キャットデイズ・・・50過ぎたらスチャラカでいこう

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2014.01.03
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もうひとりの毒婦

 北原みのりさんが、グラビアアイドル、壇蜜を『AERA』8月12-19日号の「現代の肖像」にとりあげているのをみつけた。みのりさんが関心を持つ女…壇蜜には何の関心もないが、それだけの理由で読んだ。みのりさんの嗅覚の赴くところには、きっと何かある、と思ったからだ。それが女なら、腐臭がする、と言ってもよいだろうか。
 本書がとりあげた「毒婦たち」は、木嶋佳苗、上原美由紀、角田美代子…男を殺した女たちだ。他にも下村早苗と畠山鈴香が実名で出てくるが、彼女たちが殺したのは実の子ども。東電OLは殺された側だ。
 で、壇蜜は何をしたひとだろうか?
 男を「悩殺した女」といえば、わるい冗談に聞こえるだろうか?
 そういえば、ニホンゴには「悩殺」というコトバがあるのを思い出した。「悩殺」だって「殺」の一種。佳苗のように実際に男を殺さなくても、男を自縄自縛のシナリオのなかにからめとっていく。佳苗は「ケア」で。壇蜜は「エロ」で。
(中略)
 佳苗が「援交世代」であることを指摘したのは、『毒婦。』(紀伊國屋書店、2013年)のみのりさんだった。壇蜜も援交世代に属する。
 そう思えば、壇蜜と木嶋佳苗の共通点が、痛ましいほど見えてくる。30代、ブルセラと援交の90年代に十代を送っている。周囲に援交少女たちがいて、そのあいだの敷居を越すか越さないかは偶然でしかない。物心ついたら、自分の身体が男の視線にさらされ値踏みされ、価格がついていることに気がついた。自分がたくらんだわけでもないのに、売れるものなら売って何がわるい。どうせ賞味期限つきなのだし…と多くの援交少女たちが思ったかどうか。

 今から20年近く前、わたしは「女たちがふしだらになっている」と書いた。その名も『発情装置(エロスのシナリオ)』(筑摩書房、1998年)と題する著書のなかでのことである。題名の由来は、「エロスとは、発情のための文化的シナリオのことである」という命題から来ている。そこで論じたのは、しろうと女とくろうと女との区別があいまいになり、しろうと女たちが性の市場に登場し、とめどなく性的な存在になっていく…過程だった。(中略)「少女」とは「(使用可能であるにもかかわらず)使用を禁止された身体の持ち主」である、と定義したのは『少女民俗学』(光文社新書、1989年)の著者、大塚英志だったが、その少女たちが、「使用可能な身体」として性の市場に大量に登場しつつあったのが、援交世代だった。
 しろうと女がくろうと女との境界を越えて領域侵犯し、しろうととくろうとの区別がつかなくなる…時代がやってくる、と予見したら、そのとおりになった。だが、向かう方向については、完全に予測がはずれた。(後略)
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ここから後は、本を買ってお読みください(笑)。





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Last updated  2014.01.03 05:38:54
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