僕の空
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注意…と言うかなんと言うか:長いです、タイトルまで長かった… 色々と・・・色々としていて今日はこんなに日記書くの遅くなりましたね・・・。ふと・・・風呂上りに思い出して。少し曇った鏡見てて思い出したんです。結構中学か高校の時から言ってるのですが「俺って葬式出たコトある割に結婚式って無いよなぁ・・・」妹が良く結婚式への参加に縁があり、自分は葬式に縁がありまだ中学生の妹が結婚式へ行く用意をしている時に普通にボソっと出た言葉でした。家族親戚に高齢の・・・曽祖父や曾祖母が多い、とかならまだ分かるのですが自分が行った葬式、一人除けてみんな30行ってなかったです。その中の一人にその子は入るワケで・・・。中学の頃。その子は脚が生まれ付き悪くいつも身体を支える杖・・・って言うのでしょうか。両方の手で持っていて。何をするにもトロい子だった。でもいつも笑顔を絶やさないで本当に良い子でした。でも・・・・・・凄くからかい易い子でもあって・・・。いつも友人と揚げ足取ったり冗談言ったりしてました。それでもその子は「あははーまたやっちゃったー」と明るい笑顔で。別に嫌いだったんぢゃないです。普通に友達と思ってたし飯は一緒に食ったり店に行ったり遊びに行ったり普通の友達でした。・・・・・・・・・・少なくとも自分にとっては・・・。でも・・・ どうだったんだろう。あの子にとって自分は普通の友達だったかな・・・。良く考えたら毎日の様にからかったりしてて・・・もしかしたら「いぢめられてる」って・・・思ったかな・・・。からかいも、続いたり度が過ぎると・・・からかわれてる本人は分からなくなって来るもんですよね・・・。からかってる時以外は普通に話したり遊んだりしてたけど・・・。・・・・・・ こんな時があった。体育祭が近く、何かの練習していて、その子はそれには参加できなかったからとりあえず音楽流す様に頼まれて見学。何度か「このボタンを押すんだよ」と教えて離れて「音流して~」でも一向に音流れて来なくて、おかしいと思ってみたら録音押してたんだよね。勿論曲は消えてて、皆まぢかよ・・・って態度で、で・・・自分もその中にいた・・・ってよりも先頭切って責めてた気がします。どうせどこででも手に入るような曲だったと思うからそこまで色々言う必要無かったんだよね。当時の自分だってそれ分かってた。分かっててその子を責めてみた。最初はいつもの様に「えへへ・・・ごめんね・・・・・・」・・・いつもの笑顔なんだよ・・・。今でも覚えてる。その時自分はこう言ったんだ。「何へらへら笑ってんの?練習できねーぢゃん・・・俺とか皆困ってんだけど?」・・・・・・・・・・なんでそんなコト言う必要があるかなぁ・・・ホント俺馬鹿。でも暫くすると、その子泣き出したんだよね、で、自分はと言うと・・・悪い事したとは思わなくて・・・むしろ嬉しがってたかもしれない。なんでそうなのかなんか分かりません・・・なんで人泣かして嬉しいのか分かりたくも無いです。でも・・・・・・今でもその気がある・・・泣き出したら初めて満足行く・・・みたいな。人が泣いて勝利感でも得ると言うのか・・・優越感が出て来ると言うのか・・・。やばいですね・・・嫌われそうな事書いてる。どうでも良いですね、隠してても仕方ない・・・いや・・・隠してた方が良いか・・・どうでも良いです。俺のコト話したいワケぢゃないし。 でもそんな事があった後も別に普通に同じ学校の同じ学年の友達で、飯食ったり、普通に友達。自分が無理して付き合ってるとかそう言うのは一切無しで。あれは・・・・・・中学卒業してすぐだったかな卒業前だったかな。その子は脚の手術を受けました。自分は他の友達と一緒にお見舞い言ったりして「退院したら俺んトコ走って来い」みたいな事言って少ない時間結構楽しんでたりして。そう言えば・・・卒業式の日だったか。その子より早く登校してた自分は机に座って皆と話してて。その日は珍しく、その子はお母さんと来ました。クラスは3階、昇降口は階数で言えば地下一階と言った感じの所にあってでもそれでもその子は毎朝一人で上がって来るんです。勿論鞄持って。その子に声掛けて机から降りてお母さんにも挨拶してまた他の奴等と話し始めました。そしたら鞄置き終えたその子が俺呼ぶんですね。「どしたー?」って言うとその子が「あのね・・・」とお母さんと来て「これ」。綺麗に包装された少し重みも大きさもある物をお母さんが渡してくれました。「お餞別(*^-^*)」「うわっ・・・まぢで・・・?!・・・・・・今開けて良いんかな・・・?」良いよ・・・と言われたので開けると、それは結構デカい鏡。小さいメッセージが貼ってあってそれには「いつも仲良くしてくれてありがとう。あっちに行ってもこの鏡を毎日見て思い出してね」・・・みたいなコト書かれてました。本当に嬉しかったの覚えてます。多分他の奴等から何貰うよりも嬉しかったんだと思います。家に帰って母に聞いてみようと思いました。「これさぁ・・・持って行けんかなぁ・・・・・・」でも、ホントデカかったんです。スーツケースの横幅ぎりぎり足りず、それよりも鏡です。割れたら大変だし・・・と言われました。仕方なく妹に渡す事に・・・・・・ぢゃない、貸す事に。「わりぃけどこれ○○から貰って結構可也凄ぇ大事やから割らんどいてや?割ったら簀巻きにして東京湾まで引き摺ってって、ほんで沈めるけんそれ条件で貸してやる(貸してやると言うかこの場合預かって貰ってるんですけどね)」快く引き受けてくれました。しかも夏休みで帰った時は本当に毎日しょっちゅう使ってくれてた様で。しかも綺麗なままでした。 高校卒業後。ファンデーションコースと言って大学入る前に一年間行く場所があるんですね。大抵は行きたい大学やら他の大学でします。行かなくても良いのかもしれないのですが自分の高校は取り敢えずこっちの大学行きたい生徒には行かせるのですが。その時ホームステイをしてました。あの日・・・は結構早く授業が終わったんだったかな。家に戻ってもまだ誰もいなく、テレビ見るか何かしてたんだと思います。で、3時前頃に電話が鳴って、誰もいない時は留守電ですよね、だから相手が話し始めるのを待って自分宛だったら取る様にしてました。母でした。少し普通に話して母が言ったんです、その子が亡くなったと。なんか・・・・・・変な感覚なんですよね・・・予想もしてなかった近しい人の死って自分でもどう受け止めてるか分かってない感覚になるんです。聞いた時、涙は出なかったです。母に「なんで?」って聞くと階段から滑って落ちてる所を先生だか寮母だか誰でも良いけど誰かが見付けたと。母がその事を教えてくれている時、はっきりとその場面が頭の中に思い浮かんでしまって気付いたら泣いてた気がします。本当に信じられなかったですね、大学に頑張って入ってこれからだって連絡を友人から聞かされていて。その直後ですよ。あの子の脚さえ悪くなければ、まだ今いたのかもしれないとか・・・どうでも良いコト思ったり。起きてしまった事、変えられないんですよね。変えられないけど。からかった事も変えられないけどでも本当はその内謝りたかったです。からかった時に謝れば良かった・・・と言う感情はないんです。それなら最初からやらなければ良かったになります・・・まぁやらなければ良かったのかな・・・。でも楽しかった事も事実で・・・。日本に帰って会う機会があればどっかで飲みながら「あん時悪かった~!!!(笑)」とか言えたかな・・・思い出話のネタにもなるよな・・・とか思ってた自分が甘かった様です。その子が亡くなってから『謝りたい』と思ったワケではないです。その前からなんですね。だから・・・・・・悔しいし自分に腹立たしいです。自分が腹立たしく思う事、色々とあります。でもこれだけは一生付いて来る。でも、無理矢理忘れたいとも思わないですね。自分のやった事です。酷く後悔している事です。自分には他に『いぢめ』ていた奴います。そいつにもまぁ謝りたいですがでも・・・あの子にだけは本当に、あの子が「別に気にもしてなかった」と言っても謝りたかったです。後悔先に立たず。当たり前の事だけどなかなか分かってないんですよね。皆さんにはこんな後悔して欲しくないですね。どうせ、いぢめする様な奴がこれ読んだりするとは思わないけどでももし読んでるなら考え改めて欲しいですね。生きてる内にこれから何があるかなんか、自分にだって分からないんだよ・・・ 今頃あの子は天国で自分の足で歩いてるんでしょうか・・・。いっつも絶やさなかったあの笑顔で、きっと思う存分歩いたり走ったりしてますよね。ただ自分は、それ、自分の目で見たかった気もします・・・w
2004年01月26日
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