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今、読んでいる本(その21)紀伊國屋書店 札幌厚別店(新刊)「旅と鉄道」9月号(サイハテの鉄道旅) 「美しい宇宙事典」 「昭和40年男」8月号(俺たちの読書史) 「歴史人」9月号(太平洋戦争 開戦の決断) おまけの「ご当地自慢ランキング」 「昭和の不思議」VOL.4(闇に消えた真犯人)BookOff 札幌南2条店(古本)安くて、1冊110円「犯罪捜査と裁判 基礎知識」「私は真犯人を知っている」「津山三十人殺し」「消された一家」「日本人はなぜ戦争へと向かったのか」「累犯障害者」「被差別部落と青春」「やってみたら、こうだった」「中国人の本性」「五輪書」「戦国の反逆・謀叛の秘密」「猫のいる日々」「手塚治虫物語」「増上寺刃傷」「狐狸庵閑談」「しあわせになる禅」文教堂 厚別店 (新刊)「老いる意味」「老いの正体」「男はつらいよ」DVDコレクション「男はつらいよ」のDVDは、全50冊のうち35冊は持っている。590円で、もう買わない。
2023年08月28日
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「特攻の町・知覧」最前線基地を彩った日本人の生と死「特攻の町・知覧」(光人社 佐藤早苗著)自分が、特攻の最前線基地”知覧町”を訪れたのは、今年の正月だった。知覧という名は知っていたが、鹿児島市からわずか1時間のところにあるとは思ってはいなかった。何も分からずに行ったもので、そこが広いところだとは思わなかった。知覧飛行場は、昭和20年3月から最前線特攻基地に1つに指名された。所謂、特攻隊だ。「特攻の母」と言われる「冨屋食堂」の”鳥浜とめ”と、その娘の「なでしこ隊」の”赤羽礼子”(結婚して赤羽である)がいた。当時、知覧高女3年だった赤羽礼子は、「なでしこ隊」の一員として勤労奉仕に”三角兵舎”に通っていた。戦後、東京の六本木に「薩摩おごじょ」という居酒屋に、特攻隊の生き残りがよく集まっている。その女主人が、赤羽礼子である。冨屋食堂は、陸軍の指定食堂であり、特攻兵はみんな出入りしていた。鳥浜とめが、2階の座敷も解放して、出撃前の孤独な青年たちを、家庭的な雰囲気の中で過ごさせていたのである。三角兵舎 数ある兵舎の一つ自分は、三角兵舎の中を覗いて見たが、真ん中の通路を挟み片側に10人、両側に20人、薄黒い電球で板張りのベットがある。粗末な作りで、寝床だけの殺風景な所である。ここで、3~7日出撃の前を過ごす。悲惨な所だよ。「なでしこ隊」は、給仕、洗濯、掃除など身の回りの世話を引き受けている。14歳の女学生と16歳から20歳前後の特攻隊員たちと親しくなった。家族や故郷の話をしたり、小説や映画の話をしたり、トランプをしたり、いっしょに歌を歌ったり、将来の夢を語り合ったりした。死を目前にした特攻隊員たちにとって、かけがえのない、最後の、つかの間の青春であった。出撃命令が出た特攻隊員たちは順次、片道のガソリンと重い爆弾を抱えて出撃する。あー、全くひどい話だよ。
2023年08月21日
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写真の中の親父稚内市での飲み屋で、自分の親父 右から3人目(当時34歳の頃) 享年67北海タイムス社は、戦後北海道新聞社の前身である。親父が、稚内市で”北海タイムス”の支局長の時、戦争で中国に特派員で行く送別会だ。親父は、転勤族で北海道を回っている。(自分も、その血を受けたかな)昭和12年に中国で、関東軍が盧溝橋事件を起こし、日中戦争が始まった。1941年(昭和16年)に、太平洋戦争が起きる。今から約45年前に、札幌に住む従姉妹(自分より5つ上)が稚内市へ旅に行った時、稚内公園の”開基百年記念塔”で親父の写真を見つけたらしい。たくさんの写真がある中で、良く見つけたものだよ。自分は、後に2回稚内公園へ行って貼ってある写真を撮って来た。2回目は娘が小学生の時、側に立たせて写真を撮った。写真を撮って、不思議なことと思った。こういう写真があるのは全然知らなかったし、親父も生きている時、そんな話はしなかった。戦争に、特派員で行ったという話もしなかった。親父は、とっくの前に亡くなっている。オフクロも戦争のことには、「ひどかった」としか言わない。それで、自分が戦争のことを話すようになったのは、学校を卒業してからだ。自分が小さい頃は、戦争映画を見て「カッコいいな」と言うだけだった。うちの回りには、戦争のことは何もなかった。その後、戦争のことを話すようになったのは、300冊以上の戦争の本を読んでからだ。悲しみ、苦しみ、誰が戦争を起こしたのか、戦争の悲惨な出来事を本や映画でたくさん見聞きしてきた。この頃は、戦争に関する話題が多い。戦争を知らない政治家や、戦争好きなバカな安倍が出て来るなど、悲惨な戦争はごめんだ。戦争は、上の者(政治家、官僚)がするもので、下の者(我々)は全然望んではいない。戦争で酷い目に合うのは、弱い我々だ。みんなそう言っている、戦争の”せ”のことを言うのも嫌だ。戦争は人殺しである。「平和のための戦争などとは、かつて一回もあったことはありません」と、札幌農学校出身の内村鑑三が言う。戦争の犠牲者は、勝っても負けても双方合わせて数多い。(どうして殺し合いをするのか)我々は、何処の国の人間でも仲良くした方がいいと思っている。戦争が好きな奴らは、離れ小島ですればいい。(我々に迷惑を掛けずに)「戦争は外交の失敗だ」とは、とんでもない言い訳だ。黒澤明監督の映画「用心棒」のように、「ヤクザ(戦争好きな奴)が、双方争って勝手に死ねばいい」と言っている。
2023年08月14日
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札幌大通りビアガーデンで、ビールを飲む暑い日が続く。暑いと言っても、東京の暑さには敵わない。札幌は、7月21日から8月16日までの間、大通りのビアガーデンである。大通り5丁目から9丁目の1丁目ごとに、サントリー、アサヒ、キリン、サッポロ、外国の物を据える。自分は、永らくアサヒに行っている。20歳代の頃、毎日飲んでいた頃もあった。その頃は、屋根が無く、雨に濡れて飲んでいた。今は、1回しか飲みに行ってない。今、大びんは950円だ、高いよな。味も、ちょっと落ちたようだ。午後2時から、大びんを2杯飲んだ。昼間から、平日で飲んでいる人が大勢いる。自分久しぶりの(5月ぶり)、48年来の友人”すすきの”で、ちょっと飲む。左はニッカウヰスキーの看板、右は新しいビルが建っている。半年ぶりの”串鳥”は、3か所を訪ねて店が無くなっていた。この頃は、串鳥がいいと思うのに。しかたがなく、おでん屋で飲んで、かなり酔っぱらったよ。まだ明るいのに。
2023年08月11日
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第44回もみじ台夏まつりしばらく3回を除いて、もみじ台のお祭りが始まった。そのお祭りが、自分にとってはその半分に、自分は1度も除いていない。8月5日から6日に掛けて、小雨が降る中で何にも無くなっていい日だった。ざっと、3千人ぐらいの人が集まった。自分も相棒と、きのうきょうといっしょに酒を飲んでいた。ときたま、小雨が降るの中で祭りが始めていった。きのう5日の日は、盆踊りをした。ひさしぶりに”北海盆踊り”を踊った。いつものように吉村明宏が司会で、サザンクロスの島ゆたかが歌った。元光GENJIの大沢樹生が出て来る時は、凄い頃になった。自分は、大沢樹生は名前は知っていたが、どういう人物が知らなかった。すごい人だった。午後8時25分に花火を打ち上げられた。わずか12分の出来事だった。だけど、何だか涙が出そうになった。きのうは盆踊りで、きょうは歌謡ショーと花火大会で盛り上がった。いい夏の日の思い出だった。どういう訳か、もみじ台のお祭りに芸能人が集まるのか。主催者のスーパーホクノー社長が、吉村明宏を知っているのだろうかな。そんな事があっても、明日はいつものようにシ-ンとするのだろうな。
2023年08月07日
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