしこに大きな枝垂桜が観られます。多くは滝桜の子や孫なのだそうです。城山の天辺から三春町の中心部を眺めます。 やはり多くの桜の樹が目に入ります。城山の本丸跡も桜が満開です。下に下る途中で見つけたヒメウズ(おそらく)のお花。 まだつぼみですね。完全に開花すると形が全く変わり、オダマキのお花をとても小さくした感じになります。普通のタチツボスミレ。 春を感じます。またまた大きな枝垂桜。 右手は三春小学校の校庭になります。白いお花の桜。顎が緑色ですから緑顎桜でしょうか。これはこれで透明感があり素敵です。三春小学校の校門です。 歴史を感じる素敵な門です。明徳堂とは18世紀後半に創設された藩講所のことで、その表門であったそうです。 ちょうど入学式が行われていて、可愛いピカピカの一年生が、ご父兄とご一緒に緊張気味に登校されていました。さて、日を追うごとにSARS-CoV-2の感染者が増加してきています。本日は、兵庫県でも507人と多くの新規感染者が確認されているそうです。東京でもN501Yの感染者数が増えてきているようですね。1年経っても打つ手無しなのでしょうか。圧倒的に少ないPCR検査のせいでしょうか。 何処が危険地域なのかすら分かりません。特に東京は少なすぎるような気がします。まさか、東京五輪開催のための誤魔化しではないでしょうが・・・。感染拡大阻止なのか、経済なのか、五輪といったイベントなのか、何を優先事項として政策が展開されているのか全く見えてこない現政権。何もが中途半端で、何もが上手くいかない、この現状を強く憂います。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2021.04.14
6月19日(金)本日から都道府県をまたぐ移動が自由となりましたね。我が家のように県境の街に暮らしていますと、これは本当に嬉しいことですが・・・。一方で、COVID-19の再拡大もやや心配ですな。特に東京は、つい最近ホストクラブでのクラスター発生が判明したところ。無症状の人もかなり含まれている模様ですから、感染したことに無自覚な人があちらこちらに移動すると、休業要請が解除された接待を伴う店などでウィルスがばら撒かれる恐れがあります。そうはいっても、何時までも経済活動を制限することも適わないですね。感染拡大阻止と経済再生に向けた取り組みとのバランスをとるところが肝要なのは言うまでもなく。2020年は日本も含め、世界の経済成長率がマイナスになることは明らかですが、仮に△8%(現状では予測不能)であるとすると、どれだけの影響が出るのでしょうか。マクロで考えると余りにも大きな話となり、巡りの悪い頭にとっては、少々ピンと来ないところがあります。1,000円が920円、1,000万円が920万円、1,000億円が920億円、1,000兆円が920兆円になるのだと単純に考えると、これは大変なことだと気付きます。しかも影響は一律ではなく偏在します。とんでもなく深堀される人もいれば、それほどでもない人もいます。逆に浮かび上がっていく人もいることでしょう。 企業においても同様です。これらのことを社会全体、世界全体で呑み込みどのように前に進めるのか、COVID-19に限らず、国際対立、人種差別、環境問題等々、課題は山積です。さて、今日の日記では松戸市本土寺のハナショウブのお花について。アジサイのお花を愛でながら、境内の一番低い場所に来ますとハナショウブ園があります。周りにはベンチが設えてあって休憩することもできます。緩やかな坂を上がると弁天堂がある小さな池があります。スイレンのお花がきれいに咲いていました。一輪だけ赤いお花が混じっていました。得も言われぬ美しさですな。10日ほど前ですが、ハナショウブのお花はこの時盛り。今ではもう盛りは過ぎてしまっているのかもしれません。一方、アジサイのお花は咲く始めといったところで、今が盛りかもしれません。今年は各地とも時期が早いようですが、少なくとも6月一杯は楽しめるでしょう。アジサイもハナショウブも突然変異を起こしやすいようです。江戸時代の昔からどちらも品種改良が盛んに行われたとのこと。どちらもとても多くの品種があり、とても似ているものもあり見極めが難しいですね。蛇足ながらスイレンのお花にもとても多くの品種があるようです。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2020.06.19
6月16日(火)少しずつではありますが、日常の生活は平常を取り戻しつつありますね。それにしても毎日暑いですな。入梅したばかりだというのに、日本列島は既に灼熱地獄。お友達の坂入さんのFBには、早くもノコギリクワガタが登場しています。親爺の感覚によると、関東地方のこの辺りでは、ノコギリクワガタやカブトムシの成虫が姿を現すのは6月の末。例年よりも10日以上も早いような気がしますがどうなんでしょう。平野の雑木林でお馴染みのノコギリクワガタやカブトムシは、一般的には、最低気温が安定して概ね20℃前後を超えてくると、成虫の姿が林の中で観られるようになるといわれています。気象庁の websites で確認してみると、我が町の6月の最低気温は、昨年は27日の一日だけ。一昨年は26日以降安定的に20℃をクリアしています。その前年はやはり同時期から20℃前後で安定。一方、今年は既に10日から3日間、20℃を超えていました。昨日も21.1℃でした。 この暑気に誘われてノコギリクワガタも出てきたのでしょうか。さて、夏型昆虫には嬉しいこの暑気は、一方では「COVID-19」対策に不可欠なマスク着用や換気には大敵ですね。世界に目を向けると、中南米諸国やインドなどで未だに感染が拡大しています。統計には出て来ませんが、アフリカ諸国も同様ではないかと少し心配。米国や日本、中国などで「COVID-19」の再拡大に警戒がやや高まっています。合わせて熱中症対策も必要と、やはり以前の日常に向かうのはまだまだ先の事です。とはいっても、この半年で対「COVID-19」の知見は積み上がっています。最近の事例では、感染は明らかに密集での大声の会話がキーワード。ホストクラブでの回し飲みは以ての外として、感染対策が不十分な状態での友人との会食やカラオケ喫茶でクラスターが発生している模様。まだまだ新型コロナウィルスは何処に潜んでいるのか分かりませんが、この点に注意を払っていれば、感染リスクはとても低いのだろうと思います。おしゃべりは本当に楽しいのですが、当面は対面せずにひそひそと小声でお話しましょうね、ということでしょうか。先日の日記では、我が家のお庭のアジサイのお花を書きましたが、一週間ほど前に、最寄りの紫陽花寺、松戸市の本土寺へ奥様と行ってきました。関東地方では、アジサイと言えば神奈川県の鎌倉市が有名です。また、お隣の茨城県にもアジサイの名所が散見されますが・・・。現在首都圏の一都三県では、県境を跨ぐ不要不急の移動は自粛中。従って、同じ千葉県でも近場中の近場、本土寺を訪れたというわけです。6月中は拝観料 500円/大人一人 が必要ですが、拝観料をお支払いするだけの価値は十分あると思いますよ。かなり広い境内のそこかしこにアジサイが植えられています。そのお手入れだけでも、大変な人手と時間と資金が必要ですし。その上、境内で一番低くなっている場所にはハナショウブ園もありますし、秋には紅葉の名所としても名を馳せています。6月の初旬ということで、アジサイのお花は咲き始めでしたが、仁王門を潜ると早速色とりどりのお花が出迎えてくれます。時期が時期なので訪れるお客さんも少なく、ゆっくりと鑑賞することができました。本堂はとても立派な造りです。このお寺は1277年に開山された、由緒ある日蓮宗の古刹ですからね。かつては末寺百数十を統べる宗門屈指の大山だったそうですが、その威容が窺える山内の様子です。 この本堂に至る道にも多くのアジサイが観られます。本堂の右手を進みますと、本格的なアジサイ園が続きます。このお花はマジカルコーラルという品種でしょうか。フリルのようなギザギザが入ったがく片がおしゃれです。お花が咲き進むにつれて、色が変化していきます。渦紫陽花のお花。別名はお多福紫陽花。 更にはポップコーンとの異名もあります。くるっとカールしたがく片が変わっています。境内の一番下へと続くアジサイロード。下りきった処がハナショウブ園です。今日の日記ではハナショウブのお花は省略。ヤマアジサイの株もありました。葉っぱが薄くて光沢がないところが見分けのポイント。品種名は不明です。ハナアブも訪花中。ゆっくりと鑑賞して2時間ほどで回れます。6月中は見頃が続きます。ご近所の方は訪れてみたらどうでしょうか。少々混雑したとしても、鎌倉の長谷寺や明月院とは比べ物にならないほど空いています。19日からは県境を越えた移動も解禁される見込み。門前には2軒ほど茶屋がありますし、飲食店もちらほらとあります。常磐線の北小金駅から徒歩5分ぐらい。 交通の便も上々です。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2020.06.16
6月6日(土)前回の日記では、経済的な窮地に陥る大学生(下宿生・留学生)のことが心配だと書きました。大学生のなかでも、4年生、3年生にとって、更なる心配事は就活(就職活動)のことでしょう。我が家の末っ子もはや大学3年生。 そろそろ裏では就活が始まります。人との接触を8割減らせの社会状況の中での就活は、誰もが経験したことがないもの。未曾有の経済の落ち込みの中、史上初めてのオンライン就活に、大学4年生はもちろんのこと、採用する企業側もとても面食らっていることでしょう。今日の朝刊で読みましたが、今年はエントリーによる志望集団からの選抜以外に、スカウト型就活も活用が進んでいるらしいですね。 これはスカウトサイトを活用するもの。スカウトサイトは逆求人サイトともいわれますが、プロフィールを登録した学生に企業がオファーを出すという仕組みです。これまでも、転職や中途採用の際にはこのようなサービスが存在していましたが、今回のコロナ騒ぎによって、新卒採用にも広がってきたということでしょう。しかし「便利」、「楽」という声がある一方、利用する学生にとっては、数々のリスクがあるようにも思えますな。何よりもの心配は、モチベーションが維持できるかどうかです主体的に選んだわけではない企業、業過に就職し、選ばれたという喜び、あるいは優越感だけで長い社会人人生を主体的に乗り切れるのかそのような他人への心配は別にしても、コロナ禍によるIT社会への推進はこのような試みも産んでいるわけです。末っ子は、現在インターンシップへのエントリーと、web上の就活セミナーの参加に余念がないところですが、何れも嘗ての企業説明会の進化版。今夏は各企業のインターンシップが実際に開催されるのかどうか心配ですがね。それにしても就活のやり方も随分と変わったものですね。今日の日記は我が家のお庭の様子、第二弾。 4種類ほどあるアジサイのお花のことです。先月まで満開であったヤマボウシのお花は、総苞片が散り始めています。下の写真はヤマアジサイ、「紅」の咲き始めです。元々に日本の山野に自生していたアジサイは、ガクアジサイとヤマアジサイ。どちらも丸い「手毬咲き(ポンポン咲き)」とはならず、周りを囲むがく片が目立つ装飾花と、中央の両性花からなるがく咲きのアジサイです。ガクアジサイは、房総半島、三浦半島、伊豆半島などの海岸沿いに自生しています。従って別名はハマアジサイ。一方ヤマアジサイは、本州から九州にかけて山中の特に沢沿いに見られます。従って別名はサワアジサイ。 湿っぽい処を好むため水やりが欠かせません。真夏に水を切らすと即座に葉っぱが萎れてしまいます。装飾花は3弁か4弁。 未だ真っ白ですが次第に赤色に変化していきます。そのために「紅」という品種名ですが、残念なことに赤くなるとお花は終わりを迎えます。下の写真はガクアジサイのダンスパーティー。周りの装飾花の花柄(花を支える軸)が長く、風が吹くとユラユラとダンスをしているように見えることからが品種名の由来でしょうか。ガクアジサイとヤマアジサイの最も大きな違いは、葉っぱを見ると良く分かります。ガクアジサイの葉は厚みがあってツヤがあります。 全体の姿形もガッチリしていますね。ヤマアジサイの葉っぱは薄くてツヤがなく、姿形も何とも頼り無げに感じます。ダンスパーティーの装飾花のがく片は八重。一般的にガクアジサイのお花は、土壌の酸性度により色が赤から青まで変化します。酸性に偏ると赤、アルカリ性に偏ると青。 自然のリトマス試験紙のようですね。尤もリトマス試験紙の色が変化する成分はアゾリトミン。嘗てはリトマスゴケから抽出していたそうですが、今では化学合成で得られているようです。一方、アジサイの場合はアントシアニン色素の一種、デルフィジンという色素によって発色しているようです。デルフィジンはアジサイ以外にも、アサガオやツユクサなどの青色を発色する色素とのこと。しかし植物の種類によって、微妙に発色の作用が異なるようですな。アジサイのテルフィジンは、主に土中のアルミニウムイオンとの結合で色を変えるらしいですな。土が酸性であるとアルミニウムイオンが多く存在し青色に発色するのですが、実際に実証されたのは非常に最近のことなのだそうですよ。 難しいので細かい話は省略。下の写真は「墨田の花火」という品種です。「ダンスパーティー」よりも更に装飾花の花柄が長く、装飾花が垂れ下がったお花全体の姿を、隅田川の花火大会に見立てたものなのでしょう。花火の中でも、光が尾を引く錦冠という種類に似ているかも。これは「ブルースカイ」。咲き始めは黄色味が強いのですが、次第に鮮やかな青色へと変化します。アジサイの仲間には、小さい花が丸く咲く手毬咲きのアジサイもありますね。これは日本原産のガクアジサイが直接あるいは中国経由で欧州に渡り品種改良されたもの。フランス、ドイツ、オランダ、ベルギーなどで人気を博し、日本の明治時代以降に競って品種改良されたようです。 それが逆輸入されたのですね。この「ブルースカイ」はがく咲きなのですが、日本で改良された品種ではありません。生れたお里はどうやらスイス。 逆輸入品なのだそうですよ。確かに日本で作出された「ダンスパーティー」や「墨田の花火」とは、少し雰囲気が異なりますね。 大柄で骨太の印象を受けます。「ブルースカイ」は青で固定された品種なので、土壌の酸性度によって色がコロコロ変わることはありません。 いつも安定の青。アジサイのお花も奥が深いものです。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2020.06.08
6月2日(火)一昨日から6月。昨年の今ごろは既に北海道に上陸していました。 月日が経つのは早いものです。徐々に経済活動が再開されてから一週間ほど経ちましたが、東京都のCOVID-19の新規感染者数は再び増加傾向が見られています。北九州でも先週から同様の事態になっています。大方の人々は未だ不安を抱え慎重に行動しているようですが・・・。通勤電車は今週から満員電車に逆戻りの模様。三密を避けるどころではないようです。 テレワークはどうなっているのでしょうか。経済問題といえば、今我が家で一番気になることは、少しずつ取り上げられるようになった大学生の勉学や生活や就職活動のこと。親爺が大学生であった40年ほど前の記憶では、自宅から通学していた学友は本当に数えるほど。幸か不幸か自分は自宅通学でしたが、ほとんどが大学の近辺に下宿していました。日本学生支援センターが調査した直近(2018年)のデータからは、国立大学の学生の下宿(アパート。寮)率は、今でも7割になると読み取れます。ちなみに、公立は6割、私立は4割程度のようです。更に親元、下宿に関わらず、85%もの学生はアルバイトをしています。そのアルバイト先は販売店や飲食店が65%を占めるそうです。先般国会で成立した第二次補正予算では、そう、非常事態宣言に基づき休業要請を受けた業種ですね。下宿性は帰省も制限され、4月、5月はさぞかし心配されたのでしょう。非常事態が解除された今でも、シフトが減らされたり蒸発してしまったり、まだまだ苦労しているかもしれません。一部の大学生は大学中退まで考えるほど追い込まれているそうです。先般閣議決定された2020年度第二次補正予算では、困窮している学生を対象に学生支援緊急給付金の創設が盛り込まれました。予算の成立を見越し、既に各大学では受付を開始しています。それ以外に独自の支援策を設ける大学も見受けられます。社会問題として大きく取り上げられる機会は少ないのですが、次世代の社会を担う学生たちが修学を断念せざるを得なくならないよう応援したいものです。教育そのものは、各大学でオンライン授業が行われています。末っ子の大学でも、5月以降Zoomを使って授業もゼミも行われています。その点は余り心配はありません。オンライン飲み会もやっています。 ゼミでもしっかりと討論が行われているようです。今の学生はほぼ全員がPCやタブレット端末、スマホを持ち、少なくとも高校生の頃から操作に慣れていますから適応力は高いのでしょう。通学時間が無い分予習や自習の時間が確保でき、また大学教育とは別に、個々興味がある分野にもかなりの時間が割けますから、意外と良い塩梅のようです。電話やメールといった全世代の通信手段とは異なり、自分も含め参加者全員の様子や表情が分かるので、コミュニケーションは取り易そうです。当たり前のことですが、外出自粛の期間にも季節は移り変わり、我が家のお庭も様相がすっかり変わりました。今日はそんなお庭から、ヤマボウシのお花をお届けしましょう。この樹とはこの地に家を建ててからのお付き合い。毎年5月にはピンク色のお花を咲かせ、目を楽しませてくれています。ご近所の植木屋さんで見付け一目惚れ。 即行で植えていただきました。品種は「サトミ」。ヤマボウシの樹は、全国の山野で自生しています。ほとんどは白花なのですが、偶に赤花が咲く変異種がでます。サトミの ”mother tree” (原木)は、40年ほど前に岩手県の山中で見出されたもの。川口市安行の植木屋さんが接木で殖やし、品種として固定したのだとか。もう一つ、赤花のヤマボウシには「紅富士」という品種もあります。こちらは20年以上にも及ぶ実生苗木の選別改良から生まれた品種。選別の基準は葉が小さく赤銅色が混じるもの。 葉が赤いものは赤花が咲く可能性があります。名前の通り、富士山麓のヤマボウシから地元の園芸家が作出したものです。我が家には「紅富士」の樹はありませんから、直接比較はできませんが・・・。一般的に東北地方に自生するヤマボウシの花びらは、正確にいいますと総苞片ですが、丸味を帯びた卵型でふっくらしたタイプ。一方、関東以西のヤマボウシの花びらは、幅が狭く細く尖った形です。我が家の「サトミ」も、東北地方のヤマボウシの特徴が良く出ています。今年も多くの花を咲かせたのですが・・・。 例年に比べると若干異変が起きています。それはお花の色。何故か赤色がとても薄いのです。陽が当たらない下の方はほぼ真っ白ですし、陽が当たる上の方でも薄いピンク色。枝によっては縁取りがほんのりとピンク色。今年の5月は我が家に居る時間も長く、例年とは異なる風情がたっぷりと楽しめました。さて、関東地方はいよいよ毎日蒸し蒸しの季節となりました。熱中症に注意ですなにほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2020.06.03
12月14日(土)関東地方ではほぼ北関東といえる我が町でも、いよいよ厳寒期に向かってまっしぐらとなっています。偶に最高気温が15℃を超える暖かい日もありますが、最低気温はほとんどの日が0℃に近づいています。 野山に食べ物が少なくなってきたのか、住宅街にある我が家の近辺も、野鳥の姿が増えてきました。2週間ほど前の11月30日のことですが、茨城県稲敷市の稲波干拓地へ出向き、オオヒシクイの様子を観てきました。朝暗いうちに出発し、辺りが薄明るくなってきた頃に到着しました。時刻は6時半頃。 この日は強い寒波の襲来で現地の気温は-4℃ほど。辺り一面に霜が降り、真っ白にお化粧されていました。土手の向こうの小野川からは、川霧が盛んに立ち昇り幻想的な景色です。小野川の手前半分は黎明の光に薄く照らされ、ローズピンクに染められとてもきれいです。風はほとんど無く、川面に波は立っていません。とても静かな朝でした。川の手前側はオナガガモに占有されていましたが、奥にはカルガモ軍団が屯。少し距離が開くと川霧に邪魔をされ、景色は滲みぼんやりと映ります。とても静かな雰囲気の中、僅かな空気の揺らぎも感じられるほど、透き通り落ち着いた気持ちになることができました。まだ緑が残る草の上には、霜の結晶が立ち上がっています。稲波干拓地でも今年の初霜だったそうです。霜の写真に何枚かチャレンジしますが、上手く表現できないものですね。意外と難しいものです。 泥濘には霜柱が立っていました。立派な霜柱です。 途中で曲がってしまうほど長く伸びています。 ここまで伸びると、地面から突き出た春雨のように見えてしまいます。霜と霜柱。名称に同じ霜が付きますが発生のメカニズムは全く異なります。霜は空気中の水蒸気が凍り付くもの。霜柱は地中の水分が毛細血管現象で地表に上がり凍り付いて伸長するもの。その際まず地表の水分が凍り付くことが前提条件となります。そして地中の水分は凍り付かないこと。 染み出た時に凍らないと伸びません。下の氷が上の氷を次々と押し上げて柱になっていくのですね。霜柱なんて、真剣に観るのは何年ぶりでしょうか。子供の頃はあちこちに原っぱがあり、学校の校庭や花壇なども霜柱だらけでした。みんなでサクサクと踏みつけたことを思い出します。暫くすると朝陽が昇ってきました。一気に気温が上昇してきました。 お陽様の力はやはり偉大なものですね。草の上の霜もどんどん解けて、針状であった形が崩れてしまいます。干拓地の中ではオオヒシクイたちが少し動きだしました。他の野鳥たちも動きが出てきました。この場所は地元そして近隣の有志で結成された、「稲敷雁の郷友の会」のメンバーが毎日交代で日の出前から日没後まで観察を続けています。その観察記録は毎日公開されています。 websiteのアドレスはこちら。http://relaxbach.sakura.ne.jp/hisikui/ご興味の湧いた方は見てくださいね。国の天然記念物である、雁の仲間が多数観察できる場所は、関東地方ではここだけです。一定のルールやマナーを守っていただければ誰でも見学できます。明日の日記ではこの日のオオヒシクイの様子を中心に書きます。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2019.12.14
11月29日(金)本当に久し振りに、一日中青空が広がりました。しかし冷え冷え。 今朝は愛車のフロントガラスが凍っていました。朝方の最低気温は0℃以下だったようです。 まだ12月にもなっていないのに・・・。昨年はどうだったかと確かめましたら、12月10日に初めて最低気温が0℃を割り込んでいました。その前はどうだったのか。 何と2年前も3年前も11月中に0℃以下を記録していました。じゃあ、もっと前はどうなのよ、と20年間遡って見てみました。1999年から2018年の間で、11月に0℃以下を記録した年は、2017年、2016年、2012年の三年だけ。特に1999年から2011年までは全て該当していませんでした。ということは、近年の傾向としては冬の訪れが早くなっている、夏は暑くて冬寒いということが言えるのかな。我孫子市だけのデータを見て言っているので、普遍性はないわけですが・・・。何となく実感としても肯けるような気がしています。さて、秋が過ぎ去るのは斯様にも早かったのかと思ってしまいますが、日記の舞台は、ほんの三週間前、晩秋の水海道あすなろの里です。野鳥の姿を求めて歩き回っていますと、秋の風情を強く感じるものが時々目に入ってきます。トップのものはカラスウリの実。ちょっと田舎の林や藪には、今の時期良くぶら下がっている実です。真夏の夜に咲く白いお花も独特な艶やかさがありますね。花弁の縁がばがく長く紐状に伸びますが、この数が非常に多いのでレースを広げたようです。下の写真はクサギの実。草木に独特の臭いがあるのでクサギなのですが、やはり夏に咲くお花も、この実もそのフォルムはなかなか味があるものです。大きくて赤い顎片がそれを演出しています。時々道端で見掛けますが、群生する植物ではないので直ぐにその存在を忘れてしまいます。これはジシバリのお花かな。 別名はイワニガナ。何処にでも生えてくる雑草の類ですが悪い印象は受けません。葉っぱもお花も控えめで、楚々とした乙女のような可憐さを感じます。イヌコウジュかイヌヤマハッカのお花でしょうか。最初見た時はハッカのお花かと思いましたが、葉っぱからは何も臭いませんでした。コウジュもヤマハッカも良い匂いがするものですがね。何も臭わないので頭にイヌと付けています。イヌという接頭語には役立たずという意味が込められています。可愛いワンコには迷惑な名前の付け方です。野鳥の姿を求めて上ばかりを見ていますと罠にはまります。いつの間にやらGパンの裾には細かい種がびっしりと張り付いていました。チヂミザサの実です。 全く油断していました。足元を見るとこのチヂミザサが一面に生えています。そして親爺のGパンの裾は、インディゴブルーが全く隠れるほどこの実が張り付いていました。この後ベンチに座り、全ての実を外すのに30分ほどかかってしまいました。このように動物の毛や人の衣服にくっついて運ばれる実を、一括りにして「ひっつき虫」とか「どろぼう草」などと呼んでいますね。ひっつき虫には3タイプがありますね。オナモミの実のように、先がフック状になった棘が沢山生えているもの。これは面ファスナー(マジックテープ、ベロクロ)の発明のヒントになった構造です。そして、センダングサのように鋭い棘が2本、フォークのように生えているもの。さらに粘着性の液を分泌し引っ付くもの。 チヂミザサはこのタイプです。付箋紙(ポスト・イット)に塗られた接着剤のようです。実から伸びているノギに粘々の液体が付いているのが良く分かりますね。これらの植物は、全て谷津状になったこの場所に生えていたものです。両側の樹上をカケスが行ったり来たりしていたので、ずっと上を向いて歩いていたのです。やはり足元は良く確認して歩かないとダメですな。左側の丘につながる道の途中では、キノコが幾つか生えていました。これは奇妙な形をしたヤマブシタケ。不気味ですが食用になるそうです。もう一つ見付けました。 子供の頭ほどの大きさです。 マッシュルームのようなキノコも発見。如何にも美味しそうな色合いですが・・・。種名は不明。水海道あすなろの里にはふれあい動物園という、小さな動物園があって、何種類かの変わった動物や鳥が飼育されています。プレーリードッグやリスザルは人気があります。フクロウとハヤブサも檻の中にいます。 自由に飛べなくて少し気の毒です。一番奥の檻の中には、インドクジャクや烏骨鶏と並んで、アフリカ大陸のカンムリヅルも飼われています。カンムリヅルのお話は置いておいて。斯様の如く、水海道あすなろの里は昔ながらの里山を再現した自然公園です。様々なイベントも催されていて、近隣の子供たちも自然を学ぶ場として良く利用しているようです。入場無料となってより利用しやすくなりましたね。この後は近くの菅生沼ふれあい広場に寄ってみました。その様子はあた明日。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2019.11.29
11月24日(日)一昨日の朝から降り続いた雨はやっとお昼過ぎに止みました。気象庁の website で我が町の降水量を確認すると、一昨日は33.5mm、昨日は51.5mmとなっていますね。今日の分を合わせると100mmは確実に超えているでしょう。更に深堀してみました。 過去10年間の11月の合計降水量の値です。2108年 48mm2017年 53mm2016年 129.5mm2015年 130.5mm2014年 90.0mm2013年 26.0mm2012年 108.0mm2011年 107.0mm2010年 89.5mm2009年 161.0mmとなっていました。年によりかなりばらつきはありますね。 平均すると概ね100mmでしょうか。実はこの11月は日照時間ゼロの日は一昨日が初めてでした。当然降水量も非常に少なく、それまでは累計20mm弱でした。やはりこの3日間で11月分は降りましたということになります。しかし統計というものは恐ろしい。 平均値と実数値がこれほど乖離しているとは・・・。ほとんどの年が平均値から大きく外れていますから、毎年のように、今年は気候が変だということになってしまいます。統計はもう少し丁寧に見なくては、という自戒のお話でした。さて、昨日の日記は蝶々の様子でしたが、今日はそれ以外の昆虫の姿を集めてみました。我が町は典型的な郊外都市ですから、まだ自然環境がかなり残っています。したがって昆虫の種類もそれなりに多いと感じます。足元からはいわゆるバッタの仲間もピョンピョン跳ねますし切りがないですね。ということで、存在に気が付き興味を引いた昆虫です。まずはアキアカネ。 トップの写真です。続いて下の写真は、もっと赤くなっているナツアカネ。ナツアカネはアキアカネより個体数が少ないように思います。どちらのアカネも♂。 ♀は赤くならないですね。 もっと地味。ということで下の写真は♀。ところが、何アカネであるかは不明。 カモの仲間のように♂は分かり易いのに、♀はとても分かり難い。その上♂たちも、真夏の未成熟個体は色が出ずに♀のような色合いです。こりゃ事情はカモに似ているなあと、一人で合点していた次第です。トンボの仲間は大きいのから小さいのまで様々。小さい代表がイトトンボ。 このように細い体型のトンボは結構種類が豊富で・・・。この子はクロイトトンボの♀かなと思いますが確信しているわけではありません。まだ咲いている野良カボチャのお花。マルハナバチが花粉だらけのお顔を見せてくれました。ハチのように見えますがハナアブです。ホソヒラタアブのようですがどうでしょうか。訪花しているこのような体型の虫は、一括りにしてハチかなと思ってしまいますが、ひょっとするとハナアブの仲間の方が多いかもしれません。どっちにしろ危険性はありませんから安心です。紋の無い黄色いチョウ。 キタキチョウですね。そっくりさんでミナミキチョウとかツマグロキチョウという種もいるそうです。ヒラヒラと野原を飛んでいる黄色いチョウは、大方モンキチョウのように思えますが、キタキチョウの生息数もかなり多いとのこと。黄色いチョウ = モンキチョウの思い込みから来る誤認かもしれません。我が家の壁に張り付いたオオカマキリの♀。昆虫の中では最強の捕食者の部類ですが、寒さにはてんで弱いですな。凍えて固まっていました。 お陽様に当たって暖まったら何処かに移動していました。ハナアブと同様、我が家のツワブキのお花に訪花したチャバネセセリ。最も地味なセセリチョウの一種ですが、翅を寝かすと結構怪しい玉虫色の胴体が見えてきます。さて、秋も深まりいよいよ冬を迎えますね。一昨日の低温で、かなり多くの虫たちが命を落としてしまったかもしれません。明日はお陽様が射し、幾らか気温が上がるようですが、それ以降は再び急降下の予報が出ています。もうコートを着込むことになりそうですね。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2019.11.24
11月23日(土)今日は我が家の地域の防災訓練の日でしたが、昨日から降り続く雨は全く止む気配はなく、公園での野外訓練は中止となりました。外気温は14℃ほど。 昨日ほど気温は下がっていません。天気予報では明日の朝方まで降り続くとのこと。 降り出すと止まらない。この雨は、どうも台風27号崩れの熱帯低気圧の影響のようですが、関東地方各地で11月一月の平均降水量を越す雨が、昨日から今日にかけて降った模様。災害が起きるほどの雨量ではないと思いますが、天候不順は何か悪いことの前兆ではないかと、古の人々のような考えが頭を過ってしまいます。さて、手賀沼の畔などご近所をお散歩していましても、次から次へといろいろな鳥さんがお顔を出してくれるわけではありません。鳥さん以外にも興味を引くものはありまして、特に視界の中で動くものには注意が行ってしまいます。古来より人が愛でるものは「花鳥風月」だと云われますが、自然の風物は詩や絵画の題材だけではなく、写真の絶好の被写体になるわけです。その中には昆虫たちの姿も含まれます。昆虫にも動きがありますから、お散歩をしていますと目が行ってしまいます。極めて小さなハチやアブからチョウや甲虫など、きれいなものからかっこいいものまで、昆虫たちも多士済々。まあ見つけ次第、写真を撮ろうという衝動にかられるわけです。随分減ってきてはいますが、手賀沼の周辺にはセイタカアワダチソウが生えているポイントがあり、夏から秋にかけて、花粉や花蜜を求めて様々な昆虫たちが集まってきます。セイタカアワダチソウは外来植物で少々厄介なものですが、下から順番に次々とお花を咲かせ、しかも花期が長いものですから、ハナハチやハナアブやチョウたちにとっては、これはもう極上の食卓となります。今日の日記は、その中でも特にこの時期に目立つ、タテハチョウの仲間にスポットを当てましょう。トップバッターはヒメアカタテハ。オレンジ色と黒と白のコントラストが鮮やかなチョウです。少し田舎ならそこら中でヒラヒラ飛んでいる普通種です。世界各地に分布し、しかも飛翔力があり渡りをするチョウとして有名です。続いて、ぱっと見がヒメアカタテハに似ている、ツマグロヒョウモンの♀。フィールドで観ているとなかなか区別は付きにくいですね。前翅や後翅の先端の白いレースで縁取られたような模様がまず見分けの第一目標。前肢の付け根がピンク色をしている個体もいるのですがが、この子は全体的に地黒で、ピンク色はほとんど見られないですね。この辺りの特徴は個体差があるものと思われます。メスとは似ても似つかないツマグロヒョウモンの♂。ヒョウモンチョウの仲間では、最もあっさりとした模様です。ただし後翅の先端は白いレースの縁取りがあります。一見オオウラギンスジヒョウモンの表の模様に似ています。しかしレースの縁取りで見分けは可能です。ツマグロヒョウモンは元々南方系のチョウであったようですが、最近では北関東地方でも普通に見られるようになりました。地球温暖化の影響かとも言われますが真相はまだ正確には藪の中。この種は非常に繁殖力が強く年に何回も発生しますから、その力をもって勢力範囲を拡大しているのかもしれません。幼虫の食卓はスミレ類の葉っぱ。 野に咲くスミレから花壇のパンジーまで何でもござれ。花壇やお庭のパンジーやビオラに、黒くオレンジの筋がある棘棘の黒っぽい芋虫がいたらツマグロヒョウモンの幼虫です。比較的あっさりとした翅の模様から、オオウラギンスジヒョウモンのように見えますが・・・。この写真だけでは分からないというのが正直なところです。離陸する瞬間を撮りましたが、翅もかなり傷んでいて見分けにはトホホです。さて次の子は、翅の縁がギザギザのキタテハ。シータテハというチョウに似ていますが、翅の外縁の黒斑の中に薄い水色の斑があることからキタテハだと分かります。タテハチョウの仲間は極少数を除き、翅の表と裏では別種かと思われるほど異なります。概ね、翅の表側の鮮やかさとは異なり、裏側は枯れた木の葉のような色合いです。これが翅の裏側です。後翅に白いブーメランのような小さな模様があります。これはシータテハも持っていて、シータテハのシーはアルファベットの「C」。裏側だけでの判別はかなりハードルが高いです。翅の外縁が棘棘と出っ張っていますが、キタテハの方が出っ張りが鋭い傾向にあります。更に似たようなチョウでエルタテハというチョウもいます。エルは「L」。 かなり珍しいとのことで未だ観たことはありません。翅の裏が地味といえばこの子もそうでした。森の中の地面に留まっていると、落ち葉だと思って踏んずけてしまいそうです。ところが少し翅を広げると、表側に水色の連続した帯状の斑模様を隠し持っています。お名前はルリタテハ。 この子の場合はあまり瑠璃色には見えませんがね。お花の蜜はあまり好きではないらしく、どちらかと言えば樹液に集まることが多いのです。したがって林縁の樹の幹に留まっていました。やたらと逃げ足が速い子で、近くでモズがギチギチと金切り声を上げましたら、あっと言う間に林の中に消えました。飛ぶスピードは、数あるチョウの中でもピカ一だと思います。普通にいるタテハチョウですが、地味な翅裏と素早い飛翔力で以外と観る機会はないかも。最後は最近やたらと目に付くクロコノマチョウ。林や森の中でヒラヒラ飛んでいるチョウは、たいていがこの子たちです。滅多に翅を開きません。したがって表側の模様を観る機会は少ないですな。タテハチョウの中でもジャノメチョウの仲間でして、留まっている時に翅を開かないのは、ジャノメチョウの特徴なのです。前翅の表側には、クジャクチョウの前翅に似た斑模様があるそうですが観たことはありません。また脚の爪が二分しているという特徴もあるそうですが、これも写真では分かりませんね。そっと捕まえて観察してみると確認できるかもしれませんね。このチョウは最近勢力範囲を北に拡大しています。元々は東南アジア、中国南部、インド方面に分布するチョウなのです。ところが不思議なことに、1970年代頃まで沖縄ではほとんど生息が確認されていませんでした。どうも沖縄地方よりも先に、九州、本州での成蝶越冬が確認されているのですね。日本においては南北両側に分布を広げているようなのです。 これは深い謎の世界です。何はともあれ、アゲハチョウの姿は見なくなりましたが、まだモンシロチョウ、モンキチョウ、セセリチョウ、そしてタテハチョウと、秋も深まってきましたが、まだまだチョウたちは元気に飛び回っています。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2019.11.23
9月16日(月)今日は9月最初の3連休の最終日。昨日とは打って変わり早朝から激しい雨が降っていました。先週の台風15号により甚大な被害を受けた、千葉県東部と伊豆諸島の状況が大変心配になっています。千葉県では、現在でも80,000戸近くが停電していて、しかもその多くが復旧になお2週間ほどかかるとの見通しです。我が町のお隣の印西市や、程近い成田市や佐倉市でも停電している地帯があります。この生活困難状況に更に追い打ちをかけたのが断水。停電と断水はセットだと頭で分かっていますけどね。 長期化は想定外でしょう。普通に通り過ぎて行った普通の台風15号(最低気圧960hPa程度)が、これだけの暴風雨をもたらすとは、事前にはなかなか予想し難かったのかもしれませんが。コンパクトサイズであったがためか、進路から外れた地域では、交通網以外に致命的なインパクトはほとんどありませんでした。そのため、被災地の状況が外からは想像し難かったということもありましたね。県や国などの初動の遅れ、報道の少なさなどはそのためであったのかもしれません。どんどん進む社会の電気依存度。 特に情報とインフラと自動車など交通や流通の世界。便利な暮らしを実現しますが、多様性の喪失は一方で目に見えない多くのリスクが増大していくことも否めません。思い起こせば昨年の9月にも、台風21号による大阪、北海道胆振東部地震による北海道と大規模停電が連発しました。その当時は何処か遠い世界のような気がしていましたが、100年に一度と言われるような自然災害が頻発する現状を目の当たりにすると、一個人としても、少なくとも各家庭や住居地域での防災について意識を高めなくてはと思います。今日の日記は、昨日訪れた船橋市の三番瀬海浜公園の様子です。8月から9月はシギ・チドリの年に2回ある渡りの季節ですね。4月・5月を中心とする春は南から北への渡り。 8月・9月の秋の渡りは北から南への渡り。何れの季節も、多くのシギ・チドリにとって日本列島は重要な中継地。船橋三番瀬海浜公園の沖に広がる三番瀬は、その中継地の一つなのです。昨日は大潮回りで、船橋の満潮時間は朝の5時から6時頃、潮位は200cm。干潮時間は11時から12時頃で、潮位は50cmほど。 ちょうどいい感じですな。潮が引いて干潟が出現時始めると、シギ・チドリやカモメたちが舞い降りてきます。その時間が7時過ぎと予測されますから、観察には好適な潮回りなのですよ。現地に到着したのが朝の6時半頃。日曜日なので道路は渋滞が全くなく少し早めに着いてしまいました。渚線に出ると干潟は全くなく、もちろん鳥たちの姿は皆無。そこで東側の突堤まで様子見がてらお散歩です。浦安や葛西越しに富士山が良く見えていました。先端から東側に伸びる堤防(立入禁止)には、カモメやカワウやシギ・チドリの姿が観られます。カモメはほとんどがウミネコですが、大きな身体のセグロカモメもちらほら見えました。手前側にはミユビシギを主体とした群れも観られました。皆、潮が引くのを待っているのです。トウネンも見た目は似ていますが、何羽か混じっているハマシギと同様のサイズなのでミユビシギで間違いなし。しかし、相変わらずシギ・チドリの種の判別は初心者にとっては難しいですな。わんさかいるミユビシギとトウネンさえ瞬時の判断に迷いが生じます。おまけに夏羽と冬羽の変化が加わりますから尚更です。突堤から干潟に戻る途中、キアシシギが三羽休憩していました。この子達も待機中なのでしょう。羽縁は白、そしてその内側のサブターミナルバンドが黒。従って白い斑点が散っているように見えます。 これはキアシシギの幼鳥の特徴です。今年生まれの三兄弟かもしれません。日本では普通に見かけるキアシシギ。 秋の渡りはいち早く、7月ごろから姿を現します。秋のこの時期は、このような今年生まれの幼鳥も混じります。護岸の脇ではセンニンソウのお花が満開でした。昨年の夏に群馬県の片品村で見たボタンヅルのお花に良く似ています。近縁なのですが、葉の形とつぼみの形が異なります。砂浜まで戻るとバードウォッチングを楽しむ人がかなり来ていました。時刻は7時10分ごろ。 30分ほどの間にやってきたのですね。未だ潮はほとんど満ちたまま。多くのシギ・チドリは待機中。 この杭とネットは潮干狩りの区画割のためのものです。有料期間の間はこのネットの中が有料です。既に有料期間は終了していますから有名無実。 シギ・チドリたちの格好のお休み処になっています。大小さまざまですね。一番上はダイゼンが多かったようです。 その他はオオソリハシシギとか身体が大きな連中。間のネットの上には、オバシギやミユビシギ、ハマシギなど、少し身体が小さい連中かな。皆干潟が現れるのを大人しく待っています。7時20分ごろから手前に干潟が出始め、三々五々にシギ・チドリ降り始めました。その様子はまた明日。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2019.09.16
9月14日(土)このところ、いろいろと行事が立て込んでいたり、気候が思わしくなかったりで、フィールドに出る機会が全くなく、日記を書く意欲も減退しておりました。一つ更に付け加えると、最近の体調不良。左肩から左腕にかけての痺れを伴う痛みが再発してしまいました。運動機能に支障はないのですが、何とも他人の腕のような違和感があり、うっかりすると物を取り落としたりするのですね。昨日辺りからかなり症状は良くなってきましたが、一昨年の春先に勃発した頸椎の狭窄による神経障害ではないかと思っています。当面は騙し騙し付き合っていくしかないようなので、安静第一に、なるべく姿勢を正して、回復することを願っている毎日です。日記は昨日の十五夜のお月様、中秋の名月のことです。日中は曇っていましたから期待はしていなかったのですが・・・。昨日から今日に日付が変わるころ、気紛れで外に出てみますと何と晴れているではありませんか。ずいぶんと涼しい風も吹き抜け、これは気持ちが良いと空を見上げますと、南天に丸いお月様がぽっかりと浮かんでいました。何故か湿度も低く、おかげで空気も澄んでいるようでした。今朝はもう曇っていたので、見られた時間は短かったものと思います。さて、十五夜のお月様と言いますが、ご存知の通り旧暦の15日の夜のお月様のこと。従って、何も秋のこの季節だけのものではありませんね。月はおおよそ30日間で満ち欠けしますから、毎月十五夜は訪れますし満月も出現します。ただし、正確に言いますと十五夜イコール満月とはなりません。上述の通り、月の満ち欠けの周期はピッタリ30日間ではありません。だいたい30日弱である上に、月毎に少しずつ異なるので微妙にずれてくるのです。例えば昨日は、旧暦の8月15日にあたるので十五夜といわれたのですが、月齢で言うと13.7日でしたから、本当の満月ではありません。そもそも旧暦の8月1日の月齢が1.7ですから、出だしから既に狂っています。今月の満月は、月齢が14.7日となる今日のお月様なのです。因みに月齢とは、完全な新月(朔)から何日経過したかを表わします。時刻はその日の正午。何日後に完全な満月(望)になるかも、月毎に微妙に異なりますので話はより複雑になりますね。拡大された写真で見ても、とても分かり辛いのですが、何となく左側がやや歪になっているように見えています。このように十五夜のお月様は毎月お空に現れます。では何故9月の満月、或いはそれに近いお月様を「中秋の名月」と言って特別に扱うのでしょう旧暦でいうところの秋は7月から9月の間です。新暦ではだいたい8月から10月にあたります。 この旧暦の秋のど真ん中だから中秋です。特にこの時期の空は、空気が澄んでお月様がきれいに見えるからと言いますが、やはり、農耕のサイクルと密接に関係しているのだとも言われています。秋は収穫の時期。五穀豊穣の神様をお祀りする行事としての意味もあるのでしょう。昔は我が家でも里芋の新芋を茹でたものや月見団子を、ススキの穂や稲穂とともにお供えしたものです。ところでお月見団子はピラミッド型に積み重ねますね。おそらくこれは、神様の依り代としての意味があるのでしょう。ススキの穂や稲穂も然り。古来から人類共通の概念として、高い処や先が尖った処に神様が宿るのだと考えられてきました。筑波山や富士山のように、山そのものをご神体としたり、お祭りの際に引き出される屋台には巨大な鉾が飾られたりします。京都の祇園祭は日本を代表する夏祭りですが、その山鉾巡行に引き出される屋台には、鉾と山があり合わせて山鉾と呼ばれます。この山鉾も神様の依り代の意味があるのだそうですよ。先日NHKの人気番組「ちこちゃんに叱られる」を見ていましたら、何故お月様にウサギがいるのか、という質問がちこちゃんから出されていました。インドの仏典「ジャータカ」に起源があるとのお話です。この「ジャータカ」というのは、仏陀(お釈迦様)の修業時代のエピソード集、説話集として教えをまとめたものです。その中のウサギのお話はとても有名なのでご存知の方も多いことでしょう。この他にも、助け合うカモシカとキツツキとカメのお話とか、飢えたトラの親子のお話、欲張りなカラスのお話など、興味深いものが多々あります。ところで「ちこちゃんに叱られる」では、毎回、真実のような、頓智のような面白い答えが飛び出してくるので、あまり役に立たない知識かなと思いつつも、ついつい見てしまいます。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2019.09.14
9月2日(月)暑い暑いと言いながら、朝晩はいくらか凌ぎ易い気候となってきました。今日から新学期、という子供たちも多いのではないでしょうか。7月と8月は、父のことやらがあったり、北海道の書き残しを書いたりしていて、日記の上ではすっかり空白となってしまいましたが、それでも幾つかはイベントがありました。今日からそのようなことを記していきます。大学2年の我が家の末っ子は、7月末までテストがあり夏休みに入ったのは8月から。そのかわりに新学期が始まるのは10月以降で、現在長い夏休みを満喫しているところです。思い返せば、最後に一緒にお泊りの旅行にでかけたのが高校一年生の冬休みだったかな。京都・大阪から諏訪を抜けて帰ってきたという変則旅行でした。その後は学校行事のアメリカ研修やら部活やら大学受験やらで予定は合わず。無事大学に入学するも・・・。体育会系の部に入り多忙な一年を過ごしやはり旅行どころではなく・・・。今年は親爺が暇になり、息子は部活を辞め、やっと一緒にお泊り旅行にでかける時間が持てたというわけでして・・・。それほど遠出をしたのではありませんが、群馬県の民宿で4泊ほどしてきました。群馬方面と言えば普通は利根川沿いを上流に向かって走るわけですが、それでは余りにも芸が無いということで、日光を抜けるルートを選択しました。いつものように早朝に出発し、利根川を渡り茨城県に入り、後はひたすら国道294号線を北上します。真岡市で栃木県に入り、寺内南の交差点から国道408号線に進み、適当な場所を左折し鬼怒川を渡るともう宇都宮市です。国道4号線の宇都宮バイパスをずっと進みますと、迷うことなく国道119号線に繋がり日光方面に向かえるという段取りです。通勤時間帯でしたが道はそれほど混雑せず、午前8時頃には奥日光の湯ノ湖まで来てしまいました。日光は、末っ子の小学校の修学旅行の訪問先。そのようなご縁もあって、親爺も奥様も幾度か訪れた馴染みの場所です。8月の上旬でしたが、夥しい数のアキアカネが避暑にきていました。アキアカネは所謂赤とんぼの代表的な種ですね。繁殖地は平野や低山地なのですが、真夏になると全く姿が消えてしまいます。気温が上がってくると標高の高い高原や山岳地帯に移動してしまうのです。身体自体が寒冷地仕様になっていて、真夏の暑さは大の苦手なのですよ。近縁種にはナツアカネという種もいます。このナツアカネはアキアカネほど移動しませんから真夏でも平野部で見かけます。しかし何と言っても、群れをなして山から下りてくるアキアカネの姿は壮観ですね。もうしばらくすると、我が家のご近所でも見られるようになると思われます。この子達は、湯ノ湖の流れ出しに架かる橋の欄干で休んでいました。湯ノ湖を後にし県境の金精トンネルに向かいますと、その手前には駐車場があります。この駐車場からの男体山方面の眺めは見事なものなのです。駐車場の法面にはノアザミなどのお花が咲いているのですが、そのお花には蝶々や蜂や虻など、多くの昆虫が集まってきていました。この子はウラギンヒョウモンですね。日本全国に分布しますが、その個体数はそれほど多くはないようです。ノアザミのお花には、先にイチモンジセセリが来ていましたが、如何にも「その場所を譲れ」という感じで纏わりついていました。車に例えると、今何かと話題の「あおり運転」のようですね。意外と気が強い性格なのかもしれません。群馬県側の日光白根山のロープウェイ山頂駅周辺のお花畑でも多くの蝶々が見られました。この子は極めて普通のモンキチョウに思えます。この子はヒメアカタテハなのでしょう。翅を広げてくれませんでしたから表側の模様は分かりません。渡りをするチョウとしてはアサギマダラが有名ですが、北米や欧州のヒメアカタテハも、季節性の長距離移動を行うことが分かってきています。日本ではどうなのでしょうか同じ群馬県の川場町の山奥で見つけたコムラサキ。国蝶のオオムラサキをややスケールダウンした感じの蝶です。このアングルしか撮れず。 やや残念です。駐車場でみつけたバッタ君。細い草にしっかりとしがみついた姿が可愛らしい。種は分かりませんが幼齢虫であることは間違いないでしょう。湯ノ湖の流れ出し付近のコナラの樹の幹についていた脚が長い虫。日光方面では、東照宮の杉林や戦場ヶ原でよく目にします。息子はアシナガグモだと言っていましたが、これはクモの仲間ではありませんね。ヒラスベザトウムシというザトウムシの仲間の不思議な生き物です。胸部と腹部が一体化していますから、明らかのクモの仲間とは異なります。長い脚で探るように歩くのでザトウムシ(座頭虫)と名付けられたようですが・・・。歩くときは意外とシャキシャキと歩きます。 この子はじっとしていましたけどね。ザトウムシの仲間は非常に古くから生息する生き物ですが、系統的には不明な点が多々あるのだあるのだそうです。日光から尾瀬方面にかけては、関東地方では有数の山深いところ。やはりこの地ならではの自然に、気軽に触れ合うことができますね。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2019.09.02
5月26日(月)今日も暑い一日でしたね。 明日からは気温が落ちるようですがそれも束の間のようです。何だか湿度も上がってきて真夏の様相です。昨日までの日記で、あすなろの里の坂入さんは、午前中は幼稚園児と一緒に田圃で田植え、との連絡をいただいたと記しました。一度田圃まで見に行きましたが、少し時間が早かったようです。10時半ごろまで、水海道あすなろの里の中をウロウロし生き物たちの写真を撮り、事務所の方に戻ってみると、駐車場に向かった幼稚園のバスを発見。体験学習の園児たちが到着したようです。下の写真は釣堀となっています池の水草です。写真を撮っている時は気が付きませんでしたが、坂入さんにアサザだと教えていただきました。嘗ては本州以南の各地で見られたアサザ。 ミツガシワ科の植物です。現在、急速に自生地が消滅しつつあり、絶滅が心配される植物です。同じ茨城県内では、昨年霞ケ浦の最後の自生地が消滅したとされてしまいました。霞ケ浦は琵琶湖に次ぐ日本第二位の面積を誇る湖沼。 アサザ自生地では日本第一位でした。この地では1995年に地域市民、学校、企業、行政等の協働でアサザプロジェクトが発足し、上流から下流まで様々な取組を行い保護活動を行ってきています。当初は湖水の汚濁が原因ではないかと考えられていましたが、現在は国土交通省による人為的な水位調節が直接的原因であると指摘されています。利根川水系の下流部は、この霞ケ浦も含め豊饒な自然環境を誇ってきました。しかし1963年に完成した常陸川水門、1971年に完成した利根川河口堰により、利根川本流のみならず水系全体の状況は一変してしまいました。霞ケ浦は巨大な汽水湖から淡水湖に変わり、様々な生物の生育環境が変化し、正常な生態システムが崩壊してしまっています。ヤマトシジミはほぼ全滅、ウナギの漁獲量は激変といった水産業への直接的な被害も・・・。人口減少時代の日本において、嘗ての人口増大時代に立てられた様々な国土開発計画は早急に見直されるべきと思います。アサザのお話からえらく脇道に逸れてしまいましたが、このような貴重な植物が、あすなろの里ではきれいなお花を咲かせていました。この後、無事坂入さんとお会いでき、一緒に田圃の方へ移動しました。お手伝いにいらっしゃっていた、茨城県の野鳥の会の中村先生もご紹介いただきましたよ。さて坂入さんの説明から始まった園児の体験学習。始める前から子供たちの目は輝き、ワクワクドキドキの感じがびんびん伝わってきました。田圃の反対側から見学させていただきましたが、はみ出す子もおらず、時々「オタマジャクシ」、「カエル」といった歓声が飛び交っていました。親爺も幼少の頃は近所の田圃やホソや畑や野山が、毎日の遊び場であった時期があり、小さい子供たちの自然に対するトキメキが良く分かります。下の写真は記念撮影の風景。戻ってきた時には、多かれ少なかれ皆が泥飛沫を浴びて斑点を付けていましたよ。右端の赤いTシャツを着ておられる方は、この幼稚園の園長先生。自ら玉網を持ち、最後までカエルを追っかけていました。 一番子供だったかも。捕まえられたカエルは、トウキョウダルマガエル、ヌマガエル、アマガエルなど。坂入さんが用意した水槽に入れてプチ観察会。 園児たちは興味津々無事、田植えの体験学習は終了し園児たちは大満足の様子で帰っていきました。一生の思い出となることでしょうね。この後坂入さんと昼食をとりながら情報交換をしました。自然観察会の一番のポイントは、「ガイドにならない」ということ。違いましたっけ自然や環境のシステムやサスティナビリティ、また、自分との関りについて「考える力を養うことのお手伝い」でいいのかな地球規模の巨大なエコシステムを守り、そして活用していくには、地域単位での自然や環境保全の取組がキーを握ることは間違いないこと。それぞれの地域で生活し活動する、人、企業、団体、行政等の垣根を超えた、多くの人々の理解と協力が必要になります。地球規模でいえば、2015年9月の国連サミットで採択されたSDGsが進行しているところ。兎にも角にもより多くの方に、まず自然に眼を向け、そして関心を持っていただかないといけませんね。そのためのプログラムを提供し実践することはとても意義あることと思いませんかさて、あすなろの里は昭和54年の開園されたそうです。 それから40年が経過。当初はテーマパークとしての機能が狙いだったのだそうですが、現在はほとんどが学童、児童等の自然観察、農業体験の研修施設となっているそうです。研修施設ということですが、常総市の管轄は教育委員会ではなく産業振興部農政課ですから、通常の研修施設にはない様々な事業が行えるとのことでした。さて、親爺は明日の早朝自宅を出発し、初夏の北海道を巡ってきます。日程はほぼ一月。 7月4日に自宅に戻る予定です。北海道へは往復ともに、新潟・苫小牧間のフェリー。 自家用車での移動です。苫小牧市から伊達市を経由して小樽市に入ります。そこで自然観察指導員講習会に参加します。更に北上し、稚内市、紋別市、網走市を経由して一旦旭川市へ戻ります。旭川空港で奥様と合流し、摩周湖、屈斜路湖のある弟子屈町(てしかがちょう)の川湯温泉をベースに、摩周湖、屈斜路湖はもちろんのこと、阿寒湖、知床半島、釧路湿原などを周ってきます。釧路空港で奥様を帰した後、更に野付半島や風連湖・春国岱、根室半島を巡り、霧多布岬、襟裳岬などを経由し苫小牧周辺に戻ることにしています。根室半島では、落石ネイチャークルーズにも乗船したいですね。この旅行を計画したのも、そもそもは坂入さんと出会ったことがきっかけです。坂入さん、ありがとうPCも連れていきますよ。 大量の写真用にSSDも用意しました。短信になるかもしれませんが、毎日の様子を日記に書く予定にしています。まぁ出たとこ勝負ですな。Wi-Fiやテザリングを活用すれば、通信も何とかなるでしょう。道内の全走行距離はおそらく4,000kmを軽く超えるのではないかと考えています。まさに「北海道はでっかいどう」です。 何と出会えるか楽しみです。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2019.05.27
5月26日(日)今日も朝から晴天。 朝方の気温も下がらずまるで真夏のようです。何と北海道では35℃越えの地点が続出とか。東部の佐呂間町では39.5℃を記録したということです。佐呂間町は流氷で有名なオホーツク海に面した町ですよ。 びっくりです。5月の気温としては全国的に見ても観測史上最高値になるのだそうです。水海道あすなろの里では、蝶を始め昆虫たちも活発に動き回っていました。薄暗い森の中では、ジャノメチョウの仲間がヒラヒラと飛ぶ姿が目立ちます。トップの写真と下の写真はヒメジャノメだと思うのですが・・・。同属のコジャノメとそっくりなので自信がありません。正面からお顔だけを見ても。 近くを飛んでいた別の子。同属のヒメジャノメにとても似ています。 しっかり見てもなかなか区別がつきませんよ。この子の場合、前翅の裏側、つまり見えている模様ですが、一番大きな蛇の目模様とその前の白線との間隔が幾らか余裕があります。この点はトップの写真の子と共通で、その特徴は良く分かります。この子はそっくりさんのコジャノメ。 これは断言しちゃいましょう。一番大きな蛇の目模様と白線の間隔がギチギチに狭いですね。その他にも白線が真っすぐが湾曲しているか、後翅の蛇の目紋の大きさ比べなど、細かい識別点は種々あるようですが、個体差の範囲内で紛らわしい場合も多々あります。一番大きな蛇の目紋と白線との間隔、この一点で見た方がシンプルで確実なような気がしますが如何また、他の個体をしっかり観察すると、別の印象を持ってしまうのかもしれません。この辺りはカモメやシギ・チドリの観察に似ていて、なかなか面白いところですね。これまたジャノメチョウの仲間。 ヒメウラナミジャノメという種です。翅の裏側一面にさざ波のような模様が入るので「ウラナミ」です。種なかなかおしゃれなネーミングでしょう。この子にも良く似たウラナミジャノメという別種が存在します。蛇の目紋の数が翅の表も裏も異なりますので、こちらは見分けが容易です。特に裏側の紋の数が多いと感じればヒメウラナミジャノメです。これぐらい大雑把でも大丈夫。 こちらの差は明確です。残念ながらウラナミジャノメはみつからず。生息域も生息数も限られています。 迷う機会は極僅かでしょう。メジャーな種ばかりですが、瞬く間に3種見つかりました。しかしヒラヒラ飛んでいるところを肉眼で見ても、全く区別はつきませんよ。続いて森から抜け出て小さな草原に来ますと、クローバーの白いお花には、ヒメアカタテハやモンシロチョウが吸蜜にきています。このところ出番の多いモスラ。 東京タワーに激突しそうです。冗談はさておき、ヒメアカタテハの色味はアカタテハと似ていますが、翅の表も裏も模様はかなり異なります。 ヒメアカタテハの方がゴージャスです。翅を広げてくれますと表側が見えますが、ヒメアカタテハの後翅は明るいオレンジ色。 アカタテハは褐色ですから地味に見えます。ヒメアカタテハは非常に移動性が高いチョウで、世界で最も分布域が広いチョウの一つとして知られます。気温の上昇とともに寒冷地にも侵入し、夏から秋にかけて発生します。ヨーロッパと北アフリカの間の大群での渡りは、研究が進んでいて多くのことが解明されています。日本ではこのような行動は見られないようですが、他の蝶とは異なる生態が明らかになっています。それは成虫でも幼虫でも卵でも全て越冬可能だということです。ただし成虫による越冬は温暖地に限るようですが・・・。日本では関東地方がボーダーラインのようですね。このラインも温暖化の影響で次第に北上しているようです。この子は翅がとてもきれいな状態なので、卵で越冬し今年孵化して成虫になったのだと思います。とても美しいチョウですが、環境適応力は抜群なヒメアカタテハでした。クローバーのお花には多くのハナバチも集まっていました。この中にミツバチのような身体つきでお腹の筋が白っぽい子がいました。ミツバチはこのような感じ。 ただしセイヨウミツバチですけどね。ミツバチに比べると相当白っぽく感じます。 このハチはニッポンヒゲナガハナバチです。「ヒゲナガ」といいながら、触覚はあまり長くないですね。 ミツバチと変わりません。触覚が長いのは♂だけなのです。 それも極端に長いのです。一方♀はこのように長くは無いのです。 別種かと見間違えそうです。このように、水海道あすなろの里には多くの昆虫も息づいています。坂入さんはこのような豊かな自然を題材に、幼稚園生や小学生を中心に自然観察会を催行し、身近な自然環境の大切さを考えさせる教育を行われています。明日の日記ではその様子を少しご紹介しましょう。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2019.05.26
5月25日(土)昨日と今日は、我が町でも最高気温が30℃を超えてしまいました。全国各地で35℃を超えているようです。 いやはや何とも暑いですね。 まだ5月なのに・・・。身体も心も慣れていないので、一層暑く感じてしまいます。しかし、それも日向だけ。 湿度が低いので日陰は意外に爽やかです。明日はなお一層暑くなる予報。外出する際は、なるべく日陰を渡り歩いたほうが良いでしょうね。一昨日の木曜日に、久し振りに水海道あすなろの里に出かけました。ここには今年になってお知り合いになった、坂入真史さんの職場でもあります。坂入さんは常総市の職員であり、日本自然保護協会の自然観察指導員もされています。親爺が北海道にでかけるアジェンダの一つには、小樽市で開催される自然観察指導員講習会に参加するというものがあります。その講習会のことを教えてくれた方が坂入さんなのです。まだお若いのに実にしっかりした方です。特に待ち合わせというわけではありませんので、訪う旨だけ連絡し、到着して受付をしてあと、しばらく園内をぶらぶらしてみます。校外学習で宿泊した小学生たちの姿が見えます。あすなろの里は、茨城県側の利根川水系菅生沼を囲む広大な自然環境の中にあり、様々な生き物の姿を観ることができる、実地体験学習型の研修施設です。人の姿もほとんど無く、鳥たちの囀りを聞きながら、リラックスできるお散歩でした。最初に目の前に姿を見せてくれたのがコゲラ。 かわいいキツツキです。珍しく集団で姿を見せてくれます。ちょっと分かり難いのですが、この中には三羽が写っています。ご飯を探しながら幹を上へと登っていきます。コナラの幹に空いた洞を覗いています。子育ての巣になる場所を探していたのでしょうか。ここで坂入さんから連絡が入ります。何でもこの日の午前中は、幼稚園生と田圃で田植えの実習だとのこと。親爺も見学しようとそちらに向かいます。田圃に降りる坂道の途中で、メジロの夫婦に出会いました。「チィ、チィ」と聞こえる鳴き声がとても近くです。直ぐ目の前の笹薮から一羽が顔を覗かせていました。それがトップの写真です。 近すぎる上に大慌てでしたのでフォーカスが合っていませんね。しかし、かえって良い塩梅に暈けました。 ソフトフォーカスの写真のようです。ファインダーを覗いた時は、何か珍種の鳥かと思ってしまいましたよ。光線の当たり具合のせいか、喉元から胸がきれいなオレンジ色に見えたのです。キビタキにしては極端に身体が小さい。 しばらく観察していましたらメジロと判明。二羽で樹の枝と笹薮の中を往復しています。何をしているのだろうと写真を撮りましたら、口に虫を咥えていました。たぶん子育て中なのでしょう。 ヒナは盛んに昆虫類を食します。急速に成長するためには高タンパクのお食事が必要なのでしょう。昆虫は蜘蛛のようですね。親爺のことを警戒して、ご飯を咥えたまま巣には向かわないようです。逃げ去ったりもしないので、おそらく直ぐ近くにヒナのいる巣があったのでしょう。ちょっと困った親爺が通りがかってしまったな、と思われていたのではないでしょうか。これ以上観ていますと子育てのお邪魔になりますので早々に退散。近くの梢にはカラスの姿もありました。人が小鳥の巣の傍に長時間いたがために、ヒナがカラスに襲われるということは間々あるようなのです。カラスは頭が良いですからね。 人の動きも観察しているようです。鳥の子育てを観察する場合には、このようなことも配慮しなくてはなりません。人気のある鳥の子育てのシーンなどは、多くの人が写真を撮りたがります。三脚がずらりと並び列をなすようなこともあるようです。親爺は群れるのが嫌いですから、このようなことはしませんけどね。これは間違いなく子育て中の一家にはストレスを与えます。人だってお家の中をジロジロ観られたら嫌でしょ。 下手をしたら犯罪です。また、鳥たちはそれぞれ導線を持っています。 これを切られると巣に近づくこともできません。そっと微笑ましい姿を見せていただく、それぐらいの心がけが丁度良いのではと思いますが如何でしょうか。さて、田圃まで下りていきましたが、幼稚園生の姿は見当たりません。まだ時間が早いのかと思い、一旦事務所の方に戻ることにしました。続きは明日の日記です。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2019.05.25
5月17日(金)今日も良い天気ですね。 気温はどんどん上昇し夏日になったかも。我が町では5月に入り、既に4日間も夏日となっています。先週の水曜日と金曜日、そして昨日と船橋三番瀬海浜公園に行ってきました。シギ・チドリを観に行ったのですが、いろいろと面白いことがありました。写真の整理が終わったら日記に記録しておこうと思います。今日はハチのお話。気温が上昇するにつれ、様々な昆虫の活動も活発になってきました。ハチたちも御多分に漏れず・・・。様々な種類のハチたちが飛び回っています。この時期肝を冷やすのは、オオスズメバチの女王バチとの遭遇です。何しろでかい。 親爺の親指以上の大きさかもしれません。今年は既に三か所で出くわしました。 来たと認識したとたんこちらはフリーズです。兎に角動かない、刺激しない、これに尽きます。向こうもむやみやたらと攻撃はしてきません。「こいつは何だ」とばかりにぐるっと一周して、「問題なし」と分かるや離れていきます。この周囲を回る距離がやたらと近いのです。彼我の間は50cmぐらいですから、大丈夫と分かっていてもおっかないですね。今日のハチはこのような危険生物ではありません。極々大人しいハチさんです。まずはキコシホソハバチ。 極めて原始的なハバチの仲間です。他種のハバチより幾分大きくてカラフルです。アシナガバチを小さくしたほどの大きさでこの色彩ですから、近くに寄ってくると目立ちます。しかし、なかなか遭遇しませんね。 オオスズメバチより出会うことは少ないかも・・・。それは少々言い過ぎかもしれませんな。 全国に分布しいるにはいるようです。オオスズメバチのような大きな翅音はしませんから、気が付かないだけかも・・・。黒、黄、赤で彩られたボディは、ハバチ界随一の洒落者でしょうか。否、ハチ界でも向かうところ敵なしですかキコシホソハバチの名前は、解説すると黄色の腰をした細長いハバチということになります。漢字では黄腰細葉蜂。上腹部、つまり腰の横は薄い黄色です。ハバチですから、他科のハチと異なり腰の括れがほとんどありません。それでこのネーミングですね。 下腹部の赤も名前に入れて欲しかったですな。例えば、キコシホソアカハラハバチとかね。幼虫の食卓は、ハコベやウシハコベ。留まっている植物はたぶんウシハコベでしょう。トップの写真では産卵をしているように見えます。成虫は肉食。 大きな顎を持ちそれなりに強面ですね。ハコベのお花の側を通りましたら、探してみてはどうでしょうか。ちょっとだけ友情出演。ウワミズザクラに訪花したセイヨウミツバチです。最近ニホンミツバチをとんと見ていません。 心配です。二番目はアザミのお花とトラマルハナバチ。コマルハナバチと似ていますが、コマルハナバチはもっと毛むくじゃら。黄色い或いは黒い毛玉が飛んでいるようです。トラマルハナバチの口吻と中舌はとても長いのですよ。たいていのお花の蜜は吸うことが可能です。 吸うというより掬い取る方が正確か鳥のメジロの舌と同じかも。今や絶滅が懸念され、埼玉県の自生地は国の特別天然記念物に指定されているニホンサクラソウ。このサクラソウは花筒が長く、花筒の底に溜まる蜜を吸える昆虫は多くありません。サクラソウは、春に目覚めたトラマルハナバチの女王バチに、受粉の多くを委ねているのだそうです。 お花が咲く時期が一致しているのです。つまりトラマルハナバチがいなくなると、サクラソウも絶えてしまうということになります。これは難しいお話になってしまいますが、科学的に証明されているのだそうです。キコシホソハバチは刺しません(おそらく)が、トラマルハナバチは刺します。お尻に毒針を隠し持っています。 しかし、かなり近付いても大丈夫。キムネクマバチもそうですが、ハナバチたちは幼虫も成虫も花粉や花蜜がご馳走ですから大人しいものです。お顔や脚が黄色く光っていますが、これは全て花粉ですね。ゆっくりと観察してみては如何でしょうか。 なかなか可愛らしいものです。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2019.05.17
5月16日(木)今日は一日良く晴れて、気持ち良く過ごせました。さて、利根川の河川改修によって生まれた三日月湖・古利根沼。千葉県と茨城県、我孫子市と取手市の境は利根川ですが、嘗てここが利根川本流であった名残で、北側が茨城県・取手市の飛び地となっています。南側の我孫子市側は小高い台地になっていて、近くまで住宅街が迫っているものの、柴原城の址が遺されているなど、沼の周りには豊かな自然林が広がっています。そのような沼の景色を愛でながら、鳥の姿を追い求めていますと、目の前のムラサキケマンのお花畑にクロアゲハがひらひらと飛んできました。親爺が幼い頃、2年ほど住んでいた家の近くには、自衛隊の駐屯地がありました。そこの生け垣は延々とカラタチの樹であったのですが、今時分からは、アオスジアゲハが何羽も舞っていたものです。その横の道は、幼稚園や小学校に通う通学路でした。従って当時は、アオスジアゲハばかり目にしていまして、正直言っては見飽きていたのですね。幼心ながらナミアゲハやキアゲハやクロアゲハの姿に憧れたものでした。特にクロアゲハは山地に行かないと出会えませんでしたから、何か特別な生き物のように思えて、今でもその姿を見ますと少々ドキドキしてしまいます。我が家のお庭にはキンカンの樹があって、クロアゲハも時々訪れてくるのですが、三つ子の魂とは恐ろしいものですね。何度見てもその度に嬉しくなってしまうのです。クロアゲハの翅の模様は不思議です。確か後翅には、ブーメランのような形の赤い斑点で縁取りがされていたはずですね。また前翅には白い筋状の模様も見えていたはず。あれ、下の写真では全身真っ黒黒助ですよ。赤い斑点や白い筋は何処にいってしまったのでしょう。角度が変わるとまた見えています。今度は前翅の白い筋だけが消えました。またもや真っ黒。変幻自在。実に不思議です。おそらくこれは、翅の鱗粉が構造色となっているからでしょう。構造色とは、例えばCDやDVDの記録面が、見る角度を変えると虹色に色が変化していくあの原理です。しゃぼん玉の表面に浮かぶ、虹色の模様も穴痔ですね。面白い翅の動きです。前翅と後翅の動きがバラバラです。従って、これがクロアゲハの翅の模様だ、と断言するのは慎重さを要しますね。クロアゲハもモスラ風の写真が撮れました。こちらはもっと接近。今回のゴジラ役はムラサキケマンのお花。クロアゲハは、黒いアゲハチョウの中では最も見かける機会が多いと思います。この子はよほどムラサキケマンの花蜜が好きなのか、しばらくの間、親爺の周り、否ムラサキケマンのお花から離れずヒラヒラしていました。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2019.05.16
5月15日(水)早いものでもう5月半ば。 一年で最も過ごし易い初夏となりました。日中の時間も長いので、いろいろな事ができますね。日記は4月下旬の我孫子市某所の林の中のこと。プラプラと鳥の姿を求めて遊歩道をお散歩していますと・・・。林床の下生えの中に特異な形をしたお花を見つけました。地エビネです。夢でも見ているのかと目を擦りたくなりましたよ。50年ほど前には、日本中の里山で普通に見られた日本産の蘭です。エビネは古くから日本人に愛され、江戸時代には園芸品として栽培されていたそうです。所謂、好事家、愛好家が静かに愛でていたというところでしょうか。ところが1960年代以降の山野草ブームの中、突然、自生の地エビネや黄エビネに注目が集まり始めます。需要に供給が追い付かず、流通していたものはほとんどが山から採取されたもの。瞬く間にエビネは日本中の山林から姿を消してしまったそうです。地エビネは変異を起こしやすい植物で、また交雑も起き易く、自然の状態でも様々な姿になるそうです。この場所は10㎡でしたが、三種類のお花が認められました。従って、見た目が麗しい株や珍品には大変な高値が付き・・・。投機目的の俄か業者が山奥深く侵入し、盗掘を繰り返したのですね。その結果いわゆるエビネの姿は、栽培品以外滅多に見られないものとなってしまったのです。エビネブームはあっという間に終焉します。価格は暴落し、ウィルス感染という問題も起こり、ほとんどの業者は撤退していったとのこと。しかし一度失われた資源が回復するには、失うのに要した時間に比べ、途方もない年月がかかります。現在では育種の技術も進み、価格も落ち着いていますから、山奥深く分け入って盗掘する輩はいないのでしょう。僅かながら回復傾向にあるようですが油断は禁物ですね。この株はほぼ真っ白なお花を咲かせています。ピンク色が強く出た株です。花茎は長くならず、お花が密に咲くように見えます。お花のサイズも大きいので、重みで頭を垂れてしまっています。白地にピンク色が差した株。萼片の色も三種の中では一番艶やかですね。まさかとは思いますが、ポツンポツンと生えていますから、自生ではなく誰かが植栽したものかもしれません。そのうち見事な株立ちとなることを期待しましょう。近くにはジュウニヒトエのお花も満開でした。ここは薄暗い林床ではなく、やや開けた明るい場所です。ジュウニヒトエは日本固有種で、本州と四国に分布する貴重な植物です。環境の変化や盗掘により、全国でかなり生息地や個体数が減ってきているようです。千葉県では絶滅危惧に相当する一般保護生物に指定されています。シソ科キランソウ属の植物。確かに花の形や産毛がいっぱい生えているところはキランソウと似ています。お花の形はツクバキンモンソウとも似ています。キランソウ属の学名は”Ajuga”。ジュウニヒトエの学名は”Ajuga nipponensis”。 学名にも「日本の」とあります。ジュウニヒトエとは変わったお名前ですが、昔、宮中に暮らしたご婦人たちの衣装・十二単から来ています。幾重にも重なり密生して咲く、このお花の姿を十二単に見立て名付けられたとか。園芸店では、かなり似た姿形をしたセイヨウジュウニヒトエを、ジュウニヒトエと表示して売っている場合があります。確かに近縁種ではありますがね。 学名は”Ajuga reptans”。お花の色は青ですし、よく見ると葉の付き方が異なりますね。最近は花壇から脱走し野山でも見かけるのだとか。さて、この場所ではジエビネとジュウニヒトエという、今となっては特定の自生地でしか存在しない二種を観ることができました。嘗て日本中の里山などで極めてありふれた存在であったのに・・・。この環境が何時までも保全されることを祈りましょう。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2019.05.15
5月14日(火)今日の日記は野山の虫たちの姿です。東京近郊に立地する我が町我孫子市は、北は利根川、南は手賀沼に挟まれ、比較的自然が残された田園都市です。市内には古墳群が点在するように、古代より人々が住みついていますから、決して住環境として悪いわけではありません。東京都心へのアクセスはぎりぎり30分圏内で、通勤時間帯であってもゆっくり座ることが可能ですから、考えようによっては利便性に欠けているわけではありません。ところが、こと商圏ということになりますと魅力に乏しいのでしょうか周辺の都市に比べると商店や飲食店は少ないですし、何よりも超大型の商業施設がありません。このことで、人の流れが分散し市内では交通混雑が起こりにくい、という利点に繋がるのですが、一方では不便である、面白くないなど、人により感じるところは多々あるのではないかと思います。やはり利根川と手賀沼に挟まれ東西に長細いことが大きく影響しているのでしょう。北へ向かうにも南に向かうにも、大きな水面に遮られ心理的な結界が張られてしまいます。この結界は他所から来る場合にも作用します。 従って商圏に厚みがない。このように考えますと、我孫子は我孫子、ある意味独立(孤立)した地域なのだと思います。兎にも角にもこのような地理的条件により、人口密度の割にはこれ以上の都市化が急速には進みません。今でも住宅地と耕作地及び山林が明確に分かれている地区が多く、比較的自然環境が残されていることに繋がっているのだと思われます。さて、本題に入りましょう。市内を散策していますと虫たちの姿を良く目にします。ハルジオンのお花に乗ったハナムグリを撮っていましたら・・・。画角の中に偶然ベニシジミが飛び込んできました。モスラ風でナイスです。 ハナムグリはゴジラ役ですね。黄色いチョウですが、紋が無いのでモンキチョウではありません。キタキチョウでしょう。下の2枚の写真はモンキチョウ。違いが分かっていただけたでしょうかこの子はキボシアシナガバチ。アシナガバチの中でも小型の種類です。何故「キボシ」のアシナガバチなのか親爺は見たことはないのですが・・・。キボシアシナガバチの巣は、蛹が入っている育坊の先端と蓋が鮮やかな黄色をしているからだそうです。この部分が黄色い星のように見えるからということです。小さな身体ですが、アシナガバチの中では攻撃性が強いとか。ですが、弄ったりしなければ襲ってくることはまずありません。上下の写真は、葉に写った影があまりにも見事でお気に入りです。謎の生物、モンスターが足元にいました。 目が青白く光っています。「となりのトトロ」に出てくる「真っ黒クロスケ(すすわたり)」のようです。 これはハナバチかクマバチのお顔なのです。 暗くて全体像は良く分かりません。何故光っているのかは不明です。 直ぐに飛び立ってしまい、このカットしかありません。このような蝶をご覧になったことはありますか見たことがある方は相当な森林マニアかもしれませんね。この子の種名はクロコノマチョウ。 「黒色の木の間にいる蝶」という意味です。明るいところが苦手で、主として林間に潜んでいるのだそうです。昼間は余り活動しません。 落ち葉の影でじっと休んでいることが多いのです。その上この体色ですから、完全に落ち葉に紛れてしまいますね。本来は南方系の蝶で、1980年代後半まで関西でも稀な蝶だったようです。従って関東の人には、尚更馴染みがないのではと思いました。地球温暖化の影響なのか、生息域を徐々に北へと拡大してきたようなのです。ナガサキアゲハやクマゼミと同じですね。千葉県でも1990年ごろから見られるようになり、今では東北でも結構目撃されるようになっているのだそうです。とても地味な蝶ですが、昆虫マニアの間では意外と人気者。形態上の特徴は、翅の縁の二か所の突起。少し謎めいたところが良いのでしょうか。成虫はこのように地味な色合いですが、幼虫と蛹はきれいな薄いエメラルドグリーンです。幼虫の食卓はジュズダマやススキの葉っぱ。写真で見る限り、胴体は長細く、アニメキャラクターのようなお顔です。順光側から撮ろうと回り込んだら飛ばれてしまいました。薄暗い林間の中で、たちまち見失ってしまいました。 あぁ残念にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2019.05.14
4月29日(月)お天気は下り坂。 明日の早朝から雨模様になるようです。かなり気が重いのですが、予定通りキャンプに行ってきます。行先は栃木県那賀川町の箒川のすぐそば。思いっ切り田舎の景色を愉しんでくる予定です。田舎に住んでいるのに、自分でもちょっと変だと思いますが、田舎振りが更に増していると期待しているわけなのであります。吉幾三さんの持ち歌に「俺ら東京さいくだ」という楽曲がありました。出だしが、「テレビも無ェ ラジオも無ェ」でしたね。キャンプ場の触れ込みには、「信号無し」「コンビニ無し」「街灯無し」とありました。これは弥が上にも期待に胸が高鳴るではありませんか。我が家の近くにある、利根川の三日月湖、通称古利根川の畔には、こんなスミレも咲いていました。とてもとても小さなお花で、遠目ではスミレの仲間には見えません。近くまで寄って確認した次第です。お花の大きさは僅か1cm程度。 葉っぱは円形で基部は切れ込み全体ではハート型でした。名前はツボスミレのようです。このツボスミレも極普通種とされますが、最近はほとんど見ませんでした。こじんまりとしていて楚々と咲いていますので、親爺がスルーしているだけなのでしょうか。ニョイスミレとも呼ばれます。葉の形が、僧侶が持つ如意という仏具に似ていることから、牧野富太郎博士が命名したそうです。しかしながら、そもそも如意なるものを見たことがありません。どのように似ているのかは、残念ながら不明なのです。お花の後ろ側を上から写しました。お花の後ろ側に突き出た距(きょ)は、丸く短くこれもまた可愛らしいところです。やや湿った場所を好むのだそうです。田圃の畦道にも良く生えるそうですが気が付きませんね。意識して歩いていないからでしょうか。陽が良く当たる場所では群落となっていました。スミレの仲間は今でも種分化が盛んに進行しているとのこと。そのため非常に変化が激しく、各地で固有種が存在する模様です。今の時期に花壇できれいに咲いているパンジーもスミレの仲間。昔は三色スミレと呼んでいましたね。 懐かしい名前です。西アジアから地中海沿岸が原産のニオイスミレも園芸種として渡来しています。とても芳香が強く欧米では好まれているようです。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2019.04.29
4月28日(日)今日は久し振りに良いお天気です。残念ながら今日限り。 明日以降はまた下り坂ですね。4月30日から5月3日にかけて、キャンプにでかける予定ですが、今のところ出だしは生憎のお天気の予想。少々気が重いのですが準備をしています。過日、利根川の河川敷をお散歩していましたら、変わったスミレのお花を発見。白地基調に紫色の筋が入り、なかなかきれいです。もっと白い色の株もありました。たぶんアリアケスミレという種ではないかと思いますが自信なし。どなたかご存知の方は教えて下さい。葉っぱは「スミレ(種名)」のように細長いですよ。白は色変わりで、別種ではないと思います。葉の形やお花の咲き方、大きさは同じように見えました。根出葉のみでいわゆる茎はなく、タチツボスミレなどとは全く雰囲気が異なります。お花もいきなり根元から花茎が立ち上がり、細長い葉っぱと相まって、本当に「スミレ(種名)」に似ています。かなりの株がまとまって自生していましたので少し嬉しくなりました。ご近所で目にするスミレは、このように葉っぱが丸っこいのばかりですからね。これはタチツボスミレなのでしょう。 タチツボスミレも種類がいろいろあるそうですが・・・。そこまでは分かりません。仮にアリアケスミレだとすると、九州から本州にかけて分布する普通種ということですが、目にする機会は少なく感じます。 本当のところはどうなのでしょうかだいたい「スミレ(種名)」を見ることもあまりありませんからね。アリさんにせっせと種を運んでもらい、もっと増えると良いなと思います。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2019.04.28
4月19日(金)4月もあっという間に中旬が終わろうとしています。このところ気温も安定し、過ごしやすい日々が続いています。今日の日記も在来種の山野草。 少し重量級を含みます。題して「ありそうでなかなか見つからないお花」です。まずはミツガシワ。この場所は落ち葉や枯草が堆積していますが、その下はずぶずぶの湿地帯。うっかり踏み込むと足が沈みそうな場所です。両側から崖が迫り、小さな谷津が形成され崖下から湧き水が染み出てきています。この植物が千葉県の丘陵地帯に自生しているとは、これはこれは大変珍しいことではないかと思うのです。従って保護のため場所は内緒にしておきましょう。ミツガシワは北半球の寒冷地に自生する植物。暖地に点々と自生地が残りますが、これは氷河期の残存植物と考えられています。尾瀬ヶ原などでは大群落を形成していますから、決して絶滅が心配される植物ではありませんけれども・・・。誰かが何処かから持ってきて植えたものなのか、それともずっと以前から自生しているものなのか、どこか謎めいたものを見ました。ミツガシワ科ミツガシワ属の植物であり一属一種です。この他、ミツガシワ科はアサザ属とイワイチョウ属があります。イワイチョウ属もイワイチョウのみの一属一種で構成され、寒冷地や高山の湿地に生える植物で、ミツガシワと性格が似ています。一方アサザ属には、アサザ、ヒメシロアサザ、カカブタが属します。こちらは沼地や湖沼に生える水生植物ですが、そのどれもが環境省のレッドリストで絶滅危惧種の指定を受けている模様。ミツガシワのお花は、カカブタのお花に一番似ています。白い縮れた毛が生えたお花が、総状花序で咲く姿は何処が幻想的でありました。ヤブキリの若齢幼虫が乗っかっています。 孵化したばかりのようです。これはキランソウ。明るい照葉樹林の林床などでたまに見かけますが、久し振りに見付けました。辺りを見回しましたが、この一株しかありません。「地獄の釜の蓋」という面白い別名を持っています。地べたに張り付いたように伸びながら増えていきます。全身に毛が生えていて、ムラサキサギゴケと同様の雰囲気を持っていますね。昨年見付けたフデリンドウの群落も健在でした。 今年は生育範囲が広がっています。そういえば、野辺山高原の五光牧場オートキャンプ場でも咲いていました。このようなお花に出会いますと何故かホッとしますね。似たような種で同時期に咲く、ハルリンドウというものもあります。この両者、お花は全く同じ様、まるでそっくりなのですよ。葉っぱの出方が異なりますのでこの点で見分けましょう。フデリンドウの葉っぱは広卵形でやや大きめ。 茎から出ています。それに対して、ハルリンドウはロゼッタ状の根生葉を持つとされていますが、お花の時期には枯れていることも多く、確認できる写真はweb上にはほとんどありません。また、フデリンドウは乾燥地、ハルリンドウは湿地に生えるともいいます。つぼみの形が筆に似ているので、「筆竜胆」と名付けられました。一本の茎から枝分かれして複数のお花を咲かせることも特徴ですね。タチツボスミレのお花と混群になっていました。ムラサキケマン。 昔はよく見かけましたので、名前を良く覚えています。全国の林地などに普通に生えているはずですが、意識がスルーしているのか、意外と自生地を思い出せません。一か所だけ、山梨県の甲斐小泉駅近くの三分一湧水に群生していたのを覚えていますね。今年はきれいに咲いている場所を見付けました。記憶しておくことにします。下の写真は我が家のお庭。 ムラサキケマンのお花が勝手に咲いていました。キジバトかスズメか、はたまたシジュウカラかメジロかそれともヒヨドリかいずれかが落としていった種が発芽していたのでしょう。種子にはエライオソームが付属しアリが運びますが、そのような近傍で見かけた記憶はありませんな。もっとも他所のお宅のお庭をじろじろと観察したことはありませんが・・・。ムラサキケマンは少し変わった二年越しの越年草です。花が枯れ熟した種子は翌年の春に発芽します。幾らか成長した後、夏場は休眠し秋に活動を再開し冬を越し、更にその翌年にお花を咲かせるというライフサイクルです。従って昨年の春にはこの場所で芽を出していたことになります。全く気が付きませんでしたな。ここで定着するか楽しみですが、全草有毒ですから取り扱いには要注意です。ケシ科の植物でプロトピンというアルカロイドを有します。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2019.04.19
4月18日(木)今日も引き続き山野草のうち、在来種とされるものを記します。メンバーは比較的軽量級。 いわゆる雑草に限りなく近い種ですな。この辺りの感覚はあくまでも個人的なものですが、公園の芝生のような場所にも、ニョキニョキ生えてくる植物たちです。従って極めて身近に感じるお花たちです。主たる取材場所は手賀沼の南岸沿いの遊歩道の土手。こちら側は、ほとんどが田圃や畑に隣接していて、外来の園芸品種がお引越しをしてきたと思われる事例はありませんでした。外来種は二種類ほど。どちらも紫色のお花が咲くヒメオドリコソウとマツバウンラン。今日のテーマにそぐわないので最後にこっそり載せますね。さて、在来種の最初はムラサキサギゴケです。芝生が紫色に染まっていましたらこの子の可能性が大ですね。よく似た植物にはトキワハゼがあります。確かによく似ていますが、ムラサキサギゴケのほうがお花が大きく濃い目の色合い。踏まれても平気な強健さで、耐寒性も強く横に広がるので、グランドカバープランツとして使えます。続いてはカラスノエンドウ。この名前で憶えていましたが、正式な植物名はヤハズエンドウでした。この子の場合は外来なのか在来なのか、意外と微妙な位置付けです。国立研究開発法人 国立環境研究所の侵入生物データベースではリストアップされています。確かに原産地は中東から地中海沿岸。しかし、何時から日本に定着しているかが問題ですな。この子の場合、日本人の歴史の記録が始まる以前に渡来しているとされます。このような種については侵入生物といえども一般的には在来種といえましょう。まぁ、学術上の整理としては重要なのかもしれませんが、十分な知識のない親爺のような一般人が見ますと、あらぬ誤解を受けそうな話です。お気楽に外来種とか在来種とかの言葉を使いますが、定義はとても曖昧で、正確に表現することは非常に難しいと常々思います。ところで、ヤハズエンドウは何時から日本で暮らしているのでしょうか。お隣の中国では、二千年ほど前に書かれた史記の「伯夷列伝」の中に、既にヤハズエンドウが出てきているのだそうですが・・・。「伯夷列伝」とは、三千年以上も前の伯夷と叔斉という兄弟にまつわるお話です。儒教の中でも聖人のお話として重要視されています。素行がやや不良であった若き頃の水戸光圀公は、この「伯夷列伝」を読み感銘を受け、学問を志すようになったと伝わります。カラスノエンドウとして親しまれてきたヤハズエンドウ。若い種子の鞘を、草笛にして遊んだ人もいることでしょう。古くは食用として利用されていた形跡もあるそうです。若芽や若い豆鞘は茹でると食べられますし、熟した豆は炒って食べられるそうな。こちらはカタバミのお花。これこそ、雑草中の雑草でしょうか。環境適応能力が高く、ヤハズエンドウと同じく世界中で繁殖しています。あまり利用価値はないのですが、根付くと絶えない強健さから、日本では武家の家紋として使われてきました。桐、木瓜、鷹の羽などと並び十大家紋の一つとされています。桐に次いで二番目に使用例が多いとか。 これはとても意外でした。意匠はカタバミの葉の形です。 クローバーのようにハート型の葉が三枚ぐるりと並びます。これはタンポポですね。 誰が見ても分かります。しかし、外来種のセイヨウタンポポではなく、在来種のカントウタンポポなのです。在来種のタンポポといいましても何種類かあります。黄色のお花が咲く代表的なものでも、西から、カンサイタンポポ、トウカイタンポポ、カントウタンポポ、エゾタンポポ。これらのお花には、全てある共通点があります。それは総苞片と呼ばれる部分が上を向いて閉じているいることです。上の写真ではそれが良く分かります。 お花の付け根の辺りですよ。手前は咲き終わって種が熟すのを待つ段階です。 この段階では完全に閉じません。それでも下向きに反ったりはしていませんね。この子は間違いなくカントウタンポポだと思います。カントウタンポポは非常に生息数を減らしていると聞き、親爺も数年前から観察しています。タンポポのお花のひっくり返しては裏側を確認。 変なおじさんと思われていたかも・・・。やはり、田圃の畦道などではカントウタンポポは全く見つけられませんでした。それが昨年の今時分、「千葉県立房総のむら」博物館の「風土記の丘資料館」傍で自生しているのを見つけたのです。何とも嬉しい気分になりました。そして今年は手賀沼南岸で発見。 灯台元暗しですな。よく探すと意外と身近なところに生育しているかもしれません。ウマノアシガタ。 聞いたことが無い名前でしょうか別名はキンポウゲ。 こちらの方が馴染みがありますね。キンポウゲ科の植物です。よく似たハイキンポウゲの花期はもっと遅いので、ウマノアシガタとしておきます。キンポウゲ科には有毒植物がてんこ盛り。このウマノアシガタも有毒です。 有名どころはトリカブトですね。有毒成分は主としてアルカロイドなのですが、一方で薬用植物として利用されている種も含まれます。ホトケノザ。厳冬期にもお花を咲かせる健気な植物です。霜で真っ白になりながら咲いている姿は感動ものですな。暖かくなると背を伸ばしながら咲き続けます。春の七草のホトケノザとは別種の植物です。こちらのホトケノザの標準和名はコオニタビラコ。 黄色いお花を咲かせるタンポポ風の植物です。このホトケノザは世界中に分布するユニバーサルな雑草です。続いてはヒメオドリコソウ。ホトケノザに近い種ですが、こちらは明治以降に欧州から日本に来ました。これは由緒正しい外来種となります。同じシソ科オドリコソウ属の植物で、お花の雰囲気がとても似ています。日本原産のオドリコソウに似ていて、小さいのでヒメオドリコソウとされたらしいのですが・・・。しかし、はっきり言って全体の姿も個々のお花も、全くオドリコソウには似ていません。 個々のお花はホトケノザの方が似ています。最後はマツバウンラン。 こちらも北アメリカ原産の外来種。手賀沼南岸の土手で見つけました。昨年は北岸で見ましたが、今年は同じ場所にはありません。特に園芸品種ということではなさそうで、侵入経路は全く不明です。1940年代に京都市で最初に発見されたそうですよ。その後生育地域を広げ、今では関東以南では良く見られるとのこと。日本固有種で海岸に生えるウンランという植物があります。漢字では「海蘭」と書きますが、このウンランと近縁種のようです。そして葉っぱが松の葉のように細いから、「松葉海蘭」と命名されました。葉っぱは確かに細いのですが、松の葉ほどではありません。さて、今日の日記のメンバーは、手賀沼南岸の手賀大橋から西方2kmまでの範囲で見られた野草のお花です。北岸と異なり雑草系ばかり。 園芸品種が脱走したものは見当たりませんでした。もう少し観察区域を広げると、また異なった植生が見られるのかもしれませんね。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2019.04.18
4月17日(水)昨日のお花は主として明治時代以降に移民してた仲間。主として園芸品種が多いのですが、花壇やお庭から脱走し野山で逞しく生きています。植物ですから自ら歩いて逃げ出すことは不可能ですが、種子が鳥や虫、風によって運送され、お届け先で芽を出すパターンが多いのでしょう。しかし、不思議な現象もあります。球根などでしか増えない植物でも、点々と生えているのですね。 これは植物の中には染色体が三倍体で、種子ができないものも存在します。専ら根茎、球根などによってクローン増殖する植物です。例えば日本産のヒガンバナが代表でしょう。ヒガンバナの群生地へ行くと、群落から離れてポツンポツンと咲いている個体があります。どうやって飛んだのか。 まず人為的な移植、廃棄があったと考えられます。それ以外は 大雨で流された カラスが咥えて運んだ 不思議です手賀沼北岸の遊歩道沿いには、公園、市民農園、田圃、畑が隣接します。このような場所では、増えすぎて始末に困った人が捨てていったということも十分考えられますね。さて今の時期、春には、昨日のメンバー以外にも、ツルニチニチソウやマツバウンラン、ツリガネニンジン、ナガミヒナゲシなどが見られますよ。中には少しばかり素行の悪い子もいますが、今では大方善良な市民となっているようです。今日の日記では、在来種とされる植物のお花について記します。先ずはニリンソウ。 崖下のやや湿った場所に小群落をつくっていました。水辺や湿った林床など、水気が多い所を好むようです。北海道から九州までほぼ日本全体に分布し、里山を代表する春のお花です。今でも少し田舎にでかけると発見することはそれほど困難ではないかもしれません。しかし次第に数を減らしていて、地域によってはもう見られないかもしれません。千葉県でも要保護植物となっています。昨年のGWにキャンプをした、五光牧場オートキャンプ場の池の縁のニリンソウはとてもきれいでした。名前の通り、基本的には一本の茎に二輪のお花を咲かせます。トップの写真だと分かり易いですよ。 ただし、一輪や三輪の場合も・・・。近縁種ではイチリンソウやサンリンソウもありますから紛らわしいですね。白くて花弁に見える部分はがく片だとか。 通常は五枚ですがバリエーションあります。ニリンソウは山菜として食用にされますが、若葉は猛毒のトリカブトとそっくり。 誤食による中毒事件が稀に発生しているそうですよ。 要注意つぼみが見えるまで待った方無難との声もあります。命をかけて食するほどのものではありませんよ。タチツボスミレです。今時分は野原といわず里山といわず、一番見かけるスミレです。タチツボスミレと一言でいいましても、近縁種がぞろぞろいるようで・・・。やや分かり難いのですが、この三枚の写真は全て異なるように見えますね。まだ勉強不足で良く分かりません。下の写真が本来のタチツボスミレに一番近いように思います。スミレの仲間は面白い繁殖をしています。種子にはエライオソームをいう器官が付いていますが、脂肪酸、アミノ酸、糖類を含み、アリがとても好むものなのです。アリは巣まで種子を運びエライオソームだけを食べ、種子の部分はゴミとして巣の外にポイと捨ててしまいます。捨てられた種子はそこで発芽します。 スミレとアリは持ちつ持たれつの関係にありますね。実はこのような繁殖システムを持つ植物はスミレだけではありません。身近な植物では、カタクリやムラサキケマン、フクジュソウ、更にホトケノザなどの種子にエライオソームが付属していることが分かっています。先に書きましたニリンソウもそうですよ。 恐ろしく巧妙な自然の仕組みですね。不思議なことに、このシステムを備える植物は科を跨ぎ多種多様に広がります。そして、同じ科の中でもあったりなかったり。 同一種内でも変化に富むそうです。収斂進化の結果なのか、元々被子植物全般の形質であって必要な種だけ残っているのか進化の過程はやはり深い謎に満ちていますクサボケです。親爺的には幼い頃の思い出が詰まった樹です。暖かくなり野山に遊びに繰り出すと、必ず迎えてくれたのがこの赤いお花でした。まだ背丈が低いですから、低木のこの樹のお花は丁度目線に合うのですね。樹高はせいぜい40~50cm程度。 いわゆるボケのように背丈は伸びません。ボケは中国大陸が原産の帰化植物。 日本の野山に自生するのはこのクサボケです。幼い頃に住んでいたお家の庭には、やはりこのクサボケが植栽されていましたが、何故大きくならないのかずっと不思議でした。別名はシドミ。 何故シドミかは分かりません。秋になると黄緑色の実がなります。 果実酒にすると美味しいのだそうです。これはウグイスカグラのお花です。隣にあるのはミツバアケビのつぼみでしょう。ウグイスカグラはスイカズラ科の落葉低木で、日本全国の山野に自生しています。漢字で書くと「鶯神楽」。 何とも雅な名前をもらっていますが非常に地味な存在です。お花を拡大しますと見事なレッドスター。とても小さくて、見過ごす場合も多いことかと思います。楚々としたこの姿。 最近の雑木ブームで人気上昇中との噂も聞きますな。後は苺系2連発。先ずクサイチゴ。 明るい林床などで普通に見られますね。ハナバチたちに人気があります。クサイチゴとありますが、「草」ではありませんよ。クサボケと同様、樹高が低いのでクサイチゴ。5月には赤い甘い実がなります。しっかりと見張っていまいと、たぶん人が食べる前に動物に食べられてしまうことでしょう。今日の最後はやはりイチゴのヘビイチゴ。何故、「蛇苺」なのか諸説あって定まらず。 何れにせよあまり語感がよろしくないですね。そのせいか、毒イチゴではないかと疑われ嫌われる可哀想な植物です。春になるとびっしりと咲く、可憐な黄色いお花はなかなかのものですが・・・。残念ながら似たような場所に似たようなお花が種々咲くので、それほど目立ちはしませんがね。しかし、「ベニシジミは知っている、ヘビイチゴのお花の蜜が甘いことを・・・」。否、これは偶々、単なる偶然です。ベニシジミは別にヘビイチゴのお花だけが好きなのではありませんよ。ヘビイチゴのために一言いっておきます。ヘビイチゴの実に毒はありません。 ただ味が無くて美味しくないらしいです。さて、在来種第一弾はこれでお終い。 書き切れないので明日は第二弾です。手賀沼南岸の雑草系が主たるメンバーです。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2019.04.17
4月16日(火)今日は久し振りに通学時間帯に通学路を通りました。身体の小さな中学生の大集団が、慣れない自転車で通学しています。教科書が一杯詰まった重たい学生鞄にバランスを崩し、ハンドルを取られてフラフラと走っていました。何処から見ても新入学の中学一年生です。やはり上級生と比べると身体つきはかなり華奢に感じます。 このフレッシュさ、何時まで続きましょうか。野鳥のことは一休み、季節の野草のことを書きましょう。手賀沼の縁の遊歩道を歩いていますと、まさに春爛漫、様々なお花が咲いています。もちろん花壇などに人工的に植えられた植物は、きれいなお花を咲かせていますが、そこいらじゅうに勝手に生えてくる植物も、きれいなお花を咲かせています。人呼んで、雑草、野草などと一括りにされてしまいますが、小さいながらもなかなか捨てがたいものがあります。最近では外来種も多く見られますが、在来種の存続、繁栄に障りがないのであれば、それほど目くじらを立てなくても良いのではないかと思ってしまいます。大昔に日本に来て定着した植物は、帰化植物ともいうわけですから、比較的最近、花壇などから脱走した野良植物にも居住権を与えていいのでは。このハナニラなどは、代表的な野良化植物なのでしょう。南米はアルゼンチンなどが原産国で、明治時代に観賞用として持ち込まれました。繁殖力が非常に旺盛で、手賀沼の周りではあちらこちらで咲いています。茎や球根を傷つけると、ニラのような臭いがするのだとか。だから和名はハナニラなのですね。 結構臭いらしいので、花壇より野原のほうがお似合いかも。ただし、このお花は一つだけ注意点があります。それは全草に軽い毒性があること。 食べてしまうと下痢など食中毒症状が出ます。何でハナニラなどという紛らわしい名前を付けたのでしょうかね。食用の花ニラと勘違いしてしまう人もいるようです。パラパラと咲いている姿も良いのですが、下の写真のように群生していますと、おとぎの国のように見えますよ。英語名は”Star of Bethlehem”。 ベツレヘムの星です。分かり易くいえば、クリスマスツリーの天辺に付いているあれです。下のお花はオオアマナ。これまた花壇からの脱走組。欧州から西アジアが原産国で、明治時代に観賞用として持ち込まれました。英語名は、またまた”Star of Bethlehem”。そしてやはり有毒らしいのですが、どのような毒性かは分かりません。似たような食用植物にアマナというものがありますから要注意です。今時その辺に生えている植物を食べますかとも思いますが、イヌサフランやスイセンなどを誤食して亡くなる方が、今でもいるとのことですから、知っておくに越したことはないでしょう。オオイヌノフグリですね。とても小さなお花ですが、ホトケノザと一緒に厳冬期から咲く健気なお花です。ヨーロッパ原産でやはり明治時代に日本に来ました。この変わったお花はムスカリ。ブドウの房のような姿から、ブドウヒアシンスの異名も持ちます。やはり花壇から脱走してきたのですね。地中海沿岸地方からわりと最近移入されてきた園芸品種です。スノーフレークのお花です。和名は大待雪草。 スノードロップは待雪草。これも園芸品種で欧州原産です。これまた花壇から脱走したスイセン。小さな昆虫が乗っていましたが、種は分かりません。このようなタンポポに似たお花が、野には沢山咲きますね。どれも似ていて迷うところなのですが、タンポポよりやや繊細な感じのお花です。おそらくブタナなのでしょう。 ブタナはこれまた欧州原産の外来種。全草が食用となります。これはセイヨウタンポポ。 総苞が反り繰り返るのが特徴でした。この子は少々困ったちゃんなのです。やたらと繁殖力が旺盛で、日本在来のタンポポを駆逐しています。カントウタンポポやエゾタンポポの群落は急速に減少していますね。また、在来種との雑種化問題も危惧されていますが、必ずしも全てのセイヨウタンポポが交雑するわけでもないようです。しかし要注意であることは論を待たないところですね。フタモンアシナガバチが訪花していました。幼虫は肉食ですが、成虫はお花の蜜が大好きという面白いハチです。もっとも獰猛なスズメバチの仲間も、成虫は甘いものに目がないですね。とても温厚ですから、刺激しなければ刺したりはしません。毒もかなり弱く、少し腫れる程度で済みそうです。ただし何度も刺されるとアナフィラキシーショックを起こすこともあり得ます。今の時期に出ているのはおそらく冬を越した女王バチです。これから巣作りを始めるところなのでしょう。ところで本日のお花は全てが外来種でした。セイヨウタンポポなど一部を除いて、日本の在来種と共存をしています。明治時代以降、多くの植物が日本に持ち込まれました。その中でも日本の気候・風土に適したものは定着しているのです。繁殖力が旺盛でも温和な植物もあります。これらが日本の野山に進出している事実を、是とするのか非とするのか悩ましいところです。もちろん野のお花は外来種ばかりではありません。明日以降は日本古来の在来種のお花を記していきます。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2019.04.16
4月15日(月)昨晩降り続けた雨は今朝止み、日中は陽射しが明るいポカポカ陽気の一日でした。今週は気温が上昇し、良い日和が続くとのことですがどうなるでしょうか。手賀沼の縁をお散歩していますと、いろいろな春に出会えます。見事な桜のお花。 満開ですがソメイヨシノではありません。品種名は定かではありませんが、おしべが濃い紅色でエドヒガンの血を引いていると思われます。一言で桜といいましても、一説では600種以上の品種があるといわれます。原種はエドヒガンやヤマザクラなど10種ほど。これらの原種は非常に性質が強健で、桜の古木といわれるものは、ほとんどがこれらの種とされます。遊歩道の沼側に目を向けますと、葦原にはまだオオジュリンが残っていました。尾羽は外側2枚の裏側が真っ白でなかなかおしゃれです。この日のオオジュリンは、入れ替わり立ち代わり目の前に来てくれますが、被りが多くて撮影に苦戦しました。ホオジロの仲間ですから、お顔の模様はよく似ています。また、先に記した尾羽の外側が白いという特徴も、ホオジロ、アオジ、カシラダカなど多くのホオジロ科の小鳥に共通しています。オオジュリンは表情が柔らかく見えます。 親爺は好きですな。葦の茎から茎へ忍者のように飛び移っていました。頭の色が少し異なる子を発見しました。更に黒味が強くなっている子もいます。ともにオオジュリンの♂ですね。 春も進んできますと、♂はこのような姿に徐々に変身しいきます。ところが、オオジュリンは短い距離ながら渡りをします。暑い夏は東北や北海道に移動し、産卵や子育てをし冬になると越冬しにやってきます。そのため、我が家の近辺では頭が黒いオオジュリンを見かける機会は多くありません。まだ完全に黒くはなっていませんがね。黒い頭に黒い虹彩ですから、お眼目の位置は良く分かりません。以前にも書きましたが、この変色は羽毛が生え替わるわけではないのですよ。赤褐色の冬羽の先端が摩耗してくると、内側の黒い色が出てくるのです。ハクセキレイの若の黄色い色が徐々に薄れる現象と同じです。オオセグロカモメの一年目冬羽が、徐々に白色化していくのも同じでした。これらは全て正確に言うと換羽ではないのですよ。葦原の根元の水深が浅い場所では、盛んにバシャバシャという音がしています。フナやコイのはたきの音です。そのうち勢い余って、一尾が飛び出してきました。かなりの大物です。 尺以上はありますね。 傷が全くない美しい魚体です。体高があり明らかに普通のギンブナとは違いますね。大きさからいっても、体色からいってもギンブナの範疇ではありませんな。かといって、釣り人に人気があるヘラブナほど幅はありません。またやや褐色がかった背中は、ヘラブナのような白銀でもありませんよ。一体何者だ、ということになりますが、推測するにこれはゲンゴロウブナではなかろうかと思う次第なのですが・・・。ゲンゴロウブナは、本来琵琶湖水系の固有種でした。琵琶湖の下流の淀川にもいますから、カワチブナ(河内鮒)と呼ばれることもあります。全国の河川、湖沼に放流され繁殖しているそうです。ヘラブナはこのゲンゴロウブナを選別育成し固定化した鮒なのですが。当然手賀沼にも、ゲームフィッシュとして放流され生息しているわけです。飛び出してきたこの子は、数秒放心したようにじっとしていましたが、慌てて水の中に戻って行きました。ゆっくりと周りを見渡しながらお散歩していますと、実に様々なものが見えてきます。新たな発見や出会いもあります。 これは面白くて止められません。つい最近4月10日に 、ブラックホールの画像が発表されました。これは地上の八つの電波望遠鏡を仮想的に結合し巨大電波望遠鏡の形成した、イベントホライズンテレスコープという、国際プロジェクトの研究成果です。これまで理論上の存在しかなかったブラックホールを、人類史上初めて視覚的画像として捉えその存在を実証したという意味だそうです。画像として写し出されたブラックホールは、約5500万光年の彼方にあるメシエ87銀河(M87)の中心にあるもの。これは物理学や天文学の進歩にとって意義深いことなのでしょうが、もっと身近な自然や環境、生態に関しても解っていないことだらけですね。渡り鳥の飛行ルートすら、代表的な種でぼちぼち研究が深まってきたところ。多くは推測の域を外れない程度なのでしょう。人体のメカニズムでも、全てが解明されているわけではありませんな。あらゆる面で、科学の進歩にはまだ大きな伸び代があるわけです。次世代、次々世代を担う子供たちに、様々なことに大いに関心を持ってもらうこと、これは初等教育の重要なミッションの一つだと思う次第ですが如何にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2019.04.15
4月12日(金)今日は薄曇りながら、、気温が上がらず真冬並み。今年の4月は寒い日が多いですね。 おかげで桜のお花は長持ちしています。昨日は鎌倉をちょっと見学して、藤沢の名店「そば酒房 陽ざ志」さんに行ってきました。鎌倉の桜はまだ見頃でしたよ。 例年ならもう葉桜ですよね。この様子は準備出来次第記しましょう。日記は例の如く date back 。 4月上旬の良く晴れた日のことです。陽気に誘われて、ご近所に花見に出かけました。場所はお隣柏市の手賀の丘公園。桜だけではなく様々なお花が咲いていました。 百花は大袈裟ですけどね。駐車場で車を降りると、早速モミジイチゴの可憐なお花がお出迎え。白いお花が一枝に等間隔で咲いていて、お祭りの提灯がぶら下がっているようです。モミジイチゴは葉っぱの形がモミジのようなので名付けられています。黄色い実がなるので黄苺(キイチゴ)とも呼ばれます。実は甘さ控えめですが食用になります。このモミジイチゴは東日本に分布しています。西日本では葉っぱが細長いナガバモミジイチゴ。この両種はとても近縁です。葉の形は変異が大きく、西日本でも葉っぱが長細くないナガバモミジイチゴがあるようです。ご覧の通り茎や葉柄には鋭い棘があり、迂闊にモミジイチゴの藪に入り込むと往生します。ソメイヨシノは満開手前。 この樹は五分咲き程度でした。カンヒザクラのお花に似ていますが、咲く時期が違いますね。この種は名前の通り、2月には咲いてしまいます。オオカンザクラでしょうか。 カンヒザクラ とオオシマザクラの交配といわれます。しかし、これも3月には咲いているはず。種名は良く分かりません。 何れにせよカンヒザクラ系ではないでしょうか。この樹はカンヒザクラのお花の濃い赤色を良く受け継いでいます。この公園には同じようなお花を咲かせる樹が、バラバラに5本以上見られます。ソメイヨシノよりは早咲きのようです。真っ白なサクラのお花もアクセントになります。 オオシマザクラでしょうか。花弁の白と展開しかけた新葉の緑が絶妙のコンビネーションです。これはミツバツツジでしょう。おしべが五本であるところが特徴です。葉が出る前にお花が満開になりますので、これはこれでとてもきれいです。嘗て関東から東海にかけて、普通に自生していたツツジですが、現在では自生のものはとても少ないそうです。 盗掘された影響とか・・・。少し標高の高い所に自生しているトウゴクミツバツツジは、とても近縁種なのですが、おしべが10本あるので見分けは容易です。日光などでよく見られます。 高地のものがより多く残されていることは皮肉ですね。国立公園や国定公園などで保護されてきたこともあるのだと思います。このお花は梅でもなけれな桜でもありません。ハナモモのお花ですね。 赤と白が混じって咲く「源平咲」でした。モモのお花もサクラのお花も、多くのミツバチが訪花していました。この子は二ホンミツバチではなくセイヨウミツバチのようです。お腹の縞々模様で区別がつきますよ。二ホンミツバチの縞々はもっとはっきりとほぼ等間隔で現れます。近くに養蜂家さんが滞在しているのでしょうか。ミツバチなどハナバチの仲間は概して大人しいものです。特にこのようなお仕事中は、人などにかまっている暇はありません。そっと近づけば襲われる心配はまずありません。ただしハチは本能的に黒いものが嫌いです。 天敵のクマさんを連想するのでしょうか。黒いカメラを近づけ過ぎると逃げられてしまうかもしれません。日本で植栽されているサクラの樹は、ほとんどがソメイヨシノだそうです。特に第二次世界大戦後、公園や学校、また街路樹として大量に植えられました。ソメイヨシノは実生ではソメイヨシノにならない遺伝子特性があります。従って全国の膨大な数のソメイヨシノは、全てが人の手による接木で殖やされてきました。要するにクローンなのです。同じ形質を受け継いでいますから、環境が変化したりすると同じ影響を受けやすくなります。ソメイヨシノは成長は速いのですが、長い年月を経た巨木がほとんど無いのはこのようなところが原因なのでしょう。遺伝子的にも、生態系と同様、多様性は非常に重要なのです。このようなことから、現在ではソメイヨシノの新たな植樹は少なくなっているようです。サクラのお花の蜜は、メジロの大好物。ウメの樹にもよく訪れますが、サクラの樹でもよく見かけます。同様にヒヨドリもサクラのお花の蜜が大好きですが、この日は何処に行ったのか、見かけることはありませんでした。4月から5月にかけて、野山は種々のお花で溢れます。一年で一番華やかな季節かもしれませんね。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2019.04.12
4月1日(月)今日から新年度。 晴れやかな青空が広がっています。多くの方の新たな門出を祝うような、素晴らしいお天気です。昨日は奥様とご近所の桜巡りをしましたが、我が家の方は若干気温が低く、未だ満開とはなっていませんでした。今日の日記は筑波山の最後。筑波山頂駅でケーブルカーを降りて、しばらく周りの景色を眺めた後、今回は御幸ヶ原から女体山山頂へ向かいました。緩やかに登る岩だらけの道を進みます。左側は緩斜面。 ここはカタクリの群生地で有名です。もう少し季節が進みますと、カタクリのお花が咲き乱れます。また、ミヤマホオジロという小鳥が観察できることでも有名です。ゆっくりと進みながら注意深く見ていましたら、小さな群れが出てきてくれました。皆♂のようでした。名前の通りホオジロ科ホオジロ属の小鳥で、特にカシラダカと近縁のようです。ミヤマ(深山)とされていますが、特に山深い所を好むわけでもないようです。しかし関東地方では数が限られていて、平野部での観察機会がとても少ないとされます。ミヤマホオジロは冬鳥です。ユーラシア大陸東部で繁殖し、冬に日本に越冬しにやってきます。日本の中でも西日本への渡りが多いとされ、西日本の鳥好きさんには、もう少し馴染みがある野鳥かもしれません。この斜面はお陽様が差している方向にありまともな逆光でした。従ってきれいには撮れませんでした。♂は特に特徴がはっきりしていて判別しやすいですね。カシラダカ同様、頭頂の冠羽が発達しています。また、眼上部にある眉状の斑紋(眉斑)や喉が鮮やかな黄色で、嘴の基部から眼を通り後頭部へ続く、過眼線が太く黒い帯となります。更に黄色い喉の下には黒い逆三角形の模様があります。これをエプロンをしているみたいだという人もいますね。斯様に見れば直ぐ分かるのですが、なかなか見付けることができません。やはり個体数はそれほど多くないのでしょう。 用心深い性格とも聞きます。筑波山の参道には奇岩が多くあります。女体山からつつじが丘に下りるコースの途中には、特に多くの奇岩があることで知られています。「弁慶七戻り」や「高天原」などは、なるほどと肯けるネーミングです。この道もカタクリの群生地を通り過ぎると、セキレイ石、ガマ石と奇岩が出てきます。これはガマ石です。大きく空いた口の中に石を投げ入れることができると、幸運が訪れると云われています。 お口の中は石だらけになっていますね。これは全て、人々が投げ入れた石なのです。道が空いていたのを幸いに、奥様と親爺も暫くムキになって遊んでしまいました。どちらも複数回成功、したことにしておきましょう。左の道は、ロープウェイの山頂駅に続いています。このように大小の岩がごろごろした道が続いています。女体山の山頂付近には、筑波山神社の女体山御本殿が建っています。そこを目指してさらに登ります。これが女体山御本殿です。山頂の激しい風雨に耐えしっかりと建っていますね。御本殿の裏手には天の浮橋と名付けられた橋が架かっています。この上からの眺めも絶景です。空にはおかしな形の雲が流れていました。女体山山頂から見た男体山山頂です。途中に見えるのは御幸ヶ原です。頂上で写真を撮っていましたら、奥様がスマホで親爺の写真を撮っていました。アルプスのどこかの山の山頂で写真を撮っているようです。女体山山頂は斑レイ岩の一枚岩。 多くの人に踏まれつるつるに磨かれているようでした。滑らないよう慎重に足場を確かめます。柵も何もありませんから、滑り落ちたら何処まで落ちるか分かりません。北に延びる筑波山塊の山々。 八溝山地まで続いています。東側には土浦の町とその向こうに広がる霞ケ浦がうっすらと見えました。帰りは天の浮橋を渡って、つつじが丘から登る参道と合流します。この後は御幸ヶ原に戻り小休止し、筑波山頂駅から再びケーブルカーに乗って筑波山神社拝殿まで戻りました。筑波山のお話はこれでお終い。時刻は午後13時半頃。 さらに水戸を目指して車で移動です。水戸に着いたのは15時頃で、まだ偕楽園のライトアップには早い時間です。千波湖近くにある徳川ミュージアムを見学し、その後偕楽園に突入しました。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2019.04.01
3月31日(日)3月も最終日、2018年度も今日でお終いです。4月から入学、入社、転勤、異動と新生活がスタートする方も多いことでしょう。3月は惜別の月ですが、4月は一期一会の月ですね。新たな出会いを大切に、新たな自分の創造に邁進しましょう。筑波山神社の参拝を済ませ、少し急な階段を登り切りますと、ケーブルカーの発着所に着きました。階段の右側には御幸ヶ原コースと名付けられた参道が沿っています。ケーブルカーの乗車料金は、昇り下りの往復で、大人¥1050/一人です。 結構お得な感じがします。 ケーブルカーの軌道に沿って、御幸ヶ原コースが伸びていますが、この参道は急坂を直登することになります。途中からずっと階段状になっていましてね、これが相当きついのです。高低差は約600m。 これは東京スカイツリーの高さとほぼ同等です。健脚の人でもかなり堪えるわけです。下りがまた怖い。 滑るのですよ。 丸太や岩が・・・。嘗て慌てて走り降りていて、10段ほど滑り落ち左足首を捻挫したことがありました。一か月は歩行が不自由でしたな。そんなこんなを考えますと、お財布に優しく感じるのです。この赤い車両はもみじ号。 9時の第1便ですが、これには一般客は乗れません。御幸ヶ原の方でお仕事される、職員の方々が乗って行かれます。先ずはこれを見送ります。しばらくすると、緑の車両が下ってきました。こちらはあおば号。 赤と緑の2台がケーブルで繋がれ、途中ですれ違いながら往き来をしています。待つこと20分。 いよいよ宮脇駅を出発します。ぐんぐん登って行きます。筑波山ケーブルカーは、大正14年10月に開業しました。関東地方では箱根ケーブルカーに次いで2番目です。全国でも5番目という長い歴史を持ちます。このことからも、筑波山は古くから信仰の地であったとともに、とても人気があって繁盛していた観光地であることが窺えますね。意外とスピードが出ています。 時速12Kmなのだそうですが、とても速く感じます。宮脇駅のシルエットがどんどん小さくなってしまいました。途中で大きく左にカーブしていきます。カーブの途中でトンネルを潜ります。このトンネルの名前は長峰トンネル。 全長は118mです。長峰トンネルは斑レイ岩を刳り貫いたもので、非常に難工事であったそうです。斑レイ岩は非常に深いところで形成された岩石で、非常に硬いのが特徴です。何故このようなところに深成岩が露頭しているのか、これも興味深いところです。約8分で筑波山頂駅に到着。 乗っているとあっという間ですね。山頂駅の建物です。 山小屋風です。この辺りは真っ平らになっています。 御幸ヶ原と呼ばれます。お土産屋や茶屋も何軒か並んでいます。この辺りの名物は、「つくばうどん」と「ふくれみかん」。つくばうどんの名は、もちろん筑波山のつくばから来ていますが、つくね(筑波地鶏)の「つ」、黒野菜(地元産の黒い野菜類)の「く」、バラ肉(茨城県産ローズポーク)の「ば」といった具材にも因みます。麺には麓の町、土浦名産のレンコンが練り込まれています。昔からあるのかと思いきや、つくばエクスプレス開業の2005年に、地元の筑波山温泉旅館組合の青年部が考案したという新ご当地グルメでした。立ち並ぶどのお店でも食べられます。左側の斜面には、蕗の薹が沢山顔を出していました。反対側の崖の上からは、遥か日光連山が望めました。正面は男体山でしょうか。筑波山は「男体山」と「女体山」。日光は「男体山」と「女峰山」ですね。「女峰山」は左側奥に見えている山ですね。どちらも男女一対であることろが面白いですな。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2019.03.31
3月30日(土)今朝、我が家のお庭に遊びに来ていた、キジバトの夫婦を観ていましたら、お腹の色を勘違いしていたことに気が付きました。薄っすらとピンク色だったのですね。 グレーだとばかり思っていましたよ。思い込みによる勘違いです。さて、3月初旬に奥様と筑波山を訪問しました。登りました、ではありません。 そのお話は後ほど。休日にTVをボーと見ておりましたら、森昌子さんをゲストに、茨城県は悲境だということをやけに強調したバラエティ番組をやっていたのです。その番組の最後が水戸の偕楽園の梅まつり。きれいにライトアップされた園内だったのですよ。昨年も訪いましたし、過去にも何度か見に行きましたが、いつもお昼の時間帯。ライトアップされた梅園は観たことがありません。それでは今年は「夜行こうか。行こう。行こう」ということになったのです。当然、夜までどうしていようかということになりますな。午後から出かけようかという話もありましたが、道路の混雑を考えると今一ですね。電車行こうかという案も浮かびましたが、水戸駅との行き帰りを考えるとやはり今一。どうすべえか、と思案しているうちに、水戸へ向かう途中には名峰筑波山があることを思い出しました。筑波山に寄れば偕楽園に着くのはいい頃合いになるのでは。そこで「筑波山に寄ろう、寄ろう」と相成った訳であります。前置きが長くなりましたが、唐突に筑波山が日記に登場です。渋滞を避けながら、車は順調に進みます。朝の8時半ごろには筑波山神社の駐車場に到着します。筑波山の山麓にも少し有名な梅林がありまして、やはり梅まつりを開催していました。 しかし、梅は偕楽園にとっておいて素通り。先ずは筑波山神社にお参りです。人影も疎らで気持ち良く参拝を済ませます。927年(延長5年)のまとめられた延喜式神名帳では、既に「官社」に指定されていました。常陸国はこの当時関東地方の中心地で、都から遠く離れた地にも関わらず7社の名が認められます。その中でも、筑波山神社は鹿島神宮に次ぐ二番目の社格と位置付けられています。筑波山自体も古代より神格化されていて、奈良時代の721年(養老5年)に成立した常陸国風土記では、神の峰として記述されています。関東平野に突如として屹立する筑波山は、標高877mと低いものの周りに遮る峰もなく、今でも広範囲からその姿を認めることができます。古の人々にとって、その山容は神が宿る真に神々しいお姿に見えたことでしょう。その辺りの事は追々記していきましょう。さて、筑波山神社の参拝を済ませ、拝殿前を左方に曲がり登山道方面に向かいます。筑波山の表側、筑波山神社の拝殿側から登る登山道は4コースほど。3コースは筑波山神社拝殿脇から出発です。筑波山は全域が神社の境内です。従って、本来は登山道ではなく参道なのです。一方で親しみ易い部分もあり、山頂付近まではケーブルカーやロープウェイに乗って到達することもできます。親爺ももそっと若い10年ほど前までは、標高差610mほどの参道を駆け上ったり駆け下りたりしましたが、今となってはそのような体力は残っておりません。その上、奥様も同伴ですからゆっくりと登リ降りすることも困難でしょうか。お互い還暦を迎えた身ですから、ムリをせずにケーブルカーに乗車です。9時20分の始発で御幸ヶ原に向いました。筑波山は双耳峰で、二つの頂(男体山、女体山)の間に広がるのが御幸ヶ原です。ケーブルカーの待合所からは、男体山の頂が良く見えます。反対側には広大な関東平野も臨めます。9時に第1便が出ますが、これには一般客は乗れません。御幸ヶ原の方でお仕事される、職員の方々が乗って行かれます。麓の駅の名前は、神社の脇にあるので宮脇駅。駅の傍には、写真のようなきれいな梅の花が満開でした。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2019.03.30
3月16日(土)★★★★★ 水戸 偕楽園 光の散歩道 ★★★★★ライトアップWeek3月21まで 日没から21時まで入園料 無料先日、奥様と親爺はお仕事がお休みで、水戸の偕楽園に梅のお花を見に行きました。偶々見ましたTV番組で、梅祭りのライトアップのことを知り、「行こうか、行こう」となったわけです。夜桜ならぬ夜梅。 初めて行きましたが昼間と異なりまた良いものでしたよ。お友達にもお知らせしたいという奥様のご要望で速報版です。まだ、明るいうちはこのような眺めです。園外から好文亭を見たところ。陽が落ちてきました。好文亭の屋根の上に夕日が沈んでいきます。明るいところで見る梅のお花であってあっもこのように素敵です。辺りが暗くなり、ライトに照らされるとより目立つようになりました。とてもきれいなのですが、残念ながらライトアップ期間は残りわずか。そこでこの特別企画の日記となりました。普段は内容が遅れ遅れの日記ですからね。本編は未だ2月中旬。 順番を待っていますと何時になるか分かりません。このような仕掛けもありました。この場所は好文亭表門から続く孟宗竹林の脇の小道です。ライトアップ期間は来週の3月21日(木・祝)まで。 時間は日没から21時まで。18時頃にはかなり暗くなりますから、ゆっくりと楽しむことができます。千波湖側から見る偕楽園もイケてました。日が暮れると気温がぐっと落ちますので、暖かい服装は必須です。水戸は東京よりも気温は低め。 5℃は異なるかもしれません。マフラーと手袋がありますと尚良いですな。3月21日までですから、是非お早めにどうぞ。上野界隈では桜が咲き始めていますが、夜梅もなかなか良いものです。偕楽園に辿り着く前に、筑波山や徳川ミュージアムにも寄りました。その様子は追々レギュラー版の日記に書いていきます。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2019.03.16
2月1日(金)昨晩は天気予報通り、雨から雪に変わりました。思ったより降水量はありましたが、今朝の湿度は47%。カラカラ度合いは解消されていません。今日から2月になりましたが、日記の中身は未だ1月5日です。江の島のお話は今日で最後ですが、進行を早めないと日付が追いつかないですね。往路ではパスした、龍宮大神(五頭龍大神)が祀られた龍宮(わだつみのみや)にお参りし更に先を急ぎます。江の島サムエル・コッキング苑とその中にある江の島シーキャンドルに向かうためです。この日は朝から晩まで快晴。夕陽に照らされた富士山と陽の入りはさぞかし雄大な眺めでしょう。ところが、陽が沈むまでそれほど時間が残されていません。稚児ヶ淵から龍宮大神まで、一気に江の島の頂上まで登りました。これも相当ハードでしたが、この先は一度下ってから登る返すという結構疲れそうな道程です。自分の体力を試す気持ちもあり、老骨に鞭打って休みなく一所懸命歩きましたよ。 半分は駆け足です。とりあえずサムエル・コッキング苑に突入し、シーキャンドルのエレベーター入口に向います。このような時には、江の島『1dayパスポート』eno=pass が威力を発揮します。入場券売り場の列に並ばずとも、直ぐさま中に入ることができますから。しかし、シーキャンドルの入口は何と長蛇の列ができていました。eno=pass は、ディズニーランドのファストパスとは違いますから、ここでは列に並ばなくてはなりません。列に並んでしまうと、陽の入りには間に合いそうにありません。そこで列の横を通り越し、サムエル・コッキング苑の西の端に行ってみます。何と都合が良いことに、ちょうど富士山とお陽様が見渡せるスペースがあります。この場所から撮影も無事できました。空気が澄んでいましたから、富士山もくっきり。これまで江の島を訪れた際は、曇天や霞暈けで富士山がすっきり見えた例がありませんでした。これで宿願を果たせたことになります。夕陽も沈み終わるまでバッチリ写せましたよ。かなり絞り込みましたから、お陽様の形もはっきりと分かります。さて、サムエル・コッキング苑は初めての入場となりますが、相当古くからあり、幾多の経緯を乗り越えてきた由緒ある公園なのですよ。ことの始まりは1880年(明治13年)。横浜に在住していたアイルランド人の貿易商サムエル・コッキング氏が、江島神社の菜園敷地3800坪を買収したことに端を発します。1882年(明治15年)にはここを植物園として開園します。日本で3番目に古い植物園なのだそうです。しかし、1923年(大正12年)の関東大震災により大きな被害を受け荒廃してします。第二次世界大戦後の1947年(昭和22年)、江の島は対岸の片瀬町とともに藤沢市に編入されます。藤沢市は江の島の観光開発に積極的で、翌年には跡地を藤沢市が買収します。更に翌年1949年の12月には、「藤沢市立江ノ島熱帯植物園」として復興されることになったのです。1950年(昭和25年)には「江の島植物園」と改名されます。1951年(昭和26年)、読売園地(二子玉川園)にあった落下傘塔が移築され、展望台を兼ねた民間灯台(江の島灯台)が建設されます。またこの年に伊豆大島から連れてこられたタイワンリス54匹の飼育が始まります。このリスたちは、後に台風で飼育小屋が壊れた際、江の島弁天橋を渡って対岸に脱走し、鎌倉や横浜で増殖中のタイワンリスの先祖だといわれています。その後園内の整備が逐次進められます。1964年(昭和39年)には、再び藤沢市の運営に戻され現在に至っています。2002年(平成14年)から、江の島植物園改修工事に着手します。この際、工事現場から縄文土器類1万点余りが出土し、古墳時代以前から人が住んでいたことが明らかとなりました。一方、江ノ島電鉄は同社開業100周年記念事業として江の島展望灯台の建設に着手します。その年の大晦日には落成し初点灯されています。翌年2003年の1月に展望灯台江の島シーキャンドルとしてオープン。旧江の島灯台は解体され、跡地を整備後、藤沢市の公園施設「江の島サムエル・コッキング苑」がオープンしました。因みに対岸の片瀬にある新江ノ島水族館は、2004年(平成15年)に開園し、現在の江の島リゾートの中核が完成しています。江の島シーキャンドルの展望台からの景色も素敵でした。暮れ行く富士山の姿、奥津宮へと続く御岩屋道の夜景は印象に残る様子です。反対側に回りますと、片瀬方面に繋がる江の島弁天橋、江の島大通りと湘南海岸の眺めが広がります。眼下には江の島サムエル・コッキング苑」のイルミネーションが光ます。現在江の島では、江の島サムエル・コッキング苑と江の島シーキャンドルを中心に、島内全体で「湘南の宝石」と名付けられたイルミネーションのイベントが開催されています。期間は2月17日の日曜日まで。藤沢市の官民一体型イベントだそうです。湘南地区は昔からこのような観光資源開発の歴史があり、とてもお上手ですよね。 都道府県魅力度ランキングで6年連続ワースト№1に認定され、県職員の責任者が Facebook にボヤキを投稿しているような、どこぞの県の人たちはこのような自治体に研修に行ったら宜しいかと思えます。イベント嫌いな親爺も唸るほどとてもきれいでした。昨年、一般社団法人 夜景観光コンベンション・ビューローにより、関東三大イルミネーションに再度認定されたとか。ついでに関東三大イルミネーションを記しておきましょう。一つは「あしかがフラワーパーク」で再選です。こちらは関東どころか全日本クラスの実力ですから当然です。二つは新認定の「さがみ湖イルミリオン」。こちらの会場は「さがみ湖リゾート プレジャーフォレスト」。聞き慣れない名前ですが、親爺世代には「さがみ湖ピクニックランド」ならばピンとくるかも。今年は4月7日の日曜日まで開催されています。三つはこの「湘南の宝石」です。更に江の島サムエル・コッキング苑では、「湘南の宝石」の開催と合わせウィンターチューリップというイベントも開かれています。2万本にもおよぶチューリップのお花が迎えてくれますよ。こちらはおそらく1月下旬までが見頃ですから、お急ぎあれということです。この日はほぼ暗くなってからの散策ですから、江の島サムエル・コッキング苑がどのような植物園かはよく分かりませんでした。説明書き等を見ますと和洋折衷の庭園です。園内には定着した南洋植物などが繁茂し、異国情緒が漂っております。富士山の写真や陽の入りの写真などは、ハワイの絵葉書みたいに見えます。次回には時間をかけて丁寧に廻ってみたいと思います。江の島サムエル・コッキング苑を後にして、ぶらぶらと歩いて下ります。 エスカーは登り専門ですから下りは歩くしかない。下るついでに、辺津宮から瑞心門を潜って参道を降りてこれば良かったですね。ついついうっかり忘れてしまいました。仲見世通りはまだ多くの人で賑わっていました。青銅の鳥居から江の島弁天橋を渡り、片瀬江ノ島駅から小田急線に乗り藤沢駅に戻ります。このころにはすっかり酔いも醒め、車を運転して無事我が家に帰ることができました。今回も見所満載の江の島探検。来る度に新たな発見もあり、まだまだ当分楽しめそうですな。さて、これでお正月休みの日記は終了です。気が付けば既に2月に突入です。 明日からは1月の続きです。進行が遅くてどうも済みません。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2019.02.01
1月31日(木)今朝は晴れていますが次第に雲が多くなり、夕方から小雨、夜半には小雪に変わるようです。それでも、降雨量、降雪量は少ない予報ですから、お湿りはあまり期待できないかもしれませんな。日記は江の島岩屋の中。まずは第一岩屋の左の道を進みます。ところどころ天井が低くなり、探検気分が盛り上がります。木製の柵があり一段と下に下がるようです。奥には何かが祀られているようですが、この先は通行止めで、行くことはできませんでした。言い伝えでは富士山の麓の氷穴まで繋がっているとか。氷穴は富士山の噴火活動でできた洞窟。こちらは相模湾の波の力で削られてできた洞窟。向こうとこっちが繋がっているとは、俄かに信じることはできませんが少しばかりロマンを感じます。左側に見える石は、日蓮上人の寝姿石。確かに人が仰向けに寝転がっているように見えます。来た道を分かれ道まで戻り、今度は右側の洞窟に進みます。突き当りにはこのような祠がありました。伝承ではここが江島神社発祥の地なのだそうです。時は552年(欽明天皇13年)、初めて神様が祀られたのだとか。飛鳥時代より以前の古墳時代のお話ですから、大昔から神が宿る地に思えたのでしょう。右側の狛犬は子犬に乳を飲ませています。子犬を手で持っていますね。 何とも人間味のある不思議な狛犬です。ここもこれ以上は進めません。 ここで引き返すことになります。通路の右側には様々な石造物が見えます。江島神社に信仰の篤かった人々が運び込んだとされています。仏像が多いのですが、巳の石像も幾つかあったように思います。弁財天様は元々インドのヒンドゥ教の女神、サラスバティでしたね。サラスバティは水の神様であり、五穀豊穣の神、歌舞音曲の神でもあります。弁財天様にも五穀豊穣の神の性格は引き継がれていて、眷属(神使)は蛇(巳)なのだそうです。入ってきた所を通り越し、ここから一旦第一岩屋を出ます。この橋を通って第二岩屋に向かいます。亀石と呼ばれる石があるのですが、これかどうかは不明です。何となく亀に似ているように見えますが、首が長すぎる様に思えます。程なく第二岩屋の入り口に到着します。第二岩屋の中は真っ暗ですが、手燭のサービスはありません。その代わり、イルミネーションが道案内をしてくれます。突き当たりには、如何にも・・・な竜神の像があります。またイルミネーションを頼りに出口(入口)まで戻りました。1月5日の潮回りは大潮で、午後4時ごろがちょうど満潮。岩棚は全て潮が被っていて、降りることは不可能でした。稚児ヶ淵の上の階段からの富士山の景色。かなり陽が傾いています。 ここから親爺は脚を早めます。江の島シーキャンドル辺りから、陽の入りを撮ろうと考えたのです。奥様にはゆっくりと来てもらうことにし、ほとんど駆け足状態で進みます。冷静に考えてみれば、この辺りからでも十分きれいに撮れたはずです。とにかく急げ急げで息が切れました。 汗だくでもありました。途中、奥津宮の脇にある龍宮(わだつみのみや)で休憩がてら撮影です。「わだつみ」とは、日本神話の海の神様のことでしょう。 「わた」は海の古語です。このお社は平成6年に新たに建てられました。ところで、江の島には龍神様が多いですね。其の謂われは、1047年(永正2年)に、比叡山延暦寺の僧が著した「江嶋縁起」という書に記されているそうです。昔、対岸の津村というところに、大きな湖があって五つの頭を持った龍、五頭龍が住んでいたそうです。その龍は、乱暴者で山は崩す、疫病は流行させる、台風や洪水を引き起こすとまさにやりたい放題だったのです。周りの村は荒れ果ててしまい、子供を生贄に差し出すようになってしまったとか。そのためにこの辺りは子死越(現在の腰越)と呼ばれる様になってしまったとか。552年(欽明天皇13年)に天地震動して天女が現れ、海面に突如として島が現れました。五頭龍は天女に心を寄せるようになります。しかし天女にそれまでの悪行を戒められ振られてしまいました。五頭龍はそれまでの行いを深く反省し、その後人々の守護として活躍しました。恋は成就し五頭龍大神として祀られたそうです。その後天寿を迎えた五頭龍は、龍口山に姿を変え、今でも人々の暮らしを見守っているということです。五頭龍大神を祀った瀧口明神社は、江の島神社と同じ552年(欽明天皇13年)に建立されたと伝えられます。天女は弁財天様の化身であって、両神社は夫婦神社とも云われています。このお話に基づき、江の島には多くの龍神様の像があるのです。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2019.01.31
1月30日(水)今日から節分の日まで、24節気の末候である「鶏始乳(にわとりはじめてとやにつく)です。鶏が春の気配を感じて産卵を始めるということを表わしています。今では一年中産卵しているようですが何故でしょう。鶏も元々は野鳥です。 飼い慣らして家禽にしたものですね。他の野鳥と同様、本来は冬の寒い時期には卵を産まなかったのでしょう。品種改良や養鶏技術の向上により、今では年中卵を産むようになりました。さて、この「鶏始乳」は、11月8日の立冬から始まる冬季の最後でありますが、「略本暦」による24節気・72候の最後でもあります。即ち、24節気・72候の暦の上では一年の締め括りとなります。2月4日の立春をもって新たな一年がスタートするということですね。旧暦のお正月もだいたいこの辺りです。今年は翌日の2月5日となります。稚児ヶ淵の横の遊歩道を通り、江の島岩屋に到着しました。この遊歩道は高架式になっていて、潮の満ち引きに関係なく通れるようになっています。岩屋橋と名付けられています。一昨年の台風21号の高潮などによる被害で、激しく損傷激しましたが、きれいに修復され昨年のGWに合わせ安全に行けるようになっていました。公開されている岩屋は奥行152mの第一岩屋と、奥行56mの第二岩屋から成ります。下の写真は第一岩屋の入口の部分です。このトンネルは天然の洞窟ではなく、人工的に掘った臭いがします。以前は稚児ヶ淵から続く岩棚沿いに、道が付けられていたのではないかと推察されます。右手に曲がると第一岩屋本体が見えてきました。横穴を抜けると正面はこのようになっています。水溜りの中に歌碑が立っています。与謝野晶子が1911年(明治44年)に詠んだ江の島の歌が刻まれています。「沖つ風 吹けばまたゝく 蝋(ろう)の灯に 志づく散るなり 江の島の洞」そばにはこのような説明書きがありました。江の島と岩屋の生成過程の概略が書かれています。江の島は割と柔らかい岩で出来ていて、相模湾の荒波で削られ小さくなってきているそうです。次第に小さくなり、遠い将来には消滅してしまうかもしれませんね。また、断層のような弱い部分が波で浸食され、岩屋のような洞ができたそうですよ。公開されている岩屋以外にも、洞は複数存在しています。説明書きが幾つかあります。しかし岩屋の内部が暗くて、その場で読むのはかなり困難でした。入り口方面から与謝野晶子の歌碑の裏辺りまで、このような景観が続いています。かなり大きく浸食されています。 第一岩屋の奥はとても暗くなっていますので、ここで手燭を借りて、その灯りを頼りに進みます。歌碑に刻まれた与謝野晶子の歌そのものです。明治時代も手に持った蝋燭の灯りを頼りに岩屋に参詣したのでしょう。とても良い演出ですね。しかし混雑時には危険なので、蝋燭の貸出しは中止する場合もあるそうです。第一岩屋はここで左右に分かれます。順路に従ってまず左側の洞窟へ進みます。このような石仏などが幾つも置かれています。この石像は八臂弁財天座像のようです。一昨年の台風21号の時は、高潮のために岩屋の中まで海水が流れ込み大きな被害を受けました。台風前の岩屋の情況には、まだ完全には戻っていないようです。第一岩屋は、古来江島神社の本体そのものでした。江島神社の信仰はこの場所から始まったのです。当然のことながら、昔は江の島弁天橋も江の島大橋もなく、参道も整備されていませんでした。道なき道を重い石仏を担いで、この岩屋に運び込んだのでしょう。江島神社に対する信仰心の篤さが窺えます。この先は明日以降の日記です。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2019.01.30
1月29日(火)今日は朝から強い北風が吹いています。気温は強烈に下がっているわけではありませんが、風が吹くと寒く感じます。しかしながら、朝方の最低気温の推移を見ますと、着実に春の足音が聞こえてきますね。日記は江の島の中。中津宮を後にして、更にエスカー3区で頂上に向かいます。江の島の頂上には、「江の島サムエル・コッキング苑」や、「江ノ島シーキャンドル(展望灯台)」、「亀ヶ岡広場」もありますが、とりあえずスルーして奥津宮を目指します。山二つの窪みに向かって一旦下がり、奥津宮に向かってまた登る階段主体の道です。両側には飲食店やお土産屋が並びます。はまぐりなども店頭で焼いています。シラスの幟もありますが、相模湾では1月~3月まで禁漁期間です。相模湾のシラス漁はなかなか有名ですが、とれたてキトキトではないですね。ここは江の島の裂け目、「山二つ」です。江の島を形成する地層を大部分は、葉山層群と呼ばれる海底の堆積物からなる凝灰質の岩のようです。凝灰岩系は比較的脆いタイプの岩ですね。この柔らかい層にできた断層に沿って、海水が掘り進んだトンネルが崩落した跡が山二つであると推定されています。江の島は、大昔は海底であった地層が、幾度か隆起して出来上がっています。島の周りには岩棚も見られ、非常に複雑な地層を示しているようです。海岸につきものの、野生の水仙が咲いていました。振り返りますとシーキャンドルの雄姿。今までシーキャンドルに登ったことがないのですね。 何故だろう。ここはメインディッシュに取っておきます。奥津宮の手水舎。奥津宮の前です。ここまで来ると人の数が半減しているように思えます。奥津宮を通り越し、稚児ヶ淵に下りる階段の途中から、富士山方面を望みます。茅ケ崎の烏帽子岩もはっきりと写っています。かなり陽が傾き逆光です。 全体が霞がかかったように見えます。箱根の山に富士山。 やはり富士山は背が高いです。手前の磯は稚児が淵です。 潮が引いているときは格好の遊び場になります。漁船が港に戻ります。時刻は三時半ごろ。この後急いで岩屋見学に向かいました。昨年のお正月には、2017年10月の台風21号の被害により岩屋は閉鎖されていて見学できませんでした。今年はそのリベンジでもあります。中がどうなっているのか楽しみです。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2019.01.29
1月27日(日)今日は午後から強い北風が吹きつけ寒い一日となりました。明日は一転して日本海の低気圧に向けて南西の風が吹き込み暖かな一日となりそうです。今は寒さのピークですが、三寒四温の言葉通り、次第に暖かくなるのでしょう。冬鳥の季節も後半戦に突入しますね。江の島大橋の江の島側の袂のバス停でバスを降り、江島神社の参道を進みます。両側にお土産屋さんや飲食店が居並ぶ参道は、まさに昭和の観光地を彷彿とさせます。近年の流行は、あさひ本店の「丸焼きたこせんべい」です。タコを丸ごと2~3匹つかい、1トンほどの圧力と185℃の高温でプレスしています。少なくとも親爺が店の前を通るときは、長蛇の行列ができています。行列嫌いですから、必然的に食したことはありません。食べている人は皆笑顔です。 さぞ美味しいのでしょうね。下から見上げる朱の鳥居。これより手前、江の島の入り口に青銅の鳥居がありますが、写真を撮るのを忘れてしまいました。青銅の鳥居は江島神社の三之鳥居にあたります。嘗ての一之鳥居、二之鳥居は今では遺っておりません。こちらは朱の鳥居の先の瑞心門。竜宮城のイメージを模してデザインされています。江島神社は下から辺津宮、中津宮、奥津宮から構成されていて、辺津宮は田寸津比賣命(たぎつひめのみこと)、 中津宮は市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)奥津宮は多紀理比賣命(たぎりひめのみこと)が祀られています。この三柱は三姉妹の女神様です。福岡の宗像大社や、広島の厳島神社と同じ神様です。本家本元は宗像大社のようですが・・・。あらゆる「道」の最高神であり、航海の安全や交通の安全などを祈願する神様として崇敬を集めています。この三姉妹は仏教との神仏習合により、弁財天女とされるようになり、今では江島弁財天として名が通っています。安芸の宮島、近江の竹生島とともに、ここ相模の江の島は、世にいう日本三大弁財天の一つにあげられています。奥様と親爺は何時も江の島エスカーに乗ってしまうので、瑞心門を潜ったことがありません。 帰りもうっかりして潜るのを忘れてしまいます。エスカーとは登り専用の屋外エスカレーターのことで、1961年(昭和34年)に日本で初めて設置されたものです。エスカーも今年還暦か 同い年とは初めて気が付きました。瑞心門を潜りぬけ、江の島の頂上まで全て階段を行きますと、階段254段分を登ることになります。 エスカーを利用すれば楽ちんです。エスカーは3区分されていて、1区は辺津宮まで、2区は辺津宮から中津宮、3区は中津宮から頂上までを結んでいます。1~3区の通しの利用料金は大人一人360円。しかし、江の島サムエル・コッキング苑、江の島シーキャンドル(展望灯台)、岩屋洞窟も訪れるなら、江の島1dayパスポート「eno=pass」がお得です。1日に何度でも利用できる上に、バラで買うより360円安いのです。つまり、エスカーを無料で利用できることになります。1区のエスカレーターは2連です。 途中で乗り継ぎます。エスカー1区から出ますと、中津宮前に出ます。直ぐ右側には銭洗白竜王なる泉があります。見るからに造り物なのですが、嫌味に感じないところが不思議です。江の島自体が大きなテーマパーク、遊園地ですから許せちゃうのでしょう。辺津宮のご社殿の前はお参りの人で大混雑。奥様と親爺は寒川神社でお参りしてきたところですから行列には並びません。これは奉安殿と呼ばれる建物で、平たく言えば宝物殿です。何れも鎌倉時代のものとされる、八臂弁財天御尊像と妙音弁財天御尊像が納められ公開されています。八臂弁財天御尊像(神奈川県 重要文化財)は、戦勝祈願の弁財天です。八臂とは8本の腕のこと。それぞれに弓、矢、刀、矛、斧、長杵、鉄輪、羂索という、8種類の武器をお持ちのとても勇ましい弁財天像です。「吾妻鏡」の1182年(養和2年)4月5日の段には、この八臂弁財天像は、源頼朝による奥州藤原氏の調伏祈願のための奉納であったと記されています。奥州藤原氏の征伐の願いは叶い、この八臂弁財天像は戦勝の女神として、武田信玄など多くの武家の崇拝を受けました。妙音弁財天御尊像は、別名裸弁天。弁財天は普通琵琶を持っている美人というイメージです。元々ヒンドゥー教のサラスヴァティという名前の女神様であるとされ、ヴィーナと呼ばれる琵琶に似た弦楽器を持つ姿で描かれます。妙音弁財天御尊像はそのイメージピッタリのお姿です。しゃもじ型の大きな絵図が下がっていました。これはしゃもじではなくて、弁財天様の琵琶の形なのかもしれません。樹々の間からは、江の島と対岸の片瀬との位置関係が良く見えます。江の島弁天橋と江の島大橋がくの字に曲がっていることが分かります。江の島大橋はこちらに向かう車線が大渋滞です。駐車場の台数が限られていますし、それぞれの滞在時間も長めです。その上一本道ですから渋滞は必至。車で訪れるのは得策ではありませんね。江の島弁天橋(歩道)も混雑はしていますが、普通に歩くことはできそうです。小田急か江ノ電など公共交通機関の利用がお勧めです。藤沢駅からバスに乗るのも良いですよ。ただし昼間は一時間に二本しかありません。時間帯によっては江の島大橋の渋滞にも巻き込まれます。電車で来て、対岸の片瀬から橋を渡るのが無難でしょうか。弁天橋の上からの眺めも乙なものです。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2019.01.27
1月26日(土)昨日72候の「水沢腹堅(さわみずこおりつめる)」のことに触れましたが、早速、今シーズン最強の寒気が日本上空に雪崩れ込んできました。天気予報では、新潟県山間部で一晩で100cmの雪が降る所も・・・。少なくとも節分、立春まではこの気象状況が続きそうです。インフルエンザも猛威をふるっています。暖かくして過ごしましょうね。藤沢の名店「そば酒房 陽ざ志」さんを辞去した後、このまま車を運転して帰宅の途に就くわけには参りません。美味しいお酒をいただいてしまいましたからね。酔い覚ましを兼ねて、今回も江の島に向いました。藤沢駅の南口から江の島行きのバスに乗ります。時刻は14時22分。 ちょうど26分発の便がありました。このバスは江の島大橋を渡って、江の島の中まで連れて行ってくれます。江ノ電や小田急で行くよりも歩く距離が短くてすみます。江の島は何故か不思議な魅力を放っていますねぇ。昭和の香りが満載ですが、若い人たちも楽しそうにしていますよ。気軽に行ける小さな島ですが、一日遊べる見所も幾つかあります。魚釣りをする場所もありますし、大きなヨットハーバーなども完備されています。陸側の片瀬側に広がる砂浜では、サーファーが大勢押しかけます。夏には海水浴を楽しむ人で溢れています。奈良時代には修験道の開祖である役優婆塞(役小角)が、平安時代には真言宗の開祖の弘法大師が、参籠し修行したと伝わります。鎌倉時代以降は、源家や北条家を始め多くの将軍、御家人が参拝し、その時々の為政者から聖域として保護されてきました。参拝者のための宿坊も門前に軒を連ねていたそうです。宿坊の中でも岩本院は有名で、現在の旅館「岩本楼」の前身にあたります。昔の人々、特に江戸時代には、お伊勢参り、大山参り、遠くは金毘羅参りなどは、物見遊山の観光も兼ねていて、庶民にとっては憧れのレジャーだったのです。特に、単なる観光旅行は許されない時代でしたから、参拝を隠れ蓑にした物見遊山の旅は、それはそれは興隆を極めたと伝わります。江の島詣は大山参りとセットにされ、やはり大変な人気があったそうです。お伊勢さんは江戸からは遙か遠く。徒歩しか交通手段の無かった時代は、大変な時間と多額の旅籠代がかかりました。往復で早くても一月近くはかかったでしょう。それに比べると、大山と江の島、ついでに鎌倉を回っても、一週間ぐらいで済むでしょう。そのようなことから、相模湾の真珠?江の島は、古くからの筋金入りの大観光地なのです。このような歴史的経緯もあり、今でも人気観光スポットして君臨しています。江の島が干潮時に歩いて渡れるようになったのは、1,200年頃からと記録にあるようです。 ちょうど鎌倉幕府の成立前後です。明治時代の初期まで島に渡る手段は、引き潮時に歩いて渡るか、渡し船に乗るか、人足に背負われるかの何れかです。何処でも同じですが、お客の足元も見るゆすりたかりの類が横行していたそうです。江の島に初めて橋が架けられたのは、1891年(明治24年)のこと。この橋は非常に簡易的なもので、「江の島桟橋」と呼ばれていたそうです。台風などでは度々損壊し、狭くて欄干が低い橋の上から人が落ちるのは日常茶飯事であったとか。とかく長閑な、おおらかな時代のお話です。1948年(昭和23年)には、本格的な木の橋が架けられ、「江の島弁天橋」と命名されました。1958年(昭和33年)にコンクリート製の歩道に架け替えられ、1963年(昭和38年)、車道専用の「江ノ島大橋」が横に架けられました。現在も、その両橋で陸側の片瀬と江の島は繋がっているのです。「江の島弁天橋」と「江ノ島大橋」の位置は、「江の島弁天橋」とほとんど同じです。途中でくの字に曲がっているところも同じです。このくの字は歩いているとなかなか気が付かないですね。 不思議なものです。人が多いせいなのか、キョロキョロしながら歩いているせいなのか、真直ぐに通っているように感じてしまいます。大潮の干潮時などには、橋を渡らなくても砂州を歩いていけるかもしれません。しかし歩いて渡ろうとする人などは、一般観光客では皆無でしょうね。新年ですから江島神社に初詣という方々も大勢います。外国からのお客様もいます。江島神社の参道も境内も含めて、島全体がテーマパークです。 何度行っても何か新たな発見があり飽きませんね。それでは江島探検に出かけましょう。 ナビゲートしますよ。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2019.01.26
1月24日(木)明日1月25日は「日本最低気温の日」です。1902年のこの日、北海道旭川市では-41.0まで気温が下がったそうです。これが日本の最低気温の公式記録であって、このことに因んでいます。氷点下5℃程度で大騒ぎしているわが身にとっては空絶の数字です。今年の旭川は今のところ最も低い気温が15℃弱。金曜日から土曜日にかけて強い寒気が流れ込み、最低気温は-20℃前後の予報。最低気温記録の半分程度ですが、どのようなことなのか俄かに想像できないですね。日記は相模国一之宮寒川神社参詣の続きです。旧一之鳥居の遺物の前を通りすぎ、更に境内を進みますと神門が見えてきました。1993年(平成5年)に竣功した重層の門です。寒川神社では、2001年(平成13年)より毎年お正月には、神門に「迎春ねぶた」を飾り新年の参拝客を迎えています。2012年(平成24年)までは干支に因んだねぶたでしたが、干支が一巡した2013年(平成25年)からは日本神話などが題材です。今年で19回目となりますが、5月1日の新天皇即位を控え、「御代(みよ)替わり」がテーマで、古事記、日本書紀に記された日本神話の「天孫降臨」が題材なのだとか。天照大神から「三種の神器」を授けられ、豊葦原瑞穂国(日本)を治めるよう命じられた、孫の瓊瓊杵尊が、猿田彦神に導かれて地上に降りる様子です。昨年は確か「御社殿御造営竣功二十年」に因んだものであったと思います。制作者は数々の賞を受賞した、青森ねぶた師の北村蓮明氏です。幅9メートル、高さ2.6メートルの巨大なものです。2月3日の節分までは、午後4時から10時にライトアップする予定です。まだ観るチャンスはありますよ。 残念ながら奥様と親爺は夜の姿は観ていません。神門の手前の手水舎。 ここは平成3年の竣功です。手水鉢は横幅が2.4m、奥行1.35mで福島県産浮金石だそうです。浮金石は三春の滝桜に程近い、その名も黒石山から産出される最高級黒御影石です。流石相模国一之宮。 贅を凝らした材が使われていますね。手水舎の奥には神馬舎が配置されています。猿に曳かれた神馬の彫刻が安置されていました。神門を潜ると総桧造りの大きな社殿が現れます。こちらは平成9年に大改修されました。 拝殿は一度に216名が着座できる広さがあります。寒川神社の御神籤の奉納場所はとてもカラフルです。御神籤が多色刷りでとても綺麗なのです。これが上からぶら下げられた縄に、びっしりと結ばれています。真ん中に見えるのはご神木の杉の樹。 その先は社殿です。奥様は厄落としの絵馬を奉納しておりました。この絵馬は厄の字が逆さまに描かれていました。神門を裏側から眺めます。亥年のポスター。 猪が可愛い。奥様は生粋の亥年生まれですから、とりわけ猪が可愛いようです。ちょっとした林があると、シジュウカラも顔を出します。ちゃんと神様に拝礼していますよ。 お参りの作法を心得ています。流石に神域に棲む鳥です。 しかし柏手だけは打てませんね。と勝手なことを書きましたが、何処のシジュウカラも頭を下げるのが癖なのです。神池の端には相模薪能の石橋(しゃっきょう)の像が建っていました。相模薪能は1970年から始められた寒川神社の夏のイベントです。毎年8月15日の終戦記念日の日に奉納され、第二次世界大戦で斃れた犠牲者の霊を慰め、世界の恒久的平和を祈ります。石橋は能の演目の一つです。中国にあるとされる清涼山の石橋が舞台です。この橋を渡ると文殊菩薩の浄土に至るとされています。ワキである寂昭法師がこの石橋を渡ろうしますが、シテの仙人に人間に渡れるものではないから止めておけと諭されます。仏門の修業は容易ではないことを示唆しています。仙人は橋のいわれを語り、ここで待てば文殊菩薩の奇瑞が見られると言い立ち去ります。ここまでが前半です。後半では、文殊菩薩の使いの獅子が現れ豪快で勇壮な獅子舞を披露します。実際に文殊菩薩像には獅子の上に乗られているお姿があります。これは騎獅文殊菩薩像と呼ばれます。 獅子に乗っていれば間違いなく文殊菩薩です。さて寒川神社は1,600年前には建立されていたとされる古い歴史ある神社で、927年(延長5年)に編纂された延喜式神名帳にも記載され、相模国唯一の国幣大社でした。しかし平成に入ってからの改築や新築が相次ぎ、現在はとても整備された境内とピカピカの建物が特徴的です。そもそも1923年(大正12年)の関東大震災では、この寒川神社も壊滅的な打撃を受けています。震源地は相模湾沿岸と推定されていて、この辺りは直撃だったのです。従って古い建物は皆無といっていいほどありません。これを更に近年修築していますからきれいなのは当たり前。古い・汚いが嫌いな姫様の受けは、非常に良いと思われる境内ですな。話は変わりますが、この地は春分・秋分、夏至、冬至にまつわるレイライン上にあるということなのですね。レイラインとは様々な聖地、神域を結ぶ線の事。寒川神社を中心に考えますと以下の通りになります。春分・秋分の日には真東に上総国一之宮の玉前神社方面から陽が昇り、真西には富士山頂と出雲大社がありこの方面に陽が沈むのです。夏至の日には鹿島神宮、香取神宮方面から陽が昇り、大山神社、諏訪大社方面にに陽が沈みます。冬至の日には箱根神社に陽が沈むといった感じです。そしてこのラインは全てが寒川神社でクロスしています。このことから、太陽のパワーを最大限に集めるたいへんなパワースポットだという噂も・・・。俄かに信じられないことではありますが・・・。これまた姫様受けしそうな凄い場所ではありませんか更に寒川神社は八方除の神様でもあります。八方というのは、平たく言えば東西南北などの方位のことですが、方位が良くないといろいろと差し障りが出てくるというあれですね。平安時代にはお出かけの際、向かう方位が良くないと、方違えといってわざわざ別方向に向かい遠回りしたというお話もあります。大阪には何と方違神社というそのものずばりの神社が現存しています。これらを司っていたのが簡単に言ってしまえば陰陽師。 安倍清明で有名です。今時わざわざ別方向に出かける人はいないでしょう。従って御祓いをしていただき難を無難に転じていただくわけですな。このお話は出かける方角だけのお話ですが、あらゆる運勢を方角に当てはめ吉凶を判じ、悪い場合は御祓いをしましょうということになります。八方塞がりなどという言葉もこの辺りが語源のようです。このお話、全然詳しくないのでこれ位にしておきます。 記したことは嘘八百かもしれません。何れにせよ、これまた占い好きの姫様達の心をわしづかみにしそうなお話です。このような魅力人々を引き寄せるのでしょうか、交通の便がとても悪い田舎町の御神社に、毎年40万人ともいわれる多くの初詣客が押し寄せます。回りにはほとんどお店らしいお店はありません。その代り、田圃と畑と駐車場はたくさんあります。露店の数もすごいですよ。 このような非日常なところも面白いのかもしれません。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2019.01.24
1月23日(水)今朝は薄曇り。 天気予報は今日も晴れ。まだまだしばらくは雨が降りそうにもありません。1月5日は親爺の還暦の誕生日。奥様と八王子までお墓参りに出かけました。とりあえず60歳まで辿り着きましたと墓前に報告します。親爺の母親の享年は、丁度60歳でした。随分と早く亡くなってしまいましたが、同じ年になってしまったのです。これからも健康に注意し、母の分まで長生きしようと思いました。お墓参りの後は寒川神社に向かいました。昨年のお正月、この御神社にもあることを願掛けし成就しましたので、お礼参りに行かないとと、奥様にお尻を叩かれ伺うことにしたわけです。御神社近くの駐車場に車を置き、反対方向に歩き、参道入り口の二之鳥居を潜ります。鳥居の写真などを撮っていますと、参道脇の大きな松の樹の上に、白くて大きな鳥を発見。これはまた瑞兆かと写真をパチリ。真っ白でとてもきれいなダイサギでした。ヒョロリと細長いダイサギも、下から見上げますとなかなかのグッドプロポーションですな。これはあくまでも、親爺の個人的な意見ではありますがね。ところでダイサギには幾つか亜種があり、日本で見られるダイサギには亜種チュウダイサギと亜種ダイダイサギがいます。親爺は完全に混乱しておりましたが、整理しておかないと忘れてしまうので記しておきます。ダイサギの「中」と「大」ですね。橙色(だいだいいろ)の橙鷺ではありませんよ。 これは "just joke" ですが・・・。亜種チュウダイサギは、夏場に日本で繁殖し冬は大方が南方で越冬します。亜種ダイダイサギは、中国北東部で繁殖し冬場に日本に飛来し越冬します。脚より上の部分はほぼ見分けがつかず、どちらも種名はダイサギ。亜種を区別しなければ一年中見られるので、ダイサギは留鳥とする考えもあります。しかし、この2亜種は上述の通り行動パターンが明確に異なります。亜種チュウダイサギは夏鳥、亜種ダイダイサギは冬鳥です。夏と冬で個体が入れ替わっているのに、留鳥と理解するもの何だか変ですね。見分ける最大のポイントは、脚の色なのだそうですが・・・。亜種チュウダイサギの脚の色は全体的に黒っぽい。一方、亜種ダイダイサギの脚の色は脛の部分が黄白色あるいは淡色で、その先の趾手前までは附蹠(ふしょ)とされますが、ここも黄白色あるいは淡色になります。教科書的にはこのような記述でしょうか。因みに附蹠とは人でいえば足の甲にあたります。 鳥類は踵から先が長いのですよ。で、この色の違いが微妙で良く分からないのですよ。人でも肌の色は、色白の人から色黒の人まで様々です。また光の当たり具合によっては、同じ個体でもどちらにも見えてしまいます。何れにせよ、繁殖地が異なり日本にいる季節が明確に異なるのであれば、一部重なる時期があるとしても、夏のダイサギと冬のダイサギは異なる個体なのだと認識しておいた方が良さそうです。この他、「中」と「大」ですから、勿論大きさも異なります。チュウダイサギはアオサギと同等かやや小さめ、ダイダイサギはアオサギと同等かやや大きめとされます。しかしねぇ、当然大きさには個体差がありますから一概には言えません。人でもサイズには随分と違いがありますでしょ。何事もだいたいの傾向として捉えておいた方が良さそうです。それでは一体この子はどちらだよとなりますね。時期的には亜種ダイダイサギになります。そしてこの写真を見る限り脛の辺りは黒く見えないので、断定はできませんが亜種ダイダイサギじゃないかなとしておきましょう。北風に煽られて、全身の羽毛が靡いています。本当に神様の御使いかもしれません。それぐらい神々しく見えましたよ。参道で思わぬ寄り道をしてしまいましたが、さっさと先へ進みましょう。二之鳥居を潜り抜けと書きましたが、それでは一之鳥居は何処にあるのでしょうか。一之鳥居は更に南方、600mほどのJR相模線の踏切近くです。ここまで戻るのは手間ですから、今年も省略してしまいました。ということで寒川神社の表参道は、一之鳥居から拝殿まで1kmほどもあることになります。ダイサギさんを見ながら尚も進むと、三之鳥居手前の寒川神社前という交差点に出ます。この交差点を渡ると境内に突入です。三之鳥居手前には神池が広がっていて、その上を渡る橋が神池橋。右手には「相模國一之宮 國幣中社 寒川神社」と記す御影石の立派な社号標が建っています。神池には錦鯉が遊んでいます。 真冬なのに元気です。湧き水が湧いていて水温が高いのでしょうか。 それとも神様の化身なのでしょうか。神池には平成23年に架け替えられた太鼓橋が架かります。神池橋と命名されています。 この橋を渡ると邪気が払われるのだとか・・・。その先には桧造りの三之鳥居があります。この鳥居は平成2年に建て替えられています。潜り抜けるとその先右手には、大きな石の棒が横たわっています。注意深く読んでみますと以下のように記載されています。一ノ鳥居 記この鳥居は当神社の一ノ鳥居で寛政八年(西暦一七九六年)木内善治郎の寄進により参道に建立されたもの。安政二年江戸大地震、大正十二年関東大震災、二度にわたり倒壊した。高さ一丈一尺(約三・三m)柱間一丈(約三m)明神鳥居。当時をしのびここに設置する。寒川神社社務所安政年間の江戸大地震および大正時代の関東大震災は、相模湾沿いのこの近くが震源地であったと考えられています。甚大な被害を受けたのだということは想像できます。さて、今日の日記はここまで。これ以上書きますと恐ろしく長くなってしまいます。続きはまた明日。 いよいよ寒川神社の核心部分に入ります。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2019.01.23
1月3日(木)今日で平成最後の三が日は終了。 早いものですね。今回の年末年始、関東地方はすこぶる良いお天気に恵まれました。一方、北日本の日本海側から山陰にかけて、雪が降り続いたようです。例年のこととはいえ、大変な思いをされていることでしょう。今朝の我が町の最低気温はマイナス3℃から4℃ぐらいでした。うんと冷え込みましたね。愛車のフロントガラスには大きなハートマーク。 奥様が発見。少しひしゃげていますが、何故か嬉しそうでした。 幾つになっても乙女なのか。しかし、自然の造形は面白いものです。 何故できたのかは謎です。ところで、お月様と明けの明星の写真は撮り損ねました。朝の5時ごろは未だお月様が出ておらず、金星だけが輝いていました。覚えていましたら、約一月後にも見てみましょう。今日の日記は、元旦の初日の出。 初日の出なのに最後とは変なタイトルですが・・・。新元号は4月1日に発表になるようです。 次第に平成とのお別れ気分が高まってきますね。香取神宮に初詣詣した帰りに寄った、道の駅「水の郷さわら」の上流側の土手から拝みました。水面上には多数の水鳥の影が見えています。もう少しで太陽が顔を出します。香取神宮方面に小高い山があり、日の出の時間は若干遅れます。カルガモたちは未だお休みの中、オオバンは元気良く泳いでいます。6時59分、僅かに出てきました。お陽様から伸びる一筋に光が、刻一刻と手前に伸びてきてとても幻想的でした。少し明るくなると同時に、鳥たちの動きが活発になってきました。カルガモたちの「グゥエー、グゥエー、グゥエー」という鳴き声が響き渡ります。朝陽に照らされたカンムリカイツブリはとてもきれいでした。さして風もなく、水面は非常に穏やかです。オオバンとカンムリカイツブリがニアミスします。お互い少しビックリしたようです。オオバンが先に逃げ出します。カンムリカイツブリがその後を少しだけ追いかけます。更に逃げるオオバン。 肉食主義者のカンムリカイツブリの方が若干気が強いようです。遠くの方では誰かが餌をあげているようです。コブハクチョウ、オオバン、カルガモが集まっていました。おめでたい紅白模様のホシハジロもポツンと一羽だけいました。ダイサギとコサギの姿も確認できます。この場所は佐原市街から直ぐですし、とても足場が良いのですが、初日の出が出る方角に高圧線が通っていて、その影が少し煩わしいですね。もう少し時間に余裕があれば、霞ケ浦の浮島方面まで移動したかったのですが・・・。来年はチャレンジしてみましょう。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2019.01.03
1月2日(水)今朝は南東の方角に、かなり欠けたお月さんと明けの明星がかなり接近して見えました。お月さんの直ぐ下右横に金星の配置です。気が付いた時には最高のポジション。 写真を撮る暇はありませんでした。目カメラで焼き付けておきましたよ。明日も気が付きましたらカメラでの撮影にチャレンジしましょう。今日の日記は元旦の初詣のお話。早朝に恒例の香取神宮へ行ってきました。香取神宮は我が家が属する下総の一之宮。平安時代の927年(延長5年)にできた『延喜式』神名帳では、「神宮」の称号で書かれた神社は伊勢神宮・鹿島神宮・香取神宮の3社のみです。このことでも、古来より朝廷の崇拝が篤かったことが窺えます。神階は、上賀茂神社、下賀茂神社、春日大社、鹿島神宮と並び、正一位勲一等の最高位が与えられています。御祭神は日本書紀に登場する、経津主大神(ふつぬしのおおかみ)です。鹿島神宮に祀られる武甕雷男神(タケミカヅチノオノカミ)とともに、天孫降臨に先立つ葦原中国平定(国譲り)神話において活躍したとされています。そのためこの二柱は武神として崇められ、古代ヤマト政権の蝦夷征伐の拠点となった、香取と鹿島にそれぞれ祀られたのです。そのようなことは置いておいても、とにかく下総の国の一之宮ですから、毎年初詣に伺うことにしているわけです。交通の便が良い都会の神社仏閣は別にして、田舎の大社、大寺院は年が明けた最初の早朝は、驚くほど人が少ないのです。したがって人混みが苦手な親爺は、初詣は早朝と決めています。それでも表参道から向かいますと道路の渋滞は必至です。ましてや少しでも到着時間が遅くなると渋滞の列がどんどん伸びていきます。そのため、裏から回って表参道に一番近い有料駐車場のお世話になります。これなら待ち時間は全くゼロ。 時間を有効に使えます。我が家を4時過ぎに出発し、5時過ぎには駐車場に滑り込めます。表参道は徹夜で営業する参道沿いの商店や露店の灯りで賑やかです。二の鳥居です。香取神宮の一の鳥居は二つあります。 現在の一の鳥居は、佐原市街地へと続く県道55号の途中にあります。ここから二の鳥居までは1.5km以上ありますね。混雑時はこの辺りは既に渋滞の半ばですな。もう一つの一の鳥居は、津宮浜鳥居と呼ばれ利根川の畔に建てられています。古代はもっと海面が高く、この辺りは香取海と呼ばれた巨大な内湾の一部でした。この香取海は手賀沼辺りまで広がっていたそうです。 そして交通手段は海運でした。神様は海から上陸したので、津宮浜鳥居がその当時の一の鳥居であったのです。今でも鹿島神宮との神事の際(12年に一度:午の年)は、ここから船を使い利根川や北浦などを年に経由して行き来しています。この道はお正月は進入禁止となっていて使えません。二の鳥居を潜り、両側に並ぶ露店を見ながら登り坂を上がっていきますと三の鳥居に着きます。そして三の鳥居を潜ると直ぐに総門です。旧表参道は左手の方へと伸びています。 今ではほとんど人通りはありません。右手には神徳館という武道場がありました。 少なくとも去年のお正月にはありました。お正月は元旦から剣道の初稽古が行われていたものです。総門を潜ると正面が手水舎。 手や口を清めます。手水舎の前を直角に曲がると左側に楼門が聳えています。下の写真は反対側から撮りました。 普通に参道を歩きますと手水舎は左側に位置します。そして楼門の奥に拝殿と本殿が鎮座しています。拝殿前には参拝客の行列ができていました。 しかし大したことはありません。参拝が終わっての帰り道、古神札納所脇で古いお札などが焼納されていました。ここで暫し身体を温めます。 この時点でおそらく氷点下4℃ほど。もこもこに着てきましたが、やはり火の暖かさは格別です。奥様が総門の脇でこのような立て看板を発見。神徳館が消えていた理由が判明しました。 改築工事中だったのです。看板にある大嘗祭(だいじょうさい)とは、11月23日に行われる新嘗祭(にいなめさい)の別称です。予定通り進めば、来年の元旦の初稽古は行われているかもしれません。左右の狛犬の写真も撮っておきました。こちらは阿吽の阿。 口を開いています。こちら側が阿吽の吽。 口を閉じています。香取神宮には三対の狛犬がいますが、特に有名なのが古瀬戸の狛犬。室町時代の作とされます。 国の重要文化財に指定されています。左手方向に旧表参道が伸びています。二の鳥居から見た表参道の風景です。露店や商店の灯りが参道を照らしています。派手さはありませんが、何か心が落ち着く眺めです。参拝を終わられた人々が露店の前で物色しています。奥様の姿が見当たらないと思いましたら、次に現れた時には大判焼きを二個持っていました。大判焼きは地方によって呼び名が異なりますね。大学時代、友達とこの呼び名で語り合ったことがありました。奥様が買ってきたお店は大判焼きとなっていました。この名称はほぼ全国で通じる標準語のようです。元祖:東京では今川焼が主流です。これは発祥の地、神田の今川橋界隈に因んだローカルネームまぁ、今川焼きから始まって、大判焼きで全国に広まっていったようなのです。ところが各地方で独自の商品名も付けられ、呼び名は様々なものになっているようです。面白いのは九州各県。 すべての県で今川焼も大判焼きも通用せず、回転焼きで統一回転焼きの名称は近畿でも使うそうですが、中・四国では使わず。どのような経緯で名称が広まったのか、詳しく研究すると面白いかも・・・。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2019.01.02
12月30日(日)今日も午前中は穏やかな良い日和でした。しかし、午後からは北風が強くなり今は寒くなってしまいました。明日はいよいよ平成最後の大晦日。まだまだやることが残っていて、忙しい一日になりそうです。昨日は茨城県那珂湊市の那珂湊港の魚市場へ買い出しに出かけました。ここは「那珂湊おさかな市場」と呼べばいいそうですが、並びの一部の名称なのか、全体の名称なのか今一つはっきりとしません。今日の日記ではひとまず「那珂湊おさかな市場(市場)」としておきます。早朝4時半ごろに我が家を出発し、国道6号線をひたすら走りました。方向は概ね北東。 距離は85kmほど。 2時間ほどで到着です。奥様は助手席でスヤスヤお寝んね。 何時ものことですがちょっと羨ましいですな。日の出の時間に間に合いましたので、市場に向かう前に那珂川の河口で撮影しました。風はほとんど無いものの気温は0℃前後です。じわじわと寒さが身に凍みてきます。空にはウミウやカモなどの姿が行きかいます。塒から朝のお食事場所へと向かうのでしょう。遠くには漁船の漁火がきらめいていました。船上はもっとしばれることでしょう。 暗いうちからご苦労様です。釣り人を乗せた遊漁船も目の前を通り過ぎていきます。これから出漁するのでしょう。南天には月齢22.2日の半月が残っています。小潮周りにも関わらず、岸壁には釣り人の姿もちらほら見えます。しばらく待つうちの次第に明るくなってきました。雲の隙間から一瞬お陽様が顔を出しました。 夜明けです。直ぐに雲に遮られてしまいましたが、少し後にもう一度顔を出しました。一筋の光がこちらに向かって伸びてきます。 波はほとんど無く穏やかな夜明けです。初日の出に限らず、夜明けは荘厳な一日の幕開けです。体内に活力が漲ってきますね。この後、那珂川河口に屯する野鳥を見た後、市場へと向かいました。ヒドリガモ、イソシギ、イソヒヨドリ♀などが遊んでくれました。その様子はまた後日の日記で記します。早朝とあってまだ人通りは少なく感じます。右側の駐車場も空きが目立ちますね。この市場は那珂湊港に沿って、那珂川寄りから平磯側までお店が並んでいます。鮮魚から加工品まで扱う大手は3軒です。 ヤマサ水産、新屋、森田水産です。一番手前のヤマサ水産から順に覗いていきます。カレイ、キンメ、オキメバル、ヒラメがお行儀よく並んでいます。こちらはシマアジやマダイなど、やや高級なお魚が並んでいます。その横には、正式な「那珂湊おさかな市場」があります。お魚の加工品を主とする小売販売店や魚介類の飲食店が並びます。小売販売店は、順番に丸喜水産、珍味処 磯蔵、カクダイ水産、丸八水産です。各店舗の規模は小さいのですが、実力は侮れませんよ。このようなパフォーマンスをしているお店もありました。近海本マグロが一本、ごろんと並んでいたりします。新屋の店頭には、二年ほど前から超不漁のスルメイカもトロ箱ごと売られていました。最近はスーパーでも見かけません。 幻の食材になりつつあります。お値段も立派です。10年前には1,000円程度であったような記憶があります。これでも現在の浜値は安定しているそうです。何故かといえば、需要も蒸発して消滅してしまったからなのです。塩辛屋さんやイカ飯屋さんは大変ですが、スルメイカは無くても何とかなる食材なのかもしれません。確かにスルメイカ見っけ、といって飛びつくものではありません。ヒラメと並ぶ常磐沖名物のアンコウです。大きなアンコウが一尾で3,500円也。 こちらは大幅に安くなっているよう思えます。これは福島第一原子力発電所の事件の影響を、未だに引き摺っているせいかもしれません。福島県のヒラメは2年前まで出荷制限がかかっていましたから。今では安全と言われても、やはりイメージの問題はなかなか払拭できません。こちらは一番奥の森田水産の鮮魚売り場。やはり美味しそうなお魚が、お行儀よく並んでいました。今ではマサバも養殖する時代なのですね。奥に見える、同じ養殖物のマダイとタメを張るお値段です。サバは最近話題のお魚ですしね。美味しいし健康にも良い、ということとで一時期鯖缶まで蒸発していました。我が家では鯖缶を非常食として山盛り備蓄しています。30年前はマアジ釣りの外道扱いでしたが・・・。今ではマアジよりもずっと丁重なお取り扱いを受けています。オコゼは破格根が付いていました。背中側にはおっかない毒針が並んでいるのですが、きれいに取り除かれているようです。これなら家庭でも安心して調理できます。見た目はとてもグロですが、最高に美味しいお魚の仲間です。大きなヒラメ。 お腹が真っ白の天然ものです。養殖放流物はお腹が白黒斑。 通称パンダヒラメと申します。これは幼魚時代のストレスによる体色異常ではないかといわれます。放流後は天然物と全く同じ生活ですから、食味に違いは全く無いと思われます。しかし、何となくヒラメらしくない風貌から、パンダと呼ばれ差別されています。そんな話は置いておいてと。 このヒラメたちこれまた破格値に感じます。隣のアカムツ、一番上の一番大きいやつが、チンマイ身体で2,300円也。比較してはいけませんが、高級魚の代表格のヒラメさんがこれですか。やはり福島第一なんちゃらの影響でしょうか。外の駐車場から全体を見ますと、全体はこんな感じです。お店の外は空いているように見えますが、時間が経つにつれ、お店の中は押すな押すなの大盛況となってきました。那珂川河口側から見た市場全体。で、我が家は何を買ったかって大したものは買ってないですよ。 ブリの背中側のさくがメイン。後はかまぼこ、伊達巻、サケハラス、エビなどなど。そんなものご近所でも買えるじゃないですか、などと言わないでくださいね。お買い物は口実。他にもお目当てがあるのですよ。 それは内緒。 ではなくて明日の日記です。 にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2018.12.30
11月24日(土)昨日は、一日中穏やかな最高のお天気でした。今日の早朝は雲が広がっていましたが、引き続き良いお天気になりました。日記は渡良瀬渓谷の続きです。お腹空いたの奥様は、お蕎麦が食べたいと言っております。草木橋を渡ると、ちょうど正面にお蕎麦の幟が翻っています。何だかできすぎですな。お店の名前は喜龍苑。 中華料理店のような名前です。 まさか中華そばしかし、幟には十割そばとあります。しかも、お店の外観は古民家風に見えます。 日本蕎麦に間違いないと確信し突入です。お店の中はこ小上りとテーブル席がゆったりと配置されています。奥様と親爺は小上りを選択。 窓際にはカモをモチーフにした急須が置かれていました。急須ではなくて、茶碗蒸しの入れ物かもしれませんね。店内のインテリアや調度品は、なかなかのハイセンス。 レトロモダンで統一されています。樵の道具なのでしょうか。 大きな鋸も飾られていました。昔の人たちの体力は凄いですね。 全て人力で大きな樹を切り出していました。注文したお品は、喜龍苑御膳と地鶏焼定食です。喜龍苑御膳は十割蕎麦も付いています。 これは喜龍苑御膳のお蕎麦以外の御膳。小鉢が幾つも付いていて、とてもお値打ちのセットです。天婦羅の葉っぱは金時草(キンジソウ)なのだそうです。金時草はいくつか呼び名がありますが、加賀野菜としては金時草。標準和名では水前寺菜(スイゼンジナ)です。東南アジアが原産とされるキク科の多年草ですが、元々、熊本県の水前寺地区の湧き水で栽培されたことから、水前寺菜となったそうです。葉っぱの表裏で色が異なるのが大きな特徴です。表は緑色、裏は鮮やかな紫色です。この紫色が金時芋、つまり薩摩芋に似ていることから、加賀では金時草と呼ばれるようになりました。南の国が原産ですから夏野菜です。今年は最後の収穫であったかもしれませんね。乾燥に弱く、日中の寒暖の差が大きいところが栽培敵地だそうです。山間部には適した野菜のようです。金時草は加賀野菜ですから、当然のこととして、生産量は石川県が全国で一番多いのですが、愛知県(式部草と呼ばれている)など、他県でもぼちぼち生産されています。群馬県でも藤岡市などで栽培されているようですね。とても香ばしくてぱりぱりしていて美味でした。金時草には、アントシアニン、食物繊維、ギャバ、更にはミネラル、ビタミンA、βカロテン等の栄養素が豊富に含まれていて、視力維持効果、美肌効果、育毛効果、血糖値上昇抑制効果、肥満予防効果があるそうですよ。たいへん勉強になりました。他にはモミジの葉っぱもありました。 鮮やかな朱色がアクセント。もちろん食することができます。こちらもパリパリした食感で美味しくいただきました。その他、お新香、お浸し、大根の梅酢、卵焼き、舞茸御飯。何れも薄味にして、繊細な味付けでした。そして十割蕎麦。 ボソボソかと思いきや、意外なことにもっちりしていました。こちらは地鶏焼定食。とてもボリュームがあります。 地鶏はふっくらと焼けています。キノコ汁は良いお出汁が出ていました。奥様とシェアして全てのお料理をいただきました。外れは一つもありませんでした。 強いて言えば蕎麦汁がほんの僅かかなぁ。やはり「陽志し」さんには敵いません。とにかくご馳走さまでした。お食事の後は、「道の駅富弘美術館」に寄ってみました。全国でも珍しい美術館の道の駅。この地の出身者で、世界的な画家であり詩人である、星野富弘さんの美術館がメイン会場なのです。更に面白いことに美術館ゾーンと商業ゾーンが分かれていることです。従って、美術館がある場所は落ち着いたとても良い雰囲気でした。奥様のリクエストで寄り道します。ところで、星野富弘という御仁をご存知でしょうか。星野富弘さんは、群馬大学卒業後、高崎市の中学校の教師となります。しかし24歳の時、クラブ活動の指導中の事故で、頸髄を損傷し手足の自由を失ってしまいます。群馬大学病院での入院生活は9年にも及びましたが、2年目には筆を口に咥え絵を描き始めます。退院する直前から作品展を開き、その後は雑誌や新聞に詩画作品やエッセイを連載したり、世界中で「花の詩画展」を開催したりして大活躍されています。簡単に書きますとこのような御仁なのですが、この「富弘美術館」、初期の作品から最近の作品まで多くの詩画が展示されています。星野富弘さんの凄いところは、両手足が動かなくても素晴らしい画家であることに加えて、添えられた詩が、実に本質を捉えた言葉で綴られているところでしょう。近くの栃木県足利市のご出身では、詩人・書家の相田みつおさんがいらっしゃいます。カレンダーなどでお馴染の御仁ですね。お二人の言葉は本当に心に沁みるものです。まぁ、親爺の下手な言葉ではとてもご紹介できません。実際にご覧になってくださいまし。公式 website のアドレスは以下の通り。http://www.city.midori.gunma.jp/www/contents/1390990788765/index.html奥様は売店で絵葉書を購入していました。サルビア・レウカンサ(アメジストセージ)の株の根元には、リンドウのお花やトレニアのお花も咲いています。これはトレニアのお花。東南アジア原産の園芸種です。和名では、ハナウリクサとかナツスミレ、ムラサキミゾホウズキと呼ばれています。この道の駅は草木湖の畔にあり、遊歩道が設けられています。そこをぶらぶら散策するのも、ストレス解消には持って来いですね。美術館の周りには、紅葉したモミジの樹が多数。 きれいです。駐車場脇のイロハモミジ。赤、黄、緑のグラデーションが見事です。 この後、商業ゾーンを少し覗いて、家路を辿ることにしました。帰り道は佐野IC手前で国道50号線と別れ、栃木県道9号線、国道354号線などを通り、渡良瀬川、利根川沿いを東進します。渋滞も無く、夕方には我が家に戻ります。 実に良き日でありました。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2018.11.24
11月23日(金)三連休の初日、一日中最高のお天気でしたね。太陽は燦々と輝き、風はそよと流れ、穏やかな一日でした。明日と明後日もこの調子でお願いしたいものです。小中大滝駐車場を離れ、細い山道を下ります。途中の紅葉もなかなかきれい。 登るときは気づきませんでした。更に下ると、怪しい樹を発見。サクラの樹のようなのですが、何やらお花が咲いている模様。トウゴクミツバツツジに続いて、またもや狂い咲きでしょうか。取り敢えず車を路肩に寄せて、写真を撮らせていただきました。サクラの中には、秋から春まで咲き続ける不断桜や、十月桜、冬桜などは、レギュラーで秋にお花が咲く種類があるそうです。親爺には狂い咲きかレギュラーか判断できませんが、お花の少ないこの季節、素敵なものを発見できました。後ろのオレンジ色の球はカキの実です。この取り合わせは、そうそう転がっているものではないでしょう。背景のお山の紅葉もきれいですな。紅葉とカキの実とサクラのお花。 頭の中は少し混乱します。道を下って、国道122号線に出ました。三叉路を左に折れ、更に渡良瀬川の上流を目指します。書き忘れていましたが、国道122号線の愛称は「東国文化歴史街道」です。東国文化歴史街道とは、群馬県南部を縦横に走る国道17号、国道122号、国道353号、国道354号や、その旧道、接続道路に用いられる通称・愛称です。わたらせ渓谷鉄道の神戸(ごうど)駅を通り過ぎ、草木(くさぎ)という地名の場所に入ります。ここには、昭和52年3月に完成した草木ダムで堰き止められた草木湖があります。風光明媚ということで、一周してみることにします。国道122号線の対岸に展望台がありました。ここでしばらく休憩しました。見事なモミジの大木です。この辺りから奥様が、「お腹空いた」を連発し始めました。ろくに朝飯食べていませんから当然ですか。景色を眺めながらゆっくりと走り、お食事処を探索します。左岸側には食指が動く処はありませんね。真っ赤な草木橋を渡り、国道122号線に戻ることにします。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2018.11.23
11月22日(木)昨晩の雨は止みお天気は回復傾向。三連休は最高のコンディションに恵まれそうです。紅葉を愛でるにはラストチャンスかもしれません。おでかけする方は、事故には気を付けていってらっしゃいませ。さて、奥様と親爺の紅葉見学。主役の小中大滝は、けさかけ橋の途中からも観ることができます。樹木の枝に邪魔されて、全貌が掴み切れないのですが、上中下三段が連続して落ちていて、全体では相当大きな滝です。落差は公称96m。 日本三大瀑布一つ、華厳の滝が97mですからほぼ同等です。水量もそこそこあり、とても美しい滝です。さて、この滝の水はどこから来るのでしょうか。実は駐車場の前を流れていた小中川の流れなのです。ちょっと錯覚を起こしてしまいそうです。滝に行くまでに上って下がった上に、川の向きが逆方向ですから・・・。小中川の流れが蛇行して、向きを変えた所に滝があるのです。しばし上流と下流が分からなくなってしまいました。更に進むと小さな観瀑台がありました。一見するととても不安定な岩の上に設えられています。さぞかし小中大滝が良く見えるのだろうと期待しましたが、やはり樹木の枝や幹や葉っぱが被って、クリーンには観えません。けさかけ橋の袂には、下に伸びる路がありました。滝つぼの方へ行けるのかと期待しましたが、途中で通行止めです。路が無くなってしまっているようです。ここからも枝被り。良く分かりませんが、どうも中段の滝は二手に分かれているようです。向かって左の流れのほうが、水量豊富に見えます。観瀑台の傍にはトウゴクミツバツツジのお花が咲いていました。ミツバツツジの仲間ですが、関東地方の山地に多いのでトウゴクミツバツツジです。普通の花期は5月~6月。 今の時季に咲いているのですから狂い咲きなのでしょう。サクラなどでも起きる現象です。 我が家のヤマボウシでも起こります。狂い咲きは台風による落葉や害虫の食害により、時季外れに葉っぱがない状態にあると起きるのだそうです。このトウゴクミツバツツジの葉っぱは、食害されている感じではありませんでしたので、10月の台風の影響かもしれません。決して地球温暖化の影響ではありませんよ。極普通の生理現象なのだそうです。お花が少ない季節だけに、少し得した気分です。さて、けさかけ橋を横から見るとこのような姿です。観瀑台側は比較的水平ですが、駐車場側に行くに従い傾斜が増していくのが良く分かります。橋の途中から見える紅葉もきれいでした。けさかけ橋の最上部の横にそびえる絶壁の様子です。橋といいますか、階段といいますか、一番上まで戻りました。この何となく不自然なトンネルを潜り抜け、駐車場へ戻ります。源太橋の周辺の景色はなかなかですよ。奥様は、小中大滝とけさかけ橋をいたくお気に入りのようですな。どうしてもっとPRしないのか不思議がっていました。いやいや、今の素朴なままでいいのですよ。知る人ぞ知るが良いのです。 近くには世界的な観光地、日光がありますから。ひっそりと、しかしピカッと輝く存在が良いのです。今度はサクラやツツジの季節に来てみましょう。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2018.11.22
11月21日(水)朝の5時頃、お星様がきれいに見えていました。今日は良い天気のようですが、夜遅く雨がぱらつきそうです。外気温は3℃。 かなり冷え込みました。 しかし北風は吹いていません。日記は渡良瀬渓谷の続きです。朝の8時半ごろに小中大滝の駐車場に着いた奥様と親爺。先ずは周りの景色を良く観ます。この奥に大きな滝があるとは思えない、穏やかな眺めですね。小中川両岸のモミジの樹が、きれいに紅葉しています。多くの落葉広葉樹は、既に葉を落としてしまい、かなり見透しが良くなっています。 晩秋を感じます。かなり山歩きをするのかと思いましたが、意外や意外、観瀑台まで僅か240mの標示です。滝らしいものは全く見当たりませんが・・・。気配すらありません。橋を渡って対岸へ。常緑樹の緑とモミジの赤のコントラストが鮮やかです。小中大滝へと続く道の途中には、けさかけ橋という吊り橋が架かっているようです。入り口には伝承が記された案内標示がありました。弘法大師が登場しますから、1200年余りも前のお話です。ところで、渡ってきた橋はけさかけ橋ではありません。橋の名前は源太橋といいます。 この名前も伝承の登場人物に由来しています。けさかけ橋は、長さが51m、傾斜が44%とあります。それにしても、傾斜が44%とはどういうことでしょうか。これほど傾いた橋など見たことがありません。真ん中が膨らんでいるとか、凹んでいるとか、そのようなことなのでしょうか。日本のスキー場で、超上級者向けゲレンデの最大斜度は大凡45度。 しかも国内にバンバンあるわけではありません。一般的な上級者向けゲレンデでは30度~35度程度。これでも普通のスキーヤーは恐怖を覚えます。 45度の傾斜は自殺上等の覚悟がいるでしょう。たいへんな度胸が試されるスキーのジャンプ台ではどうでしょうか。例えば1998年の長野冬季オリンピックで使用されたものは、ラージヒルで37.5度らしいですね。こんなところを滑る一般スキーヤーはもちろん皆無ですが・・・。TV中継などでは上から映したりしますよね。自分には絶対無理、沙羅ちゃんはとんでもない女子だと思いますでしょ。それでも、けさかけ橋の44度には届きません。しかもこれが吊り橋らしいのです。どのような形なのか、どのように渡るのか、想像だにできませんでした。山道を少しばかり登ると、いかにも人工物というトンネルがあります。切通のままでも良かったのでは、と思わせる出来映えです。しかし、出口の先はアナザーワールドの雰囲気ですよ。サクサク先へ進みましょう。さて、現場を押さえますと納得です。 なるほど珍しい眺めですな。平均斜度は大凡40度ぐらい。 斜め下に吊り橋が伸びています。下を覗き込みますが、なるほどかなり怖いですね。ところが良くみますと、傾斜がきついところは階段状になっています。これは吊り橋ではなくて吊り階段です。階段なら傾斜が44度なんて当たり前です。テレ朝のバラエティ番組に「なにこれ珍百景」というものがあります。現在は日曜日の18時半から放送されているようですが。少し古いのですが、2009年1月28日の放送で、このけさかけ橋が【珍百景No.179】「滑り落ちそうな吊り橋」と紹介されています。このような番組に取り上げられるのも不思議ではないですな。さて、奈落の底に向かって一歩踏み出してみましょう。しかし不思議なもので、階段だと思えばなんていうことはありません。人間の心理とはおかしなものです。 全くへいちゃらなのですね。 奥様でも。少しぐらい揺れてもキャーキャー言いません。これが平らな橋だとキャーキャー煩いのですよ。 ほとんど揺れなくても。吊り階段ですから、当然下はスッカスカです。かといって千尋の谷に架かっているわけではありません。冷静に考えますと、地形的には吊り階段にしなくても何とかなりそうです。このようなこともあってあまり怖くないのでしょうか。ごたごた書きましたが、心配したほどの難所でもなく、無事吊り階段を渡り終えました。上を見上げるとまた絶景です。階段は途中まで。 傾斜が弛いところは滑り止めだけです。対岸の黄色と赤色がきれいでした。さていよいよ小中大滝を見てみましょう。このアプローチですからね、期待充分です。にほんブログ村アウトドアなんでもOKなんでもアウトドアトラックバック!アウトドア・薪ストーブ・キャンプ・釣り
2018.11.21
全192件 (192件中 1-50件目)