ぼくの細道・つれづれ草

ぼくの細道・つれづれ草

2009.01.19
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   「看看口下送奴個九連環」という
    中国清朝時代の音楽「清楽」が元歌で
    長崎の出島から伝来したらしい

   そもそも、映画にしても音楽にしても予備知識なしで鑑賞するのが
   王道かもしれない。しかし、あまりにもその周辺の知識、情報にう
   とくて理解できないどころか誤解してしまうというのも困りものだ。
   余談だが、フランスのサルコジ大統領は日本の国技である大相撲の
   フランス興行に冷淡な関心しか示さなかった。メタボな男たちの裸

   を抱いたのだろう。大相撲に秘められた文化の伝統を知れば「食わ
   ず嫌い」も治るだろうに残念なことである。

   『らくだ事典』

   シネマ歌舞伎「らくだ」を見た後、いくつかの疑問に逢着した。
   「らくだ」に関わるこれは予備知識ではなくて事後知識である。

   *「らくだ」って歌舞伎だったの?
    ずっと以前、喜劇俳優エノケン主演の「らくだの馬さん」という
    映画をみたことがある。以来すっかりらくだファンになってしま
    ったが、「らくだ」の原作は落語だとばかり思っていた。「らく
    だ」のルーツはこうらしい。


    この外題を4代目桂文吾から譲られた3代目柳屋小さんが東京に
    持ち込んだ。大正に入ってからのことである。以来「らくだ」に
    看板は変った。以後、8代目三笑亭可楽、6代目笑福亭松鶴など
    古今東西「らくだ」の名演は数多い。

    落語の「らくだ」を題材にして劇化したのは、岡鬼太郎という人。

    慶応大卒、市川左団次らと演劇改良に努めた。洋画家岡鹿之助は
    その子。

    岡鬼太郎によって劇化された「らくだ」は、初世中村吉右衛門の
    久六、5世中村七三郎の馬太郎、13世守田勘弥の半次ほかの配
    役で東京本郷座において初演された。昭和3年のことである。

    落語と歌舞伎、二つの「らくだ」の違い。
    落語では、最後まで死んだままの「らくだ」(=馬太郎)が歌舞
    伎では大活躍すること。
    兄貴分(=半次)とくず屋の久六が「らくだ」の死骸を大家の家
    に持ち込んで「かんかんのう」を踊らせる。
    この場面、落語ではものの数分で終わるのに、歌舞伎では死骸と
    大家の抱腹絶倒の追っかけっこが延々と続くのである。

   ・・・昨夜 馬公がフグを食って今朝方死んだんだ・・・
    ことから始まるこの話、シネマ歌舞伎に仕立て上げられて見所満
    載なのである。

                       (つづく)








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Last updated  2009.01.19 14:48:05
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