全543件 (543件中 1-50件目)
清志郎が死んだ。昨日は、朝から終日出かけていてテレビもネットも見なかった。今朝になって、新聞の朝刊を開いて初めて清志郎の死を知った。昨年、癌の転移の話を聞いたときから、もう長くはないのだろうと覚悟はしていたけれど、不意にその日がやってくると、喪失感は予想以上に大きい。数年前に書いた日記を読み返してみたりもした。日記でも触れたとおり後年は疎遠になっていたが、やはり忌野清志郎という人は、ワタシ自身の人格や価値観の形成上おそらく多大な影響を受けたであろう「永遠の憧れ」であったことは間違いない。今夜は、名曲「ヒッピーに捧ぐ」 を聴こう。友人の「日隈くん」が死んだときの歌らしいけど、ボクはいつか清志郎が死んだ時にも聴こうと思っていましたよ。
2009年05月03日
コメント(2)

早いもので、ムスメ1号もこの春から小学3年生である。学校でも毎日楽しくやっているそうで、家に帰ると、漫画ばかり描いて過ごしている。ムスメ1号の膨大な落書きノートを開いてみると、最近よく登場するのが、この「ドクター・パッチ」という正体不明のキャラクターで、自慢のオリジナルらしい。相手のおならですぐ倒されたりするヘボヘボのキャラだが、いつも態度がデカイそうだ。
2009年02月04日
コメント(2)

少し前になるが、今年初めての映画は、正月休みに観たマーティン=スコセッシ監督の『SHINE A LIGHT』だった。放浪の達人さんも公認の、ストーンズの最新撮りおろしライブ映画である。本音を言うと、別にどうしてもこの映画を観たかったワケではない。そもそも、ワタシはストーンズ・フリークでもなんでもない。昨年末、自宅のすぐ近くにシネコン併設のどデカいショッピングセンターがオープンしたので、あまりの便利さにいっぺんぐらい利用したろうと思って、とりあえず映画を観ることにしたのである。その時かかっていた作品の中から消去法の結果「これしかないかなぁ」と、たまたま選んだのがこの『SHINE A LIGHT』であった。ところが、である。オープニングで、お約束の『Jumpin‘ Jack Flash 』が、♪ガッガーン!と始まるやいなや、もう65歳にもなるはずのミックが、往年のテンションと何ら変わりなく、激しく腰をふりふり歌い踊る。2曲目も、踊る、踊る。3曲目も、跳ねる、飛ぶ、踊る。ライブ会場がNYのビーコン・シアターという小さめのコンサート・ホールなのもあって、絶妙のカメラワークと相まってもの凄い臨場感である。およそ2時間のライブでセットリストは全18曲、特にラスト3曲は「 Start Me Up」「Brown Sugar」「Satisfaction」と、怒涛のメジャー曲ばかりで、想像を絶するボルテージのまま、こちらが呆気にとられているうちにライブは終わった。 さすがに途中の曲間で、ドラムのチャーリーワッツだけは肩で息をしていたが、その他のジジイたちは、絶対におかしい。絶対に、何かヤってるはず。しかも、アッパー系の相当キツいやつを。でなきゃ、絶対有り得ない。思いがけず、その道の現役バリバリの老人たちの信じられないパワーを目の当たりにし、ワシなんてまだまだだな、と、新年早々なんだか思いがけず、妙に勇気づけられた気がした。まだまだ負けられないぜ。 (・・・何を?)
2009年02月03日
コメント(8)

学生時代の友人が死んだ。大学の美術サークルの仲間で、京都の百万遍交差点の近くで熱帯魚の専門店を営む二代目であった。彼とは、学生時代も卒業後も、絵を描く場以外でのプライベートな付き合いは殆どなかったのだが、不思議なことに、ここ1年ほど前からふとした瞬間に彼というより彼が当時描いていた絵を何度となく思い出すことがあり、後で聞くとちょうど彼が病に冒され入院し始めた時期に符合するらしい。彼の描く絵は、本人のどちらかというと地味なキャラクターに反して、独特の鮮やかな色彩を放っていて、幼少期から毎日熱帯魚のようなものを間近で見ながら育つと、なるほどこういう色彩感覚が芽生えるものかと、妙に感心し、納得したことを思い出した。20年ぶりに対面した彼は既に遺影の中であったが、葬儀会場の壁に目をやると、まさに彼の当時の作品がひっそりと飾られてあった。それを見ながら「もしかするとあれは何かのメッセージだったのか?」「だとしたら遅かったね、すまぬすまぬ」などと、よくある独りよがりな思いを巡らせつつ、冷え込みの厳しい夜の京都を後にした。
2009年02月01日
コメント(6)

よいしょっと。じゃ、ちょっとまた行ってくるかな。あっちは寒いんだろうか。着いたら時差ボケだな。ではでは、ダスビダーニャ。
2007年11月03日
コメント(13)

聞き手 あ、心斎橋さん。心斎橋さんじゃないですか?心斎橋 え、はぁ、まぁ。聞き手 ちょっと、何やってるんですかこんなところで。最近全然ブログの更新もないし、「インド病」じゃないかって、噂されてますよ。心斎橋 あー、そうなの?聞き手 で、どうなんですか、その後。ちゃんと社会復帰してるんですか?そういえば旅行で伸び放題だった髭、ちゃんと剃ってるじゃないですか。心斎橋 うん。うん。聞き手 実は同僚の方から聞いたんですけど、しばらく会社行ってなかったんですって? 心斎橋 そうねぇ、ちょっとだけ熱があって休んじゃってねぇ。39度の熱が毎日ずーっと続いてて。聞き手 え?それって、帰国してからずっと下痢が止まらないって聞いてたけど、もしかして関係あるんじゃあ・・・?心斎橋 さて、それはどうかな。ふぉっふぉっふぉ。聞き手 ふぉふぉふぉ、じゃないですよ。大丈夫なんですかホント?心斎橋 まあね。聞き手 ところで、家庭とか仕事の方は順調なんですか?心斎橋 ふぅーっ(遠くを見る目)。聞き手 ふーってアナタ、何かあったんですか?心斎橋 ふぅぅー(さらに遠く目/眉間シワ)。聞き手 なんか、詳しく訊かない方が良さそうですね。心斎橋 まあね。聞き手 ところでそれ、その赤いゴロゴロ、インドに持っていったリモワじゃないですか。何?またどこか海外でも行くんですか?心斎橋 まあね。聞き手 まあねって、いつ、どちらへ?心斎橋 もうすぐ。これから。ふぅーっ(遠く目)。聞き手 え?マジ?ホントなんですか?心斎橋 まじ。ホント。 じゃ、また。聞き手 え、ちょ、ちょっと心斎橋さん!心斎橋 ゴロゴロゴロゴロ<インタビュー終了>
2007年10月31日
コメント(12)

「インド旅行で役に立ったもの」■「ロルバーン」のA5リングノート旅行中の日記やメモを書くのに何かノートを持って行こうと思ってアレコレ探してみた中で、サイズ的に一番使いやすそうだったのがコレ。ゴムバンドが付いているのでむやみに開いたりしないし、ミシン目でページが切り取れるので、メモや地図を書いて相手に渡したりするのにも便利。背中のリングが極太で、この中にボールペンを挿しておけるのも良い。最後のページにビニールポケットが5枚付いていて、名刺や領収書なども入れておける。色づかいもカラフルで、取り出す度にちょっとウキウキする。■京都・高山寺の「鳥獣戯画」の扇子数年前から使っているお気に入りの扇子。ずっと以前にこのブログでも紹介したが、これも今回インドで大活躍。気温の高さは思ったほどでもなかったが、やはり湿度がすごくて、冷房のないところでじっとしているだけで汗が噴き出してくる。鉄道や空港など移動の待ち時間の間など、サブバッグから取り出してパッと広げてパタパタやると「おぉっ」と周囲のインド人の注目度も抜群。携帯性に優れた日本性の扇子は非常に重宝した。■「リモワ」のトロリー仕事の出張や国内の小旅行に普段から愛用している小ぶりなサイズのリモワの超軽量トロリー「サルサ」。今回、バックパックで行くかどうか迷ったのだが、背負うのがしんどいし、鉄道や飛行機での移動が中心なので最終的にこちらにしてみた。さすがに20年前と違って道路も多少キレイに舗装されてるだろうと思っていたが、実際はデコボコの未舗装道路がまだ多く、車輪にも牛のウンコが絡みつき放題で風格を増した。今後も、牛糞が付着したまま出張に使用する予定。■SONYのデジカメ「DSC-U50」これももう4年ほど前から使っているデジカメで、このブログの写真のほとんどがこのデジカメで撮ったものである。性能的には今どき200万画素しかないのだが、とにかく小さいのとレンズ部分がクルリと180度回転するのでトリッキーな確度でも平気で撮れるのが気に入っている。空港のセキュリティチェックで「これはなんだ?お前はスパイか?」と言われたこともあった。もう少しいいカメラを持っていこうかとも考えたが、やはりこの小ささと乱暴に扱っても気にならないのが魅力で、結局このカメラをフルに使った。※現在は製造中止
2007年09月16日
コメント(9)

「インドで食った物の記録」の巻『チキンカレー(エアインディア機内食)』場所:大阪→香港行きの機内にて所感:日記にも書いたが、インディカ米を間にはさみ、チキンとベジ(豆)がセットになったカレー。程よく洗練されていないまぁまぁの味と、投げやりなスパイス加減が旅情を誘う。『チキンカレー(エアインディア機内食2回目)』場所:香港→デリー行きの機内にて所感:最初がチキンだったので今度はフィッシュをと頼んだが、品切れのためまたチキンカレーに。味については前回同様なので特に書くことはないが、容器がめちゃめちゃ熱くて受け取った瞬間にびっくりして放り投げる乗客多数でたいへん危険。『謎の激まずスナック』場所:香港→デリー行きの機内にて所感:とにかく次から次へと一方的に置いていかれる見たことのないスナック類。細く刻んだポテト味なのだが、かなり脂っこくてかび臭い不思議な風味。さすがにチャレンジャーのワタシにも、食えた代物ではない。一袋開けてふた口ほど食べたが、あとは全部小さく握り潰して前の座席ポケットに埋めた。『野菜カレーコロッケ』場所:デリー→チャンディーガル行き列車内にて所感:水や紅茶やビスケットなどに続いて出てきたのがこれ。正式名は知らないが、味は「野菜カレーコロッケ」という感じ。特に旨いものではないが、ケチャップをかければまぁ食える。『ムルグカレー』場所:チャンディーガルのホテルの食堂にて所感:濃厚クリーミー系のチキンカレー。最初の方はなかなか旨いかなと思っていたが、味が濃厚な割にスパイスの辛さがまったく物足りなくて、胃にもたれる重い感じがちょっとツライ。一緒に頼んだ「グリーンサラダ」は、なぜかトマトと瓜とタマネギの生スライス盛り。トマト以外はちょっと食えない。『チキンヌードル』場所:チャンディーガルのホテルの食堂にて所感:ここの食堂では早々にカレーに見切りをつけ、チャイニーズに変更。これの味は「塩焼きそば」。たぶんここのシェフは、昨日客室係から転向したばかりではないかと思われる。『野菜春巻』場所:チャンディーガルのホテルの食堂にて所感:まさに春巻の形をしている。もはや感想は特にない。 『チキン春巻とベジヌードル』場所:チャンディーガルのホテルの食堂にて所感:メニューにこれといった選択肢がないので、前回に引き続き焼きそばと春巻。前回に比べ、春巻と焼きそばの具が逆転しただけ。『チキンコルマとベジビリヤニ』場所:チャンディーガル/レイククラブのレストラン所感:日記にも書いたが、チキンコルマカレーは旨かった。カレーはトマトの酸味が程よく、また上に散らしたパクチーの風味がカレーのスパイスによく合う。ビリヤニはそれほどでもなく、量だけやたら多いので半分しか食えなかった。『野菜カレーコロッケ2回目』場所:チャンディーガル→デリー行きの列車内所感:チャンディーガルに来る時とまったく同じメニューなので、感想もまったく同じ。『キャンディ2個』場所:デリー→バラナシ行きの機内所感:格安スパイスジェットのローコスト機内サービスは、キャンディのみ。『エッグマサラカレー』場所:バラナシのゲストハウスの食堂所感:あまりの感動で思わず立ち上がったほどの美味しさ。ややあっさりめの味付けだが、辛さの加減が絶妙。しかし冷静に考えると、単に気分がハイだっただけかもしれない。 『緑のスペシャルオムレツ』場所:バラナシのゲストハウスの食堂所感:不思議な緑色のスペシャルオムレツ。中身については企業秘密ということで明かしてくれなかったが、街の中では何故かこんな色のラッシーも売っている。不思議なことに、食べ終わると詩人になっていた。 『サモササンド』場所:ムンバイ駅構内のスタンド所感:夜行列車出発間際に辛うじて購入した晩飯がこれ1コ。乾いたパンにサモサが挟まっているだけのもので、口の中が最高にモサモサして喉が詰まりそうだった。 『ゴーンフィッシュカレー』場所:ゴアのコテージの食堂所感:ゴーンフィッシュカレーはゴアの伝統料理で、色が赤くて酸味が強くココナッツ風味なのが特徴。キングフィッシュ(ヒラマサ)が入っている。ソースはなかなか気に入ったが、肝心のフィッシュが生臭くてダメだった。 『チキンカレー(正式名忘れた)』場所:ゴアのコテージの食堂所感:これは美味かった。スパイスが複雑な風味で、やたらと高級感漂う奥行きのある味わいの逸品。70ルピー(200円)だけど。 『マッシュルームのガーリック炒め』場所:ゴアのコテージの食堂所感:パーティーもなく雨の夜につまらなそうにしていたら作ってくれたキノコパーティーメニュー。あ、これはものすごく美味い。感動で世界が揺れる気がした。 『チーズオムレツ』場所:ゴアのコテージの食堂所感:マッシュルームのオムレツを希望したのだが、昨晩キノコを使い切って無くなってしまったというので、チーズオムレツで許す。旨くもなんともない。 『青唐辛子ヌードル』場所:ゴアの通り沿いのカフェ所感:青唐辛子をふんだんに使った暴力的激辛中華風焼きそば。おそらくこの旅の食事中、最高の辛さ。しかし旨い。暑い日のビールのアテに最高。 『チキンカレー(エアインディア機内食3回目)』場所:ムンバイ→デリー行きの機内所感:往路の2回分とまったく同じなので特に追加コメントなし。 『サーモンとガーリックライス(エアインディア機内食4回目)』場所:香港→大阪行きの機内所感:この旅初めての「フィッシュ」の機内食。ごく普通の焼鮭の味だったが、インドでの濃い味に飽きてきていたので少しホッとした。
2007年09月15日
コメント(14)

「モーホ-ビーチでさようなら」の巻7時起床。一晩中降り続いた雨はいつの間にか上がり、今朝は一転して快晴である。起きてすぐ、ビーチまで散歩にでかける。なんだか老人の生活のようだ。結局、昨夜の雨ではどこにも出かけられず、一応「どこかでパーティーやってないの?」とコテージの従業員に訊くと、そもそもこの季節はほとんど人がいないのと、最近はパーティーがあるというとすぐに警察が来て中止になるのでさっぱりだな、と言っていた。ビーチに着くと、さすがにまだ人は少ないが、この日も朝からインド人の男二人づれがチラホラ。砂浜に腰を下ろして波を見ながら音楽を聴いていたら、ひとりのまつ毛の長い綺麗顔のインド人青年がワタシの前を行ったり来たりしていたかと思うと、トコトコっと近づいてきて、カメラを取り出した。撮ってほしいのかと思いきや「写真を撮らせてほしいんだけど」ときた。へ?と思いながらも「あぁどうぞ」と言って満面の無精髭スマイルで応えると、「とてもいい帽子だね、似合ってるよ」とワタシの被っていたキャスケットを指しながら、「ぼくはウッタルプラデ-シュ州から旅行で来たんだ。キミに会えて良かった」と、握手をしながら長い睫毛をシバシバさせて、妙にロマンチックなことを言うのである。なんだなんだ。まつ毛成年と入れ替わりに、今度はむさ苦しく太った髭の中年インド人2名が海から上がってきて、わざわざワタシの横まで来て座った。やはり不思議なことに、中年のオッサン同士でさっきまで波打ち際で追いかけっこをしていた二人である。ワタシの隣に座ったオッサンが、ガハハと笑いながら肩に手を置き、「お前は一人旅か?」と訊いて来る。そうだと答えると、「おれたち二人はラジャスターン州から遊びに来たんだけど、なんだお前、ボーイフレンドはいないのか?ガハハハ!」と笑った。ボーイフレンドぉ?ガールフレンドじゃないの?やっぱり。ここ、「モーホービーチ」確定しました。 さて、愛と哀しみのモーホービーチを後にしてコテージまで戻り、朝食とシャワーを終えれば、いよいよこの旅最後のパッキングだ。午後になれば、ゴアの空港から、ムンバイ→デリー→関空へと、およそ11時間かけて一気に現実世界へ逆戻りである。コテージの清算を済ませた後、出発までにはまだ少し時間があったのでフロントに荷物を預け、コルヴァビーチの通りへ最後の散歩に出かける。途中、通りの真ん中で突然大声で絶叫している中年男、昨日からビーチとどこかを20回以上往復している骨と皮だけの若者など、何人か完全にアチラ側に行ってしまっている白人とすれ違う。あぁ今日もまた暑くなりそうだ。 交差点にある一軒のカフェに入り、熱いブラックティーを飲む。必要以上に大音量で流れる店内のヒンディーミュージックが、ある箇所にくると音とびで何度も何度も同じフレーズをリフレインしているが、一向に誰も気にとめる様子もない。ひびの入ったティーカップには、さっきからハエが2匹とまったまま動かないでいる。--
2007年09月14日
コメント(10)

「海へ」の巻寝台の下の通路を何度も通るチャイ売りの「チャーイ、チャーイ」という声で目が覚める。車内はまだ真っ暗。時計をみると午前5時すぎだ。頭の上からは、列車の天井を叩く雨の音がする。通路に下りてトイレに行く途中、全開になっている乗車扉の横に立ち外の様子を眺めると、今までに見てきたインドの景色とは一変して、荒々しい熱帯雨林の風景が広がっている。ずいぶん南まで来たのを実感。しかし空には、モンスーン特有の重たい雨雲が。 自分の寝台に戻ってもう一度寝ようとするが、チャイ売りにコーヒー売りやサモサ売りなども加わって朝からやたら元気よく通路を行き来するもんだから、すっかり眠れなくなる。夜行寝台の場合、たいてい朝の8時か9時頃には寝台部分を折り畳んで通常のシート席に戻すのだが、この列車はいつまでもカーテンを降ろしたまま真っ暗で、ひょっとしてみんな死んでるんじゃないかと心配になるほど誰も起きてくる気配がない。しかし昨晩から延々13時間、ようやく終点に到着する30分前というタイミングで、係員が全員のカーテンを開けて声をかけに周って来る。列車はまたしても優秀で、たったの20分遅れで終点「マルガオ」の駅に着いた。「マルガオ」の駅はゴアのメジャーなビーチを随分通り過ぎた南寄りのエリアにあり、ここからさらにバスを乗り継いでもっと南部の開発の手が入っていない「パロレムビーチ」か「パトナムビーチ」に向かうつもりだった。しかし、予想以上に雨季のスコールが激しい様子なので、「こりゃどこに行っても基本的にビーチライフは厳しいなぁ」と判断し、急遽方針転換。これ以上の移動はすっぱり諦めて、ここから最も近い「コルヴァビーチ」に行き先を変更。しかし突然決めたのでビーチの情報が何もなく、ガイドブックにかろうじて一行だけ名前が載っていたコテージに、とりあえず行ってみることにした。駅からは、バイクの後ろに二人乗りするだけの「バイクタクシー」に乗り(もちろんノーヘル)、のどかな南国田舎道を走りながらコテージに向かう。途中、また激しいスコールが降ってきて、しばらく軒先で雨宿りなどしながら、20分ほどで目指すコテージに到着。予想していたよりもずっと小洒落た建物で部屋もキレイな割に、オフシーズンということもあって意外とリーズナブルな料金だったので即決する。まぁ理想を言えば、椰子の浜辺の波打ち際に建つホントに簡素なバンガローみたいなのを想定していたのだが、このドシャ降りの中ではむしろこれで良かったかも。さっそく食堂のテラスで、昨晩からの長距離移動ではるばるゴアまでやってきたことに乾杯。くー、癒されるぜ。外は1時間おきに降ったり止んだりといった天気なのだが、部屋にいてもしょうがないし、どうせ海に入りゃあ濡れるんだからということでさっそく海パンに着替え、徒歩5分のビーチに向かう。ビーチへの道では、たまーにタクシーの客引きがいるぐらいで、あとはヒトも牛もリクシャーもヤギも全然みかけない。バラナシの澱んだ喧騒に比べると、時間の流れと空気感がまるで違う。間もなくビーチに出ると、初めて目にするアラビア海はかなり波が高くて迫力があり、沖に向かって泳げる感じではない。しかしどこまでも続く遠浅の砂浜には椰子の木が茂り、描いていたイメージに結構近い。季節と天気さえ良ければ、なかなか快適なビーチだ。インドでは男同士で仲良く寄り添って歩いているのはよく見るが、ここのビーチでは、さらにつないだ手をふわんふわんと振っていたり、やたら密着度の高い男の二人連れが目に付く。いやインド人だけではない。白人の若い男たちでも、波打ち際に立ってお互いの腰や肩に手を回していつまでも動かないのもいるし、ふたりでキャッキャと言いながら水掛け合いっこをしているのもいる。もしかして、ここって「モーホー」ビーチか?ワタシのすぐ真横には、男のかわりにイヌが3匹も集まってきて密着状態のハーレム状態である。いつもながらイヌにはモテモテなのだ。 沢木耕太郎の『深夜特急』ではないが、旅にはちゃんと「旅の終わり」を感じる瞬間がどこかにあって、このアラビア海の大きな波のうねりを眺めながら、そろそろ短くも慌しいこの旅も終焉に近づいているなぁと思うと、いささか感傷的な気分になったりもする。またスコールが降ってきた。
2007年09月13日
コメント(8)

「インド亜大陸大移動の夜」の巻昨夜、宿にチェックインした時に「バラナシにはいつまでいるんだ?」と訊かれたので「24hours」と答えると、「短かっ!」とあきれられたのだが、短時間ながらも濃厚に凝縮したバラナシを十分堪能したワタシは、予告どおり夕方が近づく遅めの午後、潔くバラナシを去る。狂気の大混雑ゴドウリヤー交差点からリクシャーに飛び乗り、昨日来たばかりの道を空港に向かって逆戻りである。デリー行きのスパイスジェットは、またしても「DELAYED」。腹の具合も悪くなってきて、何度かトイレを出たり入ったりしながら待合室でひたすらアナウンスを待った後、1時間半近く遅れてやっと搭乗。上空から見納めのバラナシは全体的に重く雲が立ち込める中、ほんの一瞬だけ雲の切れ間から陽光が差し込み、下界の混沌を最後に少し照らして見せた。ガラガラの飛行機は順調に遅れながらこの旅3度目のデリーに到着し、ワタシを含む数名を機内に残してほとんどの客が降りた。デリーでの機内清掃とセキュリティチェックが終わると、入れ替わりに今度は超満員の乗客がドッと乗ってきて、さらに30分遅れ(予定より通算2時間遅れ)で、飛行機は次なる目的地「ムンバイ」へと飛び立った。ムンバイ空港に到着したのは、もう夜の9時。バラナシ→デリー→ムンバイの移動で、さすがに疲れていた。しかし今度は、機内預かりの荷物がなかなか出てこない。実は少し焦っていた。今夜の移動はまだこれで終りではない。これから、さらに1時間かけて市内の鉄道駅「ムンバイCST駅」まで行き、1時間半後に出発する夜行列車に乗る予定なのだ。気がかりなネタはもうひとつあって、昨日から両替のタイミングを逃したまま、手持ちの現金がほとんど底をつきかけていた。再び腹痛が襲ってきたので空港のトイレに駆け込み、戻ってみるとようやくターンテーブルに自分の荷物が出てきており、それを引っつかむと足早に空港の外に出た。市内までの移動はタクシーしかないと聞いていたのでタクシー乗り場を探すが、空港前は人でごった返していてどこで拾えば良いのかすらわからない。丁度そこへ「タクシーか?」と白いシャツの男が訊いてくる。そうだと答えると「ついて来い」と言う。歩きながら「メータータクシーだろうな?」と訊くと「心配するな」と言うので、とにかくついて行く。空港から数百m離れた暗い路地に入ったところに、運転手の乗ったクルマが1台停まっている。乗れというので後部座席に座ると、白シャツは助手席に乗り、運転手と早口で何か話した後、いきなりクルマを走らせる。「おいちょっと待てよ。これメータータクシーじゃないな。話が違うぞ。」とワタシが言うと、白シャツは「これを見ろ」と、何やら料金表を手渡してきた。見ると、ワタシの目的地付近までの料金が、どう考えても相場の倍以上の値段で書かれている。移動の疲れ+時間の焦り+腹具合の悪さ+持ち金の少なさという4つの悪条件が重なったせいか、さすがに仏の心斎橋さんもそれを見た瞬間、考えるより先に足が出た。白シャツの座る助手席を、真後ろから思い切り蹴り上げていた。「あほかコラ、停めろ!」思わず口から出たのは、ストレートの関西弁であった。運転手がびっくりして、クルマを急停止。「お前なめんとのか!空港戻れ。」と、引き続き生の関西弁で怒鳴る。当然彼らに意味なんかわかっていないが、こちらを振り返る白シャツの顔が明らかにこわばっている。(あ、効いてる効いてる)。怒っているのは十分伝わっている。そこで言葉を改め、「空港に戻って、ポリスのとこまで行こうか」と言うと、「待て!いくらだったらOKだ?」と白シャツが訊いてくる。「その半額。それが相場だろ。」と言うと、 「わかったわかった、それでいい」と、拍子抜けするほどあっさり交渉成立する。金を渡すと客引きの白シャツだけが先に降り、ようやく運転手とワタシの乗るクルマはムンバイ駅に向かって走り出すが、こちらの焦りとは裏腹に、すぐに大渋滞にハマってしまう。じりじりと焦りを募らせながら、やっとのことで渋滞を抜けた瞬間、運転手に「とにかく急いで、飛ばしてくれ!」と頼むと、実にオーダーに忠実な対応で、無茶苦茶クレイジーな運転で飛ばす飛ばす。「あぁ、今度こそ死んだ」と思った瞬間が少なくとも3回あったが実際はすべて寸前で切り抜け、結局は彼のお蔭で列車出発の30分前に、無事に駅に到着した。「ムンバイCST駅」は、ムンバイから主に南の地域に向かう路線の玄関口になっていて、もう夜の11時前だというのに広い駅の構内は、出発を待つ人や地べたで寝ている人などでごった返していた。ここからワタシが乗るのは、およそ13時間をかけて、アラビア海に面した南のビーチリゾート「ゴア」へと向かう夜行寝台列車である。目指すホームは駅の一番端で、すでに列車はホームに入っていた。インド鉄道名物、貼り出された「予約確認リスト」のプリントの中から、受験の合格発表のように自分の名前を確認し、自分の車輌へと乗り込む。 車内に入り自分の座席(寝台)を探すが、なかなか見つからない。何度か車輌内を行ったり来たりして、「すいませんすいません」と謝りながら寝台を仕切るカーテンを開けていくと、ワタシの予約席を含めて向き合う形の上下4席を、ロンドンから来たというツーリストの4人組(白人2、黒人1、黄人1)ギャルズが占拠していた。「席、間違えてない?」と訊くと、「ゴメーン!私たち同じ仲間で一緒に座りたいので、この通路側の席とチェンジしてくれない?」と言われる。まぁギャルチームの中に男ひとり放り込まれるのもツライし、「別にいいけど」と答えると、「キャー!いいヒトで良かったねー!」などと、あくまでテンションが高い。通路側の寝台席の上段が空いていたので登ろうとすると、下段の席から、丸坊主頭にプロレスラーのようなすごい傷跡のある白人の大男がひょっこり顔を出し「オレもあっちの席から追い出されたんだ」と、ギャルたちの方を指差してトホホな顔をしていた。列車は一度「ゴトン」と大きく揺れた後、定時に発車した。カーテン越しに聞こえてくる向かいのギャルたちの大はしゃぎ声にちょっとうんざりしながら、「移動のドタバタで結局まともな晩飯も食えなかったなぁ」などと思っていたら、「席を代わってもらったお礼に」と言いながら、向かいのギャルたちが次々にバナナだのチョコレートだのを差し入れに来てくれる。なんだかこれじゃまるで遠足気分だなと思いつつも、疲労と空腹の心斎橋さんは情にもろくなっているので、うるせいギャルズも貢ぎ物ひとつでコロっと簡単に許してしまうのであった。そして夜行列車は進む。
2007年09月12日
コメント(10)

「バラナシでみる夢」の巻雨あがり 同じ場所 同じ時刻。いつか見た空全体を覆う虹が不意に視界に蘇る。まさにこれは。まさにこれ。鐘の音が重なり合えば迎えの合図。神か、犬か。雑踏の足元をすり抜けてこちらを振り返り、ニヤリと笑う。眉間の赤いビンディはまるで撃ち抜かれた血の色。「すべて知ってるぞ。」一瞬にして周囲の音が地面に吸い込まれる。静寂。走り去る。また音が溢れ出す。路地の中からなかなか抜け出せないで困っている。風が吹き、ついに景色まで流されてしまった。蛇行するトンネルの向こうへとどこまでも続く光の残像。その先の先は、忘却の彼方へ。
2007年09月11日
コメント(10)

「ガンガーに流される自由」の巻毎日早起きしているので、この日も朝5時前に目覚める。ガンガービューの部屋の窓から外を見るが、まだ暗い。6時頃本格的に起床し、明るくなってきた窓の外をもう一度覗くと、空は雲が多くて日の出は望めそうもない。まだ誰もいない屋上のテラスに出てみると、昨夜はよく見えなかったガンガーの全景が、圧倒的なスケールで目の前に広がる。これは壮観。眼下の民家では朝の支度が始まっていて、あちこちから煙が上がっている。その民家の屋根の上を、バラナシ名物の野生ザルたちが、獲物を求めて走り回っている。そういえば20年前も、洗濯して干していたパンツと石鹸をサルに盗まれたっけ。宿を出て、早朝のガートへと歩いて向かう。できるだけ牛糞に遭遇しないように、なるべく昨夜とは別の路地を歩く。明るい道なら、細い路地もなんてことないんだけどなぁ。しばらく歩くとダサーシュワメードロードに出る。知らないオッサンがワタシを見て、「メインガートはこっちだ!」と力強く指差すので、てっきりダサーシュワメードガートだと思って歩いて行くと、あれれ?その隣の小さなガートに出た。さっきのおっさん、たぶんこのガートのボート屋の仲間か何かなんだろう。ま、別にいいけどさ。広大なガンガーに向かって、ガートに立つ。また来たかこの地へ・・・と少し感慨に耽ってみるが、インドは旅行者を30秒も放っといてくれない。すかさず客引きのハゲおやじが寄ってきて「ボート乗る?ボート乗る?ボート?」と、至近距離で囁いてくる。「ボートねぇ、乗ってもいいけど現在ワシの全財産50ルピーだよ。」と言うと、「いや、1時間250ルピーだ!」とハゲおやじ。「無理。250なんて高すぎやね」と言うと「ノータカイね。ひとりで貸切だから250ルピーね。」とハゲおやじ。「あっそ。じゃいいや、バーイ」と歩き出すと、「おい、ちょっと、待て待て待て!200ルピーでどうだ!」ときた。「だからさぁ、ワシの全財産50ルピーなの。わかる?」「うーむ、わかる」「じゃあさ、貸し切りじゃなくて全然いいから、あと4人分お客連れてこいよ。それでひとり50ルピーだ。」と言うと、「うむむむ。じゃあ誰か探してくる」と、ハゲおやじは他の客を捕まえに行く。先にボートに乗り込んで待つこと10分。ハゲおやじがションボリ肩を落として戻ってくる。「ダメだ。誰もいなかった」。「あっそ。じゃ、しょうがないねぇ。50ルピーで嫌なら降りるけど、どうする?」と訊くと、ハゲおやじもついに諦め、2人の漕ぎ手と共に「心斎橋さん専用」となった貸切ボートをギーコギーコと漕ぎ出す。川の中央付近からあちこちのガートを眺めながらボートは進み、ハゲおやじは「カソーバ見るね、カソーバ」と、火葬場で有名な「マニカルニカー・ガート」に向かう。昨晩、宿の部屋の窓からも一晩中この火葬場から上がる煙が見えていたが、実際にここのガートに近づくのはこれが初めてだった。ボートは、マニカルニカー・ガートにどんどん近付き、ついに接岸する。「ボートを降りて、あそこにいる“カソーバ・マスター”の説明を聞いてみろ」とハゲおやじが言うので、火葬場の真ん中に降り立つ。ランニングシャツ姿の小太りカソーバ・マスターが、たった今運び込まれてガンガーの水で清めたばかりの全身を布に包まれた遺体を指差し、「ほら見ろ、今からこのボディを焼くぞ。こっちの白い布が男で、黄色い布が女だ」と言う。やがて、井桁に組んだ薪の上に乗せられた遺体に火がつけられると、あっという間に火は遺体全体を包み、白煙をあげてバチバチと燃え始める。思っていたほど強い臭いはしない。恐ろしいとも思わない。およそ1時間ほど焼かれた遺体は炭にまみれた骨と灰になり、それらは細かく砕かれてガンガーに流される。おぉ、こういうことか。人として、なんて自由な最期だろう。妙にすがすがしい気分で、何だか急に目の前が明るく晴れるような気がした。
2007年09月10日
コメント(8)

「バラナシは今日も雨だった」の巻 今回、当初の計画では「バラナシ」に行く予定はなかった。ただ、旅のルートを検討していると、たった8日間という限られた日程をフルに使い切ろうと思えば、当然陸路だけでなく空路での移動も選択肢に入ってくる。しかも、現在インドの国内線は新興の格安航空会社の参入が相次ぎ、6社ほどが低価格競争にしのぎを削っている。中でも、「エアデカン」と「スパイスジェット」の2社は、とんでもない低価格をウリにしている。それで、スパイスジェットの予約サイトで偶然見つけたのが、この「デリー⇒バラナシRs.99」という驚異のキャンペーン。東京-大阪間を超える距離がたったの99ルピー。日本円にしてなんと「300円」である。なんですかこれは。何かの間違いかと思って何度も見直したが、どうやら本当らしい。これは行くしかないだろうということで、急遽バラナシ行きがルートに組み込まれたのであった。まぁ一応オチはあって、運賃は99ルピーだが、税金と燃油サーチャージ代が別途4000円ほどかかるので、結局そっちの方が高かったりするのだが。スパイスジェットの内装は極めて簡素で、座席も事務イスのような塩ビ製のシートなのだが機内は清潔。客室乗務員も若くてキレイどころが揃っている感じ。ただし格安料金と引き換えに機内サービスは皆無に等しく、機内食はキャンディーのみである。まぁ1時間そこらのフライトで機内サービスなんて必要ないので、まったく問題はない。バラナシまではあっという間で、機体が次第に高度を下げると、上空から見るバラナシはあいにく雨模様である。おまけに出発が遅れたせいで、もう時刻は夕方の5時半。日没が近づいている。小雨が降りしきる中、スパイスジェット機は「ドスン」という衝撃とともにバラナシ空港の滑走路に降りた。空港から市内へとプリペイドタクシーに乗ると、さっきまで空港にいた職員のおっさんたち3人が狭い車内に一緒に乗り込んでくる。なにかと思ったら「今日はこれが最終便なんでワシらももう帰る。途中、家まで乗って行っていいか?」ということなので、「じゃあワリカンね」と言うと、「ふぉっふぉっふぉ」と笑うだけで結局便乗犯たちはそれぞれ自分の家の近くで降りていってしまった。まぁインドだからな。しょうがないよな。およそ40分かかって、ガンジス川(以下、ガンガー)にほど近い「ゴドウリヤー」の交差点に着き、タクシーを降りる。ううう、ものすごい大混雑で身動きがとれない。大量の人間とクルマと牛とリクシャーと犬とバイクとヤギが、けたたましい騒音や鳴き声を上げながら、それぞれテンでバラバラにうごめいている。しかも雨。バラナシって、こんなにむちゃくちゃだったっけ。今夜の宿には昼間に一度電話を入れていて、念のため空室を訊くと「おー、空き部屋ならメニメニルームOKよ」と言っていた。宿に向かって歩き出すと、さっそく客引きが群がってくる。「もう宿は予約してるから、キミら要らんよ」と追っ払う。しかしその中のひとりがしつこく食い下がってきて宿の名前を聞くので答えると「おー、キミはラッキーガイだ!ちょうど私はそのホテルの人間なんだ。さぁ私がキミをホテルまで連れて行こう、私についてきなさい!」と高らかに宣言して歩き出す。なぁにがラッキーガイや。どうせ手数料目当てのフリーの客引きだろう。「自分で行けるし、別にいいよ」と言うが、「いやいや、道も暗いしわかりにくいぞ。私を信じてついて来い!なんせ私はそのホテルの人間なんだから!」などとしつこい。違う場所に連れて行かれるわけじゃないし、まぁいいか、とついて行く。確かに、バラナシの路地は細くて暗く、目指す宿の場所は相当わかりにくい。もうすっかり日が暮れてしまって周囲がほとんど見えないのと、入り組んだ細い路地を何度も何度もクネクネ曲がるので、これはやはり一人で辿り着くのはかなり難しいなぁと思った矢先、本日最大の危機が訪れる。暗くてまったく地面が見えない路地の途中で何かを踏んづけ、思いっ切り滑った。「しまったぁ!」。牛の糞のかたまりの中に、モロに足を突っ込んでしまったのだ。バラナシの路地というのは至る所に牛が入り込んでいて、狭い道幅いっぱいに立ったり座ったりしている。牛がいると、当然牛の糞も落ちている。牛の糞というのは、犬のフンのような可愛らしいものではなくて、中型のバケツ一杯分をたっぷり山盛りぶちまけたぐらいの量である。少し薄明かりのある通りに出たところで見てみると、サンダルの左足前半分が牛の糞まみれで、ワタシの生足の指先にまで牛糞がネットリ絡みつき、極めて悲惨な状態になっている。臭いもヒドいし、こりゃ最悪である。トホホホ。牛の糞が詰まってすっかり重くなった左足を引き摺りながらさらに歩き、やっとのことで宿に到着。念のためマスターに「この男、おたくの従業員って言ってるけどホント?」と訊くと、マスターは「こんなやつ知らん」と。やっぱりな。そして案の定、客引きとマスターとで大モメになる。「彼は電話してきた予約客なんだからマージンなんか払わん」「しかし、ここまで連れてきたのは自分だ」と言って、延々と口論を始める。あのさぁ、どっちでもいいけど一刻も早くこの足洗いたいんだけどワシ・・・。ようやく部屋に入るとすぐさまシャワールームに駆け込み、それから一時間近くかけて、涙をこらえながら徹底的に靴と足を洗う。本来なら、今夜はガートで行なわれる「プージャ(礼拝)」に参加して、それを厄年のお祓いイベントにしようと勝手に決めていたのだが、すっかりそれどころではなくなってしまい、牛の糞を洗い終わった頃には、プージャも終わってしまっていた。まぁ人生そんなもんだよなと溜息をつきつつ、腹も減ったので屋上のレストランに上がってみると、おぉーこの眺めはすごいぞ。灯りの少ないバラナシの夜景ではあるが、この屋上レストランからガンガーを望む眺望は絶景である。ともかく今日一日の移動の疲れを労い「ベリーベリーコールドビア!」を頼んで、一気に飲み干す。あー今日もビールがうまいぜ。マサラエッグカレーの晩飯も、スパイスが効いてて美味い。すっかり気を取り直し、一息ついて冷静に周囲を見回すと、屋上レストランには二組の若いカップルがグループになっている他、放浪ひとり旅系の若者が数名。そこにホテルのマスターや若いインド人数人が一緒になって、いつしかハッピーアワーに突入していた。ワタシも誘われるまま彼等の輪に入り、たわいもない話で盛り上がる。ガンガーを渡ってくる夜風が妙に心地よく、ピースフルな空気の中でバラナシの夜は更けていく。
2007年09月09日
コメント(6)

「ニューデリー駅前の嘘つきインド人撃破」の巻お祭り騒ぎであまり寝かせてもらえないまま朝5時になり、身支度を始める。外ではまだ時折「ボヨーン」と気の抜けた銅鑼のような音がする。チェックアウトしようと部屋を出ると、明け方の薄暗い敷地内にはまだあちこちに人がいて、さすがに疲れ果てたのか、男も女も地面の上でのびている。踏まないように気をつけながら宿を出て、表の通りに出ると2日間こき使ったオートリクシャーの兄ちゃんが律儀にも待っていて、最後に駅まで送ると言う。駅に向かって快調に飛ばすオートリクシャーの後部座席で早朝の澄んだ空気を体に受けながら、チャンディーガルに別れを告げるのであった。デリーに戻る特急列車は、またもや定刻にやって来て定刻に出発した。都心に向かう列車のためか、圧倒的にビジネスマンが多く、満席である。今度も二人掛けシートの窓際席で快適なのだが、車両がかなり古いので窓がくすんでしまって、景色が茶色いフィルターをかけたようにしか見えない。車内サービスは行きと同じく、新聞、水、ジュース、ポットの紅茶、ビスケット、軽食などが次々に配られ、それらを消化したり新聞を読んだりしているうちにあっという間にニューデリー駅に到着する。またもやニューデリー駅に舞い戻り、駅を出て「こりゃ今日も暑いなー」とメインバザールに向かって歩いていたら、顔中に汗をかいたコリアンガール二人組に声をかけられる。「私たち切符を買いたいんだけど、売場はどこなんですか!このヒトたち、駅の外に付いてこいって言うんだけどホントなんですか!」と、隣にいるインド人たちを指さす。んなわけないやろ。またかいな、ニューデリー駅前名物の嘘つきインド人たち。「あーそれね、うそうそ。こいつらみーんな嘘つきだから。」と言うと、やけに図体のデカいターバン野郎が偉そうに「なんだと!お前は口を挟むな!」と怒鳴る。そいつを完全に無視して「あのね、駅の構内左手の階段を2階に上がると、外国人専用のチケットオフィス(International Tourist Bureau)があるから」とガイドブックのページを見せながら彼女らに説明していると、ターバン野郎がワタシのガイドブックを取り上げ、 「ITBだろ?ITBはコンノートプレイスに移転したんだ!」と、開いたページの上から勝手に「×印」を付けた。むっか~。「こらオッサン!ヒトの本に何してくれるんや。返せ!」と奪い返す。ついでに「ついさっきも見たけど、ITBは元の場所で営業中じゃ!ぜーんぜん移転なんかしてないっちゅーねん」と言うと、「お前は関係ないくせに黙れ!」とキレたターバン野郎が唾を飛ばして叫ぶ。「お前こそ関係ないやろ!あっち行けおら!」と言うと、ターバンに同調するように他のインド人たちが大声で騒ぎ出す。見ると、ワシらの周りを十数人のインド人が取り囲む輪になっていて、「ITBはクローズドだぞ!」「なんだ!」「どうした!」「リクシャーか!」「チープホテルか!」「チャイ?」などと口々に好き勝手なことを叫び始める。「あー、ウルサイうるさい!うるさいっちゅーねんお前らは!」と奴らを蹴散らし、コリアンガールズに早く行けと促して、ようやくその場を離れる。まったくひどい奴らだ。でもまぁこのぐらいじゃ、ワシもまだキレないよ。ここはインドだからね。ちっ。それにしても余計なことで時間を食ってしまった。駅前の騒動を抜けた後、メインバザールのネットカフェに入ってメールチェックなどして、時計を見ると次の移動までもうほとんど時間がないのに気づく。実は、デリーには『カリムホテル』という名の地元でも有名なインド料理屋があり、今回そこで名物「羊の脳みそカレー」を食うというのを予定のひとつに入れていたのだが、さすがに時間のリスクを犯してまでカレーにこだわるのもなぁと諦め、再度ニューデリーの駅前からプリペイド・リクシャーに乗って空港へ向かう。途中、信号待ちで路上に停車している際、誰かが近づいてきてワタシの足元をトントン叩くので見ると、片目片腕で両足のない若い男が、車輪のついた手製のスケボーのような板の上に座ってこちらを見上げ、 「マネー」と呟いた。インドで不具者の乞食は山ほど見てきたが、この時ばかりは唐突なご挨拶に一瞬不意をつかれた。停車中の車列の間を縫ってやってきた彼に敬意を表してバクシーシを渡そうと思ったのだが、あいにくタイミングが悪く小銭の持ち合わせがなかった。間もなく信号が変わり、すっかり期待を持たせて片手を伸ばしていた彼を置き去りに、無情にもリクシャーは砂埃をあげて走り出した。すまぬすまぬ。国内線の「パーラム空港」へは、余裕を持って搭乗1時間半も前に到着。しかし、やはり今回は飛行機の運航がダメで、ワタシの搭乗予定便はまたしても「DELAYED」の表示。搭乗時刻をとうに過ぎ、出発時刻から30分経っても1時間経っても案内はなく、こんなことなら「カリムホテル」行けたなぁと悔やみながら、売店のパンをかじってひたすら待つ。結局、早めに着いたことも合わせて待合室で3時間も過ごし、「もう日が暮れるよぅ」と待ちくたびれかけたところで、やっと搭乗のアナウンスが。他の乗客たちと一緒に滑走路をゾロゾロ歩き、初めての国内線「スパイスジェット」のタラップを登る。 この旅2度目のデリーを慌しく通過し、次の行き先はガンジスの聖地、思い出の地「バラナシ」へと向かうのだ。〈続〉
2007年09月08日
コメント(8)

「でた、美人局(つつもたせ)」の巻ロックガーデンの中を延々と歩いている途中、自称アメリカ人というオネエちゃん(推定25才)に声をかけられた。話す英語はやたら流暢でネイティブ並みなのだが、しかし「どう見てもあんた、インド人かネパール人やろ」という外見。しかも可愛くないんだこれが。ピッタリ真横にマンツーマンディフェンスのような密着体勢で、同じ歩調で歩きながらあれこれ話しかけてくる。「ハロー、わたしアメリカ人」(初対面でそんなこと言う奴おらんやろ普通)「チャンディーガルには旅行で来てるのよ」(あ、そうなんですか、ふーん)「あなたはいつまでチャンディーガルにいるの?」(さぁどうしようかなぁ)「あなたは友達と来てるの?」(ひとりだけど)「あら偶然ね!わたしも一人なの」(あーそうですか、へー、それはそれは)こういう流れになると、この先の展開は読めている。「どこに泊まってるの?」(この近くだけど)「あら私もそうなの。よかったら私の部屋でゆっくりお話しない?」(いくいく)・・・とか言って喜んで部屋に入り、いい感じのムードになったところで、突然怖いお兄さんが出てきて「おのれワシの嫁さんに何さらしとんじゃい、金出さんかゴルァ」と。これってかつてのタイで遭遇した美人局(つつもたせ)と、まったく同じパターンやがな。勘弁してくれよ。しかし、もしも万が一本当にただの話好きの旅行者だったらまずいので「キミはっきり言ってタイプじゃないからあっち行ってくれる?」などと鬼のような追い払い方もできず、「あの、急いでるもんで」とゴニョゴニョ言いつつ、歩くスピードを通常の1.8倍程度に加速しながら必死で引き離し、ついに振り切り成功。と思ったのも束の間、彼女を巻いたのはいいが今度は広すぎるロックガーデンの中で道に迷ってしまい、灼熱の炎天下を意味なくぐるぐる彷徨い続け、ようやく出口に辿りついたのはそれからさらに1時間後であった。暑いよ。ロックガーデンに続き、次に行ったのが「ローズガーデン」。岩の次は薔薇である。ここもツーリストオフィスで一応見るべしと言われていたのだが、こっちはロックガーデンのような趣向を凝らした作りにはなっておらず、スケールは大きいが、ただただ広大な芝生の庭があるだけで、肝心のバラは申し訳程度に所々チョロチョロ咲いているだけ。しかも日陰が一切なく、すでにロックガーデンで予想以上に体力を使ってしまったので、ここは早々に撤退。暑い暑い。汗まみれ。もう帰っても良かったのだが、リクシャーマンに訊くと近くにパンジャーブ大学があるというので、ちょっとだけキャンパスに潜入してみる。広い校内をオートリクシャーで優雅に走り回りながら芝生やベンチにたむろする学生達に手を振り、最後に学生の溜まり場になっている「学生会館」に行く。これはコルビュジエの作ではないが、チャンディーガルの建築の見所のひとつとしてあげられている。円柱形の建物の外周を螺旋階段が巡るという作りになっていて、見た目は昔のロシアSF映画のセットみたいでなかなか味わいがある。それにしても暑い暑い。2日間に渡るチャンディーガル見物も、今回はこのぐらいで勘弁しといたろかということで、夕焼空を背に引き上げる。宿に戻って食堂に駆け込み、ビールビールビールをくださいと頼み、食事の後はもう早々に寝る。・・・つもりだったのだが、シャワーを浴びてちょっとベッドでウトウトしていると、突如「どかーん!」とブリキのバケツでも蹴っ飛ばしたような馬鹿でかい音がしてびっくりして飛び起きる。夢かと思ったら再び「どっかーん!どっかーん!」とさらに音は激しくなる。たまらず外に飛び出すと、宿の敷地内で何かお祭りが始まっていて、すんごい数の人が集まって太鼓やラッパを打ち鳴らして大騒ぎしている。聞くと、この日はインドの神様クリシュナの誕生祭だそうで、インド全土で大騒ぎなのだそうである。そうかそうか、それはよかっためでたいね、と周囲の人々と祝福の握手を交わしながらも、疲れたワタシはとっとと部屋に戻る。が、ちょっとウトウトすると「どっかーん!」。あ、そろそろ終わったかな、と思ったら「どんがらがっしゃーん!ぷぺぷぺぽぴぴー!」と、どんちゃん騒ぎは明け方まで続くのであった。
2007年09月07日
コメント(2)

「変態インド人のロック魂」の巻チャンディーガル2日目。朝から快晴。午前中やや遅めに宿を出る。この日も公共施設系は休みということなので、まず昨日と同じセクター1の一番端っこにある「スクナレイク」に出かける。ここも都市計画の一部として作られた広大な人造湖で、この湖の湖畔にもコルビュジエの建築物があるというので、見に来たのだ。まぁチャンディーガルという街全体が、高級ホテルやブティックが多く、お金持ちインド人の保養地という趣なのだが、スクナレイクの周辺は特に金持ちっぽいインド人カップルが多い。男性は上下とも完全欧米ファッションにグッチのサングラスという感じで、連れ添う女性はサリー姿も多いが、顔がもうみんな女優かと思うほど際立って美人が多い。地元の人に場所を訊き、コルビュジエの建築「レイククラブ」を訪れる。ここは「スポーツコンプレックス」になっていて、ヨットクラブとアスレチックジムなどの運動施設が一緒になった建物のようだが、50年も前のインドでこんな洒落たものを作ろうという発想がなかなか挑戦的である。建物自体はコンクリート打ちっぱなしの非常にコンパクトなもので、昨日の建築群よりもずっと身近にコルビュジエの息づかいが感じられる。外観もこの湖畔のリゾートによくマッチしている。それにしても、賑わっている湖の入り口付近から100mほどしか離れていないというのに、ここの見学者はワタシとカラスだけである。というか、今日も街の中で外国人旅行者をまったく見かけていない。レイククラブ隣接の別館のドアを開けて中を覗くと、薄暗いがテーブルが並んでいてレストランのようである。カーテンを閉め切った暗い店内の奥に、よく見ると店員が4人亡霊みたいに立っている。怖いよ。食事ができるのかと訊くと、できると言うので、ランチにする。窓を塞ぐ鬱陶しいカーテンを開けてもらうと、湖の眺望が抜群でベストポジションじゃないか。チキンコルマとビリヤニを頼んだのだが、これがなかなか美味い。カレーの上に散らしたパクチーが珍しく、香りが効いている。もちろん、ここでもお客はワタシひとりである。さて、ランチを終えてレイククラブを出るが、当初楽しみにしていた「Art Gallery」も「City Museum」も、みんな休館日である。そこで、時間が余れば行ってもいいかと思っていた「ロックガーデン」という所に寄ってみることに。芦屋の「ロックガーデン」とは何の関係もないだろうし、せいぜい岩がいくつか転がった庭園でもあるんだろうぐらいに思っていたら、実はこれが、ワタシの予想を大きく裏切るスケールと面白さのラビリンスであった。以下、ネット上の某サイトで見つけたロックガーデンの解説記事である。ロックガーデンは、ネック・チャンドという1人の変人が作り上げた王国である。ネック・チャンドは交通局員だったが、1953年にチャンディーガルが造られる過程で出た大量の石や廃棄物などを見て心を動かされ、それらを再利用するために集めて郊外の森林に持って行き、それらを使って家や人形を作って秘密裏に自分の王国を造り始めた。しかしそこは政府の土地で、勝手に個人がそういうことをするのは違法行為だった。1972年、政府が森林を開拓しているときにネック・チャンドが造った石の王国が発見された。チャンディーガルは大騒動となり何百人もの人々がネック・チャンドの王国を見に訪れた。しかし違法は違法である。政府としてはネック・チャンドを罰しなければならない。ところが、市民たちがネック・チャンドの味方になり、市民の要望によって政府は彼に石の王国造営を続けさせることを認めることになった。それだけでなく、政府は彼に給料と50人の労働者を与えた。こうしてネック・チャンドの情熱が作り上げた石の王国は政府公認のロック・ガーデンとなり、観光地に乏しいチャンディーガルの見所となっている。今も着々と王国は造り続けられているそうだ。入場料10ルピー払って敷地の中に入ってみると、男根の形をした溶岩のような摩訶不思議なオブジェが、曲がりくねったモザイクタイルの道の両脇に乱立しているかと思えば、急に人ひとりがようやく通れる幅のむき出しの岩肌の隙間を抜けて滝のある風景に変わり、さらにその先の橋を渡ると、突然目の前に廃材で作ったと思われる奇妙な人形群が次々にバリエーションを変えながら登場する、といった具合で、これが高低差のある道で何キロも延々と続くのである。これはもう「ガーデン」というレベルではなく、まさに「狂人の王国」と呼ぶにふさわしい大パノラマ空間である(後で調べると、世界の美術評論家からも、いわゆる「アウトサイダー・アート」のひとつとして評価されているらしい)。このロックガーデンは、おそらくチャンディーガルの規則正しい計画都市に対する強烈なアンチテーゼとして作られていて、この両者の対比を見て、初めてチャンディーガル見物は完結するのだと妙に納得する。それにしても、ロックガーデンの風景を見て歩きながらずっと「何かに似ている」と思っていたら、しばらく考えていて気がついた。これは「宮崎駿の世界」である。おそらく彼も以前この場所に来たことがあるか、少なくとも写真を見て作品のモチーフに転用しているとみた。千と千尋のカオナシでーす。〈続〉⇒ネック・チャンドの「ロックガーデン」紹介サイトをみる(写真多数)とにかく凄いこの創造力。
2007年09月06日
コメント(8)

「コルビュジエと勝負の日」の巻列車は、たった20分の遅れでチャンディーガル駅に到着。すごいことだ。雨も上がり、空は晴れている。ここから先はほとんど予備知識がないので、とりあえず駅前に出てみる。うわー、ここまで来ても駅前は大混雑。道路の反対側に「プリペイドタクシー」の看板が見えたので、とにかく街の中心部まではこれで行こうと思い、途中何度かクルマに轢かれそうになりながら、プリペイドタクシーの乗り場まで命懸けで道路を渡る。ところが、道路を渡ってよく見ると乗り場はひとつではなく、「プリペイドタクシー」の看板が2つも3つもある。タクシー屋が各自勝手に乗り場を作って客引きをしていて、「タクシー?タクシー?」と何人もの男がわらわらといっぱい集まってくる。「中心部までいくら?」と訊くと、全員口々に違う値段を言うので、「誰が一番安いんだ?」とさらに訊くと、男A「250ルピー!」男B「220ルピー!」男C「200ルピー!」と、勝手に逆オークションが始まる。わっはっは、こりゃオモロイ。というか、アンタらインド人のくせに商売下手すぎ。「200ルピーがラストプライスか?」と訊くと、ついに男D「150ルピー!」の声があがり、周囲がちょっとどよめく。おそらく仲間から「お前それはちょっとやりすぎなんじゃないの?」などと言われているようだが、こっちは男Dの気が変わらないうちにと、「さあ行こうすぐ行こう」と荷物を車内に放り込み、さっさと乗り込んでしまう(後で聞いたら相場は200ルピー弱とか)。タクシーは20分ほどで、「セクター17」に到着。チャンディーガルの街は全部で65の街区に分かれていて、セクター17はバスターミナルやマーケットを抱える街の中心地になっている。ここにあるツーリストインフォメーションで適当な宿を紹介してもらい、表で捕まえたサイクルリクシャーで15分ほどのセクター24にある宿に向かう。走り出したサイクルリクシャーの座席から街の景色を見ながら、実は内心ちょっと後悔しはじめた。ここチャンディーガルは確かに計画都市というだけあって、今までにインドで行ったどの街よりも整然としている。道路も広いし街区も碁盤目状にきっちりブロック分けされていて、非常にキレイである。ただそれゆえ、なんだかつまらないのだ。やっぱインドは雑然として混沌として人もデタラメじゃないと、なんだか逆に居心地が悪い。チャンディーガルには2泊する予定で帰りの列車も予約を取ったのだが、もしかすると1日で十分かもしれないなぁ、と。とにかく宿にチェックインし、食堂で昼飯のカレーを食って部屋に戻ると、また空が暗くなってきた。バルコニーに出て様子をみているうちに、やがて雨が激しく降り出した。むむ、嫌な予感。せっかくここまで来たのに今日は部屋に缶詰めか?仕方なく2時間ほど部屋でゴロゴロしていたら小雨になってきたので、ようやく街に出かけることに。もう夕方である。通りに出たところにいたオートリクシャーに「いまから日が暮れるまで貸切でどや?」と声をかけ、金額が折り合ったので急いで出発。コルビュジエの建築は、セクター1にある「キャピトル・コンプレックス」と呼ばれる行政エリアに集中しているので、今日中にそこだけ全部見てしまおうと。ところが、まず「セクレタリアート(合同庁舎)」の広い敷地の端に到着し、ゲートの詰め所で立派なヒゲの警備兵に「中に入っていいですか?」と訊くと、信じられないお言葉が。「いいよ。ただし建物の前までならね。なぜなら、今日はホリデーだから。ちなみに、明日もホリデーなので、キミはどこにも入れないよ~ん。」なななんですと?「キミも知ってるだろうが、ここはパンジャーブ州とハリヤナ州の2つの州都を兼ねているので、今日はパンジャーブ州のホリデー。明日はハリヤナ州のホリデー。だから公共施設の建物はみんなクローズドね。ふぉっふぉっふぉ。」と、ヒゲのおじさんはニコニコしながら言う。ガーン。来た意味ないじゃん。落胆しつつも気を取り直し、それならとにかく外観だけでも見て周ろうと、リクシャーの兄ちゃんに言って主要な建物が見える場所へと、「あっちだ!次はこっちだ!その次は向こうだ!」と、合同庁舎から議事堂、高等裁判所など、セクター1の周辺をグルグル走り回る。高等裁判所の建物の裏手に回り込んで写真を撮っていたら、「コラー!おまえどこから入り込んだー」と叫びながらライフル持った州兵が走ってきて怒られたりもする。しかしまぁ外観からの造形的な雰囲気は十分掴めるし、コルビュジエの建築物は確かにインドの地でも存在感を放っている感じはするけれど、実際のところ風土に馴染んでいるのかどうかがあまりよくわからない。休日で周囲に人の往来が圧倒的に少ないというのもあるが、建物として「使いこなされている」感じがよくわからないのが残念。あと、邸宅レベルの大きさならいいんだけど、ここの建築物は実際に見るとどれもデカすぎてピンとこないのもあるなぁ。いずれにしても今回は仕方ないなと諦めて、最後にこの街のシンボル的モニュメントになっている「開かれた手」を見に行く。コルビュジエは昔から絵画作品にも「手」をモチーフにしたものが多く、これは「あらゆるものを与え、受け取る」という、手から始まる人の営みというものを象徴しているのだが、これは良かった。なんにもないだだっ広い原っぱに、ドーンとこれがあるだけ。周囲には建物もなければ、観光客なんてワタシ以外誰ひとりいない。ちなみにこの「手のモチーフ」は、ゴミ箱とか案内図など街のパブリックデザインの中でもあちこちに採用されていて、その辺の遊び心は楽しいね。じゃんけん、チョキ。ワシの勝ち。実は、チャンディーガルに来た真の目的は、これがしたかっただけだったりする。(この手は風が吹くと風見鶏のようにギコギコ周る。これは裏側。)まぁこんな感じで、チャンディーガル初日は予定外の雨とホリデーにも阻まれてイマイチ不完全燃焼のまま日没となり、うーむ2日目はどうしようかなーと思っていたら、翌日は意外に思いがけない収穫に巡りあうことになる。〈続〉
2007年09月05日
コメント(10)

「インド特急列車の光と影」の巻到着初日の夜は、飛行機で細切れの睡眠をとってしまったのと、エアコンの効きが悪く部屋の湿気がヒドイのでなかなか寝付けず、結局ちょっとウトウトしただけで午前5時半頃に起床。1時間後には宿をチェックアウトし、早朝のデリーの街に出る。次々に声をかけて来るリクシャワーラーの誘いを丁重に断りながらメインバザールのあるパハールガンジの通りを抜けて、ニューデリー駅に向かう。しかし相変わらず大量の牛と糞とゴミと汚水にまみれた、汚ったない道である。ニューデリー駅前は、表で寝ている人も含めて朝から混み合っている。駅に着き構内に入ろうとすると、ノートとペンを持ったインド人がワタシの前に立ちふさがり「チケットを見せろ」という。てっきり駅員かと思って、日本でネット予約しておいたEチケット(専用サイトから事前にクレジット払いで購入でき、乗車時にパスポートと一緒にPCからのプリントを提示するだけでOKという超便利なシステム)を見せると、「このEチケットは、このままではダメだ」と言う。「なんで?」と訊くと、「これを今からボーディングパスに交換しなければ、このままでは列車に乗れない。オレが100ルピーで交換してきてやるから貸せ」などとふざけたことを言う。そんな必要がないのは知っているので「おまえはア・ホ・か」と男の顔の前で言い、なおも何か叫びながら腕をつかんでくるこの詐欺野郎を振り払ってホームに入る。さて、本日の行き先は「チャンディーガル」である。実は、今回のインド訪問の目的のひとつは、 2年前に一度日記に書いたことがあるのだが、デリーから北へ240kmに位置するこのチャンディーガルに行き、建築界の巨匠ル・コルビュジエがインドに作った、まったくインドらしからぬ計画都市の全貌を自分の目で確かめてくることであった。たまたま今年はコルビュジエ生誕120周年でもあり、書店などでも彼を特集した書籍や雑誌が数多く出版されていて、その中にもチャンディーガルの建築群がよく紹介されていたことが、ワタシのインド行きの意を強くさせたのも事実である。目指すホームはすぐに見つかった。自分の乗る車両の位置まで電光掲示で表示してくれるので、実に判りやすい。ホームで待っていると、驚くことに列車は定時前にキッチリやってきて、オンタイムで出発した。こんなことは初めてである。Eチケットのシステムといい、駅内情報の電子化といい、正確な運行時間といい、少なくとも鉄道のシステムに関する飛躍的な進歩だけは、20年前と比べると隔世の感がある。座席は片道400ルピーのCC(エアコンチェアカー)クラスを取ったのだが、シートはリクライニングでエアコンも効いている。水、新聞、紅茶、スナック、簡単な食事などが次々にサービスで出てくる。これらは全部乗車賃に含まれていて、昨日のエアインディアじゃないが、なんだかサービス良すぎである。しかしそんな快適な車内とは裏腹に、ニューデリー駅を出てすぐ、線路の両サイドに広がるスクワッター(不法占拠者の住居)の規模がもの凄い。ほとんど、山のようにうず高く積もったゴミと糞尿の巣窟の中でヒトが暮らしている感じである。線路の脇でウンコや歯磨きをしたり、裸でうろつく幼い子供たちの姿もたくさん目に付く。この子供たちの将来に、おそらく希望の光はない。スクワッターで生まれたら、どう足掻いても死ぬまでスクワッター暮らしだ。しかし、永遠に何も変わらないと思っていたインドで鉄道システムがIT化されているように、特定の産業の飛躍的な伸びによっては国家レベルの経済成長に変化が起こり、もしかするといつかは社会底辺の人々の福祉にまで金がまわるようにならんのかい、なんてことを思うが、13億人の人口をまかなうというのは、きっとそんな簡単なことではないんだろう。片道3時間の特急列車は、インド鉄道最速のスピードで順調に進む。窓の外は、いつしか牧草地帯が延々と続くのどかな風景に変わる。しかし天候が良くない。雨季なので仕方ないが、チャンディーガルまで残り半分ぐらいの地点を過ぎた頃から次第に雲行きが怪しくなり、ついに雷鳴と共にものすごい豪雨になってきた。朝だというのに窓の外は薄暗く、列車はどことなく重いこの空気を切り裂くように走り続ける。
2007年09月04日
コメント(8)

「到着までの遠い道のり」の巻機内に向かう通路の途中で、かなり厳重な身体検査とバッグの中身のセキュリティチェックを受ける。一週間前にも、南部のハイデラバードで死者40人以上という爆破テロがあったし、ここ数年インド国内はかなり不安な情勢であることをあらためて思い出す。かつて訪れた北部のカシミールなんかは、現在印パ停戦ライン最前線の緊張状態極限エリアで、もはやあの頃のようにツーリストが気軽に立ち寄れる場所ではなくなってしまったし。座席に着いて見回すと乗客数は座席の半分程度で、さきほどの香港人ツアー客以外では、いかにも大柄な黒人の一団がいて、ちょうどこの日まで大阪で開催していた「世界陸上」の選手団かと思われる。あとは、若者を中心にした日本人が十数名といったところか。エアインディア機は予定のちょうど一時間後に、短い助走から一気に飛び立った。機内サービスは思ったよりも充実していて、食事の前から何度も何度もスナック菓子(まずい)の袋を置いて行ってくれるし、「ジュース?ビール?ワイン?」と、こちらから何も言わなくてもドリンク類もせっせと持ってきてくれる。最初の食事は、チキンカレー。インディカ米を間に挟んで、片方がチキン、片方がベジのカレー。機内食としては、まぁまぁの味か。それにしても、ビールとワインをドドッと数本づつくれるので、ありがたいが処理するのに忙しい。3時間半後、香港に着くと約9割の乗客が降りてガラガラになる。ここから先は好きな座席に寝転び放題かと思いきや、入れ替わりにまたほぼ同数の新たな乗客が入ってきた。1時間後に香港離陸。またもや機内食とビールとワインとウイスキー攻めに遭うが、もう飲めないし食えないので死んだふりをしているうちに、そのまま眠ってしまった。およそ5時間後、気がつくと機体はすでにデリーに向けて降下中であった。さて、20年ぶりのインド入国第一歩目は、ここデリーである。到着時刻はローカルタイムで夜の9時半。思ったほどの遅れではない。ところが、エスカレーターで入国審査のフロアに降りていくとそこはもう人人人の洪水。しかし何百人待たせていようが子供たちが泣こうがわめこうが、インドのお役人たちはまったく意に介さず、持ち前の権威主義的横柄さとマイペースを保ちながら対応するのみで、行列は遅々として進まない。結局、到着ロビーに出たのは11時を過ぎていた。今回、初日だけは宿の予約を入れていて、ついでに空港からの送迎もするというので、ピックアップを頼んでいた。しかし出口で自分の名前のプラカードを探しながら歩くが、見当たらない。もう一度通路を逆戻りしながら見るが、やはりない。いったん隅のベンチに座り、念のために出国前にレンタルしておいたドコモの海外用端末の電源を入れ、宿のオーナーに電話を入れる。「あのさー、迎えがいないんだけど」と言うと、「そんなはずないよ。1時間以上前から背の高いおじさんが待ってるはずだよ」との返事。仕方なく、もう一度ぐるぐる探して歩くと、あったあった。が、ワタシの名前が書かれたプラカードが手すりの端に括り付けてあるだけで、人がいない。周りで客待ちしているインド人に聞くと、ロビーの端っこで何やら電話をしている長身の老人のところに連れていってくれた。あー、背の高いおじさんって、このジイさんか。ところがこのジイさん、やたら長電話で、一体どこの誰と話しているのか延々と話し続けていて、一向に終わる気配がない。自分の仕事忘れてないかい。横の地べたに座り込んで待つこと30分、ようやく電話が終わったのでジイさんに自分の名前を告げると、おーそうかと思い出したようにワタシを連れて空港の外へと歩き出す。頼むでしかし。空港の裏手にある駐車場に向かって真っ暗な道を歩く。なんとも懐かしいインド独特の匂い。一緒に歩くのはワタシの他に、白人のカップルが一組。おっと、牛。牛また牛。空港のまわりは巨大な牛だらけ。白人の若者は、ロスから来たスティーブンという。ホテルを聞くと、ワタシとは別のところ。なるほどこのジイさんはあちこちの宿から送迎を委託された業者で、同じ方向の客はまとめて相乗りしていくということか。駐車場で待っていたクルマにはドライバーの男が待機していて、我々が乗り込むとすぐに走り出した。が、走り出して30秒後、駐車場内のクルマ止めのコンクリートブロックに激突。さらにコンクリートブロックを無理やり乗り越えようとして車体を乗り上げたところで動かなくなりエンスト。むちゃくちゃするなあ。一旦降りて皆でクルマを押して地面に降ろし、ようやく走り出す。ところが、クルマはワタシの宿と逆方向に走り出す。「おいおい、どこ行くの?」と聞くと、「この先に別のクルマが待機してるからキミだけそれに乗り換えてくれ」と言う。どういうシステムやねん。10分ほど走ったところで、確かに待機していた別のクルマに乗り換え、いよいよ宿に向けてGO。と思ったら、まもなく今度はこのクルマが検問で停められ、およそ30分近く警官からコッテリ絞られている。何なんだいったい。でもいーんだよ、グリーンだよ。怒らないよ。これがインドだからね。やっとのことで宿に着いたのは、午前0時半。空港についてから3時間半も経っている。さすがにちょっと疲れた。部屋に入りシャワーをしようと思って蛇口をひねると、一応お湯は出るようだ。が、シャワーからは5本ぐらい糸状にピロリ~としか出てこない。むむむ。でもいーんだよ。よくあることだよね。インドだからね。横のバケツに溜めて洗えば問題ないよね。うんうん。シャワーを終え、天井の巨大なファンがぶんぶん回るベッドに腰掛けて、とりあえずひとり静かにインド再訪の祝杯をあげる入国初日の夜であった。
2007年09月03日
コメント(6)

「巡りめぐってまた印度へ」の巻予定の時刻よりも早く関西国際空港に到着し、出発ロビーの入口付近からエアインディアのチェックインカウンターの方を眺めると、すでに長蛇の列であった。ワタシの乗るエアインディア機は、大阪発~香港~デリーを経由し、ムンバイまで行く便で、チェックインカウンターの混雑は、日本での観光旅行を終えて帰国する香港人のツアー客たちが大部分を占めているようである。ロビーの中を進み、頭上の電光掲示板を見上げると、おっと、ムンバイ行きだけがいきなり「Delayed」の表示で、1時間遅れとなっている。さっそくのインドペースの旅の始まりに、少し苦笑してしまう。「そうだ、インドに行こう」と思ったのは、6月頃だったか。けれど、これといって特に決め手になるような重大な理由があったわけではない。ただ、たとえばその頃たまたま手にとった「danchu」という雑誌が「カレーの歩き方」という特集 をしていて、紹介されていたインドのカレー屋がやたら美味そうだったりとか。たとえば、ヨガの修行でインドに行っていたpinkoysterさんが、各地を廻る旅の様子が懐かしかったり新鮮だったりとか。たとえば、今年ワタシは厄年なのだが、「そういえば厄払い行ってないなぁ、いまさら商業主義の厄神さんに行くぐらいだったら、ホンマの聖地に行った方がマシやなぁ」と思っていたりとか。そんなこんなの思いの積み重ねが、知らずのうちに自分の中で自然に醗酵し、気が付けば、同僚などから「夏休みどうするの?」と聞かれると「うーん、今年はインドかなぁ」と答えるようになっていた。ワタシが初めてインドに行き、郡山ハルジさんらとも現地合流したりしたのが、ちょうど20才だった20年前。いま、それから20年経って40才。ここまでの自分の生き方の中で、かつてのインド体験が及ぼした影響というのは間違いなく他のどの旅よりも大きかったし、この20年目というタイミングは、何か自分の原点を確認する節目であるような気がして「インドが呼んでいる」とさえ思えてきた。幸いなことに、仕事の波がちょうど落ち着くタイミングが来たのと、もっと懸念していたのは家族に大反対を食らうかもしれない(どうせひとりで行かせるとロクなことしてこないだろう、と)と思っていたのだが、意外にも割とあっさりお許しが出たので、俄然乗り気になってしまったのであった。ただし、旅行期間はどう捻り出してもたったの「8日間」が限度。およそ40日間を贅沢に過ごした20年前に比べると、インドを旅するにはハッキリ言って掟破りの短さである。そうなると、1ヶ所重点滞在型にするか、複数箇所の駆け足型にするか。そのルート作りによって、インとアウトの都市がまったく変わってくる。仕事で手が離せなかったことも少しはあるが、実はこのルート作りに最後まで悩んだことが、航空券の手配がギリギリになった理由でもあった。さて、搭乗待ちのロビーでしばらくヒマを持て余していたが、ようやく搭乗開始のアナウンスが始まった。かつての自分たちと同様、期待と不安が入り混じった表情の新米バックパッカーの若者たちを横目に見ながら、ワタシ自身も多少高ぶる気持ちを押さえつつ、機内へと乗り込んでいくのであった。
2007年09月02日
コメント(8)

8月はプレゼンの嵐で本当に忙しかったのだが、忙しいふりをしながら実は合間を縫って海外逃亡のための下準備を用意周到に進めていた甲斐あって、ワタクシ明日から旅に出ます。家族旅行でもなく同僚やクライアントとの出張でもない、10年ぶりの完全ひとり旅でございます。旅に出ると決めてから気が付くとパスポートが切れかけだったので、これまた10年ぶりに更新の申請に行ったのだが、知らないうちに去年あたりからパスポートもIC化されていて、リーダーにかざすだけで写真入りデータがモニターに出るようになっていた。どうせIC化するなら、ついでに自動改札みたいに出入国もホイホイ通らせてくれるといいのだが、たぶんそうはなっていないようである。その後、またしばらく身動きとれず旅行会社に格安チケットの手配をリクエストしたのが、ようやく先週に入ってから。まぁ時期が繁忙期を外れていたので結果的には希望通りにエアーの予約はできたが、休める期間が限られているのでかなりピンポイントなリクエストで、内心ハラハラしていたのであった。さきほど、パッキングも完了。といってもたいして何もないんだけど。海パンも一応持参。ここからは成り行き次第なので実際に要るかどうかはわからんけど。12時間後には、すべてを棄てて機上のヒトである。それでは皆さん、アディオス、アミーゴ。
2007年09月01日
コメント(8)

前略 トイモイさん随分音沙汰ありませんが、その後アミーゴしてますかしてませんか。旅行土産のサボテンと覆面まだ届きませんがどこにいったんでしょうか。今年も8月31日がやってきたので、全世界経由で個人的なメッセージを送るよ。ところで、先日キミが優雅で感傷的な旅行に出かけている間にボクはまた京都に行っていました。京都の蹴上にある常宿ホテルのエグゼクティブな部屋に泊まっていましたが、窓の外は一面東山の緑みどりミドリでちょとだけ癒されて涙ちょちょ切れました。せっかくの京都ですが、相変わらずムスメの状態がアレなので思い切ってナニするわけにもいかず、外食もできないのでルームサービス頼んでほとんど部屋の中でアレコレしていました。これではホテル缶詰状態で夏休みの宿題してるのと同じですわ。昼間は屋内と屋外のプールでさんざんムスメの遊び相手を務めた後、夜は屋上でこども花火大会の予定でしたが、風が強くて中止になりコドモたちガッカリおとうさんニッコリです。1泊だけして翌日の夕方には家族を捨てて会社に戻らないといかんので、お昼には四条烏丸に出来た商業ビルの中で昼飯たべて速攻で帰りました。「キムカツ」というそこそこ有名らしいトンカツ屋に行きました。ここは超極薄の豚スライスを25枚もミルフィーユ状に重ねたものを低温で揚げているので、とろけるジューシーな食感が人気だそうです。ボクはバイキングの朝飯食べ過ぎの膨満感で、残念ながらほとんど受け付けませんでした。キムカツの由来はオーナーの名前が「木村克也」とでもいうのかと思ったら全然そうではなくて、希望と夢のあるトンカツ屋をめざしてはるのでつけたそうですね。夏休みも終わるというのに、別にこんな話どうでもいいですね。ところでいま、次の旅行準備のパッキングしてるんですがボクの海パン知りませんか。心斎橋31号
2007年08月31日
コメント(8)

容器を覗き込むと、微妙に大きくなった義男(よしお)が、壁面に張り付いて動いている。なーんだ、元気そうじゃないか。と思ったら、よく見ると動いているのはこの1匹だけで、あとは動かない。久しぶりに人間に見つめられて、みんな緊張しているんだね。ふふふ。ちょっと揺すってみようかな。トントン。あれ?もいちど、トントントン。あれれ?みんな死んでるよ(号泣)。地表の上に転がっているのが、最初に死んだ助清(すけきよ)。中腹の縦穴の途中には、助清と仲の良かった助六(すけろく)が。最深部の壕の奥で折り重なるように一塊となって息絶えているのが、これまたお互い仲の良かった幸男(さちお)と幸子(さちこ)である。まるで深い海の底で絶命しているような、まるで「ピアノレッスン」のラストシーンのような死に様である。ごぼごぼごぼ。去年の9月18日から約1年間飼育してきた感想を言うと、普段は知らずに踏み潰したり、足に這い上がってきたら叩き落としたり、家の中に行列を作って入り込んできたら殺虫剤をかけたりと、もともとあまり印象の良くない蟻であるが、不思議なもので、自分で飼って名前をつけたりしてみると、たとえ蟻でもそれなりに情が湧くものだなぁ、ということである。ところで、アントクアリウムのサイトであらためて蟻の寿命を確認したところ、「通常6ヶ月から1年くらい」とのことであった。なんだ、そうすると、うちの蟻たちも決して短命だったワケではなく、むしろ自然死である。そもそも捕獲した時には少なくとも生まれて何ヶ月かは経っているはずなので、そんな中でさらに1年近くも生き伸びた義男(よしお)の生命力は、たいしたもんである。これからは、ひとり残った義男と一緒に、強く生きていきマス!(なんか違う物語になってる?)「蟻の生活」-完-
2007年08月21日
コメント(10)

今年の春先に「助清」が死んだあと、ムスメ1号と親子会議を開き、「やっぱこのまま飼っててもどうせ死んじゃうし、そろそろ逃がしたほうがいいんじゃないか?」というワタシの提案にムスメも納得したらしく、次の週末にふたりでもともと獲ってきた公園に、残った蟻たちを放しにいくことにしたのだった。もとの巣があったすぐ近くの落ち葉の上に、天井の蓋を外してアントクアリウムの容器を置いた。まだ冷たい春先の外気の気配を感じた蟻たちは、死んだ助清の亡骸を蹴っ飛ばしたりしながら一斉にわっせわっせと動きだしたが、突然のことで事態が飲み込めないのか、横や下には動くのだが、容器をよじ登って外に出ようとする奴がいない。置いた場所が良くないのかと思い、少し場所をかえて違うところに容器を置きなおしてみたが、それでもやっぱり一向に出て行く気配がないのだ。そうか。なんだかんだ言っても、実は奴らも日々餌があるかないかわからない元の生活よりも、いまの暮らしの方が居心地が良いのだ。自由と引き換えに人間に飼いならされた自分たちを卑下しつつも「三食昼寝付きの極楽生活はたまらんのう」と、きっと自嘲気味に呟いたりしているのだ。10分以上待っても一匹も出ていかなかったので、結局その日はそのまま持って帰ることにした。あれから数ヶ月、さらに季節は巡り春を越えて猛暑の夏になった。ほんとに忘れっぽい我々親子は、あの日再び持って帰ったアントクアリウムを、ムスメたちの手の届かない本棚の上に置いたまま、その後まったく見向きもしなくなっていた。再び見ることになったのは、たまたまムスメ2号を抱っこしているときに「あ、あ、」と何か指をさすので、ふと見ると本棚の上の蟻たちを指していたからだった。手を伸ばしてアントクアリウムを本棚から下ろし、久しぶりに中の様子を見たワタシは、思わず息を飲んだ。(後編につづく)
2007年08月20日
コメント(10)

ムスメ1号が夏休みにチャレンジする課題として、ちょうど1年程前に途中まで登った「芦屋ロックガーデン」の完全踏破!という目標を学校当局に宣言していたので、引率することになった。前回登ったときは「もう二度といかない」と言っていたはずだったが、ムスメのロック魂が再び目を覚ましたようである。朝7時半に登山口に到着したが、いきなりもう暑い。本日の予想最高気温38度である。この日のコースは中間地点で折り返すのではなく、そのまま別のルートに入り隣の駅の麓まで降りてくるコース。標高1000m弱で大人の足で全行程約3時間、小1のムスメ1号なら4時間てところか。岩場に入って10分も登るとすぐに鎖を掴む垂直の壁。まあここはまだまだ序盤で体力もあるので、下からムスメの尻を押し上げながら難なく越えて行く。登山口から30分ほどで、前回引き返したあたりを通過。思った以上にハイペースでいい感じ。しかし日陰のない剥き出しの岩場が続くので、午前中とはいえ日差しが厳しく早くも全身汗だくである。コースは、途中から直登に近い岩場が減り、比較的傾斜の緩やかな山道も増えてくる。とはいえ、ところどころに難所はある。ここなんか、誰かがハシゴをかけてくれているが、これがなかったらムスメ1号は絶対登れない。いや、このハシゴ登るのも相当アブナっかしいのでヒヤヒヤするよ。前回も遭遇したが、六甲山系のコースはとにかくイノシシ遭遇率が高い。おそらく、この日もどこかで出てくる予感。あまりの暑さに途中3回ほど水飲み休憩を挟みつつ、ちょうど90分で中間地点の目標である「風吹岩」という巨石群が目印のポイントに到達。ムスメもバテ気味だが、正直なところワタシもすでにかなりヘトヘトに消耗。真夏のハイキングはキツイす。しかし「風吹岩」というのは名ばかりで、市街地を見下ろす景色は確かに絶景なのだが、風なんかまったく吹いてないぞ。カンカン照りで岩肌も焼けるように熱いし、なんとか日陰を見つけて20分ほど脱力休憩しましたよ。ムスメとおにぎりを食べていたら、背後で何かぶひぶひ声がするので振り返ると、岩場の陰からイノシシ登場。見た目はさほど大きくないが、どんどん接近してくるので、これはイケンイケンと、とりあえず飯をかくそうとしていたら、最後に食べようと思っていたタラコのおにぎりを不覚にも落としてしまったよ。それを見たイノシシは、猛然と走ってきて一瞬で飲み込む。バーロー、返せ返せ。中間地点を過ぎると、一転して岩場はほとんどなくなり、頭上も木々が生い茂って日陰の道が続くので、前半戦に比べればずいぶん涼しく感じる。それでも、前半ちょっと飛ばしすぎたのと、暑さと岩登りで体力的に消耗しているのでムスメ1号の足取りもふらふらしてきた。そこにまたイノシシの群れがじゃかすか出てくる。ウリボウだけでも9匹もいて超カワイイ。もうおにぎりないのだよ。ラスト1km地点の神社で休憩していると、後ろから「ぶひー!」とまた別のイノシシが襲ってくる。もう、ええっちゅうねん。ま、そんなこんなで、最後の方は山道で何度かイノシシの糞(むちゃくちゃ臭いんだこれが)を踏みそうになりながらも、予想通り4時間ジャストで無事ゴールの阪急岡本駅に到着。ムスメ1号も夏休みの課題クリアで一安心である。ワタシは、翌日になって恒例のギックリ腰が出ないか不安である。それにしても、あぁぁ暑かったぜよ。ぶひ。
2007年08月12日
コメント(8)

昨日はちょっと事件がありました。ママとお姉ちゃんと3人でママの実家に泊まりに行ってて、おばあちゃんも一緒に近くのショッピングセンターに行ったの。その中に幼児を遊ばせる遊戯施設があって、ボールの海で泳いだりフワフワのマットの上で遊んだりして楽しかったの。みんなそろそろ帰ろうとしてたとき、ソファぐらいの高さの台の上から、わたし後ろ向きにひっくり返って地面に落ちたんです。たいした高さじゃないんだけど、後頭部の打ち所が悪かったみたいで、そのまま意識がなくなったの。まったく泣き声も出ないし、全身痙攣しはじめたので、ママもおばあちゃんもパニックだったみたい。周りに人だかりができて、誰かが救急車を呼んでくれたみたいで、そのまま病院に運ばれたの。救急車の中では完全に血の気がひいて、真っ白な顔で寝ていたので、一緒に乗った家族はもうだめかと思ってみんな泣いてたみたい。病院についたところで、急に意識が戻ったみたいで、初めて大声で泣いてしまいました。それから、CTスキャンていうのを撮られたの。その場では特に異常は見当たらなかったみたいだけど、後頭部を強打したときって後になって出血することがあるから注意が必要だって。でもいまはすっかり元気になって、今日も朝から何度も転んで頭を打ってるんだけど、なんともないみたい。むしろ、もの覚えが良くなったみたいで、突然「ありがとう」のお辞儀とか、「はい」とか「うん」とかの受け答えができるようになったの。へんな感じ。ところで、さいきん図書館で借りた「のうさいぼう」っていう絵本が気に入っていて、よく読んでます。じゃ。
2007年08月11日
コメント(10)

うちの会社も一応個人情報を扱うことが日常茶飯事である業界の一員ということで、『プライバシーマーク(通称Pマーク)』というものを2年前から取得している。その資格更新のための社内監査が近々あるので、各自の机上や足元や書類棚やPC周りなどに余計な個人情報が露出していないように、「監査が入る前に徹底的に片付けよ」という上からのお達しが来た。日頃から身の回りの整理整頓がキチンとできているヒトは何ら問題ないのだが、そうでないヒトはもうどうしようもない状態で、日々あちこちで書類の雪崩れが起きたりしているから大変である。職場の先輩と昼飯を食いながら、社内監査の話の流れで「整理整頓」の話題になった。先輩曰く、「Pマークのために整理整頓せよっていっても、取り繕うだけだしやる気出ないんだよね」と。そこで「じゃ、監査の話は置いといて、普段の整理整頓って何のためにするんだと思います?」とワタシが聞くと、「散らかってるから・・・じゃないの?」と、質問の意図がイマイチわからない様子の先輩。そこから、世間ではほとんど問題にされることもない「整理整頓の目的」というテーマについての話になった。ワタシの思う「整理整頓」とは以下のようなことである。整理整頓は、「散らかってるから片付ける」というのはもちろんその通りなのだが、もう一歩踏み込んで「じゃあ、散らかってるから片付けるのは、何のためか」。整理整頓をするという行為は、その先の目的が必ずセットになっている。例えば過去に貰った名刺や、机上に積み上げた資料や企画書などを整理しようとするとき、「要るか要らないか」「どんなカテゴリーで整理するか」等々の判断は、無意識であったとしても、その先に自分がやろうとしていることの延長線上にすべてつながっている。つまり、仕事に関する物を整理するということは、この先やるであろう仕事の方向性を自分で決めていく作業である。これが自宅の片付けでも、話はまったく同じである。散らかった本やCDや服や家具を、片付けたり捨てたりインデックスを付けたりするというのは、そこから先に自分がどういう趣味や暮らし方をするかを決めていく行為そのものである。ではさらに、「じゃあ、いま整理整頓している仕事や趣味や暮らしのもろもろは、一体何のためにやっているのか?」というと、究極的には「この先自分がどんな風に生きていくのか」ということに、そのままつながっている。つまり、いま机の上の要らない資料を何の気なしに捨てたり保管したりしている作業は、そのままそのヒトの今後の生き方にまでつながっていたりするということである。だから、誰もが単なる面倒くさい雑務としか思っていない日頃の「整理整頓」の作業というのは、なかなか侮れない行為なのである。本日も明け方泥酔帰宅してここまで書いたまま寝てしまったが、いま読み返すと極めてあたりまえすぎてつまらんこと書いてるなぁワシ。けどそれはいつものことなので、まぁいいか。
2007年08月10日
コメント(14)

実は、高校生以来の極悪仲間でありブログでは毎晩のようにたわごとを書き込み合う間柄ではありながら、直接会うことはいまや2年に一回ぐらいしかないトイモイ氏と久しぶりに密会を果たした。ブログ界の隠れ2大アイドルという豪華キャストの揃い踏みなのだが、意外なことにマスコミおよび周囲の知人および家族の関心は皆無である。待ち合わせ時間に少し遅れて、先週いったばかりのベルギービールの店に入ると、先に到着していたトイモイ氏は100種類のビールメニューを端から端まで既に46回読み終えたところであった。たいそう賑わっている店内の喧騒の中で「どもども」と声をかけると、47回目のメニュー熟読でアルコール度数の相当高いビールだけを選別しようとしていたトイモイ氏は、激しく我に返って取り繕ったように紳士的に微笑む表情に、健常者の皮をかぶったアシッド仙人の片鱗をワタシは見逃さなかった。ここはやはり本場ベルギービールの応酬を繰り返すしかない中で、すばやく酔いを深めながらお互いのこの夏の極秘プロジェクトを暴露しあったのだが、我々は守秘義務契約を交わしているので、ここでは一切公にできないのが残念である。さらに、トイモイブログふぁんなら思わず身を乗り出してしまう、トイモイブログにまつわる、極めて重大な知られざる秘密を初めて聞いてしまい、20年来の親友でも知らされていなかった驚愕の事実に、ショックのあまり椅子から転げ落ちそうになった。トイモイふぁんなら身をよじって知りたくなる事実であることは必至なのだが、ここは守秘義務契約を交わしているので、やはり公にできないのが本当に残念である。ベルギービールを20杯飲んで卒業した我々は、すばやく徒歩2分圏内にあるスペイン風バルに移動し、カウンターの隅を陣取って引き続きサングリアやビールを飲み続けるのであった。そういえば、トイモイ氏の職業にまつわる驚愕の事実も初めて聞かされたのであったが、そこはほれ守秘義務契約なのでやはり何もここでは語れないのであった。しかし本当のことを言うと、驚いたふりだけしていたが、実のところ泥酔していてよく憶えていないというのが真実である。
2007年08月08日
コメント(15)

週末の家庭平和のために、やかましいムスメ1号・2号を連れ出して図書館に行った。ここのところ毎週土曜日は図書館に行くのが恒例になっている。しかしワタシは図書館でタダで借りた本というのは、余裕をかまして結局いつまでも読まない体質なので、いつも借りるのはムスメたちの本だけである。ムスメ1号も、毎回図書館に行くのを楽しみにしているのだが、実は本を借りるのが楽しみなのではない。ムスメの目的は「本の検索」なのだ。我が家では、ムスメには勝手にPCに触らせないようにしているので、図書の検索でもなんでもいいから、とにかく端末をいじりたくてしょうがないだけなのである。フロアの隅に蔵書検索用の端末が並んでいて、タッチパネルの画面で著者の名前や作品名を入力し、検索結果を印刷するというのを、何が楽しいのか図書館にいる間中、延々とやっている。自分の借りる本選びはワタシにまかせっきりで。この日は「おばけ」のキーワードで検索しまくっていて、タイトルに「おばけ」の付く本(数百件)を片っ端から調べていたが、時々様子を見に行くと、そのうち今度は作者の名前のところにも「おばけ」を入力しているようで、これが出てこないので画面をバンバン叩いたりしていた。おいおい壊すな壊すな。おばけは本書いてないのだよ。
2007年08月04日
コメント(6)

アレの話である。アレというのはもちろん、こう暑くなってくるとビールの話である。昨今、店に入るなり「とりあえず生!」などと乱暴なオーダーをする輩が夏になると特に目に付くのだが、それはどうなんですか。ワタシの拙い経験から言うと、生ビールがキチンと旨い店というのは必ずしも多くは無い。なんというか、貯蔵タンクのサビ臭さがキツかったり、注ぎ方が上手くなかったりして、ともかく生ビールが旨くないことは往々にしてあるからである。その点、瓶ビールは間違いがない。いつでもどこで開けても、いつもの瓶ビールのクオリティである。あと、TPO的な問題もある。たまに寿司を食べに行った時などは「生を大ジョッキで!」というよりは「瓶ビールでお願いしますコホン」という方が気分だったりもする。実を言うと、ベルギーに行った事は人生でたったの2度しかないのだが、その2度はほんの2ヶ月の間にで2度であった。実を言うと、ベルギーに行った事は2度しかないが、ベルギービール専門店に行ったことはほんの20回ぐらいはあるのである。ベルギービールのお店には生ビールもあるのだが、その他大勢は圧倒的に瓶ビールであり、なおかつ高い!アホかと思うぐらい高い。だって瓶ビール一本1,500円とかするんですぜ。アホかと。しかしだんだん何を言いたいのかよくわからないまま生でだらだらいきそうなので本日はこれで終わりである。心斎橋ワタルふぁんの皆さんすまぬすます。
2007年08月03日
コメント(22)

先日あるヒトから勧められて、桐野夏生の小説『グロテスク』を読んでみた。これは、ちょうど10年前に渋谷で起こり、当時かなり週刊誌などで話題にもなったいわゆる「東電OL殺人事件」をモチーフにした小説だが、読んでみるとこの物語は単に事件をトレースし脚色しただけのものではなかった。⇒「東電OL殺人事件」について確認してみるこの小説は主に、かつて同じ女子校に在籍していた4人のオンナの物語が、ずるずるに絡み合って構成されている。「ユリコ」は、スイス人の父親と日本人の母親から生まれたハーフで、特に父親の遺伝子の良い所を最大限に受け継いだ絶世の美貌を持ち、幼い頃から周囲の女性たちをその美貌で圧倒しながら、一方で男どもを手玉に取り、生まれ付いてのセックス好きが高じて本物の売春婦となり、若い頃は高級娼婦だったものの中年になってからは安物娼婦に見を落とし、最後は路上の街娼として知り合った客の中国人に、望みどおりに殺される。「わたし」は、この物語の語り部としての存在であり、ユリコの姉である。ユリコと同じ両親に生まれたハーフでありながら、不細工な母親の良くない所を最大限に受け継いだ冴えない風貌の女で、ユリコの完璧すぎる美貌に生理的な嫌悪感を抱きつつも女としての劣等感を抱え、頭の良さと性格の悪さで妹を跳ね付けて別の生き方を目指すが、やがてすべてにやる気をなくし、周囲の人間に毒を吐きながらひたすら孤独で地味に年をとっていく。「ミツル」は、常に進学校でトップの成績を修めながらも常に余裕を漂わせる圧倒的な優等生で、「わたし」にとって唯一の親しかった友人。高校卒業後は宣言どおり東大医学部に現役合格し、順調にエリート医師になったものの、その後結婚した夫とともに新興宗教に入信し、殺人事件の実行犯として逮捕され夫とともに服役する。出所後、「ユリコ」の事件の公判で「わたし」と再会する。「佐藤和江」は、死ぬほど勉強して他の3人と同じ女子校に入り、入学後も自分の存在をアピールするために必死で勉強や運動で努力をするが、何をやっても周囲からは滑稽に見られ無視されるだけの哀れな存在。大学卒業後は父親のコネで大企業に就職し管理職にまで進むが、社内では何も評価されず完全に周囲から浮いた状態。父親が早死にした後、精神のバランスが崩れ出し、平日の夜と週末に売春クラブで働くようになる。売春で金を稼ぐことに猛烈な生き甲斐を感じるとともに会社での奇行は激しくなる一方。ついに精神状態も完全に破綻をきたし、最後は「ユリコ」と同様に売春相手の客に殺される。彼女のキャラクターについては、東電OLの実態をほぼ忠実に再現した設定になっている。「わたし」も「ミツル」も「佐藤和江」も、みんなかつての「ユリコ」の強烈な美貌にどうしようもない無力感を抱き、それを何か別の方法で対抗しようとしたり存在を否定しようとしながらも、心の底では一生「ユリコ」に屈服する意識にがんじがらめになりながら、オンナとしての生き方を踏み外していく。そして、周囲からは怪物よばわりされながらも、最後まで世間の何者からも一番自由な魂だったのが「ユリコ」である。男のワタシの見方が当たっているのかどうか知らないが、結局作者が言いたかったのは「オンナの心の世界では、圧倒的な美貌の前には、あらゆる努力や才能や育ちなどは無価値である」ということなのだろう。それにしてもこの小説、最初から最後まで、彼女たちの「恨み、妬み、嫉み、怒り、嘲り、罵り」などなど、人間の思いつく限りを尽くしたドス黒い悪意のエネルギーに満ち溢れていて、読み終えた時にはホントにどっと疲れが出た。相当ボリュームもあるし。読み始めた最初の方は、「おいおい、こんなオンナのイヤらしい愚痴と悪口の世界につき合わされるんかい」と辟易しかけていたのだが、途中からは「よくまぁこれだけ罵詈雑言の物語が作れるなぁ」と呆れながらも感心しはじめ、最後はちょっと稀に見る鬼畜的世界観に呑まれた感じである。まぁすごいわ。しかしこれを勧めてくれたヒトの気持ち、わかるなぁ。だってこれ読んだあとのなんとも言えない読後感を、自分ひとりで抱えていたくないもんなぁ。 誰か読みませんか。
2007年08月01日
コメント(8)

実はここ何年かワタシが睡眠不足である理由の何割かは「24」の観過ぎだったという説もあるが、今日までひた隠しにしていたものの、ちなみにこれまでのシリーズは欠かさず全部観ている。ところが、本日たまたま読んでいた雑誌の付録に「シーズン6」第1話のDVDが付いていたので観てしまった。うわー、ありゃー、またこんな展開ですかー、と、再び極度に寝不足の日々が始まる予感。今度のジャックはいきなりキリストの姿で我々の前に降臨するのであった。
2007年07月28日
コメント(6)

午前中から日本橋へ。日本橋といえば、小泉純一郎が以前「橋の真上を首都高が覆っているのは景観上よろしくないから、高速道路移転せよ(3000億円かかるんだけど)」と提案したのに対し、石原都知事が「そんなしょーもない金をかけるぐらいなら日本橋をどこか別の場所に架け替えよ」という不毛なやりとりがあったのを思い出したが、その後どうなったのだろうか。ちなみに、東京にあるのは「にほんばし」で大阪は「にっぽんばし」である。ついでに言うと、大阪の日本橋は電気街であり機能的には東京のアキバと同じである。日本橋といえば鰻だそうで、昨晩からの胃もたれであまり食欲がないのだが、お昼は200年の歴史を誇るという老舗の鰻屋に連れて行かれる。関東では鰻を一度蒸してから焼くので関西風に比べるとかなり舌触りも柔らかく、箸で持つと簡単に崩れてしまうのである。備長炭で焼き上げた鰻は確かに旨いうまい。しかし隣の席では車椅子で言葉も不自由な障害者の男性客とその連れの女性が、どうやら男性の資産を巡って運用の相談をしているようであり、その連れの女性がまんまと金を騙し取ろうとしている魂胆が見え見えの会話が延々と聴こえるので、気になってあまり鰻を味わっている気分ではなかった。その後、銀座へ移動。1時間後、さらに丸の内へと続けて移動。丸の内では、話題の商業施設「新マルビル」に初めて入ってみたのだが、特に目当てがあるわけでもないので、とりあえずジャンキー御用達のチョコレート専門店を探す。ここに入っていたのは『ショコラティエ パレ ド オール 』という店で、店内ではチョコレートドリンクのメニューが充実していたのだが、時間がなかったのでとりあえず目に付いたセットを購入。内容も聞かずに見た目で選んだら、これが大失敗。これはチョコレートは外側だけで、中身はゼリーだったので意気消沈。値段は1粒たったの300円でした。
2007年07月26日
コメント(2)

去年あれだけ頻繁だったのが嘘のように今年はなぜか出張仕事が全然なくて、5ヶ月ぶりの東京出張である。六本木での仕事を終えた後、夜の街に出る。一時期に比べると、ずいぶん活気が戻ってきているようで、往来に人が多い。キャッチセールスや水商売のスカウトらしき人々もやたら目に付く。六本木交差点を南に歩くと、1m間隔で黒人さんが暗闇に目を光らせてずらずらと立ち「コニチハ」「オッパイパブアルヨ」「オッパイサワリホウダイヨ」と順番に声をかけてくるので、なんだか日本じゃない雰囲気でタノシイヨ。オッパイパブのお誘いは丁重にお断りをして、夜遅めに東京入りして合流する同僚たちと遅めの晩飯を食べる店を探していたのだが、ちょうどサッカー・アジアカップのサウジアラビア戦当日だったので、大箱のスポーツパブに入って観戦する。元Jリーガーのナントカ言う外人選手など知っている顔もちらほら。あーあ韓国がイラクに負けとるなぁ、と思った2時間後、日本もサウジに撃沈されてしまい、満席のパブ全体がシュンとなった。ギネスビールと高カロリーのジャンクフードという組み合わせの連続で、しまいに胸が悪くなる。
2007年07月25日
コメント(6)

随分楽しみに待っていたインターポールの3rdアルバム『Our Love to Admire』が、ようやくリリースされた。インターポールのアルバムは、一度聴けば「良い!」のはわかるのだが、何がどう良いのかはすぐにはわからなくて、そこから繰り返し何度も聴いているうちにじわじわと色々な発見があり、結果的に「すごく良い」「すごく好き」に変わっていくのが不思議である。あいかわらず日本での人気はパッとしないが。今度のアルバムも、シングルカットされた代表曲「Heinrich Maneuver」なんかはとてもキャッチーでわかりやすく、確かにダントツでカッコイイのだが、それ以外の曲は正直なところ、「?」という印象のものが多かった。はっきり言って最初は「はずれか?」とも思ったのだが、しかし何度か聴いているうちに、徐々にアルバム全体としてレベルが高いことを感じる。少なくとも、2ndアルバム『Antics』よりも、こちらの方が好きだ。⇒「Heinrich Maneuver」のPVをみる※なんか退屈なビデオやなぁと思っていたら、最後のオチをみて、実は結構凝った作り(背景の時間軸が逆)だったことがわかる。詩の内容はシニカルで女々しくてモリッシーみたい。アルバム全体での好みで言うと、今のところはこんな感じかな(以下、曲順)。1. Pioneer To the Falls・・・よくまぁこんな暗い曲をオープニングに。2. No I In Threesome・・・いわゆるインターポール節全開。4. The Heinrich Maneuver・・・ソリッドなギターリフとリズム隊がしびれる。 8. Rest My Chemistry・・・もろ、ピクシーズ(笑)11. The Lighthouse・・・ラストのこの曲、相当やばい。⇒『Our Love to Admire』を試聴してみるそれにしてもあらためて思うのは、インターポールはバンドとしてのアンサンブルがホント絶妙である。それぞれのパートがストイックに(好き勝手に?)自分の演じる役割に徹していて、具体的に言うとボーカルを含む各楽器パートが明らかに別々のメロディーラインを奏でているので、それぞれのパートだけを取り出して聴くと単調なんだけど、全部を重ねたときに見事にひとつの完成された曲の形になっている。しかし、あまり計算づくでやっているとは思えないので、メンバーの構成として極めて運の良いバンドなんだろう。今回は、ジャケットもすごくいいね(笑)
2007年07月23日
コメント(8)

週明けのプレゼン準備のため、どうしても休日出勤で追い込みの作業をしなければならなかったので午後からクルマで家を出たが、あまりに天気が良かったので会社の前にちょっと西宮のヨットハーバーに向かう。ワタシはここのヨットハーバーが好きで、夏場は月に一度のペースで散歩に来ている。残念ながら現在は自家用クルーザーを所有していないのだが、よく考えたら一度も所有していなかった。しかし波の音を聴きながら、遥か沖にディンギーがたくさん浮いているのを見ているだけで気持ちが良くて、思わず思考が停止してしまう。いかんいかん。打合せの時間も迫ってきたので仕方なく大阪に向かい、職場のビルの近くのパーキングにクルマを停める。そういえば昼飯を食べていなかったことを急に思い出し、会社には向かわずに近所のインドカフェにカレーを食べに行く。ここのカレーは、カフェにしては結構本格的で、チキンのカレーも旨いが、とくにバターの味が効いたチャパティがうまい。この店は緑の多い公園に面していて、店内に流れるヒンディーミュージックを聴きながら食後のチャイを飲みつつ公園の緑を眺めているとなんだか気持ちが良くて、思わず思考が停止してしまう。いかんいかん。もうみんな集まって打合せを開始している時間なので仕方なくカフェを出て、緑の多い公園の中を通って会社に向かう。公園の中は生い茂った木々のせいか空気がひんやりしていて、外の暑さを忘れるほどである。ベンチがあったので思わず腰を下ろし、読みかけの文庫本のページを開く。それにしても、深緑の下で小鳥のさえずりを聴きながらゆるやかな時間の流れに身を委ねていると、とても気持ちが良くて思わず思考が停止してしまう。いかんいかん。もはや完全に打合せも終わってそろそろスタッフも各自作業に取り掛かっている時間なので、仕方なくベンチから腰をあげ、会社に向かうために公園の外に出たところで、偶然にもすぐ目の前のクイック・マッサージの店がタイムサービスのビラを撒いているのを受け取ってしまった。それにしてもここのマッサージ店は、以前にも入ったことがあるのだがツボの刺激がホントに巧くてあまりの気持ちよさに思考が
2007年07月22日
コメント(14)

そういえば半年ほど前、映画『ユナイテッド93』をDVDで観た。映画『ユナイテッド93』とは、ものの解説によれば“アメリカ同時多発テロ事件でハイジャックされた4機のうち、WTCのツインタワーとペンタゴンに突っ込んだ計3機と違い、唯一目標に達しなかったユナイテッド航空93便の離陸から墜落までの機内の様子を、残された資料や証言(コクピットとの交信記録や、乗客から家族への航空電話の通話記録)などにより可能な限り再現、製作されたドキュメンタリードラマ”というものである。 公式に発表されている内容では、ユナイテッド航空93便は、ニュージャージー州のニューアーク国際空港を出発し、カリフォルニア州のサンフランシスコ国際空港に到着する予定だった。旅客機は最大182人乗りだったが、当日は、乗客37人(テロリスト4人を含む)、乗員7人、合計44人だけの搭乗。飛行機は午前8時42分に空港を飛び立ち、途中でUターンするように進路を大きく変えながら午前10時3分、時速933kmのスピードでペンシルバニア州ピッツバーグ郊外シャンクスヴィルに墜落。映画でも基本的にこの経緯をなぞる形で、機内で起こった出来事を再現するという立場をとっている。映画では、実行犯たちがアッラーに祈りを捧げてアジトを出発し、飛行機に乗り込み機内でスタンバイする様子を丁寧に追っていく。やがて、意を決して凶行に及ぶ実行犯。乗客を襲い、パイロットを殺害。コクピットを占拠し、彼らが完全に同機を支配したかに思えたが、乗客たちは隙を見て機内から電話で地上の家族と連絡を取り、他の3機が起こした事件の情報を知る。自分たちの機もどこかのターゲットに向かっていることを確信した乗客は、密かに連携し合い一致団結して大反撃に出る。勇敢な乗客たちはついにコクピットに突入し犯人に襲い掛かるのだが、もはやこれまでと観念した実行犯はそこから急激に高度を落とし自爆をはかる。制御不能となった同機はきりもみ状態で垂直落下し、目前に地面が迫ってくる絶望的な映像の末、画面暗転でジ・エンド。いやぁ、うまい。ドキュメンタリータッチ好きのワタシもシビレタ。カメラワークは臨場感満点だし、わざとらしい演技やセリフを排した中で事件の流れを克明に辿っていく監督の演出はお見事。すっかりのめり込んで観ていたので、最後のシーンなんか完全に自分自身が落ちていくような錯覚に囚われ、まるで絶望の中で死んでいく感覚を擬似体験しているような気分で、暗転後のエンドロールではちょっと脱力状態に。ところで。「残された資料や証言をもとに再現したドキュメンタリー」とは言っても、乗員乗客犯人は全員死んでいるわけで、ホントのところ内容の信憑性はどうなのよ?と思っていろいろ調べていたら、なんだかどうも事実としては曖昧な点が多い割に、この「悪と戦う勇気ある乗客たちの美談」を必要以上にオーバーに賞賛し感動しまくっているヒトが多いのに、ちょっと違和感を覚える。と感じつつさらにあれこれ見ていたら、この「ユナイテッド93の事件は、捏造ではないのか?」という主張をしているサイトをいくつか見つけ、中身を読んでみると、事実の描き方の信憑性云々以前に、公式発表で事実とされている話そのものが根本的に疑わしくなってくる。このサイトを斜め読みして「えー、そうなの?」と思い・・・⇒ 『政府による撃墜説』について読んでみるこのサイトをみて、さらにわからなくなる(資料がすごい充実)。⇒『実は着陸していた説』について読んでみるまぁ、そもそも911テロ事件そのものが「アメリカの自作自演」と囁かれる中で、ユナイテッド93事件も“造られた美談”だとすれば、確かにこの映画のストーリーも、「正義を守るために悪に立ち向かい、反撃に出るアメリカ」という、その後のアフガニスタン侵攻におけるアメリカを正当化するスタンスの、まんま“ミニチュア版”であることに気づく。この映画から自主的に読み取るメッセージがあるとすれば、「愛と正義」などでは全然なくて、『何も信じるな』かもしれないね。
2007年07月20日
コメント(12)

先日無事に10万ヒットを超え、あとほんの3年ぐらいで20万ヒット目前の今日この頃であるが、今回は10万ヒット突破後にBBSに書き込みしていただいた方先着2名に、ワタシからTシャツを贈呈するという企画になっていた。実はその日の掲示板には、鬼畜の方だの家畜の方だの風俗嬢の方だの大勢の方々からの熱烈な祝福のメッセージを頂戴したのであったが、応募多数につき今回はにんげん代表の2名様に限定させていただき、書き込みが速かったナッチさんときゃらめるさんに賞品をお贈りさせていただいた。で、賞品のTシャツはこちら。蒸し暑いこの季節に相応しく、涼しげかつ狂ったような色合いのパステルグリーンの爽やかな逸品である。「SOUL」と書いてあるがもちろん韓国製ということではなくて「魂」である。ちなみに、SOULのOの文字の中と背中には本物のダイヤが埋め込んである(ように見える)。さて当方も10万ヒットの魂を込めているので、ぜひ当選者であるナッチさんときゃらめるさんのお二人にも魂を見せてもらおうということで、今回の罰ゲームは魂のTシャツを着て「ビリーズブートキャンプ」に励んでいる姿を写真に撮って送っていただくという恥ずかしい条件を課したのであった。じゃあ画像後悔行ってみますか、まずナッチさん。うりゃ、と腰の入った構えで滴る汗が伺えますが、下のほうでムスコくんが何か言うとりますな。そしてビリーのひと言。次、きゃらめるさん行ってみようか。あちょー!うわ、むちゃくちゃ気合入ってますがな。しかも頼んでないのに、ヨガのポーズまで。そしてビリーのひと言。てなわけでお二人様、馬鹿な企画にご協力いただきありがとうございました。見てるだけで部屋が暑苦しくなってきたので終わり。
2007年07月19日
コメント(17)

芦屋の最南端に埋立地があり数年前から人工の海岸ができていたらしく長年阪神間に住んでいても全然知らなかったのだが行ってみるとそれなりに砂浜が広がっていて砂浜ではアサリを獲るヒトが多く端っこの方にある干潟では岩をめくるとカニやらヤドカリがわんさかいてムスメ1号も大コーフンしかし出かける時は快晴だったのに到着した途端に雲行きが怪しくなり夢中でムスメとカニを獲っていたら突然の集中豪雨であっという間に全身ずぶ濡れで服を着たまま泳いだかのような状態になってしまい大慌てで退散という一日であった。(息継ぎ禁止)
2007年07月16日
コメント(6)

聞き手 ムスメ2号さん、こんにちは。娘2号 はい、どもども。こんにちは。聞き手 ちょっと大きくなったようですけど、いくつになったんですか?娘2号 えと、1歳と1ヶ月になりました。ちょっとムチムチ太り気味なのが気になってます。聞き手 どうです、いろいろできるようになりましたか?娘2号 そうねぇ。一応、ハイハイはハイスピードなんだけど、歩くのはまだ無理なのよね。 最近は、30秒ぐらい立ったまま手をパチパチ叩くのができるんだけど。聞き手 はぁそうですか。言葉の方はどんな感じなんですか?娘2号 一応、家族の前ではまだまともに喋ってないですねぇ。手からモノが落ちた時に「あーぁ」って切なげに呟くのが得意かな。聞き手 お姉さんのムスメ1号さんに比べると、随分遅くないですか?お姉さんは、1歳の時点で100単語喋ってましたよ。娘2号 一応ほら、次女だし。あんまり姉に対抗意識燃やすより、自分は「えへへ」って言ってたぐらいの方が関係がうまくいくのよね。聞き手 へー、そんなもんですか。なかなか気配りたいへんですね。娘2号 まあね。聞き手 ところで、さっきから何を読んでるんですか?娘2号 あ、コレ?これ「そんごくう」の本。グリコのおまけの童話絵本で、小さいから持ちやすくてちょうどいいのよね。聞き手 で、読めるんですか?娘2号 何言ってんのアンタ、もう朝から3冊目よ。ほら、これがそんごくう。聞き手 すごいですね。でもそれ、上下さかさまなんですけど。娘2号 そうでしたね。終了
2007年07月14日
コメント(14)

仕事の付き合いで、豪雨の中でゴルフをしに行った。足元はぬかるみでぐちょぐちょ。カッパを着ていても、パンツの中まで全身ぐっしょりである。そんな感じなので、もはや真面目にゴルフをやるどころではなく「はやく終わらないかなー。昼飯なにかなー。」というようなことばかり考えながらトボトボ歩く亡者の行進。さすがに我々のような物好きはほとんどいなくて、広いゴルフ場に他の組のメンバーはまったく見当たらない。かわりに、芝生の上にはいろんな生き物が出てきていて、大人の珍々ほどの大きさがある巨大ミミズや、見たこともないような鮮やかな色の何かの幼虫に、池から這い出てきた大きな水鳥たち。そしてひときわ目に付いたのが、大小さまざまなキノコの大群である。とくに気になったのが、フェアウェイの至るところに、まるでミステリーサークルのように正確な円を描いて群生するキノコたちである。小さな物で直径1m、巨大なものになると直系10m以上もの円になっており、これらの円が重なり合うように生えている。もしかすると昨晩UFOが降りてきた跡かもしれないが、ひょっとすると悲惨なゴルフに嫌気がさしてつい間違えて1本食べてしまったかもしれないので、幻覚が見えているのかもしれない。だからこの日のスコアをヒトに訊かれても何も憶えていない。
2007年07月13日
コメント(6)

職場で、昼飯から帰って来てトイレに行くと毎日決まって何人か、トイレの手洗いのところで歯を磨いている男たちがいる。2つしかない手洗いスペースの前に3人も4人も歯ブラシをくわえた男が突っ立っていて、いちいち「すいません、すいません」などと言ってどいてもらわなければ手も洗えないので、まったく鬱陶しいことこの上ない。急いでいるときなど、つい後ろから蹴りを入れたくなる。ワタシの職場の同じフロアには、自分の会社の他に地方銀行の支店が2つと大手デベロッパーの系列会社が2つ入っていて、トイレはこれら各社の社員が共同で使用しているのだが、このトイレで歯磨きをしている男たちの中にうちの社員はひとりもおらず、全員が他のいずれかの社員である。いったい、なんなんだこの男たちは。歯磨き大好きクラブか?歯が命の芸能人か?理由はどうあれ、歯ブラシセットが入ったポーチを小脇に抱え、まるでトイレで歯を磨くのが当然だと言わんばかりにスペースを陣取り、普通に用を足し手を洗う我々の行く手を阻む傍若無人なあの態度。自分の顔をよく見てみろ。スーツにネクタイ姿のくせに口の端から白い泡なんか垂らして情けないと思わんのか。そういうのは自分の家でやってくれ家で。しかし、彼らは全員が年配のおやじ風ということでもなく、見た目は結構若いのもいる。どういう育ち方をするとこういう感覚になるのか不思議である。うちの社員にはひとりもいないことから考えると、これって企業風土みたいなものなんだろうか。「家庭的な雰囲気の職場」ってやつ?(意味が違うか)けど、この感覚からすれば、彼らはほぼ間違いなく自分のデスクで耳掻きとか爪切りとかもしてるんだろうなぁ。あぁ、職場でこういうの見るのって生理的にすごく苦手なんだよね、ワシ。
2007年07月11日
コメント(2)

朝から、頭の中で『おしりかじり虫』の歌がループしていて止まらない。最近、子供といっしょにNHKの「みんなの歌」をぼーっと見ていたら、ふいに流れてきたのが、この『おしりかじり虫』の歌。いかにも素人臭いフラッシュアニメを背景に、古臭いテクノ崩れのようなリズムと気が抜けたようなリコーダー音が不気味に絡みあう妙な音楽と、イコライザーをかけたヘンな声。NHKのみんなの歌だというのに、教育的とか道徳的な歌詞は一切無く、最初から最後までほとんど「おしりかじり虫~♪」しか言っていないのだが、これが一度聴いただけでなぜか耳について離れない。⇒『おしりかじり虫』の歌をYouTubeで視聴する。作者の「うるまでるび」というのは音楽・アニメ制作のすべてを手掛ける夫婦ユニットらしいのだが、この類の作品を狙って作れるのであれば、なかなかすごいセンスである。特に、この曲の後半部分でマイナーキーに展開していく部分などは楽曲的にもツボを押さえたカッコ良さで、一度聴き終わると中毒患者のようについついリプレイボタンを押してしまう。ムスメ1号も、朝から一日中とり憑かれたように「おしりかじり虫」の歌を唄い、虫の似顔絵を描いている。どうもうちの親子は脳をかじられちゃって超いい感じのようである。◎うるまでるび公式サイト
2007年07月08日
コメント(8)

夕方、デスクに向かって企画書を作っていると、ふいに大先輩のクリエイターOさんが、「心斎橋ちゃん、これ知ってるか?ホレ。」と言いながら、ワタシの目の前にボンっと何かを置いた。見ると、小型の水筒のようなものである。「なんですかコレ?」と聞くと、「テンガや」と一言。テンガ…?知らん。某コンドームメーカーの商品デザインなども手掛け、アダルトグッズの業界事情に詳しいOさんの説明によると、このテンガというのは『株式会社 典雅』という日本のメーカーが開発した男性専用の「オナニーグッズ」だそうで、一見それとはわからないスタイリッシュな外観デザインで、昨年度のグッドデザイン賞にもノミネートされ、初年度だけで100万個(現在累計200万個突破)の売り上げを記録した大ヒット商品なのだそうである。⇒思わず笑ってしまう商品コンセプトはこちら。それにしても、外観からはいったいどうやって使うのかさっぱり想像がつかないのだが、説明によると、底の部分にある蓋を開け、その中に己のジュニアを挿入し、そのまま前後にぱこぱこ動かして使うのだそうである。⇒HPによると、中身の構造はこんなややこしいことになっておるようである。ちなみに、日頃から何事にも研究熱心な我が部のマーケティング・スタッフTくん(35)は、社内でもいち早く商品テストを済ませたそうなのだが、調査結果は「ハッキリ言って、凄すぎます。最高です。イッた後も容器の中に収納されるので事後処理も要らないんです!」などと、眼を潤ませて熱く語るのであった。そうかい、わかったよわかったよ。うーむ。しかし性能は最高でグッドデザインかも知らんが、どうも野郎がこいつを下半身モロ出しの股間にあてがって必死でぱこぱこしている姿を想像すると、とてつもなく間抜けで情けない気がするのう。と思いながら考えているうちに、この商品にぴったりの使い道を思いついた。 「宇宙」である。このスペーシーなデザインといい、ジュニアに密着し密閉された状態で液漏れの心配もなく処理できるのであれば、スペースシャトルの中などの退屈な宇宙空間でのレクリエーションとして、こりゃもう最適なのではないか。というか、むしろ「NASAが開発」って言われた方が、より機能性にも信頼感が高まって、さらに倍の勢いで売れるんじゃないか?特にアメリカで売りだせば、爆発的に売れると思うのだが。そもそも、これまでのところ宇宙空間での性的行為に関する実験については、NASA当局は頑なにその事実を否定しているという話を聞いたことがあるが、ワタシは眉唾だと思っている。毎回、小動物とかのしょーもない実験ばかりがクローズアップされているが、そもそも人類が宇宙に踏み出す最大の目的は、地球以外の場所で人類が存続できる可能性を探るためのはずで、だとすれば性的実験に手を付けていないワケがないと思うのは考えすぎだろうか。まぁ実際のところ、宇宙の無重力状態で男女が合体するのはなかなか至難のワザのような気もするが、もし本当に性的実験がまだ成されていないのであれば、この「テンガでぱこぱこ」が宇宙空間での輝かしい性的実験第一号に認定されてもおかしくない気がするのだけれど。
2007年07月06日
コメント(8)
本来、過去を振り返るのは苦手(というか記憶がついていかないだけ)なのだが、このエエ加減ブログが10万アクセス達成まで存続していたのはある意味、奇跡のようにも思える。そこで「10万アクセス直前/ひとり前夜祭」と称して、過去の日記の中から比較的自分で書いていて印象に残っているものを、5つ選んでみることにする。以下、日付けの新しい順から。1.「オニギリ指標」(06年3月15日付)日頃ワタシが人物を判断する際の有力な決め手として、20年来活用しているひとつの指標についての考察。⇒この日記を読む2.「締め切り直前の異常行動」(06年2月6日付)仕事で追い詰められた場合、人間はどういう行動に出るのかという極限の心理状況についての具体的解説。⇒この日記を読む3.「ワタシとはいったい何者か」(04年3月9日付)家庭や職場、また過去から現在にかけて、様々な環境下におけるワタシという人間の実態を総合的に検証。⇒この日記を読む4.「ムスメのロック魂」(04年1月31日付)現在は小学生となったムスメ1号の、3歳当時の生態の記録。現在のムスメ1号の人格的原点といえるエピソード。⇒この日記を読む5.「私はこの世に必要か」(03年12月29日付)楽天ブログなど、コミュニティサイトというものの社会的効用について、珍しく比較的真面目に語った記述。⇒この日記を読む
2007年07月04日
コメント(10)

このブログも今年で満4年目を迎えようとしており、期間だけはそれなりに長くなってきたものの、仕事や家事が忙しすぎたり、時間があっても気力がないときは平気で2ヶ月以上ほったらかしだったりしながらも、だらだらと何とか現在に至っている。しかし、平均記入率35%というヤル気のなさを誇るこんなブログでも、気が付けばもうすぐ10万アクセスである。これもひとえに、日頃読みに来ていただいている皆様のお陰ということで、ささやかながらお客様感謝イベントをご用意することにした。■企画名称:『10万アクセス記念★書き込み駆け込みキャンペーン』■実施内容:いわゆるキリ番制ではありません。10万アクセス到達が確認された直後より、BBSに書き込みコメントをいただいた方、先着2名様に記念品をさしあげます。■賞品内容:Tシャツコレクター心斎橋ワタルが選んだTシャツ(もちろん新品)。※各種サイズ対応可。■応募条件:書き込み先着2名の方には、賞品のTシャツを実際に着ている写真をブログ上に公表していただきます(顔出しの有無は不問)。また、賞品発送の際に現住所の確認が必要になります。■実施期間:10万アクセス到達時点から3日間。以上、ふるってご参加を。
2007年07月03日
コメント(14)

多くのヒト(特に男性)がそうであるように、ワタシは服を買うときに店員に近寄ってこられて「お似合いですよ」とか「それ売れてますよ」とか「よかったら広げてみてくださいね」などと耳元で囁かれるのが大の苦手で、「似合うかどうかはほっといてくれ」とか「売れてるかどうかは関係ないの」とか「言われなくても勝手に広げるし」とか、店員に介入されるといちいち癇にさわるのである。ひとりで静かに見さしてくれ。欲しけりゃ買うし、質問があれば聞くから、頼むし放っといてくださいといつも心で願いながら、必死で店員の攻撃に耐えているのである。ユナイテッドアローズ(以下、UA)という店がある。もとはビームスから独立したオーナーが始めたセレクトショップであり、いまや本家ビームスを抜いてセレクト業界首位独走の業績を誇る。ちなみに創業者は三浦(旧姓・設楽)りさこさんの叔父さんね。で、ワタシは服を買いに行く時期が1年に約2回ほどあるのだが、その時に必ず立ち寄る店のひとつがこのUAである。ここは店員の接客態度が、他の店に比べて露骨な商売っ気がほとんど感じられず、極めて自然体の接客なのである。かといって、某○ニクロのように、完全セルフの放置プレイでもない。つかず離れずの間合いが絶妙で、ひとりで商品を選びながら「じゃ、これにしようかな」と思って振り向くと、気が付けばそこに「サイズを確認しましょうか」と忍者のようにUAの店員がニコやかに立っている(いつもじゃないが)。以前、こんなことがあった。UAで買ったズボンの裾上げをしてもらった所、店員がミリ単位で裾の丈を確認してくれるので「あー急いでるからもう大体でいいですよ」と適当な返事をしていたところ、後日受け取りに行くと案の定、思ったよりも丈が短くてなんだかなぁという状態であった。こちらが適当な返事をしていたからなのだが、店員のお兄さんは血相を変えて「申し訳ありませんでした!」と土下座せんばかりの勢い。「完全にこちらのミスです!」って、おいおいそんなことないってば。しかし店員のお兄さんは、すぐさま同じ商品の在庫を本部に確認すると、「お時間を取らせて申し訳ございません」と平身低頭で再度ワタシの裾丈を計る。「何度もお店に足を運んでいただくわけにはいきせん」と、2日後にはキッチリ裾丈ジャストのズボンが自宅宛に宅急便で送られてきたのであった。長文の詫び状を添えて。ワタシは年に2回しか買わない客で、決して常連ではない。それでここまでやられると、さすがにちょっと感動してしまう。ちょっとだけなんだけど、これが意外と効く。先日読んだ本の中に、このUAのことを書いた『ユナイテッドアローズ 心に響くサービス 』があった。他店にない優れた接客サービスが、なぜUAの店で実現できているのかを解き明かす内容で、なーるほどなぁ、やっぱりこれはスゴイ会社であるなぁと、あらためて感心した。簡単に言えばこの企業、「売上は二の次。まずお客が感動する接客をすれば、売上は自然についてくる」という理念を本気で貫いていて、単なるマニュアルではない実践的な接客プログラムを、継続的に、徹底して社員に浸透させているのがスゴイ。「服の試着が終わって出てきたら靴を磨いてくれていた」とか「買う前に着ていた服にアイロンをかけて自宅に送ってくれた」とか、ワタシのケースの上を行くような接客事例がいくつも載っていて、作り笑いのセールスマシンと化した他店の店員とは一線を画す逸話の数々に、さらにうーむと感心させられる。ただ、本書にも書いていたが、最近は急成長で店舗拡大しすぎたため、人材の質が追いつかなくなりつつあるとか。そらそうでしょう。心に響くサービスがそんなに量産できたら、逆に気持ち悪い。せっかくいい店なんだから、拡大路線もほどほどにしといて欲しいものである。
2007年07月02日
コメント(6)

豚の角煮に大根と玉子を入れて作ってみた。ルクルーゼで長時間煮込んだのが良かったのか、最後はトロトロになり、めちゃめちゃうまくできた。味の方も、我ながらホンマに旨い。おそらく焼酎に最高に合うはず。角煮大根がうまくできたのは良いのだが、 昨夜のフジテレビの『土曜プレミアム』を思い出し 、角煮大根で喜んでいる場合かと憂鬱な気分になる。
2007年07月01日
コメント(4)

ムスメ1号の小学校生活が始まって3ヶ月経つが、とにかく忘れ物がひどい。学校に持っていくものを家に忘れるのは、親が気が付くのでまだ防げているが、学校から家に持って帰るべきものを、毎日のように忘れてくる。特に宿題のプリントや教科書などを頻繁に忘れて帰ってくるので宿題もできず、毎日家で叱られてばっかりである。(朝、授業前に必死で宿題をやっているらしい)だいたい最近、予定の時間をかなり過ぎてもいっこうに家に帰ってこないのでどうしたのかと思っていると、下校途中の道路脇の溝でタニシを獲っていたとか、坂道でスモモを転がすのに夢中になっていたとか言って、肝心の宿題はほったらかしのくせに、毎日大量のタニシとかダンゴムシとか、気持ち悪いものばかりせっせと持って帰ってくる。ムスメ1号の頭の中には、教科書とか宿題などは微塵も存在していないと思われる。先日、学校に持っていったはずの補助カバンを持って帰ってこなかった。どこかに捨ててきたのか置き忘れてきたのか問いただしていると、ムスメの友達の母親から「うちの娘がおたくのムスメ1号の補助カバンを持って帰ってるんですけど」と電話があったらしい。なぜそういうことになったのかムスメの記憶を紐解いていると、ようやく事実が判明。ムスメ1号が帰り道で歩いていると、それを見つけた友達が寄ってきて、その補助カバンを持った方の手を握ってくるので、そのまま手をつないで歩いていたそうだ。で、別れ際に手を離してバイバーイと手を振ったときには、友達の手に補助カバンが移っていて、お互いに気づかないまま(というか友達は両手に補助カバン持って)家に帰ったということである。 …手品か。 もはや叱るというより、ただオモロイ。
2007年06月28日
コメント(8)
全543件 (543件中 1-50件目)
![]()

![]()