3~4歳(6/8UP)

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3歳から4歳のようくん

Iクリニックではようの様子から入園を薦められた。

他の同年代の子の刺激が今のようには一番の特効薬だと言われた。

早速始めた園探し。
もう10月後半だった。

電話で何件か断られた。

理由は
「障害児の枠がいっぱい」
「先生の手が足りない」
というのが多かった。

やっと面接してくださる幼稚園が見つかった。
私の卒園した幼稚園。

面接時にようが他のお友達の靴の砂を払っていたのを見られて
園長先生は「思いやりのある子」と取られたよう・・・。
私には「こだわり」に見えたが・・・。

すんなり入園が決まった。

年少の時は本当に大変だった。

言葉がほとんど出ていなかったので泣いて叫んで訴えていた。

しかも訴えたいことが他のお友達とは少しずれていたため
なかなか理解してもらえずさらに泣く。

給食はもちろん全くダメで毎日お弁当を持参していた。

入園してすぐに下の子を出産したため入院中は同居していた母が
お弁当を作ってくれた。
(食べられるものが決まっていたので冷凍できる物は
入院前にすべて調理して保存した。)

退院直後からずっと作り続けた。結構きつかった・・・。

ようは多動があまりなく大人しくお友達に危害を加えることがなかったので
それだけは助かった。
そうは言ってもずっと座っていられるわけでもないし
教室にはほとんどおらず外で虫やら植物を観察していることが
多かった。
ようのために幼稚園の門はいつも施錠されるようになった。

それでも夏休み前には少しずつ給食も食べられるようになり
夏休み明けにはメニューによっては作らなくてもよい日が出てきた。
そして3学期からは給食だけで頑張れるようになった。

すべて先生方のおかげだと思っています。
食べられないものを細かくしてご飯に混ぜ、
それが食べられるようになったら少し大きめに混ぜ・・・
というように日数をかけコツコツやって下さった。

家で同じ事をやっても他に食べ物があると考え安心するのか全く効果はなかった。

初めての発表会は大変でした。
ようは「しましまパンツのトラ太郎」というお遊戯。
衣装のしましまパンツがどうしてもはけませんでした。
本物のようで怖かったようです。
結局「これは先生が白い布にクレヨンで書いたんだよ」
と何度も話しているとある日突然はけるようになり
何とか本番には間に合いました。

自閉の子の特徴の一つの”ファンタジー”が強く出ていました。

運動会も目新しいもの(飾り付けなど)や、
音楽、音(笛・ピストル・拡声機等)に敏感で
練習中から耳をふさぎ、しゃがみこんで全く参加できませんでした。

かけっこは先生に手を引かれて何とか参加できました。

3学期中頃からは食のこだわりはまだ残っていましたが
(甘い物、アイスなど)
言葉がどんどん出てきました。

2語文も話せるようになりました。

私のことを呼んでくれるようになったのもこの頃です。
”ママ”ではなく”ぼちゃめ”(楽天ニックネーム)と呼ばれていました。
なぜ”ぼちゃめ”になったのかは未だにわかりませんが嬉しかった・・・。

忘れられないようくん語のひとつです。

さよにはとても興味をもちいつもそばにいました。
でも泣き出すと怯えるようにして扉の後ろに隠れていました。

ありさんとだんごむしが大好きで何時間も園庭で見ていたそうです。



3歳のお誕生日頃にはおまるで用が足せるようになりましたが、
おまるにこだわりおまるでないと用が足せませんでした。
もちろんおむつでも出来ません。
3ヶ月間どこへでもおまるを持参して出掛けました。

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