オセロ

2008/03/10
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テーマ: 心の病(7266)
退院してきました

4日間の入院生活で何かが変わったかといえば何も変わってません。

4日だけだもんね。

本当は木曜日が退院だったんだけど、先生に会えない苦しみがきつくなって

退院しました。

4日間は毎日点滴してました。

これは私の希望でやりました。

何もはいってないブトウ糖を点滴しました。

点滴には4時間ほどかけていました。



その間は。

でも、ボーダーの私にはいろいろなことが辛くて。

みんなみたいに看護婦さんに甘えることが出来なかったです。

甘え方が分からなかった。

だから、辛くても我慢したりしていて。

結局家にいるのと同じ感じでした。

アホです。

そして夜になるととめどなく落ちるという生活でした。

だから消灯が怖くてしょうがなくて。

おまけにいつもの眠剤じゃ寝れなくて。

それで追加で飲むのがベゲBで朝残って辛いのでさけてばかりたいので



昨日なんてほとんど。

そして、いろいろなショックなこともあって。

カウンセラーの先生がどうもやめたらしい。

実はその先生にカウンセリングをお願いしようと思っていたのに。

その先生とは妊娠別れをしました。



そのために私はカウンセリングをやめることになったんです。

それが見捨てられに感じたんです。

それから、心を閉ざしたままの私です。

今もカウンセリングを受けれないのはその出来事があってです。

1歩なんだけど踏み出せない。

でも、先生にしっかり面と向かって謝ったらスタートできるんじゃないか?

って思っていたらいませんでした。

ショックすぎました。

先生には「世界一愛しすぎて世界一嫌いな人」と言いました。

極端な話でしょ?

先生にこの言葉を謝りたかったんです。

でももう遅かったみたいです。

私はいつも後悔してばかり。遅いんですよね。何しても。

先生ごめんね。本当に。傷つけたよね?

本当にごめんなさい。

ここでしか謝れない。悔しいよ。

そんな事実を知ったり病院がいろいろと変わって科が減っていたり。

ショックなことはいろいろ。

そして、病室でもボーダーは結構たいへん。

隣に入ってきた人はまあお若いんですけど、結婚して3年とか。

その旦那さんはすごく理解のあるいい人なんです。

奥さんは過呼吸がひどくて危険なため入ってきました。

その旦那さんとひろが重なりあうんです。

私が大阪でODしたときひろがいつも来てくれたのと同じにみえてしょうがなくなって。

そしてついに耐えれなくなってきて。

軽くフラッシュバック。

辛かった。

後の部屋の人とはあまり話してません。

挨拶する程度。

まあ、4日しかいない奴も奴なんで・・・

私のベットの前のおばさんが昼間と朝はテレビにイヤホンをしないんです!

それにイライラして。

もう怒鳴りそうになってどれだけ耐えたか分かりません。

迷惑にもほどがあります。

鬱で静かに入院していたいのに!!

だから少しの物音にもイライラしてばかりでした。

そして、決め手はいつもの先生の診察を受けに行きたい!と言ったら2重診療になるから

駄目と言われた事でした。

なにかつきはなされたような気がしたんです。

その時頭によぎったのは死でした。

もう駄目だ。と思いました。

私の居場所はないと。

家にもない。病院にもない。

死ななきゃいけないと思いました。

泣きました。一人。

涙があふれ出ました。

そして、そのまま閉鎖に入院しようと思いました。

でも、退院しました。

今は金曜日に先生の診察があるのでどうにか落ちついてます。

でも、朝まではやばかったです。

そして、家の誰もが知らない事実を私がついに口にしました。

母が私を虐待したこと。

父も弟もビックリしました。

母はひたすら謝りました。

だけど、心は傷ついたままで許せないです。

もう許してるつもりだけど、心が開放されないんです。

ずっとそれが虐待だと思わなかった。

だけど大きくなって虐待だと分かった。

母のしていた事は教育じゃなかったんだって。

弟の面倒を見れない私を叩いたり罵声をあびせることは教育じゃなかった。

皿を割ったらほっぺたをおもいっきりたたかれることは教育じゃなかった。

風邪を引いて袋を持ってくるまでに吐いてしまって叩かれたり罵声をあびることは

教育じゃなかった。

ピアノが出来なくてイスから殴り落とされることは教育じゃなかったんだ。

知らなかった。

自分が虐待をうけていたなんて。

だから、私は皿を学校で割ったとき先生に必死で謝っていた。

だから、私は吐く事を極端に怖いと思うんだ。

私はACだったときずかされた。

それを見舞いに来てくれた親の前で言った。

そして、後悔した。

親に言われた。

だから今親をこんなに苦しめるのか!って。

違う。親を苦しめようなんて思ってない。

ただ、過去を知ってほしかった。

私の心の傷を分かって欲しかった。

こんなにも深いんだって。

父に言われた。母の事は知らなかったと。

そして許せないのか?と。

母は病気なんだからと・・・

分かってる。全部。

母だって鬱病なことぐらい。

でも、頭で分かっても心では許せないんだよ。

心の傷はどんな薬飲んでも治らないんだよ。

ひろといるときは母の事を許せていた。

ひろが遊んでくれたから。

おんぶや抱っこまでしてくれた。

本当の母親をしてくれた。

彼氏なのに・・・

お姉ちゃんがいるときも傷は痛くなかった。

でも、お姉ちゃんが仕事から帰って来ない日はあてつけのように薬を飲んだり

吐いたり、切ったりした。

これが私。

私は1件だけ昔里子に来ないか?って言われた事がある。

でも、その家にはみんな里子の子ばかりがいると言われた。

だからどの子にも同じ愛情をあげるからあなただけを愛せないと言われた。

だから断った。

私だけの人が欲しいの。

私だけをみていてくれる人が欲しい。

仕事にもついていきたいぐらいに。

だから、私は人に愛情表現が出来ないと思う。

だから誰かを愛する事は出来ない。

愛してもらってばかり。

情けないけど。

それをまじまじと実感させられた。

母にいまさら期待してない。

前閉鎖に入院したときに、母にそこの先生は「どうして赤ちゃんを東京に一人やるんですか!

」と怒られたらしい。

私はまだ精神年齢が赤ちゃんらしい。

それなのに、どうして東京で生活などできようと言われたのだ。

まだ、あの子はベビーサークルの中にいなきゃいけない子なんですよ!って言われたって。

まだ親の手元で育てなおしが必要だと。

でも、今の主治医は無理だと。

あなたはもうあきらめないさいと言われた。

あなたのお母さんにそれだけの能力はもうないと。

その時は泣いた。

でも、今は何も思ってない。

だからいつまでも私は幻のお母さんをおいかけるのだ。

だから、優しくされてる人をみると私は辛いのだ。

自分も同じことをしたら優しくされるんじゃないか?と思ったりする。

だから、時に入院は私には害をおよぼすことになる。

だから退院しました。

先生との面談ではAcのことを詳しく話してみようと思う。

怖いけど。

そしてカウンセリングは箱庭療法を受けることにした。

医科大になってしまうのだけど・・・

それもお願いする。

そして、全然話は違うのだが、入院中私は怖いながらも食事を3食食べていた。

毎日トイレにいけて、体重は毎日減っていった。

本当にお腹が空く量しかでないけどね。

半分だから。

おかゆだし。

それを家でも怖いけど少し実行してみようと思えてきた。

それは進歩である。

今まで1食だった食事を3食にする。

怖い。

でも、やってみる。

これで痩せていけばいいものだ!

もちろんおかゆしか口には入れれないけど。硬いご飯やパンは無理。

それは入院で得た力です。

でも、私にはやっぱり主治医がいないと駄目でした。

依存ですけどね。

主治医にあって全て話してまた治療していこうと思います。

まだまだ問題なんて解決してないけど、もう解決しなくてもいいのかもしれないと

思ったから。

でも、家では元気なふりをしようと思う。

じゃないといけない気がした。

分からないけど。

出来るだけ。

徐々に入院中のことは書いていこうと思います。

そして、急だけど明日大阪に行ってきます。

弟と・・・

行けるだけ元気なんだろうと思います。

こんな感じです。今は・・・





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最終更新日  2008/03/10 10:36:31 PM
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