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毎夜毎夜の早朝というより夜中覚醒。しかし、最近は24時くらいに起きてしまうものの、3時くらいには再び眠気が蘇り、夢の世界と落ちていく。朝目覚めると下腹部が重い。僕はお腹の調子が悪いと厄介な眠気に包まれてしまう体を持っている。お腹に血液が集中したり、神経が集中したりするからなのか、脳が眠気に包まれる。今日は久々にこのお腹からくる眠気に襲われた。妻と子供達は起きて食事をしている。しかし、僕に”起きる”という意思が全くというほど無かった。布団を頭からかぶり、じわじわと襲ってくる眠気に身を委ねた。ハッと目を覚ますと時計は10時を指していた。見間違いではないかと思い、目頭をもんで再度確認したがやはり10時。やばいな。。。とりあえず、この重たい下腹部をなんとかしたく、トイレに入る。うーん、これってIBSの時の状態に近いな。冷静に頭で考え、何が原因なのかを探ってみた。結論は、先日の診療にて減薬となったことに陥った。先日までは、朝、昼、晩と一日3回トリプタノール25mm×2、レキソタン2mm、テノーミン、セレキノン100mmを服用していたが、昼の薬を昨日から抜いてみる事になったのだ。ここで話が一挙に数年前に戻る。僕が心療内科の門を叩いたのは自律神経失調症、特にIBS(過敏性腸症候群)の症状が酷く、業務に差障りが出てきたからである。その時に処方され、徐々によくなっていった薬のセットがレキソタン+セレキノンであった。それが昼一回抜いたせいで元のIBS状態に陥っていたようだ。冷静になり、煙草を数本灰にし、レキソタンとセレキノンを飲み込んで、外に出た。最近は運動不足解消の為40分かけて歩いて通勤していたのだが、さすがに今日は間に合わなかったので電車に乗る事に。。久しぶりの電車は相変わらずの独特の空気と熱気。我慢しながら揺られて行く。会社に到着。薬を飲んだせいか、体調はだいぶ落ち着いてきていた。後は、いつもと同じ一日。というか、忘れました。久しぶりに以前のような日記を書こうとしましたが、「思い出す」という訓練を怠っていた事と、刺激のないなーなーの毎日を過ごしていたせいか、記憶に残る印象的なことがまるでないのが原因か。。。まあ、それでも前に進めている事は実感できているから、それはそれで良いのかな。どうなのか。。
2006.01.12
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皆様、お久しぶりです。波はありますが最近順調なので、このHPの趣旨にあった出来事が無く、日記をおろそかにしていました。ご覧頂いている皆さん、僕は今のところ元気に人間やってます。今回が3度目の復職になるのですが、初めは時短勤務から始め、徐々に会社という空気に慣れ、そして少しの仕事をこなす。。そんな日々が2ヶ月ほど続き、時間を少し引き延ばして、仕事を少し増やしまた2ヶ月。。今回は人事、上司ともかなり僕の状況、状態に敏感になっていてくれたせいか、少なくとも転職とかを考えることはありませんでした。そして、フルタイム勤務へ。。主治医のほうから診断書に一筆「時間的な問題はクリアーしているが、仕事の質、量は本人の状態を見たうえで調整してください」と書いてもらいました。仕事も少しずつ増え、そして質も濃くなっていく中、何度か落ちましたが、今回は以前と違ってそのままどん底まで落ちる、といったことはなく、2日もあれば回復するようになっていました。今日、上司のほうから評価に関するメールを頂きました。結果は平均よりやや下。でも、時短とか色々と制約、縛りがあったわりには良い評価をして頂けたと思います。そして、嬉しい事に「bluesさんのこまめに連絡を取り仕事を進める姿勢、前向きに考えていけるようになった事がこれからの貴殿に大きなプラス材料になるでしょう」といった内容のコメントを頂きました。本当に僕を支えてくれた全ての方々に感謝をしております。このHPを見てくださり、僕の異変に真っ先に気付き、そして叱咤激励してくださった皆様にも感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとう。。。これ以上の言葉が浮かびません。僕のHPを見てくださってる方々には、まだまだ休職なりしている方がいるかと思います。そんな方々に、地獄の底まで落ちたけど、こうやって這い上がって、なんとか社会という世界にしがみついていく事ができるんだよ、ってことが伝われば良いな、と思っています。まだまだ投薬はMAX状態ですが、揺れ動きながら来半期も乗り越えれればと思っています。
2005.12.21
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つらい。苦しい。痛い。消えたい。誰か消して。僕はいつも誤解を生む存在。必要ない。こんな人生捨ててしまいたい。自分で蒔いた種だけど、まだ見ぬ人たちに思いっきり誤解されてる。もう続けられない。光も影もいらない。全部捨てる。さようなら。
2005.11.22
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最近非常に調子が悪い。先週は水曜日までは耐えたが、その後墜落し会社を休んだ。金曜日になったが上がる気配も無い。仕方なくまた休暇。。。そんな自分が嫌になる。堕ちるきっかけ。。。それはGacktのライブから。大好きな人が教えてくれたアーティスト。彼を知ってから音楽に興味を持ち、シルバーアクセサリーに興味を持ち、仕事に対して目標が出来たことからか、だいぶ前向きになった。初めてのライブの日。sakiからメールが入った。「初めてのGacktのライブだから一人じゃ辛いかもしれないから、待ち合わせしよう」と。僕はそのメールを嬉しく思い、sakiと待ち合わせてライブに乗り込んだ。当初、ライブの後、友達も入れて一緒に飯でもと約束していたが、初日は友達とゆっくりして欲しいと思い、遠慮させてもらった。二日目。ライブ会場に到着したら一通のメールが。「ライブの後は私たちの空間だから、悪いんだけど遠慮してくれる?」なんで今更そんな返事なわけ?僕は君たちとライブの余韻に浸りながら食事することを楽しみにしていたのに。。会場で思いっきり堕ちていきました。もういいや。今日はやめとこ。と思い会場を後にしようとしたら目の前からsakiが歩いてきた。どうしたの?と不思議そうに僕を覗き込む彼女に「いや。。sakiのメールにちょっと傷ついた。昨日は良いっていってたのに突然手のひら返してキツイ言葉打たれると凹むよ。もう帰る。」sakiはどうしていいのかわからない様子だったが、僕が早く行くように促して会場に入れさせた。折角とったチケットだし、見るだけ見るか。。。そう思い会場に入る。ライブが始める。。気が付いたら終わっていた。終始下を向いていたようだ。Gacktくん、君の力でも僕を立ち上がらせることは出来ないようだよ。。その後、追い討ちをかけるようにsakiからメールが。。「私は間違ったことをしたとは思っていない。私の言動で病気になったとか言われたくないからもう連絡しない」はぁ、やっぱわかってなかったんだ、この子。それ以来堕ちっぱなし。11/12。僕の誕生日。二子玉川のいきつけのお店が誕生会してあげるからおいでと誘われていたので行くことにした。日付が変わろうとするころ、ママがハッピーバースデーの歌を歌ってくれ、そして、姫達がプレゼントを持ってきてくれた。黒地にパープルとブルーとホワイトの細いラインが斜めに何本も入っているネクタイとパープルのポケットチーフ。そういやこんなの欲しいなって言った記憶があるな。覚えていてくれたことが嬉しかった。上がったり堕ちたり。。。。今日、やっと会社に行く気になった。与えられていた仕事がかなりの仕事量と質に変わりつつあって、あっぷあっぷしていたが、もうこれしかやらない!と決めたのが良かったのかなんとか会社に行くことが出来た。仕事中、前の上司から電話。なにやらNHK総合かなにかで鬱病に関するTVがあったらしく、それを見て思う所があったようで、電話したようだった。前の上司が思っていること、そしてまた少し理解を深めていてくれたこと、そしてそれを実践してくれたことが嬉しかった。気分も楽になり、仕事を一通りこなし帰って来た。こうやって日記を書いてみたが、まだまだ鬱病に対する認識が薄すぎるな、と思うのが正直な所。sakiは分かっていて、僕と飯食ったり、飲んだりしていたと思っていたのだが、やっぱ全然わかってないじゃん!ってのが感想です。僕の人生という日記にたまに出てきてくれるだろう思っていた人。意外とあっさり去っていったので、もともと僕に対してはそれくらいのものしか感じることはなかったのだろうと、踏ん切りつきました。一言地の言葉で書かせてください。何にも分かってないで好き勝ってやって、調子が良いときの俺だけ受け入れて、いざ調子が悪くなりそれが自分の責任だと思うと逆切れして逃げてく。お前はどうなってんの?理解しようとか思わないわけ?病気になったんじゃなくて、俺は未だ病気なんだよ。症状が悪化しただけ。それは間違いなくあんたにも原因があるし、その事実を受け止めれないあんたは小物だよ。もうつきあってられねー。Gacktが聞いたら悲しむぞ。はぁ、もう良いです。今週末の友人の結婚式のために体調整えます。
2005.11.14
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今日はなんとなく違和感を感じながらの出社となった。土曜日は食事を取る以外、ほとんど眠りに付いていた。日曜になり漸く動けるかなという状態になり、ちょっとお出かけをしました。でも、やっぱりちょっと心の中のシコリが大きくなっているような感触はぬぐえない。淡々と歩いていたら知らないうちに環七前まで歩いていた。先週は以上に長く感じた。精神的疲労もあったが、まだ仕事に慣れていないため上司に色々指示を受け、そして迷惑をかけた。このことをきっと引きずっているようだ。とりあえず、今日行けば明日は給料日、と心の中で呟き環七を渡った。会社に到着。PC立ち上げている間に煙草を数本灰にした。でも、なんとなく気持ちがざわつく。ノイズに囲まれているような感じだ。メールのチェックもすんだので、仕事に取り掛かることにした。そこへ上司から電話が。。(ここで出てくる上司とは前の上司です)用件は理解したのでやることにしたが、受話器を置いた瞬間に上司からメッセージが。。自己解決しました。ということだった。仕切りなおして、自分に与えられた仕事をすることにした。現在我が社ではセキュリティの強化が実施されている。参画している協業会社様にも我が社のセキュリティポリシーに従って貰う事になっていた。先日、その件に関してミーティングを実施した。一応資料は用意したのだが、上司に添削してもらったところ、ほとんど別のものが仕上がった。なんか複雑な気分で、ちょっと自分の力の無さに痛い思いをした。。。。。書いていて思い出したら胸が苦しくなってきました。。。。今日はセキュリティ強化で問題となった点を確認し、関係者各位に連絡する必要があった。自分ではしっかり読み返して問題ないと判断しメールしたのだが、すぐに上司から電話が。「blues さん、あのメールはまずいよ。この前のメールもそうだし。。」どこが悪いのか分からなかったが、とりあえず謝った。「すみません。。」色々と電話で話をしたのですが、結局上司のほうでちょっと調整する事になった。少し時間を置いて、上司にメッセージを送ってみた。返事は「用件終了、後でメールする」と返ってきた。この言葉だけでも精神が揺らぐのを感じずにはいられなかった。さきほど、それに関するメールを見たのですが、涙が止まりませんでした。ことごとくやる事が裏目に出て、皆さんを騒がせ、そして迷惑をかけている。。こんな自分なんていらない。。。社会は必要としていない。。。会社にいてもボトルネックになるだけだ。。。電話に出るのがこわい。。。メッセージ送られるのが怖い。。。ただ、逃げてるだけなのはわかってます。でも、呼吸が出来なくなる苦しさ通じますか?やめようかな。はぁ、苦しいです。
2005.10.24
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皆さん、お久しぶりです。日記の更新がないのは、書くネタがないというか、あまり心が乱れていない、ということでお許し下さい。最近僕は薬と食事の満腹感から来る眠気に勝てず、21:00前には寝てしまいます。そして24:00~1:00くらいに目が覚めて寝れません。ごろごろしていても仕方がないので起きてPCをいじったりしています。そうこうしているうちに漸く眠気が襲ってきます。これが6:00くらい。。。この時間に寝ると明らかに仕事に行けないので、我慢して起きてます。そして、トリプタノール50m×2、レキソタン5m、スルピリド25mを服用し、煙草を灰にする。数本灰にしていると、下の子が起きて泣いている。寝室に入り、下の子を抱きかかえ、背中をポンポンとして落ち着かせる。安心するのか、下の子はそのまま僕の腕の中で眠りに付く。そして、7:00。家族全員が起きて、登園、出勤の準備をしだす。僕は家に一人でいて色々と考えてしまうのが嫌で、妻のペースに合わせて出勤する準備をする。パンを食べ、煙草を灰にし、コーヒーを飲み込み、そして洗顔、髭剃りをする。クローゼットの前に行き、今日来ていく服を思案する。大概は面倒なのでお気に入りのシャツを選び、それにあわせてスーツを着る。そんな生活が2週間ぐらい続いている。はっきり言って体力的につらい。。どう打破しようか。。今日は天気が良かったので歩いて会社に行きたかったが、時間的に間に合わないと判断し、久々の電車に乗ることにした。久しぶりの電車。。相変わらず独特の空気、匂いが充満して不快だが、致し方ない。我慢して電車に揺られていく。会社に到着後、とりあえず煙草を一本灰にし、社内へと入る。座席に着き、サングラスからビジネス用の眼鏡にかけかえ、左耳で揺れている比較的大き目のピアスを外しPCを立ち上げる。PCが立ち上がる間にコーヒーを入れ自席に戻り、ログイン。10月からフルタイム勤務になったのだら、仕事の量はちょっとだけ増えたぐらいで別段変わりはない。月次の仕事が2本割り当てられたぐらいなので、今の僕にはかなり軽い。今日やるべき仕事、やりたい仕事を書き出し、潰していく。あっという間にお昼がやってきた。妻に今日の昼食はどうするか聞いたところ、最近産休から明けた同僚と昼食を取るということだったので、僕は遠慮して一人で食事をとることにした。減量中なので、ヨーグルトとファイバーインゼリーで済ませようと思ったが、ちょっと空腹感が気になったので、蕎麦屋に入り、たぬき蕎麦を頼んだ。昼食も済んだので、会社に戻ることにした。会社の入り口にある喫煙所では、同期のA君と問題のSさんが煙草を吸っていた。僕は何食わぬ表情で「おつかれさん」と声をかけた。A君はしっかり「おつかれ~」と声を返してくれるのだが、Sさんはどこかふてぶてしい態度で、会釈をしたのか、返事をしたのかわからない仕草をした。おいおい、挨拶ぐれーできねーのか?心の声です。その時、Sさんが「俺の天敵が来たから戻るよ」と言いその場を立ち去ろうとした。それを聞いたA君は「天敵って誰?」と声をかける。Sさんは他の人に聞こえないようにA君に「。。。」と語った。視界にはSさんの上司がこちらに向かってくるのが確認された。ちゃんとは聞き取れなかったのだが、天敵=僕 という方程式が頭の中に構築された。恐らくSさんは上司のことを言ったのだと思うが、こういった状況に敏感な僕は自分の事だと思い込みだしてしまい、酷い孤独感を覚えた。そういえば、SさんとTさんですが、煙草を一緒にする姿は相変わらず確認されていますが、距離が少しあいた気がします。(分からない方は過去の日記をどうぞ。。)今日は金曜日。いつもであれば友人たちと飲みにでも行くのだが、すっかり距離があいてしまい、またそれを僕が埋めようとしないので、一人とぼとぼと家路につく。夕焼けが目に焼きつき、何故か一層孤独感が増した。太陽が作り出す幻想的な朱色の世界におもわず涙腺が緩む。一度崩れた人間関係の修復はかなり難しいという事を実感し、また、それを修復しようとしない自分がいて。。。あの頃に戻りたい。忙しく大変だったが、充実した毎日を送っていた日に。※「忙しい」って「心を亡くす」と書きます。だからいつも「大変」という言葉を使うようにしてますが、あえて「忙しい」という言葉を使いました。
2005.10.14
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10/01日付けで、時短勤務からフルタイム勤務へと戻りました。このことで、トータル5時間以上は人事と上司を含め話し合いをしました。上司が気にしていたこと。・フルタイムになると、僕の等級と同じ社員と同じ土俵で仕事をすることに なるので、評価が心配。・うちの会社では評価が半期に一度実施されるのだが、評価が連続して悪かっ た場合、人事側として降格を実施するかが気になる。ということでした。僕の直属の上司とも話をしたのですが、僕の今の状況でやれる範囲で目標設定していいし、その目標設定を上司が認めたら、100%やったら、普通に100%の評価をしれくれる、と言ってくれた。そして、例え相対評価が悪かったとしても、そんな事で降格なんてさせない!bluesさんは、今までの経歴を見ると、非常に高いポテンシャルがあるのだから、絶対に大丈夫だと信じている。とも言ってくれていた。その事を人事と相談した。結局のところ・人事側に降格する権限はなく、直属のマネージャ判断でなされる。・本来であれば100%仕事が出来るようになった時点で100%にしたいのだが、 こればかりはやってみないとわからない。・僕の気持ちを最優先させ、時短勤務を解除。フルタイムに戻す。 ただし、仕事を渡す際は上司側にてサジ加減してもらい、様子を見ながら徐々に 仕事を増やしていく。以上のようなことより、僕は思い切ってフルタイムに戻ることを決意しました。なんとなく今がいい機会のような気もしたからです。それと、前とは違って、出来ない事、時間がかかる事は、周りを気にしないですっぱりと言える自信もあったので、戻す事にしました。さあ、これからどうなっていくのやら。人事側から見ると、鬱病で会社を休んでいる、もしくはリハビリ出社されている人たちの中で、僕が一番上手く回復してきているとの事でした。あまりプレッシャーはかけたくないのですが、好例となれればいいなと思います。今なら少しは言える。。。頑張れ、俺。
2005.10.03
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先日、僕の予定表に上司からのブッキングがあった。内容を見ると「給与改定」。なんとなく心苦しい気持ちだった。当日の朝。心拍数が少し上がり、わずかではあるが過呼吸状態になりつつ自分がいた。まずいな。。と思い、頓服を飲んで落ち着くことを祈った。ほどなく、薬が効いてきたのか、だいぶ楽になった。よし、行くか。下腹部に力をこめ、思いっきりドアを開けた。最近は会社まで歩いていっている。しかもトカクニベルトを巻きながら。会社まで歩くとだいたい40分程度かかる。毎日の運動をしていない僕には丁度良い運動量であろう。会社に着くと、汗だく。とりあえずトイレに入って、トカクニベルトを外し、汗を拭き、ベルトについている汗を拭く。話が変わりますが、いいですよ、トカクニベルト。巻き始めて彼是3週間くらい経ちますが、体重は3kg落ち、体脂肪も10%代に乗り、そしてウエストが4cmほど細くなりました。今日は、部長と煙草が一緒になったのですが、突然「blues、おまえやせたか?」と聞かれました。「そうですね。少しばかり顔がシャープになってきたと自分でも思います。」と答えたところ、部長は「そうだよな。」と妙に納得されていた。話を戻します。最近は大体会社に着くのが8:00くらい。皆さんが出社してくるまで一時間半ほど時間の余裕がある。僕はこの時間を使って、メールのチェックをし、今日一日のスケジュールを立て、余った時間は読書(と言ってもファッション雑誌ですが。。)に当てている。しかし、この日は、どうも落ち着かない。。。予定を立てようと思うのだが、「給与改定MTG」としか書けない。MTGは13:30から。まあ、いいか。今更悩んでも仕方ないし。腹くくろうと思ったのだが、午前中は気が気じゃなく仕事が手につきませんでした。昼食をとると眠くなると思い、ダイエットを含め、ヨーグルトとファイバーインゼリーですませた。昼の休憩時間も終わり、残す所後30分。ここまできて、何故か緊張感が抜けてきた。心の中では「まあ、どうなってもいいじゃん。死ぬわけじゃないし。。」と思っていた。時間になったのでMTGスペースに移動した。MTG開始。どうやら、今期からうちの会社の昇給の形が変わったようである。その事を一通り説明を受けた。その後、上司は少し間を置いてから「残念ながら、bluesさんは今回は昇給無しです。年間を通しての評価査定が必要なんだけど、bluesさんの場合、病気で半年分の評価査定しかないのでこういう結果になりました。」僕は内心ほっとした。「いやー。減俸されるのかと思っていたので安心しました。今の僕の状況を客観的に見ると、下がることはあるかもしれないけど、まあ今は75%分の給与しかもらっていないので下がってるんですが、昇給するわけないですもの」上司も僕が意外とダメージを受けていないことにほっとしているようだった。あとは、今週行われる、人事とのMTGについて話した。色々問題点があること、僕の考え方、全てを上司にぶつけてみた。上司はとても嬉しい言葉を言ってくれた。。。。。すいません。。。。。。書いてて目が潤んできました。。。。。。感覚的に内容を受け止めているのですが、正確にはどう言っていたのかを思い出し書くことが出来ませんが、とにかく僕は思いました。「ああ、この方は僕の味方だ。すごいバックアップしてくれる存在だ」とにかく、上司が今後の僕の事、仕事のこと、給与のこと、昇格のこと。。その他もろもろ含めて完全なる味方であることが分かった。嬉しかったです。本当に嬉しかった。MTGも無事終わり、上司と距離が近づいたことが嬉しく、その後は淡々と仕事をこなすことが出来た。人事とのMTG。もう怖くない。大丈夫。きっとうまくやれるさ。
2005.09.27
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ちょっと思考を変えて、いつもとは変わった感じにつらつらと書きます。僕にはとても許せない、譲れない事がいくつかあります。それを列挙してみます。・歩き煙草ハッキリ言って格好悪いです。特に女性のは引いてしまいます。せっかくの美人さんでも歩き煙草をしている姿を見ると一気に幻滅してしまいます。最近は、週末になると上の子と良く新宿、原宿、渋谷を巡り歩くんですが、若い子とかは本当になってない。平気で歩き煙草をしています。そういう方が向こう側から歩いてくると僕は「子供にあたるじゃねーか、ダセーことするな」と思わず口走ったりすることもしばしば。。逆に年配の方でも許せないですね。僕は灰皿が置いてある所以外では煙草を灰にしません。・信号無視ホント、数メートルくらいしかない所でも信号機があるところっていっぱいありますよね。それが例え1メートル程度であっても僕は信号を守ります。人間って群集心理があって一人無視しだすと、俺も俺もという具合に皆無視。そんな人たちに「おいおい、まだ赤だぞ」と言ってしまいます。・電車で席を譲らない人これも結構ありますね。妻と出かけるときは大抵下の子は妻に抱っこされています。目の前に子供を抱えた、身長150ちょいの女性がいるのに、平気で大股開いて我が物顔の若者。許せませんね。だんだん目つきが危なくなってきます。妻はそんな僕を見ていつも「blues いいから」と囁いてきます。でも、許せないことは許せない。「なぁ、にーちゃん。どっか具合でも悪いの?」しゃがみこんで語りかける時もあります。・道の譲り合い最近の僕は、一人でもんもんとなって色々考え込まないように、起きたらすぐにサプリと薬を流し込み、洗顔し、髭をそり、ローションを塗り、ここで煙草を数本灰にして、即着替えて、勢いに任せて出社するようにしています。そして、約40分歩いて会社に行っています。この40分の間に色々な人とすれ違います。向こうから誰かが歩いてきます。僕は半歩だけ道を譲ります。相手も当然半歩ずれすれ違います。でも、これが出来ない人がいます。君が半歩ずれれば当たらずに済んだのに。。ってことが良くあります。勢いのある若いにーちゃんとかはそんな時「いてーな!」とか、言ってきます。そうすると僕は決まって「俺だっていてーんだよ!」と言ってしまいます。とにかく譲れないんです。こういうことは。フィフティフィフティでしょ。・メンチの切りあい歩いていると向こうから来る人と目が合うときありますよね。大概はちらっとみて視線をお互い外すんですが、特に若い方は外さないときがあります。そんな時は僕も外しません。絶対に僕からは外しません。ごめんなさい。まだ大人になりきれてなくて。・女性、子供が車道側を歩くこと僕は女性や子供と歩くときは必ず車道側を歩きます。一緒に歩いている人が車道側を歩くと、無言で引き寄せて僕が車道側になるようにします。先日、大学時代からの友人である Kaori ちゃんを迎えに行ったとき、彼女と僕の家まで歩きました。Kaori ちゃんが車道側を歩いたとき、僕は「そっちがわ歩かないでくれる?」と言いました。Kaoriちゃんはそんな僕に「T(Kaoriちゃんの彼氏)にも、こういうところ見習って欲しいよ。。」と呟いていました。皆さん、勘違いしないでくださいね。僕は紳士的な気持ちで、こういった行動にでるのではなく、単純に女性や子供が車道側を歩くと、なんとなく危なっかしくて気が気じゃないんです。だから路片側を歩かせる。ただそれだけなんです。落ち着かないからそうするだけなんです。なんか、こうやって書いていて、僕はなんて子供なんだろうと思うと同時に、今の社会自体が子供な大人の世界になっているように感じます。弱者には優しくしましょう。最低限のマナーは守りましょう。それから、いきがって僕につっかかってくるのは止めましょう。怪我しますよ。なーんて。。
2005.09.24
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2005年9月2日。この日は僕の同期 emiko が転部する日である。前々から彼女は「なんで私、こんなにマニアックになっていくんだろう。。」と言っていたのを思い出す。僕の妻と emiko は同じチームで働いている。僕は前々から妻にこの事を知らされていた。emiko は前々から今の部署じゃなくて、違うところでも働いてみたい、と言っていた。しかし、彼女がうちの部署に配属され、時が流れると、彼女はうちの部署にとってとても必要な人となっていた。彼女の仕事といえば、もっぱらうちの製品を熟知し、それをエンジニアにフィードバックすることであった。この仕事は事細かく調べる事が必要で、また自分で勉強しながら進めなくてはいけない類のものだったため大変な労力がかかる。しかし彼女は、色々なエンジニアに質問されても嫌な顔一つせずに教えたり、即答できない事はしっかり調べて教えてくれていた。彼女は、とても明るい性格で、皆から好かれ、また一生懸命さも持ち合わせていたので信望も厚かった。そんな彼女が転部する。期間は1,2年で、またうちの部署に戻るような話をしていたが、果たして本当に戻ってこれるのか。。前置きはここまでにして。。18:30前。emiko の周りにうちの部署の8割くらいの人が集まった。どの会社でもそうだろうけど、うちの会社では転部、転職する方の最終出社日には軽い壮行会をします。けど、7年間色んな人が抜けるのを見てきましたが、こんなにも人が集まったのは初めて見ました。それだけ彼女に人望があるという証。emiko は何も気付かずに PC に向かっていたが、ふと顔を上げたときに、自分の周りに大勢の人たちが集まっているのを見て、目を潤ませた。「昨日朝まで飲んでて、1時間しか寝てないから。。」とばればれの言い訳。まあ、そんなところは可愛いもんですね。僕の同期が司会進行役を買って出た。最初に、僕の同期の A 君が指名された。A 君は「歌いすぎて声が出ないけど。。」ん?僕はふと思った。昨日、emiko と皆は送別飲み会をしたのでは?と。。A 君のスピーチが終わったところで、A 君に聞いてみた。案の定、飲み会したらしい。こういうときは、もの凄く疎外感を感じる。いつも一緒だったじゃないか。。そんな事を思っていたら、僕がスピーチすることになった。「えー、うーん、何を話そうか。。 emiko とは同期で研修も同じクラスということもあり、大変仲良くさせて頂きました。 彼女は『なんで私がこんなにマニアックにならなきゃいけないの?』と言っていた 事が思い出されます。また、正直、うちの部署に来た時大丈夫かな?と感じたのですが、 持ち前の明るさと、そして努力するという力で頑張っていたなー、と思います。 彼女は声はいっちゃってますが、中身は芯が太く、とてもしっかりした人です。 新しい環境で不安もあるでしょうが、明るさと努力する力という素晴らしい能力が あるのだから、きっと活躍してくれると思います。 がんばって。。」確か、こんな事を言った気がします。僕のスピーチが終わった後、司会の K 君が「なんか、用意してきたようだな」と言っていた。僕も自分で良くもまあ、発言できたなと自画自賛。。すいません。。そして次に僕の妻がスピーチすることになった。妻と emiko は同じチームで働いているからである。司会の K 君が僕の妻にスピーチするよう促すと「だめ泣いちゃう」と。。でも結局妻は泣きながら話していた。emiko もその姿を見てか、ひどく泣いている。妻は emiko に「帰ってきてくれること信じてるから。。」と精一杯伝えた。一通りスピーチも終わり、emiko の挨拶。妻と emiko は新人さんや、外注さんのケアをしている。彼女はその点について話していた。「外注さん達はろくに研修も受ける事が出来ない状況で頑張っている事を理解して下さいと。。」僕は心の中で「よく言った。」と思った。最近のうちのエンジニア達はそういった意識が薄れ、皆擦り付け合い、そして変な壁が出来つつある。皆を初心にもどし、そして現状理解をしてもらうには最良の言葉を彼女は発した。最後に花束贈呈をしてい、みんなばらばらとその場を去っていった。僕は emiko に色々とフォローしてもらった。もちろん仕事もそうであるが、当時喧嘩っ早かった僕をいつも怒って窘めてくれたり、「blues臭い。香水つけすぎ!」と人としての部分でもフォローしてもらった。僕は勝手に「こいつ、おふくろみてーだな。。」と思ったものです。曲がった事が大嫌いで芯が強く、そしてどんなにつらくても笑顔を絶やさなかった人。そんな emiko の涙。僕はきっと忘れない。この転部を一つのきっかけとして、また一回り大きくなり、そして個性を増強させた彼女に会いたいなと思います。
2005.09.12
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どうも調子が出ない。おきる事がこの上なく辛い。必死に身体を起こし、薬でドーピングして出社の準備。会社に着いた頃には、何故か同期が激しい。20日の事件依頼、どうしても言う事を聞かなくなってきた。辛い、苦しい、呼吸するのさえ面倒に思える。今日は病院。今の状況を全て話せるか自身がないがとりあえず行ってきます。リンクをはって頂いてる皆さん。なかなか更新出来ないでごめんなさい。病院行ってきました。20日の花火大会で起こった事件を、こと細かく全て話してきました。本当は、今回の診察でフルタイム勤務の許可を出してもらおうと思っていたのですが、やはり主治医から「今の段階では出せない」と断られました。結局、一日2回の服用が一日3回に増え、レキソタンも2mだったところが、5mに戻りました。なんだか、辛いです。読んで頂いている皆さん。済みません。なかなか更新出来ないかもしれませんが、どうか見守っていてください。お願いします。。。
2005.09.06
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日焼けやプールで泳いだ疲労のお蔭でぐっすりと眠る事が出来た。目覚めると下の子が起きていて、なにやらおしゃべりをしていた。起き上がり、下の子を持ち上げあやす。ケタケタと笑う表情が可愛らしい。その顔が見たくて何度も何度も同じ事をしては、素敵な笑顔に癒される。妻と上の子も起きた。皆が着替えている間に煙草を数本灰にし、時間を潰す。トリプタノール25m×2、レキソタン2m、スルピリド100mを服用する。皆着替えが終了したので、朝食を食べに部屋を出た。去年食べた和食屋さんが雰囲気も料理も良かったので、今年もそこに行く事にした。店の前まで来たのだが、電気が消えていて営業している気配がなかった。ホテルの案内を確認してみる。どうやら、朝食はバイキングしかないようだった。妻と顔を合わせて、「残念だね」とお互いの表情で伝え合った。残念がっていても腹は満たされないので、渋々バイキングへと向かった。会場内は既に泊り客でいっぱいだった。席を確保し、適当に食べ物をプレート上に並べていく。下の子はトマトが大好きなので、プチトマトを山盛りにして席に戻った。上の子は疲れているのか、昨夜に比べるとあまり食が進んでないようだったが、それでも美味しそうに食べていた。下の子はたくさんのプチトマトを前にして、目を丸くして「ちょーらい、ちょーらい」と妻に話し掛けていた。妻からトマトを取ってもらい、両手に持ち顔をべとべとにしながら、ニコニコと食べていた。食事も済んだので、部屋に戻り荷物を整理した。荷物を持ち、チェックアウトをし、着替え場に行き、水着になる。昨日と同じ場所にレジャーシートを敷き、場所を確保した。とりあえず、子供用プールで身体を慣らす事にした。う。。。冷たい。まだ太陽にそれ程照らされていない水はかなり冷たかった。上の子も下の子もそのことは関係ないようで、ばしゃばしゃとプール内に入り遊びだした。妻もこの水の温度が平気なようで、一緒になって遊んでいた。僕は足だけ水の中に入れ、その様子をぼーっと眺めていた。ひとしきり遊んだところで、上の子が「流れるプール」に行きたいと言ったので、皆で「流れるプール」に向かった。このプールの水も冷たく感じたが、今回ばかりは入らなければいけないので、下腹部に力をこめて、一気に水の中に入った。上の子と下の子は浮き輪を使ってぷかぷかと浮いている。僕は上の子の浮きわにつかまり、流れに身を任せた。去年はなんのことやらさっぱりわからなかった下の子は妻と一緒に揺られながらケタケタと可愛らしい声をあげていた。2周ほどまわったであろうか。時計はちょうど12時を指していた。妻に昼食を取ろうと提案した。妻も子供達もお腹が空いていることに今気付いたかのような顔をして、「食べる」と伝えてきた。何を食べようかと話していたら、妻が「ラーメン」と。。。うーん、ここまで来てラーメンは嫌だなと思った僕は、「焼きそばとか、チキンとかそういうの食べよう」と却下した。妻はしかたなしに頷き、適当に食料を買ってきてくれた。皆で昼食を取った後、僕は酷い眠気に襲われた。ああ、やっぱり眠くなるんだ。仕事とかは関係ないな。とあらためて薬の副作用を認識した。僕は眠る事にし、妻達に遊んでくるよう伝えた。遠くから妻の呼ぶ声が聞こえた気がした。まだボーっとしている頭を意識しながら、ゆっくりと目をあける。目の前には僕の顔を不思議そうな顔で覗き込んでいる妻がいた。「もうかえろっか」何を話しているのか理解するのに少しばかり時間がかかった。時計に目をやる。15時。。。漸く状況理解が出来、曖昧に「そうだな」と答えた。身体を起こす。不自然な痛みが身体の表面を走った。何かと思い、自分の身体を見ると、真っ赤に日焼けしていた。それもそのはず、27,28日の二日間でトータル6時間程太陽日差しの中寝ていたのだから。その痛みが煩わしく嫌気がさしたが「仕方ないか。。」という言葉で済ませた。浮き輪の空気を抜き、レジャーシートをたたんでホテル内にもどった。脱衣所で水着から普段着に着替える。くっきりと日焼けのラインが下腹部に引かれていた。鏡を覗き込むと、酔っ払ったように顔が赤い自分がいた。こりゃ当分風呂は無理だな。シャワーか。。バッグに着替えを詰め込み、帰る準備が整った。帰り際、上の子がemikoちゃんに何か買っていく、と言い出したので、お土産売り場に足を運んだ。上の子は綺麗なキーホルダーを握り締め「これにする」と僕に告げた。お土産も買ったことだし、帰ることにした。ホテルのフロントにタクシーをまわしてもらうよう頼み、タクシーの到着を待った。数分後タクシーが到着。トランクに荷物を投げ入れ、社内へと入ると、大きな溜息がでた。最寄駅まで行き、そこから電車に乗り継ぎ、家へと向かう。電車内で妻と夕食の話をした。「家に帰って作る気しないでしょ?」という僕の問いかけに「うん。もうくたくた」という返事が返ってきた。そこで、家の最寄駅に着いたら、行きつけの寿司屋に行く事にした。寿司屋でビールを数杯飲みながら、寿司、刺身を口に入れていく。意外にも少ない量でお腹がいっぱいになった。しかし、アルコールはまだ足りない。。僕は一度荷物を家に持って帰り、そのまますぐに家を出て、近くのスナックに行った。ここに来るのは1年以上ぶり。なんとなく緊張を覚えながら、店のドアを開けた。1年前と変わらないメンバーが僕を出迎えてくれた。もうボトルは空だったので、新しいボトルを入れた。少し濃い目の水割りを数杯飲んだら、アルコールが僕の身体を弛緩させた。ああ、記憶が飛んでいく。。視点が合わない状態の中、子供達の姿が脳裏に浮かんだ。楽しかっただろうか?思い出として残ってくれただろうか?子供達の笑顔に頭の中が埋め尽くされていくのを感じながら、アルコールにやられていく。。。#どうせこの店には当分来ないつもりなので、ボトル入れないでショットで飲めばよかった。。
2005.08.28
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今月の27、28日に泊りがけで大磯ロングビーチに行ってきた。夏休みを取れなかった僕と妻のささやかな子供達へのプレゼント。出発当日。まだ20日の花火大会の一件のせいか、自分から起きる事無く、深く深く眠りについていた。耳元で上の子の声が聞こえる。「パパ、起きてー。今日おおいそろんぐびーちに行くんだよ。」目を空け闇の世界から脱すると、そこには遠足前の子供のような笑顔をした上の子の姿が目に飛び込んできた。時計に目をやると7時半をまわっていた。少々身体が重いことに違和感を感じたが起き上がった。前の日は準備をしようと思っていたのだが、精神的疲労のせいか、眠気が酷くて気がついたら準備もせず眠っていた。さあ、準備をしようか。。。ん?僕のボストンバッグがぱんぱんになってる。妻に尋ねると、前日僕が寝てしまったので妻が準備をしてくれたとのことだった。ありがとう。心の中で思った言葉が素直に音となって口から出た。とりあえず薬を飲むことにした。片道1時間半程度の移動となるが、ちょっと不安もあったのでレキソタンを2mのところを5m服用した。順調に出発する準備が整ったので、皆で家を出た。外は台風一過。もの凄い日差しだったが、プール日和でもあった。ちなみに僕は夏が大好きである。汗かきながら動いていると、なんか「生きてる」ってことを素直に体感できるから。電車を乗り継ぎ、最寄駅でタクシーに乗り換え大磯ロングビーチに向かった。到着後すぐにチェックインの手続きを済ませ、着替えをしプールへと向かった。うっ。。。暑い。もの凄い熱気が溢れて、思わずしかっめ面をし、太陽を睨み付ける。子供用プールの近くにレジャーシートを敷き場所取り完了。この頃には既に12時をまわっていたので、施設内にあるマクドナルドに食料を買いに行った。ん?チーズバーガーが100円じゃない。。。ちょっとショックでした。しぶしぶ、食べたいものを片っ端から頼んで、先ほど確保した場所に戻った。皆でハンバーガー、ポテト、ナゲットなどを体内に入れる。上の子はこの日はとても食欲があるところを見せてくれて、なんだか嬉しくなった。とりあえず皆で流れるプールに行き、そのゆるやかな流れに身を任せた。こうして水に浮かんでいると、どこかホッとするような感じがした。目の前に映る青空が全て自分のものであるかのような錯覚も起こした。この日はタイミングが良い事に、14時半からアンパンマンショーがある。下の子はアンパンマンが大好きだ。イベント会場へと移動し、ショーを見ることにした。半分くらい見たところで、僕は酷い眠気に襲われた。とても我慢できる状態ではなかったので、もどって眠る事にした。イベント会場から戻る途中、「波の出るプール」を通り過ぎた。波打ち際で寝ている人がいてとても気持ちよさそうだったので、僕も波がぎりぎりかかるくらいのところに寝そべった。あっと言う間に闇の世界へと誘われる。上の子の声が聞こえる。「ぱーぱ。おきて」気がつくと全身びっしょりの上の子が立っていた。一瞬状況を理解できなかったが、頭を左右に振り目頭を抑えて頭の中を整理し、漸く状況を把握出来た。どうやら上の子はアンパンマンショーを見た後、「波の出るプール」で遊んでいたようだ。時計を見ると16時を過ぎていた。上の子と一緒に妻達の元へ戻る。妻と下の子は子供用プールで遊んでいた。そろそろホテル内にはいろうと提案する。着替えて、部屋へと向かった。部屋を空けた途端、なんだか懐かしい気分になった。1年前もここにきたよな。。荷物を整理し、水着をかけた後、食事をすることにした。悩んだ挙句、和洋バイキングにすることにした。さすがプリンスホテル。お値段も素敵でした。元を取る事は不可能な額。まあ、たまには良いかと店内に入った。店内は泊り客でいっぱいだった。空席を探し、食べたいものを物色していろいろとテーブルの上に並べた。なんだか幸せな気分。上の子はわたあめが気に入ったようで、僕に「わたあめ、僕の好きなようにたべていい?」と聞いてきた。僕は笑顔で「いいよ。shionの好きなようにしていいよ」と伝える。上の子はそのことが嬉しかったのか、すごく子供っぽい顔で笑い、結局わたあめを5個も食べた。皆、お腹いっぱいになったので、部屋へと戻った。煙草を灰にし、テレビをぼーっと眺めていたら眠気が襲ってきた。やはりレキソタン倍増すると眠気の強さが違う。身をそのままベッドへと委ねた。夜中に一度目を覚ました。ああ、眠ってしまっていたか、そう思いながら部屋の中を見渡した。僕の隣りのベッドで上の子、妻、下の子が川の字で寝ている。本当は上の子は僕と寝るはずだったが、気持ちよさそうに眠っていたので、そのままほっといてまた眠りについた。去年もここにきたな。上の子が保育園最後の年なので、今年はグアムに行きたかった。でも、僕の身体はまだそれを許してはくれない。眠っている上の子を見つめ、切なくなる心を胸の奥にしまいこんで闇に包まれた。
2005.08.27
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事件は2005年8月20日に起こった。この日は「多摩川花火大会」の開催日。僕の住んでいるマンションには30平方メートル超の大きなルーフバルコニーがついている。そのバルコニーが丁度花火の打ち上げ場所に面しているため、絶好の観賞スポットなので。ということで、我が家では毎年、何人かの人たちが集まって花火を見ながら飲むことが通年の行事となっている。今回も4組ほどのゲストを読んだ。一組目は上の子 shion と同じ保育園に通っていて、小学校も同じところに通う予定の emiko ちゃん家族。二組目は、入園当時から意気投合して、何かあるたびに一緒に飲んでいるhibiki くん家族。三組目は、僕のマンションで同じフロアーに住んでいる arisa ちゃん家族。arisa ちゃんは上の子と同じ学年なので当然同じ小学校に通うことになる。それで保育園は違うが来年から同じ小学校に通うということで、emiko ちゃんとこと arisa ちゃんとこの顔見世が出来ればと思って呼びました。四組目は、下の子 rion が生まれてから一年間お世話になった保育室の先生。彼女は下の子が保育室から保育園へ移った後も個人的なお付き合いがしたいと話してくれたので、今でもこうしてたまに一緒に飲んだりしている。yo-ko 先生25歳、独身、彼氏有り。花火が打ちあがる2時間ほど前に家に集まり、軽く飲んでから花火観賞を皆でした。花火大会も終わり、皆で腰をすえて、本格的に飲みだした。へー、皆結構飲むんだ!?emiko ちゃんのパパ、arisa ちゃんのパパとは初めて飲むのでちょっと意外な一面を見せられた。このarisa ちゃんのパパが大問題児となる。。ビールも底を付いたので、皆各々持ってきたワインや焼酎を飲みだした。やはりアルコールが体内を巡りだすとテンションは上がるもの。でも燃費の悪い僕はまだほろ酔いで皆さんを観察していた。話題は、先日行われたたんぽぽ組み父母懇親会へ。その時にカラオケに行ったのですが、emiko ちゃんのママ、hibiki くんのママはその時の僕の事を色々話していた。「Gacktとか歌ってわかいなー。blues君相変わらず歌上手すぎ」とか「人気者で色々な人たちに弄られてたんですよ」とか。僕はそのカラオケのときは結構アルコールがまわっていたため記憶がほとんど無かったので、そうだったんだと。。。照れ笑いをし聞いていた。そこで突然arisa ちゃんのパパが「そんなん小僧が何してんだって感じですよ」僕は内心「はい!?なんつった?」。そして、arisa ちゃんのパパは つけていたDVDに対しても文句を言い出した。「こんなんつけなくても、6チャンとか、8チャンつけてればいいんですよ。スカパートとか入ったほうがよっぽど安いでしょ。ねぇ?」と周りに賛同の意見を求めた。僕はゲストが来ると自分が好きな DVD をバックミュージックがてらかける。テレビつけると皆でテレビ見てしまってなんだか一緒に飲んでいても「ちょっと違うな?」って感じるから。僕は、そこまで言われてボルテージ上昇。でも抑えなきゃと思い、かけていた眼鏡をはずし、arisa ちゃんのパパに思いっきりメンチを切って首を下に下げた。すると、arisa ちゃんのパパは「あれ?寝ちゃったの?」僕は我慢しろと言い聞かせ只管床を睨み付ける。ここから6年は持ちつ持たれつになるであろうから、親の僕は我慢しなくては。。。しかし、酔っ払いとはしつこいものである。「あれ?寝てるんじゃないの?まだ若いんでしょ?ああ、若ぶってるだけか。」ああ、もう駄目、切れる。。。寸前に妻が僕の隣に腰を下ろし、彼に向かって言った。「昨日、朝まで飲んでるし、まだうつ病の薬も飲んでるから。もうこれ以上弄らないで下さい。そっとしておいて。」しかし、arisa ちゃんのパパはまだ同じセリフを繰り返す。たまらず妻がもうそろそろ解散しようと皆に伝えた。皆がぞろぞろと帰って行く中、arisa ちゃんのパパは yo-ko 先生の前に座り奥さんがいる前で、「ねぇ、今度また飲みましょうよ」などなど口説きセリフを吐き出し始めた。奥さんのほうも「あんた何やってんの、早く帰るよ」と一喝。漸く落ち着いたものの、僕は我慢しすぎたせいか、怒りを通り越して落ちていた。=================次の日。自分で起きることが出来なかった。いつもなら家族の中で一番早く起きていたのに。気が付くと心臓が激しく脈打っていた。もうこの鼓動は止まらない。パニック障害だ。。。妻にそのことを言い、妻の手を僕の心臓の上に置いた。妻は動転し、昨日のことを振り返っているようだった。「ねぇ、blues。今日は薬飲んで会社休みなよ。」僕は最初はその提案を拒絶したが、どんどん鼓動が激しくなり受け入れざるを得なかった。レキソタンを10mmほど飲んで、パニック用の頓服メイラックスを飲んで布団に横になった。気が付いたら午後1時。。。。昨日のことを思い返す。※読み苦しいかもしれませんが、いつもの口調で書きます。どっちが小僧だ?アルコールに飲まれ、散々暴言吐きまくって、好き放題のあんたのほうが小僧だろ。なんで、俺が俺のうちで具合を悪くさせなくちゃならねーの?なんかちがわーねー?ああ、そうさ、俺は小僧だよ。あんたとは金輪際酒を飲むこともネーし、顔あわせてもメンチきりながら無愛想に挨拶するぐれーしか俺にはできねーよ。ま、会った時は柱の影にでも隠れときな。でも、奥さんも奥さんだよなー。謝罪に来ることもないし。この一件で確認できたことがある。それは、僕はまだストレスや言葉に対して過剰に心と身体が反応してしまうということ。まだまだ先は長い。ゆっくりと生きないと。。。それにしても、まだ息苦しい。今日も頓服飲んで寝よう。
2005.08.21
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空の青さに包まれていると思っていた澄み渡る空気に包まれ階段をゆっくりと上っているつもりだったある時、空を見上げてみたそこには青い空は無かった黒よりも黒い漆黒の闇が黒々とした光線を放っていた僕は気が付いた僕には影が無いことをふと後ろを振り返る登っていたはずの階段は闇に吸収されていたその闇は僕の足を消し始めたノイズが聞こえる久しぶりに包まれるこのノイズだらけの空気が僕を支配しだした僕はその空気を知らないうちに胸いっぱいに吸い込んでしまった声を吐き出す出るのは黒い灰だけで音にならないノイズが酷くなる顎を引き下から睨み付けるように辺りを見渡すしかし僕以外の存在を確認することは出来なかった再び空を見上げる必死に光を探すこの漆黒はどこまで続いているのか光という光は遮断され闇にその息吹を飲み込まれている何故僕には見えるのか持っていた鏡に自分の顔を映し出すそこには瞳孔が開ききって真っ黒に染まった目をした人がいた鏡を闇の中に投げ捨てる耳を澄ましていたがノイズ以外の音は聞こえないいったい鏡はどこまで落ちていったのか闇とノイズに包まれた僕は必死に自分に”在る”ことを言い聞かせるしかし急速にこの不条理な空気に包まれた僕には”在る”ということが認識できなかったふと背中に違和感を感じた振り返ると大きくそして黒光りした羽が生えていたそう、僕は堕天使僕は気が付かなかった世界は七色が織り成す光に包まれていると思っていただが僕はしっかりと闇の世界に落ちていたゆっくりと登っているつもりがいつの間にか闇の底へと歩みを進めていた闇に包まれノイズに囲まれ僕は自分自身の存在を忘れる闇を好みノイズに癒されそして僕は光の世界から脱却する
2005.08.16
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ふと目が覚めた。時間を確認してみる。時計はまだ4時を指そうとしているところだった。いくらなんでもその時間に起きるのは早すぎると思ったので、また眠りについた。再び目が覚める。異常に身体が重い違和感を感じながら、ひたすらに重い瞼をゆっくりとあけた。時計に目をやる。まだ5時。あれから1時間しか経過していない。。もうこれ以上眠る事が億劫に感じたので起き上がることにした。重い。だるい。身体が悲鳴をあげだしているのを感じた。この感覚は久しぶりに味わうものだ。心が叫び、ノイズが辺りを漂い僕を包み込もうとしていた。やないな。。。直感が働くが、どうして休む気になれなかった。休む事に非常に抵抗がある自分がいた。腹をくくって出社する決心を固め、身支度を整えた。ダルさは相変わらず抜ける事は無く、僕の身体がきしみはじめていた。気がつくとベッドの上に倒れこんでいた。暫くすると上の子の声がする。「パパおきて」どうやらそのまま眠ってしまっていたらしい。時計に目をやると8時を過ぎていた。休みたいという体の悲鳴と、休みたくないという心の声が僕を惑わした。休もうか。。。いや、しかし。。少し冷静になって考えてみた。この1週間の平均睡眠時間は。。。3.5時間だるいはずだ。単純に寝不足なだけではないか。うつのせいではない。自分に言い聞かせるように独白し、下腹部に力をこめて起き上がった。上の子は、そんな僕を心配そうな目で眺めていた。上の子を抱き寄せ、丹念に頭を撫でた。「大丈夫。パパは大丈夫。ちょっと疲れているだけさ」上の子をそうなだめながら、自分自身に言い聞かせていた。あるいていくには今の体調はつらいので電車で会社に行く事にした。今日は上司と今期の目標設定とそれに対するレビューがある。会社に着くとすぐに目標設定を見直した。僕はこの目標設定がとても嫌いだ。元気だった頃は良かった。自分がどれほどのポテンシャルともっていて、どれくらいそれを引き出すことが出来るのかが、だいたい把握できるので、目標を掲げる事はそれほど難しいことではなかった。しかし、うつ病になり、復職して。。。いったい僕はどれだけのことをどれだけ出来るのか不透明だった。自分のポテンシャル、仕事に対してこれからどの程度自分の力を注げるのか。。。酷くグレーだ。。でもこればかりは逃げていられない。前の上司が今の僕の目標設定の雛型を作ってくれたので、そのまま受け入れてみる事にした。全部やれなくていい。。。出来る事から出来るだけ、ゆっくりと。。目標設定も終わったので、重い身体を引きずるように本社へと向かった。本社に到着。煙草を数本灰にし、心を落ち着かせる。下腹部に力を入れ、背筋をしっかり伸ばして本社の中に入っていった。上司達がいるブースに入り、「お疲れ様です」と意外なほどはっきりとした声を出して入室した。目標設定に関するレビューの実施が始まった。僕一人では何をどう答えればいいのかまだわからない点が多い。どうしようかと考えていると、前の上司も同席してくれることになった。一通りレビューが終了した。上司はこの目標設定に異論はないようだった。「まあ、ここはbluesさんに頑張ってもらわないと。」何気ない一言だろう。でも僕には引っかかった。頑張る。。。僕は頑張るつもりは今現在毛頭ない。頑張ると奈落の底へ、闇の世界に落ちてしまう。上司には”うつ病に関する冊子”を先日人事の方から渡してもらっていたのだが、しっかり読んでくれたのだろうか?疑問がわく。その本にはしっかりと”頑張って”とは言ってはいけないと書いてあるはずだが。。。まあ、いい。今の僕はそれくらいではあまりダメージは食らわない。。はず。。。目標設定のレビューも終了したので、皆で煙草を吸いに行った。煙草がやけに不味く感じた。用賀に戻ろうかと思ったが、折角本社まで足を運んだので、担当人事と話をしていくことにした。担当人事は女性の方。とても親身になって僕の話に耳を傾けてくれる人。とても信頼しているし、その人と話をするとすっきりする。僕は、思いのたけをぶつけた。仕事のこと。自分がどこまでできるのかわからずに不安な事。上司に”がんばれ”と言われた事。そしてタイミング悪く鬱病にかかってしまい昇格を逃した悔しさ。。。全て話しきった。担当人事の方は嫌な顔一つせず僕の話に耳を傾けてくれた。胸の中にあったしこりを吐き出すように全て語り尽くしたらだいぶ楽になった。彼女に聞いてくれた事、時間を割いてくれたことにお礼を言い、用賀に戻った。用賀に戻り、帰宅した。帰宅後、僕は身体を布団の上に投げ出した。疲れた。。。それだけだった。気がつくと妻と子供達が帰ってきていた。リビングを伺うと食事が用意されていた。まだ重い身体をゆっくりと起こし夕食を口にする。夕食後、上の子に”ふみふみ”してもらうことにした。”ふみふみ”とは僕が寝そべって、その上を踏み歩いて身体を解してもらう事だ。最初嫌がっていたが、しぶしぶやってくれた。そして僕は闇の世界に落ちていた。上の子のお蔭で早く眠る事が出来た。ありがとう。
2005.08.11
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今日は上の子が林間保育から戻ってくる日。長くそして寂しさに打ちのめされて過ごしてしまうのでは?と思っていた僕ですが、イベントが多かったせいか、この日がくるのはあっという間でした。でも、毎晩寝る前に”shion 咳大丈夫かな?元気かな?”と思いながら目を閉じ、上の子の元気な姿を頭の中から引き出しました。上の子が保育園に戻ってくるのは予定では16:30。僕は会社と7時間勤務を締結している為、この日は7:30から仕事をしないと迎えに行く事が出来ない。妻の方はフレックスを使って、迎えに行くことになっていたが、どうしても僕も迎えに行ってあげたくて、今朝は5:30には起きて、こっそりと身支度を整えた。最近思うのだが、ここ数日間、6:00くらいには目が覚めて、気だるさをさほど感じる事無くおきる事が出来ているなと。。僕の場合、うつが消え去りそうな状態になると、何故か早起きになる。きっと今のところ順調に復帰できているのだろうと感じた。会社に着いてから、さっさとやる事をやってしまい、帰宅時間を待った。この時間はすごくゆっくりと流れ、苛立ちが僕の中で大きくなっていく。漸く帰宅時間になったので、僕はさっさと会社をあとにし、家へと向かった。帰宅後、簡単に着替えて、自転車で保育園へと向かう。保育園に到着。しかし、まだ子供達を乗せたバスは到着していなかった。集まっているママさんたちに聞くと、20分ほど遅れて到着するとのことだった。酷く急いでここまで来たので、喉の渇きが尋常じゃなかった。そこで、保育園前にある自販機でコーラを買い、そして煙草を灰にし、時間を潰した。ママさんたちが、がやがやとし始めた。どうやら、もうすぐバスが到着するらしい。園庭に出てバスがゆっくりとこちらに近付いてくるのをジーッと見つめた。ゆっくりと、そして確実にバスは近付いてくる。バスが園に横付けした。窓の奥を探す。!!shion!!元気そうなその笑顔を僕は待っていた。君のその笑顔を。。子供達がバスから次々と降りてくる。他のご父兄の方もさぞかし嬉しい様で、園庭内が喜びという空気に包まれていくのを感じた。皆保育園の教室に戻り、解散の挨拶をした。上の子は嬉しそうにあれやこれや色々と僕に話してくれた。帰宅途中もずっと上の子は林間保育で体験した色々なことを嬉しそうに話してくれた。そして僕は思った。どことなく話し方が少し大人っぽくなったのでは?と。帰宅後僕は新宿に行くつもりだった。先日上の子を連れて見に行ったシルバーアクセ店 DEMA に発注をかけた RAT RACE のスカルリングが届いたので取りに行くつもりだった。帰宅後、上の子にちょっと出かけてくることを話し、急いで家を出た。駅まで歩き、改札でパスネットを買ったときにふと思った。今日は家にいよう。上の子がせっかく帰ってきたんだから。そして僕は自宅に電話をし、戻る胸妻に伝えた。妻はその事を喜んだようで嬉しそうに迎合してくれた。帰宅後、上の子といっぱい話をした。キャンプファイヤー、虫取り、魚取り etc.とても楽しかったようで話が止まらない様子だった。僕は一言一言しっかりと聞き入り、林間保育での上の子の姿を頭に描いた。ひとしきり話し終わった上の子は疲れたのか眠そうにしていた。僕は疲れがたまるといけないと思い、すぐに寝かせる事にした。子供達が寝息をたてた頃、妻とようやくいつもの空気になった事を喜び合った。妻は上の子の咳がとても気になっていて眠れない日を送っていたので、こうして元気な姿を見てとても安心したようだった。そして家族皆での睡眠。僕は上の子をそっと抱きしめるように腕をまわし、その存在を確認するかのように何度も何度も頭をなでた。ああ、なんかほっとしたな。やっぱり君がいないとパパは駄目なんだよ。
2005.08.08
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昨夜は上の子の事を考えながら眠りについた。あまり深く眠る事は出来なかったが、6時には目が覚めた。2度寝はする気になれなかったので、起きる事にした。コーヒーを入れ、煙草に火をつける。たゆたう煙をぼんやりと見つめながら、上の子がいないという寂しさが意外と強いなと、考えた。お兄ちゃんが留守なので、下の子の精神状態が気になったが、昨日は何事も無かったように、いつもの調子でいたし、寝つきもよくすぐに就寝していた。shion はもう起きたかな?今日は何をするのかな?頭の中が上の子の事で満ち溢れていく。また涙が出そうになったが、ぐっと堪えて次の煙草に火をつけ、煙草を灰にしていく。煙草を灰にしていると、下の子が起きてきた。下の子に「おはよ」と声を掛けると、首をぶんぶんと左右に振って「やーだ」と言われた。。。下の子は朝はだいたい機嫌が悪く、僕が話し掛けるといつも「やーだ」と言う。むー。。。なんかむかついたので、下の子のわき腹をいっぱい擽った。いっぱい笑ったせいか、下の子はご機嫌な顔になっていた。そして僕に向かって大きく手を伸ばして、「だっこして」のポーズをとった。僕は下の子をゆっくりと抱き上げ、軽く頬にキスをした。最近気付いたのだが、下の子を抱きしめたりすると、すごく癒されていく。ほどなく妻が起きてきた。今日は妻の所属チームのメンバーと新人さんを含めて、多摩川河川敷でBBQをすることになっていた。僕はBBQ自体ほとんどしたことがないので内心楽しみにしていた。11:30。集合場所の二子新地駅前に自転車で向かった。集まっているメンバーは入社2年目と1年目の方々ばかりなので、ここ1年半ほど休職していた僕には顔と名前が全然一致しなかった。軽い疎外感を受けたが、唯一名前と顔が一致する後輩が話し掛けてくれたので助かった。それにしても皆若いな。。。僕にもこんな時代があったのかな?と疑問が頭を通過する。だいたいのメンバーが集まったので河川敷に移動する事になった。それにしても今日は暑い。太陽の日に照らされるとそれだけで汗が流れ出す。BBQの場所は二子橋の下に陣取られていて、ちょうど日陰になっていい場所だった。Good Job!後輩達よ。皆でビールで乾杯し、さっそくBBQをした。正直、皆の中に溶け込めるかすごく不安だったが、皆人なつこいキャラクターばかりだったので、変な違和感を感じる事無く、その場の雰囲気を楽しんだ。13:30頃。強烈な眠気に襲われた。薬の副作用。。いつもこの時間になると耐えがたい眠気に襲われる。必死に抵抗を試みるが徒労に終わった。素直にシートの上に横になり、眠る事にした。ん。。目を覚ますと15:00だった。随分と深く眠っていたのでだいぶ楽になっていた。その後1時間ほどみんなと会話をし解散する事になった。何故か僕が解散の挨拶をさせられた。後から聞いたのだが、妻の上司がいつも子供の世話の為にチーム飲みに参加出来ない事を気にして、今回のBBQを企画してくれたらしい。感謝です。帰宅後、無性にウィンドウショッピングがしたくなって仕方なかった。思い切って新宿にでも行こうかな?と考えたが、時間的に無理そうなので溝の口を散策する事にした。妻は出かける僕に「大丈夫?疲れていないの?」と心配そうな声で問い掛けてきた。僕は体力的にも精神的にもゆとりがあったので「大丈夫。行って来る。夕食前には帰るから」と伝え自転車で溝の口へと向かった。溝の口の丸井にて、コムサ・デ・モードのスーツが70%オフで売っていたが、先日スーツを新調したばかりなので、ここはぐっと我慢と自分に言い聞かせ帰宅した。帰宅すると、妻はお風呂を沸かし、夕食の準備をしていた。やはり、上の子がいないとバランスが悪いなと感じた。皆で久しぶりに一緒にお風呂に入り、夕食を取った。食後、疲れが出てきたのか、眠気に襲われた。また明日から一週間が始まる。体力温存の為に今日は早く寝ようと思い、就寝した。上の子は元気にしてるだろうか?明日、元気な姿を見れるように祈り、目を閉じて闇の中深く沈んでいった。
2005.08.07
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今日は本当に色々な事、イベントがあった。その全てを僕は楽しむことが出来た。僕の鬱の波はだんだんと闇の中に帰還しているように感じる。実際、今日は本当に楽しく過ごした。一日中こんなにも楽しさを感じ、生きていることに対して喜びを感じた日はこの3年間で初めてかもしれない。楽しい時間は早く進むと言うが、まさにその通りだな、と感じた。僕は今、本当に嬉しく思っている。この平成という時代。何万光年というオーダーから見るとほんの一瞬の時代。宇宙規模で捕らえると、銀河系の中の小さな系である太陽系、その中の地球という星にある小さな小さな島国日本という場所。。。そして、有機物無機物から構成された体に、神秘的不可思議な精神構造を宿しこの世に生まれた。全てが奇跡的な事象の繋がり。話が深くなっていくのでこの辺でとめておいて、今日の出来事をつらつらと書き記していこうと思う。今日は上の子が林間保育に出かける日。初めて親から離れる2泊3日の旅。8:20に保育園に集合ということだったので、朝は比較的早く起き、皆出かける支度をした。shion(上の子)は随分前から今日という日を待っていた。しかし、shionは3日前から喘息のような咳に悩まされていた。僕は「パパとママが必ず林間保育に行ける様にするから。だからパパの言うことをしっかり守ってね」と伝え、まめなうがい、早めの就寝をさせた。しかし、shionの咳はとまることが無かった。林間学校当日。shionは起きると妻に抱きつき泣きだした。どうやら咳がなかなか止まらずに、昨晩咳きこんでいたのが苦しかったらしい。「shion、今日どうする?パパは行かせてあげたいけど、shion辛くない?」上の子は涙を流しながら葛藤としいた。悩みに悩んで出した結論は。。。林間保育に行く!僕は上の子の気持ちを尊重して断腸の思いで行かせることにした。保育園に家族みんなで向かった。保育園に到着すると上の子は友達たちの輪の中へと溶けていく。僕は上の子の様子を伺っていた。どうやら咳はだいぶ落ち着いてきているようで、咳き込むシーンは見ることが無かった。薬が効きだしたのかもしれない。出発時間となった。上の子は満面の笑みを浮かべてバスへと乗り込む。僕は上の子が見えるところに移動し手を振った。上の子は笑みを絶やすことなく手を振り返してくる。。。。不覚にも僕は涙していた。大好きな上の子。僕が鬱に襲われているとき、必死に支えようとした上の子。その子が初めて僕の元から旅立つ。胸が締め付けられる思いだった。僕は涙がほほを伝うのを感じながら、笑顔を作り上の子にいつまでも手を振った。バスが動き出した。。。。元気に遊んでおいで。。保育園の皆と最高の思い出を作っておいで。僕は胸元に光るクロスを握り締め、上の子の無事を祈った。家に帰り、上の子がいないという違和感を感じながら出かける支度を始めた。今日は午後に Loud Style Design(L.S.D) というドメスティックシルバーブランドのツアー最終日なのである。”tour2005 ReLOAD the HELL”地獄への再還。。会場は、L.S.Dの拠点 REFUSE。会場に到着してびっくりした。イベント参加者の列が地下鉄へ続く階段まで続いていた。僕は軽い憂鬱感を抱きながら列へと並んだ。結構時間があったので僕の前に並んでいる二人組みの人と話をした。こうやって人と会話が出来るようになったのも、鬱から脱出しつつある証かもしれない。ちなみに前回のイベント風景がHPにアップされてます。僕の姿がとらえられてます。ここ。ヒントは黒いTシャツ、ジーンズ、ブラウンヘアー。興味のある方は探してみてください。徐々に列が店へと消えていく。そして僕は漸く太陽の下に身を投じることが出来た。ふと見ると、deaf breed のデザイナー、高橋さんの姿が。。僕は列からしばし抜け、高橋さんと少し会話をした。(実は今度、僕がもっているブレスをカスタムするのである。その構想についての話をしました。)高橋さんとお話をした後、また列に戻った。15分ほど待っただろうか?漸く店内に入ることができた。ん?スタッフが「じゃんけんして買ったらこの商品89円でいいよ。」どうやらこのツアー最終日のイベントの一つは ANOTHER HELL(L.S.D のセカンドライン)を89%引きで販売することのようだった。いざ、じゃんけん!。。。負けました。。。でも、LAR-001_Lost_in_Shadow というドクロが前面に突出したリングを89%引きで買いました。リングを買うと、L.S.D のデザイナー高蝶さんがリングの裏に”89”と彫った。いったいどういう意味が含まれているのか謎だが、デザイナー本人が彫ってくれたことに嬉しさを感じた。リングを買い、外にでると十三(じゅうぞう)のアイテムが全て\1,030で売っていた。僕はハットをかぶったスカルのトップと赤い皮のブレスレットをチョイスした。本当はイベントが終了するまでその空間にいたかったが、夕方から上の子のクラスの父母懇親会があったので、後ろ髪引かれる思いで、その場を後にした。懇親会会場の溝の口に向かう。どうやらこのペースで行くと、15分ほど遅れそうだ。妻にその旨メールして僕は軽い疲労感を感じながら電車に揺られていった。懇親会会場に到着。もう既に皆さんお集まりだった。ビールを散々飲み、パパ、ママ達と会話を楽しんだ。ちゃんと会話できるか不安だったが、何の違和感も無くその場の雰囲気を楽しむことが出来た。ママさん達が僕の噂話をしているのが聞こえた。”shion 君のパパってわかいですよねー”(上の子の父母さん達は僕より4,5歳上の方がほとんどなのである。)一次会が終了。妻はここで先に家に帰っていった。なんせ下の子がいるので夜遅くまではいれないからだ。2次会参加組みは近くにあるカラオケボックスへと入った。結構、歌いました。そして Gackt の”Last Song”で最高得点95をマーク。皆さんから賛辞を受け、少々照れる自分がいた。2次会も終了したので、家が同方向の方々と歩いて帰ることにした。家に着くと、またまたテンションがあがった。なんと DARTS(Gacktプロデュースのブランド) の作品たちが届いていた。出荷が8/5から始まることはしっていたが、もう届くとは。高まる鼓動を抑えながら箱を次々と開封していく。ああ、やっぱいいな。シルバーの輝きは。。。テンションがすっかり上がりきった僕は、妻の誕生日まで温存しておこうと思っていたDARTS of deaf breed のピアスを妻に渡してしまいました。まあ、喜んでくれたのでいいかな。本当に色々な事があったな。今日のことを反芻すると口元がにやけそうになる。上の子は今どんな空をみてるんだろう?大好きな上の子の事を思い、疲労から来る眠気に任せて、深い闇の中へと沈んでいった。
2005.08.06
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今日はいつものような日記ではなく、最近思う事があるので、それについてつらつらと書いてみようと思う。最近、ある男性(Sさん)とある女性(Tさん)が僕達の間で噂をまき、反感を買っている。そもそも発端は Sさんと Tさんが一緒に煙草を吸っている現場がよく目撃されているということである。もともと Sさんは A君という連れ煙草仲間がいた。その A君は最近一人で煙草を吸っている。A 君に「最近 Sさんと一緒じゃないね。なんか Tさんと仲良くしてるみたいだけど」と聞いてみた。A君と Sさんは大の友達。A君曰く「単純に仲が良いみたいだよ。」とちょっと寂しそうに話していた。その時は僕も「そうなんだ。。」と答えて深くはつっこむことをやめた。しかし、やはり波紋は広がっていった。別に連れ煙草してもいいとは思います。僕個人的には中学生でもないんだから連れションみたいなことはしたくない。だが、彼らは毎回毎回示し合わせて休憩を一緒にとり、煙草を吸っている。何が問題か。。。それは、彼らが煙草を吸っている時の距離である。そして、ここポイント高いんですが「お互い既婚者」なのである。ちょっと近いんじぇないの???と果てしなくクエスチョンマークが続く。。二人は寄り添うように煙草を灰にしていくんです。もうはっきり言って、くっついてしまっているようにしか見えない。そして、僕はどうかというと。。僕は妻と同じ会社、同じ部署で働いている。しかし、会えて仕事中は話したりすることはしていない。もちろん、煙草を灰にする時は各々勝手に行っている。唯一、一緒になるとすると昼食を取る時ぐらいである。僕は配属当初、僕の世話見係であった妻と出合った。仕事上の先輩ではあったが、お互い気が合って、良く仕事終わりに飲みに行った。そして一度は別れたものの、妻の妊娠が発覚した事を気に、もう一度一緒に頑張ろうと誓いを立てたのである。僕達の場合は、お互い独身だったし、また、飲みに行く時もわざわざ会社からちょっと離れた場所に各々向かって、現地集合していたので、当時はあまり僕達が付き合っていることを把握していた人は少ない。僕が所属している部署は、出会いの少なさからか、意外と社内恋愛している人が多い。ちょっと話はずれますが、この前所属部隊での飲み会がありました。その席である方に「世話見係と禁断の結婚をしたってbluesさんですよね?」ちょっと待って。禁断ってどういうこと?僕は会社も出会いの場だと思っています。それがたまたま僕の世話見係だっただけのこと。話を戻します。その Sさんと Tさんが同じ日に休んだ時がありました。僕はちょっとだけ疑いの目を持っていましたが、妻の隣りに座っている新人さんとかはかなり怪しがっていたそうです。新人にまでそんな目で見られていることを彼らはきっと気付いていません。そして、彼らは同じ期間夏休みを取得したそうです。もうはっきり言って救い様がありません。以下ちょっと普段の自分の口調でガーッと書きます。(これで印象を悪くされたら嫌ですが。。)はっきり言って目障りなんだよ。距離が近すぎるって!気付いてねーの?みんなの視線に。それから俺、言わせて貰う。個人的な感情を仕事にまで出してしまっている事にも気付いてねーだろ?あんたら。まあ、どうでもいいんだけど。俺じゃねーし。忠告してやりたいけど、Sさん、あんた俺が鬱で仕事に影響が出ているときに「なにさぼってんの?」って思って上司に告げ口したよな。俺の下で働きたいと言っていたあんたがだよ?信じられません、俺。「blues がいつもの調子じゃない。何かあったのかな?」とか思えねーわけ?まあ、普通はそう感じることは難しいかもしれないけど。。そんなあんただから俺は手を差し伸べねーよ。勝手に自爆でもして下さい。社内恋愛している人は結構いるけど、みんなそれぞれ気を使って距離とってるじゃん。既婚者同士だから大丈夫だとか思ったりしてねー?逆効果だって。わかんねーかな?A君が寂しそうに一人煙草を灰にしていることを。もう見えねーんだろうな。そういうことも。みんな思ってるよ。夏休み一緒の期間とって、あんたらどこ行くのかって。。。はぁ、すっきりした。皆様、乱文失礼。そして、これは僕個人的な意見であることもご理解ください。
2005.08.01
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朝、ちょっとここでは書けないような夢を見ていた。非常にリアルで感覚すら覚えるような夢だった。時計を見ると時間は6時。ちょっと早いが2度寝は避けたかったので起きる事にした。テレビをニュースに合わせ、PCを立ち上げる。煙草を灰にしながらPCが立ち上がるまで、ぼーっとニュースを見ていた。ニュースは土曜日に起きた地震関連を中心に報じている。PCが立ち上がったので、適当に自分の管轄サイトを眺める。ふいに、下の子の声が届いた。どうやら起きたらしい。しきりに「じゅちゅじゅちゅ」と言って妻にごろごろとしていた。観念したのか妻は起きて、下の子のコップに林檎ジュースを入れた。下の子は満足そうにそれを飲み干した。下の子は最近、コップを使って飲むことを覚えた。まだおぼつかない様子だったが日に日に上手に飲めるようになっているように感じた。トリプタノール25m×2、レキソタン2m、スルピリド100mを服用する。薬は飲んだが、金曜日の飲みすぎのダメージがまだ残っているようで、下腹部が鈍い痛さに包まれている。やれやれ。。セレキノンを2錠飲み込んだ。上の子も起きてきたので、簡単な朝食をとり、みな家を出る準備をした。準備も終わったので、ちょっと早いが皆で家を出ることにした。駅まで歩いている間、頭の中は金曜日の記憶を呼び出そうとしている。なんだか酷く憂鬱な気分になったが、とりあえず会社に行こう、と思い返しゆっくりと駅へと歩みを進めた。駅に着いたと同時に列車がホームに滑り込んできた。今日は久しぶりに電車内特有の雰囲気に酷い嫌気を覚えた。会社に到着。とりあえず、今日やるべきこと、やりたいことを本当に小さな単位で書き出す。コアタイムが過ぎたので、担当人事の方に思い切って電話をしてみた。用件は金曜日の上司の発言に対する愚痴。電話をすると担当の人事の方にすんなり繋がった。「どうしたんですか?」と聞かれたので、僕は金曜日にちょっと気にかかる言葉を受けてしまった事など、胸の奥に詰まっているものをゆっくりと吐き出していった。担当人事の方は僕の状態、病気について大変よく理解されている方なので安心して全てを吐き出した。「それはちょっと酷いですね。私のほうからそれとなく伝えますから」という言葉を頂いた。そして、僕がこうして電話が出来るようになっていることを喜んでいた。だいぶ楽になった。電話を切ってから、僕は前の上司とメッセンジャーにて会話をした。前の上司も僕の状況、病気について理解がある方なので、とりあえず全て話してみた。すると、とても良いアドバイスを頂いた。午前中はこのようなやり取りで終了した。トリプタノール25m×2、レキソタン2m、スルピリド100mを服用する。昼食は妻と一緒にラーメンでした。。。午後、案の定強い眠気に襲われた。もっていかれないようにと、只管気をはったが駄目だった。気付いた時には14時を回っていた。身体が非常に重かったので、外に出て簡単にストレッチをし、身体を解した。その後、いろいろと貯まっている小さな用件をちゃくちゃくとこなした。今日はこれまでにしようと思った時には調度勤務時間7時間をむかえていた。歩いて二子玉川に向かう。行き交う車、そして爆音を轟かせているバイクの音をバックミュージックに足取り軽く歩いていく。30分後、玉川高島屋についた。お目当ては花束。今日は僕達夫婦の結婚記念日なのである。妻が家に帰った後にふらっと花束抱えて帰宅したかったので、高島屋内をゆっくりと散策した。帰宅予定時間前30分になったので、高島屋内のフラワーショップに出向き、¥3,000ほどの花束を作ってもらうことにした。メインとする花を選び後はお店の方にお任せした。30分後に取りにくる旨を伝え、また高島屋内の散策をした。ユナイテッドアローズにて、スカルがプリントされているTシャツがあったので手にとってみた。ふーん、といった感じで眺めていたのだが、そのTシャツの下に別のTシャツがあることに気付いた。!!!!かっこいい。死神が中指を立てているプリントが前面、後面の両面に大胆にプリントされているTシャツ。即座に買いました。来る30日に、シルバーアクセ界の悪魔こと高蝶さんのイベントに参加するつもりなので、その時は死神Tシャツを着ていこうと会計しながらほくそえんだ。花束を受け取る時間になったので、フラワーショップに向かった。作られた花束は僕が予想していたよりも綺麗に出来上がっていた。店員さんにお礼を言い、シャンパンを買って家へと向かった。二子橋を渡りきったあたりで、妻から電話が入った。どうやら帰宅しても僕が家にいなかったので心配したらしい。そして、とりあえず今日は乾杯したいからビールと缶チューハイを買ってきたと知らされた。僕は何食わぬ返事をし、もうすぐ戻ることを伝えた。家に到着。結構いろんな荷物をもちながらずっと歩いてきたので、全身びっしょりと汗をかいていた。そのままリビングに向かい、ただいま、と皆に告げる。妻は換気扇の下で煙草を灰にしていたが、僕が肩にしょってる花束を見て、一気に顔がほころんでいった。とても嬉しかったのか、子供達に「パパ、お花買ってきてくれたよ」と興奮気味に話している。僕は「無事今年も今日を迎えることが出来ました。本当に迷惑ばかりかけているけど、とりあえずまた1年宜しくね」と言い、花束を妻に渡した。そして、皆で食事をし、その後、シャンパンを開け乾杯した。子供達は林檎ジュースで乾杯。僕は徐に立ち上がり、自室からGIGORのリングを持ってきた。それを妻に差し出す。気に入ってくれるか不安だったが、とても気に入ってくれた。安心感と満足感に包まれていく。(僕は前日の買い物の時に妻にキャサリンハムネットのビジネスバッグを頂きました)僕は久しぶりに心地よい酔いを感じながら、シャンパンを空っぽにした。就寝しようと寝室に入る。布団に横になり、今日一日の事を思い返す。なんとなく充実した一日になったような気がした。明日は台風。きっとなんとかなるさ。大丈夫。大丈夫。
2005.07.25
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今日は本社で僕が所属している部隊のキックオフがある。普段の通常の定例ミーティングには参加はしていなかったが、キックオフぐらいは出席しようと思い本社へと向かった。本社に着いてから、僕は緊張をほぐす為に喫煙所にて煙草を数本灰にした。さて、そろそろ行こうか、と思い喫煙所をあとにしようとした際、後ろから「blues!」と呼ぶ声が。。。誰だ?と思い後ろを振り返ると、前の上司だった。前の上司はラインから外れ、今は僕達と同じ土俵にて仕事をすることになった。とは言っても、やはりラインを任されていただけあって、与えられる仕事はほぼラインマネージャがするような管理ベースの仕事のようだが。。僕はこのとき、度の入っていないサングラスをしていたので視界が悪く、彼に気付かないでいた。サングラスを外し、仕事用の眼鏡にかけかえ、あらためて前の上司を見た。彼は僕が本社まで足を運ぶ事が出来たという事実をとても喜んでいるようだった。彼と一緒に所属部隊が待機しているルームに向かった。ルームに入って僕は少し下っ腹に力を入れ、「お疲れ様です!」と声を絞り出した。新しい上司も僕が本社まで来た事に喜びを感じてくれていたのか、満面の笑みで出迎えてくれた。さっそく場所をミーティングスペースに移してキックオフが始まった。うーん、やっぱりまだ僕はこの部隊で同僚と同じような仕事は出来ないな、と感じた。まあ、焦らず今のポジションで出来る仕事を探すなり作るなりしようと言い聞かせながら、上司の話に耳を傾けた。キックオフも無事終了。この後は用賀にてチーム飲み会がある。僕はみなさんとは少し送れて飲み会会場に着いた。会場に入ると、女性のKさんが「bluesさん、ようこそ」と人なつこい笑顔で迎えてくれた。とりあえず乾杯しようということで、上司の音頭のもと乾杯した。ビールを1,2杯飲んだ頃だろうか。。僕は上司と少し話をしていた。僕は今の状況で受け入れてくれた事、こうやって話をしてくれることがとても嬉しいというような内容の話をしたが、その思いは一転する事となる。上司から「気の持ちようでだよ。なんとかなるって」、「楽しい環境で仕事を楽しくやれば大丈夫だよ」という言葉を頂いた。後者は、うん!うん!と首を思いっきり縦に振りたくなるような言葉だったが、前者の言葉に僕は不安を覚えた。このHPのTOPにでも記載している通り、鬱病とは西洋医学では脳内の感情を制御している物質の享受に問題があり発生するもので、気の持ちようでなんとかなるという代物ではないのである。気の持ちようでなんとかなるのであれば、薬なんて存在するはずも無く、また鬱病が社会的問題とされることもない。しかし、実際には今は会社がしっかりしたメンタルケアの実施をしなければいけないほど鬱病とは深刻な問題となっている。それを理解されていないように感じて落ちました。でも分るんです。悪意は全然無く、善意で言ってくれている事も。でも、微妙なニュアンスの違いが社会という場に溶け込むことに影響を及ぼします。以前の2度の復職で、その当時の上司達には漸く鬱病とは、鬱病患者との接し方などの理解が得られたのに、またスタートに戻ったような気分になった。それで、僕は煽るようにアルコールを体内に流し込み、血流にのせ、酔い、という状態に逃げ出した。帰り、前の上司(本社の喫煙所にてごいっしょになった方)が僕をタクシー乗り場まで送ってくれた。そして、相当心配してくれていたのか、家まで送っていく、と言ってくれた。僕はその気持ちだけで十分嬉しかった。前の上司に「大丈夫です」と思いっきり笑顔を見せ、タクシーに乗り込んだ。ここから記憶が飛んでいく。鬱病。。。本当にやっかいな病気です。特に仕事の場面などでは、やれないのとやる気が無いという微妙な違いを上司を含め同僚が理解してくれないと居たたまれない気持ちに侵食される。これから、またこの認識をあわせていかなくてはいかないのか。。と思うと酷く面倒だ。僕はどうすればいいのでしょう?悲しいです。悲しいです。辛く、そしてあたりが暗いです。また闇に身を投じてしまいそうです。痛いです。苦しいです。こわれた僕の脳の再構築は難しい。光を下さい。光を。。。
2005.07.22
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帰京するにあたって、青森からではなく父が単身赴任している八戸から帰ればいいのでは?という提案を父から受けた。妻と話し合い当日あまりばたばたとしたくないので前日に八戸に行く事を決めた。早速、八戸へと父の運転で移動。僕は疲れていたのか、何時の間にか闇に支配されていた。暗闇から脱出した時は既に八戸近辺を走行していた。僕は寝ぼけ眼を何度もこすり、眠気を逃がそうと試みた。父に「あとどのくらいでつく?ここはどこ?」と尋ねると「もうすぐ着くぞ」と気分の良い調子で返答が帰ってきた。後部座席を見ると、上の子はおばあちゃんに、下の子は妻の膝に座りながら微弱な寝息を立てていた。八戸到着。荷物を抱えて八戸の父の住む県営住宅に入った。なんだか懐かしさを覚えた。僕は鬱病で休職していた時、この家で大半の時間を過ごした。すごく昔のようでもあり、とても最近の事のようでもある不思議な感覚が身体を包んだ。荷物を客間に運び込み、僕たちは一息ついた。その後、父と母が買出しに出るというので上の子を引き連れて一緒について行った。家の近所にある大きなスーパー。ここも懐かしい気分にさせてくれた。ビールとつまみになるような食材を買い、家へと戻った。残念なのは妻が食べたがっていたイカ焼きがなかった事。夕食には僕の弟夫婦も一緒にする事になっていた。弟達が到着する間に、僕はシルバーアクセの本を読み、子供たちは、はしゃいだ声で家のいろいろな部屋をまるでおいかっけこでもしているかのようにバタバタと走っていた。ここは4階。下の住人に迷惑だと思い上の子を呼び寄せて、走り回らないように注意した。しかし。。。数分もしないうちに、また、下の子と追いかけっこ状態。ぷっつんしそうなのを抑えて、再度注意した。。。。また走ってるじゃん!!!僕は上の子を呼び、読んでいた本で軽く頭を叩いた。そして、理解出来ないだろうけど下の子にも僕は怒っているんだよ、といった気持ちをこめて「だめ!」と一喝。漸く静かになった。父は弟達の到着が遅い事に苛立ちを隠せないでいた。僕はそんな父を諭し、煙草を数本灰にした。弟達がやってきた。弟達には僕の下の子の1歳したの子供がいる。つまりは、僕の子供達にとっては従兄弟。上の子は会うのを楽しみにしていたようで、なんども話し掛けて反応を見ていた。下の子は自分と同じくらいの女の子に興味を抱いたのかじっと見つめていた。皆そろったところで会食を楽しんだ。こうして親子、そして孫を含め父のファミリー全員がそろって食事をするのは初めてのことだった。僕はこの時間をもてた事、そして皆と同じ空気、空間、時間を共有できた事に嬉しさを感じた。食後、皆で外に出て花火をした。その後、家に戻り少し話をした後、弟達と再会の約束をして別れた。疲れたせいか、皆、後片付けをした後すぐに眠りについた。朝、僕は5:00に目を覚ました。昨日はほとんどアルコールを入れなかったためか、頭はすっきりと冴えていた。とりあえずリビングへ行き、煙草を何本か灰にした。「まあ、こんなものさ」何故かこんなセリフを吐いていた。まだ眠っている上の子を抱きかかえ、父母が寝ている寝室に連れて行き、父と母の間に上の子を寝かせつけた。父は薄目を空け、僕を見るとにこりと笑った。皆が起きてくるまでまだ時間があったので、コーヒーを飲み、また煙草を灰にする作業に励んだ。トリプタノール25m×2、レキソタン5m、スルピリド100mを服用する。皆が起きてきたので、朝食を取る事にした。簡単な朝食。昔、母が作ってくれていたおかず。鬱が酷い時にここで食べていた時には、そんな些細な事にさえ気付かなかった。ゆっくりとかみ締め感謝の気持ちをこめて食べ尽くした。食後、強い眠気とダルさに襲われた。僕はそのまま眠りについていた。気がつくと10:30。”。。荷物をまとめなきゃ。。”重たい身体を起こし客間へ向かった。荷物は整理されていた。妻に聞くと母と一緒に荷造りをしてしまったらしい。11:00。そろそろ駅に行く時間となった。父の家から駅までは大人の足で、だいたい歩いて5分ほどの距離。上の子はおじいちゃんとおばあちゃんの手を握り足取り軽く歩いていく。下の子は自分で歩いたり、妻に抱っこされたりを繰り返しながら、ゆっくりと駅を目指していた。駅に到着。駅弁を選び、ホームに足を運んだ。僕達が乗る列車は既にホームに入ってきていた。父と母はホームまで見送ってくれた。荷物を棚にあげ、上の子をつれてデッキへ向かった。上の子に「おじいちゃんとおばあちゃんに又来るね!っていいな」と伝えると震えるような声で僕の言葉をそのまま発していた。見てみると上の子は泣いていた。そんな上の子の姿を見た父は「運動会。見に行けたら行くからね。」と告げる。上の子は泣きじゃくりながら「うん。まってるね。。。」と返す。列車が発車するまで上の子は泣きながら、おじいちゃんとおばあちゃんと会話をした。。。。プシュー。。。列車のドアが閉まる。上の子が「あ、あ。。。」と閉まるドアに向かって声をあげた。ふと窓から父を見るとハンカチが握られていた。上の子は盛岡に着くまでの30分間、ひたすら泣いていた。よっぽど好きなんだろうな、と思いながら、上の子に方をまわした。無事に自宅に到着。到着した事を告げるために母の携帯を鳴らした。すると母から意外な事を聞いた。「お父さん、泣いてたよ。上を向いて。母さん、お父さんが泣くのを初めて見たよ」父も悲しかったんだ。強い父という印象が強いのでびっくりしたが、あの時握られていたハンカチは紛れも無く悲しみを吸い取る為のものだったのだ。切なく、胸の奥がぎゅっと締め付けられるのを我慢しながら母と会話をし、そして受話器を置いた。人と人との巡りあわせ。とりわけ自分の子供、そして孫の存在は大きく、運命的なものであろう。父と息子が流した涙は、この奇跡的なめぐり合わせがもたらす最高に綺麗で切ない雫であろう。僕もいずれは孫を持ち、同じような気持ちを味わうのかな?と感じ、夜空に瞬く星に向かって手を伸ばし「神よ。。。」と意味も無く呟いた。
2005.07.18
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7月16日から実家の青森に帰省した。上の子は前々からこの日を待ちわびていたようで、とても嬉しそうにしていた。下の子は何のことかさっぱりわからないといったきょとんとした目で僕や妻をみていた。二子新地から電車に乗る。土曜日ということもあって、それほど混雑はしていなかった。僕は優先席が設けてある付近のドアから電車に乗った。妻も下の子を抱きかかえて僕についてくる。上の子は僕の左手をしっかりと握ってニコニコしていた。。。。。優先席。。。おいおい、ここに子供を抱きかかえたか弱い女性が立っているじゃないか。なんで君たちはいつも寝たふりをして席を大変な方たちに譲らないんだ?僕は心の奥底からこみ上げてくる激情を抑えることが出来なかった。一番若いにいちゃんの前にしゃがみこみ「もしもーし」と声をかけたが知らん顔。それを見た妻は僕を必死になって止めた。「blues、いいから、私は大丈夫だから。。。」うーん、妻が大丈夫でもこの若いにいちゃんの頭は大丈夫じゃない。修正してやりたい。。。苛苛が血流に乗り、全身を駆け巡る。上の子が心配そうに握りこまれた僕の右こぶしを凝視していた。はいはい。わかりました。我慢します。うつ病が酷かったときは、きっと修正していたでしょう。これも少しは回復してきた証拠なのかな?と思った。でも、僕は悔しさが腐食しないタイプなのでこのまま電車を降りると心にシコリが残ってしまう。はぁ、どうしたものか。。。とりあえず、ひたすらめんちきっとこ。東京駅に着き、ビールを一缶空け、電車の到着を待った。上の子はとてもはしゃいでいる。下の子は初めて見る新幹線を見て「ぶーぶ」と連呼していた。「新幹線だよ」と教えると、可愛らしい声で「ちんかんちぇん、ちんかんちぇん」と言っていた。新幹線に乗り込み、指定された座席について一息ついた。ここまでの道程で少々疲れたのか、お腹が減ってきた。妻にそのことを告げると「わたしも」と言うので、ちょっと早いが駅弁を食べることにした。食後、トリプタノール25m×2、レキソタン2m、スルピリド100mを服用する。食事が終わると薬のせいもあって眠気が襲ってきた。今日は眠気を我慢しなくていいので、そのまま眠りについた。目を覚ますと仙台駅に電車が停車していた。結構寝たな、と思いながら家族の様子を伺う。全員まだ闇の世界を旅していた。僕はおもむろにバッグを空け、中から聖銀辞典というシルバーアクセの本をとりだした。おもわず口元がほころぶ。この本は7/15に発売されたのだが、帰省のとき、電車の中で読もうと楽しみを取っておいたのだ。ああ、いいなやっぱり。ぺらぺらめくったり、じっくり眺めたりしているうちに八戸に到着。皆を起こして青森行きの特急列車に乗り換えた。ここからはこ一時間ほど揺られることになる。青森に到着。ホームに降りると「blues!」という声が後ろから飛んできた。ん?と首を後ろに向けると、父と母が満面の笑みで出迎えてくれた。上の子はおばあちゃんの方に駆け寄り、嬉しそうに抱きついた。下の子は父の「おじいちゃんだよ」という呼びかけに、きょとんとした顔をしていた。父の車に乗り込み家へと向かった。実家に到着。ああ、やっぱ実家はいいですね。落ち着きます。そして、高校までのことが思い出されます。荷物をとりあえず玄関に放り込み夕飯を食べに出かけた。夕食は上の子の提案で”焼肉”となった。大人数での焼肉。最高にいいですね。雰囲気だけでご飯がすすみました。上の子も久しぶりの焼肉にとても喜び、いつもよりも沢山食べていた。家に戻り、父と飲みなおした。父がほろ酔い気分で語りだした。「お前に隠していたことがある」母がやめておきなさい、と父に忠告していたが、そこまでしゃべられると気になって仕方がないので、父に話を進める様に促した。すると、「実は、俺、心臓の手術をしたんだ。動脈がどうも上手く機能していなかったようで、もう少しで狭心症になるところだった。幸い、メインの動脈のほかに小さな動脈があり、そこが運良くも機能していたお陰で重大な状態にならなかった。今は元気そのものだ」と。。。僕は急な告白に戸惑ったが、とにかく結果的に手術は成功して、そして前よりも元気な父が今目の前にいることに深い感謝の念がこみ上げて来た。父の手をとり、「よかった。孫たちの嫁さんを見るまでは元気でいてくれ」と伝えた。酔いのせいで、口が軽くなっていたのだろう。父はさらに何かを言おうとした。それを母がまた制した。僕はまた父に話すように促した。「T先生が無くなったんだよ。自殺。車の中で一酸化中毒死。。。」突然のことに言葉を失った。Tさんとは、僕が小中学生のときにアイスホッケーのコーチだった方で、青森のアイスホッケーの立ち上げに大きく貢献した方だった。とても明るくていつも笑顔を絶やさない人だった。僕には彼の笑顔しか印象にない。母は「bluesが今大事な時期だから話さないでおこうと思ったのに、父さんったら。。。blues大丈夫?」と心配そうだった。僕は「大丈夫、でも意外な人が意外な死に方を選んでびっくりしている」と告げた。父の心臓手術の成功、そして相反して恩師の自殺。対局しすぎてどう反応して、どういう顔をしていれば良いのか分からなかった。自殺する前に恩師に言いたかった。「死ぬのはいつでもできます。だから今日は生きてみましょう」と
2005.07.16
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久しぶりに、いつものような日記を書いてみようと思う。朝、目が覚めると時間は6時過ぎだった。まだ起きるには早い時間ではあったが2度眠はしたくないので、そのまま起きてPCの電源を入れた。マシンが立ち上がるまでコーヒーを入れ、煙草を1本灰にした。徐にPCに向かい、とりあえずオークションサイトを眺めた。ああ、一個落札できていた。昨日、干支にまつわる梵字が描かれているオニキスブレスを発見した。といっても僕の干支ではなく友の干支なのだが。早速取引相手にメールし、女性用に直して欲しい旨連絡した。その後、天気予報を確認しシルバーアクセのサイトを一通り見て、妻達が起きてくるのを待った。時刻は7時をまわりかけていたが、誰も起きてくる気配は無い。仕方無しに寝室にいき、手を軽く叩いて起床を促した。下の子は既に起きていたようで、ブロックで遊んでいた。妻と上の子は眠たげな瞳で僕を見つめた。僕はもう一度、朝が来た事を告げ、食事をしようと促した。トリプタノール25m×2、レキソタン2m×2、スルピリド100m を服用する。子供達と菓子パンを食べ、なんとなくテレビを見た。橋本氏死去。。。それだけが印象に残った。朝食後、歯を磨き、洗顔し、髭をそり、ローションを塗って顔を整える。最近はまっているのが 資生堂 MEN のスキンケアグッズ。僕の友人が資生堂系列のAYURAに勤めていて、社員価格で帰るよと伝えられたのが使用するキッカケだった。学生時代はローションと乳液を使用していたが、社会人に入って彼は全然ケアする事は無かった。ここ最近、自分の肌の衰えと言うか張りの無さと言うか。。。気になって仕方なかった。それで使うようになった。いいですよ。資生堂 MEN のスキンケアは。準備が完了した頃には妻も化粧を終えて、いつでも出勤できる状態で待っていてくれた。今日はごみの日。ごみは僕の当番となっていた。ごみ袋の口を結び、家を出る。子供達が妻の自転車に乗り込み、歩く僕を追い抜いていく。「rion バイバイ。shion いっぱい遊んでおいで」と僕は伝えた。駅につく。僕が乗り込む時間は結構混雑する時間帯なのだが、電車内特有の匂いや人々が発する熱にだいぶ慣れて来たな、と感じた。会社に到着。ああ、みんないない。というのも、僕の所属する部隊が用賀から本社へと移動になったのである。しかし僕には本社に毎日通勤する事がイメージに沸かなかったし、何より僕の主治医は用賀にいるので、新しいラインマネージャに相談し、一人用賀に残してもらった。うーん、なんとなく開放感も感じるのだが、淋しさと不安が募ってきた。席につき、ウーロン茶を飲みながらメールのチェックをする。その途中に僕の座席の電話がなった。出てみると上司からで「ミーティングするからbluesさんはテレカン形式でお願い」ということだった。1時間ほどみなの言葉に耳を傾けた。。。。やっぱりテレカンよりは顔を見てミーティングしたい。。。欲求は強まるが、今の僕はまだ復職リハビリ中の身。一気に行動範囲を広げたり、仕事を増やす事はしないように自分自身に言い聞かせた。ミーティングも無事終了したので、再度メールの確認をした。確認し終えた時にはお昼ちょっと前だった。その空いた時間に楽天のこのHPのチェックをした。ん!?USにいる友人の書き込みがあった。僕は即座に友人にメールを送った。「見てくれていてありがとう」素直な気持ちでメールした。昼食。昨日は妻と一緒に食事をしなかったので今日はラーメンかな?と思っていたら案の定、妻はラーメン屋に行きたいと申し出た。まあ、いいでしょう。僕も嫌いではないし。トリプタノール25m×2、レキソタン2m×2、スルピリド100mを服用する。午後、強烈な眠気に襲われる。その眠気は僕の意識を一気に闇にもっていくような強力な力があった。ここ最近、午後はいつもこの強烈な眠気に襲われる。一度襲われると、一気にもっていかれ、1時間ほど眠りについてしまう。今日も時計を確認すると2時半だった。ああ、またか。。。。ま、仕方ないな。薬まだ強いし。。。寝起きのボケた頭を再構築するために、コーヒーを買いに会社を出て、喫煙所でコーヒー片手に煙草を数本灰にした。なんとなく頭がスッキリしてきたので自席にもどることにした。今与えられている簡単な仕事をサッと片付けて、空いた時間にネット上を旅した。帰宅時間になったので上司に帰宅する旨メールし、歩いて帰ることにした。(最近は雨が降らない限り、帰りは歩くようにしている。だいたい40分ほどのウォーキングである)二子橋を鼻歌交じりに歩く。風が吹き抜ける。心地良い涼感を感じ、そして軽く両手を開いて風を出来る限り全身で感じる様にしてみた。帰宅後、腕立て、ダンベルあげ、腹筋等しながら妻達が帰ってくるのを待った。最近、毎日身体を苛めている。身体のラインが崩れるのが嫌だから。。。もう32になるし、いまから気をつけておかないと、という強迫観念も後押ししているのだが。ほどなく妻達が帰ってきた。みなで夕食をとり、そして僕は下の子が眠るまで一緒に遊んだ。下の子が眠りについた後は上の子が奏でるピアノの音色をバックに本を読んだ。=======ここまで書いてみて気がついたのだが、以前の僕が感じていた、孤独感、疎外感などあまり感じる事無く一日を過ごしているな、とあらためて感じる。はっきり言って会社には申し訳ないぐらいの仕事しかしていないのだが、ここで焦っては駄目だと言い聞かせている。きっと今回こそは脱出出来そうだ。さらば、タナトスコンプレックスよ。。。
2005.07.12
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僕は約2年半前に重度の鬱病と診断された。それまでの僕の人生は、なんとなくではあるが挫折をほとんど味わう事なく生きてきた。しかし、どれも酷く中途半端な生き方をしていたように今では思う。大学はアイスホッケーが強い国公立大に入学したくて、高校時代は必死に勉強した。いざ、大学に入り、部に入部したら、そこには納得の出来ない秩序が形成されていて僕のアイスホッケーに対するスタンスを曲げざるを得なかった。はっきり言って年功序列型の体育会系にありがちな体制がそこにはあり、僕はその世界に身を投じた事に些かの不安を覚えた。歳が経つにつれ、プレイヤーとしての限界を感じていた僕はコーチングで生活出来ないかと模索し始めた。しかし、当時のアイスホッケー界ではそれは無理のある事だった。そして僕はアイスホッケーからすっぱり足を洗った。大学院を卒業した後、僕は希望していた会社へ入社していた。新人研修を終え、自分が希望する部署に問題なく配属され、その部隊での仕事を始めた。仕事は僕の性格、性質に合っていた。新人の中では一番できるという自負もあった。僕は部署内で様様な製品に関わるようになっていた。そして、うちの部署内でもっともスキルを要する部隊に配属されていた。そこでは2年半ほど頑張った。その後、あるチームのリーダーに赴任した。ある日、僕はどうしようもなく現実から逃げたいという衝動に駆られた。そして僕は急行列車に飛び込もうとしていた。幸い周りの人々が僕の異変に気付き羽交い絞めにしてくれたので、命を消す事はなかった。この衝動は無意識のうちに発生していた。自分の心の叫びが初めて聞こえた僕はかかりつけの心療内科に駆け込んだ。診断の結果は「重度の鬱病」。主治医に今すぐにでも会社を休職して、入院なりした方がいいと言われた。会社を休む事に非常に抵抗があったが、医師の言うとおりに従った。最初の休職期間中は何をしていいのかわからずに毎日を送っていた。ただただ時間だけが無情にも過ぎていくばかりだった。3ヶ月後、精神的に少し安定が見えてきたので、主治医と話をし、復職する事にした。復職後、復職前と変わらない仕事をこなして行った。質量ともにまったく以前と同じハードな仕事量。そして3ヶ月の月日が経った。僕は会社で倒れた。パニック発作を発病させていた。すぐさま主治医のところに連れて行かれ、診断を受けた。自分ではあまり無理していたわけではなかったが、心が精神が悲鳴をあげていた様だ。そして又しても休職をするよう診断が下された。この2度目の休職は5ヶ月に及んだ。その間、僕は2ヶ月ほど実家に戻っていた。何をしていたのかは、はっきり言ってほとんど覚えていない。ただ、起きて薬を飲み、食欲を満たし、そして眠る、といったサイクルを何度も繰り返していた。この2度めの休職の間に、僕の父母と僕の嫁さんの間に角質が出来ていった様だ。何をする事も無く過ごしてきたが、薬のお蔭なのか精神的闇から少しずつ脱出していた。休職して5ヶ月が経った時に主治医の方から復職をすることを提案された。僕は復職する事が酷く怖かった。しかし、何もせずに時間の流れを見つめている事はもっと苦痛だった。そこで僕は決断した。「復職しよう」と・・・この時の復職の際には、事前に僕の上司と主治医との間で、どのように復帰していけば良いか、どのようなことをしてはいけないのか等を話し合ってからの復職となった。上司も人事の方でも僕の身体の事を考慮して受け入れる体制を整えてくれた。約7ヶ月。順調に仕事をこなし、そして僕は新しい部隊に配属する事を希望した。新しい部隊では、やることなすこと全てが初めてのことだったが、どうせ始めから上手くはいくはずがない、と自分に言い聞かせ、ゆっくりと自分のペースで仕事をした。ある日、新しい仕事をやることになった。仕事の内容はだいたい把握していたが、詳細まではわからなかった。その仕事の詳細を先輩に聞いていたら胸が詰まる感じがした。次の日、僕は闇の中にまた身を投じていた。そして3度目の休職をすることとなった。この休職は6ヶ月間にも及んだ。毎度の事であるが、何をしていたのかほとんど記憶が無い。すっかりタナトスコンプレックスに冒された僕の精神構造は、なかなか再構成されることがなかった。正直、ここで精神が上向かないのなら、もう人生捨ててもいい、というところまで落ちていた。しかし、それは出来なかった。shionとrion、そして妻を置いていく事はどうしても出来なかった。「今日は死ぬのはやめよう。死ぬ事はいつでも出来る。だから今日はやめよう」毎日そう思いながら過ごした。この期間、夜に時々二子玉川のスナックに週に一度のペースで通っていた。まあ、昔からの行きつけの飲み屋だ。その飲み屋の娘に、歌声がGacktに似ていると言われた。彼女はGacktのファンクラブにも入っている、根っからのGacktファン。その彼女が言うのだから少しは似ているのかな?と思い彼のCDを一枚買ってみた。心打たれるものがあった。そして僕は彼に興味を持つようになった。そして彼が身に付けているものに興味が湧いた。もともとシルバーアクセが好きな僕は彼が付けているアクセに強く惹かれた。彼のお蔭で、”何かに強い興味をもつ”という感覚が蘇った。鬱病にはこうした感覚が回復するためには重要な事である。彼自身、そして彼の歌。彼が身に付けているもの。とにかく気になってしかたなかった。そして僕の興味はシルバーアクセに落ち着いた。この興味のお蔭で、僕は様様な方と出会えた。特にGacktプロデュースの DARTS を創造する人達。彼らに会って、そして彼らの作品に触れ、お守りのように身に付ける事で幸せと安堵を感じた。昨日もとても貴重な時間を過ごす事が出来た。彼らの感性に触れ、そこから創造される作品を見つめ、身につけることが今の僕にはとても幸せなことだ。彼らは”タナトスコンプレックス”をどのように表現するだろうか?というのが今気になる事である。もし、時間と懐が許すのなら、カスタムメイド、僕だけのアクセを作ってもらえたらなー、と思う。なんて図々しいか。とにかく、僕が言いたいのは、Gackt へ、そして彼の個性を引き立てている創造者達へとても感謝しているということだ。僕は本当に闇をみた。そして今はシルバーの輝きに魅了され、上を向いて歩いている。闇からの脱出に万歳。封印されよ、タナトスコンプレックス。==================================================# なお今回の DARTS 第5段で僕は以下のものを注文しました。# http://www.tsutaya.co.jp/sp/gackt/index2.html## ・DARTS of GIGOR sleek flow (for myself)# ・DARTS of GIGOR aile (for my wife)# ・DARTS of GIGOR aile (for myself)# ・DARTS of deaf breed DREAM × 2 (for my wife)# ・DARTS of TAUJAN Geburah (for myself)
2005.07.10
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土曜日、今日は大学時代のOB会(体育会系アイスホッケー部)がある。体調もまずまずなので出席する事にした。開始時刻は、11:45分で、場所は裏原宿。家を出て順調にJR原宿駅にたどり着いた。それにしても休日の原宿は、凄まじい混み様であった。ほとんどが学生という若い人々で埋め尽くされている。酸素が足りない。。そんな息苦しさを感じながら、竹下通りを明治通りに向けてぬけていく。途中、セブンイレブンが見えたので、そこでミネラルウォーターを買い、少し早いが薬を飲む事にした。トリプタノール25m×2、レキソタン2m×2、スルピリド100m を服用する。キャッチの黒人が僕の方を見ていたので、思いっきり睨み返してやった。「俺はあんたに声掛けられたくないんだよ」心の中で独白し、残ったミネラルウォーターを一気に飲みほし、また明治通りへと歩き出した。やっとの思いで明治通りに到着した。雑踏から解放され、空の青さを実感し、少しだけ心地よい開放感に浸っていた。裏原宿に入り、目的の中華料理屋までゆっくりと歩みを進める。すれ違い様に制服をきた、未成年らしき少年に思いっきりメンチをきり、「歩き煙草なんてダセー事するなよ」と言葉を吐き捨てる。少年はばつが悪いようにその場をスタスタと立ち退いた。まったく。。。ちなみに僕は歩き煙草が嫌いである。特に女性の歩き煙草は見ていて吐き気がするほど嫌いだ。はっきりいって格好悪い。話が脱線したのでもとにもどす。目的の中華料理屋についた。現役達が僕を迎えてくれた。その中の一人が僕の顔を覚えていたようで、申し訳なさそうに口を開いた。「今日、OBはbluesさんをいれて5人程度しか来ないんです。。すいません。」うーん、折角懐かしい顔に会えると思っていたので拍子抜けしたが、まあ、飯だと思って中に入った。広広とした空間に、まだスーツが似合わない現役部員達がひしめいていた。僕は会場のど真ん中の席に着いた。煙草を数本灰にして、OB会が始まるのをまった。2本ほど煙草を灰にしたころ、漸くOB会が始まった。僕の隣りには、現役の主将とマネージャーが座っていた。マネージャーに「お洒落ですね」と言われ、少し照れながら「じゃらじゃら、ちゃらちゃら、しているだけ・・・」と答える。現役の主将が僕の開いているジョッキにビールを何度も継ぎ足してくれた。4,5杯飲んだ時に、僕は明らかに違う身体の異変を感じ取った。急激な眠気に襲われたのである。たかだかビールくらいで・・・そして、気がついたときには終演をむかえていた。3期のOBの方が僕をお茶でも飲もうかと誘ってきたが、この身体で先輩の話をしっかり聞く自身がなかったので断った。それ以降、記憶が断片化している。A Little villeage と beams に寄ったような感覚が残っているが、何をどう見たのか全然はっきりしなかった。どうやって渋谷まで戻ったのかするわからない。気がついたときには、田園都市線に乗り込んでいた。電車に乗って安心したのか、僕は更に酷い睡魔に襲われた。気がついたときには終点の中央林間の3つ手前の駅に着いていた。やばい、かなり寝てしまった。焦って電車を降りたが、そこは渋谷方面のホームだった。?????????頭の中が一瞬パニックを起こす。冷静になるように自分に言い聞かせ、今の状況を分析してみた。渋谷方面のホーム。。。ん!?ということは一度中央林間まで行って、戻って来たと言うことになる。自分の状態に呆然とした。まだ揺れ動く頭をなんとか固定し、ホームで電車を待った。乗った列車は各駅停車。途中の長津田で急行に乗り換えた。そして再び酷い眠気に襲われた。必死に耐えたが、一瞬のうちに精神構造が停止した。気がつくと二子玉川の駅を出る所だった。げげ・・・2度も乗り過ごしてしまった。どうなっているんだ?僕の身体は。。。しかも、乗っていた列車が急行だったのが災いし、かなり渋谷よりの三軒茶屋まで運ばれた。これにはすっかりまいってしまった。時計を見ると、渋谷を出たであろう時間から1時間程度たっている。三軒茶屋で降り、二子玉川行きの列車の到着を待った。ほどなく列車が来た。今度は眠らないように立つ事にした。それでも強烈な眠気が襲ってくる。何とか耐えて、二子新地駅にたどり着いた。駅に着いてすぐに自宅に電話した。今日は遅くなるかもしれないと言ってあったので。。。帰り道、ふらふらする頭をなんとか上げ、家へと向かう。そして、今日のこの電車事件について、僕なりに考えてみた。原因は一つしか考えられなかった。・・・薬・・・・・そう、薬を飲んであまり時間が経っていないところにアルコールが入ったせいだ。今は朝昼の2回の服用なので、夜に飲みに行っても、それほど眠気を感じることも無いし、記憶障害を起こす事も無い。しかし、休職中の朝昼晩の3回服用していた事を思い返すと、飲みに行ったときは、大概記憶をなくしている。やはり、薬とアルコールの併用は危険だと再認識した。みなさんも気をつけましょう。
2005.07.02
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昨晩、コーヒーの量を減らして、就寝2時間前には飲まないようにしたところ、比較的楽に眠りにつくことが出来た。朝、いつもより30分ほど早く起きた。起きたと言うよりは、下の子に起こされた、というのが正しい表現であろう。外は雨。嫌だな。。そう感じながら、マルチビタミンをミネラルウォーターで飲み込んだ。妻も起きてきて、ちょっと早いが食事を取る事にした。上の子をそっと起こす。上の子は比較的すんなりと起きてくれた。今日の朝食はパン。といっても最近毎日パンなのだが。ちょっと物足りなさを感じた僕はバナナを一本追加で胃袋に放り込んだ。トリプタノール25m×2、レキソタン2m、スルピリド100m を服用し、煙草を灰にしていく。上の子の食事が終わるまで、コーヒーを飲み、煙草を灰にする作業を単純に繰り返した。上の子の朝食が終わったようなので、一緒に歯を磨こう、と誘った。上の子は僕の誘いに乗り、一緒に洗面所に向かった。鏡越しに歯お磨いている上の子を見る。上の子は僕が磨くのを真似て磨いている様子が手にとるようにわかった。だから、僕は念入りに歯を磨いた。その後、洗顔し、髭を剃り、ローションを顔に叩き込んだ。最近、と言っても30歳になってからなのだが、まず、髪の毛が細くなっていっているように感じた。そして同時に肌もなんとなく張りがなくなっているのを感じた。だから僕は昔のように肌の手入れをする事を数日前から始めた。今使っているのは DHC for Men なのだが、以前、AYURAに勤めている友達にもらった資生堂のメンズコスメの方が自分に合っているのでは?と思っている。準備も終わったので Gackt のメタモルフォーゼの PV をかけた。これも最近習慣になっていることである。この曲を聞くと自然とテンションが持ち上げられるから。妻達の準備も終わったので、家を出る事にした。雨はまだしきりに降っている。カッパに身を包む妻、そして、子供達を見ると、少しばかり心が痛んだ。昔は雨が降ろうが、雪が降ろうが、子供達を保育園に連れて行くのは妻の仕事だ、と勝手に自分で思い込んでいた所があったのだが、今はそうは思わなくなった。申し訳ない。。。と言う気持ちの方が強い。雨の中、駅まで歩き、そして滑り込んできた電車に身体を押し込めた。雨降りなのでいつもにも増して電車内はムッとした嫌な空気が充満していた。酷く嫌悪感を抱いたが、たった10分弱の辛抱である。自分に落ち着け、と言い聞かせ揺れる電車の中、人々に身体を預けた。会社に入り、自席に座って PC の電源をいれる。そしてメールのチェックをした。一通りチェックが終わったので、喫煙所で何本か煙草を灰にした。その間、出勤してくる同僚多数にしっかりとした声であいさつをした。あいさつをする。凄く当たり前の事だが、しっかり、はっきり挨拶が出来ている人が意外に少ないことを感じた。僕はこの挨拶をする、という行為で覇気を上げている。たったこれだけの事を当たり前にするだけで僕の心は少しずつ会社に社会に順応していく。お昼。妻と一緒に食事をとることにした。案の定ラーメンなのですが。。。食後、時間があったので近くの100円ショップに足を伸ばした。そこで、子供達のかかりつけの内科の先生に会った。先生は、「何で二人一緒なの?」と不思議そうな様子。僕達は社内結婚であることを告げるとびっくりしていた。トリプタノール25m×2、レキソタン2m、スルピリド100m を服用する。午後、強い眠気に襲われた。何度も頭が落ちそうになったが、必死に耐えた。しかし、気がついたら15:00をまわっていた。うーん、どうにかならないものだろうか。。この眠気。起きたところ、なんとなく体調が崩れだしていることを感じた。きっと中途半端に寝てしまったからだろうが、なんとかしないと、と思い喫煙所で煙草を数本灰にし、リポDを飲んで、自席に戻った。そろそろ出勤するだけでなく仕事をしようと真剣に思い出した。そこで、以前の仕事の整理を少しだけしてみた。心の揺れはなかった。帰宅時間になったので、上司宛にメールを送り、本日の勤務時間を知らせ、歩いて家に帰ることにした。帰りの途中、高島屋に行きウォーターマンのボールペンをプレゼント用に包装してもらった。というのも、今週で内の会社を辞め、転職をする後輩への贈り物が欲しかったからだ。この後輩は僕の一つ下の代で、彼が配属した当初は僕の目の前に座っていた。仕事を教え、そして一緒に何度も飲んだことを思い出す。彼は僕を兄のようにしたってくれ、そして、とても優しい性格が僕には心地よかった。一番かわいがった後輩である。帰宅後、適度に筋トレし妻達が帰ってくるのを待った。妻達が帰ってきた。僕と上の子は夕食の前にお風呂に入った。僕は上の子に必ずすることがある。それは、今日一日保育園で何をし、何を食べ、そしてどう感じたかを聞くことである。記憶力の増強を図るためだ。上の子はいつも一生懸命に頭の中の回路を繋ぎ合わせ、その結果出てきた記憶を僕に伝えてくれる。お風呂からあがり、夕食をとった。夕食後、子供達が寝てから、僕は漫画を読む決意をした。たかが漫画であるのだが、読むこと、頭を使うことを極力避けてきた僕には勇気のいる決意だった。読んでみると、すんなりと読めた。なーんだ、読めるんだ!?正直な感想である。漫画を半分くらい読んだところで就寝時間になったので寝ることにした。明日もみんなにあいさつをしよう。## 新しいページ「Silver Style」を作りました。自己満のページですが良かったらみて下さい。
2005.06.22
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気だるい。。昨晩、寝る前にコーヒーと煙草を摂取しすぎたせいか、あまり眠る事が出来なかった。ずっと夢を見ているかのような浅い睡眠しかとれず、いつしか朝をむかえていた。夢。。僕が大学院生~社会人1年目まで付き合った彼女が出てきた。彼女は悲しげな顔をして僕の側からはなれなかった。どんな風景の中、二人は歩いていたのかは覚えていないが、悲痛を顔に浮かべた彼女とその彼女に何もしてあげれないという葛藤を抱いた事は覚えている。瞳を開くと、朝日がリビングに差し込んでいるのが見てとれた。重たい体を起こし、リビングへと向かった。まだ家族は寝ている。僕はマルチビタミンをミネラルウォーターで飲み込み、コーヒーをいれ、煙草を灰にしながらさっきまで見ていた夢を思い出そうと頭の中を探った。しかし、それは徒労に終わった。トリプタノール25m×2、レキソタン2m、スルピリド100mを服用する。7:00。下の子が起きたようで機嫌の悪そうな声が聞こえた。その声で起きたであろう妻が下の子を抱っこしてリビングへと入ってきた。寝室を見ると上の子がまだ布団の上に横たわっていた。僕はそっと上の子のもとに行き、囁くような声で上の子に起きるように伝えた。上の子は目をしばたきながら起きてきた。家族全員が起きたので朝食をとることにした。パンとバナナといった、いたってシンプルな朝食だが、今の僕にはちょうど良い量であった。食事を終えたので、身支度をすることにした。上の子を洗面所に呼び出して、一緒に歯を磨き、洗顔した。冷たい水のお蔭で、眠気に揺られていた僕の頭は少し冴えてきた。着替えをし、デフブリードのチャームタイプのピアスをぶら下げ、右手の人差し指と小指をリングで武装した。妻も子供達も出かける準備が出来たので、皆で家を出た。外は梅雨時特有の湿度の高い纏わりつくような空気で溢れかえっていた。この空気に苛立ちを覚えたが、「こんなものさ」と独り呟きマンションの外へ出た。子供達を自転車に乗せた妻が僕の横をゆっくりと追い抜いた。同時に上の子の声が飛んで来た。「パパ、気を付けてお仕事行ってね」僕は「大丈夫」と返事をし上の子に「いっぱい遊んでおいで」と告げた。上の子は満足そうな顔をして、妻に連れられていった。僕はゆっくりと駅へと歩を進めた。違和感を感じる事も無く、会社に行く事に対して別段恐怖も抱く事はなかった。駅に着くと調度電車が滑り込んできた。電車内に体を押し込める。軽く額に汗をかいているのを感じ、ハンカチでおさえた。人が発する熱と、湿り気の多い空気に我慢をし、会社へと揺られて行く。会社に着いた。時計を見ると9:00ちょっと前だった。煙草を一本灰にしてから会社に入ろうと思い、喫煙所に行きライターに火を灯した。その時、直属の上司が喫煙所にやってきた。いつもは10:00くらいに出社している上司だが、今日は7:30に出社してきたらしい。二人でこの嫌らしい位に纏わりつく空気の話をし、煙草を灰にしていった。会社に入り、自席についた。まずはメールのチェックをし、その後は休職前に行っていた仕事に関連した情報の整理をした。時間はあっという間に流れ、昼食の時間になった。今日も妻と昼食をとることにした。もちろん行ったのはラーメン屋。まあ、僕もラーメン食べたいな、と思っていたので問題なし。トリプタノール25m×2、レキソタン2m、スルピリド100mを服用する。午後、午前中の仕事の続きをちんたらしながら進めた。作業を開始して30分くらいして、急に眠気に襲われた。自分の頭ががくんがくんと前後に動く。気がつくと15:00だった。はぁ、また寝てしまいましたか。。。レキソタンの量を加減してるつもりだが、緊張感がないと一気に眠りの世界に連れ去られる。起きたいいが、もうすっかりやる気が失せていた。なんとなくボーっとネット上を歩いて時間を潰す。17:00。帰宅時間となったのでパッパと帰ることにした。今日は天気がいいので歩いて家へと向かう。二子玉川が近くなってきた頃、突然黒い車から女性が飛び出してきた。その女性に視線を奪われた。見ると宮沢りえさんではないか!?僕は軽く会釈をしてバイバイと手で合図を送ってみた。宮沢さんは笑顔で手を振ってくれた。やっぱり二子玉川は芸能人に会いやすいな、と思ってまた足を家へと向けた。帰宅後、冷蔵庫の中に入っていたビールを一缶空け、妻達が帰ってくるのを待った。ほどなく、妻達が帰ってきた。妻は疲れていたようで、今日の夕食はトンカツ屋で買ってきた弁当であった。最初は美味しく食べていたのだが、段々と胸が詰まるような感覚に陥って、ついには半分くらい残して夕食を終えた。暑くて脂っこいものが駄目だったようだ。夕食後、シャワーを浴びてリビングへ戻り、PCに電気を流す。妻と上の子はピアノの練習で悪戦苦闘していた。妻の声が多少苛立ってきたので、嗜めた。ピアノの練習を終えた上の子は何か言いたげな様子だったが、2,30分ほどテレビを見て寝室へと向かった。きっとプラモデルが作りたかったんだろうな、と思ったがあまり遅くなってもと思い寝室へと向かう上の子に「おやすみ」と声をかけた。その後、僕は適当にテレビをボーっと見ていた。気がつくと午前1時。もう寝なくてはと思い家中の電気を消して、寝室へ入り、布団に潜った。。。。。。。 眠れない。。。。。。。。。きっとコーヒーと煙草のせいだ。明日はあまりコーヒー飲んだり、煙草と戯れたりするのは止そうと自分自身に言い聞かせる。今日はどんな夢を見るのだろうか。
2005.06.20
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日記を書くことを義務化していた以前のスタンスはやめ、気が向いたときに、思うが侭に書き綴ろうと決めました。よって毎日のように更新はできないが、今の僕にはそれでいいと思っている。何事も義務化してはならない。日記を書き記す事が僕を苦しめるのなら少し距離をおき、思い立った時に書き記していきたい。また、読んでくれ、そして感想などを記してくれた皆様への返答もする時もあるし、しない時もあることをご了承頂きたい。5月は5時間勤務を基本として勤務してきたわけだが、5月後半は6,7時間会社にいることが出来るようになっていた。そこで、6月は7時間勤務を基本とした、勤務形態を会社と締結した。6月に入り一週間程度たつわけだが、だんだんと体と心が慣れてきているのか、時間を持て余すようになってきている。そろそろ軽めの仕事をアサインしてもらってもいい頃なのだろうか。。。しかし、恐怖心、不安感は否めないので自分から仕事を貰いに行く事が出来ずにいる。最近の生活を記してみたいと思う。まず、起床だが、やはり会社にいるだけでも神経を使うようで、復職直前に起こっていた早朝覚醒はない。まだ寝足りない、と言うのが心身の正直な声であろう。起床後はマルチビタミンサプリを硬水で飲み、ビタミンとミネラルを補給する。その後、おもむろにコーヒーを入れ、煙草を灰にしながらゆっくりと煙が揺れ動くさまを見つめる。朝食を取り、会社に行く準備をする。洗顔し、髭をそり。。。最近、自分の肌に関心が芽生えてきて、ローションを叩き込むようになった。昔の僕がやっていたことだ。これは良い傾向だと感じている。一通り準備を終えると、煙草を灰にしながら妻達の準備完了を待つ。妻達が出かける準備が済んだら、僕は一緒に家を出るようにしている。一人で家に篭っていると、また余計な事を考えてしまいそうで怖いから。。駅までの道を半ば急ぎ足で歩く。頭の中ではGacktの音がノイズ混じりに鳴り響く。妻達と一緒に出ると、思いっきり通勤時間帯にぶつかる為、電車内は相当混雑している。相変わらず電車特有の匂いに嫌悪感を抱きながら、揺られて行く。会社についてからは、まずファッション雑誌を1時間程度読む。そして頭の中を文字の羅列に対して慣らす。その後はメールチェックをし、一段落着いたところで、喫煙所に行き煙草を2本ほど灰にする。この頃には11時を過ぎるので、適当にいろいろなサイトにアクセスして、興味をそそられた文面を読み、午前中を過ごす。昼。週5日のうち、しっかり昼食を取るのは3日間である。月水金は妻とラーメンを食べる。他の曜日はビタミンゼリーを飲みこみ、余った時間を読書に当てている。軽いダイエットである。午後、登録している大量のメールマガジンを読む。別段あれしろこれしろと言われない限りはずっとメルマガを読んで時間を潰す。17時。退社時間なので、上司の元に行き出勤時間の報告をして帰宅する。ここ数週間は雨でも降らない限り歩いて帰っている。40分ほど歩くわけだが、何も運動をしていないよりは幾分マシだろうと思う。余裕がある時は高島屋に入っているセレクトショップをぶらぶらと散策してから帰っている。ここ最近、服やアクセサリーへの興味が湧いてきている。これもまだ独身だった頃の自分の感覚に似ているため良い傾向であると思う。家に帰ると、腕立てをし、ダンベルを持ち上げ上腕二等金を酷使する。どれも大体100回程度やっている。疲労を覚え、コーヒーをいれ、煙草を数本灰にしながら妻達が帰ってくるのを待つ。妻達が帰ってくると、上の子とお風呂に入り、夕食を取る。その後、下の子と軽く遊んで、PCと向き合いオークションサイトにアクセスし物色する。僕がオークションサイトを物色していると、上の子が僕の傍らに来てそっと耳打ちをする。「rion寝たからプラモデル作りたい」僕は微笑みかけ、必要な道具をリビングに持ってくるように告げる。上の子は嬉しそうに僕の部屋に入っていき、道具箱と作りかけのプラモデルを持ってきて、そして準備を始める。もう彼是5体目を作成中である。22:30。上の子の寝る時間である。いくら中途半端な状態でも、時間は守って寝かせている。上の子も分ってきているようで、時間内に作れるとこだけ作るようにしているようだ。上の子が寝た後は調子が良ければ漫画に目を通す。疲労を感じているときは、上の子と一緒に寝室に行き、眠る。仕事をしている妻に「あまり根を詰めないように」と声を掛け、一足先に眠りの世界に入る。最近の僕はこんな感じで過ごしている。まだ仕事といった仕事はしていないので、会社での負担はそれほどないが、これから少しずつ負荷をかけていったらどうなるかはまだ分らないが、それほど不安感を抱いてはいない。まあ、なるようになるさ、といったところだ。ちなみに、現在の処方であるが、朝昼の2回以下の薬を服用している。トリプタノール25ミリ×2レキソタン 2~4ミリ(その日の体調に合わせて調整している)スルピリド 50ミリセレキノン 100ミリかなり減っている。こうして書き記してみると如実にわかる。僕はだんだんと光のある場所に近付いている。久しぶりに日記を書いたので、疲れてきました。今日はこのへんで。。。
2005.06.08
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皆様、お久しぶりです。今日はここ最近の出来事をまとめて書きたいと思います。★ 5/20この日は5時間勤務最終日でした。家を出る事に慣れてきたので、気持ちよく出勤しました。出勤しメールを確認すると人事の方からメールが届いていた。内容は来週から7時間勤務になる予定でいたが、まだ早いのでは?、ということで今月いっぱいは5時間勤務をベースとし、調子のいい日はプラス1,2時間仕事をする形態はどうだろうかという提案だった。正直、次の週からの勤務に不安を覚えていたので、僕は即座に快諾した。結局、今月は出勤に体を慣らすだけで終わりそうな予感があったが、不安感と共に仕事を少しやれるかな?という思いもあった。この日は、下の子が前にお世話になっていた「おなかま保育」の先生と食事、飲みをすることになっていた。僕は帰宅後、妻達が帰ってくるのを待った。ほどなく妻達が帰ってきたので、早速待ち合わせのお店へと向かった。下の子は前の先生がとても好きである。その先生がお店の中で笑顔を見せていることに嬉しさと不思議さを感じているような微妙な表情をしていた。久しぶりに大好きな先生に会えて、下の子は眠いのも忘れて先生にべったりだった。この先生は今の保育園に入る前、1年間、下の子の担任としてお世話になった方である。余程下の子に思い入れがあったようで、僕達宛にプライベートでも仲良くなれないか?といった手紙を受け取った。下の子にとっては、まだ寝返りもうてない時から、歩き出すところまで見てくれていた方なので、もうひとりのママのような存在なのだろう。飲み会を終え、家に着いた際に先生宛にお礼のメールを送り、家族4人とも一気に眠りについた。★ 5/21この日は大きなイベントがなかったためか、ほとんど記憶に残っていない。。。★ 5/22日曜日。前々から上の子に僕の買い物に付き合って欲しいと頼んでいたのだが、この日に出かける事となった。目的はGIGORのシルバーアクセサリー。原宿にこのブランドの品を取り扱っている店がある。よって、上の子と一緒に電車に揺られながら原宿へと向かった。さすが休日の原宿。竹下通りは人でごったがえしていた。上の子は僕の手をぎゅっとにぎり、どこか不安げな様子だった。僕は「パパ、手を離さないから大丈夫だよ」と上の子に言うと、少しは安心したのか表情が柔らかくなったように見えた。人込みの中、竹下通りを進んでいく。途中、上の子が喉の渇きを訴えたので、人の流れに乗って自動販売機を探した。すぐには自動販売機を見つけることが出来なかった。その時、前方にセブンイレブンが見えた。この通りにもコンビニがあったとは・・まあ、そんな事はどうでもいい。さっそく店に向かい上の子にジュースを選ばせた。上の子は、みかんジュースを選んで、店を出るとすぐにごくごくと飲みだした。そんな上の子を見ながら僕は煙草をふかす。ちょうど1本、灰にした時、上の子はジュースを飲むのを止めて、手を繋いできた。それにしても凄い人混みだなと思いながら、周りの店を傍観し歩を進めた。竹下通りから脱出し、裏原宿へと向かう。頭の中で地図を描き、思い出しながらゆっくりと歩を進めた。この辺りかな?と思ったところに A Little villege#1 が見えた。目的のお店だ。早速店内に入り、アクセサリーを探す。ホームページではGIGORの他幾つかのシルバーブランドを扱っているようだったが、実際行ってみるとGIGORのみが取り扱われていた。まあ、目的のものに出会えたので良しとするか。。。ピアスを見ていると店員のお兄さんがやってきて話し掛けてきた。僕はピアスが予想よりもかなり小さいものだった事に落胆していた。店員はそんな僕にリングを薦めてきた。うーん、予定では\3,000くらいのピアスを試しに買ってみるつもりだったが、リングのセクシーさにすっかり魅了されてしまった。しかし、値段が高い。シルバーだけのモデルなら\20,000くらいなのだが、僕はシルバーにゴールドのパーツを合わせたリングから目が離れなかった。そのリングは3万円弱。うーん、財布が許すぎりぎりの値段だ。店員といろいろ話をし、30分ほど迷いに迷った。結局、買う事に決めた。上の子は、「パパ、それ買うの?」と聞いてきた。僕は頷くと上の子は退屈からやっと解放される思いが嬉しいのか、笑顔を浮かべた。ああ、でも高い買い物だった。当分、馬鹿みたいに飲んだり、衝動買いするのは止めようと心に誓った。ちなみに、今回行ったお店はGacktさんの衣装も取り扱っていて、Gacktさんごひいきのお店らしい。。。帰りも竹下通りを通って帰った。上の子がちらちらとシルバー系のアクセサリーを売っているお店に視線を送っているのを感じた。上の子に「何か欲しいの?」と聞くと「パパみたいに指輪したいよ」と言ってきた。5歳で指輪か。それもおもしろい、と思い一件のお店に入った。上の子はまだ小さいので、サイズの合うリングを探すのに苦労したが、やっと見つけることが出来た。オニキスの入った小さいリング。早速、上の子にはめてやると、嬉しさと照れがまざったような笑顔を向けてきた。その表情は僕が一番好きな表情だった。家へと向かう。小雨がぱらついてきたので、急いで家へと戻った。家に帰ると、妻達がお出迎えをしてくれた。下の子は、まだちゃんと発音出来ないのだが、一生懸命に「ぱぱ~~」と言って僕に抱っこを求めた。ゆっくりとしたの子を抱きかかえ、皆でリビングへと向かった。上の子は妻に左手の人差し指にはめたリングを見せて、嬉しそうな笑みを浮かべていた。夕食後、軽くテレビを見た後に、上の子のプラモデル作りを手伝おうと振り返ると、もう眠っていた。どうやら疲れたらしい。大人の僕でさえ軽い疲労を覚えるのだから、僕にあわせて一生懸命に足を動かして歩を進めた上の子は当然、僕の何倍も疲れているのだろうと感じ、寝ている上の子のもとに行き、丹念に頭を撫でた。ココロの中で”ありがとう”と呟いた。そして、僕は上の子の隣りに横になり眠りに付いた。======追記現在の僕の薬は朝昼の一日2回トリプタノール25m×2、レキソタン5m、スルピリド50mである。かなり減ったと思う。そして、薬が減ってもまだ明るくいられる自分がいる。
2005.05.24
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月曜日。土日をほとんど寝て過ごした為か、体が重い。なかなか布団から出れなかった。子供達は朝食をとっているようだった。僕はもう少し眠らせてくれ、という欲求を振り払うように起きた。トリプタノール25m×2、レキソタン5m、スルピリド100mを服用し、コーヒーを入れ、煙草を数本灰にした。今日はZガンダムの試写会がある。楽しみなのは声優さんの姿と、そしてGackt。いきつけのスナックの姉さんにもらったチケットを眺め、行けるかなと自問するが、結論は出なかった。妻に、今日は試写会があるから上の子が起きている時間に帰って来れないであろうことを伝えた。上の子は休みの日に「シャア専用ザク」の製作を再開したかったようだが、土日そしてこの日は上の子に付き合ってあげる時間がない。妻に上の子には上手い具合に言っておいてといい、出勤する妻達を見送った。それにしても体がだるい。フローリングにうつ伏せで寝込み、そして自分自身の奥底に眠るであろう勇気を必死に探した。ああ、今日はダメかも、と思ったが、ここでくじけるわけには行かない。特に仕事を与えられているわけでもないし、出勤して会社に6時間いればいいだけである。そう考えると”楽だよな・・・”と独白し、洗面所に行き、歯を磨き、洗顔し、髭をそり身支度をした。この日はなんとなくスーツを着たかったのでTETEのスーツを着ることにした。ウエストが若干きつい。この休職中に5kgほど太ってしまった僕の体はどんどん中年化していた。しかし、復職前の2ヶ月間は週に2回はスポーツジムに通い鍛えたので、腹回りを除くと引き締まっている。そんな自分を鏡に映して”こんなものさ・・・”と独白した。着替えも終わったので出勤する事にした。久しぶりにブーツを履いて出た。一度出てしまえばこっちのもので、あとは自分の足がロボットのように勝手に駅まで運んでくれる。僕にはまず「玄関から出る」ということが課題のようだ。出勤し、いつもの通りメールのチェックをした。あとは読む気にならないメール・マガジンの解除申請を何件かし、お昼を向かえた。今日の昼食はウィダーイン・ゼリー。あっという間の昼食だ。飲み込み終えて煙草を数本灰にした。午後、溜まっているメールをまた整理した。16:00が近付いてきたので、試写会に行くかどうかを決めた。よし、行くか。決断を下した僕は会社を出て、有楽町に向かった。会場に到着。凄い行列が出来ていた。まだ公演2時間前である。人込みが大の苦手な僕だが、この日は諦めに似た感情で列に並んだ。Gacktが好きな女性。Gacktのまねをして、同じようなブレスやネックレスをしている男の子。ガンダムが好きなんだなぁ、と言う雰囲気をかもし出している男性。いろいろな人種が集まっていて、半ば異様な雰囲気だった。そんな中で一人で並んでいる自分はどんな存在なのかと自問した。チケットを僕にくれたMATSUEさんにもう会場に来ているかメールしてみた。ほどなく彼女は僕を探してくれていたようで、列に並ぶ僕に手を振っていた。彼女と少し話をしたのが良かったのか、気持ちが少し楽になった。一人じゃない。開場時間が来たので列が流れ始めた。受付を済ませ、無事に席を確保できたので、僕はビールを買いに売店に行った。ビールを飲み終える頃、開園時間がせまってきていた。司会進行役の女性が、開園の挨拶をし、ゲスト陣を呼んだ。僕はシャア・アズナブルが大好きだ。その声優さんを見てちょっと驚いた。白髪のおじさんだった。ふーん、と見ているとGacktの名が呼ばれた。会場は一種独特の雰囲気に包まれた。生Gackt・・・メディアでみたまんまだなというのが感想である。ゲストの挨拶、トークが終了し、いよいよ上映となった。しっかりと見て、久しぶりの映画を堪能した。終演を迎えたので、ちかくにある喫煙所で煙草を灰にしてMATSUEさんを待った。というのも、開園前に今日はお店に出ろ、ママに言われていると言っていたからだ。僕は少しだけ飲む気でいたので、彼女と一緒に二子玉川に行く事にした。煙草を1本吸い終えたころ、MATSUEさんはやってきた。映画の感想を聞くと、どうやら寝てしまっていたようでほとんど記憶にないらしい。あるのはGacktの姿だけだったようだ。二子玉川に向かう。まだ平日なので0時には帰ろうと決め、お店に入った。うーん、月曜日なのに混んでるな・・・軽く飲んでいると、ママがやってきた。「姉妹店が今日プレオープンなの。飲み物ただだからちょっと遊びにおいで」と告げられた。いつも話す娘と歓談し、アルコールが少し体内を回り始めたので、姉妹店に向かった。移動はすくない。なんせ僕が良く行くお店の地下に店を構えていたからだ。そこで少し話をしながらビールを飲み、店を後にした。帰宅後、やっぱガックンかっこいいね、とMATSUEさんにメールをした。彼女からは、bluesさんも十分カッコいいっす、と言う返事が返ってきた。Gacktをこよなく愛する人から言われた台詞だったので、かなり嬉しかった。まあ、営業トークかもしれないけど。帰宅すると皆就寝していた。僕も寝巻きに着替え布団に潜った。そして寝ている上の子を僕の隣りに引き寄せ、頭を丹念に撫でながら”ごめんな。明日はプラモデル作ろうな”と囁き眠りについた。
2005.05.16
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今日は天気がいい。目覚めは良かったものの、自律神経が混乱状態のよううで朝から酷い下痢に襲われた。昨日、上の子のプラモデル(HG ガンダム)の作成を影で見守っているうちに22:30になってした。その後、上の子に「今日はここまでにして明日又作ろうね。」と言い聞かせ寝るように告げた。その後、オークションサイトをや懸賞サイトなどを巡り、気がつくと1:00をまわりかけていた。その間に何杯もコーヒーを飲み、煙草を灰にしていたので、きっと睡眠不足とコーヒーと煙草のせいだろうと思いつつ、何度もトイレへと行くはめになった。朝からなんだか憂鬱な気分になってきた。トリプタノール25m×2、レキソタン5m、スルピリド100mを服用する。お腹の方がなんとか落ち着いてきたので、洗顔し髭を剃り、身支度をした。ここでいつもならニュースを見ていたが、なんとなく気持ちに余裕ができてきたので正露丸をぶち込んで、勢いに任せて出社することにした。外は晴れ晴れとしていたので、気持ち良く歩き、駅へとついた。いつもよりも1時間早い出勤だったので、滑り込んできた電車は大量の人間を乗せていた。この中に身体を押し込めないといけないと思うと滅入ったが、乗らないわけにはいかないので、下っ腹に力を入れ、心の中で「えい!」と呟き車内へと身を投じた。ああ、それにしても人多すぎ。。。段々とテンションが下がるのを感じながら揺られていった。会社に到着。まだ、メールの処理が全て完了していなかったので、午前中はメールと格闘して終わった。集中していたためか、あっという間にお昼をむかえた。今日は妻とラーメンを食べに行く約束をしていたので、一緒に外に出てラーメン屋へと向かった。自分の一番好きなラーメンを頼み、久々の味を堪能した。その後、時間があったので、子供達の衣類を買いに近くのスーパーに寄って、会社へと戻った。トリプタノール25m×2、レキソタン5m、スルピリド100mを服用する。30分もしないうちに強い眠気に襲われた。きっと薬の作用と寝不足が重なったのだろう。とても集中して仕事をすることが出来なかったので、シルバーアクセサリーを求め、いろいろとネット上を駆け抜けた。うーん、ホント最近のシルバー好きには自分でも呆れるくらいだが、この衝動は当分落ち着く事はないだろうと心の中で呟く。最近買ったシルバーはミック恵比寿で買ったGHOSTのナローアーマーリングマルイ池袋店のVaultで買ったガーディアンのシェルリング新宿のマルイメンズ館にあるDemaのブラックスター付きのリング渋谷パルコのウォーター・ムーン(?)で買ったデフ ブリードのピアスうー、こう列挙すると相当なお金が飛んでいった事を、今こうして書き出してみて実感した。しかし、今気になるブランドがある。GIGOR。はぁ、どうしたものか。。。話が脱線したので戻します。眠気が治まるまでネット上をテクテク歩いた。だいぶ楽になってきたので、仕事上必要なオンライン形式のセミナーを受けた。セミナーを受講し終えた頃、退社する時刻になったので、上司に帰ることを伝え、会社を後にした。帰宅後、仕事用の眼鏡がずり落ちてしまう事が気になって仕方がなかったので、溝の口のマルイに行き、眼鏡の調整をしてもらった。だいぶマシにはなったが、まだちょっと鼻眼鏡になりそうな感じがした。その事を店員に訴えると、これ以上の調整は難しい、とのことだった。ここまで酷くなる前に持ってくれば良かったそうだ。まあ、以前ほど気にならない程度には調整できていたので、それで納得して店を後にした。マルイを出て、自転車についている、チャイルドシートに目がいった。そして、子供達のことを思い出した。なんかあげたいな。。。ふと、そんな感情が湧きあがってきた。そこでトイザラスまで足を運ぶ事にした。店内にて、上の子が「ガンダムを作ったら、次はシャアザクがつくりたいな」と言っていたのを思い出し、捜索する。なんどもプラモデルコーナーを見たが、上の子が作りたいといっていた物がない。。。どうしようかと上を見上げたら、一個だけ積まれている”HG シャア専用ザク”を発見した。迷わず手に取り、次に下の子のおもちゃを探す事にした。下の子は今1歳6ヶ月。うーん、何が欲しいのかなと考え込んだ。店内をぶらぶらと散策したが、何を選べば良いのかわからない。結局悩んだ挙句、アンパンマンのキャラクターがプリントされたビニールのボールを買って帰宅した。帰宅後、僕は上の子のために買ったプラモデルを自分のタンスの一番下の段にしまいこんだ。ガンダムを作り終えたら、初めてのプラモデル作成のご褒美としてあげようと考えていたからだ。その後、程なく妻達が帰ってきた。いつものように下の子はご飯支度をしている妻の足元で泣いている。僕が抱き上げても反抗するだけなので、そのまま泣かせておいた。いずれわかる事だし、今は甘え泣きをいっぱいすればいい。そんな事を思いながら、長閑な面持ちでぼーっとテレビを見ていた。その時、上の子が遠慮がちに「パパ、今日ガンダム作りたい。。」と言ってきた。僕は「ご飯をいっぱい食べて、ピアノの練習もちゃんとやったら、教えてあげるから作ろうか」と伝えた。上の子は満足げな顔をして自分の椅子に座り、夕食が運ばれてくるのを待っていた。夕食を食べ終わり、下の子は眠りにつき、上の子はピアノの練習をした。僕はコーヒーを入れ、煙草を何本か灰にしていた。ぼーっと煙を見つめていると、上の子が僕の足元に来て「ピアノ終わったから、ガンダムつくりたいな・・」ともじもじしながら僕に訴えた。僕は「そうしようか。」と伝え、上の子に作りかけのプラモデルをリビングにもって来るように伝えた。開始時刻が21:00。上の子は説明書とパーツと格闘し続けた。僕は本を読みながら横に座り、上の子の様子をちょこちょこ観察した。分らない所、うまくパーツを切り出せなかったりしたら、僕に伝えるように言い聞かせてあったので、上の子は悪戦苦闘しながらも少しずつ形にしていった。23:00。あと、わずかと言う所で上の子の集中力がダウンした。自分が切り出したパーツをどこに組み込めばいいのか分らない様子だった。僕は「きっと眠くて頭がぼーっとしてるから、わからなくなってるのかもしれないね。あと少しで完成しそうだけど今日はこの変にして眠ったら?」と聞いてみた。上の子は暫く考えて「やっぱりまだ頑張る」とか細い声で僕に告げた。上の子は一生懸命にまた格闘した。24:00。ついに完成した。僕が手伝ったところはほんの数箇所。後は全て上の子が一人でパーツを切り出し、僕にこれであってるのか尋ねながらも完成させたのだ。僕は上の子の頭をがしがしと撫でて、よくやったと精一杯の愛情を込めて誉めた。そして、妻と上の子を僕の部屋へと呼んだ。そして上の子にタンスの一番下を開けるように伝えた。開けてみると中には上の子が次に作りたいと言っていた”シャアザク”が。。妻は上の子の顔を覗き込み、すごく嬉しそうな顔をして僕に目で話し掛けた。上の子に「初めて頑張って作ったご褒美だよ。」と伝えると「パパありがと」と上の子が飛びついてきた。初めて自分でガンダムを作り、そして目の前には次に作りたいと言っていたものがある。よっぽど嬉しかったのだろう。妻は上の子に「良かったね。がんばったもんね。」と言い、上の子の顔を見つめていた。今日はもう遅いから寝るように伝えると、上の子は大事そうに新しいプラモデルをしまって布団に潜り込んでいった。なんだか一大イベントをこなしたような感覚を覚え、そして自分も疲労している事に気付いた。上の子も満足しただろうけど、僕も大満足だった。そして気分良く眠りについた。
2005.05.10
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今日は母の日。本来は子供が親に感謝の気持ちを表すひであるが、僕は妻にもこういった感謝の気持ちをあらわしたかったので、今日は積極的に、かつ、無理しない程度に何かやれることがあったらしようと決めた。朝、特に身体は不調を訴えてはいなかったので、起きる事にした。暫くすると上の子も起きてきて、テレビを自分の好きなアニメに合わせて、ソファに座りすごい集中して見ていた。一方、妻の方はと言うと、疲れが溜まっているのだろう。一度起きたものの、また毛布に包まり布団の上で眠りについているようだった。そこで僕は思い出した。昨日、妻に朝はラーメンでいい?ときかれたことを。久々に台所にたった。たかがインスタントラーメンだが、久しぶりの料理だった。ラーメンだけだとなと思い、ネギを刻んでラーメンの上にかけた。包丁を握ったの何時ぶらいだろうと、少しもの思いにふけた。ラーメンも完成したので、妻を起こす事にした。上の子に妻を起こすように伝えた。上の子は一生懸命体全体で妻を起こしていた。起床した妻はビックリしていた。麻ご飯が用意されてある事とネギを刻んで入れてた事にたいしてとてもびっくりしていた。僕はそんな妻の眼差しに照れ、換気扇の下に行き煙草を数本灰にした。ちなみに僕の朝食はバナナとウィダーインゼリー。朝食も済んだので、上の事前から約束していたプラモデル作りを一緒にすることにした。僕が準備をするまで上の子は「何をするのー?」と興味津々な顔つきで僕を見上げる。僕は「内緒」とだけ告げ、黙々と作成スペースを作った。マニアックな話になりますが、ガンプラにはHG、MG、PGというラインがあり、HGが一番簡単に作れるシリーズである。(僕はいつもMGを作ってます。)上の子に、ガンダムのプラモデルを僕の部屋に持ってくるように告げると、満面の笑みを見せ、駆け出していき、僕の部屋へと入ってきた。まずは、部品をどういう風に探すのかを教えた。上の子は理解してくれたようで、早速作る事にした。どこから作りたいかを聞くと、「足から!!」と上の子。という事で足を作成する事にした。上の子に説明書に乗っている部品を探させた。時間がかかったものの最初のパーツを選び出してきた。そこで僕はニッパーの使い方を教えた。上手く使うと、後処理する事もないのだが、そこはまだ子供。まして初めて自分の力で作るのである。切ったはいいが、すこし、ランナーの端が飛び出していた。僕はそれをデザインナイフで削り取り、「ほら、これで綺麗になっただろ?」と上の子に部品を渡した。上の子は目をまん丸とさせて、その部品を見つめていた。僕が「じゃあ、次の部品を探して切ってごらん。きったらパパに見せて」と告げると上の子は、説明書を回したり、パーツを回したりして、一生懸命に次の部品を探していた。僕はその間、ファッション雑誌を読んで、上の子が部品を探すのを長閑に待った。そんなやりとりを2時間ほど続けて、やっとガンダムの足が2つ出来た。上の子はとても嬉しそうだった。今度はどこ作る?と聞くと迷った挙句「腕」と答えていた。時間も12時近かったので、外へ出て食事をすることにした。妻はハンバーグとラーメンが大好きである。妻にどっちがいいか尋ねると、迷った末、恥ずかしそうにラーメン。。と答えた。そこで、溝の口にある牛骨ラーメンを食べに行く事にした。いつもなら食事代は妻が払うのだが、今日は僕が払った。食事も終えたので、同僚宅に行く事にした。同僚にお子さんができ、そのお祝いをする為にである。なんだか、会社の同僚とプライベートで会うのは久しぶりなので緊張した。タクシーで同僚宅まで行き、緊張しながら一生懸命笑顔をつくり同僚宅へとお邪魔した。最初はまともに顔を見ることが出来なかったが、徐々に顔を上げることが出来、同僚とも昔のように少しだけしゃべれたので、僕としては少し前進した。夕方になったので、同僚宅を後にし帰宅した。さあ、これからが本番である。今日は上の子と二人で妻の為にカレーライスを作ることにしていた。早速、手を洗い調理し始めた。上の子にはニンジンとじゃがいもの皮を剥く仕事を与えた。上の子は慣れない手つきで一生懸命に野菜と格闘していた。その間、僕は一口大に切った鶏肉を炒めた。肉がいい感じに色を変えてきたときに、上の子が、全部皮を剥いたよ、と話し掛けてきた。僕はその野菜たちを乱切りし、無造作に鍋の中に放り込み、また炒めだした。たまねぎがいい色になったので水を入れ、煮る事20分。まあ、こんなもんだろうと、カレーの素を取り出した。上の子がそれを鍋に入れたがっていたので、上の子に入れさせた。その後、煮る事15分。ああ、ちょっと焦げてるよ。。。でも、味見した感じでは結構おいしいなと感じた。テーブルにカレーライスを並べると、下の子と遊んでいた妻が嬉しそうに、テーブルについた。妻が試食。。。「おいしいよ!パパ、shion ありがとう!」と、とても嬉しいコメントがもらえた。僕も一口食べてみる。おお、うまいじゃん。その後は、皆、疲労が出てきたのか、布団の上でごろごろしてすごした。うん。なんとなく悪くない。鬱の波を段々小さくなっているのかな?と思った。僕も寝てしまいたかったが、気になるオークションの締め切りが今晩ある。頑張って起き続けて、しっかり欲しかったネックレスをオンラインショップなどで売っている値段の6割程度で落札した。はぁ、なんだか疲れた。この日は非常に充実したものとなったと思う。明日からは休み無しのぶっつづけ5日間。まあ、なんとかなるだろうと思い、眠りについた。
2005.05.08
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朝、自律神経が身体に順応してくれず、起きるのに暫くかかってしまった。今日は子供の日。上の子には前から、今日はパパの買い物に付き合ってと、伝えていた。起きないわけにはいかない。重い身体を起こし、コーヒーを入れ、煙草を何本か灰にし、薬を服用した。今日は出かけるので、いつもよりか少しばかり多く薬を飲んだ。だいぶ落ち着いてきたので、上の子に着替えるように促した。僕は歯を磨き、洗顔し、髭をそり、出かける準備をした。あまり荷物を持ち歩かない方だが、今日は何か買うかもしれないと思いトートバックを持っていく事にした。二人共出かける準備が整ったので、いざ、新宿へと出かけた。上の子は嬉しいのか、駅に着くまで僕の手を握り、スキップをしていた。それにしても日差しが強い。上の子には半袖の上に長袖のTシャツを着せていたので、半袖を脱がし、長袖だけに着替えさせた。着替えの途中、上半身が裸になった事に照れ笑いを隠し切れなかった上の子のその笑顔が可愛らしく感じた。電車がホームに滑り込んできたので、二人で乗り込んだ。渋谷につき、JRに乗り換えて新宿を目指した。新宿に到着。目の前にアルタがあったので上の子に「ここで”笑っていいとも”をやってるんだよ」と教えてあげると、上の子は暫くビルを眺めていた。時計を見ると正午前を指していた。上の子にお腹は空いていないか尋ねたところ、お腹が減ったと訴えてきたので何を食べたいか聞いてみた。上の子は暫く考えて、ハンバーグがいい!と笑顔で答えた。僕がラーメンじゃなくてもいいの?と再度聞くと「あ、やっぱりラーメンがいい」と言い出したので、裏通りに入り、昔何度か行ったラーメン屋に入った。店の従業員にチャーシューメン大盛りできますか?と尋ねると大盛りはやっていないとのことだった。店員に、子供には一杯食べるだけの力がないので、すいませんが又今度にしますと伝えて、別のラーメン屋に入った。ここでは大盛りができるという事だったので、子供用の取り皿を頼み、ラーメンが出来上がるのを待った。ほどなく、美味しそうなラーメンがテーブルに置かれた。上の子が食べれそうな分を器に移してやり、二人してラーメンを頬張った。上の子はお腹がいっぱいになったようだったので、店を出る事にした。目指すは、新宿の某模型店。駅から少し離れているので、上の子の歩くペースでゆっくりと歩いていった。店が入っているビルに到着したが、なんか様子がおかしい。張り紙を見てみると、店舗を閉めたという事が記されていた。上の子に、ここまで歩かせてごめんね。と伝え、帰りに溝の口に寄って、そこの模型店で上の子の大好きなガンダムのプラモデルを買う事を提案してみた。上の子は、それでいいよと言ってくれた。とりあえず新宿に来たので、シルバーアクセサリー店を数件回り、何か欲しい物がないか物色した。欲しいのは何点かあったが、今すぐ買いたいほどのものではなかったので何も買わずに新宿を後にし、渋谷へと向かった。渋谷に到着した頃には上の子は疲労が顔に出ていた。僕の買い物にも付き合わせてしまったので、そっと上の子を抱きかかえ、だっこしてあげた。そのままパルコに向かった。パルコにて。気に入っているブランドの新作が入っているのを発見。すごく気にいったので迷った。一度外に出てもう一度考えようと思い、外に出た。すると僕の肩で寝ていた上の子が起きて「もう帰りたいな」と言ってきた。うーん。。。。悩んだ僕は取り合えず上の子に、おかしがてらクレープを買ってやった。上の子はとてもおいしそうに食べていた。そんな上の子にもう一度、お願いをしてみることにした。「パパ、もう一回だけ見に行っても良いかな?」上の子は下を見つめて何も返答はくれなかった。やっぱり疲れてしまったんだなと思い、上の子がクレープを食べ終わると、後ろ髪を引かれつつ渋谷を後にした。渋谷から溝の口に出た。溝の口の模型店に行き、上の子に好きなプラモデルを選ぶように伝えた。上の子は初めて自分でプラモデルを作るのでかなり迷っていた様子だった。僕の顔を見つめ「パパ、作るとき教えてくれる?」と聞いてきた。僕は笑顔で答えた。上の子は、散々悩んだ挙句、ガンダムのプラモデルを選んだ。それを買い手に渡してあげると、とても大事そうに抱えていた。帰宅後、上の子とお風呂に入り、夕食を済ませ、この日は疲労にまかせて眠りについた。大人の僕でも疲れる距離を歩いたのだから、上の子はさぞきつかったのだろうなと思い、となりで寝息を立てている上の子を僕の側に寄せ、寄り添うように眠りについた。明日から一緒に少しずつ作ろうね。
2005.05.05
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みなさま、ご無沙汰しております。11月より休職していましたが、結局一ヶ月の休職では僕の心の闇を拭い去る事が出来ず、もう3ヶ月休む事となりました。それでも鬱の波はどんどん高くなる一方で、なかなか暗いノイズ混じりの世界から抜け出す事が出来ませんでした。今年の2月まで休みを延ばしてもらった訳ですが、もう2ヶ月休む事にした方が良いであろうと言う主治医の意見に任せて4月まで休む事にしました。4月が目前に控えた3月後半。僕はまだ違和感を感じていました。心の病のせいなのか、自分の仕事に対する気力の問題なのか判然としない状態で、主治医にどうしたら良いのか訴えました。主治医はもう一ヶ月様子をみて、ゆっくりと会社に社会に出て行く心構えを持てるようにすればいいのではと僕に言いました。僕はその提案に従い、4月は休む事にしました。6ヶ月間の休職は瞬く間に過ぎていった気がしますが、大切な友との別れ、そして大切な優しい人との出会い。。。今思い帰せば意外と多くのイベントがあったようにも感じています。そして、今日、復職の日をむかえました。妻と子供達はいつものようにせかせかと保育園に行く準備をしているのをうつむきかげんで見ながら、心の奥底から大きな黒い塊が喉を通過しようとしている様な状態に耐えていました。そんな僕の様子に敏感に反応した上の子は、僕のもとにかけより「パパ、元気ないね?」と心配そうな面持ちで僕の顔を覗き込みました。その様子を見ていた妻もまた、僕のもとに来てそっと頭を抱きしめてくれました。これで少しは落ち着きを取り戻した僕は、みんなを見送る事にしました。家族を見送り、独り静まり返った部屋で僕は泣きそうなくらい強い不安感に襲われていました。怖い。その一言でした。そこで近所迷惑にならない程度の音量でGacktの新しいアルバムをかけました。最近、友達に声がGacktに似てると言われてから聞き出したのですが、すっかりはまり込んでしまっていました。ちょっと話がわき道にそれますが、休職中、母が10日ほど家の手伝いのために上京していました。母がテレビを見ているうしろで僕はGacktのCDをかけ、換気扇の下で煙草を灰にしていました。その時、突然、母が「あんた何歌ってるの?」と聞いてきました。もちろん僕は煙草の煙と戯れていたので歌など歌っていません。母はGacktの声と僕の歌声を間違えたのです。実の母が間違えるくらいなので似てるのかな?とちょっと嬉しい気分になりました。話を戻して。。。強い不安感、恐怖感を抱きながらなんとか堪え、会社に行く準備をしました。半年、会社に行っていないので、なんか忘れ物をしているような感覚を覚えましたが、必要なものは全て用意できていたようです。駅までの道のりをゆっくりとした歩調で進み、ホームに出ました。久々の通勤列車なので落ち着かなかったが、もう身を委ねるしかないと心に決めて、えい、と乗り込み、そして揺られていきました。会社に着くと、上司と部長が担当人事の方とミーティングをしているということをアドミの方に聞き、会議室へと向かいました。高鳴る鼓動を必死に隠すように心臓を一突きし、会議室へと入っていきました。久しぶりの会社、久しぶりに見る上司陣。なんとなく懐かしさを覚えました。僕が所属する部隊の担当人事はとても優しい人で、凄く僕のことを心配しているようでした。人事の方と話をし、20日間ほど時短(10:00~16:00)で働いてみて様子を見てみるのはどうかと提案してきました。今日をむかえる前に人事の方にはお任せしますと伝えていたので、その提案を飲みました。今日の仕事は僕の席を作るということから始まりました。僕が休職している間に部署内で引越しがあったようで、僕の荷物は上司の片隅に置かれていました。マシンをセットアップし、とりあえず必要な本etcを並べて一休みしました。休憩がてらに煙草場に行くと、妻がいました。二人で煙草を灰にしながら、話をしました。妻が「今日、保育園に行く時に上の子がパパの事凄く心配していたよ。」と告げられました。上の子はどちらかというとパパっ子なので僕の心の変化に敏感に反応します。努めて笑顔を作っても見破られてしまうくらいです。上の子の事を思い、席につき、溜まるに溜まったメールの整理をしました。半分も整理できないうちに16:00が近付いてきたので、メールは後回しにして、こうして日記を書いてみました。次回出社は6日です。ゆっくりと自分のペースで会社に行き、ペースの作りやすい仕事がアサインされるのを願うばかりです。
2005.05.02
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うつ病のためとりあえず11月いっぱい休職なりました。復職したらまた日記を再開する予定です。
2004.11.06
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昨晩、あまりの眠気にねたのだが、一回も起きる事無く朝を向かえた。毎日入ってくる友からのメールを確認して、リビングへと向かった。下の子は目をまん丸とさせて僕を見つめた。上の子はまだ眠いのか、お気に入りの毛布にくるまってソファーの上に座っていた。トリプターノール25m×2、レキソタン5m、スルピリド100m、テノーミン25m、メイラックス1mを服用し煙草を何本か灰にした。ああ、また一週間が始まるのかとネガティブな思考が頭を過ぎる。子供達が保育園に行く時間になったので見送った。玄関先まで見送る事が出来ない自分が腹立たしかった。母と二人でぼーっと時間を過ごした。母に漏らした。「苦しい。会社に行きたくない。」母は「先週いけたんだから今週もきっと行けるから。何も考えないで外に出てみなさい。」といって僕の背中を押した。気が乗らなかったが身支度をする事にした。歯を磨き、洗顔し、髭をそり。。全てが面倒でそして億劫だった。一通り身支度を完了した僕を見て母は安心したのか、ちょっと笑顔になった様な気がした。足がすくむ。うまく動けない。心の悲鳴は聞こえていたが、ここは踏ん張りどころと気合を入れ、外に出た。外は、もうすっかり秋の様子を呈していた。母は僕が見えなくなるまで玄関先から見送ってくれた。いつもの道をゆっくりとしたペースで歩いた。駅に着いた頃には結構しんどい状態になっていた。ああ、座りたい。しかし、朝の満員電車の中で座れることは奇跡に等しい。いつものようにホームに滑り込んできた列車は案の定混んでいた。嫌気がさしたが身体を無理やり電車の中に押し込んだ。僕の意思とは逆の方向に引っ張られ、そして揺らされていく。オフィスに入る前に気付けの一服と思い、煙草を2,3本灰にした。自席に付く。連休だった事もあってメールは結構たまっていた。その処理が完了したところでお昼になった。妻の元に行き、ご飯の相談をした。僕はこの連休で体重が3キロほど太ったので、今週はゼリーとウーロン茶で過ごそうと決意していた。そのことを妻に言うと残念がっていた。もちろんラーメンが食べれないからである。トリプターノール25m×2、レキソタン5m、スルピリド100mを服用する。午後、ルーチンワークを淡々とこなしていく。コアタイムが過ぎようとしていた時、上司に呼ばれた。内容は簡単なグループミーティングをしたいというものだった。僕は私用があるため参加できない事を伝えた。上司はそれをあっさりと承諾してくれた。私用といっても、別の心療内科を巡ってみようというものであるが・・・成果はゼロであった。当面は今の主治医と一緒にこの病気と闘うしかない。病院めぐりも終わり、家へと帰宅した。母が出迎えてくれた。母は今週の金曜日に帰る予定である。母のいない生活に違和感を感じないか心配しながら家の中へと入っていった。着替えをすませ、ぼーっとしている僕を母はじっと見ていたようだ。何度か、母に「何か考えているの?」と聞かれたことを覚えている。そんなやり取りをしている内に妻達が帰ってきた。お風呂は沸かしてある。しかしどうしても入る期にはなれなかった。朝のシャワーなら自分ひとりだけなので問題ないのだが、子供二人と一緒に入るとなると結構な労力をつかう。済まない気持ちでいっぱいだったが、入浴は妻に任せる事にした。夕食後、酷い睡魔に襲われた。それに気がついた母が寝るようにと言った。僕は素直に承諾し、寝室へと向かった。寝る前に薬をと思い服用する。トリプターノール25m×2、レキソタン5m、スルピリド100m、テノーミン25m、メイラックス1mを服用。明日も雨なのだろうか?そんな事を考えながら眠りについた。
2004.10.12
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昨夜、いつ寝たのか記憶が無い。母におこされたが、今が朝なのか、夜なのかさえ判断できずにいた。カーテンを開けると朝日が差し込んできた。まぶしい。鬱陶しい。心は鬱屈していた。暫くぼーっとしていたら目が冴えてきたのでリビングに向かう事にした。トリプターノール25m×2、レキソタン5m、スルピリド100m、テノーミン25m、メイラックス1mを服用して煙草を一本完全に灰にした。それにしてもトリプタノールの副作用は酷い。喉が酷く渇くのだ。冷たいお茶をカップに入れゆっくりと飲んで、喉に潤いを与える。子供達が保育園に行く時間になった。上の子は今日はカレーをつくるんだ、と上機嫌だ。玄関先まで見送りに行きたかったがそれが出来なかった。妻達がいなくなった家の中、僕は体育座りをして時間が過ぎ去るのをじっと待った。母は心配そうに僕を見つめている。僕はその視線を感じながらも無視して、独りの世界に入っていた。出勤時間が近付いたので身支度をすることにした。歯を磨き、洗顔し、髭をそった。そして鏡に映る自分の顔をまじまじと見た。そこには覇気の無い今にもくずれそうな男が何かを訴えかけるように立っていた。出勤時間が近付いたが、会社に行きたくないという思いはまだ心に居座ったままだった。ソファーに身沈めながら考えた。今与えられている仕事は、本当に軽い。後は自分がいけるかどうかの決断力が必要なのか、と。母の一押しもあり会社に行く決心をした。靴を履くと途端に気が狂いそうな感覚に襲われた。そのまま玄関に立ち尽くしてしまった。ゆっくりと深呼吸をして、行って簡単な仕事をするだけだからと自分に言い聞かせ外に出た。そらは青々としてとても綺麗に感じた。この晴れに乗じて僕の心も晴れるといいのにと思ったが、そんな事も無く、心は重いままだった。駅までの道のり、青い空を見上げる事無く、下を向いて歩いていた。もっと胸を張り、空を見上げて歩きたかった。しかし視界に入るのは地面だけだった。それが悲しくて涙しそうになったがぐっと堪えた。漸く駅に着いた頃には疲労感一杯だった。ホームに入ってくる電車に乗り込む。今日はいつもより混んでいて、嫌気がさしたが、じっと我慢して揺られて行った。せめてCKのエタニティでもつけてる人がいれば多少は感情が上がるのだが。。。オフィスに入る前に一服決めた。しかし、身体には何も影響はなかった。自席につきメール等をチェックした。今日は11:30から13:00までミーティングがあるらしい。メールのチェックをし終えた頃にはミーティングの時間になっていた。重い体を会議室へと運んだ。ミーティング開始。どうやら来週の前半に休む人が重なってしまったようで、その仕事を別のメンバーに割り振るためのミーティングだった。あとは細細とした連絡事項を聞いた。退室しようと思ったら上司に声をかけられた。一緒にご飯を食べようかと言ってきた。僕は快諾し一緒に弁当屋まで出かけて、弁当を買った。昼食中、上司に今の状態などを聞かれたが、その時の記憶が無い。いったい何を話していたのだろうか?午後、ルーチンワークを一本片付けたかったが、やめて別の仕事をすることにした。ルーチンワークは来週頭にやる事に決めた。帰宅時間になったので会社を後にした。帰り際、またもや週間漫画が発売されていたので、ハイネケンと共に購入した。帰宅すると母が出迎えてくれた。比較的穏やかな表情を見せてくれたので安心した。母とたわいもないことをはなしていると妻達が帰ってきた。何か様子がおかしい。玄関に行くと上の子が「いたいよぉ」と泣いていた。僕は理由を妻に聞いた。どうやら熱が出てそれで頭痛がしているらしいことが判明した。途端に家中がばたばたと慌ただしくなった。氷枕を用意して、熱さまシートを頭に張り上の子を横にさせた。上の子は「パパ、いたいよぉ、ママ、いたいよぉ。パパ助けてよぉ」と言っていた。何もしてあげられない自分に苛立ちを感じたが上の子の小さな手を握り締め、側にいるから大丈夫だよ、と励ました。上の子が寝静まったので夕食を取った。その間、上の子は何度か目を覚まして、痛みを訴えていた。可哀想に。。。何もしてあげられない。せめて神頼みくらいだった。食後、上の子も落ち着いて寝てくれていたので、僕は寝室へと向かい眠りについた。明日は熱が下がるだろうか?心配しながら目を閉じた。
2004.10.07
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昨晩、20:30に寝たにも関わらず、母に起こされるまで只管眠っていた。ああ、また朝が来たのかと嫌悪感を抱きつつリビングへと向かった。トリプターノール25m×2、レキソタン5m、スルピリド100m、テノーミン25m、メイラックス1mを服用し、煙草を一本完全に灰にした。それにしてもトリプタノールの副作用は酷い。喉が渇いて仕方が無い状態である。副作用が出てるということは、薬効いてるのかなとも思ったりした。子供達が保育園に行く時間になったので、見送る事にした。玄関先まで行ってあげたかったが、行けなかった。ソファーに沈み込み、いってらっしゃい、ということだけで精一杯だた。すると上の子が駆け寄ってきてこう告げた。ぱぱ、早く元気になってね。元気になってね。」と。。。子供ながらに僕の心情を読めていることにビックリしたのと、子供にこんなことを言わせている自分が無償に情けなく感じて仕方なかった。妻達が出かけたので、母と二人で出社の時間を待った。とりあえず身支度をして、いつでも会社に行ける状態にした。母に弱音を吐いてしまったが母は「とりあえず行ってみたら?だめだったら帰ってきていいからと励ましてくれた。気合を入れて外に出た。母は玄関先まで見送ってくれた、そして僕が見えなくなるまでマンションの一角から見守ってくれた。駅に着き、電車がすぐにきたので、体を電車内に押し込んだ。そして、いつものように揺られて行く。オフィスに入る前に気付けの一服をした。ゆっくりと吸い込み、ゆっくりと吐き出しニコチンを体全体に行き渡るように灰にした。自席につき、メール等をチェックした。今日は上司が私用で休むらしい。ちょうど早く帰りたかった僕には今回の上司のお休みは楽なものだった。わざわざ言いに行かなくても良いからである。早退(と行ってもコアタイムは過ぎているのだが)する時に上司に話しに行く事は酷く気を使ってしまう。午前中はメンバー各位が開催する定例会の日程をWeb化する作業をした。11時。病院に行く時間になったので行く事にした。妻も同行したいと言っていたので妻も連れて行くことにした。主治医はあなた方の会社の規模なら産業医がちゃんといて復職プログラムとか復職に関する援助をすべきなのに、その産業医がしっかりとしていないことに腹を立てているみたいだった。ちなみに僕の主治医は某ハード・ソフトメーカーの産業医をしている。話がそれてしまったので軌道修正し、結局どうするかを決める事になった。僕はこのまま投薬を続けながら、会社に出ていたいということを話した。主治医はなにもそこまで○○○○という会社にこだわる必要はないのにといいながら処方箋を作り始めた。診療も終わり、お昼になったのでうどん屋に出かけ、うどんを啜った。明日、上の子が保育園で料理をする事になり、そのためエプロンと三角巾が必要だと妻に言われた。僕は近くのスーパーの衣料品売り場に行こうと提案。行ってみると簡単にみつかった。これで上の子も満足であろう。会社にもどり、仕事を始めた。今日は早く帰る予定なのでテキパキと動けるといいなぁと思いながら仕事をした。仕事も終えたので定時前だが帰ることにした。帰宅途中、まだ読むことの出来ない週間漫画を買い、ビールを2本買って帰った。帰宅すると母が出迎えてくれた。母とたわいもない事を話し時間を潰していく。ビールがなくなった頃妻達が帰ってきた。明日、上の子は料理実習をするらしい。今日、買っておいた子供用のエプロンと三角巾をかぶせてみた。ぴったりのサイズで、上の子もとても喜んでいた。食後、今日は飲みに行こうかなと思っていたが、気が付いた時には眠っていた。起きたのは午前3時ゴロ。体には毛布がかけられていた。しかし、一体いつ眠りについたのだろうか?曖昧な頭で判然としたことを考えたが、いつ寝てしまったのかわからなかった。まだ眠気があるのが幸いで、寝室に行き眠りに付いた。妻、母と今日はじっくり話そうと思っていたので残念だったが致し方ない。また折をみて話を切り出してみようと思いながら眠りについた。
2004.10.06
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昨日は21時まえに寝たのに、一度も起きる事無く朝をむかえた。母が僕を呼ぶ声が聞こえる。起き上がりリビングへと向かった。トリプターノール25m×2、レキソタン5m、スルピリド100m、テノーミン25m、メイラックス1mを服用する。(処方が先日かわり、アモキサンからトリプタノールになりました。)煙草を灰にしてみる。意外にも体調がいい自分に驚いた。子供達が保育園に行くので、見送った。この雨の中カッパをかぶり、保育園の送り迎えをする妻が不憫でならなかった。妻達が出て行った家で、母と二人で話をした。会社に行くのが辛い。そして胸が苦しい事を訴えた。そして、昨日よりはまだ楽である事も伝えた。母は、「昨日行けずに後悔していたのだから、ちょっと行ってみれば?」と僕を諭した。僕は悩んだ。そして苦しんだ。出した結論は会社に行く!ことだった。身支度をしていざ会社へと思ったが足がなかなか言う事を聞かなかった。雨のせいもあるのかもしれない。だんだん気分が落ちていくのがわかった。下っ腹に力を入れ、行け!と自分にカツを入れ玄関を開いた。玄関先まで見送ってくれた母はなんだか心配そうだった。駅までの道、雨が降り気だるい中、とぼとぼと歩いた。まるでそれが決め事のように駅へと向かった。駅に着いた頃には疲労感につつまれていた。滑り込んできた電車に体を押し込み、そして、揺られて行く。僕の意思とは逆の方向へ。オフィスに入る前に煙草を一本完全に灰にして心を静めようと努めたが徒労に終わった。自席につき、貯まっているメールをチェックした。大した内容のメールはなかったのでほとんど消去した。メールの整理がついたので煙草場に行った。煙草から戻る時に、前の上司に声をかけられた。「残念な事になったな。まあゆっくりやるしかないな。先は長いんだし」と意味深な言葉。まさかまさか首ですか?その言葉の真意を確かめるべく前の上司の元に行き、事情を聞いた。上司は、せっかく落ち着いてきたのに前の状態に戻ってしまった事が残念で仕方ないといったことを話してくれた。そしてゆっくりでいいから、とも言ってくれた。安心してまた煙草場に行き、煙草を一本完全に灰にした。煙草場からもどり自席につくと、今の上司が「大丈夫か?」と聞いてきた。僕は微笑を返す事しか出来なかった。午前中、仕事を一本こなした。といっても実際に動くのは僕ではないので、仕事を一本お願いしたという表現が正しいかもしれない。お昼、妻と二人で外に出た。もちろんラーメンになった。食事をしながら妻は何故今の会社に固執するのかを聞いてきた。理由は、理解ある上司がいること。環境がまだまだであるが整いつつある事。今の状態で別の会社に就職し仕事をすることは考えられないことを告げた。妻は、どうも腑に落ちないようだった。午後、今日は午前中に仕事を一本やったので、もう一本だけすることにした。メンバーの予定表の更新作業だ。これは比較的簡単なので、ここ2,3日で完了するであろう。午後3時。煙草場に行くと妻も煙草を吸っていた。妻はここでも何故この業界にこだわるのかを聞いてきた。僕は元気だったらこの業界でも別の業界でも良いのだが今はこんな状態だ。別の会社で働くなんて到底想像できるものではなかった。今晩でも話そうと決めた。帰宅前にビールを数本買って帰った。定時に帰ったきた僕に母はびっくりしていた。そんなに遅くまで頑張らなくても。。。と言いたげな顔だった。母と健忘症について話をしているうちに妻達が帰ってきた。子供達をお風呂に入れてあげたかったが、そこまでのエネルギーはなかった。今日、妻ともう少し話そうと思っていたのだが夕食後、ひどい疲労感と眠気に襲われたため、まだ早いが寝る事にした。リビングからは子供達の声が聞こえる。一緒に遊んであげれない不甲斐なさに涙を堪えながら枕に頭を委ねた。
2004.10.05
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久しぶりに日記を書きます。ここ数日休んでいました。休職入院も考えましたた。昨日心療内科に行き、妻、母親、主治医と話をしてきました。主治医は母の考えをことごとく否定していました。お蔭で母が落ち込みました。母としては、入院して早期に治す事が一番いいと考えていたようですが、主治医曰く、僕の身の回りの世話を出来る人がいないから入院は薦められないとのことでした。休職も、昨日会社に行けそうな雰囲気だったことを話したところ、もう2日だけ様子をみてみようということになりました。僕としては主治医が言う事はもっともだという考えでしたが、入院に関しては何故そこまでつっぱねるのか分りませんでした。きっと僕の鬱の状態は良い方に向かっていて、あとは環境に適応するだけだと考えたからだと思います。要は適応障害に近い状態ということでした。今日はなんとか出社出来ました。苦しいながらも満員電車に乗り、重い体を自席まで運びました。結局、今の僕は気の持ちようなのかもしれません。
2004.10.04
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昨晩から、母親、妻からアルコール量の制限を受けた。具体的には、毎日ビールを1リットル飲んでいるところを、500ミリリットルにするというものだった。僕はビールの他に足りなかったらウィスキーを飲んでいたが、これも当分は禁止された。理由は鬱に悪いから。しかし、アルコール量が減る事で睡眠しやすく、また起き易くなったことを月曜の朝に感じた。まあ、まだ一日目だから明日、明後日とどうなるかはわからないが。すんなりと目が覚めたので起きてリビングへと向かった。下の子は既に起床していて妻にべったりだった。上の子は僕の布団でまだ眠っている。アモキサン25m×2、レキソタン5m、スルピリド100m、テノーミン25m、メイラックス1mを服用し煙草を一本完全に灰にした。その後、母が眠る寝室へと出向いた。母は既に起きていて着替えをしている所だった。リビングに戻り、和室で寝ている上の子を起こす。優しく名前を呼ぶと、うーんとうめきながら起床してきた。手を伸ばしてきたので僕は上の子を抱え、リビングへと向かった。食卓には上の子のパンが用意されていた。妻と母は昨日食べた鍋を雑炊にしたものを食べた。僕は食欲がなかったので何も胃に入れる事はなかった。食事をする家族を横目にコーヒーを入れ煙草を灰にする作業に勤しんだ。外は雨。雨の日は妻に悪いなと思ってしまう。この雨の中二人の子供を自転車に乗せて保育園に送っていく姿を想像すると心が痛くなる。そして雨は僕の心を落とすに落とす。子供達が保育園に行く時間になったので見送った。今日はごみの日。さすがに見ていられなかったので、ごみ袋を持ってあげることにした。子供達を送った後、家で母と二人。母は洗濯を始めたが、僕は会社に行くまではあまりせかせかと動いて欲しくなかったので、母にその旨を伝えた。母は理解を示してくれ、洗濯を途中でやめソファーに身を静めていた。出勤時間が近付く。心がだんだん重くなる。出勤して病院に行って帰ってくるだけだと言い聞かせ、家を出ることにした。母は玄関先まで見送ってくれ、出て行く僕の背中をさすり、「なにも焦らないで行って帰ってくればそれで今日はいいから」と後押しをしてくれた。駅までの道。雨の中とぼとぼとあるいた。水溜りが不快に感じ、何度か癇癪を起こしそうになったが、ゆっくりと深呼吸をし駅まで歩いていった。駅に着くと通勤客で一杯だった。ああ、またいつもの朝が来たのかと、そこで初めて感じた。ホームに入ってきた列車に体を押し込み、揺られて行く。オフィスについて直ぐに妻のデスクに向かった。出社したら顔を見せてと言われていたからだ。妻は忙しそうだったが、煙草を一本付き合ってくれた。今日は午前中にミーティングの予定である。NotePCのバッテリーを充電しミーティングに備えた。ミーティングの時間になったが上司は動こうとしなかった。やっと動いたかと思ったら、今週はミーティングを火曜日と金曜日にして欲しいので皆のスケジュールを調整し、会議室をブックしておいてくれとのことだった。たったこれだけの作業なのに心は酷く重くなった。なんとかスケジュールの調整と会議室の予約を終えた頃、お昼になっていた。お昼、妻と二人で外に出た。もちろん週末食べれなかったラーメン屋へと向かった。僕の傘に妻と二人で入り、ラーメン屋へと歩く。なんとなく気恥ずかしい気持ちになった。食事を終え、近くのスーパーでシャンプーとコンディショナーを買い会社へと戻った。オフィスに入る前に妻と二人で煙草を灰にした。妻にちょっと胸が苦しいと訴えた。妻は、そりゃ苦しいよね。でもあと2時間我慢すればいいんだから、と励ましてくれた。午後、特にやる事も無かったので病院に行くまで、好きなWebページを見たり、PCにソフトをインストールしたりして過ごした。病院にて、今会社にいるだけで苦しい事、漫画さえ読めなくなっている事を話してみた。主治医は休職を考えようかと提案してきたが、その日は断った。主治医は僕がどうして今の会社に執着するのかわからないとも言った。長期に休職して自分にあった会社を探したりするのも一つの手だと言っていた。僕にしたら今このご時世誰がこんな体の人間を雇うのかと不安であり、そして仕事が見つかったとしてもやりとげる自身さえ無いので、無責任に物事を話さないで欲しいという気持ちもあった。帰宅後、病院でのやりとりを母に伝えた。母は入院してびっと治して、そして一からまたやりなおさないかと言って来た。そして家庭も心の重荷になっているのではとも聞いてきた。痛い質問だった。確かに、今の家庭は僕には荷が重過ぎるように感じてならなかったからだ。一度別れた相手との結婚。最初からうまくいくはずがないというのが母の意見だった。父も同意見だと聞いた。でも僕はまずは体を治してから考えたいと母に申し出た。母は、静養するにしても今のこの家庭ではうるさすぎるし、気も使うだろうからこの際別居して静養することも提案してきた。僕は真剣に悩んだ。悩みに悩んだが結論は出なかった。そうこう話をしている内に妻達が帰ってきた。もうこれ以上話は出来ない。ご飯だけ一緒に食べ、直ぐに寝室に入り眠りについた。
2004.09.27
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みなさま、多大なるお言葉有難うございました。きっと僕はまだ疲れているのだと思います。もう自分を傷つけるような真似をしないように気を付けて生きていきたいと思います。今週末は、上の子の運動会がありました。あいにくの天候のため、校庭ではなく小学校の体育館を貸しきっての運動会となりました。上の子は一生懸命に走ったり、綱引きをしたりしていました。かけっこは途中まで1番だったのですが、途中で転んでしまい最階位。でも、転んでも泣かないですぐに立ち上がりまた駆け出した姿を見たときには、胸が熱くなるものがありました。障害物競走はだんとつの1位でした。親としてはとても嬉しい瞬間に立ち会うことが出来ました。上の子も満足げな顔をしていたました。遊戯もとても上手に踊れていて、子供の成長を感じる事が出来ました。最後は親子競技があったのですが、上の子は僕と一緒に何かをすることに対してとても嬉しそうでした。一緒に並んだ時に見せてくれたあの笑顔は忘れる事はないでしょう。運動会も終わり、お腹が空いたので、仲の良いお友達と一緒にファミレスに行って食事をとりました。保育園は一緒だけど、小学校にあがったら別々になる友達。あと1年半仲良く遊んで一杯思い出を作って欲しいなと思いました。先週までの馬鹿な僕に対するコメントありがとうございます。一つ一つお返事を書きたいところですが、エネルギーが必要なのでご容赦下さい。本人、とても反省しそしてまだ心の傷は癒えていません。皆様の言葉はしっかりと胸にとどめておきたいと思います。ありがとうございました。
2004.09.26
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泣きじゃくった次の日から酷い日が続いた。感情が大きく揺さぶられた僕は、次の日会社に行く事が出来なかった。妻達が帰ってくる間、淋しくて淋しくてしかたなかった。そして自分の不甲斐なさに苛立ちが頂点に達していた。気が付いた時には僕は手首をナイフで切りつけていた。鮮血がほとばしる。恍惚とした表情でその緋色の液体を眺めていた。幸い傷口は浅かったので縫うほどの騒ぎにはならなかったが暫く跡が残るだろう。こう書いている今もなお跡が薄っすら残っている。妻が帰宅した。異変に気付いた妻は僕に経緯を聞いた。僕は特に何もない。なんとなく切っただけ、と人事のように話していた。妻はそれにむっとしたのかそれ以上何も聞こうとはしなかった。月曜日、母が予定よりも早く上京してきた。母親と妻の二人に説得されて明日火曜日は病院に行く事にした。病院にて、妻が手首を切ったことなどを医師に告げていた。僕はそれを他人事のように聞いていた。医師が「そんなこと女子高生とかがすることだ。乙女チックなことはやめなさい」と言った。そして妻に「この人はプライドが高いんです。そのプライドに沿った生き方をしているか良く考えてみてください」と言っていた。僕は他人事のように聞いていたのだが、すっかり切れていた。苦しくて悲しくて、そして淋しくてやったことなのに。。。プライドなんて捨てていたはずなのに。医師と疎通しなかったことが腹立たしかった。帰宅の際、最寄駅の近くで工事をしていた。その工事現場に並べてあったパイロンを思いっきり蹴っていた。これでもキックボクサーである。パイロンは割れ、飛び散っていた。それを見た瞬間妻の平手が飛んで来た。一瞬避けそうになったが受け止めた。その後の道、僕は涙が止まらなかった。歩きながら涙し、涙しながら歩いた。そして、拳を地面に数発叩き込んでいた。右拳は緋色に染まり、皮膚がはがれ肉が丸出しの状態になっていた。妻に叱責され、泣きながら立ち上がる。右手から血を滴らせながら家路へとついた。帰宅すると母が血相を変えて、経緯を妻に問いただしていた。そして、砕けた右拳を手に乗せ消毒をし、包帯をまいてくれた。まだ右手は痛む。傷口も化膿している。それでも僕は今日会社に来た。もうすぐコアタイム終了の3時。それまで粘って今日は帰ることにする。会社にこれただけでも今日は上出来なのだ。ここ数日日記の更新が出来なかった理由はこういったことがあったからです。
2004.09.24
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睡眠時間が足りないのか、目覚めは悪かった。脳は睡眠を欲求していたが朝日がそれを許してはくれなかった。アモキサン25m×3、レキソタン5m、スルピリド100m、テノーミン25m、メイラックス1mを服用して煙草を一本完全に灰にした。子供達は既に登園する準備が出来ていた。上の子は妻に延長保育が嫌だとしきりに訴えていた。理由は明白だった。単純に18時から放映される教育テレビが見たいだけ。そんな上の子をなんとか妻が説得納得させていた。下の子は今日もご機嫌な笑顔を向けていた。とりあえず家族を見渡して僕はまた布団に戻った。子供達が保育園に行く時間になった。上の子が僕の下まで来て言ってきますと元気な声で告げていった。ぎりぎりまで寝ていようか?頭の中に一つの疑問系が浮かんだが振り払い身支度をすることにした。身支度も終えソファーに深く身を沈めた。このまま眠ってしまいたかったが、今日は新しい仕事があるので頑張らねばと自分にカツを入れた。外に出る。カギをかけたかまた気になって一度下りた階段をまた登った。カギはしっかりかかっていた。こういうのを不安神経症というのだろうか?今日は気温がやや下がるようだったのでスーツでの出勤。駅までの道を順調に歩いていった。駅に着いたと同時に電車が入ってきたので、惰性でそのまま電車に乗り込んだ。オフィスに入る前に煙草を一本灰にした。そして気付いた。重大な忘れ物に。薬が無い!!!半ばパニックになりそうな精神状態を抑えて、時間を確認した。コアタイムまでには行って戻ってこれる時間だった。くそ。また同じ道を行き来するのかと思うとへどが出る思いだった。この時から身体に変化が起きていた。肩で息をしている自分がいた。やっとの思いで家までたどり着いた頃には動悸も酷かった。焦ったからだ、と自分に言い聞かせたがどうも違うようだった。家で紅茶を入れ煙草を灰にし、少し落ち着いたところでまた会社へと戻った。いったい僕は何をやっているのでしょう?会社に戻った頃にはもうパニック障害寸前の状態だった。とりわけきっかけがあったわけでもないのに発作が出たことに内心びっくりしたが、この状況は否定できない。自席につき、とにかく目をつぶり、呼吸をすることに集中した。そうこうしているうちにあっという間にお昼になっていた。お昼、妻と二人で外に出た。妻はすぐに僕の異変に気付いた。何か買ってきてあげるから座って待っててという妻に「ラーメンが食いたいからいく」と変な理由で強引につっぱねる僕。どうしようもない。食後、やはり調子は回復しなかった。仕方なしに会社の仮眠室で横になる事にした。上司が外出していたので同僚の方に伝言を頼み妻と二人で仮眠室へ。僕はすぐに眠りについた。起きた頃には15時になろうとしていた。ゆっくりと上半身を起こし、頭を左右に振ってみた。眩暈、動悸は治まっていた。やっと解放された。自席に戻ると上司がやってきて大丈夫だったかと聞いてくれた。そして、様子をみて帰っていいぞと言ってくれた。しかし今日は新しい仕事の準備がある。それを教えてもらわなければ今後の精神状態に悪影響を及ぼしかねないので、ダメそうだったら帰ります、とだけ伝えた。上司は心配そうにその場を去っていった。新しい仕事とは、セミナーや全体会議で撮影した映像をインターネットで閲覧できる形にする仕事。色々とこまごまとした作業があるようで今から心配でああるが。。。全体会議が始まるので会議室へと向かった。ビデオなどの機器をセッティングして会議の始まりを待つ。会議が始まったので僕は音声をPCに落とす作業の手伝いをした。というか見て教わっていたのだが。全体会議が終了した頃には疲労感でボロボロになっていた。お酒を飲みたかったがその前に妻に会いたかった。重くなる身体を引きずるように家へと向かった。家では妻が迎えてくれた。僕は手放しで泣いた。出来ない。きっと出来ない。と。妻は出来なくてもいいんだよ、と励ましてくれたが僕は涙を止める事が出来なかった。上の子が心配そうに眺める中父の僕は手放しで泣きじゃくった。散々泣いたあと、疲れが出たのか、布団の中で泥のような睡眠についた。ごめんね。こんなパパで。本当にごめんね。
2004.09.15
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気分の良い夢を見ていた。夢だと認識できる夢だったので起きたくなかったが朝は無情にもやってきた。差し込む朝日に嫌悪感を抱いたが、上の子の笑顔が目に入ったのでそれほど酷く嫌気を感じる事無く起きる事が出来た。アモキサン25m×3、レキソタン5m、スルピリド100m、テノーミン25m、メイラックス1mを服用し煙草を一本完全に灰にした。昨日まで酷かった自律神経系の揺らぎは落ち着きを見せていた。子供達が保育園に行く時間になったので見送る事にした。上の子は運動会の練習があるからとはりきって出て行った。家族がいなくなり静かになった家で一人コーヒーを入れ、煙草を灰にした。コーヒーが酷くまずく感じたが贅沢言ってられないので我慢して飲んだ。出勤時間までまだ時間があったので漫画を読むことにした。それにしてもよくもこれだけ貯まるものだ。惰性で買っているとはいえ、この惨劇を見ると買うのをよそうかと思うほどだ。この事態に陥ったのは僕の寝る時間にあることは明白だった。通常は25時くらいに寝て、7、8時に起きるといった生活をしていたはずだが、夏ばてを期に21時には寝るようになってしまった。4時間起きているのと寝ているのでは大きなさが漫画の積み具合にあらわされているようだった。今日は会社に行く事にそれ程抵抗は感じなかったのですんなりと外に出ることが出来た。カギをしっかりかけて確認を何度もし、外へと歩を進めた。外は風があるもののまだまだ暑かった。汗をかかないようにゆっくりとしたペースで歩いていく。途中止まりかけたが、下っ腹に力を入れ、一歩一歩駅へと向かって行った。駅に着いた頃には背中にうっすら汗を背負っていた。うーん、なんでこんなに発汗するのだろうか?疑問が浮かぶが明解は浮かばない。電車が滑り込んできたので、体を電車内に押し込んだ。僕の体が揺られて行く。オフィスに入る前に煙草を吸おうと思ったが、家に煙草を忘れてきていた。なんてこった。急いでオフィスに入り、デスクをがさごそとあさり、100円ライターを探す。うーん、ないなと思っていたらバッグの中に一本はいっていた。助かった。自販機で煙草を買い、改めて外に出て一服決めた。午前中はルーチンワークを淡々とこなした。仕事をしていると上司からメッセージが入った。今日の午後一に話し合いをしようとのことだった。急に心臓がばくばくいうのを感じたが、ゆっくりと深呼吸をしてその場はしのいだ。漸く話し合いか。。。お昼、妻と二人で外に出た。うどんが食べたかったのでうどん屋に行った。妻にこれから上司と話すということを伝えた。妻は内心ほっとしたような顔を見せた。食事も終わり自席に戻ってきた。即座に妻からメッセージが入った。内容はAさんも同席してもらった方がいいんじゃない?というものだった。僕には判断が付かなかった。結局、妻がAさんに連絡を入れてくれたようで、Aさん同席での話し合いとなった。まずは、今までやってきた仕事の整理から始まった。これこれやっているなどこの話はすんなりと進んだ。次に、明日からでも始めるべきことについての話になった。もともとAさんと話をしていた時には、これこれやりたいと決めていたのでそれを上司に伝えた。上司はそれでいいとGOサインを出してくれた。そして、一人では不安だろうからとしっかりと指導役もつけてくれた。あとは世間話をしながら、今後の仕事のこと、在宅形態での仕事のことについて話をした。30分を予定していた話し合いも1時間経っていた。時間をくれたお二人に感謝です。話し合いを終え、一服しているところに妻が現れた。話は出来た?と効く彼女に僕は微笑で答えた。ほんと妻にも感謝しております。歯医者に行く時間になったので、会社を後にし歯医者へと向かった。今日は、ブリッジしている手前の歯2本の小さな虫歯を治すとのことだった。神経のある歯だったのでそれなりに痛かったが、ここで泣くわけにもいかず只管耐えた。治療費は2000円強。一本1000円か。高いなぁ。あと何本虫歯あるんだろう。歯磨きは結構していたはずなのにな。給料日が近い財布が果てしなく悲鳴をあげる。会社に戻ってきたが特に急いでやる仕事もなかったので音楽を聴きながら、休んだ。帰ろうかなとも思ったが、もう一時間は耐えてみようと思った。結局うだうだしていたら定時になった。帰宅する事にした。帰宅後、お風呂を沸かして妻達の帰宅を待った。お風呂が沸いた頃妻達が帰ってきた。上の子は元気な笑顔で僕の下にかけてきた。子供達をお風呂に入れ、夕食を取った。昨日飲みに出なかったので、今日は出ようかなと思案した。そして、出ることに決めた。着替えをし出かけようとしたとき上の子に「パパ今日遅い?いってらっしゃい」と言われてしまった。後ろ髪引かれる思いだったが思い切って外に出た。二子玉川のいつものスナックへと足を運んだ。友のいないスナック。なんだか違和感を感じたが、もう辞めさせる腹は決まっていたのでこの雰囲気にも慣れなければ。しかし、落ち着かない。女の子が気を利かせて色々話し掛けてくるがまともな返答をすることが出来なかった。1/4ほど入っていたボトルを空にし、店を後にした。風を感じたかった。だから歩いて帰った。吹き抜ける風が気持ちよかった。明日はどんな一日になるのだろうか。
2004.09.14
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先週末は酷いものだった。土曜日は食べる事さえ侭ならない状態で食べては戻し、飲んでは戻しの繰り返しだった。日曜日になって漸く復調してきたが、自律神経はパニック状態だった。また新しい週が始まった。朝日が差し込んできたが、幸せな夢を見ていた僕はその朝日を無視してまた眠りにつこうとしていた。その時、上の子の姿が目に飛び込んできた。起きよう。そう思わせるのに十分な笑顔をこちらに向けていた。起き上がりリビングへと向かった。アモキサン25m×3、レキソタン5m、スルピリド100m、テノーミン25m、メイラックス1mを服用して煙草を数本灰にする。子供達が保育園に行く時間になったので見送った。今日も妻が重そうに持っているごみ袋を持ってあげることができなかった。妻達がいなくなり淋しくなった家の中で一人、煙草を灰にする作業に勤しんだ。突然自律神経が悲鳴をあげた。IBSの症状が強く出てきて酷い腹痛とともに腸が痙攣しだしたのを感じた。コーヒーを入れ、煙草を吸い、腹にたまった汚物を何度となく追い出して、漸く落ち着いた。不思議と会社に行く事に躊躇いがないことに気付いた。先週はあれほど嫌だったのに。しかしやることがほとんどない今会社に行ってもな、と思う自分もいて休んじゃおうかなと考えてしまっていた。そんな自分の心境に腹が立ち、半ば強引に身支度をした。身支度をしてすっきりした自分を鏡に映し出し、これが本当の自分なのかと馬鹿な質問を鏡の中のもう一人の自分にした。外に出る。気温は高いようだが、風が吹いていたので嫌悪感を抱く事無く駅まで行く事が出来た。駅に着いてすぐに電車が滑り込んできた。ああ、また会社に連れて行かれる。恐怖感が頭を擡げたが、頭を左右に振り、電車の中に飛び込んだ。オフィスに入る前に煙草を一本ゆっくりと灰にした。自席につき貯まるに貯まったメールを片付けに入った。メールの対応が終わった頃、チームミーティングの開始時刻となった。だらだらと重い足取りで会議室へと向かった。ミーティング中、僕は終始、俯き加減だった。前を見据える事が出来ない。下を向き目を閉じて会話に耳を澄ました。ミーティングも終わり、昼食の時間になったので妻と二人で外に出た。妻は何も考えずにラーメン屋に向かっていた。その妻の後をゆっくりと追う。昼食を終え、オフィスに戻って来た。煙草場で妻と二人で煙草を灰にした。急にふと思い出した。今日の夕方の分の薬をもってこなかったことを。半ばパニックになりそうだったが、今日は診療日だったのでその時貰って飲めばいいじゃないという妻の一言で落ち着きを取り戻した。午後、自席に戻るが落ち着かず、煙草場に何度と無く足を運んだ。煙草場にて妻にあった。妻は上司に今日、僕と話すようにメッセージをしてくれたことを話した。上司からは16時くらいに時間がとれると思うとのことで連絡があったということだった。それからは落ち着かない時間が過ぎていった。予定時刻の16時になっても上司は現れなかった。ついには17時になってしまったので僕は会社をあとにして、かかりつけの心療内科へと足を運んだ。心療内科にて、先日倒れたことについての議論がなされた。メイラックスは効かない訳が無いというのが医師の意見だった。僕はその日は朝から仕事のことについて考えさせられ辛かった事を話した。結局、様子を見たいということで来週も来るようにといわれ、頓服を渡された。ああ、給料日前にまた診察か。お金持つかな。。。少々ブルーになりながら帰宅した。ハイネケンを空け、煙草を灰にし、妻達が帰ってくるのを待った。外から妻が自転車を止める音が聞こえたのでマンションの一階まで下りて出迎えた。上の子は嬉しそうに僕のもとに駆け寄ってきた。妻は帰宅早々僕に今日上司と話をしたか聞いてきた。僕はしていないことを告げると妻は無言でPCを立ち上げて会社に接続し、上司にメッセージを送っていた。僕は何もそこまでしなくてもいいよと言ったが妻は聞かなかった。まあ、任せよう。余計な事を考えないように。どうやら仕事が忙しくて時間を取れなかったということだった。妻は明日は僕と話すようにと念を押していた。うーん、変なプレッシャーとなんか嫌な感じがする。子供達をお風呂に入れ、夕食を取った。飲みに行きたい気分だったが、最近の夕食後の疲労感に負け、布団の上に横になった。気付いた時には眠りについていた。## デザイン変えてみました。以前とどっちがいいでしょう。。。
2004.09.13
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朝が否応なしにやってきた。楽しい夢を見ていた僕は起きる事を拒絶していたが、上の子の「パパ、おきなきゃだめだよ」と言う声に現実に戻された。リビングに行き薬の袋をがさがさと漁る。アモキサン25m×3、レキソタン5m、スルピリド100m、テノーミン25m、メイラックス1mを服用して煙草を一本完全に灰にした。下の子は上の子が遊んでいるブロックが気になるのか、しきりに手を伸ばしては、お兄ちゃんに怒られていた。兄弟げんかの始まりを見たような気分になった。子供達が保育園に行く時間になったので見送った。妻は片手に重たそうにごみの袋を持っていたが、それを持ってあげるという一言が言えないまま見送った。静かになった家の中で僕は一人葛藤した。会社に行くべきか、それとも休むべきか。僕としては有休は消化したくはないので会社に行きたい気持ちが強かったが、心は悲鳴をあげているのを感じた。その悲鳴を無視するように身支度をはじめた。身支度も終え、リビングのソファーに身を沈めニュースを曖昧な頭で眺めた。まだ、葛藤していた。寝室にいき、鏡に向かって「今日は何もしなくていい、ただ会社にいければそれでいいから」と自分自身に語りかけた。漸く決心がつき家を出た。駅までの道をゆっくりとしたペースで歩く。ゆっくり歩いている割には呼吸が速いことが懸念された。駅に着いた頃には疲労感でいっぱいだった。電車が入ってくる。いつもの車両のいつものドアから乗り込んだ。心の悲鳴とは裏腹に僕の身体は揺られて行く。オフィスについてから異変に気付いた。どうもやはり呼吸が速い。そして苦しい。さきに出社していた妻の元に行き、苦しいと訴えた。ここではなんだからと煙草場に行った。煙草場で煙草を灰にしながら、僕は今不安に感じている事を妻に切々と説いた。その時突然目の前が白くかすんだ。次の瞬間左肩に激痛が走った。また、倒れていた。呼吸する事が困難で起き上がることが出来なかった。オフィス前の煙草場である。出勤する人に散々見られたであろう。倒れながら僕の変なプライドが倒れている自分を許さなかった。しかし、起き上がることが出来ない。耳を澄ますと、周りに人が集まってきている事が把握出来た。妻がかかりつけの病院に電話しに行っているらしい。妻が戻って来た頃、漸く上半身を起こせるようになった僕は病院へと連れられていった。肩を貸してくれた人、ありがとうございます。病院のベッドの上で僕は呼吸をすることに集中した。妻が会社に電話している声が聞こえた。どうやら上司は今日も休んでいるらしい。おそらくAさんと話していることが予測できた。妻が戻って来たので電話の内容を聞いた。Aさんは上司の仕事の与え方、僕に対して仕事を与える時の危機感が足りないなどいろいろと話をしていたらしい。漸くまともに身体を動かせるようになったときには既に小1時間ほどたっていた。病院を出て、妻と二人で会社に戻った。会社に戻って直ぐ二人でAさんの所にいった。Aさんは本当に心配してくれていたようだった。その後、Aさんを含めて3人で話をした。Aさんは僕への仕事の配分は細心の注意をはらって一からしきりなおしてあげるから心配するなと言ってくれた。それから色々と話をしてくれた。一番の年配者のAさんが味方になってくれてとても心強かった。「仕事のことは心配しなくていいから、自分の事を良くする方向に考えて」とAさんは何度も言ってくれた。有難い。お昼、妻と二人で外に出た。妻は帰ることを示唆したが、僕は従わなかった。コアタイムまではいて歯医者に行って、それから帰りたかったからだ。心配する妻を後にゆっくりと歩く。ラーメンは勘弁して欲しかったのでうどんやに入った。食後、近くのスーパーで下の子の離乳食を買い、会社へ戻った。妻は気を付けてねと一言言って自分の席に戻っていった。コアタイム終了まで後2時間ほど。軽くルーチンワークの整理をして過ごした。コアタイムも終わり歯医者の時間となったので歯医者へと向かった。今日はプラ-ク除去が行われた。その後、医師と話をしてまだ数箇所虫歯があるから通うようにと言われた。まだ歯医者かと思ったが、この際悪いところ全部治してもらおうと思った。歯医者も終わったので帰宅する事にした。それにしてもここ最近で2度も倒れるなんて尋常じゃない。やはり疲れているのか?それとも目に見えぬ仕事への不安が大きくなったのか?結果は出なかった。帰宅後、ハイネケンを空け、じっと妻達が帰ってくるのを待った。妻達が帰宅してきたので子供達をお風呂に入れた。風呂上り、ハイネケンを空けながら妻と話をした。明日、上司とAさんを含めて話し合ってくるとのことだった。明日は休みにしようと決めた僕はのみに行く事にした。あとの記憶がないのでこれ以上書けません。すいません。とにかく只管飲んでたことは覚えています。
2004.09.09
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また朝がやってきた。差し込む朝日は強く、僕に誇示するかのごとく差し込んでいた。僕はそれを素直に肯定することが出来なかった。朝日を遮断しようとタオルケットに全身を包み、丸くなり必死に抵抗した。しかし、自然の摂理は時に暴力的で絶対的である。僕はなす術も無く朝が来た事を肯定するほかなかった。起き上がり、リビングへと向かった。アモキサン25m×3、レキソタン5m、スルピリド100m、テノーミン25m、メイラックス1mを服用する。僕がリビングに行くと上の子が駆け寄ってきた。今日は保育園の園服をきていた。そうか今日は保育園で梨狩りがあったのかと思い出した。園服に身を包んだ我が子を抱き上げ、ぎゅっと抱きしめた。子供達が保育園に行く時間になった。僕は見送るほどの気力が無く、また、淋しい気持ちに包まれていた為、見送る事が出来なかった。一人になった家の中でコーヒーを入れ、煙草を灰にする。自律神経が急に悲鳴を上げ出した。IBSの症状が強く出てきて酷い腹痛に襲われた。何度かトイレに行き、なんとか落ち着いてきた。会社に行きたくない。気持ちは落ちるばかりだったが、一生懸命に身支度をした。歯を磨き、顔を洗い、髭をそり、髪を整える。その一つ一つがどれも辛い思いをしながらの作業だった。やっとの思いで身支度を整え終えた頃には酷く疲れてしまっていた。そのままソファーに身を沈めた。ニュースを長閑な思いで眺め、そしてぼーっと天を仰いだ。寝室に行き、鏡に映る自分に会社に行くんだと命令した。外に出る。今日はずいぶんと暑い。しかし風が強い分、少しはましだった。駅までの道をゆっくりしたペースで歩んでいく。今日は会社に行ってTさんに話をしなければ。まずはどう話そうか。そういったことを考えながら歩を進める。駅に着き、いつもの電車に揺られていった。オフィスに入る前に煙草を数本灰にした。ただ空しさが喉の痛みとして残った。自席につきメールのチェックをする。今日話そうとしていた仕事について、メールが飛び交っているのが見受けられた。結局、その仕事を丸ごと僕に移管しようという事で話が収束していた。ぐ・・・断ろうと思っていたのにこれだ。まずはTさんに、仕事の内容と今出来る事、出来ないので頼みたい事を話した。Tさんはちゃんと話を聞いてくれて僕が出来ないといったところはやってくれるという事になった。次に上司の所に言った。妻が先日の経緯から仕事の割り振りを考えてやって欲しいといったメールを上司にだしていたからだ。上司から簡単に仕事の内容、ボリュームの説明を受けた。その後、また突然別の仕事の話をもちかけられた。僕は先日話し合った時に決めた仕事をやりきってから考えたいと話したが、上司はなかなか離してはくれなかった。ありったけのエネルギーを振り絞って、今日のところはその新しい別の仕事に関しては断った。お昼、妻と外に出た。食事をしながら今日の話をした。妻とも話したのだが、今日上司がもちかけた仕事は僕を入れて、僕達のグループでやるべき仕事ではないし、一人でやるにはボリュームが大きすぎるということになった。これで頭の中は纏まった。今度言われてもしっかり断ろうと決めた。午後、一番の相談相手のAさんと話をした。今日上司に持ちかけられた仕事に関して意見を聞きたかったからだ。Aさんもその仕事は僕がやるべき仕事ではないと言ってくれた。そしてAさんからも上司に一言言ってくれることになった。はぁ、すっきり。でも当面の仕事がない。来週になったら仕事が入るので今週はゆっくりしようかな。やることもなくなったので定時前に帰ることにした。帰り際、ハイネケンを数本買いたし帰る。ついでに今日発売になった週間漫画も買う。ああ、これで漫画だけで7冊も積みあがる事になる。もう買うのよそうかなと真剣に考えながら家路についた。帰宅後、ハイネケンを空けながら何通かメールのやりとりをした。今日は飲みに出ようかなと思った。何をするわけでもなくただただハイネケンを空にし煙草を灰にしていった。空虚な時間が過ぎていった。子供達が帰ってくる時間が近付いたのでお風呂に湯を張り、帰宅を待った。ほどなく子供達の元気な声が玄関に鳴り響いた。僕はむくっと起き出し、上の子の元へ駆け寄った。そして抱きかかえ、丹念に頭を撫でた。妻に今日は飲みに行くかもしれないことを告げた。子供達をお風呂に入れようとしたところ、妻がいいよと言ってくれた。しかし、お風呂に一緒に入りたかった僕はその善意を断り、一緒にお風呂に入った。最近は下の子も僕とのお風呂に慣れてくれたようで、あまり泣く事はなくなった。下の子を洗い上げ、上の子とゆっくりお風呂に入った。お風呂から上がり皆で夕食を取った。夕食後出かけるまで時間があったので、布団の上で上の子と遊んだ。遊んでいるうちに酒を飲みに行く事が酷く億劫に感じた。だらだらと遊んでいると睡魔が襲ってきた。いいや、無駄金使う事はない。今日はこのまま寝てしまおう。明日は上司に仕事の断りを入れなくれはならない。今の僕にはエネルギーがいることだがやらないと。言葉を選びつつ眠りについた。
2004.09.08
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