仰木マジックと僕のプロ野球観戦記
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取ってある野球半券をひっくり返して日付を確認しました。東京ドームの杮落とし記念「サッポロビールプロ野球トーナメント」第4日となる1988年4月1日の東京ドームが仰木監督率いる近鉄バファローズとの最初の出会いでした。 第一試合 日ハム3x対2近鉄近鉄は阿波野、小野のリレー。最後はセンター守っていた村上が打球を見失って、長打にしてサヨナラのピンチを作って負けた記憶があります。実は第二試合が巨人対南海の試合で、多数のお客は巨人戦目当て。多くのファンが巨人の試合を見たいので、日ハムを応援する中、まだやや巨人ファンであった僕は反発を覚え、近鉄を応援していたような記憶があります。これで僕の頭に印象が残った仰木近鉄は開幕シリーズ対阪急三タテの好発進スタートを切るのでした。しかし、この年受験生だったため、仰木近鉄の試合を生で観られたのはこれで最後。学校には西武ファンの友達が多数いたので、近鉄を応援する事に決めたのでした。9月に台風が来ている中西武近鉄戦があったため、西武線の駅に駆けつけましたが試合中止で家帰りました。秋には京都・奈良への修学旅行があって、ちょうど対阪急、対南海戦が行われていて、今なら観戦に行ってましたが、当時は真面目だったのでコースを回りました。あの10.19は家に帰ったらラジオをやってて聞いてました。第一試合終了の際ガッツポーズをしました。しかし、確か水曜日で数学の塾に行く日。これも今なら考えられませんが、当時は真面目に塾行って帰ってきたところ、テレ朝の特別中継。ブライアントのホームランの前から観ました。しかし、高沢同点ソロの時が出た瞬間、ガックリ。当時は実況されていた熱闘甲子園風ABC安部さんの実況スタイルが頭に来て、映像はテレビで音はラジオにしてしまいました。(今では安部さんの実況大好きですが)その後有藤抗議もずーっと観てました。残念でしたよね。でも、このチームを応援していこうという感じになりました。なお、サッポロビールプロ野球トーナメントですが、実は巨人対南海戦終了後、東京ドームに慣れる意味で阪神対ロッテの練習試合も組まれ、プロの試合が1つの切符で1日で三試合見れる美味しいトーナメントでした。---------------------------------------------さて、1988年は新聞やテレビの報道なので、仰木さんのマジック采配が余り記憶にありません。記憶にあるのは以下でしょうか。1988年はベースボールレコードブックを買いそびれたため【確か】が多いです。○4月10日の対阪急戦開幕阿波野、二戦目小野を立てた後の三戦目に池上【確か】を起用。次に西武戦が控えており、投手温存?継投策で最後は近鉄から移籍した代打尾上決勝打。○4月22日の対西武戦5回裏確か二死1塁で好投していた加藤哲郎に替えて、吉井を出した采配。勝ち投手の権利まであと一人。結果成功。○4月24日の対西武戦9回表に逆転。その裏吉井を使おうとしたが、登板過多のため、マウンドに行こうとした吉井を「アカン」と引き止め、住友【確か】を投入し、サヨナラ負け。○5月24日の対阪急戦9回裏に一挙四点を追いつき、10回裏にサヨナラ勝ち。この間、6月にデービス契約解除。ブライアントが6月末に中日から入団。9月13日には西武との差が最大6ゲームに。どの試合か正確に覚えてませんが、以下の出来事もありました。・真喜志がスクイズ外されたのに飛びついてバットに当てる。【確か阪急山田から?】・本来内野手なのに打撃優先でレフト羽田・10月にロッテと5日間で6試合行う強行日程の中、中1日でベテラン村田を先発起用。・ファーストに新井選手を入れ始めたのも苦肉の策だったと思います。
1988/04/01
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