私の人生論 (思考が運命になる)

私の人生論 (思考が運命になる)

2022年02月04日
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カテゴリ: 認識の歩み



 蘇那曷叱知(そなかしち)を遣わしてきました。

 蘇那曷叱知は活目尊(垂仁天皇)の即位2年に任那へ帰国したが、
 その際に天皇からの下賜品を新羅に奪われてしまいました。

 『日本書紀』における任那と新羅の抗争はここから始まるのです。

 その後ヤマト王権は
 神功皇后摂政49年(369年)に朝鮮に出兵し任那を征服、
 新羅に奪われるまでのおよそ200年間、
 その地に任那日本府を置きました。


 交易交流圏を形作っていたのです。

 それは、日本列島固有の墓制である前方後円墳が
 朝鮮半島南西部(任那の勢力範囲)に多数分布していること、
 1980年代に相次いで発見された14基の前方後円墳は、
 我が国に存在する前方後円墳より様式的に新しく、
 我が国から伝わったことは間違いありません。

 また、日本産の翡翠勾玉が
 新羅・百済・任那で大量に出土していることによって
 倭国の勢力が当時その地に存在したことが明瞭に裏付けられます。

 日本における応神天皇から仁徳天皇にかけての時期に、
 高句麗の使者がもたらした威嚇、降伏勧告の文書があり、

 十五年にわたった高句麗との戦ひも和議が成り立ち、
 そのための使節が日本を訪れ、宴がひらかれるのです。





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最終更新日  2022年02月04日 08時22分10秒
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